ロペス審査官が大使館へ通じる扉の向こうに消えると、シオドアはリビングへ行った。アリアナがソファに座り、ケツァル少佐が南米のマテ茶を淹れていた。シオドアが入室したので、少佐が飲みますかと尋ね、彼は飲むと答えた。伝統的なストローを入れた容器を少佐は2人に配り、熱いので注意して飲む様にと言った。
「温いのを出すと、『あなたに会いたくない』と言う意味だそうです。」
と彼女が言った。シオドアはミルクや砂糖が欲しいなと思ったが、マテ茶の飲み方をよく知らないので黙っていた。するとアリアナが遠慮なしに砂糖を所望した。少佐が快く砂糖壺を出したので、彼も入れてもらった。
「セルバではマテ茶を飲んだことがないな。」
「カフェで注文したらあったわよ。」
とアリアナ。
「貴方はコーヒーしか飲まないからよ。」
「エル・ティティでもコーヒーしか飲まなかった。お茶はたまにハーブティが出ただけだ。」
「お茶は高価ですから。」
と少佐が2人の言い合いに割り込んだ。
「グラダ・シティは都会なので、アメリカとそんなに変わらない物が手に入ると思います。あなた方は1年間グラダ・シティで暮らすことになります。住む場所やお仕事は明日ロペス少佐から説明があるでしょう。」
「審査に通ったのか?」
「明日の朝になればわかります。」
セルバ流に答えてから、少佐は付け足した。
「大丈夫、通ります。あなた方はセルバ国民を助けてくれましたから、政府は礼を尽くします。」
「向こうへ行ったら、あなた方と頻繁に会えるのでしょうか?」
とアリアナが質問した。シオドアはドキリとした。彼女はまだ黒い猫に未練があるのだ。少佐は微笑みを返した。
「遺跡発掘のシーズンは忙しくなりますが、監視や護衛の仕事がなければ、オフィスにいます。」
「またマハルダとお話ししたいわ。」
多分それは口実だ、とシオドアは思ったが黙っていた。アリアナがカップを手にしたまま立ち上がった。
「面接で疲れたので、今夜はもう休みます。お茶をそのまま寝室へ持って行って良いですか?」
「どうぞ。ゆっくりお休み下さい。」
「有り難う・・・グラシャス。」
アリアナは微笑みを浮かべて挨拶するとリビングから出て行った。
シオドアは溜め息をついた。
「彼女は審査官にステファンが捕まった時のことを訊かれなかったそうだ。」
「それが何か?」
「彼女は彼に心を奪われている。彼が彼女の初めての男じゃないことぐらい俺は知っている。俺も彼女と経験があるから。だが、今回の彼女の彼への執着はいつもと違う。真剣になってしまっている。それが心配なんだ。」
「何故?」
シオドアは躊躇った。ケツァル少佐とステファン大尉は上官と部下の間柄だ。しかし昨夜の食事風景で2人はまるで恋人同士に見えた。アリアナには姉弟みたいだと言ったが、シオドアは少佐と大尉の間に他人が入り込めない繋がりが有る様に思えた。
少佐がもう一度尋ねた。
「ドクトラ・オスボーネがカルロを好きになって何か支障でも有るのですか?」
シオドアは思い切って言った。
「ステファンは君のことが好きだろう?」
少佐がちょっと黙ってストローでお茶を一口飲んだ。そして肩をすくめた。
「まぁ、嫌いだったら、こんな我儘な上官の後をついて来ないでしょうけど。」
「そうじゃなくて・・・」
もどかしかった。
「ステファンは君を愛している。俺は側で見ていてわかるんだ。だが彼は自身を”出来損ない”と卑下して、君とは釣り合わないと思っているんだ。彼は君しか見ていない。だから、アリアナが彼を振り向かせようとどんなに努力しても無駄なんだ。俺はアリアナが絶望した時、どう慰めて良いのかきっとわからなくなる。」
ああ、成る程、と少佐は呟いた。
「ドクトラ・オスボーネにはもっとお友達が必要ですね。しかし、こんなことを言うと、貴方は怒るかも知れませんが・・・」
「何?」
彼女はズバリと言った。
「カルロがエル・ジャガー・ネグロなら、複数の妻を持てます。」
シオドアは数秒間思考が停止した。彼女の言葉の意味はわかった。わかるが、それが解決策になるとは思えなかった。アリアナがステファンの複数の妻の一人になる? ってか・・・
「セルバ共和国はカトリック教国だったよな?」
「スィ。」
「ステファンはカトリックじゃなかったか?」
「セルバ国民は建前上カトリックです。」
「妻は一人だろう?」
「夫も一人です。」
建前上、と少佐は追加した。シオドアはちょっと胸がドキドキした。
「”ヴェルデ・シエロ”は一夫多妻なのか?」
「違います。」
少佐は少し考えて、どう説明しようかと迷った様子だった。
「例えばですね・・・貴方と私が夫婦とします。」
嬉しい例えだが、何か裏がありそうで、シオドアはまたドキドキした。少佐が続けた。
「カルロとロペスとファルコが来て私に求愛するとします。私はカルロとファルコを選んでロペスを断ります。」
「はぁ? 君は俺の妻だろう?」
「でも私はカルロが欲しいし、ファルコも欲しい。だから受け入れます。」
「ロペスは嫌いか?」
そんな質問をしている場合ではないのだが・・・。 少佐が笑った。
「例え話ですよ。私は子供を産みます。父親が誰かは問題ではありませんが、取り敢えずファルコの子供と言うことにしましょう。でも私の夫は貴方です。だから貴方が私の子供を我が子として育てます。」
「それって・・・夫の立場で言わせて貰えば、損した気分・・・俺は他人の子を育てるんだろ? そしてファルコは自分の子を他人に取られるんだ。」
「でも、貴方はよその夫婦の妻に求愛出来ますよ。貴方はそっちの夫婦に貴方の子供を養育させるのです。」
混乱しそうだ。それがカルロ・ステファンがアリアナを受け入れる理由になるのか?
さらにもう一つ疑問があった。
「ステファンがエル・ジャガー・ネグロだったら、どうして複数の妻を持てるんだ?」
「エル・ジャガー・ネグロ、つまりグラダ族の男である証拠です。先刻私が話した婚姻形態は、グラダ族特有のものなのです。」
「え?」
シオドアは目をパチクリさせた。グラダ族のことを今朝ミゲール大使からレクチャーされたばかりだ。”ヴェルデ・シエロ”の能力を全て持って生まれたオールマイティの部族。だが彼等は近親婚を繰り返して子供が生まれなくなり、古代に滅亡してしまった。今は他部族の中に混血して細々とその遺伝子が受け継がれているだけだと、大使は言った。
「少佐、君は純血種のグラダ族だと大使は言った。」
「スィ。」
「自覚があるのか?」
「ママコナからそう教わりました。長老達もそう言って私を教育しました。」
「ステファンは白人の血が入っている。」
「彼の母親の母親が白人と”ヴェルデ・ティエラ”のメスティーソです。」
「お祖父さんは?」
「遠い祖先にグラダがいるブーカ族です。」
「それじゃ、ステファン自身の父親は?」
少佐が首を傾げた。
「カルロは覚えていないのです。彼が2歳の時に亡くなったそうです。」
では黒いジャガーのナワルは、その正体不明の父親から受け継いだのだ。シオドアは遺伝子分析装置が欲しい、と思ってしまった。
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