2022/05/27

第7部 渓谷の秘密      11

  少し傾斜になった滑らかな岩場を登り、腰を下ろすのに丁度良い形状の岩を見つけて、テオはそこにケツァル少佐を座らせた。己は少し離れた位置で岩場に座った。

「今回の事件に直接ではないが、アデリナ・キルマ中尉が関わったんだな。」
「憲兵隊の護衛を指揮したのです。捜査の手伝いもしたでしょうね。ゲリラの犯行の疑いも当初出ていた様ですから。」

 キルマ中尉の第17特殊部隊は、テオがアメリカ合衆国からセルバ共和国に亡命して来た時、内務省の命令でテオの家の警護を担当した。実際には運転手兼護衛のエウセビーオ・シャベス軍曹と夜間担当の2人の兵士がいた。シャベスは”ヴェルデ・シエロ”達の因縁の闘いの巻き添えを食って重傷を負い、回復後一線から退いたと、テオは後日耳にしたことがあった。テオの護衛を担当しなければ、まだ特殊部隊で働いていただろうと、テオは彼に申し訳なく感じたが、少佐達は、それが軍人の宿命だ、と取り合わなかった。それでもテオは敢えて質問してみた。

「キルマ中尉と言えば、彼女の部下だったシャベスは今どうしているのかな?」

 少佐は「知らない」と答えるだろうと予想したのだが、彼女はきちんと答えた。

「陸軍の広報部で働いています。頭を負傷したので、少し半身に障害が残ってしまい、戦闘に出られません。しかし本人は軍を離れ難く、出身地で新兵募集の窓口勤務をしているそうです。」

 流石に本部では残れなかったのだ。敵に誘拐され、負傷したので、彼自身のプライドで昔の仲間と一緒の場所に居辛いこともあったのだろう。

「彼が元気なら、それでいいんだ。」

とテオは言った。”ヴェルデ・シエロ”に操られたことをシャベスは完全に忘却しているだろう。悪霊に操られて家族を殺めてしまった少年と同じだ。救いは、シャベスは誰も傷つけなかったことだ。テオは事件の後でシャベスを見舞いたかったが、それは内務大臣から禁止されてしまった。被護衛者と護衛者は個人的に親しくなってはいけないと言う理由だった。他にも政治的理由があった筈だが、亡命者のテオは仕方なく従うしかなかった。
 微風を楽しみながら、彼と少佐はロホの儀式が終わるのを待っていた。そろそろ終わる頃だろうとテオが腕時計に目を向けた時、少佐が岩の上に跳び上がる様に立ち上がった。アサルトライフルを西の方角に向け、射撃の構えになったので、テオは反射的に岩の上に身を伏せた。

「何だ?」
「嫌な気配を感じました。」

 テオの背後からロホが静かに、しかし仲間に解る様に葉音を立てて現れた。彼が少佐に報告した。

「何かが10時の方角から近づいています。」

 少佐が前方を見つめたまま頷いた。ロホがテオのそばで膝を突いて少佐と同じ方角にライフルを構えた。銃弾で倒せる相手なら良いが、悪霊なら”ヴェルデ・シエロ”の気の方が有効だろうとテオは思った。
 少佐は身を隠すつもりはなさそうで、岩の上に立ったままだ。テオは彼女が心配だったが、守られている身で何かが出来るとも思えなかった。こんな時は歯痒くて仕方がない。彼女が最強の”ヴェルデ・シエロ”と言われるグラダ族だとしても、人間に変わりないのだから。
 さぁ、来い! とばかりに少佐が銃を構えた時、軍用車両のエンジン音がトロイ家の方角から聞こえて来た。来る時にすれ違った、発掘隊の買い出し係が戻って来たのだ。エンジン音が聞こえた瞬間、少佐が銃を下ろした。ロホもフッと息を吐いて銃を退いた。

「大丈夫ですよ。」

とロホに声をかけられ、テオは起き上がった。

「気配が消えたのか?」
「猛スピードで去って行きました。」
「車の音に驚いた?」
「恐らく。」

 少佐が岩から降りて男達を振り返った、その顔に「残念」と書いてあったので、テオは笑いそうになった。それを誤魔化す為に、質問した。

「何だったんだ? 悪霊か?」
「人です。」

と少佐が答えた。

「でも嫌な気を放っていました。」
「すると”シエロ”か?」
「どうでしょう。」

とロホが首を傾げた。

「一族の気とは異なる感触でした。」
「私もそう感じました。」

 少佐が不満げに森を見つめた。

「もし”ティエラ”なら、異能者でしょう。厄介な相手の様です。」



2022/05/26

第7部 渓谷の秘密      10

  ロホが惨劇があった家から出て来て、自分達のキャンプ地に来た。”心話”でケツァル少佐に家の中の様子を報告してから、テオにも説明してくれた。

「血の跡などは残っていますが、清めの儀式が行われていました。恐らく近隣のカブラ族の人々が捜査員が去った後で片付けと葬式を行ったのでしょう。後半月すれば彼等はこの家を焼き払う筈です。本当はすぐに焼きたいのだと思いますが、憲兵隊が許可を出すのが半月後だからです。」
「気の毒な犠牲者の霊は浄化されているのか?」
「私は何も感じませんでしたから、彼等はもうここにいません。」

 テオは家を見た。決して立派な家屋ではない。木造の壁とトタンの上に木の皮や葉を葺いた屋根の典型的な僻地に住む先住民の家だ。家財道具が転がっていてもおかしくない庭は何もなく、後片付けをした人々が使える物は使おうと持ち去ったのだとロホが言った。

「但し、家の中の物は持ち出していないですね。やはり死者に悪いと思ったのでしょう。家と一緒に焼いてしまうつもりの様です。死者の持ち物ですから。」

 キャンプは車だけだ。テントなどはひとまず車内に残して置いて、畑を見に行った。まだ収穫前の若いトウモロコシの畑だった。獣避けの柵を開いて中に入ると、ちょっとした迷路の中にいる気分になった。背が高いトウモロコシの中を歩き、テオはどうにか反対側に出た。少佐とロホを呼ぶと、2人も間もなく姿を現した。

「畑の中には何もありません。」
「向こうに道らしき踏み跡がある。」

 テオが指差した方角に、草が倒れた細い獣道の様な通路が見えた。川へ行くのだろう。3人はその道を進んだ。

「遺跡へ行く道と直角の方角になりますね。」

と少佐が囁いた。ロホが頷いた。

「西向きですね。罪人の墓がありそうな方角です。」
「だけど、トロイ家は結構長くここに住み着いていたんだろ? 何故今更なんだろう?」

 テオが素直な疑問を提示すると、少佐もロホも首を傾げた。 
 道の先は新しい開墾地だったが、そこにも墓らしきものはなかった。さらに奥へ道らしき踏み跡が伸びていた。
   薮の中を歩き続けると、足元が再び緩くなって来た。湿地だ。不意に少佐がテオの腕を掴み、足止めした。彼女がそっとライフルの先で指す方向を見ると、大きなアナコンダが前方10メートル程のところを横切って行くのが見えた。大きなニシキヘビの類は都市部でもペットにしている人がいたりして、テオは見たことがあったが、野生の巨大な蛇は初めてだったので、思わず腕に鳥肌が立った。
 セルバ人は蛇を殺さない。神聖視すると言うより、いても邪魔にならないと考えている様だ。しかし北米育ちのテオは慣れなかった。毒蛇と無毒蛇の区別もつきにくい。
 アナコンダが通過するのに数分要した。それだけ長い蛇だった。アナコンダも急いでいなかったのだろう。沼地の主の様に悠然としていた。
 ロホがアナコンダが来た方角を指した。

「あちらの地面が乾いている様です。あちらへ回りましょう。」

 アナコンダは水辺へ狩に行くところだったのだろう。蛇が体を温めていた乾燥した地面の方へ一行は方向を転じた。靴やパンツの裾が泥だらけになったが、ジャングルの中での活動では覚悟していることだ。それでも固い地面を歩く様になると、テオはホッとした。道はなくなったが植生がまばらで背が低い樹木だけになった。
 突然ロホが立ち止まり、左手を指差した。

「あれ、塚じゃないですか?」

 テオと少佐も足を止めた。彼が指差した方角を見ると、低い樹木の中に石組が見えた。ロホが少佐とテオに待機と手で指図して、独りで近づいて行った。彼は石組の前で立ち止まり、繁々と眺めてから、手招きした。
 テオと少佐は静かにそちらへ歩いて行った。苔むした石組だった。高さは1メートルあるかないかで、根元の土が赤く見えた。石組は上部が崩れ、南北の幅50センチ程の柱の中央に細い縦型の穴が見えた。崩れた部分は新しい石の面が剥き出しになっていた。
 ロホが言った。

「恐らく、トロイ家の息子はこれをうっかり壊してしまったのでしょう。遊びではなく、狩でもしていたのではないでしょうか。」
「この塚のそばに居たってことか?」
「スィ。体がぶつかったか、持っていた物をぶつけたかしたのだと思います。」

 テオは恐る恐る穴を覗いて見た。深い穴なのか、真っ暗で何も見えなかった。

「ここから悪霊が出て来て少年に取り憑いたのか・・・」

 想像すると気が滅入った。ロホが背に背負っていたリュックサックから浄化の儀式の道具を取り出した。少佐がテオの肩に手をかけた。

「私達は向こうに行っていましょう。」

 悪霊はもういないと聞いても、やはり気持ちの良い場所ではなかった。

 

2022/05/25

第7部 渓谷の秘密      9

  森の中の道はダートでぬかるんでいた。予想通り凸凹だし、車はエアコンの効きが悪かった。運転はテオ、ケツァル少佐、ロホの3人で交代にハンドルを握った。路面に轍がなければ引き返したくなるような道だ。途中で2度ほど分かれ道があり、真新しい轍がそちらへ続いていたので、2度目の当番で運転していたテオが危うくそちらへ行きそうになったこともあった。しかし助手席の少佐が軍用車両の轍でないことに気がついて、その分かれ道が別の家族の開墾地へ向かうのだとわかった。

「分岐点に標識ぐらい立てておけよな・・・」

 テオは独りで苦情を呟いた。ロホが本来の道に残る轍を見て、憲兵隊か陸軍特殊部隊でしょうと言った。

「大統領警護隊が訓練を終えて引き揚げた後、彼等も事件現場の臨場を終えて帰投したのです。」
「それじゃ、この轍を辿って行けば、殺人があった家に行き着くんだな。」

 正直なところテオは現場を見たくなかった。あまりにも無惨で酷くて悲しい事件だ。殺された夫婦は何故息子が凶行に及んだのか理解出来なかっただろうし、息子も己が親を殺してしまった記憶もないのに親殺しの罪を問われている。兄が親を殺してしまう場面を見てしまった弟はどんなに深い心の傷を抱えていることだろう。
 物思いに耽っていたので、大きくカーブを曲がったところで、対向車が来ることに気が付き、離合スペースがないことに焦ってしまった。
 オフロード車同士、顔を突き合わせて停車してしまった。まさかの対向車だ。テオが窓から顔を出すと、向こうも顔を出した。見覚えのある顔だった。テオは思わず声をかけた。

「君は確か考古学部の・・・」

 向こうもテオをじっと見つめてから、アルスト先生、と言った。名前を思い出せないテオの複雑な表情に気が付かずに、学生は助手席に座っていた兵士に何か言い、それから数メートル車をバックさせた。ぬかるみに車を入れ、テオ達の車を通してくれた。
 離合してから、学生の車がぬかるみから出られることを確認する迄テオは動かなかった。

「何処へ行くんだ?」
「デランテロ・オクタカスまで、買い出しですよ!」

 学生はそう言って、クラクションを鳴らし、走り去った。
 少佐が時計を見た。

「この時刻にここへ来たと言うことは、かなり早い時刻にキャンプを出たようですね。」
「買い出しは予定の行動なのだろう。兵士は護衛だな?」
「当然です。」

 奥地に大勢の人間がいるのだと確信が持てれば気が楽になった。テオは車のスピードを上げた。そして昼になる前に、一軒の家が前方に見えてきた。
 誰も来ない土地だが周囲に黄色いテープが張り巡らされていた。前庭は既に草が伸びかけており、車や大勢の人間に踏み荒らされた箇所がぬかるんで残っていた。テオはなんとなく鼓動が激しくなり、血圧が上昇する気分になった。ケツァル少佐が彼の雰囲気に気がついて声をかけた。

「大丈夫ですか? 私は何も感じませんが?」

 テオは深呼吸して、車を停めた。

「大丈夫だ。犯罪現場と思ったら、ちょっと興奮してしまった。」
「もう霊はここにいませんよ。」

と言いながら、ロホが早くも後部座席から外に出た。彼は黄色いテープをくぐり、規制線の中に足を踏み入れた。
 少佐も外に出たので、テオも出ようとすると、少佐が手で制止した。

「駐車場所を決めてからにして下さい。私が決めます。」

 現場の下見をロホに任せて彼女は周囲の地形を眺めた。そして少し進んだ場所に乾燥した平地があるのを発見して、そこに車を誘導した。周囲より高いと言う訳でなかったが、渓谷の尾根を形成している岩盤の端っこが露出している感じだ。少佐はそこの周囲に無数の轍があるのを見て、その場所が特殊部隊の野営地になっていたのだと見当をつけた。焚き火の跡を残さないのが、いかにも特殊部隊らしいが、少佐は敏感に炉の跡を見つけた。アデリナ・キルマ中尉は憲兵隊の護衛をしていたので、戦闘体制とは違って多少の気の緩みがあったのかも知れない。そこが大統領警護隊のスカウトから漏れた要因だろう、と少佐は想像した。少佐と中尉はほぼ同期の年代だが、少佐はいきなり大統領警護隊に入隊したので、陸軍の経験がなかった。キルマ中尉と同じ時間を過ごしていないので、彼女が新兵時代どんな様子だったのか、知らなかった。
 テオが車を停め、輪止めを置いて、野営の準備を始めたので、彼女は物思いから戻って彼の仕事に手を貸した。


2022/05/24

第7部 渓谷の秘密      8

  テオは都会育ちだ。そしてケツァル少佐もロホも都会育ちだ。しかし軍人2人はジャングルでの活動訓練をみっちり仕込まれていたので、テオは心強く感じていた。
 取り敢えず1週間の出張期間をもらって、テオは大学の仕事を休んだ。休講の間、学生達には各自自主研究を与えたので、戻ったらその検証をしなければならないが、土壌検査など実際にはしないのだから、時間はある筈だった。
 ケツァル少佐はマハルダ・デネロス少尉に発掘申請が通りそうな案件があれば、メールするようにと告げた。申請内容の写真を送れと言うと、デネロスが不審そうな顔をした。

「ジャングルでお仕事なさるのですか?」
「見るだけです。内容に不備がなければ、ロホにも見せます。」
「出来るだけ粗探しします。」

とデネロスは言い、上官達を笑わせた。
 テオ、少佐、ロホの3人は少佐が「公務」でチャーターした民間機に乗ってデランテロ・オクタカス飛行場へ降り立った。テオはその飛行場に来るのは3度目だったが、毎回ダートの滑走路をガタガタ走る飛行機の振動に不安を覚えるのだった。
 携行用保存食は都会で購入した方が安いので、到着した時点で大きな荷物を持っていた。現地の大統領警護隊格納庫の管理人がオフロード車を準備してくれていたので、それに荷物を積み込んだ。事件現場までは車で行くことが出来る、と聞いて、テオは内心ホッとした。殺人事件があった場所で寝泊まりするのは気持ちの良いものではないが、戦場で野営する兵士達のことを思えば、我慢するしかない。
 ロホが管理人にトロイ家の息子達の様子を質問していた。

「祖父と両親を殺害した長男はどうなった?」
「憲兵隊の発表では、精神錯乱と言うことで、病院に送られました。恐らく本人は何も覚えていないでしょうし、現在は正気を取り戻していますから、辛い現実を味わっているでしょう。逆にこれから精神に大きな負担を強いられることになるんじゃないですか。」
「悪霊の仕業だから釈放しろ、とは誰も言わないだろうしな・・・。」

 他者に優しいロホは少年の将来を想像して暗い目をした。事件がなかったことにするには、ニュースが全国に拡散されてしまっていた。アベル・トロイには一生親殺しの汚名がついて回るのだ。

「次男はどうなったか知っているか?」
「弟の方は叔父がいるので引き取られたそうです。その家でどんな生活をしているのか、俺達にはわかりません。」

 テオは聞くともなしに彼等の会話を聞いていた。格納庫の管理人はデランテロ・オクタカスの情報を大統領警護隊の為に収集する役目もしているのだな、とぼんやり思った。
 ロホは管理人に礼を言い、隊則で規定されている金額のチップを払った。情報収集は管理人の臨時収入だ。多分、普段は全く別の仕事をしていて、大統領警護隊が来る時に格納庫の掃除をしたり、備品を整えているのだろう、とテオは想像した。
 1日目はデランテロ・オクタカスの格納庫で泊まった。食事は村の食堂で取った。風呂はないので、管理人が公衆蒸し風呂を教えてくれた。ジャングルに入れば5日間風呂なしになるので、テオとロホはじっくり蒸されて寛いだ。少佐も女性の風呂に入って、そこでトロイ家や森に住んでいる先住民達の情報を仕入れた。
 2日目の朝、彼等はカブラロカ渓谷入り口の家に向かって出発した。

2022/05/23

第7部 渓谷の秘密      7

  文化・教育省は入居している雑居ビルの改修工事を行う決定を下し、工事期間中はシティ・ホールに臨時オフィスを設けた。シティ・ホールで行われるイベントは土日に開催されることが多いので、週末は机やI T機器の移動で大忙しだ。だから大臣は観客席の半分をオフィス代用に使い、半分だけ市民に開放することにした。
 大統領警護隊文化保護担当部は文化財・遺跡担当課と境界のない狭い空間に同居した。元々同じフロアにいる仲間だから、その件に関して問題はなかった。気に入らないのは、通路を隔てて他のフロアの部署がいることだった。それぞれのフロア毎に仕事のやり方が違うし、陳情に来る市民の要件も違うので、かなり騒々しい職場環境だ。こんな場合、下っ端が一番損をする。直接市民と接する仕事をしている彼等を置いて、上司達は早々に静かな場所へ逃げてしまうのだ。文化保護担当部もアンドレ・ギャラガ少尉とマハルダ・デネロス少尉が取り残され、ケツァル少佐とロホは出張を決め込んだ。その出張の内容が、悪霊を封じ込めた墓探し、と聞いて、ギャラガとデネロスは内心下っ端で良かった、と思った。監視業務と違って森の中を歩き回るのはかなりしんどい仕事だ。都会育ちのギャラガは気を放出していればヒルや毒虫が寄って来ないと承知してはいるものの、それでも慣れない。樹木で空が見えない、見通しが利かない薮の中を歩くのも好きでなかった。デネロスは大学の研究課題が図書館の古書を必要としていたので、都市から離れたくなかった。だから留守番を命じられて、2人共ホッとしたのだ。
 ケツァル少佐とロホはジャングルでの活動準備を整えた。参加要請の理由に納得出来ないテオドール・アルストも同行だ。

「遺伝子学者の俺が、どうして蟻塚の土壌分析を行わないといけないんだ?」

 少佐とロホが視線を交わした。”心話”だ。ロホが咳払いしていった。

「貴方は霊の声を聞けます。我々には聞こえない。」
「だけど、君達は霊を見ることが出来るじゃないか。」
「封印されている場所が破壊されなければ霊は出て来ないんです。我々の今回の任務は霊封じではなく、霊が封じられている場所を探して地図に載せるだけです。」
「つまり、俺は警察犬の役目をするのか?」

 少佐とロホが「スィ」と頷いた。

「土壌分析は大学に出張の理由を誤魔化す手段に過ぎません。」

 ロホは地質学の教室から借りてきた土壌分析のサンプル容器と薬剤が入ったキットをテオに渡した。
 少佐が机の上に地図を広げた。

「悪霊の被害に遭ったトロイ家の人々の行動範囲は大体このくらいです。」

 彼女は赤ペンでトロイ家の場所にバッテンを描き、それから地図上で半径5キロメートルの大きな円を描いた。

「これは狩猟の範囲ですから、農民の彼等は実際はもっと狭い範囲で行動していたと思われます。」

 彼女はタブレットで衛星写真を出し、拡大して見せた。

「畑がここ、これが現在の耕作地です。こちらの空き地が、次の開墾地の筈です。今回の悪霊はここにいたのだろうと推測されるので、この開墾地を中心に捜索します。」
「アスルやンゲマ准教授達がいる遺跡は?」
「この渓谷の奥です。」

 ロホがペン先で谷間の奥まった地点を指した。

「ここに准教授の見立て通りにサラがあるなら、ここで有罪判決を受けた罪人は処刑のために集落から離され、森の中の牢に入れられたのでしょう。処刑方法はいろいろありますが、”風の刃の審判”で重傷を負った人間が有罪になったのですから、瀕死の状態か、既に死亡して運ばれたと考えられます。牢がそのまま墓となったと推測しても構わないかと・・・」

 ロホは考古学の先輩のケツァル少佐を見た。少佐が頷いた。

「生き埋めにされた人が悪霊になった可能性が高いですね。」
「嫌な話だな。」

とテオは囁いた。

「トロイ家の人々はそんな昔のことを知らずに住み着いたんだな?」
「カブラ族は遺跡が建設された場所より移動して、本来はもっとデランテロ・オクタカスに近い場所に住んでいるのです。トロイ家はきっと30年前に政府が出した入植助成金をもらって開墾を始めたのでしょう。大昔、そこがどんな土地だったのか知識がなかったのです。部族も現在の場所に移住して数世紀経っていますから、先祖の土地で何が行われていたか、どんな土地なのか、言い伝えすら残っていないのです。」

 少佐は宗教学部で民間伝承などを研究しているウリベ教授から確認を取っていた。文書化された歴史の記録を残さない部族の研究は難しい。口述で聞き取るしかない。特に白人が入植してから移住や迫害、言語統制が行われ、多くの伝承が失われた。ウリベ教授はカブラ族の多くがスペイン語を話し、部族固有の言語を話せる人が殆ど残っていないことを嘆いていた。彼女が録音したのは5つの昔話だけで、生きた会話などはなかったのだ。
 テオは念の為に質問した。

「カブラロカに反政府ゲリラはいないよな?」

 少佐が答えた。

「多分。」



2022/05/22

第7部 渓谷の秘密      6

  ケツァル少佐が自宅アパートに帰ると、ちょうどテオドール・アルストがテーブルに着いてカーラの給仕で夕食を始めようとしていた。彼はカーラが玄関へ出迎えに行ったので、彼女が帰ったと知った。

「始めるのを待っているよ。」

と彼が声をかけたので、少佐は急いでバスルームに入り、埃だらけの服を脱いでシャワーをサッと浴び、新しいTシャツとざっくりしたコットンパンツに着替えてダイニングに入った。テオは律儀に料理に手をつけずに待っていた。カーラがスープを温かいのと取り替えましょうかと声をかけたが、構わないと断った。
 向かい合って、赤ワインで軽く乾杯した。

「今日は文化・教育省で大変なことが起きたんだってな?」

 テオがトイレ詰まりを思い出させる発言をしたので、少佐はちょっと顔を顰めた。

「明日もビルを使えないのであれば、場所を移して業務しなければなりません。省庁そのものを引っ越した方が良いでしょうね。」

 インフラ整備にお金をケチる政府に不満な少佐はワインをごくりと飲んだ。そして話題を変えた。

「今日は急な出張がありました。」
「うん、カーラから聞いた。」
「命令を出したのは、”名を秘めた女の人”です。」
「え?!」

 テオの食事の手が止まった。全く予想外の人物が出て来たので、驚いたのだ。少佐とママコナがテレパシーで会話出来ることは知っているが、ママコナから命令が出たなんて初めて聞いた。これは、この部屋の外でする話ではないな、と彼は感じた。カーラは慣れているのか、何も聞かなかったふりをして、メイン料理を出し終えると、帰り支度を始めた。デザートまで居るつもりはないのだ。テオは少佐に断り、彼女を階下迄見送り、タクシーに乗車するのを見届けてから部屋に戻った。
 少佐がメインの肉の塊を大小2つに切り分けていた。小さい方をテオの皿に取って、彼女は残りが載った皿を自分の前に引き寄せた。テオの肉の3倍はありそうだ。彼女は超能力を使ったな、とテオは思った。

「ママコナはどんな命令を君に出したんだい?」
「悪霊の浄化です。」

 即答してから、少佐は説明した。

「カブラロカ渓谷近くの地元民の家で殺人事件が起こりました。その家の人が森の中にあった罪人の墓を何らかの理由で壊してしまい、悪霊となった罪人の霊が少年に取り憑き、家族を殺害してしまったのです。」
「それは酷いなぁ・・・」

 テオは正気に帰った時の少年の心の傷を思い計って気が滅入りそうになった。しかし少佐は感情を交えずに説明を続けた。

「偶然大統領警護隊遊撃班と警備班が近くで軍事訓練を行なっていました。彼等は惨劇を逃れた子供を保護し、その子を追ってきた憑き物憑きの少年を捕え、カルロ・ステファン大尉が悪霊を木偶に封じ込めました。彼は自力で浄化する自信がなかったので、木偶を持ち帰って上官に任せようと考えたのですが、ママコナが悪霊が首都に入ることを嫌がり、私に悪霊を首都に入れるなと訴えて来たのです。」
「ちょっと待った・・・」

 テオは心に浮かんだ疑問を素直に口に出した。

「どうしてママコナは君に命令したんだ? カルロの上官はセプルベダ少佐だろ?」
「セプルベダは男性です。」

 とケツァル少佐は即答して、彼の質問を終わらせようとした。テオは、何故男では駄目なのか訊こうとしたが、少佐は話を続けた。

「私はデランテロ・オクタカスまで行く時間がなかったので、カルロにロカ・ブランカへ回れと命じました。カルロはエミリオ・デルガドと2人で仲間と離れ、ロカ・ブランカで私と合流し、ビーチで木偶に封じ込めた悪霊を3人の力を合わせて浄化しました。」
「浄化出来たんだな。」
「幸いロホの助力を必要とせずに済みました。」
「おめでとう。」
「でも、まだ森の中に同じような悪霊を閉じ込めた墓がありそうです。」

 テオは肉を噛みながら考えた。もしかして、この出張報告はここから本題に入るのではないか?

「もしかして、これから悪霊を封じ込めた墓を探しに行くのか?」
「探しておいた方が良いでしょう。全てを浄化させる必要はありませんが、今後地元民が避けて通れる印を付けておくべきです。」
「どうやって探すんだ? ジャングルの中だろう? それにカブラロカって、現在アスルが発掘隊の護衛で行っている奥地だよな?」

 テオの知識では、グラダ・シティからデランテロ・オクタカス迄は国内線の航空機で行き、そこからオクタカス遺跡迄車で半日かかる距離だった筈だ。飛行機は毎日飛んでいる訳でなく、定期便は週に2回、月曜日と木曜日だけ、後は農家などが共同で料金を支払って農産物を運ぶチャーター便が偶に飛ぶだけだ。車でグラダ・シティから行けば、実際の距離ではアスクラカンより近いが所要時間は倍かかる悪路だ。そのデランテロ・オクタカスの村からカブラロカ渓谷はオクタカスより遠いと聞いていた。
 少佐が彼に尋ねた。

「蟻塚が赤いと言うのは、土の色が赤いのですよね?」
「俺は蟻の専門家じゃない。だが、蟻塚は土で出来ているな、普通は・・・」
「赤土でないのに赤い蟻塚が出来ていたら、それが悪霊を封じ込めた墓だそうです。」
「誰が言ったんだ?」
「ムリリョ博士。」

 テオは黙り込んだ。この会話は、彼に墓探しに参加しろと暗に言っているのだ、と敏感に察しながら・・・。


2022/05/21

第7部 渓谷の秘密      5

  グラダ・シティに帰った時、まだ太陽は沈んでいなかった。明るい夕暮れの街中をケツァル少佐はセルバ国立民族博物館に向かった。博物館の事務室に事前に電話をかけると館長であるファルゴ・デ・ムリリョ博士は在館だと言うことだったので、面会希望を伝えて、返事をもらう前に博物館に行ったのだ。面会を拒否する連絡はなかったので、博物館の駐車場に車を置いて、館内に入った。平日なので博物館は空いており、職員が閉館時間迄まだ1時間あると言うのに、終業準備に取り掛かっていた。少佐は緑の鳥の徽章を提示し、入館料を払わずに中に入った。
 奥の事務室に入り、早くも帰り支度を始めている職員の間を通り、さらに奥の館長執務室の前へ行った。ドアをノックすると、「入れ」と声がした。
 ムリリョ博士は左の椅子にミイラを一体置いて、机の上に置いたラップトップで仕事をしていた。書類を作成しているらしく、ケツァル少佐が挨拶しても頷いただけだった。それで少佐はマナー違反になるが、彼女から要件を切り出した。

「カブラロカ遺跡について教えて頂きたいことがあります。」
「あそこは未調査だ。」

 ムリリョ博士は顔を上げようともしない。彼が急いで作成しなければならない書類とは、政府に提出する予算案だろうか、と少佐は考えた。セルバ共和国政府の公金支出の申請締め切りはとっくに終わっていたが、ムリリョ博士の様な大物は多少遅刻しても受け付けてもらえるのだ。

「あの遺跡はサラではないのですか?」
「ンゲマはサラだと期待して掘っているが、まだ結果報告が来ていない。」
「サラであった場合、処刑された罪人は何処に葬られたのでしょう?」

 ムリリョ博士の手が止まった。老”ヴェルデ・シエロ”は顔を上げて、少佐を見た。

「儂はあの場所が現役であった時代の風習など知らぬ。カブラ族の先祖が築いたのであろう。カブラ族に訊けば良い。」

 少佐の質問の意図を尋ねようともせずに、博士は再びラップトップの画面に視線を戻した。少佐はもう少しだけ粘ってみた。

「先祖の風習を知らなかった為に、カブラ族のある一家に悲劇が起こりました。」
「ならば・・・」

 博士はそれでも顔を上げてくれなかった。

「ウリベに訊いてみろ。あの女はそう言う風習を調べているのだからな。」

 彼は卓上の電話を取った。内線で誰かを呼び出し、

「大臣のアドレスは何だったか?」

と訊いた。この場合の大臣は文化・教育大臣だ。 大臣宛の書類だ。やはり予算案なのだろう。事務員の回答を聞き、博士は「グラシャス」と一言囁き、電話を終えた。そして教わったアドレスに書類を送信した。
 少佐はその作業が終るまで辛抱強く待っていた。ムリリョ博士は若い人々がどんなに長く待たされても気にしない。飽く迄我流を貫き通す人間だ。そして少佐も辛抱強い。相手の性格を知っているから、決して急かさないし、諦めない。
 博士が遂にラップトップを閉じた。仕事を終えたので、帰り支度を始めた。もうすぐ閉館時間だ。少佐が声をかけた。

「カブラ族の農夫一家が何らかの悪霊を知らずに目覚めさせてしまい、取り憑かれた若い息子が両親と祖父を鎌で惨殺し、逃れた弟も殺そうとジャングルの中を追ったそうです。弟は偶然大統領警護隊遊撃班の野外訓練部隊に遭遇して保護され、追跡して来た兄は部隊に確保されました。ステファン大尉と遊撃班が悪霊を若者から追い出し、木偶に封じました。ステファンは上官に浄化を依頼するつもりでしたが、ママコナが悪霊を首都に入れることを嫌がり、私が浄化を依頼され、ロカ・ブランカの海岸で処理しました。
 同様の悪霊がまだカブラロカ遺跡の近辺に封じられているかも知れないと懸念が残ります。探す手立てをご存じでしたら、ご教授下さい。」

 考古学の弟子として、”ヴェルデ・シエロ”の若衆として、少佐は博士に教えを請うた。博士は鞄に書類を詰め込みながら言った。

「赤い蟻塚を探せ。」

 それだけだった。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...