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2024/01/17

第10部  穢れの森     20

  日曜日だったから、テオはロバートソン博士を自宅へ送り届けると、己も真っ直ぐに自宅へ帰った。シャワーを浴びて部屋着を着て、ケツァル少佐の区画のリビングでぼんやりテレビを見ているうちに眠たくなって寝てしまった。
 空腹で目が覚めたのは午後2時を回った頃だった。室内でいつ戻ったのか、ケツァル少佐が普段着姿で動き回っていた。彼女もシャワーを浴びて落ち着こうとしていた。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 声をかけると、ノ、と返事が来た。それで2人で外に出て、坂道を下り、最寄りの商店街へ行った。急いで行っても最初の昼の客がまだ席にいるだろうから、ゆっくりと歩いて行った。

「全部見つけました。」

と彼女が歩きながら囁いた。テオは黙っていた。

「埋められていたのは一人だけです。」

 それでテオは鑑定結果を告げた。

「骨そのものは分析出来る成分が残っていなかった。でも一緒に掘り出したコイン状の物が、アマン地区の女神のお守りだとわかって、オラシオ・サバンがいつも肌身離さず持っていたこともわかった。それでロバートソン博士と一緒にサバンの父親に会って、遺骨とお守りを渡して来た。」
「サバンの父親は何か言っていましたか?」
「いや・・・ロバートソンが一緒だったから、詳しい話は出来なかった。何かあれば連絡をくれるよう言ったが、多分俺には何も言って来ないだろう。」

 少佐が首を振って同意した。そして彼女の方でわかったことを言った。

「殺害者は穴を掘って遺体を入れ、ガソリンか何か油状の物をかけて焼いたようです。殺人の痕跡を消したかったのでしょう。結構深い穴でした。焼けた人間の他に焼かれていない動物の骨もありましたから、密猟者が日頃獲物の後始末に使っていた穴だと思われます。」
「すると、サバンは密猟者と出会してしまい、殺害されたのかな。」
「恐らく・・・でも、一族の者があっさりと殺されるなんて・・・」

 身を守るためなら、例え大罪を犯してでも爆裂波を相手に使うだろう、とテオも少佐も想像した。

「不意打ちだったのかも、な。」

とテオは呟いた。

「密猟者の方が先にサバンの存在に気がついて、先手を打ったんだ、きっと。」

 ケツァル少佐がさらに声を低くして言った。

「アスルが密猟者の姿を見るために心を過去に飛ばしました。彼は今、国境付近の憲兵隊に一族の者がいないか探しています。犯人の顔を伝えるために。」


2024/01/15

第10部  穢れの森     19

  テオが予想した通り、ティコ・サバンは骨が入っていると言われた箱に手を触れようとしなかった。お祓いをしていない遺骸に触れないと言う先住民(”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも)のしきたりだ。だからテオはそっと囁いた。

「マレンカの御曹司がしきたりに従って清めてくれました。」

 マレンカはロホの本名で実家の姓だ。そしてその名を知らないブーカ族はいない筈だった。一族の中で宗教的な権威を持つ家柄だったから。果たして、サバンはハッとした表情になり、テオの顔を見た。マレンカの名と意味を知っているこの白人は何者だ?と言う疑問を、テオはその表情から読み取った。しかしロバートソン博士が同席しているこの場で詳細を語ることは出来なかった。

「私は大統領警護隊文化保護担当部の隊員達と親しくしています。この遺骨とお守りも彼等と同行して発見し、私が持ち帰りました。」

 ロバートソン博士が何の話?と物問いた気にテオとサバンを交互に見た。サバンはテオともっと話す必要があるのかと考えたようだ。黙って水を口に含み、ゆっくり飲み下すと、静かに言った。

「息子を連れて帰って頂き、感謝します。」

 テオは長居無用と判断した。少なくとも、ロバートソン博士と同席している時にサバンと語り合うことは出来ない。彼は立ち上がった。

「セルバ共和国の自然保護の為に働いておられたご子息の無念を思うと、本当に心が痛みます。」

 ロバートソン博士も立ち上がった。彼女もこのアパートにこれ以上滞在するのは精神的に耐えられないのだろう。

「オラシオの荷物は整理して後で届けさせて頂きます。」

と彼女は告げ、そして耐えきれなくなったのか、ハンカチを出して顔に当てた。テオは彼女の肩に腕を回し、ドアへ導いた。そっとサバンを振り返ると、ティコ・サバンは箱を持ち上げたところだった。お祓いが済んだ息子の遺骨を迎え入れたのだ。
 テオは言った。

「グラダ大学の生物学部の遺伝子工学科に私はいます。」

 サバンが頷くのが見えた。

2024/01/13

第10部  穢れの森     18

  低い棚の上に写真が数枚額に入れて飾られていた。ティコ・サバンの若い時のものだろうか、一緒に写っている女性は妻に違いない。息子3人と一緒に写っている5人家族の写真、それぞれの息子の成長した晴れの日の写真、どれを見ても特別な先住民の様子はなかった。サバン家は多くの”ヴェルデ・シエロ”がそうして来たように、周囲に上手く溶け込んで生きてきたのだ。
 ティコ・サバンが水を入れたグラスを3つ持ってきた。お盆なしで上手に3つ、両手で支えて運んで来た。テオとロバートソンは礼を言ってグラスを受け取った。

「奥様は・・・?」

 ロバートソン博士が尋ねかけると、サバンは素早く答えた。

「妻は昨年から体調が良くなくて、次男の家族と一緒にグラダ大学の近くのアパートに住んでいます。大学病院に通院するのに便利なので。」

 もしかすると、彼は妻に息子の行方不明を告げていないのかも知れない。

「オラシオは長男です。」

とサバンは言った。

「あまり人付き合いの上手い人間ではなくて、動物の研究に明け暮れて森にばかり出かけていました。」

 ロバートソン博士が申し訳なさそうな顔で言った。

「彼は本当に熱心な研究者で、私が一番頼りにしていた助手でした。」

 過去形だ。サバンが彼女の顔を見た。

「息子は死んだのですね?」

 ズバリと言われて、テオは深呼吸した。そして薄紙に包んだコイン型のお守りを出した。

「これはオラシオの物でしょうか? 熱を受けてかなり刻印が読みづらいですが、女神の名前が刻まれています。」

 ティコ・サバンはそれを受け取り、紙を開いて中の物をつまみ上げた。じっと見つめた。

「同じ物を息子は持っていました。小さい頃に一度感謝祭の祭りで迷子になって、その後で妻が買い与えたのです。」

 テオは箱を出した。

「それは、この中の骨と一緒に森の奥で埋められていました。」

 

2024/01/12

第10部  穢れの森     17

  オラシオ・サバンの父ティコ・サバンは、見た目は普通の先住民系の親父だった。清潔に洗濯されたシャツとズボンを身につけて、頭も綺麗に刈っていた。いかにも以前は役所勤めをしていた人と言う印象を与えた。
 ロバートソン博士が挨拶をする前に、テオは素早く声をかけた。

「ブエノス・ディアス、グラダ大学生物学部の准教授テオドール・アルスト・ゴンザレスと、セルバ野生生物保護協会のフローレンス・エルザ・ロバートソン博士です。」

 もしティコ・サバンが厳格な”ヴェルデ・シエロ”の伝統を重んじる人なら、初対面の女性から声を掛けるのは好まないだろうと思ったのだ。ティコ・サバンは一瞬驚いた表情をしてから、頷き、ロバートソン博士に声を掛けた。

「ティコ・サバンです。貴女が先ほど電話を下さった方ですね?」

 ロバートソン博士が「スィ」と答えた。

「突然の訪問をお許し下さって有り難うございます。実は、オラシオについて確認して頂きことがあります。」

 サバンは室内を振り返り、それからまた客に向き直った。

「中へお入り下さい。」

 テオとロバートソンは素直にアパートの中に入った。中は涼しく、思ったより明るかった。採光の良い大きな窓がリビングの奥にあり、建物の反対側も庭の様な空間であることがわかった。建物自体は3階建てだったが、このアパートはどこかに階段があるらしく、サバンの部屋は1階だけだった。大きなリビングと、小部屋らしきドアが3つ、反対側に台所やバスルームなどの水回りがある様だ。床面積は広いが、家族の人数が多ければ狭いだろう、とテオは感じた。
 サバンは古いソファを指差して、客に座るよう促した。

「何か飲まれますか?」
「ノ・・・」
「お水をお願いします。」

 テオが断りかけたのをロバートソンが遮った。断るのは失礼だ、とテオは気がつき、彼も頷いた。

「では、私も水をお願いします。」

 ティコ・サバンは台所へ行った。テオはリビングを見回した。動物の研究をしている様な気配はない。それに大勢の人間が暮らしている気配もなかった。装飾は質素で、大学の男子寮の雰囲気だ。もしかすると、と彼は感じた。ここは父と息子の2人きりの家族だったのではないか。心が重たく感じる予感だった。

2024/01/11

第10部  穢れの森     16

  フローレンス・エルザ・ロバートソン博士は、テオが断ろうと試みたにも関わらず、アマン地区へ同行を要請して来た。仕方なくテオは時間を約束して一旦自宅に帰り、もう一度シャワーを浴びて服装を整えてから、遺骨を綺麗な紙箱に入れ替え、コインも薄紙に包んで、自分の車で出かけた。途中でセルバ野生生物保護協会に立ち寄り、ロバートソンを拾った。彼女は青い顔をしていたが、きちんとダーク系の色の服を着て、化粧も派手にならない程度にしていた。これから会うサバンの親への礼儀だ。
 テオは遺体発見時の話を車内でしたくなかったので、サバン家のことを質問してみた。しかしロバートソン博士は仲間の個人的な情報を余り持っていなかった。それは彼女自身が余り他人の生活に関心がなかったせいもあるだろうが、やはり”ヴェルデ・シエロ”だったサバンが家族の話をしなかったからだろう。
 
「お父さんは普通の勤め人だと言っていました。グラダ・シティの地区役場に勤務して、定年で引退したのだと。お母さんは地区の小学校の先生だったそうです。」

 どれも過去形だから、両親はどの仕事でも現役ではないのだ。もしかすると虚偽なのかも知れない、とテオは思った。セルバ共和国では労働者を採用する時、親族が何をして生計を立てているかなど、余り問題にされない。テオが国立大学の准教授になれたのも、そう言うお気楽な風土のお陰があったのだ。
 アマン地区は商業地区ではなく、庶民の住宅と小さな町工場や商店が混在する、普通の街だった。日曜日だからキリスト教会へミサに行って帰る人々が歩く中を走り、やがてロバートソン博士がサバンの実家に電話で教えてもらった住所に着いた。
 庭がない、道路からいきなり立っている壁に付けられたドアの前に駐車して、車から降りた。路駐の車がずらりと並んでいて、駐禁で取り締まられることはなさそうだ。
 ドアを開くと、そこはちょっとした公園みたいになっていて、囲むように建っているアパート群の中にサバン家は住んでいた。テオが以前住んでいたマカレオ通りの平家造りの長屋を縦に伸ばした感じだ。
 ロバートソン博士は深呼吸して、テオをアパートのドアの一つに案内した。

「聞いた番地はここです。」

 ドアには番地の数字しか書かれていなかった。だが、テオは番地表示のプレートのすぐ下に、獣の爪跡のようなものを見つけた。

「これ・・・」

と指差すと、ロバートソンもちょっと目を見張った。

「大きなネコ科の動物が引っ掻いた様なあとですね。」

 流石にネコ科の研究者だ。テオは確信した。これはジャガーに変身する”ヴェルデ・シエロ”が一族だけにわかるように付けた「表札」だ、と。


2024/01/10

第10部  穢れの森     15

  テオはセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士の携帯電話にかけてみた。協会は日曜日なので休みの筈だ。ロバートソン博士はまだ朝の家族団欒で食事中だった。電話の向こうから聞こえる物音に、テオは悲しい要件でかけたことを後悔した。
 簡単に挨拶してから、彼は尋ねた。

「オラシオ・サバン氏は、アマン地区の出身でしょうか?」

 ロバートソン博士はちょっと驚いた。

ーーそうです。どうしてご存知なのですか? 彼の家族にお会いになったのですか?
「ノ、会うのはこれからになりますが、先に確認しようと思いました。彼はもしかするとお守りを持っていませんでしたか? 女神アマの迷子防止のお守りを・・・」

 するとロバートソン博士の声が震えた。

ーー彼は、ええ、いつも持っていました。小さなコインの形のお守りで、ネックレスのヘッドにして首から下げていました。

 テオが数秒間黙り込むと、彼女は急かすように質問して来た。

ーーお守りを見つけたのですか? どこにありました? サバンは無事ですか?

 テオは深呼吸した。

「まだ確定した訳ではありませんが、サバン氏ではないかと思われる遺体を発見しました。」
ーーどこで?!
「コロン氏の遺骨が発見された場所から1キロほど南へ入った森の中です。まだ大統領警護隊が調査中ですが・・・」
ーー憲兵隊ではなく、大統領警護隊が見つけたのですか?
「スィ。」

 ロバートソン博士の啜り泣く声が聞こえた。大統領警護隊が見つけたのなら、それは本当にサバンなのだろう、と思ったに違いない。
 テオは彼女が落ち着くのを待って、言った。

「お守りをサバン氏の家族に見せて確認したいのですが、会えるでしょうか?」

 

2024/01/09

第10部  穢れの森     14

  パン屋の車でマハルダ・デネロス少尉の次兄の家に送ってもらうと、そこでシャワーを使わせてもらえた。着替えはリュックサックに入れていたので、それを着た。キロス中尉はテオとデネロスがパン屋の車から降りるとすぐに荷台から助手席に移動し、パン屋と共に走り去った。どうやら正式にデネロスの両親に挨拶する前に次兄に会うのは拙いと危惧したらしい。先住民の習慣や掟にまだ完全に馴染めないテオは、そんな厳格な家庭に育った男がデネロスとこれから上手くやっていけるのかと心配したが、当事者に任せる他になかった。
 デネロスも風呂を終えると、兄にスクーターを借りて、テオをグラダ大学まで送ってくれた。デネロスの兄とは既に何度か顔を合わせていたので、テオも気兼ねなく厚意に甘えることが出来た。
 日曜日の大学は静まり返っていた。テオは守衛室に顔を出して、研究室を使用する旨を告げて学舎の入り口を開けてもらった。研究室の鍵は自分で持っていたので、合鍵を借りずに済んだ。
 研究室に入ると、すぐにペットボトルに入れて持って来た遺灰と骨を出した。完璧に熱でD N Aが破壊されていたらお手上げだが、少しでも何か使えるものがあればと期待した。結局骨は使い物にならなかったが、小石に混ざって拾い上げていた金属片に手がかりがあった。直径1センチほどのボタン状の物で、綺麗に洗って、そこに彫られた模様を写真に撮り、パソコンに取り込んで拡大してみた。

 deidad Ama

と読めた。神様の名前か? テオはケツァル少佐に電話しようとして、思い止まった。少佐はまだ南部のジャングルの中にいる。ロホもアスルも一緒だ。deidadはスペイン語だから、訊く相手は”ヴェルデ・シエロ”でなくても良いんじゃないか? 
 彼は守衛室に電話をかけた。守衛にdeidad Ama って知ってるかい?と尋ねると、意外にも返事があった。

「市の南のアマン地区に祀られている女神様ですよ。昔から祠に石像が祀られていて、子供が迷子になった時にお祈りすると見つけてくれるんです。見つかった子供はそれ以上迷子にならないようお守りをつけるそうです。僕の従兄弟も小さい時にメルカドで迷子になって、お守りを持たされてました。」
「どんなお守り?」
「小さなコインみたいなもので、アマン地区の彫金師が作ってるんです。日曜日に教会を出たとこで売ってるそうですよ。」
「グラシャス!」


2024/01/07

第10部  穢れの森     13

 移動パン屋のホアンは、お堅いキロス中尉の本当に幼馴染なのか、と疑ってしまうほど、軽い印象の男だった。カリブ系の血が入っているのか肌が浅黒く、髪はドレッドに編み込んでいた。鼻や唇、耳にピアスが光り、派手な赤いシャツを着ていた。そのホアンが運転席から降りるなり、キロス中尉としっかりハグし合ったので、テオもデネロス少尉も驚いた。キロス中尉の様な純血種の”ヴェルデ・シエロ”は大統領警護隊でなくても他人が自分の体に触れるのを嫌がるものなのだ。しかし2人の目の前でキロス中尉はにこやかに笑みを浮かべてパン屋を抱きしめていた。

「久しぶりだなぁ、ファビオ! この前会ったのはいつだっけ?」
「半年前だ。今日の目玉商品はなんだい?」
「ココナッツパイだ。グアバジュースもあるぞ!」

 幼馴染と言うものを持った経験がないテオは羨ましく感じた。パン屋のホアンはどう見てもメスティーソかムラトだが、キロス中尉は心を許しているのだ。
 中尉はテオとデネロスを仕事仲間だと紹介した。実際そうなのだが、ホアンはデネロスを見て意味深に微笑んだ。

「この前会った時、気になる女性少尉がいるって言ってたが、それがこの娘かい?」

 デネロスが真っ赤になった。キロス中尉は「彼女に失礼だろ」と言いながら、彼も赤くなった。テオは半年以上も前から彼がデネロスに目をつけていたのか、と驚いた。油断も隙もありゃしない。確かにマハルダは可愛いし、今まで彼氏がいない方が不思議だったが。
 兎に角そこで一行は朝食を済ませることにした。銘々好きなパンを買ってジュースで喉を潤した。ところで、とキロス中尉がホアンに言った。

「グラダ大学迄、こちらのアルスト博士を乗せてあげて欲しいんだが?」
「グラダ大学? ちょっとコースを外れるなぁ。」

 ホアンが一瞬躊躇った。するとデネロスが別の提案をした。

「カヌマ通りまで行けます?」
「ああ、あそこは行くよ。市場に商品を卸しに来る農家さん達がパンを買ってくれるからね。」
「じゃ、カヌマ通りまでアルスト博士と私を乗せて行ってもらえます?」

 キロス中尉は計算に入っていないのか? テオが思わずキロス中尉を見ると、彼は特に気にしていない様子で、デネロスに尋ねた。

「市場に知り合いでもいるのか?」
「次兄があの近所に住んでいるんです。」

とデネロスが笑顔で答えた。

「実家が卸す野菜を兄が市場で売っているんですよ。だから、シャワーを借りて車も借ります。私がテオを大学迄送りますよ。」

 キロス中尉が何か言う前にホアンが、「O K」と言った。

「彼女と博士は前に乗ってよ。ファビオは後ろにぶら下がってくれよな。」

 テオはキロス中尉があっさり「わかった」と答えたので、ちょっと驚いた。 

2024/01/06

第10部  穢れの森     12

  翌朝、テオはマハルダ・デネロス少尉とキロス中尉と共にグラダ・シティに戻った。勿論空間通路を利用して。早朝の街中でも空中からいきなり人間が出現するのを見られるのは非常に危険だ。先導のキロス中尉は”着地”すると直ぐに周囲を見回し、目撃者がいないことを確認した。

「俺は直ぐに大学へ行って、回収した骨を鑑定してみる。」

とテオは言った。キロス中尉は現在地を携帯で調べた。

「大学までは車が必要です。仲間を呼びましょう。」
「いや、そこまでしてもらう必要は・・・」

 するとデネロスがテオに囁いた。

「まだバスもタクシーも走っていませんよ。」

 確かにやっと太陽が東の港の方角から顔を出したところだった。大都会グラダ・シティはまだ寝ている人の方が多い。日曜日だったし、セルバ共和国のキリスト教会は早朝のミサを好まない。日が昇る時刻は、大巫女ママコナが国内の平和を祈る時間とされていた。異教の神への祈りで彼女を妨げてはならない。
 キロス中尉がどこかに電話をかけた。彼が所属する大統領警護隊遊撃班かと思いきや、中尉はかなり砕けた口調で喋った。

「ホアン、ファビオだ。朝早くすまないな。ちょっと車で迎えに来て欲しいんだ。場所は・・・」

 テオはデネロスを見た。誰にかけているんだ?と目で問うてみたが、彼女もちょっと首を傾げただけだった。
 ほとんど一方的に喋ったキロス中尉は電話を終えると、同伴者達の疑問の視線に答えた。

「小学校時代のダチです。ほぼ”ティエラ”ですが、夜目は利く男です。」

 つまり遠い祖先に”ヴェルデ・シエロ”がいて、遊び仲間に本物の”ヴェルデ・シエロ”が混ざっていても全然気にしない、寧ろその存在に全く気づかない連中だ。

「こんな朝早い時間に呼び出して、良いのかい?」

 テオが心配すると、キロス中尉は笑った。

「彼は商売柄かなり早い時間から仕込みをしてますから、今の時間はそろそろ街に出て行く頃です。」

 どんな商売なんだ?とテオとデネロスが考えるうちに、古いエンジンの音が近付いてきた。「ああ、来ました」とキロス中尉が言ったので、振り返ると、小型のバンがやって来るところだった。バンの車体には派手なピンクのネズミとブルーの猫の絵が描かれ、飾り文字で「ホアンのパン」と書かれていた。

「パン屋さんだわ!」

 デネロスが嬉しそうな声を上げ、キロス中尉が何故か誇らしげに微笑んだ。

2024/01/05

第10部  穢れの森     11

 携行食は例外として、ジャングルで食べ物を残すのは御法度だ。匂いで動物が来るし、高温多湿の気候で残飯の腐敗が始まる速度が早い。全員でスープとポテトサラダを綺麗に完食した。ギャラガ少尉とテオは食器と鍋を井戸で洗った。料理をしたアスルは余った食材を土に埋めてしまい、 明日はグラダ・シティに帰還することを行動で示した。
 ロホの地図にケツァル少佐とキロス中尉がそれぞれ発見があった箇所を記した。イスマエル・コロンの骨が発見された場所、焼け焦げた遺骸を見つけた場所、何者かの残留物が見つかった場所、等だ。

「現場を発掘して調査しなければなりませんが、穴を掘って殺害した人間を入れ、焼いたと思われます。」

 少佐が考えを述べた。

「地面の臭いから、まだあまり長い時間は経っていないとわかります。恐らくこの一月か2ヶ月の間に犯罪が行われたのでしょう。」
「殺害されたのはオラシオ・サバンと考えて良さそうです。」

とロホが囁いた。

「犯人は殺人を知られないよう、遺体を地面の穴に入れて焼いたのでしょう。慎重に隠したつもりでしたが、サバンを探しに来たコロンが何らかの理由で犯罪を嗅ぎつけた。運悪く犯人がそばにいて、彼も殺害されてしまった。」
「何故犯人はコロンを焼かなかったのです?」

とキロス中尉。ロホは少し考えてから考えを述べた。

「その時犯人は穴を掘る道具を持っていなかった。死体を焼く燃料がなかった。或いは死体を埋める時間がなかった。」

 少佐が言った。

「サバンとコロンがそれぞれ単独で森に入ったのか、調べましょう。サバンは普段から単独行動をしていたそうですから、彼と接触した人間を探しのは難しいでしょうが、コロンは”ティエラ”でした。誰か同行した人間がいた筈です。」
「そいつが犯人の可能性があるのですね?」
「私達は警察ではありません。犯人探しは憲兵隊の仕事です。それに今回の軍事訓練は、サバンの捜索が目的でした。これからテオに遺骸の検査をしてもらい、誰が亡くなっていたのか調べてもらいます。」

 少佐は夜のジャングルを見た。

「何者か知りませんが、一族の者を殺害し、侮辱した人間は許せません。」


2024/01/04

第10部  穢れの森     10

  焚き火を囲んでの夕食はアスルお手製の鶏肉スープ、デネロス制作のポテトサラダだった。力仕事をした後だったのでケツァル少佐は遠慮なしにモリモリ食べた。テオもアスルのスープは大好物だったが、初めて同席するキロス中尉がどれだけ食べるのかわからなかったので、少しセイブした。ロホが別行動で行った国境の街ミーヤで仕入れてきた豆の缶詰を開け、各自のポテトサラダの上に少しずつ分けてくれた。

「噂に違わず、美味い。」

とキロス中尉がアスルのスープを誉めた。

「警備班時代に君と同期だった連中から聞いていた。」
「警備班時代は料理する暇なぞなかったぞ。」

とアスル。キロスがおべっかを言ったと言わんばかりに素気ない。キロス中尉は彼の敵意に気付かぬふりをした。

「野外訓練の時に君が飯当番をした話だ。手に入る少ない材料で美味い飯を作ったと聞いた。」
「それよりデルガド少尉やステファン大尉からの情報の方が新しいでしょう。」

とギャラガ少尉が2人の中尉の確執に鈍感なふりをして割り込んだ。

「デルガド少尉は休みを取る度にアスル先輩の家へ泊まりに来るから。」

 え?っと驚いたのはキロス中尉でなくテオの方だった。

「エミリオはそんなに頻繁にあの長屋へ来るのか?」
「スィ、図書館へ行ったり買い物をして、先輩の家で寝泊まりされてますよ。」
「無料で泊まれるからだ。」

とアスルがムスッとした表情で言った。

「俺が監視業務で家を空けていても平気で入り込んでいる。」

 テオは思わず笑った。デルガドに好きな時に来いと行ったのはテオだった。ケツァル少佐も笑った。

「それでは、いつまで経ってもアスルは女友達を家に呼べませんね。」
「そんな友達はいません。」

 アスルはすっかりむくれてしまい、鍋をおたまでかき回した。

「お代わりが欲しい人はいるか? いなけりゃ、俺が全部食うぞ。」


2024/01/03

第10部  穢れの森     9

  日暮れが近づく頃になって、テオとケツァル少佐はアンティオワカ遺跡のベースキャンプに戻った。2人共疲れていたが、焚き火の臭いとアスルが作るスープの匂いに、元気を取り戻した。焚き火のそばにいたのはアスルとデネロス少尉で、キロス中尉とギャラガ少尉は遺跡の見回りに出ていた。最後に加わったロホはテーブル代わりの石の上に広げた地図に印を書き込んでいた。
 いつもの様に少佐とテオに真っ先に気づいたデネロスが喜んで駆け寄ったが、すぐに何か嫌な物を察したのか、立ち止まり、それ以上近づくのを躊躇う様子を見せた。ケツァル少佐はすぐに部下の異変に気が付いた。

「私達に穢れが付いています。体を洗う迄近づかない様に。」

と彼女は部下達に宣言し、テオを促して足速にフランス発掘隊が見つけていた井戸へ向かった。リュックサックを下ろして、中に入れてあったペットボトルを取り出した。中身は液体ではなく土だった。それを地面に置くと、ロホがやって来た。宗教家の家系の出身らしくペットボトルの中身の正体を見抜いた。

「死体ですね?」
「スィ。焼かれて砕かれていました。」

 ケツァル少佐は異性に裸身を見られても気にしない人なのだが、彼女が服を脱ぎ出すと、ロホは慌てて背を向けた。テオも服を脱いだ。

「浄化出来るかい、ロホ?」
「これから害のある気は感じられません。多分、この”人”は亡くなった場所に留まったままです。でも一応お祓いをしておきます。」

 ロホはペットボトルを慎重に手に取って持ち去った。
 テオとケツァル少佐は井戸の冷たい水を浴びて、体から泥汚れを落とした。

2024/01/01

第10部  穢れの森     8

  ケツァル少佐が不快そうな顔で窪地を見つめた。テオもそこが不自然な場所だと感じた。窪地は長さ1メートル半ほど、幅が1メートルほど、草が生えているが、最近生えたと思われる背の高さだった。周囲の土地も平で、人が踏んだ跡にも思えた。
 少佐が携帯電話を出して、G P Sで位置を確認した。テオは彼女が否定してくれることを期待しながら尋ねた。

「ここに人が埋められているって言うんじゃないよな?」

 少佐はアサルトライフルの台尻で地面をつついてみた。

「周囲の他の場所より柔らかいですね。」

 そして彼女はテオが嗅ぎ取れない臭いを言った。

「油で何かを焼いた臭いが土の下から臭って来ます。」

 テオは周辺を見回した。スコップの代用になりそうな物は目に入らなかった。

「掘ってみるか?」
「スィ。でも慎重に掘りましょう。」

 少佐は荷物を下ろした。テオも下ろした。少佐が出したのは刃が広いナイフだった。

「私が掘りますから、貴方は周囲を警戒して下さい。少しでも変わった音が聞こえたら、教えて下さい。」

 テオはライフルを渡され、ドキリとした。拳銃は扱った経験があるが、アサルトライフルは初めてだ。毎日目にしていても実際に己の手に持つのは初経験だった。

「安全装置はかかっているんだろ?」
「密林を歩くのに、安全装置をかけていると思いますか?」

 言われて、腹を決めた。掛け紐を肩にかけ、構えた。少佐が手を添えて、持ち方を無言で指導してくれた。敵だと思ったら容赦無く撃て、と言うことだ。
 そして彼女は地面に両膝をついて、ナイフで慎重に窪みの土を掘り始めた。


2023/12/31

第10部  穢れの森     7

  テオとケツァル少佐が昼休憩をとっていた同じ頃、アンティオワカ遺跡の元フランス発掘隊ベースキャンプ跡地でデネロス少尉とキロス中尉はアスルとギャラガ少尉と合流して、やはり昼休憩を取っていた。大統領警護隊は普通密林での活動時、テントを張ったりしないのだが、雨季が近かったこともあり、フランス人達が平らに慣らしたキャンプサイトに休憩所を設置した。石壁と石壁の間にタープを張り、ジープを背面の壁代わりに置いた。テーブルや椅子はない。遺跡の石を動かしてはいけないのだが、フランス隊が残していった石材を転がして細やかにリビングを作った。目の前にはまだ広い空き地が残っていた。草が伸びていたが見通しは悪くない。
 デネロス少尉が元気にキャンプ地設営に動いたので、キロス中尉は安堵した。遺跡に戻る迄彼女は本当に元気がなかったのだ。
 "ヴェルデ・シエロ”は人々から神として崇められているが、決して穢れに弱い訳ではない。平気で屍を乗り越えて行く人間だ。しかし死の穢れを感じ取ることは出来る。不愉快で精神的に弱らせる気の波だ。大統領警護隊はそれを撥ね付ける訓練を受けるが、女性や繊細な者には時々厳しい試練になるらしい。デネロス少尉は「こんなことは初めてです」と言い訳したが、恐らく今迄古い遺跡ばかり巡っていて、新鮮な死の臭いを知らなかったのだ。
 ギャラガ少尉は先輩の異変にあまり気が付かなかった様だが、アスルは鋭く何かあったと察知した。”心話”を求めて来たので、キロス中尉は正直に森の奥で起きたことを伝えた。
 アスルは腕組みして、ギャラガ少尉と一緒にテント張りに励むデネロス少尉を見た。

「白人の血が混ざっているから、多くの人は彼女が敏感なレーダーを持っていると気が付かない。」

と後輩の兄貴を自負するアスルは言った。

「マハルダは多分軍人より巫女の仕事の方が合っていると俺は思っている。だが本人は軍務の方が好きなんだ。だから不快な臭いにも立ち向かおうとする。」
「今日のことに懲りて無茶はしないと思うが・・・」
「彼女が?」

 アスルは「わかっちゃいないな」と言いたげにキロス中尉を見た。

「マハルダは今日の失態を挽回しようと、また挑戦するさ。彼女はそう言う人間なんだ。」
「だが、敵が近くにいる時に、今朝の様な状態になるのは拙い。」
「だから、俺達はいつも2人組で行動することになっているんだろ?」

 単独行動が好きなアスルがキロス中尉を睨んだ。

「無関心のふりをして、気にかけておいてやるんだ。彼女が負い目を感じない程度にカバーしてやれ。それが出来ないなら、俺は君を彼女のパートナーとして認めないぞ。」

 いきなりな女性の「身内」からの通告だ。キロス中尉はもう少しで怯みそうになった。アスルの中のジャガーが牙を剥いたことを察したからだ。アスルは同じ部署の「妹」を守ろうとしている。同じ大統領警護隊の仲間でも容赦しない。だがキロス中尉だって引き下がる訳にいかなかった。デネロス少尉を狙うライバルは多いのだ。

「私は彼女が私より劣っているとは思わない。守るのではなく、支え合う自信がある。」

 一瞬男同士の間で火花が散った様に思えた。しかしその緊張もデネロスの声で吹き飛んだ。

「ちょっと! そこの中尉殿2人! 早く手伝ってくれます? それとも少尉だけで力仕事をやれって言うんですか?!」


2023/12/29

第10部  穢れの森     6

  テオとケツァル少佐は森の中に歩を進めた。彼女がテオの為に気を放出して小動物を遠ざけたり、木の葉に体を擦り付けて音を立てても平気だったので、テオは尋ねた。

「犯人が現場に残っている筈はないとは思うが、存在を知られる行為をして大丈夫か?」
「平気です。」

 少佐はアサルトライフルを銃口を上に向けた姿勢で肩に掛けたまま歩いていた。

「向こうはサバンを殺害したと考えられるだろ。”シエロ”を殺せるのは”シエロ”だけじゃないか?」
「まるでセニョール・シショカみたいなことを言うのですね。」

と少佐がニコリともせずに言い返した。

「不意打ちを喰らえば、何者であろうと敵に倒されますよ。」

 そして続けた。

「サバンの正体を知った上で彼を殺害したのなら、敵は”シエロ”に対処する方法を知っています。だから、”シエロ”が追って来ていると教えてやるのです。向こうは防御体制に入るでしょう。敵が”シエロ”なら、その気配がわかります。気が動きますから。”ティエラ”なら、物音を立てます。どんなに用心深くても、人間が立てる音はわかります。」

 テオは彼女が戦闘モードに入っていることを悟った。こんな時は彼女の前に出たり、余計なことを話しかけない方が身のためだ。
 それから2人は黙って歩いた。少佐は臭いを辿って歩いたので、時々風向きが変わると立ち止まって方向を計算していた。テオはそっと携帯を出した。電波は届いていないが時刻は見えた。アンティオワカ遺跡を出発してから4時間経っていた。もう自動車部隊は遺跡に到着してベースキャンプを設置しているだろう。もしかするとデネロス少尉とキロス中尉に合流したかも知れない。
 やっと少佐が足を止めたのは、それから1時間後だった。2人は乾いた倒木を見つけて座り、携行食で昼食を取った。

「犯人はどんな人間だと思う? こんな森の奥で”シエロ”に敵対しても意味がないだろ?」
「どう言う意味ですか?」
「つまり、サバンが殺されたのは、偶然だったんじゃないのかな。何か犯罪を目撃してしまって、或いは犯罪が行われていると知らずに接近してしまって、犯人に消されたのでは?」
「こんな森の奥で犯罪ですか?」
「動物の密猟とか?」
「ああ・・・」

 ケツァル少佐が合点したと頷いた。彼女は遺跡の保護が任務で盗掘のことと麻薬犯罪のことしか考えていなかったのかも知れない。

「サバンもコロンも野生生物保護協会の会員でしたね。密猟者を見てしまったのかも知れません。」


2023/12/27

第10部  穢れの森     5

  ケツァル少佐だけでなく、テオもデネロス少尉も一緒にキロス中尉が立っている草むらへ行った。中尉が南西方向を指差した。

「あちらの方から嫌な臭いがするのですが、嗅ぎ取れますか?」

 テオは鼻をひくつかせてみた。湿った森の臭いしかしなかった。しかしケツァル少佐は微かに鼻に皺を寄せ不快感を示した。そしてデネロスに至っては、再び顔色を変えて仲間から離れた。もう胃は空っぽだと思えたが、オエーっと音がした。
 キロス中尉が心配そうに少尉が消えた草むらを見た。テオは言った。

「マハルダは勇敢だが、デリケートでもあるんだ。俺には嗅げない臭いを、彼女は凄く不快に感じるんだろう。」

 ケツァル少佐が言った。

「この臭いは死の臭いです。正常な亡くなり方をした人のものではなく、何者かによって強引に命を奪われて、さらに侮辱された人の臭いです。」

 キロス中尉も頷いた。

「以前、デランテロ・オクタカスの森の奥で、少年が己の家族を惨殺した事件がありました。少年は悪霊に憑依されて犯行に至ったのですが、その悪霊は大昔に裁判で有罪判決を下されて処刑された人間のものでした。恐らく本人には納得の行く判決ではなかったのでしょう。だから悪霊化したのです。憑依された少年から酷く嫌な臭いがしていました。悪霊の臭いだとわかりました。”ティエラ”や血が薄くなった一族の末裔には嗅げない臭いです。今、我々が嗅いでいる臭いは、まさにそんな臭いです。」

 テオは先刻まで自分達がいた、イスマエル・コロンの骨が発見された場所を振り返った。

「コロンの骨があった場所より、その臭いは酷いのか?」
「スィ。」

 キロス中尉はまたデネロスがいる方向を見た。恋人の様子が気になるのだ。

「コロンと言う男性が実際に殺害された場所から匂って来るのか、あるいはもう一人行方不明になっているサバンと言う男の臭いなのか、私にはわかりませんが、犯罪現場から漂って来ることに間違いありません。」
「サバンは”シエロ”でコロンは”ティエラ”だろ?」
「死の臭いは人種に関係ありません。」

 するとケツァル少佐が決断を下した。

「ドクトルと私はこの臭いを辿ってみます。キロス中尉、貴方はデネロス少尉とこの周辺をもう少し捜索して下さい。憲兵隊が見落とした物がまだあるかも知れません。」

 彼女は繊細な部下を犯罪現場に連れて行きたくないのだ。キロス中尉をデネロスと一緒に残すのは、決して2人が恋人同士だからではない。マハルダ・デネロスの神経質がもしマックスになってしまった時、鎮めることが出来るのは、”ティエラ”のテオではなく”シエロ”のキロス中尉の方だから。
 キロス中尉もそれを理解した。敬礼して指図を了承した。

2023/12/26

第10部  穢れの森     4

  早朝のジャングルは空気が冷たかった。湿度は高く、テオは不快に思ったが、”ヴェルデ・シエロ”達の手前、我慢して黙っていた。特にキロス中尉には軟弱な白人だと思われたくなかった。幸い羽虫や危険な小動物は”ヴェルデ・シエロ”の気配を感じ取るとさっさと遠ざかってしまったので、それらに煩わされることはなかった。
 イスマエル・コロンの遺骨が発見された現場までは簡単に行けた。コロンを探したセルバ野生生物保護協会の会員達や遺体発見の通報を受けた憲兵隊が現場へ行ったので、道筋が出来ていた。踏み固められた地面をそのまま歩くと、半時間と少しで現場に到着した。
 踏み荒らされた地面と多くの人間がいた痕跡があった。ジャングルの中なので犯罪現場を示す黄色い規制線テープはなかったが、テオは土を掘った跡を数カ所見つけた。きっと泥に埋まった骨を掘り出したのだ。
 いつもは陽気で気丈なデネロス少尉が、気分が悪くなったのか、仲間から少し離れて藪の中に入った。ゲーっと音が聞こえ、ケツァル少佐とキロス中尉は顔を見合わせ、互いに肩をすくめ合った。テオは耳を澄ましてみたが、死者の声らしきものは聞こえなかった。

「何か見えるかい?」

と尋ねると、少佐も中尉も「ノ」と答えた。

「非業の死を遂げたからと言って、霊が残っているとは限りません。」

と少佐が言った。
 キロス中尉は現場をさらに範囲を広げて円形に歩き出した。犯人の痕跡を探しているのだ。勿論憲兵隊も行った筈だ。
 デネロス少尉が戻ってきた。罰が悪そうに上官に謝罪した。

「申し訳ありませんでした。死体が動物に食い荒らされている様を想像した途端に、胃がでんぐり返った様な気分になって・・・」
「慣れないものだから、仕方ありません。」

と少佐が部下を励ました。

「もっとも、こんなことに慣れてしまうような犯罪に出会したくありませんけどね。」

 その時、キロス中尉が茂みの向こうから声を掛けてきた。

「ケツァル少佐、ちょっと来て頂けませんか?」

2023/12/25

第10部  穢れの森     3

  ベテランの空間移動って、凄い! とテオは心から感動した。キロス中尉は仲間を空中に放り出すことなく、上下重なって出ることもなく、綺麗に入った順に目的地に”着地”した。
 出た場所はアンティオワカ遺跡と思われる石組と草木のちょっと開けた所だった。キロス中尉は慎重に持参した拳銃を構えて周囲の安全をチェックした。本来はアサルトライフルを持って来たかったのだが、”入り口”が住宅街にあったので、ライフルを持ち歩く訳にいかなかったのだ。デネロス少尉もサッと目視で安全確認した。そして最後に現れたケツァル少佐に確認した。

「ここがアンティオワカ遺跡ですね?」
「スィ。」

 ケツァル少佐はキロス中尉とデネロス少尉に頷いて見せた。テオは以前麻薬密売組織の倉庫代わりに使われたと言われる石の建造物を眺めた。何処に隠したのか知らないが、湿度が高い土地だから、白い粉は湿気ていたのではないだろうか、と要らぬ想像をした。
 少佐が西の方角を指した。

「憲兵隊はあの方向へ殺人現場捜査に入りました。我々も彼方へ行きましょう。」
「ロホ達を待つんじゃないのか?」

 テオの質問に彼女は首を振った。

「自動車部隊は食糧調達を済ませてからここへ来ます。我々はここをベースキャンプにしますから、夕方には戻って来ます。」
「憲兵隊はもう引き上げたのですか?」

とデネロス。その質問にはキロス中尉が答えた。

「彼等がジャングルの中で何日も過ごす筈がないじゃないか。死体発見現場を確認して付近をちょっと探してみただけで、一日で撤退したんだ。」

 ジャングルの中で長時間滞在出来ない軍人達をちょっと軽蔑する声音が入っていた。憲兵隊は都会で任務に就いていることが多く、ジャングルで働くのは滅多にない。本格的にジャングルで活動する時は陸軍特殊部隊が同行するのが、セルバ共和国軍の常だった。それは今や絶滅危惧種みたいになった反政府ゲリラを警戒するためだ。人数が減ったと言っても、ゲリラはまだ存在する。ほとんど野盗になっているが。
 大統領警護隊はジャングルでの軍事演習を頻繁に行うし、所謂超能力者である彼等は単独でも大勢の敵と戦える。キロス中尉にはその自信と誇りがあった。ケツァル少佐はそんな若い中尉の慢心をちょっと危険だと感じたが、黙っていた。他の部署の部下だし、軍人を多く輩出している名門の家系の出だ。たまには失敗しても構わないだろう。命の危険がない限りは。
 彼女は腕を振って、出発の合図を出した。

2023/12/24

第10部  穢れの森     2

 翌朝、テオはケツァル少佐とサン・ペドロ通り3丁目にあった”入り口”前に行った。以前アンティオワカ付近に行ける”入り口”はテオの前の家の近くにあったのだが、今度は少し移動していた。住宅地の中なので、空間通路に入る時は人目につかないよう用心が必要だ。2人は迷彩柄の上下を着ていた。テオもすっかり軍人仕様だ。ジャングルの中を動くのだから、動きやすい服装で行く。2人が到着して数分後にはデネロス少尉とキロス中尉が現れた。デネロスは官舎からで、キロスは実家からだが、何故か一緒に来た。

「本部出入りの食品会社の車で送ってもらって・・・」

とデネロスが説明した。

「キロス中尉のお家がたまたま途中にあったので、中尉も拾って来ました。」

 キロスは黙って挨拶の敬礼をしただけだった。照れ臭いのだ。それに白人の前でガールフレンドの世話になったと言いたくないのだろう。彼等も迷彩柄の上下だった。少佐と同じリュックサックだから、これは大統領警護隊の支給品だろう。
 彼等は入り口の前に立った。テオには見えないが、”ヴェルデ・シエロ”達には空間の穴が見えているのだ。

「先導をキロス中尉にお願いします。」

と少佐が言った。空間通路を通る先導は難しい。後続の仲間をはぐれないよう導かなければならないし、通路を出た途端に敵と遭遇する危険性もある。また、とんでもない場所、例えば崖っぷちとか下水道の中に出てしまう可能性もあった。ケツァル少佐は先導が上手ではない。彼女はいつも後続の仲間を空中に放り出したり、前後上下逆に出してしまったりするのだ。だから、彼女はキロス中尉に依頼した。ブーカ族は空間通路の使用が上手だ。それに中尉はよく通路を利用して出張する。
 キロス中尉は敬礼で承った、と答えた。少佐がデネロスに彼と手を繋ぐよう命じた。そして反対側の手をテオに掴ませ、彼女自身はテオの空いている手を掴んだ。

「では、行きます。」

とキロス中尉が軽い調子で言った。いかにも通路使用のベテランの口調だった。
 

2023/12/22

第10部  穢れの森     1

  週末、金曜日の夕刻、業務を終えたロホ、アスル、ギャラガ少尉の3人は1台の車で一足先に南部に向けて出発した。テオは彼等が車で出かけた理由がわからなかった。彼はケツァル少佐、デネロス少尉、それにキロス中尉と4人で空間通路を通ってアンティオワカ遺跡の近くへ行くことになっていたが、それは土曜日の早朝の約束だった。

「万が一、空間通路が使えなくなった時の足の確保です。」

と少佐が教えた。

「無理矢理詰め込めば7人乗れないことはないでしょう。」

 多分、ロホの中古のビートルではなく、大統領警備隊のジープで行ったのだろう、とテオは想像した。官舎に住んでいるギャラガ少尉が借用申請でも出したに違いない。
 旅の装備は簡単だった。少佐はいつもの軍務用リュックサックに必要最低限の物しか入れない。テオも見習って、自分用に買ってもらったリュックサックに下着とTシャツを3枚、検体採取用の容器を入れた保温箱、救急用品少々、それに携行食糧。水筒も忘れずに入れた。大統領警護隊みたいに水分を採取出来る植物を見分ける自信がなかった。
 少佐が虫除けスプレーをくれたので驚いた。”ヴェルデ・シエロ”がそばにいれば必要ないのだが。

「誤魔化しが必要な場合もあるやも知れません。」

と少佐が用心を説いた。

「貴方も他人の前でうっかり死者の声が聞こえたなどと言わないように。」
「聴きたくても聞けない時があるさ。」

 テオは霊媒師ではない。たまに死霊の声らしきものが聞こえるだけで、会話は出来ないし、話を聞き取ることも出来ない。しかし、死者の霊を見ることが出来ても声を聞けない”ヴェルデ・シエロ”達には妙にあてにされていた。特に、ケツァル少佐は幽霊が嫌いだ。襲ってくる悪霊は平気なのに、無害な、ただそこにいるだけの亡霊が嫌いなのだった。

「サバンが生きていれば何も見なくて済むだろう。彼の無事を祈ろう。」

 テオは少佐を励ました。

第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...