ラベル 第11部 太古の血族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第11部 太古の血族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025/01/11

第11部  太古の血族       32

 「対立の内容を貴方は知っているのか、マリア?」

とキロス中尉が尋ねた。マリア・アクサ中尉は神殿をチラリと見てから、上官に向き直った。

「噂話ですが、報告してよろしいでしょうか?」

中尉がケツァル少佐を見たので、少佐が「良い」と答えた。それで、マリア・アクサ中尉は「女官から聞いた話です。」と断りを入れてから語った。

「神官の間で、後継者の決め方を変えようと言う意見が出ているそうです。今までは神官に欠員が出た場合に、神殿が一族の中で修行を始めるのに適した年齢の子供を探し出し、親を説得して・・・こんな言い方は失礼でしょうが、殆ど誘拐同然に・・・神殿に連れて来て教育していました。しかし世代を重ねるごとに一族の人口は減少しています。純血種が減っていると言った方が正しいでしょう。ですから、これからは能力が高ければ混血の子供でも良いのではないか、と言う意見が出ました。」
「混血では”名を秘めた女の人”の声が聞こえない!」

と口を挟んだのはカタリナ・アクサの方だ。しかしキロス中尉に「黙れ」と注意されて、口を閉じた。マリアは中尉から目で促され、話を続けた。

「カタリナが言った理由で反対する神官が多かったのですが、その反対者の中でもさらに意見が割れました。新しい神官は現在いる神官の子供から選べばどうか、と言う意見です。」

 すると今度は副官のトーコ少尉が目を丸くして抗議した。

「それでは世襲になる。世襲は古代から禁止されている筈だ!」
「マリアに抗議してどうなる?」

とキロス中尉が彼女を宥めた。ケツァル少佐がまとめようとした。

「つまり、今、エダの神殿の中では、混血の神官でも良いと言う者と、神官を世襲制度にしようと言う者と、それに反対する者がいると言うことですか。」

 マリア・アクサ少尉が「スィ」と答えた。するとデネロス少尉が首を傾げた。

「そうなると、グラダを祖先に持つ子供を探せと言う者は、混血の神官にも世襲にも反対の人の中にいる訳ですか?」
「神官達それぞれの思惑があって意見がバラバラなのでしょう。」

とキロス中尉が苦々しげに神殿を見た。

「いずれにせよ、長老会を無視して神官だけで制度を変えると言うのはとんでもないことです。」
「だから貴女達を締め出しているのです。」

 ケツァル少佐は神殿を睨んだ。

「私が結界を破って中に入ると不敬罪になるのでしょうね。」
「長老会を無視する方が不敬罪です。」

 キロス中尉も部下達も怒っていた。少佐はちょっと考えてから、仲間を振り返った。

「ご存知かと思いますが、私は罪人の子供として生まれました。親は二人共反逆者と呼ばれました。ですから、私が不敬を成しても、やはりあの男女の子供だ、と思われるだけでしょう。貴女達は私を捕まえようと追いかけて神殿に戻った、そう言うことにしませんか?」

 彼女の提案にびっくりしている神殿近衛兵達を横目で見て、それからデネロスが笑った。

「流石、我等が文化保護担当部の指揮官殿です!」


2025/01/10

第11部  太古の血族       31

  ケツァル少佐が「対立」と言う言葉を口に出すと、神殿近衛兵達がサッと緊張するのがデネロス少尉にはわかった。近衛兵達も神殿内の不穏な雰囲気を気にしていたのだ。

「何か情報を得て来られたのですね?」

とキロス中尉が用心深く尋ねた。デネロスは黙して上官に一任した。少佐が近衛兵達を見回した。

「大神官代理ロアン・マレンカ殿はお体の具合が良くないと聞いています。」

 反応がなかった。彼女達は知っていたのだ。少佐は続けた。

「ある隊員が、大神官代理候補となり得る男の子供を探し出すよう命令を受けました。」

 これには、反応があった。数人が互いの顔を見合わせ、キロス中尉も表情を強ばらせた。

「それは、マレンカ様が危ないと言う意味ですね?」

 遠回しではなく、ズバリと訊いてきた。少佐は頷いた。

「スィ。私はどの様なご病気なのか、聞いていませんが、神殿で療養なさっておられないのでしたら、ご実家に下がられたか、どこかの医療施設に入られたのだと思います。」

 キロス中尉は部下達を見てから、少佐に視線を戻した。

「一月前、神殿から御用車が出ました。普通の乗用車で、神官の何方かが私用で使われたのだと思っていましたが、恐らくそれに大神官代理様が乗っておられたのでしょう。と言うのも、それ以降、我々は大神官代理のお姿をお見かけしなくなったからです。」
「しかし、何故少佐が大神官代理の交代に口出しされるのですか?」

と尋ねたのは、セデス少尉と紹介された兵士だった。少佐は隠さずに言った。

「子供を探す命を受けた隊員はある条件を与えられています。祖先にグラダの血を受け継ぐ者、と言う条件です。」

 ザワッと声が聞こえた、とデネロスは感じた。実際は誰も声を発していなかったが、全員がちょっと驚いたのだ。

「神官に選ばれる子供は、親の承諾の下、純血種で能力の強い健康な子供、と定められていますが、部族の特定はありません。しかも先祖にグラダがいるなんて・・・」

 キロス中尉が少し困惑していた。

「どうやって調べるのです?」
「それは私も知りません。」

 少佐はさらに言った。

「私がここに来た理由は、その条件が神官全員の意見なのかどうかお聞きしたいと思っているからです。」

 ああ・・・とマリア・アクサ少尉が囁く様に発言した。

「だから、神殿内で対立が起きているのですね?」

2025/01/06

第11部  太古の血族       30

  彼等は数百メートル神殿に向かって進んだ。そして、デネロス少尉が前方に複数の人間の気配を察知した時、キロス中尉が言った。

「我々神殿近衛兵のキャンプです。」

 キャンプ? 言葉に疑問を感じて少尉はケツァル少佐を見た。少佐も不愉快そうな表情をした。

「貴方方は神殿に入らないのですか?」

 中尉が小声で答えた。

「入れないのです。」

 彼女が手で前進を促し、3人は開けた場所に出た。木の枝でカムフラージュされたテントが3基設営されており、4人の女性兵士がいた。4人共キロス中尉同様短槍を持っており、テントから出て来た5人目だけがアサルトライフルを持っていた。キロス中尉が訪問者を紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐とデネロス少尉だ。」

 そして訪問者に仲間を紹介した。

「私の部下達です。」

 つまり全員少尉だ。デネロスは奇異な印象を抱いた。

「全員女性ですね?」
「スィ。今回ここに来る任務を賜ったのは女だけです。」

 銃を持った兵士がキロス中尉のそばに来たので、キロス中尉が紹介した。

「私の副官のトーコ少尉です。残りは、アクサ、もう一人もアクサ、ナカイ、セデス、全員少尉です。アクサはマリアとカタリナ、名前で呼び分けています。」

 全員がブーカ族だ、とデネロスは思った。それも純血種だ。姓が同じなのは仕方がない。一族の人口自体が少ないのだし、家族の単位数も少ない。多分、全員がどこかの時代で親戚なのだ。
 ケツァル少佐が質問した。

「神殿に入れないとは、どう言う理由からですか?」
「わかりません。」

 中尉が腹立たしげに神殿の建物を見た。

「神官達が結界を張っているのです。」

 少佐がグラダ族の目で空中を眺めた。

「3、4人の共同作業の様ですね。一人の神官で神殿全体を覆うのは無理です。グラダでない限り。」

 彼女は微かに微笑んだ。

「私には破れますよ。結界を張っているのはブーカではない、サスコシとカイナです。どうやら、神殿の中で神官同士対立している様です。」


2025/01/01

第11部  太古の血族       29

  ケツァル少佐は直ぐに答えずに、神殿の建物の方を見た。

「神官達がこちらに集まっておられますね?」
「スィ。」
「でも大神官代理は居られない。」

 エダ神殿を守る神殿近衛隊のキロス中尉は無言で少佐を見つめた。

「重要な会議が開かれるのに大神官代理がいらっしゃらないのは、不思議ですね。」
「少佐・・・」

 キロス中尉が硬い表情で言った。

「我々は神官と会議に関する会話はしません。」
「そうでしょう、警護と議事内容は関係ありませんから。」

 少佐は中尉に視線を向けた。

「でも、おかしいと思われませんか? 大神官代理抜きで会議をなさるなど。」
「それは・・・」

 キロス中尉は少し困惑して、デネロス少尉をちらりと見た。

「こちらで会議をなさるなど、滅多にないことですし、ここで会議を開かれる場合は・・・」

 彼女が言い淀んだので、デネロスが口を挟んだ。

「この神殿で会議をなさるのは、神官が入れ替わる時ですよね?」

 上官同士の会話に口を挟んだので、キロス中尉がデネロス少尉を睨みつけたが、ケツァル少佐は無視した。

「大神官代理が来られず、会議を開くと言うことは、大神官代理が交代されると言うことですね?」
「私にはなんとも・・・」

 キロス中尉は困ってしまった様だ。そして改めて質問して来た。

「少佐は何が目的でこちらへ来られたのですか?」

 ケツァル少佐は今ではすっかり大統領警護隊文化保護担当部で出した推論の正さを確信した。

「大神官代理がご病気で引退されることを確かめに来ました。」

 キロス中尉はまた硬い表情に戻り、神殿を見た。そして囁いた。

「神殿から不穏な気が発せられています。私達近衛兵はそのために不安定な思いを感じています。」


2024/12/27

第11部  太古の血族       28

  静かに姿を現した人物は若い女性だった。ジャングルに溶け込むような色の軍服の様な物を着用し、手には銃器ではなく、驚いたことに短槍を持っていた。腰のベルトには拳銃、とデネロスは見て採った。
 ケツァル少佐が尋ねた。

「先刻の声は貴女ですか?」
「スィ」

と女性がニコリともせずに答えた。

「地声で話しかけると侮られますからね。」

 そう言う声は、容姿よりもまだ若く聞こえた。その目は、しかし、デネロスより年上に見えた。少佐が名乗った。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。隊の中ではケツァルで通っています。」

 彼女は振り返らずに手だけでデネロスを差した。

「部下のデネロス少尉です。」

 女性が名乗った。

「エダ神殿の警護を担当していますキロス中尉です。所属は大統領警護隊神殿近衛隊です。」

 デネロスは心の中で「あっ」と思った。神殿近衛隊は大統領警護隊司令部の直属部隊で滅多に他の部署の中で話題に昇らない。若い新参者の警備班隊員などは存在すら知らないのだ。遊撃班も実際の近衛隊の顔を知らないと言われるほどだ。神殿近衛隊に命令を出せるのは総司令官エステベス大佐だけと言う噂だった。デネロスはロホやアスルからチラッとその存在の話をずっと以前に聞かされただけで、今まで忘れていた。

 キロス中尉って、ファビオ・キロスの親戚かしら?

 ふと最近交際を始めた遊撃班の彼氏の顔が思い浮かんだ。そして、「いやいや、私的感情は傍に置いておけ」と己の心に言い聞かせた。
 ケツァル少佐は敬礼しなかった。向こうの方が軍人としては格下だ。しかしキロス中尉が敬礼しないので、彼女もしないのだった。
 中尉が尋ねた。

「こちらに何か御用でしょうか?」

2024/12/22

第11部  太古の血族       27

  エダの神殿は、グラダ・シティから北西へ行った場所にあり、アスクラカンとグラダ・シティ、エダを線で結ぶとほぼ正三角形を形作った。北部の乾燥地帯に近いので、森の樹木は低く細い。住民は海に近い地帯に住んでいるので、少し内陸になるエダは耕地にもならず昔から手付かずの自然が残されていた。セルバ人にとっては「禁足地」の一つで、狩猟で入ることも許されない場所だ。その痩せた森の中に背の低いピラミッド状の石組が隠れるように建っていた。周囲には平屋の石の家屋が互いに少し距離を空けて取り囲んでいた。
 マハルダ・デネロス少尉は初めてエダに足を踏み入れた。森の中に入ると空気が張り詰めた感触で、肌にチクチクするような気分を味わった。

「なんだか不快なんですけどぉ・・・」

と彼女は少し先を行く上官に感想を述べた。

「ミックスの私はここへ入っちゃいけないんでしょうか?」

 ケツァル少佐が振り返った。

「そんなことはありません。私も少し気分が沈んでいます。ここの空気が神官達の気分を反映しているのでしょう。」
「では、神官達が何か問題を抱えていると言うことですか?」
「そのようですね。」

 森の地面には、よく見ないとわからない石畳の道が付けられており、2人はそこを歩いていた。苔で軍靴の底が滑りそうだ。
 突然、少佐が足を止め、片腕を横に伸ばして手のひらをデネロスに向けた。止まれと言う合図だ。デネロスは無言で従った。手にはアサルトライフルを持っている。聖域に武器を持ち込むのは喜ばれないことだが、少佐が持っているようにと言ったのだ。その少佐もライフルを装備していた。もし神官か誰かが苦情を言えば、屋外行動の基本装備だと主張する。
 デネロスは前方から微かな足音が近づいて来るのを聞き取った。 ”ヴェルデ・シエロ”でも軍人でなければ歩くときに物音を立てる。 ”ティエラ”の耳に聞き取れなくても、大統領警護隊なら聞き取れた。そんな程度の音だった。
 ケツァル少佐がライフルを前方に向けて、声を出した。

「止まれ! こちらは武装している。大統領警護隊だ。」

 音が止まった。ちょっと驚いたらしい呼吸が聞き取れ、やがて男性の声が聞こえた。

「こちらはエダの神殿の守り人だ。何故に大統領警護隊がここにいるのか?」

 少佐が答えた。

「貴方のお顔を見てからお答えしよう。」


2024/12/18

第11部  太古の血族       26

  テオ、ロホ、アスル、ギャラガはテオの車で、テオとケツァル少佐のアパートに向かった。道中、誰も口を聞かなかった。かと言って、車内で緊張していた訳でもない。運転しているテオを除いて、3人の大統領警護隊隊員は寝ていた。
 夕刻前だったが、テオは友人たちを伴って帰宅した。少佐とデネロスはエダの神殿に出かけて今夜は帰らないから、テオは車を出す前に家政婦のカーラに電話をかけて、4人分の夕食を頼んでおいた。夕食が出来上がるまで、彼等はテオのスペースの居間に入って、水だけでこれまでの経過を報告し合った。
 アスルとギャラガは”ヴェルデ・シエロ”の医療に携わる人々を訪ねて、「貴人」の診察を頼まれたことはなかったかと訊いて歩いた。そうした人々は普段は別の仕事を持っていて、医師の真似事が出来るなんて周囲の人間に悟られないよう生活しているのだ。しかし大統領警護隊の訪問を受けて、正直に答えてくれた。誰も大神官代理を診察したことはなかった。しかし、最後にギャラガが、大統領警護隊警備班に勤務する仲間の実家を思い出した。アフリカ系の血が流れる”ヴェルデ・シエロ”の医師ピア・バスコは西洋の医学を修め、町医者として地域医療に献身している女性だ。アスルは大神官代理が白人の医療を受けるだろうかと疑問を抱いたが、他に訪ねる目的地も無くなったので、ギャラガに逆らわず、バスコの診療所を訪問した。そして、バスコ医師はロアン・マレンカを診察したことを打ち明けた。それはアスルとギャラガが大統領警護隊だから、と言うより、息子達の災難に関わって、一家を助け支えてくれた人々だったからだ。

「あの尊いお方は、末期の膵臓癌に侵されています。」

 彼女は大神官代理の病状を説明し、グラダ大学付属病院を紹介したことを明かした。だから、アスルとギャラガは病院に行って、テオとロホに出会ったのだ。
 テオもロホの実家へ行って、マレンカ家の長兄サカリアスから情報をもらったことを語った。アスル達が足を使って得た情報を、こちらは座って話を聞くだけで得たのだから、申し訳ない感じがしたが、アスルは何も言わなかったし、ギャラガは「よく教えてくれましたね」と感心した。兄弟だから教えてくれた、なんて考えないのだ。彼等はロホの実家が一族の最高機密を扱う家族だと知っている。それも家長と後継者しか伝えられない機密だ。四男なんて、そんな機密事項に触れることすら許されない、とアスルもギャラガも承知していた。

「兄はあまり神殿の権威を信頼していないようだ。」

とロホが苦笑した。

「ところで・・・」

とテオが彼に振った。

「君は大神官代理から、何か聞いたんじゃないのか?」


2024/12/13

第11部  太古の血族       25

  テオはロアン・マレンカの担当医の名前を聞いてから、礼を言って、ロホと共に歩いて行った。エレベーターに乗っても良かったのだが、大統領警護隊の隊員達はエレベーターを嫌う。扉が開いた時に外で敵が待ち構えていたら、狭い空間で戦わなければならないからだ。
 階段を上って行くと、3階の通路に知った顔を見つけた。テオより先にロホが声をかけた。

「クワコ中尉とギャラガ少尉、ここで何をしている?」

 何をしているのか、当然わかっていたが、敢えて尋ねた。アスルとギャラガは民間療法士の伝を手繰って大神官代理の行方を探していたのだ。恐らく、ここを聞き出して到着したのだ。
 声をかけられて、2人がビクッと振り返り、上官と親友を認めて緊張を解いた。彼等は敬礼して、それから小声で言った。

「あの人がここにいるって聞いたもので・・・」

とアスル。彼等も到着したばかりなのだ。多分、受付を”幻視”で誤魔化して、通るところを見えないようにしてやって来たのだろう。テオは大神官代理の居場所はそんなに極秘事項じゃないのだな、と思った。たった半日で2つのグループが突き止めてしまったのだ。
 ギャラガがさらに声を顰めて囁いた。

「かなり容態が悪い様です。」

 彼等は3号室の前にいた。ロホはドアを開けずに中の様子を手を扉の表面に当てて伺った。

「まだ死霊の気配はない。」

と彼は囁いた。
 通路に彼等以外の人間がいないことを確かめてから、ロホはドアをノックした。数秒待ってから、部下達とテオを振り返った。

「入室のお許しが出た。」

 恐らく気の動きでも感じたのだろう。彼は静かにドアを開くと、部下達とテオを先に入れ、己は最後に入った。
 テオは機械に繋がれた男性をベッドの上に求めた。先住民の男性で、病気で衰弱して老齢の様に見えるが実際はまだ40代の筈だ。痩せこけて、酸素マスクの下で静かに呼吸をしていた。ロホがベッドの病人の頭の横に近づき、右手を左胸に当てて自己紹介した。 ”ヴェルデ・シエロ”の言語だったが、テオは彼が部下達とテオも紹介したことがわかった。
 その後の説明は、”心話”だった。重病人に負担をかけずに複雑な会話が交わせるのだ。
 テオはロアン・マレンカが口元に苦笑とも思える小さな笑みを浮かべたのを見逃さなかった。きっとロアンの部下の神官達が彼の後継を巡ってドタバタしていることを知って、苦笑したのだろう。
 ベッドの上の男性は、死を前にして穏やかな表情をしていた。もう儀式もしきたりも掟も政治も関係ない時間を送っているのだ。
 不意にロアンがロホの手を掴んだ。骨だけのような細い手にいきなりギュッと力強く掴まれて、ロホが驚いた。大神官代理は彼の目をグッと見つめた。ロホは緊張した面持ちになり、言葉で何かを伝えた。ロアンが微笑み、彼を離した。
 ロホが恭しく頭を下げたので、アスルとギャラガも彼に習った。テオも訳がわからぬまま、真似をした。
 ロホが体の向きを変えた。

「さぁ、お暇しよう。」


2024/12/12

第11部  太古の血族       24

  テオとロホはグラダ大学医学部付属病院の駐車場に到着した。ロホが鼻をひくつかせた。

「病院の臭いって、本当に嫌です。」

と彼が呟いた。

「昔はそうでもなかったのですが、肩の手術を受けてから、どうしてもあの時のことを思い出してしまって・・・」

 彼が何を言っているのか、テオはすぐに悟った。ロホは反政府ゲリラに誘拐されたテオを救出に行って、ゲリラの親玉に肩をナイフで刺されたのだ。親玉は”出来損ない”の”ヴェルデ・シエロ”で、一族の扱い方を心得ていた。ロホがジャガーに変身して逃げないように、肩の関節辺りを深く刺して、体を変化させられないようにしたのだ。ロホはもう少しで左腕を失うところだった。テオ、ケツァル少佐、ステファン大尉が力を合わせて彼を救出し、少佐の応急処置でロホは助かった。今は、すっかり回復して「記念に」傷跡を残す程度だが、やはり当時の記憶は嫌なものなのだ。

「今日は君の診察じゃないから、気にするなよ。」

としかテオは言えなかった。忘れてしまえ、なんて言えない。ロホの負傷はテオを救出した時の代償だったのだから。
 2人は車から降りて、病院の正面玄関から入った。付属病院はセルバ共和国で最高の医療技術と最新の医療設備を備え、最高の腕を持つスタッフが働いているが、料金が安いのでいつもショッピングモールの様に賑わっていた。少なくとも、外来のスペースは、混雑していた。
 よく知った場所をテオはロホを先導して歩いて行き、入院病棟の受付へ辿り着いた。名前は覚えていないが、顔は見知っている女性スタッフに声をかけ、ロアン・マレンカと言う人物が入院していないかと尋ねた。個人情報だったが、テオが大学の職員で、医学部でも彼に色々頼ることが多かったので、あっさり要求は受け入れられた。スタッフはパソコンで検索した。

「セニョール・マレンカは緩和ケア病棟の3階3号室です。」

 緩和ケア病棟、と聞いて、ロホが眉を上げた。大神官代理はもう余命何もないのではないか?


2024/12/04

第11部  太古の血族       23

  テオはもっとブーカ族の旧家について知りたいと思ったが、親友の実家だし、相手を怒らせたくもなかったので、適当に切り上げて遑を告げた。ロホとテオが家から出る時、誰も見送りに来なかった。普段もそうなのだろう、ロホが全く気にせずに車まで歩いて行くので、テオはついて行った。

「病院へ行ってみるかい?」

と彼はロホに訊いてみた。グラダ大学医学部付属病院は、テオにとっては庭みたいな場所だ。研究のために頻繁に出入りしているし、向こうから仕事を依頼されることも多い。入院患者の身元を調べるのはそんなに難しくなかった。ロホは車のドアに手をかけて、ちょっと考えた。

「大神官代理に今回の事件に関する考えを聞くのですから、面会出来るのでしたら、面会したいですね。」
「せめてどんな容態なのかだけでも調べてみよう。」

 2人は車に乗り込み、マレンカ家の地所から出た。

「君のお兄さんはもっと口が固い人だと思ったが・・・」

 テオが感想を述べると、ロホが苦笑した。

「兄はあまり現在の神殿の形態を好いていないのです。何もかも一族の人々に対して秘密にしている、長老会の決定も時に無視する、政府を意のままに操れると錯覚している、と批判しています。太古からの神を敬っているように見えて、実際は俗物的で生臭い政治と経済の問題に突っ込みすぎる、と言ってます。多分、”名を秘めた女の人”もあまり尊重されていないのではないでしょうか。隔離された場所で一生を暮らすあの女性に、思いやりを持っているのかどうかも疑問ですね。 兄はそう言っていつも憤っています。」
「2番目のお兄さんは神殿で働いているんだろ?」
「ウイノカとは滅多に出会わないので、私はあの兄が何を考えているのか、わかりません。」

 でも、とロホは囁いた。

「サカリアスとウイノカは仲は良いんです。」


 

2024/12/02

第11部  太古の血族       22

  サカリアスは、先祖の秘密を神殿に知られても大丈夫だと言う意味のことを言った。しかし、テオは信じられなかった。いや、サカリアスが信じられないのではない。神殿と言う「組織」が信じられなかった。今回の毒の事件からも分かるように、彼等は他人を傷つけることを平気でするではないか。
 それに、テオが知っているグラダの子孫、ケサダ教授には彼個人の秘密がある。恐らく養父のムリリョ博士と妻のコディアしか知らない秘密だ。もしかすると、母親も知らないかも知れないのだ。それを神殿に絶対に知られたくない筈だ。
 テオは話題をグラダの子孫の話から、本来の訪問目的に変更した。

「ところで、その現在の大神官代理ですが、お体が悪いのでしょう? 神殿ではなく外で治療されていると推測されていますが、どこにおられるか、ご存じないですか?」

 ロホも我に帰ったように、兄を見た。

「そうだ、大神官代理の行方をお聞きしに、訪問しています。兄様はご存じないですか?」

 サカリアスが肩をすくめた。

「あの男は・・・」

 一族から尊敬されている筈の人物を、彼は「あの男」と呼んだ。

「伝統的な治療を信用出来ずに、白人の医療に頼っているよ。」

 彼は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「君達のすぐ近くにいます。グラダ大学医学部病院にね。」

 えっ!と驚いたのは、テオもロホも同じだった。 神の代理人である大神官代理が、現代医学に頼って入院している?

「そんなに悪いのですか?」

 テオの質問に、サカリアスは溜め息をついた。

「恐らく、タチの悪いデキモノだろう。」

 つまり、癌だ、とテオは思った。ロホが憂い顔になった。

「手術を受けたのでしょうか?」
「それはわからない。だが、彼は病院にいる。」


2024/11/25

第11部  太古の血族       21

  テオは即答を避けた。セルバ流にやんわりと遠回りした。

「もし、生き残りがいたとして、その人達は長老会に祖先の申告を義務付けられているのでしょうか?」
「義務はありませんが、どの家系に属するか、”ツィンル”である限り、部族の長老に把握されていなければ、一族の中で発言力を持ちませんし、保護を受けるのも難しくなります。一族の血が薄いミックス達が生活に困窮しているのも、彼等の親、その親の代に家系の登録から外れたからです。ご存じだと思いますが、サスコシ系のサンシエラ家は経済的に大成功を収めています。彼等は一族の血がかなり薄いですが、家系をしっかり族長に把握してもらっているので、末端の子孫が困った場合に保護を受けられるのです。」

 サカリアスはロホを見た。

「弟の部下にブーカの女性がいますね。彼女の家系も4分の1、8分の1の”ツィンル”で、ブーカ族の家系の一つとしてしっかり把握されています。
 もし、”禁断の村”の生き残りがいるのであれば、その人達は家系管理から外れてしまっているか、家系を偽って他部族の中に紛れ込んでいることになります。後者は掟破りです。何故なら、あの”禁断の村”の住民はほぼグラダで、どの部族の人間でもないからです。」
「反逆者になるのですか?」

 テオはドキドキした。胸の鼓動をサカリアスに聞かれはしまいかと不安になった。彼の呼吸の微かな変化をロホが感じ取り、顔を上げた。サカリアスもわかったに違いない。

「反逆者とは、一族に害を与える者のことです。」

とサカリアスがキッパリと言った。

「隠れている”禁断の村”の生き残りがいたとして、その人は一族に害をなすことを考えているのでしょうか? もし、ただ隠れているだけなら、叛逆ではありません。私はその人に出逢ったら、勧告します。新しい家系を立ててください、と。その人だけの部族になるかも知れませんし、その人の家族が入れば、数人だけの部族となるでしょう。少なくとも、能力を隠して生きる必要は無くなります。そして一族に対して発言権も得ます。発言権があれば、幼子を大神官代理に差し出すことを拒否することも出来ます。神殿は・・・」

 サカリアスはちょっと苦笑に似た微笑みを浮かべた。

「”オルガ・グランデの戦い”で懲りているのです。大神官の修行は若年にうちに始めなければなりませんが、本人の意思を尊重しなければ能力を発揮することが難しい。シュカワラスキ・マナの様に修行途中で逃げ出されては、20年近い神殿の教育が無駄になります。ですから、グラダを祖先に持つ子供を見つけても、その親を説得して話し合うでしょう。現代風に処遇すると思います。子供を一生神殿に閉じ込めたりせず、寄宿学校のように扱うと私は思います。何故なら、現代の神官達はそう言う暮らしをしているのですから。」


2024/11/23

第11部  太古の血族       20

  テオは困ってロホを見た。ロホは彼に見つめられて、やはり心当たりがあったのか、ギクリとした表情を一瞬見せた。サカリアスは弟を横目で見た。そして小さな溜め息をついた。

「どうやら、大統領警護隊文化保護担当部は、何か他人に言えない秘密を共有しているらしいな。」

 ロホが目を伏せた。兄に心を読まれない用心だ。テオは彼のためにサカリアスに説明した。

「申し訳ありません、俺は、その”心当たりがある人”に直接確かめた訳ではないのです。遺伝子検査もしていません。文化保護担当部の友人達も・・・ケツァル少佐も本人に確認していません。相手をよく知る人から聞かされただけなのです。そしてロホ・・・アルファットは偶然相手の気の大きさから、『もしかして』と想像している、それだけなのです。」

 サカリアスは視線を弟からテオに移した。暫く考えていたが、やがて諦めに似た息を吐いた。

「神官達が大神官代理に仕立てようとする人間は、グラダを祖先に持つ幼子です。そしてその子が成長し、大神官代理になったとして、その力の暴走を止められるのも、グラダを祖先に持つ人です。つまり、その抑止力を持つ人は、現在既に成人していると考えて良いのでしょう。そうなると、子供の親族、恐らくは親なのだと思います。そしてドクトルやアルファットは、その親である人と知り合いなのではありませんか?」

 するとロホがそこで反撃に出た。

「兄様は、その抑止力を持つ人が私の上官であるとは思わないのですか? それに大統領警護隊には2人の男性のグラダもいますよ。」
「異人種の血を引くステファンとギャラガだね。」

とサカリアスがやんわりと彼の反撃を交わした。

「代理と言っても、大神官になれば力の使い方が普通の一族の力の使い方と異なるのだよ、アルファット。純血種ならともかく、ミックスではまともにぶつかれば大神官代理の方が遥かに強い。それに、ケツァルは女性だ、男女で力の使い方が違う。男の暴走を止められるのは男だけだ。」

 サカリアスは真面目な顔でテオに向き直った。

「禁断の村の生き残りが、まだ他にいるのですね?」


2024/11/21

第11部  太古の血族       19

 「現在の神官達は、そんなに掟に縛られていないと思うよ。」

とサカリアスが言った。

「掟を重視するのは長老会だね。若い神官は長老の言いなりだ。だから大神官代理ロアン・マレンカは遠縁の甥になる神殿近衛兵ウイノカ・マレンカに彼の留守の間の出来事を逐次伝えるよう頼んだ。長老会が新しい大神官を立てる考えを持っていると知っているだからだ。」
「新しい大神官と言うのは、グラダの血を引く人と言うことですか?」

 テオはまたうっかり他人の話の最中に口を挟んでしまった。サカリアスは怒らなかった。

「スィ、長老会はアンドレ・ギャラガ少尉が白人の血を引いているにも関わらず、グラダの能力を保っていることに驚愕し、他にも同様の能力者がどこかに潜在しているのではないか、と考えた。それで一番長老会と親しいアスマ神官にグラダの子孫を探すよう勧めた。長老会が神官に命令することは出来ないが、進言は出来るからね。だが神官の多くは、ミックスのグラダ、過去の事例において災難をもたらした男の事例を思い出し、その考えに難色を示した。グラダ族の力が暴走すると誰にも止められない。それに大神官に異人種の血が入る者を据えることも許したくない。だから、今神官達は二つの派閥に分かれてしまっている。長老会に従う派と反対派だ。」
「アスマ神官は大統領警護隊遊撃班の若い隊員に、グラダの子孫探しを命じました。はっきり言って、無理です。一族全員の遺伝子検査が必要でしょう?」

とロホはテオを見て言った。サカリアスは苦笑した。

「私は、長老会には誰か心当たりがいるのだと思うよ。アスマ神官には教えないだけで。そして、グラダの力が暴走した時の制御能力がある人間にも心当たりがあるのだろう。」

 テオはもう少しで「あっ!」と声を上げそうになった。我慢したが、微かな心の動揺を”ヴェルデ・シエロ”の兄弟は見逃さなかった。
 サカリアスがテオを見つめ、ズバリ質問した。

「貴方は、長老会が誰に目星を付けているのか、お分かりなのですね?」


2024/11/20

第11部  太古の血族       18

  テイサが姿を消すと、サカリアスがテオに話しかけてきた。

「ウイノカは貴方に毒の遺伝子検査を依頼したと言っていましたが、それが今回の出来事にどう影響すると思われますか?」

 ロホが黙っているので、テオはちょっと困惑した。ウイノカ・マレンカの依頼は彼とテオの間の秘密だった筈だ。しかしウイノカはどこかでサカリアスにそれを打ち明け、サカリアスは今”心話”でロホに伝えたのだ。
 テオは正直に言った。

「俺は部外者だし、神殿内の権力闘争とかに関係したくないと思っています。毒の成分の由来を調べましたが、それが毒を使った人間の特定に役立つとも思えませんでした。ウイノカがもし毒を使った人を特定したとして、彼はそれからどうするつもりだったのでしょう。犯人を告発するつもりだったのでしょうか。」
「ウイノカは、厨房スタッフを危険な目に遭わせた人間を許せなかっただけですよ。」

とロホが腹立たしげに言った。長兄とテオの会話に割り込むのは、礼儀作法に外れるのだが、サカリアスは怒らなかった。彼は弟をちょっと横目で見ただけで、視線をすぐにテオに戻した。

「ウイノカが神殿と大統領府で起きたことを私に伝えたのは、厨房の毒事件の3日後でした。神官達がエダの神殿に出かけている間の事件だったので、私は神殿の秩序を守る対処法を訊かれるのだと思い、彼と神殿の外部庭園で会いました。」

 神殿の外部庭園とは、どこだろう、とテオは思ったが、黙っていた。ロホが不審そうに尋ねた。

「先ほども”心話”でそれを知りましたが、外部庭園は神殿近衛兵しか入れませんよね?」
「ウイノカがこっそり入れてくれたのさ。」

 長兄はけろりと答えた。そのウイノカが神殿近衛兵だったことは、既にロホに”心話”で伝わっているようだ。ロホが憂い顔になった。

「兄さん達は掟を破りっぱなしですよ。」


2024/11/19

第11部  太古の血族       17

  風通しの良い横長のリビングで、テオ、ロホ、サカリアス、テイサの4人はそれぞれ適当に近くにあった椅子に座って扇型になった。上座は特に決まっていないようだが、サカリアスが最初に場所を決めると、2人の弟達が彼の顔が見える位置に椅子を置いたので、テオもロホの隣に椅子を置いたら、サカリアスと向かい合う形になってしまった。サカリアスがロホに言った。

「質問しなさい。」

 ロホが頷き、単刀直入にではなく、ちょっと遠回しに尋ねた。

「最近ウイノカから神殿のことを何かお聞きになりましたか?」

 サカリアスは直ぐに答えずにテイサを見た。テイサが答えた。

「ウイノカはこの半年帰っていない。」

 では、奥さんは半年も夫に会っていないのか、とテオはこの場でどうでも良いことを思った。ロホが粘った。

「家の外で彼に会いませんでしたか?」
「私は会っていない。」

とテイサが言い、サカリアスを見た。サカリアスがロホに質問を返した。

「ウイノカが神殿のことを私達に喋ると思うか?」
「ノ。」

とロホはあっさり否定した。

「神殿での出来事を話す人でないことは承知しています。ですが、何か問題が生じて相談に来たことはありませんでしたか?」
「相談か・・・」

 テオは、テイサが怪訝な表情をしたのにサカリアスは無表情でロホを見返したことに気がついた。兄弟が一瞬視線を合わせた。 ”心話”だ、とテオは悟った。そして、その「一瞬」は予想外に長かった。5秒ほどかかって、やっと2人は互いの目を逸らせた。するとテイサが兄に声をかけた。

「私は席を外した方が良さそうですね。」

 弟が軍務でやって来たことを思い出し、国家機密に関係しているのだと察した様だった。サカリアスが無言で手を振って、「行け」と合図した。テイサは立ち上がり、客人であるテオにだけ頭を下げて、左の家族の場所へと姿を消した。


2024/11/18

第11部  太古の血族       16

  10分ほど庭を眺めながら世間話をしていると、テイサが年上と思しき男性と一緒に戻って来た。ロホが立ち上がったので、テオも素早く立った。テイサがテオに向かって言った。

「長兄のサカリアス・マレンカです。 サカリアス、こちらがセルバ大学生物学部遺伝子工学科のアルスト准教授です。」

 一般にセルバ人は兄弟間で敬語を使ったりしないものだが、この家ではそうでないらしい。少なくとも、長兄は特別な位置にいるようだ。
 サカリアスはロホにもテイサにもウイノカにも似ている。紛れもなく同母同父の兄弟だ。少し歳を取っているが、一番ロホに似ている様に見えた。彼は普通に襟付きのシャツとコットンパンツをはいており、普通に裸足だった。髪の毛も短く刈ってあるが、坊主頭ではない。
 彼は右手を左胸に当てて、丁寧に頭を下げた。

「ドクトル・アルスト、お噂は耳にしております。弟の命を救ってくださった恩人ですね。」

 するとテイサが慌てた。どうやら直前までロホの恩人だと言うことを思い出さなかったらしい。

「あ、あの時の・・・」

 彼は右手を左胸に当てて、最敬礼した。

「アルファットを救ってくださり、有り難うございました。」

 テオもちょっと慌てた。

「いや、救われたのは俺の方です。俺がテロリストに誘拐されたのを彼が助けてくれたのです。」

 当の本人は涼しい顔で、

「兎に角、挨拶はその辺にして、訪問の要件を聞いてください。」

と言った。

2024/11/14

第11部  太古の血族       15

「サカリアスは今来客中だ。」

とテイサ・マレンカは言い、ロホとテオを家の中に案内した。大きな横長の居間が左右に広がり、しかし右側は少し入ったところで板で仕切られていた。出入り口に簾が掛かっていた。この家では入り口で靴を脱ぐことになっていた。段差はないが、戸口周辺に沢山の靴やサンダルなどが置かれていた。
 テイサは客と弟を左側の広い空間に案内し、そこで待つように言うと、右側の簾の向こうに姿を消した。
 テオは居間を見回した。ウッドデッキに近い空間がリビングで、敷物や椅子が置かれていた。テレビもあった。 背後の空間は裏口があって、どうやら台所へ繋がっているらしい。戸口周辺に鍋や食器の棚が設てあった。
 ロホはテオに好きな場所に座るようにと勧め、己は台所の方へ去った。テオは蔓草で作った椅子に座った。使い込まれて少し中央の座面が窪んでいたが、お尻にフィットした。簾のカーテンの隙間から庭がよく見えた。鶏が遊んでいる。
 ロホが瓶入りのコーラを2本持って戻って来た。もう片方の手にはグラスが2個。テオは瓶とグラスをそれぞれ受け取り、ロホの真似をして近くのテーブルの角で栓を開けた。

「随分大きな家だが、家族は何人だい?」

と質問すると、ロホは肩をすくめた。

「祖母、両親、長兄のサカリアスと彼の妻子、次兄のウイノカの妻、テイサと彼の妻子、私の弟2人、それに母の兄弟が2人、あの人達は独身です。ええっと・・・大人だけで10人です、子供は数えたことがない・・・」
「君の甥姪だろ?」
「 スィ。でも私は入隊してから一緒に住んでいないので、子守をしたことはないし、あまり一緒にいた時間がありません。それに、我々は母親の兄弟の方を重視するので、兄嫁達の兄弟が子供達の面倒を見ています。」

 マレンカ家は女の子供がいないのだ。だから女の孫がいても父親の兄弟達は面倒を見ない。伯父叔父が子供好きなら話は別なのだろうが。
 テオはもう一つ気になった。

「ウイノカと言う兄さんは、奥さんだけここに残して、どこにいるんだ?」
「ウイノカは・・・」

 ロホはそっと左の棟に目を遣った。

「神殿で働いています。滅多に帰って来ない。私は何故彼が結婚したのか理解出来ません。ウイノカの奥さんは寂しくないのか、疑問ですよ。」

 ロホの常識はテオの常識だった。


2024/11/11

第11部  太古の血族       14

  階段を10段ほど上り切った所は細長いウッドデッキになっていて、大きな掃き出し窓のような開口部が家の壁についていた。昔は木造のドアでも付いていたのか知れないが、現代らしくガラス戸で目一杯開けてあった。そして風通しが良さそうな簾の様なカーテンが垂れていた。
 正面のドアが開いて、若い男性が出て来た。ロホに似ていたが、ウイノカ・マレンカにも似ており、ロホよりは身長が低かった。服装は襟付きの涼しそうな薄手のシャツに、ベージュ色のコットンパンツだった。足はクロックスを履いていた。

 ロホは右手を左胸に当てて、頭を下げ、挨拶した。

「大統領警護隊大尉として来ました。年上の方々のお話を伺いたく思います。」

 男性は頷き、それから視線をテオに向けた。ロホが顔を上げてから、紹介した。

「セルバ国立大学生物学部遺伝子工学科の准教授、テオドール・アルスト・ゴンザレスです。」

 そしてテオに向かって言った。

「私の3番目の兄、テイサ・マレンカです。マレンカ家の農園の支配人をしています。」

 テオも右手を左胸に当てて頭を下げた。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。アルストと呼んで下さい。」
「ドクトル・アルストです。」

とロホが急いで補足した。肩書きが必要な要件なのだ。ただの「白人のお友達」ではない、と暗に仄めかした。
 テイサは頷いた。

「アルファットのすぐ上の兄、テイサです。セルバ大学で農学を学んでいます。ドクトルのお噂はかねがね耳にしていました。お会い出来て光栄です。」

 手を差し出して来たので、テオはびっくりした。 ”ヴェルデ・シエロ”を含むセルバの先住民は握手をする習慣がない。だから現代でもビジネスで必要な場合を除いて、彼等は滅多に自分から手を差し出さない。手を差し出すのは、歓迎の意思表示だった。
 テオは愛想良い笑みを浮かべて握手に応じた。

「こちらこそ、お会いできて光栄です。どちらの研究室ですか?」
「ファルケ教授の研究室です。」
「では、植物ですね? 確か・・・蘭を中心にした研究だったかと・・・」
「スィ、ラン科の植物から環境問題を解決出来る酵素の可能性を探っています。」

 ロホが咳払いした。研究の話をしに来たのではないのだ。兄が口を閉じると、彼は尋ねた。

「サカリアスに会えますか?」

2024/11/08

第11部  太古の血族       13

  テオが敷地内に車を乗り入れると、犬が数頭吠えながら近づいて来た。白人が”インディオドッグ”と呼ぶ、毛足が短い、耳の先がちょっと折れた、細長い顔の中型の犬種で、一応コモン・インディアン・ドッグに分類されているセルバ犬だ。テオはこの犬種の遺伝子を調べて、セルバ固有の犬種ではないことを確認した。中米地方のどこにでもいる犬とヨーロッパ人が持ち込んだ犬の雑種だ。
 犬はテオが車を停めると吠えながら取り囲んだが、ロホが降車すると大人しくなった。吠えるのではなく、尾を振って、主人一家の一人が帰って来たと認識した様子だった。ロホは特に犬たちを可愛がる素振りもなく、テオが降車すると、彼を誘って家に向かって歩き出した。
 裏の納屋の様な大きな建物から、男が一人出て来た。先住民の顔をしていたが、ロホの家族ではなさそうで、「こんにちは、坊ちゃん」と言う挨拶をしたので、従業員なのだろう、とテオは想像した。
 ロホが彼に尋ねた。

「私の家族は在宅か?」

 男がちょっと考えてから答えた。

「旦那様はお出かけです。奥様と若旦那はいらっしゃいます。多分、事務所の方でしょう。弟さん達は学校です。」

 ロホは「グラシャス」と返し、男はまた仕事に戻るために納屋へ歩き去った。

「若旦那と言うのは、長兄です。」

とロホが説明した。

「長兄の奥さんと子供達は学校でしょう。ああ、嫂は教師なんで、働いているんです。」

 テオはロホが他の”ヴェルデ・シエロ”達から、「御曹司」とか「若様」とか呼ばれるのを何度も耳にしていたし、アスルが「彼の実家は貴族だ」と言っていたので、どんな豪邸に住んでいるのかと、ずっと色々想像していた。家族もきっと優雅にセレブ生活を楽しんでいるのだろうと思っていた。しかし、ブーカ族の貴族様は、普通に農業を営み、学校やオフィスでお勤めしているのだった。ちょっと肩透かしを食らった気分だったが、これは生き残るための知恵なのだろう。堅固な階段住宅に住むマスケゴ族だって、全部が裕福とは限らない。家は立派でも生活はカツカツの人もいるのだ。
 ロホはテオを案内して正面の階段を上った。

第11部  神殿        8

 ママコナは、大神官代理を救えるのは大統領警護隊文化保護担当部とテオだ、と断言した。テオは驚きのあまり口をあんぐり開けて、馬鹿みたいに立ち尽くした。ママコナが続けた。 「貴方と貴方のお友達は旧態のしきたりにあまり捉われません。それは古い体質から抜け出せない神官達には脅威なのです。...