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2021/12/16

第4部 忘れられるべき者     14

  アスルが玄関へ行った。

「ちょっと散歩に行ってきます。」

 彼は家主のテオにも上官のケツァル少佐にも返事を求めず、家の外へ出て行った。気を利かせる必要はないのに、とテオは思った。まだ少佐は2人きりでイチャイチャする状況を許してくれないのに。
 少佐は部下が姿を消したことを一向に気にせず、鍋の中を空っぽにした。尤も残っていたのはほんの5口か6口程度だったが。
 テオは正面に座って、彼女に尋ねた。

「どうしてケサダ教授が気になるんだい?」
「マスケゴ族の遺伝子を知りたいでしょ?」

 少佐がお得意のはぐらかしで答えを回避しようとした。まぁ、確かに、とテオは否定しなかった。マスケゴ族は混血が進んでいて、純血種がとても少ないと聞いている。テオの近くにいる純血種のマスケゴ族はムリリョ博士とケサダ教授だけだ。教授の家族がどんな人種構成なのか知らないが、彼の自宅の電話から聞こえた複数の子供の声や女性達の声から想像するに、子沢山の幸福な家庭を築いていると思われた。ムリリョ博士は純血至上主義者で知られているが、私生活は全く謎だ。

「確かにムリリョ博士にD N Aサンプルをくれと言っても、絶対にくれないだろうけど・・・ケサダ教授のプライバシーも尊重しないと・・・」

 テオがアメリカ人らしい意見を述べると、少佐がちょっと不満顔になった。彼は謝った。

「勝手に君のサンプルを採ったことは謝るよ。」

 すると彼女はこんなことを言った。

「何でしたら、カタリナとグラシエラ、それにアンドレ・ギャラガのサンプルも持って来ましょうか? 可能ならカルロの分も追加します。」
「グラダのサンプルかい?」

 テオは少佐の意図を推し測りかねた。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子表でも作るのか?」
「そうではありません。」

 少佐は困ったなぁと言いたげな顔になった。

「余計な興味を抱くものではありませんね。貴方を厄介ごとに巻き込んでしまいます。」

 彼女は囁いた。

「一つだけ理由を言います。」

 テオは家の中に2人しかいなかったが、彼女の顔に自分の顔を近づけた。少佐が低い声で囁いた。

「フィデル・ケサダが本当にマスケゴ族なのか、知りたいのです。」

 彼女は周囲を見回し、テオの検査キットのメモ用紙を一枚要求した。彼が一枚渡すと、そこにペンで書いた。

 エウリオ・メナク ーー カタリナ・ステファン ーー カルロ・ステファン

 テオは目をぱちくりさせた。カルロ・ステファンの祖父の姓がメナク? 思わず少佐を見たが、彼女は無視した。彼女はその下に別の名前を書いた。

ウナガン・ケツァル ーー シータ・ケツァル
ヘロニモ・クチャ
マレシュ・ケツァル

「誰?」

とテオは尋ねた。少佐は紙面を見つめたまま答えた。

「エウリオ、ヘロニモ、マレシュはイェンテ・グラダから出稼ぎにオルガ・グランデに出て行って殲滅作戦から逃れた人々です。小さな村ですから、全員が血縁関係を持ち、名前も共通しているのです。」
「ああ、そうか・・・」

 彼はヘロニモとマレシュの名前を指で押さえた。

「この2人は?」
「ヘロニモは亡くなっていました。マレシュはカルロのお祖父様が亡くなった後、行方知れずです。」

 そして彼女は言い添えた。

「マレシュは女性で、マルシオ・ケサダと改名し、一族には男性だと思わせていたそうです。」
「ケサダ!」

 やっとテオは少佐の意図を理解した。少佐が考えを述べた。

「マレシュはエウリオがカタリナの父になった数年後に子供を産んでいた可能性があります。だからエウリオとヘロニモは、彼女が男であると一族に思い込ませ、オルガ・グランデの戦いの時に彼女と子供を守ったのかも知れません。そして、2人の男性が亡くなり、彼女は新しい安全な場所を求めてオルガ・グランデを出て行った。子供を連れて。」
「その子供がフィデルではないかと、君は考えたんだね?」
「スィ。それに、ムリリョ博士がフィデルの師匠であることも気になります。マスケゴ族同士だからと言えばそれまでですが、ムリリョ博士はカタリナとカルロ、グラシエラを守りました。マレシュとその子供も守って隠したとしてもおかしくありません。」
「ムリリョ博士が、本当はグラダの血を濃く引くマレシュの子供を、マスケゴとして育てた?」
「徹底的に能力の使い方をグラダではなくマスケゴとして叩き込む。あのお方なら可能でしょう。」
「でも、教授の年齢を考えると、オルガ・グランデを出た時彼は既に10代になっていただろうね。そこから他部族として生きろと言われて、彼は耐えた?」
「もしマレシュに本当に子供がいて、グラダとして成長して行くとしたら、トゥパル・スワレに乗り移っていたニシト・メナクが目をつけたことでしょう。ニシトは老齢になったスワレの肉体を捨てて私に乗り移る計画を立てたほどです。もしマレシュの子供が無事に成人したなら、そちらを犠牲に選んだに違いありません。ムリリョ博士は、スワレの言動に不審を抱いておられた。ニシトが乗り移っているとは想像が及ばなかったようですが、グラダの血を引く若い人々をスワレから引き離したかったのだと思います。」
「もし、ケサダ教授がそのマレシュと言う女性の息子なら、もしかすると君の親戚かも知れないな。」

 すると少佐は遠い目をして言った。

「ケサダ教授の母上様はまだご健在なのでしょうか?」




2021/12/15

第4部 忘れられるべき者     13

 「ところで・・・」

 ケツァル少佐はテーブルの上の残り少なくなった料理を眺めながら尋ねた。

「貴方がストックしているD N Aは私のものだけですか?」
「それは”ヴェルデ・シエロ”のもの、て言う意味かい?」
「スィ。」

 テオはチラリと自分の寝室のドアを見た。寝室は、書斎も兼ねていた。そこにラップトップやU S Bなどの仕事道具を置いてある。

「正直に打ち明けると、マハルダと彼女の友人のメスティーソの子数人のデータも持っているんだ。マハルダが協力してくれて、比較検討する為のデータを作った。メスティーソだけど”ティエラ”との違いは少しわかってきた。どの因子がどんな能力に関係しているのかはわからないがね。でもD N Aを見て、”シエロ”の血を持っているか持っていないかはわかる。」
「部族の差はわかりますか?」
「難しいなぁ。マハルダはブーカだから、ブーカ族のメスティーソが多いんだ。それに血の割合でも因子の有無が違ってくるから。君達のD N Aは本当にデリケートなんだよ。」
「でも、大体ブーカ族であると言うことはわかります?」
「例えば、オクターリャが混ざっていたら、わかるかも知れないが・・・」

 すると少佐はリビングの方へ顔を向けた。

「アスル!」
「はい!」

 サッカー中継に集中していた筈のアスルが、ソファからパッと立ち上がった。やっぱり俺達の会話に聞き耳を立てていたんだ、とテオは可笑しく思った。少佐だって内緒話をしていても部下に聞こえて悪い話なら、こんな場所でしない。部下に聞こえても構わない、しかし部外者には聞かれたくない話だ。
 彼女がアスルに言った。

「ドクトルに貴方のサンプルを提供してもらえませんか?」

 少佐は「個人的興味」の件なので、命令はしない。しかし、部下からすれば上官の個人的な要請も命令に近い。
 アスルがテオを睨みつけた。少し勘違いしている、とテオは感じたので説明した。

「細胞を採取すると言っても、皮膚を切り取ったり血液を採取したりする必要はないんだ。綿棒で口の中の、頬の内側をちょっと擦ってくれたら良いんだ。」
「その程度か?」

とアスルが不安を押し隠しながら尋ねた。きっと注射を心配しているのだ。テオは立ち上がった。

「検査用キットがあるから、今採ってしまおう。俺のも比較用に採る。」

 彼が寝室へ道具を取りに行くと、少佐が部下に笑いかけた。

「貴方にも怖いものがあるのですね。」
「私は白人の医療が信用出来ないだけです。」

 ツンツンしているアスルのところへ、テオが道具を持ってやって来た。

「テレビで見たことがあるだろう? 綿棒でちょこっと擦るだけさ。」

 彼は1本の綿棒をアスルに渡し、己も1本手に取って口の中に入れた。やって見せると、アスルも素直に同じことをしてくれた。それぞれの綿棒を容器に入れ、油性ペンでTとAと書いて冷蔵庫に入れた。

「明日研究室に持って行く。問題は、本命の教授だな。」

 ケサダ教授は大学のサロンでコーヒーを飲みながら新聞を読むのが休憩時間の過ごし方だ。彼に怪しまれぬよう気をつけて紙コップを採取しなければ、とテオは考えた。
 アスルが上官に声をかけた。

「少佐、鍋にまだ鶏肉のほろほろ煮込みが残っていますよ。」
「そうですか。」
「皿はご自分で出して下さい。」
「私は食べに来たのではありません。」

と言いつつ、少佐はテオに目で命じた。「よそって」と。



第4部 忘れられるべき者     12

  その夜の夕食は静かだった。アンドレ・ギャラガの入学祝いは賑やかにやりたいとケツァル少佐とロホが希望したので、週末に延期された。テオはまた帰省が出来ないとゴンザレスに連絡した。若い少尉の大学合格祝いだと言うと、ゴンザレス署長は「おめでたい理由だから、帰省がキャンセルになっても仕方がない」と喜んでくれた。

ーーアンドレって、雨季休暇の時にうちへ来て泊まって行った若い男だろ?
「スィ! 覚えてたの、親父?」
ーー当たり前じゃないか。俺は警察署長だぞ。自宅に来た人間はちゃんと記憶しているさ。

 そう言えばギャラガは夜勤明けのゴンザレスと朝食の時に顔を合わせていたのだ。何となく大統領文化保護担当部の隊員達もエル・ティティ警察の顔馴染みになって来たなぁ、とテオは可笑しく思った。エル・ティティの近所に遺跡はないので、今まで文化保護担当部はエル・ティティに立ち寄ることすらしなかったのだ。それが最近はアスルがエル・ティティ特産の山バナナを買いに行ったり、ロホがゴンザレスの部下の若い巡査と互いに出張で訪れたオルガ・グランデの飲み屋で偶然知り合って親しくなったり、と妙につながりが出来てきた。そのうちにデネロスも行くかも知れない。
 そんなことを思いながらテオが自宅の食堂でアスルの手料理を食べていると、電話が鳴った。先に食事を終えてテレビを見ていたアスルがジロリとこっちを見た。煩いからさっさと出ろ、と目で命令してきた。テオは口の中の物をビールで流し込んで電話に出た。電話はケツァル少佐だった。

ーー今からそちらへ行っても良いですか?

 出るなり彼女が質問した。いつものパターンだ。テオは部下並みの扱いをされている。彼女はテオとアスルが同居していることを知っているから、アスルに断る必要はない。構わないと答えると、電話が切れた。切れたと思ったら、玄関でノックの音がした。テオは席を立った。

「なんだ、家の前でかけてきたのか。」

 アスルがテレビを見ながら笑った。
 ドアを開けると少佐が素早く入って来た。ドアの隙間からベンツが路駐されているのがチラリと見えた。
 アスルがソファから体を起こして座り直した。テレビを消そうとしたので、少佐が「そのまま」と合図した。彼女はテオの食べかけの食事を見ながらテーブルの対面に座った。そしてテオに座れといった。どっちが客かわからない。

「食事を続けてもらって構いません。」
「グラシャス。で、何か用かい?」

 用があるから押しかけて来たのだ。少佐は躊躇うと言うより、ちょっと考え込んでから質問してきた。

「貴方は私のD N Aを分析されたことがありますよね?」
「ああ・・・それは・・・」

 本人に内緒で分析したことがあった。”ヴェルデ・シエロ”を分析したいと言うより、己の遺伝子との共通点を探したくて、少佐の髪の毛とか使用済みのカップとか、そう言った細々した物からD N Aを採取して分析したのだ。

「あるんですね?」

 少佐が畳み掛けたので、テオは叱られるのを覚悟して肯定した。

「スィ。黙って分析してごめん。」
「それは構わないのです。その記録は取ってありますか?」
「スィ。本当は消すべきなんだろうが、君のものは残したくて・・・。」

 少佐はそれを無視して、テーブルの上に体を乗り出し、声を低くして言った。

「D N Aを分析して欲しい人がいます。」
「誰?」

 少佐はさらに声を小さくした。

「フィデル・ケサダ。」
「はぁ?」

 思わずテオは声を出し、慌ててアスルの反応を伺った。アスルはテレビのサッカー中継を熱心に見ている様子だ。
 少佐が姿勢を元に戻した。

「私の個人的興味です。ですから、当人に知られたくありません。」
「いいけど・・・D N Aを手に入れる方法が難しいなぁ・・・」

 相手はマスケゴ族の、推定”砂の民”だ。優しく人当たりの良い教授だが、隙がない。

「急ぐのかい?」
「急ぎません、私の個人的興味ですから。」
「彼のD N Aの何を見れば良いのだろう?」
「それは・・・」

 少佐はチラッと横目でアスルがこちらを見ていないことを確認した。

「貴方がサンプルを手に入れてから教えます。」
「わかった。」
「くれぐれも用心して下さい。怒らせると、非常に危険な人です。」


 

2021/12/14

第4部 忘れられるべき者     11

 「予想したより出張が短くて、少佐が水曜日には帰って来ちゃったんです。」

とマハルダ・デネロス少尉が無邪気に語った。

「ロホ先輩は臨時指揮官の仕事にすっかり乗り気になっていたのに、御大が帰られたので、がっかりしています。」

 その様子が想像出来て、テオは笑ってしまった。彼とデネロスはグラダ大学のキャンパスでアンドレ・ギャラガ少尉を待っていた。ギャラガは通信制の大学に見事合格して、晴れて大学生になった。義務教育を一切受けずに育った男が、いきなり大学生だ。デネロスは彼に学生の心得を叩き込むのだと粋がっていた。どうも彼女は熱血教育者になりそうだ。

「お待たせしました!」

 ギャラガが事務手続きを終えて走って来た。文化・教育省で働いているのだから、あの雑居ビルで必要な書類処理をしてやれば良いのに、とテオは思った。大統領警護隊なら、その程度の無理は通るだろう、と言うと、デネロスが反論した。そんなことをすると、アンドレが何時まで経っても大学に馴染めないだろう、と。言われてみればそうだ。スラム街と軍隊しか知らずに成長した男が、普通に大学生活を楽しむには、慣れが必要だ。

「主要担当教官は誰だい?」

 訊かれてギャラガは書類を見直した。げっと言いたげな表情をしたので、テオは予想がついた。

「まさか、ムリリョ博士?」
「スィ・・・」

 ギャラガは1度ムリリョ博士に面会した経験があった。純血至上主義者で頑固そうで、口を利いてくれそうにない高齢の博士。面会時に博士と言葉を交わしたのは、ステファン大尉で、彼は大尉の後ろに隠れる感じだった。実際は隠れていなかったけれども。
 デネロスが笑った。

「大丈夫、大丈夫! ムリリョ博士はお休みが多いから、大概スクーリングの時はいないのよ。学生の面倒はケサダ教授に一任されているの。」
「ああ、ケサダ教授か・・・」

 ギャラガがホッとした表情になったので、テオは可笑しくて笑った。

「あの教授なら安心して師事出来ます。優しいし・・・」
「優しいのは雑談の時だけ。レポートは厳しいわよ。」

 通信制なので、主にレポートが授業のメインになる。デネロスは考古学部を卒業したが、また別のコースを履修している。こちらも忙しいのだ。しかし、ケツァル少佐が出張から戻るなり、オクタカス遺跡の発掘監視の準備に入れと命令したので、相当今期は厳しいな、と覚悟していた。 初めての長期監視任務、しかもジャングル奥地だ。前任者だったステファン大尉に、オクタカス遺跡についての情報を聞いておかねばなるまい、と彼女は考えていた。
 
「今日はオフィスに戻るんだろ?」
「スィ。」
「夕方は定時で終わり?」
「スィ!」

 2人の少尉が声を揃えて返事した。ギャラガの入学に祝杯を上げなければ、とテオが言いかけると、後ろから声をかけて来た人がいた。

「ドクトル・アルスト。」

 振り返ると、さっき話に上ったフィデル・ケサダ教授だった。手にビニル袋を持っており、袋の中身は薄汚れた布に包まれた物だった。テオは嫌な予感がした。

「何でしょう、ケサダ教授?」
「一つ頼まれてくれませんか?」

 教授が袋をテオの目の前に差し出した。

「クイのミイラです。ある遺跡から発掘された物ですが、どこで採れたものか、D N Aで分析して頂きたい。」

 クイは大型の齧歯類で、家畜として飼育されている。
 テオは袋を受け取る前に質問した。

「分析に費用がかかった場合、請求しても良いですか? 前期に成分分析の費用で、スニガ准教授とちょっと気まずい思いをすることになったので・・・」
「気にせずに請求して下さい。」

 半ば強引にケサダ教授はテオの手に袋を持たせた。

「来週の火曜日迄にお願いします。もしD N Aが採取出来なかった場合は、早急に連絡願います。こちらも研究の段取りがありますから。」
「わかりました。」

 教授は学生少尉達には目もくれずに去って行った。ギャラガが呟いた。

「マジで、厳しそう・・・」


第4部 忘れられるべき者     10

  大統領警護隊には副司令官が2名いて、一月毎に夜と昼の当番を入れ替わっていた。ブーカ族とマスケゴ族のハーフのトーコ中佐と、純血のブーカ族、エルドラン中佐だ。トーコ中佐はどちらかと言えば武闘派で、エルドラン中佐は聖職者の様だ、と言うのが部下達の陰での評価だった。ケツァル少佐も文化保護担当部の部下達も、そして遊撃班に異動したカルロ・ステファン大尉も、武闘派ではないつもりだったが、何故かいつも副司令官室に呼ばれる時は、トーコ中佐が当番の時だった。
 久しぶりにケツァル少佐とステファン大尉は2人揃って副司令官室に呼び出された。正確に言えば、長老達をイェンテ・グラダ村で護衛した首尾の報告と、オクタカス遺跡の盗掘グループを逮捕した件の報告だ。
 いつもの様に”心話”で報告を受けると、中佐は2名にそれを文書で残しておくように、と言った。ステファン大尉が思わず質問した。

「長老が『ここだけの話』と仰った内容もですか?」

 トーコ中佐はケツァル少佐が横目で彼を睨みつけるのを見た。少佐の報告には、「ここだけの話」は含まれていなかった。大尉が馬鹿正直に全て報告してしまったのだ。

「ステファン大尉・・・」

とトーコは頭を抱える仕草をして見せた。このメスティーソのグラダは純粋過ぎる。

「君は長老が『ここだけの話』と仰った内容を全て私に語った。私は規則により、聞いてしまった話を記録に残さねばならない。」

 大尉は中佐を見て、それからギクリとして少佐に振り向いた。

「貴女は情報をセイブされた?」
「当然です。」

 ケツァル少佐は、熱が出そう、と思いつつ肯定した。ステファンは気の制御が出来なかった時でも、生まれて母親から”心話”を教わって以来、ずっと”心話”を使ってきた。他の能力は使えなくても、”心話”は自由に使えたのだ。情報のセイブなど朝飯前の筈ではないのか。
大尉は赤面した。

「申し訳ありません。長老からお聞きした内容を忘れるのを忘れていました。」

 もう良い、と中佐が手を振った。

「君は高度な機密情報を扱う地位に向いていないのかも知れない。」

 ステファン大尉は唇を噛んだ。司令部に入るつもりはないが、昇級はしたかった。せめて異母姉と肩を並べる位に昇りたかった。だが大統領警護隊の佐官は”ティエラ”の軍隊の将官に相当する。国家機密を扱える階級だ。

「まだ若いですから。」

と姉が助け舟を出した。

「修行が足りないだけです。」

 トーコ中佐が苦笑した。

「書類に残したりしない。わかっているだろう、2人共。」

 彼は笑を消して大尉を見た。

「記録に残しなどしたら、君も私も長老に消される。語った人が、あのお方なのだから、尚更だ。」
「では・・・」
「忘れろ。」
「承知しました。」

 ステファン大尉は体を硬くして応えた。副司令官が言った。

「持ち場に戻れ。」

 大尉は敬礼して、部屋から出て行った。ドアが閉じられ、5分程中佐と少佐は無言で石像の如くその場に残った。
 それから、徐にトーコ中佐は席を立ち、部屋の隅のキャビネットの引き出しから銀色の包みを2本出して来て、ケツァル少佐の前に1本を転がした。少佐がそれを拾い上げるより前に、彼は己の手元に残った物の銀紙を剥がし、中のチョコレートを齧った。少佐も軽く礼をして、チョコバーの包みを剥がした。

「シーロ・ロペスは・・・」

と中佐が口を開いた。

「例のアメリカ人をテキサスの海岸に捨てたそうだ。」
「おや、早かったのですね。」
「彼は少し急いでいた様子だった。結婚休暇が間近に迫っているからな。」

 ケツァル少佐はエルネスト・ゲイルの生死を尋ねなかった。トーコ中佐も言及しなかった。

「ところで今食べているチョコバーだが、セルバ産だ。サンシエラが新しく売り出すそうだ。」
「道理で、初めて食べる味だと思いました。」
「スニッカーズに対抗出来るかどうか、わからんが、商品のイメージソングをロレンシオ・サイスが作るらしい。」
「ああ、あの人が・・・」
「歌だけヒットしてチョコレートが売れなければ、サンシエラはビターな思いをするだろう。」

 

2021/12/13

第4部 忘れられるべき者     9

  カルロ・ステファンはつい昔の癖で、オクタカス遺跡の盗掘をチェックしたくなった。グラダ・シティの神殿へ通じる”空間通路”の”入り口”へと歩く間、彼の視線は岩山の麓へ向いてしまうのだった。

「彼は何を気にしているのです?」

と女性の長老が最後尾を歩くケツァル少佐に尋ねた。少佐が肩をすくめて答えた。

「文化保護担当部の仕事に未練があるのです。彼が最後に行った監視業務がそこの遺跡でしたから。風の刃の審判の事故で発掘調査が中断されてしまい、彼の任務も中途半端で終わってしまったのです。それに最近の写真を見ると、盗掘被害が発生している疑いがあります。」
「それで気になって仕方がないのですね。」

 長老が仮面の下で笑った。

「オクタカスの発掘は何時再開されるのです?」
「今季、フランス隊が戻って来ます。」
「監視は誰が?」
「ここは村が近いので、デネロスを派遣しようと思っています。彼女の初めての長期ジャングル派遣です。」
「それは楽しみだこと。」

 先頭のステファン大尉が足を止めたので、一行も止まった。長老が彼に止まった理由を尋ねようとした時、ステファンが手で「待機」と合図した。そして彼自身は忽ち密林の中に駆け込んで姿を消してしまった。

「何を見つけたのだ?」

と背が低い長老が囁いた。背が高い長老が本人に代わって答えた。

「向こうで人の気配がした。複数だ。遺跡に向かっている。」
「盗掘者ですね?」

と女性の長老が言った。彼女はケツァル少佐を振り返った。

「行きなさい。」

 少佐は敬礼で応え、素早くステファンの後を追って走り去った。
 3人の長老達はその場に立って、待機していた。2人を置き去りにして帰っても良かったのだが、それでは護衛任務の立場がないだろうから、大人しく待っていた。
 やがて木立の向こうで銃声が聞こえ、男達の怒鳴る声が聞こえた。

「楽しそうだな。」

と背が低い長老が呟いた。声に羨望の響きが入っていた。

「暴れるのは若者の特権だ。」

と背が高い長老が言った。

「人前に出て暴れるなよ。儂らの年齢で飛び跳ねたら、”ティエラ”が怖がる。」

 女性の長老が必死で笑いを堪えて肩を震わせた。

第4部 忘れられるべき者     8

  背が高い長老は周囲を見回し、それから再び仲間に向き直った。

「イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出た男は3人と儂は言った。それは儂もそう言い聞かされていたからだ。村の殲滅作戦に携わった者は全員それを信じていた。」

 どう言うことだ? みんなそう問いたいのだが、礼儀を守って黙って聞いていた。

「エウリオ・メナクが亡くなる前に、儂に手紙を寄越してきた。儂はオルガ・グランデの戦いの間、あの男の家族を、娘のカタリナと孫を戦いに巻き込まれぬよう匿ったので、エウリオの信用を得ていた。だから、エウリオは己の命が終わることを悟った時に、儂にある秘密を打ち明けた。イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出たのは、2人の男と1人の女だった。」
「女?!」

 思わず背が低い長老が声を上げてしまった。そして彼は慌てて、無礼を詫びた。背が高い長老は仲間の粗相を気がつかないふりをして続けた。

「左様、女だ。マレシュ・ケツァルは女だった。グラダの血が濃い女だ。もし存在がグラダ・シティに知られていたら、ウナガン・ケツァルの様に神殿の地下に連れて行かれただろう。ヘロニモとエウリオはマレシュが男であると我々に信じ込ませたのだ。」
「それで、この楡の木の下に眠っている男性はヘロニモ・クチャだと、貴方は知ったのですね。」

 女性の長老が納得した。背が高い長老は頷いた。

「ヘロニモはエウリオより1年早く亡くなった。エウリオとマレシュはヘロニモをある場所に埋葬したが、場所は誰にも教えるつもりはないと手紙に書いていた。そしてヘロニモの死去も誰にも教える必要はないから沈黙して欲しいとも書いていた。」
「マレシュはどうなったのです? それも書いていましたか?」

 ステファンが強い好奇心に負けて尋ねた。
 背が高い長老は少し躊躇った。長い沈黙が躊躇っていることを物語った。彼はマレシュ・ケツァルのその後を知っているのだ。仲間が焦れかけた時に、やっと彼は口を開いた。

「マレシュはヘロニモを埋葬した後、オルガ・グランデを出て行った。」

 その後は? だが彼はそれ以上は語らなかった。知らない、とは言わないから知っているのだ。だが知っていると言えば、その後々のことも語らねばならない。だから沈黙するしかない。
 わかりました、と女性の長老が言った。

「ヘロニモが亡くなった1年後にエウリオも亡くなった。その時エウリオには娘も孫もいた。つまり、マレシュもそれなりに歳を取っていたのですね。」
「そうだ。儂はマレシュの正確な年齢を知らぬ。まだ存命であれば、儂らとそう変わらぬ歳であろう。」

 朝の太陽はかなり高くなっていた。長老達は野営地を撤収し、グラダ・シティに戻ることにした。樹上のハンモックを片付けるのは、やはり若い者の仕事だ。姉弟が協力して片付けをしている間、長老達は村の跡地に清めの祈りを捧げて歩いていた。
 ステファンが首を傾げた。

「私はまだちょっと納得がいきません。」
「何がです?」

 ケツァル少佐は、自分が気づいたことを彼も気がついたのだろうか、と思った。ステファンはハンモックを畳みながら、ちょっと目を空中に泳がせて、それから姉を見た。

「祖父と同年代だったヘロニモ・クチャとマレシュ・ケツァルが、祖父が亡くなったのと同時期に生きていたのであれば、彼等にも家族がいたと思うのです。祖父が・・・」

 カルロ・ステファンは危うく長老の名前を口に出しそうになって、辛うじて我慢した。

「あの方に私の母と私達兄妹を守ってもらうことを許した様に、ヘロニモとマレシュもシュカワラスキ・マナと一族の戦いに自分達の家族を巻き込まれぬよう手を打った筈です。しかし、あの方はそれには一切触れられなかった。ヘロニモとマレシュはあの戦いを全く傍観していただけなのでしょうか? 鉱夫だったら、地下に潜伏した私達の父とも何らかの接触をした筈です。」

 カルロ、と少佐は言った。

「貴方は、父がカタリナの援助だけで2年間地下で生き続けたと本当に信じているのですか?」

 ステファンは姉を見つめた。

「ヘロニモとマレシュも父を助けていた、と?」
「イェンテ・グラダで生まれた人々の結束でしょう。でも一族は彼等を見逃してやった。麻薬の狂気から逃れて出稼ぎに出た為に、故郷を失った彼等を、そのまま生き延びさせようとしたに違いありません。男性2人は戦いの後長く生きることはなかった様ですが。」
「鉱山の仕事は過酷ですから。インディヘナはあまりああした仕事には向いていません。それは歴史が物語っています。」

 少佐は頷き、空を見上げた。マレシュ・ケツァルは何処に行ってしまったのだろう。1人だったのか、それとも誰か連れがいたのか?


 


第4部 忘れられるべき者     7

  朝日が東の森の木々の向こうから顔を出しかけた。ケツァル少佐はハンモックを片付け、木から降りた。一番近い寝床の木から、女性の長老がほぼ同時に降りて来たので、彼女は思わず敬礼した。長老が囁いた。

「止めよ。ステファンに気づかれる。」

 少佐は慌てて手を下ろした。そして報告した。

「井戸を埋めた人の見当がつきました。」

 長老は仮面越しに彼女を見つめ、やがて小さく頷いた。そして荷物置きに設置した棚から自身の荷物を取った。

「朝食は各自自由に取りなさい。貴女の考えを聞きたい。殿方達を起こしましょう。」

 ドンっと下腹に響くような空気の鈍い振動が起きた。周囲の木々から鳥の群れがバッと飛び立った。直後にカルロ・ステファンが、続けて背が高い長老が木の上から飛び降りる様に現れた。

「何事です?」
「朝が来ただけだ、黒猫。」

 最後に背の低い長老がぎこちなく降りて来た。登るのは得意でも降りるのは苦手と言う人はどこにでもいるものだ。

「ブエノス・ディアス!」

と女性の長老が挨拶した。そしてケツァル少佐を己の横に招き寄せた。

「ケツァルが井戸跡を埋めた人物の見当がついたそうです。」

 男達の視線を集めて、ケツァル少佐は朝の挨拶をしてから、斜めに生えた楡の木の方向を指差した。

「あれは墓所です。」
「墓?」

と思わずステファンが声を出し、急いで口を手で押さえた。背が高い長老に殴られるのではないかと心配したのだ。少佐は彼を無視して続けた。

「昨夜、鉱夫の格好をした方をお見かけしました。彼は私を楡の木まで案内し、地面の下へ消えて行かれました。あの楡の木が生えている場所が、彼の方が眠っていらっしゃる場所だと教えて下さったのです。」

 3人の長老とステファンが楡の木の方向を見た。根元が傾いたために少し歪に伸びてしまった楡の木に朝日が差していた。そうか、と背が高い長老が呟いた。

「ヘロニモはそこにいたのか・・・」

 今度は彼が一同の注目を集めた。ケツァル少佐が尋ねた。

「被葬者がヘロニモ・クチャであると言う確信がおありなのですね?」

 暫く沈黙があった。誰も答えを急かさなかった。背が高い長老は歩き出し、残りの仲間もついて行った。目的地は勿論楡の木が生えた井戸の跡地だった。木の前に立つと、長老は木を見上げ、それから地面に膝を突いた。他の2人の長老もそれに倣ったので、ステファンも慌てて膝を突いた。ケツァル少佐は昨夜拝礼したが、もう一度膝を突き、長老達と共に墓所に敬意を示した。
 死者へ捧げる祈りを終えてから、一同は立ち上がった。背が高い長老が仲間に向き直った。

「長老会の中でも嘘は通るものだ。」

と彼は言った。

「これから話すことは、ここにいる人間の間だけの話にしてもらいたい。誓ってもらえるか?」

 2人の長老が仮面越しに顔を見合わせた。ステファンは少佐を見たが、彼女は話し手の長老を見つめるだけだった。
 やがて2人の長老が声を揃えて言った。

「誓おう。」

 3つの仮面がこちらを向いたので、少佐とステファンも言った。

「誓います。」

 

 

第4部 忘れられるべき者     6

  ”ヴェルデ・シエロ”達が眠ってしまうと、野獣の声が響き始めた。虫の声も聞こえ始めた。勿論毒虫達は彼等のハンモックに近づきはしなかったが、普段通りの密林の夜が戻った。
 ケツァル少佐はハンモックから下の地面を見下ろした。焚き火は埋められて人がそこに居た証拠は数日で草に埋もれてしまうだろう。ロペス少佐はあの漂着したアメリカ人をどう始末したのだろう、と彼女は考えた。長老達がこのイェンテ・グラダ村の遺構を抹消する為に森に来たのは本当のことだが、彼女とカルロ・ステファンを護衛に選んだのには理由があることを彼女は勘づいていた。この森で護衛をするのは、グラダ族でなくても良かったのだ。ブーカ族だって強力な守護者だから、他の遊撃班の隊員に命じても良かった筈だ。
 長老達はロペス少佐の報告を聞いて、カルロ・ステファンが北米で巻き込まれた事件を思い出した。そして漂流者が何者か知ると、憂慮を覚えたのだ。エルネスト・ゲイルはステファンとケツァル少佐の顔を知っている。そしてテオドール・アルストの如く、”操心”で記憶を消すのが困難な脳である可能性が高い。だから今回のジャングル行の護衛をシュカワラスキ・マナの子供だからと言う理由をつけて命じた。ステファンは漂流者の情報を知らないから、綺麗に騙されている。教えてどうと言うこともないだろう。しかし不愉快な記憶を蘇らせる可能性はあった。
 何かが木の下を通った。人の気配? ケツァル少佐はハンモックを揺らさぬよう気をつけて寝床から出た。木を降りて地面に立つと、草の中に男が立っていた。服装は鉱夫だ。

 まじ? 亡者だ!

 少佐は弟を呼びそうになって堪えた。幽霊を見て助けを求めたりなぞしたら、お婆さんになる迄揶揄われる。

 なんでここにテオがいないの?

 黙って手を繋いでくれる遺伝子学者の存在がないことも哀しかった。現代セルバで最強のグラダと言われるケツァル少佐が、無言で立つ男の幽霊を前に立ち尽くしていた。
 幽霊は彼女をチラリと見て、草の中を歩き始めた。

 ついて来いと?

 ケツァル少佐は意を決して歩き始めた。幽霊に悪意はない。悪意があれば悪霊だ。それなら祓える。しかし、目の前を歩く幽霊は無垢の霊だった。
 歩行距離は大して長くなかった。あの傾いた楡の木が生えている井戸跡に来ると、幽霊は彼女をもう一度振り返り、そして楡の木の根元で地面の中に消えた。
 少佐は木の根元に近づき、地面に膝を突いて地表を撫でた。頭の中に閃いた。

 これは、お墓なのだ!

 誰が埋葬されているのだろう。鉱夫の服装をしていた。ヘロニモ・クチャなのか、マレシュ・ケツァルか? 彼女は考えた。どちらかが先に亡くなって、残った人がここに埋葬したに違いない。井戸に遺体を入れて、村の土台になっていた石で埋めて・・・。
 彼女は地面にあらためて座り直すと、右手を胸に当て、深く首を垂れた。
 

 

第4部 忘れられるべき者     5

  ヘロニモ・クチャが落盤事故から鉱夫達を救ったのがいつ頃のことなのか、サン・ホアン村では聞かなかったし、このイェンテ・グラダ村の遺構でも長老は言わなかった。恐らく噂話で残っているだけで、明確な記録は鉱山会社にしか残っていないのだろう。ケツァル少佐が振り向いたので、ステファンは目を合わせた。

ーーお祖父様からクチャの話を聞いたことはありますか?
ーーありません。私が聞いたのは、サン・ホアン村へコンドルの神像の話を聞きに行った時に、村人から伝説の様に聞かされただけです。

 2人は急いで長老に視線を戻した。目上の人の前での内緒話は不敬だ。
 背が高い長老は最後の出稼ぎ鉱夫の話を始めた。

「最後の男は、マレシュ・ケツァルと言った。ウナガン・ケツァルの叔父になる男だったと思うが、イェンテ・グラダ村は住民全員が兄弟姉妹、従兄弟姉妹同士だったから、確実な関係はわからぬ。彼は名前を白人臭くマルシオ・ケサダと変えた。オルガ・グランデの戦いの間も彼は地下で黙々と働き、エウリオ・メナクが亡くなった後も鉱山にいた。」
「子は作ったのか?」

と背が低い方の長老が尋ねた。背が高い方の長老は肩をすくめた。

「知らぬ。マレシュはいつの間にかオルガ・グランデから姿を消していた。ヘロニモ・クチャを探しに行ったのか、あの男自身の終の場所を探しに行ったのか、誰にもわからぬ。」
「解せぬ話ぞ、友よ。」

と背が低い長老は言った。

「グラダの血を濃く受け継ぐ3人の男達を、何故当時の長老会は厳しく監視していなかったのだ。本来なら、彼等が大地に還る迄見届けるのが筋であろう。そうでなければ、村を殲滅させた意味がない。グラダの血を野放しにしたと言うことだぞ。」
「儂に何も権限がなかった時代のことを批判されても困る。」

 背が高い長老がぶっきらぼうな声で応えた。尤も、彼はいつもぶっきらぼうなのだ。

「だが、グラダばかりを監視している訳にいかぬ。気の制御が効かぬ”出来損ない”は代を重ねる毎に増えている。それに比べてマレシュもヘロニモも普段は上手く抑制出来ていたのだ。だから出稼ぎに出かけた。そして行方を晦ませたまま今に至っている。」

 背が低い長老が夜のジャングルを覗き込んだ。

「あの井戸を埋めたのは、ヘロニモかマレシュだと思うか?」
「さて・・・儂はもうどうでも良いと思える様になってきたわい。」

 背が高い長老が自分の肉の残りを掴み、立ち上がった。3人に立つなと手で合図すると、おやすみの挨拶もなしに自分の木を選んで登って行った。
 暫く残された3人は焚き火を眺めながら座っていた。森は静かだ。”ヴェルデ・シエロ”がいるから野獣も昆虫も蛇も寄って来ない。
 そろそろ木の上に登りたいな、とステファンが思い始めた頃に、長老が顔を上げた。

「マナの息子」

と呼ばれて、彼はハッと顔を上げた。

「はい?」
「お前はどう感じる? この父祖が生きて、殺された土地に来て、何か感じるものはあるか?」

 ステファンはちょっと躊躇った。正直なところ、彼にはこの密林の中の藪が父の故郷だと言う実感が湧いて来なかった。悲しいとか、悔しいとか、懐かしい、とか、そんな感情が全く生まれて来なかった。だから彼は正直に言った。

「私にとって、ここは普通のジャングルにしか過ぎません。例え石の土台が残っていたとしても、感じることは何もなかったと思います。私の故郷はオルガ・グランデですし、生活の場はグラダ・シティです。2つの都市に愛着がありますが、ここは何もありません。先祖は薄情な子孫だと思っているでしょうが。」

 仮面の下で長老が奇妙な音を立てた。きっと笑ったのだ。

「今時の若者だな。では、娘の方はどうだ?」

 ケツァル少佐も肩をすくめた。

「私はスペインとセルバを行き来して育ちました。私の親はミゲール夫妻です。今この瞬間に私はイェンテ・グラダにいますが、気持ちは遠いです。」
「そうか・・・」

 長老は小さな声で呟き、そして若者達に、寝なさい、と言った。


第4部 忘れられるべき者     4

  仕留めた野豚を焼く匂いが拡散しないように、”ヴェルデ・シエロ”達は慎重に処理した。肉は5人に等分に分配されたが、背が高い長老が己の肉を2つに分けて、ステファンに差し出した。

「若い者はもっと食え。」

 ステファンが恐縮しながら受け取るのを、ケツァル少佐が微笑ましく思いながら眺めていると、女性の長老が話しかけてきた。

「貴女も必要ではありませんか?」
「今日は大して力を使っていませんから、分けて頂いた量で十分です。」

 そして少佐は相手を見ないように心掛けながら言った。

「無礼を承知で申し上げます。貴女こそ必要でしょう、私達を初めから結界で守って下さっています。」
「そうですか?」

と相手が惚けた。少佐はもっと言いたかったが、それでは相手の正体を見破ったと言うのと同じなので、口を慎んだ。背が高い長老はかなり前から正体が割れていた。カルロ・ステファンを「黒猫」呼ばわりするのは、あの人しかいない。背が低い方は、神殿の外で出会ったことはないが、言葉のアクセントから判断すれば出身部族がわかる。そして、この女性の長老は、彼女にもステファンにとっても、普段から物凄く身近にいる人だ。
 女性の長老が仮面の下で笑った気配がした。

「貴女には敵いませんね、ケツァル。」

 彼女は肉の塊を掴んで立ち上がった。

「木の上で頂きます。明日は日の出と共にお会いしましょう。」

 残りの4人も立ち上がって、彼女を見送った。長老は高齢者とは信じられぬ身のこなしで立木の1本に駆け上がり、葉の茂みの中に姿を消した。
 4人は再び小さくなった焚き火の周囲に腰を降ろした。

「出稼ぎに出た男が3人いた。」

と不意に背が高い長老が口を開いた。残りの3人が彼を見た。背が高い長老が続けた。

「オルガ・グランデの金鉱で鉱夫として働いていた。1人はエウリオ・メナク、ここにいるステファンの祖父になる男だ。オルガ・グランデの事件の数年後に亡くなった。エウリオの死去はグラダ・シティに伝えられたから、間違いない。それに、ここにいる孫も証人だ。」

 もう1人の長老が顔を向けたので、ステファンは頷いた。

「2人目は、ヘロニモ・クチャ。この男は地下で作業中に落盤事故に遭った。鉱夫仲間を助ける為に気の爆裂で岩を吹き飛ばしたために、”ティエラ”達に正体を知られた。」

 ステファンがハッとして語り手の仮面を見た。その話は、北部の寂れた農村で聞いたことがある。背が高い長老は溜め息をついた。

「一族の掟では、消されても仕方がない失態だ。純血種ならば、正体を知られずに岩を吹き飛ばせたであろうが、”出来損ない”だったからな。」

 その人はまさか・・・。ステファンが口を挟もうとする気配を感じ取ったケツァル少佐が彼の膝を叩いた。控えよ、と。長老の語りに口を挟むことは無礼な振る舞いだ。
 すると背が低い長老が疑問を口にした。

「”出来損ない”と言っても、イェンテ・グラダの連中は、グラダとブーカの混血だろう。純血種と変わりない筈だ。」
「混血だからこそ、だ、友よ。ブーカとサスコシ、ブーカとオクターリャ、あるいはマスケゴ、カイナ、グワマナでも良い、6部族は混血しても能力の制御に難が生じることはない。しかし、グラダの血は異なる。余りにも強すぎるのだ。だから、イェンテ・グラダ村の住民は制御出来ぬ己の能力に苦しみ、麻薬に溺れた。ヘロニモ・クチャは鉱夫仲間を救う為に己が能力を使ったことがわかる仕草をしてしまったのだ。」

 背が高い長老は座ったまま、両腕を高く掲げ、大きく振って見せた。

「古の大神官が、民に能力を見せつけた時の仕草だ。ヘロニモは体を動かさなければ力を制御出来なかったのだろう。」
「その人はどうなったのです?」

 と堪えきれずにステファンが質問した。長老はすぐには答えなかった。ステファンがもう一度尋ねようとすると、やっと彼は言った。

「儂の知らぬことだ。ただ、触れは出た。ヘロニモ・クチャには手を出してはならぬ、と。鉱夫達を守ったからな。彼は鉱山を去った。その後の行方は誰も知らぬ。」

 


第4部 忘れられるべき者     3

  サラが造られていた岩山は中央が陥没していた。2年前、フランスの発掘隊が撤収した後ステファンは陸軍の警備部隊にサラの爆破を命じた。警備部隊は命令通り、上手に裁判用の遺跡だけを破壊していた。僅か2年前だが、その陥没した地面を草木が覆い尽くそうとしていた。植物の生命力の強さに感心しながら、ステファンは岩山の裏で湧水を発見した。5人分の水筒を満たすとそれ以上の水は汲まない。長老達は高齢だが、十分ジャングルの中を独り歩き出来る人々だ。水筒が空になれば各自彼の匂いを追跡して水場にたどり着ける。
 野営地に戻ると、ケツァル少佐が立木を何本か選んで樹上に寝床を作っている最中だった。彼は水筒を荷物置き場として造られた木の棚に置くと、立木に登って姉の作業を手伝った。

「男女差別を言う訳ではありませんが、これは男の仕事だと思いますね。」

と彼はハンモックを設置する手伝いをしながら言った。そうですか?と少佐が苦笑した。

「貴方は2年前、この周辺で監視業務に就いていましたから、地の利があります。だから森の中を歩く時の先導や水場探索に選ばれたのでしょう。」
「それなら全部私に任せてもらっても良かった。貴女は長老達と共に村の遺構調査をされた方がお似合いでしょう。」

 木の実が飛んできたので、彼は避けた。おやおや、と彼は思った。姉は先祖が殺害された場所を歩き回るのが嫌なのだ。長老も多少は気遣って彼女を列の最後に置いた。考えれば、2人共村の遺構の中に足を踏み入れたのは、あの井戸跡に生えていた楡の木を見に行った時だけだった。
 長老達も、イェンテ・グラダ村の殲滅作戦が行われた時はまだ若かったのだ。恐らく10代後半から30歳になる前だっただろう。”砂の民”の長老は頭目の指図通りに動いただけだ。もしかすると、この日ここに来ている他の長老の2人は殲滅事件が起きた当時は、村の存在すら知らなかったのかも知れない。後に事件のあらましを一族の負の歴史として学ばされたに違いない。
 木の下に女性の長老が現れた。2人の若い”ヴェルデ・シエロ”は呼ばれる前に素早く木から降りた。ケツァル少佐が敬礼して報告した。

「野営の準備が整いました。お好きな場所でお休みになられて結構です。」
「グラシャス。」

 長老が仮面の下で溜め息をついた。

「こんな場所迄来て形式にこだわるのもどうかと思いますが・・・長老会の任務中でも神殿の外では仮面を外して良いと言う規定がないので困ります。暑くて堪りません。」

 少佐は仮面の向こうの金色の目が彼女の服装をジロリと眺めたのを感じた。長老が呟いた。

「早く私もその服に着替えたい。」
「どうかご辛抱を・・・」

 少佐に目で命じられて、ステファンは水筒を一つ持ってきた。長老はそれを受け取り、礼を言ってから、一つだけ嬉しいことを教えてくれた。

「殿方が、野豚を仕留めました。今夜は5人だけで堪能出来ますよ。」

 長老が再び村の遺構に戻って行くと、ステファンが肩をすくめた。

「狩りなら、私に言ってくれればいくらでもして差し上げるのに。」

 ケツァル少佐が声を立てずに笑った。

「まだ腕が鈍っていないことを示しておきたいのでしょう。」



第4部 忘れられるべき者     2

  住民が消し去られて50年以上経ったイェンテ・グラダ村跡地は、木々が生い茂っていた。そこに人間の営みがあった景色など微塵も残っていなかった。それでも長老達は用心深く辺りを歩き回った。ケツァル少佐とステファン大尉は命じられた位置にそれぞれ立って、警戒に能った。少佐は携帯電話を出してみた。オクタカス村は携帯電話の使用圏内に入ったと言う話だったが、流石にイェンテ・グラダ村跡地では無理だった。
 背が低い方の男性の長老が少佐のそばに来た。

「ケツァル、ここの衛星写真と言うものを見ることは出来るか?」
「残念ながら、ここでは無理です。オクタカス村へ行けば見られますが。」

 長老が木々の間を歩いている仲間をチラリと見遣った。

「彼はここがイェンテ・グラダだと言うが、村の痕跡が何一つ残っておらぬ。」
「痕跡を消しに来たのでしょう?」
「その筈だ。しかし消すべき物が見つからぬ。」

 長老達は歩行に杖を必要としない健康な状態だったが、それぞれ杖を持参していた。それで彼は地面を叩いた。

「本来なら、我々一族の密林での住居は、石の土台の上に木で小屋を建てる。上部の木の部分が朽ちて失われても土台は残る。」
「その土台を消しに来たのですよね?」
「スィ。しかし、その土台がどこにもない。」

 その時、薮の向こうでヒュッと言う声が聞こえた。集合の合図だ。長老が少佐に「ついて来い」と合図したので、少佐は彼の後をついて声が聞こえた場所へ走った。
 集合をかけたのは女性の長老だった。彼女は仲間が全員集まったことを確認すると、杖で目の前の若い楡の木を指した。
 その木は奇妙な成長の仕方をしていた。右斜めに真っ直ぐ伸び、5メートルほど成長してから上へ曲がって伸びていた。根元の地面が少々周囲より高い。
 女性の長老は杖を楡の木の根元に刺した。杖は驚く程素直に地中へ差し込まれて行った。彼女は背が高い男性の長老を振り返った。

「この木が生えている場所は、どんな場所だったか覚えておられますか?」

 質問された長老は周囲を見回した。古い記憶を呼び起こし、過去の映像を確認しているのだろう。やがて彼は楡の木を見て、言った。

「そこは井戸があった場所だ。」

 女性の長老は頷いた。

「誰かが土台に使われた石を集めて井戸を埋めたようです。そこにこの木が根付きました。木が成長すると、地面の下が石で隙間が出来ている為に傾いてしまったのでしょう。」
「誰が井戸を埋めた?」

 背が低い長老に訊かれて、背が高い長老が首を振った。

「知らぬ。この木はまだ芽生えて20年ほどではないのか?」
「では、20年から30年ほど前の間に誰かが来て、土台の石を集めて井戸を埋めたのか。」

 仲間達に仮面を被った顔を見つめられ、背が高い長老は首を振った。

「儂の身内ではない。儂はまだ若輩者だったが、族長からも頭からもそんな話は出なかった。第一、その時期は、オルガ・グランデの戦いの最中ではないか。」

 長老達の会話に割り込むのは礼儀に反するので黙っていたが、カルロ・ステファン大尉は自分の考えを言いたくなったので、軽く咳払いしてみた。長老達が彼の気持ちの動きに気がついて振り向いた。

「なんだ、言いたいことがあるのか、黒猫?」

 ステファンはケツァル少佐があまり歓迎しないと言いたげな表情をしたのを見なかったふりをして、意見を言った。

「ニシト・メナクが来たのではありませんか?」

 3秒程沈黙があり、それから背が高い長老が否定した。

「それはない。メナクはあの時点で既にトゥパル・スワレに憑依していた。スワレが石を運ぶ土木作業に身を使うとは思えぬ。それに、あの男にこの村の痕跡を消さねばならぬ理由はなかった。」

 あっさり否定され、ステファンは大人しく、わかりました、と引き下がった。そしてチラッと姉を見た。ケツァル少佐は森の奥を見ていた。
 女性の長老が天空を見上げた。

「まだ日が高いですが、ここへ来た目的は失われていました。どうしますか?」
「私は誰がここの後始末をしたのか、気になる。」
「私もだ。」

 2人の男性長老がこの場に残ることを希望した。
 女性長老は頷くと、ケツァル、と少佐を呼んだ。少佐が振り返ると、彼女は命じた。

「野営の準備をなさい。ステファンは水場の確保。」




2021/12/12

第4部 忘れられるべき者     1

  雨季が完全に終わっていない。空気中の湿度が高く、この国の大地に生まれた筈の種族である”ヴェルデ・シエロ”にとっても蒸し暑くて不快な天候だった。空は晴れていた。強烈な日差しが照りつけると、高齢者には辛いのではないか、と若い大統領警護隊の隊員達は心配になった程だ。
 グラダ・シティの地下神殿の”入り口”からオクタカス遺跡の近くにある”出口”に出た時、カルロ・ステファン大尉は、2年前の発掘隊監視任務に就いた時にこの”通路”の存在を知っていれば良かった、とちょっぴり後悔した。尤も空間通路は常に同じ場所に生じる訳でなく、2年前の彼は自力で”入り口”を見つけたり”出口”を作る能力を持っていなかった。それに司令部の許可なしに地下神殿に出たりすれば、速攻で営倉行きだ。
 先頭に立ってジャングルの中を歩いて行く彼の後ろを、斑模様の貫頭衣と奇妙な紋様入りの仮面を身につけた長老会のメンバーが3人、殿にケツァル少佐がついていた。長老の足を考え、ステファンは普段よりゆっくりめに歩いていた。久しぶりに着用した迷彩柄の戦闘服とヘルメットが身に馴染んで心地よかった。虫や蛇を追い払う為に彼は微弱な気を放っていた。それでも長老達には感じ取られた。背後で囁き声が聞こえた。

「これでも弱い方だ。」
「修行をする前と比べれば、かなり抑えている。本部にいる時は完璧に消しているぞ。」
「もう気の抑制に関する修行は終わったと考えて良いでしょう。次は呪いに関する対処法を学ばせる頃合いです。」

 このジャングル派遣は、修行の成果を確認する試験なのか?とステファンは思いつつも、アサルトライフルをいつでも撃てる心構えは忘れなかった。倒木を跨ぎこした時、後ろで長老の1人が声を掛けた。

「11時の方向へ、黒猫。」

 進路の指示に従って5分程歩いた時、突然最後尾でケツァル少佐が喉を鳴らした。

 クッ

 忽ち5人全員が地面に伏せた。東の上空からバタバタと機械音が聞こえて来た。高い位置の樹木の枝や葉が振動した。”ヴェルデ・シエロ”達はヘリコプターが完全に飛び去る迄そのまま森の一部になって静止していた。
 音が十分遠ざかり、ヘリコプターが引き返して来る様子がないと確信して、少佐が声を掛けた。

「もう大丈夫です。」

 一行が立ち上がった。

「空軍か?」
「医療ヘリコプターです。医師と看護師を乗せて、無医村を巡回しているのですよ。」

 そう言った女性の長老は軽く衣類からゴミを払い落とした。ふーんと背が高い長老が呟いた。

「保健省もまともなことをしているのだな。」

 彼はステファンに声を掛けた。

「幹に蛇の紋様が浮き出ている木を見つけたら、そこがイェンテ・グラダだぞ、黒猫。」
「承知しました。」

 蛇の紋様だって? とステファンは心の中で疑問を呟いた。まさか樹木に彫刻してそのまま放置したのか? ”ティエラ”に見られたらどうするんだ?
 さらに半時間程歩いて、その蛇の紋様が浮き出ている樹木が本当に現れた時、彼はちょっと驚いた。楡の木なのだが、その幹にまるで錦蛇が絡みついたような紋様が浮き出ていた。蛇の部分は盛り上がっており、彫刻ではないとわかった。
 立ち止まったステファンの横に背が高い長老が並んだ。幹を撫でて囁いた。

「よくこの地を守ってくれた、ご苦労だった。」

 彼は一行を振り返って宣言した。

「ここが、イェンテ・グラダがあった場所だ。」


 
 

第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...