2022/10/23

第8部 シュスとシショカ      3

  テオがテーブルに着くと、男も対面に座った。テオは右手を己の左胸に当てて挨拶して見た。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 すると男も同じ動作をして、少しタバコで掠れた様な声で挨拶した。

「ケマ・シショカ・アラルコン、ここの学生ではありません。」

 しかし彼の手は綺麗で肉体労働者の手に見えなかった。何か事務系の仕事をしているのだろうか。テオはそっと尋ねてみた。

「シショカと言う名を名乗られていると言うことは、マスケゴ族ですね?」
「スィ。」

 ケマ・シショカ・アラルコンは頷いた。

「どんな御用件ですか?」

 テオは食べ始めた。出来るだけリラックスして応対していたかった。食べながら対応するのは相手に失礼だと思ったが、彼の方が年上だと思われたし、ここはテオのテリトリーだ。セルバ人の男性は見知らぬ相手と対峙する場合、出来るだけ己の方が優位に立っていると思わせたがる。シショカ・アラルコンも教室で彼を見つめて無言の圧を掛けたのだ。しかしテオにまともに目を見つめられ、思わず視線を逸らしてしまったことで、テオに優位に立たれてしまった。
 シショカ・アラルコンは1分程黙っていたが、やがて口を開いた。

「チャクエク・シショカに会わせてください。」

 テオはフォークを持つ手を止めた。思わず尋ねた。

「誰?」
「チャクエク・シショカ・・・」
「聞こえた。それは誰なんです?」

 ケマ・シショカ・アラルコンは彼の手元を見つめた。アメリカ人なら目を見つめたのかも知れない。若者が辛抱強く言った。

「貴方がご存知のシショカです。」
「俺が知っているシショカは建設大臣の私設秘書の・・・」

 言いかけて、テオは気がついた。セニョール・シショカの本名なのか? ケマ・シショカ・アラルコンはテオの言葉を否定せず、黙って見返しただけだった。テオはフォークを皿に置いた。

「参ったな・・・俺は彼が働いている場所を知っているが、彼個人とは知り合いじゃないんですよ。」

 恐らく、あのシショカの友人なんていないだろう。ムリリョ博士やケサダ教授ならセニョール・シショカの私生活を少しは知っているだろうが、彼等がこの若者の要求に応えると思えなかった。

「俺が建設省に行っても、貴方がそこに行くのと同じ対応しかしてもらえないでしょう。否、貴方なら会ってもらえるかも知れないが、俺は無理ですよ、行政上の用事がない限りは。」

 ケマ・シショカ・アラルコンが悲しそうな表情になったので、テオはちょっと考えた。

「俺は貴方の部族の族長に面会を求めていて、もしかするとこのシエスタの時間に彼から連絡が入るかも知れません。其れ迄ここで待ちますか?」

 すると、ケマ・シショカ・アラルコンは慌てて立ち上がった。

「否、それは・・・」

 彼はふと顔をカフェの入り口へ向けた。そして顔面蒼白になった。フリーズしてしまった若者を見て、テオはその視線を辿った。丁度カフェの中へファルゴ・デ・ムリリョ博士がゆっくりと入って来るところだった。



2022/10/22

第8部 シュスとシショカ      2

  テオはアパートのバルコニーでフェンスにもたれかかって夜風に当たっていた。グラダ・シティの夜は遅くまで賑わうと言っても、最近は電力事情もあって早く消灯される。明るい場所は少なくなっていた。尤も”ヴェルデ・シエロ”の血を持つ人々は夜目が利くので余り問題ないだろう。
 ケツァル少佐は遅く帰って来たが、夕食は一緒に取った。そして短く彼に捜査状況を話してくれた。

「神像を盗んだ連中は全員捕まりました。後は事件の背景を司令部が調査します。」
「それじゃ、君達はもうお役御免なのか?」
「そう言うことになるでしょう。」

 彼女がその状況に満足していないことを、雰囲気でテオは悟った。恐らく文化保護担当部の友人達全員が満足していない。だが彼等は軍人で、上から「ここで終わり」と言われれば従うしかない。それなら・・・
 テオは携帯電話を出した。彼からかけても決して出てくれない人物の番号にメッセージを送った。お会いしたい、と。
 その夜は何も返信がなかった。少佐が寝室に去ったので、彼も自室に戻り、ベッドに入った。族長選挙に絡む部族内の内輪揉めが彼の生活に影響すると思えない。しかしムリリョ家やケサダ家が無事に過ごせる確信がなければ、彼は安心出来なかった。ただのお節介だろうけど。
 翌朝、まるで何事もなかったかの様に、普通に起床したケツァル少佐は、普通に朝食を作ってテオを起こした。

「今朝は俺が朝食当番じゃなかったか?」

 テオが指摘すると、逆に朝寝坊を指摘されてしまった。彼が食べている間に身支度を済ませた彼女はいつもの時間に出勤して行った。
 テオは授業が始まる半時間前に大学に出た。研究室で素早く準備して、教室に行くと、学生達の中に見慣れぬ顔の男がいた。たまに医師や別の学校の研究者などが聴講生として来るので気にせずに講義をして、午前中のスケジュールを終えた。
 講義が終わると熱心な学生にいつもの如く取り囲まれ、質疑応答の時間を持った。テオにとって、少々煩わしいが楽しい時間だ。好きな遺伝子分析の話を思い切り出来るのだから。喋り疲れた頃に昼休みになった。学生達が去って行く後ろで、先刻の見知らぬ男がまだ座っているのが見えた。先住民だ。テオはドキリとした。マスケゴ族だろうか。
 男は学生といくらも変わらない年齢に見えた。ラフなTシャツにデニムのボトム姿だ。足にはスニーカー。学生だろうか? それにしてはノートもタブレットも持っていない。
 テオは敢えて相手の目を見た。セルバでは目を見るのは不作法とされている。だが本当は「神」である”ヴェルデ・シエロ”に心を支配されないための防衛策だと、テオは解釈していた。そして”ヴェルデ・シエロ”の立場から言えば、相手の目を見ることは攻撃を意味していた。
 果たして、男は一瞬ギョッとして目を逸らせた。テオは声を掛けた。

「何か御用ですか?」

 男は躊躇った。学生達がまだ数人教室の中にいたからだ。テオは書籍やノートを鞄に仕舞い、ラップトップも仕舞い込んだ。そして余裕を持っているふりをして言った。

「これから昼食です。話があればカフェで聞きますよ。」

 彼が出口に向かって歩き出すと、男はゆっくりと立ち上がった。そして少し距離を開けてついて来た。大学内のカフェは学生や職員で賑わっていた。テオはテラス席に空席を見つけ、椅子の上に職員証を置いた。これで学生達に席を横取りされずに済む。それから配膳カウンターへ行った。男は彼が確保したテーブルのそばに立っていた。
 テオが周辺を見たところ、考古学部の学生も職員も見当たらなかった。恐らくまだ講義が終わっていないか、外へ実習に出掛けているのだ。初対面の男とトラブルになった時は独力で対処しなければならない、と彼は覚悟を決めた。

 

2022/10/19

第8部 シュスとシショカ      1


  大統領警護隊遊撃班はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていたカスパル・シショカ・シュスを囲い込んで生け捕った。”ヴェルデ・シエロ”を捕らえるのは”ヴェルデ・シエロ”にとっても危険行為だ。特に人間に対して爆裂波を使用した経験がある人間は用心しなければならない。遊撃班はカスパルを追い詰めると抑制タバコの吸引を強いた。ある種の植物から製造された抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”の脳波を鈍らせ、一時的に超能力を使えなくしてしまう。カスパルは逃げられないと悟るとタバコを一気に吸い込み、意識朦朧となった。そして大統領警護隊本部の地下にある「留め置き場」の一つに軟禁されていた。

 司令部ではカスパル・シショカ・シュスの犯行を、個人的なものか、組織的なものか、感情的なものか、政治的なものかと判断を話し合った。アラム・チクチャンとアウロラ・チクチャンの証言を照らし合わせると、チクチャン兄妹はただ感情的に、ダム建設で故郷を追われ肉親を失った悲しみで、「建設大臣」を恨んでいたと思って良さそうだ。そこにカスパルが付け入った訳だが、それが彼単独の考えなのか、それとも誰かと共謀したことなのか、尋問の必要があった。
 目下の問題は、抑制タバコの影響が消える迄、尋問側は何も出来ないと言うことだ。
 セプルベダ少佐は司令部に行って、戻って来ない。副指揮官のステファン大尉は部下達に夜の休憩を取るよう指示を与え、囚人の見張りを警備班に任せて彼も官舎へ戻った。大尉なので個室だ。入隊以来ずっと大部屋で暮らし、文化保護担当部に配属されて初めて隊の外に出て、アパートを借りた。お陰で1人部屋に慣れた。そしてふとつまらないことを思った。後輩達は昇級や退官後、1人で眠れるだろうか?と。
 カルロ・ステファンの後輩で同じく官舎に住んでいるマハルダ・デネロス少尉は眠らなければならない時刻になっても目が冴えてしまって、食堂へ行った。食事は無料だが、間食は有料で1日1回と制限がある。空腹でなく喉が渇いたのだ。水なら好きなだけ飲ませてもらえる。
 厨房の配膳カウンター横に給水器が設置されている。正しくは給水場で、地下水が絶えず小さな穴から流れ出ているのだ。だから水は無料なのだった。備え付けのアルミのカップに水を汲んで喉を潤した。今回の事件捜査の流れに彼女は満足していなかった。折角デランテロ・オクタカス迄行って調査したのに、神像窃盗犯は自らバスコ診療所に現れて、あっさり捕まった。彼女の活躍する場面はなく、男達だけが関わった感じで、彼女は置いてきぼりを食った思いだった。

 確かに私は力が弱いし、実戦経験もない。だけど物事が動く時はどうして除け者なの?

 空になったカップを食器返却棚に置いた時、後ろから声をかけられた。

「眠れないのか、少尉?」

 振り返ると、遊撃班のファビオ・キロス中尉が立っていた。普段顔を合わせることがない男だが、たまに通路などで出会うと優しい目で黙礼してくれたり、食堂の列で順番を譲ってくれたりする。彼女が兄の様に慕っているカルロ・ステファンとよく行動を共にしているそうだし、文化保護担当部に度々助っ人に来るエミリオ・デルガド少尉ともコンビを組むことも多いらしい。だが個人的に言葉を交わしたことはなかった。大統領警護隊の中では、”ヴェルデ・シエロ”の男女間の礼儀作法と言うものは殆ど簡略化されているか無視されているのだが、部署が異なれば同じ大部屋にいても言葉を交わさない。大統領警護隊に女性用の部屋はなく、大部屋で男女一緒に生活している。但し、女性は部屋の中の一角に固まって寝起きするスペースを与えられていた。
 相手が中尉なので、デネロスは丁寧に答えた。

「喉が渇いたのです。すぐに部屋に戻ります。」

 ところがキロス中尉は食堂の窓がある壁を顎で指した。

「今夜は月が綺麗だ。少し見ていかないか?」

 デネロスは時刻を考え、「10分ほどでしたら」と答えた。キロスが微かに苦笑した。
 2人は窓枠に少し間隔を空けて並びもたれかかった。確かに満月が明るく空に浮かんでいた。デネロスはキロスが誘った真意を計りかねて、無難な話題を出してみた。

「今日捕まえた男は、やっぱりピソム・カッカァ遺跡で警備員に爆裂波を食らわせた大罪人ですか?」
「先に捕まえた兄妹の『心』の中にあった顔と同じだから、間違いないだろう。」

 キロスはグラダ東港での捕物に参加したのだ。

「抵抗しました?」
「ノ、私達が取り囲んだら、観念してあっさり拘束された。腕力はありそうだが、爆裂波の強さでは我々の方が上だからな。」

 彼は純血のブーカ族だ。軍人を代々輩出している家系の出だった。だからデネロスには彼が常に自信に満ちている様に聞こえた。

「私の様なミックスでは敵わなかったでしょうね。」

 彼女が自嘲気味に呟くと、彼が振り返った。

「そうか? 力の使い方次第では、君だってあいつと互角に戦える筈だ。あいつは素人で、君はプロの軍人じゃないか。」

 デネロスは頬が熱くなるのを感じた。そんな風に言われたことは今までなかった。

「実戦経験がないのです。」
「ケツァル少佐は毎週軍事訓練を行なっておられるだろう?」
「そうですけど・・・私はまだ命懸けの場面を体験したことがありませんので。」

 大統領警護隊の訓練は実弾射撃を伴うのが常だが、”ヴェルデ・シエロ”にとって、それはまだ遊びのレベルなのだ。キロス中尉が声を立てずに笑った。

「命懸けの場面に遭遇せずに済めば、それに越したことはないさ。誰もそんな体験をしないまま退役年齢に達したいと思っている。」

 デネロスはちょっとびっくりした。そして軍人の家系の出の男を見た。

「キロス家の様な名門の方でもそうお考えなのですか?」
「デネロス家もキロス家も変わりないさ。」

 目が合った。彼女は頬が熱くなるどころか、全身がカッとなる程緊張を覚えた。この感覚は何だろう?
 食堂の入り口の向こうから人の話し声が聞こえてきた。当番が終了した警備班の隊員達がやって来るのだ。

「そろそろ撤収しようか?」

とキロス中尉が残念そうに提案した。デネロスも小さく頷いた。

「そうしましょう、中尉。」

 壁から離れてから、キロスが囁いた。

「またこんな風に話が出来たらいいな。」

 え? とデネロスが改めて彼を見ると、中尉が「おやすみ」と敬礼してくれた。



2022/10/18

第8部 チクチャン     27

 チクチャンは、マヤ文明で使われていたツォルキン(暦)の第5番目の日。キチェ語でKan。黄色の地平線、尊敬、英知、周期、権威、正義、真実の象徴。宇宙の力の象徴。クック・クマツ(Q'uq' kumatz)が地平線に現れ、「天の心(Corazón del Cielo)」と「地の心(Corazón de la Tierra)」の存在を表明しながら地と天を結びつけた。チクチャンとは運動、宇宙の創造主、人間の進化、精神的成長、正義、真実、知性、そして平和のことである。

「こんな素晴らしい名前を持っていながら、何故古い神像の祟りを利用して政治家の殺害を図ったのか?」
「名前の由来なんか知らない。俺達の親も祖父母もただの農民だった。泥で畑が駄目になる迄は、幸せだったんだ。」

 アラム・チクチャンは本部の地下にある「留め置き場」即ち留置所の粗末なベッドの上に起き上がってセプルベダ少佐とステファン大尉から事情聴取を受けていた。大統領警護隊は既に彼と妹のアウロラから「心を盗み」、情報を得ていたが、改めて彼等自身の口から彼等の気持ちも含めて聞き取りを行っていた。ことは微妙だった。チクチャン兄妹の復讐劇なら話は単純だ。しかし、シショカ・シュスの家が絡んでいる。シショカとシュスはマスケゴ族の旧家だ。ムリリョ家とシメネス家に引けを取らない名門だ。だが現実社会に置いて、建設業で大成功を収めたムリリョ家や、その姻戚でムリリョ家と長い時代を娘や婿の遣り取りをしてきたシメネス家に比べると勢いが弱く、マスケゴ系列のミックス達にもあまり影響力がない。
 次の族長選挙はシショカ家にもシュス家にも起死回生のチャンスだった。ムリリョ家から候補者が出ていない。シメネス家は現在女性ばかりで、族長は伝統的に男性とされているマスケゴ族の慣習を崩すつもりはない。そして、現在のシショカ家はシュス家とあまり仲が良いと言えなかった。複雑な婚姻関係が存在するので、一概に誰がどこの家系とは言えないのが”ヴェルデ・シエロ”なのだが、シショカ・ムリリョやシショカ・シュス、シュス・シショカやムリリョ・シュス、シメネス・シショカ、シメネス・シュス、そんな名前が混在するマスケゴ族の族長選挙は混戦状態だった。勿論4つの大きな家系以外にもマスケゴ族はいるのだが、政治力や経済力を持たないので「有権者」であっても「候補者」にはならなかった。
 大統領警護隊は現族長ファルゴ・デ・ムリリョに候補者の氏名を訊いてみた。ムリリョ博士は機嫌が悪かった。部族内の抗争が大統領警護隊に知れ渡ってしまったのだから仕方がない。候補者は3名と彼は長老会に申告した。

「だが名を明かすことは現段階では出来ぬ。それは他の部族でも同じであろう。族長が決定する迄は、周知のことに出来ぬのだ。」

 それでは、と長老会の代表は言った。

「大統領警護隊が誰を逮捕しようと、マスケゴ族が苦情を申し立てることは許されぬ。それでよろしいか?」
「一族の秩序を保つためだ、仕方あるまい。」

 そして”砂の民”の首領でもある彼はこうも言った。

「我が朋輩が誰を罰しようと、大統領警護隊は目を瞑るべし。」

 だから、大統領警護隊遊撃班は、チクチャン兄妹を操ったカスパル・シショカ・シュスの背後に誰がいるのか、”砂の民”より先に突き止めたかった。アーバル・スァットの神像を送り付けられた建設大臣の私設秘書セニョール・シショカが”砂の民”の本領を発揮して首謀者を闇に葬ってしまわないうちに。

 

2022/10/17

第8部 チクチャン     26

「アラムは今、大統領警護隊の本部で治療を受け、取り調べを受けている。警備員をもし殺していたら、『大罪』を犯したことになるが、君と彼の証言から、警備員を負傷させたのはカスパル・シショカ・シュスに間違いないだろう。神様の像を呪いに使った罪があるが、人間に対する傷害などの罪は軽く済むかも知れない。これから本部へ君を連行するが、構わないな?」

 ロホの言葉にアウロラ・チクチャンは頷いた。

「私は兄を刺した・・・きっと私がやったに違いない。でも兄に会いたい。監獄にぶち込まれる前に、アラムに一眼会わせて頂戴!」

 それは、とアスルが言いかけたが、ロホが制した。

「確約出来ないが、上官に掛け合ってみよう。君達が一族の範疇に入るのかどうかもまだ未定だからな。」
「一族?」

 キョトンとするアウロラの顔を見て、ギャラガが肩をすくめた。 アスルが誤魔化した。

「古い民族の血を引いている人々と言う意味さ。」

 フワッと風が彼等の頬を撫でた。ロホは本部の建物の方を見た。軍服姿の男が2人やって来るのが見えた。1人は遊撃班の副指揮官カルロ・ステファン大尉だ。文化保護担当部の3人が固まっているのだ。本部の人間達がその存在に気がつかない筈がなかった。アウロラ・チクチャンの尋問はここまでだった。
 遊撃班がそばへ来たので、ロホ、アスル、ギャラガは彼等に向き直り、敬礼した。遊撃班も立ち止まって敬礼を返した。訊かれる前にロホが報告した。

「この女性はアウロラ・チクチャン、自ら出頭した。」

 アウロラが彼を見上げ、それから軍服姿の男達を見上げた。ステファン大尉がロホに尋ねた。

「尋問したのか?」
「彼女が進んで自供した。そちらで抑えている彼女の兄に面会を許可すると言う条件だ。」
「勝手なことを・・・」

と言いはしたが、ステファンは怒らなかった。いかにもロホらしい条件の出し方だ、と思った。アスルが言った。

「この女は”感応”に応えた。遊撃班のではなく、我々のだ。」

 お前達の呼びかけ方が悪い、と暗に言った。ステファン大尉が苦笑し、部下はムッとした。大尉が大尉に言った。

「情報を分けてもらえるか?」
「スィ。」

 ロホとステファンは互いの目を見つめ合った。一瞬で情報が伝えられた。ステファンは頷き、アウロラに話しかけた。

「アラム・チクチャンに面会を許可する。だから君は我々に協力するのだ。」

 嫌だと言わせない勢いがあった。アウロラは頷き、立ち上がった。彼女を2人の遊撃班が挟んで立った。ロホが彼等に声を掛けた。

「我々は撤収する。ギャラガ少尉は官舎へ帰らせる。」
「ご苦労。」

 彼等は再び敬礼を交わし合い、ステファン大尉がギャラガを見た。ギャラガは文化保護担当部の先輩達に声を掛けた。

「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
「ゆっくり眠れ。」

 既に歩き始めた遊撃班とアウロラ・チクチャンの後ろを彼はついて行った。アスルがロホに囁き掛けた。

「そろそろアンドレも外で暮らした方が良いんじゃないか? 外の生活に慣れさせなきゃ。」
「それじゃ、お前の家に入れてやれよ。部屋はあるだろ?」
「あるが・・・」

 テオの寝室が空いているのだ。大家の部屋だ。しかしテオはもうケツァル少佐のアパートの住人になった。空いたスペースに誰が入っても構わないと彼はアスルに言ったのだ。

「アンドレが俺と同居でも構わないって言うなら、誘ってみる。」

 彼等はふとマハルダ・デネロス少尉はいつまで官舎暮らしを続けるのだろう、と思った。


第8部 チクチャン     25

  1回目の神像窃盗は複数の犠牲者を出してしまったにも関わらず、肝心の政治家達には呪いが届かなかった。チクチャン兄妹とカスパル・シショカ・シュスはロザナ・ロハスが神像をどうしたのか知る由もなかったが、西のオルガ・グランデの大きな鉱山会社の経営者が謎の死を遂げ、呪いで殺されたと言う噂が立つと、文化・教育省の大統領警護隊の動きに注意を払った。大統領警護隊の女性少佐と部下達はグラダ・シティを離れて何処かに出張していた。そして噂がまだ消えないうちに戻って来た。
 カスパルがピソム・カッカァ遺跡を見に行って、神像が戻されていることを確認した。呪いで鉱山会社の経営者が死んだと言う噂が真実であれば、あの神像は本物だ。あれなら、両親を死なせた政治家どもを地獄に送ってやれる。イキリ立つ兄妹をカスパルが宥めた。盗難から戻ったばかりの神像を再び盗めば大統領警護隊の警戒レベルが上がってしまう。ほとぼりが冷める迄待つべきだ、と。
 チクチャン兄妹は指図されるまま、大人しく日々を過ごした。その間に祖父は亡くなり、政権が代替わりして、マリオ・イグレシアスが建設大臣に就任した。アラムは先代の建設大臣を追跡してみたが、先代は大臣職を離任して間もなく病死した。呪いとは関係なく・・・。
 チクチャン兄妹は憎悪の標的を失ってしまった。無気力になりかけた2人にカスパルが囁きかけた。
ーーイグレシアスを次の標的にしよう。政治家は皆同じだ。
 アラムは違うと言ったが、アウロラは生き甲斐が欲しかった。顔も碌に覚えていない父親の仇を討ちたかった。母を失った悲しみをぶつけたかった。
 今度は他人を利用せずに自分達で神像を盗み出し、大臣に送りつけよう。兄妹は遺跡の近くでオスタカン族の末裔を見つけ出し、神像の正しい扱い方を教わることにした。カスパルも一緒に来て、質問した相手の記憶を消して兄妹の痕跡を消す手助けをしてくれた。アウロラはそんなカスパルを頼もしく感じ、好意を抱くようになった。だがアラムはカスパルにあまり懐いておらず、時々それは兄妹喧嘩の種になった。
 アーバル・スァットの神像を盗む決行日、思いがけない事故が起きた。遺跡にはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石が雇った警備員がいたのだ。アラムが神像を慎重に抱えた時に、警備員に見つかった。咄嗟にアウロラがナイフを出すと、カスパルが止めた。そして警備員が突然倒れた。何が起きたのか、兄妹にはわからなかったが、カスパルは「呪いだ」と言った。
 警備員は気絶しただけだとカスパルは言い、彼等は遺跡から逃走した。
 アーバル・スァット神像は粗末に扱うとその周囲の人間に無差別に呪いを振り撒く。アウロラはグラダ・シティに向かう車の中で毛布にくるんだ神像を大切に抱きかかえた。グラダ・シティの外れにあるアパートに帰ると、そこで神像を箱に詰めた。カスパルはそれを建設省に運ぶと言った。砂防ダム建設を推進したのは前大臣だから、今の建設大臣は無関係ではないかとアラムが意見すると、カスパルはイグレシアスは前大臣の子分だったから、悪党と同じなのだと言った。アウロラは運送屋の配達員を装ったアラムとカスパルが出かけるのをアパートで見送った。
 2人は建設省の受付に箱を渡して戻って来た。そして大臣が亡くなるのを待ったが、メディアは何も報じなかった。カスパルは港の仕事に戻ってしまい、チクチャン兄妹も働かねばならなかった。呪いはどうなったのか。神像は働いてくれないのか。兄妹は落ち着かなかった。
 もう一度建設省に行って、神像を取り返そうと兄妹は話し合った。カスパルが「見えなくなる」術を使えるのだから、忍び込むのは簡単だと思ったのだ。しかしカスパルは「うん」と言わなかった。
ーー大統領警護隊が動き出した。今俺達が動くのは拙い。
 そして彼はこうも言った。
ーー俺は目的を果たした。大臣の秘書は神像を盗んだ犯人を探している。今は選挙どころじゃない。だから、このまま彼を足止め出来れば良いんだ。
 チクチャン兄妹には彼の言葉の意味が理解出来なかった。”ヴェルデ・シエロ”として育ったのではない。古代の神様の子孫達の裏社会の事情など知る由もない。ただ、アラムはカスパルが本当はダムのことなんてどうでも良いのだと言うことを察した。
ーー俺達はあいつに利用されただけかも知れない。
 アラムは遺跡で倒れた警備員が気になって、調べてみた。すると警備員は死ぬ一歩手前で奇跡的に回復したと知った。病院では大変驚いて騒いでいたが、彼等は「”シエロ”が助けてくれたのだ」と囁いていた。アラムはカスパルが本当は警備員を殺すつもりだったのではないかと思った。それを”ヴェルデ・シエロ”が警備員を助けた。
ーー俺達はとんでもない間違いをしているのかも知れない。
 アラムは妹を連れてカスパルを訪ねた。そして警備員に何をしたのか、自分達は「神」を間違ったことに利用しているのではないのか、と詰め寄った。

「そこで、私の記憶は途切れた。」

とアウロラはベンチに座ったまま、目に涙を浮かべた。

「直前にカスパルと目が合った・・・と思う。思い出せるのはそれだけ。気が付いたら、カスパルはもういなくて、私は血まみれのナイフを手にして、目の前に血まみれのアラムが倒れていた。頭が真っ白になったけど、アラムはまだ意識があったの。私に医者へ連れて行けと言ったわ。どこの医者って・・・ドクトラ・バスコしか知らなかったから・・・貧しい人でも診てくれる先生って、あの夫婦しかいないでしょ?」
「それで、あの診療所にアラムを預けて、君は逃げたんだな?」

 アスルの問いに、彼女はコックリ頷いた。

「カスパルがまた襲ってくると思ったから、自分達のアパートに帰れずに、スラムに身を隠していた。他に行くところがなくて・・・それにアラムを置いて遠くへ行けない。」


2022/10/16

第8部 チクチャン     24

  大統領警護隊の屋外運動場は金網を張ったフェンスに囲まれた、ごく普通の運動場だった。他の運動場と違うのは、その金網に結界が常時張られていることだった。一般人は金網に手を引っ掛けて運動場でサッカーの練習をしたり持久走訓練を行なっている隊員達を見物出来るが、隊員と同じ”ヴェルデ・シエロ”には手を触れるだけでピリリと来るし、乗り越えることは出来ない。その事実を考えると、”ヴェルデ・シエロ”の敵は同じ”ヴェルデ・シエロ”なのだと思える。大統領警護隊は一般人を恐れてなどいないのだから。
 フェンスの中の駐車場に車を乗り入れたロホは、ドアを開いて車から降りた。ギャラガも降車して、座席の背もたれを倒し、後部席のアスルとアウロラ・チクチャンを降ろした。運動場では警備班の非番組がサッカーをしていた。休憩をしなければならないのだが、息抜きも必要だ。最長2時間と言う制限があるが、彼等にとっては貴重なリクリエーションだ。ロホもアスルもサッカーが趣味だし、ギャラガもアスルに誘われて習い始め、今ではかなりのレベルに上達していた。3人の姿に気づいた何人かの隊員が手招きしたが、アスルが「仕事だ」と手振りで応えた。
 アウロラをベンチに座らせ、彼女の横にアスル、前にロホ、後ろにギャラガが立った。ロホが彼女に水を飲まないかと尋ねたが、彼女は首を横に振っただけだった。

「それでは・・・」

 ロホは警備班の隊員達がサッカーに興じているのをチラリと見た。頼むからこちらに気がつかないでくれ、と思った。女の気を散らして欲しくなかった。

「まず、君達、君とアラムの身の上とカスパル・シショカ・シュスとの関係から話してもらおう。」

 チクチャン兄妹の身の上は、ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗んだ」内容とほぼ同じだった。兄妹が物心つく頃に一家はアルボレス・ロホス村に入植し、他の村人達と共に畑を耕していた。細い川が流れており、乾季は良い畑だったが、雨季になると川が増水して度々畑が水に浸かった。だから村は貧しいままだったが、食べるには困らなかった。下流に砂防ダムが建設された時は男達も女達も日雇いで働いて一時的に村は潤った。しかし、そのダムが土を堰き止めるようになると、畑に泥が溜まっていくようになった。それはじわじわと下流から上流へと上がって来た。雨が降り、増水する度に作物が泥に埋もれていく。村人達は行政に訴えたが、打つ手なしと言われた。村人達は一旦アスクラカン市街地に引っ越したが、耕作地と村を諦めきれなかった。チクチャンの父親と村の男達数名はダムの堰堤を破壊しようとして、警察に見つかった。彼等は酷い暴行を受け、留置所に数日間入れられた。戻ってきたチクチャンの父親は寝込んでしまい、やがて亡くなった。夫を失った母親も苦労続きで、無理をした挙句、仕事中の事故で死んでしまった。
 兄妹は祖父に育てられたが、遠縁の者だと言う男が現れた。それがカスパル・シショカ・シュスだった。祖父の姓がシュスだったので、祖父の母方の親族である男の息子と言うことになる。カスパル・シュスは兄妹に親切だった。兄妹が義務教育を終える迄面倒を見てくれ、仕事も見つけてくれた。彼自身はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていた。兄のアラム・チクチャンは車の運転免許を取り、港でトラックの運転手として働いた。アウロラ・チクチャンは港の食堂で給仕の仕事をした。
 アラムは両親が死んだ原因となった砂防ダムの建設を決めた政治家達が許せないでいた。だが国の指導者達のところに殴り込みに行っても、相手に手が届くことはない。アラムは兄の様に慕うカスパルに相談した。

「カスパルは復讐に乗り気でなかったの。でも止めることはなかった。」

 カスパル・シュスは呪いを使うことを提案したのだと言う。
 ロホとアスル、ギャラガの3人は顔を見合わせた。カスパル・シショカ・シュスは”ヴェルデ・シエロ”だ。呪いを使わなくても、手を汚さずに敵を倒す方法ならいくらでも知っているだろう。だが彼はチクチャン兄妹に復讐させたかった。だから、能力を殆ど持たない兄妹に呪いの使用を持ちかけたのだ。アラムとアウロラは呪いの使用を勉強した。修道女に化けて国立博物館に勉強にも行った。そして、アーバル・スァットと言うピソム・カッカァ遺跡に祀られる古いジャガーの神像に行き着いた。
 一度目は欲深い白人の麻薬密輸業者の女に盗ませた。女を操るのはカスパルが担当した。彼が何故直接兄妹に盗ませなかったのか、その時兄妹は理由がわからなかった。だから悪党の女ロザナ・ロハスがしくじって別の標的に神像を送りつけてしまった時は、がっかりした。だがカスパルは慌てなかった。成り行きを見守れ、と兄妹に言った。

「カスパル・シショカ・シュスはアーバル・スァットの呪いの力を試したんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「そうだと思います。どう扱えば、自分達は安全か、あの神像がどれほど強い祟りをするのか、そして大統領警護隊があの神様を制御出来るかどうか・・・制御出来ない神様は危険極まりないですから、もし文化保護担当部の手に負えなければ、あの神像を諦めるつもりだったのでしょう。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...