2022/02/27

空の緑 用語集 7

 組織


1. 大統領警護隊

ヴェルデ・シエロのみで組織されている軍隊。
国家の治安維持と国土の守護を目的とする。
一般のセルバ人からは、神(ヴェルデ・シエロ)と会話出来る人々が採用されていると考えられている。その為に国民は大統領警護隊に逆らうことをタブーとしている。
隊員は陸軍士官学校の卒業生から採用され、全て少尉から上の階級に属する。
それ故、陸軍・空軍と合同で活動する時は大統領警護隊の隊員が指揮官となることが多い。


本部はグラダ・シティに置かれ、大統領府と同じ敷地内にある。
地上施設は、司令部、隊員の宿舎、訓練所、車両部など。
地下に大規模な地下神殿と多目的大広場がある。
組織としては、
司令部  司令官 大佐
     副司令官 中佐2名が交代で勤務
     内務調査班 大統領警護隊内部の勤務状況や不祥事を調査する組織
     神殿警備班  地下神殿の管理維持、外の世界での祭祀の指導
     外部活動統括班 外部組織、外郭団体や省庁出向人員の管理 
     情報分析班 セルバ国内の社会情勢や治安に関する情報を収集し分析する
     司令部に入るには指導師の資格取得が必要(基本的に少佐以上の階級)
警備班  最も隊員数が多い部署で、隊員は必ずこの部署から勤務経験を開始する
     活動内容は、大統領府の警備、大統領や政府要人の警護
     当番制で本部内の清掃、洗濯なども自分達で行う
     業務に使用する車両の整備を行うのは警備班車両部の仕事
     大統領府の正門を守ったり、式典で行進する儀仗兵も警備班の役目
厨房班  隊員だけでなく大統領や賓客の食事の世話をする部署
     食材を清める儀式を行うので、指導師の資格が必要
     指導師の資格を取ると必ず最短半年は厨房班で勤務することが義務づけられる
遊撃班  警備班から選ばれた精鋭が勤務する部署で常時指揮官以下25名が所属
     他の部署で欠員や傷病欠が生じた場合に助っ人として呼ばれることがある
     外の世界で起きる事件の捜査や小規模の軍事行動に携わる
技術班  武器の管理、装備品の管理、物資調達などを担当する

支部は持たないが、外部組織がいくつかある。


太平洋警備室
太平洋岸のサン・セレスト村に置かれている。
太平洋岸の平和維持(津波や暴風雨の鎮静、外敵侵入の防御)を目的とする。また、セルバ共和国第2の都市オルガ・グランデの守護も担当する。
駐在隊員は全部で5名。        

国境警備隊  
南北の国境に配備される。陸軍の国境警備隊と合同編成の部隊で、大統領警護隊が指揮権を持つが、厨房などの係も大統領警護隊が担当する。(食材を清める必要があるので)
国境検問所の警備(通行人や通行車両の検査は陸軍が行う)、ジャングルや海上、砂漠の巡視を行う。
また、空港(グラダ・シティとオルガ・グランデ)の警備も担当している。

外務省  
諸外国に置く大使館、領事館の武官として大統領警護隊の隊員が派遣される
また、本国でも各セクションの責任者として隊員が勤務している
他にも内務省、国防省などに隊員が出向している

文化保護担当部
文化・教育省に置かれている外郭団体
国内の遺跡保護と発掘作業の監視を行う
また、古代の神の呪いや悪霊のお祓いも行う


2. 長老会

各部族の長老達の中から選挙で選ばれた人々で組織するヴェルデ・シエロの最高権力組織
一族内の司法と立法を司どる
長老会のメンバーは大統領警護隊本部の地下神殿大広間で会合を行う
会合の際は仮面を装着し、個人名は決して使用しない
一族の存続を危うくする恐れのある人物の暗殺を”砂の民”に命令することが出来る
一族の反逆者を裁判にかける審判も行う


3. 長老

各部族の構成員で年齢が高く、経験豊かで、超能力が強く、術に長けている人望のある人々


4. 族長

各部族の代表
部族の成人に達している構成員による選挙で選出される

5. 憲兵隊

基本的にヴェルデ・ティエラの警察組織
主に先住民と外国人が関与する事件の捜査などにあたる
隊員の中にヴェルデ・シエロがいることもある

6. 司法警察

ヴェルデ・ティエラの警察組織
都市警察と地方の州警察がある
一般のセルバ国民の治安維持と犯罪捜査にあたる
ヴェルデ・シエロが入っていることはないが、警部以上の階級に上がると、ヴェルデ・シエロ対処法を上から教えられる


7. 陸軍特殊部隊

セルバ共和国陸軍の中の部署
大統領警護隊に採用されなかったヴェルデ・シエロの軍人の多くがここに配属されている


8. 沿岸警備隊

セルバ共和国には海軍がないので、海上警備は沿岸警備隊が行う
隊員にヴェルデ・シエロがいるのかどうかは不明


9. 7438・F・24・セルバ

テオがセルバ共和国を訪問するきっかけとなった謎のゲノムを持つ血液サンプル。
エンジェル鉱石の従業員から採取されたことだけが判明している。

2022/02/26

空の緑 用語集 6

 部族


1. グラダ

ヴェルデ・シエロの中で最も強い力を持っていた部族。
古代の大神官と大巫女ママコナは、グラダ族から輩出されていたが、力が強大な分繁殖力が弱く絶滅した。
大神官級の男性はコロシアム並の建造物を気の爆裂で一瞬にして破壊出来る。
ハリケーンなどの自然災害から国土を守る力も持っていたと言われている。
大巫女ママコナは予知能力を持っていたと伝えられている。
男のグラダ族のナワルは黒いジャガーである。
セルバ共和国の首都グラダ・シティはこの部族の名前から来ている。


2. ブーカ

ヴェルデ・シエロの中で最も人口が多い部族。
穏やかな性格の部族で古代はグラダ族の補佐をしていた様だ。
現在は政治や軍事の世界に子孫を紛れ込ませ、セルバ共和国の事実上の支配者となっている。
祭祀を司どる家系や、政治家の家系 などは貴族と呼ばれている。
部族間ミックスのヴェルデ・シエロの多くはブーカ族の血が流れていると言っても過言ではない。
植民地時代より前に権力闘争があり、敗れた一族が西海岸地方へ移住した。彼等は、オエステ・ブーカ(西のブーカ)と呼ばれ、政治ではなく農耕に従事している。
空間通路を見つけるのが上手だと言う定評がある。


3. オクターリャ

極めて人口が少なく、殆ど登場しない。
時間跳躍が得意なので、平和な時代に移住したと”ヴェルデ・シエロ”界では考えられている。


4. サスコシ

セルバ共和国第3の都市アスクラカン周辺の農村地帯に拠点を置く部族。
単一部族を重んじる純血至上主義者が多いが、開放的な家系は経済的にかなり成功している。セルバ共和国で有数の富豪一族サンシエラはサスコシ系のメスティーソで、支流にミゲール家がある。


5. マスケゴ

人口が少なくメスティーソが多いが、純血種に純血至上主義者が目立つ。ただ、サスコシ族の純血至上主義者に比べると複数部族のミックスは認めている。主に西部高地に居住していたが、現在は国内に散逸している。力は前述4部族ほど強くないが、”操心”は得意。


6. カイナ

農耕を主とする一次産業に就いている人が多い。
あまり超能力が強くないので、軍隊に入る人は少ない。
ナワルは前述5部族がジャガーであるのに対し、カイナ族はオセロットと言われている。
マスケゴ同様に西部高地を拠点としていたが、現在は全国に散逸している。


7. グワマナ

セルバ共和国東海岸南部地方を拠点とする部族。 
穏やかな性格で力も強くない。ナワルはマーゲイが多い。
漁民が多く、ゲンテデマ(海の民ゲンテ・デル・マール)と自らを称する。
穏やかで力も弱い為にヴェルデ・ティエラの社会に溶け込み、ティエラは彼等をガマナ族と呼ぶ。


8. ヴェルデ・ティエラの部族

オルガ族
アカチャ族
アケチャ族
その他


9. 砂の民

部族ではなく、ヴェルデ・シエロの存在を異人種に知られないように闇の世界で活動する人々。部族はバラバラだが、選考基準はナワルがピューマであること。
所謂「殺し屋」。
大統領警護隊に匹敵する情報網を持っている。”耳”と”目”と呼ばれる情報収集を司どる”ティエラ”を各自持っており、”耳”と”目”は自分達が操られているとは知らずに情報を集め、”砂の民”に報告する。無報酬だが、”砂の民”の守護を受けているので身の安全は保障される。





空の緑 用語集 5

 人間の呼称


1. ヴェルデ・シエロ

「空の緑」。 中米セルバ地方に古代文明を築き、紀元前に既に滅んだと言われる種族。
特殊な脳の働きで所謂「超能力」を使ってセルバ地方を支配していたと言い伝えられる。
古代遺跡には、頭部に翼がある姿で彫刻が残される。(ケツァル少佐は、「そんな翼が頭に生えていたら化け物だと思う」と言った。)
7つの部族に分かれ、それぞれ微妙に使える能力の種類や強さが異なった。
絶滅したと言われているが、実際は細々と生き残っており、セルバ国民の中に混ざって暮らしている。セルバ人の土着信仰の「神」であり、セルバ共和国はカトリック教徒の国と言う建前だが、市民は災難に遭ったり災害が来ると”ヴェルデ・シエロ”に祈る。国民の中には実際に”ヴェルデ・シエロ”が生きていることを知っている人もいて、みだりにその名を口にすることはタブーとなっている。


2. ヴェルデ・ティエラ

「地の緑」。ヴェルデ・シエロから見た普通の人間のこと。本来はセルバ先住民のことを指していたが、現在はヴェルデ・シエロでない全ての人間を指す言葉になっている。
セルバ共和国にはヴェルデ・シエロの子孫がヴェルデ・ティエラと混血して残っていることが多い。見た目は普通の中米先住民の顔をしている。また、白人との混血メスティーソの割合が純血種を上回っている。
ヴェルデ・ティエラも地域毎に多くの部族に分かれているが、近代化が進んで都市部では伝統的文化や言語が消えつつある。


3. 出来損ない

ヴェルデ・シエロとティエラ(広義の意味で)の混血の人々を指す。
気の制御が親やママコナから教わらなければ出来ないので、純血種のヴェルデ・シエロが軽蔑の意味で用いる蔑称である。
”出来損ない”は超能力を持っているミックスを指し、”心話”や夜目を使えないミックスはただの”ヴェルデ・ティエラ”と見做され、”出来損ない”とは呼ばれない。


4. 純血種

100パーセント”ヴェルデ・シエロ”の人。
広義では、複数の部族の血筋を引いている人も含め、狭義では単一部族の血統しか認めない。
従って、純血至上主義と言う右派も二つに分かれ、狭義の極右は”出来損ない”の存在を認めようとしない。身内でも異種族との婚姻で生まれた子供を殺してしまう極端な過激思想を持つ。


5. メスティーソ

白人とアメリカ先住民の混血の人々。


6. サンボ

アフリカ系とアメリカ先住民の混血の人々。


7. ムラート

アフリカ系と白人の混血の人々。




2022/02/24

空の緑 用語集 4

  ”ヴェルデ・シエロ”の超能力


16. 気

オーラ、つまり霊的エネルギーのこと。気の大きな者ほど各能力の威力が強い。
しかし”ヴェルデ・シエロ”の気は独特の波長をしているので、一般の人間や動物は本能的にそれに対して不安を感じる。それ故に”ヴェルデ・シエロ”は赤ん坊の時にママコナから気を抑える方法をテレパシーで学ぶ。しかし異人種の血が入るミックスはママコナの言葉を解せないので、気を抑制出来ないまま成長してしまい、しばしば人間社会の中で孤立してしまう傾向がある。大人になってしまうと抑制方法の習得に時間がかかる為、ある種の麻薬効果がある抑制タバコと呼ばれるタバコを吸う習慣が身に付く。


17. 封印

生まれて間もない赤ん坊の超能力を封じて使えなくしてしまう術。これをかけられた”ヴェルデ・シエロ”はかけた人から術を解いてもらわない限り、成長しても心話と夜目しか使えない。かけられる人は直系の親又は祖父母のみ。
しかし、封印をかけられた人から生まれる子供には影響がない。


18. 憑依

禁断の術。己の肉体を捨てて他の”ヴェルデ・シエロ”の肉体に魂が移動する術。元の体に還ることは出来ない。憑依された者は己の肉体を他人の魂と共有することになる。憑依した者は本来の能力を使えるが、同時に宿主に己の思考を全て読まれてしまう。宿主の同意がなければ憑依は出来ない。


19. 予知

未来に起きる出来事を視ることが出来る力。これは古代のママコナだけが持っていた。古代のママコナはグラダ族の女性のみに資格があった。


20. 五感

”ヴェルデ・シエロ”の五感は、ほぼジャガーと同じ。

空の緑 用語集 3

 ”ヴェルデ・シエロ”の超能力


10. ナワル

ジャガーやオセロット、マーゲイなどのネコ科の動物に変身する能力、または変身した姿を表す言葉。
ナワルを使えない”ヴェルデ・シエロ”は”ヴェルデ・シエロ”にあらず、と言われる神聖な能力。
ナワルを使える”ヴェルデ・シエロ”は”ツィンル”(人)と呼ばれる。使えない者を人扱いしない思想が窺え、若者達は”ツィンル”と言う単語を使いたがらない。
ナワルは純血種なら成年に達する頃に自然に変身出来るようになるが、異人種の血が入ると精神的に大きなプレッシャーを与えられなければ変身のきっかけが掴めない。また、超能力の強さによってナワルの大きさも変わる。強い力を持つグラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ族はジャガー、カイナ族はオセロット、グワマナ族はマーゲイと認識されているが、個人差があるので必ずしもそうなるとは限らない。また、部族に関係なく稀にピューマに変身する者が生まれる。
男性のグラダ族のナワルは黒いジャガーである。
滅多に生まれないが、白い体毛のナワルを持つ者もいる。古代、白い動物は「聖なる生贄」として神に捧げられていたので、現代でも白いナワルを持つ者は決して他人に己のナワルを見せない。
”ヴェルデ・シエロ”は成年になったことを証明する成年式で親、部族の長老、族長の前でナワルを披露する。その為に、長老会は全国の”ツィンル”を把握している。もし長老会に存在を知られていない”ツィンル”がいれば、異端と見なされ、”砂の民”の狩りの対象とされるので、親は必ず子に成年式を受けさせる。
ナワルは全身の細胞を変化させるので、変身を解いて人間に戻ると酷い疲労感に襲われ、丸一日眠りこけてしまう。





11. 念力

特に名前がついていない能力で、物体を手を触れずに動かす力。幻視と同様に誰でも使えるが、親に教えられて使えるようになる能力。動かせる物体の大きさは能力の強さに比例する。時に爆裂波と共に使用されることもある。


12. 読心

相手の目を見て思考を読み取る一種のテレパシー能力。
心話が思考のやり取りが出来る能力であるのに対し、読心は一方通行である。従って、相手を尋問する場合に使用する。或いは相手が普通の人間である場合に用いる。セルバ人は”ヴェルデ・シエロ”に心を読まれることを恐れて、昔から会話相手の目を見ないマナーを作り上げた。
相手に不意打ちで名前を呼んで返事をさせ、目を合わせて強引に読心を行うことを「心を盗む」と言う。この場合は相手の思考全てを読み取ってしまうので、読まれた側は急激な負担を脳に与えられ、気絶する。


13. 感応

”ヴェルデ・シエロ”は遠くにいる仲間とテレパシーで対話する能力を持たないが、危機に陥った時や仲間に呼びかける時に精神波を出す。呼ばれた側はそれを感じ取るが、返事は出来ない。


14. 霊視

”ヴェルデ・シエロ”は死者の霊を見ることが出来る。但し、霊と対話する能力はない。この能力は主に女性に多く発現する。
 悪霊や神霊を見たり、捕まえたりする能力は、修行を積まなければ身につかない。


15. 守護

”ヴェルデ・シエロ”が自分達の存在意義として最も重視する能力。
文字通り、災害から人や町を守る。具体的に何をすると言うものではなく、漠然と悪いことが起こらないように守る、と言う曖昧なものだが、一般のセルバ人が”ヴェルデ・シエロ”に祈るのは正にこの力を求めているからである。

空の緑 用語集 2

  ”ヴェルデ・シエロ”の超能力

7. 爆裂

”ヴェルデ・シエロ”版かめはめ波。
物体を破壊する恐ろしい衝撃波。人種、物質の種類に関係なく有効な攻撃方法。
人間を含む生物がこの攻撃に直撃されると細胞が破壊され、死に至る。それ故に、掟によって人間に対して用いることを厳しく禁じられており、例え殺害に至らなくても意図的に使用すると極刑に処せられる。
大統領警護隊は爆裂の攻撃を受けた時の防御の仕方を隊員に教えているが、実際に攻撃を受けなければ習得したか否か判断出来ないので、大変難しい修行である。軍事訓練の際にも使用するが、油断すると大怪我を負うので、負傷した場合の対処法を習得している指導師と呼ばれる資格を持つ隊員が必ず立ち会い監督する。
爆裂による負傷は細胞そのものに損傷を受けるので、見た目の傷が完治しても長期に渡って苦痛が残り、治らない場合もある。”ヴェルデ・シエロ”は自力で傷を完治させる速度が速いが、爆裂による傷は自力では治せないので、必ず指導師に細胞の崩壊を止めてもらうことが先決となる。この指導師の治療を「祓い」と呼び、爆裂による細胞の負傷を「呪いが残る」と言う。
グラダ族の男性の気力は強大で爆裂の威力も半端なく、コロシアム程度の大きな建造物を一人で破壊することが出来る。その力に耐え得るのは修行を積んだブーカ族、オクターリャ族、サスコシ族だけだと言われている。
なお、己が発した爆裂波を相手に跳ね返され、自ら負傷する場合もある。
また、敵が放った銃弾や砲弾を空中で破壊するのも爆裂波である。
兎に角、軽々しく使用してはいけない危険な能力である。故に普通成年式を迎えていない子供には教えないし、軍隊と無縁な生活をしている人々は通常使わない。また親から教わることもない。一般市民として生きている”ヴェルデ・シエロ”は使えないと言うのが常識となっている。但し、本来は自衛本能で発達させた能力なので、身の危険が迫った場合に無意識に使ってしまうこともある。


8. 空間通路

”ヴェルデ・シエロ”の目には空間に異次元の渦が生じているのが見える。大概は小さいので無視しているが、人が通れる大きさの渦があれば通路として利用する。通路には人間が進入出来る「入り口」と入れないが出ることは出来る「出口」がある。これらは常に動いているので、同じ場所に生じるとは限らない。「入り口」に入る時、行きたい場所を念じると瞬時にその場所へ「出口」が開き、移動出来る。但し、必ずしも希望の場所にドンピシャで行ける訳ではなく、微妙にずれたりするので、危険な場所に出てしまうこともある。複数の人数で同時に同じ「入り口」を使う時は、最初に入る人が「先導」となる。「出口」から出ることを「着地」と言うが、着地が上手くいくかいかないかは、先導者の腕次第である。
空間通路を利用する”ヴェルデ・シエロ”を目撃した人は、人間が空中で消えるように見える。また着地する瞬間を見ると、空中から突然湧いて出るように見える。その為、空間通路の使用には、目撃者となる人間がそばにいないよう確認しなければならない。
 ブーカ族は「入り口」を見つけるのが上手で、「出口」の作り方も上手だと言われている。
空間通路の出現は決して規則的なものではないので、通常の移動は普通の人間と同じ手段を用いる。 


9. 跳ぶ

時間移動のことである。
”ヴェルデ・シエロ”のタイムトラベルは、精神だけを異時間帯へ跳ばすことを意味する。
歴史を変えてはいけないと言う時間移動の決まりを”ヴェルデ・シエロ”も固く守っている。
過去へ跳ぶのは簡単だが、未来へ行くのは体力と気力を消耗する。また未来を知ってしまうと歴史が変わると言う原則があるので、未来へ跳ぶことは禁止されている。
オクターリャ族は時間飛翔が得意で、精神だけでなく肉体も跳ばせる。

空の緑 用語集 1

 ”ヴェルデ・シエロ”の超能力


1. 心話

目と目を見合わせて情報を交換する能力。一瞬にして互いが持っている情報を伝え合えるので便利な一方、油断すると伝えたくない個人情報も伝わってしまうので、情報をセイブする慎重さが必要。また、お互いの目が見える距離でなければ使用出来ない。
”ヴェルデ・シエロ”なら生まれつき持っている能力であり、この能力を持っていなければ”ヴェルデ・シエロ”ではないと見做される。但し、言語と同じように親が語りかけて使い方を教える能力でもあるので、幼児期に母親からネグレクトされたアンドレ・ギャラガは大人になってから初めて使い方を教わった。


2. 夜目

暗闇でも目が見える。但し、光がない場所ではモノクロの世界を見ているのと同じ。
身体的能力なので、視力が正常なら生まれつき誰でも持っている。
夜間の照明は必要がないのだが、周囲の人間に正体を知られないように、家の中で照明を使用している。


3. 幻視

周囲の人間の脳に働きかけて幻影を見せる能力。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも使える能力だが、親が子供に教えるものであり、教わらなければ使えない。
自分の姿を相手に「見えない」と思わせるのも幻視の一種である。なお、この能力は”ヴェルデ・シエロ”同士では効果がない。


4. 操心

人間の脳に働きかけ、意識を支配してしまい、意のままに操る能力。
ママコナからテレパシーで伝授されるが、異人種の血が混ざるミックスの”ヴェルデ・シエロ”には習得が難しい能力の一つである。通常は一つの動作や短時間の支配しか出来ないが、修練を積むと長期にわたって支配を持続させることも可能。
相手の目を見つめて支配してしまうので、一般のセルバ人は古代から話し相手の目を見ないと言うマナーとして”ヴェルデ・シエロ”から身を守る自衛手段を伝えてきた。
但し、純血種や能力の強い者は相手の目を見なくても、己の結界内にいる全ての人間を支配出来る。

5. 連結

操心と混同されることが多い能力で、”ヴェルデ・シエロ”でも間違えることがあるらしい。
他人の身体の一部を支配して動かす力。脳を支配するのではないので、連結された人間は自分の手足が勝手に動くことに恐怖を覚えることが多い。自分の実際の能力以上の行動をしたいと願う人には有り難いが、短時間しか効かない。


6. 結界

精神力で作るバリア。小さいものは結界を張る本人のみを包み、大きなものは都市一つを包みこむ規模がある。結界の大きさは修行で成長させることが出来るが、部族ごとに限界がある。修行を積んだブーカ族はサッカースタジアムを包みこめる規模の結界を瞬時に張ることが出来る。グラダ族は都市を包みこめる。
この結界は”ヴェルデ・シエロ”同士の争いで身を守るものであり、”ヴェルデ・シエロ”は自分より力の強い他人の結界を通れないが、普通の人間には意味がないと言う弱点がある。従って、銃弾や砲弾などを通してしまうので、それには別の対抗策がある。但し、刃物や矢や石の投擲と言った古代からの武器は防げる。
自分で張った結界の内側では、能力を存分に発揮出来るので、操心などを多人数に対して使いたい場合は、先に結界を張ってしまう。


2022/02/15

第5部 山の街     17

  ケツァル少佐が昼休みの直前にメールを送って来た。

ーーちょっと出かけませんか? 歩いて行ける距離ですが。

 ただそれだけの内容だ。デートなどではない、と思いつつもテオは心が躍った。大統領警護隊文化保護担当部と行動を共にすることは、いつも楽しい。その相手が少佐だと最高だ。どんな酷い状況でも我慢出来る。彼は返信した。

ーー出口で待っている。

 急いで研究室を施錠して出かけた。徒歩10分の距離、と言っても、実は大学のキャンパスはそれなりに広いので、門まで歩くと時間がかかる。15分かけて文化・教育省の出入り口に到着した。幸い少佐は彼が到着してから2分後に現れた。いつものカーキ色のTシャツにデニムパンツ。本日は一日中事務仕事です、と言う日のスタイルだ。荷物はハンドバッグではなく斜め掛けバッグだ。多分、財布と拳銃が入っている、とテオは予想した。
 彼女はテオを見ると、立ち止まりもせずに、「来い」と手で合図した。やっぱりデートではない、と心の中で苦笑しつつ、テオはついて行った。
 通りを横断して、ビルとビルの間を抜け、複雑な迷路の様な細い道を歩いた。市街地の中ほどにこんな迷宮の様な場所があるなんて意外だった。テオは己のグラダ・シティに対する知識がまだまだなことを痛感した。毎日通う職場の目と鼻の先だ。
 10分程歩いて、不意に開けた空間に出た。ビルに囲まれた四角い平地で、地面はコンクリート敷きだった。歩いて来た道の反対側に自動車2台分の幅の道路が伸びていた。その先はどこかの大通りだ。
 空間を囲む3辺は壁だったが、1辺はガレージで、自動車修理工と思われる男女が数台の車に取り組んで修理をしたり、塗装を行なっていた。テオはそれらの車が軍用車両であることに気がついた。車体に緑色の鳥の絵が描かれている車もあった。
 それに気を取られていると、一人の軍服姿の男性が近づいて来て、ケツァル少佐の前で立ち止まり、敬礼した。少佐も敬礼を返したので、テオは振り向き、その男の顔を見て、思わず笑顔を作ってしまった。

「ガルソン大尉!」

と呼んでしまってから、相手が降格された身であることを思い出して、焦った。

「・・・じゃなかった、ガルソン中尉。 ブエノス・タルデス!」

 肩章の星が一つ減ったガルソン中尉が微笑して、彼にも敬礼した。

「ブエノス・タルデス、ドクトル・アルスト。」

 大統領警護隊警備班車両部に転属させられた、と聞いたことをテオは思い出した。

「ここは貴方の職場ですか?」
「ノ、今日は車の部品調達です。普段は本部内の車両整備場にいます。」

 ガルソンが近くの修理工達の休憩所らしき場所に置かれている椅子へテオと少佐を案内した。

「貴方にもう一度お会いして、お礼を言いたかったのです。それで副司令にお願いして文化保護担当部に連絡をつけて頂きました。勿論、文化保護担当部にもお礼を言いたかったのです。」
「お礼って?」
「キロス中佐の名誉と命を助けて頂きました。そのお礼です。」

 サスコシ族のディンゴ・パジェが逮捕後に事件の真相を全て白状した。白状したと言うのは不正確だ。司令部幹部達の強力な読心能力によって、ディンゴはカロリス・キロス中佐に対して行なった気の爆裂による攻撃と、路線バスを転落させ、己の関与を隠す為に目撃者となり得た乗員乗客37人を焼き殺したことを認めざるを得なかった。
 被害者であることが判明したキロス中佐は降格を免れたが、退役せざるを得なかった。事件の発端が彼女が個人的な感情を制御出来なかったことにあったからだ。しかしガルソンは彼女が中佐の身分のままで退役出来たことを喜んでいた。そして彼女が極刑を免れたことに安堵していた。
 ケツァル少佐が感情を抑えた顔で彼に質問した。

「ご家族はどうされています?」

 ガルソンの微笑みが柔らかくなった。

「妻子は私について来てくれました。警備班なので私は官舎住まいですが、彼等は軍関係者が多く住むトゥパム地区に部屋を借りられたので、そこに住んでいます。警備班の家族持ちは2週間に1日休みをもらえるので助かっています。」

 テオは安心した。少なくともホセ・ガルソンの家族は離散せずに済んだのだ。ケツァル少佐もやっと微笑を浮かべた。

「トゥパム地区には大統領警護隊の隊員の家族が多いので、奥様とお子さんも早く慣れてお友達が出来ると良いですね。」
「グラシャス。」

 テオはパエス中尉、いや、パエス少尉のことも気になったが、恐らくガルソン中尉には元部下の近況は知らされていないだろう。
 また機会があれば、一緒にバルで一杯やろうと言って、テオはガルソン中尉と別れた。
 再び来た道を辿って帰った。

「彼等が再び出会うことはないんだろうな。」

とテオは呟いた。少佐は否定も肯定もしなかった。ただ彼女はこう言った。

「失った信頼をいつか取り戻せたら、彼等はもっと自由に活動出来るでしょう。」

 彼は溜め息をついた。

「俺は事故の原因がわかれば少しは楽になるかと思ったが、運が良くて一人だけ生き残ったと知ったら、また悲しくなった。」
「何故です?」

 少佐が彼の顔を覗き込んだ。

「今生きていることを感謝して、喜ばなければいけません。37人の命の分だけ、貴方は人生を楽しむべきです。」

 テオは彼女を見た。罪人の子として牢獄で生まれた事実を知った時、彼女は確かに落ち込んでいた。しかし、すぐに気を持ち直し、元気を取り戻した。今では誇り高く僅か3人のグラダ族の族長として生きている。
 テオは囁いた。

「君がキスをしてくれたら、人生を楽しもうって気分になれるかな。」
「試しますか?」

 少佐が悪戯っぽく微笑んだ。

 


2022/02/14

第5部 山の街     16

  大統領警護隊遊撃班は、逃亡した大罪人ディンゴ・パジェを追跡した。アスクラカンのサスコシ族には戒厳令が敷かれ、2日間外出を禁じられたそうだ。
 エミリオ・デルガド少尉はファビオ・キロス中尉と組んでパジェ家がある地区と川を挟んだ地区を担当した。そこにサスコシの族長シプリアーノ・アラゴの地所があり、デルガドは顔見知りとなったミックスのピアニスト、ロレンシオ・サイスにディンゴ・パジェを警戒するよう注意しに訪問した。するとアラゴの妻が、彼女はディンゴの顔を知っていたので、農園の向こうのジャングルへ入って行くディンゴを見たと証言した。
 直ちに遊撃班はジャングルで山狩を行った。一般人の立ち入りも禁止され、アスクラカンの農村地帯は緊張感に包まれた。
 デルガドはキロスと共にジャングルの中に分け入った。2人共海辺育ち、都会育ちなのでジャングルでの捜索活動はかなりの緊張感を伴う任務となった。
 途中でキロスが水の木を見つけ、彼等は短い休憩を取った。その時、デルガドは森の中を歩く白い物を見たような気がした。
 彼はキロスに気になるものを目にしたので、確認して来ると言った。勿論会話は全て”心話”だ。キロスはデルガドが見たものを”心話”で見て、青くなった。

ーー見てはならないものだ。

と彼はデルガドに警告した。

ーー追うな。

 しかし、デルガドは白い物を追った。キロスはついて来なかった。
 真っ白なジャガーがデルガドの前を歩いていた。斑紋すらない純白のジャガーだった。ジャガーは途中で立ち止まり、彼を振り返ったが、逃げるでもなく、怒る訳でもなく、再び歩き始めた。デルガドはそれを誰かのナワルだと確信した。ジャガーもディンゴ・パジェを追跡しているのだ。
 デルガドは気を放ってキロスを呼んだ。数分後にキロスが追いついた。彼はやはり白いジャガーと関わりを持つことに抵抗を示したが、大罪人を追わねばならない。2人は結局白いジャガーに導かれ、ディンゴ・パジェが身を潜めていた茂みを発見した。
 そこからの捕物は2人の遊撃班の精鋭の活躍だった。ディンゴ・パジェは抵抗したが、所詮戦いには素人だった。キロスとデルガドは彼を生け捕ることに成功した。大仕事をやり遂げた彼等は、白いジャガーが姿を消していることに気がついた。
 キロスはデルガドに新たな警告をした。

ーーさっき見た物は誰にも語るな。あれは聖なる生贄となる者だ。古の儀式は既に廃止されたが、あの者は誰にも知られたくない筈だ。見た物を忘れろ。

 話を聞いたテオは内心デルガド達を羨ましく感じた。 白いジャガーを目撃したなんて、物凄い幸運じゃないか! 彼は興奮を隠してデルガドに尋ねた。

「それで、君は考古学の先生に何の用事なんだい?」
「ここのケサダ教授は一族の方でしょう。見てはいけない物を見てしまった時、どうすれば良いのか、教えてもらいたいのです。」

 テオは微笑した。

「その答えは、キロス中尉から言われたじゃないか。語るな、忘れろ、だよ。」

 デルガド少尉はちょっと不満顔だったが、やがて、「そうですね」と納得した。

「教授に語ったら、掟を破ることになります。」
「俺にも言っちゃったな?」
「忘れて下さい。」

 テオとデルガドは青空の下で笑った。



 

第5部 山の街     15

  カロリス・キロス中佐の処分に関する情報を聞かないまま、1ヶ月過ぎてしまった。テオの中ではシコリが残っていた。バス事故の真相への手がかりがすぐ目の前で途切れてしまったのだ。彼はそのやるせない気分を忘れるために仕事にのめり込んだ。学生も大学事務局も、アルスト准教授がそれまでにない程熱心に研究に励むのを見たことがなかったので、驚いた。学生達とも熱心に語らい、内務省からのアカチャ族遺伝子の分析に関する質問状にも長い講義を行って、役人の頭を混乱させ、2つの部族の間に遺伝的な親戚繋がりはないと断定して見せた。

「あるとしたら、東西の交通が盛んになった今世紀の婚姻によるもので、少なくとも1世紀以上前にはこの部族間に交流はなかった。」

 内務省は仕方なく、アカチャ族とアケチャ族にそれぞれ保護政策助成金を出すことを決めた。そのニュースはサン・セレスト村にも、南部国境にも届いたのだろう。テオは村の診療所のセンディーノ医師と、ブリサ・フレータ少尉からそれぞれお礼の電話をもらった。

「別に俺の手柄じゃないですよ。元々両方の部族に交流がなかったと言う証明をしただけですから。」

 フレータ少尉からは、思いがけない情報があった。

ーーキロス中佐からお手紙をもらいました。
「中佐から?! 彼女は元気なのか?」
ーースィ。現在は退役されて、グラダ・シティ郊外の家にお住まいです。子供達に体操を教える仕事をされているそうです。
「じゃ、体も治ったんだ!」
ーースィ。私に、もし大統領警護隊を辞める時は、仕事を手伝って欲しいと書いてありました。私はまだ退役するつもりはありませんが。
「君の仕事は厳しいかい?」
ーー楽ではありませんが、日々充実しています。大勢と喋って暮らすのは楽しいですね。

 閉塞した村の厨房で一日一人で働いていた女性が、今頃きっと活き活きと南の国境で走り回っているのだろう。
 キロス中佐の無実が証明されたに違いない。と言うことは、バスを転落させたのは、ディンゴ・パジェと言う男だったのだ。テオは少しだけ気分が楽になった。
 その件に関する、少し詳細な事実を知ったのは、フレータ少尉と電話で話をした2日後だった。
 テオは大学のカフェでシエスタをしていた。ベンチで昼寝をしている彼の頬に誰かが葉っぱでちょっかいをした。目を開くと、グラシエラ・ステファンが微笑んで見下ろしていた。

「アルスト先生、お客さんですよ。」

 顔を動かすと、背が高いほっそりとした若い男が立っていた。
 テオは上体を起こした。

「エミリオ!」
「ブエノス・タルデス。」

 エミリオ・デルガド少尉は私服姿だった。彼はグラシエラを振り返り、

「案内を有り難う。」

と言った。グラシエラは頷き、笑顔でテオに手を振って歩き去った。本当にデルガド少尉を案内して来ただけのようだ。
 テオがそばの椅子を指すと、デルガドはそこに座った。

「本当は別の人を訪ねて来たのですが、今日は大学に出ておられなかったので、貴方を探していました。」
「別の人?」

 デルガドは周囲をそっと見回してから答えた。

「考古学の先生です。」

 ああ、とテオは頷いた。

「ケサダ教授以下当大学の考古学部の教授陣は、今日セルバ国立民族博物館の新館完成披露式に出かけているんだよ。」
「そうでしたか・・・警護隊にはそんな情報が来なかったもので・・・」

 デルガドは頭を掻いた。



第5部 山の街     14

 「ロホの料理が不味いと言うことはありません。」

 アスルが帰宅するカーラの見送りに部屋の外に出た時に、ケツァル少佐が言った。

「ただマレンカ家の味付けは独特なのです。ね、ロホ?」

 彼女に話を振られて、ロホは渋々言い訳した。

「実家は祈祷師の家柄なので、食事に香辛料を色々とたっぷり入れるのです。人によっては辛すぎると感じるようで・・・」
「薬の味が強いものもあります。」
「あれは滋養のハーブを大量に・・・」

 テオとギャラガは笑った。

「まさか、それをグラシエラに振る舞ったんじゃないよな?」
「・・・」
「彼女に食べさせたのか?」
「彼女は美味しいと言ってくれました。」

 その場面を想像して、またテオ達は笑った。
 アスルが戻って来た。彼が席に着くと、少佐が、「では」と言った。事件の報告会の始まりだ。一同は座り直した。

「元太平洋警備室所属のホセ・ラバルは免官され、少尉の地位を剥奪されました。気の爆裂を用いて指揮官カロリス・キロス中佐の暗殺を図り、同中佐とブリサ・フレータ少尉を負傷させた罪で、終身禁固刑を言い渡されました。」
「終身禁固刑?」

 テオの発言に、ロホが説明した。

「本部の地下にある牢獄に死ぬ迄閉じ込められます。」

 テオは沈黙した。未遂に終わった暗殺だが、超能力で人を殺害しようとすること自体が、重い罪と見做されるのが”ヴェルデ・シエロ”の掟なのだろう。その証拠にアスルもギャラガも反応しなかった。

「カロリス・キロス中佐の処分はまだ審議中です。と言うのも、彼女が3年前のバス事故にどれだけ関わったのか、はっきりしていないからです。但し、指揮官職は更迭され、新たな指揮官が既に派遣されました。」
「ディンゴ・パジェは長老の元に出頭していないのですか?」

とギャラガが尋ねた。その声には、初めからあの男を信用していませんよ、と言う響きが込められていた。ロホの方は失望した表情だったが、何も発言しなかった。

「ディンゴ・パジェは逃亡しました。遊撃班が彼を追跡しています。彼の親族はサスコシ族長老会の監視下に置かれています。彼等はディンゴが接触すればすぐに大統領警護隊に通報する義務を負わされました。もし守らなければ反逆罪に問われます。」
「ディンゴを追跡しているのは大統領警護隊だけかい?」

 テオの質問に、少佐は「ノーコメント」と言った。”砂の民”が動いているのかどうか、それは大統領警護隊に知らされないのだ。テオは不満だったが、口を閉じた。
 少佐が続けた。

「ホセ・ガルソン大尉は更迭されました。太平洋警備室は厨房のカルロ・ステファン大尉以外隊員全員が入れ替えられました。ガルソンは中尉に降格され、本部警備班車両部に本日付で転属となりました。」

 車両部が左遷部門である筈はないが、指揮の副官だった人間にとっては屈辱だろうとテオは思った。大統領府で働く人々の自動車の整備・管理をして、時には運転手も務める部署だ。それにガルソンは故郷から遠い首都で勤務するのだ。家族はどうなったのだろう。しかし、そこまでの報告はなかった。

「ルカ・パエス中尉は少尉に降格。彼は北部国境警備隊に転属しました。太平洋警備室にいたので、恐らく海上警備になるでしょう。実際に船に乗るので、地上で勤務していた太平洋警備室の人間にはきついかも知れません。」

 北部国境は砂漠と海岸を警備する。パエスは砂漠を希望したかも知れないが、懲戒処分なので希望が叶えられる可能性は低い。

「ブリサ・フレータ少尉は降格はありませんが、南部国境警備隊の厨房係に転属です。隊員は大統領警護隊と陸軍の混合編成ですから、大所帯です。収監した密入国者の世話も厨房係の担当ですから、忙しい部署です。」

 フレータは自ら希望したのだ。彼女は一番格下だったので、上官達が降格され厳しい戒めを受けた分、罪が重くならずに済んだ。しかし新しい任地の仕事は決して楽ではない。南部国境はサン・セレスト村と違って湿気が多く暑い地域だ。西部高地で生まれ育った彼女にはきつい生活が待っている。

「もし、キロス中佐がバス事故に関わっていたら、どんな処分になるんだ?」

とテオは訊いてみた。気の爆裂を受けて脳にダメージを受けた状態で37人の命を奪ってしまったとしたら、どこまで司令部は彼女の言い分を受け容れてくれるだろうか。

「どんな状況であれ・・・」

とアスルが言った。

「大勢の市民を死なせたんだ。極刑は免れない。」

 ギャラガも呟いた。

「噂で聞いた限りでは、生きながらワニの池に放り込まれる。」

 少佐が溜め息をついた。

「恐らく、それはディンゴ・パジェが負うことになるでしょう。」

 ロホが囁いた。

「ディンゴは”砂の民”に捕まるのと、遊撃班に捕まるのと、どちらがましか、考えているでしょうね。」
「自殺するなんてことはないよな?」

とテオは心配した。

「彼が真相を語らないと、キロス中佐が極刑に処せられてしまう恐れもあるだろう?」
「それを司令部は一番危惧しているのです。」

 テオはふと顔を上げた。

「ディンゴ・パジェの罪を一番最初に察知した”砂の民”は、あの人だ。」

 ロホ、アスル、ギャラガが彼を見た。少佐が天井を見上げた。

「彼の手下がどれだけ早く彼を見つけ出すか、それが問題です。」

  

第5部 山の街     13

  グラダ・シティに帰って3日間、テオは本業に没頭した。カタラーニもガルドスも論文代わりになると言う「餌」に釣られて遺伝子の分析に精を出した。そしてイグレシアス内務大臣の思惑に反する結果を出すことに成功した。

 アカチャ族とアケチャ族は遺伝子的に見て血縁関係が遠い別々の部族である。

 報告書を内務省に提出して、サン・セレスト村遺伝子分析チームは解散した。木曜日の午後、ケツァル少佐からメールが届いた。夕食のお誘いだった。場所が彼女の自宅だったので、これは週末のサン・セレスト村事件の捜査状況の報告だな、と彼は予想した。
 宴会ではないが一応招かれている側としてワインを買って持って行った。車は自宅に置いて歩いて行くのだが、アスルも呼ばれているとわかったので、やはり報告会だなと得心した。

「何度も集まるのは良いけど、マハルダが除け者になっていると拗ねたりしないかな。」

と心配すると、アスルが「けっ」と言った。

「彼女は任期が終われば思い切り少佐に甘えるさ。」

 少佐のアパートには既にロホとギャラガが到着しており、家政婦のカーラの手伝いをしていた。アスルはカーラの手伝いは己の役目だと自負していたので、ちょっとむくれた。

「たまにはゆっくりしろよ。」

とロホが弟分に言った。

「君は最近働き過ぎだ。マハルダの分まで事務仕事をしているんだからな。」

 大統領警護隊の男3人がキッチンで働いているのを見ると、テオも何かするべきかと不安を感じた。しかし、キッチンはカーラも入れて4人でいっぱいだ。参加すると却って邪魔になると気がついて、彼は客の立場に徹することにした。
 ケツァル少佐は主人だし上官なので、ソファに女王様然として座っているだけだ。テオが向かいに座ると、彼女が囁いた。

「フレータ少尉が退院して太平洋警備室に戻ったそうです。」
「早かったな。転属はまだかい?」
「事件処理が終わる頃に処分が決定します。それまでは、元の任地で勤務です。」
「フレータは国境警備隊を希望したが、ガルソン大尉とパエス中尉は村に家族がいるから転属は厳しいだろうな。」

 しかし少佐はそんな同情をしなかった。

「本部に嘘の報告を3年間続けたのです。転属は優しい方ですよ。免官や不名誉除隊もあり得るのです。もし転属になれば家族を一緒に連れて行けば良いのです。」
「ガルソンは、家族は村にいる身内が面倒を見てくれると言っていたが・・・」
「懲罰処分を受けた軍人の妻子がどんな気持ちで村で暮らしていけると思いますか?」

 テオは黙り込んだ。大統領警護隊司令部が、3年間嘘の報告を続けた太平洋警備室に対してどんな裁定を下すのか、誰にも分からない。だが、嘘を見抜けなかった本部も、いい加減だったんじゃないか、と彼は思った。
 料理がテーブルの上に並ぶと、食事が始まった。乾杯はなしだ。しかしワインは振る舞われた。みんなカーラの料理を褒め、家庭料理をじっくり味わった。

「そう言えば、ロホも指導師の資格を取っているから、厨房で修行したんだな?」

とテオが話を振ると、ギャラガがへぇっと上官を見た。

「ロホ先輩の料理をまだ食したことがありません。」
「そのうちに・・・」

とロホが話を終わらせようとすると、アスルが呟いた。

「試さない方が良いぞ、アンドレ。大尉の料理は罰ゲーム用だ。」

 何だよ、とロホが彼を睨みつけた。少佐がクスクス笑い、テオはアスルの言葉の意味を考えた。

「料理は下手なのか、ロホ?」
「人には得手不得手があります。」

 ロホはそう言いつつ、アスルにオリーブの実を投げつけた。


2022/02/13

第5部 山の街     12

  テオが毎週末の帰省からグラダ・シティに戻る時に乗車するバスがもうすぐオルガ・グランデを出発すると言うので、ケサダ教授は急いで休業中の居酒屋を出てバスターミナルへ歩き去った。テオとケツァル少佐はエル・ティティから車で来たその日にその3倍の距離をバスで戻る気分になれなかったので、再び”入り口”を探して歩いた。

「ケサダ教授はムリリョ博士に太平洋警備室の事件を伝えるかな?」

とテオが呟くと、少佐は「どうでしょう」と言った。

「今回の事件は教授が担当する仕事ではありませんし、博士にも無関係です。長老会のメンバーとして報告を受けることはあるでしょうが、事件が完結してからになるでしょう。それにサン・セレスト村で起きた事件は大統領警護隊が関わっています。”砂の民”は優先権を持ちません。」
「本部に護送されたラバル少尉は、バス事故の真相をどこまで知っているのだろう。まさか恋人の罪を一人で背負ってしまうつもりじゃないだろうな。」
「キロス中佐の記憶を内部調査班がどこまで引き出せるかで、少尉の審判の行方が変わることは確かです。ディンゴ・パジェがどこまで正直になれるかで、少尉の未来が決まるでしょう。」

 テオはサン・セレスト村で会ったホセ・ラバル少尉の顔を思い出した。無口で硬い寂しい表情をした男だったな、と思った。同性を愛するのは彼の自由だ。ただ彼は軍人で、セルバ共和国の軍隊はまだ同性愛を認めていない。上官に知られたら除隊処分になると覚悟の上でディンゴ・パジェと交際していたに違いない。そして遂に上官に見つかった時、その上官は彼に密かに恋をしていた女性だった。そこから彼等の悲劇が始まり、路線バスに乗った37人の命を奪う大惨事に発展した。そしてその事故がテオ自身の人生を変えた。
 
「何だかどっと疲れを感じた。」

 テオはグラダ大学の研究室にある冷蔵庫の中身を思い出し、気が重くなった。

「明日からアカチャ族のD N Aを分析しなきゃいけない。」
「助手に任せられないのですか?」

 彼はあくびを噛み殺した。

「そうしよう。カタラーニとガルドスにやらせて、論文の代わりにする。俺は昼寝する。」

 レンタカー屋の前に来ると、驚いたことにアスルが店から出て来た。敬礼を交わしてから、少佐が彼に尋ねた。

「サン・セレスト村は近かったのですね?」
「まぁ・・・」

 暴走族並みにスピードを出すアスルは頭を掻いて、チラッとテオを見た。

「殆ど1本道でしたから。」
「ステファン大尉は臨時指揮官を上手くこなしていましたか?」
「大丈夫だと思いますよ。ガルソン大尉とパエス中尉でしたっけ? 残っている2人のブーカ族と役割分担して3人で太平洋警備室を回しているようです。」
「オエステ・ブーカ族って言うそうだね。」

とテオは口を挟んだ。

「オルガ・グランデ周辺に住み着いたブーカ族らしい。グラダ・シティのブーカ族とどう違うのかわからないけど。」

 するとアスルはちょっと笑った。

「見た目は同じだ。グラダ・シティのブーカ族は政治にかなりの人数が関わっている。それも国政だ。セルバ共和国を動かしているのは彼等と言っても良いくらいだ。反対にオエステ・ブーカは権力闘争で負けた派閥の子孫で、農民だ。多分オルガ・グランデの市政に殆ど参加していない。オルガ・グランデはどちらかと言えば”ティエラ”の街なんだ。」

 すると少佐が部下に要請した。

「帰京しようと思いますが、”入り口”が見つかりません。一緒に探してくれます?」

 アスルが上官を見た。そしてちょっと首を傾げた。

「少佐、貴女の後ろに大きな”入り口”が開いていますが・・・」

 ケツァル少佐は傷ついたフリをした。

「知っています。でもこんな人通りの多いところで消えたり出来ませんよ。」


第5部 山の街     11

「誰もカロリス・キロスがエル・ティティでバスに乗るところを見ていないのですね?」

とケサダ教授が念を押した。

「彼女がそこでバスに乗ったと言うのは、ディンゴ・パジェと言うサスコシ族の男の口頭証言だけです。」

とケツァル少佐が認めた。

「パジェの車にキロス中佐が乗ったと言うところ迄は、中佐の”心話”による証言とパジェの口頭証言が一致しています。バスを追いかけてくれと中佐が言ったことも同じです。でもその先が、中佐の記憶にはありません。パジェは中佐がエル・ティティでバスに乗ったと口頭証言しましたが、中佐は記憶していません。」
「それなら、サスコシの男が嘘をついたのです。」

とケサダ教授は断定した。

「唯一の生存者であったドクトル・アルストは脚を折ったり、全身に打撲傷を負う大怪我をしました。 キロスは脳にダメージを受けており、その状態で無傷で転落するバスから逃れられる筈がありません。彼女はバスに乗らなかったのです。」
「では、ディンゴ・パジェは何の為にそんな嘘を・・・」

 テオは言いかけて、嫌な考えが頭を過ぎり、ゾッとした。

「バスを落としたのは、ディンゴ・パジェだった?」
「現場に他の原因がなければね。」

 教授は瓶の中の水をごくりと飲んだ。

「パジェはエル・ティティでバスに追いつけたのでしょうか? そもそもバスはエル・ティティで停車したのですか?」

 テオは考えた。前夜警察署で事故当時の資料を読んだケツァル少佐が「ノ」と言った。

「エル・ティティで停車したなら、誰かがバスから降りたか、乗ったかです。しかし犠牲者にエル・ティティの住人はいませんでした。降りてエル・ティティに到着する迄のバスの様子を証言した人もいませんでした。バスは、アスクラカンからオルガ・グランデ迄ノンストップで走っていたのです。」
「では、ディンゴ・パジェはバスを追いかけてエル・ティティを通過したのでしょう。キロスはバスの乗客に用があったので、オルガ・グランデで追いついても良かったのです。しかしパジェはそんな遠くまで行きたくないと思った筈です。」
「彼はバスを止めようとした?」
「恐らく。落とすつもりはなかったと思います。しかし、あの細い未舗装の山道で大きな車両を急停止させればどうなるか?」

 ケサダ教授がテオと少佐を見比べた。学生に質問する先生そのものだ。テオが答えた。

「急停止をかけたことによってハンドルを取られたバスは、崖から落ちた・・・」
「そんなところでしょう。火が出たので、パジェはそのままバスを焼いてしまった。彼の車が後ろを追いかけて来るのを目撃していた乗客がいたかも知れませんからね。ドクトル・アルストは運が良かったのだと思います。きっとバスが転落する際に窓から投げ出されたのです。そしてパジェの目に留まらなかった。」

 テオは泣きたくなった。本当に、ただ運が良かっただけなのか? だがどんなに考えても、それ以外に彼が助かった理由を思いつけなかった。
 ケサダ教授が少佐を見た。

「キロスはどうやって太平洋警備室に戻ったのです?」

 少佐が首を振った。

「それも彼女の記憶にありません。パジェは彼女がバスに乗ったのを見て、アスクラカンに帰ったと言ったそうです。」
「意識が混濁している人間が一人で太平洋岸に帰れる筈がありません。パジェは彼女が何も覚えていないことを確信して、通りかかった”ティエラ”を”操心”か何かで動かし、彼女を送らせたのでしょう。」
「何故彼女を殺さなかったのですか?」
「それはパジェに訊いてみないことには・・・」

 教授は苦笑してから、己の考えを述べた。

「彼の恋人のラバルは上官を死なせたと思い込んで帰ったのでしょう。だから、パジェはラバルを安心させる為に生きている中佐が必要だった。中佐は脳を損傷しているから、記憶がない。生かして帰し、ラバルに見張らせたのです。もし彼女が記憶を取り戻したら、その時に始末してしまえば良いと思ったかも知れません。」

 ケサダ教授の推理は説得力があった。テオはディンゴ・パジェがロホの忠告通りに長老の元に出頭したとは到底思えなかった。それを教授に告げると、教授は言った。

「そんな場合の為にピューマが存在するのです。」


第5部 山の街     10

  ケサダ教授はテオとケツァル少佐を1軒の居酒屋へ連れて行った。店はまだ日が高いからと言う理由ではなく、日曜日なので休業していた。教授は慣れた様子で鍵がかけられているドアを開き、2人を中に招き入れた。ブラインドを通して陽光が差し込み、屋内は明るかった。厨房に近いテーブルで年配の男性が数人カード遊びをしていたが、教授が「場所を借りる」と一言言うと、素早く立ち上がり、店の奥に姿を消した。
 少佐は彼等の関係を敢えて訊かずに、男達が使っていたテーブルの隣に腰を降ろした。それでテオも座ると、教授が厨房から冷えた水の瓶を3本持って来た。
 椅子に腰を落ち着かせると、彼はテオと少佐を見た。

「さて、何があったのか、教えて頂けるかな?」

 それでケツァル少佐が”心話”で知り得た情報を彼に伝えた。指導師の試しを終えたカルロ・ステファン大尉が太平洋警備室に派遣され、そこで指揮官カロリス・キロス中佐が心の病に罹っていることを部下達が本部に隠していることを知ったこと、ステファンの祓いを受けた中佐と部下のフレータ少尉が、同じ部下のラバル少尉によって気の爆裂で暗殺されかかったこと、ラバルは逮捕され、キロス中佐は”心話”で3年前にアスクラカンで起きたことを告白したこと。

「キロス中佐は3年前エル・ティティで起きたバス転落事故に関係していると思われる証言をしましたが、その部分の記憶だけが酷く曖昧で、実際のところ、バスに何が起きたのか判然としません。バス事故の唯一人の生き残りであるドクトル・アルストはどうしてもその部分を知りたいと思っているのです。」

 テオも言った。

「俺の記憶でその部分だけが抜け落ちて、何も思い出せません。俺はどうしても知りたい。何故37人の人々が死ななければならなかったのか、知りたいのです。」

 ケサダ教授は遠い過去の出来事を聞いている、そんな顔だった。無理もない、彼は事故に関して、全く無関係だったのだから。

「つまり、その女性中佐は部下の男性が同性の恋人と会っていた場面に遭遇し、逆上して彼等と口論になった。恋人の男が気の爆裂で彼女を打ちのめした。」
「スィ。」
「まず、それは大罪です。気の爆裂を人間に向けて使うことは禁止されています。」
「知っています。それは、サスコシ族の男の罪です。キロス中佐はもっと大きな罪を犯した可能性があります。」
「彼女はダメージを受けた脳を抱えたまま、バスに乗り込み、一族の者の血液を外国に売却した疑いのある医師に検査を受けた人間の名簿を出せと迫ったと、あなた方は考えたのですね?」
「スィ。そして医師に拒まれ、名簿を気の力で焼き払おうとした。しかし脳は傷ついていた。だから彼女は人間に火を点けてしまった・・・どうでしょう? 俺の推理はおかしいですか?」

 ケサダ教授がケツァル少佐に視線を向けた。

「キナ・クワコをその瞬間に跳ばしたりしていませんね?」
「していません。」
「ふむ・・・」

 教授はテオに視線を戻した。

「何故貴方は助かったのです?」
「俺もそれを知りたいです。」
「キロスも助かった。」
「彼女がバスに乗っていたなんて知りませんでした。昨日初めて知ったのです。それも、彼女を打ちのめしたサスコシの男が教えてくれたのです。彼女の記憶にはバスに乗ったことが残っていない様なので・・・」

 少佐が頷いた。

「キロス中佐は、ラバル少尉の恋人に車でバスを追いかけてくれと言いました。そこまでの彼女の記憶は私に読み取れました。しかし、その後のことは彼女の記憶が混沌として、どうしても読めませんでした。仕舞いには私自身が頭痛に襲われて、先に進めませんでした。」
「呪いがかかった脳の記憶など、読まない方がよろしい。」

とケサダ教授は言った。いつもの様に淡々としている。それがこの人の生来の性格なのか、それとも養父ムリリョ博士に厳しく仕込まれた結果なのか、テオにはわからなかった。ただ、彼の目の前に座っている男は、現代のセルバ共和国で生きている”ヴェルデ・シエロ”の中で最強の超能力者なのだ。その大きな力を保持していることで、彼は余裕を抱いているのかも知れない。
 暫く考え込んでいたケサダ教授が視線を上げた。

「キロスがバスに乗ったのはどの辺りでしたか?」
「エル・ティティです。」
「誰か彼女がバスに乗るのを目撃しましたか?」
「それはロホがサスコシの男ディンゴ・パジェから証言を取りました。」
「”心話”で?」

 え?とテオは返事に窮した。ロホからの報告にもギャラガからの報告にも、そこのところは口頭になっていた。いや、ディンゴ・パジェは個人情報を洗いざらい知られるのを嫌って、全て口頭で証言したのだ。
 ケツァル少佐もそれを思い出し、いきなり彼女は不機嫌になった。

「私の部下達は詰めの甘い人間ばかりです。」

と彼女は悔やんだ。ケサダ教授は教え子達の失敗を無視した。元より文化保護担当部の捜査は非公式で彼等が土曜日の軍事訓練として独自に行ったものだ。少佐が「失礼」と断って、店舗の隅っこへ行った。そこで電話を出して、誰かにかけた。恐らくロホかギャラガに尋問方法の確認をとっているのだ。
 テオは溜め息をついた。真相に近づきそうになると逃げられる、そんなことの繰り返しに思えた。
 教授が彼に尋ねた。

「昨日病院にいたと言うピューマに貴方は顔を見られましたか?」
「見られていないと思いますが、確信出来ません。」

 そしてテオの方からも尋ねた。

「貴方は”目”や”耳”から今回の事件を何も聞いていらっしゃらないのですね?」

 すると教授は苦笑した。

「私はこの街ではそんな手下を持っていません。」
「では、さっきのミラネスと言う人は?」
「彼は市役所の職員です。西部地方の遺跡を発掘する時に、うちの学生達に色々と世話を焼いてくれる親切なお役人ですよ。」

 多分、ムリリョ博士の”目”か”耳”なのだ、とテオは思ったが、それ以上突っ込むのは止めた。
 少佐がテーブルに戻って来た。

「ロホに、本部へ報告する際に、口頭での証言であると必ず付け足すよう注意しておきました。」

 教授が笑った。

「証言を取ったと聞くと、すぐに”心話”で得た情報だと思い込む、一族全体の悪い癖だ。」

 少佐が赤くなった。

第5部 山の街     9

 「先刻のセニョール・ミラネスは、貴方の”目”か”耳”ですね?」

とケツァル少佐が尋ねた。ケサダ教授は微笑を浮かべたが肯定も否定もしなかった。彼は着替えた繋ぎを入れたらしいリュックサックを肩にかけ、テオと少佐を眺めた。

「まさか、遺跡を見学に来たと言う訳ではないですね?」

 少佐が傷ついたふりをした。

「私はこれでも考古学を学んだ人間ですよ、教授。新発見の遺跡の近くへ来たら、見たくなるのは当たり前でしょう。」

 テオも頷いて見せた。

「俺が見に行こうって彼女を誘ったんです。」
「だが、オルガ・グランデに来た本当の目的は別でしょう。」

 ケサダ教授が歩き出したので、2人は付いて行った。薄暗い教会から外に出ると陽光が眩しかった。少佐が大股で歩く彼の横に並び、早口で言った。

「昨日、陸軍病院でピューマと出会しました。」
「そうですか。」

 教授は動じなかった。無関係だと言いたげに歩き続けた。少佐が珍しく彼に揺さぶりをかけようとした。

「彼は仕事をしくじった様です。大統領警護隊内部調査班と鉢合わせして、一悶着あった様です。」
「内部調査班?」

 教授が歩調を全く崩さずに彼女を振り返った。

「大統領警護隊の内部で何か失態がありましたか?」

 テオは普段通りのケサダ教授のポーカーフェースに少し苛っときた。

「大罪人に尋問しようとして、彼は失敗したんですよ。そこに内部調査班が来た。」
「大罪人とは、穏やかではないですね。」
「ええ、大統領警護隊は絶対に真相を外部に知られたくないでしょう。」
「でもピューマの耳に入っています。彼はどれほどの大罪なのか、理解しているでしょうか。」

 不意に教授が立ち止まったので、少佐とテオは勢いで数歩前に進んでしまった。振り返ると、教授が尋ねた。

「あなた方は私に何を求めているのです?」


第5部 山の街     8

 ”入り口”がありそうな場所を探しながら、前日の早朝に出て来た場所に向かって歩いていると、ケツァル少佐がふと足を止めた。”入り口”を見つけたかと思って、テオも足を止めた。

「見つけたかい?」
「スィ。でも別の物です。」

 少佐が民家の屋根の向こうに見えている塔を指差した。

「教会です。サン・マルコ教会ですよ、床下に遺跡がある・・・」
「ああ、あそこか。」

 アンゲルス鉱石が坑道拡張工事をしていてぶち当たった遺跡がある場所だ。文化保護担当部の指揮官であるケツァル少佐の好奇心が疼いた様だ。テオはそれを敏感に感じ取り、提案してみた。

「時間がありそうだから、ちょっと覗いてみようか?」

 2人は大きく迂回する曲がった道路を歩いて行き、大して大きくもない教会に15分後には行き着いた。オルガ・グランデにはもっと大きな大聖堂があり、そこは観光客も訪れることがあるのだが、サン・マルコ教会は無名に近く、観光マップにも載っていなかった。教会の前は大概広場だったり、道路の幅が広く取ってあるものだ。サン・マルコ教会の前も道路が広くなっていた。しかし屋台などは出ておらず、土産物屋もなかった。靴屋や革製品の加工所が数軒看板を出していたが、日曜日なので閉まっていた。
 教会の扉は少し開いていたので、簡単に中に入れた。木製の長椅子が正面の祭壇に向かって並び、中央の通路の中ほどに男性が一人立っていた。カーキ色のジャンパーの下にTシャツを着込み、腰から下はデニムパンツにスニーカーを履いた中年の男性で、床石を剥がして口を開けている穴を覗き込んでいたが、テオ達が入ると振り返った。
 テオは声を掛けた。

「ブエノス・タルデス!」
「ブエノス・タルデス。」

 男も挨拶を返した。彼の足元に小さな看板が立てかけてあった。

 地下遺跡調査中

 それを見て、ケツァル少佐が緑の鳥の徽章を出して彼に見せた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です。新しく発見された遺跡を見に来ました。」

 すると男性がポケットに入れていたストラップ付きのI Dカードを出した。

「オルガ・グランデ市役所の文化財保護課のミラネスです。以後お見知り置きを。」

 それでテオも名乗った。

「グラダ大学生物学部で准教授をしているアルストです。ミゲール少佐に誘われて遺跡を見に来ました。もしミイラの遺伝子を調べたければ、私の研究室にご依頼下さい。」

 ミラネスが微笑した。

「恐らくここにいるミイラは全員オルガ族の神官だと思います。もし不審なミイラがあれば検査をお願いします。」

 少佐とテオは穴のそばへ近づいた。階段が地下へ降りていた。小さな裸電球がラインに繋がれて3つばかり、階段の周辺を照らしていた。穴の深さは 10メートルはあるだろうか。遺体を置く岩棚は穴から見えなかった。

「不審なミイラと言えば・・・」

とミラネスが言った。

「ここが発見された時に、墓泥棒のミイラがありました。」
「知っています。私の研究室で荷解きしました。」

 おや、とミラネスがテオを見て笑った。

「それじゃ、教授が仰っていた遺伝子学者と言うのは、貴方でしたか。」

 教授? とテオが聞き返すと、ミラネスが穴の底に向かって怒鳴った。

「グラダ・シティからお友達が来られていますよ、教授!」

 ケツァル少佐が両手を頭の上に置いた。まさか恩師が来ているとは・・・。そんな顔だった。
 返事がなかったが、穴の底に人間の頭が見えた。ライト付きのヘルメットを被った男性で、上をチラリと見上げて、階段を登って来た。
 フィデル・ケサダ教授だった。普通の人間の様にヘッドライトを装着してヘルメットを被り、動き易い様に繋ぎの服を着ていた。彼は客を見て、ブエノス・タルデスと挨拶した。そしてミラネスを振り返った。

「見学は終わった。後片付けをしておくから、君は帰ってもよろしい。日曜日に駆り出してすまなかった。」

 ミラネスは微笑して、教授に挨拶し、テオと少佐にも笑顔で別れを告げると教会から出て行った。
 ケサダ教授は穴の下の照明の電源を切り、床石を元に戻した。テオも手伝いながら尋ねた。

「”シエロ”のミイラは混ざっていなかったのですね?」

 ケサダ教授が彼を見て、微笑した。

「幸いにね。」

 床石がきちんと穴を塞ぐと、教授は「地下遺跡調査中」の看板を抱えて教会の奥へ運んで行った。
 少佐が床石を眺めた。他の箇所の石と変わらない。目印らしきものが付いていないので、祭壇からの石の数で入り口を探さなければならないのだろう。この入り口を見つけたのは、市役所の文化財保護課のお手柄だ。
 繋ぎを脱いで手と顔を洗ったケサダ教授が戻って来たのは10分以上後だった。

第5部 山の街     7

  ブリサ・フレータ少尉の病室には女性が一人見舞いに来ていた。少尉とよく似た顔で、姉妹だとわかった。少尉が彼女を姉だと紹介し、ケツァル少佐とドクトル・アルストだと彼女に紹介してくれた。妹の上官だと知った女性は、気を利かせてロビーの売店に行ってくると言って部屋を出て行った。
 フレータ少尉はまだ頬にガーゼを貼っていたが、前日より血色が良くなり、ベッドの上に起き上がっていた。”ヴェルデ・シエロ”らしく回復が早いのだ。

「気分はいかがですか?」

と少佐が尋ねると、「ビエン(良いです)」と答えた。そして訊かれる前に言った。

「昨晩、内部調査班が来ました。」
「どんなことを訊かれましたか?」
「最初に私の体調を気遣ってくれて、それから爆発事故当時のことを訊かれました。最後はキロス中佐とラバル少尉の仲はどうだったかと・・・私には昨日貴女にお話したこと以外に話すことはありませんでした。」

 テオが尋ねた。

「君は太平洋警備室に配属されてから、ずっと厨房で勤務していたのだろう? 食事はいつも中佐とラバル少尉と3人一緒だったよね?」
「スィ。」
「2人の食事の時の様子に変化はなかったかい? 3年前に突然中佐の様子が変わってしまう前と後で・・・」

 フレータ少尉が考えこんだ。

「あの2人は普段、あまり会話をしなくて・・・どちらも私には世間話などで話しかけてくれましたが、中佐とラバル少尉が話をする時はいつも仕事で生じた問題ばかりでした。3年前の中佐の突然の異変から後は、中佐が殆ど口を利かなくなり、目もどこを見ているのかぼんやりした状態で、ラバル少尉も私も見えていない感じでした。」
「3年間ずっと?」
「スィ。あ、でも・・・女の私には時々話しかけてくれました。料理の出来具合の感想や、厨房の設備の具合や、村の出来事とか・・・昔通りでした。」
「他の部下達には?」
「ガルソン大尉には、副官ですから、時々指示を出されました。本当に時々です。まるで思い出したかのように。後はずっと沈黙して座っているだけでした。」
「食事の時のラバル少尉には?」
「殆ど無視でした。少尉も中佐が危ないことをしないように見張るだけで・・・。」
「危ないこと?」
「熱湯が入った薬缶を触ったり、包丁の置き場に近づかないように・・・」
「ああ、そう言うこと。」

 ラバル少尉は恋人が中佐に致命傷を与えてしまったと思い込み、一足先に勤務場所に戻った。しかし中佐は生きていて、脳に受けたダメージで朦朧とした状態のまま帰ってきた。少尉は恋人と連絡を取って、中佐を監視していたのだろう。指導師の祓いを受けていない中佐が正気に帰る可能性は低いと踏んで。そして幸いなことに副官のガルソン大尉が中佐の異常を本部に隠してしまった。少尉は適当な時期を見計らって大統領警護隊を去り、恋人とどこかへ行くつもりだったのではないか。しかし、本部は3年も経ってから太平洋警備室の異常を察知して、指導師のカルロ・ステファン大尉を送り込んで来た。そこからラバル少尉の計画は崩れたに違いない。
 
「内部調査班は貴女の処遇について何か言いませんでしたか?」

 ケツァル少佐がフレータ少尉の将来を気遣って尋ねた。フレータ少尉が寂しそうに笑った。

「退役年齢まで少尉のまま、サン・セレスト村の厨房で勤務するか、国境警備隊の厨房で勤務するか選ぶように言われました。もしくは、退役して故郷に帰るか・・・」

 ケツァル少佐はちょっと考えた。そして言った。

「私は貴女にどれを選べとは言えません。ただ、国境警備隊の厨房係は、捕らえた密入国者の食事の世話もしなければならないので忙しいですよ。隊員も大統領警護隊だけではなく、陸軍国境警備班の合同編成ですから、太平洋警備室に比べると大所帯です。」

 するとテオには意外に思えたが、フレータ少尉の目が明るく輝いた。

「国境警備隊に行かせてもらえるのでしたら、そちらが良いです。」

 閉塞的な太平洋警備室よりマシだと思えるのだろう。ケツァル少佐が微笑んだ。

「次に本部の人が来たら、そう告げなさい。昇級は望めないかも知れませんが、新しい出会いがあるかも知れません。」
「グラシャス、少佐!」

 別れを告げて部屋を出ようとして、テオはふと思いついた質問をしてみた。

「少尉、君はカイナ族だったね。カイナ族にカノと言う家族はいるかい?」
「カノですか?」

 フレータ少尉はちょっと首を傾げ、数秒後に何か思い出して首を振った。

「古い家系ですね。もう離散して、いませんが。」
「離散した?」
「スィ。植民地時代に白人の血がかなり入ってしまった家系で、セルバ共和国が独立した時にカイナ族の他の家系から仲間外れの様な仕打ちを受けたために、オルガ・グランデから離れて東へ移って行ったと聞いています。」
「それじゃ、カノ家には早くから白人の血が流れていたんだね?」
「そう聞いています。」
「グラダ・シティにカノ家の子孫がいてもおかしくない?」
「寧ろ、そちらの方が生き易いのではないでしょうか。白人の血が入ると気の制御が難しくなります。”ティエラ”になって生きていく方が幸せな人生を送れると思いますよ。」

  フレータに別れを告げて、テオとケツァル少佐は病室を出た。階段を下りながら少佐が囁いた。

「アンドレの白人の血はかなり昔からのものの様ですね。」
「うん。彼の父親が本当に白人だったのか、ちょっと怪しくなってきたな。」




2022/02/12

第5部 山の街     6

  食堂を出て陸軍病院の前に来ると、病院の敷地内に搬送用のバンが駐車しているのが見えた。バンの前後にジープが1台ずついるのを見て、ケツァル少佐が「先を越された」と呟いた。

「内務調査班か?」
「恐らく、キロス中佐を陸軍基地に運んで、そこから空軍機でグラダ・シティに護送するのです。」
「事情聴取は終わったのかな?」
「多分、私が得たのと同程度の情報を中佐は伝えたでしょう。内部調査班は馬鹿ではありません。中佐がまだ何か隠していると考え、本部で尋問するのです。司令部は指導師の集団ですから、どんなに中佐が頑固に情報を隠しても打破されてしまいます。」
「ダメージを受けて記憶が曖昧になっていた時間のものも、引き出されるのか?」
「脳のどこかに記憶が残っていれば全て・・・心を盗まれるのと同じ状態です。」

 司令部はキロス中佐から真相を引き出せるだろう。しかしテオに、3年前バスの中で何が起きたか教えてくれない。
 テオはやるせない気分になった。自分が真相を知らなければ37人の犠牲者が浮かばれない、そんな気持ちだった。

「司令部は君にも教えてくれないのか?」
「私は完全な部外者ですから。」

 少佐も悔しそうだ。

「俺は部外者じゃない。3年前、何が起きたか知りたいんだ。」

 テオは歩き出した。病院の門をくぐった。少佐が黙ってついて来た。行くなとは言わない。病院は面会を受け付ける時間帯だった。ジープと搬送車の横を通り、正面入り口から建物の中に入った。車のそばには警護の兵士が立っていた。
 内部は普通の病院と変わらない。面会に来た家族や友人達とソファに座って話をしている入院患者や、面会者に付き添われて散歩をしている患者、スタッフと話をしている面会者。
 エレベーターの扉が開いて、ストレッチャーに乗せられた患者が兵士に囲まれて出て来た。看護士が点滴の装備を支えてくっついていた。包帯に包まれたキロス中佐の顔ははっきりと見えなかった。思わず近づこうとしたテオの腕を、少佐が後ろから掴んで引き止めた。

「中佐は麻酔で眠っています。」

と彼女が囁いた。

「一族の人間を護送する時の常識です。」

 キロス中佐は危険人物と見做されている。ダメージを受けて3年間夢と現を行き来していた彼女の精神状態を司令部は信用していない。
 ストレッチャーの後ろから内部調査班の2人が現れた。調査班の少佐がテオとケツァル少佐に気がついて顔を向けた。ケツァル少佐が彼に視線を合わせた。
 ストレッチャーと兵士達と内部調査班は外へ出て行った。
 グッと彼等を睨みつけたテオに、後ろから少佐が囁いた。

「内部調査班に、貴方がバス事故の生き残りで、事故原因の真相を知る権利がある、と伝えておきました。」
「向こうは何て?」
「上層部に伝えておく、と。」

 テオはアスルの十八番の「けっ」と言いたくなった。
 少佐はエレベーターを見た。

「フレータ少尉はまだここにいるようですね。」
「彼女は本部が知りたがるような情報を持っていないからだろう。」
「もう一度彼女に会ってみませんか?」

 彼女は既に階段に向かって歩き始めていた。テオは搬送車にストレッチャーが乗せられるのを見ていたので、気がつくと既に彼女は階段を上りかけていた。急いで追いかけた。

「フレータに今更何を訊くんだ?」
「何も得ることはないかも知れませんが、彼女はカルロが着任する迄、中佐とラバルと3人で毎日食事をしていたのでしょう?」

 あっとテオは思った。どうして今迄それを思い出さなかったのだろう。フレータ少尉はキロス中佐とラバル少尉の関係を知っていたのかも知れないのだ。

 


第5部 山の街     5

  余計なことを言った罰として、アスルはオルガ・グランデまでの運転を任された。テオはゴンザレスとハグし合って別れを告げ、再び西に向かった。途中で事故現場を通過した。昨夜は暗くなりかけていたので、気づかずに通り過ぎてしまったことを、彼はちょっぴり恥ずかしく思った。車内で犠牲者達に祈りを捧げた。こんな時だけクリスチャンになるのもどうかとは思うが、祈ることしか彼等にしてやれない。一人だけ生き残ったことに罪悪感を抱いた時期もあったのだ。身元が判明してアメリカに連れ戻された時だ。記憶を失う前の己がどれだけ我儘で身勝手で他者への思いやりの欠片もない人間だったと知った時だ。何故一人だけ死ななかったのかと苦しんだこともあった。だが、今は違う。事故の真相を明らかにする為に生き残ったのだ。彼はそう信じていた。
 軍隊流と言うか、”ヴェルデ・シエロ”流と言うべきか、アスルは山間部の細い道路をぶっ飛ばして昼前にオルガ・グランデに到着した。陸軍病院の近くでテオとケツァル少佐は車を降りた。2人を降ろすと、アスルはそのままサン・セレスト村に向かって走り去った。昼食はどうするのだろうとテオはちょっと心配した。市街地を出ると飲食店はほとんど見当たらないのだ。
 ケツァル少佐はそんな心配を全然していなくて、昨日昼食を取った店に入って、再びお昼ご飯を食べた。内部調査班はもうキロス中佐から事情聴取をしただろうか。ラバル少尉の同性の恋人を見て逆上した中佐の、個人的な動機で始まった事件を、彼等はどう処理するのだろうか。

「正直なところ、ちょっと失望している。」

とテオは言った。少佐が黙って彼を見た。

「不謹慎な考えだが、バス事故の原因が一人の女性の嫉妬心だったと言う話に収まりそうだから。国家的な陰謀があって、それを阻止する為に中佐が起こした事故だったなら、犠牲者も少しは浮かばれるんじゃないかと思ってしまったんだ。」
「確かに中佐は嫉妬心からラバル少尉と口論になり、彼の恋人から気の爆裂を浴びせられました。そして正常な判断を下せない状態で、鉱山労働者の血液を外国に売却した医師を追いかけました。バスの中で何が起きたのかはわかりませんが、少なくとも痴話喧嘩ではなかった筈です。」

 テオは何気なく店の厨房の方を見た。コックが羊の肉を焼く匂いが漂っていた。

「もしかすると、中佐はバルセル医師に労働者の名簿を渡せと迫って拒まれたんじゃないかな。医者にすれば突然バスに乗り込んで来た軍人の女に大事な商売道具を渡したくなかったろうさ。或いは、名簿なんて持っていなかったかも知れない。医者が名簿を持ってアスクラカンに行ったと言うのは、アンゲルス社長から中佐が引き出した情報だろ? バルセルは名簿を自宅に置いて出かけたのかも知れないじゃないか。兎に角、中佐は名簿を手に入れることが出来なかった。」

 カウンター越しに、コンロの炎が一瞬高く上がるのが見えた。羊の脂が滴り落ちたのだ。

「キロス中佐は朦朧とした頭で思ったんじゃないか? 名簿を渡してもらえないのなら、ここで焼き払ってしまおう、と。」

 少佐が彼の想像に驚いて口を開けた。そして小さく頷いた。

「彼女は焼いてしまったのですね、名簿ではなく、バルセルと乗客達を・・・」
「そして運転士までも・・・”ヴェルデ・シエロ”が含まれているかも知れない名簿を外国に渡すぐらいなら、バスの乗員乗客を皆殺しにしてでも阻止しようと彼女は思ったに違いない。」
「そして一族の力が及ばない貴方だけが燃えなかった・・・」
「おかしな話だが、それしか思いつかない。」

 いきなり少佐が皿の上の食べ物を口に忙しく運び出した。さっさと食べて、さっさとキロス中佐に会おうと言うことだ。テオも慌ててフォークを持ち直した。

第5部 山の街     4

 就寝したのが何時だったのか、テオは覚えていない。2人並んで天井を見上げながら、ラバル少尉とディンゴ・パジェの今後を考えたりしているうちに眠くなって寝てしまった。目が覚めた時はもう日が昇りかけていて、台所でケツァル少佐が豆を煮込む匂いが漂っていた。家の外に出て共同井戸で顔を洗っていると、アスルがやって来た。朝食の支度だ。

「自宅に帰った巡査の分は必要ないぞ。」

と言うと、アスルはわかっていると言いたげにチラリと見返しただけだった。
 朝食は大統領警護隊とゴンザレス家の2人で台所と居間の好きな場所で取った。ギャラガが気を利かせて夜勤の巡査へパンとコーヒーの差し入れを持って行った。

「さて、今日の予定ですが・・・」

 ロホが少佐にお伺いを立てるかの様に上官を見た。

「土曜日の軍事訓練は終了です。」

と少佐が宣言した。

「ロホとアンドレはアスクラカンで得た情報を本部の内部調査班に報告しなさい。向こうが越権行為だと言えば、私の命令でしたことだと言いなさい。事実ですから。」

 テオはロホがちょっと悲しそうな顔をしたことに気がついた。密かに恋路を楽しんでいた軍人と民間人の細やかな幸福が突然の上官の出現で壊されてしまったことへの、同情だろうか。 ギャラガの方は平然としていた。もしかするとサスコシ族の男に何か気に障ることを言われたので、同情する気にならないのかも知れない。
 ロホは上官の言葉に短く「承知」と答えた。そして少佐に、貴女は? と尋ねた。

「私はオルガ・グランデに戻ってもう一度キロス中佐に会って見ようと思います。」

 彼女が振り返ったので、テオは「俺も行く」と言った。彼女が頷いた。アスルが尋ねた。

「私はどうしましょうか?」
「貴方はサン・セレスト村へ行って、カルロにこれ迄にわかったことを伝えて下さい。彼は遊撃班から撤収命令が出る迄あの村から動けません。恐らく何が起きていたのか、内部調査班は遊撃班に教えないでしょうから、きっと彼はヤキモキして過ごしていることでしょう。」
「ガルソン大尉とパエス中尉に情報を与える必要はありませんね?」
「必然性はありません。彼等が庇ってきた上官が、極めて個人的感情でラバル少尉との間に問題を起こし、その結果自分が傷ついてしまったことを知れば、彼等はどうするでしょうか。」
「なんだか惨めです。」

とアスルが呟いた。

「彼等は自分達のキャリアに傷が付くことも辞さない覚悟で上官を庇って来たのに。」
「3年前バスの中で何が起きたのか、真相が解明される迄、太平洋警備室の2人には情報を与えない方が良いでしょう。司令部が真相解明前に彼等を更迭してしまう可能性もありますが、恐らく彼等にキロス中佐が明かす真相を本部が教えると思えません。」
「では、ステファン大尉に情報を伝えたら、グラダ・シティに帰還します。」

 少佐が立ち上がったので、男達も立ち上がった。敬礼を交わし、ロホとギャラガは外へ出て行った。ロホのビートルに彼等が乗り込む音が聞こえた。
 アスルが素早く動いて食事の後片付けを始めた。オルガ・グランデまで、昨夜使用したレンタカーで3人一緒に戻るのだ。テオは署へ行って、巡査達に挨拶した。

「いきなり押しかけて、すまなかった。」
「構わないよ、大統領警護隊と同じ屋根の下で仕事をしたなんて、末代までの自慢になる。」

 大袈裟だな、とテオは笑った。

「だけど、良い人達だったな。」

と別の巡査が言った。

「みんな親切だった。もっと怖い連中かと思っていたけど。」
「うん、テオが語っていた通りの気の良い人達だ。」
「大統領警護隊はセルバ国民を守っているんだ。悪いことさえしなければ、国民には優しいんだよ。」

とテオは言った。
 家に帰ると、ゴンザレスが居間の椅子に座って、困惑していた。大統領警護隊が台所で皿や鍋を洗ったり、寝室に掃除機をかけているのだ。田舎の警察署長はとても困っていた。ケツァル少佐がモップ掛けも必要ですかと訊いた時、彼は結構と即答した。

「それは倅の仕事だ。客にしてもらうことじゃない。」

 少佐が真面目に反論した。

「我々は客ではなく、業務でここを使用しました。撤収に際して掃除をするのは当たり前です。」
「しかし・・・」
「親父!」

 テオは声をかけた。

「この人達はいつもしていることをしているだけだ。口出しするなよ。」

 すると後ろでアスルが言わなくとも良いことを呟いた。

「そのうち少佐の家になる可能性もあるしな・・・」



第5部 山の街     3

  アントニオ・ゴンザレスの家は平家で、エル・ティティの庶民の普通の家屋だった。部屋の配置も単純で、入り口を入るとすぐに居間、その横に台所と食堂、奥に寝室がその家の家族の数や裕福度によっていくつか造られていた。ゴンザレスの家は寝室が2つ、夫婦と息子の部屋だったが、妻子を疫病で失った彼は、狭い方の息子の部屋だった寝室に移った。仕事を終えて帰宅すれば寝るだけだったから、広い方の夫婦の寝室は数年間空き部屋だった。物置代わりに使っていたが、若いテオを養子にした時、ガラクタを捨てて新しく息子になった男に譲った。
 テオにしても週末に帰るだけだから、広い部屋は勿体無いと言ったのだ。しかしゴンザレスは彼に使って欲しかった。

「この家はいつかお前に譲るんだ。今からでも早くない、主人の部屋を使え。」

 テオはゴンザレスにもまだ新しい恋をする機会があるのに、と思ったが、厚意を有り難く受けることにした。もしかすると、ゴンザレスは新しい恋人が出来たら、この家を出て行きたいのかも知れない。天に召された妻と息子の思い出を新しい女性と共有することは出来ないのだろう。いっそのこと他人である養子とその彼女に使ってもらった方が良い、と考えているに違いない。
 そう言う訳で、テオの寝室には、今、ケツァル少佐がいて、夫婦の為の幅があるベッドの両端に彼女と彼は座っていた。寝るにはまだ少し早い時間だが、ゴンザレス家にテレビはない。昔はあったが、故障して、そのまま修理もせずに放置して、今やアナログの地上波用テレビは使えない。

「何か手がかりでもあったかい?」

とテオは調べ物の成果を尋ねた。すると少佐は言った。

「何も出ませんでした。しかし、それが却って奇妙です。」
「奇妙?」

 少佐は携帯で何かを検索した。そして見つけた写真をテオに見せた。それは崖から転落して谷底に横たわるバスの画像だった。南米の山岳地帯で起きた事故だ。

「このバスは100メートルの高さから落ちて、潰れています。」
「うん、潰れているな・・・」
「乗客の半数が不幸にも亡くなりました。」
「半数?」
「47人中19人です。」
「ほぼ半数だな・・・」
「バスは焼けていません。生存者もいます。」

 テオは画面から視線を外して少佐を見た。少佐はまた別の画像を出した。それも別の国で起きたバスの転落事故だ。

「これも、死者が出ましたが、バスは焼けていません。」
「バスは転落しても焼けなかった?」
「ガソリンタンクに火が付けば燃えます。でも、火を出したバスでも、何もかもが焼けて残らないと言う事故はありませんでした。エル・ティティの事故は犠牲者全員が焼けていたでしょう?」

 テオは黙り込んだ。彼は火傷を負っていなかった。左大腿骨骨折と全身打撲、無数の挫創、それが救助された直後の彼の状態の記録だった。
 少佐が続けた。

「犠牲者の記録に目を通しました。身元が判明した人は、火傷を負っていなかった体の部分や歯形が判断材料になっています。骨折や大きな衝撃を受けて亡くなった人もいますが、37人全員が火傷を負っていました。おかしいでしょう? 車外に投げ出された人まで焼けていたなんて。」

 テオは身震いした。

「誰かが、バスの中の人間全員を焼き殺そうとしたのか?」

 少佐が空中を眺めながら囁いた。

「体に火が付いてパニックに陥った運転士が、ハンドルを切り損ねて、バスを崖から落としたのだと思います。バスが落ちて火が出たのではなく、火が先に出て、バスが落ちたのです。」

 テオは深呼吸した。息が苦しい。頭痛もした。いつの間にかケツァル少佐が隣に座り、彼の背中に手を当てていた。

「大丈夫ですか?」
「ああ・・・バスの中で起きたことを想像しただけだ。思い出した訳じゃない。」

 テオは顔を上げて彼女を見た。

「きっと俺はその場面を目撃している。ただ、何が起きているのか理解していなかったと思う。目の前で信じられない出来事が発生して、頭の中が真っ白になった筈だ。俺の脳はそれを認めるのを拒否したんだ。」
「貴方だけが焼けなかった。貴方は私達の”操心”が効きません。それを考えると、恐らく・・・」

 少佐が不意に語気を強めた。

「火をつけたのは一族の人間です。そしてあの時バスに乗っていた”シエロ”はカロリス・キロス中佐一人だけだった筈。」



2022/02/11

第5部 山の街     2

 アスルは別に手の込んだ料理を作った訳ではなかった。普段と同じように鶏肉と野菜を煮込み、米を蒸して、皿にそれらを盛り付け、付け合わせに彩が美しく見える様に野菜を置いただけだ。しかし、その彩が若い巡査達を感激させた。エル・ティティの街の飲食店でそんな盛り付けの食事を出す店は、デートの時ぐらいしか利用しない。彼等は交代で署長の家の狭い食堂で食事をしたので、その間テオとアスルはずっと給仕と皿洗いをしていた。

「この町で大勢で会食出来る場所と言ったら、教会か町の広場しかないんだ。」

とテオは言い訳した。アスルは別に給仕係が苦にならなかったので、その言い訳を無視した。彼は巡査と大統領警護隊が食べ終えてやっと2人の順が回って来た時に言った。

「あんたは、俺がバス事故が起きた時間に跳んで、実際に起きたことを見ないのかと思っているんじゃないか?」 

 テオは皿から顔を上げた。ちょっとびっくりした。本当に彼はそう考えたこともあったのだ。しかし、すぐにそれは無理だと気がついたので、自分の中で却下した。

「俺が少佐とカルロと”星の鯨”の聖地に行った時・・・」

 アスルが彼を見つめた。

「グリュイエ少尉が少佐とカルロの前に現れた話を聞いただろ?」
「ああ・・・」

 グリュイエ少尉は、アスルの後輩だった。アスルに憧れて文化保護担当部に配属されることを望み、その希望が叶った日に、グラダ・シティでバス事故に遭って亡くなった。テオはカルロ・ステファン暗殺計画を解明する為に、ケツァル少佐とステファン、ロホと共にオルガ・グランデの地下深くにある”暗がりの神殿”へ下りて、そこから偶然”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなってから集まる聖なる場所に行き着いた。そこで少佐とステファンはグリュイエ少尉の霊と遭遇したのだ。
 少尉の亡くなり方を少佐から聞かされた時、テオは其れ迄何故アスルが彼に対して毛嫌いする態度をとっていたのか理由がわかった気がした。

「君が彼を救おうと彼の最期の瞬間に跳んだ話を少佐から聞いたんだ。君は彼を救えなかった。」
「あいつは自分が助かる為にバスの残骸を吹き飛ばしたら、救助の為に集まりつつあった市民を巻き添えにするとわかっていた・・・」
「もし君がエル・ティティのバス事故の現場に跳んだら、また君を苦しめると思ったんだ。」

 アスルは「けっ」と言った。それっきりその話題は出なかった。もし過去に跳んで当時の人を救助したら歴史が変わる。それは絶対にしてはならないことだとオクターリャ族の掟で定められている。きっと規則以上の恐ろしい時間の法則か何かがあるのだ、とテオは予想していた。

「キロス中佐の記憶に事故の瞬間がない。アスクラカンのサスコシの男はバスが事故に遭う場面を見ていない。俺にも記憶がない。また調査のやり直しだ。中佐が異常な状態になった原因はわかった。だけど、中佐がバスに乗ったのなら、絶対に何かが起きたんだ。」

 アスルが何かを考えながら、ゆっくりと言った。

「あの事故のニュースを聞いた時、俺達はロザナ・ロハスを追っていた。あの女が強い呪いの力を持ったネズミの神像を持っていると思い込んでいた。だから、バス事故は、ネズミの神様が呪いの力を発揮させたのだと思った。」
「うん。それで少佐がここの警察署に来て、初めて俺は彼女と出会ったんだ。結局ネズミはその時既にアンゲルス社長の寝室に置かれていたが。」
「つまり、ネズミはバス事故とは関係がなかった。」
「関係があるとしたら、脳にダメージを受けて朦朧としたキロス中佐しか考えられない。」
「だが、俺達にはテレポーテーションとか、バスから飛び出して無傷で助かるなんてことは出来ない。」
「人間だもんな。」
「スィ。それに脳にダメージを受けた者がそんな急場で脱出出来る可能性もない。」

 その時、家の入り口のドアが開く音がしたので、テオとアスルは口を閉じた。一番最後に食事を取る為に、ゴンザレス署長が勤務を終えて帰って来たのだ。テオよりも早くアスルが席を立ち、署長の食事を用意した。普段から上官の世話をしているので慣れている。台所のテーブルの前に座ったゴンザレスは、目の前に置かれた皿を見て目を細めた。

「若い連中が、店の飯より美味かったと褒めていたが、実に良い匂いだ。評判は本物だな。」

 アスルは照れ臭かったので黙っていた。彼等は再び食事を再開した。

「それはそうと・・・」

とゴンザレスがアスルを見た。

「貴方達はどこで寝るんだ? 大尉が寝袋を持参していると言っていたが、少佐は女性だ。床に寝かせる訳にいかない。」
「お構いなく。我々は慣れている。」
「いや、大統領警護隊を床に寝かせたなんて知ったら、州警察の偉いさんが煩い。と言っても、この町の宿屋は1軒しかないし、グラダ・シティから来た人が泊まれる様な部屋じゃない・・・」

 ジャングルの木の上でも平気な大統領警護隊はゴンザレスの心配を無用だと思っているので、アスルはテオを見た。署長に心配するなと言え、と目で訴えてきた。ゴンザレスはケツァル少佐がお金持ちのお嬢様だと知っているから心配しているのだ、とテオは思い当たった。だから彼は養父を宥めた。

「少佐は女性だけど、ジャングルの野営や砂漠での野宿に慣れているんだ。軍隊にいたら、どんな状況でも眠れる訓練を受けるんだよ。だから親父が気に病む必要はないんだ。」
「しかし、都会と違って、ここは山の町だ。夜中は冷えるぞ。」

 するとアスルが妥協案を思いついた。

「署長、貴方の警察署には、監房はいくつある?」
「3房だが・・・」

 答えてゴンザレスが彼の質問の意図を悟った。

「監房で寝るのか?」
「寝台はあるだろ?」
「あるが・・・」
「そこに男は寝袋を置いて寝る。少佐は・・・」

 アスルがテオを見た。ゴンザレスもテオを見た。テオはドキッとした。

2022/02/10

第5部 山の街     1

  エル・ティティ警察の署長アントニオ・ゴンザレスは署に集結した”ヴェルデ・シエロ”達にコーヒーを出すと、当惑した面持ちで養子のテオドール・アルスト・ゴンザレスを見た。4人の若い巡査達も心なしか部屋の隅に集まって大統領警護隊を眺めている様な雰囲気だ。尤も彼等は実際のところ彼等の机の前に座っていただけだ。彼等の気分が萎縮しているのだ。テオは警察官達に申し訳ない気持ちだった。しかしケツァル少佐以下、ロホ、アスル、そしてギャラガは、警察官達の気分を推し測ることもなく、3年前のバス事故の調査資料と引き取り手がない犠牲者の遺品やバスの残骸を署の資料室で調べていた。長閑な田舎町で発生した大事故だったので、当時の資料は多かった。エル・ティティ警察は事故原因の調査や、犠牲者の身元確認の為によく働いたのだ。テオの身元調査の記録もあった。

「デジタル化していればグラダ・シティでも閲覧出来たのにな。」

とテオが言うと、ギャラガが小さな声でいった。

「本部もこんな様なものです。」

 書類仕事が苦手なアスルは、時計を見た。彼等は午後になってから、オルガ・グランデとアスクラカンをそれぞれ発ち、エル・ティティで合流したのだ。そろそろ夕食を作る頃だ、とアスルは思った。それでテオに声を掛けた。

「ここの連中は晩飯をどうするんだ?」
「夜勤当番以外は自宅に帰って食べるんだ。」

 アスルは少佐をチラリと見た。ケツァル少佐は部下の心の動きを敏感に察した。彼女は資料を捲りながら言った。

「きちんと署長の許可を得てからになさい。」

 アスルは敬礼すると、資料室を出た。テオは急いで彼を追った。
 ゴンザレスの机の前に立ったアスルは署長に敬礼してから用件を述べた。

「貴官の家の厨房をお借りしたい。」

 ゴンザレスが巡査から提出された報告書から顔を上げた。大統領警護隊の中尉の言葉の意味がすぐに理解出来なかったのだ。するとテオが後ろから「通訳」した。

「彼が家の台所を使って晩飯を作りたいと言ってるんだ。」
「・・・中尉が?」

と言ったのは、一番古参の巡査だ。ちょっと驚いていた。大統領警護隊と言えばセルバ共和国の軍隊の中で最もエリートだ。それが料理をしたいと言っている。テオが説明した。

「彼は料理が得意なんだ。俺のグラダ・シティの家に下宿しているんだ。家賃を安くする代わりに、手が空いている時に食事の支度をしてくれるんだが、凄く腕が良い料理人だ。」

 すると独身の巡査達の目が輝いた。テオは署長を見た。ゴンザレスが当惑して言った。

「家の台所は大人数の料理を作れる様な設備じゃないぞ。」
「心配無用。」

とアスルが言った。

「野営で慣れている。」

 流石に軍人だ、と巡査達が囁き合った。テオはゴンザレスに期待感を込めて視線を送った。ゴンザレスが頷いた。

「メルカドが閉まる前に買い物をしなきゃいかんぞ。それに誰が食材の金を払うんだ?」

 資料室の戸口にケツァル少佐が姿を現した。彼女がアスルに財布を投げ渡したので、ゴンザレスもテオに紙幣を数枚差し出した。

「うちの若いもんの分だ。お前も一緒に買い物に行って来い。」

 


第5部 山へ向かう街     21

 「大統領警護隊に私達の仲を知られてしまった以上、ホセは不名誉除隊になるのでしょうね?」

とディンゴ・パジェが心配した。ロホはホセ・ラバル少尉がキロス中佐の暗殺を図った上に同僚2人も負傷させ、逮捕されたことを彼に伝えなかった。上官暗殺未遂は反逆罪だ。司令部がキロス中佐の言い分を聞いて、どう判断するのかわからないが、無罪になることは絶対にない。
 ディンゴ・パジェは音信がふっつりと途絶えた恋人の安否を気遣いながら、これから生きていくのだろう。大統領警護隊は身内の不祥事を決して世間に公表しないのだ。

「貴方も人間を気の爆裂で負傷させたのだ。今まで貴方の親が隠していたことが、今我々の知るところとなった。貴方は恋人のことより貴方自身のことを心配する必要がある。」

とロホは言った。
 ディンゴが真っ青な顔になって彼を見た。

「私を逮捕なさるのですか?」
「そうしたいが・・・」

 ロホは肩をすくめた。

「今日は非公式の任務で来ている。貴方の証言を大統領警護隊に報告するが、貴方の処遇を決めるのは上層部だ。」
「では、私は・・・」
「悪いことは言わない。今日これからでもサスコシ族の長老に貴方がしたことを打ち明けろ。もし少しでも貴方の言い分が通るとしたら、それは長老の裁決次第だ。」
「私を庇った父も同罪なのですか?」
「それも長老の考え次第だ。あなた方が日頃はどんな振る舞いをして生きているのか、私は知らない。長老達が貴方と貴方の家族に対してどんな心象を抱いているかも知らない。しかし、隠したり、逃げたりすれば、確実に彼等を怒らせる。」

 それは、”砂の民”に追われることを意味した。
 純血至上主義者の家系に生まれ育ったディンゴ・パジェは、ミックスのギャラガをチラリと見た。長老会は”出来損ない”も一族と認めている。”出来損ない”に対して数々の酷い仕打ちをする人々として認識されている純血至上主義者達は長老会にもいるが、少数派だ。

「私は・・・異端だが、”出来損ない”を虐げたことはない。」

とディンゴは囁いた。ギャラガは聞かなかったふりをした。”出来損ない”と言う言葉を使うこと自体が差別だ。

「時間をとらせて悪かった。」

とロホが言った。そしてギャラガを促し、アパートから出た。
 2人で市街地の中心部に向かって歩いて行った。まだ日が高かったが、なんだか疲れた。

「腹が減ったな。」

とロホが呟いた。ギャラガが頷いた。

「どこかで爽やかなピアノ演奏を聞きながら食事が出来れば良いですがね・・・」


第5部 山へ向かう街     20

 「大統領警護隊の中佐は、私の気の爆裂で酷い損傷を頭部に負った筈です。しかし、私の家族には指導師がいませんでした。」

 ディンゴ・パジェは「あの日」の話をボソボソと話し始めた。”心話”を使えば一瞬で済むが、知られたくない個人的感情も全て伝わってしまう。彼はそれを恐れたのだ。

「中佐は何か焦っていた様で、まだ動ける状態でないにも関わらず、任務があるからと言って父の家を出て行きました。父は彼女を心配して私に彼女を連れ戻すよう言いつけました。私は彼女にしたことを後悔していたので、彼女を探し、バスターミナルで彼女を見つけました。彼女に謝罪して父の家に戻るよう説得しましたが、彼女は私の言葉に耳を貸そうとしませんでした。それどころか、あることを私に持ちかけてきました。」

 ディンゴ・パジェはロホに視線を向けた。それは救いを求める様な切ない眼差しだった。

「ホセと私の仲を父に黙っていてやるから、数分前にターミナルを出て行ったバスを一緒に追いかけてくれとと言うものでした。」

 ロホとギャラガは再び顔を見合わせた。キロス中佐が追いかけようとしたバスは、例の事故に遭遇したバスではないのか。テオドール・アルストが乗っていた運命のバスだ。
 ディンゴは続けた。

「私は自分の車に中佐を乗せて、バスの後を追いかけました。運転しながら、あのバスに何があるのかと彼女に訊きましたが、彼女はただ同じ言葉を繰り返すだけでした。止めなければ、と。」

 止めなければ・・・。 キロス中佐はバスを止めたかった。バスに誰かが乗っていたのだ。ギャラガが尋ねた。

「ホセ・ラバル少尉がそのバスに乗っていたと言うことはないのか?」
「ノ。 ホセは”通路”を使ってオルガ・グランデ近くの農村へ出て、それから実家経由で職場へ帰ると言っていました。彼はカイナとマスケゴのハーフですが、”入り口”を見つけるのはブーカ並に得意なのです。ですから、バスに彼が乗った可能性はありません。」
「キロス中佐はバスに誰が乗っているのか、全く言わなかったのだな?」
「一度も。」

 ディンゴは身を震わせた。

「バスはエル・ティティで一度停車しました。ですから、私の車はその時、追い付けたのです。中佐は私の車から降りて、バスに乗り換えました。」

 え? とロホとギャラガは驚いた。キロス中佐がバスに乗った? では、あのバスの乗客は38人ではなく、39人だったのか? 運転手と36人の乗客が死に、テオドール・アルスト1人だけが生き残った事故の生存者がもう一人いたのか?

 ディンゴが申し訳なさそうに言った。

「私が話せるのはそこ迄です。中佐がバスに乗って去ったので、私はアスクラカンに戻ったのです。そして怪我人を見つけられなかったと父に伝えました。父は私に”心話”を要求しました。恐らく、私は挙動不審だったのでしょう。そして中佐の怪我が気の爆裂によるものであると知っていた父は、私が絡んでいると睨んだのです。父は真実を知り、私の行為を大変恥に感じました。私は実家を追い出され、ここに住んでいます。」
「ホセ・ラバルはその後、貴方を訪ねて来たか?」

 ディンゴは少し躊躇い、小さな声で言った。

「あれ以来、彼がアスクラカンへ来ることはありません。私達はオルガ・グランデの廃坑で時々出会うだけです。」

 2人の仲はまだ続いていたのだ。
 ロホは更に確認した。

「エル・ティティのバス事故は知っているな?」
「スィ。」
「中佐が乗ったバスか?」
「スィ。あの時、中佐は死んだと思いました。不謹慎ですが、もうホセとの仲を邪魔されないと安堵しました。」
「しかし彼女は生きていた。」
「スィ。ホセに教えられ、仰天しました。一族の人間でも、あんな事故から一瞬で逃れられる人などいません。ましてや、脳に気の爆裂を食らった人間が、逃げられる筈がない・・・」

 ロホとギャラガは考え込んだ。アスクラカンを出てオルガ・グランデを目指したバスに何が起きたのか、バスに乗り込んだキロス中佐はどうやって助かったのか。

 

第5部 山へ向かう街     19

 アスクラカンのサスコシ族ディンゴ・パジェは父親が築いた家族の集落を出て、市街地のアパートで独り住まいをしていた。パジェ家は旧家だし、族長アラゴの話では裕福な家庭だと聞いていたが、ディンゴのアパートはセルバの平均的な収入がある一般的な住宅だった。入り口に守衛はおらず、バルコニーも狭い。エレベーターはなく階段で2階へ上がった。途中すれ違った女性はロホとギャラガに陽気な声で「オーラ!」と声をかけてくれた。
 ディンゴの部屋のドア横に呼び鈴のボタンが付いていたので、ロホは押してみた。中でジージーと音が鳴った。そして1分も経たぬうちにドアが開いた。30代後半と思える男が顔を出した。ロホは素早く緑の鳥の徽章を提示した。

「大統領警護隊、マルティネス大尉と・・・」

 彼は後ろを振り返って、部下を紹介した。

「ギャラガ少尉だ。ディンゴ・パジェは貴方か?」

 ディンゴがギョッとした様に目を大きく開いた。

「ロス・パハロス・ヴェルデス?  何の用です?」

 ロホは相手の気の大きさを推測った。ディンゴは気を抑制しているが、指導師であるロホは相手の能力の大きさが大体わかる。これは大事なことだ。相手がもし攻撃してきたら、防御に用いる力の加減を瞬時に設定しなければならない。小さければやられるし、大きければ跳ね返した相手の力が逆に相手自身を傷つけてしまう。
 ロホは慎重に言った。

「3年前の今頃にエル・ティティでバス事故があった。貴方がその事故の前日に他所から来た人と問題を起こしたと聞いた。その相手の人を覚えているか?」

 ディンゴは礼儀としてロホの目を見なかった。しかしロホの後ろに立っている赤毛で肌が白い大統領警護隊の隊員をぼんやりと眺めた。

「3年前に私が他所者と問題を起こしたと、誰が貴方に言ったのです?」

と彼が尋ねた。ロホは当然ながらその質問に答えなかった。

「こちらの質問に答えてもらいたい。これは公務である。」

 非公式だが、と後ろで控えているギャラガは心の中で呟いた。通常ロホ先輩は初対面の人に対して丁寧な言葉遣いで話しかける。しかし、ディンゴ・パジェに対して彼は上から目線で話していた。ギャラガはちょっと戸惑ったが、すぐにこれは純血至上主義者と言われるパジェ家の人間を牽制しているのだと気がついた。ディンゴに言っているが、ギャラガにも己と同じ様に話せよと教えているのだった。さもないと相手に舐められるぞ、と。
 大統領警護隊に嘘や誤魔化しを言うと、後でそれがバレた時に酷い目に遭う、と言うのが”ヴェルデ・シエロ”の常識だ。これは”ティエラ”達が彼等を恐れるのとはちょっと違う。”ティエラ”は大統領警護隊が古代の神々と話が出来ると信じているから、彼等が恐れるのは神罰だ。だが”ヴェルデ・シエロ”は、”ティエラ”が警察を厄介な相手と見做すのと同様のレベルで考えているだけだ。捕まって”曙のピラミッド”の地下神殿で審判を受けたくない。有罪判決が万が一にも出た日には、生きて家族の元へ帰れないかも知れない。
 ディンゴ・パジェは溜め息をついた。 彼は2人の大統領警護隊隊員を室内に招き入れた。狭い居間の椅子に向かい合って座ると、彼はロホの質問に答えた。

「軍服を着た小母さんだった。貴方の上官になる地位です。」
「名前を知っているか?」
「私のホセは、中佐と呼んでいました。」

 私のホセ? ロホは相手をまじまじと見た。ギャラガも思わず体を動かしてディンゴを見た。ディンゴ・パジェは彼等を真っ直ぐに見た。

「私は家族から異端者として追放されました。私が愛した人が軍人で男性だったからです。」
「その・・・ホセと言う人は・・・」

とギャラガが思わず口を出した。上官の許可なく発言するのは規則違反だが、ロホは咎めなかった。文化保護担当部はこの手の違反に対して緩いのだ。ケツァル少佐でさえ睨みつけるだけで、後から非難したり叱ったりしない。

「ホセさんが軍人なのだな?」

とギャラガが精一杯上から目線で喋った。相手は彼よりもロホよりも年上だ。しかし緑の鳥の威光が許される範囲で胸を張って振る舞わなければならない。
 ディンゴが小さく頷いた。

「大統領警護隊の少尉です。彼と私が会っているところを、上官の中佐に見られたのです。」

 当然、少尉の隊律違反を中佐は責めたのだ。セルバ共和国の軍隊は陸空、憲兵隊、そして大統領警護隊も同性愛を未だに認めていない。

「中佐は貴方ではなく少尉を咎めた。貴方は民間人だから、部下だけを責めた。そうだな?」

とロホが確認し、ディンゴは「スィ」と認めた。

「しかし、私は彼女の言葉に腹が立った。規則を守らせるだけなら、一言ホセに持ち場へ帰れと言えば済むことだ。私と会うなと言えば良い。しかし、彼女はそれ以上のことを言ったのです。ホセを侮辱したのです。彼が出世出来ないのはその・・・」

 ロホが片手を上げて遮った。

「それ以上言わなくても、結構。彼女は貴方と彼氏を誹謗中傷し、貴方達はそれに激昂した。そう言うことだな?」
「スィ。私は彼女に口を閉じて欲しかった。だから、夢中で・・・」

 ディンゴは両手で顔を覆った。

「気の爆裂で人間を襲うのは大罪です。私は殺人未遂を犯しました。気がついたら、中佐が倒れていて、ホセが彼女の息を確認していました。そして言いました。彼女はまだ生きている、自分がやったことにするから、君は逃げろ、と。後の咎めは全部自分が引き受ける、と。」
「ホセとは、太平洋警備室のホセ・ラバル少尉のことだな?」
「スィ。」

 ロホとギャラガはチラリと視線を交わした。

ーーラバルが今回の爆発事件の犯人でしたね?
ーーそうだ。彼は3年間中佐のそばで何を考えていたんだろうな。

 ロホはディンゴに向き直った。

「貴方は言われるがままに逃げたのか?」
「御免なさい・・・恐ろしくて、夢中で家に逃げ帰りました。しかし、その夜、父がその中佐を自宅に保護したのです。それを私が知ったのは翌日でした。その時既にホセは帰ってしまっていました。」

 ラバルは倒れた上官を見捨てて帰ったのか? ロホは呆れた。 ラバルの同僚のガルソン大尉と2人の他の部下達は自分達が咎めを受けるのを覚悟で中佐の異変を本部に隠し続けたと言うのに。
 ディンゴ・パジェの告白はさらに続いた。


2022/02/09

第5部 山へ向かう街     18

  ケツァル少佐は、キロス少佐から読み取った記憶を自分の頭の中で整理した。

「中佐の思考は時々混乱しています。恐らくディンゴ・パジェ又はラバル少尉から喰らった爆裂で脳にダメージを受けたのでしょう。
 彼女はディンゴに提案しました。ラバル少尉との仲を黙っていてやるから、少し前に出発したオルガ・グランデ行きのバスを追いかけて欲しい、と。」

 パジェ家は伝統を重んじる純血至上主義の家族だ。同性愛は勿論許されない。ディンゴ・パジェは父親に黙っていてくれるならと言う条件で、彼女を自分の車に乗せた。

「中佐とディンゴは車でバスを追いかけました。中佐の目的はバルセル医師が持っていたと言うエンジェル鉱石の従業員名簿でした。ディンゴがその目的を中佐から知らされたのかどうかは不明です。中佐の記憶はディンゴの車に乗ってから酷く曖昧になり、時間の統一性もありません。」

 ケツァル少佐は目を閉じた。指で己の額を抑えたので、テオは彼女の顔を覗き込んだ。

「頭痛がするのか?」
「少し・・・」

 少佐が辛そうなので、アスルがテオを見て言った。

「キロス中佐の記憶がメチャクチャになったので、読み取った少佐に影響が出ている。」

 テオは彼女に声をかけた。

「もう止せ、少佐。大体何が起きたのかわかったから・・・君が無理をして思い出さなければならないことじゃない。」

 アスルも彼に同意した。

「少佐、もう結構です。アスクラカンで起きたことはわかりました。バス事故の原因もなんとなく推測されます。」

 少佐が横目で部下を見た。

「事故原因が推測出来るのですか?」
「スィ。キロス中佐は気の爆裂で脳に損傷を受けたのでしょう。ルート43はアスクラカンを出ると舗装が終わります。ガタガタ道を車でバスを追いかけたら、振動で頭部の傷に悪い影響を与えます。中佐はバスを止めたいと思った筈です。朦朧とした頭で、バスを止めようとしたら・・・」

 テオはアスルの推測に背筋が寒くなった。

「意識が朦朧となったキロス中佐がバスを落としたのか?」
「飽く迄俺の推測だ、ドクトル。」

 アスルはテオを真っ直ぐ見た。

「事故の後でキロス中佐は正気に帰ったんじゃないか? そして自分がやらかした大惨事を目の当たりにして、あの人は自分の内に篭ってしまった・・・。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「中佐の心は後悔と悲しみでいっぱいでした。彼女は現実に戻るのが恐ろしかったのです。年下の部下に片恋をして、部下の恋人と喧嘩をした挙句、気の爆裂で傷ついてしまいました。そして正気を失っている間に守護者として許されない大失態をやらかした。そして太平洋警備室に戻ると、そこにラバル少尉がいました。彼女は自分の心を殺すしかなかったのです。呪いが残る体で精神的に大きな負担を抱え、彼女の症状はどんどん悪化していったのです。」


第5部 山へ向かう街     17

 しかし、ケツァル少佐がキロス中佐から得た情報はそれだけではなかった。まだ続きがあった。

「中佐は気絶し、目覚めた時は誰も近くにいませんでした。ラバル少尉と相手の男は逃げた後でした。」
「倒れた上官を放置して逃亡とは、とんでもないヤツだ。」

 アスルがぷんぷん怒って見せた。

「しかし、そのラバルはそれから3年間、キロス中佐のそばで勤務していたのですね? どんな神経をしているのか・・・」
「ラバルの心理は中佐の”心話”では計れません。中佐を見張っていたのでしょう。それより、まだアスクラカンでの出来事には続きがあります。」

 ケツァル少佐はテオを見た。テオはドキリとした。バス事故に話が移るのか?

「中佐は倒れた現場から近いサスコシ族の地所に救援を求めました。頭部にも体にも爆裂の影響が出ており、まともに歩けない状態でした。彼女が訪ねた家族はパジェと言いました。」
「パジェ?」

 テオはその名に聞き覚えがあった。

「もしかして、ロレンシオ・サイスの父親の親族か?」
「恐らく。サイスとの関係は中佐の記憶の中にはありません。それに当時サイスはまだ普通のピアニストとして活躍している時期でした。彼の腹違いの姉も彼のそばに近づいていなかったでしょう。」

 少佐は憂を顔に出した。

「ラバルの恋人は、パジェ家の息子だったのです。」
「中佐は知らずに敵の家に入ってしまった・・・?」
「スィ。ただ、パジェ家の家長は分別がありました。怪我をした大統領警護隊の中佐を手当して保護しました。中佐は流石にパジェ家の家長に何が起きたのか語ることを躊躇い、沈黙した様です。恥じらいと、爆裂による呪いから来る苦痛が、彼女が真実を語ることを妨げたのです。そしてパジェ家では指導師の能力を持つ人がいませんでした。パジェ家の家長はサスコシ族の長老を呼ぼうとしましたが、キロス中佐自身がそれを断りました。」
「プライドと恥じらいと・・・」

とテオは呟いた。大統領警護隊の中佐ともあろう者が、痴話喧嘩の果てに恋敵から気の爆裂を喰らって負傷したなど、とても長老に言えたものでなかったろう。

「キロス中佐は恋敵が恩人の息子だと知りました。サスコシの伝統的な屋敷を見たことがありますか、テオ?」
「ノ。」
「小さな家が敷地内に円形もしくはUの字の形に並んでいます。それぞれの家に夫婦とその未成年の子が夫婦を一つの単位として住んでいます。家長夫婦が中心で、息子や娘が成年式を迎えると家を1軒もらうのです。中佐は家長の家に保護されましたが、窓から庭を見て、恋敵がいるのを見てしまいました。彼女は体が回復していないのに、パジェに別れを告げてそこを出ました。」
「どの道、指導師がいなければ治りませんよ。」

とアスルがぶっきらぼうに言った。彼は感情に流されて恋敵を怒らせたキロス中佐に同情する気分でなくなったようだ。ケツァル少佐は部下の不機嫌を無視した。

「キロス中佐は、バルセル医師を探す本来の目的を思い出しました。傷ついた体でアスクラカンの街を彷徨い、医師がグラダ・シティから来たオルガ・グランデ行きのバスに乗り込むのを見ました。そこへ、恋敵が彼女を追って来ました。」

 ケツァル少佐は少し休んだ。喉が渇いた様だが、近くに飲み物を売っている店はなさそうだ。アスルが井戸を探しましょうか、と言ったが、少佐は断った。

「ここは不衛生ですよ。ジャングルの中の湧水の方がまだマシです。」

 と都会育ちの少佐は言った。そして話を続けた。

「ラバル少尉の恋人は、ディンゴ・パジェと言う名でした。彼は父親から中佐を探すよう言いつけられ、仕方なく彼女を追いかけて来たのです。彼は中佐を傷つけたことを詫び、父親の家に戻ってくれるよう頼みました。」
「案外いい奴だったんだ・・・」
「中佐はバルセル医師を追いかけたかった。だから、ディンゴにある提案をしました。」



 


第5部 山へ向かう街     16

  ケツァル少佐は言葉を選んでいる様子だった。ストレートに言うべきか、遠回しに言うべきかと悩んで、やがてアスルを見て、テオを見た。

「ルカ・ラバル少尉はアスクラカンで恋人と会っていました。」

 テオもアスルも無言で少佐を見ていた。少佐は noviaではなくnovioと言ったのだ。ラバル少尉に片思いしていたキロス中佐が少尉が誰かと逢引している現場を目撃したとしても、彼等に何も言うことはない。
 少佐が続けた。

「キロス中佐が見たのは、ホテルから出てくるラバル少尉と若い男性でした。ラバル少尉の恋人は男性だったのです。」

 それは中佐に気の毒だと言うしかない、とテオは思った。ラバルが女性を愛せなくても男性を選んでも、それは彼の自由で権利だ。中佐が失恋したのは気の毒だし、ショックだったろうが、他人にラバル少尉を責める権利はない。
 しかしアスルは違った反応をした。

「我が国の軍隊では同性愛はまだ禁止されている。」

と彼はテオに聞かせるように呟いた。

「本部に知られたらラバルは除隊処分になる。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「ですから、キロス中佐は彼等が人目のない場所まで歩くのを尾行し、そして2人の前に姿を現しました。ラバルに上官として規則違反を責めたのです。」

 ラバルが上官に何を言ったのか少佐は言わずに、相手の男性の方に話を向けた。

「ラバルの恋人はサスコシ族の男性でした。彼はラバルの隊律違反を責めるキロス中佐に向かって言いました。『異人種の血を入れて一族の血を汚すより、自分達がしていることの方が清い行為だ』と。」
「ええっと・・・それは・・・」

 テオは考えた。

「そのサスコシの男は純血至上主義者だったのかな?」

 ケツァル少佐は肩をすくめた。

「それはどうでしょう。自分達の立場を正当化する為に言っただけかも知れません。でも彼はキロス中佐にとって恋敵です。中佐と少尉とその男はそこで口論になりました。」
「痴話喧嘩ですか・・・」

 アスルが呆れたと言いたげに目を眼下の風景に向けた。少佐が溜め息をついた。

「大人気ないことです。キロス中佐は、ラバル少尉の恋人が女性だったら、あんなに取り乱すことはなかったかも知れません。でも彼が愛したのは男性でした。ずっと彼への恋を抑圧してきた中佐の心のタガが外れたのです。彼女はラバルに向かって叫びました。彼と別れなければ本部に通報すると。」

 あちゃーっとテオとアスルは心の中で声を上げた。それは部下に取って最後通告の様なものだ。20年以上少尉の地位に甘んじてきて、後輩が出世していくのを黙って見るしかなかったラバルに、不名誉除隊は地獄だろう。

「どちらが発したのか分かりませんが・・・」

とケツァル少佐は言った。

「キロス中佐の心は、『やったのは相手の男だ』と訴えていました。」

 テオがその意味を理解する前に、アスルの方が先に悟った。

「ラバルかサスコシの男か、どちらかがキロス中佐に気の爆裂を浴びせたのですね?」
「スィ。」
「無茶だ・・・」
「恐らく2人の男性は、”操心”で中佐の記憶を消したかったのでしょう。でも口論の最中にそんなことは不可能です。中佐の最後通告を聞いて、どちらかがラバルを守る為に中佐を襲ったのです。」

 

第5部 山へ向かう街     15

  石のテラスに座ってオルガ・グランデの市街地を見下ろす形で3人は並んでいた。セルバ共和国の大都市はあまり高層ビルがない。東海岸は海岸に沿って高いビルが並んでいるが、グラダ・シティ市街地は”曙のピラミッド”より高い建物を建設することが禁止されているから、低い土地でも4階建が精々だ。オルガ・グランデは別の理由で高層ビルが建てられない。地面の下に地下川が流れており、金鉱山の坑道が張り巡らされている。昔の地下墓地もある。つまり、地盤の強度の関係だ。高いビルが立っているのは硬い岩盤の地区で、テオ達が座っている石の街、別名「空き家の街」はその岩盤が斜面を登っていく所にあった。オフィス街の裏手にスラム街がある。現役のスラム街はもう少し旧市街地に近い西側にあった。

「キロス中佐は、ホセ・ラバル少尉に恋をしていました。」

 いきなりケツァル少佐はその言葉から始めてテオとアスルを驚かせた。

「中佐が少尉に恋ですか?」
「しかしラバルは・・・」

 テオはラバル少尉が25年も太平洋警備室に勤務していたことを思い出した。だからアスルに教えた。

「ラバル少尉は40代半ばの人だ。キロス中佐より彼は若い。」

 アスルは黙り込んだ。階級を超えた恋が悪い訳ではない。年齢差もどちらが上だろうが構わない。だが上官が部下に恋とは、下手をするとパワハラと受け取られかねない。
 少佐が続けた。

「勿論、中佐の胸に秘めた恋です。」

 それは”心話”で得た情報だから真実だ。キロス中佐はそんな秘密を内部調査班に知られたくなかっただろう。ましてや”砂の民”に。

「ラバル少尉はポルト・マロンの港湾労働者達に人望があり、彼等からエンジェル鉱石本社が従業員の健康診断で採取した血液をアメリカの製薬会社に売却したと言う情報を得て、中佐に報告しました。太平洋警備室はオルガ・グランデの守護をしています。中佐は製薬会社が人間の血液を使って新薬の開発をすることを知っていました。それ自体は珍しいことではありません。ただエンジェル鉱石はセルバ最大の企業の一つです。従業員の数は多く、いろいろな人種が混ざっています。中佐は一族の人もその中にいるのではないかと危惧しました。製薬会社は遺伝子を分析するでしょう。もし”シエロ”の遺伝子だとわかるものが混ざっていると大変だと彼女は思ったのです。」

 テオは頷いた。エンジェル鉱石が血液を売った相手は製薬会社などではなく、アメリカ陸軍基地にある国立遺伝病理学研究所だった。遺伝子そのものを研究する機関だった。

「中佐はエンジェル鉱石の本社を訪問して、アンゲルス社長に従業員名簿を見せるよう要求しました。アンゲルスはセルバの古い宗教を信仰していませんでした。大統領警護隊の要求を拒否したのです。従業員の個人情報を開示する訳にいかないとの理由でした。中佐は彼から情報を引き出そうと試みました。そして血液採取した従業員の名簿は産業医バルセルが持っていることを知りました。その時バルセル医師はアスクラカンに出かけていました。彼がオルガ・グランデに戻る迄待てなかったキロス中佐は、アスクラカンへ彼を探しに出かけました。」

 ケツァル少佐がキロス中佐からもらった情報はキロス中佐の記憶と思考のみだ。客観的事実ではない。だからケツァル少佐も慎重に語らなければならなかった。テオとアスルにこの話が真実だと思い込まれては困る。そして彼女自身も語りながらそれが本当の話だと錯覚してしまう恐れもあったから、彼女は出来るだけ傍観者の立場であり続けようと努力した。

「バルセル医師がアスクラカンで何をしていたのか、それはキロス中佐の記憶にありません。抜け落ちているのか、彼女がそこまで調べなかったのか、分かりません。兎に角彼女はアスクラカンでバルセルを探しました。そしてバルセルではなく、ラバル少尉を見つけてしまいました。」

 アスルが片手を肩の高さに上げて、質問があることを示した。少佐は休憩を兼ねて彼に質問を許可した。アスルが尋ねた。

「ラバルはアスクラカンへ何をしに出かけていたのです?」
「それをこれから語ってもらうのさ。」

とテオは言ったが、アスルが気を悪くする前に、彼が知っていることを話した。

「ラバル少尉は休暇を取っていた。彼は毎年数日休暇を取って出かけていたそうだ。休みの間に彼が何処へ出かけていたのか誰も知らないんだ。家族の所に帰っているのだろうとガルソン大尉達は思っていたみたいだが。」

 しかしその推測が違っていたことを、ケツァル少佐の表情が語っていた。

2022/02/07

第5部 山へ向かう街     14

 ”心話”はいつもの様に一瞬で終わった。ケツァル少佐が「グラシャス」と礼を述べると、キロス中佐は目を閉じた。目尻から涙が流れた。そして彼女の手がテオの手を握り返した。傷ついた唇が動いた。

「部下達に謝りたい・・・」

 少佐が言った。

「早く良くなって下さい。そして部下達の為に、本部で証言して下さい。貴女が元気になれば彼等はそれだけでも救われます。」
「グラシャス、少佐。」

 テオも礼を言って、2人は急いで病室を出た。見張りの兵士の目を覚まさせてから、彼等は重症患者用病棟を出て、階段で下へ下りた。少佐が気で呼んだのか、それとも階段を見張っていたのか、アスルがスッと足音を立てずに近寄って来た。少佐は何も言わずに病院の出口に向かった。テオとアスルは黙ってついていった。
 陸軍病院から出ると、彼等は10分程歩いて、街中の食堂に入った。労働者達の朝食時間は遠に過ぎており、店の中は空いていた。まだ朝食を取っていなかった3人はそこで遅い朝ごはんを食べた。食べながら少佐がアスルに尋ねた。

「邪魔が入らずに話が出来る場所は近くにありますか?」

 アスルが頭の中のオルガ・グランデの地図を検索するような表情になった。テオは陸軍基地の大統領警護隊が使用する部屋はどうかなと提案しようかと思ったが、さっきの内部調査班も使う可能性があると気がついた。あの連中は敵ではないが、邪魔だ。
 アスルが思考の海から戻ってきた。

「空き家の街はどうですか? カルロが昔遊んでいたと言うスラムの一角です。」

 ケツァル少佐はその場所にあまり馴染みがない様だったが、その提案を採用した。
 食堂から出ると、近くのカフェから内部調査班が出て来るのが見えた。3人は彼等を無視して歩き出した。尾行されるかとテオは心配したが、あちらは再び病院の方角へ歩き去った。ひょっとすると、フレータ少尉を尋問するのかも知れない。
 空き家の街は、近いと言っても半時間以上歩かなければならなかった。少佐はタクシーを拾わなかったが、考えてみればスラム街に行ってくれるタクシーがあるだろうか。
 初めて大統領警護隊と関わった時、テオはオルガ・グランデのスラム街に少佐達と訪れたことがあった。山の斜面に掘建小屋の様な貧しい家々がびっしりと建て込んでいた。そこがカルロ・ステファンの故郷だと知ったのは、ずっと後のことだ。「空き家の街」と呼ばれる一角はそのびっしりと家が立ち並び、人々が日々の糧を厳しい労働で得て暮らしている活きた区画から少し外れていた。昔のスラムと言うより、昔の市街地の端っこだ。石造りの家が斜面に並んでいた。まだ住んでいる人もいるので、所々で洗濯物が干されていた。しかし大半の家は空き家だった。壁に落書きがあったり、ゴミが捨てられていた。怪しげな商売をしている人が怪しげな物を保管する倉庫になっている家もあった。
 3人は家の中には入らずに、更地になっている石のテラスの様な場所で腰を下ろした。少佐を挟んでテオとアスルが左右に座る体制だ。
 歩いて来たので、暫く3人は静かに座っているだけだった。休憩して、周囲に人がいないと確信出来る迄時間を掛けた。それから、少佐が言った。

「これから語るのは、キロス中佐が教えてくれた話です。私も話しながら整理していきますから、矛盾があれば指摘してもらって結構です。」

 

第5部 山へ向かう街     13

 20分後、医師が病室から出て来た。次いで大統領警護隊の2人の将校も看護師に追い出されるかの様に出て来た。彼等が近くまで来ると、ケツァル少佐とテオは立ち上がった。内部調査班の将校達は少佐の前で立ち止まった。敬礼を交わし、”心話”が交わされた。そして無言のまま、男性達は立ち去った。 
 ケツァル少佐が溜め息をついた。テオは何となく”心話”の内容が想像出来た。大統領警護隊内部調査班はケツァル少佐にキロス中佐への面会を禁じたに違いない。そして彼等は何も情報を分けてくれなかった。
 彼は彼女に尋ねた。

「もしかして、内部調査班はキロス中佐から何も聞けていないんじゃないか?」

 少佐が、そうです、と言った。

「先刻の”砂の民”が彼女から強引に情報を引き出そうとして、彼女が抵抗した様です。中佐の心は内に篭ってしまいました。内部調査班が彼女に声をかけましたが、反応がないそうです。」
「彼女の心をこちら側に呼び戻さなければならないってことか?」

 テオは347号室を見た。見張りの兵士は背筋を伸ばして椅子に座っていた。
 テオは311号室を見た。見張りはいない。内部調査班もいない。彼等は巻き込まれて負傷したブリサ・フレータ少尉を無視している。尋問しても何も得られないと思っているのだ。彼女に訊くとしたら、キロス中佐の異常を本部に報告しなかった職務怠慢の件だろう。
 ふとテオは思いついたことがあって、347号室に向かって歩き出した。少佐が訝しげな顔をしたが、彼女も黙ってついてきた。部屋の近くへ行くと、見張りの兵士が立ち上がった。テオは少佐に囁いた。

「頼む・・・」

 少佐が前に進み出て、兵士の目を見た。気の毒な兵士はその日2度目の”操心”で、ぼーっとなって椅子に腰掛けた。
 テオは廊下を見て、誰も見ていないことを確認した。ドアを開けて少佐と一緒に中に入った。
 キロス中佐は酸素マスクを付け、点滴の針を腕に刺して寝ていた。顔と両腕に包帯を巻かれていた。頭部も包帯で包まれていた。
 テオは中佐の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「キロス中佐、サン・セレスト村で貴方に面会したテオドール・アルストです。覚えておられますか?」

 反応はなかった。中佐の目は包帯の奥で閉じられていた。彼は続けた。

「貴女が3年前に心を閉ざされてから、ガルソン大尉もパエス中尉もフレータ少尉も、貴女が必ず良くなると信じて、本部に貴女の不調を報告しませんでした。その為に、彼等は今、本部から職務怠慢を理由に懲戒を受けようとしています。最悪の場合、反逆罪に問われるかも知れません。どうか、部下達の罪が少しでも軽くなる様に、貴女に起きた出来事を語ってくれませんか? 3年前、アスクラカンで何があったのですか?」

 中佐の睫毛が微かに震えた様な気がした。テオはさらに訴えた。

「俺は3年前、アスクラカンからオルガ・グランデに向けて出発したバスに乗っていました。エル・ティティでバスは事故を起こし、37人が亡くなり、俺一人生き残りました。俺は今も事故当時のことを思い出せません。何があのバスに起きたのか、ご存知ではないのですか? 俺はあの事故で死ぬべきだったのでしょうか? それとも、貴女はあの事故に全く無関係で何もご存知ないのですか? どうか教えて下さい。」

 彼は中佐の手を軽く握った。包帯こそ巻かれていないが、火傷をしている手だ。苦痛を与えたくなかった。

「ここに、グラダ・シティからシータ・ケツァル・ミゲール少佐が来ています。彼女に”心話”で伝えて頂けませんか?」

 少佐も彼の横から中佐の顔の上に身を乗り出した。そして先住民の言葉で話しかけた。テオは意味がわからなかったが、少佐が自己紹介したことだけはわかった。
 フッとマスクの中が白く曇った。そして、キロス中佐が瞼を開けた。

第5部 山へ向かう街     12

 テオとケツァル少佐が3階の重症患者の病棟へ近づくと、347号室の前に座っている陸軍兵の様子がおかしかった。椅子に座っているのは先刻と同じだが、壁に背中も頭もつけてぼーっとしている。大統領警護隊の内部調査班が中にいるに違いないが、彼等が見張りをそんな状態にする必要があるだろうか。
 ケツァル少佐が全身を震わせた。テオに「そこにいて」と囁き、347号室のドアの前へ足音を忍ばせて歩み寄って行った。彼女がドアの2メートル前迄接近した時、ドアが開き、一人の男が姿を現した。少佐と鉢合わせした彼は、ギクリと立ち止まった。テオの知らない顔で、彼は看護士の服装をしていた。彼を追う様に、病室から大統領警護隊の将校が一人出て来た。彼は看護士に「動くな」と命じ、それから少佐に気がついた。彼女を知らない大統領警護隊がいたら、モグリだ。将校が小声で彼女を呼んだ。

「ケツァル・・・」

 僅かな隙をついて、看護士が走り出した。ケツァル少佐が彼の脚に気で払いを掛けた。看護士がバランスを崩して転倒し掛けた。病室内でもう一人の将校が怒鳴った。

「医師を呼べ!」

それから彼は続けて言った。

「そいつは見逃してやれ。面倒だ。」

 看護士が体勢を立て直して、テオの目の前を走り去った。
 廊下に出た将校が病棟の入り口の事務室に向かって怒鳴った。

「347号室に医師を呼べ! 緊急だ!」

 ケツァル少佐は病室内を覗き、それから廊下に出ている将校に言った。

「向こうで待っています。お伺いしたいことがあります。」

 将校は訝しげに彼女とテオを見たが、頷いた。バタバタと音を立てて医師と看護師が走って来た。彼等が病室に駆け込むと、将校は椅子の上でぼーっとしている見張りに気がつき、舌打ちするとその額に片手を翳した。見張りの兵士がハッと我に帰った。将校は彼に何も言わずに医師達の後ろにつづいて病室内に入り、ドアを閉めた。
 テオは少佐が戻って来ると、看護士が逃げた方向を指した。

「あいつは向こうへ行った。」
「そうですか・・・」

 少佐は溜め息をつき、彼を近くのベンチへ誘った。
 並んで座ると、彼女は彼の催促を待たずに説明してくれた。

「逃げた男は”砂の民”だと思います。恐らく、太平洋警備室で起きた騒動を察知して、事情を聞きに現れたのでしょう。そして、彼女の体に負担をかけてしまったのだと思われます。」
「そこへ大統領警護隊が現れたので、男は逃げた?」
「そんなところです。」

 テオは347号室を見た。

「キロス中佐は大丈夫だろうか?」
「チラリと見えた彼女は、酸素マスクを装着していましたが、呼吸器を火傷した訳ではないので、尋問による心理的な負担がかかったのでしょう。」
「大統領警護隊はまだ彼女から”心話”で事情を聞けていないんだな?」
「まだでしょうね。看護士の男も事情聴取に神経を注いで、警護隊が来たことを察知出来なかった。だから、病室で鉢合わせして、恐らく一悶着あったのでしょう。」

 少佐が少し不安げに彼を見た。

「貴方はあの男に顔を見られませんでしたか?」
「彼が俺の方を見たと言う意識はなかったが・・・俺はただ訳がわからず呆然と立っていたから・・・」

 情けないことだが、テオは事実を語った、すると少佐がちょっと苦笑いした。

「呆然として頂いて感謝します。もし貴方がはっきり関係者である振る舞いをしていたら、あの男は顔を見られたと知って貴方を狙って来ますから。 私はあの男に警戒しなければならないところでした。」
「まだ粛清されたくないな。 だけど、また来るのかな、彼は?」
「大統領警護隊と鉢合わせしましたから、もう来ないでしょう。どちらに優先権があるか決めるのは長老会です。大統領警護隊より己が優先されるべきだと思えば、彼は首領に裁量を求めます。」
「ムリリョ博士に?」
「スィ。」
「博士が決定を下す迄は彼は何もしない?」
「しません。」

 テオは少しだけ安心した。

  

2022/02/05

第5部 山へ向かう街     11

  グラダ・シティを出てルート43を西に向かって走ると、ロホはピアニストの知人は元気だろうかと考えた。アメリカ先住民と”ヴェルデ・シエロ”とのミックスのロレンシオ・サイスは人気ジャズピアニストの地位を捨てて、一族の人間として生きる道を選んだ。今はアスクラカンで裕福な家庭の子供達にピアノを教える家庭教師と週に1回現地にあるキリスト教系の学校で音楽教室を受け持っていると言う話だ。地方都市の人々は彼が半年程前迄有名な演奏家だったことを知らない。偶に彼がアメリカで演奏活動をしていた時代に出したC Dを店で見つけて、「おや?」と思う程度だ。
 ギャラガはロホのビートルの助手席で風景を眺めていた。バスで同じルートを通ったことがあったが、乗用車で通るとまた違った風景に見えた。
 昼前にサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴの地所に到着した。Uの字の形に小さな家が並び、小さな集落を形取っているが、全部同じ家族の家だ。男は成年式を迎えると家を1軒与えられる。結婚すれば夫婦でそこに住む。独身の女性は親の家に住んでいる。狭いので早く結婚して家を出たがる女性がいるし、都会に就職して出て行く人もいた。
 ロレンシオ・サイスはアラゴの地所の中の家を一軒借りて住んでいた。ピアノ教室の仕事がない日はアラゴから超能力の使い方を教わっている。己が”ヴェルデ・シエロ”であることを知らずに育ち、親からも教わる機会がなかったので、大人になってから修行を始めた。
 ロホとギャラガは最初に族長を挨拶の為に訪問した。ロホは丁寧な挨拶の口上を伝え、それから今回の訪問の目的を説明した。

「今日の訪問は大統領警護隊としては非公式で、文化保護担当部単独の捜査のためのものです。ですから、セニョール・アラゴにはお断りされることも出来ます。我々は3年前にエル・ティティで起きたバス事故の調査をしています。死亡した乗客が最後に訪れた場所がアスクラカンであったと聞きましたので、こちらに参りました。その人物の足跡を追うだけの捜査ですから、サスコシ族の方々にご迷惑をおかけすることはないと思います。我々が街中を歩き回ることをご了承下さい。」

 アラゴはロホの後ろに控えている白人に見える男を眺めた。アンドレ・ギャラガは気を抑制していたが、サスコシ族の族長は彼が白人ではなく白人の血を引くメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”だと判じた。

「仕事であろうとなかろうと君達がアスクラカンの街を歩き回るのは自由だ。だが、我が部族には君が知っている通り、厄介な思想を持つ家系がいる。連中が君達の行動に不快を覚え、妨害することも考えられる。それを防ぐ為に君達がこの街に来ていることを一族に知らせても構わないか? それとも、情報の拡散は捜査に支障が出ると思うか?」

 ロホは後ろのギャラガを振り返った。いっその事ギャラガに白人のふりをしろと言いたい気持ちになったが、それでは部下に失礼だと思い直した。彼はアラゴに向き直った。

「部下の安全の為にも情報拡散をお願いします。我々が探しているのは、オルガ・グランデからここへ来て、バスに乗ってオルガ・グランデに帰ろうとした帰路に事故に遭って死んだ男の足跡です。」

 ロホは事故の日付を告げた。アラゴはちょっと考え込んだ。3年前にアスクラカンで何か変わったことがなかったか、思い出しているのだ。
 ギャラガはアラゴの自宅の入り口に立っていたのだが、戸口の向こうに見えている家の内装が現代的なので意外に思っていた。敷地内の小さな家が形作る集落は古い先住民の居住地に似ている。しかし建っている家は外装は古く見えて中は都会の家と変わらない。面白いなぁと彼は思った。

「バス事故があった日は何もなかった。」

とアラゴは言った。

「だがその前の日に部族の者が他所から来た人間と問題を起こした。個人的な問題だったから当人に訊かなければ内容はわからぬ。」

 そして彼は憂い顔で付け加えた。

「問題を起こした男の名は、ディンゴ・パジェ、君達が知っているロレンシオ・サイスの父方の家系の男だ。」

 ロホは族長の憂い顔の理由を理解した。パジェの家はオルトの家と同じ系列だ。つまり、純血至上主義者の一家だった。


2022/02/03

第5部 山へ向かう街     10

  突然ケツァル少佐が背もたれから上体を起こした。テオは彼女の視線の先を追って外来病棟の入り口を見た。2人の軍人が入って来るところだった。どちらも純血種の男性で、彼等を見た瞬間、ケツァル少佐は立ち上がり、いきなりアスルの手を掴んで近くの柱の陰に走った。テオは置き去りだ。
 何なんだ?
 テオは新たに登場した軍人を見た。一人はスラリと背が高く、短く刈り込んだ黒髪に少々白いものが混ざっていた。顔は少し四角い印象だが、イケメンの先住民だ。もう一人は連れに比べるとちょっとだけ背が低かったが、黒い艶のある髪を肩まで伸ばした若い男だ。2人の胸には緑色に輝く鳥の徽章が存在感を放っていた。テオは肩章を見て、歳上が少佐、若い方が大尉だと判別した。
 2人の大統領警護隊の将校は受付を通さずに階段を上がって行った。2階の渡り廊下から入院病棟へ行くのだろうか。
 テオは柱の陰に隠れている少佐と中尉に声を掛けた。

「彼等は行ってしまったぞ。」

 ケツァル少佐とアスルがゆっくりと姿を現した。あー、焦った、と言う顔をして2人は長椅子に戻った。テオは推測を言葉に出してみた。

「本部の将校かい?」
「スィ。」

 少佐が認めた。

「司令部の内部調査班です。大統領警護隊の憲兵の様な人達ですから、キロス中佐とフレータ少尉の事情聴取に来たのでしょう。」
「中佐はもう話せる状態なのかな?」

 するとアスルが、テオが忘れている”ヴェルデ・シエロ”の常識を思い出させてくれた。

「俺達には”心話”がある。」

 ああ、とテオは得心した。声を出す体力がなくても、目を見つめ合うだけで意思疎通が出来る便利な能力だ。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも出来るし、出来なければ”ヴェルデ・シエロ”ではない。
 本部の人間が接触する前にキロス中佐から話を聞きたかったのだが。

「ひょっとして、彼等は既にサン・セレスト村へ行ってガルソン大尉とパエス中尉からも事情聴取しているのかも知れないな。」
「その可能性はあります。部下達の証言を先に取って、指揮官の証言との矛盾を探るのでしょう。」

 大統領警護隊の事情聴取の遣り方は、階級が下の者から先と言うのが慣行だ。部下が上官の言葉に矛盾する証言が出来なくなるのを防ぐ。出来るだけ多くの部下の証言を先に取って、能力が大きく権威もある上級士官の矛盾を探すのだ。
 事件が起きてまだ3日目の朝だ。テオは大統領警護隊の動きの速さに驚いた。セルバ人とは思えない、と言ったら失礼になるだろうけど。
 アスルが上官に尋ねた。

「キロス中佐の見舞いはどうしますか?」

 ケツァル少佐はテオを見た。この秘密の見舞いは、事件の真相調査が目的だが、半分はテオの過去に起きた事故の解明でもある。

「内調が去ったら、私は中佐に面会してみます。貴方はテオとここで待っていなさい。」
「俺も行く。」

とテオは言った。子供みたいだが、置き去りにされたくなかった。さっき少佐とアスルが柱の陰に隠れた時も置き去りにされた。テオは内部調査班に見られても構わないと少佐が判断したからだが、テオは内心ショックだったのだ。
 少佐はアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「一人で見張りをしています。」



第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...