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2022/09/19

第8部 探索      20

  アスルはビールで喉を潤してから続けた。

「市役所って人事異動が多いそうで、しかもダム工事当時の職員が退職していたので、名前を教えてもらって、自宅まで行きました。」
「あら・・・」
「アルボレス・ロホス村の住民のことを聞きたいと言うと、彼は渋ったんで、仕方なく”操心”を使いました。」
「その人しかいなかったのですか?」
「彼だけでした。一人暮らしで、退職後は公園の掃除をして暮らしているとかで。で、アルボレス・ロホス村にマヤ族が住んでいたのか、と尋ねると、マヤ族はいなかったと言う答えでした。」
「マヤ族はいなかった?」

 テオの復唱をアスルは無視した。

「マヤ語の名前だと言うことも知らなかったようです。それに住民16家族が何処に行ったのかも知らないとかで、支払った僅かな立退料だけ台帳に書いてあるって。」
「マヤ語を知らないが、マヤ族でないと言うのは知っていたのか?」

 テオの質問をまたアスルは無視した。

「チクチャン家は年老いた父親、その娘、その娘の子男女1人ずつの4人家族だったそうです。子供は恐らく今はどちらも20歳程、双子らしいです。母親は40過ぎ?」

 テオは他のメンバーがマヤ族にあまり拘っていないことに気がついた。少佐が考え、ステファンとロホの2人の大尉も考えていた。デネロスとギャラガはデネロスがスマホで何か検索して、ギャラガに見せていた。ほうっとギャラガが少し驚いた表情をしたので、テオは「なんだよ?」と訊いた。

「俺が知らないことを、君達だけで共有するなよ。」

 少佐が苦笑した。

「確信がないので、言わないだけです。よろしい、教えましょう。」

 彼女はビールをゴクリと飲んでから言った。

「チクチャンはマヤ語で蛇を意味しますが、マヤにとって蛇は空と繋がっていると考えられていました。つまり、チクチャンは『空』を意味する言葉でもあるのです。」
「ペグム村の雑貨店主は、彼に神像を訊いた人物が”ヴェルデ・シエロ”(空の緑)だったと伝えたかったのでしょう。」
「しかもその人物の名前が蛇だったと思い出した?」
「普通”操心”で消された記憶は戻らないものですが、素人で子供がかけた技なら時間の経過次第で解けてしまう可能性もあります。」
「その雑貨店主は用心深い人ですね。ウリベ教授にはわからなくても大統領警護隊にはわかる、と考えて、わざとスペイン語で連絡したのですよ。」

 口々に喋る仲間を眺め、テオは故郷を追われた人々が復讐心に燃える姿を想像した。安住の地を求めて入植した村を泥の下に沈められて、どんなに悔しかっただろう。


 

第8部 探索      19

  アパートに到着したのはテオが一番乗りだった。彼は自身の区画へ最初に戻って、シャワーを浴び、着替えた。そしてケツァル少佐の区画へ移った。カーラがテーブルセッティングするのを手伝っていると、少佐がマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガ両少尉を連れて帰って来た。旅から戻ったその足で来たらしい2人に、少佐がシャワーと着替えを命じた。それでテオはギャラガを己の区画へ案内した。デネロスは女性だから少佐の部屋で着替えだ。
 再び食堂へ戻り、カーラの手伝いを続けていると、アスルが入って来た。彼は一旦自宅へ立ち寄ったのだろう、さっぱりとした私服に着替え、食堂を通り越して厨房へ入った。カーラが彼に最後の味のチェックを頼むと、喜んで引き受けた。
 ロホはステファンと一緒にやって来た。ステファンは朝と同じ服装だから、職場からそのまま来たのかも知れない。ロホの服装に変化があったのかどうか、テオにはわからなかった。
 テーブルの周囲に全員が集合すると、取り敢えず乾杯した。

「命拾いした建設大臣に乾杯!」
「泥に沈んだ村に乾杯!」
「監獄で悠々自適の余生を送るロハスに乾杯!」

 みんなそれぞれ心にもないことを言いながら乾杯した。
 テオはまず気になっていたことを尋ねた。

「怪我をした警備員の容体はどうだい?」
「危機を脱しました。」

とロホが答えた。

「大叔父が処置をしてくれました。」

 それ以上の説明はなかった。

「助かったのか?」
「命は取り留めました。もう警備員の仕事は無理でしょうが、簡単な仕事なら出来る程度に回復するでしょう。」

 脳の損傷を受けたのだ。回復出来るだけでも上等だろう。テオは「良かった」と呟いた。
それから暫くはカーラに聞かれても差し障りのない、オフィスの仕事の話になった。ステファン大尉に留守中どんな書類が送られて来たか、文化保護担当部は聞きたがった。ステファンも申請書類の話だけに集中した。
 メインの料理を出してから、カーラが帰宅した。いつも通りアスルが見送りに出て、戻って来る迄、みんなゆっくり食事を楽しんだ。アスルが戻って来た時に、テオはその日の帰り際の出来事を思い出した。

「さっき大学を出る直前にウリベ教授に呼び止められたんだ。」

 少佐が彼を見た。ロホもステファンも、デネロスもギャラガも彼を見た。アスルが座りながら尋ねた。

「教授は何て?」
「それが、よく意味が理解出来ないんだが、ペグム村のセニョール・サラスからの伝言で、『蛇の尻尾』と言えば、君達にはわかる、って・・・彼女も意味がわからないので、それだけだ。」
「蛇の尻尾?」

 サラス氏についての情報はデネロスによって”心話”で少佐に報告が行っている。だからデネロスはロホとステファンにそれぞれ情報を分けた。だが少佐も2人の大尉もキョトンとしただけだった。しかし、ペグム村で雑貨店主の話を聞いていたアスルは反応した。

「チクチャンか?」
「はぁ?」

 テオは彼を見た。ギャラガが説明した。

「マヤ語で蛇のことです。」
「マヤ語? セルバの言葉じゃなく?」
「スィ・・・」

 ギャラガも少し困ってアスルを見た。言葉は知っているが、それが今回の捜査と何か関係があるのか?と目で問いかけた。アスルが少佐に顔を向けて言った。

「アスクラカンの市役所で、アルボレス・ロホス村の元住民を調べました。」

 少佐が頷いた。アスルは続けた。

「役所では最後に住んでいた住民の家長の名前と家族の人数が住民台帳に残っていました。全部で16家族、その中にチクチャンと言うマヤ風の名前の一家がいました。」
「マヤ族がいたのですか?」

 少佐が意外そうな顔をした。テオも仲間達も驚いた。マヤ族はセルバに殆どいない。アスルは役所の係にマヤ族が住んでいたのかと訊いたそうだ。しかし、役人は知らなかった。

「その役人はアルボレス・ロホス村のことを何も知りませんでした。それでダム工事の頃を知っている職員を探してもらいました。それで時間を食ってしまって・・・」



2022/09/18

第8部 探索      18

  夕刻、テオは西サン・ペドロ通りのアパートに電話をかけて、家政婦のカーラに帰宅時刻を告げた。夕食の予定を伝えるためだ。するとカーラが言った。

「今夜は少佐と大尉がお2人、それに中尉と少尉がお2人、ドクトルで計7名ですね。」

 テオはざっと計算するまでもなく、全員が揃うのだと悟った。

「みんな帰って来たんだね! 全員で食事するんだ?」
「スィ、少佐からそう指示がございました。」

 嬉しくなってテオは真っ直ぐ帰ると彼女に告げた。大学の駐車場で車に乗り込み、エンジンをかけたところで、宗教学部のウリベ教授が彼に向かって手を振っているのが見えた。彼は窓を下ろした。教授が駆け寄って来た。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 彼女が彼の車の窓枠に手をかけた。

「ペグム村のセニョール・サラスから電話がありましたよ、あなたか女性少尉に伝えて欲しいって・・・」
「何です?」

 テオはデランテロ・オクタカスから遺跡へ行く途中の小さいが賑わっていた集落を思い出した。サラス氏は雑貨店の店主で、オスタカン族の末裔だった。何者かに神像のことを質問されたのだが、相手の顔も質問内容も覚えていないと証言した男性だ。”操心”にかけられて記憶を消されたのだ、とデネロス少尉は結論づけた。そのサラスが今頃何だろう。
 ウリベ教授が囁いた。

「私には意味がイマイチわからないんですけど、”蛇の尻尾”って言えばわかってもらえる、と彼は言いました。」
「”蛇の尻尾”?」

 テオはキョトンとした。

「俺達がその言葉で何かわかると、サラスは言ったんですね?」
「スィ。」

 ウリベ教授は窓から離れた。

「あなた方は私にお呪いのことを訊いて来られたでしょう? きっとその言葉もお呪いに関係しているのよ。」

 テオは頷いた。

「その様ですね。文化保護担当部に伝えておきます。グラシャス!」
「グラシャス! また明日!」

 現れた時と同様に消える時もバタバタとウリベ教授は走って行った。まだ仕事が残っているのだろう。電話でも良かったのに、と思いつつ、テオは車を出した。



2022/09/14

第8部 探索      17

  次の日、テオは普段通り大学に出勤した。西サン・ペドロ通りの少佐と暮らしているアパートからの出勤だ。昨夜はカルロ・ステファンも彼の区画の方に泊めてやった。ステファンは何処に泊まっても平気な様だ。彼は文化・教育省へ出勤して行った。
 テオが休む時にいつも授業の代行をしてくれるアーロン・カタラーニ院生が、引き継ぎの時に「今度はどんな事件だったんですか」と訊いてきた。すっかりテオが大統領警護隊と行動する時のパターンを理解したと言う顔だった。テオは「なんでもないよ」と答えた。

「デネロス少尉がデランテロ・オクタカスへ出張するので、向こうの人と合流する迄用心棒をしただけさ。」

 本当は彼女の方が用心棒になれるんだけど、と心の中で呟いた。授業を終えて、研究室に戻ったのは昼前だった。カタラーニを始めとする院生3名と5人の学生と共に医学部から依頼された遺伝子の分析をしていると、内線電話がかかってきた。院生の1人が電話に出た。彼女は「スィ」を3回程呟いてから、テオを振り返った。

「先生、考古学部のケサダ教授がお昼にお会い出来ませんかって・・・」

 声にちょっと失望の響きがあったのは、学生達はテオと一緒にお昼を過ごしたかったからだ。テオは時計を見て、12時半に、と答えた。院生は電話で先方に伝え、通話を終えた。そして准教授をちょっと睨んだ。

「先生、考古学の教授と会われる時は、何だか嬉しそうですね。」
「妬いてるのかい?」

 テオはクスリと笑った。

「友人達が考古学関係の仕事をしているから、考古学部の人達と話すのが勉強になるんだよ。友人達の話題について行けるからね。なんなら、君達も来るか?」

 すると意外に彼等は遠慮した。

「結構です。」
「私達がケサダ教授に近づいたら、考古学部の連中が気に食わないみたいなんですよ。」
「そうか?」
「他の教授や准教授だったら構わない見たいだけど・・・」

 要するに、考古学部の女性達がハンサムな教授を生物学部に横取りされないかと気にしているのだ。テオはそう解釈して笑った。そして心の奥では、ケサダ教授の用事は何だろうと考えていた。
 12時前に研究室を閉めて、学生達と学内カフェに行った。食事を取る彼等に付き合ってお茶だけ飲むと、入口にケサダ教授が姿を現した。セルバ人らしくなく時間に正確な人だ。テオは学生達に「また夕方」と断って、教授の方へ向かった。教授は配膳カウンターまで行き、料理を選び始めた。テオもトレイを手にして、食べ物を取り、教授が選んだテーブルへついて行った。
 教授お気に入りのテラスのテーブルだ。パラソルの下でテオは彼と向き合うと、まず新しい赤ちゃんの誕生を祝福する言葉を述べた。教授は丁寧に感謝の言葉を返した。

「義父や義兄は私に息子が生まれることを喜ばなかったのですが、妻も私も男の子を持ちたかったので、やはり嬉しかったのです。」

と穏やかに微笑みながらケサダは言った。男の子は半分グラダの血を引いている。そのナワルは恐らく漆黒のジャガーだ。成年式でナワルを披露すれば、一族の長老達にその子の父親もグラダだったとバレるだろう。フィデル・ケサダの成年式で彼のナワルを目撃した長老達はもう年を取って鬼籍に入り、今は殆どこの世に残っていない。だから彼と息子がグラダだと知れば新しい長老達は腰を抜かす筈だ。それでも、黒いジャガーなら問題はない。しかし、フィデル・ケサダのナワルは黒くないのだ。
 ケサダ教授はそれ以上子供の話題に触れなかった。

「義父が不機嫌なのですが、新しい孫の誕生とは無関係の様です。貴方とデネロス少尉が義父と面会した時、どんな話をされたのです?」

 教授はムリリョ博士の機嫌の悪さを心配していた。ファルゴ・デ・ムリリョは”砂の民”の首領だ。怒らせると恐ろしい目に遭わされる。教授はテオの身を案じてくれていた。
 テオは周囲を見回した。そして小声で簡単に説明した。

「博士がどの程度事態を把握されているのか、俺には見当がつきませんが、不機嫌の理由はわかります。強い霊力を持つアーバル・スァットの石像が遺跡から盗掘され、建設大臣イグレシアスの元に送り付けられて来たのです。」

 ケサダ教授は無言だったが、眉をちょっと上げた。神像の盗難に驚いた様子だ。テオは説明を続けた。

「大臣の私設秘書が文化保護担当部にアドバイスを求めて来ました。ケツァル少佐と部下達は今盗掘犯を探して捜査中です。神像は例の秘書が保管しているので、目下のところは心配ないと考えられています。捜査の進展については現在進行形で俺の口から話せることはありません。ムリリョ博士は神像の祟りを利用しようとした人物の行為をお気に召さないのです。」

 まだ2人共料理に手をつけていなかった。ケサダ教授は冷めてしまった料理をぼんやり眺めながら囁いた。

「アーバル・スァットは一度盗まれましたが、あれは”ティエラ”の仕業でした。」
「スィ。しかし、今回の文化保護担当部の調査で、あなた方の一族の人間達がロザナ・ロハスを唆したのだと判明しました。その人間達が再び動いたのです。」
「一族の人間達・・・」

 教授が溜め息をついた。呪いを使って他人を害しようと図る者は、”砂の民”の粛清の標的だ。

「貴方は複数で言いましたね?」
「スィ。少なくとも2人以上が関わっていると思われます。」

 教授が皿から視線を上げてテオを見た。

「貴方は”ティエラ”です。これ以上、その件に関わってはいけません。例え友人でも義父は掟に従って知り過ぎた者を粛清します。貴方には特権が与えられていますが、謙虚でいて頂きたい。」

 純粋にテオを案じての忠告だ。テオは素直に頭を下げた。


2022/09/12

第8部 探索      16

  カルロ・ステファン大尉の携帯電話の着信音でテオは目が覚めた。 窓の外はまだ明るく、長屋の中庭で隣近所の奥さん達が小さな畑を前に喋っている声がガラス越しに聞こえた。懐かしくて挨拶しようかと思ったが、ステファン大尉の通話を邪魔してもいけないので、彼は我慢した。すると奥さんの1人が窓の際までやって来て、トマトとカボチャを置いてくれた。テオはグラシャスと手で合図を送り、彼女も笑顔で仲間の元へ戻って行った。
 ステファンは「スィ、スィ」と繰り返し、やがて電話を切った。

「少佐からでした。これからロホとロホの身内の長老の方と共にデランテロ・オクタカスの病院へ行かれるそうです。」
「病院?」

と聞き返してから、テオは理由を思い当たった。

「泥棒に頭を爆裂波でやられた警備員のところへ行くのか?」
「スィ。長老が対処法をご存じだと言うので、助けて頂くそうです。成功するか否かはやってみないとわからないそうですが、出来る限るのことはしてあげたい、とそのお年寄りが仰ったそうです。」
「有り難いなぁ・・・」

 テオは他人事ながら感謝を覚えた。ロホが実家へ帰った用事がそれだったのだと理解した。少佐もロホもステファンも爆裂波でダメージを受けた肉体の治療を行う指導師の修行をして資格を取っている。しかし、脳は並の指導師では対処出来ないのだとデネロス少尉が教えてくれた。恐らくロホは高度な技を習得した長老を探し出して、協力を仰いだのだろう。
 ステファンが時計を見た。

「少佐は今夜向こうで泊まりになるでしょうから、我々だけで飯を食いに行きましょう。それから、少佐は貴方は大学に戻って下さいと言ってました。私も明日から書類業務に戻ります。文化・教育省のオフィスで1人留守番ですよ。」

 デスクワークが苦手なステファンは苦笑した。彼としてはデネロス少尉に帰って来て欲しいのだが、少佐は彼女に帰還命令を出していない。デネロスはまだデランテロ・オクタカスや周辺の集落を廻って情報収集するのだ。聞き込み捜査は厳つい印象を与える髭面のステファンより、優しい女性のデネロスの方が有利だった。
 ギャラガ少尉はデネロスの助手だ。多分、用心棒の役割だろう。彼女は1人で十分強いのだが、見た目で威圧出来る男性が同行すれば余計な揉め事を避けられる。
 テオはアスルについてアスクラカンに行きたかったことをステファンに漏らした。

「あの街は、俺がエル・ティティに帰省する時の通過点だが、あそこでゆっくり街歩きした経験はないんだ。買い物はいつもグラダ・シティで済ませちまうし。アスルが市役所に行っている間、街中を見て歩きたかったな。」
「これからいつでも行けますよ。」

 ステファンは純血至上主義者が多いアスクラカンに余り長期滞在したくない。市街地はマシだが、郊外に行くとややこしい人が多いのだ。普通の人間なら問題ないのだが、”ヴェルデ・シエロ”ではそうはいかないのだった。”シエロ”は”シエロ”をすぐに嗅ぎ分ける。例え蔑み差別する対象のミックスでも、すぐ判別するのだ。
 可笑しな話だ、とテオは思う。”シエロ”だとわかるなら、同等の仲間と認めてやれば良いじゃないか、と。
 不思議なことに、ステファンはアスクラカンを好きになれないのに、彼より白人臭いギャラガはあの街をそんなに苦手としていない。その気になれば白人になりきってしまうのだろうか。
 それに、アスクラカンにはもう1人テオが忘れられないミックスの”シエロ”がいる。ピアニストのロレンシオ・サイスだ。プロ活動を辞めて個人と契約して教えるピアノの家庭教師をしているのだが、最近彼の過去を知るジャーナリストに見つかってしまった。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者だ。彼女はサイスのピアノの才能を忘れておらず、彼にインタビューを申し込み、断られても熱心にアプローチを続けていた。困ったサイスがテオに相談を持ちかけて来たのが先月のことだ。テオはレンドイロに彼をそっとしておいて下さいと頼んだ。一時人気が沸騰して彼は心身とも疲れたんですよ、だから今は家庭教師で十分満足しているのです、今騒がれたくないんです、と。レンドイロはテロ事件の時にテオに助けられた恩義があったので、なんとか退いてくれた。テオはそれからサイスと会っていなかったので、彼がどうしているか、ちょっと覗きたかったのだ。

「次の帰省の時に、ちょっと寄り道でもするかな・・・」



2022/09/11

第8部 探索      15

  アスクラカンの市役所へ向かったアスル、デランテロ・オクタカス周辺でもう少しアルボレス・ロホス村の住人の手がかりを探すと言うデネロス少尉とギャラガ少尉と別れて、テオはグラダ・シティに戻った。空港に到着したのは午後も3時を過ぎた頃で、街はシエスタの真っ最中だった。予定時刻より半時間遅れて到着した航空機の乗客のチェックを済ませると、空港のゲイトはさっさと閉じられてしまった。国際線でなければ、シエスタ優先なのだ。
 テオがロビーを歩いて出口に向かっていると、向かいから馴染みのある顔の男が近づいて来た。

「カルロ!」
「テオ、お帰りなさい。」

 遊撃班から文化保護担当部に助っ人として出向しているステファン大尉が、テオの手を両手でがっしりと掴んだ。

「成り行きで文化保護担当部の任務に付き合って下さったそうで、大統領警護隊の隊員としてお礼申し上げます。」

と堅苦しい挨拶をしてから、彼はニヤッと笑った。

「たまには首都から離れて仲間と働くのも良いでしょ?」
「確かに!」

 テオも苦笑した。久しぶりにアスルやギャラガ達と仕事が出来て嬉しかった。

「そっちはロハスに面会したんだってな?」
「スィ。強かな女ボスと言う印象を持っていましたが、会ってみると、普通の悪のオバはんでしたね。」
「まさか少佐と比較して言ってるんじゃないだろうな?」
「少佐は悪じゃありませんよ。」

 2人は笑いながら駐車場へ出た。ステファンはテオの車で空港へ来ていた。勝手に使用されても何故か腹が立たない。テオにとって大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は兄弟同然だった。彼等は車に乗り込んだ。運転はステファンが引き受けた。

「ネズミの神様はまだ建設省に置いてあるのか?」
「スィ。あの秘書のおっさんが後生大事に守っているそうです。」

 ステファンはシショカの名前を口にすることを避けた。呼んでしまうと本人が実際に現れると言う迷信だろう。
 ロホが建設省を見守っているのかと思ったら、彼はもうその任を解かれたとステファンが説明した。

「ネズミのお守りは秘書がしているので、少佐はおっさんに任せています。ロホは別件で実家に帰りました。」
「実家?」
「お父上に頼み事があるのです。」

 それ以上ステファンは語らなかった。テオは深く追求しなかった。ロホの父親は”ヴェルデ・シエロ”の名家の当主で、ブーカ族の長老だ。ロホは滅多に家族の話を仲間にしないが、難しい術や儀式で質問がある時は実家に頼ることがあった。それは一族の最も重要なことは家長とその後継者のみが口伝で受け継がれる”ヴェルデ・シエロ”の慣習のせいで、6人兄弟の4番目の息子であるロホは、知らないことがあれば直接父親か長兄に訊かなければならないのだった。つまり、白人のテオには教えられないような、一族の秘密を聞きに行ったと言うことだ。
 ステファンが車を走らせた先は、ケツァル少佐のアパートではなく、マカレオ通りのテオの以前の家、現在はアスルが住んでいる長屋の家だった。ステファンは本部外勤務の時はいつも姉のアパートでも実家でもなく、そこに寝泊まりしていた。

「晩飯は後で食べに出かけます。暫くここで休憩して下さい。」

 テオの現在の自宅に行かないのは、少佐がまだアパートに戻っていないからだ。そして、恐らくこの日は家政婦のカーラが早く帰るのだ。ステファンとしては、姉の家(テオの家でもある)よりこちらの長屋の方が寛げるのだ。
 テオは久しぶりに前の自宅に入った。すっかりアスル好みの家になっているだろうと想像したが、中身は殆ど変わっていなかった。アスルはただ寝て食事をするだけに使っている様子で、調度品も置き場所もカーテンも何も変わらなかった。アスルらしいと言えばそれまでだ、とテオは思った。ここを終の住処にするつもりはないのだろう。
 リビングのソファに横になって少し昼寝をした。ステファンも床にクッションを置いて寝た。 

第8部 探索      14

  テオは恋人のケツァル少佐が人使いの荒い人間であることを承知していた。だからアスルに新しい命令が来て、「アルボレス・ロホス村の住民を探せ」と言う文言がペグム村の安宿に宿泊している4人全員に出された命令だと知った時も腹が立たなかった。
 翌朝、宿をチェックアウトして、村の通りの屋台でサンドイッチを買うと、彼等は小さな教会前の小さな広場で朝食を取った。アルボレス・ロホス村がどんな村だったのか知らなかったが、オクタカス遺跡の監視業務を行ったデネロス少尉も噂話で聞いたことがあると言った。

「泥に埋まってしまった気の毒な村、と言うのがオクタカス村の住民の認識ですよ。」

と彼女は言った。

「ダムを建設したのは、イグレシアス大臣なのか?」
「ノ、ダム建設を決めた政権は前の大統領の内閣です。建設大臣も別の人でした。でもダム建設が着工されたのは、現政権になってからで、イグレシアスは副大臣だった頃です。」
「それじゃ、イグレシアスに責任はないんじゃないか?」
「前大臣は途中で汚職問題で辞任しちゃったので、イグレシアスが跡を継いで、その後の選挙後もそのまま建設大臣なのです。それに前大臣は辞めた後で病気で死んじゃいましたから、アルボレス・ロホス村の元住民にしたら、恨みの対象は副大臣でも良かったんじゃないですか?」

 テオは思わずアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「結構いい加減な動機だな。」
「でも最初のアーバル・スァット様盗難の時は、前大臣は生きていたんですよ。でもロハスがアントニオ・バルデスの片棒を担いでアンゲルスに神像を送っちゃった。」
「バルデスはある意味とばっちりだ。ロハスは呪いが怖くて、早く神像を手放したかっただけさ。」

 ギャラガが口をもぐもぐさせながら村を見回した。

「このペグム・・・ごくん・・・すみません、このペグム村にその泥で埋まった村の住民がいるってことはないでしょうね?」
「いたら、アーバル・スァット様の話を村人に聞いて回った男女の情報をもっと用心深く消しただろう。」
「それに俺たちが連中の情報を嗅ぎ回っていることを犯人に教えただろうしな・・・」

デネロスが考え込んだ。

「アルボレス・ロホス村の住人はアーバル・スァット様を知らなかった。でも住人の中に紛れ込んでいた”シエロ”は言い伝えを覚えていた。粗末な扱いをすると恐ろしい呪いの力を発揮する神像が、オクタカス周辺の何処かに祀られていた、と。だから彼等はピソム・カッカァを探し、神像の扱い方をオスタンカ族に尋ねて回ったのです。ロハスが遺跡盗掘の常習だと知ると、彼女を操って神像を盗ませました。でもロハスは完全には支配されていなかったので、彼等の想定外の行動を取ってしまいました。呪いを恐れて神像をミカエル・アンゲルスの家に送りつけてしまったのです。連中はアーバル・スァット様の呪いが落ち着くまで辛抱強く待っていました。大統領警護隊に神像が回収され、元の遺跡に戻されて、世間が盗難を忘れるまで待っていたのです。」

 彼女が語り終えてテオやアスルを見た。アスルが頷いた。テオも彼女の考えに同意した。

「連中はアルボレス・ロホス村を終の住処として愛していたのでしょうね・・・」

とギャラガが囁いた。

「だからダムを造って村を泥に埋もれさせた政治家を憎んで・・・」
「逆恨みだ。」

とテオは言い切った。

「政府は下流の街を守る為にダムを造った。だが目測を誤って、上流の耕作地や村を破滅させてしまった。移転補償費用とかは出たのかな?」
「そんなの、出しませんよ、セルバ共和国政府は・・・」

 デネロスが溜め息をついた。

「引っ越せ、と一言言うだけです。村が一つにまとまって交渉すれば何とかしたでしょうけど、個々に訴えても駄目なんです。せいぜい引っ越し先を斡旋した程度だと思います。」
「それじゃ、役所にその記録があるのかな? 誰がどこへ引っ越したか?」
「課税の問題があるから、アルボレス・ロホス村から最初に引っ越した場所の記録はあるでしょうが、その後で別の所に移動したら、もうわかりません。」
「でも、調べてみることは出来るだろう。少なくとも、住民の名前はわかる。」

 テオの提案にアスルが珍しく賛成した。

「確かに、住民の数や家の代表者の名前はわかるな。俺はこれからアスクラカンの市役所へ行ってくる。」

 テオが同行を申し出ようとすると、彼は言った。

「ドクトルはグラダ・シティに帰れ。大学の仕事があるだろう。」
「しかし・・・」
「あんたが必要な時は、呼ぶ。」

 そう言われると、反論出来ない。テオは渋々承知した。



2022/09/09

第8部 探索      13

  アルボレス・ロホス村と聞いて、ロホは首を傾げた。国内の地名全部を覚えている訳ではないが、人間が居住している市町村の名前は学習している。小さな国だから行政的に登録されている村はほぼ記憶していたが、その名前の村は覚えがなかった。ケツァル少佐も脳内を検索してみた様子だったが、思い当たる節がなく、結局2人は少佐の車で少佐の自宅へ向かった。そこでは既にカルロ・ステファン大尉がいて、家政婦カーラの手伝いをしながら夕食準備にかかっていた。彼はシショカと相性が悪いので、少佐が彼女のアパートで待機を命じていたのだ。
  食卓に着くと、少佐はシショカからの僅かな情報をステファンにも分けた。ステファン大尉は村の名前を聞いて、暫く考え込んだ。何か聞いたことがある、そんな表情で食事の手を止め、空を睨んだ。その間に、少佐はアスルに電話をかけ、アスルとギャラガ少尉がデランテロ・オクタカス近郊の村でテオドール・アルストとマハルダ・デネロス少尉と合流したことを聞いた。電話を終えて、彼女は部下達に言った。

「デランテロ・オクタカス周辺で住民に神像のことを尋ねた若い男女がいたそうです。直接言葉を交わした人は記憶を抜かれていますが、目撃者が数人残っていました。」
「そいつらが犯人ですね。だが、素人だ。」

 ロホが溜め息をついた。一族の中で古代の呪法や持てる以上の能力を使おうとする人間が時々現れる。そう言う連中は、年配者からの正しい教育を受けていないか、受けることを拒んだ者だ。大統領警護隊の訓練を受けたこともないし、長老達の説教に耳を貸したこともない。だが”ヴェルデ・シエロ”である自覚は強く、己を過信している。そう言う連中が”砂の民”の粛清の対象になることが多いのだ。

 よりにもよって、一匹狼的”砂の民”セニョール・シショカの職場に神像を送りつけるとは。

 シショカの正体を知らないからこその暴挙だろうが、不運だ。シショカは恐らく彼独自のルートで犯人探しをしているだろうし、ケツァル少佐に知り得た情報の全てを分けた筈がない。犯人を見つけ出して捕まえる仕事を大統領警護隊に譲っても、最後の粛清は彼自身が行いたいと思っているに違いない。
 その時、まるで夢から覚めたかの様に、ステファンが声を上げた。

「思い出した!」

 少佐とロホが彼を見た。ステファンは少佐を振り返った。

「アルボレス・ロホス村は、現在のオクタカス村から北へ5キロほど行った森の中にあった村でした。」
「過去形ですか?」
「スィ。もうありません。私が遺跡の監視業務に就いていた時に、休憩時間に言葉を交わした村人から話を聞いたことがあります。アルボレス・ロホス村は10年以上前に地図から消えた村です。」

 彼はテーブルの上を指でなぞった。

「オクタカスとは谷が異なる川が流れていて、アルボレス・ロホス村はその川の流域にありました。細い川で、流れはアスクラカン方面へ向かっているので、オクタカス周辺の地図では記載されていません。」
「消えたと言うことは、その川が氾濫を起こしたのか?」
「氾濫ではない。」

 ロホの質問にステファンは首を振った。

「氾濫ではないが、この川は大雨が降ると土砂を大量に運ぶので、下流の町村が迷惑していた。それで、建設省がダムを造ったのだ。渓谷ではないので、浅い砂止め程度のダムだった。そのダムのせいで上流に泥がどんどん溜まっていき、アルボレス・ロホス村の耕作地は泥に埋まってしまう結果になった。」
「それは酷い・・・」
「だから、住民は村を捨てて散り散りに移住してしまい、村は消滅した。」

 少佐がステファンをじっと見た。

「その村の住民がどう言う部族だったのかは、聞いていないのでしょうね?」
「あまり歴史のない開拓村だとオクタカス村の住民は言っていましたから、共和国政府が先住民移住政策で建設した村だったのでしょう。住民は近隣の森林から集められた元狩猟民だったと思われます。土地に愛着が少なかったので、あっさり放棄出来たのですよ。」
「しかし、苦労して耕した畑を泥に埋められて納得出来なかった人もいただろう。」

とロホが呟いた。少佐が頷いた。

「セニョール・シショカはその線から当たれと私に言いたかったのでしょうね。」



2022/09/06

第8部 探索      12

  夕刻、ケツァル少佐は建設省に行ってみた。ロホが彼女の呼び掛けに応えて、すぐに駐車場に現れた。省庁は午後6時きっかりに閉庁するから、職員達が駐車場を行き来していた。ロホは他所から出て来たのだが、そんな職員に混ざって少佐の車のそばに来た。少佐がドア越しに後部席を指したので、彼は車内に入った。ステファン大尉の臭いが微かにしたが、大尉はいなかった。

「何か進展はありましたか?」

とロホが先に尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「一族の誰かが神像を盗み出し、自分では使わずに他人を”操心”で動かしてイグレシアスに送りつけた様です。ロハスの証言も記憶を抜かれているので当てになりませんが、どうやら犯人は最初から大臣を狙っていたのかも知れません。ただロハスは我が強い女なので、犯人の思い通りに動かなかった。彼女は神像に恐怖を感じ、さっさと処分してしまおうと、以前アンゲルスと対立していたバルデスを思い出して神像をアンゲルスに送りつけたのです。バルデスは彼女の犯行に引き込まれた形でした。」
「ロハスの犯行に引き込まれて会社を手に入れたのなら、彼はロハスに感謝しているでしょうね。」

 ロホの皮肉に、少佐は苦笑した。

「バルデスもあの神像を恐れていたでしょ? 会社は棚ボタで手に入ったのですが、彼はアーバル・スァットを心底恐れていました。今も心配して警備員をつけていた程ですからね。」
「その警備員ですが・・・」

 ロホは遠くを見る目になった。

「頭を爆裂波でやられているとギャラガが報告していましたが、もしかすると救えるかも知れません。」

 少佐が上体を捻って後部席を見た。それだけ驚いたのだ。

「救える?」
「スィ、一族の中に、その力を持っている方がいらっしゃる筈です。数年前に父がそんな話をしていました。」
「救えるのであれば、救ってあげたいですね・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”の最高の秘技になるだろう。秘技を持つ者は長老級の人に違いない。一族の人間にも滅多に使用しない技の筈だ。それを一介の普通の人間の治療に使ってくれるだろうか。しかし、少佐はダメもとで部下に頼んだ。

「父君にその方を紹介して頂けないでしょうか?」

 ロホは「努力してみます」と答えた。

「セルバ国民を守れずして、一族の存在意義はありません。」

 その時、2人の前をイグレシアス大臣の私設秘書が通った。彼等に気づかず、女性の部下2人を連れて庁舎に向かって歩いて行くところだった。少佐は車から出て、彼の背に声をかけた。

「セニョール・シショカ!」

 シショカと2人の部下が立ち止まって、ほぼ同時に振り返った。シショカは目を細め、彼女を見た。

「これは、少佐・・・今日は、何か御用ですか?」

 白々しい挨拶だが、少佐も「今日は」と返した。そして彼の目を見た。

ーー大臣に恨みを持つ者の手がかりを掴めましたか?

 シショカは一瞬躊躇った。心にフィルターをかけたようだ。全ての情報を出したくない時の手段だ。そして返事をした。

ーー”赤の木村”(アルボレス・ロホス村)の住民

 それだけだった。しかし少佐はそれに対して「グラシャス」と呟いた。シショカは小さく頭を下げて、前を向き、部下を促して去って行った。




2022/09/05

第8部 探索      11

  ケツァル少佐は刑務所の周囲を歩いて、刑務所に物品を納めている業者や刑務官達の普段の行動をそれとなく街の人々に探りを入れてみた。刑務所で繁盛していると言う程ではないが、塀の外を囲む濠の向こうには、民家が数軒あった。昔からそこにあった集落だ。刑務所が出来る前から、要塞が出来た頃から住んでいる人々の子孫だった。政府は敢えて彼等を追い払わなかった。ずっと定住している人々にとって、見知らぬ人間は警戒の対象であり、村に用事がないのに近づいたり、塀の中から出てくる人間は常に見張られているのだ。当然、彼等は少佐にも注意を払っていた。だから少佐は緑の鳥の徽章をTシャツの胸に付け、己が何者であるか誇示して見せた。住民達は彼女の質問に誰もが正直に答えてくれた。
 ロザナ・ロハスに面会があるのかどうか住民は知らなかったが、刑務所の囚人達に面会を求めてやって来る人間は週に30人ばかりいると言う。その半分は毎週やって来る囚人の家族で、住民も顔を覚えていたし、中には名前がわかっている人物もいた。残りの半分は囚人の恋人だったり、部下だったり、得体の知れない人間だ。住民達は2回以上やって来た「知らない人間」を特に注意を払って観察しており、少佐はここ半年の間にやって来た車の車番や乗員の特徴を教えてもらえた。
 カルロ・ステファン大尉が面会を終えて出てきた。その時、丁度少佐は1人の年配女性と話をしていた。年配女性は門から出てきたステファンを指差して囁いた。

「ほら、あの男もなんだか怪しげでしょ? 髭なんか生やして、目付きも悪い。」

 少佐は大声で笑いそうになって、堪えた。

「彼にそう伝えておきましょう。彼は大統領警護隊の大尉です。」

 おや、まぁ!と驚く女性を後にして、少佐はステファン大尉に歩み寄った。大尉が彼女に敬礼した。少佐は頷き、報告、と目で言った。”心話”であっと言う間に情報がやり取りされた。
 少佐はロザナ・ロハスが語った内容にあまり満足出来なかった様だ。ロハスが虚偽の証言をしたのではなく、あの女が殆どアーバル・スァットについて知識を持っていなかったからだ。つまり、ロハスは何者かに操られたのだ。
 ピソム・カッカァ遺跡で目ぼしいお宝を探していた時に、彼女は誰かに出会った。誰に会ったのか、男だったのか女だったかのか、若かったのか年寄りだったのかも思い出せないと言ったのだ。気がついたら自分の車に乗っていて、助手席に石の神像が転がっていた。そのままではいけないと思い、車を止めて、丁寧にジャケットで包んでホテルに持ち帰った。手元に置いておくのが不安で、手下に預けた。しかしその手下が突然体調を崩し、ロハスは危険を感じた。どこかに神像を運べと言われた様な気がしていたが、彼女は急いで神像を手放すことを優先した。
 グラダ・シティはピソム・カッカァ遺跡から遠かったので、彼女はオルガ・グランデに行った。そしてバルでアントニオ・バルデスと出会った。偶然の出会いとバルデスは言ったが、彼がアンゲルス社長と上手くいっていなかったことは、鉱夫を通じてロハスは知っていた。バルで出会ったのは偶然でも、最初から彼にネズミの神像を売りつけるつもりだったから、バルデスに声を掛け、部下に命じてアンゲルスの屋敷に神像を送りつけた。尤も彼女が盗み出してからアンゲルスに送りつける迄に、アーバル・スァットは粗末に扱った人間達を次々と呪い殺していた。
 アンゲルスがいつ神像の呪いの犠牲になったのか、ロハスは知らなかったし、関心もなかった。ただ自分から呪いが去ったと安堵しただけだ。だから隠れ家が政府軍に突き止められ、包囲された時、祟りはまだ終わっていなかったと驚愕した。要塞を爆破され、捕まった時、彼女は何故かやっと安心出来たのだった。

「檻の中でロハスは平和に暮らしているそうです。これ以上、あの神像のことを思い出したくないと言っていました。」

 


2022/09/02

第8部 探索      10

  面会室はコンクリート剥き出しの殺風景な部屋で、映画やドラマで見るようなガラスの仕切り等はなく、がらんとした部屋に机が5つ、それぞれ向かい合う位置に椅子が1脚ずつ置かれていた。好きな机で、と言われてカルロ・ステファン大尉が真ん中の机に直に腰掛けて待っていると、監房側のドアが開き、刑務官2名に挟まれる形で中年の白人女性が入って来た。両手は体の前で手錠が掛けられていた。ステファンが捕らえた時、彼女はぽっちゃり体型だったが、今は細くなって、外の世界にいた時より綺麗に見えた。窶れているように見えない。雑居房ではなく独居房で作業の時だけ他の囚人と一緒だと聞かされていたが、案外快適なムショ暮らしをしているのかも知れない。
 面会者が誰かは聞かされていなかった筈で、彼女は私服姿のステファン大尉を最初見た時、一瞬戸惑いの表情を見せた。誰?と言う顔だ。そして徐々に思い出した。
 刑務官に誘導されてステファンがいる机に近づくと、彼女は薄笑いを浮かべた。ステファンは無言で刑務官に彼女を座らせるよう指図した。彼女は肩を掴まれる前に自分から座った。ステファンは刑務官に退室するよう合図した。大統領警護隊なら1人でも大丈夫だ、逆らっても良いことはない、そんな表情で刑務官達は監房側のドアの向こうに消えた。尤も、監視カメラでこちらの様子は見張っている筈だ。

「オーラ!」

とロハスの方から声を掛けてきた。

「名前は知らないけど、私をひっ捕まえた緑の鳥さんよね?」

 この大きな態度はどこからくるのだろう。
 ステファンは名乗らなかった。面会者も着席を義務付けられていたが、彼は無視して立っていた。

「いかにも、大統領警護隊だ。聞きたいことがある。」
「商売の話だったら、収監前に散々喋らされたよ。」
「お前がミカエル・アンゲルスの家に送りつけた石像の件だ。」

 予想外だったらしく、ロハスは黙り込んだ。ステファンは続けた。

「金になる遺物はいくらでもあったのに、何故あの石像を選んだ?」

 ロハスはすぐに答えなかった。手錠をかけられたままの己の手を眺めていた。ステファンは畳み掛けた。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られているあの石像が、どんなものなのか、どこで知識を仕入れたのだ?」

 ロハスが顔を上げたが、先ほどの太々しさは影を潜めていた。ちょっと不安気に女は問い返した。

「それを言ったら、殺される。大統領警護隊は私を守ってくれるのかい?」
「誰に殺されるんだ? あの石像にか?」

 ロハスがブルっと体を震わせた。

「だから・・・守ってくれるなら言うよ。」

 ステファンは室内をぐるりと見回した。窓がない部屋だ。しかし、彼は言った。

「ここへ来てから、ソイツに見張られている気配はあったのか?」

 彼女は答えなかった。ステファンは言った。

「お前にあの石像のことを教えた人間が誰であろうと、この刑務所の中までお前を見張っているとは思えない。お前が捕まる前も、見張っていなかった筈だ。お前が誰に喋ろうが、ソイツはどうでも良いと思っているだろう。だからお前の様なつまらない犯罪者に神聖な石像の秘密を喋ったんだ。」

 すると、ロハスは元の強かな顔に戻った。

「それじゃ、私が何か喋ったら、その見返りはあるのかね?」




2022/08/31

第8部 探索      9

  時間は半日前に戻る。

 ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は東セルバ州立刑務所にいた。州立と言うが、セルバ共和国で重犯罪で捕まった凶悪者の殆どが収監されている刑務所だ。オルガ・グランデにある西セルバ州立刑務所がどちらかと言えば軽犯罪者が多いことを考えると、裁判所は東西で囚人の罪の重さを分けているのかも知れない。セルバ共和国の法律では死刑はまだ存在する。どんな方法かは裁判で決められるが、一般的には絞首刑だ。銃殺は軍法会議で死刑が決まった場合で軍人にしか行われないことになっている。それ以外の方法は行わないのが建前だが、都市伝説では、「”ヴェルデ・シエロ”を怒らせるとワニの池に生きたまま放り込まれる」と言うのがある。州立刑務所にワニは飼っていないし、池もない。ただ、塀の外を濠が囲んでいる。植民地時代の要塞跡だったので、その名残だ。立地は海のそばで、濠は海水を引いており、時々サメが泳いでいるのが見えると、看守達が入所する際に囚人を脅す。真偽の程は定かでない。
 ロザナ・ロハスは東セルバ州立刑務所の重犯罪者棟に収監されていた。女性用の区画だ。刑期は96年。恐らく生きて出られない。模範囚でもせいぜい10年減らしてもらえるだけだろうし、満了する頃に彼女は100歳を超えている。
 セルバ共和国の刑務所は賄賂が利かないことで犯罪者の間で有名だ。刑務官達は大統領警護隊の司令部から任官されて来る所長を恐れている。所長は暴君ではないが、大統領警護隊隊員だ。刑務官や囚人の不正をすぐ見破る。歴代の所長がそうだったから、現在の所長も同じだった。例えその所長がメスティーソであっても。
 大統領警護隊同士だからと言って、面会者に優遇はなかった。ケツァル少佐はロザナ・ロハスへの面会を申し込み、許可が出る迄午前中いっぱい待たされた。刑務所所長は多忙なのだった。刑務所の近くの刑務官達が利用する食堂で朝から昼まで、少佐とステファン大尉は待っていた。2人共私服姿だったが、雰囲気で軍人だとわかるのだろう、店の従業員は時々コーヒーのお代わりは要り用かと聞きに来るだけで、テーブルに近づかなかった。
 少佐の携帯には部下達からのメールが送られてきた。
 マハルダ・デネロス少尉はテオドール・アルストと共にムリリョ博士に面会し、博物館の学芸員に話を聞くと書いていた。
 アスルはアンドレ・ギャラガ少尉と共にピソム・カッカァ遺跡へ行った。デランテロ・オクタカスの病院を発ったのが夜明け前で、日が昇った後でアスルは盗掘現場から「過去」へ跳んでみた。微妙な時差で盗掘者を目撃することは出来なかったが、犯人の匂いは嗅いだ。「次に出会えば、嗅ぎ分けられます。」と彼は書いていた。
 ギャラガは捜査状況の報告を先輩に任せて、彼自身は盗掘者に瀕死状態にされた警備員を気遣う内容を送って来た。爆裂波でやられた人間の脳を治療出来ないのでしょうか、と彼は疑問文を書いていたが、答えは期待していない筈だ。
 ロホは簡潔に報告を送って来た。「異常なし」と。
 ステファン大尉は己の携帯に何もメールが入って来ないことを悲しげに眺めていた。メールボックスは空だ。大統領警護隊遊撃班は彼に「戻ってこい」と言ってくれない。これは首都が今の所平和だと言う証拠でもあるのだが、彼は寂しかった。遊撃班に戻れば、彼は副指揮官で、班員達は部下だ。しかし文化保護担当部では、彼はタダの助っ人で、指揮官は彼を昔の様に部下扱いするし、弟だと「見下して」いる。彼女と一緒に仕事が出来るのは嬉しいのだが、姉は小言が多い。彼が苛ついても無視だ。

「面会は1人だけでしたね?」

 彼は刑務所の規則を思い浮かべた。子供時代はかっぱらいや万引き、喝上げ、掏摸と軽犯罪を繰り返していたが、捕まったことがなかったので、刑務所も少年院も縁がなかった。

「それに互いの目を見てはならない・・・」

 少佐が小さくあくびをした。

「私は待ちくたびれました。ロハスには貴方が面会しなさい。」
「え?」

 ステファンは驚いた。

「貴女は彼女に質問なさりたいのでしょう?」
「質問は一つだけです。いつ、誰からアーバル・スァットの力を教わったのか。」


第8部 探索      8

  雑貨店からテオとデネロス少尉が通りに出ると、夕暮れだった。空間通路でも探さなければグラダ・シティに当日中に帰ることは出来ない。宿を探すか、とテオが提案した時、背後から「ドクトル! デネロス少尉!」と声をかけられた。振り返るとアスルとギャラガ少尉が立っていた。デネロスが上官であるアスルに敬礼で挨拶した。目を見合ったので、互いに捜査状況を報告し合ったのだろう、とテオは想像した。アスルが背後の一軒の民家らしき建物を指した。

「俺達はあそこに部屋を取った。あんたらも取ると良い。今夜は部屋が空いているそうだ。」
「ホテルなのか?」
「そんなもんだ。」

 看板を出していないのに、と思ったが、入口の上に小さく「ホセの宿」と書かれた板が打ち付けられていた。テオが入ると、普通の家のリビングの様な部屋で、若い男が古いソファに座ってテレビを見ていた。ドアに付けられたベルがカラコロと鳴り、彼は振り向いた。テオは声をかけた。

「男1人女1人、2部屋欲しい。」

 男は部屋の端の階段を指差した。

「2階だ。好きな部屋を選んでくれ。但し、2部屋は先客がいる。」

 テオは室内を見回した。どう見ても普通の家だ。料金表もフロントもない。

「料金は前払いで良いか?」
「スィ。」

 ギャラガから聞いた料金を支払い、鍵をもらった。どうやらどの部屋も同じ鍵の様だ。デネロスと2階へ上がるとドアが5つあり、取り敢えず無施錠の部屋を見つけてそれぞれ中に入った。毛布1枚と枕が一つ置かれた粗末なベッドだけの部屋だった。荷物らしい物を持って来なかったので、テオはそれだけ確認して廊下に出た。デネロスは大統領警護隊が野外活動する時に持ち歩くリュックを持っていたので、それを部屋に置いて来た。他人が触れるとビリビリと来る「呪い」をかけてある、と彼女は言った。盗難防止策だ。そんな能力なら俺も欲しい、とテオは思った。
 宿から出て、少し歩くとアスルとギャラガが見つけた食堂に入った。殺風景な室内装飾の店だが、客はそこそこ入っていて、他所者が来ても珍しくないのかチラリと見られた程度だった。豆の煮込みや鶏肉の焼いたのを食べて、4人は満腹になった。どこかでアスル達が調べたことを聞きたいなぁとテオが思っていると、テーブルに近づいて来た老人がいた。地元の人だ。

「大統領警護隊の方ですな?」

 彼はアスルに話しかけた。純血種はアスルだけだから、庶民は彼が隊員だとわかっても、メスティーソのデネロスやギャラガも仲間だとは考えが及ばないのだ。アスルは頷いて見せた。彼は部下達を手で指した。

「この2人は少尉で、私は中尉です。何か用ですか?」

 老人は食堂内の他の客を振り返った。テオは全員がこちらを見ていることに気が付き、驚いた。彼等はこの村の住人なのだろう。老人が代表を買って出たのか、それとも長老として役目を担ったのか。老人が低い声で囁いた。

「アーバル・スァット様を盗んだのは若い男女です。インディヘナでした。儂等にはわかりませんが・・・」

 彼が「わからない」と言ったのは、その男女の泥棒が”ヴェルデ・シエロ”なのか”ヴェルデ・ティエラ”なのか区別出来ないと言う意味だ。アスルが頷いた。

「グラシャス、泥棒は我々が探す。」
「グラシャス。」

 食堂内の人々が口々に「グラシャス」と言った。だから、アスルは言った。

「アーバル・スァットはグラダ・シティで見つけた。泥棒を見つける迄安全な場所に保管している。だから、災いが降りかかることはない。」

 今度の「グラシャス」はもっと大きく、喜びの響きが混ざっていた。

「前回の盗難の時は、毎日天候が不安定で雨季でもないのに雨が多くて困りました。今回はまだ何も起こっていませんが、遺跡で警備員が殺害されたと聞いて、この辺りの住民はみんな不安でならないのです。」
「警備員は死んでいない。」

 アスルは彼等を安心させるためにそう言ったが、重体の怪我人は2度と目覚めないだろう。住民達は安心して互いに肩を叩き合ったり、乾杯をした。テオ達にもビールが振る舞われた。アスルが食堂内の人々に声をかけた。

「それで? その男女はどんな人間だった?」


2022/08/30

第8部 探索      7

  遺跡に近い土地の人々は大統領警護隊と言えば遺跡の監視、と思うのだろう。テオとデネロス少尉は心の中で苦笑しながら、サラス氏が案内するまま、ごちゃごちゃした雑貨店の中の木製ベンチに座った。多分近所の人の社交場なのだろう、古いスタンド式吸い殻入れや、カップがいくつか積み重ねられた小さなテーブルが両脇に置かれていた。サラス氏が何か飲みますかと訊いたので、水をもらった。

「大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉と、グラダ大学准教授のドクトル・アルストです。」

 デネロスは簡単な自己紹介をした。テオの肩書きを言わなかったのは、言う必要がないと判断したからで、相手は考古学の先生ぐらいに思うだろう。果たして、サラス氏は突っ込まなかった。デネロスはすぐに要件に入った。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られていた神像が盗難に遭ったことをご存じですか?」

 サラス氏の顔が曇った。

「スィ。憂うべきことです。これで2回目ですから。」
「どんな神様かご存知ですか?」
「スィ。小さな動物の形の神様です。先祖から聞いた話では、雨を降らせるジャガー神だと言うことですが、雨の神様を盗むなんて、どう言う了見なんだか・・・」

 雑貨店主はテオを見て、尋ねた。

「外国ではあんな古い物を高い値段で買う人がいるそうですね。」
「罰当たりですけどね。」

とテオは頷いた。

「神様を敬うことを知らない人間がいるんです。キリスト教の神様の像でも盗まれますからね。」
「そんな奴らはジャガーに食われてしまえば良いんだ。」

 サラス氏はそう呟いてから、デネロスの視線に気がつき、手を振った。

「ノノ、そんな恐ろしいことを私は願いません。」

 大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”と深い繋がりがあると知っているのだ。うっかりしたことを口走って、本当にジャガーが暴れると困ると心配していた。

「アーバル・スァット様が怒るとどうなるか、ご存知ですか?」

 デネロスの問いに、彼は小さく頷いた。

「命を吸い取られます。ジャガーに魂を食われてしまうんですよ。」
「どんな失礼をすれば神様は怒るのでしょう?」
「それは・・・」

 サラス氏の躊躇いは答えを知っている証拠だ。デネロスはそれ以上訊かずに、別の質問をした。

「同じ質問をした人が最近いませんでしたか?」

 サラス氏は暫く黙っていた。そして悲しそうに言った。

「記憶にないんです。」
「え?」
「誰かに何かを喋ったと言う記憶はあるのですが、何を喋ったのか覚えていないんです。」

 ”操心”にかけられたとサラス氏は言っているのだ、とテオは気がついた。デネロスを見ると、彼女も同じ考えに至っている様子だった。彼女は質問を変えた。

「それはいつ頃のことでしょうか?」
「2月程前です。」

 サラス氏はデネロス少尉を見つめた。

「貴女は大統領警護隊ですよね?」
「スィ。今、アーバル・スァット様の盗難事件を調査中です。」
「私の体験は私のこれからの人生や家族に何か悪いことを呼び込むのでしょうか?」

 デネロスはメスティーソだ。それに若い女性だから、時々大統領警護隊としての彼女の能力を疑う人がいる。サラス氏も彼女に助けを求めようとはしなかった。それにデネロスは、純血で強い力を持った隊員がどんなに手を尽くしても”操心”で消された記憶が戻らないことを知っていた。だから助けを求められないことに気を悪くしたりしなかった。彼女は彼の質問に優しく答えた。

「貴方の記憶を消した人間は、もう貴方を煩わせることをしません。大丈夫です、貴方はその人を見ても既に見分けられないし、相手も貴方をどうにかしようなんて考えていない筈です。」

 テオにはいかにもセルバ的にのんびりした考えだと思えたが、サラス氏はそれで納得した。

「そうなんですね! 盗難事件で警備員が重傷を負わされたと聞いたので、私にも何か災いがあるかも知れないと不安でした。」

 デネロスは首を振って、災いはない、と表現した。そして最後の質問をした。

「アーバル・スァット様はどんな時にお怒りになられますか?」


2022/08/26

第8部 探索      6

  マハルダ・デネロス少尉は上官の許可を求めなかったが、ケツァル少佐の携帯に留守電を入れておいた。テオと一緒にデランテロ・オクタカス郊外のぺグムと言う集落に行くと言う内容だった。それから空軍の知人に電話をかけ、本日中にデランテロ・オクタカスへ飛ぶ便はないかと尋ねた。電話を切ると彼女はテオを振り返った。

「半時間後に飛び立つそうです。飛行場へ急いで!」

 予定時間通りに飛び立つことは滅多にないセルバの航空業界だが、空軍がそうとは限らない。グラダ・シティ国際空港の端っこにある空軍用スペースにテオの車が滑り込んだのは25分後だった。ドアをロックして2人は走った。兵士ではなく物資を運ぶ小型輸送機に無理矢理乗り込む形だ。定員オーバーではないか、と心配したが、荷物は軽そうだった。
 乗員はテオ達に何をしに行くのかと訊かなかった。大統領警護隊が乗せろと言うのだから乗せる、それだけだ。
 小さな輸送機はガタピシ言いながらグラダ・シティ国際空港を飛び立った。空軍なのだから、もっとマシな飛行機を買って貰えば良いのに、とテオは思ったが、黙っていた。オルガ・グランデへ行く空路より気流の乱れが少ないと言っても、深い緑の密林の上を飛んで行く。もし墜落したら、救助が来るのに時間がかかりそうな土地の上を通過した。
 テオとデネロスは沈黙したまま、座席に座っていた。狭い空間で、動き回るスペースもあまりない。パイロットも副操縦士も殆ど喋らなかった。やがてガタガタの滑走路に着陸して、飛行機が停止した時、全員がホーッと大きく息を吐いた。
 テオとデネロスは乗員に礼を告げて、空港を離れた。出口でペグム村へ行く道を訊くと、意外にも乗合タクシーを教えてくれた。オクタカス遺跡へ何度か監視業務に出かけていたデネロス少尉だが、近隣の村々へタクシーで行けるなんて知らなかったらしく、ちょっと驚いていた。
 タクシーと言っても小型トラックを改造した車で、荷台に屋根が載っけてあり、ベンチが備え付けてあるだけのものだ。窓ガラスは前半分だけで、後は風通しがやたらと良かった。乗客は全部で7人、デランテロ・オクタカスで野菜を売った女性達が自宅へ帰るところで、朝は野菜を入れて来たであろう大きな籠に、帰りは日用雑貨を購入して詰め込んでいた。自宅用ではなく村で売るのだろうと見当がついた。
 デネロスがオスタカン族の住民のことを尋ねると、彼女達は即答で教えてくれた。テオは地方訛りがきつい彼女達の言葉を7割程しか聞き取れなかったが、デネロスはちゃんと理解出来たらしく、表情が穏やかになって、グラシャスを繰り返した。
 ペグム村は、予想したより綺麗なところだった。森が開かれていて、木造の民家が未舗装のメインストリートに沿って並んでいる。少し床を地面から上げて離してあるのは虫などを避ける為だろう。どの家も2、3段の階段を上がって家に入る。家の前では女性達がお喋りしながら屋外キッチンで夕食の支度をしていた。男性達は日中の仕事が再開される時間なので、民家の裏手で働いている様だ。
 乗合バスを降りた女性達は1軒の家を目指して歩いて行った。そこが村で唯一の商店で、食料品から日用雑貨、衣類などを販売していた。彼女達は野菜を売ったお金で仕入れた雑貨をその店に卸し、またお金を受け取って帰って行った。
 テオとデネロスはその店の主人が仕入れた品物を店頭に並べるのを眺めていた。やがてデネロスが声をかけた。

「ブエノス・タルデス! 貴方がセニョール・サラスですか?」

 主人が顔を向けた。よく日焼けしたメスティーソの男性で、60は過ぎているだろうか。商店主らしい人当たりの良さそうな顔で頷いた。

「スィ、儂がサラスです。何か?」

 他所者への警戒がなかった。綺麗な村だから、訪問者が多いのだろう。それにこの村は、オクタカス遺跡の側のオクタカス村への通過点だ。流通の途中の村なのだ。
 デネロスが徽章を出した。サラスは手の埃を払い、店の中の椅子を指差した。

「遺跡の監視ですか? あちらで休まれませんか? お茶を出しますよ。」


2022/08/24

第8部 探索      5

「その修道女はアーバル・スァットに興味を持ったと思いますか?」
「どうでしょう・・・」

 アバスカルは首を傾げた。

「病気平癒の神様ではありませんし、とても古くて観光客も素通りしてしまうような小さな神像です。雨を降らせる力があるとも思えませんし・・・」

 学芸員にはそう見えるのだろう。それに神像に力があるなら、現代でも近隣の先住民などがお供えをしたりして崇拝しているのではないか。無造作に神殿の棚に置かれていただけだから、ロザナ・ロハスは盗めたのだ。

「アーバル・スァットを盗んだと言われている女性のことですが・・・」

 テオが女性犯罪者のことに触れかけると、アバスカルは肩をすくめた。

「あの麻薬業者ですか? あんな人はここへ来ないでしょう。ここには監視カメラがありますから、例え遊びに来るだけだとしても、映りたくないと思いますよ。」

 彼女は部屋の隅の天井に設置されているカメラを指差した。テオが見たところ、休憩スペースのカメラはそれ1台だけで、部屋の出入り口を撮影しているように見えた。
 デネロスが、修道女が来たのはいつ頃でしたか、と尋ねた。アバスカルはブログの日付を見て、5年前の月日を言った。ロザナ・ロハスがアーバル・スァットを盗掘する半年程前だった。 

「その人はそれっきり来なかったのですね?」
「来ませんでした。」
「他に呪術や願い事を叶えてくれる神様について質問した人はいませんでしたか?」
「博物館でそんな質問をする人はあまりいませんわ。大概は祭祀の方法や占星術の技術や、農耕と狩猟の関係などを調べている人が多いです。考えてもみて下さい、私たちが古代の呪術について遺跡から何を知ることが出来ます?」

 確かに、考古学は出土品を見て、それが何に使われていたのか、どう使われていたのか、誰が使っていたのか、考える学問だ。呪術の内容まで判明したりしない。
 アバスカルは修道女の名前を覚えていなかったし、どこの修道院かも聞いていなかった。
 テオとデネロスは彼女に礼を告げて、博物館を出た。
 車に乗り込むと、デネロスは考え込んだ。

「民間のシャーマンがセルバ共和国に何人いると思います?」
「数えた人はいないと思うが・・・」

 テオは絞り込む方法を思いついた。確実ではないが、ないよりマシな案だ。

「ピソム・カッカァ遺跡周辺のシャーマンや呪術師を当たった方が良くないか? アーバル・スァットの呪いを知っているのは、オスタカン族だと思うが・・・」
「オスタカン族はアケチャ族に同化されて、殆ど残っていません。少なくとも純血のオスタカン族なんて・・・」

 そこでデネロスは何かに思い当たり、電話を取り出したので、テオは車のエンジンをかけずに待った。デネロスがかけたのは、ウリベ教授だった。結局、あの福よかな人懐っこい教授に頼ることになるのか、とテオは思った。
 ウリベ教授はお昼寝の最中だったのか、電話に出ても少しばかりはっきり聞き取れない喋り方だった。デネロスは彼女のシエスタを邪魔したことを謝罪し、それからオスタカン族の伝承に詳しい人を教えて欲しいと頼んだ。

ーーオスタカン族? 何だか懐かしい言葉ねぇ。

 といつも陽気なウリベ教授が答えた。

ーーあの部族はとても古くて、人口も少なくなっているから、殆ど伝承も残っていないのよ。だからシャーマンと言うより、土地の古老に昔話を聞けたら幸運と言うことです。

 まだ生きているかどうか知らないが、と前置きして、教授はデネロスに3つばかり名前を告げた。テオはそれを素早く自分の携帯にメモした。住所は具体的に覚えていなかったが、住んでいた村は知っていると教授はデランテロ・オクタカス近郊の集落の名前を一つだけ言った。

ーーそこにオスタカン族の末裔が住んでいるわ。目で見てもわからないけどね。言葉もアケチャ語とスペイン語だけです。
「グラシャス、先生! 恩に着ます!」

 大袈裟ね、と笑ってウリベ教授との通話は切れた。
 デネロスが振り返ったので、テオは腹を決めた。

「デランテロ・オクタカスへ行くか・・・」


第8部 探索      4

 テオもデネロスも学芸員が耳寄りな情報を持っているとは期待していなかった。博物館は混雑する場所ではないが、週末は海外からの観光客も多い。職員達はその資格や肩書きに関わらず客の応対に忙しく、一人一人の客の顔を覚えていないだろう。 博物館に一番近いタコスの店で簡単に昼食を済ませ、コーヒーを飲んでから、テオとデネロスは博物館に戻った。
 マリア・アバスカルは2人が奥のスペースへ辿り着く前に彼等に追いついた。手にタブレットを持っており、休憩スペースのソファへ2人を誘導した。休憩スペースは広くて、近代のセルバ人画家が描いた遺跡や神話をモチーフにした幻想的な油絵が4、5点3方の壁にかけられた四角い部屋だった。その真ん中に背もたれのないソファが置かれているので、他の人が近づくとすぐ知ることが出来る。

「呪術のどう言うことをお知りになりたいのでしょうか?」

 アバスカルの質問に、デネロスが答えた。

「呪術の内容ではなく、呪術の使い方を調べに来た人がここ5、6年の間でいなかったか、覚えていらっしゃいますか?」
「呪術の使い方?」

 アバスカルが目を見張った。デネロスが説明した。

「つまり、どんな神様や精霊に、どんな方法で願い事を叶えてもらうか、その儀式の方法等です。」
「・・・」

 テオが周りくどい言い方がまどろっこしいので、ズバリ言った。

「誰かを呪殺したい場合の方法とか・・・」
「呪殺ですか・・・」

 アバスカルは口元に手を当てた。驚いた様子だが、ショックを受けたと言う感じではなかった。

「ええ、中南米の呪いの効果を期待して、そう言う不穏な情報を調べて来る外国人がたまにいますね・・・」

 彼女はタブレットを操作し始めた。面会者のリストかと思ったらそうではなく、彼女個人の日誌の様な感じだった。ブログ形式で日誌を毎日書いているのだ。彼女は検索ワードに「呪殺」と入れた。しかし出てきたのは、来館者との会話を描いた日誌で、若者達と冗談混じりで話をした様子ばかりだった。

「民間信仰で呪いを研究されているのは、グラダ大学のウリベ教授ですけど・・・」

とアバスカルは言い訳するように呟いた。

「でも私は教授にそんな遊び半分の観光客を紹介したことはありません。」
「勿論、貴女が軽薄な人々に真面目に取り合うなんて思っていません。」

 テオはデネロスを見た。彼女に主導権を戻したかったが、彼女はテオのペースに任せることにしたのか、黙って見返しただけだった。それで彼は更に突っ込んで質問した。

「アーバル・スァットと言う石の神像をご存じですか?」
「アーバル・スァット?」
「ピソム・カッカァと言う遺跡で祀られているネズミ・・・いや、ジャガーの神像です。」

 アバスカルはちょっと首を傾げ、それから思い当たることがあったのか、「ああ」と声を立てた。

「一度盗掘されて、それから大統領警護隊が取り戻した神像ですね?」
「スィ。その神像について、博物館では・・・いえ、貴女はどんな情報をご存じですか?」
「ピソム・カッカァはオスタカン族が7世紀から8世紀頃に築いた都市で、現在はその都市の10分の1だけが遺跡として現存しています。遺跡内には2つだけ神殿が残っており、ジャガー神アーバル・スァットが祀られているのは、西の神殿と呼ばれている場所です。あの神様はジャガーですから、雨を呼ぶ神様です。他人を呪う為の神様ではありません。」
「でも、神様は扱い方を間違えると、お怒りになりますよね?」
「スィ、とても恐ろしい祟りがあります。」

 そこまで言ってから、アバスカルは何かを思い出し、ブログを検索した。

「今でも神様へ祈りを捧げたら願いが叶うのかと訊いてきた人がいました。」

 彼女は古い記事を探し当てた。

「地方の修道院に入っている女性で、身内が重い病に臥せっているので、古代の呪術でも何でも良いから救いの手を差し伸べたいと言う人が訪ねて来ました。」
「修道女ですか?」

 デネロスが意外そうに言った。

「修道女なら、キリストや聖母に救いを祈るでしょうに・・・」
「奇跡を期待しても空い時はあります。」

 アバスカルが寂しい笑みを浮かべた。

「それにその女性は先住民でした。キリスト教の信仰より民族が古代から信じてきたことの方が彼女には重たかったのでしょうね。」
「彼女の質問に貴女は何と答えたのですか?」

 アバスカルはちょっと躊躇った。そしてデネロスを見た。

「”ヴェルデ・シエロ”が関わった神様なら、何らかの祈りの効果を期待出来るかも知れませんと・・・」

 アーバル・スァットは雨の神様で、病気平癒の神様ではない。デネロスが尋ねた。

「どこかの神様を紹介なさったのですか?」

 アバスカルが苦笑した。

「そんな無責任なことはしていません。私はただ現在観光客が近づける遺跡を紹介するパンフレットを彼女に渡し、それらの場所に置かれている神像や神の彫刻について一つ一つ簡単に説明しただけです。そして病気平癒は民間信仰のシャーマンの方が詳しいでしょうと言いました。」


2022/08/22

第8部 探索      3

  シエスタの時間は博物館も昼休みだ。そんな時に訪問すれば職員や学芸員は迷惑だろうが、見学者の邪魔をせずに済む。テオは午後の授業がないのでマハルダ・デネロス少尉を車に乗せてセルバ国立博物館へ行った。
 デネロスの緑の鳥の徽章を見せると、入館料なしで中に入れてもらえた。2人は真っ直ぐ事務室へ行き、ドアを開いた。職員達は昼食に出かけており、残っているのは3人だけだった。デネロスは一番近くにいた初老の男性学芸員に徽章を見せて、

「呪術に詳しい人がいると館長から聞いて来ました。面会を希望します。」

と要請した。すると男性学芸員は一番奥の机でお手製と思えるサンドウィッチを食べている中年のメスティーソの女性学芸員を指した。

「マリア・アバスカルのことを館長が仰ったのなら、そうです、彼女が呪術の研究をしています。」
「グラシャス。」

 テオとデネロスは部屋の奥へ進んだ。アバスカルはカップのコーヒーを飲みかけていたが、近づいてきた客に気がついて手をおろした。「こんにちは」とデネロスとテオは挨拶した。

「私は大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉です。」
「俺はグラダ大学生物学部准教授のアルストです。」

 アバスカルが微笑した。

「少尉も准教授も存じ上げています。時々ここを訪問されましたよね?」
「スィ。」

 個別に紹介されたことはなかったが、何度か用事があって博物館に来ていたので、テオもデネロスも職員達に顔を覚えられていた。なにしろ気難しい館長を訪ねて来る人だ。誰も忘れたりしなかった。

「今日は館長から貴女を紹介されました。呪術の研究をされているとか・・・」
「スィ。呪術と言っても色々ありますが、どんな要件でしょう?」

 テオは彼女の机の上の弁当を見た。

「先に食事を続けて下さい。俺達も外で食べて来ます。何時頃にお伺いするとよろしいですか?」

 アバスカルは大きな茶色の目をくるりと回し、ちょっと考えた。

「この近所で食事が出来るお店は3軒だけです。食べ終わったら、私からお店へ伺います。お食事なさりながらで良ければですが?」

 出来ればあまり部外者に聞かれたくない話だ。デネロスがテオを見た。テオは時計を見た。そして脅かすつもりはなかったが、声を低くして言った。

「館長の紹介と言う意味をお考えくださると嬉しいです。」

 アバスカルがハッと目を見開いた。そして1日の予定表をめくった。

「午後2時迄でしたら、空いています。」
「では、出来るだけ早く戻って来ます。この場所でよろしいですか?」
「展示室の一番奥に客の休憩スペースがあります。そちらへお越し下さい。戻られたら、誰かが私に教えてくれますから。」

 再会を約束して、テオとデネロスは博物館を一旦出た。


 

2022/08/21

第8部 探索      2

  12時になると、学生達も職員達もキャンパス内のカフェや学外の食堂へ向かって移動する。テオは考古学部へ向かった。午前中どこかで時間を潰していたマハルダ・デネロス少尉と建物の入り口で出会った。考古学部は特に変わった場所ではない。博物館のように遺跡からの出土物やミイラが廊下に並んでいるなんてこともない。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の研究室はケサダ教授の部屋の隣だった。ドアには「主任教授」と書かれているだけで、博士の名前はなかった。テオがノックするとドアが勝手に開いた。こんな些細なことで能力を使うなんて博士らしくないと思いつつ、テオとデネロスは挨拶をしながら中に入った。
 ムリリョ博士は机に向かって何やら書類仕事をしており、2人が入室しても振り返らなかった。デネロスが声をかけた。

「面会許可、有り難うございます。」

 博士は黙ってゆっくり椅子を回転させ、振り返った。テオはいきなり話題に入ると礼儀がどうのと言われそうな気がしたので、デネロスに任せることにした。ムリリョ博士は2人のどちらが主導権を持つのか見極めようとしているのだ、と思った。

「ピソム・カッカァからアーバル・スァットの神像が盗み出され、昨日それが建設大臣マリオ・イグレシアスの所へ送られて来ました。」

 デネロスは彼女が知っていることを喋り出した。

「幸い私設秘書のセニョール・シショカがその箱を受け取り、中の異様な気配を知って検めました。彼は神像を見て、大統領警護隊文化保護担当部に連絡して来ました。文化保護担当部は現在、盗掘者と大臣に神像を送りつけた人物を特定するために捜査に取り掛かっております。」

 するとムリリョ博士がジロリとテオを見て、それから視線をデネロスに戻した。

「アーバル・スァットは今どこにある?」
「建設省のセニョール・シショカの部屋だそうです。」

 博士は小さく頷いた。シショカは彼の配下ではないが、同業者で同族だ。信頼を置ける男なのだろう。博士は窓の外を見た。庭の植え込みが見えるだけだ。

「数日前から少し気が乱れていた。だから妊婦が不安定になる。この2、3日は出産が増えるだろう。」

 え? とテオは驚いた。あのネズミの神様は子供の誕生にも影響を及ぼすのか? コディア・シメネスが一月早く産気づいたのも、そのせいなのか? だがここで個人的な話を持ち出すのは拙いとテオは知っていた。ムリリョ博士は公私をはっきり分けて考える。
 デネロスが面会の目的を出した。

「博士にお尋ねします。ここ最近、古い呪術のことを調べている人はいませんでしたか? 一族の者でも”ティエラ”でも構いません、古代の神像と呪術の関係を研究している人をご存知ないでしょうか? 恐らくウリベ教授が研究されている民間信仰よりずっと古い時代のものを、調べていた人間がいる筈です。」

 すると博士はちょっと考えた。真剣に捜査に協力してくれているんだ、とテオは別のところで感動を覚えた。

「呪術は儂の分野ではない。」

と博士は言った。

「しかし博物館の学芸員の中に呪術研究をしている者がいる。彼女に訊くと良い。」

 その人の名前は、と尋ねる前に博士はクルリと椅子を回転させて机に向き直った。テオがデネロスを見ると、彼女はそれ以上質問してはいけないと思ったのか、「グラシャス」と声をかけた。それで、テオは博士の背中に声をかけてみた。

「コディアさんの出産が無事に済むことを祈っています。」

 デネロスはさっさと部屋から出て行った。長居無用と言わんばかりだ。テオも博士の返事を期待していなかったので、「グラシャス」と囁いて出ようとした。博士が呟いた。

「男の子だ。フィデルは後継者を作りおった。」

 半分だけのグラダ族の男、しかし純血種の”ヴェルデ・シエロ”が生まれたのだ。テオは

「おめでとうございます。」

と挨拶して、部屋から出た。微かだが、興奮していた。

2022/08/19

第8部 探索      1

  テオドール・アルストがグラダ大学に出勤すると、マハルダ・デネロス少尉も来ていた。彼女はすぐに考古学部へ行きたかったのだが、男子学生達が美人を放置しておく筈がなく、早速何人かに声をかけられ、なかなか前へ進めずに困っていた。

「ナンパしていないで、勉強なさい!」

 彼女が緑の鳥の徽章を出して見せる迄、若者達のアタックは続いた。テオは彼女を援護してやりたかったが、見当違いの噂が流れても困るので、近くを通りながら軽く、

「ブエノス・ディアス、デネロス少尉!」

と声をかけた。デネロスはすかさずその救いの手に縋りついた。

「ブエノス・ディアス、ドクトル・アルスト!」

 彼女は学生達を振り切って彼に駆け寄った。

「今朝は考古学部の先生達にお会いになりましたか?」
「ノ、まだ来たばかりだから、誰にも会っていない。」

 テオは理系学舎に向かって歩いていた。デネロスは方向違いでもついて来た。

「ムリリョ博士が来られていると言うことは・・・?」
「予想がつかないなぁ。」

 テオもわかりきったことを喋り続けた。

「業務関連で面会を希望かい?」
「スィ、出来れば大至急お会いしたいのですけどぉ・・・」

 建物の中に入って学生達をまいてから、2人は立ち止まった。テオは携帯を出して、ムリリョ博士の番号にかけてみた。しかし博士はいつもの如く彼の電話には出てくれなかった。5分程粘ってから、テオは一旦切って、次にケサダ教授の番号にかけてみた。

ーーケサダ・・・

 聞き慣れた穏やかな教授の声が聞こえた。テオは急いで名乗った。

「テオドール・アルストです。今日は大学に来られますか?」

 すると思いがけない返答が聞こえた。

ーー今、病院にいます。コディアが出産するので・・・
「あっ!」

としか言いようがなかった。ケサダ教授の愛妻コディア・シメネスが5人目の赤ちゃんを孕っていることは知っていた。まだ予定日は先だな、と思っていたのだが、早く産気づいた様だ。

「出産がご無事に済むことをお祈りしています。」
ーーグラシャス。 ところで何用ですか?

 尋ねられて冷や汗が出た。

「あ、ムリリョ博士に面会を取り付けたくて・・・俺ではなくデネロス少尉が博士に用があるのです。」

 ムリリョ博士はコディア・シメネスの父親だが、娘の出産に立ち会うとは想像出来なかった。ケサダ教授は親切だ。

ーー博士に伝えておきます。デネロスの電話にかけて貰えば良いのですね?
「スィ、グラシャス!」

 ムリリョ家は伝統を重んじる家系だが、自宅や部族の出産のしきたりに従った施設ではなく、病院で産むのだな、とテオはぼんやりと思った。
 デネロスがテオを見つめていた。

「教授の奥様が出産ですか?」
「スィ、予定日より早いよう気がするが・・・」

 デネロスも指を折って数えてみた。

「一月早いと思います。コディアさんは産んでしまうのですね?」

 予定日迄安静にしているのではなさそうだ。もしかすると危険な状態なのだろうか。テオとデネロスは不安を覚えた。

「マスケゴ族も病院で出産するのが普通なのかな?」

 デネロスが苦笑した。

「勿論です。伝統的な産屋を使うのは田舎の人ですよ。それにグラダ大学附属病院の産科には一族の医者がいますから、出産に伴う儀式なども行います。」

 この国の最先端医療を誇る大学病院で、出産の儀式か、とテオはちょっと驚いた。だが”ヴェルデ・シエロ”の親達には重要なのだ。

「アリアナも出産の時は儀式を行うのかな?」
「当然です。」

とデネロスは微笑みながら答えた。

「ロペスの家系はブーカ族の重鎮ですから、必ず行います。そしてシーロの血を引く子供を産むことで、アリアナは白人であっても一族の一員として正式に迎え入れられるのですよ。」

 その時、デネロスの携帯電話が振動して、彼女は慌ててポケットから電話を取り出した。非通知だが、彼女は相手が誰だか想像出来た。

「ワッ! きっと博士からですぅ・・・」

 緊張しながら彼女は通話ボタンを押した。そして相手の声を暫く聞いてから、「わかりました、グラシャス!」とだけ言って電話を終えた。
 テオを見て、彼女は告げた。

「1200に考古学部の博士の研究室へ来るようにと言われました。ドクトルも一緒に来て下さい。」
「え? 俺も行って良いの?」
「ご指名です。」

 それって、めっちゃ緊張ものじゃん、とテオは内心思った。

 

第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...