2021/11/08

第3部 終楽章  8

  バルコニーに出ると、外気は湿気を帯びてムッとしていた。テオは空気が乾いているエル・ティティに逃げる季節だな、と思った。大学が夏季休暇(雨季休暇とも言う)に入ったら、エル・ティティに避難するつもりだった。エル・ティティでも雨季は雨が多いが、空気の湿度はグラダ・シティや東海岸地方ほどではない。
 フェンスにもたれてケツァル少佐が彼を見た。

「昨夜、私は貴方を家に送り届けた後で、オルトのアパートへ行きました。」
「カルロから聞いた。彼女とどんな話をしたんだい?」

 ロホはバルコニーに置かれた椅子に座って2人を眺めた。少佐がワインを一口飲んでから言った。

「大統領警護隊に出頭しなさいと言ったのです。彼女はアスルが撃った銃弾をまだ脇腹に抱えたままでした。麻薬密売組織が使っていた遺跡に近づこうとしたのですから、その理由を説明してもらわねばなりません。銃弾の摘出も必要でした。」
「彼女は出頭を承知したのか?」
「彼女の裁量に任せて私は帰りました。それ以降のことは関知しません。」

 次は貴方の番ですよ、と少佐の目が言っていた。テオは、ステファンから聞いた話だと前置きした。

「君が張った結界が消えたと知ったオルトは、裏の非常階段を使ってアパートから逃げようとしたらしい。それに気がついたカルロとエミリオが追いかけた。彼等が追いつきかけると、彼女は気の爆裂を放って来た。カルロは風が到達する前に押し返した。オルトは自分が放った気をくらって転び、立ち上がって逃げようとした。それでカルロは止まらなければ脚を砕くと警告した。オルトは立ち止まったそうだ。カルロとエミリオは彼女に近づいた。彼女の目を塞ぐためにカルロが彼女の前へ回った時、彼女がいきなり後ろのエミリオに体を向けた。咄嗟にカルロは彼女の首に一撃を与えたが、間に合わなかったんだ。」

 少佐もロホも反応しなかった。テオは彼等の冷静さに妙に感心しながら、続けた。

「オルトは即死だ。エミリオは肋骨を3本折られて倒れたが、幸い命は取り留めた。カルロは直ちに本部に連絡を取って救護を要請した。遊撃班の仲間がすぐに駆けつけてくれたみたいだ。」
「あの女は自分より力が弱いと踏んでグワマナ族のデルガドを攻撃したのですね。」

とロホが呟いた。

「麻薬の違法所持程度の罪なら処罰もそれほど厳しくない筈なのに、何故命の危険を冒して逃げようとしたのでしょう。気の爆裂を押し返された時点で彼女はカルロに勝てないと悟ったのです。彼に刃向かえば殺されることぐらいわかっていたでしょうに。」

 少佐はグラスの中の赤い液体を眺めていたが、視線をテオに戻した。

「麻薬の違法所持以上の罪を犯していたのではありませんか。」
「違法所持以上の罪?」

 テオが聞き返したので、彼女は言った。

「例えば、彼女自身が麻薬密売に関わっていた・・・」
「そう言えば・・・」

 とテオは考えた。

「彼女はサイスにドラッグを与えたのはバンド仲間の誰かだと言ったが、彼女自身だった可能性があるな。ミーヤ遺跡に彼女が現れたのも、麻薬を買うつもりだったと自分で言っていたんだろ?」

 すると少佐が種明かしをした。

「昨日の朝、アスルがグラダ・シティに中間報告のために戻ったことはご存じですね?」
「スィ。うちで朝飯作ってくれたから、知ってる。」
「彼の報告の内容は聞いていないでしょう?」
「任務の詳細を教えてくれるようなヤツじゃない。それに軍人がベラベラ喋るわけじゃないし。」
「彼の報告は、アンティオワカ遺跡を使っていた麻薬密売組織に関する憲兵隊の捜査状況でした。」

 セルバ共和国陸軍憲兵隊は、決してボンクラではない。彼等の多くは普通の人間”ティエラ”だが、共和国軍のエリート集団だ。仕事はしっかりやっていた。

「コロンビアから運ばれてきた麻薬やドラッグは、アンティオワカ遺跡に一旦隠され、そこからグラダ・シティに運ばれ、さらに別の運び屋の手で北米に流れていました。船での輸送路は先日の港で摘発しましたが、他にもルートがいくつかありました。その一つが、ジャズバンドです。」

え? とテオは驚いた。思わず室内にいるサイスの方を見た。ロレンシオ・サイスはデネロスとギャラガ相手にまだ歓談中だった。
 ロホが説明した。

「サイスは何も知らないと思います。彼はいくつかのバンドと契約して、その時々にセッションをするピアニストです。彼の楽器は常に現地にあります。ピアノを持ち歩くなんて出来ませんからね。しかし、管楽器やドラムは持ち運べます。ギターも持って行ける。そう言う楽器の中に麻薬を隠して運んでいたのです。」

 テオはショックだった。あの素敵な演奏をしていたバンドが、麻薬の運び屋?
 少佐が残念そうに言った。

「容疑が固まり次第、憲兵隊がバンドの家宅捜査に入ります。サイスは調べを免れます。彼の持ち物に何も隠されていないことを遊撃班が調べて確認しているからです。護衛の時にこっそり捜査していました。勿論、カルロも承知しています。彼の担当は街中に出没したジャガーでしたが、サイスがドラッグ使用が原因で変身したとわかって、麻薬密売に関係している可能性もあると疑っていたのです。だから、彼はオルトをどうしても逮捕したかった。アンティオワカとグラダ・シティの間の運び屋をやっていたのが、オルトだと見当をつけていたからです。」
「だけど、自供させる前に殺してしまった・・・」
「部下を守るために仕方がなかったのでしょう。でも任務として失敗です。」

 だからステファン大尉は鬱になっていたのか、とテオは漸く得心した。

「オルトは血の繋がりを全く無視してロレンシオに近づいたのかな?」
「興味はあったでしょうね。父親の愛情を奪った”出来損ない”の弟がどんな人物なのか、知りたかったのでしょう。でも彼女が麻薬密売に関係していたとするなら、マネージャーやバンドと取引をする目的もあった筈です。」
「あのマネージャーも一味か?」
「マネージャーを蚊帳の外に置いて麻薬を楽器に隠すのは難しいでしょう。」

 マネージャーがサイスの休業にあれほど執拗に反対したのは、麻薬の運送ルート確保の隠れ蓑を失うのを恐れたためだったのか。
 その時、ギャラガが席を立ってバルコニーに顔を出した。

「少佐、お話中すみません。そろそろ終バスの時間なので、デネロスと私は官舎へ帰ろうと思います。」
「私が送って行くよ。」

とロホが言うと、彼は笑って首を振った。

「中尉は飲んでおられるでしょ? バスで帰りますよ。」
「それじゃ、俺もロレンシオを連れて帰るかな・・・」

 テオは当初の目的を思い出した。

「少佐、明日のロレンシオの居場所なんだが・・・」

 少佐がちょっと考えてから、彼に尋ねた。

「明日の午後の大学は授業があるのですか?」
「ない。」
「音楽室は誰か使いますか?」
「教授会で進級に関して話し合う間は、学生は学舎に入れない。」
「ピアノ室は防音ですね?」

 テオはやっと少佐が言いたいことを理解した。

「そうか! ロレンシオに夕刻までそこでピアノを弾かせておけば良いんだな? 彼も練習は欠かしたくないだろうし、彼を2、3時間置くだけなら事務局も承諾してくれるだろう。」
「説得が難しければ、私も行きますよ。」

 と少佐が悪戯好きな顔で言った。


 

2021/11/07

第3部 終楽章  7

  夜、テオはケツァル少佐から電話をもらった。少佐はステファン大尉がまだ彼の家にいるのかと尋ね、ステファンではなくロレンシオ・サイスがいると聞いて、2人で少佐のアパートに食事に来ないかと誘ってくれた。
 外出と聞いて、サイスは興味を抱いた。何処へ行くのかと訊くので、テオが友人のアパートだと答えると、花やワインを持って行かなくて良いのか、と言った。

「花は要らないと思うが、ワインは持って行った方が良いな。」

 テオはサイスを車に乗せて最寄りの店で赤ワインを1本仕入れた。高いものには手が出なかったが、サングラスで顔を隠したサイスが、安くても美味しいものがある、と選んでくれた。それを持って約束の時間に彼女のアパートを訪問した。
 予想した通り、少佐のアパートには文化保護担当部の面々が集まっていた。アスルがいないだけだ。なんの予備知識もなかったロレンシオ・サイスだったが、出迎えに玄関に現れたデネロスと目が合って、思わず”心話”で「わっ! 可愛い!」と呟いたら、「有り難う」と脳の中に返事をもらって狼狽えた。
 家政婦のカーラが作った料理が並ぶテーブルを囲むと、ロホがグラスを掴んで差し上げた。

「まず、マハルダの試験が無事に終わったことへ、乾杯!」

 乾杯!と一同が声を上げた。そしてデネロスが続けた。

「アンドレの入試申請が無事終了したことに乾杯!」

 乾杯!と一同が声を上げた。次に少佐が言った。

「ミーヤ遺跡の今季発掘が無事終了したことに、乾杯!」

 乾杯!と一同が声を上げた。ギャラガが言った。

「雨季のボーナスに乾杯!」

 乾杯!と一同が笑いながら言った。テオも何か言わなければ、と焦って言った。

「ロレンシオがここにいることに乾杯!」

 乾杯!と文化保護担当部の一同がサイスに向かって言った。だから、ロレンシオ・サイスも言った。

「私が何者か教えてくれた人々に乾杯!」

 乾杯!と全員が叫び、やっとグラスのワインが飲み干された。
 料理を食べ、和やかに会話が交わされた。サイスはデネロスとギャラガから演奏旅行の話をせがまれ、過去の体験の中から楽しかった話題を思い出しながら語った。少佐とロホはステファン大尉が今朝早くビアンカ・オルトとの間に何かやらかしたと思っているので、テオから話を聞きたくてウズウズしているのが、テオにはわかった。

「明日の夜は、エル・ティティに帰省されるのですか?」

とロホが訊いてきた。テオは頷いた。

「スィ。教授会が終わったらすぐに・・・終わらなくても時間が来たら、夜行バスに乗るつもりだ。」

 そして彼は大事な要件を思い出した。少佐に頼み事があったのだ。

「ロレンシオをアスクラカン迄一緒に連れて行く予定になっているんだ。だけど、彼を人前に出せないから、バスの時間迄何処かに彼を居させてもらえないかな? 午前中は俺の家に居るんだが、教授会の間に彼が居る場所が必要だ。」
「貴方の研究室は駄目なのですか?」
「俺の部屋は学生達がしょっちゅう出入りしているから、ロレンシオを見つけたら大騒ぎするだろう。」
「バスの時刻は何時です?」
「時刻表通りなら、いつもと同じ、午後8時ピラミッド前のバスターミナルを出発だ。」
「カルロはもう彼を放置ですか?」
「カルロだって忙しいんだよ。今朝のことがあるし・・・」

 少佐とロホに見つめられて、テオは彼等が何も知らないのだと気がついた。
 突然、ロホがグラスを持って、バルコニーの方を向いた。

「暑くないですか? ちょっとバルコニーで大人の話でもしませんか?」

 少佐もグラスを掴んだので、テオも立ち上がった。デネロスが振り向いた。

「どうしたんです?」
「大人の話をしに行くのです。」

 少佐が目で彼女に何か言った。デネロスはそれ以上突っ込まなかった。


第3部 終楽章  6

  司令部の待機室でカルロ・ステファンは2時間ほど黙って座っていた。エミリオ・デルガド少尉の救護に当たった遊撃班の同僚達の聞き取りが、デルガド自身からの聞き取りの後で行われたので、長時間待たされた。

 事件現場は本部から近かった。だからステファンの通報から救護部隊が駆けつけたのは、彼が電話をかけてから15分後だった。ジープ3台と救急車1台。それ迄の間、ステファンはデルガドの手を握って言葉をかけ続けた。気絶させる訳にいかなかった。普通の負傷と違って”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂をまともに食らったのだ。”呪い”をかけられたも同じだった。指導師に診てもらわなければならない。気絶してしまえばお祓いを受けられない。
 指導師の資格を持つ遊撃班指揮官と同僚達が到着すると、彼等は直ちにその現場である裏道を封鎖した。未明で人通りがないと言っても、いつ誰かが通りかかって大統領警護隊の行動を目撃するかわからない。目撃されるだけなら良い、市民は、何か良くないことが起きてロス・パハロス・ヴェルデスが後処理をしている、と思ってくれる。実際そうなのだ。しかしその処理の最中に大きな声や音を立てられて、指導師の祈祷や救護者の処置の妨害になると困るのだ。デルガドの命に関わることだから。
 部下達に見張りと警護を命じると、指揮官はデルガドが倒れているところに来た。ビアンカ・オルトが死亡していることを確認し、それからステファンから”心話”で状況報告を得ると、彼は一旦ステファンを含めた部下全員をデルガドのそばから追い払った。
 5分後、ステファンは3名の同僚と共にデルガドのそばへ呼ばれた。

「搬送するための前処置として、デルガドの折れた骨を繋ぐ。眠らせるが、それでも骨繋ぎの際に苦痛で暴れるので、君等で彼を押さえつけておくように。」

 指揮官は麻酔の錠剤を出し、デルガドに飲ませた。1分後にデルガドは意識朦朧となり、指揮官は己のスカーフを外して彼に噛ませた。舌を噛むのを防ぐためだ。ステファンと3名の同僚達はデルガドの両肩と両脚を抑えた。指揮官は両手を重ね合わせ、デルガドの陥没しかけた胸の上に翳した。一瞬彼は全身に力を入れ、ステファンと同僚達は空気が凍りついたような感覚を体験した。デルガドの体がビクンと跳ね上がりそうになり、彼等は満身の力を込めて彼を路面に押さえつけた。時間はほんの3秒程だった筈だが、彼等には数分に思えた。
 指揮官がいっぺんに老け込んだ様に見えた。疲弊して彼は路面に尻もちをついた。

「デルガドを救急車へ・・・」

と彼は命令した。

「国防省病院へ搬送しろ。骨がくっつくまで、寝かせてやれ。」

 仲間が担架にデルガドを載せて運んで行く間に、ステファンは指揮官の手を取って立ち上がるのに手を貸した。指揮官が苦笑した。

「君はケツァル少佐の心臓からナイフを抜き取るのに5時間も頑張ったそうだな。普通の隊員では到底無理な時間だ。ほんの数秒で私など、ふらふらだ。」
「しかし、私は祓いが出来ませんでした。だから少佐をあの後半月以上苦しめる結果になりました。」
「祓いの方法は教えてやる。指揮官になる者には必要な知識だ。」

 指揮官はオルトの遺骸を見下ろした。

「恐らく、”砂の民”の名簿にこの女は入っていない筈だ。誰の弟子でもないのだろう。」
「独断でピアニストの命を狙ったと?」
「この女がどんな考えで行動していたのか、それを調べろ。死者の考えを辿るのは難しい仕事だがな。」


 ステファンは、文化保護担当部には永久に戻れない、と悟った。それをテオドール・アルストに告げる勇気がなかった。


第3部 終楽章  5

 その日の夕方、セルバ共和国のメディアは人気上昇中のピアニスト、ロレンシオ・サイスが体調不良のために半年間休業することを発表した、と報道した。言うことを聞いてくれないマネージャーに愛想を尽かしたサイスが、自ら報道各社にメールで己の決意を伝えたのだ。記者達がマカレオ通りの彼の自宅に押しかけた時、既に彼はいなかった。怒り心頭のマネージャーが駆けつけたが、彼は忽ちマスコミの餌食になった。サイスはどんな病気なのか? どこに行ったのか? キャンセルされる演奏スケジュールはどうなるのか? 
 実のところサイスはまだマカレオ通りにいた。アスクラカンへ行く決心がついた、とカルロ・ステファン大尉に連絡を入れたら、10分後には大尉自ら迎えに来た。そして彼をテオドール・アルストの自宅に連れて行ったのだ。

「狭い家だが、明日の夕方迄我慢してくれ。」

とテオが言った。

「俺は金曜日の夕方の夜行バスに乗って、エル・ティティと言う町へ行く。親父が住んでいるんだ。アスクラカンはそのバスが立ち寄るところだ。日によっては乗り換えもある。だから、君は俺と一緒にバスでアスクラカン迄行く。バスターミナルには、君の出自のことをよく知っている人が迎えに来る手筈になっている。君はその人と一緒にサスコシ族の族長の家に行く。
 こう言う段取りだが、承知してくれるかな?」

 サイスはステファン大尉を見た。一緒に来てくるのではないのか?と目で問うた。その切ない視線にステファンが微かに微笑んだ。

「セニョール・サイス、貴方は今”心話”を使いました。意識していますか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。テオも微笑した。

「無意識に使えるんだ、訓練を受ければすぐに普通の”ヴェルデ・シエロ”並に使えるさ。」

 サイスが戸惑った。目だけで会話する、と言うのがどう言うものなのか、まだ得心出来ないのだ。ステファンが言った。

「無防備に”心話”を使うと、貴方の過去も心の底で思っている他人に知られたくない気持ちも全部伝わってしまいます。”心話”は嘘をつけないが、相手に渡す情報をセイブすることは出来ます。それを学んで下さい。”心話”が使えるようになれば、他の力の制御も簡単になります。仲間がどう脳を使えば良いか、”心話”で教えてくれるからです。言葉で表現することが難しいのですが、脳に直接伝えれば理解出来ます。」

 そして彼はサイスの質問にやっと答えた。

「私は貴方を護衛してアスクラカンに行くつもりでした。しかし、その必要がなくなり、私には別の仕事が入りました。これから本部へ戻らねばなりません。
 貴方はご自分でアスクラカンへ行く決定をすることが出来ました。1人でも大丈夫です、上手く能力を制御出来るようになって、早くピアノに戻って下さい。」

 サイスが頷いた。

「有り難う、助けてくれたあなた方の為にも、修行に励んできます。」

 サイスを客間に案内すると、テオは本部に帰ると言うステファンを玄関迄送った。

「サイスだけでなく、君も元気になって安心した。」

とテオが言うと、ステファンが意外そうな顔をした。

「私はそんなに憔悴して見えましたか?」
「スィ。オルトを死なせて後悔しているのかと思った。」

 ステファンが傷ついたふりをした。

「私は敵を倒して後悔なんかしません。」
「わかってる。エミリオを怪我させたことを悔やんでいたんだよな。」

 ステファンが時計を見た。

「そろそろエミリオの麻酔が切れる頃です。状況の聞き取りは、階級が低い者から先に行われます。司令部は、私が部下の安全管理に手を抜かなかったか、私がオルトの命を奪ったのが適正だったか、エミリオの証言を聞いて考えるでしょう。それから私の聞き取りがあります。」
「エミリオが君の立場を悪くするようなことは言わないと思うが・・・」
「聞き取りは”心話”で行うのですよ。」

とステファンは苦笑した。

「防犯カメラの映像を見るのと同じです。エミリオが見て聞いたことを、司令部がどう判断するか、です。事は数秒で起きました。彼がどの程度記憶しているか、誰にもわかりません。」

 そして彼は、「では、また」と言って家から出て行った。

 

  

2021/11/05

第3部 終楽章  4

  テオが帰宅すると、リビングのソファでステファン大尉が寝ていた。客間で寝れば良いのに、と思いつつ、テオは寝室で着替えてからキッチンでコーヒーを淹れた。芳しい香りでステファンが目を覚ました。家の主人が帰宅しているのに気がついて、彼は体を起こした。無言のまま彼はソファを離れ、ダイニングのテーブルに来た。
 2人は黙って昼食を取った。ステファンはタコス1個では物足りないのではと心配したテオは、冷蔵庫からマカロニチーズを出して温めて出した。それもステファンは無言で食べてしまった。食欲が無さそうに見えて、かなりの量を食べている。超能力を使ったのだ、とテオにはわかった。姉のケツァル少佐が能力を使った後に異常な量の食事を取るのと同じだ。
 ステファン大尉が落ち着いてきた様子だったので、テオは自然な風を装って会話を始めた。

「昨日の朝、アスルがここへ来て、ミーヤ遺跡で不審な女と出会して銃撃したが逃げられたと教えてくれたんだ。勿論彼は少佐に電話で報告済みだったろうけど。それで夕方、ロホとマハルダとアンドレがオフィスでの仕事が終わった後で向こうへ行った。アスルは遺跡を離れられないから、彼等が女の痕跡を追ったら、マカレオ通りに出たそうだ。アスルが使った”通路”の近所だろうね。そこで女の痕跡を追うのが困難になったので、彼等は追跡を諦めて解散したんだろう。」

 流石に少佐とディナーデイトして自宅まで送ってもらったとは言えなかった。彼が、これで終わり、と仕草で表現すると、ステファンがそれに続ける様に語り出した。

「オルトは最近迄住んでいたアパートに戻っていました。血の臭いを辿って突き止めました。アパートに踏み込もうとしたら、少佐が一足先に来て結界を張っていたので、私は入れなかった。」
「結界? どうして少佐が・・・」
「オルトと話がしたかったのでしょう。」

 俺の知ったこっちゃないよ、と言いたげに、ステファンはそれ以上の説明はしなかった。

「アパートから出て来た少佐は、オルトに大統領警護隊に出頭するよう言った、と言いましたが、私はオルトを信じられませんでした。勿論少佐もあの女を信用していた訳ではありません。後は私の仕事だと言って少佐は帰りました。
 私はデルガド少尉を呼んで、アパートに踏み込むつもりでした。すると結界が消えたことを確認したオルトがアパートから出たのです。」
「逃げたのか?」
「逃げようとしたのです。私達が追いかけると、彼女は気の爆裂を放って来ました。私は風が私に到達する前に押し返しました。オルトは自分が放った気をくらって転び、立ち上がって逃げようとしたので、私は止まらなければ脚を砕いてやると警告しました。」
「彼女は止まった?」
「スィ。立ち止まったので、私は彼女の目を塞ごうとしました。その時、デルガドが彼女の手を後ろで拘束しようとしました。」

 テオはドキリとした。嫌な予感がした。

「君が目を塞ぐ前に、エミリオは彼女に触れたのか?」
「スィ・・・そう言うタイミングでした。オルトがいきなりエミリオに向かって振り返ったのです。私は咄嗟に彼女の首を殴りました。」

 ジャガーの一撃だ。一突きで殺すもの、それがジャガーの語源とも言われている。そしてジャガーはピューマより強いことが動物学者によって確認されている。だがマーゲイはジャガーよりもピューマよりも小さい。テオは不安に襲われて尋ねた。

「エミリオは・・・?」
「肋骨を3本折られました。オルトは私に立ち向かっても叶わないと悟って、エミリオを攻撃したのです。ただ、先に己が放った気の爆裂を私に跳ね返されて自分でくらってしまっていたので、力の全開は出来なかった。だからエミリオは命拾いしました。」
「そして、オルトは・・・死んだのか・・・」

 ステファンが溜め息をついた。

「少佐と出会った時に、エミリオにまともにオルトの相手をさせるなと注意されていたのです。私は彼女に、部下を危険に曝したりしないと見栄を切ってしまいましたが、結局失敗しました。オルトは”出来損ない”のグラダより純血種のグワマナを相手にした。私とエミリオが互いに離れた瞬間に、彼女は2人の力の差を測りとったのです。そう言うことが出来る人間が敵なのだと、私は考慮すべきだったのです。」

 ステファン大尉の気鬱は、オルトを死なせてしまったことではなく、部下を守りきれなかった後悔だった。テオは微笑んで見せた。

「だけど、エミリオは生きているんだろ? 君がオルトの首を折らなければ、彼は殺されていたんだ。君はエミリオを守ったんだ。彼もきっとわかっているさ。」

 ステファン大尉は床に視線を向けた。

「それでも・・・少佐に叱られます。」


第3部 終楽章  3

 金曜日の午後は学部毎の教授会があって、進級させる学生や落第させる学生を決める。だから木曜日の最終試験の監督を務めたテオは、お昼になるとランチも取らずに大学を出た。文化・教育省の駐車場に行くと、ケツァル少佐のベンツとロホのビートルが所定の場所に駐車されていたので、彼は雑居ビル1階のカフェ・デ・オラスへ行った。少佐、ロホ、デネロス、そしてギャラガが揃ってランチをしているのを見て、彼は店に入る前にステファンの携帯に電話をかけてみた。1回の呼び出し音の後ですぐにステファン大尉が出た。

「アルストだ。もう本部に帰ったのかい?」
ーーノ・・・お言葉に甘えて貴方の家にいます。

 気のせいか、やっぱり元気がない声だ。テオは気がつかないふりをして言った。

「昼飯を仕入れて帰るから、待っててくれ。」
ーー承知しました。

 電話を切ってテオは店内に入った。カウンターへ行き、持ち帰りのタコスを2人前頼んだ。それから、文化保護担当部の隊員達が座っているテーブルに近づいた。

「ヤァ、今日は全員揃ってるんだな。」

 少佐以外の3人が振り返った。デネロスがニコッと笑いかけてくれた。

「アルスト先生も試験が終わったんですね?」
「スィ。明日の昼迄休めるんだ。」

 ギャラガがびっくりした様な顔をした。

「明日は午後から仕事なのですか?」
「スィ。教授会がある。誰を進級させて誰を落第させるか話し合うんだ。」
「魔の会議ですね。」

  学生のデネロスが身震いのふりをして、仲間を笑わせた。少佐がチラリとテオを見上げた。

「ランチは持ち帰りですか?」

 つまり、一緒に食べないのか、と訊いているのだ。テオは仕方なく頷いた。

「スィ。家で待っているヤツがいるからね。」
「誰? アスル?」

とデネロスが無邪気に尋ねた。まさか、とテオは笑った。

「黒いヤツだよ。」

 4人の隊員全員が彼を見つめた。何故ステファン大尉がテオの家にいるのか?と問いたげな表情だった。デネロスが小さな声で尋ねた。

「今日の未明に、ピューマを捕まえたんじゃないんですか?」

 テオがすぐに返事をしなかったので、彼女はさらに言った。

「報告書の作成やら取り調べで大尉は忙しい筈ですけど・・・」

 それでもテオが返事出来ずにいると、ギャラガが言った。

「私達は昨夜ミーヤ遺跡に行ったんです。 アスル先輩が不審な女を銃撃したと聞いたので、女を追跡しました。そしたら、マカレオ通りに出たんです。」
「アスルもあの辺りに”通路”があると言っていたな。」
「私達はそこで追跡を諦めたのですが、未明に町が慌ただしくなりました。日が昇る頃に官舎に帰ったら、遊撃班が外へ出て行ったと聞いたので、ステファン大尉の応援に行ったのだと思いました。」

 大統領警護隊は部署が異なると互いに何をしているのか知らないのだろう。大きな出来事なら情報が拡散するのだろうが。
 少佐がテオに尋ねた。

「カルロは貴方の家で何をしているのです?」
「知らない。」

とテオは正直に答えた。

「今朝は試験の監督しか仕事がなかったから、遅い時間に家を出たんだ。そしたら家の前にカルロがやって来た。疲れている様に見えたから、俺の家で休むように言った。」

 その時、カウンターで彼を呼ぶ声がした。テイクアウトの用意が出来たのだ。テオは友人達に、またな、と言ってテーブルから離れた。

第3部 終楽章  2

  サイスの家を出たステファン大尉は、本部へ帰るべきか、文化保護担当部に明け方の出来事を報告すべきかと少し迷った。迷いつつ運転していたので、気がつくとテオドール・アルストの家の前に来ていた。テオの車がまだそこにあり、丁度テオ本人が鞄を持って出て来たところだった。車に乗り込もうとして、彼は道に大統領警護隊のジープが停まっているのに気がついた。

「ブエノス・ディアス!」

 いつも優しい声をかけてくれる人だ。人1人の命を奪った直後のステファンは、なんだか泣きたくなった。窓を開けて挨拶を返して、彼はわかりきったことを尋ねた。

「お仕事なんですね。」

 テオがジープのそばへやって来た。

「スィ。何か急ぎの用かい?」

 そう言ってからテオはステファンの顔が、朝だというのに憔悴した印象を与えることに気がついた。それに相棒のデルガドはジープに乗っていない。
 テオは家をちょっと顎で指した。

「疲れているなら、中に入って休め。俺は午前中仕事だが、午後は調整すれば何時にでも帰って来られる。帰る時は電話を入れる。」

 彼は時計を見て、それじゃ、と車に戻りかけた。ステファンがその背中に声をかけた。

「彼女は死にました。」

 テオが一瞬足を止めた。そして彼は詳細を知らなくても、その意味は理解した。
 
 カルロはそうしなければならなかったんだ・・・

 彼は努めて明るい声で言った。

「それじゃ、ロレンシオはもう安全だね。」

 彼は車に乗り込み、エンジンをかけた。ジープはまだそこにいた。彼は車を出した。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...