2024/01/31

第10部  追跡       11

 グラダ・シティとプンタ・マナの中間辺りにある寂れた農漁村の小さなキリスト教会に2人の男が駆け込んで来た。夕刻の礼拝の準備をしていた司祭に彼等は縋り付くようにして訴えた。

「神父様、匿って下さい、俺達はまだ死にたくない。」

 若い神父はちょっと驚いて開放されたままの扉の向こうを見た。まだ西日が射す時刻でもなく、外は日曜の午後をのんびり過ごす村人達がサッカーに興じたり、ベンチでお喋りしている姿が見えるだけだった。

「誰かに追われているのですか?」

 男達は顔を見合わせた。一人が告解室を指差した。

「懺悔させて下さい。」

 神父はもう一人の方を見た。2人目の男は椅子にぐったりと座り込んでしまった。

「駄目だ、どこに行っても追いかけてくる・・・あいつらから逃げることは不可能だ!」
「あいつらとは?」

 神父の問いかけに男達は再び顔を見合わせた。懺悔を希望する男が尋ねた。

「神父様、あんたはセルバ生まれかい?」
「ノ、私はフランスから来ました・・・」
「それじゃ、わからないだろう。」

 男はちょっと苛つきながら告解室を指差した。

「さぁ、懺悔を聞いてくれ。俺達を追いかけて来る古代の神の話を聞いてくれ。」

 その時、入り口から差し込んでいた陽が翳った。神父と2人の男が振り返ると、入り口に黒いシルエットになって一人の女性が立っていた。
 神父が記憶しているのは、そこ迄だった。彼が我に帰ると、教会内には誰もいなかった。2人の男も、入り口に立った陰を作った女性も姿を消していた。



 

2024/01/30

第10部  追跡       10

  アスルが心を過去に飛ばして見た密猟者達の顔を、ケツァル少佐とロホは憲兵隊の手配リストと照合し、6人の中の5人は氏名を確定させた。憲兵隊にその写真を指摘して、2人は憲兵隊本部を出た。
 日曜日だ。ロホは自宅に帰って寝ますと言い、上官と別れた。上官の裏をかいて彼女の妹の家に行くなどと言う姑息な真似はしない男だ。本当に真っ直ぐアパートに帰ってシャワーを浴びて寝てしまった。
 ケツァル少佐も自宅へ帰った。テオが帰って来てリビングで寝ていたので、起こさずにおいた。彼女もシャワーを浴び、着替えて何か食べようと考えていると、テオが目を覚ました。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 ノ、と彼女は答え、2人で食事に出かけた。午後2時を過ぎていたが、セルバでは遅いお昼にはならない。丁度12時頃に入店した客がのんびり出て来る時間で、2周目の客として彼等はイタリア人の店に入った。森の中での捜索の話やサバンの身元確認が所持品のお守りでなされたことを歩きながら語ったので、食事中は事件のことを忘れて食べることに専念した。
 山盛りのスパゲッティがみるみるうちに少佐の胃袋に収まっていくのをテオは愉快な気分で眺めた。彼女は超能力を使うと酷く空腹になる。それを補うために大量に食べるが、勿論彼女の体が健康な証だ。

「そう言えば、アリアナの出産はもうすぐでしたね。」

と少佐が話を振ってきた。テオは頷いた。

「順調なら今月末頃だって医者が言っているらしい。」
「病院で産むのですか?」
「夫婦はそのつもりだ。ロペス少佐は昔からの伝統的な出産方法で彼女が危険な状態になったりしたら助産師を引き裂いてやると言っていた。」

 少佐が噴き出した。

「シーロはあまり伝統的な作法を好まない人ですね。それに彼の実家は女手がいないので、出産後のアリアナや赤ちゃんの世話をする人もいないでしょう。ヘルパーを雇うのでしょうか。」
「そのつもりだろうけど・・・」

 すると少佐が提案した。

「私も病院が安全だと思います。一族の助産師もいますから、生まれて来る子供の扱いを任せて大丈夫でしょう。でも自宅に帰ったら、子供はミックスですから、ママコナの教えの声を聞けません。私が純血種のヘルパーを探してみましょう。」

 ”ヴェルデ・シエロ”の子供は生まれた時に大巫女ママコナのテレパシーで基本的な超能力の使い方を教えられる。テオは恐らくそれは脳波の使い方を調整されているのだろうと想像している。ミックスの子供はママコナの”声”を上手く受信出来ないので、脳波の調整が出来ず、超能力の基本的な使い方を学べないのだ。だから純血種から”出来損ない”などと蔑視されてしまうのだろう。純血種の父親は24時間子供の世話をする訳でないので、フォローが難しい。子供が言葉を理解出来る年齢になってから教育を始めるので、どうしても純血種に遅れてしまう。
 でも、最初から専属の純血種のヘルパーがいれば? ケツァル少佐はある意味実験を始めようとしていた。それは将来彼女が産むかも知れないテオの子供の為でもあった。


2024/01/29

第10部  追跡       9

  この日は日曜日で、「土曜の軍事訓練」は終わっている筈だった。それに密猟者・殺人犯の追跡は大統領警護隊文化保護担当部の任務ではない。だからケツァル少佐はアンティオワカ遺跡で解散した時に、部下達に自己判断で捜索を切り上げて帰宅するよう命じた。
 マハルダ・デネロス少尉は森の中で体験した「死の穢れ」で精神的に参っていたので、グラダ・シティでテオドール・アルストをグラダ大学に送り届けると、そのまま次兄の家で体を休めた。彼女の新しい交際相手のファビオ・キロス中尉は所属部署が違って、少佐の部下でもなく、ただ暇だったので今回の捜索に同行した。彼はデートが仕事になってしまった感じのデネロス少尉を労わりながら、結局まだ正式に彼女の家族に紹介されていなかったので、彼女の次兄の家でシャワーを使わせてもらった後、自分の家に帰宅した。
 別れ際、彼は彼女に言った。

「この週末は楽しかった。だが次は2人だけで静かに過ごすことも考えておいてくれないか?」

 デネロスははにかみながら答えた。

「土曜日の軍事訓練は私の楽しみの一つなのです。日曜日では駄目ですか?」

 キロス中尉は無骨な笑を浮かべた。

「日曜日でも、平日の夜でも構わない。私は2ヶ月の休暇中だから。」

 2人は丁寧に別れの挨拶を交わしたのだ。
 文化保護担当部の幹部2人、ケツァル少佐とロホはグラダ・シティの憲兵隊本部に行った。日曜日だが、軍隊に曜日は関係ない。普段通りの任務をこなしている憲兵達の中を通り、2人は殺人を主に取り扱っている班を訪ねた。
 憲兵隊は”ヴェルデ・シエロ”の軍隊ではないし、幹部も普通の人間が多い。だから少佐は南の森の中で起きた殺人事件の話を詳細に語らなければならなかった。憲兵隊は既にセルバ野生生物保護協会から同様の訴えを受けていたので、ちゃんと話を聞いてくれた。それに今回は動物学者でなく大統領警護隊が相手だ。最初の通報者の時より真剣に受け止めた。

「密猟の目撃者を殺害するのは珍しくありません。しかし遺体の扱いが異常だ。」

と担当した少尉が青褪めた顔で言った。バラバラ死体や焼かれた骨などの話は好きでないのだ。誰でも好きではないが。

「密猟者のリストですが・・・」

 少尉はファイルを出してきた。数枚のページに写真が貼り付けてあった。

「逮捕歴のある人物と逃亡中の人物、要注意人物の順に綴じてあります。お心当たりがあれば教えて下さい。」

 彼はファイルを少佐に渡し、部下に呼ばれて部屋から出て行った。他の事件で何か進展があったらしい。憲兵隊は忙しい組織だった。

2024/01/28

第10部  追跡       8

  ミーヤ・カソリック教会は大きくない。祭具室を抜けると司祭の居住区画で、廊下を通るとすぐに裏口から外に出た。町の住人が住む質素な家々が並び、すぐ向こうは森だ。アンドレ・ギャラガ少尉は教会から嗅いでいた人間の匂いがその森の方向へ向かっていることに気がついた。司祭は教会内のバザーにいたから、これは別の人間だ、と彼は思った。司祭の家族ではないだろう。司祭は妻帯しない。司祭館の家事を取り仕切る人間がいるとしたら、その人自身の住居か商店街に向かう筈だが、その匂いは森に真っ直ぐ向かっていた。
 先輩中尉を振り返ると、アスルも不機嫌な顔をして森を睨んでいた。

「森に隠れたのでしょうか。」

 ギャラガが尋ねると、彼は首を振った。

「この付近の森は国境破りを警戒して監視カメラを設置してある。密猟をする連中なら承知している。敢えてそんな場所に隠れるとは思えない。」

 突然彼が森の方角へ走り出したので、ギャラガも急いで追いかけた。行く手を塞ぐように畑の柵があったが、2人は軽々と跳び越えた。野菜の列を跨ぎ越し、再び柵を越えて森に走り込んだ。畑を荒らす動物を遠ざけるために、柵から森の最初の植生迄の間は樹木が伐採され、土と下草の空間だ。アスルとギャラガは人間が通った痕跡を追跡した。匂いの主は走っていた。何かから逃げたのだ、きっと。ギャラガは柵を越える時に、柵の上に張られた有刺鉄線に血が付着しているのを目撃していた。怪我をしてまで逃げたかったのか? 何から?
 森に入って500メートルも行かないうちにアスルが立ち止まった。ギャラガも足を止めた。酷く不快な感覚が襲ってきた。

ーー死の穢れだ・・・

 虫の羽音、まだ新しい死体の臭い。
 このあたりではしっかりした幹を持つ樹木が見えた。一番太い枝から大きな物がぶら下がっていた。
 アスルが溜め息をついた。そしてギャラガに囁いた。

「憲兵隊に電話しろ。手配書の一人だ。」

 まだ電波が届く距離だったので、ギャラガは言われた通り、電話を出した。位置確認を緯度と経度で行い、それから憲兵隊ミーヤ基地に掛けた。彼が通報している間にアスルが死体に近づいた。グルリと周囲を回って検分し、ギャラガのそばに戻った。

「物理的に誰かに強要された痕跡はない。首に締められた跡もなさそうだ。本当に首を吊っている。」
「自殺ですか?」
「見た限りではそうなる。しかし、走って行っていきなり首を吊ったりするか?」

 ギャラガは少し考えてから、言った。

「”砂の民”に幻影でも見せられましたかね?」
「多分・・・殺したサバンかコロンの幽霊に追っかけられたのだろう。」

 アスルは小さく「けっ」と言った。

2024/01/27

第10部  追跡       7

  憲兵隊にも配布するとかで手配書のコピーがたくさん置かれていたので、アスルとギャラガは2枚もらって、検問所の食堂を出た。そしてミーヤの街中を歩いて行った。隣国との往来に利用される大通りを中心に広がる細長い街だ。それに大きくない。セルバ共和国南部では観光都市プンタ・マナに次ぐ都市だが、どうしても田舎の印象は拭えない。首都グラダ・シティで育ったギャラガも、子供時代どこで過ごしたのか不明だが入隊以来ずっと首都を寝ぐらにしているアスルも、この街が洗練されていると思えなかった。しかし賑わっている。隣国の商人や買い出しの一般人が普通に検問所を出入りしている。セルバ側からも出かける人間が少なくない。物資はそれなりに豊かで雰囲気は陽気で活気に満ちていた。凶悪な殺人犯が隠れていそうに見えた。しかし密輸は行われるし、密入国もある。犯罪は普通に存在するのだ。
 ミーヤのカソリック教会はグラダ大聖堂に比べると小じんまりした田舎の教会に見えた。日曜の朝のミサが終わり、昼間は開放されていた。グラダ大聖堂と違って観光客は来ないが、地元民がいて、バザーの様な催し物をしているのが見えた。見たところ女性ばかりだ。

「殺人犯が隠れている様に見えません。」

とギャラガが囁いた。アスルは首を振った。

「いないだろうが、ちょっと俺たちの存在をアピールしておこう。」

 2人はジャングルから来たので、野戦服のままだった。アサルトライフルも持っていた。背中のリュックサックは遺跡発掘隊の監視業務で背負っているのを街の人々が何度も見ていたので、彼等が大統領警護隊であることは、胸の緑の鳥の徽章を見なくてもすぐにわかった。彼等が教会の中に入って行くと、洋服や小物の品定めをしていた女性達がチラリと彼等に視線をやったが、すぐに商品籠の方に顔を向けた。
 アスルは左回りに、ギャラガは右回りに壁に沿って歩いて行き、祭壇の前で合流した。

ーーここにはいません。
ーー奥の部屋を見てみよう。

 ”心話”で言葉を交わすと、2人はその場にいた人々に自分達はいないと思わせる幻視をかけた。恐らく女性達は、彼等は何時の間にか教会から出て行ったと思うだろう。
 2人は祭壇の横にあるドアを開き、司祭が使用する祭具室へ入って行った。

2024/01/26

第10部  追跡       6

  仮に「アキレスの一味」と密猟者グループを呼ぶことにしよう。クレトと言う一味のメンバーが半月前、バルに現れた時蒼白な顔でグラスをまともに持てないほど震えていたと言う。幽霊でも見たかと揶揄われても返事をしなかった。それから彼等は人前に現れていない。

「恐らく、クレトとか言うヤツは、オラシオ・サバンが殺されてジャガーから人間に戻るところを目撃したに違いない。」

 とアスルはギャラガに囁いた。

「連中は自分達が神を殺したと知った。恐怖でサバンの遺体を穴に入れ、焼いて痕跡を消そうとしたんだ。土で埋めた後も、連中は不安で恐ろしかった。」
「それで神から逃れようと姿を消した・・・?」

 ギャラガの質問と言うより確認の問いかけに、アスルは頷いた。

「だがセルバ国内にいる限り、必ず神に見つけ出される、と連中は思っている。それなら、どこに隠れる?」
「”ヴェルデ・シエロ”はキリスト教にとっては異教の神です。だから”シエロ”から隠れるなら、教会では?」
「もし連中がそう考えたなら、短絡的だな。俺達はキリスト教会を怖いと思っていない。用がないから近づかないだけだ。」

 アスルは食堂内の警備兵達を見回した。大統領警護隊は警察組織ではないから、犯罪者を追いかけたりしない。少なくとも、命令がなければ検問所から出て捜索したりしない。それは陸軍の国境警備兵も同じだ。彼等の仕事は国境を守ることで、出国者に注意して目を見張らせるだけだ。

「ミーヤの教会に行ってみますか?」

とギャラガが提案した。アスルは頷き、2人は空になった食器を返却口に運んだ。ブリサ・フレータ少尉がカウンターの向こうで彼等の顔を見て微笑んだ。

「何か手がかりを掴んだと言いたそうな顔ですね。」
「手がかりではないが、探す場所のヒントを陸軍からもらった。」

 アスルは料理をする人間が好きだ。彼自身も料理をするのが好きだからだ。彼が珍しくフレータ少尉に向かって微笑みかけたので、ギャラガはびっくりした。彼女が小さな紙袋を出して、アスルに差し出した。

「お料理をされるとステファン大尉から以前お聞きしていたので、よろしければこれを使ってみて下さい。隣国から来る行商人から買った混合スパイスです。怪しい物は入っていませんよ。多分、中尉なら成分や割合をすぐに当てられると思います。魚のシチューに丁度良い味を作ってくれます。」

 アスルは素直に有り難く頂戴した。ギャラガは新しい料理のレパートリーが増えるんだな、と期待した。


2024/01/24

第10部  追跡       5

 国境検問所の食堂は、大統領警護隊だけの場所ではなく、陸軍国境警備隊も一緒に食事をするのだ。だから料理はたっぷりあったし、アスルとギャラガも気兼ねなくテーブルに着けた。ブリサ・フレータ少尉は2人の皿に大きめの肉を載せてくれた。
 食事を始めようとした時、大統領警護隊警備班の隊長ナカイ少佐と先刻の警備兵が食堂に入って来た。ここの検問所の最高司令官に当たる人物だから、全員が立ち上がった。少佐は敬礼を兵士達と交わしてから、着席するようにと言った。

「食べながらで良いから、聞いて欲しいことがある。」

 彼がそう言うと、先刻の警備兵が一枚の大きな紙を広げ、後ろの壁に貼った。男の顔写真が3人分、コピーされていた。ナカイ少佐が言った。

「これは密猟者の手配書だ。連中は国境検問所を通らずに船で他国に動物の毛皮などを密輸していたが、最近、どうやら動物だけでなく人を殺したらしい。」

 兵士達が食事の手を止めて写真に見入った。

「殺害されたのは、セルバ野生生物保護協会の職員2名。間もなく首都でも手配書が発布されるだろう。密輸でなく国外逃亡を図る恐れがあるので、検問所でも注意して欲しい。犯人グループはもう少し人数が多い様だが、現在判明しているのはこの3人だ。」

 アスルが警備兵に伝えたのは6人だったが、写真が手に入ったのは3人だけだったのだろう。大統領警護隊の間では”心話”で6人全員の顔の情報が行き渡っている筈だ。陸軍には心で伝えられないから、手に入るだけの写真で手配を伝えた。
 陸軍兵から質問が出た。

「手配書の男だけでなく、一緒にいる連中も捕まえてよろしいですか?」

 少し乱暴だが、殺人犯の連れも一蓮托生だ、と言いたいのだ。犯罪に無関係かどうかは、捕まえてから調べる。それがこの国のやり方だ。
 ナカイ少佐は頷き、そしてアスルを見た。アスルは目で「ご協力感謝します」と伝えた。少佐は再び頷き、食堂から出て行った。

「アキレスの一味だな。」

と陸軍の方から囁きが聞こえた。

「前から怪しいと思っていたんだ。行商をしていると言いながら、妙に森へ出掛けていたからな。」
「だが、最近見かけない。以前はよくバルで見かけたんだが。」
「そう云や、半月前当たりだったか、クレトの奴が真っ青な顔でバルに来たことがあった。手が震えて酒のグラスを満足につかめていなかった。誰かが幽霊でも見たのかと揶揄っていたが、一切答えなかったな。」
「それじゃ、その時に、人を殺したんじゃないか?」

 大統領警護隊の隊員達は互いの目を見合った。その証言だけで十分だった。

第10部  追跡       4

 「アンドレ・ギャラガ少尉!」

 不意に女性の声に呼ばれて、ギャラガは驚いて声がした方へ顔を向けた。アスルも振り返った。女性の士官が入り口に立っていた。日焼けした彼女の顔を見て、ギャラガは顔を綻ばせた。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 敬礼を交わす2人の少尉を見て、アスルが尋ねた。

「知り合いか?」

 すると先刻まで話をしていた警備兵が説明した。

「隣国の超能力者騒動の時に、ギャラガ少尉がここへ来た。遺伝子学者の白人と大学生と3人だったかな。」

 アスルはその事件に直接関わらなかったので、話には聞いていたが関係者がどの範囲なのか知らなかった。それにフレータ少尉が太平洋警備室からミーヤ国境検問所へ異動になった件も知ってはいたが、あまり記憶に留めていなかった。本部の隊員のほとんどを知っていると自負している彼は、外の組織に勤務している隊員の知識が乏しいことを自覚した。
 フレータ少尉は休憩中の隊員に昼食の準備が出来たことを知らせて、それからギャラガとアスルに改めて向き合った。

「こちらへは、遺跡関係の密輸摘発か何かで?」
「ノ、もっと悪質だ。」

 アスルは彼女の上官の顔を立てて、この場では説明しなかった。

「恐らく隊長から後で説明があると思う。」

と警備兵を見て言った。警備兵が頷き、

「隊長に報告してから、食事に行く。」

と言い、部屋から出て行った。
 フレータ少尉が客を見た。

「あなた方もお食事されますか?」

 料理に興味があるアスルは、大きく頷いた。


2024/01/21

第10部  追跡       3

  憲兵と名前を交換し合ってから、アスルとギャラガは国境検問所へ行った。カフェから徒歩で行ける距離だ。当番の警備兵達は忙しいだろうから、休憩中の兵士がいる裏の事務所へ行った。首都かジャングルの遺跡にいる筈の文化保護担当部がやって来たので、休憩中の大統領警護隊の隊員は訝しげに応対した。敬礼を交わしてから、アスルは応対した隊員に密猟者の情報を”心話”で与えた。

「密猟は隣国でも問題になっている。」

と警備兵は言った。

「検問で通せない品だから、恐らく海に出て運んでいるだろう。憲兵隊から沿岸警備隊に手配書を回してもらおう。」
「殺人犯だ。」
「一族の者を殺害するなんて、質が悪い。」

 警備兵は検問ゲイトの方をチラリと見た。

「だが、その被害者は何故ナワルを使ったと思うんだ?」
「服を焼いた跡がなかったからな。死体をわざわざ裸にして焼くなんて、密猟者はやらないだろう。身元隠しなど、森の奥では意味がない。」
「そうだな・・・」

 警備兵は片手を顎に当てた。

「ことによると大事かも知れないぞ。ナワルの状態で殺されたら、人間に戻ってしまうところを目撃される。」
「十分その恐れはある。だから”砂の民”が動いている。」

 警備兵が溜め息をついた。

「あの連中は秘密裏に動くから、全て片付いても、我々にはわからない。我々はいつまでも犯人を探すことになる。」
「それに見せしめにならない。」

 アスルは国境警備班が自分達と同じ意見であることに安心した。

「隊長と相談して、この近辺の一族に警戒を促そう。」
「しかし、ピューマにも知られるぞ。」
「知られても構わんさ。」

と警備兵は言った。

「逆に連中は動きにくくなる。」

 先輩達の会話を聞いていたギャラガは思った。

ーー密猟者は”ヴェルデ・シエロ”全体を敵に回したな・・・

2024/01/20

第10部  追跡       2

  ミーヤの憲兵隊支部は国境検問所の近くにあった。警察署と隣接して建っている2階建ての小さなビルで、入り口に歩哨が立っていた。アスルとギャラガは一度その前を通り過ぎ、検問所の出国審査を待つ人々が時間を潰す野外カフェに席を取った。水を注文してから、アスルはギャラガに命じた。

「憲兵隊で一族の者がいるか、呼んでみてくれ。」

 ”感応”と呼ばれる一方通行的なテレパシーだ。特定の個人向けでテレパシーを送ることがあれば、不特定多数に向けて呼びかけることもある。”ヴェルデ・シエロ”に取っては難しくない能力だが、残念なことにこの呼びかけに返信する能力を”ヴェルデ・シエロ”は持たない。会話をする為の能力ではないので、相手を「呼ぶ」だけなのだ。話があれば呼ばれた者が呼びかけた者を特定して接触しなければならない。便利なようで不便な中途半端な超能力だ。
 アスルは”砂の民”がオラシオ・サバンを殺害した連中を探していることを知っていた。不特定多数の一族の人間に呼びかけると、その”砂の民”にも呼びかけることになってしまう。それではサバン殺害犯に法律の下で罰を与えたい大統領警護隊文化保護担当部としては拙いのだ。犯人は普通の人間、イスマエル・コロンも殺している。動物達を密猟している。だから連中を公に告発して罰を与え、新たな密猟者が現れるのを防ぎたかった。”砂の民”は標的を殺されたと思わせない方法で殺してしまうから。
 アンドレ・ギャラガはちょっと息を整えてから、目を憲兵隊ビルに向けた。

ーー憲兵隊の一族の者

 呼びかけの内容はそれだけだった。”感応”は長い文章を送れない。文章を送れるのは、首都に聳える聖なるピラミッドに住まう大巫女ママコナ様だけだ。返信が出来ない能力だから、相手が聞き取ったかどうかわからない。受信した方は誰から送られて来たのかわからないから、特定の相手に「聞いた」と言えないのだった。
 アスルとギャラガは暫く往来を眺めていた。もしさっきの呼びかけに誰も応えなければ、国境検問所に行って、大統領警護隊国境警備班の仲間に憲兵隊の中に一族の者がいないか訊く方法があったので、焦らずに構えていた。
 半時間経って、店から離れようかと思い始めた時に、一台の憲兵隊の車が店前に停車した。野外テーブルの目と鼻の先だ。窓から先住民の血が優った顔のメスティーソの男が顔を出した。

「呼びましたか?」

 相手はアスルとギャラガが胸に緑の鳥の徽章を付けて迷彩色の服を着た大統領警護隊だったので、戸惑っていた。彼を呼んだロス・パハロス・ヴェルデスはどちらもまだ少年の様な若い隊員で、憲兵より10は年下に見えたのだ。
 アスルが立ち上がり、車のそばに行った。瞬時に”心話”で事件を伝えた。憲兵がギョッとした目で、アスルが差し出した潰れた銃弾を見た。

「埋められていた遺体の灰に混ざっていた。恐らく殺された一族の男は、これで射殺されたんだ。」
「失礼・・・」

 憲兵は彼から銃弾を受け取り、目を閉じた。アスルもギャラガもこの憲兵のことを何も知らなかったが、憲兵は目を開くと、アスルに”心話”を要求した。アスルが相手の目を見ると、脳裏に潰れる前の銃弾のイメージが浮かんだ。「ほう!」とアスルが感嘆の声を出した。

「貴方は復元した銃弾をイメージ出来るのか!」
「私の唯一の特技ですがね。」

と憲兵が囁いた。

「同僚に説明出来ないのが難点で・・・」

 アスルと彼は苦笑し合った。普通の人間の世界で暮らす古代人類の子孫の悩みだ。

「中尉から頂いた犯人のイメージは、憲兵隊が追っている密猟者グループの中にいる数人と合致します。殺人を立証するのは難しいですが、密猟で捕まえるのは簡単です。居場所を探しましょう。」

 彼はニヤリと笑った。

「抵抗すれば射殺しますが、構いませんね?」
「問題ない。」

とアスルは言った。

「少なくとも犯罪者として罰せられる訳だから。」


2024/01/19

第10部  追跡       1

  アスルとアンドレ・ギャラガ少尉は一緒にミーヤ国境検問所があるミーヤの街中を歩いていた。南部では一番人口が多く、物流も盛んな土地だ。隣国との交易も盛んだから、人間の出入りも激しい。国境警備は大統領警護隊国境警備班とセルバ陸軍国境警備隊の合同任務で、彼等はミーヤ以外にも森の中の開拓地に検問所を持っていた。そちらは街道がなく、もっぱら森を抜けて行き来する密入国者や密輸業者の取締が主な仕事で、密猟取締はしていない。密猟取締は憲兵隊の仕事だ。アスル達は憲兵隊のミーヤ支部に行くところだった。
 ギャラガはアスルから目を離さないように気をつけていた。アスルはオラシオ・サバンの遺体発見現場で心を過去に飛ばし、サバンを殺害したと思われる人間の顔を見てきた。彼の報告では犯人は5、6人のグループで、アスルが見た時、既にサバンは死んでいた。遺体を地面に掘った穴に落とし、ガソリンをかけて火を付けるところを見て、アスルはすぐに現在に戻って来た。暫く地面に四つん這いになって、疲労感を隠そうとしなかった。嫌なものを見てしまったので、精神的な負担が大き過ぎたのだ。だから別行動を取ると決めた時、ロホはギャラガにアスルを守れと命じた。

「あの男は強がりだから、平気を装うだろうが、まだ心が本調子じゃない筈だ。暴走する可能性もあるから、もし言葉で言って聞き入れなければ、君は彼を眠らせるんだ。」

 ロホは密猟取締の本部であるグラダ・シティの憲兵隊本部へ行ってしまい、アスルとギャラガは現場の責任者と言うより、憲兵隊に一人はいるだろうと思われる一族の人間を探しに行くところだった。
 アスルはケツァル少佐とロホには過去に見た光景を”心話”で伝えたが、ギャラガには犯人の顔しか見せてくれなかった。年下の者に嫌なものを見せたくないと言う彼なりの思いやりだ。しかしギャラガは子供扱いされた気分で、ちょっと不満だった。どんな残虐な人間が相手なのか、知っておきたかったのだ。

「どうして一族の人間が”ティエラ”にあっさり殺されたのだと思いますか?」

 そっと質問してみた。アスルは雑踏の中を歩きながら、暫く黙っていたが、やがて聞き取るのがやっとの低い声で答えた。

「サバンの遺体は裸だった。彼は、ナワルを使っている最中だったんじゃないかな。」

 ギャラガは冷や水を頭からかけられた気分になった。サバンのナワルはきっとジャガーだったのだ。なんらかの理由で彼はジャガーに変身していた。そして密猟者はジャガーだと思って、彼を撃ち殺した。”ヴェルデ・シエロ”は死ねば人間に戻る。

「密猟者は、サバンが人間に戻るのを見たのでしょうか・・・?」
「一度は腰を抜かしただろう。そしててめぇらが神を殺したことに気がついた。それで慌てて痕跡を消そうと焼いたんだ。他の獲物は皮を剥いでそのまま埋めていたから、ただの人間も普通なら焼かずに埋めただろうが、殺した相手が神だったから、神の仲間に知られたくなかったに違いない。」

 ギャラガは思わず身を震わせた。

「”砂の民”がそれを知ったら、密猟者達は全員殺されます。彼等から話を聞いた人々も殺されますよ・・・」

 アスルが忌々しげに言った。

「だから気分が悪いんだ。大規模な粛清が始まるかも知れない。」

2024/01/17

第10部  穢れの森     20

  日曜日だったから、テオはロバートソン博士を自宅へ送り届けると、己も真っ直ぐに自宅へ帰った。シャワーを浴びて部屋着を着て、ケツァル少佐の区画のリビングでぼんやりテレビを見ているうちに眠たくなって寝てしまった。
 空腹で目が覚めたのは午後2時を回った頃だった。室内でいつ戻ったのか、ケツァル少佐が普段着姿で動き回っていた。彼女もシャワーを浴びて落ち着こうとしていた。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 声をかけると、ノ、と返事が来た。それで2人で外に出て、坂道を下り、最寄りの商店街へ行った。急いで行っても最初の昼の客がまだ席にいるだろうから、ゆっくりと歩いて行った。

「全部見つけました。」

と彼女が歩きながら囁いた。テオは黙っていた。

「埋められていたのは一人だけです。」

 それでテオは鑑定結果を告げた。

「骨そのものは分析出来る成分が残っていなかった。でも一緒に掘り出したコイン状の物が、アマン地区の女神のお守りだとわかって、オラシオ・サバンがいつも肌身離さず持っていたこともわかった。それでロバートソン博士と一緒にサバンの父親に会って、遺骨とお守りを渡して来た。」
「サバンの父親は何か言っていましたか?」
「いや・・・ロバートソンが一緒だったから、詳しい話は出来なかった。何かあれば連絡をくれるよう言ったが、多分俺には何も言って来ないだろう。」

 少佐が首を振って同意した。そして彼女の方でわかったことを言った。

「殺害者は穴を掘って遺体を入れ、ガソリンか何か油状の物をかけて焼いたようです。殺人の痕跡を消したかったのでしょう。結構深い穴でした。焼けた人間の他に焼かれていない動物の骨もありましたから、密猟者が日頃獲物の後始末に使っていた穴だと思われます。」
「すると、サバンは密猟者と出会してしまい、殺害されたのかな。」
「恐らく・・・でも、一族の者があっさりと殺されるなんて・・・」

 身を守るためなら、例え大罪を犯してでも爆裂波を相手に使うだろう、とテオも少佐も想像した。

「不意打ちだったのかも、な。」

とテオは呟いた。

「密猟者の方が先にサバンの存在に気がついて、先手を打ったんだ、きっと。」

 ケツァル少佐がさらに声を低くして言った。

「アスルが密猟者の姿を見るために心を過去に飛ばしました。彼は今、国境付近の憲兵隊に一族の者がいないか探しています。犯人の顔を伝えるために。」


2024/01/15

第10部  穢れの森     19

  テオが予想した通り、ティコ・サバンは骨が入っていると言われた箱に手を触れようとしなかった。お祓いをしていない遺骸に触れないと言う先住民(”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも)のしきたりだ。だからテオはそっと囁いた。

「マレンカの御曹司がしきたりに従って清めてくれました。」

 マレンカはロホの本名で実家の姓だ。そしてその名を知らないブーカ族はいない筈だった。一族の中で宗教的な権威を持つ家柄だったから。果たして、サバンはハッとした表情になり、テオの顔を見た。マレンカの名と意味を知っているこの白人は何者だ?と言う疑問を、テオはその表情から読み取った。しかしロバートソン博士が同席しているこの場で詳細を語ることは出来なかった。

「私は大統領警護隊文化保護担当部の隊員達と親しくしています。この遺骨とお守りも彼等と同行して発見し、私が持ち帰りました。」

 ロバートソン博士が何の話?と物問いた気にテオとサバンを交互に見た。サバンはテオともっと話す必要があるのかと考えたようだ。黙って水を口に含み、ゆっくり飲み下すと、静かに言った。

「息子を連れて帰って頂き、感謝します。」

 テオは長居無用と判断した。少なくとも、ロバートソン博士と同席している時にサバンと語り合うことは出来ない。彼は立ち上がった。

「セルバ共和国の自然保護の為に働いておられたご子息の無念を思うと、本当に心が痛みます。」

 ロバートソン博士も立ち上がった。彼女もこのアパートにこれ以上滞在するのは精神的に耐えられないのだろう。

「オラシオの荷物は整理して後で届けさせて頂きます。」

と彼女は告げ、そして耐えきれなくなったのか、ハンカチを出して顔に当てた。テオは彼女の肩に腕を回し、ドアへ導いた。そっとサバンを振り返ると、ティコ・サバンは箱を持ち上げたところだった。お祓いが済んだ息子の遺骨を迎え入れたのだ。
 テオは言った。

「グラダ大学の生物学部の遺伝子工学科に私はいます。」

 サバンが頷くのが見えた。

2024/01/13

第10部  穢れの森     18

  低い棚の上に写真が数枚額に入れて飾られていた。ティコ・サバンの若い時のものだろうか、一緒に写っている女性は妻に違いない。息子3人と一緒に写っている5人家族の写真、それぞれの息子の成長した晴れの日の写真、どれを見ても特別な先住民の様子はなかった。サバン家は多くの”ヴェルデ・シエロ”がそうして来たように、周囲に上手く溶け込んで生きてきたのだ。
 ティコ・サバンが水を入れたグラスを3つ持ってきた。お盆なしで上手に3つ、両手で支えて運んで来た。テオとロバートソンは礼を言ってグラスを受け取った。

「奥様は・・・?」

 ロバートソン博士が尋ねかけると、サバンは素早く答えた。

「妻は昨年から体調が良くなくて、次男の家族と一緒にグラダ大学の近くのアパートに住んでいます。大学病院に通院するのに便利なので。」

 もしかすると、彼は妻に息子の行方不明を告げていないのかも知れない。

「オラシオは長男です。」

とサバンは言った。

「あまり人付き合いの上手い人間ではなくて、動物の研究に明け暮れて森にばかり出かけていました。」

 ロバートソン博士が申し訳なさそうな顔で言った。

「彼は本当に熱心な研究者で、私が一番頼りにしていた助手でした。」

 過去形だ。サバンが彼女の顔を見た。

「息子は死んだのですね?」

 ズバリと言われて、テオは深呼吸した。そして薄紙に包んだコイン型のお守りを出した。

「これはオラシオの物でしょうか? 熱を受けてかなり刻印が読みづらいですが、女神の名前が刻まれています。」

 ティコ・サバンはそれを受け取り、紙を開いて中の物をつまみ上げた。じっと見つめた。

「同じ物を息子は持っていました。小さい頃に一度感謝祭の祭りで迷子になって、その後で妻が買い与えたのです。」

 テオは箱を出した。

「それは、この中の骨と一緒に森の奥で埋められていました。」

 

2024/01/12

第10部  穢れの森     17

  オラシオ・サバンの父ティコ・サバンは、見た目は普通の先住民系の親父だった。清潔に洗濯されたシャツとズボンを身につけて、頭も綺麗に刈っていた。いかにも以前は役所勤めをしていた人と言う印象を与えた。
 ロバートソン博士が挨拶をする前に、テオは素早く声をかけた。

「ブエノス・ディアス、グラダ大学生物学部の准教授テオドール・アルスト・ゴンザレスと、セルバ野生生物保護協会のフローレンス・エルザ・ロバートソン博士です。」

 もしティコ・サバンが厳格な”ヴェルデ・シエロ”の伝統を重んじる人なら、初対面の女性から声を掛けるのは好まないだろうと思ったのだ。ティコ・サバンは一瞬驚いた表情をしてから、頷き、ロバートソン博士に声を掛けた。

「ティコ・サバンです。貴女が先ほど電話を下さった方ですね?」

 ロバートソン博士が「スィ」と答えた。

「突然の訪問をお許し下さって有り難うございます。実は、オラシオについて確認して頂きことがあります。」

 サバンは室内を振り返り、それからまた客に向き直った。

「中へお入り下さい。」

 テオとロバートソンは素直にアパートの中に入った。中は涼しく、思ったより明るかった。採光の良い大きな窓がリビングの奥にあり、建物の反対側も庭の様な空間であることがわかった。建物自体は3階建てだったが、このアパートはどこかに階段があるらしく、サバンの部屋は1階だけだった。大きなリビングと、小部屋らしきドアが3つ、反対側に台所やバスルームなどの水回りがある様だ。床面積は広いが、家族の人数が多ければ狭いだろう、とテオは感じた。
 サバンは古いソファを指差して、客に座るよう促した。

「何か飲まれますか?」
「ノ・・・」
「お水をお願いします。」

 テオが断りかけたのをロバートソンが遮った。断るのは失礼だ、とテオは気がつき、彼も頷いた。

「では、私も水をお願いします。」

 ティコ・サバンは台所へ行った。テオはリビングを見回した。動物の研究をしている様な気配はない。それに大勢の人間が暮らしている気配もなかった。装飾は質素で、大学の男子寮の雰囲気だ。もしかすると、と彼は感じた。ここは父と息子の2人きりの家族だったのではないか。心が重たく感じる予感だった。

2024/01/11

第10部  穢れの森     16

  フローレンス・エルザ・ロバートソン博士は、テオが断ろうと試みたにも関わらず、アマン地区へ同行を要請して来た。仕方なくテオは時間を約束して一旦自宅に帰り、もう一度シャワーを浴びて服装を整えてから、遺骨を綺麗な紙箱に入れ替え、コインも薄紙に包んで、自分の車で出かけた。途中でセルバ野生生物保護協会に立ち寄り、ロバートソンを拾った。彼女は青い顔をしていたが、きちんとダーク系の色の服を着て、化粧も派手にならない程度にしていた。これから会うサバンの親への礼儀だ。
 テオは遺体発見時の話を車内でしたくなかったので、サバン家のことを質問してみた。しかしロバートソン博士は仲間の個人的な情報を余り持っていなかった。それは彼女自身が余り他人の生活に関心がなかったせいもあるだろうが、やはり”ヴェルデ・シエロ”だったサバンが家族の話をしなかったからだろう。
 
「お父さんは普通の勤め人だと言っていました。グラダ・シティの地区役場に勤務して、定年で引退したのだと。お母さんは地区の小学校の先生だったそうです。」

 どれも過去形だから、両親はどの仕事でも現役ではないのだ。もしかすると虚偽なのかも知れない、とテオは思った。セルバ共和国では労働者を採用する時、親族が何をして生計を立てているかなど、余り問題にされない。テオが国立大学の准教授になれたのも、そう言うお気楽な風土のお陰があったのだ。
 アマン地区は商業地区ではなく、庶民の住宅と小さな町工場や商店が混在する、普通の街だった。日曜日だからキリスト教会へミサに行って帰る人々が歩く中を走り、やがてロバートソン博士がサバンの実家に電話で教えてもらった住所に着いた。
 庭がない、道路からいきなり立っている壁に付けられたドアの前に駐車して、車から降りた。路駐の車がずらりと並んでいて、駐禁で取り締まられることはなさそうだ。
 ドアを開くと、そこはちょっとした公園みたいになっていて、囲むように建っているアパート群の中にサバン家は住んでいた。テオが以前住んでいたマカレオ通りの平家造りの長屋を縦に伸ばした感じだ。
 ロバートソン博士は深呼吸して、テオをアパートのドアの一つに案内した。

「聞いた番地はここです。」

 ドアには番地の数字しか書かれていなかった。だが、テオは番地表示のプレートのすぐ下に、獣の爪跡のようなものを見つけた。

「これ・・・」

と指差すと、ロバートソンもちょっと目を見張った。

「大きなネコ科の動物が引っ掻いた様なあとですね。」

 流石にネコ科の研究者だ。テオは確信した。これはジャガーに変身する”ヴェルデ・シエロ”が一族だけにわかるように付けた「表札」だ、と。


2024/01/10

第10部  穢れの森     15

  テオはセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士の携帯電話にかけてみた。協会は日曜日なので休みの筈だ。ロバートソン博士はまだ朝の家族団欒で食事中だった。電話の向こうから聞こえる物音に、テオは悲しい要件でかけたことを後悔した。
 簡単に挨拶してから、彼は尋ねた。

「オラシオ・サバン氏は、アマン地区の出身でしょうか?」

 ロバートソン博士はちょっと驚いた。

ーーそうです。どうしてご存知なのですか? 彼の家族にお会いになったのですか?
「ノ、会うのはこれからになりますが、先に確認しようと思いました。彼はもしかするとお守りを持っていませんでしたか? 女神アマの迷子防止のお守りを・・・」

 するとロバートソン博士の声が震えた。

ーー彼は、ええ、いつも持っていました。小さなコインの形のお守りで、ネックレスのヘッドにして首から下げていました。

 テオが数秒間黙り込むと、彼女は急かすように質問して来た。

ーーお守りを見つけたのですか? どこにありました? サバンは無事ですか?

 テオは深呼吸した。

「まだ確定した訳ではありませんが、サバン氏ではないかと思われる遺体を発見しました。」
ーーどこで?!
「コロン氏の遺骨が発見された場所から1キロほど南へ入った森の中です。まだ大統領警護隊が調査中ですが・・・」
ーー憲兵隊ではなく、大統領警護隊が見つけたのですか?
「スィ。」

 ロバートソン博士の啜り泣く声が聞こえた。大統領警護隊が見つけたのなら、それは本当にサバンなのだろう、と思ったに違いない。
 テオは彼女が落ち着くのを待って、言った。

「お守りをサバン氏の家族に見せて確認したいのですが、会えるでしょうか?」

 

2024/01/09

第10部  穢れの森     14

  パン屋の車でマハルダ・デネロス少尉の次兄の家に送ってもらうと、そこでシャワーを使わせてもらえた。着替えはリュックサックに入れていたので、それを着た。キロス中尉はテオとデネロスがパン屋の車から降りるとすぐに荷台から助手席に移動し、パン屋と共に走り去った。どうやら正式にデネロスの両親に挨拶する前に次兄に会うのは拙いと危惧したらしい。先住民の習慣や掟にまだ完全に馴染めないテオは、そんな厳格な家庭に育った男がデネロスとこれから上手くやっていけるのかと心配したが、当事者に任せる他になかった。
 デネロスも風呂を終えると、兄にスクーターを借りて、テオをグラダ大学まで送ってくれた。デネロスの兄とは既に何度か顔を合わせていたので、テオも気兼ねなく厚意に甘えることが出来た。
 日曜日の大学は静まり返っていた。テオは守衛室に顔を出して、研究室を使用する旨を告げて学舎の入り口を開けてもらった。研究室の鍵は自分で持っていたので、合鍵を借りずに済んだ。
 研究室に入ると、すぐにペットボトルに入れて持って来た遺灰と骨を出した。完璧に熱でD N Aが破壊されていたらお手上げだが、少しでも何か使えるものがあればと期待した。結局骨は使い物にならなかったが、小石に混ざって拾い上げていた金属片に手がかりがあった。直径1センチほどのボタン状の物で、綺麗に洗って、そこに彫られた模様を写真に撮り、パソコンに取り込んで拡大してみた。

 deidad Ama

と読めた。神様の名前か? テオはケツァル少佐に電話しようとして、思い止まった。少佐はまだ南部のジャングルの中にいる。ロホもアスルも一緒だ。deidadはスペイン語だから、訊く相手は”ヴェルデ・シエロ”でなくても良いんじゃないか? 
 彼は守衛室に電話をかけた。守衛にdeidad Ama って知ってるかい?と尋ねると、意外にも返事があった。

「市の南のアマン地区に祀られている女神様ですよ。昔から祠に石像が祀られていて、子供が迷子になった時にお祈りすると見つけてくれるんです。見つかった子供はそれ以上迷子にならないようお守りをつけるそうです。僕の従兄弟も小さい時にメルカドで迷子になって、お守りを持たされてました。」
「どんなお守り?」
「小さなコインみたいなもので、アマン地区の彫金師が作ってるんです。日曜日に教会を出たとこで売ってるそうですよ。」
「グラシャス!」


2024/01/07

第10部  穢れの森     13

 移動パン屋のホアンは、お堅いキロス中尉の本当に幼馴染なのか、と疑ってしまうほど、軽い印象の男だった。カリブ系の血が入っているのか肌が浅黒く、髪はドレッドに編み込んでいた。鼻や唇、耳にピアスが光り、派手な赤いシャツを着ていた。そのホアンが運転席から降りるなり、キロス中尉としっかりハグし合ったので、テオもデネロス少尉も驚いた。キロス中尉の様な純血種の”ヴェルデ・シエロ”は大統領警護隊でなくても他人が自分の体に触れるのを嫌がるものなのだ。しかし2人の目の前でキロス中尉はにこやかに笑みを浮かべてパン屋を抱きしめていた。

「久しぶりだなぁ、ファビオ! この前会ったのはいつだっけ?」
「半年前だ。今日の目玉商品はなんだい?」
「ココナッツパイだ。グアバジュースもあるぞ!」

 幼馴染と言うものを持った経験がないテオは羨ましく感じた。パン屋のホアンはどう見てもメスティーソかムラトだが、キロス中尉は心を許しているのだ。
 中尉はテオとデネロスを仕事仲間だと紹介した。実際そうなのだが、ホアンはデネロスを見て意味深に微笑んだ。

「この前会った時、気になる女性少尉がいるって言ってたが、それがこの娘かい?」

 デネロスが真っ赤になった。キロス中尉は「彼女に失礼だろ」と言いながら、彼も赤くなった。テオは半年以上も前から彼がデネロスに目をつけていたのか、と驚いた。油断も隙もありゃしない。確かにマハルダは可愛いし、今まで彼氏がいない方が不思議だったが。
 兎に角そこで一行は朝食を済ませることにした。銘々好きなパンを買ってジュースで喉を潤した。ところで、とキロス中尉がホアンに言った。

「グラダ大学迄、こちらのアルスト博士を乗せてあげて欲しいんだが?」
「グラダ大学? ちょっとコースを外れるなぁ。」

 ホアンが一瞬躊躇った。するとデネロスが別の提案をした。

「カヌマ通りまで行けます?」
「ああ、あそこは行くよ。市場に商品を卸しに来る農家さん達がパンを買ってくれるからね。」
「じゃ、カヌマ通りまでアルスト博士と私を乗せて行ってもらえます?」

 キロス中尉は計算に入っていないのか? テオが思わずキロス中尉を見ると、彼は特に気にしていない様子で、デネロスに尋ねた。

「市場に知り合いでもいるのか?」
「次兄があの近所に住んでいるんです。」

とデネロスが笑顔で答えた。

「実家が卸す野菜を兄が市場で売っているんですよ。だから、シャワーを借りて車も借ります。私がテオを大学迄送りますよ。」

 キロス中尉が何か言う前にホアンが、「O K」と言った。

「彼女と博士は前に乗ってよ。ファビオは後ろにぶら下がってくれよな。」

 テオはキロス中尉があっさり「わかった」と答えたので、ちょっと驚いた。 

2024/01/06

第10部  穢れの森     12

  翌朝、テオはマハルダ・デネロス少尉とキロス中尉と共にグラダ・シティに戻った。勿論空間通路を利用して。早朝の街中でも空中からいきなり人間が出現するのを見られるのは非常に危険だ。先導のキロス中尉は”着地”すると直ぐに周囲を見回し、目撃者がいないことを確認した。

「俺は直ぐに大学へ行って、回収した骨を鑑定してみる。」

とテオは言った。キロス中尉は現在地を携帯で調べた。

「大学までは車が必要です。仲間を呼びましょう。」
「いや、そこまでしてもらう必要は・・・」

 するとデネロスがテオに囁いた。

「まだバスもタクシーも走っていませんよ。」

 確かにやっと太陽が東の港の方角から顔を出したところだった。大都会グラダ・シティはまだ寝ている人の方が多い。日曜日だったし、セルバ共和国のキリスト教会は早朝のミサを好まない。日が昇る時刻は、大巫女ママコナが国内の平和を祈る時間とされていた。異教の神への祈りで彼女を妨げてはならない。
 キロス中尉がどこかに電話をかけた。彼が所属する大統領警護隊遊撃班かと思いきや、中尉はかなり砕けた口調で喋った。

「ホアン、ファビオだ。朝早くすまないな。ちょっと車で迎えに来て欲しいんだ。場所は・・・」

 テオはデネロスを見た。誰にかけているんだ?と目で問うてみたが、彼女もちょっと首を傾げただけだった。
 ほとんど一方的に喋ったキロス中尉は電話を終えると、同伴者達の疑問の視線に答えた。

「小学校時代のダチです。ほぼ”ティエラ”ですが、夜目は利く男です。」

 つまり遠い祖先に”ヴェルデ・シエロ”がいて、遊び仲間に本物の”ヴェルデ・シエロ”が混ざっていても全然気にしない、寧ろその存在に全く気づかない連中だ。

「こんな朝早い時間に呼び出して、良いのかい?」

 テオが心配すると、キロス中尉は笑った。

「彼は商売柄かなり早い時間から仕込みをしてますから、今の時間はそろそろ街に出て行く頃です。」

 どんな商売なんだ?とテオとデネロスが考えるうちに、古いエンジンの音が近付いてきた。「ああ、来ました」とキロス中尉が言ったので、振り返ると、小型のバンがやって来るところだった。バンの車体には派手なピンクのネズミとブルーの猫の絵が描かれ、飾り文字で「ホアンのパン」と書かれていた。

「パン屋さんだわ!」

 デネロスが嬉しそうな声を上げ、キロス中尉が何故か誇らしげに微笑んだ。

2024/01/05

第10部  穢れの森     11

 携行食は例外として、ジャングルで食べ物を残すのは御法度だ。匂いで動物が来るし、高温多湿の気候で残飯の腐敗が始まる速度が早い。全員でスープとポテトサラダを綺麗に完食した。ギャラガ少尉とテオは食器と鍋を井戸で洗った。料理をしたアスルは余った食材を土に埋めてしまい、 明日はグラダ・シティに帰還することを行動で示した。
 ロホの地図にケツァル少佐とキロス中尉がそれぞれ発見があった箇所を記した。イスマエル・コロンの骨が発見された場所、焼け焦げた遺骸を見つけた場所、何者かの残留物が見つかった場所、等だ。

「現場を発掘して調査しなければなりませんが、穴を掘って殺害した人間を入れ、焼いたと思われます。」

 少佐が考えを述べた。

「地面の臭いから、まだあまり長い時間は経っていないとわかります。恐らくこの一月か2ヶ月の間に犯罪が行われたのでしょう。」
「殺害されたのはオラシオ・サバンと考えて良さそうです。」

とロホが囁いた。

「犯人は殺人を知られないよう、遺体を地面の穴に入れて焼いたのでしょう。慎重に隠したつもりでしたが、サバンを探しに来たコロンが何らかの理由で犯罪を嗅ぎつけた。運悪く犯人がそばにいて、彼も殺害されてしまった。」
「何故犯人はコロンを焼かなかったのです?」

とキロス中尉。ロホは少し考えてから考えを述べた。

「その時犯人は穴を掘る道具を持っていなかった。死体を焼く燃料がなかった。或いは死体を埋める時間がなかった。」

 少佐が言った。

「サバンとコロンがそれぞれ単独で森に入ったのか、調べましょう。サバンは普段から単独行動をしていたそうですから、彼と接触した人間を探しのは難しいでしょうが、コロンは”ティエラ”でした。誰か同行した人間がいた筈です。」
「そいつが犯人の可能性があるのですね?」
「私達は警察ではありません。犯人探しは憲兵隊の仕事です。それに今回の軍事訓練は、サバンの捜索が目的でした。これからテオに遺骸の検査をしてもらい、誰が亡くなっていたのか調べてもらいます。」

 少佐は夜のジャングルを見た。

「何者か知りませんが、一族の者を殺害し、侮辱した人間は許せません。」


2024/01/04

第10部  穢れの森     10

  焚き火を囲んでの夕食はアスルお手製の鶏肉スープ、デネロス制作のポテトサラダだった。力仕事をした後だったのでケツァル少佐は遠慮なしにモリモリ食べた。テオもアスルのスープは大好物だったが、初めて同席するキロス中尉がどれだけ食べるのかわからなかったので、少しセイブした。ロホが別行動で行った国境の街ミーヤで仕入れてきた豆の缶詰を開け、各自のポテトサラダの上に少しずつ分けてくれた。

「噂に違わず、美味い。」

とキロス中尉がアスルのスープを誉めた。

「警備班時代に君と同期だった連中から聞いていた。」
「警備班時代は料理する暇なぞなかったぞ。」

とアスル。キロスがおべっかを言ったと言わんばかりに素気ない。キロス中尉は彼の敵意に気付かぬふりをした。

「野外訓練の時に君が飯当番をした話だ。手に入る少ない材料で美味い飯を作ったと聞いた。」
「それよりデルガド少尉やステファン大尉からの情報の方が新しいでしょう。」

とギャラガ少尉が2人の中尉の確執に鈍感なふりをして割り込んだ。

「デルガド少尉は休みを取る度にアスル先輩の家へ泊まりに来るから。」

 え?っと驚いたのはキロス中尉でなくテオの方だった。

「エミリオはそんなに頻繁にあの長屋へ来るのか?」
「スィ、図書館へ行ったり買い物をして、先輩の家で寝泊まりされてますよ。」
「無料で泊まれるからだ。」

とアスルがムスッとした表情で言った。

「俺が監視業務で家を空けていても平気で入り込んでいる。」

 テオは思わず笑った。デルガドに好きな時に来いと行ったのはテオだった。ケツァル少佐も笑った。

「それでは、いつまで経ってもアスルは女友達を家に呼べませんね。」
「そんな友達はいません。」

 アスルはすっかりむくれてしまい、鍋をおたまでかき回した。

「お代わりが欲しい人はいるか? いなけりゃ、俺が全部食うぞ。」


2024/01/03

第10部  穢れの森     9

  日暮れが近づく頃になって、テオとケツァル少佐はアンティオワカ遺跡のベースキャンプに戻った。2人共疲れていたが、焚き火の臭いとアスルが作るスープの匂いに、元気を取り戻した。焚き火のそばにいたのはアスルとデネロス少尉で、キロス中尉とギャラガ少尉は遺跡の見回りに出ていた。最後に加わったロホはテーブル代わりの石の上に広げた地図に印を書き込んでいた。
 いつもの様に少佐とテオに真っ先に気づいたデネロスが喜んで駆け寄ったが、すぐに何か嫌な物を察したのか、立ち止まり、それ以上近づくのを躊躇う様子を見せた。ケツァル少佐はすぐに部下の異変に気が付いた。

「私達に穢れが付いています。体を洗う迄近づかない様に。」

と彼女は部下達に宣言し、テオを促して足速にフランス発掘隊が見つけていた井戸へ向かった。リュックサックを下ろして、中に入れてあったペットボトルを取り出した。中身は液体ではなく土だった。それを地面に置くと、ロホがやって来た。宗教家の家系の出身らしくペットボトルの中身の正体を見抜いた。

「死体ですね?」
「スィ。焼かれて砕かれていました。」

 ケツァル少佐は異性に裸身を見られても気にしない人なのだが、彼女が服を脱ぎ出すと、ロホは慌てて背を向けた。テオも服を脱いだ。

「浄化出来るかい、ロホ?」
「これから害のある気は感じられません。多分、この”人”は亡くなった場所に留まったままです。でも一応お祓いをしておきます。」

 ロホはペットボトルを慎重に手に取って持ち去った。
 テオとケツァル少佐は井戸の冷たい水を浴びて、体から泥汚れを落とした。

2024/01/01

第10部  穢れの森     8

  ケツァル少佐が不快そうな顔で窪地を見つめた。テオもそこが不自然な場所だと感じた。窪地は長さ1メートル半ほど、幅が1メートルほど、草が生えているが、最近生えたと思われる背の高さだった。周囲の土地も平で、人が踏んだ跡にも思えた。
 少佐が携帯電話を出して、G P Sで位置を確認した。テオは彼女が否定してくれることを期待しながら尋ねた。

「ここに人が埋められているって言うんじゃないよな?」

 少佐はアサルトライフルの台尻で地面をつついてみた。

「周囲の他の場所より柔らかいですね。」

 そして彼女はテオが嗅ぎ取れない臭いを言った。

「油で何かを焼いた臭いが土の下から臭って来ます。」

 テオは周辺を見回した。スコップの代用になりそうな物は目に入らなかった。

「掘ってみるか?」
「スィ。でも慎重に掘りましょう。」

 少佐は荷物を下ろした。テオも下ろした。少佐が出したのは刃が広いナイフだった。

「私が掘りますから、貴方は周囲を警戒して下さい。少しでも変わった音が聞こえたら、教えて下さい。」

 テオはライフルを渡され、ドキリとした。拳銃は扱った経験があるが、アサルトライフルは初めてだ。毎日目にしていても実際に己の手に持つのは初経験だった。

「安全装置はかかっているんだろ?」
「密林を歩くのに、安全装置をかけていると思いますか?」

 言われて、腹を決めた。掛け紐を肩にかけ、構えた。少佐が手を添えて、持ち方を無言で指導してくれた。敵だと思ったら容赦無く撃て、と言うことだ。
 そして彼女は地面に両膝をついて、ナイフで慎重に窪みの土を掘り始めた。


第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...