2021/12/15

第4部 忘れられるべき者     12

  その夜の夕食は静かだった。アンドレ・ギャラガの入学祝いは賑やかにやりたいとケツァル少佐とロホが希望したので、週末に延期された。テオはまた帰省が出来ないとゴンザレスに連絡した。若い少尉の大学合格祝いだと言うと、ゴンザレス署長は「おめでたい理由だから、帰省がキャンセルになっても仕方がない」と喜んでくれた。

ーーアンドレって、雨季休暇の時にうちへ来て泊まって行った若い男だろ?
「スィ! 覚えてたの、親父?」
ーー当たり前じゃないか。俺は警察署長だぞ。自宅に来た人間はちゃんと記憶しているさ。

 そう言えばギャラガは夜勤明けのゴンザレスと朝食の時に顔を合わせていたのだ。何となく大統領文化保護担当部の隊員達もエル・ティティ警察の顔馴染みになって来たなぁ、とテオは可笑しく思った。エル・ティティの近所に遺跡はないので、今まで文化保護担当部はエル・ティティに立ち寄ることすらしなかったのだ。それが最近はアスルがエル・ティティ特産の山バナナを買いに行ったり、ロホがゴンザレスの部下の若い巡査と互いに出張で訪れたオルガ・グランデの飲み屋で偶然知り合って親しくなったり、と妙につながりが出来てきた。そのうちにデネロスも行くかも知れない。
 そんなことを思いながらテオが自宅の食堂でアスルの手料理を食べていると、電話が鳴った。先に食事を終えてテレビを見ていたアスルがジロリとこっちを見た。煩いからさっさと出ろ、と目で命令してきた。テオは口の中の物をビールで流し込んで電話に出た。電話はケツァル少佐だった。

ーー今からそちらへ行っても良いですか?

 出るなり彼女が質問した。いつものパターンだ。テオは部下並みの扱いをされている。彼女はテオとアスルが同居していることを知っているから、アスルに断る必要はない。構わないと答えると、電話が切れた。切れたと思ったら、玄関でノックの音がした。テオは席を立った。

「なんだ、家の前でかけてきたのか。」

 アスルがテレビを見ながら笑った。
 ドアを開けると少佐が素早く入って来た。ドアの隙間からベンツが路駐されているのがチラリと見えた。
 アスルがソファから体を起こして座り直した。テレビを消そうとしたので、少佐が「そのまま」と合図した。彼女はテオの食べかけの食事を見ながらテーブルの対面に座った。そしてテオに座れといった。どっちが客かわからない。

「食事を続けてもらって構いません。」
「グラシャス。で、何か用かい?」

 用があるから押しかけて来たのだ。少佐は躊躇うと言うより、ちょっと考え込んでから質問してきた。

「貴方は私のD N Aを分析されたことがありますよね?」
「ああ・・・それは・・・」

 本人に内緒で分析したことがあった。”ヴェルデ・シエロ”を分析したいと言うより、己の遺伝子との共通点を探したくて、少佐の髪の毛とか使用済みのカップとか、そう言った細々した物からD N Aを採取して分析したのだ。

「あるんですね?」

 少佐が畳み掛けたので、テオは叱られるのを覚悟して肯定した。

「スィ。黙って分析してごめん。」
「それは構わないのです。その記録は取ってありますか?」
「スィ。本当は消すべきなんだろうが、君のものは残したくて・・・。」

 少佐はそれを無視して、テーブルの上に体を乗り出し、声を低くして言った。

「D N Aを分析して欲しい人がいます。」
「誰?」

 少佐はさらに声を小さくした。

「フィデル・ケサダ。」
「はぁ?」

 思わずテオは声を出し、慌ててアスルの反応を伺った。アスルはテレビのサッカー中継を熱心に見ている様子だ。
 少佐が姿勢を元に戻した。

「私の個人的興味です。ですから、当人に知られたくありません。」
「いいけど・・・D N Aを手に入れる方法が難しいなぁ・・・」

 相手はマスケゴ族の、推定”砂の民”だ。優しく人当たりの良い教授だが、隙がない。

「急ぐのかい?」
「急ぎません、私の個人的興味ですから。」
「彼のD N Aの何を見れば良いのだろう?」
「それは・・・」

 少佐はチラッと横目でアスルがこちらを見ていないことを確認した。

「貴方がサンプルを手に入れてから教えます。」
「わかった。」
「くれぐれも用心して下さい。怒らせると、非常に危険な人です。」


 

2021/12/14

第4部 忘れられるべき者     11

 「予想したより出張が短くて、少佐が水曜日には帰って来ちゃったんです。」

とマハルダ・デネロス少尉が無邪気に語った。

「ロホ先輩は臨時指揮官の仕事にすっかり乗り気になっていたのに、御大が帰られたので、がっかりしています。」

 その様子が想像出来て、テオは笑ってしまった。彼とデネロスはグラダ大学のキャンパスでアンドレ・ギャラガ少尉を待っていた。ギャラガは通信制の大学に見事合格して、晴れて大学生になった。義務教育を一切受けずに育った男が、いきなり大学生だ。デネロスは彼に学生の心得を叩き込むのだと粋がっていた。どうも彼女は熱血教育者になりそうだ。

「お待たせしました!」

 ギャラガが事務手続きを終えて走って来た。文化・教育省で働いているのだから、あの雑居ビルで必要な書類処理をしてやれば良いのに、とテオは思った。大統領警護隊なら、その程度の無理は通るだろう、と言うと、デネロスが反論した。そんなことをすると、アンドレが何時まで経っても大学に馴染めないだろう、と。言われてみればそうだ。スラム街と軍隊しか知らずに成長した男が、普通に大学生活を楽しむには、慣れが必要だ。

「主要担当教官は誰だい?」

 訊かれてギャラガは書類を見直した。げっと言いたげな表情をしたので、テオは予想がついた。

「まさか、ムリリョ博士?」
「スィ・・・」

 ギャラガは1度ムリリョ博士に面会した経験があった。純血至上主義者で頑固そうで、口を利いてくれそうにない高齢の博士。面会時に博士と言葉を交わしたのは、ステファン大尉で、彼は大尉の後ろに隠れる感じだった。実際は隠れていなかったけれども。
 デネロスが笑った。

「大丈夫、大丈夫! ムリリョ博士はお休みが多いから、大概スクーリングの時はいないのよ。学生の面倒はケサダ教授に一任されているの。」
「ああ、ケサダ教授か・・・」

 ギャラガがホッとした表情になったので、テオは可笑しくて笑った。

「あの教授なら安心して師事出来ます。優しいし・・・」
「優しいのは雑談の時だけ。レポートは厳しいわよ。」

 通信制なので、主にレポートが授業のメインになる。デネロスは考古学部を卒業したが、また別のコースを履修している。こちらも忙しいのだ。しかし、ケツァル少佐が出張から戻るなり、オクタカス遺跡の発掘監視の準備に入れと命令したので、相当今期は厳しいな、と覚悟していた。 初めての長期監視任務、しかもジャングル奥地だ。前任者だったステファン大尉に、オクタカス遺跡についての情報を聞いておかねばなるまい、と彼女は考えていた。
 
「今日はオフィスに戻るんだろ?」
「スィ。」
「夕方は定時で終わり?」
「スィ!」

 2人の少尉が声を揃えて返事した。ギャラガの入学に祝杯を上げなければ、とテオが言いかけると、後ろから声をかけて来た人がいた。

「ドクトル・アルスト。」

 振り返ると、さっき話に上ったフィデル・ケサダ教授だった。手にビニル袋を持っており、袋の中身は薄汚れた布に包まれた物だった。テオは嫌な予感がした。

「何でしょう、ケサダ教授?」
「一つ頼まれてくれませんか?」

 教授が袋をテオの目の前に差し出した。

「クイのミイラです。ある遺跡から発掘された物ですが、どこで採れたものか、D N Aで分析して頂きたい。」

 クイは大型の齧歯類で、家畜として飼育されている。
 テオは袋を受け取る前に質問した。

「分析に費用がかかった場合、請求しても良いですか? 前期に成分分析の費用で、スニガ准教授とちょっと気まずい思いをすることになったので・・・」
「気にせずに請求して下さい。」

 半ば強引にケサダ教授はテオの手に袋を持たせた。

「来週の火曜日迄にお願いします。もしD N Aが採取出来なかった場合は、早急に連絡願います。こちらも研究の段取りがありますから。」
「わかりました。」

 教授は学生少尉達には目もくれずに去って行った。ギャラガが呟いた。

「マジで、厳しそう・・・」


第4部 忘れられるべき者     10

  大統領警護隊には副司令官が2名いて、一月毎に夜と昼の当番を入れ替わっていた。ブーカ族とマスケゴ族のハーフのトーコ中佐と、純血のブーカ族、エルドラン中佐だ。トーコ中佐はどちらかと言えば武闘派で、エルドラン中佐は聖職者の様だ、と言うのが部下達の陰での評価だった。ケツァル少佐も文化保護担当部の部下達も、そして遊撃班に異動したカルロ・ステファン大尉も、武闘派ではないつもりだったが、何故かいつも副司令官室に呼ばれる時は、トーコ中佐が当番の時だった。
 久しぶりにケツァル少佐とステファン大尉は2人揃って副司令官室に呼び出された。正確に言えば、長老達をイェンテ・グラダ村で護衛した首尾の報告と、オクタカス遺跡の盗掘グループを逮捕した件の報告だ。
 いつもの様に”心話”で報告を受けると、中佐は2名にそれを文書で残しておくように、と言った。ステファン大尉が思わず質問した。

「長老が『ここだけの話』と仰った内容もですか?」

 トーコ中佐はケツァル少佐が横目で彼を睨みつけるのを見た。少佐の報告には、「ここだけの話」は含まれていなかった。大尉が馬鹿正直に全て報告してしまったのだ。

「ステファン大尉・・・」

とトーコは頭を抱える仕草をして見せた。このメスティーソのグラダは純粋過ぎる。

「君は長老が『ここだけの話』と仰った内容を全て私に語った。私は規則により、聞いてしまった話を記録に残さねばならない。」

 大尉は中佐を見て、それからギクリとして少佐に振り向いた。

「貴女は情報をセイブされた?」
「当然です。」

 ケツァル少佐は、熱が出そう、と思いつつ肯定した。ステファンは気の制御が出来なかった時でも、生まれて母親から”心話”を教わって以来、ずっと”心話”を使ってきた。他の能力は使えなくても、”心話”は自由に使えたのだ。情報のセイブなど朝飯前の筈ではないのか。
大尉は赤面した。

「申し訳ありません。長老からお聞きした内容を忘れるのを忘れていました。」

 もう良い、と中佐が手を振った。

「君は高度な機密情報を扱う地位に向いていないのかも知れない。」

 ステファン大尉は唇を噛んだ。司令部に入るつもりはないが、昇級はしたかった。せめて異母姉と肩を並べる位に昇りたかった。だが大統領警護隊の佐官は”ティエラ”の軍隊の将官に相当する。国家機密を扱える階級だ。

「まだ若いですから。」

と姉が助け舟を出した。

「修行が足りないだけです。」

 トーコ中佐が苦笑した。

「書類に残したりしない。わかっているだろう、2人共。」

 彼は笑を消して大尉を見た。

「記録に残しなどしたら、君も私も長老に消される。語った人が、あのお方なのだから、尚更だ。」
「では・・・」
「忘れろ。」
「承知しました。」

 ステファン大尉は体を硬くして応えた。副司令官が言った。

「持ち場に戻れ。」

 大尉は敬礼して、部屋から出て行った。ドアが閉じられ、5分程中佐と少佐は無言で石像の如くその場に残った。
 それから、徐にトーコ中佐は席を立ち、部屋の隅のキャビネットの引き出しから銀色の包みを2本出して来て、ケツァル少佐の前に1本を転がした。少佐がそれを拾い上げるより前に、彼は己の手元に残った物の銀紙を剥がし、中のチョコレートを齧った。少佐も軽く礼をして、チョコバーの包みを剥がした。

「シーロ・ロペスは・・・」

と中佐が口を開いた。

「例のアメリカ人をテキサスの海岸に捨てたそうだ。」
「おや、早かったのですね。」
「彼は少し急いでいた様子だった。結婚休暇が間近に迫っているからな。」

 ケツァル少佐はエルネスト・ゲイルの生死を尋ねなかった。トーコ中佐も言及しなかった。

「ところで今食べているチョコバーだが、セルバ産だ。サンシエラが新しく売り出すそうだ。」
「道理で、初めて食べる味だと思いました。」
「スニッカーズに対抗出来るかどうか、わからんが、商品のイメージソングをロレンシオ・サイスが作るらしい。」
「ああ、あの人が・・・」
「歌だけヒットしてチョコレートが売れなければ、サンシエラはビターな思いをするだろう。」

 

2021/12/13

第4部 忘れられるべき者     9

  カルロ・ステファンはつい昔の癖で、オクタカス遺跡の盗掘をチェックしたくなった。グラダ・シティの神殿へ通じる”空間通路”の”入り口”へと歩く間、彼の視線は岩山の麓へ向いてしまうのだった。

「彼は何を気にしているのです?」

と女性の長老が最後尾を歩くケツァル少佐に尋ねた。少佐が肩をすくめて答えた。

「文化保護担当部の仕事に未練があるのです。彼が最後に行った監視業務がそこの遺跡でしたから。風の刃の審判の事故で発掘調査が中断されてしまい、彼の任務も中途半端で終わってしまったのです。それに最近の写真を見ると、盗掘被害が発生している疑いがあります。」
「それで気になって仕方がないのですね。」

 長老が仮面の下で笑った。

「オクタカスの発掘は何時再開されるのです?」
「今季、フランス隊が戻って来ます。」
「監視は誰が?」
「ここは村が近いので、デネロスを派遣しようと思っています。彼女の初めての長期ジャングル派遣です。」
「それは楽しみだこと。」

 先頭のステファン大尉が足を止めたので、一行も止まった。長老が彼に止まった理由を尋ねようとした時、ステファンが手で「待機」と合図した。そして彼自身は忽ち密林の中に駆け込んで姿を消してしまった。

「何を見つけたのだ?」

と背が低い長老が囁いた。背が高い長老が本人に代わって答えた。

「向こうで人の気配がした。複数だ。遺跡に向かっている。」
「盗掘者ですね?」

と女性の長老が言った。彼女はケツァル少佐を振り返った。

「行きなさい。」

 少佐は敬礼で応え、素早くステファンの後を追って走り去った。
 3人の長老達はその場に立って、待機していた。2人を置き去りにして帰っても良かったのだが、それでは護衛任務の立場がないだろうから、大人しく待っていた。
 やがて木立の向こうで銃声が聞こえ、男達の怒鳴る声が聞こえた。

「楽しそうだな。」

と背が低い長老が呟いた。声に羨望の響きが入っていた。

「暴れるのは若者の特権だ。」

と背が高い長老が言った。

「人前に出て暴れるなよ。儂らの年齢で飛び跳ねたら、”ティエラ”が怖がる。」

 女性の長老が必死で笑いを堪えて肩を震わせた。

第4部 忘れられるべき者     8

  背が高い長老は周囲を見回し、それから再び仲間に向き直った。

「イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出た男は3人と儂は言った。それは儂もそう言い聞かされていたからだ。村の殲滅作戦に携わった者は全員それを信じていた。」

 どう言うことだ? みんなそう問いたいのだが、礼儀を守って黙って聞いていた。

「エウリオ・メナクが亡くなる前に、儂に手紙を寄越してきた。儂はオルガ・グランデの戦いの間、あの男の家族を、娘のカタリナと孫を戦いに巻き込まれぬよう匿ったので、エウリオの信用を得ていた。だから、エウリオは己の命が終わることを悟った時に、儂にある秘密を打ち明けた。イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出たのは、2人の男と1人の女だった。」
「女?!」

 思わず背が低い長老が声を上げてしまった。そして彼は慌てて、無礼を詫びた。背が高い長老は仲間の粗相を気がつかないふりをして続けた。

「左様、女だ。マレシュ・ケツァルは女だった。グラダの血が濃い女だ。もし存在がグラダ・シティに知られていたら、ウナガン・ケツァルの様に神殿の地下に連れて行かれただろう。ヘロニモとエウリオはマレシュが男であると我々に信じ込ませたのだ。」
「それで、この楡の木の下に眠っている男性はヘロニモ・クチャだと、貴方は知ったのですね。」

 女性の長老が納得した。背が高い長老は頷いた。

「ヘロニモはエウリオより1年早く亡くなった。エウリオとマレシュはヘロニモをある場所に埋葬したが、場所は誰にも教えるつもりはないと手紙に書いていた。そしてヘロニモの死去も誰にも教える必要はないから沈黙して欲しいとも書いていた。」
「マレシュはどうなったのです? それも書いていましたか?」

 ステファンが強い好奇心に負けて尋ねた。
 背が高い長老は少し躊躇った。長い沈黙が躊躇っていることを物語った。彼はマレシュ・ケツァルのその後を知っているのだ。仲間が焦れかけた時に、やっと彼は口を開いた。

「マレシュはヘロニモを埋葬した後、オルガ・グランデを出て行った。」

 その後は? だが彼はそれ以上は語らなかった。知らない、とは言わないから知っているのだ。だが知っていると言えば、その後々のことも語らねばならない。だから沈黙するしかない。
 わかりました、と女性の長老が言った。

「ヘロニモが亡くなった1年後にエウリオも亡くなった。その時エウリオには娘も孫もいた。つまり、マレシュもそれなりに歳を取っていたのですね。」
「そうだ。儂はマレシュの正確な年齢を知らぬ。まだ存命であれば、儂らとそう変わらぬ歳であろう。」

 朝の太陽はかなり高くなっていた。長老達は野営地を撤収し、グラダ・シティに戻ることにした。樹上のハンモックを片付けるのは、やはり若い者の仕事だ。姉弟が協力して片付けをしている間、長老達は村の跡地に清めの祈りを捧げて歩いていた。
 ステファンが首を傾げた。

「私はまだちょっと納得がいきません。」
「何がです?」

 ケツァル少佐は、自分が気づいたことを彼も気がついたのだろうか、と思った。ステファンはハンモックを畳みながら、ちょっと目を空中に泳がせて、それから姉を見た。

「祖父と同年代だったヘロニモ・クチャとマレシュ・ケツァルが、祖父が亡くなったのと同時期に生きていたのであれば、彼等にも家族がいたと思うのです。祖父が・・・」

 カルロ・ステファンは危うく長老の名前を口に出しそうになって、辛うじて我慢した。

「あの方に私の母と私達兄妹を守ってもらうことを許した様に、ヘロニモとマレシュもシュカワラスキ・マナと一族の戦いに自分達の家族を巻き込まれぬよう手を打った筈です。しかし、あの方はそれには一切触れられなかった。ヘロニモとマレシュはあの戦いを全く傍観していただけなのでしょうか? 鉱夫だったら、地下に潜伏した私達の父とも何らかの接触をした筈です。」

 カルロ、と少佐は言った。

「貴方は、父がカタリナの援助だけで2年間地下で生き続けたと本当に信じているのですか?」

 ステファンは姉を見つめた。

「ヘロニモとマレシュも父を助けていた、と?」
「イェンテ・グラダで生まれた人々の結束でしょう。でも一族は彼等を見逃してやった。麻薬の狂気から逃れて出稼ぎに出た為に、故郷を失った彼等を、そのまま生き延びさせようとしたに違いありません。男性2人は戦いの後長く生きることはなかった様ですが。」
「鉱山の仕事は過酷ですから。インディヘナはあまりああした仕事には向いていません。それは歴史が物語っています。」

 少佐は頷き、空を見上げた。マレシュ・ケツァルは何処に行ってしまったのだろう。1人だったのか、それとも誰か連れがいたのか?


 


第4部 忘れられるべき者     7

  朝日が東の森の木々の向こうから顔を出しかけた。ケツァル少佐はハンモックを片付け、木から降りた。一番近い寝床の木から、女性の長老がほぼ同時に降りて来たので、彼女は思わず敬礼した。長老が囁いた。

「止めよ。ステファンに気づかれる。」

 少佐は慌てて手を下ろした。そして報告した。

「井戸を埋めた人の見当がつきました。」

 長老は仮面越しに彼女を見つめ、やがて小さく頷いた。そして荷物置きに設置した棚から自身の荷物を取った。

「朝食は各自自由に取りなさい。貴女の考えを聞きたい。殿方達を起こしましょう。」

 ドンっと下腹に響くような空気の鈍い振動が起きた。周囲の木々から鳥の群れがバッと飛び立った。直後にカルロ・ステファンが、続けて背が高い長老が木の上から飛び降りる様に現れた。

「何事です?」
「朝が来ただけだ、黒猫。」

 最後に背の低い長老がぎこちなく降りて来た。登るのは得意でも降りるのは苦手と言う人はどこにでもいるものだ。

「ブエノス・ディアス!」

と女性の長老が挨拶した。そしてケツァル少佐を己の横に招き寄せた。

「ケツァルが井戸跡を埋めた人物の見当がついたそうです。」

 男達の視線を集めて、ケツァル少佐は朝の挨拶をしてから、斜めに生えた楡の木の方向を指差した。

「あれは墓所です。」
「墓?」

と思わずステファンが声を出し、急いで口を手で押さえた。背が高い長老に殴られるのではないかと心配したのだ。少佐は彼を無視して続けた。

「昨夜、鉱夫の格好をした方をお見かけしました。彼は私を楡の木まで案内し、地面の下へ消えて行かれました。あの楡の木が生えている場所が、彼の方が眠っていらっしゃる場所だと教えて下さったのです。」

 3人の長老とステファンが楡の木の方向を見た。根元が傾いたために少し歪に伸びてしまった楡の木に朝日が差していた。そうか、と背が高い長老が呟いた。

「ヘロニモはそこにいたのか・・・」

 今度は彼が一同の注目を集めた。ケツァル少佐が尋ねた。

「被葬者がヘロニモ・クチャであると言う確信がおありなのですね?」

 暫く沈黙があった。誰も答えを急かさなかった。背が高い長老は歩き出し、残りの仲間もついて行った。目的地は勿論楡の木が生えた井戸の跡地だった。木の前に立つと、長老は木を見上げ、それから地面に膝を突いた。他の2人の長老もそれに倣ったので、ステファンも慌てて膝を突いた。ケツァル少佐は昨夜拝礼したが、もう一度膝を突き、長老達と共に墓所に敬意を示した。
 死者へ捧げる祈りを終えてから、一同は立ち上がった。背が高い長老が仲間に向き直った。

「長老会の中でも嘘は通るものだ。」

と彼は言った。

「これから話すことは、ここにいる人間の間だけの話にしてもらいたい。誓ってもらえるか?」

 2人の長老が仮面越しに顔を見合わせた。ステファンは少佐を見たが、彼女は話し手の長老を見つめるだけだった。
 やがて2人の長老が声を揃えて言った。

「誓おう。」

 3つの仮面がこちらを向いたので、少佐とステファンも言った。

「誓います。」

 

 

第4部 忘れられるべき者     6

  ”ヴェルデ・シエロ”達が眠ってしまうと、野獣の声が響き始めた。虫の声も聞こえ始めた。勿論毒虫達は彼等のハンモックに近づきはしなかったが、普段通りの密林の夜が戻った。
 ケツァル少佐はハンモックから下の地面を見下ろした。焚き火は埋められて人がそこに居た証拠は数日で草に埋もれてしまうだろう。ロペス少佐はあの漂着したアメリカ人をどう始末したのだろう、と彼女は考えた。長老達がこのイェンテ・グラダ村の遺構を抹消する為に森に来たのは本当のことだが、彼女とカルロ・ステファンを護衛に選んだのには理由があることを彼女は勘づいていた。この森で護衛をするのは、グラダ族でなくても良かったのだ。ブーカ族だって強力な守護者だから、他の遊撃班の隊員に命じても良かった筈だ。
 長老達はロペス少佐の報告を聞いて、カルロ・ステファンが北米で巻き込まれた事件を思い出した。そして漂流者が何者か知ると、憂慮を覚えたのだ。エルネスト・ゲイルはステファンとケツァル少佐の顔を知っている。そしてテオドール・アルストの如く、”操心”で記憶を消すのが困難な脳である可能性が高い。だから今回のジャングル行の護衛をシュカワラスキ・マナの子供だからと言う理由をつけて命じた。ステファンは漂流者の情報を知らないから、綺麗に騙されている。教えてどうと言うこともないだろう。しかし不愉快な記憶を蘇らせる可能性はあった。
 何かが木の下を通った。人の気配? ケツァル少佐はハンモックを揺らさぬよう気をつけて寝床から出た。木を降りて地面に立つと、草の中に男が立っていた。服装は鉱夫だ。

 まじ? 亡者だ!

 少佐は弟を呼びそうになって堪えた。幽霊を見て助けを求めたりなぞしたら、お婆さんになる迄揶揄われる。

 なんでここにテオがいないの?

 黙って手を繋いでくれる遺伝子学者の存在がないことも哀しかった。現代セルバで最強のグラダと言われるケツァル少佐が、無言で立つ男の幽霊を前に立ち尽くしていた。
 幽霊は彼女をチラリと見て、草の中を歩き始めた。

 ついて来いと?

 ケツァル少佐は意を決して歩き始めた。幽霊に悪意はない。悪意があれば悪霊だ。それなら祓える。しかし、目の前を歩く幽霊は無垢の霊だった。
 歩行距離は大して長くなかった。あの傾いた楡の木が生えている井戸跡に来ると、幽霊は彼女をもう一度振り返り、そして楡の木の根元で地面の中に消えた。
 少佐は木の根元に近づき、地面に膝を突いて地表を撫でた。頭の中に閃いた。

 これは、お墓なのだ!

 誰が埋葬されているのだろう。鉱夫の服装をしていた。ヘロニモ・クチャなのか、マレシュ・ケツァルか? 彼女は考えた。どちらかが先に亡くなって、残った人がここに埋葬したに違いない。井戸に遺体を入れて、村の土台になっていた石で埋めて・・・。
 彼女は地面にあらためて座り直すと、右手を胸に当て、深く首を垂れた。
 

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...