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2022/07/10

第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




第7部 誘拐      9

 「少佐!」

 突然右方向から声をかけられた。テオが思わず振り向くと、暗がりの中に人影が見えた。2人だ。彼が足を止めた瞬間、ギャラガが言った。

「アーロンの体を掴んで、早く!」

 テオは考える暇もなく目の前でアランバルリ少佐に背負われているアーロン・カタラーニの腕を掴んだ。アランバルリに彼もくっつく様なポーズになったと思ったら、ギャラガが息をつく暇もなく続けた。

「走れ!」

 走った、と思った瞬間、体が夜の闇よりも暗い空間に吸い込まれる感触がした。空間移動だ、とテオは思った。思った直後に体が地面に落ちた。
 地面だろうか? 
 目が電灯の照明で少し眩んだ。真っ暗な場所からいきなり明るい場所に出たからだ。ググっと誰かの呻き声が聞こえた。

「ギャラガ少尉!」

 聞きなれない女性の声が聞こえた。テオは瞬きして、視力が戻ると周囲を見回した。
 10人ばかりの男女に取り囲まれていた。インディヘナとメスティーソと・・・全員カーキ色のTシャツと迷彩柄のボトム姿だ。軍人・・・?
 ギャラガがアランバルリとアーロン・カタラーニを押し退けて立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部所属アンドレ・ギャラガ少尉、緊急避難で”跳びました”!」

 敬礼して早口で語った彼に、取り囲んでいた男女はテオ達を見て、ギャラガを見た。1人が叫んだ。

「この隣国の軍人は吹き矢で射られているぞ!」

 テオはハッとした。夢中でアランバルリからカタラーニを引き剥がし、弟子の体に矢が刺さっていないか確かめた。その間に軍人達はアランバルリから矢を引き抜き、1人が傷口に手を当てた。

「血流を止める。誰か中和剤を持って来い! 指導師を呼べ!」

 アランバルリは口を大きく開き、酸素を求めて喘いでいた。筋肉が弛緩して呼吸困難に陥ったのだ。別の軍人が彼に人工呼吸を試みた。傷口に手を置いた軍人にギャラガが視線を合わせた。一瞬で”心話”による事情説明が行われた。

「わかった。」

とその男は言った。そしてまだそばに残っていた仲間に命じた。

「ドクトル・アルストとその学生を救護室に案内してくれ。念の為に2人にも傷がないか調べろ。」

 テオはやっと周囲を見回すことが出来た。リノニウムの床の体育館の様な場所だった。きっと大統領警護隊本部の訓練施設だ、と思った。アンドレ・ギャラガは敵から吹き矢で攻撃された瞬間に、一番安全と思われる場所へ”跳んで”逃げたのだ。
 こちらへ、と女性隊員に案内され、テオはまだ気絶したままのカタラーニを背負って別室へ向かった。隊員がカタラーニを見て、怪我をしているのかと尋ねたので、彼は首を振った。

「ギャラガ少尉が救出しやすいように”ティエラ”の彼を眠らせたんだ。」

 成る程、と隊員は納得した。
 救護室は体育館のすぐそばで、質素なベッドが数台並んでいた。訓練中に負傷する隊員が出た場合の応急手当をする場所だろう。医師らしき人はおらず、隊員はテオがカタラーニをベッドに下ろすと、彼の服を脱がすようにと言った。

「カーテンを閉めますから、ドクトルが学生さんの体をチェックして下さい。」
「わかった。終わったら、俺自身の体も見るから、少し時間がかかるぞ。」
「承知しています。少しでも異常があれば呼んで下さい。」

 体育館の中が気になった。大統領警護隊の本部内は静かで、瀕死の人間がいるにも関わらず騒ぎになっていない。
 恐らくアランバルリの部下は上官と捕虜が姿を消したことに気が付き、先回りして教会前広場へ近づくのを張っていたのだ。吹き矢でギャラガを狙ったが、ギャラガが運良く空間通路の”入り口”がすぐ目の前にあるのを発見して跳び込んだので、矢は彼の後ろに続く形で動いたアランバルリに命中してしまった。紙一重の差でギャラガ、カタラーニ、テオは毒矢から逃れたのだ。
 
 連中は目の前で俺たちが消えたので、腰を抜かしているんじゃないか?

 テオは想像してみた。少し愉快だったが、隣国に残してきた調査団の仲間を思い出し、また新たな心配が生じた。彼等は無事だろうか。ケサダ教授1人に任せてしまうのは酷ではないのか。


2022/07/08

第7部 誘拐      8

 アランバルリ少佐のテントには歩哨がいなかった。野営地の中なので安全だと思っているのだ。武器を持たない村人が襲って来るとも思っていない。悪党にしては間が抜けているとテオは思った。
 ギャラガが囁いた。

「私が中に入ってアーロンを救出します。貴方は外で邪魔が入らないよう見張って下さい。もし誰かがテントに近づいて来る様なら、口笛を吹いて・・・」
「鳥真似は出来ない。ピッと一瞬鳴らすだけで良いか?」
「結構です。」

 2人はそっとテントに忍び寄った。横手に木箱がいくつか積み上げられていた。テオは中身は何だろうと気になったが、開いて見る暇はなかった。木箱の後ろに身を隠し、ギャラガが堂々とテントに入って行くのを見守った。
 ギャラガに渡された小型拳銃を握る手が汗ばんだ。以前もこんな経験をした。ロホが反政府ゲリラ”赤い森”に捕まった時だ。先にテオが誘拐され、ロホは彼の救出に成功したが今度は己が捕まってしまい重傷を負わされた。テオはロホを探しに来たケツァル少佐とカルロ・ステファンと出会い、3人でロホを救出する為にゲリラのキャンプに戻ったのだ。”赤い森”にはミックスの”シエロ”ディエゴ・カンパロがいた。ステファンが囮となってカンパロと一味をひきつけ、その間に少佐とテオが少佐の”幻視”を使ってロホを助け出した。3、4年前の話だが、もう遠い昔の様だ。テオは少佐が”幻視”を使って見張りの前を歩いて行くのを物陰から見守った。あの時の緊張感と同じだ。ギャラガを信じているが、自分がいざと言う時に動けるだろうかと緊張するのだ。
 物凄く長い時間が経った気がしたが、実際は10分足らずだったろう。テントから男が2人出て来た。1人は背中に大きな荷物を背負っていた。彼等は藪に向かって歩き出し、ギャラガが囁いた。

「ドクトル・・・」
「スィ」

 テオは立ち上がり、そっと彼等の後ろについた。先頭はギャラガだ。すぐわかった。真ん中は、驚いたことにアランバルリ少佐だ。そして背負われているのはアーロン・カタラーニだ。ギャラガは”操心”を使って、敵の大将を「誘拐」したのだ。
 カタラーニは静かだった。もう縛られていないから、ギャラガが逃走し易いように彼を眠らせているのだ、とテオは悟った。
 何だか凄いものを見ている、とテオは気がついた。
 アンドレ・ギャラガはほんの少し前まで”心話”さえ使えない落ちこぼれ”シエロ”だったのだ。それが上官達や先輩達に「信用」と言う大切な贈り物をもらい、メキメキと超能力の使い方を習得していった。”操心”と”連結”の区別がまだ未熟だと先輩に注意を受けていたばかりなのに、今、テオの目の前で見事に使いこなしている。しかも”シエロ”同士では使えないと考えられている”操心”でアランバルリを操っているのだ。

 そう言えばケサダ教授もアランバルリと側近2人に同時に”操心”と”連結”をかけて記憶を消した。彼は純血種だが、ミックスのアンドレもやるじゃないか! やっぱりグラダの血は凄い!!

 畑から村に出た。教会前広場まであと少しだ。 

第7部 誘拐      7

 テオは忍耐強くギャラガを待っていた。絶対に安心とは言えないが、もしギャラガが見つかれば野営地に騒ぎが起きる筈だ。しかし兵士達は暢んびりしており、翌日セルバ人の護衛が終われば基地へ帰れると喜んでいた。彼等は田舎から軍隊に入った男達でありながら、この国境に近い寂れた村での勤務は嫌な様子だった。退屈なのだ。遊ぶ場所が全くない。飲み屋もない。女と遊ぶ店もなかった。
 テオが藪蚊に閉口しかけた頃にやっとギャラガが戻って来た。ギャラガがフッと息を吹くと藪蚊はいなくなった。
 テオはギャラガが正面にしゃがみ込むのを待った。

「アーロンはまだ生きています。」

とギャラガは最初にそう報告した。

「どんな状態かわかりませんが、アランバルリのテントにいる様です。」
「誘拐の目的は?」
「連中はセルバ人なら自分達と同じ力を持っているだろうと言う推測だけで彼を攫った様です。私は白人に見えるので排除対象となったのです。」
「つまり、連中は”シエロ”の正しい知識を持っていないのか。」
「その様です。同じ力を持つ仲間を集めて何かをしようと企んでいると思われます。」
「連中の数は?」
「私が聞いた限りでは3人です。少佐と側近が2人。結界を張っていませんでしたし、私の気を感じ取ることもなかったです。」

 テオは考え込んだ。3人だけで何をしようとしているのか。”操心”で兵隊を配下に置いてクーデターでも起こすのか? アランバルリが前大統領派で、投獄されている昔の仲間を救出するつもりだとしたら?
 ギャラガは野営地の様子をチラリと伺ってから、再び報告の続きを語った。

「今日の昼間の出来事を彼等は記憶していません。と言うか、記憶を抜かれたことを気がついているのですが、誰に抜かれたのか覚えていない様子です。しかし、教授が純血種であることはわかっていますから、疑っています。」

 テオは頷いた。

「教授も正体がバレたと悔やんでいる。彼はバスを結界で守って、”幻視”で俺達がいる様に見せかけて明日国境を越える計画だ。」
「成功を信じます。」

 ギャラガが微笑んだ。
 2人は薮の中を通り、ギャラガが立ち聞きした大きなテント迄歩いて行った。月明かりだけだから、テオは足元が見えなかった。慎重に物音を立てずに歩くと時間がかかったが、仕方がない。ギャラガも彼が夜目を使えない普通の人間だと承知しているから、少し前を先導し、躓きそうな障害物があれば立ち止まって、下を指差した。彼が微かに放出している気のお陰で虫や蛇に出会わずに済んだ。2人は野営地から聞こえて来る人の話声や物音に何度も耳を傾け、自分達の存在が気づかれていないことを確かめた。
 テントのそばに到着した時は夜が更けていた。テオは空腹を忘れていた。テントの中の灯りに男が2人座っている影が見えた。どちらも時々手を動かしたり、立ち上がったりしていたから、カタラーニではないだろう。男達の影の足元の荷物の様な物が捕虜に違いない。カタラーニは転がされているのだ。他のテントに軟禁されていないのであれば、だが。
 やがて影の一つが敬礼して、テントから出た。別のテントへ歩いて行く。残った影は足元の物体に声をかけた。

「水をやるから大人しくしていろ。声を出したら殺すぞ。」

 アランバルリの声だった。彼は床の上の捕虜を起こし、水筒を持って頭部へ近づけた。猿轡を外された捕虜が水を貪り飲むシルエットが見えた。
 水を飲み終わると、捕虜は再び猿轡を嵌められ、床に転がされた。
 アランバルリが灯りを消した。

  

2022/07/06

第7部 誘拐      6

  水を入れたポリタンクを載せたカートを押して、ケサダ教授はバスに戻って行った。テオがギャラガを見ると、若い大統領警護隊の隊員は足首に隠していた小型拳銃を盗られていなかったことを確認していた。アランバルリの一味は彼が軍人だとは想像していなかったのだ。白人を吹き矢で射殺してそれで終わり、と安直に考えたのだろう。
 テオとギャラガはトウモロコシ畑の中の道を行き、部隊の野営地へ向かった。辺りは薄暗くなって、村の家家の灯りが見えた。軍の野営地はすぐにわかった。初日に見た様に30人ほどの部隊だ。その中の何人が”シエロ”の末裔なのかわからないが、彼等はセルバ人が殺害されたり誘拐されたと言う騒ぎが起きたら、反政府ゲリラの仕業と決めつけるつもりでいるのだろう。セルバ側からの反撃を警戒もしないで、暢んびり夕食を取っていた。
 夜目が効くギャラガがテオを木陰に誘導した。己の小型拳銃をテオに渡した。

「”幻視”を使って野営地の中に入ってみます。結界を張っているように見えませんが、どこまで入れるか調べて戻って来ます。」

 ギャラガは、自分1人で十分やれる、とは言わなかった。常に2人1組で行動せよと言う教えを真面目に守っていた。カタラーニを見つけて救出するのは2人で行う、と彼は考えていた。それはテオとはぐれてはいけないと言う思いもあったのだ。彼は失敗を取り戻す為にがむしゃらに頑張るタイプではなかった。失敗すれば、その原因を考え、より用心深くなるタイプだ。カタラーニとテオは”ティエラ”で、彼は1人で守らねばならない。しかしテオが非戦闘員であるにも関わらず非常に頼りになる男だと理解していた。だから、テオを安全圏に置いて自分1人で行動することの方が不安だったのだ。
 テオはギャラガの提案を了承した。

「連中が結界を張れる力を持っていると思えないが、用心するに越したことはない。特にアランバルリ少佐には気をつけろ。」

 敵の”シエロ”の末裔の人数が不明なのが気がかりだったが、ギャラガは静かに野営地へ入って行った。テオはそっと木の影から様子を伺っていた。
 ギャラガは最初物陰から物陰へと移動していたが、途中で近くを通った兵士が彼に気づかなかったので、今度は堂々とテントの間を歩いて行った。ぶつからないように、音を立てないように、用心したのはその2点だった。
 兵士達はリラックスしていた。セルバ人の調査団が明朝帰ると聞いて、国境までの護衛をすれば基地に帰れると話していた。指揮官の少佐やその側近達と思われる兵士は彼等が食事を取る場にいなかった。ギャラガはどの兵士からも”ヴェルデ・シエロ”の気を感じなかった。
 ギャラガはテントに戻ろうとした兵士を1人捕まえた。一瞬姿を現し、相手の目を見て命令した。

「アランバルリ少佐のところへ案内しろ。」

 兵士がくるりと背を向けて歩き出したので、ギャラガは急いで”幻視”を再開した。周囲を確認して、他に彼の姿を見た者がいないと判断した。
 ”操心”にかけられた兵士は野営地の中をスタスタと歩いて行った。途中で彼の同僚が声をかけたが、彼は「少佐のところへ行くんだ」と応えただけだった。
 やがて一回り大きなテントの前に来た。兵士が中に入ってしまえば面倒なことになる。ギャラガは兵士に近づき、耳元で囁いた。

「任務完了。戻ってよろしい。」

 素早く身を遠ざけると、兵士はハッと夢から覚めた様な顔になった。目の前のテントを見て、周囲を見回し、首を傾げた。そして上官から絡まれる前にイソイソと立ち去った。
 ギャラガは忍足で大きなテントに近づいた。彼の優れた聴覚を持つ耳に、テントの中の会話が聞こえた。

「セルバ人だからと言って、みんなが同じ力を持っているとは限らないようだ。」
「こいつはただの人間です、少佐。どうしましょうか?」
「我々のことを知られてしまった。生きて帰す訳にはいかん。」

 ギャラガはドキリとした。こいつらは”操心”を使える筈だ。カタラーニの記憶を消して帰せば良いだろうに。アランバルリの声が続けた。

「白人の若造を君は毒矢で殺してしまった。この若造の記憶を消すだけでは騒動を消せないだろう。」

 3人目の声が聞こえた。

「君が白人を殺したりするから、そろそろセルバ人が死体を見つけて騒ぎ出すぞ。」
「あの白人は兵隊みたいな気配を持っていた。軍隊上がりだろう。抵抗されて騒ぎになるといけないから、殺した。セルバ人は村外れの猟師の家族の仕業だと思うんじゃないか。ペドロ・コボスはセルバ人に殺されたから、兄貴が弟の仇を討ったと考えるだろう。」
「いずれにせよ、そろそろ死体を誰かが見つけて騒ぎ出す。ここへ通報に来るのも時間の問題だ。」

 するとアランバルリが言った。

「この若造は人質として生かしておく。あのセルバ人の調査団の中に我々の昼間の記憶を消した人間がいるのは確かだ。」

 ギャラガは緊張した。しかし気を発する訳にいかない。彼は心を無にして会話を聞くことだけに神経を注いだ。
 アランバルリが呟いた。

「インディヘナの男がいたな・・・教授と呼ばれていた・・・」

 ギャラガはそっとテントから離れ、素早く近くの藪に入った。そして葉音を立てずにテオが隠れている場所へと走った。



2022/07/05

第7部 誘拐      5

  2分もするとアンドレ・ギャラガは煉瓦作りの井戸枠にもたれて座れる程に回復した。ケサダ教授が新鮮な水を汲んで与えると、彼は少しずつ飲み下した。井戸の周囲を見回ったテオは何も手がかりを得られずに2人の側に戻った。

「アンドレ、アーロンを攫った連中を見たか?」
「顔は見ていません。しかし、軍服を着ていました。人数は不明です。」
「アーロンは声を出さなかったんだな・・・」
「私がいきなり倒れたので、彼は駆け寄ろうとして、それから立ち止まりました。恐らく・・・銃を向けられたのだと思います。」
「君には吹き矢で、アーロンには銃か・・・」

 ギャラガは知らない人が見れば白人だと思うだろう。アーロン・カタラーニはメスティーソだ。アランバルリの一味は、多分誰が超能力者なのか判別出来ずに、「白人」のギャラガを殺してメスティーソのカタラーニを攫うことにしたのだ。もしかすると、昼間もテオと村長を殺害してボッシ事務官とケサダ教授を攫うつもりだったのかも知れない。
 政府の正規軍が外国政府から公式に調査の為にやって来た科学者を殺害したり誘拐したりすれば、外交問題になる。敢えてするのなら、それは自国政府に対する反乱ではないか。

「アランバルリはクーデターを計画しているんじゃないか?」
「しかし、何の為に我々を襲うのです?」

 と問いかけてから、ギャラガは自分で答えを思いついた。

「同じ力を持つもの同士で協力しろと?」

 教授が肩をすくめた。外国人にクーデターの片棒を担がせるなど、馬鹿げている。それも銃で脅して・・・。
 ギャラガが立ち上がった。腕や脚を振って筋力の回復を確かめている。
 テオはケサダ教授に言った。

「俺はこれからアンドレと共にカタラーニを助けに行きます。」

 反対されるかと思ったが、教授は黙って彼を見返しただけだった。

「教授は”幻視”か何かで事務官達に俺達が一緒にいると思わせておいてくれませんか。そして明日の朝、予定通りに帰国の途について欲しいんです。連中は調査団が騒ぎもせずに出発するのを不審に思って様子を伺いに来るでしょう。連中がバスに気を取られている間に、俺達はカタラーニを探します。」

 ギャラガを見た。相談も何もしなかったが、ギャラガはテオの提案に同意を示して頷いた。

「私は軍人です。背中を射られるなんて不名誉なしくじりです。しかも友人を奪われるなど、あってはならない失敗をしました。自分の名誉回復を二の次にしても、カタラーニを取り戻したいです。ドクトルは私が守ります。もう失敗は許されません。」

 ケサダ教授はテオとギャラガを交互に見比べた。

「確かに、私は民間人で、軍事行動に参加すべきではないな。」

と彼は呟いた。

「パストルの手も借りることになるでしょうが、国境を越える迄人々の目を誤魔化すのは容易いことです。ついでにバスを結界に取り込んでおきましょう。連中が一族の末裔であるなら、バスに触れない筈です。無理に押し入ろうとすれば脳をやられる。」
「もし銃撃されたら・・・」

 ギャラガの心配に、教授が微笑で応えた。

「大統領警護隊だけが守護者ではない、エル・パハロ・ブロンコ。」

 大先輩の能力を心配してしまったギャラガは赤面した。
 テオは彼が十分動けるまでに回復したと判断した。それで教授に言った。

「カタラーニを救出してバスを追いかけます。」

 教授も言った。

「ミーヤの国境検問所で待っている。あそこには一族の警備兵が大勢いるから、もし追手が来ても問題はない。」

 

第7部 誘拐      4

  ダニエル・パストルが夕食が出来たと告げた時、テオはアーロン・カタラーニとアンドレ・ギャラガがまだ戻って来ていないことに気がついた。パストルにそのことを言うと、コックは井戸がある方角を見て、眉を顰めた。

「順番待ちをしたとしても、もう戻って来ている筈ですね。」

 テオは嫌な予感がした。彼は小声でコックに囁いた。

「ダニエル、君は一族だよな?」

 つまり”ヴェルデ・シエロ”だな、と念を押したのだ。パストルはテオが”有名な白人”だと知っていたので、素直に頷いた。テオは更に声を小さくした。

「俺が様子を見てくる。君は”心話”で教授に伝えてくれ。ボッシと運転手には気づかれるな。」

 パストルは承知しました、と答え、何気ない風でケサダ教授やボッシ事務官がいる所へ歩いて行った。
 テオは井戸に向かって歩き出した。武器も何も持っていない。携帯電話だけポケットに入っているが、この村では接続が悪い。村に入ってから使ったことがなかった。
 家並をぐるりと周り、村の水場へ行った。川から引いた水路と井戸が近接して設置されている場所だ。ポンプ式の井戸の側にポリタンクを載せた手押しカートが放置され、少し離れた場所で倒れている男が見えた。そのシャツの色を見て、テオはゾッとした。思わず駆け寄った。

「アンドレ! しっかりしろ!」

 抱き起こそうとして、シャツの背中に刺さっている矢に気がついた。吹き矢だ。まさか、クラーレの毒矢か? 
 矢を引き抜き、捨てた。ギャラガの首に手を当てると脈が感じ取れた。生きている。だが、どうすれば良い? 仰向けにされたギャラガの顔は血の気がなかった。麻酔ではなく毒矢に違いない。ギャラガが生きているのは、”ヴェルデ・シエロ”だからだ。テオはギャラガの額に手を当て、もう片方の手で顎先を持ち上げて気道を確保した。殆ど息がないギャラガの鼻を摘み、口に己の口を合わせた。ためらいはなかった。息を吹き込み、ギャラガが自然に息を吐き出すのを見守った。2度目の吹き込みを行った後、胸骨圧迫を施した。
 もう一度人工呼吸を行おうとした時、ギャラガが咳に似た自発呼吸をした。

「アンドレ!」

 呼びかけると、若い”ヴェルデ・シエロ”は呻き声を上げた。テオの直ぐ後ろでケサダ教授の声が囁いた。

「もう大丈夫だ。」

 テオが振り返ると、教授が先刻テオが捨てた吹き矢を手に取って観察していた。

「中米地峡一帯で使われていた狩猟道具です。先端にクラーレが塗られていた。」

 彼はギャラガに目を遣った。

「射られた瞬間、彼は本能的に毒を中和させる状態に体を持っていったのです。しかし初めての経験だったので、上手に出来なかった。喉の筋肉が硬直して呼吸困難に陥り気絶してしまったのでしょう。貴方の蘇生術で彼は助かりました。」

 テオは脱力しそうになった。ギャラガが目を開き、彼を見上げた。

「ドクトル・・・」
「アンドレ・・・戻って来てくれて有り難う。」

 しかし、ギャラガは己が助かったことを喜ぶ余裕がなかった。彼はまだ上手く動かない唇を必死で動かして、テオに告げた。

「アーロンが・・・連れて行かれました。」

 それで初めてテオは己の弟子が姿を消していることに気がついた。慌てて立ち上がった。周囲を見回した。陽気な若者の姿はどこにもなかった。

2022/07/04

第7部 誘拐      3

  夕刻、採取に来る人が少なかったので、テオは早めに受付を閉め、検体の整理を始めた。1人で出来るので、助手のアーロン・カタラーニはコックの手伝いで水汲みに行くと言った。井戸は遠くないが水のポリタンクは重たい。手押しカートでもガタガタ道ではちょっと厄介な道のりだ。村の女性の装飾品をセルバのカブラ族の衣装のデザインサンプルと見比べていたケサダ教授が、アンドレ・ギャラガに声をかけた。

「一緒に行ってやりなさい。」

 つまり護衛しろと言うことだ。ギャラガは素直に自分のタブレットを仕舞い、カタラーニと共にカートを押して出かけて行った。
 テオはタバコをふかしながらぼんやりしているボッシ事務官に声を掛けた。

「採取を明日の午前中で終わらせて、セルバに引き揚げませんか?」

 これ以上待っても手に入る検体が増えることは期待薄だった。それにアランバルリ少佐の部隊から早く離れたかった。アランバルリがどの程度の能力者なのか不明だし、どれだけの人数の仲間がいるのかも掴めない。だが”操心”を使えるのだから用心するに越したことは無い。
 ボッシ事務官は少し考え、頷いた。

「ドクトルがそう仰るなら、そうします。考古学の先生の方は如何ですか?」

 意見を求められて、ケサダ教授は肩をすくめた。

「遺跡のない場所で古代の文化の共通点を探せと言われてもね・・・」

 彼はチラリとテオを見てから答えた。

「引き揚げに賛成です。」

 ボッシ事務官は大きく頷いた。

「わかりました。では、明日の朝から私の方で撤収手続きを行います。午後、昼食後に出発でよろしいですか?」

 スィ、とテオとケサダは頷いた。採取作業も忙しくないから、撤収作業しながら行えば良いだろう。
 セルバ人は暢んびり作業するが、テオは記録を終えると既に備品のいくつかを片付け始めた。写真の照合だけの仕事をしているケサダ教授が、気が早いなぁと言いたげにチラリと視線を送って来たが彼は無視した。早くセルバに帰りたかった。隣国なのに異質な世界に思えて落ち着かないのだ。”ヴェルデ・シエロ”がいない世界。セルバだって日常は誰もが古代の神様の存在なんて意識せずに暮らしている。話題に上ることはないし、ほとんどの国民は純粋に”ティエラ”だ。それでもテオには安らぎを与えてくれる国だ。だがこの隣国は、どことなくギスギスした空気が漂っていた。村人は軍隊に怯え、警戒していた。軍隊も彼等と距離を置き、親しくなろうとしない。役人は両者の間で中立を保とうと気を張っていた。数年前の政治的内紛がまだ暗い影を落としているのだ。
 アランバルリ達古代の”シエロ”の子孫は、内紛にどんな形で関わったのだろう。隣国の内紛は、政府上層部の権力闘争だった。当時の大統領派と副大統領派がそれぞれ陸軍と海軍を味方につけて争ったと聞いている。結局副大統領が大統領を国外追放し(しかも後に亡命先で暗殺して)政権を掌握した。大統領派が殺害した国民の遺体が多く発見され、世界的なニュースになったのだ。隣国政府は自国の汚点を浄化しようと必死だった。現在いる陸軍は、大統領派から投降して新大統領に忠誠を誓った部隊だ。だからアランバルリもその中の1人だろう。しかし本心から新政権に服従しているのだろうか。
 テオは隣国の内紛にセルバ共和国が巻き込まれるのは御免だ、と思った。もしかするとアランバルリは己の能力が異常に強いと感じ、セルバ共和国の伝説の神々と結びつけて考えたのかも知れない。そして神々の子孫の存在を想像し、恐らく大統領警護隊の話を聞いて、己の能力と伝説の神々を結ぶヒントが得られると思ったのではないか。

 彼より強い能力者が他にいなければ、彼はこの国の独裁者になれる。

 テオはゾッとした。

2022/07/03

第7部 誘拐      2

  教会前のテントに戻ると、アンドレ・ギャラガとアーロン・カタラーニは昼寝をしていた。村全体がシエスタを取っているのだから、細胞を採取してもらいに来る人がいないのだ。コックのダニエル・パストルと運転手のドミンゴ・イゲラスも近くの木陰で寝ていた。テオが採取してきたコボス家の2人の細胞サンプルを冷蔵庫に入れて記録を録っていると、いつの間にかギャラガが起きてそばにいた。

「コボス家の人々はペドロの死に関して何か言ってましたか?」

 ちょっと心配していた。ペドロ・コボスは大統領警護隊に射殺されたのだ。遺族が怨恨を抱いていたとしても不思議でない。テオは首を振った。

「何も・・・母親は耄碌していて、息子が死亡した知らせを聞いた筈なんだが、もう忘れていた。ペドロはまだ生きていて猟に出かけていると思っている。」
「気の毒に・・・」
「兄のホアンは無関心だ。今日の印象ではそう見えた。俺達に早く帰って欲しい、それだけだろう、素直に細胞を採らせてくれた。」

 それよりも、とテオはバスの外に目を遣った。誰もこちらを見ていないと確認してから、それでもその場にしゃがみ込んで、ギャラガにも同じ姿勢を取らせた。

「アランバルリ少佐は”シエロ”だ。」

 えっ!とギャラガが目を見開いた。小声で尋ねた。

「彼が名乗ったんですか?」
「ノ、コボスの家を出て直ぐに声をかけて来た。質問内容は何気ないものだったが、ボッシ事務官と村長を”操心”でその場に足止めした。ケサダ教授が素早く俺の注意を少佐から逸らして俺が”操心”にかけられるのを防いでくれた。」
「貴方は”操心”にかからないでしょう?」

 ギャラガはテオの特異体質を承知していた。テオは苦笑した。

「うん、だが教授は予防線を張ったんだ。そしてアランバルリと2人の部下を一瞬で”連結”にかけた。」
「”連結”? ”操心”ではなく?」
「”連結”だ。村長と事務官にかけられた”操心”をかけた本人に解かせないといけないから。」

 あ、そうか、とギャラガが自分の頭をコツンと叩いた。まだ超能力の種類の使い分けに混乱することがあるのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”同士の場合、能力が同じ強さの者に技はかけられない。但し、グラダ族は別格だ。
 まだ修行中のミックスのグラダ族、アンドレ・ギャラガは本気を出せば純血種の他部族より大きな力を出せる筈だが、まだ完全に力の使い方を学習した訳ではない。

「でも、どうしてアランバルリはドクトルと教授に声をかけて来たんですか?」
「恐らく本命は俺じゃなくて、純血種の教授だったのだろう。しかし無関係な”ティエラ”の事務官と村長に少佐が技をかけたので、教授は怒ったんだ。」
「少佐は教授に何の用事があったのでしょう? 昨日のシエスタの時に”感応”をかけて来たのも少佐でしょうね?」
「恐らく。だが目的がわからない。教授は正体をバラしてしまったことを後悔されている。」

 テオはギャラガの肩に手を置いた。

「君も用心するんだ。力の大きさを頼んで戦おうなんて思わないでくれ。俺達は調査の為に来た。戦いに来たんじゃない。」
「承知しています。ケツァル少佐からも決して正体を明かしてはならぬと命じられています。」

 ギャラガはバスの外へ目を遣った。

「コックも一族です。彼にも伝えておいた方が良いですね?」
「そうだな。”心話”で教えてやってくれないか。彼にも正体を明かさないよう念を押してくれ。」

 午後からの採取は前日より人が減った。そろそろハエノキ村の住民達も慣れてしまって、義務ではない検査に関心を失ったのだろう。
 テオは村民よりアランバルリ少佐の部隊に興味を抱いてしまった。もしかすると隣国版大統領警護隊なのかとも想像したが、そんな特殊部隊を隣国が持っていればセルバ側も早い時期に察知していただろう。アランバルリの部隊の中のごく一部が、”ヴェルデ・シエロ”の末裔に違いない。今回のセルバ共和国から来た民族移動の調査隊の中に一族がいると知っていた訳ではなく、試しに”感応”を行ってみたと思われる。反応がなかったのだから諦めてくれたら良かったのだが、少佐は直接純血種の教授に近づいて試したのだ。
 アランバルリはとんでもなく危険なことをしている、とテオは感じた。あの少佐の目的が何なのかまだ不明だが、怒らせてはいけない男にちょっかいを出してしまったのだ。

 


第7部 誘拐      1

  コボス家の小屋の様な家屋から出て村へ戻ろうと森の端の小道を歩きかけた時、横手から声をかけて来た者がいた。

「コボス家の連中から上手く細胞を採れましたかな?」

 足を止めて振り向くと、護衛として来ている隣国の陸軍分隊長のアランバルリ少佐だった。後ろに2人部下を従えていた。パトロールの途中なのだろう。ボッシ事務官が大きく頷いて見せた。

「スィ、彼等は協力的でした。」
「それは良かった。」

 テオは少佐と事務官が目を合わせた様な気がした。村長が少佐に話しかけた。

「セルバの先生達の調査は予定通りに終わりそうだ。護衛の人数を半分に減らしても問題はないと思う。」
「それは私が決めることだ、村長。」

 少佐が村長の顔を見て、ちょっと笑って見せた。その途端、ケサダ教授がテオの手首を掴んだ。テオは驚いて教授を見た。教授は彼ではなく、アランバルリ少佐を見た。

「ご自分の職務を忠実に全うされるとよろしい。」

と教授が言った。少佐が数歩後退りした。彼は腰のホルダーに装備している拳銃に手を伸ばしかけ、そこで硬直した。テオは何が起きているのか直ぐに理解出来ず、少佐の後ろの兵士達を見た。兵士達も手を武器に伸ばしかけた状態で固まっていた。
 ケサダ教授が静かに言った。

「事務官と村長に掛けた”操心”を解きなさい。貴方がどう言うつもりなのか知らないが、我々は政府から命じられた仕事が終われば直ぐに帰る。このことは忘れよう。」

 テオはアランバルリ少佐と部下達が固まったままもがいているのを感じた。3人の軍人はケサダ教授の強力な”連結”で体を拘束されているのだ。普通、”ヴェルデ・シエロ”の”連結”能力は1人だけに対して有効だ。”操心”と違って脳を支配せずに体の動きだけを支配する能力だ。大統領警護隊が使うのを何度か目撃したことがあったが、一度に複数の人間に”連結”技をかけるのを見たのは、テオも初めてだ。ケサダ教授は最強と言われるグラダ族の純血種だった。
 突然ボッシ事務官と村長がそれぞれ瞬きして、3人の軍人達を見た。

「どうかされましたか、少佐?」

 アランバルリ少佐と2人の部下が脱力して腕をだらんと落とし、よろめいた。あ、いや、と少佐が呟いた。

「日に当たり過ぎた。」

 彼は部下に合図を送り、くるりと向きを変えて来た道を歩き去った。その後ろ姿を見送り、事務官が頭を掻いた。

「ええっと・・・何か話していたような・・・」

 ケサダ教授がテオから手を離して言った。

「仕事の進み具合のことを訊いて来ただけです。」

 4人は教会前広場に向かって歩き出した。テオがそっと教授に囁いた。

「あの3人だけでしょうか? 村人ではなく彼等軍人から細胞を採取すべきなのだと思いますが・・・」

 教授が肩をすくめた。

「採らせてもらえないでしょう。迂闊なことに、私の正体を教えてしまいました。」
「彼等には自覚がありますね。」
「スィ。しかし祖先が私と共通であると言う認識があるかどうかは疑問です。」
「気を感じられたのですね?」
「スィ。出会った時から微かに感じていました。ただ余りに微弱だったので、軽視してしまったのです。貴方に教えるべきだったと後悔しています。」
「抑制していたのでしょうか?」
「ノ、彼等は抑制を知らない様です。あれが彼等にとって精一杯の能力に違いありません。私も微弱な力しか使いませんでしたが、彼等は抵抗出来なかった。」
「大人しく引き退ってくれると良いですね。」
「そう願っています。」

 最強と言われる能力を必死で隠して生きてきたフィデル・ケサダが後悔していた。テオは守らなければと感じた。ケサダもギャラガもパストルも守ってやらねばならない。彼等は異郷の地で正体を暴かれる訳にいかないのだ。

 

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...