アスルが玄関へ行った。
「ちょっと散歩に行ってきます。」
彼は家主のテオにも上官のケツァル少佐にも返事を求めず、家の外へ出て行った。気を利かせる必要はないのに、とテオは思った。まだ少佐は2人きりでイチャイチャする状況を許してくれないのに。
少佐は部下が姿を消したことを一向に気にせず、鍋の中を空っぽにした。尤も残っていたのはほんの5口か6口程度だったが。
テオは正面に座って、彼女に尋ねた。
「どうしてケサダ教授が気になるんだい?」
「マスケゴ族の遺伝子を知りたいでしょ?」
少佐がお得意のはぐらかしで答えを回避しようとした。まぁ、確かに、とテオは否定しなかった。マスケゴ族は混血が進んでいて、純血種がとても少ないと聞いている。テオの近くにいる純血種のマスケゴ族はムリリョ博士とケサダ教授だけだ。教授の家族がどんな人種構成なのか知らないが、彼の自宅の電話から聞こえた複数の子供の声や女性達の声から想像するに、子沢山の幸福な家庭を築いていると思われた。ムリリョ博士は純血至上主義者で知られているが、私生活は全く謎だ。
「確かにムリリョ博士にD N Aサンプルをくれと言っても、絶対にくれないだろうけど・・・ケサダ教授のプライバシーも尊重しないと・・・」
テオがアメリカ人らしい意見を述べると、少佐がちょっと不満顔になった。彼は謝った。
「勝手に君のサンプルを採ったことは謝るよ。」
すると彼女はこんなことを言った。
「何でしたら、カタリナとグラシエラ、それにアンドレ・ギャラガのサンプルも持って来ましょうか? 可能ならカルロの分も追加します。」
「グラダのサンプルかい?」
テオは少佐の意図を推し測りかねた。
「”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子表でも作るのか?」
「そうではありません。」
少佐は困ったなぁと言いたげな顔になった。
「余計な興味を抱くものではありませんね。貴方を厄介ごとに巻き込んでしまいます。」
彼女は囁いた。
「一つだけ理由を言います。」
テオは家の中に2人しかいなかったが、彼女の顔に自分の顔を近づけた。少佐が低い声で囁いた。
「フィデル・ケサダが本当にマスケゴ族なのか、知りたいのです。」
彼女は周囲を見回し、テオの検査キットのメモ用紙を一枚要求した。彼が一枚渡すと、そこにペンで書いた。
エウリオ・メナク ーー カタリナ・ステファン ーー カルロ・ステファン
テオは目をぱちくりさせた。カルロ・ステファンの祖父の姓がメナク? 思わず少佐を見たが、彼女は無視した。彼女はその下に別の名前を書いた。
ウナガン・ケツァル ーー シータ・ケツァル
ヘロニモ・クチャ
マレシュ・ケツァル
「誰?」
とテオは尋ねた。少佐は紙面を見つめたまま答えた。
「エウリオ、ヘロニモ、マレシュはイェンテ・グラダから出稼ぎにオルガ・グランデに出て行って殲滅作戦から逃れた人々です。小さな村ですから、全員が血縁関係を持ち、名前も共通しているのです。」
「ああ、そうか・・・」
彼はヘロニモとマレシュの名前を指で押さえた。
「この2人は?」
「ヘロニモは亡くなっていました。マレシュはカルロのお祖父様が亡くなった後、行方知れずです。」
そして彼女は言い添えた。
「マレシュは女性で、マルシオ・ケサダと改名し、一族には男性だと思わせていたそうです。」
「ケサダ!」
やっとテオは少佐の意図を理解した。少佐が考えを述べた。
「マレシュはエウリオがカタリナの父になった数年後に子供を産んでいた可能性があります。だからエウリオとヘロニモは、彼女が男であると一族に思い込ませ、オルガ・グランデの戦いの時に彼女と子供を守ったのかも知れません。そして、2人の男性が亡くなり、彼女は新しい安全な場所を求めてオルガ・グランデを出て行った。子供を連れて。」
「その子供がフィデルではないかと、君は考えたんだね?」
「スィ。それに、ムリリョ博士がフィデルの師匠であることも気になります。マスケゴ族同士だからと言えばそれまでですが、ムリリョ博士はカタリナとカルロ、グラシエラを守りました。マレシュとその子供も守って隠したとしてもおかしくありません。」
「ムリリョ博士が、本当はグラダの血を濃く引くマレシュの子供を、マスケゴとして育てた?」
「徹底的に能力の使い方をグラダではなくマスケゴとして叩き込む。あのお方なら可能でしょう。」
「でも、教授の年齢を考えると、オルガ・グランデを出た時彼は既に10代になっていただろうね。そこから他部族として生きろと言われて、彼は耐えた?」
「もしマレシュに本当に子供がいて、グラダとして成長して行くとしたら、トゥパル・スワレに乗り移っていたニシト・メナクが目をつけたことでしょう。ニシトは老齢になったスワレの肉体を捨てて私に乗り移る計画を立てたほどです。もしマレシュの子供が無事に成人したなら、そちらを犠牲に選んだに違いありません。ムリリョ博士は、スワレの言動に不審を抱いておられた。ニシトが乗り移っているとは想像が及ばなかったようですが、グラダの血を引く若い人々をスワレから引き離したかったのだと思います。」
「もし、ケサダ教授がそのマレシュと言う女性の息子なら、もしかすると君の親戚かも知れないな。」
すると少佐は遠い目をして言った。
「ケサダ教授の母上様はまだご健在なのでしょうか?」