2022/08/03

第8部 贈り物     10

  次の日、カルロ・ステファン大尉は、上官のコンドミニアムから文化・教育省の4階へ出勤した。彼が入口で緑の鳥の徽章とI Dカードを提示すると、守衛当番の女性軍曹が黙って仮職員パスをくれた。ケツァル少佐から既に話を通してあったのだ。ステファン大尉は「グラシャス」と言ってパスを受け取り、首に掛けると階段を上がって行った。いつまで経ってもエレベーターがつかないビルだ。階段の幅だけは広いので大勢が一度に通ることが出来る。
 4階に到着すると、文化財・遺跡担当課の職員達が振り返った。数人の入れ替わりはあったが、殆どが顔見知りの職員だ。ステファン大尉は彼等と挨拶を交わし、ちょっと世間話をした。それから官舎から出勤して来たマハルダ・デネロス少尉の指図で業務に取り掛かった。彼は大尉で仕事の経験も彼女より豊富だったが、一応外部から来た助っ人だ。だから少尉の指示に従って仕事をした。
 昼近くになって、4階オフィスの電話が鳴った。誰が取ると言う決まりはなく、手が空いている人間が出ることになっている。文化財・遺跡担当課の女性職員がその電話を取った。相手と少し話をしてから、ちょっと困った表情でデネロス少尉を振り返った。

「マハルダ・デネロス少尉、建設省から電話です。」
「建設省?」

 デネロスは眉を顰めた。あまり馴染みのない省庁だ。民間で工事を行う時に遺跡が出土してしまうことがある。そんな場合に建設省と文化・教育省がどちらが優先権があるかと事務官で議論するが、大統領警護隊文化保護担当部にはあまり関係ない事案だ。隣の文化財・遺跡担当課に事案が回ってくるのは、文化・教育省の事務官が議論で建設省を負かした時になる。だから4階に建設省が直接電話を掛けてくることはなかった。あるとすれば、それは建設大臣マリオ・イグレシアスの個人的要件だ。
 デネロスはチラリとステファン大尉を見た。ステファンが肩をすくめた。まだイグレシアス大臣はケツァル少佐を追っかけているのか、と内心呆れていた。少佐はもうテオドール・アルストと同居しているのに。
 デネロスは仕方なく電話を取った。

「大統領警護隊文化保護担当部、マハルダ・デネロス少尉です。」
ーー建設大臣イグレシアスの私設秘書、シショカです。

 予想通りの男の声が電話の向こうから聞こえた。イグレシアス大臣はケツァル少佐にデートを申し込む時、自分で電話を掛ける度胸がなくて、いつもこの私設秘書に掛けさせる。シショカは少佐が断るとわかっていても、仕事だから電話をする。
 デネロスは先回りして言った。

「取り継ぎの職員が言ったように、少佐はお留守です。」
ーーそのようですな。マレンカの御曹司も出払っているのかな?

 マレンカの御曹司とは、ロホのことだ。ロホが実家の名前で呼ばれるのを嫌うことを知っていながら、そう呼ぶのだ。つまり、これは、「一族が関わっている問題」だ。若いデネロス少尉にもその程度のことは察せられた。彼女は答えた。

「マルティネス大尉、クワコ中尉、ギャラガ少尉も外へ出払っています。」

 では”出来損ない”しかオフィスにいないのか、とシショカが小さく呟くのをデネロスは聞いてしまったが、黙っていた。ここにステファン大尉がいると知れば、シショカは彼を挑発してくるだろう。シショカとステファンは犬猿の仲だ。
 シショカと話をしている暇はないと思ったデネロス少尉は電話を切り上げようと思った。

「お役に立てなくて申し訳ありませんが、業務が立て込んでいますので・・・」

 するとシショカがこう言った。

ーーファルゴ・デ・ムリリョ博士が今どこにいらっしゃるか、わかるか?

 デネロスは一瞬にして緊張した。”砂の民”のシショカが”砂の民”の首領を探している。つまり、シショカの手に負えない事案が発生していると言うことなのだろう。

「博物館と大学に博士がいらっしゃらないのでしたら、私には見当がつきません。」

 彼女はそう言ってから、言い足した。

「ケサダ教授になら連絡をつけられます。教授なら博士の行き先をご存じかも知れません。」

 シショカが少し沈黙した。フィデル・ケサダは”砂の民”ではない。シショカが抱える要件に巻き込む必要がある人物だろうか、と考えているのだ。それに、シショカはケサダが苦手だった。口論したことも戦ったこともないが、向こうの方が力が強いと彼は感じていた。一族に害をもたらす人間を闇から闇へ葬る仕事をしているシショカは、対峙する一族の者の能力の強さを正確に把握する必要があった。だが、フィデル・ケサダの能力はどうしても測りきれなかった。同じマスケゴ族なのだから、彼と差がない筈なのだが。
 カルロ・ステファン大尉が心配そうにデネロス少尉を見た。彼の耳にも電話から流れるシショカの声が聞こえていた。ケツァル少佐へデートの誘いかと思ったが、そうではないらしい。しかしデネロスに代わってくれとは言えなかった。ステファンを忌み嫌っているシショカは、ステファンが電話を代った途端に切ってしまうだろう。
 やがてシショカは言った。

ーー出来るだけ早くケツァル少佐に連絡をつけたい。伝言を頼む。私に直接電話して下さいと告げてくれ。

 電話が切れた。デネロスが電話を睨みつけた。

「それが他人に物を頼む言い方?」

2022/08/01

第8部 贈り物     9

 ケツァル少佐が雇っている家政婦のカーラは、主人が留守の時にやって来る訪問者を決してアパートの中に入れたりしない。しかし、少佐の部下は例外で、リビングに通す。テオがもう一つの区画に引っ越して来てからは、男性の部下はテオの部屋のリビングへ入るようになった。彼等も彼等なりにカーラに気を遣っているのだ。
 その夜、デネロス少尉を官舎へ送ったテオが帰宅すると、カーラが入れ替わりに帰宅しようと下へ降りて来た。週末は家政婦は休業だったので、テオは驚いた。彼女は少佐の指示で特別業務をしていたのだ。一階のロビーで出会うと、彼女は来客があることを告げた。

「ステファン大尉が見えられましたので、貴方のお部屋へ通しておきました。」
「グラシャス! 気をつけてお帰り!」
「グラシャス! おやすみなさい。」

 カーラは呼んでいたタクシーに乗って帰って行った。 
 テオは来客があることを、駐車場の客用スペースに停められていた大統領警護隊のジープの存在で知っていた。もし遊撃班からの助っ人で中尉以下の隊員だったら、マカレオ通りのアスルが住んでいるテオの旧住宅に行くだろうから、ケツァル少佐のアパートに来るのは大尉だけだ、と予想したのだ。
 エレベーターの使用を”ヴェルデ・シエロ”達は嫌うが、テオは平気だ。すぐに最上階の彼と少佐だけのフロアに到着した。エレベーターを出ると狭い公共スペースがあって、左右に並んでいるドアの右側をテオはチャイムを鳴らしてから開いた。さもなければステファン大尉に殴り倒される恐れがあった。彼等は実際用心深いのだ。
 カルロ・ステファン大尉は何もないリビングの、数少ない家具である古いソファの真ん中にふんぞり返ってテレビを見ていた。テオを見るとニヤリと笑った。

「ご自宅のチャイムをわざわざ鳴らして入るんですか、貴方は?」
「誰もいなけりゃ鳴らしたりしないさ。入るなり君に張り倒されたくないからね。」

 2人は笑い、ハグで挨拶した。それからテオは何もないキッチンにポツンと鎮座する小さな冷蔵庫からビールを出して、大尉と乾杯した。

「もしかして、君がマハルダの助っ人なのかい?」
「スィ。他の連中は考古学の素人なので、私に行ってこいとセプルベダ少佐から命令が降りました。明日からマハルダ・デネロス少尉の部下として働きます。」

 と言いつつ、ステファンは嬉しそうだった。古巣に久しぶりに帰るのだ。それも上官の命令で。書類仕事ばかりでも、嬉しいに違いない。

「マハルダは捜査に加われなくて、不満らしいぞ。」
「そうでしょう。しかし、ネズミの神様はそんじょそこらの神像とは威力が違いますからね。彼女が完璧に能力を使えたとしても、神様が怒った時は歯が立たないでしょう。私も白人の血が入っていますから、神様が言うことを聞いてくれるとは限りません。」
「だが、アンドレは捜査に出ている。」
「彼は・・・」

 ステファン大尉は肩をすくめた。

「能力の幅がまだ謎なんです。もしかすると私より強いかも知れない。」
「黒じゃなく銀色なのに?」
「色で力の強さが決まるのではありません。反対に力の強さが色に出ることもありません。」
「シュカワラスキ・マナの息子がそんなことを言うんだったら、アンドレの力の大きさは本当に未知数なんだな。」

 テオは研究室に保管している友人達の遺伝子マップを頭に思い浮かべた。ギャラガの遺伝子は様々な種族の血が混ざっているので、他の”ヴェルデ・シエロ”達のものと少し差異がある。それがどの力を表し、どの程度の力なのか、テオはまだ解明出来ていない。純血種を解明しなければ、ミックスの解析は難しいだろう。

「だが、純血種以上に強いことはないよな?」
「純血種のグラダは現在女が1人だけです。」

 ステファン大尉は異母姉ケツァル少佐を頭に浮かべて言った。テオは、もう1人男性がいるんだと言いたかったが、我慢した。これは「彼」との約束だ。絶対に誰にも言わない。ただ、少佐とギャラガは知っている。ステファンだけが知らないのは不公平なのかも知れない。だが、彼等を守るために秘密を知る人間は少ない方が良いのだ。
 テオは話題を変えた。

「君の遊撃班の話を聞かせてくれないかな。勿論、公表出来る範囲で構わないから。」


2022/07/29

第8部 贈り物     8

 「だが、それにしてもどうしてネズミの神様が雨の神様なんだろ?」

 テオが素朴に疑問に感じたことを口に出すと、デネロスはニヤリと笑った。

「ネズミと言うのは便宜上の表現です。本当はアーバル・スァット様はジャガーなんですよ。」
「やっぱりそうか!」

 中南米では、ジャガーは雨を降らせる霊的な動物と考える部族が多い。ゴロゴロと喉を鳴らす音が雷を連想させるのだろうとヨーロッパの学者達は考えている。

「昔の彫刻はデフォルメされているし、長い歳月の間に摩耗して原型が分かりにくくなっていますからね。」

 デネロスはタコの唐揚げをモリモリと食べた。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は頭足類を食すことを好まないが、メスティーソ達は好きだ。

「元々あの神像を作ったのは”シエロ”だと言われています。オスタカン族に授けられて、神殿に祀られていたんです。だから、あの神様は”シエロ”の言うことは聞くのです。粗末に扱われて怒り狂わない限りはね。」
「”ティエラ”では制御出来ないのか?」
「無理です。丁寧にお祀りして願い事をすれば叶えて下さいますが、雨のことだけです。お金儲けや恋愛成就はありません。そして一旦怒らせると、もう”ティエラ”では手がつけられません。これは、過去のオスタカン族に伝わる昔話にも数回あります。その都度彼等は”シエロ”を探してきては、神様のお怒りを鎮めてもらったのです。」

 その説明には重要な要素が含まれていることにテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は古代に滅びたと言うのが定説、とセルバ人は公言しているが、本当はまだ生き残っていることを知っているんだ、と彼は気がついた。言い伝えとして知っているのではなく、今も生きていると確信している。

 バルデスも大統領警護隊が”シエロ”と話が出来る人々ではなく”シエロ”そのものだと知っているんじゃないのか?

 だからバルデスはケツァル少佐やロホ達に逆らわない。大統領警護隊だから逆らわないのではなく、”ヴェルデ・シエロ”だから逆らわないのだ。

 ってことは、バルデスは、伝説の神様が霊的存在ではなく、生身の人間だってことも知っているんだ・・・

 それが良いことなのかこちらにとって都合の悪いことなのか、テオは判断しかねた。

 だが少佐達は、そんなことなどお見通しなんだろうな・・・

 無条件に神様扱いされて平伏されるより、こちらの弱点を知られている方が却って利用しやすいこともあるに違いない。例えば洞窟探検の装備を準備してもらうとか、インターネットを使った調査をしてもらうとか。バルデスは善人と呼べないが、セルバと言う国を裏切ることはしない人間だ。”ヴェルデ・シエロ”を裏切るとどうなるか、彼は知っている。
 その彼が、ネズミの神様を盗まれて困っているのだ。神罰を恐れているに違いない。

2022/07/28

第8部 贈り物     7

 「急に慌ただしく先輩達が出動になってしまったので、言いそびれたんですけどぉ・・・」

とマハルダ・デネロスが言った。翌日の夕方、テオが彼女を夕食に誘った時のことだった。ケツァル少佐、ロホ、アスル、それにギャラガがオフィスから出て行ってしまったのがお昼だった。デネロスは日曜日の官庁で1人で書類仕事をして、隣の文化・教育省、文化財・遺跡担当課の職員の応援も受けずになんとか週明けの分を先に片付けてしまった後だった。
 テオは彼女といつものバルで2人で夕食前のツマミとワインを楽しんでいた。

「もうドクトルはご存知ですよね? アリアナに赤ちゃんが出来たこと・・・」
「スィ。少佐も知っている。2人で一緒に伝えられた。」
「それじゃ、名付け親も頼まれました?」
「少佐がね、女の子の場合に・・・」
「ドクトルは?」
「男の子はパパ・ロペスだよ。」

 ああ・・・とデネロスは頷いた。

「そうなるでしょうね・・・」
「不満かい?」

 テオが顔を覗き込むと、デネロスが苦笑した。

「私、名付け親になりたかったんです。」
「名前を考えているのか?」
「スィ。」
「それじゃ、少佐にその名前を言ってみたらどうだ?」
「駄目ですよ。それじゃ少佐が名付け親になれません。」

 それなら、とテオはワインをごくりと飲んでから提案した。

「2人目はどうだい? 次の子供の時の名付け親の権利を予約しておくとか?」

 デネロスが笑った。

「予約? 良いですね!」

 彼女はワインを一気に飲み干した。

「ロペス少佐にもっと頑張って頂かないと。」

 いつもの彼女らしくない物言いだ。恐らくネズミの捜索から仲間外れにされて、内心くさっているのだろう。テオは助っ人が来れば少しは気が紛れるだろうと思った。

「助っ人はいつから来るんだい?」
「月曜日の予定です。」

 デネロスは余り期待していない。カルロ・ステファン大尉以外は誰が来ても考古学に関して素人だ。遺跡に関する知識を一から教えなければならない。その労力を想像して、今から疲れを感じているのだろう。

「飲み込みの早い人だと良いな。」
「遊撃班ですから、頭は良いと思いますよ。」

 デネロスはワインのお代わりを注文した。

「ただ、偉そうにされると、こっちは嫌なんですよ。」

 遊撃班は大統領警護隊のエリート集団だ。警備班などは見下されている感じがある。

「文化保護担当部もエリートだ。気負い負けするなよ。」

 

第8部 贈り物     6

  テオは事件の捜査に加わりたいと思った。しかし、彼には彼の仕事があった。半年後にヨーロッパで開かれる遺伝子学会に出席しないかと生物学部長から打診を受けていた。プロの遺伝子学者として世界に出るチャンスだ。テオは昔から出てみたかった。アメリカ時代は軍の施設にいたので、表だった研究活動の発表が出来なかった。彼が携わった研究はどれも「国家機密」だったからだ。セルバ共和国に亡命してからは、身の安全の為に国外に出ることを許されなかった。だが・・・

「もう世界に出ても良い頃じゃないかね?」

と学部長が言ってくれた。テオが研究しているアメリカ先住民と肉体労働の遺伝子レベルにおける関係、つまり植民地時代に鉱山などの労働に駆り出された先住民が肉体労働に不向きで絶滅に追い込まれた歴史を、遺伝子による筋力の強さで解明しようと言う試みを、発表してみないか、と言うことだ。テオはオルガ・グランデの鉱山会社で働く労働者の中で先住民系の人々が健康被害を受け易いことを心配し、同じ労働条件の他の人種の労働者とどう異なるのか、調べていた。つまり、遺伝子レベルで労働者の体質改善と健康維持を探求しているのだ。
 学会に出てみないかと言う誘いは大変有り難かった。しかし、まだ世界に発表出来る段階迄遺伝子レベルでの解明が出来ていない。テオは返事を1週間待って下さいと学部長に告げたばかりだった。
 彼が話し合いに乗ってこないので、ケツァル少佐は仕事との両立で悩んでいるなと察した。

「ネズミの行方が全く掴めていない段階で、ドクトルが参加されても意味はありません。」

と彼女は言った。テオは黙っていた。デネロスが彼の手に己の手を重ねた。

「2人で留守番しましょう、ドクトル。」
「・・・そうだな・・・」

 テオは仕方なく頷いた。

「俺は白人だし、マハルダより遥かに弱いからな。」

 アスルが立ち上がった。

「それじゃ、私はマハルダに引き継ぐ書類の整理をします。明日の昼迄に渡せるよう努力します。」

 ロホとギャラガも同様に席を立った。

「助っ人がオフィス仕事に向いている人だと良いですね。」

とギャラガが先輩を慰めた。 デネロスは肩をすくめた。

「カルロだったら良いけど、期待はしないわ。遊撃班の副指揮官が来てくれる筈ないもの。」

 だが遊撃班は人員不足の部署に助っ人を出す部署だ。文化保護担当部が応援を求めれば、セプルベダ少佐は適材適所で誰かを寄越すだろう。
 ケツァル少佐が考えた。

「申請書類は多いですか?」
「例年通りです。一月ぐらい溜めても大丈夫でしょう。」

とロホ。テオは突然各国の遺跡発掘許可申請がなかなか通らない本当の理由を悟った。大統領警護隊文化保護担当部は審査が厳し過ぎるのではない。申請書類の審査以外の仕事が生じると、そちらを優先するので、書類は後回しにされるのだ。”ヴェルデ・シエロ”にとって、遺跡調査より遺跡を守る方が先決だ。遺跡から持ち出された物を探し、回収して、元の場所に戻すことが最優先される。
 少佐が呟いた。

「助っ人は1人で十分ですね。」


2022/07/27

第8部 贈り物     5

 「ネズミの神様は盗まれる時に抵抗しないんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が素朴な疑問を投げかけた。ロホが肩をすくめた。

「丁寧に運べば、神様は怒らない。元々アーバル・スァット様は雨が降らなくて困っている村を巡って祀られた神様だから、移動すること自体は問題ないんだ。それが輿ではなくダンボール箱に詰められたり、乱暴に扱われるとお怒りになる。」
「それじゃ、今回の泥棒は静かに神像を運び出したけど、警備員には負傷させたんだな。」

テオが言葉を挟んだ。大統領警護隊ではないが、文化保護担当部には準隊員みたいに参加を許されていた。

「警備員の証言はどうなんだ?」

とアスル。ケツァル少佐が携帯の画面を眺めた。

「バルデスはその件に関して報告していません。彼も現場から遠い場所にいますからね。」
「オスタカン族が住んでいた地域は、オクタカス遺跡に近いです。」

とギャラガが地図を見ながら呟いた。

「警備員はデランテロ・オクタカスの病院にいる筈です。バルデスより先に事情聴取したいです。」

 少佐は黙ってまだ携帯の画面を見ていた。テオが覗き込むと、遺跡の写真だった。小さいのでよくわからないが、アーバル・スァット様が写っているのだろう。テオはアンゲルス邸でネズミの神様の負の力を感じたことがあった。遠く離れていても気分が悪くなる、強力な怒りの力だった。
 少佐が顔を上げた。

「まず、事件発生の経緯を調べましょう。アンドレは警備員に事情聴取して下さい。ロホは各地の空港でネズミの気配を探すこと。アスルは故買業者の動きを探りなさい。」
「私は?」

とデネロス。少佐が冷たく言った。

「貴女はオフィスの留守番です。」
「ええ! どうしてですかぁ?」

 物凄く不満な表情を遠慮なく顔に出してデネロスが抗議した。

「アンドレが事情聴取で私が留守番だなんて・・・」
「全くオフィスを無人にする訳に行かないだろ。」

とアスル。

「必ず誰かが留守番をするんだ。」
「それなら、アンドレが・・・」
「アンドレはグラダ族です。」

 少佐がピシャリと言い放った。デネロスが頬を膨らませたまま黙り込んだ。ロホが説明を加えた。

「アーバル・スァット様はそんじょそこらの悪霊とは威力が違う。君は白人の血の割合が多いし、若い女性は悪霊が好む贄だ。頼むから、オフィスで後方支援に励んでくれ。」

 するとアスルも言い添えた。

「前回アーバル・スァット様がロザナ・ロハスに盗まれた時は、カルロが留守番したんだ。彼はあの時能力を自在に使えなかったから。それにミックスは神様と対峙するとどうしても弱さが出る。」

 少佐がニヤリと笑って提案した。

「留守番1人では荷が重いでしょうから、遊撃班から1人寄越してもらいましょう。マハルダ、その人の指導をお願いします。」

 テオはその助っ人がカルロなのだろうか、デルガド少尉だろうか、と想像した。


2022/07/26

第8部 贈り物     4

  アーバル・スァット・・・セルバ先住民オスタカン族の言葉で「雨を呼ぶ者」と呼ばれる石像がある。オスタカン族はもう殆ど絶滅しかけており、メスティーソが大半を占めるアケチャ族(東海岸地方一帯に住む民族)に同化されつつあった。彼等には先祖の文化を守ろうと言う気概が殆どなく、オスタカン族の遺跡を調査・研究しているのはアケチャ族のセルバ人と言う為体だ。だからネズミによく似た形状の神像アーバル・スァットが盗掘された時も、オスタカン族ではなくアケチャ族の地元民、詳しく言えば現地の官営学校で歴史を子供達に教えている教師が盗難に気がついた。オスタカン文化の遺跡は少なく、殆どは農民の集落のものだったので、宝物と呼べる様な物はないのだが、神像は別だ。中南米の彫刻や彫像、土器等をコレクションして喜ぶ外国人が多い。特に滅多に外国の学術調査が入ることを許さないセルバ共和国の遺跡から出土した物は希少価値が高く、コレクターの間で高値で取引される。郷土史家の教師は直ちに大統領警護隊文化保護担当部に神像の盗難を通報した。
 大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐は、アーバル・スァットが唯の石の神像でないことを知っていた。元は古代の”ヴェルデ・シエロ”が神と崇めた水の精霊が住まう聖なる川、オルガ・グランデの地下、最も深い位置に流れる地底の川の石から彫り出した、本当に神様が宿る石像だったのだ。古代の”ヴェルデ・シエロ”が、支配する”ヴェルデ・ティエラ”に下賜した水のお守りだ。守られるべきオスタカン族がいなくなり、石像は静かにジャングルの中で余生を送っていた。しかし欲深い盗掘者が、珍しい奇妙なネズミの形の石像を遺跡から持ち出してしまったのだ。
 アーバル・スァットは眠りを妨げられ、悪霊となった。正しい祀り方をしない人々にその霊力を発揮して、思いっきり祟ったのだ。石像に触れた者、近づいた者は次々と原因不明の病気になり、生気を奪われ、最悪は死に至った。
 「ネズミ」の暗号名の石像を追跡したケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の部下達は、オルガ・グランデのミカエル・アンゲルスの屋敷で遂に神像を奪還することに成功した。己のボスだったミカエル・アンゲルスを神像を用いて呪殺することに成功したアントニオ・バルデスは、神像の後始末が出来ずに途方に暮れていた。だから大統領警護隊の介入を、さも迷惑そうにしながら、内心は大歓迎、大感謝した。
 神像を回収し、神様の荒御魂を鎮めてお怒りを収めて頂くことに成功した大統領警護隊文化保護担当部は、アーバル・スァットを元の遺跡に戻した。そしてバルデスに神様を利用した罰として、遺跡に警備を付けることを約束させたのだ。バルデスも己が神様に祟られるのは御免だったから、真面目に役目を果たしていた。正規の警備を雇って、遺跡の管理をさせていたのだ。しかし・・・

「その警備員が何者かに襲われ、重傷を負わされ、ネズミの神様が盗まれたそうです。」

 電話で事件を知らされたケツァル少佐は、テオにそう伝えた。テオはことの重大さにすぐ気がついた。アーバル・スァットは小さな石像だが、呪いの威力は半端ない。

「すぐに探さなきゃ・・・」
「当然です。」

 少佐は携帯のメッセージを部下達に一斉送信した。

ーー1800に私の部屋に集まれ!


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...