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2022/11/23

第8部 シュスとシショカ      20

  軍事演習は確かに生やさしいものではなかった。大統領警護隊文化保護担当部の部下達は遠慮容赦無く上官に攻撃を仕掛けてきた。テオにはペイントボールを当てなければならないから、邪魔なケツァル少佐の注意を逸らすのが目的だが、石が降ってくるわ、実弾で撃ってくれるわ、でテオは生きた心地がしなかった。少佐も時々彼を岩陰に隠すと、部下を狩りに出かけた。
 真っ先に倒されたのはアスルだった。ある意味猪突猛進型の彼は強い気を放ったので、少佐に位置を正確に補足され、奇襲された。テオは気絶したアスルが少佐に引き摺られて集合地点に運ばれるのを呆然と見ていた。
 次に降伏したのはギャラガだった。少佐とグラダ族同志の力の出し合いをして、砂嵐で競ったが、結局押し切られた。砂や小石で全身をズタズタにされる前に、彼は白旗を掲げ、降参した。少佐は彼にアスルの番を命じ、残る2人のブーカ族を探しながらテオを頂上へ導いた。
 もうすぐ頂上付近の池の縁に辿り着くと言う時に、拳大の石がバラバラと飛んで来た。少佐が石を気の力で砕き、テオに岩陰に身を伏せて置くようにと言いつけた。それから大きな気配を感じた地点へ走った。テオは彼女の後ろ姿を見送り、それから飛んで来た石を見た。少佐に砕かれた石の断面がきらりと輝いた。

 え? オパール?!

 石を拾うと腕を伸ばした時、視野の隅に小柄な綺麗な毛皮のネコ科の猛獣が入った。そのネコはボールを咥えていた。

 オセロット? 

 マハルダ・デネロスだ、と気がついた時は遅かった。オセロットはパッと跳躍して、彼の背中に跳びついて来た。テオは思わず「ワァッ」と叫び声を上げた。背中にペイントがベッタリと飛び散った。オセロットは彼の背中を蹴って、その勢いで大岩の向こうへ走り去った。
 テオの叫び声を聞きつけた少佐が戻って来た。そしてペイントで汚れたテオの合羽を見た。

「あーあ・・・」

 彼女は悔しげにアサルトライフルの台尻を地面に打ち付けた。テオは言い訳した。

「マハルダがナワルを使ったんだ。それってあり?」
「軍事訓練ですから、必要と判断すれば・・・」

 少佐が舌打ちした。

「彼女はずっと気配を消していました。男達は石や砂や銃で攻撃を仕掛けて来ました。彼等の気の力に私が注意を向けている間に、彼女は変身して貴方に近づいたのです。気の大きさでは彼女が一番弱いのですが、知恵は回りますからね。」

 彼女はライフルを空に向けて続け様に2発撃った。訓練終了の合図だ。 集合場所ではなかったが、池の縁の向こう側からロホが姿を現し、やって来た。ギャラガも目を覚ましたアスルと一緒に登って来た。

「マハルダ!」

 少佐が呼ぶと、少し離れた所で少尉は答えた。

「もう少ししたら行けます。」

 人間に戻って服を着ているのだ。
 テオはペイントでベトベトになった合羽を脱いだ。それから、光る断面の石を拾い上げた。ロホがそばに来たので、それを見せた。

「君が飛ばして来た石だ。光っているんだが・・・」

 ロホが眺めて、ニヤリと笑った。

「ラッキーですね! 見事なオパールの原石ですよ。」
「君が選んでくれたのか?」
「まさか! 私は鉱物師じゃありませんよ。」

 そこへケツァル少佐が近づいて来たので、テオは石をポケットに突っ込んだ。

「昼飯の前に終わったな。」

と言うと、彼女は苦笑した。

「オセロットにしてやられました。ところで、帰り道、あの子はきっと眠たくなるでしょうから、背負ってやって下さいね。」
「マハルダなら、喜んで・・・痛!」

 少佐はテオの足の甲を踏んづけて、アスルとギャラガの方へ行ってしまった。

2022/11/22

第8部 シュスとシショカ      19

  土曜日の朝、テオのアパートに泊まった大統領警護隊文化保護担当部の男達は、隣のケツァル少佐の部屋のダイニングで早い朝食を取り、同じく少佐のアパートに泊まったデネロス少尉と共に少佐に引き連れられて週末の「軍事訓練」に出かけた。テオも同伴させてもらったが、行き先は近所ではなかった。
 まだ薄暗い早朝の通りで、”ヴェルデ・シエロ”達は空間の歪み、彼等が「入り口」と呼んでいる場所を見つけ、1人ずつ入って行った。最初に入った者と同じ場所に出る練習だと言う。当然ながら最初に入ったのは大尉であるロホで、少し時間を置いてから、中尉のアスル、少尉のデネロス、ギャラガの順に「入り口」に入った。テオは最後にケツァル少佐に手を引かれて入った。少佐はあまり空間移動が得意でない。目的地へは間違いなく到着したが、「着地」は下手だ。テオは最後に入った筈なのに、先に出てしまい、少佐が彼の背中に乗っかる形で地面に押し付けられた。

「君はどうしていつもこうなんだ!」

 思わずテオが呻くと、少佐が反撃した。

「すぐに場所を空けてくれないからです。」

 先に到着していた部下達がクスクス笑って見ていた。
 少佐が立ち上がり、軍服の泥を落とさずに部下達を見た。

「全員揃っていますね。」

 そしてテオが立ち上がるのを横目で見た。

「手足も全部ついていますね、ドクトル?」
「バラバラになって移動するなんて聞いたことがないぞ。」

 テオは周囲を見回した。見覚えがある風景だった。地面が斜めになっていて、膝までの高さの草が生えている。斜面の下は森が広がっていた。斜面の上は砂利と岩の山の頂だ。

「ティティオワ山か・・・」

 少佐がテオに大きなサイズの合羽を手渡した。頭からフードですっぽり入る形だ。

「私とドクトルはこの山の山頂から今いる高度までの間をぐるりと散歩します。あなた方は、今朝アパートで渡したカラーペイントのボールをドクトルに投げて下さい。ボールは1人5個。ドクトルに当てられたら、今夜夕食でビールを2本追加してよろしい。」

 つまり、少佐がテオにボールが命中するのを妨害するので、彼女の隙をついてみろ、と言う訳だ。いかにも”ヴェルデ・シエロ”らしいゲームだが、ちょっと子供染みていないか? とテオは内心感じた。しかし黙っていた。部下達が真剣な表情になったからだ。これは、上位の超能力者と戦う時の訓練だ。
 少佐が時計を見た。

「今、0700です。1130迄、訓練時間とします。休憩は各自の判断で取ること。1130にここへ集合。では、散開!」

 部下達が一斉に散って行った。緊張と楽しげな雰囲気が混ざっている。文化保護担当部の軍事訓練はいつもこんな調子だ。他の部署の隊員達からは遊んでいる風に見えるらしい。だが他部署の指揮官達はケツァル少佐も部下達も真剣なのを知っている。
 部下達が見えなくなると、少佐はテオを振り返った。

「頂上へ行きましょう。」
「ただ歩くだけかい?」

 標的にされてテオはちょっと不満だったが、この山には忘れられない思い出がある。

「歩くだけですが・・・」

 少佐が岩場を指差した。

「部下達が私の隙を突くために、土砂崩れや落石で攻撃して来ますから、斜面の変化に注意を払って下さい。油断すると死にますよ。」


2022/11/21

第8部 シュスとシショカ      18

  久しぶりにテオはロホ、アスル、ギャラガとゆっくり世間話が出来た。全員で夕食の後片付けをして、テオの区画のリビングで男だけの寛ぎの時間を持ったのだ。ケツァル少佐は一向に気にせず、デネロスと女のお喋りを楽しんでいた。金曜日の夜だ。
 ロホとグラシエラ・ステファンの交際がどこまで進んだか、とか、アスルが昇級に再び無関心でサッカーに熱中するので、少佐がトーコ中佐からお小言をもらったとか、ギャラガが大学の論文大会に出場することになって、壇上に立って話す練習をしているとか、そんな他愛ない話だ。友人達を揶揄ったり、笑ったりしているテオに、アスルがいきなり反撃に転じた。

「そう言うドクトルは、いつ少佐と正式に結婚するんだ?」
「え・・・?」

 テオは固まってしまった。彼の顔を見つめ、ロホが吹き出した。

「一緒に住んでいるんでしょ? 結婚のお試し期間ってことなんだから、少佐のご両親も、ゴンザレス署長も早く結果を聞きたいと思いますよ。」
「そんなこと、言われても・・・」

 テオは撫然とした。

「俺1人で結論を出せる筈ないじゃないか。」
「でも少佐は出しておられる筈ですよ。」

 ロホがニヤリとした。

「女性が嫌だと言わないのは、O Kってことでしょ?」
「そ・・・そうなのか?」

 テオはアスルとギャラガを見た。2人とも澄ました顔で彼を見返した。ロホと違って女性との噂話が全くない2人だ。

「実を言うと、君達”ヴェルデ・シエロ”が求婚する時の作法を知らないんだ。」

 テオが白状すると、3人が笑った。

「古式床しいプロポーズの作法なんて今時流行りませんよ。」

とロホが言った。アスルが肩をすくめた。

「俺は習ったことがない。」
「私も作法なんて何も知りません。」

 ギャラガもあっけらかんと言い放った。

「軍隊ではそんな作法なんて教えてくれませんから。」
「知りたけりゃ、ケサダ教授に聞けば良いじゃん。ムリリョ博士の娘と結婚しているんだから、正しい礼儀作法で求婚したんじゃないか?」
「貴方の国のやり方で十分でしょう。」

 ロホが優しく言った。

「セニョール・ミゲールは奥様にスペイン流で求婚なさったのだと思いますよ。ゴンザレス署長だって、そうじゃなかったんですか? 少佐に限って言えば、どこの作法でも気になさらないでしょう。」

 それでテオは彼女の指のサイズを手を握って測ったことを告白した。3人の友人達は彼の才能を疑わなかった。

「それじゃ、石は何にするんだ?」
「ドクトル、ダイアモンドを買えるんですか?」
「ダイアモンドじゃなけりゃ、駄目なのか?」
「まさか!」

 するとロホが溜め息をついて教えてくれた。

「セルバでプロポーズに使う石は、オパールと言うのが定石ですよ。ティティオワ山の麓で算出する綺麗なヤツです。」



第8部 シュスとシショカ      17

  翌日、仕事を終えるとケツァル少佐は部下達を彼女のアパートに集めた。テオの帰宅を待ってから、カーラの美味しい手料理を味わい、それからアーバル・スァット盗難事件捜査の終結を宣言した。

「あなた方には中途半端な印象しか残らないでしょうが・・・」

 少佐は向かいに座っているテオにウィンクした。それでテオが言葉を継いだ。

「許される範囲で俺達・・・君達と俺が調べたことをまとめてみよう。事件の真相はかなり古くから根があって、それは君達の文化や掟の問題にも繋がるから、触れないことにする。
 簡単に言えば、シショカ・シュスと言う家族には2系統あって、昔から族長をどちらから出すか、どちらが主流になるかで争ってきたと言うこと。そして君達が突き止めたカスパル・シショカ・シュスと言う男性が、個人的な怨恨で恋人の実家であり、彼自身の近い親族であるシショカ・シュスを神像の呪いで殺害しようと考えたことだ。
 恋人の実家は、カスパルの恋人がカスパルを裏切って結婚した白人の家族を様々な卑怯な方法で殺害し、その家の財産を乗っ取っていた。カスパルがその家族を呪い殺そうと考えた原因は、財産乗っ取りでなく、ただ恋人を奪われた恨みだったらしいけどね。
 問題は彼の心の闇を、もう一つのシショカ・シュスの系統が何らかの形で知ったことだ。そっちの系統は、カスパルの恋人の実家を追い落とす機会を幾つかの世代を超えて狙っていた。だからカスパルに近づき、彼に神像を用いて報復する方法をそれとなく伝えたに違いない。
 カスパルはアルボレス・ロホス村の住民だったチクチャン兄妹を利用し、操って神像を盗んだ。2回盗んで、1回目は利用しようとしたロザナ・ロハスが想定外の行動を取った為に失敗し、2回目は遺跡の警備員を爆裂波で傷つけてしまった。何とか神像を建設省に送りつけたが、それは大臣を呪い殺すのが目的ではなく、セニョール・シショカに恋人の実家が犯した悪事を調べて欲しかったのだと、大統領警護隊の取り調べでパスカルは白状したそうだ。
 俺達から見れば随分ぶっ飛んだ方法と言うか、理屈だけど、カスパルはセニョール・シショカが神像を送りつけたのがチクチャン兄妹だと突き止めるだろうと予想した。兄妹の調査からアルボレス・ロホス村の不幸をシショカが知り、村に投資したマスケゴ族の家族、つまりカスパルの恋人の実家が投資に失敗して没落した筈なのに、直ぐに立ち直った理由を探るだろう、とそこまで考えたそうだ。つまり、シショカと言う家系の総帥であるセニョール・シショカを使って、恋人の実家に復讐しようとしたんだ。だが、君達文化保護担当部の捜査でカスパルの関与が判明し、彼は捕縛された。」

 テオは口を閉じた、一気に喋ったので、喉がカラカラだった。彼が水のグラスを手に取って、口に冷たい水を流し込むと、マハルダ・デネロス少尉が質問した。

「チクチャン兄妹はどうなりますか?」

 ケツァル少佐が溜め息をついた。

「難しい質問ですね。彼等は一族ではありません。遠い祖先に一族の血が入っていて、”心話”や”感応”受信を使えますが、一族とは認められないし、一族のことを何も知りません。ですから、大統領警護隊は彼等に接触した警護隊の隊員に関することを一切口外しないよう言い含めてから、グラダ・シティ警察に引き渡すことにしました。セルバ人ですから、大統領警護隊に逆らうとどうなるか、彼等は承知しているでしょう。」
「つまり、ただの遺跡泥棒と言うことですか?」
「スィ。あまり罪を増やすと、箝口令を守ってくれなくなる恐れがありますからね。刑期を終えたら社会に戻れると言う希望を与えてやります。」
「理解しました。」

 デネロスがホッと肩の力を抜いた。彼女はチクチャン兄妹と直接対峙したことがなかった。しかし彼等を追跡調査したので、ちょっと思い入れがあるのだろう。アンドレ・ギャラガ少尉は別の人間を心配した。

「カスパルに爆裂波を喰らった警備員は、元の体に戻れますか?」

 これにはロホが答えた。

「記憶障害と言語障害が少し残るが、体はもう大丈夫だそうだ。アンゲルス鉱石は彼に簡単な仕事を用意して、これからも雇用すると約束した。」

 セルバ共和国では珍しいことだが、労災があまり補償されない国でその待遇はラッキーだ。

「カスパルは大罪人だから、当然の処分が下されるでしょうね?」

とアスルが確認した。少佐が無言で頷いた。それから、ちょっと思い出したように言った。

「バスコ診療所でアラム・チクチャンを治療した代金を、大統領警護隊はカスパルの口座から引き出してピア・バスコ先生に支払いました。」

 思わず一同は笑ってしまった。司令部ではなく、ステファン大尉がそう判断したのだろう、とその場にいた誰もが確信した。

「騒動の大元の2つの家系の方は何か処分とかあるんですか?」

 デネロスが興味を抱いて尋ねた。ロホが彼女を嗜めた。

「それは長老会レベルの話だよ、マハルダ。マスケゴ族の部族政治に絡むから、私達他部族は触れてはいけないんだ。」
「俺はセニョール・シショカが何かするんじゃないかと、心配だよ。」

とテオが正直に言った。

「族長のムリリョ博士が彼を呼びつけていたけど、あのシショカのことだ、シショカ一族の総帥として、あるいは”砂の民”として、きっと動くだろう。」
「動いても、あの男の仕事だ、誰も不自然と感じない形で粛清が行われるに決まっている。」

とアスルが囁いた。
 暫く一同は黙っていた。それぞれコーヒーや軽くワインを口にして、それからギャラガが思い出して尋ねた。

「アーバル・スァット様を遺跡に戻すのは誰です? セニョール・シショカが持って行くのですか?」

 全員が不安そうに少佐を見た。シショカは神像の扱い方を知っているだろうが、悪霊祓いや封印に関して素人だ。大統領警護隊文化保護担当部はそれが心配なのだ、とテオは理解した。少佐が大きな溜め息をついた。

「私が持って行きましょう。」



2022/11/20

第8部 シュスとシショカ      16

  アブラーンの妻がテラスへ出る掃き出し窓からカサンドラを呼んだ。カサンドラが振り返ると、彼女は来客を告げた。

「チャクエク・シショカさんが来られました。」

 テオとケツァル少佐が驚いていると、ムリリョ博士が娘の代わりに返答した。

「こちらへ通せ。」
「承知しました。」

 テオは博士に尋ねた。

「セニョール・シショカも呼ばれたのですか?」
「シショカ・シュスの人々の代表としてな。」

 ムリリョ博士は族長の顔になっていた。そして娘に言った。

「客人達を中の部屋へご案内しろ。」

 つまり、テオとケツァル少佐には話を聞かせたくないと言うことだ。族長と家系の代表としてではなく、”砂の民”としての話し合いなのだろうとテオは見当をつけた。
 カサンドラが立ち上がったので、テオ達も席を立った。3人がリビングに入ると同時に、セニョール・シショカが反対側の入り口からリビングに入って来た。テオ達を見ても驚かなかったのは、車を見ていたからだろう。

「今晩は」

と彼はケツァル少佐とカサンドラに挨拶した。それから、テオにも不承不承会釈して、テラスに出て行った。その後ろ姿をカサンドラは無言で眺め、それからテオ達に向き直った。

「今夜はこれでお終いにしましょうか?」
「そうですね。」

と少佐が応じた。何も意見することはなかったし、出来ることもなかった。
 テオは気になることを尋ねた。

「カスパル・シショカ・シュスと言う男は、やはり大罪を犯したとして処罰されるのですか?」
「人間に対して爆裂波を使いましたからね。」

とカサンドラが冷ややかに答えた。ケツァル少佐も頷いた。

「彼の行動には、何一つ同情の余地はありません。遺跡の警備員とアラム・チクチャン、2人に対して爆裂波を使ったことは、被害者が生存していようがいまいが、大罪です。それに恋人の家族を呪い殺すつもりだったのでしょう?」
「そうだけど・・・」

 テオはケマ・シショカ・アラルカンの必死な表情を思い出した。

「甥っ子の助命嘆願は無駄なのか・・・」
「減刑の理由がありません。」

 カサンドラは硬い表情で言った。

「助命嘆願に来た若者の母方の叔父がカスパルでしたね。若者の家族はこれから針の筵に座る思いで一族の中で生きていかねばなりません。大罪を犯した事実は、一族全般に触れられますから。」
「”ティエラ”として生きていけば良いのです。」

とケツァル少佐が言った。

「私もそうやって成長して来ましたから。」

 少佐の産みの両親は大罪人だった。母親は死ぬ間際に減刑されたのだ。父親は汚名を着せられたまま殺害された。ケツァル少佐は殆ど白人同然の養父に預けられ、何も知らない白人の養母に育てられた。少佐は・・・幸福いっぱいに育った。
 カサンドラが少佐を見て微笑んだ。

「大人になってから”ティエラ”として生きるのも楽ではないと思いますが、その若者は既に社会に出ているのでしょう?」
「市の職員です。」

とテオが答えると、彼女は頷いた。

「それなら乗り越えられますよ。親戚付き合いをしなければ良いと言うだけです。理性的に振る舞って、真面目に生きていれば、早晩一族の社会に戻れます。」


第8部 シュスとシショカ      15

 「ファティマのシショカに勝つことを目標としてきた煉瓦工場のシショカ達は起死回生を図って、投資をしたのです。」
「アルボレス・ロホス村・・・」
「スィ。馬鹿な投資です。今時生ゴムなど企業を立て直せるようなお金になりません。しかし彼等は賭けたのです。そしてご存知のように、あの村は泥に埋まりました。煉瓦工場は殆ど倒産寸前となりました。一族は金銭的な援助をしません。異種族から攻撃を受けて困っていると言うなら助けますが、経済的な援助はしないのです。そして我々は経済的に困窮しても一族に助けを求めません。自力で切り抜けるしかありません。」

 カサンドラはそこで冷めたコーヒーを少し口に入れた。唇を湿らせてから、彼女は続けた。

「煉瓦工場が突然借金を完済した時、正直我々は驚きました。一族だけでなく、”ティエラ”の同業者や債権者も驚いたのです。彼等はどこからお金を調達したのかと。銀行からも見放されていた会社が生き返ったのですから無理もありません。アブラーンは私に調査を命じました。煉瓦工場のシショカ達が外国から資金を得たかも知れないと危惧したのです。外国人からお金を借りたら、外国人に会社を乗っ取られる恐れがあります。セルバ共和国の守護者を自負する我々にとって、それは憂うべき事態です。煉瓦工場への出資者が外国人であれば早急に手を打たねばなりませんでした。」
「でも、出資者はいなかった・・・」

 テオの言葉に、彼女は同意した。

「いませんでした。彼等は借り入れもしていませんでした。お金は奪ったものでしたから。」

 ケマ・シショカ・アラルカンがテオとムリリョ博士に語ったことは事実だったのだ。

「彼等は娘を金持ちの白人に嫁がせました。婿を操って財産の乗っ取りを企んだのです。しかし肝心の娘がお産に失敗して死んでしまいました。そこで彼等は暴挙に出たのです。」
「ケマ・シショカ・アラルカンが俺に言った、カスパルの言葉は真実だったと言うことですか?」

 すると初めてムリリョ博士が反応した。小さく頷き、吐き捨てるように言った。

「煉瓦工場の奴らは、白人の家族を事故や病気に見せかけて皆殺しにしたのだ。連中自身は娘の敵討ちだと自分達に言い訳してな。」
「勿論、我々は今までそんな悪事が行われていたことを知りませんでした。」

 カサンドラが言い訳した。

「私は彼等の取引先や銀行ばかり調べていました。姻戚関係となった白人の身元も調べましたが、スペイン系の金持ちだとわかった以外のことに、つまりその家族が次々と死んでいることに調査を及ばせることをしなかったのです。」

 ムリリョ博士はチラリと娘を冷たい目で見た。娘や息子の仕事が完璧でなかったことへの苛立ちだ。しかしカサンドラもアブラーンも”砂の民”ではない。父親の様に各地にスパイの様な手下を持っているのでもないのだ。会社の名前で動かせる人間はいるだろうが、”砂の民”の情報収集能力とは少し違うだろう。

「私達ロカ・エテルナ社にとって、件の煉瓦工場のシショカは無視出来る存在の筈でした。ですから私も真剣さが足りなかったのです。これは父に責められても仕方がありません。」

 この場合の「父」は”砂の民”ではなく”族長”だ。カサンドラは「しかし」と続けた。

「ロカ・エテルナ、或いはムリリョやシメネスにはどうでも良いことでも、別のシショカやシュスにとって、煉瓦工場の不思議な復活は重要でした。彼等の血族の中の主導権争いになりますから。だから、ファティマのシショカが動いたのです。彼等は煉瓦工場の死んだ娘の元の許婚だったカスパル・シショカ・シュスに接触して、彼女の死の真相を探れと持ちかけたのです。」

 だが、カスパルは恋人の死の責任は彼女の実家にあると信じ、白人の婚家の死人については重要視しなかった。ファティマのシショカが望んだ煉瓦工場の足を引っ張ることではなく、煉瓦工場の人々を呪い殺すことを思いついたのだ。呪いを使えば、己が大罪に問われることはない、と考えた訳だ。

「それでカスパルは、最も簡単に、最も早く呪いの効果が出せる方法を探り、アーバル・スァット様の神像を見つけたのですね?」

 ケツァル少佐の質問に、カサンドラは頷いた。

「アーバル・スァット様が非常に気難しく扱いにくい神様であることは、オスタカン族に神像を作って与えたブーカ族の氏族の間では今でも語り伝えられています。この氏族とシュスの家で配偶者のやり取りがありました。それでカスパルは遠い親戚であるブーカ族から神像の知識を得たのです。」
「彼はオスタカン族の子孫からも情報を集めたようです。そして恋人の実家が没落する原因となったアルボレス・ロホス村の元住民を利用したのですね?」
「スィ。用心深い男でした。」
「しかし間抜けだ。」

 とムリリョ博士が吐き捨てる様に言った。

「利用しようとした村人の遠い祖先に一族の血が流れていた。そしてマヤ人の血も流れていた。だから”操心”を完全に成し得なかった。己の力を過信して、誰でも操れると思い込んだのだ。」
「それでチクチャン兄妹に反抗された・・・」

 カサンドラが薄笑いを顔に浮かべた。

「ファティマのシショカ達が全てをカスパル・シショカ・シュスに任せた訳ではありません。彼等はずっとカスパルを監視していました。いつでも煉瓦工場のシショカ家族の足を引っ張る材料を見つけるためにです。だから2人のチクチャンからカスパルの不完全な”操心”を解くと言う妨害もしたのです。」
「それじゃ、チクチャン兄妹の反抗は・・・」
「ファティマのシショカの仕業です。カスパルが焦って恋人の家族に暴挙を仕掛けることを期待したのです。」

 少佐がテオに向かって言った。

「煉瓦工場の家族に騒ぎが生じれば、建設省の秘書が動きます。セニョール・シショカは送り付けられた神像と煉瓦工場の不祥事を結びつけ、煉瓦工場の家族に粛清を与える・・・そこまでファティマの連中は考えたのでしょう。」

 テオは頭をかいた。

「君達一族は人口が少ないじゃないか。それなのに身内でそんな蹴落とし合いをして、どうするんだ? 族長に選ばれる為に、もっと理性的に一族に尽くさなきゃいけないんじゃないのか?」
「私に言わないで下さい。」

 ケツァル少佐はそう言って、カサンドラにウィンクした。カサンドラが苦笑した。

「我が部族の女は投票権がありません。父は族長職を退くので、最後の同点の場合のみ投票します。ですから、今ここで話をしている4人は、投票をしない人間です。候補者がどんな人格なのか私は知りませんから、今した話が選挙に影響があることなのか否かもわかりません。ただ、長老会は部族に関係なく選挙が公明正大に行われたことを審査します。少しでも不正があると判断されたら、その疑われた人はもうお終いです。カスパルは大統領警護隊でどこまで喋るか知りませんが、煉瓦工場もファティマも良い結果を得られないでしょう。」


2022/11/17

第8部 シュスとシショカ      14

  ロカ・エテルナ社の副社長にしてファルゴ・デ・ムリリョ博士の長女カサンドラは、義理の姉にコーヒーをテラス迄運んでもらうと、当分の間そこに近づかないよう要請した。アブラーンの妻は黙って頷くと家の奥に去って行った。
 テラスは地面の上に露出した岩を削って作ったもので、4隅に篝火が焚かれていた。篝火は門の両脇にも置かれていたので、テオは客をもてなす一種の趣向だと思ったのだが、食事の時にケサダ教授が、あれは来客があると近所に伝えるものだと教えてくれた。大事な客だから、客が家にいる間は邪魔をしてくれるなと言う意思表示なのだと言う。しかしテラスの篝火は本当にただのもてなしの趣向だろう。”ヴェルデ・シエロ”は暗闇の中でも目が利くが、一般人のテオは明かりが必要だ。しかしライトの灯りでは無粋なので篝火を焚いてくれたのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”が3人もいれば羽虫が寄って来ない。

「建設省のシショカの下に神像が送られてから、大統領警護隊が港の荷運び人のシショカ・シュスを確保する迄の、あなた方の調査の経緯と結果を、父から聞きました。」

とカサンドラが言った。

「そしてドクトル・アルストが大学で面会した文化センターの男の話も聞きました。同じ名前の人間が多い我が一族の欠点は、名前だけ聞いていると関係がよく理解出来ないことですね。」

 彼女はテオを見て苦笑した。ムリリョ博士は無言だ。無表情で娘を見ていた。

「現在、シショカを母姓に持つ家系は5つあります。全て同じ先祖を持ちます。シュスを母姓に持つ家系は7つです。こちらも同じ先祖を持っています。そしてシショカとシュスは互いに姻戚関係を結ぶ仲でもあります。」
「えっと・・・」

 思わずテオは口を挟んでしまった。悪い癖だが、疑問が頭に浮かべば質問せずにおれない性格だ。ムリリョ博士が睨んだが、彼は怯まなかった。

「アラルカンやシメネスやムリリョの家系は彼等と姻戚関係を持っていないのですか?」

 カサンドラは、恐らく会社の重役会議や商談会議で割り込みの質問に慣れているのだろう。父親の不機嫌を無視してテオの質問に答えてくれた。

「どうしてもと望まれぬ限りは、娘を馴染みの薄い家系に嫁がせることはしません。伝統的に子供達に幼い頃から交流を持たせ、成長するに従って互いを意識するように大人が段取りするのです。現代は女性の行動範囲が広がり自由に恋愛する人もいますが、私達が子供の頃はまだ結婚は親が決めるものでした。ですから、シメネスとシュスが交わることやショシカがムリリョと婚姻することはまずありませんでした。」
「アラルカンはどことペアになっていたんです? 昨日会ったケマと言う若者は、シショカ・アラルカンと名乗っていましたが・・・」

 カサンドラが薄い笑を浮かべた。

「アラルカンはシュスと婚姻を結びます。ですが普通はシショカと結婚しません。元は別の家系がペアだったのですが、その家系は死に絶えたのです。」
「死に絶えた?」

 するとムリリョ博士が珍しく皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。

「アラルカンはケサダとペアだったのだ。」
「えっ!」

 これにはテオのみならずケツァル少佐も驚いた。テオはずっと以前にフィデル・ケサダの出生の秘密を博士から聞かされた時のことを思い出した。フィデルの母親は息子の出自を隠す為に、既に死んでしまったマスケゴ族の男の名前を出生届に書いたのだ、と。だから、今生きているケサダを名乗る男は、実際はケサダではなく、マスケゴ族でもないのだ。そしてフィデル・ケサダはシメネス・ムリリョの娘と結婚した。2人の間の子供達は十中八九シメネスの名を受け継ぎ、ケサダの名はやがて消えるだろう。それを承知でフィデルの母親は息子に絶えた家系の名を名乗らせたのだ。
 カサンドラが笑った。

「フィデルがまだ独身だった頃に、アラルカンから彼を婿に迎えたいと言う申し出がありましたの。でも父は門前払いしました。養い子には既に許婚がいると言って。勿論、私の妹のコディアが先に父に彼との結婚を許して欲しいと申し出ておりましたが、父はまだその返事をしておりませんでした。」
「その門前払いがコディアさんへの返事になったのですね?」

 テオは思わず微笑んでしまった。カサンドラは愉快そうに笑った。

「父は優秀な養い子を他所の家に取られたくなかっただけですよ。」
「アラルカン如きにフィデルをやる訳にいかなかった。連中ではあの男を扱えぬ。」

 フィデル・ケサダは純血のグラダ族だ。それを知られては困る。そして、その秘密はカサンドラも知らないのだ。彼女は単に父が養子を愛していて、他家に譲りたくないだけだと思っている。
 
「話の腰を折って申し訳ありませんでした。」

とテオは話題を修正しようと努力した。

「シショカとシュスの家系のお話でしたね?」
「スィ。」

 カサンドラは頷いた。

「大統領警護隊が捕らえた神像泥棒の男は、この家の南にある家の家族で、煉瓦工場のシショカと呼ばれている家の者です。現在はタイルを作っていますが、昔は耐火煉瓦の大手製造業社でした。」

 マスケゴ族は建築関係で古代から生業を立てていた部族だ。大手ゼネコンと言える大企業に成長したロカ・エテルナ社だが、中小の同業者や同分野の業者の情報は漏れなく収集していると見て良いだろう。そしてその情報収集が社長のアブラーンではなく副社長のカサンドラの仕事なのだ、とテオは理解した。

「煉瓦工場のシショカは過去2世紀、家族の中から族長を出していません。候補に立つのですが、その度に他の家系に負けていました。他の家系と言うのは、別のシショカやシュス、アラルカン、シメネス、そしてムリリョです。特に、別のシショカの家系とはかなり熾烈な争いをしていました。」

 カサンドラは新素材の建築材を扱うファティマ工芸と言う会社のパンフレットをケツァル少佐に渡した。少佐はそれをテオにも見えるように広げた。

「煉瓦やタイルとは違う素材で壁を造る会社なのですね?」
「スィ。壁紙や擬似タイルも造っています。」
「つまり、煉瓦工場のライバル?」
「スィ。事業でも族長選挙でもライバルなのです。」
「でもずっとファティマのシショカが勝っていた・・・」
「スィ。煉瓦工場のシショカは焦っていたでしょうね。部族内での発言権が小さくなれば、婚姻にも支障が出ますし、仕事にも影響が出て来ます。勢いのある家族は白人社会にもメスティーソの社会にもどんどん入り込めますから。ところが・・・」

 カサンドラが顔から笑みを消した。


2022/11/16

第8部 シュスとシショカ      13

  玄関でテオとケツァル少佐を出迎えたのは、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妻だった。テオ達はお招きに対する礼を述べ、土産を渡した。妻はにこやかに微笑みながら彼等をリビングへ案内した。そこにはムリリョ博士、アブラーン、博士の長女カサンドラ・シメネス・デ・ムリリョ、それにフィデル・ケサダ教授がいた。博士の次男が揃えばムリリョ家の代表者達が勢揃いになるのだろうが、次男はいなかった。
 形式通りの挨拶を交わし、少し世間話をしてからダイニングへ移動した。テオは出来るだけ室内をキョロキョロしないよう務めた。普通の家の普通の装飾だ。ミイラも遺跡からの出土品もない。落ち着いたスペイン風の陶器や絵画が飾られているだけだった。博士の個室はどんなだろうと想像したが、大学の研究室しか思い浮かばなかった。アブラーンの子供達は上の階にいるのだろう、声すら聞こえなかった。
 食前の挨拶を行ったのは、当主のアブラーンだった。

「正直なところ、父が客を招くのは滅多にないことで、本来は父が挨拶するべきですが、私にしろと命令が下ったので、僭越ながら挨拶をさせて頂きます。」

とアブラーンが茶目っ気たっぷりに喋り出した。恐らく取引先や重役達と会食する調子でしゃべっているのだ。テオはマスケゴ族の族長の家ではどんな会話が普段なされているのか想像出来なかった。だからアブラーンが普通に時候の挨拶をして、ちょっとした世間話をして場を和ませてから乾杯の音頭を取ったので、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。そっとケサダ教授を見ると、教授も「なんで自分はここにいるのだろう」と言う顔をしていた。だがカサンドラは違った。冷ややかに兄を見て、それから少し緊張した面持ちで父親に視線を向けた。
 ムリリョ博士は口を利かなかった。食事が始まり、給仕の息子の妻や孫娘とちょっと言葉を交わしただけで、料理もあまり量を取らなかった。アブラーンが物音を立ててケサダ教授の注意を引いた。2人の義理の兄弟の間で”心話”が交わされるのをテオは見逃さなかった。微かに教授が肩をすくめた様で、アブラーンもがっかりした様子だ。

 もしかして、アブラーンと教授は何も知らされないまま、この食事会にいるのか?

 穏やかに食事が終わり、やっと博士が動いた。

「テラスでコーヒーでも如何かな、客人?」

 テオと少佐は同意した。彼等が立ち上がると、カサンドラも続いたが、アブラーンとケサダ教授は残った。驚いたことに、アブラーンが父親に苦情を言った。

「どうせ私とフィデルは除け者でしょう?」

 博士はジロリと息子を見た。

「お前達には関係ない話と言うだけのことだ。」

 するとケサダ教授が義兄に囁いた。

「選挙の話を他部族に解説するだけでしょう。」
「シュスとシショカの争いか?」

  博士がむっつりとした顔で言った。

「わかっておるなら、黙っておれ。」

 アブラーンも立ち上がると、教授に声をかけた。

「フィデル、上の階へ行こう。私達は向こうでコーヒーを飲むことにしよう。」
「良いですね。」

 教授は義兄に逆らいもせず、素直に立ち上がり、後について行った。テオはケツァル少佐を見た。てっきりアブラーンが博士の補佐を務めるかと思ったのに、その役目は娘のカサンドラが果たすようだ。


2022/11/15

第8部 シュスとシショカ      12

  帰宅して、ケツァル少佐の帰宅を待ってから2人は夕食を共にした。少佐がムリリョ博士の自宅訪問が明日の午後8時になったと告げた。

「夕食への招待と言う名目です。」
「じゃ、手土産が要るな。博士はワインなんて飲みそうに見えないけど・・・」
「博士は飲まれなくても、アブラーンは飲みますよ。」

 ムリリョ博士は長男アブラーンとその家族と同居しているのだ。テオはマスケゴ族の家庭に招待されたことがなかったので、ちょっと緊張を覚えた。だがよく考えると、親友のロホやアスルの家族が住む家にも招待されたことがないのだ。

「俺が招待されたことがあるのは、ロペス少佐の家とカルロの実家だけだ。君達の一族はどんな客のもてなしをするんだい?」

 少佐が肩をすくめた。

「特別な儀式などしませんよ。普通のセルバ人の家庭に招かれた時のことを思い出して下さい。料理も特別な物ではないでしょう。」

 それでテオはワインを、少佐は女性の家族の為に菓子を持って行くことにした。食事の準備をしてくれるアブラーンの妻や娘達へのお礼だ。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは娘2人と息子が2人いると言う話だった。全員ティーンエイジャーで一番上の娘は大学生だ。但し、グラダ大学でなく私立の医学系大学だった。
 おやすみのキスをする時、テオはそっと少佐の手を包み込んだ。一瞬少佐が怪訝そうな表情をしたが、テオは、

「銃を扱っているにしては可愛い優しい手だ。」

と言って誤魔化した。彼女の指のサイズを感覚で測ったとは言わなかった。
 翌日、2人は普段通りに仕事に行った。テオはちょっとウキウキしていた。ムリリョ博士から聞かされるのは物騒な話題だと承知していたが、少佐とお出かけはデートだ。目的がどんなに危険なことでも、彼には楽しみだった。
 シエスタの時間に、カフェでケサダ教授を見かけた。弟子のンゲマ准教授と数人の学生と一緒だった。教授はいつもと変わらず、今夜の食事に彼は呼ばれているのだろうか、とテオはふと思った。政治の話や犯罪の話に、博士は娘婿を巻き込みたくないだろう。それに息子のアブラーンも食事に同席してもその後の話し合いに加わると思えなかった。
 待ち遠しい夕方になると、テオはさっさと仕事を片付け、アパートに帰って着替えた。ケツァル少佐も帰って来て、お呼ばれにふさわしい服装に着替えた。家政婦のカーラは夕食を作る仕事がなかったが、主人カップルが脱いだ服を洗濯すると言ってアパートに残った。

「明日は息子の学校へ出かけるので、出勤が遅くなります。ですから、その分、今夜働きます。」

 仕事熱心な家政婦に、少佐はキスで応えた。
 午後7時にテオは自分の車に少佐を乗せて出かけた。マスケゴ族が多く住む区域は白人の金持ちも住んでいるから、きちんと交差点などには標識があったし信号が設置されているところもある。この斜面に住める人々は裕福なのだ。途中で少佐が窓越しに一軒の階段状の家を指差した。

「あの家は白人の住居です。マスケゴ風の家の形が気に入って真似ているのです。」
「へぇ、見ただけでわかるんだ?!」
「ノ、金持ちの住宅を紹介する雑誌に載っていました。」

 少佐がケロリと言い放ち、舌をペロリと出した。

「自宅を公開したがる人の気持ちがわかりません。強盗においでと言っているような物です。」

 階段状の家は各階に出入り口がある。警備が大変だ。マスケゴ族なら結界を張っているのだろうが、白人や普通のメスティーソは無理だ。セキュリティ会社と契約しているのだろう。
 やがてテオにも見覚えのある大きな家が見えてきた。

2022/11/13

第8部 シュスとシショカ      11

  それから木曜日迄、テオにも大統領警護隊文化保護担当部にも事件の真相解明において何の進展もなかった。退屈な書類審査と近場の遺跡の見回り程度でケツァル少佐と部下達は過ごし、テオは教室で学生達に講義を行った。彼は学部長にヨーロッパでの学会出席を断った。

「学会で発表するような研究も発見もしていないのに、国の金を使って旅行するなんて図々しいことは出来ませんよ。」

と彼は笑った。学部長は、それならアルストが熱心に分析している遺伝子は一体何なのかと疑問に思ったが、言葉に出さないでおいた。この亡命学者は、大統領警護隊と親密な関係にある。そして彼の亡命には大統領警護隊が深く関与している。だから、余計な追求をしてはいけない。
 テオが学部長に言った言い訳は本当だ。テオには世界中の同業者の前で発表するような研究成果を何一つ上げていない。彼が情熱を注いでいる遺伝子の分析は”ヴェルデ・シエロ”のものだ。これは絶対にセルバ国外に持ち出せない。そして、もう一つ理由があった。
 水曜日の夕方、行きつけのバルで偶然シーロ・ロペス少佐と出会ったのだ。少佐は部下と仕事を終えて帰宅前の一杯を楽しみに来ていた。そしてテオを見つけて彼の方から声をかけてくれた。

「学会出席を断られたそうですね?」

と話題を振ってきた。彼は外務省に勤めている亡命・移民審査官だ。テオとアリアナが亡命する時に審査して、本国に「亡命を受け入れて良ろしいかと思われる」と意見書を提出した。そして亡命した後のテオ達の安全を管理する役目も負った。当然、テオがヨーロッパに行くかも知れないと言う話を文化・教育省から聞かされた。そしてテオが学会出席を蹴ったことも知らされた。
 テオは苦笑した。

「学会で偉そうに講義出来ることなんて何もしてませんからね。それに、俺が国外に出る時は護衛が付くでしょう? 人件費とか考えたら、税金の無駄使いです。実績のない学者を守るのに国民の血税を使うことは許されません。」

 ロペス少佐も苦笑した。

「そんなお気遣いは無用です、と言いたいところですが、実際のところ助かりました。貴方を貴方の母国から守るのに何人の護衛が必要かと考えていましたのでね。」
「俺はセルバから出るのが不安なんです。臆病者です。この国で十分です。」

 テオはもう学会のことを考えたくなかった。これ以上喋ると未練がましいと思われると感じたので、話題を変えた。

「アリアナの調子はどうです? 彼女はそろそろ仕事を控えた方が良いと思いますが・・・」
「ご心配なく、来週からリモートで仕事をするそうです。患者のカルテを電子化して自宅で画像診断するそうですよ。私は彼女にもう少し出産準備のことに集中して欲しいのですが。」

 テオは苦笑いした。

「彼女も言い出したら聞かない性格ですから・・・でも子供のことを大切に考えていることは間違いないでしょうから、信じてやって下さい。」
「勿論です。」

 ロペス少佐が部下達の方へ視線を向けたので、テオは彼を仲間に返してやらねば、と思った。

「俺はもう少ししたら帰ります。貴方をお仲間のところへ返さないと・・・」
「では、おやすみなさい。」

とあっさり少佐は退いてくれたが、別れ際にこう言った。

「貴方も早く子供を持ちなさい。ケツァルもそんなに若くないですから。」

 ケツァル少佐が聞いたらアサルトライフルでロペス少佐を撃つんじゃないか、とテオは思い、心の中で苦笑した。


2022/11/12

第8部 シュスとシショカ      10

 「白人と結婚して亡くなった一族の女性ってわかるか?」

 テオが尋ねると、ケツァル少佐はちょっと考えてから、図書館へ行こうと提案した。それで2人で大学内の図書館へ行った。10年近く前の新聞を探した。データ化される前の新聞だから、何年の何月の記事なのかわからない。女性の実家がシショカ・シュスと名乗っていたことはわかっていたから、死亡記事だけを見ていった。
 半時間後に、少佐が一件の記事を見つけた。フェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスと言う男性の妻のマリア・シショカ・シュスが亡くなったと言う短い記事で、葬儀日時の告知と共に数行だけ書かれているものだった。テオはタブレットでフェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスを検索し、マリアの死後1年のうちにその男性の家が相次ぐ不審死で断絶してしまったことを知った。フェルナンドの遺産は妻の母親が相続し、それに異を唱えたロヴァト・ゴンザレス家が全員死んでしまったのだ。遺産を相続したシショカ・シュス家のことはデータでは追えなかった。恐らくシショカ・シュス家の人間達が記録に残されることを嫌ったのだ。

「シショカ・シュス家って、有名なのか?」

 テオの問いに、少佐は肩をすくめた。

「煉瓦工場を経営していました。煉瓦はあまり使われなくなったので、最近は装飾用タイルを作っています。」
「マスケゴ族だな?」
「スィ。古い家系です。」

 そして、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「ムリリョ博士達が住んでいらっしゃる同じ谷に住居を構えていますよ。」

 テオは以前ロホ達に連れられて見学に行った斜面の住宅地を思い出した。樹木が多い、日当たりの良い斜面に階段状に造られた風変わりな住居が点在する区画だ。マスケゴ族のグラダ・シティでの集落だ。
 斜面が多い都市では低い位置に金持ちが住み、貧しくなると坂の上に住む傾向にある。坂の上は不便で交通の便も良くないからだ。しかしセルバでは、金持ちが坂の上に住む。低地は暴風雨の時に水没しやすく、敵は低い海岸から攻めてくるからだ。テオや少佐達が住んでいる東西サン・ペドロ通りやマカレオ通りも坂の上に行くほど高級住宅になる。マスケゴの集落も似ていた。少佐はグラダ・シティの地図をタブレットに出して、テオにムリリョ博士の自宅周辺を示した。

「ここが博士のお宅です。シショカ・シュス達はもう少し低い場所に住んでいます。財力の差ですね。でも族長選挙は人望がどれだけあるかを競う訳ですから、財産は関係ありません。」
「金のばら撒きはしないのか?」

 少佐がニヤリと笑った。

「一族は金では票を入れません。撒く人間も受け取る人間も軽蔑されますから。どれだけ一族の役に立てるかが争点です。勿論、お金を一族のために使うのであれば、それは得点を稼ぐことになります。」

 テオは煉瓦工場の経営者達と族長の座を争う人々は何を生業にしているのだろう、と思った。ムリリョ家とシメネス家は建設業者だが、今回候補を出していないと言う。
 ”ヴェルデ・シエロ”は人口が多いと言えない。その一部のマスケゴ族の中の選挙だ。有権者はメスティーソを入れてもそんなに多くない筈だ。

「少佐・・・もしかすると、マスケゴ族の選挙は、シショカ・シュス同士の対決になっているんじゃないか?」

 テオの考えに、少佐がビクッとした。それを思いつかなかったと言う表情だった。彼女は僅か数名しかいないグラダ族の族長で、選挙ではなく、彼女しか純血種がいないからだ。(この際フィデル・ケサダは数えない。)また、彼女が普段接する一族の多くは人口が多いブーカ族で、家系がたくさんある(らしい)。だから少佐も「選挙」と聞いて一般のセルバ社会の選挙の様に考えていたのだ。

「同族の相討ち選挙なのですね・・・」

 カスパル・シショカ・シュスは恋人の仇を討つ目的で神像を盗み、建設大臣を呪い殺そうと企んだ。そして恋人を死に追いやった恋人の実家にも復讐を果たそうとしていた。恋人の実家は彼の同族だ。しかしシショカ・シュス、或いはシュス・シショカの家は他にもあって、カスパルの恋人の実家から出る族長候補と対立しているのではないか。もしカスパルが大罪を犯したとわかれば、恋人の実家は大打撃を受ける。

「カスパル・シショカ・シュスは彼の独断で神像の呪いを利用しようと考えたのだろうか? 族長選挙で彼自身の家系のライバルとなる別の家が、彼を唆して復讐劇を行わせ、彼の家系を貶めようとしているんじゃないだろうか? それなら選挙が絡んでくると言う話に俺は納得出来る。こう言っちゃなんだが、君達の一族は周りくどい形で戦略を考える。自分達が大罪を犯す掟違反をしないよう、他人を動かすんだ。カスパルはチクチャン兄妹を唆して利用したが、カスパル自身も誰かに操られているんじゃないか?」

 テオが考えを打ち明けると、少佐は小さく頷いた。

「大統領警護隊司令部がカスパルに直ぐに裁定を下さないのは、彼の背後関係を調べているからですね・・・」



2022/11/05

第8部 シュスとシショカ      9

  テオはケツァル少佐に電話を掛けた。電話では言えない火急の要件があると言って、彼女に大学へ来てもらった。昼休みの大学は学生たちが自由に歩き回っている。自主的に研究している学生やボランティア活動に勤しむ学生、ただ休憩しているだけの学生。その中を普通の服装で、少佐は学生のふりをしてやって来た。彼女が研究室に入ると、テオはドアを施錠して、彼女にコーヒーを飲むかと尋ねた。彼女は要らない、と答えた。

「それで、要件とは?」

 テオは彼女を学生たちが座る椅子に座らせ、己の机の前に座った。そして、昼休みに現れたマスケゴ族の若者、ケマ・シショカ・アラルコンと、ムリリョ博士との3人の会話を語って聞かせた。
 少佐は話を黙って聞き、そして暫く考えた。

「要約して言えば・・・カスパル・シショカ・シュスの恋人が彼を裏切って白人と結婚して、お産に失敗して死んだ、カスパルはそれを恋人の家族と恋人の夫に責任があると逆恨みした。さらに恋人が彼を裏切った原因は生家の没落であり、その没落の原因はアルボレス・ロホス村が泥に埋もれてしまったから。だから彼はダム建設を推進した建設大臣も恨んだ。」
「スィ。」
「白人の家族は謎の死を遂げ、カスパルは恋人の家族と大臣にも復讐を企んでいる。そのために、アーバル・スァット様の石像をアルボレス・ロホス村の住人だったアラムとアウロラのチクチャン兄妹に盗ませ、建設省に送りつけようとした。しかし、1回目は盗みに利用したロザナ・ロハスが思った通りに動かず、ミカエル・アンゲルス暗殺に使ってしまい、石像は大統領警護隊に回収されてしまった。」
「スィ。」
「もう一度彼はチクチャン兄妹に改めて石像の呪いの使い方を学習させ、2度目の盗みを行った。その際、遺跡の警備員を爆裂波で傷つけてしまった。チクチャン兄妹は建設省に石像を届けたが、何も起こらない。そこでカスパルに利用されたと悟り、仲違いして、カスパルに殺されかけた・・・」
「概ね、そんなところだ。ムリリョ博士が何も言わないので、マスケゴ族の族長選挙とどう関わっているのかは、俺にはわからない。」
「私にもわかりません。」
「だが博士はカスパルの親戚、つまり恋人の実家に問題ありと睨んだようだ。それが選挙に影響するのか、それとも”砂の民”が動くのか、わからないが・・・」
「”砂の民”の粛清は個人に行なわれることが主です。一つの家族を対象とすると、長老会の審議に掛けられるでしょう。それより・・・」

 少佐が憂い顔で天井を見上げた。

「セニョール・シショカがどこまでこの件を掘り下げて調べたか、です。彼はフリーの”砂の民”です。掟の範囲で自由に行動します。カスパルの恋人の家族全員を粛清してしまう可能性もあります。」
「長老会の審議なしで、そんなことが出来るのか?」
「それをするから、一匹狼にならざるを得なかったのだと思いますよ。そして彼が一族の人々から恐れられる存在になった原因でもあります。長老会も彼が掟の範囲内で行動するので罰することが出来ないのです。」

 テオは溜め息をついた。

「ケマ・シショカ・アラルコンは、セニョール・シショカをシショカ一族の総元締程度にしか認識していないんだ。シショカに”砂の民”への仲介を頼もうとしている。あの若者は叔父のカスパルを死なせたくないと言っていた。父親同然の存在だったから。」
「シショカは・・・と言うより、良識ある我が一族の大人達は、大罪を犯した人間を温情で助けるなど、生やさしい扱いをしません。大罪は大罪です。減刑はありません。ただ、カスパルに襲われた警備員は命を取り留めました。その点は考慮してもらえるかも知れませんね。」

と言いはしたが、ケツァル少佐は、その「考慮」が生きたままワニの池に放り込まれるのではない、別の処刑方法になる、とは言わなかった。テオを悲しませたくなかった。


2022/10/29

第8部 シュスとシショカ      8

  ファルゴ・デ・ムリリョ博士はテオに向かって言った。

「神像を盗み汚そうとした男は、今大統領警護隊の手の中にいる。誰も彼に手を出せないし、彼に裁きを与えるのは大統領警護隊と長老会だけだ。
 しかし、彼が結婚を望んでいた女の家族が実際に何をしたのか、そこまで大統領警護隊はまだ解明させていない。」

 それ以上博士は言及しなかったが、テオにはその先が分かった。”砂の民”の調査が早ければ、そしてカスパル・シショカ・シュスの考えが正しければ、早晩その家族は粛清を受ける。大統領警護隊の手が届く前に。ケマ・シショカ・アラルカンはセニョール・シショカの裏の顔を知らない。シショカ一族の長だと言う認識しかない。セニョール・シショカに頼んで”砂の民”に叔父カスパルの命乞いをしようと思っているのだ。セニョール・シショカが大統領警護隊の間では有名な”砂の民”であることも、目の前にいるムリリョ博士が”砂の民”の首領であることも知らないのだった。
 テオにはムリリョ博士が実際はどこまで事実を掴んでいるのか分からなかった。訊いても答えてくれないだろう。
 テオはケマにこう言うしかなかった。

「残念ながら、俺達は君の叔父さんを助ける手助けになりません。一般の法律が及ばないところの出来事に、俺達は手を出せないし、恐らくセニョール・シショカも動けないでしょう。」

 ケマ・シショカ・アラルコンは黙って立ち上がった。そして両手を組んで顔の高さに上げ、顔をやや俯き加減にして別れの挨拶をすると、くるりと向きを変え、カフェから出て行った。
 テオはその後ろ姿が人混みの中に消えるのを見送り、それから博士に向き直った。博士が言った。

「またお前は我々の厄介ごとに首を突っ込んでおるようだな。」

 テオは肩をすくめた。

「大統領警護隊の少佐と同居しているんですよ。友人も大統領警護隊です。嫌でも何かしらの情報が聞こえてきます。」
「ケツァルとその子分どもは結果を知らされずに事が済まされることに不満だろうな。」
「ある程度割り切っているようですが・・・俺の方が不満かも知れません。」

 博士が時計を見た。カフェの天井に近い位置に設置された大時計はまだ午後の休憩時間であることを示していた。

「先刻の会話は、儂の結界内で行われた。外の人間には聞こえておらぬ。もし何か知りたい事があれば、木曜日の夜に儂の家に来ると良い。但し、お前とケツァルだけだ。」

 思いがけない自宅への招待だ。テオはびっくりした。

「では、彼女と相談してから、お電話します。」

 木曜日まで2日だ。その間に”砂の民”は何らかの結論を出すのだろう、とテオは予想した。

2022/10/28

第8部 シュスとシショカ      7

  ムリリョ博士が突然囁いた。

「女は白人に嫁いだのか?」

 テオは博士を振り返り、ハッとした。ムリリョ博士は純血至上主義者だ。同じマスケゴ族の旧家の娘が白人と婚姻するのを良かれとは思わない。
 ケマ・シショカ・アラルコンが俯いた。

「スィ・・・彼女は一族の秘密を守ると家族に固い約束をして、白人の妻になりました。しかし、家族の半数は納得しなかったのです。」

 ムリリョ博士の顔に「当たり前だ」と書かれているのをテオは見た。ケマは辛そうな顔になった。

「彼女は身籠もり、出産直前に突然亡くなりました。お産の為に実家に帰れと家族は言ったのですが、夫が承知せず、彼女を病院に入れました。しかしそこで彼女は死んでしまったのです。そして・・・」

 ケマは声を震わせた。

「彼女の家族は、彼女の死を悲しまなかった・・・遺体を引き取ることもなく、彼女は夫の家族の墓地に葬られました。カスパル叔父は彼女を引き取るように家族に訴えたのですが・・・」

 テオは疑念を抱いた。彼女の死因は何だったのだろう。”砂の民”に粛清されたのか? それとも彼女は秘密を守れなくなることを恐れた家族の誰かに抹殺されたのか? 
 ケマはさらに恐ろしい話を始め、テオを驚かせた。

「白人の夫もそれから半年後に事故で亡くなりました。その時、彼の遺産が全て妻の母親に相続されるように遺言状に書かれていることが判明しました。」
「白人の親族は反対しただろう?」
「それが当然だと思われたのですが、誰からも異議が出なかったのです。だから遺産は全て私の母方の祖母の姉妹の子供達が相続しました。そして家族は破産から免れたのです。」

 テオは背筋が寒くなった。それって、”ヴェルデ・シエロ”の超能力を使った犯罪ではないのか? 彼はムリリョ博士を見た。そしてムリリョ家の繁栄の歴史を思い出した。ムリリョ博士の伯父になる人はセルバ共和国独立の時、白人の建設会社の経営権を白人から譲られたと言っていた。そこに何も超能力は使われなかったのだろうか。いや、この際ムリリョ家のことは置いておこう。シショカ・シュスの一家の話だ。

「カスパル叔父は、家族が娘を殺し、娘の夫を殺し、その親族を”操心”で動かして財産を乗っ取ったのだと考えました。だから、族長選挙で・・・」

 突然ムリリョ博士が咳払いして、ケマがハッとした表情で口を閉じた。部族の族長選挙の話は”ヴェルデ・シエロ”同士でも他部族に口外してはならないのだ。ましてやテオは白人だ。
 ケマは言葉を探し、何とか説明を続けた。

「叔父は死んだ恋人の家族を部族の政治から締め出そうと運動しました。しかし勢いを盛り返した家族には歯が立たなかった。叔父は禁断の手段を用いて復讐を果たそうとしたのです。」
「それで建設省にアーバル・スァットの神像を送りつけたのか?」

 酷く的外れな感じがした。恋人を死なせたのは母親の従兄弟の家族で、イグレシアス大臣もセニョール・シショカも関係ないだろう。

「叔父がどんな思考回路で動いているのか、私にはわかりません。」

 ケマが苦しそうに言った。

「私は、シショカの元締め様にお会いして、何が起きているのかを説明して、叔父を死刑から救って欲しい、それだけです。」

 するとムリリョ博士がテオに顔を向けた。

「チャクエクと会うことがあるか?」
「残念ながら3回しか会ったことがありません。どちらも彼は不機嫌でした。俺の仲介で人に会うとは思えません。」

 ムリリョ博士はまともにケマ・シショカ・アラルカンを見た。

「チャクエク・シショカは正しい処分しか行わぬ。彼は既に調査に入っているだろう。お前は何もしない方が身のためだ。」
「叔父は・・・」
「大罪を犯したかも知れません。」

とテオが言い、ケマは彼を振り返った、目に涙が溜まっていた。叔父が好きで心配で堪らないのだろう。

「どんな大罪です?」

 若者の質問に、ムリリョ博士が答えた。

「カスパルが殺したいと思っている人間達が白人の家族に対して行ったのと同じ罪だ。」


第8部 シュスとシショカ      6

 「つまり、大統領警護隊に捕まっているカスパル・シショカ・アラルコンは君の母方の叔父さんに当たる訳ですね?」

 テオは慎重に尋ねた。セルバ先住民にとって親戚関係の順位は重要だ。それは”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも同様だった。子供にとって母方の叔父は父親と同等の関係になる。ケマは頷いた。

「叔父は若い頃から一族の習慣に従わず、殆ど実家に帰らない人でした。しかし、私には時々会ってくれて、遊んでくれる優しい叔父だったのです。その叔父は実家とは疎遠になっていましたが、シュスの家族とは親しくしていました。つまり、私の母方の祖父の家ですが・・・」

 最後の説明はテオの為だろう。テオは頭の中に家系図を描かなければならなかった。そして妙なことに気がついた。

「君の両親は同母姉妹の子供で従兄妹同士だと言いましたね? それなら父方のお祖母さんはシショカの名前を継いでいる筈ですが、アラルコンを名乗っていたのは何故です?」

 するとムリリョ博士がぶっきらぼうに言った。

「アラルコンの養女になったからだ。尤も父親がアラルコンだからな。同母姉妹はどちらもシュスの男と結婚した。シショカの家の伝統だ。そしてペドロに姉妹がいれば、その姉妹がアラルコンを継ぐ。」
「スィ、仰せの通りです。」

 ケマはちょっと溜め息をついた。

「私には父方の叔母が3人いました。2人は子供の頃に亡くなっていますが、1人残っていて、その人がアラルコンを継いでいます。ああ、すみません、本題から逸れています。私が相談したいのは、母方の親族のことなのです。」
「シショカ・シュス?」
「スィ。母方の祖母には同母同父の姉がいて、その人に子供が4人います。男が3人、女が1人、母の従兄弟達です。彼等が10年以上前に、ある政府の事業に投資しました。森林の奥地を開墾して農場を造るプロジェクトで、軌道に乗ればそこにゴム園を造ることになっていました。ところがその企画が頓挫してしまいました。開墾地が泥に埋まって・・・」
「もしかして、アルボレス・ロホス村?」

 テオの言葉に、ケマが目を見開いた。

「ご存知なのですか?!」

 テオはムリリョ博士をチラリと見た。博士は無表情でケマを見ているだけだった。テオは言った。

「知っている。だけど説明は後でします。先に君の話を聞きましょう。」

 その方がムリリョ博士を苛つかせずに済む。ケマは頷いた。

「母の従兄弟達は開墾地が泥に埋まった原因を、川に建設された低いダムのせいだとして、訴えを起こしたのですが、裁判所は受け付けてくれず、一家は大損をしたまま、悔し涙を飲みました。私の叔父のカスパルは母の従兄弟の一家と懇意にしており、一家の娘の1人と婚約もしていました。しかし一家が没落すると、その彼女は家を出てしまい、白人の男と付き合うようになりました。彼女にとって家族を救うために金のある白人を夫に選ぶ方が、金のないカスパル叔父との結婚より大事だったのです。」

 なんだか聞いた話と違うぞ、と言うのがテオの正直な感想だった。カスパル・シショカ・シュスは族長選挙に絡んで何かを企んでいたのではないのか? だが”ヴェルデ・シエロ”を含めたセルバ人は結構周りくどい言い方で物事を説明する。彼は我慢して聴くことにした。

 

2022/10/23

第8部 シュスとシショカ      4

  目上の人の目の前で逃げ出すと言うのは、大変失礼なことだ。そしてそんな振る舞いを一度でもしてしまうと、以降の部族社会では決して尊重してもらえなくなる。ケマ・シショカ・アラルコンはその場に立ち竦んだまま、ムリリョ博士が近づいて来るのを待った。テオは口元を紙ナプキンで拭って立ち上がった。そして博士がテーブルに十分近づいた頃合いを測って、右手を左胸に当てて挨拶した。

「突然のお呼び出しと言う無礼をお許し下さい。」
「いつものことだろう。」

 ムリリョ博士は怒っている風に見えなかった。ケマ・シショカ・アラルコンを無視して、若者が直前迄座っていた席に腰を降ろした。まだケマ・シショカ・アラルコンが突っ立ったままだったので、テオは仕方なく紹介した。

「ご存知かも知れませんが、ケマ・シショカ・アラルコンです。俺とは今日が初対面です。」

 ムリリョ博士が目下の人間を無視するのはいつものことだ。若者に一瞥さえくれずに、テオを真っ直ぐに見た。

「要件は何だ?」
「この場所で話すべきではないと思うのですが・・・」
「構わぬ、誰も聞き耳など立てておらぬ。」

 ムリリョ博士はいつも強気だ。仕方なくテオは語り始めた。

「一昨日から昨夜にかけて、大統領警護隊文化保護担当部が、ピソム・カッカァ遺跡からアーバル・スァットの神像を盗み出したアラムとアウロラのチクチャン兄妹を本部へ保護しました。彼等の証言から、彼等を唆して神像を盗ませ、建設省に送りつけさせた男を遊撃班が確保して、これも本部に捕まえています。勿論、この話は全て貴方はご存知でしょう。遊撃班が捕まえた男は、貴方の部族の族長選挙に何らかの介入を試みたのだと思います。
 部外者が貴方の部族の中の政治に口出し出来ないことは知っています。しかし民間人が1人重傷を負わされています。他部族の人にも迷惑を掛けた様です。彼等に何らかの償いをしてもらえるのでしょうか? 遊撃班が捕まえた男は『大罪人』だと言われています。処罰は貴方方社会の中で行われ、迷惑を掛けられた民間人には何もないと言うのは、俺には納得いきません。それは文化保護担当部も、診療所の医師も同じだと思います。」

 ムリリョ博士が白く長い眉毛の下からテオを見ていた。

「爆裂波を喰らって頭を怪我した遺跡の警備員は、ブーカ族の長老の力で一命を取り留めたと聞きました。しかし完全に元の体に戻ることは難しいでしょう。彼には家族がいる筈です・・・」
「襲われた者は気の毒だった。」

と博士が囁くように言った。

「しかし、我々には白人社会の様な賠償責任や補償と言ったしきたりも慣習もない。だから罪人に襲われた男に償う機会を罪人に与えることはない。」
「それでは・・・」
「聞け。」

 ピシャリと言われて、テオは口を閉じた。長老の話を遮ってはいけないのだ。そしてこの場面では、テオの不作法を取りなしてくれるケツァル少佐はいないのだった。
 ムリリョ博士が続けた。

「襲われた男を雇ったのは、オルガ・グランデのアントニオ・バルデスだ。バルデスの会社は金を持っている。バルデスの会社は遺跡の警備員の安全に責任がある。だから、アンゲルス鉱石が男の面倒を見る。」

 アントニオ・バルデスの義務の話をしているのではない。ムリリョ博士は、バルデスに警備員のこれからの生活の補償をさせると言っているのだ。それが”ヴェルデ・シエロ”流の賠償責任の取り方だった。オルガ・グランデにはマスケゴ系のメスティーソが多い。彼等はグラダ・シティに移住した主流派のマスケゴ族達に現在でも忠誠を誓っている。一般人が”ヴェルデ・シエロ”に歯向かうなら、彼等が動くのだ。だからオルガ・グランデでは首都よりも”ヴェルデ・シエロ”を恐れる人が多い。どこで誰が耳をそば立てているかわからないから。
 テオは「グラシャス」と言った。族長が交代しても、今の族長の命令は生き続ける。それが彼等の掟だ。

「バスコ診療所がアラム・チクチャンの手当をした治療費は・・・」
「それはチクチャンが払うべきだ。」

 そう言ったのは、ケマ・シショカ・アラルコンだった。彼の存在を忘れていたテオはびっくりして、テーブルのそばに立っている若者を見上げた。ケマ・シショカ・アラルコンは頬を赤く染めた。

「不作法な真似をしました。申し訳ありません。」

 彼はムリリョ博士に謝罪した。博士が初めて彼に気がついたかの様に、上から下まで彼をジロリと見た。

「何者か?」

 そうだ、このケマ・シショカ・アラルコンは何者なのだ? テオも知らなかった。



第8部 シュスとシショカ      3

  テオがテーブルに着くと、男も対面に座った。テオは右手を己の左胸に当てて挨拶して見た。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 すると男も同じ動作をして、少しタバコで掠れた様な声で挨拶した。

「ケマ・シショカ・アラルコン、ここの学生ではありません。」

 しかし彼の手は綺麗で肉体労働者の手に見えなかった。何か事務系の仕事をしているのだろうか。テオはそっと尋ねてみた。

「シショカと言う名を名乗られていると言うことは、マスケゴ族ですね?」
「スィ。」

 ケマ・シショカ・アラルコンは頷いた。

「どんな御用件ですか?」

 テオは食べ始めた。出来るだけリラックスして応対していたかった。食べながら対応するのは相手に失礼だと思ったが、彼の方が年上だと思われたし、ここはテオのテリトリーだ。セルバ人の男性は見知らぬ相手と対峙する場合、出来るだけ己の方が優位に立っていると思わせたがる。シショカ・アラルコンも教室で彼を見つめて無言の圧を掛けたのだ。しかしテオにまともに目を見つめられ、思わず視線を逸らしてしまったことで、テオに優位に立たれてしまった。
 シショカ・アラルコンは1分程黙っていたが、やがて口を開いた。

「チャクエク・シショカに会わせてください。」

 テオはフォークを持つ手を止めた。思わず尋ねた。

「誰?」
「チャクエク・シショカ・・・」
「聞こえた。それは誰なんです?」

 ケマ・シショカ・アラルコンは彼の手元を見つめた。アメリカ人なら目を見つめたのかも知れない。若者が辛抱強く言った。

「貴方がご存知のシショカです。」
「俺が知っているシショカは建設大臣の私設秘書の・・・」

 言いかけて、テオは気がついた。セニョール・シショカの本名なのか? ケマ・シショカ・アラルコンはテオの言葉を否定せず、黙って見返しただけだった。テオはフォークを皿に置いた。

「参ったな・・・俺は彼が働いている場所を知っているが、彼個人とは知り合いじゃないんですよ。」

 恐らく、あのシショカの友人なんていないだろう。ムリリョ博士やケサダ教授ならセニョール・シショカの私生活を少しは知っているだろうが、彼等がこの若者の要求に応えると思えなかった。

「俺が建設省に行っても、貴方がそこに行くのと同じ対応しかしてもらえないでしょう。否、貴方なら会ってもらえるかも知れないが、俺は無理ですよ、行政上の用事がない限りは。」

 ケマ・シショカ・アラルコンが悲しそうな表情になったので、テオはちょっと考えた。

「俺は貴方の部族の族長に面会を求めていて、もしかするとこのシエスタの時間に彼から連絡が入るかも知れません。其れ迄ここで待ちますか?」

 すると、ケマ・シショカ・アラルコンは慌てて立ち上がった。

「否、それは・・・」

 彼はふと顔をカフェの入り口へ向けた。そして顔面蒼白になった。フリーズしてしまった若者を見て、テオはその視線を辿った。丁度カフェの中へファルゴ・デ・ムリリョ博士がゆっくりと入って来るところだった。



2022/10/22

第8部 シュスとシショカ      2

  テオはアパートのバルコニーでフェンスにもたれかかって夜風に当たっていた。グラダ・シティの夜は遅くまで賑わうと言っても、最近は電力事情もあって早く消灯される。明るい場所は少なくなっていた。尤も”ヴェルデ・シエロ”の血を持つ人々は夜目が利くので余り問題ないだろう。
 ケツァル少佐は遅く帰って来たが、夕食は一緒に取った。そして短く彼に捜査状況を話してくれた。

「神像を盗んだ連中は全員捕まりました。後は事件の背景を司令部が調査します。」
「それじゃ、君達はもうお役御免なのか?」
「そう言うことになるでしょう。」

 彼女がその状況に満足していないことを、雰囲気でテオは悟った。恐らく文化保護担当部の友人達全員が満足していない。だが彼等は軍人で、上から「ここで終わり」と言われれば従うしかない。それなら・・・
 テオは携帯電話を出した。彼からかけても決して出てくれない人物の番号にメッセージを送った。お会いしたい、と。
 その夜は何も返信がなかった。少佐が寝室に去ったので、彼も自室に戻り、ベッドに入った。族長選挙に絡む部族内の内輪揉めが彼の生活に影響すると思えない。しかしムリリョ家やケサダ家が無事に過ごせる確信がなければ、彼は安心出来なかった。ただのお節介だろうけど。
 翌朝、まるで何事もなかったかの様に、普通に起床したケツァル少佐は、普通に朝食を作ってテオを起こした。

「今朝は俺が朝食当番じゃなかったか?」

 テオが指摘すると、逆に朝寝坊を指摘されてしまった。彼が食べている間に身支度を済ませた彼女はいつもの時間に出勤して行った。
 テオは授業が始まる半時間前に大学に出た。研究室で素早く準備して、教室に行くと、学生達の中に見慣れぬ顔の男がいた。たまに医師や別の学校の研究者などが聴講生として来るので気にせずに講義をして、午前中のスケジュールを終えた。
 講義が終わると熱心な学生にいつもの如く取り囲まれ、質疑応答の時間を持った。テオにとって、少々煩わしいが楽しい時間だ。好きな遺伝子分析の話を思い切り出来るのだから。喋り疲れた頃に昼休みになった。学生達が去って行く後ろで、先刻の見知らぬ男がまだ座っているのが見えた。先住民だ。テオはドキリとした。マスケゴ族だろうか。
 男は学生といくらも変わらない年齢に見えた。ラフなTシャツにデニムのボトム姿だ。足にはスニーカー。学生だろうか? それにしてはノートもタブレットも持っていない。
 テオは敢えて相手の目を見た。セルバでは目を見るのは不作法とされている。だが本当は「神」である”ヴェルデ・シエロ”に心を支配されないための防衛策だと、テオは解釈していた。そして”ヴェルデ・シエロ”の立場から言えば、相手の目を見ることは攻撃を意味していた。
 果たして、男は一瞬ギョッとして目を逸らせた。テオは声を掛けた。

「何か御用ですか?」

 男は躊躇った。学生達がまだ数人教室の中にいたからだ。テオは書籍やノートを鞄に仕舞い、ラップトップも仕舞い込んだ。そして余裕を持っているふりをして言った。

「これから昼食です。話があればカフェで聞きますよ。」

 彼が出口に向かって歩き出すと、男はゆっくりと立ち上がった。そして少し距離を開けてついて来た。大学内のカフェは学生や職員で賑わっていた。テオはテラス席に空席を見つけ、椅子の上に職員証を置いた。これで学生達に席を横取りされずに済む。それから配膳カウンターへ行った。男は彼が確保したテーブルのそばに立っていた。
 テオが周辺を見たところ、考古学部の学生も職員も見当たらなかった。恐らくまだ講義が終わっていないか、外へ実習に出掛けているのだ。初対面の男とトラブルになった時は独力で対処しなければならない、と彼は覚悟を決めた。

 

2022/10/19

第8部 シュスとシショカ      1


  大統領警護隊遊撃班はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていたカスパル・シショカ・シュスを囲い込んで生け捕った。”ヴェルデ・シエロ”を捕らえるのは”ヴェルデ・シエロ”にとっても危険行為だ。特に人間に対して爆裂波を使用した経験がある人間は用心しなければならない。遊撃班はカスパルを追い詰めると抑制タバコの吸引を強いた。ある種の植物から製造された抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”の脳波を鈍らせ、一時的に超能力を使えなくしてしまう。カスパルは逃げられないと悟るとタバコを一気に吸い込み、意識朦朧となった。そして大統領警護隊本部の地下にある「留め置き場」の一つに軟禁されていた。

 司令部ではカスパル・シショカ・シュスの犯行を、個人的なものか、組織的なものか、感情的なものか、政治的なものかと判断を話し合った。アラム・チクチャンとアウロラ・チクチャンの証言を照らし合わせると、チクチャン兄妹はただ感情的に、ダム建設で故郷を追われ肉親を失った悲しみで、「建設大臣」を恨んでいたと思って良さそうだ。そこにカスパルが付け入った訳だが、それが彼単独の考えなのか、それとも誰かと共謀したことなのか、尋問の必要があった。
 目下の問題は、抑制タバコの影響が消える迄、尋問側は何も出来ないと言うことだ。
 セプルベダ少佐は司令部に行って、戻って来ない。副指揮官のステファン大尉は部下達に夜の休憩を取るよう指示を与え、囚人の見張りを警備班に任せて彼も官舎へ戻った。大尉なので個室だ。入隊以来ずっと大部屋で暮らし、文化保護担当部に配属されて初めて隊の外に出て、アパートを借りた。お陰で1人部屋に慣れた。そしてふとつまらないことを思った。後輩達は昇級や退官後、1人で眠れるだろうか?と。
 カルロ・ステファンの後輩で同じく官舎に住んでいるマハルダ・デネロス少尉は眠らなければならない時刻になっても目が冴えてしまって、食堂へ行った。食事は無料だが、間食は有料で1日1回と制限がある。空腹でなく喉が渇いたのだ。水なら好きなだけ飲ませてもらえる。
 厨房の配膳カウンター横に給水器が設置されている。正しくは給水場で、地下水が絶えず小さな穴から流れ出ているのだ。だから水は無料なのだった。備え付けのアルミのカップに水を汲んで喉を潤した。今回の事件捜査の流れに彼女は満足していなかった。折角デランテロ・オクタカス迄行って調査したのに、神像窃盗犯は自らバスコ診療所に現れて、あっさり捕まった。彼女の活躍する場面はなく、男達だけが関わった感じで、彼女は置いてきぼりを食った思いだった。

 確かに私は力が弱いし、実戦経験もない。だけど物事が動く時はどうして除け者なの?

 空になったカップを食器返却棚に置いた時、後ろから声をかけられた。

「眠れないのか、少尉?」

 振り返ると、遊撃班のファビオ・キロス中尉が立っていた。普段顔を合わせることがない男だが、たまに通路などで出会うと優しい目で黙礼してくれたり、食堂の列で順番を譲ってくれたりする。彼女が兄の様に慕っているカルロ・ステファンとよく行動を共にしているそうだし、文化保護担当部に度々助っ人に来るエミリオ・デルガド少尉ともコンビを組むことも多いらしい。だが個人的に言葉を交わしたことはなかった。大統領警護隊の中では、”ヴェルデ・シエロ”の男女間の礼儀作法と言うものは殆ど簡略化されているか無視されているのだが、部署が異なれば同じ大部屋にいても言葉を交わさない。大統領警護隊に女性用の部屋はなく、大部屋で男女一緒に生活している。但し、女性は部屋の中の一角に固まって寝起きするスペースを与えられていた。
 相手が中尉なので、デネロスは丁寧に答えた。

「喉が渇いたのです。すぐに部屋に戻ります。」

 ところがキロス中尉は食堂の窓がある壁を顎で指した。

「今夜は月が綺麗だ。少し見ていかないか?」

 デネロスは時刻を考え、「10分ほどでしたら」と答えた。キロスが微かに苦笑した。
 2人は窓枠に少し間隔を空けて並びもたれかかった。確かに満月が明るく空に浮かんでいた。デネロスはキロスが誘った真意を計りかねて、無難な話題を出してみた。

「今日捕まえた男は、やっぱりピソム・カッカァ遺跡で警備員に爆裂波を食らわせた大罪人ですか?」
「先に捕まえた兄妹の『心』の中にあった顔と同じだから、間違いないだろう。」

 キロスはグラダ東港での捕物に参加したのだ。

「抵抗しました?」
「ノ、私達が取り囲んだら、観念してあっさり拘束された。腕力はありそうだが、爆裂波の強さでは我々の方が上だからな。」

 彼は純血のブーカ族だ。軍人を代々輩出している家系の出だった。だからデネロスには彼が常に自信に満ちている様に聞こえた。

「私の様なミックスでは敵わなかったでしょうね。」

 彼女が自嘲気味に呟くと、彼が振り返った。

「そうか? 力の使い方次第では、君だってあいつと互角に戦える筈だ。あいつは素人で、君はプロの軍人じゃないか。」

 デネロスは頬が熱くなるのを感じた。そんな風に言われたことは今までなかった。

「実戦経験がないのです。」
「ケツァル少佐は毎週軍事訓練を行なっておられるだろう?」
「そうですけど・・・私はまだ命懸けの場面を体験したことがありませんので。」

 大統領警護隊の訓練は実弾射撃を伴うのが常だが、”ヴェルデ・シエロ”にとって、それはまだ遊びのレベルなのだ。キロス中尉が声を立てずに笑った。

「命懸けの場面に遭遇せずに済めば、それに越したことはないさ。誰もそんな体験をしないまま退役年齢に達したいと思っている。」

 デネロスはちょっとびっくりした。そして軍人の家系の出の男を見た。

「キロス家の様な名門の方でもそうお考えなのですか?」
「デネロス家もキロス家も変わりないさ。」

 目が合った。彼女は頬が熱くなるどころか、全身がカッとなる程緊張を覚えた。この感覚は何だろう?
 食堂の入り口の向こうから人の話し声が聞こえてきた。当番が終了した警備班の隊員達がやって来るのだ。

「そろそろ撤収しようか?」

とキロス中尉が残念そうに提案した。デネロスも小さく頷いた。

「そうしましょう、中尉。」

 壁から離れてから、キロスが囁いた。

「またこんな風に話が出来たらいいな。」

 え? とデネロスが改めて彼を見ると、中尉が「おやすみ」と敬礼してくれた。



第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...