2022/01/29

第5部 山の向こう     16

 「ここは我々の国だが、”ティエラ”の国でもある。白人だってここで生まれたらこの国の人間だ。他所から来ても、この国で生きていくと決めたら、この国の人間だ。」

 ガルソン大尉はラバル少尉に言った。

「ここが我々だけの土地だった時代は遥か大昔のことだ。何故今更そんなことにこだわる?」

 ラバルは目隠しをされた顔をガルソン大尉の方に向けた。

「3年前、港湾の現場監督バルタサールが、彼の会社が労働者の血液をアメリカに売っていると教えてくれた。白人の国で得体の知れない薬を作る材料にしているのだ。薬が完成すれば、連中は世界中を自分達に従わせることに使うのだろう。そんなことは許されない。阻止しなければならない。」

 ガルソン大尉がテオを振り返った。そんな話を確かにテオが語ったことを思い出したからだ。ラバルは更に言った。

「そこにいる白人も村の住民の細胞を集めているではないか。我々の子孫を探しているのだ。我々を制圧するために。」

 テオは肩をすくめるしかなかった。エンジェル鉱石がしていたことは、ラバルが言った通りだ。国立遺伝病理学研究所は、病気の治療薬ではなく軍事目的の薬品を開発する研究をしていた。彼はラバルに向けて言った。

「エンジェル鉱石がしていたことは、貴方が言った通りだ。俺がいた研究所がしていたことも、貴方が想像した通りだ。だが、あの研究所はもうない。ケツァル少佐とステファン大尉がぶっ潰した。セルバ大使が向こうの政府に掛け合って、セルバ共和国に干渉しなければセルバ共和国もアメリカに対して何もしないと約束した。だから俺はこちらの国の国民として受け容れてもらえた。もう貴方が心配することはないんだ。」
「では、今お前がしていることは何だ? 口の中を棒でかき回して・・・」
「細胞を採取しているだけだ。これはセルバ政府の仕事だ。先住民保護政策で部族毎に助成金が出る。内務大臣がその助成金の予算をケチろうとして、東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ部族である証明をしろと俺に指図した。俺は国の両端に住む2つの部族が同じだとは思えなかったから、別々の部族である証明を遺伝子の分析で行おうとしている。2人の院生達も俺の意見に賛同してくれているんだ。2つの部族が別の部族だと証明できれば、それぞれが同額の助成金をもらえる。」

 ラバル少尉が沈黙した。ガルソン大尉が彼に尋ねた。

「君の思想はわかった。しかし、それとキロス中佐を襲ったことは、どう繋がるのだ?」

 ラバル少尉が息を吸い込んだ。ガルソン大尉がいきなりテオを突き飛ばした。テオは床に転がった瞬間、強烈な光を浴びて目を手で庇った。ドタンッと大きな音がして床に重たい物が倒れる気配がした。テオは思わず叫んだ。

「ガルソン大尉、大丈夫か?」
「大丈夫です。」

 落ち着いた声が聞こえ、大尉の手がテオの肩に触れた。

「光を浴びてしまったが、目をやられたりしていませんか?」

 テオは目を開いた。暫くチカチカしたが、直ぐに視力が戻って来た。彼は体を起こした。

「大丈夫、見えます。」

 後ろを振り返ると、ラバル少尉が椅子ごと床の上にひっくり返っていた。脚がだらりと垂れて、ラバルの口から血が流れていた。テオがドキリとしていると、ガルソン大尉が少尉を見て言った。

「気絶しているだけです。己が放った気の爆裂を己で食らったので、死にはしませんが、肋骨が折れて動けない状態です。」
「つまり・・・」

 テオは立ち上がった。

「貴方が彼の気を跳ね返した?」
「スィ。こんな場合は自分がブーカ族に生まれたことを感謝しますな。」
「俺は貴方に庇ってもらって感謝します。」

 マスケゴ族とカイナ族のハーフのラバル少尉の力は、ブーカ族のガルソン大尉に跳ね返されてしまった。テオは以前文化保護担当部と遊撃班の軍事訓練に参加させてもらった時のことを思い出した。ステファン大尉が放った気の爆裂を、ロホが跳ね返した。ステファンは己の気に耐えたが、近くにいたブーカ族や他の部族と思われる隊員3名は弾き飛ばされ、負傷した。ステファン大尉はグラダ族と数種の人種の血が混ざるミックスだから、その気の爆裂の威力は半端ない。ロホはブーカ族でしかもかなり優秀な能力者だから、見事に跳ね返したが、ステファンの味方であった隊員達は油断があってステファンの気の威力に耐えられなかったのだ。恐らく、とテオは思った、あれは反射波だったから、軽傷で済んだのだ。直撃していたら、訓練で放った気でも、大怪我をしていただろう。
 普通の人間が”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂をまともに食らったら、きっと命を失うのだろう、と容易に想像出来た。だから、彼等は掟で定めているのだ。能力を使って直接人間の命を奪ってはならない、と。
 ガルソン大尉は気絶しているラバル少尉を見下ろして言った。

「こいつは貴方を亡き者にしようとしました。キロス中佐とフレータも殺されかけた。大罪人です。」


 

第5部 山の向こう     15

  ステファン大尉が厨房棟へ行き、ガルソン大尉はラバル少尉のUSBをチェックし始めた。テオは宿舎に帰ろうか、ステファンの手伝いをしようかと迷い、ふと思いついてキロス中佐の部屋のドアを開いた。ガルソン大尉が彼の行動に気がついて立ち上がったが、彼は室内に入った。
 ラバル少尉が顔を上げた。目隠しされているので、耳だけでテオの動きを追った。テオは椅子を引き寄せ、彼の正面に置いて、馬乗りの形で座った。

「貴方は25年ここで勤務されていると聞いたが、一体何が貴方にあんな酷いことをさせたんだろう?」

 戸口でガルソン大尉が立ち止まった。テオは思いつくまま話しかけた。

「ガルソン大尉は15年前、中尉に昇級してここへ来られた。パエス中尉は17年目だと聞いた。2人共貴方より若く、そして貴方より力が強いブーカ族だ。貴方は25年ここで真面目に勤務して、少尉のまま・・・貴方はそれで心が折れてしまったのだろうか?」
「何を言っているのか、わからん。」

とラバルが言った。

「私は毎日ここで働いてきた。朝起きて、港のパトロールをする。港湾労働者達を白人の監督官の横暴から守ってきた。村の住民を外国の船員の暴力から守ってきた。毎日だ。それが私の役目だ。手柄も何もない。少尉のままでいるのは当たり前だ。」
「それで貴方は満足だったのか? 転属願いとか・・・」
「大統領警護隊にそんな制度はない。指揮官から司令部へ話を通してもらえなければ・・・」

 テオは文化保護担当部の友人達を思い浮かべた。ロホもアスルも最近昇級したが、指揮官のケツァル少佐が本部に推薦してくれたからだと2人は言っていた。しかし、少佐は本部が彼等の働きを認めたのだと言った。ロホもアスルも他の部署への転属は願っていない。ずっと少佐の下で働き続けたいと願っている。だが少佐は副官のステファン大尉を手放した。ステファンが彼女の下に居たいと強く願っていたにも関わらず、彼の将来を考えて手放す方が最善だと信じたからだ。

「貴方は貴方の希望をキロス中佐に伝えたことがあるのか?」
「私の希望? 私に希望など・・・」

 ラバル少尉は口の中で何やらモゴモゴ呟いたが、テオには聞き取れなかった。スペイン語ではなかった。
 テオはもう一度質問した。

「どうしてキロス中佐をあんな目に遭わす必要があったんだ? 一緒に勤務しているフレータ少尉やパエス中尉を傷つける理由があったのか?」
「フレータとパエスは運が悪かっただけだ。」
「巻き添えか?」
「そう言うことになるかな。」

 開き直ったような言い方だった。テオは診療所に運んだ時のフレータ少尉の熱い体の感触を思い出した。水をかけた方が良かったかと思ったが、この乾燥した土地で村の共同井戸迄走るより、簡易水道が使える診療所が最善と思えたのだ。フレータは苦痛で叫び声を上げそうになるのを必死で耐えていた。顔の半分を火傷してしまった女性。”ヴェルデ・シエロ”なら回復出来るだろうが、時間がかかるだろう。
 テオはいきなりラバルの襟首を掴んだ。

「運が悪かったで済むと思っているのか!」

 ガルソン大尉が駆け込んで来て、彼をラバルから引き離した。

「ドクトル、近づき過ぎては危ない。」

 テオは戸口まで引き摺られて、やっと我に返った。頭を振って、深呼吸した。

「すみません、ガルソン大尉。フレータ少尉の火傷を負った顔を思い出したら、カッとなってしまった。」

 ガルソン大尉が彼の目を覗き込んだ。テオはドキリとした。しかし大尉は彼に何かをしようとしたのではなかった。彼の瞳を見て、大尉は微かに微笑んだ。

「大丈夫、ラバルに支配された訳ではない。」
「少尉は目を使えないでしょう?」
「視線を合わせなくても、一時的に感情を支配することが出来ます。”操心”と違って体を支配して動かすことは出来ませんが、激昂させて暴れさせることは出来る。騒ぎに乗じて逃げることが出来ますから。」

 ガルソン大尉は後ろを振り返った。ラバル少尉は軽く体を揺すっていた。

「白人を信じるんですか、大尉?」

と彼が言った。

「どうして我々は”ティエラ”や白人を守らなきゃいけないんですか? ここは私達の国じゃないですか!」


 

第5部 山の向こう     14

  ステファン大尉がグラダ・シティの大統領警護隊本部に連絡を入れ、キロス中佐とフレータ少尉の負傷とラバル少尉を拘束した過程を報告した。本部は空間通路の”出口”がサン・セレスト村にないので、オルガ・グランデへ遊撃班を遣ると答えた。”出口”がオルガ・グランデの何処に出現するのか不明だが、迎える人員が必要だ。陸軍基地で待機するよう命じられ、ガルソン大尉がステファンの横から割り込んだ。

「ガルソン大尉です。ステファン大尉には太平洋警備室を管理してもらわなくてはなりません。迎えの人員はパエス中尉を送ります。負傷したキロス中佐とフレータ少尉をヘリコプターで陸軍病院に送る手配をしましたが、パエスも軽微ながら負傷しておりますので、付き添いで行かせます。」

 本部はガルソン大尉の提案を承諾した。
 陸軍水上部隊の応援要請を受けたオルガ・グランデの陸軍基地からヘリコプターが飛んで来たのはそれから半時間後だった。ガルソン大尉が救援要請を部隊長に命じてから2時間も経っていた。ガルソン大尉とパエス中尉が陸軍衛生兵を診療所へ案内して、2人の女性をヘリコプターに搬送した。そしてヘリコプターは彼女達とパエス中尉を乗せてオルガ・グランデに向けて再び飛び去って行った。
 診療所からカタラーニとガルドスの2人の院生が来たので、テオは彼等に宿舎に戻って休むようにと命じた。

「今日は大変な一日だった。明日迄休みにしよう。」

 テオがそう言うと、カタラーニが夕食はどうしますか、と心配した。するとオフィスの中まで会話が聞こえたのだろう、ステファン大尉が戸口に現れて、大統領警護隊が今夜の夕食をご馳走するといった。

「中佐も2人の少尉もいない。私一人の分を作っても仕方がない。隊員の手術をして頂いたお礼に私が食事を作ります。」

 彼は後ろを振り返ってガルソン大尉に声をかけた。

「貴方はどうされますか?」

 ガルソン大尉が首を振った。

「私は自宅へ帰って食べる。爆発騒ぎで家族は動揺している筈だから、安心させる。パエス中尉の家族にも声をかけてやらないと。それに遊撃班が来たら、私は本部へ行かねばならないかも知れない。」

 食事の用意が出来たら電話すると言って、テオは院生達を宿舎へ帰らせた。そしてオフィスに入った。ガルソン大尉がラバル少尉の机を調べていた。

「汚職の疑いですか?」
「それなら簡単ですがね。」

 ガルソン大尉はファイルやU S Bを机の上に並べた。

「まだ彼が中佐を狙った理由は何一つわかっていない。」
「3年前に中佐が異常な状態になった原因も。」

とステファン大尉も呟いた。

第5部 山の向こう     13

  ラバル少尉は目隠しされてキロス中佐の部屋に入れられた。彼がパエス中尉を縛り付けた椅子に彼自身が縛り付けられた。
 テオはまだ状況がよく理解出来なかったので、ガルソン大尉とステファン大尉が何か説明してくれないかと待った。セルバ人はこんな場合もそんなに慌てない。ステファン大尉が厨房棟からフレータ少尉が負傷する直前まで準備していた昼食を運んで来て、遅い食事を仲間に振る舞った。超能力を使った”ヴェルデ・シエロ”は空腹になる。特に気の爆裂や結界などの大きなエネルギーが必要な力を使用した後は殊更だ。
 ガルソン大尉は猛然と豚肉の煮込み料理を口に運んだ。パエス中尉はステファン大尉にもらった氷を右目の下に当てながらも、食欲はあって、しっかり食べた。テオもお相伴に預かった。大統領警護隊の食事は満足出来る出来具合だった。ステファン大尉も食べて、フレータ少尉が煮込み料理を食べられなかったことを残念がった。彼女の得意料理だったのだ。
 空腹が解消されるとガルソン大尉もパエス中尉も元気を取り戻した。そう判断したので、テオは尋ねた。

「どうして犯人がラバル少尉だとわかったんです?」

 ガルソン大尉が簡単だと言いたげに答えた。

「パエス中尉の怪我が目のそばだったからです。中尉が車を爆破したのだったら、目を傷つけるヘマはしない。我々にとって目は大事な武器ですから。ラバルは中尉を介抱するふりをして、彼を拘束し、私達を彼に近づけようとしなかった。」
「では、中尉が『中佐は死んだか?』と尋ねたと言うのは・・・」
「ラバルの嘘です。」
「しかし、すぐにバレるでしょう?」
「ラバルは中尉を中佐の部屋に監禁した後で、”操心”で従わせようとしたのです。しかし、部屋を離れて私に中尉を拘束した報告をしている間に、パエス中尉が身を守る為に部屋に結界を張ってしまった。中尉はブーカ族だから、マスケゴとカイナのミックスのラバルには彼の結界を通ることが出来ません。仕方なくラバルは部屋の外に座り、番をしているふりをして、結界が弱まるのを待っていたのです。」
「貴方達はラバルの嘘に騙されたふりをしていたのですか?」
「キロス中佐とフレータ少尉の救助が最優先でした。それにあの時は流石に私も動転してしまい、爆発の原因究明をステファンに託すしかなかった。ステファンはテロかそうでないのか確認して、陸軍兵や村人達の安全を優先しなければなりません。我々は守護者ですから。」

 ステファン大尉とパエス中尉が小さく頷いた。パエス中尉が申し訳なさそうに言った。

「爆発の後でラバルがそばに来た時、助けてくれるのだと思いました。あの時は目が痛くて開けていられなかった。だからラバルが私の顔に包帯を巻いた時も疑わなかったのです。手を後ろへ回された時、やっとおかしいと気がつきましたが、遅かった。大尉達に声をかけたのですが、皆外にいて声が届きませんでした。このままではラバルに殺されるかも知れないと思い、結界を張りました。目は見えませんでしたが、部屋の大きさと形状がわかっています。結界を小さく張ればラバルが私に近づけない強さの壁を築けます。」

 ステファン大尉が彼に尋ねた。

「ラバルがジープに向けて放った気を感じませんでしたか?」
「感じたと思いますが、ショックで覚えていません。私は中佐を後部席に座らせ、ドアを閉めました。運転席にフレータが座ってドアを閉じた直後にやられたのです。エンジンをかける直前だった筈です。だからラバルはエンジンに向けて気の爆裂を放ったのでしょう。気がついた時は私は地面に倒れていました。負傷が目の下だけで済んだのは、きっと中佐が守って下さったのだと信じています。」
「キロス中佐は守護者の鑑だな。」

とテオは呟いた。

「彼女は貴方とフレータ少尉を守った為に彼女自身が逃げるタイミングを失ったのだろう。」
「そう思います。」

 ガルソン大尉がステファン大尉に顔を向けた。

「君から本部へ連絡してくれないか。私がもっと早く中佐の異常を報告していればこんな事態にならなかった。ラバルの取り調べも本部に任せなければならない。我々は当事者になってしまったから。」

 

2022/01/28

第5部 山の向こう     12

  ラバル少尉が上官達を振り返った。彼は厨房棟を顎で指した。

「昼食がまだですが、食べに行きますか?」

 ガルソン大尉とステファン大尉が視線を交わした、とテオは思った。ガルソンが答えた。

「食べに行こうか。ここから出られればの話だが。」

 その次に起きたことは、テオの視力では捉えられなかった。彼の前にステファンが立ち、彼の視界を奪ったことも要因の一つだ。室内で何かが光り、空気がバチッと裂ける様な音がした。重たい物体が硬い物に激突する音も響き、机と共にラバル少尉の体が床の上に転がった。机の上に置かれていたパソコンや書類が床に散乱した。ステファンが動いた。彼はラバル少尉に飛びつくと、彼の体を床の上にうつ伏せに転がし、素早く革紐で少尉の手首を後ろ手に縛り上げた。
 ガルソン大尉は彼自身の机の後ろの壁に背中を張り付かせる様に立っていた。激しく肩で息をしていた。ステファン大尉が声を掛けた。

「大丈夫ですか?」
「なんとか・・・」

 ガルソン大尉がテオを見た。

「ドクトルは大丈夫ですな?」
「彼は私が守りました。」

 ラバル少尉が床の上で怒鳴った。聞くに耐えない悪態を吐きまくった。
 テオは立ち上がった。展開が読めていなかったが、一つだけ、しなければならないことを悟った。

「パエス中尉は無事か?」

 彼は奥のドアに走り、ドアを開いた。パエス中尉は椅子に縛り付けられていた。両目を包帯で塞がれ、じっとしていたが、ドアが開いたので顔を上げた。前の部屋での騒動は聞こえた筈だ。

「何があった? 一体何がここで起きているんだ?」

 ステファン大尉がテオの横を通り、奥の部屋に入った。椅子の後ろに回ってナイフで中尉の手首を縛っていた革紐を切った。

「申し訳なかった、中尉。貴方が目を負傷したので、わざとラバルに騙されたふりをして、貴方を拘束させてもらいました。負傷した貴方に動かれては、却って危険な目に遭わせるとガルソン大尉が判断なさったのです。」

 ステファン大尉はパエス中尉の包帯を解いた。右目の下を切ったのは事実で、中尉の顔が腫れていた。テオはパエス中尉の目を覗き込んだ。

「眼球は無事な様だ。俺の顔が見えますか、中尉?」

 パエス中尉が呟いた。

「忌々しい白人の顔が見えます。」
「ルカ!失礼なことを言うな!」

 ガルソン大尉が戸口で壁にもたれかかって、中尉の口の悪さを注意した。テオは笑った。

「気力は大丈夫な様ですね。診療所に行きますか?」
「氷で冷やせばすぐに治ります。」

 強がるパエス中尉にステファン大尉が言った。

「その前に祓いを施しましょう。ラバルが貴方のそばにいたので出来なかった。痛みを取り除けば、貴方の力ですぐに治せますよ。」

 彼はガルソン大尉を見た。

「大尉の方が休息が必要でしょう? ラバルを逃さないようにオフィスに結界を張っておられた。」

 ガルソンが苦笑した。

「要塞を一つ吹っ飛ばす程の力を持つグラダの貴方が、結界を張るのは苦手とは、驚きですな。」

 ステファン大尉はテオをチラリと見て、ちょっと頬を赤く染めた。

「私の弱点です。」



 

 

第5部 山の向こう     11

  テオはガルソン大尉の横に並び、小声で尋ねた。

「大尉はパエス中尉が何か車にやったとお考えですか?」

 ガルソン大尉が足を止め、ステファン大尉を振り返った。余計なことを部外者に言うな、と目で言ったのかも知れない。ステファン大尉がテオに言った。

「キロス中佐の骨折は気の爆裂を受けたからです。この村の中にいる”シエロ”は我々6人だけですから・・・」
「それに私の子供が2人。」

とガルソン大尉が付け加えた。母親が”ティエラ”でも子供は半分”ヴェルデ・シエロ”だ。でも、とテオは言った。

「貴方のお子さんは計算に入れなくて良いでしょう。あんなことが出来るのは大人だ。それに、パエス中尉も結婚されていましたね?」
「パエスの子供は妻の連れ子です。」

 ガルソン大尉が再び足を動かした。

「彼の家の子供達は”ティエラ”だ。」

 テオも彼を追いかけた。

「しかし、彼が何故キロス中佐にあんなことをする必要があるんです? フレータ少尉だってあんな目に遭わされる理由がない。」
「それはこれから彼を尋問します。」

 ステファン大尉が後ろで別の話を囁いた。

「フレータが言ってました。彼女が助かったのは、キロス中佐が気で彼女を車外に吹き飛ばしてくれたからだ、と。」

 歩きながら数歩の間、ガルソン大尉が目を閉じた。

「そう言う優しい方なのです、中佐は・・・」

 彼が目を開いた時、微かに空気がビリリと振動した、とテオは感じた。上官を暗殺しようとした者へのガルソン大尉の怒りだった。
 オフィスの前に来ると、黒く焦げたジープがまだ残っていた。立ち番をしていた陸軍兵にガルソン大尉が部隊長を呼べと命令した。テオとステファン大尉はオフィスの中に入った。奥の部屋のドアは閉じられ、その前にラバル少尉が椅子を置いて座っていたが、ステファン大尉が入って来たので立ち上がり、敬礼した。ステファンも敬礼した。それから彼はテオに彼自身の席に座って待つよう指図して、ラバルにはコーヒーを淹れてやった。テオはパエス中尉が気になったが、大人しく座っていた。
 ガルソン大尉と部隊長が入って来た。ステファンは彼等にもコーヒーを淹れて出した。部隊長はちょっと驚いた様だ。今迄にも大統領警護隊のオフィスに入ったことはあったのだろうが、コーヒーのサービスは初めてだったに違いない。
 ガルソン大尉は先ず村の道路封鎖を解除する許可を出した。部隊長が不安気に尋ねた。

「テロリストを探さないのですか?」
「テロリストはいない。」

とガルソン大尉が言った。

「爆弾はなかった。ただの事故だ。」

 テオは部隊長がまだ不安気な顔をしているのを見逃さなかった。しかしガルソン大尉は”操心”を使って彼の不安を取り除く気力がないらしく、放置した。

「キロス中佐とフレータ少尉は命を取り留めたが、火傷が酷い。オルガ・グランデ陸軍病院へ移したいので、手配してもらえないか?」

 部隊長が立ち上がり、敬礼した。

「直ちに基地へ戻り、オルガ・グランデ基地に連絡します。ヘリコプターで搬送することになるかと思いますが、大丈夫ですか?」
「スィ。グラシャス。」

 ガルソン大尉も立ち上がって敬礼を返した。部隊長は体の向きを変え、ステファン大尉とラバル少尉にも敬礼してオフィスから足速に出て行った。

第5部 山の向こう     10

  2時間後、イサベル・ガルドスが疲弊した表情で待合室に出てきた。アーロン・カタラーニも一緒だった。2人はバスルームに入って防護服を脱ぎ、シャワーを一緒に浴びた。そして2人で並んで待合室のベンチに座ったので、テオはサンドウィッチとコーヒーを運んでやった。

「怪我人はどんな具合だい?」

 彼が尋ねると、ガルドスが微笑んだ。

「フレータ少尉は大丈夫です。焼けた軍服を脱がすのに時間がかかりましたが、熱傷の程度は深くありませんでした。と言っても、深達性II度ですから、油断出来ません。爆風で外に弾き飛ばされたのが良かったのだと、ドクトラが仰いました。少尉はまだ横になっていますが、意識はあります。入院準備を看護師が整える迄、もう少し手術室にいてもらうそうです。」

 ステファン大尉がテオの後ろでホッと息を吐くのが感じられた。だが安心するのはまだ早い。

「キロス中佐は?」
「深達性Ⅲ度ですから、かなり危険な状態です。意識もありません。」
「助かるだろうか?」
「センディーノ先生は助けると仰っています。」

 テオは手術室のドアを見た。手術室と言っても、村の診療所だ。最新設備が整っている訳ではない。
 ドアが開き、医師と2人の看護師が出て来た。テオはセンディーノ医師と看護師がバスルームへ行って汚れた防護服とマスクなどの装備を解く迄待っていた。10数分後に3人は待合室に戻って来た。テオが作ったサンドウィッチとコーヒーに飛びつくようにして彼等は空腹を満たした。
 テオは辛抱強く彼女達が口を利く迄待った。やがてセンディーノが顔を上げた。

「運よく気道熱傷はありませんでした。肋骨を骨折していたので、その処置に時間がかかりました。熱傷箇所は少なく、治癒に時間はかかりますが、熱傷で生命の危険が脅かされる恐れは低いと思います。でも私としては、オルガ・グランデの大きな病院での治療を勧めます。ここでは清潔に保つのが難しいですから。」

 ステファン大尉が尋ねた。

「フレータ少尉と話せますか?」

 センディーノが「スィ」と頷いた。

「彼女は強いですね。熱傷部位は右半身で、深達性部分は少ないものの、かなりの激痛だと思いますが、耐えています。痛み止めを処方したので、少しうつらうつらした状態ですが、5分程度の会話は出来るでしょう。でも、もう少し後になさっては?」

 しかしステファン大尉は手術室に入って行った。センディーノが呆れたと言う表情をしたが、看護師達は大統領警護隊の行動に特に驚かなかった。
 センディーノがテオに尋ねた。

「夢中で患者の手当をしましたが、一体何が起きたのです?」
「キロス中佐が気分が悪い様子だったので、フレータ少尉がジープで宿舎へ連れて行こうとしたのです。エンジンをかけた途端にジープが爆発したらしい。」
「他に怪我人は?」
「パエス中尉が右目を負傷したと聞きましたが、ここには来てません。」

  看護師が窓の外を見た。

「水上部隊に軍医がいますから。それに沿岸警備隊にも衛生部隊がいます。」

 そっちの設備の方が良かったのかな、とテオはちょっぴり考えてしまったが、それではステファン大尉が怪我人のそばに近づけないかも知れない。
 診療所の入り口のドアが開いて、ガルソン大尉が入って来た。

「中佐と少尉の様子はどうですか?」
「2人共、取り敢えず窮地を脱した様だよ。」
「良かった・・・」

 ガルソン大尉はまだ昼過ぎだと言うのに、3日も働いた様に疲れ切って見えた。センディーノが彼にパエス中尉の怪我の具合を尋ねた。ガルソンは、大したことない、と答えた。

「目の下を少し切っただけです。」

 それは目を武器に使う”ヴェルデ・シエロ”にとって大事なのだが、ガルソンは何でもない様に言った。
 カタラーニが窓の外の道路封鎖を見ながら、大尉に質問した。

「道を封鎖しているのは、テロでも警戒しているのですか?」
「スィ。」

 とガルソンがこれも事なげなく答えた。

「しかし爆弾が使用された様子がないので、暫くしたら封鎖を解きます。」

 彼は医師に向き直った。

「救急処置に感謝します。2人の女性は病院に移した方が良いですか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が普通の病院の利用を考えていることに、テオは少し驚いた。庶民として生活している人ならともかく、大統領警護隊はそんな考えを持たないのではないのか、と思ったのだ。しかし、センディーノ医師がこう言った。

「オルガ・グランデ陸軍病院ですか? あそこなら設備が整っているので、患者も安心して治療に専念出来るでしょう。」
「では、水上部隊長に患者の受け入れ要請をしてもらえるよう頼んで来ます。」

 頼むのではなく、命令しに行くのだ、とテオは思った。そこへステファン大尉が手術室から出て来た。フレータ少尉の話を聞いていたにしては時間が長かったので、きっとキロス中佐と少尉に祓いをしていたのだろう、とテオは推測した。
 2人の大尉が一瞬目を合わせた。”心話”だ。一瞬にして情報共有をしてしまえる。他人に聞かれたくない話がある時は羨ましい。
 ガルソン大尉が石の様に無表情で、顔を振って「来い」と合図した。ステファン大尉は診療所の人々に「また来ます」と言って、先輩について外へ出た。テオも急いで後を追った。それぞれがどんな新しい情報を持っているのか、知りたかった。
 ガルソンがテオに気付き、煩そうな顔をしたが、来るなとは言わなかった。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...