ラベル 第10部 依頼人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第10部 依頼人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023/12/21

第10部  依頼人     19

  ケツァル少佐は翌日、いつもの様に文化・教育省のオフィスで仕事をしていた時に、恩師ケサダ教授から呼び出しを受けた。珍しく電話をもらって、同じビルの1階で営業しているカフェ・デ・オラスに出向いた。
 教授は授業をどうしたのだろうと思いつつ店に入ると、奥のテーブルで彼がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。少佐は店のスタッフにコーヒーを注文し、教授のテーブルへ行った。

「ブエノス・ディアス。ご要件は?」

 教授が手で座れと合図した。少佐は素直に座った。教授が義父ムリリョ博士の家に”砂の民”が出入りしているとの情報をくれたのだ。恐らくそれに関する後報告だろうと思った。
 教授が黙って読んでいた新聞をテーブルの上に置いて、彼女の方へ向きを変えた。少佐はその記事を見た。
 セルバ野生生物保護協会の会員がジャングルで殺害され、憲兵隊が捜査に乗り出すと言う記事だった。

「ドクトル・アルストが骨の鑑定をしたことは知っていますね?」

と教授が尋ねた。少佐は「スィ」と肯定した。

「セルバ野生生物保護協会にとって、悲しい事件になりました。」
「もう一人行方不明になっていると書かれています。」
「オラシオ・サバン、恐らくブーカ族だと思われます。」
「ブーカ族です。」

とケサダ教授は言い切った。

「だから、義父とその手下達が動き始めました。コロン氏を殺害した者がサバンも害したとあの人達は考えています。」
「私も同じ考えです。それで・・・」

 少佐は囁いた。

「アンティオワカの遺跡の巡回に、次の週末、部下達と行ってきます。憲兵隊に遺跡を荒らされたくないので。」

 勿論、それは世間体の言い訳だ。教授が微かに心配そうな目をした。

「犯人探しは貴女と部下の仕事ではない。」
「承知しています。私達はサバンを探しに行きます。それ以上のことはしません。」
「本当にそうかな?」

 教授は意味深にはっきり微笑して見せた。

「義父が現場へ行くことはないと思うが、用心なさい。サバンが犯罪の被害者となっていると考えると、犯人は我々のことを知っているかも知れません。」


2023/12/20

第10部  依頼人     18

  テオが初めてキロス中尉と出会ったのは、もう5年も前になる。カルロ・ステファン大尉の暗殺計画を阻止するためにオルガ・グランデの地下へ行き、そこでイェンテ・グラダ村の生き残りの老人の悪事を止めた。帰りはテオもステファンもケツァル少佐も満身創痍の状態でふらふらになりながら坑道を上がって行った。そして一足先に救援要請で本部に戻ったロホから事情を知った司令部が、救援に差し向けたのが、キロス中尉と僚友達だった。
 あの頃のキロス中尉はまだ都会育ちのおぼっちゃまから抜け切れないで、能力の使い方も基本しか出来なかった。それでいて白人や多種族の人間からは上位に見られようと、気を張っていた。ちょっと鼻持ちならない若造だった。
 しかし、テオは彼と出会う度に、このブーカ族の軍人の家系出身の若者が少しずつ軟化していることを感じていた。恐らく、指導者であるセプルベダ少佐の人柄の影響が大きいのだ。セプルベダ少佐と個人的に話をした経験はなかったが、話を聞く限り、彼は大きな器の軍人の様だ。己の足りない点を素直に認め、部下にそれを伝えることを恥としない。部下達の個別の能力を尊重し、彼等の失敗を咎めずに、原因を考えさせ、改良させるのだ。ファビオ・キロス中尉は能力的には優秀に違いない。きっと少佐は彼に人間としての考え方、行いを指導しているのだ、とテオは感じていた。
 キロス中尉は2人1組で行動する場合、ミックスのステファン大尉か、力が弱いグワマナ族のエミリオ・デルガド少尉と組むことが多い。ステファンはグラダ族で、白人のミックスだが力は純血ブーカ族より大きい。だが時々己の能力を制御し切れなくて問題に直面することがある。キロスはそれをカバーする。デルガドは威力が弱くても正確に能力を使用出来る。キロスはそれを補助する。助け合ってこそ強い敵と戦える、それをセプルベダ少佐は彼に学ばせているのだろう。
 
「白人の護衛は不本意かも知れないが、よろしく頼む。」

 テオが声をかけると、キロス中尉は真面目な顔で返した。

「セルバ国民を守るのが私の仕事です。肌の色は関係ありません。」

 アスルが揶揄った。

「教科書通りの返事だな。」

 ケツァル少佐がビールのジョッキを手に取った。

「料理が来ました。乾杯して始めましょう!」


2023/12/19

第10部  依頼人     17

  テオが”ヴェルデ・シエロ”と自分達”ティエラ”、即ち普通の人間の違いを感じるのは、こんな場合だ。
 「死体を探す」と聞いて、彼とテーブルを同じくする友人達が目を輝かせた。女性のデネロスもその一人で、期待を込めた目でケツァル少佐を見た。テオは彼女の交際相手のキロス中尉をそっと覗いてみた。客人の中尉は退くかと思ったが、やはり彼も”ヴェルデ・シエロ”だった。興味津々と言った顔で部署違いの上官を見たのだ。

「死体を捜索するのですか?」

 少佐がキロス中尉の目を見た。”心話”だ。一瞬にして情報伝達が行われる、”ヴェルデ・シエロ”が”ヴェルデ・シエロ”である最低必要条件だ。「おう・・・」とキロスが呟いた。

「それは確かに犯罪の匂いがしますね。」
「犯罪捜査は遊撃班の十八番だな。」

とアスル。誘うのかと思いきや、

「だが、セプルベダ少佐から指示がなければ君は動けまい。」
「休暇中です。」

とデネロスが言った。

「働く必要はないわ。」
「しかし・・・」

 キロス中尉はジャングルへ行きたいのだ。ジャガー神である”ヴェルデ・シエロ”の血が騒ぐのだろう。
 テオは少佐に声を掛けた。

「俺も行って良いかな? 何か鑑定が必要なものを見つけたら、ラボに持ち帰らないと・・・」

 少佐がちょっと考え込んだ。死体が必ずあるとは限らない。もしかすると行方不明のセルバ野生生物保護協会員は、どこか別の場所に生きているのかも知れない。しかし、死体があれば・・・。彼女はテオを見た。

「一緒に来て下さい。」
「グラシャス。」

 テオはキロス中尉を見た。

「君達は軍事訓練で捜索活動をするだろうけど、俺はジャングルに不慣れだから、護衛が必要だ。キロス中尉をバイトで雇っても良いかな?」

 真面目なキロス中尉がムッとした。

「副業は認められない。」

 ロホが笑った。

「それならボランティアでドクトルの護衛を頼めるかな、中尉。」

 キロス中尉がロホを見た。そしてケツァル少佐を見た。少佐が面白そうに微笑んでいた。キロス中尉は座ったままで敬礼して、承諾を表した。


第10部  依頼人     16

  アマール・デ・ペスカード、「魚肉の恋」とは変な名前だが、最近文化保護担当部の隊員達はこの店を気に入っている。南部のプンタ・マナ出身でグワマナ族系のメスティーソの夫婦が営む小さな食堂だ。つまり漁業が盛んな南部出身の、”ヴェルデ・シエロ”の血を引く夫婦が経営しているってことだ。大統領警護隊の任務の話は出来なくても、一族に関係した話なら出来る。テオは、夜間限定営業の小さな食堂の常連客が殆どメスティーソであることを、知っていた。互いに名乗らないが、恐らく彼等は”ヴェルデ・シエロ”の末裔だ。だから時々目で会話して、静かに食事や酒を楽しんでいた。
 料理を注文してから、テオはマハルダ・デネロスに尋ねた。

「映画に行かないのか? チケットを持っていたって、アンドレから聞いたけど?」

 デネロスが肩をすくめた。

「メルカドのくじ引きで当たったんですよ。行くとしたら週末ですけど、キロス中尉がお嫌いなら誰かに譲ります。」
「どんな映画?」

とキロス中尉。デネロスを挟んでテオとキロス中尉は並んで座っていた。テオの向かいはケツァル少佐で、その隣がロホ、アスルの順だ。ギャラガは端っこでまるで一番偉い人みたいな位置にいたが、末席だ。左側にキロス中尉、右にアスルがいた。

「ホラー映画です。」

とデネロスが説明した。

「夫の浮気に嫉妬した女が自分の子供を川で溺死させちゃって、それが現代の女性に呪いとして降り掛かるの・・・」

 けっとアスルが声を立てた。彼は好きでないのだろう。キロス中尉は彼を無視した。

「君は見たことあるの?」
「ノ、雑誌の映画の批評を読んだだけです。」

 デネロスは少佐を見た。

「今週末の軍事訓練はどうされますか?」

 ケツァル少佐はちょっと視線を天井に向けた。

「そうですね・・・アンティオワカに行ってみようかな、と考えていますが・・・」
「土曜日の軍事訓練は自由参加だよな?」

とテオが確認した。デネロスのデートを邪魔したくないじゃないか。ギャラガが尋ねた。

「遺跡の調査ですか?」
「宝探しだ。」

とロホが言った。 彼は声のトーンを落とした。

「死体を探す。」


2023/12/18

第10部  依頼人     15

  次の店に行こうと、バルを出たら、そこにマハルダ・デネロス少尉とファビオ・キロス中尉が立っていたので、一同は驚いた。テオはキロス中尉に数回会ったことがあったが、いずれも中尉は軍務中で軍服姿しか見たことがなかった。だから普通に明るいチェック柄のシャツを着てコットンパンツと上等のスニーカーを履いているキロスを見て、びっくりした。
  こいつ、結構女にモテるんじゃないか?
 そんな感想を抱いてしまう程、ファビオ・キロスは溌剌とした良い若者ぶりだった。
 文化保護担当部とテオの驚きを他に、中尉は上官であるケツァル少佐と大尉のロホに敬礼した。そして同じ中尉であるアスルと下位のギャラガ少尉には頷いて見せた。
 テオは素早く視線を走らせ、デネロスと彼が手を繋いでいなければ腕も組んでいないことを確認した。デネロス少尉は仕事の時の服装をちょっとお洒落に着崩しているだけだ。それにアクセサリーを少しだけ加えて。

「こんな所で何をしているのです?」

と少佐が尋ねた。キロス中尉が微かに頬を赤くして答えた。

「デネロス少尉と交際することをお許し願います。」

 少佐がぷっと噴き出した。

「私の許可なぞ要りませんよ。本部も私生活まで口出ししません。」
「しかし、けじめをつけておかないと・・・」

 堅物は外務省のシーロ・ロペス少佐だけではないようだ、とテオは心の中で思った。少佐が優しく言い聞かせた。

「貴方が許可を得るのは、デネロス家の人々からでしょう。私は少尉の上官ですが、少尉の個人的生活に口を出しません。」

 すると、マハルダ・デネロスが笑って言った。

「私も必要ないと言ったのですが、中尉は礼儀を守りたいと・・・つまり、私の親に会う前の練習です。」

 アスルがちょっと冷ややかな目でキロス中尉を見た。

「女性の親に会うってことは、その先のことも考えているってことだぞ、キロス中尉。」
「勿論・・・」

 キロス中尉はすっかり赤くなっていた。
 テオは堅苦しい男の緊張をほぐしてやりたくなった。それに店前で大統領警護隊が集団で立ち話をしていると、店に迷惑だ。彼は提案した。

「キロス中尉が俺達の仲間に入りたいって言うんだから、これから一緒に次の店に行こうぜ!」

 えっ!? とキロス中尉が振り返った。しかしロホが既に彼の肩に手を置いていた。

「一緒に行こう、ファビオ。休暇の間に何度か私達と出会うことになる。今夜はその始まりの儀式だ。」

 テオはデネロスが喜んで少佐とハグしあうのを見た。

2023/12/17

第10部  依頼人     14

  ファビオ・キロス中尉の名前がアンドレ・ギャラガ少尉の口から出ると、テオとロホは思わず口笛を吹いてしまった。アスルはムッとした表情だ。文化保護担当部の大事な「妹」に手を出そうとしている男が、エリート集団遊撃班の精鋭だと知って、面白くないのだろう。だって、階級が上で遊撃班の精鋭なんて、揶揄えないじゃないか!

「あの野郎、いつマハルダに手を出したんだ?」
「いや、手を出したとかじゃなくて・・・」

 ギャラガは冷や汗をかき出した。

「食堂とか通路で出会うと声を掛け合う程度で・・・」
「そうだろ、本部で男女交際なんて不可能だ。」

とロホ。

「上官にバレたら、キロスは営倉行きだぞ。」
「ですから・・・」

 ギャラガはチラリとケツァル少佐を見た。しかし少佐が助け舟を出せる状況ではなかった。

「今日、あの2人にとって初めてのデートなんです。中尉がやっと休暇を取れたので・・・」
「するとこれから2ヶ月、2人はデートを続けるのか?」

 テオも思わず口を挟んでしまった。デネロスは彼にとっても可愛い女性友達だ。大学の休憩時間に顔を合わせれば一緒にお茶をするし、世間話は彼女がいつも話題を提供してくれる。彼女のお陰でテオは自分の学生達の話題に遅れずについて行けるのだ。

「毎日ってことじゃないでしょう。」

 ギャラガがムッとした。彼も勉強を教えてくれるデネロス少尉が、相手にしてくれなくなったら困る。彼女の方が1つ年下だが、大学生としては向こうが先輩だ。

「今夜はどこにいるのです?」

 少佐までが首を突っ込んで来た。ギャラガはデネロスが勤務中にチラリと見せた映画のチケットを思い出した。

「映画館だと思います。『ラ・ヨローナ 』(アメリカ映画)だったか、『ラ・ジョローナ』(コスタリカ映画)だったか、わかりませんが・・・」

 どちらも中南米の怪談を素材にしたホラー映画だ。テオもロホもアスルもケツァル少佐も、「きゃー!」と叫んで男性に抱きつくマハルダ・デネロスを一瞬想像し、すぐに「それはない、ない!」と頭の中で否定した。マハルダ・デネロスは幽霊が出たら、張り倒すほどの元気者だ。
 テオは携帯で上映中の映画館情報を検索した。

「コスタリカ映画は今やっていない。アメリカ映画の方だな。」
「多分、2人共、コメディを見る気分で座っているでしょうね。」

と少佐が言って、一同は笑った。

2023/12/16

第10部  依頼人     13

 「憲兵隊が南部のジャングルにどれだけ捜査人員を割くのか、期待しない方が良いな。」

とアスルは言った。
 その日の夕刻だった。テオは大統領警護隊文化保護担当部の隊員達といつものバルで夕食前の一杯をやっていた。彼は簡単に「骨の鑑定結果を依頼人に伝えたら、憲兵隊に通報すると言う返答だった」と言っただけだ。仕事内容も依頼人の名前も事件現場の場所も話していない。しかしアスルはロホから目と目を見合わせるだけで出来る”心話”で状況を把握していた。

「あの人達は・・・」

とケツァル少佐がぼかした言い方をした。「あの人達」とは、”砂の民”のことだ、とすぐテオと彼女の部下達はわかった。

「サバン氏を探すことはしないでしょう。サバン氏の身内があの長老に依頼したのは、もうオラシオ・サバンがこの世にいないと確信したからです。あの人達が探すのは、罰を受けるべき人間です。」
「勿論、犯罪者に違いないだろうけど・・・」

 テオはスッキリしないものを感じた。

「俺はサバン氏を探してやりたいな。一人で森の中で眠っていると想像したら、気の毒だ。きちんと家族にお別れを言いたいだろうし。」
「家族も別れの儀式をしないと心が休まらないでしょう。」

とロホが宗教関連の家系の出らしく意見を言った。
 そこへ、遅れてやって来たアンドレ・ギャラガ少尉が合流した。

「遅くなりました。まだビールを注文する時間はありますか?」
「好きに飲みなさい。」

 ケツァル少佐は優しく答えてから、入り口へ視線を向けた。

「マハルダは来ないのですか?」
「デネロス少尉は、今夜はデートです。」

 全員がギャラガを見た。ギャラガの顔に、「しくじった」と言う後悔の表情が浮かんだ。アスルがニヤリとして、後輩を突いた。

「マハルダに彼氏が出来たのか? 最近妙に化粧に凝っていると思ったが、そう言う訳だったのか。」
「相手は誰だ?」

とロホも乗ってきた。マハルダ・デネロス少尉は美女と言うより可愛らしい娘だ。大統領警護隊の男達は彼女に関心があるし、女性隊員の中にも彼女を気に入っている人がいる。ギャラガは困ってテオを見たが、テオが助ける理由はなかった。

「彼女の相手に選ばれた幸運な男は誰だ? 俺達が知っている人間か?」
「ええっと・・・」

 ギャラガはそっと指揮官を見た。指揮官に内緒で異性と交際していることを、後輩の彼にバラされたら、デネロスは怒るだろうな、と心配したのだ。
 ケツァル少佐は優しく微笑んで見せた。

「相手次第です。」


2023/12/15

第10部  依頼人     12

  ロバートソン博士に骨の鑑定結果を告げるのは、ちょっと辛かった。事故や自然災害の犠牲者の鑑定ではなく、殺人事件と思われるものだ。テオはそれをセルバ野生生物保護協会の本部ビルまで出向いて報告した。遺伝子を抽出した学生を連れて行ったが、ことが重大なので、学生ではなく彼が自分で分析結果を説明した。学生がそれを一言も聞き逃すまいと耳を傾けていた。彼も将来警察関係の機関でそう言う職に就きたいと希望しているのだ。警察なら分析結果を遺族に伝えるのは警察官の仕事だろうと思えたが、セルバ共和国の警察は難しい科学的な話が必要な時は学者に丸投げしてくる。だからテオは学生にも報告を聞かせて勉強させた。
 ロバートソン博士と他の協会員達は沈痛な面持ちで話を聞いていた。寄付金と政府からの僅かな補助で運営されている団体の本部は煩雑で、それでありながら質素だった。飾り気がない。動物や植物の資料が所狭しと置かれていて、その中に机がある感じだ。

「イスマエルは亡くなっているのですね。」

とロバートソン博士の秘書が最初に口を開いた。彼の横にいた女性協会員がワッと泣き出した。博士は唇をグッと噛み締めて耐えていた。

「死因は・・・ああ、骨片だけではわかりませんね。」

 秘書は別の協会員の方を見た。

「骨を全部お見せした方が良いでしょうか?」
「ノ、それは意味がありません。」

 テオは急いで断った。

「私どもの研究室は遺伝子工学を専攻している学生の場所です。骨の傷などの分析は医学の方の仕事です。私達には、死因を解明することは出来ません。」
「生物学部ですから・・・」

 と学生が口を挟んだ。

「何の動物に食われたか、とかは骨に残った歯型でわかりますが・・・」
「余計なことを言うな。」

 テオは学生を嗜めた。

「ここの人達はそっちのプロだ。俺達以上に動物のことには詳しいさ。」

 ロバートソン博士がハンカチで鼻をかんでから、口を開いた。

「わかりました、イスマエル・コロンが亡くなり、それが尋常な亡くなり方でないことがわかりました。きっと彼が探していた友人の、私達全員の友人でもある、オラシオ・サバンも無事ではないと推測されます。」
「どうされますか?」
「憲兵隊に連絡を入れます。」

 博士はキッと空中を見つめた。

「コロンとサバンを殺害した人間を突き止めてもらいます。」


2023/12/14

第10部  依頼人     11

  テオは自分の考えをまとめる目的も兼ねて言った。

「俺がロバートソン博士からの依頼の件を簡潔に話すと、ケサダ教授もさっきのことを教えてくれた。セルバ野生生物保護協会の最初に行方不明になった先住民の会員は、きっとムリリョ博士に接触を図った爺さんの身内なのだと思う。」

 するとロホが言った。

「サバンと言う名はブーカ族にあります。あまり中央に縁がない人々ですから、私も知り合いがいる訳ではありません。恐らく純血種の家族は少ないと思われますが、まだ”ツィンル”(動物に変身出来る人々)がいる筈です。彼等はムリリョ博士が”砂の民”であることを知らなくても、マスケゴ族の長老であることは知っています。ブーカ族の長老は権威とか財力で巷の一族の人々には近寄り難い存在ですから、同族の長老を避けてマスケゴ族の長老に、サバン家は、行方不明者の捜索を依頼したのではないでしょうか。そしてムリリョ博士はサバン家の息子だけでなく別の協会員も行方不明になっていることを知った。もしかすると骨の発見も知ったかも知れません。何か良くない事件が起きていると考えて、博士は”砂の民”に招集をかけたと思われます。」

 テオは頷いた。

「ケサダ教授は俺にこの件に深入りするなと忠告してくれた。」

 ケツァル少佐が難しい顔をした。テオは彼女がこの件に関わるなと言うだろうと予想した。”砂の民”が動く案件に大統領警護隊は口出ししない。大統領警護隊が着手するのが先なら、”砂の民”の方が遠慮してくれるが、今回は向こうが先だ。
 少佐が顔を上げた。

「ロホ、アンティオワカ遺跡の次の巡回はいつになっていますか?」

 え? とテオは驚いた。少佐はこの件に首を突っ込むつもりなのか? ロホが携帯電話を出して、カレンダーを検索した。

「9日先ですね。ミーヤ遺跡とアンティオワカ遺跡を一緒に回る予定になっています。」
「担当は?」
「巡回だけですから、アンドレ・ギャラガだけです。」

 テオは素早く自分の携帯を出した。急いでカレンダーを見た。

「9日先? 俺は暇だけど・・・」

 少佐とロホが彼を見た。彼女が尋ねた。

「行きたいのですか?」


2023/12/13

第10部  依頼人     10

 ケサダ教授の名前が出た途端に、ケツァル少佐とロホの表情が真面目なものになった。教授は大統領警護隊文化保護担当部の全隊員の考古学の恩師だ。そして、これは今このアパートにいる3人、テオと少佐とロホだけの秘密なのだが、フィデル・ケサダはマスケゴ族と名乗っているが本当は純血のグラダ族だった。この世で生存している全ての”ヴェルデ・シエロ”の中で一番強い超能力を持っている男だ。教授自身の性格は謙虚で穏やかだが、もし怒らせでもしたらグラダ・シティ程の都会を一つ一瞬で消し去ってしまえる力を持っている、と考えられている。だが少佐とロホが緊張したのは、思慮深く知識豊富である教授が言った言葉だ。

「奇妙な話ですって?」

と少佐が尋ねた。テオは「詳細は知らないけど・・・」と断って語り出した。

「初めは、ンゲマ准教授のところに、先住民の男性が訪ねて来たことなんだ。その男性はサバンと名乗った。」

 サバンは行方不明になっているセルバ野生生物保護協会の協会員と同じ名前だ。

「そのサバンと言う爺さんが、ムリリョ博士に話があるので紹介して欲しいとンゲマ准教授に頼んだ。それでンゲマ先生は博士に電話をかけた。サバン爺さんと博士は電話で短い会話をしたが、ンゲマ先生の知らない言葉だった。」
「一族の言葉だったのですね。」

とロホが言った。ハイメ・ンゲマ准教授は考古学の先生だ。遺跡調査などの為にセルバ国内のほぼ全部の先住民の言葉を勉強している。それが知らない言葉なら、現代は使用されていない言語だと言うことだ。 テオはロホの言葉の肯定も否定も避けた。彼が聞いた訳ではなかったから。
 
「ンゲマ先生とサバンとの接触はその場限りだったらしい。だが、翌日からムリリョ博士の自宅に先住民の客が数人出入りし始めた。博士の自宅に遊びに行っていたケサダ教授の娘達がそれを目敏く見つけて、帰宅してから父親に報告した。」

 ケサダ教授の妻コディア・シメネスはムリリョ博士の末娘だ。博士は孫を可愛いがっていて、孫娘達が彼の自宅に自由に出入りすることを許している。ケサダ教授の娘達は半分グラダ族の血を引いている。一族の人間達が隠しているつもりの微かな気配さえ敏感に感じ取るのだ。

「ケサダ教授は、本家の客達が”砂の民”だろうと推測した。”砂の民”が動く事件がどこかで起きていると考えた教授は、それとなく博物館の職員に最近館長に誰か接触しなかったかと質問した。そしてンゲマ准教授の電話を館長に取り次いだ職員を見つけた。職員からンゲマ准教授の名前を聞き出し、大学でンゲマ先生にこれもそれとなくムリリョ博士に何か考古学上の情報でも提供したのかと尋ね、サバン爺さんのことを聞き出したんだ。」

 

2023/12/12

第10部  依頼人     9

  その夜、テオは自宅でケツァル少佐とマルティネス大尉と3人で夕食を取った。大尉、つまりロホは住んでいるアパートの水道管が水漏れしてキッチンも浴室も使えなくなったので、修理が終わる迄テオの部屋に身を寄せることになっていた。本当は同じマカレオ通りにあるテオの旧宅、今は部下のアスルが住んでいる長屋に行きたかったのだが、アスルは彼がキャプテンを務める大統領警護隊サッカーチームの会合をするので、上官の頼みを断ったのだ。上官でも部下の都合が悪ければ平気で断られる、それが文化保護担当部の良い面だ。官舎は外へ出た隊員がいきなり泊めてくれと言って入れてくれる程寛容ではない。かと言って、恋人のグラシエラ・ステファンの家に行くのも礼儀正しいロホには無理な話で、結果として親友のテオの家に来た。テオの家は彼の上官のケツァル少佐の家でもあるのだが、幸いアパートの構造上、別の世帯の造りになっているので、テオと少佐が行き来するには、一旦玄関を出て隣のドアを開く手間が存在する。
 食事は少佐の側の部屋の食堂でするのが決まりだった。テオのキッチンは実験用の器材でいっぱいだ。せいぜいお茶を淹れることしか出来ない。少佐が雇っている家政婦のカーラは予定なしに人数が増えても動じることはないし、ロホ一人だけだから、笑顔で歓迎してくれた。
 最初の話題はロホのアパートの修繕だった。住民の負担の是非や家主の態度や工事請負業者が誰になるのかと言う話をした。ロホは水道管が直りさえすれば良いので、負担額が決まる迄口出ししないつもりだ。少佐は業者がどこの人間か気にした。いい加減な工事をされては困るし、アパートに何か良からぬ細工をされて盗聴器や盗撮機を仕掛けられてはならない、と軍人らしい見解を述べた。ロホは「気をつけます」とだけ答えた。
 アパートの話が終わると、少佐がテオを見た。

「貴方は? 何か面白い話題がありましたか?」

 少佐は他人に喋らせて聞くことを楽しむ人で、自分では話さずに他人に催促する。
 テオはちょっと考えてから、「例の遺伝子鑑定の話なんだが・・・」と切り出した。ロホが説明を求めて少佐を見た。こんな時、”ヴェルデ・シエロ”が持つ”心話”と言う能力は便利だ。目を見つめ合うだけで、一瞬で情報伝達が出来る。ロホは直ぐにテオがセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士から骨片を託された経緯を知った。
 テオはロホが頷くのを見て、前段階の説明が省けたことを確認した。そして言った。

「骨はロバートソン博士の助手のイスマエル・コロンに間違いなかった。」

 少佐が溜め息をついた。

「殺人ですね?」
「その様だね。動物に襲われたのなら、無線機や携帯電話が消えたりしないから。」

 ロホが復習するかの様に言った。

「オラシオ・サバンと言う協会員が森の中で消息を絶ったのが2ヶ月前で、イスマエル・コロンがサバンが行方不明になっていることに気がついたのが、その10日後・・・」

 テオは訂正した。

「いや、コロンはサバンの最後の連絡から10日以上経ってから心配になった。正確な日時はロバートソンも覚えていない様だ。コロンはサバンを探すべきだと言ったが、その時は彼以外の誰もまだサバンのことを心配していなかった。コロンがサバンを探しに森に入ったのはそれから更に数日経った後だ。それからコロンも消息を絶って、それがいつなのかは聞いていない。協会はコロンからの連絡が途絶えた1週間後にやっと捜索に乗り出した。そしてアンティオワカ遺跡から西へ4キロの森の中で、骨の残骸を見つけた。」
「憲兵隊に連絡したのですか?」

とケツァル少佐。犯罪捜査は大統領警護隊文化保護担当部の仕事ではない。

「明日、ロバートソンに鑑定結果を報告する。憲兵隊に通報するのは彼女の役目だ。」

とテオは言った。大統領警護隊の2人から興味が失せていきかけた。彼は付け加えた。

「それに関係ないかも知れないが、今日の夕方ケサダ教授が奇妙な話を聞かせてくれた。」


 

2023/12/11

第10部  依頼人     8

  ケサダ教授から何か話があると言ってくるのは滅多にないことだ。大抵はテオが相談したいことがあって、教授を頼るのだった。だからテオはどこかで話が出来る場所を、と一瞬考えた。しかし教授はそこまで重要な要件ではなかったようだ。

「野生生物保護協会の人が貴方の研究室に仕事を依頼したと聞きましたが、新種の動物でも発見したのですか?」

 ただの興味本位の世間話の様に聞こえるが、テオは教授の質問の真意を瞬時に理解した。教授はネコ科の動物に変身した”ヴェルデ・シエロ”の細胞をセルバ野生生物保護協会の人が手に入れたのではないかと心配しているのだ。だから彼は正直に答えた。

「新種ではありません。人間の骨の身元鑑定です。協会の会員が何か良くないことに巻き込まれたらしいのです。」

 ケサダ教授が退くのが感じられた。犯罪捜査に首を突っ込みたくないのだ。

「人間ですか・・・」
「スィ。森の中で消息を絶った協会員を仲間で捜索したら、骨と衣類の断片を発見したそうです。死んでからそんなに日数が経っていないと思われたので、行方不明の協会員ではないかと責任者達は考え、俺のところに鑑定を依頼してきました。」
「悪い予感が当たったのですね?」
「スィ。」

 すると教授は車の周囲をそっと見回した。テオも釣られて周囲を見た。ンゲマ准教授は既に車に乗り込み、駐車場から出て行くところだった。

「行方不明になっている協会員は”ティエラ”ですか?」

 ”ティエラ”は普通の人間と言う意味だ。”ヴェルデ・シエロ”でなく、動物に変身しない、超能力を持たない普通の人間。テオは首を振った。

「スィ、”ティエラ”です。ただ・・・」

 彼はもう一度周囲を見回した。離れた場所で帰り支度をしている車の持ち主がいたが、聞こえない距離だ、と判断した。

「その骨になっていた協会員より先に行方不明になった人がもう一人いたのです。その人がどちらに分類されるかはわかりませんが、先住民出身の人で、骨になっていた人はその先住民の同僚を探しに行ったのです。」

 ケサダ教授は口元に片手を当てて、考えこむポーズになった。何か心当たりでもあるのだろうか。それでテオは事件があった場所を言ってみた。

「骨が見つかったのは、アンティオワカ遺跡から西へ4キロの森の中だったそうです。」

 教授が彼を見た。そして手を下ろして言った。

「この数日義父のところに数人の一族の者が訪ねて来ていました。義父が呼んだのでしょう。」

 テオはドキリとした。ケサダ教授の義父はセルバ国立民族博物館の館長であり、グラダ大学考古学部の主任教授の、ファルゴ・デ・ムリリョ博士だ。博士には裏の顔がある。”ヴェルデ・シエロ”の存在を世に曝す恐れのある人間を消し去る仕事をする”砂の民”と呼ばれる集団の首領なのだった。

「貴方は依頼されたお仕事だけをなさって下さい。」

とケサダ教授が言った。

「義父とその配下が何を問題にしているのか判明する迄は誰も口出ししてはなりません。」


 

2023/12/10

第10部  依頼人     7

  翌日、テオは研究室へ出勤し、早速分析結果を並べて比較していった。骨から抽出したD N Aと毛根から抽出したD N Aが違っていることを願ったが、何回見直しても同一人物のものとしか思えなかった。学生達にも読ませた。普通の人間がゲノムマップを読み解くには時間がかかる。しかし夕刻には彼等もテオと同じ結果を出した。

「先生、あの毛髪の持ち主は亡くなっていると言うことですね?」

 学生達が不安気な表情で彼を見た。テオは認めたくなかったが、明白な答えが出ている以上、頷かざるを得なかった。

「明後日、ロバートソン博士に連絡を入れよう。明日は鑑定証明書を作成する。君達もそれぞれ作って提出しなさい。いずれ君達も各自で依頼を受ける立場になれば作られねばならない。」

 金庫に鑑定結果マップを保管して、みんなで研究室を出た。学舎を出て駐車場に向かっていると、植え込みの陰で2人の考古学者が立ち話をしているのを見かけた。フィデル・ケサダ教授とハイメ・ンゲマ准教授の師弟だ。低い声で人目を憚るような雰囲気だったので、テオは気がつかないふりをして通り過ぎた。考古学部の事情など知ったことではなかったし、恐らく彼等は現在アンティオワカ遺跡の発掘に関わっていない筈だ。ロバートソン博士の助手の行方不明事件と無関係だろう。
 テオは自分の車に近づくとロック解除して、後部トランクを開いた。そこに研究資料が入った鞄を入れ、トランクを閉じた。そしていつの間にか横にケサダ教授が立っていることに気がついて、ちょっとびっくりした。

「こんばんは。」

と教授が声を掛けてきた。

「少し時間を頂いてよろしいか?」

 

2023/12/09

第10部  依頼人     6

  ロバートソンが帰ると、テオは学生達を呼び戻し、午後の授業を行った。教室では研究室で行うのだ。ロバートソンから託された骨片を用いて作業を行った。
 骨を綺麗に洗浄し、砕かずに彼自身が開発した薬品で脱灰処理をしてカルシウムを融解した。タンパク質を除去して、D N Aを抽出し、P C R法による増幅を行い、コピーを多めに作った。同時にヘアブラシの毛髪を助手達に渡し、毛根からD N Aを抽出させた。
 学生達は毛髪からの遺伝子抽出には慣れていたが、骨片からのD N Aとの比較は初めてだった。彼等は比較対象が骨であることに緊張を覚えた様だった。

「先生、もしかして、これは犯罪捜査ですか?」
「恐らくな・・・」

 テオは犯罪捜査の為の遺伝子鑑定を既に何度か依頼されてきたので慣れている。しかし慣れたからと言って、心がいつも穏やかだとは言えない。骨になってしまった人の運命や遺族の気持ちを考えると、胸が重く感じるのだった。ロバートソン博士は言っていた。イスマエル・コロンには妻子がいるのだと。
 学生達に緘口令を敷くわけではなかったが、若者達は研究内容に関して他言しない。彼等はテオの研究室の中で行われることがセルバ共和国では最先端技術を用いた研究であると理解しており、外で気安く喋るものでないと知っていた。
 テオは自宅では研究の話をしない。話したところで同居している婚約者のシータ・ケツァル少佐に「難しいことを言われても理解出来ません」と拒否られてしまうだけだ。しかし事件の話は出来た。学生には研究の話は出来ても依頼内容は言えなかったが、少佐には研究内容を言えなくても事件の話は出来た。
 ケツァル少佐は事件内容より事件現場がアンティオワカ遺跡の近くと言うことに興味を抱いた。以前麻薬犯罪組織が麻薬の隠し倉庫に利用した遺跡の近所で殺人事件が発生した可能性があるのだ。

「アンティオワカはまだ閉鎖されたままですが、他人の留守宅に侵入する輩はどこでもいるものです。」

 少佐は遺跡を見ておきます、と言った。

2023/12/08

第10部  依頼人     5

  フローレンス・エルザ・ロバートソン博士はセルバ野生生物保護協会で小型のネコ科動物マーゲイの生息域の調査をしていた。マーゲイは家猫より一回り大きな動物で斑の毛皮が美しい。彼女の助手は5人いたが、そのうちの一人オラシオ・サバンは先住民の出で、単独行動が好きな男だった。森に出かけて1週間帰らないことが多かったので、彼が協会本部に姿を見せない日が続いても気にする者はいなかった。しかし、2週間前、別の助手で、ロバートソンより長く協会で働いていたイスマエル・コロンがサバンからの連絡が途絶えて10日以上経つことを思い出し、彼を探すべきだと言った。この時点ではまだ協会ではサバンがひょっこり帰って来るだろうと言う楽観があったので、コロンに賛同する人はいなかった。それでコロンは、一応ロバートソンの許可を得て一人で森に入った。サバンは普段奥地に入らなかったので、コロンもそんなに奥に行かないだろう、とロバートソンは思ったのだ。
 コロンの消息もそれっきり途絶えてしまった。
 1週間経って、協会は捜索に乗り出した。そしてアンティオワカ遺跡から西へ4キロ程入った森の中で、人間の死体らしきものを発見したのだった。

「動物に食い荒らされ、骨が散乱していました。衣類の断片と骨・・・それだけでした。」

 ロバートソンはハンカチを出して鼻を押さえた。

「衣類の色から、コロンの服だと推測されます。コロンが何らかの原因でそこで亡くなったとして、何故服と骨しか残っていないのか、不思議なのです。」
「・・・と仰ると?」
「普通、動物保護活動で森に入る場合でも、私達は護身用にライフルを持って行きます。使用したことはまだありませんが、何が起こるかわかりませんから。」

 テオは彼女が言いたいことを推測出来た。

「銃がなくなっていたのですね?」
「スィ。銃だけでなく、携帯電話も無線機もありませんでした。彼が背負って行ったであろう荷物の一切がありませんでした。」
「コロンさんは、動物に襲われたのではなく、人間に殺害されたとお考えですか?」

と尋ねてから、テオは慌てて言った。

「この骨片がコロンさんのものだと想定してのことですが・・・」
「それを確認したくて、アルスト博士に鑑定をお願いしたいのです。」

 ロバートソンは別の物をバッグから出した。ヘアブラシだった。

「コロンの奥さんからお借りしました。サンプルが足りなければ、別の物を借りて来ます。」
「これで十分だと思います。」

 テオは悲しい気分で言った。

「貴女のお考えが間違っていれば良いのですが・・・」
「コロンが殺害されたと考えると、サバンも無事ではないのかも知れません。」

 ロバートソンは鼻を噛んだ。

「鑑定費用はお支払いします。よろしくお願いします。」


2023/12/07

第10部  依頼人     4

  テオは客を彼の研究室に案内した。学生達が数人いたが、呼ぶまで待機と命じて退室させた。
 ロバートソンは改めて身分を示す名刺とパスポートを見せた。

「フローレンス・エルザ・ロバートソン、動物学者です。主にネコ科の動物を研究しています。」

 テオは彼女の名刺を眺めた。現在の職場の住所と連絡先が書かれていた。彼女が経歴をネットで確認しても良いです、と付け加えた。

「大使館で貴方のことを尋ねた折に、貴方がアメリカ人に対してあまり良い心象を持っていらっしゃらないと聞きました。貴方の側の詳細は存じませんが、お仕事を依頼するために、私のことをある程度知って頂いた方が良いと思います。」

 それでテオはその場でネット検索をさせてもらった。フローレンス・エルザ・ロバートソンはカリフォルニアの大学を出て、博士位を取っていた。母国ではピューマの研究をしていた。ピューマの生息域を調査して大陸を南下して、セルバ共和国に来た。そこで彼女はセルバの風土が気に入った。彼女自身の研究地域は南米まで延長されていたが、住居と収入を得るための職はセルバ共和国にあった。セルバ野生生物保護協会はいくつかの企業が出資して設立した財団で、彼女はそこでネコ科動物担当のリーダー的存在だった。
 テオは彼女のプロフィールを読み終えると、彼女に向き直った。そして遺伝子学者として当たり前の質問をした。

「何か新種の動物でも発見されましたか?」

 ロバートソンが首を横に振った。

「そうだとよろしいのですが・・・お断りされても仕方がない依頼内容です。」

 彼女は持って来た大ぶりの手提げバッグから慎重に一つの箱を出した。お菓子の紙箱だったが、中身は綿が詰めてあり、ビニル袋が大事そうに入れられていた。テオはその袋の中身を見て、当てずっぽうだったが勘に従って言った。

「骨片ですか?」
「スィ。」

 ロバートソンはアメリカ人同士でもスペイン語で喋り続けた。

「多分、人間だと思うのです。」

 テオは思わず彼女の顔を見た。ロバートソンは30代半ば。赤みがかった金髪で日焼けした顔に薄い青の目が悲しげに輝いていた。

「2月前、私達の仲間が一人、行方不明になりました。」

と彼女は語り始めた。

2023/12/06

第10部  依頼人     3

  その日の午後の授業がそろそろ始まろうかと言う頃、グラダ大学のカフェで生物学部遺伝子工学研究室の准教授テオドール・アルストは友人の考古学部教授フィデル・ケサダ教授と宗教学部教授ノエミ・トロ・ウリベ教授と共にお茶をしていた。シエスタで眠っていた脳を覚醒させるためだ。うんと濃いコーヒーを飲みながら、3人は次期学長選挙の予想を立てていた。テオは准教授だしセルバ国籍を取得してまだそんなに年数が経っていないから、選挙は問題外だ。ケサダとウリベ両教授は人望があるが、どちらも研究旅行などで大学を空けることが多いから、事務仕事が多い学長など無理な話だった。だから3人はお気楽に候補に上がっている他の教授達の批評をしていた。そこへ事務長が一人の女性を案内して近づいて来た。

「教授方、こんにちは。」

と事務長は挨拶して、礼儀として返事を待った。一番年長で女性のウリベ教授が代表して挨拶を返した。

「こんにちは、事務長。貴方がここへ顔を出すのは珍しいですね。」

 事務長は滅多に学生達が多いカフェにやって来ない。彼は真面目な顔で頷いた。

「お客を案内して来ました。アルスト准教授・・・」

 呼ばれてテオはわざとらしく彼を見た。事務長が後ろで控えていた女性を手招きして、紹介した。

「セルバ野生生物保護協会のロバートソンさんです。」
「ロバートソンです。宜しく。」

 白人女性だった。スペイン系ではない。テオは彼女にアメリカの匂いを嗅ぎ取った。服装がラフで活動的な運動部の学生が好んで着るシャツとボトムだが、中古のブランド物だと思われた。シャツの上に薄いベストを着ていて、胸に野生生物保護協会のロゴが入っていた。テオは立ち上がり、彼女が差し出した手を取り敢えず握って握手した。

「テオドール・アルストです。失礼ですが、アメリカの方ですか?」

 ロバートソンは頷いた。

「スィ、アメリカ人ですが、こちらの自然に魅せられてかれこれ10年程住んでいます。動物を密猟をから守る活動をしています。」

 彼女はテオをグッと見つめた。

「准教授に相談したいことがあって来ました。どこかでお話し出来ないでしょうか。」


2023/12/05

第10部  依頼人     2

  ティコ・サバンをその場に待たせて、ンゲマはセルバ国立民族博物館に電話を掛けた。恩師の恩師、ファルゴ・デ・ムリリョ博士の電話番号は知っていたが、直接掛けるのは気が進まなかった。大先生は電話に出たくなければ無視する。ンゲマは無視されるのが嫌だった。
 電話に出たのは博物館の職員で、館長は執務室にいると言った。そして有無を言わせず電話を館長執務室に回した。職員も館長に電話に出るか否かお伺いを立てて、拒否されたら掛けて来た人に断らなければならない、それが嫌なのだ。
 電話が繋がった。ンゲマは相手より先に喋った。

「グラダ大学のンゲマです。」

 すると、彼が驚いたことに、館長は機嫌が良かった。電話の向こうで、「ハイメか」と彼の名前を呼んでくれたのだ。

「スィ、お仕事の邪魔をして申し訳ありません。先生に面会を希望する人がここにいますので、少し時間を頂きたく思いました。」

 ンゲマは素早く電話をサバンの口元へ持って行った。サバンはちょっと驚いた表情を見せたが、すぐに電話に話しかけた。それはンゲマが知らない先住民の言葉だった。
 短い遣り取りの後で、サバンは別れの挨拶らしき言葉を呟き、電話をンゲマに返した。ンゲマが画面を見ると、既に通話は終わっていた。

「グラシャス、先生。」

とサバンは丁寧にンゲマに頭を下げた。そしてくるりと向きを変えると、空港ロビーの雑踏の中に消えて行った。
 ンゲマは暫くその後ろ姿を目で追っていたが、すぐに先刻の出来事を忘れることにした。セルバ共和国の先住民には他人に詮索されることを極端に嫌う習性がある。それは白人でもメスティーソでも同じだが、この国の先住民は特にその傾向が強い。サバンが古い言語を使って喋ったのも、ンゲマや周囲を歩いている通行人に話の内容を聞かれたくなかったからだ。
 ンゲマは頭を切り替え、早く家に帰ろうと歩き出した。


2023/12/04

第10部  依頼人     1

  グラダ大学考古学部准教授ハイメ・ンゲマは短い休暇を終えてグラダ・シティの大学へ戻ろうとしていた。発掘中のカブラロカ遺跡のことや論文や学生達のことを暫し忘れて、ベリーズの遺跡をお気軽に観光して来た。同業者に会うこともなく、学術的な話をすることもなく、仕事から離れて、彼自身の趣味を探求する心だけを満たす旅だった。旅行中に得た知識が、現在彼が研究中のセルバにおける古代の裁判方法とどう繋がりがあるのか、そんなことは今考えないでおいた。詳細に写真を撮ったし、書籍も購入した。それは後日じっくり眺めることになるだろうが、今は自宅である職員寮に帰ってスーツケースを置き、昼寝をしたい。
 彼がタクシー乗り場へ向かっていると、声を掛けて来た人物がいた。

「ンゲマ先生。」

 聞き覚えのない声だったが、はっきり聞こえた。彼は歩きながら振り返った。インディヘナの年配の男が立っていた。都会の人間ではない、とンゲマは断じた。発掘現場周辺でよく見かける地方の住民だ。知り合いではないが、ンゲマは地元民との繋がりを大切にする主義だった。地元民は遺跡やそれにまつわる言い伝えを教えてくれる大事な情報源だ。
 彼は足を止めた。

「スィ、私がンゲマです。」

 男が近づいて来た。服装から、カブラロカやオクタカスではなく、もっと北部のティティオワ山東部の住民だろうと思われた。だがアスクラカンではない。
 男は丁寧に右手を胸に当ててセルバ式挨拶をした。

「サマルのティコ・サバンと申します。突然の声掛けの無礼をお許し願いたい。」

 ンゲマも同じ作法で挨拶を返した。

「ハイメ・ンゲマ、グラダ大学考古学部准教授です。どのようなご用件でしょうか?」

 すると男は、言った。

「貴方の先生に私を紹介して頂きたい。」

 ンゲマは正直なところ、内心ガッカリした。彼の師匠は有名だ。有力な遺跡に関する情報はいつも師匠の下に集まって来る。

「恩師ケサダのことでしょうか?」

 すると男は表情を変えずに言った。

「その先生の先生に・・・」


第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...