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2021/06/25

風の刃 22

 「俺に協力出来ないってことか?」

 シオドアは2人のセルバ人を見比べた。アスルが4杯目のワインをつごうとしたので、少佐が彼の名を呼んで止めた。

「飲み過ぎです。」
「すみません。」

 アスルが素直に手を引っ込めた。少佐がテーブルの上で手を組んだ。

「サンプルの話を研究所に話さなければ、ことはもっと簡単だったのですが、貴方は情報を拡散させてしまいました。」
「それはどう言う・・・」
「貴方に消えてもらいましょう。」

 シオドアは彼女の言葉の意味を推し測りかねて、見つめた。すると横からアスルが彼を呼んだ。

「シオドア・ハースト。」
「うん?」

 振り返ったシオドアは、彼と真面に目を合わせてしまった。

 こいつの目はなんて深い・・・なんて深遠な・・・

 それが彼が意識を失う直前に頭で思った言葉だった。
 ダイニングテーブルから崩れ落ちたシオドアを、席を立った少佐が眺めた。アスルが額の汗を拭った。メイドに聞こえない低い声で話した。

「不意打ちで何とか仕留めました。こいつ、ロホもカルロも歯が立たなかったんですよ。」
「脳の組織が”ヴェルデ・ティエラ”とは異なっているからでしょう。」
「しかし、我ら”ツインル”と同類と言う考えは持てません。」
「当然、”ツィンル”ではない。人造の人間です。でも、我々に救いを求めて来ました。」
「助けてやるのですか?」
「貴方は、手元に飛び込んで来た小鳥を鷹の前に放り出せますか?」

 アスルは溜息をついた。

「俺なら、小鳥を食っちまいますがね。」

 そしてキッチンに行った。メイドがデザートのタイミングを待ちながら雑誌を読んでいた。アスルは、カーラ、と彼女の名を呼び、振り返った彼女の目を見た。倒れかかった彼女を椅子から落ちないように支えてやり、楽な姿勢で壁にもたれかけさせた。

「少し休憩していてくれ。あの白人を隠さねばならん。」


風の刃 21

 シオドアが今夜はケツァル少佐の家に招かれていると言うと、シュライプマイヤーがあからさまな嫌な顔をした。彼はセルバ人が嫌いだった。感情を表に出さない先住民のセルバ人はもっと嫌いだった。それが軍服を着ていたりすると、本当に嫌いだった。しかしシオドア・ハーストは記憶を失う前同様にボディガードの意見を無視して、ワインと花束を買って、午後6時に文化・教育省の前に立った。ボディガードの2人は車で待機だ。
 時間にルーズなセルバ人も仕事終わりの時間はしっかり守る。午後6時になると、雑居ビルから職員達が一斉に帰宅するために出てきた。4階の人々も少し時間差を置いて出て来た。ケツァル少佐とアスルことクワコ少尉も出入り口の番をしている軍曹に敬礼で挨拶をして出て来た。シオドアがカフェの入り口近くで立っているのを見て、少佐がポケットから鍵を出してアスルに渡した。アスルが雑居ビルの間の路地へ走って行った。
 自宅に帰るだけの少佐はお洒落をしていなかった。通りの向こう側に駐車しているボディガードの車を見て、

「彼等の食事は用意していませんよ。」

と冷たく言った。シオドアは構わないよ、と言った。どうせそんなことだろうと思ったので、シュライプマイヤーに夕食は自分達で何とかしろよと言ってあった。
 アスルがベンツを運転して戻って来た。GクラスのSUVだ。シオドアは後部席に乗った。少佐が隣に乗ってくれるかと思いきや、彼女は助手席に座った。
 少佐のアパートは職場と大統領府を挟んだ反対側で、車で10分ばかり走った住宅地にある高級コンドミニアムだった。車寄せにベンツを乗り入れたアスルは、少佐とシオドアが降車すると地下の駐車場へ走り去った。シオドアは夕暮れ時の高層ビルを見上げた。

「一戸建てに住んでいると思った。」
「軍の給料では買えません。」
「ここの家賃も馬鹿にならないだろう?」

 少佐は意味深な微笑みを浮かべただけだった。キーボードパネルでガラス扉を開き、2人は中に入った。アスルは暗証番号を知っている筈だが、シュライプマイヤー達は入って来られない。
 2人はエレベーターで7階迄上がった。メスティーソのメイドが出迎え、シオドアは綺麗なダイニングルームに案内された。シェリー酒を出されたところで、ドアチャイムが鳴り、メイドに案内されてアスルが入室した。
 料理は セビーチェ で始まった。中南米の生魚料理だ。アスルは好物なのか、機嫌が良かった。シオドアは赤ワインを土産に持って来たので、魚を見た時にしくじったかなと思ったが、次の皿はコシードで、豚肉の塊を切り分ける役目をもらった。

「腕の良いコックを雇っているんだね。」

とシオドアが褒めると、少佐が、カーラに伝えておきます、と応じた。アスルが口元を拭いながら言った。

「貴方のお陰だ、ドクトル。普段は煮豆しか出ない。」
「お黙り、アスル。」

 シオドアは笑った。

「オクタカスのベースキャンプでも毎日豆だったよ。でも、研究所で食べた食事よりずっと美味かった。」

 2人のセルバ人の視線に気がついて、彼は腹を決めた。

「俺の本当の身の上を話すよ。まだ記憶が戻らないし、一般の人には俄かに信じられない内容だけど、俺は実際に向こうで見たし、聞かされた。俺は、複数の人間の遺伝子を分解して組み替えて創られた人間なんだ。場所は・・・ミゲール大使が知っている。陸軍基地の中にある国立遺伝病理学研究所で、優秀な頭脳を持つ人間や、強靭な肉体を持つ人間の開発をしている所だ。俺はそこで生まれた20人ばかりの子供の1人だ。20人の中の3人だけが残されて研究所で特別教育を受けて、次世代の遺伝子組み替え研究をする為の科学者として育てられた。」

 一気に喋った。まるで映画や小説の中の話だ。だが、不思議と彼には確信があった。このセルバ人達は俺の言葉を信じる。何故なら、彼等自身が常識では考えられない人々である可能性があるから。

「俺が何をしにセルバ共和国に来て、バス事故に遭ったのか、誰にもわからない。俺はある日突然何かを探しに出かけたそうだ。アンゲルスの邸から米軍のヘリコプターで研究所に連れ戻されてから、俺は俺が何者なのか探っていた。だけど、何もわからない。記憶を失った俺を警戒して研究所が何か重要なことを隠した可能性もあるし、俺が他人に自分の研究を見せたくなくて隠した可能性もあるんだ。俺は研究所に馴染めなかった。生まれ育った場所だと言われたが、記憶喪失の俺にはどうしても好きになれない場所なんだ。セルバに戻りたくて、セルバに来た理由を探していたら、資料の中である遺伝子情報を見つけた。」

 シオドアは、オルガ・グランデのアンゲルス鉱石が健康診断と称して従業員から採取した血液を研究所に売却していたことを語った。そのサンプルの一つ、「7438・F・24・セルバ」の遺伝子情報の特異性も語った。

「脳を形成する時の情報だけど、俺にはその遺伝子を持っている人間が、他の人間とどう違うのか想像がつかなかった。今でもつかない。だから、昔の俺は、それを確かめに、”7438・F・24・セルバ”の遺伝子の持ち主を探しに行ったのだと思う。」
「探して、どうするつもりだった?」

とアスルが尋ねた。彼はシオドアの手土産のワインが気に入ったらしく、3杯もお代わりしていた。未成年じゃないのか、こいつ・・・?
 シオドアは彼に殴られるかも知れないと思いつつ、真実を明かした。

「試しに、俺自身の遺伝子と比較したんだ。そうしたら、2人の遺伝子はよく似ていた。」

 少佐がグラスを取って、残っていたワインを飲み干した。

「貴方とそのサンプルの人は同類だと?」
「わからない。だが、俺のオリジナルの遺伝子を提供した人々が誰なのか、俺は資料を持っていない。見ることを禁じられているんだ。だから・・・もしかすると、俺はそのサンプルの人が親の1人、又はその親族かも知れないと思って会いに行ったのかも知れない。」
「まさか、俺達に、その人物を探せと言うんじゃないだろうな?」

 アスルの言葉に、シオドアははっきりと首を振った。

「そんなつもりで来たんじゃない。さっきも言った通り、俺は研究所が嫌いなんだ。連中は人間をモノ扱いしている。俺は兵器ではないし、人間兵器を作る気もない。だが、これは国家機密の研究だ。わかるだろう?」

 少佐とアスルが互いの目を見合った。まただ、とシオドアは思った。彼等は目で会話をしている。彼は今夜相談したい核心にやっと入った。

「研究所は、俺が死なない限り、俺を自由にはしてくれない。だけど、俺はエル・ティティの町で暢んびりと代書屋をしていたいんだ。ゴンザレスと一緒に暮らしたいんだ。だから、研究所に、”7438・F・24・セルバ”を探しに行くと行って、今回のグラダ大学の職を世話してもらった。本当は、サンプルの人はもうどうでも良い。俺はこの国の人間になりたい。どうすれば良い?」

 少佐が彼を見た。

「貴方は、そのサンプルの情報を研究所に話したのですね?」
「スィ。だけど、誰もその遺伝子情報が何を意味するのか、わかっていない。だから俺に、サンプル提供者を探して来いと渡航許可をくれたんだ。」
「貴方が政府機関の研究所で創られた人間であるならば・・・」

 少佐が冷めた目をした。

「アメリカ政府はどんな手段を使ってでも、貴方を取り戻そうとするでしょうね。」


風の刃 20

  シオドアはそれから1週間大学で真面目に講師業に勤しんだ。オクタカスで採取した人間のサンプルは高温と多湿で駄目になっていたが、植物標本は無事だったのでそれを使って学生達に都市部で見られる同種の物とのDNA比較をやらせた。考古学関係の人々からの接触はなかった。オクタカス遺跡の発掘を行なっていたフランス隊はグラダ大学に出土品を預け、フランスへ一時帰国してしまった。負傷者を出したので、本国の大学やスポンサーに説明しなければならないのだろう。
 リオッタ教授からも連絡がなかった。一度セルバ国立民族博物館の近くで彼を見かけたが、声をかける前に教授は博物館に入ってしまった。
 講義がひと段落ついた日、シオドアは文化・教育省を訪問した。シュライプマイヤーがついて来たが、入り口の女性兵士は拳銃を持っているボディガードの入庁を拒否した。

「1階のカフェで待っていてくれ。役所の中に暴漢がいるとは思えないから。」

 シオドアはボディガードを宥めて、雑居ビルのお役所に入った。提出日が過ぎていたが、首都から出た外出届けを出すと受理された。いかにもセルバ的ルーズさだ、と思ったが黙っていた。必要な用事が5分で終了したので、彼は4階の文化保護担当部へ上がってみた。
 ケツァル少佐の姿は見えなかった。アスルが1人で机に向かい、パソコンのキーを叩いていた。シオドアは大学の職員証を近くの職員に提示し、カウンターの中に入った。深いグリーンのTシャツにジーンズ姿のアスルはシオドアの教え子達と変わらない若さだった。軍服を着ると大人びて見えるのにな、と思った。視線を感じて、アスルが顔を上げた。シオドアは挨拶した。

「コモ エスタ?」

 アスルは返事をしてくれたことがなかった。しかし、この日は違った。

「ビエン。」

と短く答えて、再び仕事に戻った。シオドアは A・マルティネスのプレートが載った机の椅子に座った。ロホの席だ。机の上は書類が山積みだった。首を回して横を見ると、C・ステファンの机も発掘作業が必要な程書類に埋もれていた。こ綺麗に整頓されたM・デネロスの机は小さな花を生けた花瓶が載っていた。デネロスは女性だな、と気がついた。ロホが言っていた大学生の少尉はこの机の主のことに違いない。
 少佐の机も書類が積まれていたが、空きスペースに湯気が立つコーヒーカップが載っていた。少佐はいるのだ。シオドアは思い切ってアスルに声をかけた。

「少佐はすぐ戻るのかな?」

 アスルは答えずに、キーボードを叩きながら首を傾げた。忙しいのか口を利きたくないのか、どっちだろう。その時、奥のエステベス大佐とプレートが掲げられているドアが開いた。書類バサミを抱えたケツァル少佐が出て来た。ドアを淑女らしからず足で閉めると、自分の机の前に腰を下ろし、書類を机の上に投げ出した。フーッと息を吐いて、カップを手に取った。そしてシオドアと目が合った。彼が先に声をかけた。

「コモ エスタ?」
「ビエン。」

 少佐はコーヒーを口に入れた。何用かと訊かない。そのまま書類に目を落とした。シオドアは無視されることに慣れていない。立ち上がって彼女の前に行った。

「挨拶が遅れたけど、面白い旅をプレゼントしてくれて有り難う。遺跡の発掘に立ち会ったのは初めての経験だったし、”サラの審判”もマジ迫力ある体験だった。」

 先に反応したのは、少佐ではなくアスルの方だった。キーボードから顔を上げてシオドアを見た。少し遅れて少佐が呟いた。

「間違っています。”風の刃の審判”です。」
「え? 何?」

 少佐がそれ以上言わないので、アスルが解説した。

「サラは裁判を行う場所だ。貴方が言ったものは、場所ではなく、起きたことだろう?」
「スィ。爆風みたいな現象に出くわした。」
「天井から落とした岩の欠片がどっちへ跳ぶかで、有罪無罪を決めたのだ。昔の人はそれを風が判定すると考えた。だから、”風の刃の審判”と言う。」

 ああ、そうなのか、とシオドアは素直に納得した。アスルにグラシャスと言うと、若い少尉は無言でまた仕事に戻った。
 シオドアは主人がいない机を見た。

「ロホとステファンの2人の中尉はまだ戻らないのかい?」
「後片付けがありますから。」

 やっと少佐が彼を見てくれた。

「何の御用です?」

 シオドアは躊躇った。プライベートな要求を相談に来たのだ。文化保護担当部の横には、文化・教育省の職員達が大勢いて仕事をしている。

「個人的な相談をしたい。力になってくれないか? 図々しいとは思う。だけど、君しかこの国で頼りになってくれそうな人はいないんだ。」
「をい・・・」

 とアスルが手を止めて声をかけて来た。シオドアの図々しさに明らかに気分を害したのだ。椅子から腰を浮かしかけたのは、シオドアをカウンターの外に叩き出そうと思ったからに違いない。しかし、ケツァル少佐が暢んびりと言ったので、腰を下ろした。

「個人的なお話はオフの時間にお聞きします。今夜は空いていますか?」

 またデートだ! シオドアは相談内容は別として、このお誘いに心が弾んだ。

「空いている。何時に何処で?」
「1800にこの下で。」

 彼女は部下に顔を向けた。

「アスル、貴方も空いていますか?」
「スィ。」
「では、私のアパートで一緒に食べましょう。」

 デートだと思っただろ? そうは問屋が卸さないぞ、と言いたげなアスルの目に、シオドアは内心チェっと舌打ちしていた。



2021/06/24

風の刃 19

 火曜日、シオドアはボディガードのシュライプマイヤーとリオッタ教授と共にオクタカスを出発し、来た道を逆に辿ってグラダ・シティに帰った。到着した時は夕方で、大学は既に閉まっていた。彼は教授と別れ、ボディガードを連れてアパートに帰った。もう1人のボディガードは1人でお気楽な週末を過ごしたらしい。シオドアは散らかった室内を見回し、家政婦が来るのは何曜日だったかな?と考えた。結局リビングと己の寝室だけは片付けることにした。
 前日から片付けばかりしているな、と思いつつ、 彼は床に掃除機をかけた。シュライプマイヤーは早めに休ませ、夕食は冷凍食品を温めて済ませた。シャワーを浴びて、寝室に入ると、ベッドに寝転び、直ぐに眠りに落ちた。
 翌朝、シオドアは朝食を取ると直ぐに大学へ出かけた。研究室の遺伝子分析装置の中に入れておいた紙ナプキンの破片を取り出し、分析結果を見た。画面は真っ白だった。装置が壊れたのかと慌てた。スイッチを入れ直してみたり、己の髪の毛を置いてみたりした。装置は正常に動いた。ケツァル少佐が使った紙ナプキンの分析だけが失敗していたのだ。
 それならば、と彼はオクタカスで採取した物を出した。作業員達のタバコの吸い殻や、鼻をかんだ紙屑やらだ。平均的なセルバ人のDNAがわかるだろうと期待したが、これも分析出来なかった。気温と湿度でDNAが破壊されていた。冷蔵庫を使えなかったのが敗因だ。
 セルバ共和国は意地悪だ。
 彼はそう感じて、自嘲した。俺はこの国に何をしに来たのだ? 鉱山労働者のDNAを採取すると言う目的は、母国から出る口実に過ぎない。俺はこの国に住むための手段を探しに来ているのじゃないのか?
 シオドアは電話を出した。迷ってから、エル・ティティ警察署にかけた。聞き覚えのある声が聞こえた。若い巡査だ。シオドアが退院して署長の家に引き取られた時、毎日やって来て、リハビリの散歩に付き合ってくれた。

「ヤァ、ホアン!」

 名前を呼ぶと、向こうは、何方? と尋ねた。

「テオドール・アルストと言います。以前は、ミカエル・アンゲルスと呼ばれていました。」

 全部言う前に、ホアンが叫んだ。

ーーミカエル?! 君か? 元気だったか?
「スィ、元気です。君も元気そうですね。」
ーー署の連中は皆んな元気さ。会計士も元気だよ。
「署長は・・・」
ーー代わるから、待って!

 シオドアは胸がドキドキして倒れそうな気分になった。この国に住む権利を獲得してから電話しようと思っていたが、もう我慢の限界だった。
 電話の向こうから太い声が聞こえてきた。

ーーゴンザレスだ。
「親父さん・・・」

 精一杯勇気を振り絞って声を出した。ゴンザレスが一瞬息を呑んだ気配がした。

ーーミカエル?
「スィ、本当の名前はテオドール・アルストって言います。」
ーーテオドール・アルスト・・・
「テオでいいです。子供の時からそう呼ばれていたみたいだから・・・。」
ーー家族が見つかったのか・・・
「家族なんていませんでした。」

 ゴンザレスが沈黙した。シオドアは本当のことはまだ言えないと気がついた。己は今厄介な立場にいる。エル・ティティの人々を巻き込んではいけない。

「今は詳しいことを言えません。だけど、必ずエル・ティティに帰ります。」
ーー今、何処にいるんだ?
「グラダ・シティです。国籍はUSAです。1年間の契約で、グラダ大学で働いていますが、北米での問題を片付けたら、必ずセルバ共和国に戻って来ます。だから、もう少し待っていて下さい。恩返しさせて下さい。」

 ゴンザレスが深い息を吐き出す音が聞こえた。

ーー俺はお前が元気でいてくれたら良いんだ。
「北米に俺を待っている人なんていなかったんです。俺はエル・ティティが故郷だと思っています。」
ーーテオって言うんだな?
「スィ。テオです。」
ーー待っている。いつでも気軽に帰って来い、テオ。

 通話が切れた。シオドアは携帯電話を抱きしめた。どうすれば、研究所と縁が切れる? どうすればこの国の市民権を取れる? 

風の刃 18

  どんな裁判の仕組みなのか、と興味を抱くリオッタ教授をウザイと感じたのだろう、一緒に乗っていた兵士の1人が説明した。

「洞窟の奥に丸い部屋があって、そこに罪人を立たせる。天井から石を落として、罪人が無事なら無罪、死んだり怪我をしたら有罪。簡単な裁判だ。」
「そんな裁判の方法があるのか? 初耳だ。」

 興奮しかけるリオッタ教授に、兵士が面倒臭そうに言った。

「言い伝えだ。そんなやり方で実際に裁判をした話を聞いたことがない。」
「だが、遺跡があったんだな?」
「裁きの部屋、サラが崩れた状態の遺跡ならいっぱいある。」
「オクタカスは完璧な状態で残っていた稀有な場所だった訳だ!」

 教授がトラックの荷台から名残惜しそうに遠ざかる遺跡を眺めた。
 ベースキャンプに到着すると、先に戻った作業員達が昼からの仕事に出かけようとしていた。昼食を済ませたステファン中尉とロホも再び出ようとしていた。シュライプマイヤーが先手を打って、シオドアより先に2人に声をかけた。

「ハースト博士は午後は出かけずにキャンプに残る。」

 シオドアが文句を言う前に、ロホが片手を挙げて了承を伝えた。ステファン中尉はシオドアを警護するのも仕事だ。彼はボディガードをジロリと見て命令口調で言った。

「ドクトルが勝手に出かけないよう、しっかり見張っててくれ。」
「わかっている。」

 シュライプマイヤーは怒鳴った。シオドアは彼が口の中で「若造めが」と呟くのを聞いた。
 集合棟で食事をしている間、リオッタ教授はタブレットに何かをせっせと書き込んでいた。きっとサラの言い伝えを記録しているのだ。食事を終えると、作業員達のテーブルに行って、遺跡の情報を聞き込み出した。
 シュライプマイヤーが「考古学馬鹿だ」と評した。専門家だから仕方がないさ、とシオドアは軽く受け流した。夕方迄することがなかったので、出土品の荷造りを手伝った。そのうちに撤収作業が終わったらしく、フランス人達が戻って来だした。シオドアはリオッタ教授が彼等にサラの情報を分けるのかと思ったが、意外にもイタリア人はフランス隊には話しかけなかった。自分の発見にしたいのだ、とシオドアは気がついた。現地採用の作業員達から話を聞いて回ったリオッタ教授は、最終のグループが戻って来てベースキャンプがごった返している頃に、やっとシオドア達の元へ戻って来た。

「ちょっと耳寄りな話を聞きました。」

 貴方だから言います、と彼はシオドアに英語で囁いた。

「村から働きに来ている男達の中で年寄りが1人いるんですが、彼はボラーチョ村へ幼い頃に行ったことがあるそうです。」
「実際にあったんですね、その村は。」
「イエス。普通の農村だったそうですが、人付き合いの悪い村だったと。でもその村から何人かは出稼ぎに出ていたそうで、今でも子孫が国内の何処かにいるんじゃないかって。」
「雲を掴むような話です。」
「その出稼ぎに出た人に、話を聞けたら良いんですがね。」


風の刃 17

  岩山から下りると、ステファン中尉が警護隊の小隊長を呼んだ。小隊長はメスティーソだが、先住民の血が優っている顔付きだった。中尉に「古代のサラを知っているな?」と訊かれ、スィと答えた。中尉が岩山を指した。

「あの山の下がサラになっている。」

 小隊長が岩山を見た。そして洞窟の方を覗き込む様に首を伸ばした。

「昨日の事故は、サラでの”審判”でしたか。」

 セルバ人には古代の裁判の話は珍しくないようだ。小隊長に驚いた気配はなかった。視線を中尉とロホに向けた。

「すると、天井が崩落したのでありますね?」
「スィ。古いし、木の根が張っているから岩が脆くなっている。雨季が来たら一気に崩れる恐れがある。」

 シオドアは中尉が天井の補強を小隊に命じるのかと思ったが、そうではなかった。ステファン中尉は、考古学者が近くにいないことをサッと目で確認してから、小隊長に命じた。

「調査隊がベースキャンプから出たら、直ぐに岩山の上を爆破しろ。ダイナマイトの2、3本で足りるだろう。仕掛けたら、山の反対側へ降りろ。こちら側は危険だからな。」

 小隊長が頭の中でシミュレーションを行った様だ。少し間を置いてから、彼は言った。

「内側へ崩れる様に、ダイナマイトを仕掛けます。」
「任せる。行ってよろしい。」

 小隊長は敬礼して、仲間の方へ戻って行った。
 シオドアは遺跡の入り口付近で発掘装備を片付けている調査隊や作業員を見た。

「彼等が苦労して発掘した物を、爆破するのか?」
「この遺跡を爆破するのではありません。さっき見たサラだけを壊すのです。」
「まだ調査していないだろう? あれだって、君達が守る遺跡の筈だ。」

 するとロホがステファン中尉に助け舟を出した。

「崩すのは屋根だけで、壁は残ります。発掘はこれから先数年かかるのですから、崩れた岩石を取り除いて壁を調査すれば良いのです。」
「しかし、屋根だって遺跡だろう?」
「爆破しなくても、雨季が来たら崩れます。数百年使われなかったサラの屋根は脆くなっている上に、真ん中が開いてしまったので、
雨に耐えられません。」
「崩れない可能性もあるだろう? わざわざ急いで壊さなくても・・・」

 ステファン中尉が笑った。

「天井の穴から洞窟内に雨が降り込んだら、何が起きると思います、ドクトル?」
「何が起きるって・・・」

 洞窟内の風景を思い出してみた。コウモリ、コウモリの排泄物、埃、岩石・・・ステファン中尉が吐き捨てる様に答えを言った。

「コウモリの糞の土石流です。」

 洞窟に入っていないシュライプマイヤーが、「ゲッ」と呟いた。ロホが遺跡をライフルの先端でぐるりと指した。

「折角調査隊が掘り出した遺物が、次に戻って来た時にはコウモリの糞で埋もれてしまっているってことになりかねません。」

 彼等は歩き出した。シエスタの為にベースキャンプに帰るトラックが待っていた。フランス人達は片付けの時間が惜しいのか、なかなか乗らないので、運転手が苛立っている。シオドア達もフランス人を待つことになった。ステファン中尉とロホは中尉のジープでさっさとベースキャンプへ昼食を取りに行ってしまった。ジープには中尉のキャンプ道具が積まれているので、2人しか乗れなかった。
 トラックにもたれかかって、シュライプマイヤーが珍しく世間話を仕掛けてきた。

「博士は、さっきのセルバ人達と親しいのですか?」
「親しいと言えるほどじゃない。ロホは、俺が記憶を失って2ヶ月ほどしてから知り合った。だが友達じゃない。ステファンはここへ来て初めて会った。」
「しかし、貴方は彼等の扱いをわかっている様に見えます。」
「わかっているんじゃない、わかろうとしているんだ。彼等の上官のケツァル少佐を含めて、なんだか不思議な印象を与える人々だから。」

 すると、シュライプマイヤーが呟いた。

「私は、彼等のそばにいると落ち着かないんです。」
「どんな風に?」
「私はアフガンで戦闘を体験して来ました。敵を殺したこともあります。嫌な経験ですが、味方と私自身を守るために必要なことでした。」
「うん、わかるよ。」
「戦場ではいつも緊張の連続です。だが、仲間と一緒にいる安心感もありました。しかし、あのセルバ人達は違う。」
「敵か?」

 ボディガードは言葉を探した、困った表情で顔を顰めた。

「敵に対する感覚ではないです。なんと言うか・・・彼等とは通じ合えないものがある様な・・・」
「文化の違いだろう?」
「それなら、こんな不安は感じません。博士、貴方は虎が隣にいたら安心して昼寝が出来ますか?」

 奇妙な質問だ、とシオドアが思った時、リオッタ教授がやって来た。警護の兵士も一緒だ。教授が待たせたことを詫びた。やっと昼食にありつける。彼等はトラックの荷台に乗り込んだ。
 トラックが走り出して間もなく、リオッタ教授が朝のお喋りの続きを始めた。

「消えた村の名前を思い出しました。ボラーチョ村です。」

 シオドアはシュライプマイヤーに単語の意味を教えてやった。

「”酔っ払い村”だってさ。」

 リオッタ教授が頷いた。

「なんでも、村人達は昼間っから酔っ払って寝てばかりいたそうです。で、こっちの村の住民とは農作物の取引程度の付き合いで、外の世界との接触はほとんどなかったそうです。」
「それは、村の名前が”酔っ払い”だから、住民は酔っ払っていたのかい? それとも、住民が酔っ払っていることが多かったから、他の村からそう呼ばれていたのかな?」
「そこまでは、私も聞いていませんがね。だけど、ある日、隣村の人が頼まれていた買い物を運んで行ったら、ボラーチョ村は無人になっていた。次の日に行っても、やっぱり誰もいない。それで軍に通報したそうですが、軍は取り合わなかったと言ってました。」

 リオッタ教授は消えた村に関心を抱いた様子だ。

「ボラーチョ村の人が、あのオクタカス遺跡の伝説とか何か知っていたんじゃないかなぁ。何処かに子孫がいれば、話を聞いてみたいものだ。」

 するとシュライプマイヤーが彼に話しかけた。

「洞窟が古代の裁判所だって話を聞きましたか、教授?」
「え?」

 リオッタ教授がこっちを見たので、シオドアは内心舌打ちした。大統領警護隊も警護小隊も、遺跡に関する情報を持ちながら発掘調査隊には教えていないのだ。教えたくないのだ。天井をこれから爆破するから。
 シュライプマイヤーは流石に爆破計画までは言わなかったが、洞窟に古代の裁判所が設けられていた様だ、と考古学教授に伝えた。リオッタ教授は当然ながら強い興味を示した。

「誰からその話を聞いたんです?」

 シュライプマイヤーは、きっと大統領警護隊が嫌いなのだろう。あっさり情報を流した。

「あの、虎みたいな顔の中尉からです。」

 シオドアは慌ててフォローと言うより弁解した。

「セルバ人なら普通に知っている古代の仕組みの様だよ。」





2021/06/23

風の刃 16

  洞窟を出たシオドア、ロホ、ステファン中尉は、シュライプマイヤーも加えて遺跡の背後に聳え立つ岩山へ登った。ステファン中尉がキャンプしていたメサより高く、車で上がれなかったが、ステファン中尉がまるで土地勘があるかの様に樹木の中に道筋を見つけて登って行くので、その後ろを忠実に辿った。太陽が樹木に隠れている間は暑さをあまり感じなかった。蒸し暑いが、虫は寄ってこなかったし、ヒルや蛇にも襲われなかった。尾根の上に出た時は昼になっていた。
 ロホが最後尾でシュライプマイヤーの背中を押す感じで歩いていた。静かなので、時々ボディガードは後ろを振り返り、先住民の中尉がちゃんとついて来ていることを何度か確認した。
 岩山の上は低木がまばらに生えているだけだった。ステファン中尉が脚を止め、シオドアに手で止まれと合図した。だからシオドアも後ろの2人に止まれと合図を送った。地表が平らになっている場所が目の前にあった。円形だ。そして中央に穴があった。
 ステファン中尉が用心深く足を前へ踏み出した。あの石組の天井の上だ。そっと歩いて行く彼を見て、洞窟の中に入っていないシュライプマイヤーが不思議に思ったのだろう、シオドアに中尉は何をしているのかと尋ねた。

「古代の裁判の仕組みを確認しているんだよ。」

 ステファン中尉が開口部の縁から下を覗き込んだ。セルバ人にあまり良い印象を持っていないシュライプマイヤーが英語で呟いた。

「少なくとも、彼は高所恐怖症ではない訳だ。」

 中尉が戻って来た。シオドアとロホに向かって言った。

「このサラが使われなくなって、誰かが穴を塞いだ筈だ。それが何時頃のことかわからないが、昨日、蓋の部分が落ちた。高度があるから、落ちた時の衝撃で砕けた岩が飛び散り、偶然来合わせた調査隊に被害が出た。」
「偶然の不幸か。」

とシオドアは言ったが、内心は納得出来なかった。岩が落ちただけで、あんな爆風みたいな衝撃波が生じるだろうか。爆弾でも仕掛けられていたのではないか。遺跡を神聖視する過激派が発掘に反対してテロを行ったとか。それとも反政府ゲリラが共和国の威信を貶める為に仕掛けたとか。大統領警護隊なら、それぐらいのことは想像出来るだろうに。
 ロホが崖っぷちに立って遺跡を見下ろした。何か考え込んでいた。シュライプマイヤーは早く下りたいのだろう、山の周辺を見渡した。英語で呟いた。

「こうやって見ると、本当に何もないジャングルだなぁ。イタリア人が言っていた消えた村って言うのは、何処にあったんですかね、博士?」

 ステファン中尉が、そしてロホが、初めて彼をまともに見た。

「消えた村?」

 ステファン中尉がシュライプマイヤーに近づいて来た。英語で彼は話しかけた。

「今、消えた村と言ったか?」

 シュライプマイヤーは、この時改めて2人の大統領警護隊の隊員が英語を解することを知った。聞かれてマズイことを言った訳ではない。だが、彼は不意打ちをくらった気分でちょっと狼狽えた。

「今朝、トラックの上で、イタリア人の学者が村人から聞いた話を喋ったんだ。この近くで40年か50年かそこらへんの昔の話だと・・・村人全員が消えてしまった村があったそうだ。 S Fだろう?」

 シオドアは、また2人の中尉が目と目を合わせるのを目撃した。ふと疑念が湧いた。
 こいつら、目を合わせるだけで会話出来るんじゃないか?

「S Fだな。」

とステファン中尉が言った。ロホも頷いた。

「『Xーファイル』でも見たのでしょう。」

そして大きく腕を振って撤退の合図をした。

「下へ降りましょう。昼食の時間です。」

風の刃 15

  洞窟内は前日同様臭かった。3人はスカーフで顔の下半分を覆っていた。携行ライトで照らされた床はコウモリの糞に混ざってコウモリの死骸が散乱していた。小石も飛び散っている。ステファン中尉が先頭を歩いていたが、やがて足を止めた。

「昨日はここで”あれ”に遭った。」

 シオドアはもっと奥に入った所だと思ったが、振り返ると明るい入り口が案外近くに見えた。前日は初めて入洞したし、考古学者達が先に歩いていた。彼等は壁のレリーフや壁画を探していたので、歩みが遅かったのだ。それを思い出していたら、前の日に疑問に思ったことも思い出した。

「ステファン中尉、君はここで俺の肩を掴んで止めたよね。あれはどうして?」

 ステファン中尉が彼を振り返った。

「洞窟の奥で音がしたからです。」
「音?」
「スィ。物が崩れる音です。」

 どんな?と重ねて尋ねようとしたが、中尉は直ぐに歩き出した。
 足元に落ちている石が大きくなってきた。マーベリック達考古学博士達は、この石にまともにぶつかったのだ。拳大の石に躓きそうになったシオドアは、これが頭に当たっていたらと想像し、ゾッとした。
 頭上でコウモリが騒ぎ出した。昼間だと言うのに飛び回り出したのだ。外へ出て行く群れもいた。ロホが暢んびりと言った。

「コウモリを脅かすなよ、カルロ。」

 カルロ? ああ、C・ステファンのネームプレートのCか、とシオドアはぼんやりと思った。ステファン中尉がチェっと舌打ちするのが聞こえた。彼は歩きながら、負傷した学者達がどの位置にいたか説明した。ライトを持たずに入ったのに、どうして誰がどの位置にいたのかわかるのだろう、とシオドアは不思議で堪らなかった。それに今歩いている時も、ステファン中尉もロホも足元ではなく壁や天井に光を当てていた。
 先頭のマーベリック博士が災難に遭った場所から5分ほど進んで、ステファン中尉が立ち止まった。

「サラだ。」

 シオドアは彼の横に立った。不思議な光景が目の前に遭った。かなり高い天井の真ん中から光が差し込んでいた。一条の光は少し斜めに床に当たり、そこに積もったコウモリの排泄物や死骸や石やゴミを照らしていた。シオドアはライトの光をぼんやりと明るい空間の壁に沿って移動させた。直径50メートル近い完全な円形の空間だ。壁は手掘りではなく、石が綺麗に組まれている。祭壇や棚の類は一切なく、シオドア達が立っている洞窟だけが通路になっている。シオドアは天井を見上げた。高さが30メートルもある。だが天井は天然の岩の様だ。岩を組み合わせている。その中央に、これもほぼ正円の小さな開口部があり、そこから光が差し込んでいるのだ。穴の真下の床に窪みが開いて、その周囲は岩石とコウモリの死骸と土砂と樹木が積み重なって円形の山になっていた。土や植物の状態を見ると、ごく最近落ちたと思われた。

「この部分の天井が落ちて、その衝撃波が昨日の爆風ってことか?」

 シオドアが咄嗟に頭に浮かんだことを口に出すと、ステファン中尉が振り向き彼を見て、それからロホを見た。目と目を合わせる。数秒後、ロホが答えた。

「恐らく、そう言うことでしょう。」

 なんだ、さっきの間は? ロホが空間の中央に開いたクレーター状の窪みのそばへ歩いて行った。静かに歩いたが、埃が舞い上がった。恐らく何十年、何百年とコウモリの棲家となり、排泄物が堆積しているのだ。シオドアが後に続こうとすると、ステファン中尉に留められた。

「埃を吸い込むと、後で碌なことになりません。目にも入ります。」
「わかった。忠告有り難う。ところで、ここはどんな用途があった場所だろう? さっき君は”サラ”と言ったけど?」
「英語で言えば、法廷です。」
「古代の裁判所?」

 ロホがクレーターの周囲をゆっくりと回り始めるのを見ながら、ステファン中尉が解説してくれた。

「罪に問われた人間を、あの天井の開口部の下に立たせます。正確には真下ではなく、今ロホが歩いている様に少し外側になります。開口部の外に神官がいて、穴から物を落とし、下に立たせた人間が無事ならば無罪、怪我をしたり死んだりすれば有罪としたのです。」
「無茶苦茶だなぁ。」

 シオドアは現代人の感覚でそう評した。

「これは、”ヴェルデ・シエロ”の審判なのかい?」

 何気なく、そう言った。セルバ共和国 →  古代人 →  ”翼ある頭”  →  ”空の緑” と言う図式が彼の頭の中に出来上がっていた。ところが、大統領警護隊の2人の中尉が意外な反応をした。ロホが振り向き、シオドアを見てステファン中尉を見た。直ぐに彼等は口々にシオドアの言葉を否定しにかかったのだ。

「違います、ここは”ヴェルデ・ティエラ”の遺跡です。」
「オクタカスは遺跡としては新しいのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は太古に絶滅しました。」
「この遺跡は”ヴェルデ・シエロ”とは無関係です。」
「太古の人々がこんな方法で裁判をする筈がありません。」
「地下を血で汚すなど、もってのほかです!」

 シオドアは2人を見比べた。高い天井から差し込む僅かな光の中で、2人の中尉の目がキラキラと輝いていた。ロホの目は金色に、ステファン中尉の目は緑色に。
 シオドアは両手を上げて、降参、と言った。

「わかった、俺は考古学には全く無知だと認める。北米の俺が育った場所の近くに、中南米の遺跡から出土した物を集めている小さな博物館があるんだ。そこのセルバ共和国のコーナーにある説明板の内容しか、俺には知識がないんだ。」
「その説明に、”ヴェルデ・シエロ”の記述があるのですか?」

とロホが用心深く尋ねた。スィ、とシオドアは答えた。

「現代のセルバ人は”ヴェルデ・ティエラ”族とその血を引く人々で、今も”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる古代の神様を信仰していると書かれていた。その神様は頭に翼がある姿や、半人半獣の姿で壁画や彫刻に残されているって。」

 ステファン中尉が肩をすくめた。ロホが穏やかな口調で言った。

「我が国はカトリックです。古代からの土着信仰が生活の中に残っていることは否定しませんが、発掘調査が行われる遺跡のほぼ99パーセントは現代のセルバ人の祖先のものです。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡が出たら、セルバ中の考古学者が殺到しますよ。」

 発掘調査が行われていない遺跡はどうなんだい? とシオドアは心の中で尋ねたが、声には出さなかった。


風の刃 14

 オクタカス遺跡へ向かうトラックは5台、シオドアは先頭車両の荷台にリオッタ教授、シュライプマイヤーと陸軍兵士2名と共に乗った。教授は調査隊撤収の手伝いに行くのだ。兵士の1人はシオドアと顔馴染みになった男だが、この日は大人しかった。ロホが同じトラックの助手席にいて、周辺の景色を眺めていた。

「昨日、 救護の手伝いに来た村の人から、面白い話を聞きましたよ。」

といきなりリオッタ教授が喋り始めた。

「ベースキャンプと遺跡を挟んだ反対側のジャングルの中に、昔小さな村があったそうです。村の名前は・・・ええっと教えてくれたんですが、思い出せないな。兎に角、その村がね、今から50年近く前に、ある日忽然と消えてしまったそうです。」

 シオドアはそんな話を子供の時に聞いた様な気がした。兵士達が興味深そうに見たので、教授は気を良くした。

「47人、年寄りも子供も含めていつの間にかいなくなってしまって・・・」
「どこかに引っ越したんだろ?」

とシュライプマイヤー。教授は手を振って否定した。

「食事の支度や家事を途中で放り出して引っ越しですか? 有り得ない!」
「オエル・ベルディだ!」

 不意にシオドアと顔見知りの兵士が声を上げた。

「昔、ブラジルであった事件でしょ?」

 シオドアも頷いた。

「うん、俺も子供の時に本で読んだ。村人が大勢消えてしまったんだ。」
「S Fですか?」

とシュライプマイヤー。リオッタ教授は首を振った。

「そうじゃない、この遺跡の向こうに実際にあった村だ。」

 そして彼が村の名前を思い出した時、遺跡の入り口に到着した。シオドアは教授が「ボラーチョ」と呟くのを聞いたが、気に留めずにトラックから降りた。
 遺跡の入り口にステファン中尉がジープを駐めて待っていた。メサのキャンプを撤収したらしく、ジープの後部席は荷物でいっぱいだった。発掘調査が中止になったので、彼も帰るのだろう。トラックの助手席から出たロホが彼に近づいて行った。シオドアは2人の大統領警護隊文化保護担当部の中尉が互いに敬礼を交わし合い、それから皆んなに背中を向けるのを見ていた。何か話し合っていたが、そのうちロホが片腕をステファン中尉の背中に回し、自分の体に引き寄せた。内緒話をしているのか、それとも事故に遭って任務遂行が上手く果たせなかった同僚を励ましているのか。

「あの2人は仲が良いのですね。」

とシオドアはそばに来たリオッタ教授に話しかけた。教授が笑った。

「文化保護担当部の将校達は家族みたいに仲良しです。結束が固い。だから1人を怒らせると、全員を敵にする覚悟でいなければいけません。まぁ、一番とっつきやすいのが、マルティネス中尉ですがね。」

 ロホとステファンの両中尉が離れ、今度は並んで調査隊のメンバーの所にやって来た。ロホがマーベリック博士の代理リーダーとなったフランス人学者に言った。

「撤収の作業を始めてもらって結構です。出来れば今日の夕方迄にここを封鎖したい。ステファンと私は事故が起きた洞窟を調べます。ライトを貸してもらえますか。」

 本当はライトなんて必要ないんじゃないか、とシオドアは内心思った。ロホは暗がりで本を読めるし、ステファン中尉も前日はライトなしで洞窟内を歩いていた。
 こいつら、どこか変だ。ケツァル少佐も2人の中尉もアスルも・・・。
 考古学者達が遺跡に入り出したので、シオドアはロホに声をかけた。

「俺は君達と一緒に洞窟に入りたい。出土品の整理なんて、何をして良いかわからないし、昨日何が起きたのか確かめてみたいんだ。」

 ロホがステファンを振り返った。2人が目と目を見合わせた。数秒後にロホはシオドアに向き直り、O Kと言った。

「ライトをもう一つ借りましょう。そちらの人は・・・」

 シュライプマイヤーを見たので、シオドアはボディガードが何か言う前に素早く予防線を張った。

「ケビンは洞窟の入り口で待機だ。また何か起きたら、すぐに小隊長に知らせてくれ。」




風の刃 13

  月曜日の朝、シオドアは上空から聞こえて来るヘリコプターの爆音で目が覚めた。宿舎となっている小屋には彼とリオッタ教授、フランス人が2名寝ていたが、全員が騒音で起きてしまった。シオドアは小屋の外に出た。ベースキャンプの端の広場に大型の軍用輸送ヘリが降下して来るところだった。土埃が舞い上がり、彼は一旦ドアを閉めた。ヘリコプターが来たと告げると、フランス人が怪我人を輸送する為に軍が寄越してくれたのだと教えてくれた。ただ、こんな早朝に飛んで来るとは予想していなかったと彼等は呆れていた。シオドアは時間観念が適当なセルバ人らしいと思ったのだが。
 音が止んだのでまた外に出てみると、既にヘリの飛来を知って小隊長が数名の部下と共に軍キャンプから来ていた。ヘリから数人の兵士が降りて、小隊長と打ち合わせを始めた。シオドアが眺めてると、横に立ったリオッタ教授が愉快そうに言った。

「珍しいものが見られたね。あれはセルバ空軍だよ。ヘリとオンボロの戦闘機しか持っていないから滅多に飛ばない、とセルバ人の間でも揶揄われている軍隊だ。」

 水色の軍服の空軍兵と一緒に1人のカーキ色の軍服姿の男が降りて来て、こちらへ歩き出した。シオドアは彼が己の知っている顔だったので、驚いた。思わず駆け寄った。

「ロホ中尉! わざわざここへ来てくれたのか?」
「ブエノス・ディアス、ドクトル・アルスト。」
「テオでいいよ。」
「テオ、お怪我の具合は如何です?」

 訊かれてシオドアは左手を見せた。

「飛んできた石で切ったんだ。でも縫合するほどじゃなかった。直ぐに治るよ。」

 そうだ、俺は怪我がすぐ治る体質だ。その証拠に今朝はもう傷が痛まない。

「怪我人を迎えに来たのかい?」
「それは空軍の仕事です。」

 ロホはシオドアの後ろから近づいて来たイタリア人に視線を向けた。仕事柄考古学者と知り合いなのだろう、リオッタ教授とも朝の挨拶を交わした。礼儀上リオッタ教授の怪我の具合も尋ね、教授が軽症であることを確認した。リオッタ教授が不安気に尋ねた。

「君がお出ましと言うことは、やっぱりこの遺跡は封鎖かね?」
「残念ですが、そう言うことです。事故の原因究明が済む迄は何人も立ち入りを禁じます。」

 失望した教授は肩を落とし、調査隊に情報を伝えに集合棟へ歩いて行った。
 シオドアはロホにグラダ・シティを何時出発したのか尋ねた。するとロホが前日の昼過ぎだと答えたので、驚いた。その時刻、まだ調査隊は遺跡にいて大混乱だったのだ。

「俺の記憶では、フランス調査隊の重傷者がベースキャンプに戻ったのは早くても午後2時頃だった。陸軍が連絡したのかい?」
「ノ。」

 ロホはちょっと困った表情で顔を背けた。

「私が出かけた時は、誰も何が起きたのかわかりませんでした。ただ・・・彼女が私にオクタカスへ大至急行けと命じたので・・・」
「少佐が?」
「デランテロ・オクタカスの飛行場でやっと何が起きたのかわかりました。警護の小隊と連絡が繋がったので事故を知り、その後、少佐とステファンと交互に連絡を取り合って詳細が判明しました。空軍のヘリを手配して、今朝夜明け前に出発したのです。」

 よくわかった様で実は何か重要なことが抜けている説明だ、とシオドアは感じた。

「空軍は負傷者を運ぶ為に来たのだよね?」
「スィ。」
「君は、遺跡の封鎖に来た?」
「スィ。」
「少佐が君にここへ行けと命じた時は、事故の詳細は誰も知らなかった・・・?」

 ロホが困ったと言う顔でシオドアを見返した時、調査隊の人々が宿舎から出て来た。重傷者を担架でヘリへ運ぶ作業が始まり、マーベリック博士はロホから遺跡から撤収するよう言われて大いに嘆いて見せた。だが彼も石で全身を打身だらけにしていたので、これからヘリで運ばれる身だった。フランスの学者達と小一時間話し合い、結局撤収を承諾する書類に署名をした。その間にシオドアはリオッタ教授と共に朝食を取った。

「マルティネス中尉は良い人でしょう。」

と教授が言った時、誰のことかと彼はキョトンとした。その表情が意外だったと見えて、今度はリオッタの方がびっくりした。

「彼の名前を知らなかったのですか?」
「彼って、ロホですか?」
「スィ。ロホは渾名です。彼が率いるサッカーチームのユニフォームが赤いので、考古学者達がそう呼んでいるんです。本名はマルティネスです。アルフォンソ・マルティネス中尉です。」
「あー・・・それじゃ、アスルは・・・」
「キナ・クワコ少尉です。彼のチームは青いユニフォームなんです。」

 純粋な先住民の顔をしたロホが、アルフォンソ・マルティネス? めっちゃ白人の名前じゃん! とシオドアは驚いた。それにサッカーをやるのか。あの無愛想なアスルもサッカーをするのだ。当たり前だよな、ここは中米だ。野球やアメフトをするより遥かに自然だ。
 リオッタ教授が悔し気に呟いた。

「彼は良い人なんですけどねぇ・・・遺跡封鎖は参ったなぁ・・・」

 ロホが集合棟に入って来た。無料の不味いコーヒーを自分で淹れて飲みながらシオドアのテーブルに近づいて来た。シオドアは故意に彼の本名を使ってみた。

「封鎖の手続きは終わったのかい? マルティネス中尉。」

 ロホは彼が自分の本名を知ったことを気にせずに、スィ と答えた。

「これからステファンと合流して発掘現場の片付けの監視と、事故現場の検証を行います。同行されますか?」
 
 思いがけないお誘いにシオドアは躊躇なく頷いた。今日はまだ月曜日だ。丸一日ベースキャンプで過ごすのは嫌だった。
 


2021/06/22

風の刃 12

 結局シオドアとステファン中尉がベースキャンプに戻ったのはお昼をかなり過ぎた辺りだった。遺跡の片付けを中尉が見張らなければならず、シオドアも負傷の程度の重い者から順番に運ばれたので最後のグループになった。リオッタ教授と水筒の水で傷を洗い合った。

「折角ここ迄来たのに、早々と中止ですか。」

 リオッタは残念そうだった。大統領警護隊文化保護担当部は事故の詳細と原因を明らかにする迄は発掘調査再開を許可しないだろう。セルバ流の時間の使い方を考えれば、雨季が来る前に許可が出ると思えなかった。

「それにしても、あの洞窟は奇妙でしたね。」

 考古学者は事故より遺跡を気にしていた。

「人の手を加えてあるのは入り口だけで、中は天然の洞窟に見える。しかし、あんな真っ直ぐな天然洞窟はあり得ない。何らかの理由で手掘りのままの形にしてあるんですよ、きっと。」

 やっとトラックの順番が回ってきた。シオドアがキャンプに戻るので、ステファン中尉も同行する。彼は現場にまだ残る陸軍小隊長に、夕方には調査隊の残りをキャンプに連れ帰ること、作業が途中でも必ず引き揚げさせることを命じた。
 トラックの上では全員無口だった。流石に疲れが出た。傷は痛むし、全身コウモリの排泄物の臭いを放っているし、空腹だった。
 ベースキャンプに到着すると、直ぐにシュライプマイヤーがすっ飛んで来た。護衛すべき人が負傷して戻ったのだから当たり前だ。彼はシオドアを守りきれなかったとステファン中尉を責めたが、中尉は知らん顔をして衛星電話を借りに行った。定時報告の時間は2時間も前に過ぎていた。しかしベースキャンプの衛星電話はフランス人が使いっぱなしだった。本国やグラダ・シティのフランス大使館や病院にかけまくっていた。それで中尉は軍のキャンプへ出かけて行った。
 シオドアは冷たい水のシャワーで全身を洗った。セルバ共和国の「七不思議」の一つに、「どの村にも必ず涸れない井戸がある」と言うものがある。水量の多い少ないはあっても、どんな旱魃でも最低限の飲料水を確保出来る井戸がどの町や村にもあるのだ。オクタカス遺跡発掘調査隊のベースキャンプにも、調査隊が来る前に軍が掘った井戸があった。

「セルバ人は井戸掘りの名人だ。」

 怪我が軽くて済んだフランス人がシオドアの為に水を汲んでくれながら、そう教えてくれた。

「連中は水脈を探し当てるのが上手いんだ。アフリカや中央アジアの乾燥地帯にセルバ人を連れて行けば国際貢献になると思うがねぇ。」

 体が綺麗になると、新しい服を着て、傷の手当をしてもらった。医者は軍医だった。縫合の必要はないと言って、消毒と傷薬を塗って包帯を巻いてくれた。化膿止めの内服薬をもらい、シオドアはやっと昼食にありついた。シュライプマイヤーが来て、グラダ・シティに帰りましょうと言ったが、まだ火曜日になっていないと突っぱねた。
 ステファン中尉が戻って来たのは夕方だった。軍のキャンプで水浴びでもしたのか、肌は綺麗になっていたが、軍服は汚れたままだった。彼は不機嫌で、シュライプマイヤーにシオドアをしっかり守れと言って、メサのキャンプへ1人で戻って行った。遺跡泥棒を見張る軍の当番に同乗して行ったが、夜はあの大岩の上で1人だ。

「貴方を怪我させたので、上官に叱られたのでしょう。」

とシュライプマイヤーが皮肉を言った。

風の刃 11

  洞窟の奥から真っ黒な塊が押し寄せてきた。悲鳴の様な耳障りな音と共に臭いと風が迫って来たのだ。
 本能的に身の危険を感じたシオドアは穴の出口に向かって走り出した。ステファン中尉も彼に並んで走っている。足元が覚束無く、躓きそうだ。後ろから何か恐ろしいものが迫ってくる。駄目だ、捕まる! 
 咄嗟にシオドアは隣で走る中尉に飛び付き、2人で足元の床に転がった。洞窟内に人間とも動物とも区別が出来ない悲鳴が満ちた。シオドアは中尉と並んで地面に伏せた。両手で頭を抱えたその上を、何かがゴーっと通り過ぎた。手に激痛が走った。それから埃が襲ってきた。
 長い時間伏せていたと思ったが、実際は1分もなかっただろう。先にステファン中尉が頭を上げて、背中越しに洞窟の内部を見た。

「終わった様です。」

と彼が呟いた。コウモリが騒いでいた。シオドアは体を起こした。洞窟の内部で人の呻き声が聞こえて来た。彼は声を掛けた。

「皆んな、大丈夫か?無事か?」

 マーベリックが答えた。

「大丈夫とは言えないな。石が飛んで来た様だ。他の人は?」

 彼はフランス隊のメンバーを1人ずつ呼んだ。シオドアはリオッタ教授を呼んだ。教授はコウモリの糞まみれになりながら、這い寄って来た。

「腕や脚を切った様だ。君もだろう?」

 言われて初めてシオドアは左手の甲から出血していることに気がついた。頭を庇ったので、手をやられたのだ。安否確認している間にステファン中尉が立ち上がって洞窟から駆け出して行った。シオドアの耳に彼の怒鳴り声が聞こえた。

「衛生兵! 怪我人発生だ!」

 互いに支え合って考古学者達は洞窟から出た。明るい陽光の下へ出て、初めて被害状況がわかった。衣服が切り裂かれ、顔や四肢も傷だらけだった。切創があれば打撲傷もあった。全員埃とコウモリの糞で汚れていた。フランス人が1人顔面に石を受けて出血が激しかった。警護の兵士達が手早く救護体制を取り、応急処置が施されたが、病院に連れて行った方が良さそうだ。マーベリックも元気そうに見えたが、服を脱ぐと石で打たれた傷が大きかった。

「何が起きたと思う?」

 シオドアがリオッタ教授の問いに首を傾げたところへ、ステファン中尉が小隊長と共にやって来た。中尉がマーベリックに告げた。

「多数の負傷者が発生した事故だ。発掘作業は暫く中止してもらう。」

 考古学者達の顔に失望の色が浮かび、シオドアは驚いた。彼らの情熱には恐れ入る。 小隊長が、午後洞窟の中を検めると告げた。シオドアは心配になった。

「落盤が奥で起きたんじゃないか? 数日様子を見てから入った方が良いかも知れない。」
「その心配はありません。」

と小隊長が断言した。自信満々なので、シオドアは奇異に感じた。落盤が起きたと考えていないのか? セルバ人達は、洞窟で起きたことの正体を知っているのか?
あの事故が起こった時のことを思い起こしてみた。洞窟の奥から爆風の様なものが出てくる前だ。確かにステファン中尉は俺に言った、「外に出ろ」と。更にその前。彼は俺の肩に手を置いた。あれは引き留めようとしたんじゃないのか?
 スステファン中尉を見て、シオドアは一瞬目を疑った。中尉は埃で汚れていたが、傷らしい傷は一つもなかった。並んで伏せたシオドアが手に大きな切り傷を負ったと言うのに。
 負傷者はトラックでベースキャンプへ運ばれて行った。遺跡に残った怪我の軽い者は発掘が中止と決まったので、後片付けに追われた。洞窟に入らなかった作業員達にレリーフや彫刻にシートを掛けさえ、出土品を箱詰めにする。出土場所を書いたタグを付けるので時間がかかりそうだ。
 シオドアはステファン中尉に言った。

「俺はキャンプに戻るけど、君はどうする? 俺を見張る? それとも遺跡を見張る?」

 すると、中尉は面白い返答を言った。

「汚れたので、キャンプへ行きます。」


風の刃 10

 日曜日は休みの筈だったが、雨季が近づいていると言う理由で、発掘隊は遺跡に出かけた。シオドアも同行した。キャンプにいてもすることがない。採取した植物の遺伝情報を解析しようにもコンピューターがないのだ。シュライプマイヤーに留守番を言いつけ、彼はリオッタ教授と共にフランス人達とトラックに揺られて遺跡へ向かった。マーベリックが神殿を見学してみないかと誘ってくれた。オクタカス遺跡にはピラミッドや神殿と思しき大きな建造物がなかったので、意外に思えた。

「山の斜面に洞窟があって、古代のオクタカスの住民はそこを神殿として使っていた様なんだ。セルバの古代遺跡にはそうした地下へ潜る形の祭祀跡が多い。」

 それでシオドアはメサへ上るのを中止して考古学者達と一緒に洞窟神殿に行くことにした。メサへ送ってくれる役目の兵士は、前日トラックの荷台で話しかけて来た男だった。

「調査隊が午前中に洞窟に入るそうだから、俺も同行させてもらえることになった。ステファン中尉にお昼に会おうと伝えてくれないか。」

 シオドアが伝言を頼むと、兵士は敬礼して車に乗り込み、走り去った。
 シオドアはライト付きのヘルメットを貸してもらった。考古学者達は日曜日だからと調査より下見気分だ。カメラ等の記録装備を持って、彼等は1時間後に洞窟の前に集合した。洞窟の入り口外部は階段が刻まれ、岸壁にそれらしく動物をモチーフにしたレリーフが彫られていた。穴は高さが3メートル程、幅は5メートル程だ。規模は大きくなさそうだが、洞窟はかなり奥まで伸びており、真っ暗だった。
 中へ入ろうと声をかけようとして、マーベリックが口を閉じた。彼の視線を追うと、ステファン中尉が立っていた。アサルトライフルは持っているが、銃口は下を向いていた。調査隊が一気に緊張に包まれた。マーベリックが彼に言った。

「洞窟に入るなとは言われていない。」

 中尉が素っ気なく言った。

「入るなと言いに来たのではない。」

 彼はシオドアを顎で指した。

「ドクトルから目を離すなと命令されている。」
「では・・・君も一緒にどうだね?」

 と陽気なイタリア人リオッタ教授が場の空気を和らげようと声をかけた。シオドアも入るなと言われたくなかったので、「行こうぜ!」と声をかけた。

「どうせ、昼になったら君はこの中が荒らされていないかチェックするんだろ? 一緒に入ればその手間が省けるじゃないか。」

 チェっと若い中尉は舌打ちしたが、手で進めとマーベリックに合図した。
 調査隊は洞窟の中に足を踏み入れた。
 洞窟神殿の床は、最初の10メートルばかりを石畳で造られていた。調査隊は壁や天井をライトで照らし、レリーフが岸壁に直に彫られていることを確認した。写真撮影をする学生が「手抜きだ」と呟き、調査隊の中に笑い声が起きた。
 空気が澱み出したのは、それから更に進んだ頃だ。シオドアは目に刺激が来る臭いを感じた。まさか、これも呪いの神殿じゃないだろうな、とステファン中尉を見ると、中尉も臭いと感じたのか、首に巻いていたセルバ軍支給の緑色のスカーフを鼻の上まで引き上げていた。まるで野盗だ、とシオドアは可笑しくなって、慌てて前を向いた。リオッタ教授が臭いの感想を述べたのは、それから数分後だった。

「コウモリの排泄物が堆積していそうだな。」

 先頭のマーベリックが同意した。

「どうやらコウモリの巣になっている様だ。皆んな、頭上に注意しろよ。」

 天井からキーキーと声が聞こえてきた。足元がフワッと柔らかくなったのは、コウモリの糞やゴミだ。シオドアはポケットを探り、大判のハンカチを好運なことに引っ張り出せた。ステファン中尉の真似をして顔下半分を覆った。
 洞窟は幅が狭くなり、壁の装飾がなくなった。しかし通路はまだ奥に伸びており、しかもほぼ真っ直ぐだ。天然ではなく人工の穴ではないか、とフランス人の1人が囁いた。洞窟の最深部なのか前方でコウモリの鳴き声が響いていた。
 シオドアは真っ暗な空間を見回した。天井でコウモリが蠢いている。時々羽音の様なものが聞こえるし、何かが落ちてくる。不快な空間だな、と思った。外へ出たくなって来た。多分、ここで引き返すと言っても、ステファン中尉は反対しないだろう。中尉が見張らなければならない様な古代の遺物もなさそうだ。

「ここは本当に神殿なのかな。」

とフランス人の中から声が上がった。

「そうじゃないとしたら、また調査対象が増える。この場所は何が目的で造られたのかってことだ。」

 その時、ステファン中尉がシオドアの肩を掴んだ。何? と振り返ると、中尉の目が緑色にキラリと光った。ヘルメットのライトがまともに当たった様だ。

「ご免よ、眩しかっただろ。」

 シオドアは慌てて謝った。そして初めて気がついた。ステファン中尉はヘルメットを被っていなかったし、ライトも持っていなかった。え? っと思った直後に、前方でドンッと大きな音が響いた。調査隊が足を止めた。コウモリが騒ぎ出した。空気が動いた、とシオドアが感じたと同時に、ステファン中尉が叫んだ。

「走れ! 外へ出ろ!」


風の刃 9

  ステファン中尉の言葉通り、発掘隊は1時間半後に戻ってきた。シオドアとシュライプマイヤーは中尉と一緒に陸軍のトラックの荷台に乗ってベースキャンプへ向かった。昼当番の兵士5人も一緒だったので、運転席と助手席の2人を除いた3人の兵士と合計6人、狭い荷台でガタガタ道を運ばれて行った。兵士達は普段4人だけなのに、アメリカ人が2名増えて迷惑だったことだろう。
 昨晩は暗くなっていたのでわからなかったが、ベースキャンプから最寄りの村が見えた。民家の屋根が20軒ばかり森の向こうに見えていたので、案外人間の生活範囲から近いのだと安心出来た。ジャングルの中の村は農業をしているのだろう、果樹園らしき場所が村の反対側に広がっている様だ。人の生活圏に近いのに、オクタカス遺跡は今迄手付かずだったのだ。
 キャンプの一番大きな建物が集合棟と呼ばれていて、食堂と会議室を兼ねていた。事務所もそこにあり、中に入るなりステファン中尉は事務所の衛星電話を借りて定時報告を行った。シオドアはボディガードとテーブルに着いた。兵士達は小隊のキャンプへ行ってしまったので、彼等だけだった。中尉はどっちへ行くのだろうと思いつつ、シオドアは豆の煮込んだものと硬いパンの食事をもらった。中尉はまだ早口のスペイン語で相手と喋っている。低い声なので不明瞭だが、シオドアがボディガードを連れて来たことに苦情を言っている様にも聞こえた。
 報告を終えた中尉が食事を受け取ってテーブルにやって来た。シオドアは彼が食べ終わるのを辛抱強く待ってから、話しかけた。

「電話の向こうはケツァル少佐かい?」
「他に誰かいますか?」
「訊いてみただけだ。」

 中尉は食べ終わるとタバコを出して、同席者に断りもなく火を点けた。シガーだが、シオドアが今迄嗅いだことがない爽やかな香りが微かに嗅ぎとれた。タバコの箱には銘柄がなく、模様が描かれていた。遺跡の壁に刻まれているような線画だ。

「君はいつからここにいるんだ?」
「今日で38日目です。」
「街に帰りたいだろう?」

 チラッと中尉がシオドアの目を見た。わかりきったことを言うなよ、と言われた様な気がした。少なくとも、シオドアのお守りをする為にここへ派遣されている訳でないと分かって、シオドアはちょっぴり安心した。
 シエスタが終わると、シオドアはシュライプマイヤーにキャンプに残れと言った。シュライプマイヤーが抗議しかけるのを遮った。

「ここには、ステファン中尉も陸軍小隊もいるんだ。アフガニスタンやイラクだったら、君がいてくれた方が安心だろうけど、ジャングルではセルバ人の方が役に立つと思うな。」

 夕方には調査隊と一緒に戻って来るから、とシオドアはボディガードを宥め、再び兵士達とステファン中尉と共にトラックの荷台に乗った。
 兵士の1人が話しかけて来た。

「ドクトル、貴方は考古学者ではないのですか?」
「俺は医学部の講師なんだ。」
「お医者さん?」
「そうじゃない。遺伝子工学だ。人間や植物の細胞を分析して薬を作ったりする。」

 人間の能力開発をしているなんて説明をしてもややこしいだけだろう。それに研究所の真実をシオドアはまだ思い出せなかった。いい加減なことを言って上層部から睨まれたら、セルバ共和国から連れ戻されてしまう。
 兵士がまた尋ねた。

「遺伝子を分析する人が、どうして遺跡に来ているんですか?」
「珍しい植物がないか、探すんだよ。」

 シオドアは誤魔化した。

「今朝はメサの上にいたけど、岩場の植物は薬になりそうになかった。午後は遺跡の中で探そうかな。」

 ステファン中尉が駄目だと言わなかったので、結局彼はその日の夕方迄発掘現場の近辺で植物を適当に採取して回った。中尉が護衛も兼ねているのか目の届く範囲にいて、彼の方は発掘作業員の手元を見張っていた。出土物が1箇所に集められ、学生が丁寧に刷毛で土を落としたり、洗ったりしている。そこそこ原型を留めた壺などもあったので、あれは持ち出して良いのかとシオドアは中尉に尋ねた。

「あれは地面に埋まっていた物です。土の上にある物は国外に持ち出さない限りは、大学や博物館で研究したり展示して構いません。」
「壁画や神像を遺跡から持ち去るのは駄目ってことか?」
「壁から剥がしたり、祭壇に置かれている物を動かすことは禁止です。」
「もし、あの壺が祭壇に置かれていた物だったら?」
「どう言う意味です?」
「あの壺は本来祭壇に置かれていた物だったが、誰かが動かして、落っことして土に埋まっていたとしたら・・・」

 シオドアの意地悪な質問に、ステファン中尉は素っ気なく答えた。

「一旦土に触れてしまった物は、只の壺です。」
「国内の何処へ持って行っても良いの?」
「貴方は何処へ持って行きたいのですか?」

 ”反撃”されて、シオドアは返答に困った。

「例えば、骨董品屋とか・・・」

 中尉が黙っているので、彼は思いついた名前を口に出した。

「ロザナ・ロハスとか・・・」

 中尉が笑った。

「あの女は、高く売れる物しか買い取りませんよ。」

 そして忠告をくれた。

「もしあの女とお知り合いでしたら、さっさと別れることです。どんな関係であれ、付き合っても碌なことにならないでしょう。」



2021/06/21

風の刃 8

  オクタカス遺跡の西にウルルを4分の1の高さにしたような岩のメサがあった。一応道がつけられており、シオドアは小隊のオフロード車で上迄送ってもらった。シュライプマイヤーも一緒だ。彼は遺跡に残って地面をいじるリオッタ教授の護衛の方が良かったのではないか、とシオドアは内心思ったが、追い払えないので仕方なく同伴した。高い湿度と気温でシュライプマイヤーは汗だくになっていた。軍隊時代はアフガンに派遣されていたと言うから、砂漠の遺跡の方が良かったのだろう。
 メサの頂上付近の平な場所にジープを駐めて岩と同じ色のタープを張った簡単なキャンプがあった。タープの下にデッキチェアを置いて座っている男が、双眼鏡で遺跡を見下ろしていた。迷彩服を着て、傍にアサルトライフルを置いている。少し浅黒い肌、丸みのある顔は黒いゲバラ髭を生やしていた。
 小隊長はシオドアに彼を指差し、一声、「お連れしました」と声をかけた。デッキチェアの男が双眼鏡を下ろし、こちらを見たので、小隊長が敬礼した。男が立ち上がり、敬礼を返した。それで用事は済んだのだろう、小隊長は車に乗り込み、来た道を戻って行った。
 シオドアとシュライプマイヤーは大岩のメサの上に取り残された。相手はシュライプマイヤーほどではないが、セルバ人としては大柄な方だ。そして、シオドアは意外に感じたのだが、この大統領警護隊の男は、メスティーソだった。胸に緑の鳥の徽章を付けているが、明らかに白人の血が入っている顔立ちだ。彼が先に声をかけて来た。

「ドクトル・アルスト?」
「スィ。ステファン中尉?」

 中尉が頷いたので、シオドアはボディガードを振り返った。

「友達のケビン・シュライプマイヤー、ボディガードをしてもらっている。」

 ”友達”と呼ばれて、シュライプマイヤーがピクリと眉を動かした。ステファン中尉はシオドアを無視してシュライプマイヤーを品定めするかの様に眺めた。そして言った。

「リオッタは彼が来るとは言わなかった。」

 よく透る声で、少し非難めいた口調だった。シオドアは、仕方がないじゃないか、と心の中で毒づいた。俺だって護衛を連れて歩きたくないんだ。

「来てしまったのだから、仕方がない。」

 ステファン中尉はデッキチェアに戻った。

「夕方、小隊長が迎えに来る迄ここにいなさい。それが嫌なら、歩いてキャンプへどうぞ。」

 シオドアに言ったのかシュライプマイヤーに向けて言ったのか、判断付けかねた。日陰がタープの下しかなかったので、シオドアとシュライプマイヤーは渋々ながらステファン中尉のそばの岩の上に座った。中尉が双眼鏡を貸してくれたので、それで遺跡発掘の様子を眺めたり、鳥を見た。
 水筒はキャンプから持って来ていたので水分補給が出来たが、暇つぶしは手段がなかった。携帯電話が圏外になっており、ゲームも出来ない。電池を節約しなければならないので、無駄に使えない。

「中尉、喋っても構わないか? 英語だが・・・。」
「ご自由に。」

 素っ気ない許可が出たので、シオドアはシュライプマイヤーにアフガン時代の軍歴を尋ねた。他に話題もない。遺伝子の話をする訳にいかなかったし、ボディガードにも初対面の軍人にもエル・ティティの思い出を語りたくなかった。シュライプマイヤーもあまり過去を詳細に語りたくない様子だったが、他にすることもないので、当たり障りのない戦闘の話や斥候に出た時の話を語った。中央アジアの過酷な派遣経験の話に、若いセルバ軍人が興味を抱くかと期待してデッキチェアを見ると、怪しからぬことにステファン中尉は帽子を顔に載せて寝ていた。
  シュライプマイヤーの話のネタが尽きてしまった。仕方がないので、次はシオドアが今回の大学講師の職を得る為にどれだけ文化・教育省の役人と言葉の戦いをしたかを語った。英語で話しているので、ステファン中尉は理解出来ないかも知れないと思いつつ、セルバ共和国のお役所仕事のスローさを散々愚痴っていたら、帽子の下でクスッと笑う声が聞こえた。
 英語が理解出来るんだ。もしかするとシュライプマイヤーの武勇伝も全部聞いていたのかも知れない。
 暑さと湿気で座っているだけで疲れてきた。そろそろお昼だ、と思う頃にやっとステファン中尉が起き上がった。双眼鏡で遺跡を眺め、デッキチェアから下りた。彼が帽子を被り、サングラスをかけ、アサルトライフルを手に取ったので、シオドアは座ったまま尋ねた。

「何処かへ行くのかい?」

 自然とスペイン語で話していた。中尉が彼を見下ろした。

「仕事です。」

 シオドアも立ち上がったので、シュライプマイヤーも立った。

「パトロールだね?」
「スィ。」

 ステファン中尉はそれ以上余計な話はせずに大岩を下り始めた。シオドアがついて行くと当然ながらシュライプマイヤーもついて来た。
 慣れているのか中尉は野生の獣の様に岩の上をするすると降りて行く。まるで道がついているかの様だ。シオドアは彼が通った道筋をしっかりと辿った。外れると滑落すると本能的に分かっていた。後ろを必死の形相でついて来るシュライプマイヤーは気の毒だったが、手を取って誘導してやる余裕はなかったし、向こうも嫌だろう。曲がりなりにも元軍人だ。
 岩山から降りると、朝小隊長に送ってもらった道に出た。ステファン中尉は近道をした訳だ。そのまま遺跡の入り口まで歩いて行くと、調査隊が昼休みでキャンプへ戻るところだった。マーベリックが中尉に気付いて乗りかけていた車から離れてやって来た。地図を出して、午前中はこの辺りを掘ったと言う報告をした。中尉が頷き、行ってよろしいと合図をしたので、彼は車に戻り、クラクションを鳴らして走り去った。小隊の兵士が5名ばかり残っていた。昼休みの当番なのだろう。
 遺跡の中へ入った。シオドアは昨夕に少しだけ見学したので、目新しいものはないな、と思った。ステファン中尉が新しく掘られた区画へ行き、壁や穴を見て行くのを、シオドアとシュライプマイヤーは見物した。

「何をしているんです?」

 シュライプマイヤーが尋ねたので、シオドアは本当のことを教えてやった。

「調査隊が貴重な遺物を勝手に持ち出したりしていないか、確認しているんだよ。それが彼の仕事だ。」

 シュライプマイヤーは陸軍兵士達を見た。シオドアはそれも説明した。

「向こうの陸軍兵はゲリラを警戒している。彼等は調査隊の護衛だ。」

 体を動かさなかったが、空腹を感じていた。水筒の水の補給もしたい。シオドアは穴を検分しているステファン中尉のそばへ行った。

「俺達も昼休みにしたいんだが・・・」

 中尉が軽々と穴から出て来た。

「調査隊がシエスタから戻って来たら、交替でキャンプに行きます。それまで我慢して下さい。」
「シエスタが終わる迄何時間あると思っているんだ?」

 シオドアが腹を立てかけると、中尉は平気な顔で応えた。

「1時間です。彼等はフランス流に行動しています。セルバ時間で働いているのではありません。セルバ流にシエスタを取れば、日が暮れてしまいます。遺跡を掘れないでしょう。」

 言われてみれば、その通りだった。次の壁を眺めている中尉にシオドアはまた尋ねた。

「君がリオッタ教授を通して俺をここへ呼んだのは、どんな理由だ?」

 すると、中尉はけろりと「知りません」と答えた。

「私は上官の命令で貴方をここへ呼んだだけです。」

「上官って・・・ケツァル少佐かい?」
「スィ。」

 シオドアは文化保護担当部の部屋で、C・ステファンと書かれたネームプレートが置かれた机を見たことを思い出した。あれはこの男の机だったのだ。

「少佐はどんな理由で俺をここへ遣ったのだろう? 俺にグラダ・シティから離れろと彼女は言った。何故だい?」
「知りません。」

 逆に中尉が質問して来た。

「貴方は何方かを怒らせたのですか?」

 シオドアは既知感を覚えた。この中尉との会話はまるでケツァル少佐と話している感じがする。

「俺は誰も怒らせちゃいない。ピラミッドのそばに行っただけだ。警察官に叱られたけどね。」

 初めてステファン中尉が彼をまともに見た。上から下までじっくり眺めてから、成る程、と呟いた。

「何が成る程なんだ?」
「貴方がここに来た理由です。週明けにはグラダ・シティに帰れますよ。それ迄はここで大人しくしていて下さい。」

風の刃 7

  ピクニック前の子供ほどではないが、遠出はやっぱり浮き浮きする。シオドアはボディガードのシュライプマイヤーとリオッタ教授と共に空港へ行き、指定された飛行機に乗った。エンジン音の煩いプロペラ機で、新しいものと思えなかったので、内心不安だったが、リオッタ教授は気にしなかった。飛行中はシオドアにオクタカス遺跡がどんな場所か喋り続けた。シオドアは半分も聞いていなかった。大学には金曜日の午後出かけて火曜日の昼に戻ると予定を提出しておいた。学生達はアルスト先生は新種の植物でも採取に行くのだろうと思っているようだ。本格的な授業はまだ始まったばかりなので、シオドアが出したレポートの宿題に喜んでいた。きっとすぐに書ける題材だろう。シオドアはあまり内容を考えずに出題したので、帰って来てから授業がどんな方向へ向かうのか、考え付かなかった。これで1年間過ごせるのか?
 飛行機がダートの滑走路に降りた時は舌を噛むかと思った。シュライプマイヤーは元軍人だから慣れているのだろう、2人の学者の蒼白な顔を見て、ちょっと優越感に浸っている様子だった。
 飛行場から迎えのオンボロバスに乗って、ジャングルに入って行った。リオッタ教授が虫除けのスプレーを1本分けてくれた。
 オクタカス遺跡は背後に岩山が聳え立つ森の端にあった。フランスの大学が主導する発掘隊が既に半分ほどジャングルから掘り出していた。蔦や樹木を伐採して石の住居跡や道路と思しきものを陽光の中に曝し出していた。所々にシートがかけてあるのは、壁画やレリーフなどを保護するためだ。

「樹木を伐採して出てきたものを記録している段階です。調査はこれから何年もかかりますよ。私もここで働けたらなぁ。」

 リオッタ教授は目を輝かせて言った。博物館の物を借りてきて学生達に教室で講義するだけの生活に退屈していることは明らかだった。
 フランス調査隊の指揮者は驚いたことにアメリカ人だった。レビン・マーベリックと自己紹介した彼は、この調査隊の中ではスペイン語を使うこと、と最初に注意を与えてきた。

「我々をゲリラから守っている政府軍の兵士達に理解出来る言葉で話すことが、発掘許可の条件に入っているからね。」

 と彼はシオドアに英語でこそっと囁いた。

「そんなに大きな遺跡じゃないんだが、今迄見たこともないレリーフや壁画がたくさんあって、正に考古学者にとって宝の山だよ。」

 そう言われてもシオドアには興味がなかった。呪いの神像や笛がなければ良いが、とそれだけを願った。初日は到着して直ぐに日が落ちたので、遺跡から車で半時間のベースキャンプで歓迎会をしてもらった。フランス人達は全部で5人、後は彼等が連れてきた学生10名、現地で雇った作業助手20名。コックが1人いて、期待以上に美味しい料理を出してくれた。安物で申し訳ない、とフランス人がワインを開けてくれたので、楽しい食事会になった。一度護衛の陸軍小隊の隊長が挨拶に来た。その人がステファン中尉かと思ったが、違った。

「ステファン中尉は大統領警護隊に所属されております。」

と小隊長が言った。

「エル・パハロ・ヴェルデは我々とは距離を置かれています。明日、中尉のところにご案内します。」

 エル・パハロ・ヴェルデ、つまり”緑の鳥”、大統領警護隊の異名だ。小隊長が仲間のところへ帰って行くと、マーベリックが忌々しげに言った。

「連中は何かと言うと、”緑の鳥”にお伺いを立てるんだ。村へ買い物に行くのも、木を伐るのも、地面を掘るのも、中尉のお許しが出ないことには何もさせてもらえない。」
「だが、お陰で今のところ、我々はゲリラの襲撃を受けていないし、泥棒も来ない。村で聞いた話では、ゲリラの活動が近頃活発になって来ているそうだ。このキャンプが無事なのは、エル・パハロ・ヴェルデがいるからだと、村で噂されている。」

 フランス人の言葉に、マーベリックは「ふん!」と鼻先で笑った。リオッタ教授が彼等が言い合いを始めそうな雰囲気を察して、話題を変えた。

「ところで、村の住民にこの遺跡に関する言い伝えとか、昔話は残っていないのかな?」

 マーベリックとフランス人達が銘々の顔を見合わせた。言い伝えはあるんだな、とシオドアは思った。マーベリックが自分のグラスにワインを継ぎ足しながら答えた。

「遺跡が遺跡として残るのは、地元の人間に近づいてはいけないと言う話が伝わっているからさ。このオクタカスも例外ではない。」

 若いフランス人がつぶやいた。

「死者の街、です。」


風の刃 6

  シオドアは午後大学に戻り、充てがわれた医学部の研究室にいた。カフェから持ち帰ったクシャクシャの紙ナプキンを広げ、ケツァル少佐が唇を拭った箇所の紙を切り取り、溶媒に浸した。唾液からD N Aを検出するのだ。紙ナプキンをポケットに入れる時にウェイターが気味が悪そうに見ていたが、カップを持ち帰る訳にいかないので、己では気にしないことにした。何故少佐のD N Aを分析したくなったのか、自分でもわからない。好きな女性のことをもっと知りたいのかも知れない。オルガ・グランデの鉱山で働いている被験者の遺伝子マップは持ち出せなかったが、少佐の遺伝子を分析出来れば、その遺伝子マップを本国へメールで送って助手に見て貰えば良い。ダブスンに横取りされる恐れがあるが、誰のものか言わなければ良いのだ。
 作業に夢中になっていると、電話が掛かってきた。考古学のリオッタ教授だった。

ーー大統領警護隊の担当者に会えましたか?

 文化保護担当部の場所を教えてくれた人だ。シオドアは礼をまだ言っていないことに気がついた。

「会えました。女性の少佐に・・・」

 するとリオッタ教授が「ワオ!」と声を上げた。

ーーケツァル少佐に会えたんですか! ブラビッシモ!(素晴らしい) 彼女はとても忙しい人で、なかなか出会えないんですよ!
「そうなんですか。私はすぐに会えました。」

 ランチまで一緒に食べたと言う必要はないだろう。

「場所を教えてくれて有り難う。」

 シオドアは溶媒の中の紙ナプキンが気になった。そろそろ引き上げなくては。リオッタ教授はシオドアが電話を切るタイミングを図っているとも知らずに喋り続けた。

ーーなんの、なんの、貴方に喜んでいただけて、私も幸せです。ところで、今週末は何かご予定はおありかな?
「え? 今週末ですか・・・」
 
 ケツァル少佐が何か言っていたな。週末に出かけろとか何とか・・・。

ーーステファン中尉から電話がありましてね、貴方にオクタカス遺跡の発掘に同行願えないかと言うんです。素晴らしいじゃないですか、オクタカス遺跡ですよ!
「あの・・・」
ーーフランスの調査隊が発掘しているんですが、色々未知の神像とか彫刻が出てきて、凄い所だそうです。ずっと見学したかったのですが、ご存知の通り、この国は最初に申請した書類に書かれたメンバーしか遺跡に立ち入れないんですよ。でも貴方が行かれるのでしたら、私も同伴して良いと言うことなんです。
「でも・・・」
ーー交通の手配もしてくれるそうです。行きましょう、アルスト先生!

 リオッタ教授の勢いに押されて、シオドアは仕方なく承知した。電話を終えて考えた。ステファン中尉って誰だ? そして溶媒の中の紙ナプキンを思い出した。慌てて引き上げて、紙と溶液を別々の分析器にかけた。
 

風の刃 5

  折角美人と楽しいランチデートをしているのに邪魔が入った。シオドアには相手の正体がわからなかったが、少佐が突然ビクッとした表情で立ち上がった。店の外に視線を送る。シオドアも同じ方向を見たが、通りを行き交う車や人が見えるだけだった。

「どうかした?」

 彼の問いかけに、彼女が振り返った。珍しい物を見る目付きで彼を見下ろした。

「”曙のピラミッド”に近づいたのですか?」

 シオドアは面食らった。誰が少佐にそんなことを教えたのだ? 何時?

「観光客の帽子が飛ばされたので、拾ってあげただけだよ。警察官にも注意されたけど、そんなに悪いことかい?」
「悪いことではありませんが・・・」

 少佐は椅子に座り直した。

「貴方の身が危険です。」
「はぁ?」

 訳がわからない。

「ロホから聞いていないのかい? 俺が警察官にいちゃもんつけられているところを彼が助けてくれたんだ。もう平気だと思うけど・・・」
「そんな問題ではありません。」

  ケツァル少佐は皿の上に残っていたタコスを掴むと、パクリと一口で食べてしまい、手を紙ナプキンで拭った。

「普通の人がピラミッドに誤って近づいても、問題はありません。警察に2、3時間留め置かれて500ペソの罰金を払えば後はお咎めなしです。」
「罰金が必要なら今からでも払うよ。」
「そんな問題ではないのです。」

 どう説明しようかと彼女は考え込んだ。シオドアは何が彼女を悩ませているのか見当がつかず、ウェイターを呼んでコーヒーを2つ注文した。
 少佐が携帯電話を出した。誰かに電話をかけると、相手は直ぐに出た。彼女はシオドアが全く知らない言語で喋り始めた。シオドアは、店内の客の中にいた先住民らしい顔つきの男性が、ギクリとした顔で彼女を見たのに気がついた。彼女の言葉がわかるのだ。ケツァル少佐は先住民の言葉で喋っている。少佐は何か問いかけていたが、1分後には電話を切り、深く溜息をついた。呟いた。

「貴方は厄介事とお友達なのですね。」
「友達申請した覚えはないがね。」

 コーヒーが運ばれて来た。少佐は遠慮なくコーヒーにミルクをたっぷり入れて、時間をかけて飲んだ。シオドアは先刻の先住民の男性をそっと覗き見た。男性は何事もなかったかの様に同伴者と食事を続けていた。スーツ姿のシティ・インディヘナだ。同伴者との会話は英語だった。
 少佐が彼の視線の行方に気がついた。振り返らずに尋ねた。

「彼は純血種のインディヘナです。珍しいですか?」
「ノ、君もロホもアスルも同じだろう?」

 彼女はあの客の存在を知っていたのか? さっき立ち上がった時に目に入ったのだろう。少佐が微かに笑みを浮かべた。薄ら笑いと呼んだ方が良さそうな、訳ありの笑に見えた。

「スィ、あの人も私達と同族です。」

 彼女はコーヒーを飲んでしまい、こう言った。

「暫くグラダ・シティを離れて地方へお出かけなさい。」
「え? 大学の講義は始まったばかりだ。」
「週末だけで十分です。2日もあれば、厄介事は忘れ去られます。」
「誰が忘れるんだ?」

 しかし少佐はその質問に答えず、立ち上がった。

「今日か明日のうちに貴方は出かけることになるでしょう。旅行の準備をなさった方が良いですよ。」

 そして、

「ランチをご馳走様でした。」

と言って、足早に店から出て行った。
 呆気に取られたシオドアがその後ろ姿を見送って、視線をテーブルに戻しかけると、例の先住民の紳士も少佐が去った方を見ていた。同伴者に声をかけられ、彼は笑って言った。

「美人がいたので、つい見惚れてしまって・・・」



2021/06/20

風の刃 4

  カフェテリア・デ・オラスは文化・教育省が入っている雑居ビルの一階にあった。役所の職員食堂みたいな位置だが、一般の客もいた。シオドアが席に着いて5分もしないうちにケツァル少佐がやって来た。時間にルーズな人が多いセルバ共和国では珍しい。多分、軍人だからだろう、とシオドアは思った。
 少佐はシオドアがまだ何も注文していないと見てとるや、テーブルに向かって歩きながらタコス料理を2人前オーダーした。彼の希望は全く訊かなかった。椅子に座ると、彼の顔をやっとまともに見た。

「こちらへはお仕事ですか?」
「スィ。大学で1年間講師をすることになった。」

 シオドアは本名を教えることも兼ねて大学の身分証を出して見せた。少佐がそれを手に取って眺めた。本物かどうか見ているのだ。シオドアは苦笑した。そして昼食に誘った理由を思い出した。

「俺の助手のデイヴィッド・ジョーンズを助けてくれて有り難う。メキシコから送られて来た新しい笛を吹いて、ジョーンズは正気を取り戻した。事件を起こした時は心神耗弱状態だったから、傷害に関しては無罪だ。だけど、民事的には、彼は被害者に治療費を払わなければならない。少年を刺したことは事実だからね。彼は病院が再発しないと判断する迄は観察入院だ。研究所は彼を解雇するかも知れないが、俺は彼をバックアップしてやりたい。俺が記憶を失って研究所に戻ってから、一番親身になって接してくれた人なんだ。」

 少佐はシオドアが記憶を失う前に何をしていたのか、訊こうとしなかった。何故セルバ共和国に来ていたのかも訊かなかった。興味がないのか、セルバ人の礼儀なのか、シオドアには判断がつかなかった。わかったことは、少佐が目の前のタコスに夢中になっていることだけだ。彼女はいつも食べ物を美味しそうにモリモリ食べる。
 シオドアが一息つくと、初めて彼女がコメントした。

「大事なお友達なのですね。」
「今はね。研究所の人々の話を聞いていると、記憶を失う以前の俺は、友達がいない、他人を思い遣ることもしない駄目人間だったらしいよ。」

 彼女が顔を上げて彼を見た。

「そうは見えませんけどね。」

と嬉しいことを言ってくれた。照れ隠しに彼は笛の話へ転向した。

「呪いを解く方法を見つけてくれて有り難う。」
「私は何もしていません。」

 少佐は指に付いたサルサソースを舐め取った。シオドアは一瞬前足を舐める猫が見えた様な気がした。瞬きしていると、少佐が続けた。

「知り合いの骨董品業者に笛を渡してメキシコへ行かせただけです。彼の荷物に入っていた盗掘品を目溢しする条件で。」
「君も強かだなぁ。」

 シオドアは笑った。

「だけど、その人は呪いをかけた人間を知っていた訳だ。」
「笛の作者を知っていたのです。神様からもらった能力をつまらないことに使ってはいけない、と彼が注意すると、相手は呪いを解く笛をくれました。」
「呪いをかけた笛はどうなったんだろう?」
「作者が壊しました。そうでなければ、貴方のお友達は正気に帰れません。」

 それを聞いてシオドアは安心した。またあの笛が何処かで誰かに売られても助ける人はいないだろうから。

「君の仕事は忙しそうだね。」
「雨季が近づいていますから、遺跡調査の駆け込み申請が増える季節なのです。」
「今から許可を出しても、調査開始前に雨季は来るだろう?」
「今申請が出されている調査計画は、雨季が終わった後のものです。」
「・・・って、それは5、6ヶ月先の話か?」
「スィ。」
「今朝、君が電話で話していた遺跡は、この雨季の前に発掘したがっている人がいるってことかな?」
「スィ。」
「だけど期間が短すぎるので、君は別のグループの別の遺跡調査を優先させたい?」
「スィ。我が部の仕事は、発掘調査隊の護衛と監視です。調査開始が決定した遺跡に、大統領警護隊に割り当てられている陸軍の小隊を派遣させます。決定が遅くなれば、小隊の準備も遅くなり、兵士に負担をかけます。ですから、順位の割り込みは許せないのです。」
「調査隊の護衛と監視?」
「ジャングルには反政府ゲリラがいます。砂漠には野盗がいます。」
「ああ・・・」

 そう言えば、ゴンザレス署長もよくゲリラの警戒や追跡に駆り出されるとこぼしていたっけ。

「監視は、調査隊が遺跡の彫像や出土品を国外へ持ち出さないよう見張ることだね?」
「スィ。どこの国でも同じ問題を抱えています。」

 大統領警護隊文化保護担当部は特別な仕事をしているのではない、と言いたげに少佐はシオドアを見た。

「陸軍の小隊を指揮するの?」
「遺跡1箇所に1小隊と指揮官1名を派遣します。指揮官は文化保護担当部の仕事です。」
「じゃぁ、君も行くことがあるんだ。」
「部下が全員出払った時は。」
「遺跡で神様の呪いとか祟りに遭ったことはある?」

 少佐が不機嫌な顔をした。あまり大ぴらにしたくない話題なのだ、とシオドアは悟った。

「ご免、神様の話はあまり人前でするものじゃないな。」
「多くの人は、不思議な体験をしてもすぐ忘れます。でも・・・」

 少佐は何か言いたそうにしたが、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ様子だった。

「貴方は不思議な人ですね。貴方のご家族も皆んな同じですか?」
「家族なんていないんだ。俺は・・・親も兄弟もいないんだよ。」

 それはきっと事実だ。しかし詳細を語りたくなかった。遺伝子組み替えで創られた合成人間だと思われたくなかった。少佐がちょっと哀しそうな表情を浮かべて、声を和らげた。

「私も生まれてすぐに母親を亡くしました。父親はいません。」
「君は孤児だったのか・・・」
「孤児でしたが、養い親はいますし、彼等に愛されて育ちましたから寂しくはないですよ。」

 彼女は悪戯っ子の笑を浮かべた。

「貴方は私の養父に会っていますよ。」
「君の養父?」
「駐米セルバ大使フェルナンド・ファン・ミゲールです。」

 え? とシオドアは耳を疑った。

「ええ?!」
「私は公式にはミゲール少佐です。ケツァルが本名で、皆んなケツァルと呼びますけどね。」
「彼は白人だよね?」
「外観は白人です。4分の1先住民のメスティーソです。」
「裕福そうだ。」
「農園主で貿易商です。」
「少佐、もしかして、君は富豪のお嬢様なのか?」
「世間の目から見れば、そうでしょうね。でも現在の生活費は大統領警護隊の給料だけです。」
「養父が富豪だったら、外国にも行ったことがある?」
「スィ。義父はイタリアとスイスに別荘を持っています。養母はスペイン人で、彼女も夏休みになるとスペインの実家に私を連れて行ってくれました。」
「もしかして、君は英語を話せる?」
「スィ。フランス語、ドイツ語、イタリア語も話せます。」
「だけど、俺がアメリカ人だとわかってもスペイン語で話している・・・」
「貴方がスペイン語を使うからです。」

 シオドアは笑ってしまった。ケツァル少佐ほどポーカーフェイスの上手い人は見たことがない。それとも先祖の話はタブーと言うこの国の国民性なのだろうか。


 

風の刃 3

  午後1時迄2時間の空きがあったので、シオドアは大学に戻らずに街中をぶらぶら散歩した。セルバ流だ。この国には南欧同様シエスタがある。午後1時から午後4時迄が昼休みなのだ。昼休みは官公庁も企業も銀行も閉まってしまうので、慣れない外国人は大変な目に遭うことが屡々だ。シオドアは、ケツァル少佐が北米へ電話をかけて来た時刻がいつも真夜中だったことを思い出した。セルバ人にとって勤務時間は午後8時迄になる。シオドアの研究所がある州との時差を考えれば、午後10時迄仕事をしているのだ。夕食はそれからだ。少佐は、シオドアが寝ている時間を考慮してくれなかったのだろう。
 彼は”曙のピラミッド”の方向へ歩いて行った。昼前で太陽が高い。日差しが強いので、外を歩いているのは遠い北の国から太陽を求めてやって来たヨーロッパ人が多かった。セルバ人は日陰で働いている。
 ピラミッドの壁は黄色い石で組まれていた。強い陽光で金色に光って見える。ピラミッドの周囲は特にフェンスなどなかったが、誰も壁から20メートル以内に入らない、と大学で聞いていた。石畳が途切れ、緑の芝生が壁まで広がっていた。
 シオドアは石畳の端まで歩いて行って立ち止まった。全身の産毛が総立ちした感じがした。まるで電流柵のそばにいる様だ。手を伸ばしてみたが、壁は感じ取れなかった。
 少し離れたところでアメリカ人と思しき観光客が4、5人で見物していた。カメラを構え、交互に撮影したり、携帯で自撮りしたりしてはしゃいでいる。休暇か、良いな、とシオドアは微笑ましく彼等を見た。その直後、一陣の風がザーッと吹いた。1人の女性の頭から麦わら帽子が飛ばされ、ピラミッドの前へ転がった。

「まぁ、どうしよう?」

 女性が困惑した声を出した。彼女の連れ達もその場に立ち尽くしたまま、どうしよう、と言い合っていた。
 取りに行けばいいじゃん、とシオドアは思った。何処にも芝生に立ち入り禁止とは書いていない。だが彼女達は石畳から先へ行こうとしない。
 面倒臭い連中だな、と思いつつ、シオドアは芝生に足を踏み入れた。肌にピリリと刺激を感じたが、それだけだった。彼は麦わら帽子を拾い上げ、観光客のところへ持って行った。有り難う、と笑顔で礼を言われた。

「付近に警察官が見当たらないし、どうしようかと困ってました。」
「警官がいないんだから、取りに行けば良いでしょう。」
「でも、ピラミッドに近づいてはいけないのよ。」

 彼女達は口々に「近づいては駄目」と言ったので、シオドアはびっくりした。観光ガイドにそう書いてあるのだろうか。
 観光客のグループと別れて直ぐに警察官がパトカーでやって来た。エル・ティティ警察署の古いパトカーみたいなものではなく、外国から輸入された最新型モデルの車だ。パトカーが歩いているシオドアの横で停止した。

「セニョール!」

 声をかけられて、シオドアは立ち止まった。

「何か?」
「ピラミッドに近づいた外国人がいると通報があった。貴方のことか?」
「スィ。ご婦人の帽子が風で飛ばされたから、拾っただけだよ。」

 警察官がパトカーから降りて来た。シオドアは周囲を見回した。ボディガードはいない。彼は大学にシオドアがいるものと思って、まだ学舎のロビーで座っている筈だ。もっともここでボディガードに出しゃばられては、話がややこしくなるだろう。

「どんな理由でも、許可なくピラミッドに近づいてはいけない。」
「許可? 帽子を拾うだけで、許可が必要なのか?」
「ピラミッドは特別だ。」
「許可が必要だと書いた看板も何もないじゃないか!」
「そんな物は必要ない!」

 道端で揉めていると、横を通りかかった軍用ジープが急停止した。カーキ色のTシャツに迷彩色のズボンをはいた兵士が降りて来たので、シオドアは面倒なことになったと悔やんだ。近づく兵士のTシャツの胸に緑色の鳥型の徽章が光った。
 警察官が不意に直立不動の姿勢を取ったので、シオドアは驚いた。

 「その人がどうかしたのか?」

 声に聞き覚えがあった。シオドアは歓喜の声を上げた。

「ロホ!」

 ロホ中尉も彼に気が付いた。

「おや、貴方は・・・」

 警察官が不安気に尋ねた。

「中尉のお知り合いでありますか?」
「スィ。上官のご友人だ。」

 ロホ中尉がシオドアに向き直った。

「今度は何に巻き込まれたんです?」

 微かに面白がっている響きが声にあった。シオドアはピラミッドを振り返って説明した。

「観光客の帽子が風で飛ばされたんで、拾ってあげただけなんだが、ピラミッドに近づくには許可が必要だと言われてさ・・・」

 ロホが彼を見て、ピラミッドを見て、また彼を見た。

「ピラミッドに近づいたんですか?」
「スィ。 帽子が壁のそばに落ちたからね。」

 ロホは警察官に言った。

「こちらは外国から来られて間がないのだ。私からよく注意しておくから、今日は見逃してあげてくれないか。」
「貴方がそう仰るのでしたら・・・」

 警察官も無駄な争い事はご免なのだ。中尉に敬礼してパトカーに戻り、直ぐに走り去った。
 シオドアはホッとした。少佐とのデートに遅れずに済む。

「グラシャス、ロホ中尉。助かったよ。ここで君に会えるとは思わなかった。」
「私も貴方がこの国に戻って来られているとは思いませんでした。」

 以前と変わらず優しい口調でこの若い中尉は喋った。

「もう病気は良くなられたのですか?」
「記憶喪失のことかい? ノ、まだ思い出せない。でも一応身元は判明した。」

 シオドアはパスポートを出してロホに見せた。

「テオドール・アルストさん?」
「スィ。テオって呼んでくれて構わない。今、グラダ大学で1年間の客員講師をしているんだ。」
「大学の先生ですか。」

 ロホが素直に尊敬の目で彼を見た。

「うちの部の一番若い少尉が、グラダ大学の通信制で学んでいますよ。」
「アスル?」
「ノ、女性です。」
「さっきは席にいなかった。」
「さっき?」
「文化保護担当部に行って、少佐とランチの約束をしたんだ。礼を言いたくてね。」

 君も一緒にどう? と誘ったが、ロホは首を振った。

「今日は役所に戻って、レポートを作成します。軍隊はシエスタが短いですから、先に仕事をやっつけてしまいたいのです。」
「そうか、それじゃまた今度。」

 ロホがジープに戻りかけて振り返った。

「先刻の様な面倒なことになったら、我々の名前を出していただいて結構です。すぐ釈放されます。」

 どれだけ大統領警護隊の権威があるんだ? シオドアは感心した。走り去るジープを見送ってから、中尉の本名を聞きそびれたことに気が付いた。



第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...