2022/10/05

第8部 チクチャン     16

  ”ヴェルデ・シエロ”が「電話では伝えられない」と言う場合は、十中八九”ヴェルデ・シエロ”に関係している事案だ。ケツァル少佐は二つ返事で、「行きます」と答え、電話を切った。そしてフロアに残っている職員達に「また明日!」と声をかけて階段を駆け降りた。駐車場に着いて、車に乗り込んでから、思い出してテオにメールを入れておいた。

ーーバスコの診療所に呼ばれました。

 それだけだ。そして車を出した。バスコ医師と”ヴェルデ・ティエラ”の夫が経営する診療所はグラダ・シティの庶民が暮らす住宅地の中にある。大きな病院に行けない患者の為に簡単な手術もやってのけるクリニックだ。少佐が駐車場に車を乗り付けると、その日の診療は終わったばかりで、最後の患者が数人出て来た。看護師はまだ中にいるのだろう。少佐は医師が「すぐ」と言ったので、待たずに中へ入った。客が来ることを教えられていたのか、受付の女性が奥に向かって声を掛けた。

「ドクトラ、お客さんです!」

 パタパタと足音がして、白衣のままのピア・バスコが出て来た。考古学教授フィデル・ケサダと同級生だった筈だが、苦労が多い人生を送ったせいで、ケサダ教授より老けて見える。彼女は双子の息子の1人を酷い形で失ったので、尚更老け込んで見えた。しかし、その目はまだ彼女のこの世での役割をこなしていこうとする力を失っておらず、輝いて見えた。

「よく来てくださいました!」

 ピア・バスコはケツァル少佐の手を両手で握った。一族の正式な挨拶を忘れている様だ。少佐は気にしなかった。視線が合った。バスコが伝えてきた。

ーー怪我人です。一族の者ですが、訳ありらしく、他の病院へ行けないらしいのです。

 怪我の手当てだけなら、バスコ1人で解決出来ただろう。しかし、訳あり患者は何か外に出られない理由があるのだ。そして診療所には、バスコの一般人の夫や家政婦や、看護師がいる。入院が必要な患者も1人抱えていた。バスコは彼等を彼女1人で訳あり患者から守る自信がなくて、ケツァル少佐を呼んだのだ。息子ビダル・バスコ少尉は本部勤務があるから来てくれない。
 ケツァル少佐は言葉で尋ねた。

「怪我人に面会出来ますか?」
「スィ。」

 バスコ医師は受付の女性と看護師に「片付けが終わったら帰りなさい」と言いつけて、それからケツァル少佐を奥の処置室へ案内した。バスコ医師の夫(正式には結婚していない)がベッドに横たわった男性の体に薄い上掛けを掛けてやるところだった。彼は優しく患者に話しかけた。

「今夜はここで泊まっていきなさい。後は妻が見てくれるから。」

 彼は外傷の縫合を行った様だ。ケツァル少佐は男の腕に巻かれた包帯を見た。それから上掛けで隠れてしまった胴体に視線を移した。さっきチラリと見えたのは、爆裂波の傷ではないだろうか? バスコの夫は妻が連れて来た女性に気が付かずにベッドから離れた。バスコ医師は夫に”幻視”を掛けて少佐が見えない様に思わせたのだ。彼は妻に軽くキスをして、

「君も患者が落ち着いたら休みなさいよ。」

と優しく声を掛けて出て行った。ドアが閉まると、バスコ医師が静かにドアに施錠した。

「両腕に刃物傷、防御創です。」

 彼女は両腕を己の顔の前に上げて見せた。そして脇腹を顎で指した。

「爆裂波による内臓損傷です。傷は私の力で治せましたが、呪いを祓うことが出来ません。」

 ケツァル少佐は頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波による傷は細胞の損傷を完全に治すことが難しい。特殊な技術を習得した指導師と呼ばれる有資格者でなければ、崩れた細胞の修復は不可能だった。
 バスコ医師が上掛けをめくって、患者の患部を見せた。右脇腹が腫れ上がっていた。肝臓のあたりだ。恐らく部分的に肝臓の細胞を破壊されたのだろう。放置すれば2、3日の内に死に至る。
 患者は若い男だった。年齢は20そこそこと見えた。土色の顔をして浅い呼吸をしていたが、意識はあるようだ。ケツァル少佐がそばに行くと、目を少しだけ開いて、彼女を見た。しかし彼女の目は見なかった。

「聞こえるか?」

と少佐が尋ねると、わずかに首を動かして、肯定した。

「一族の者か?」

 今度は首を左右に小さく振った。しかしバスコ医師が囁いた。

「彼は”心話”を使いました。私に傷の位置を教えてくれたのです。」

 若者は先住民に見えた。一族でないと言いながら”心話”を使ったのであれば、一族の血を引く異種族ミックスだ。かなり血の薄い・・・。少佐は試しに訊いてみた。

「チクチャンか?」

 若者が目を見張った。図星か、と少佐は思った。


 

第8部 チクチャン     15

  その日の夕方、ケツァル少佐は胸の内のモヤモヤ感を拭えないまま帰り支度をしていた。朝業務を始めて直ぐに司令部から呼び出しがあった。急いで本部に出頭すると、副司令官の1人エステバン中佐から、アーバル・スァットの盗難捜査はどの程度進んでいるのかと訊かれた。素直に進捗状況を口頭で報告すると、中佐は申し訳なさそうな顔をして言ったのだ。

「盗難の実行犯を逮捕したら、直ぐに本部へ引き渡せ。それ以上の追求は文化保護担当部の管轄から離れる。」

 少佐はムッとして、上官に逆らうのは御法度なのだが、思わず質問した。

「理由をお聞かせ願えないでしょうか?」

 それに対して、中佐は彼女の目を真っ直ぐ見て答えた。

「ある部族の政治の問題だ。彼等自身で解決させなければならない。他部族の介入は許されぬ。但し、他所に飛び火したり、一族の秘密に関わる様な大事になりそうな場合は、大統領警護隊が動かねばならぬ。」

 それ以上は決して教えてくれない。少佐は理解して、了承した。敬礼して本部を後にしたのだった。 
 オフィスでの業務は普段通りだった。カルロ・ステファン大尉がいなくなったので、隣の遺跡・文化財担当課の職員達ががっかりしていたが、昼前にはもういつもの生活に戻っていた。デネロス少尉とギャラガ少尉が申請書を整理して審査し、アスルが警備の規模を想定し、ロホが予算を組む。少佐がそれを承認
するのだ。事務仕事をしながらも、銘々が盗難捜査のことを心のどこかで考えていることを少佐は気がついていた。彼等に司令部が介入してきたことを告げるのは気が重かった。昼休みに思い切って打ち明けると、予想通り、アスルとデネロスが露骨に不満を漏らした。ただの神様の盗難でないことを知っているから、尚更だ。事件の根底を調べたいのに、それは駄目だと言われたのだ。

「要するに、ただのダム建設に関する恨みじゃなかったってことですね?」
「関係者が多いってことですか?」
「一族の偉いさんも関わっているんですね?」

 少佐はノーコメントで押し通した。ロホが同情的な眼差しで見ているのを感じたが、彼女は”心話”を避けた。今”心話”を許可したら、司令部に対する不満までぶちまけそうだ。
 ギャラガがのんびりと呟いた。

「でも、例の警備員が回復に向かっていることは救いですよ。」

 それで、やっと部下達の関心が、ロホの身内が行った施術に方向転換され、少佐は救われた気分になった。
 なんとか一日を乗り切り、少佐は帰り支度をしているのだ。デネロス少尉はお使いに出てそのまま官舎へ帰還すると言って少し前にオフィスを出た。ギャラガ少尉とアスルは久しぶりにサッカーの練習場へ行く約束を交わし、早めの夕食の為にさっさと退勤した。ロホは財務課へ出かけていた。そのまま退勤する筈だから、オフィスに最後まで残ったのは少佐だけだった。彼女が鞄を手にした時、オフィスの電話が鳴った。遺跡・文化財担当課の職員が電話に出て、それから少佐を振り返った。

「少佐、お電話です。医者のバスコさんと言う方から・・・」
「バスコ?」

 少佐は少し考え、大統領警護隊警備班の若者の顔を思い出した。職員に「グラシャス」と声をかけて、電話に出た。

「ケツァル・ミゲール少佐・・・」
ーーピア・バスコです。

 女性の声が聞こえた。バスコ少尉の母親で町医者をしているアフリカ系の”ヴェルデ・シエロ”の女性だ。

「ドクトラ・バスコ、お元気ですか?」

 形通りの挨拶をすると、医者は答えずに直ぐに要件に入った。

ーーもし宜しければ、診療所にすぐきていただけますか? 電話では伝えられない事態です。


2022/10/04

第8部 チクチャン     14

 「ムリリョ博士が他の”砂の民”同様に手下を国中に配していることはわかります。彼はそう言う手下達から情報を集めるのでしょう。でも、貴方はどうして色々なことをご存知なのです? 貴方も手下をお持ちなのですか?」

 テオが疑問をぶつけると、ケサダ教授はコーヒーを飲み干してから、彼を見た。

「私は”砂の民”ではありませんし、そんな手下を持つ様な地位にもいません。ただ、教え子は結構な人数です。彼等は少しでも考古学に関係しそうな物を見つけると、直ぐに互いに連絡を取り合います。当然ながら私にも知らせてくれます。彼等の中には”シエロ”もいます。その子達は、一族の安全に関わることだと判断すれば、私を含めた同胞全体に注意喚起を行なってくれます。私の義父が何者かなんて若い子達は知りません。ただ、一族の中の暗黙の了解で、誰かに注意喚起すれば、必ずどこかで長老や族長に伝わるだろうと言う考えがあるのです。ですから、嘘、デマは厳禁です。教え子でなくても、私は発掘や調査で全国に出張しますし、滞在先で知り合いや友人が出来ます。その中にも一族の人がいます。ですから、私が今回のことを知っていても、仲間は不思議に思わないのですよ。」

 テオは、彼が教授がマスケゴ族の選挙のことを知っている理由を考えた時に、ケツァル少佐が「聞こえてしまったのでしょう」と言ったことを思い出した。あの時は意味がわからなかったが、そう言うことだったのか。

「選挙の件はまだ他の部族には知られていないのですよね?」
「まだ知られていませんね。だから大統領警護隊に知って欲しかったのです。呪術を悪用して選挙活動を有利に進めようと画策している派閥がいることや、一般人を爆裂波で傷つけた大罪を犯した人間がいることや、”砂の民”達が動き出したことを、エステベス大佐に知らせておくべきだと思いました。」

 テオはとても懐かしい名前を聞いた気がした。

「エステベス大佐?」
「大統領警護隊の総司令官です。」

とケサダ教授は答えて、それからフッと小さく笑った。

「副司令官以外の隊員は誰も面会したことがないので有名ですがね。」
「誰も会ったことがないのですか?」
「どこかで会っているのかも知れませんが・・・」

 教授は壁の古い掛け時計をチラリと見た。そろそろ午後の授業が始まる時間だった。

「大統領警護隊の直接の司令業務は全て2人の副司令官によって出されるのです。ああ・・・」

 彼は苦笑した。

「これは、私がケツァルやステファン達教え子から聞いた話ですよ。一般の”シエロ”は大統領警護隊の司令官や副司令官の名前も顔も知りませんからね。」

 テオは長老会の幹部達に会った時のことを思い出した。老人達は男女関係なくお揃いの衣装を身に纏い、仮面を被って顔を隠していた。

「長老会の偉い人達は会っているんじゃないですか?」
「義父からは聞いたこともありません。」

と教授は惚けた。

「それに上のことを知ると、後がややこしいですからね。私は地面を掘って、昔の壁や祭壇を見つめて、古代に何が行われたのか、何が起きたのか考えるだけです。」

 テオは、大人しく顕微鏡を眺めていろと言われた様な気がした。

「因みに、選挙で候補を立てているのは何家族ですか?」

 訊いて良いのかどうかわからないが、訊いてみた。教授は肩をすくめただけだった。

 

第8部 チクチャン     13

  考古学部は静かだ。学生達はそれぞれの研究テーマに沿ってグラダ・シティ近郊の遺跡や資料館、博物館へ出かけていることが多い。学内にいる時も図書館にいる。教室に出ているのは新入生ぐらいだ。教授陣もどこにいるのか所在を掴めないことが多い。テオは現在ンゲマ准教授が遺跡にいるのか学内にいるのかさえ知らなかった。その師であるケサダ教授は昨夜西サン・ペドロ通りに出没したが、今日はどうだろう?
 テオは人文学舎の入り口でケサダ教授に電話をかけてみた。教授は直ぐに出てくれた。研究室にいると言うので、面会を求めると二つ返事で許可してくれた。テオが来ることを予想していたのかも知れない。テオは手土産がなかったので、コーヒーを2つ買って持って行った。
 ケサダ教授は部屋の中に折り畳みビーチチェアを広げて、その上で寛いでいた。テオがシエスタの邪魔をしたことを詫びると、笑った。

「あまり長い時間昼寝をすると、起きるのが億劫になるので、ちょうど良いタイミングで起こして頂いたんですよ。」

 多分、自宅では赤ん坊が泣いて、安眠が難しいのかも知れない。テオが持ってきたコーヒーに感謝して、彼は上体を起こした。そしてコーヒーを一口啜ってから言った。

「昨夜のことを話しにこられたのでしょう?」
「スィ。カルロが司令部に伝えて、司令部がケツァル少佐に何か指示したらしく、彼女が不機嫌になって俺に電話して来ました。しかし、俺は何も答えられない。何も知りませんから。」

 教授がニヤッと笑った。

「本当に何もご存じない?」
「・・・と仰ると?」
「今朝、マスケゴにお会いになったでしょう?」

 全く油断も隙もない。この教授はどんな情報網を持っているのだ、とテオは呆れた。

「建設省に手下でもお持ちですか?」

とかまをかけると、教授は頷いた。

「教え子が職員の中にいますから、時々私に面白い情報を提供してくれます。教え子も大臣の私設秘書が一族の人間だと知っていますからね。あの男は有名人です。」
「では・・・」

 テオは苦笑した。

「有名過ぎるので、対立候補が彼に支持されると自分達に勝ち目がないと考えた人が、彼の注意を神像盗難に向けておきたくて、アーバル・スァット様を彼に送りつけたと?」
「私はそう考えています。だが、その行為は”砂の民”を刺激する。現にシショカは動き出したし、ムリリョ博士も部下に指図を出しました。貴方とデネロスが彼を訪問したでしょう?」
「ああ・・・」

 テオは”ヴェルデ・シエロ”達が神像を邪な考えで利用した不届き者を探し始めているのだと悟った。捜索者は文化保護担当部だけでなくなっていたのだ。だから、教授はステファンに警告を与えた。下手に文化保護担当部が動くと”砂の民”とぶつかる恐れがあると。それ故に大統領警護隊司令部に動いて欲しい、と。

「ケツァルは上官から説得されたか、あるいは指示内容に納得いかずにこれから司令部に押しかけるか、どちらかでしょう。今夕、貴方と会う時に、彼女がどんな考えを持っているか、知りたいものです。」

 テオはケサダ教授も案外好奇心の強い人だ、と思った。



2022/10/03

第8部 チクチャン     12

  昼食を学内のカフェで済ませたテオが、シエスタの為に大学の中庭の木陰で芝生の上にスペースを見つけ、寝転がっていると、ケツァル少佐から電話がかかって来た。彼が出るなり、彼女が厳しい口調で質問して来た。

ーー昨夜、カルロからケサダ教授の情報の内容を聞きましたか?

 恐らく司令部から神像盗難の調査について何らかの命令が下ったのだ。少佐はそれに不満で、彼女の様子を見たデネロス少尉かギャラガ少尉が、車に乗る前にカルロ・ステファン大尉がケサダ教授に待ち伏せされたことを告げたに違いない。ステファンは情報の内容を誰にも教えなかったが、嬉しい知らせを受けた訳ではない、と少尉達は感じた。そして大統領警護隊本部の通用門で少尉達が降車した後、ステファンは直ぐに続いたのでなかった。テオと何か話をしていたことを彼等は知っていた。
 テオは溜め息をついた。

「司令部から君に指示が下る迄、何も言うなとカルロに言われたんだ。指示が出たんだね?」

 少佐は直ぐには答えなかった。テオは彼女に内緒にしていたことを、彼女が怒ったのだと思った。

「少佐?」
ーー貴方を巻き込みたくありません。

と少佐が言った。

ーーだから、本当はカルロが貴方に情報を告げたのは間違いです。

 少佐はマスケゴ族の選挙の情報を司令部から聞かされたのだ。だから、テオがその政争に巻き込まれはしないかと心配していた。だが、テオはもうその政争の端っこに足を踏み入れてしまった。

「カルロを責めないでくれ。彼はほんのちょっぴり喋っただけだ。選挙があるってだけだよ。それで捜査権が文化保護担当部から他所の部署に移るかも知れないって、それだけ教えてくれたんだ。」

 また数秒間黙ってから、少佐が尋ねた。

ーー本当にそれだけですか?
「誓って、それだけだ。」
ーー人の名前とか、組織の名前とか聞いていませんか?
「聞いていない。」

 微かに安堵の溜め息が聞こえた。だから、テオは緊張を和らげる為に言った。

「カルロだってそんなに口が軽い訳じゃない。遊撃班の副指揮官なんだから。」
ーー彼は貴方を信頼していますから・・・

 少佐がちょっぴり嫉妬の響きを声に混ぜて言った。ステファンがテオに告げて彼女に黙っていたことが許せないのだろう。それを言うなら・・・

「元凶はケサダ教授だ。彼がカルロではなく君に伝えてくれたら良かったんだ。」
ーー男性が夜に女性の家を訪ねる訳にいかないでしょう。

 時々”ヴェルデ・シエロ”は変に礼儀作法にこだわる。

「それじゃ、彼はカルロじゃなくロホやアスルでも良かったってか?」
ーー恐らく。

 少佐は怒りが収まって来たのか、声のトーンが下がって来た。

ーーもしあの場でデネロスか私しかいなければ、女性でも良かったかも知れませんけど。
「だけど、ムリリョ家やシメネス家が関わっていないなら、どうして彼が首を突っ込むんだ?」
ーーそれは・・・

 少佐がフッと笑った。

ーー聞こえてしまったからでしょう。本人に訊いてみてはいかがです?

 そして彼女は話題を変えた。

ーー今夜は普段通りに帰ります。貴方は?
「俺も普通に帰るが・・・?」
ーーでは、今夜。

 少佐は唐突に電話を終えた。
 テオは携帯電話を眺め、それから人文学舎を見た。ケサダ教授とじっくり話し合ってみたかった。

2022/09/30

第8部 チクチャン     11

「嫌がらせを受ける覚えはない。」

とシショカは言った。口をへの字に曲げてテオを睨みつけた。テオは続けた。

「アルボレス・ロホス村の元住民で、犯人らしき人を、と言うか名前を、文化保護担当部が見つけました。しかし、どの部族にも属さないような名前で、恐らく異種族の血が入っている筈です。そんな人達が、あの扱いが難しい神様を盗んで送りつけるとは思えない。知識を十分持っていると思えないのです。誰かが唆したのでしょう。唆した人間は、多分”シエロ”だ。 だが、その人物が泥で埋まった村の復讐をする理由がない。他人の恨みを利用して、己の利になるよう、仕向けたに違いありません。」
「それが族長選挙と関係あると言うのか?」

 シショカが低いどすの効いた声で尋ねた。

「馬鹿馬鹿しい。私は族長になるつもりはない。私は誰の支持もしていない。」
「しかし、他の候補者達が貴方の真意を知っているとは限らないでしょう。」

 テオは思わず相手の机の縁に手を置いた。相手が凶暴なピューマであることを忘れた。

「少なくとも、神像を送りつけられた貴方が、犯人探しで注意をそちらへ向けている間に、自分に有利にことを進められるよう画策している候補者がいるかも知れないんですよ。」
「だから?」

 シショカがイラッとした声を出した。

「貴方は私に何を言いたいのだ?」

 テオもちょっとイラッとした。

「わかりませんか? 神像の盗難捜査が文化保護担当部から他の部署に移るかも知れないってことですよ! 大統領警護隊がマスケゴ族の選挙の情報を掴んだんです。」

 シショカが黙った。部族間の政治は他の部族には関係ないことだ。他の部族の介入は許されない。だから族長選挙も終了して新しい族長が決まる迄、他の部族は選挙があることさえ知らないのだった。大統領警護隊がマスケゴ族の選挙を知ってもマスケゴ族に害にならない。しかし、選挙に関連した内輪揉めを知られて、介入されるのはマスケゴ族の誇りに関わる。
 テオは机から手を離した。

「俺が言いたかったのは、それだけです。文化保護担当部にはまだ伝わっていません。それから、これはムリリョ博士の情報でもない。噂ですから!」

 彼は「さようなら」と言って、くるりと背を向け、ドアに向かって歩いた。シショカが何か言うかと期待したが、結局何も、挨拶さえ帰って来ずに、彼は部屋の外に出た。



第8部 チクチャン     10

  テオがアパートに帰ると、丁度ロホとアスルがビートルに乗って駐車場から出て行くところとすれ違った。片手を上げて挨拶の代わりにした。
 部屋に上がると、ケツァル少佐が寝支度をしていた。テオは彼女におやすみのキスをして自室に移った。シャワーを浴びてベッドに寝転がった。
 マスケゴ族の族長選挙と言われても想像がつかなかった。まさか市長選挙や大統領選挙みたいに投票場に行って、投票箱に候補者の名前を書いて入れる訳ではあるまい。古代からの何か儀式の様な方法で決めるのだろう。だが、候補者同士が足を引っ張り合うことがあっても、呪いなど使うのはルール違反に違いない。
 シショカはそんな方面に考えを至らせているだろうか。頭脳明晰な政治家の秘書のことだから、恐らくその可能性も思慮に入れているだろう。しかし、送りつけた人間はシショカの能力を承知している筈だ。呪いの神像など見破ってしまうだろうと想像出来るに違いない。

 やはりダムの恨みに対する「素人」の犯行じゃないのか?

 その夜はよく眠れなかった。翌朝、少し遅れて朝食に行くと、少佐は既に食べ終えて、「寝坊ですか?」と訊いた。テオはボーッとした顔で頷き、出勤する彼女にキスをして送り出した。彼女は彼の心を読めない。それは救いだった。ステファンやケサダ教授が言う通り、捜査に関する指示は司令部から彼女に直接言ってもらった方が良いだろう。
 大学のスケジュールを眺め、午前中はまだ余裕があると計算した彼は、着替えると建設省へ出かけた。1階のロビーは入り口の守衛の持ち物検査が通れば誰でも入場可能だ。
 テオは大学のI Dを見せて中に入り、受付へ行った。若い男女の職員がカウンターの向こうに座っており、パソコンの画面を見ていたが、テオが近づくと男性の方が顔を向けた。

「ブエノス・ディアス」

とテオが声をかけると、彼も挨拶を返した。テオはセニョール・シショカに面会を希望する旨を告げた。

「お約束されていますか?」

と男性が訊いたので、彼は「ノ」と言った。

「でも、私の名前を告げて頂ければ、会ってくださると思います。」

 強気で言うと、職員は胡散臭そうに彼を見ながら、電話をかけた。小声でボソボソ会話をしてから、彼は電話を終え、テオを振り返った。

「3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」

 それだけ告げた。テオは「グラシャス」と言って、エレベーターに乗った。乗ってから、大統領警護隊だったら階段を使うな、と思った。
 エレベーターを降りて、指示されたドアをノックすると、「どうぞ」と男の声が聞こえた。開くと、中は普通のオフィスで、机の向こうで顰めっ面のシショカが座ってパソコン画面を眺めていた。今日の大臣のスケジュール確認でもしているのだろう。
 テオは「ブエノス・ディアス」と挨拶した。シショカは尊大に頷いただけだった。この扱いが、カルロ・ステファン大尉以上なのか以下なのか、テオにはわからなかった。
 躊躇うと怖気付いていると思われそうなので、彼は直ぐに要件に入った。

「お忙しいと思うし、俺も仕事があるので、簡単に質問します。貴方は、マスケゴ族の族長選挙に立候補されていますか?」

 どストライクだ、と彼は自分でもそう思った。果たして、シショカがパッと顔を上げて彼を見た。

「誰が貴方にそんなことを言った?」

 怒っていた。テオは、少なくともシショカが腹を立てたと感じた。核心を突いた様だ。

「噂です。」

とテオは言った。

「アーバル・スァットを盗んだ人間はアルボレス・ロホス村の元住民かも知れませんが、彼等を利用してここに神像を送りつけさせた人間は、大臣ではなく、貴方に嫌がらせをしたかったのではありませんか?」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...