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2025/05/16

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。
 テオは、大神官代理ロアン・マレンカが職務に戻った、とロホから教えてもらった。大神官代理はこれからも膵臓の薬を手放せないが、危機を脱して、神託を聞いたり、ママコナと情報を交換する程度の職務はこなせるまでに回復したのだ。
 神官の何人かが神殿から姿を消し、残った神官達が神殿近衛兵に新しい神官候補の少年達を探して集めるよう命じた。誰がどの部族から選ばれるのか、それは神殿の外の人間には誰も分からない。
 処罰された神官達の身内に累が及んだのかどうか、それもテオには分からない。ケツァル少佐にも分からないのだから、知りようがなかった。ムリリョ博士はこの件に関しては、一言も教えてくれなかった。博士が口を閉ざしているから、ケサダ教授も何も知らないのだ。
 テオは少佐に教授が「イェンテ・グラダ村の住人は既に純血種になっていた」説を唱えたことを告げた。少佐は異論を唱えなかった。ただ、こう言った。

「いつ頃にそれが達成されていたのか不明です。だから、村から抜け出した住民がいたでしょうし、その子孫でグラダの血を引く人々がどこかに隠れていても不思議ではありませんね。」
「それじゃ、アンドレのグラダの血も、案外近い過去に彼の家系に入っていた可能性があるな。」
「スィ、彼が突然変異みたいに強いグラダの能力を持って生まれたことが不思議でしたが、イェンテ・グラダからの脱走者の子孫だと考えれば、納得出来ますね。」

 しかし、テオも少佐もその推測をギャラガ本人に告げるつもりはなかった。推測なのだから、本人に言ってどうなることでもない。今は彼の能力が暴走しないように、修行を続けさせることが大事だ。

「ところで・・・」

 テオはダメもとで少佐にお願いをしてみた。

「エステベス大佐ってどんな人だい? よく名前を耳にするけど、どんな人物なのかは誰も語ってくれない。俺は興味を持っているが、会うことは出来るんだろうか?」

 少佐は気の無いふりをして答えた。

「大佐はいつもご多忙です。でも、そのうちに何かの機会に会えるかも知れませんね。」

 テオはピラミッド神殿の中で話をしたママコナと”アダ”を思い出し、あの仮面の長老ともう一度会ってみたいなぁと思ったのだった。

2025/05/12

第11部  神殿        22

 「神官が一度に複数入れ替えされるとなると、部族によってはかなり混乱が起きるんじゃないか? 特にサスコシ族とカイナ族、それに、マスケゴ族にも?」

 テオが心配すると、ケツァル少佐は肩をすくめた。

「他部族のことは、関与しなかった部族には関係ないことです。サスコシ族はかなり厄介な状況になるでしょうけど。何しろ純血至上主義者とそうでない人々との対立がありますから。」
「カイナ族は人口が少ないって聞いた。特に純血種の家族が少ないって、フレータ少尉が以前言っていた。」
「フレータ少尉の家系は今回の事件に加担していなかったと思われるので、彼女の家系から候補者を出すでしょう。適齢期の子供がいなくても若い人をスカウトしようと長老会は画策すると思います。」
「女性神官がいてもいいんじゃないかな。」

 テオはピラミッドの神殿で出会った”アタ”と名ばれる地位であろう女性長老を思い出した。彼女のような落ち着きのある常識人が神官になるべきだろう、と思った。

「女性は”名を秘めた女”一人で十分ですよ。」

と少佐が言った。

「彼女は女官や侍女達の意見をまとめて神官に命令や助言を与えているのです。もし神官が女達だったら、却って話がまとまらないでしょう。」

 彼女がクスッと笑った。
 テオはピラミッドの中でママコナと語り合ったことを思い出した。あの稀有な体験を少佐に教えられないのが残念だった。

「ママコナは外に出たいと思わないのかな?」

と故意に言葉に出してみた。少佐は肩をすくめただけだった。

「彼女が実際どんな人生を送っているのか、誰も知りません。もしかすると、こっそり”通路”を通って外へ出ているのかも知れません。でも私は知りたくありません。彼女が一族の最高権威である立場を守ってくれさえすれば、私達はまとまるのですから。」

 

2025/05/09

第11部  神殿        21

 「マスケゴ族の神官クワロワは、己の隠し子を大神官代理にしたいと考えました。でも、もし他にグラダの子孫が現れると、彼の思惑が外れてしまいます。だから彼は大統領警護隊遊撃班の若い少尉に、グラダの血を引く幼児を探せと命じました。」
「見つけ次第消すつもりだったのか?」
「スィ。」

 テオはゾッとした。クワロワやアスマの仲間は、己達の血族を神官にする世襲制を画策し、邪魔なマレンカ大神官代理に呪いをかけて瀕死の状態に追い込み、自分達が大神官代理候補に立てようとする幼児のライバルが出て来ないよう、グラダの子孫を狩ろうとしたのだ。

「その企みを、アスマ神官達は認めたのか?」
「神殿の裁判で嘘はつけません。被告は抑制タバコの煙で燻され、抵抗する力を奪われます。いかなる尋問にも嘘をついたりや沈黙することが不可能になるのです。」
「君はエダの神殿に行っていただろ? あそこでは何が起きていたんだい?」
「アスマ達が他の神官達を仲間に引き入れるか否か、試していたのです。大神官代理が重い病に倒れたので、次の大神官代理を決めなければならない、と神官達を誘い出し、閉じ込め、洗脳しようと試みていました。でもブーカやオクターリャの神官はなかなか言いなりになりません。彼等の悪巧みが気づかれそうになっていたので、反対派を殺害してしまうことを考えていた最中に、私とマハルダが女性近衛兵達と接触したのです。」
「女性近衛兵達は、世襲制に利用されようとしていたんだってな?」
「スィ。酷い話です。彼女達は真相を知ると憤っていました。近衛兵達は神殿の神聖さを守っているのに、世俗の汚い野望を持ち込まれて、それも神官自ら汚れを持ち込んだので、叛乱神官達の極刑を求めています。」
「アスマ達はワニの池に放り込まれるのか?」
「その判決は、私には教えられませんでした。」

 少佐は疲れた顔でボードをぼんやり眺めた。

「恐らく、我々はアスマ達に2度と会うことはないでしょう。」

2025/05/02

第11部  神殿        20

 「”名を秘めた女の人”は確かに大神官交代の夢を見て、マレンカ様に忠告なさったのでしょう。交代の夢とは、白いジャガーの夢です。ママコナが白いジャガーを夢で見ると大神官が交代すると言い伝えがありました。でも実際にそうなっていたのか、誰にもわかりません。交代とは、死を意味していましたから、ママコナが大神官に『貴方は死にます』などと告げていたとは、私は思えません。」
「女官や神官達が大神官の身体に異常が顕れた時に、そう宣伝していたってことか?」
「ママコナの権威を軽く考えて傀儡にしていた神官がいたと考えれば、きっとそう言うことだったのでしょう。」
「そして当代のママコナが白いジャガーの夢を見たと本当に言ったので、それを利用したのか?」
「彼女が実際にどんな夢を見たのか、それは彼女が”心話”で語りかける侍女にしかわからないでしょう。」
「ただのモノクロの夢で白地に黒い点々がついたジャガーだったかも知れない、と君は思うんだな?」
「でも彼女は、何か良くないことが神殿内で起きつつあることは、察していたのでしょう。」

 テオはアスマ神官の名前の部分をペンでトントンと叩いた。

「君が”サンキフエラの心臓”をこの神官に預けた時、神官はあの石が”ティエラ”のための物で”シエロ”には効果がないと知っていた・・・」
「仲間にカイナ族のエロワ神官がいますから、石の正体はエロワから聞いたでしょう。アスマ神官は大神官代理の健康をさも気遣うふりをして、治療に石を使ってみた、でも当然効果がありません。本物かどうかわからないので、大統領府厨房スタッフに毒を盛ってテストしたのです。」
「本物でも”シエロ”には効果がない石だから、大神官代理は治らない・・・だから、彼は神殿から逃げることにした?」
「一族の治療師はどこでどの神官と繋がっているかわかりません。だから、マレンカ様は親族の近衛兵に逃亡の手助けを依頼されました。」
「それがロホの兄さんのウイノカ・マレンカさんだったんだな?」

 ケツァル少佐が苦笑した。

「ロホの兄さんが神殿で働いていると知っていましたが、まさか神殿近衛兵だったとは、私も昨晩まで知りませんでした。近衛兵が大統領警護隊だったことも・・・。」
「正直言うと、俺もウイノカさん本人から接触される迄知らなかった。そしてロホや君達には教えるなと口止めされたんだよ、黙っていてごめん。」

 テオが謝ると、少佐を首を振った。

「我が一族は互いに秘密を持ち合いますから、貴方が謝ることはありません。ウイノカさんの身分はご家族にも秘密なのでしょう、奥さんもご存じないと思いますよ。神殿の事務官程度に思っておられることでしょう。ロホが裁判に出廷した時、既にウイノカさんの証言は終わっていたので、ロホはまだお兄さんの身分を知らないのです。」
「そうなのか・・・」

 テオは、まだ親友に秘密を持たなければならないのか、と心苦しく思った。少佐は気にする様子がなかった。

「ウイノカさんは、神官達がエダの神殿に出かけた直後に、毒の調査に入り、貴方と接触したのです。」
「スィ、毒の出どころと誰が手に入れたか調べた。あれはマハルダも内容を知っている。」
「スィ、薬屋のカダイ師から神官の従者が購入したのです。カダイ師は記憶を消されていましたが。従者は近衛兵の尋問を受け、白状しました。一般市民に害を為したことで、彼は処罰されました。」
「まさか、死刑・・・」
「神殿追放です。そして当分正業には就けないでしょう。」


2025/04/30

第11部  神殿        19

 本来は大神官代理の交代は、当代の代理が病気又は老齢で職務を果たせなくなった時に行われる。しかし、4人の神官はそれを待てないと思ったのだ。彼等は自分達の代に自分達の権威を拡大してくれる大神官代理を望んだ。代理でなく大神官でも良いのだ。そして彼等には家系に伝わる遠い祖先の話があった。祖先の一人はグラダ族だったと言う・・・。神官は独身だが、親族の子供を大神官代理にして操ることが出来る。傀儡だ。それに、これは審問で判明したのだが、マスケゴ族の神官クワロワには、神官でありながら隠し子がいたのだ。彼は女官の一人との間に男の子をもうけていた。もう直ぐ1歳になる。

「その子が、グラダを祖先に持つ神官候補適齢期の子って訳か!」
「スィ、とんでもない話です。」

 少佐は女官の名前と子供とクワロワの名前の下に小さく書き加えた。
 テオは内心ホッとした。ケサダ家の男の子を狙っていたのではなかったのだ。恐らく、ケサダ家の血統が明確でないことを不安に感じたクワロワ神官が、ムリリョ博士にケサダ教授の家の孫を養子に欲しいと持ちかけて、血筋を確かめようとしたのだ。クワロワと名乗っているが本物のケサダの血筋である神官は、ムリリョ博士に断られ、ムリリョ家のケサダ達が神官職に興味を持たないと安堵したに違いない。 

「彼等は世襲制に反対するマレンカ大神官代理を呪いで病にした。」

 テオは赤ペンで上部4人を括弧で括り、ロアン・マレンカの名前に向けて矢印を書いた。 少佐が怒りの表情で言った。

「呪われる本人にバレないように、4人で静かに少しずつ爆裂波を彼の膵臓に向けたのです。大神官代理が体の不調に気がついた時には、もう自分で対処不可能な状態になっていました。」

 ママコナは4人の神官の叛乱を予知していた。彼女はマレンカ大神官代理に警告したのに、大神官代理はカイナ族出身のママコナの声を軽んじて聞かなかったのだ。手遅れになってから、彼女に助けを求めた。
 テオは呟いた。

「ママコナは叛乱を予知していたんだよ。でもマレンカ氏は彼女の警告を無視しちまったんだ。」

 少佐が振り向いた。

「なんですって?」

 テオは内心慌てた。ママコナと会ったことは誰にも言ってはならない。彼は必死で頭を回転させて言い訳した。

「だってさ・・・ママコナは神殿内で起きることはわかっているんだろ? 彼女は何が起きているか知っていた筈だよ。そして大神官代理に教えたと思うんだ。でも強い能力を持つ部族の人達は、オセロットやマーゲイを甘く見ているだろ? きっと大神官代理はママコナの忠告を聞かなかったんだ。」

 少佐は暫く黙って彼を見ていたが、やがて視線をホワイトボードに戻した。


第11部  神殿        18

  テオはボードの左端上部に、「ラス・ラグナス 石」と書いた。そして少し斜め右に、アスマと書いた。すると少佐が横に来て、彼からペンを受け取り、アスマの下にカエンシット、エロワ、クワロワ、フレータ、ロムべサラゲレス、スワレ、後5人の名前を書いた。それからそれぞれの名前の右側に()付きで部族名を書いたので、テオはそれが神官の名前だとわかった。 彼女はそれからさらに右にロアン・マレンカと書いた。大神官代理だ。 次に大神官代理の名前の上の空きスペースに「長老会」と書き、神官達の名前のずっと下に「神殿近衛兵 女性 男性」と書き入れた。
 そして、石から矢印をアスマへ伸ばした。

「私がサンキ・フエラの石をアスマに渡してから、事件が始まりました。でも・・・」

 彼女は「長老会」の下に小さく「夢」と書き加えた。

「長老の一人が、”名を秘めた女”が白いジャガーの夢を見た、と言ったそうです。それは石が発見される前のことで、 ”名を秘めた女”は特別な意味を持って言ったのではなく、単に見た夢の話をしたのですが、彼女の夢は時に予言と解釈されます。その長老は昨今の神殿の権威がセルバ社会で低下していることを嘆き、神官に代替わりが必要かも知れないと脅すつもりで言ったようです。」
「ママコナが白いジャガーの夢を見ることは、大神官の代替わりを予言することになると、ムリリョ博士も言っていた。」
「スィ。でも、本当に”名を秘めた女”は予知夢を見たのではありません。彼女はただ色がついていない夢を見たに過ぎなかったのです。」

 そう言われると、テオもたまにモノクロの夢を見たことがあったなぁ、と思った。内容は覚えていなかったが。

「彼女は夢の話をうっかり他人に話すことも出来ないんだな。」
「そうですね、お気の毒ですが、話す相手を限定するべきでした。」

 少佐も苦笑した。

「でも、話を聞いた長老も、それが予言だとは捉えなかったのですよ。神官達を叱咤激励するつもりで迂闊に喋ってしまったのです。彼は、後で長老会のメンバー達から厳重に注意されたそうです。」
「だが、それを誤解した神官がいたんだな?」

 少佐がアスマ、カエンシット、エロワ、そしてテオが初めて目にするクワロワと言う名前に黒丸を付けた。

「彼等は、神官ではなく、大神官代理を交代させることを考えたのです。」

2025/04/28

第11部  神殿        17

  大学での仕事は何事もなく平穏にこなせた。学生達は遺伝子の組み替えのさまざまなパターンを考察し、人間の病気に対する遺伝子の影響を考えた。どうすれば病気に強い子供を産めるようになるのか。 それは人口の減少が早い少数民族の課題でもあった。多産でも生まれた子供が病気に罹りやすければ、衛生管理に力を入れても、経済的に貧しい人が多いこの国では乳幼児の死亡率低下を防げない。テオは彼本来の研究分野に没頭して、夕方までなんとか神殿の問題を忘れていられた。
 夕方、研究室を閉めて駐車場に向かいながら携帯をチェックすると、ケツァル少佐からメッセージが入っていた。

ーー今夜帰ります。夕食に間に合うと思います。

 それだけだった。テオは「お疲れ」とだけ返信した。
 駐車場でケサダ教授を見かけた。教授は何もなかったかのように、他の職員と談笑していた。テオは彼に声をかけずに車に乗り込み、帰路に着いた。
 文化・教育省の駐車場に立ち寄ってみると、ロホのビートルが駐車していた。ロホも何とか己の役目を終えたようだ。
 恐らく長老会は文化保護担当部に裁判の詳細に立ち入らせなかったのだ。必要な証言だけ語らせて、彼等を解放したに違いない。
 テオは駐車場を一周してから、自宅に向かった。役所は大学より終業時間が少しだけ遅い。約束していれば、テオは彼等を待つが、この日は誰とも約束していなかったので、自宅で少佐を待つことにした。
 帰宅すると、家政婦のカーラが食事の支度をしていた。テーブルは2人分の用意だけだった。少佐は彼女に特に何も連絡をしていなかった様だ。テオは自分のスペースでシャワーを浴び、着替えて、ダイニングに入った。そこへ少佐が帰って来た。 テオが玄関に出迎えて、「お帰り」とキスをすると、彼女は素直に、何もなかったかの様に応じた。そして、いつもの様にシャワーを浴びて着替えた。
 食事の開始も普段と変わらず、穏やかに2人で乾杯して、カーラに残りの食材を与えて帰らせた。
 カーラがいなくなって、本当に2人きりになると、少佐が初めて大きく溜め息をついた。テオは尋ねた。

「事件は全て解決したのかい?」
「多分・・・」

 少佐が少々投げやりな声で答えた。

「相変わらず、我々には全容を教えてくれない人々です。」

 長老会と神殿の人々のことを言っているのだろう。テオは立ち上がり、リビングへ行った。そこに、最近彼が購入したキャスター付きのホワイトボードがあった。大学の准教授らしい発想で、彼は友人達とややこしい話をするために準備したのだ。今迄部屋の片隅に置いたままで使ったことがなかったが、今回はこれが必要だと思えた。
 彼がコロコロとボードを押して来るのを見て、少佐がちょっと笑った。

「刑事ドラマみたいです。」
「そうさ、時系列や登場人物の相関図がないと、俺は理解出来ないからな。」

2025/04/25

第11部  神殿        16

  夜が明けたが、誰も帰って来なかった。テオは一人で朝食を取り、ケツァル少佐の携帯に電話をかけてみたが、繋がらなかった。電源を切っているらしい。それとも神殿は外から繋がらないのか?
 もやもやした気分だったが、仕事に行かなければならない。身支度していると、ドアチャイムが鳴った。防犯カメラを見ると、アンドレ・ギャラガ少尉が一人だけ立っていて、カメラに向かって、階段方向を指差した。これからここへ上がって来るのだ。テオはマイクに向かって「O K」と呟いた。
 ギャラガはエレベーターを使わず駆け足で階段を登ってきた。かなりの健脚だ。テオが玄関のドアを開けた時、彼は普通の呼吸だった。

「ブエノス・ディアス、ドクトル。これからお仕事ですか?」
「スィ。君は・・・」
「私も出勤します。」

 まるで何事もなかったかのような言い方だったが、すぐに彼は言い添えた。

「他の上官達は全員本部に足止めです。」
「君だけが解放されたのか?」
「そんなところです。」

 テオは時計を見た。まだ半時間余裕がある。

「君の出勤時間の方が早いから、俺の車で送って行こう。それとも車で官舎から来たのか?」
「ノ、バスで来ました。」
「それじゃ、コーヒーを飲む時間はあるだろう。」

 テオは返事を待たずにキッチンへ行き、ポットからコーヒーをカップに注いだ。ギャラガは遠慮なくそれを受け取った。そしてテオが尋ねる前に、彼が知りたいことを喋ってくれた。

「ケツァル少佐とデネロス少尉はエダの神殿で起きたことを神殿近衛兵達と共に証言するために本部に足止めです。長老会と神官の弾劾裁判が終わる迄本部から出られません。
 ロホ先輩は大神官代理が呪いをかけられた件でやはり証言を求められていますが、現在は大神官代理の治療を優先させるとのことで、治療出来る能力を持っている叔父さんを呼びに行っています。それで、裁判にはアスル先輩が代理で出廷します。」
「君は証言を求められないのか?」
「私はどの件にも直接関わっていないので、少佐から業務遂行を命じられ、本部も認めました。」
「それじゃ、君は一人で文化保護担当部の業務を死守しなきゃならないんだ・・・」

 ちょっとだけ揶揄った。ギャラガを励ましたかった。ギャラガもそれに気がついて、苦笑した。

「スィ、責任重大です。こんな場合はステファン大尉が助っ人に来てくれる筈なんですが、神官数人を拘束しているので遊撃班が神殿に『出動』しているんです。神殿近衛兵では神官との馴れ合いの心配があるとかで・・・まぁ、あり得ませんがね。」
「せめてマハルダだけでも返して欲しいよな。」
「全くです。」

 2人は仕事に行くためにアパートを出た。階段を降りながら、テオはギャラガに質問した。

「アンドレ、君は官舎をいつ出るんだい? アスルとマカレオ通りの家に住んでみるつもりはないのかい?」
「あー、その件ですか・・・」

 ギャラガが悩ましげな表情になった。

「アスル先輩との同居は構わないんですが、近所から恋人同士だと思われないかと心配で・・・」

 テオは思わず笑ってしまった。

「俺と同居している時にそんな噂は一度も出なかった。あのご近所さん達は男同士、女同士で住んでいても気にしないし、噂も立てない。君達は同じ職場だが、勤務内容で片方が長期間留守にしたり、毎日帰って来たり、バラバラだろう。ただのルームシェアさ。」

 ギャラガは地下の駐車場でテオの車の前まで来て、やっと言った。

「積極的に同居の件、考えます。」

2025/04/21

第11部  神殿        15

 ほんの10数分だったが、テオは眠った。声をかけられて目を覚ますと、彼が住んでいるコンドミニアムの前に停車していた。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョが運転席で微笑を浮かべて彼を眺めていた。

「疲れているんですね。何があったのか聞きませんが、貴方が大統領警護隊を呼べない状況なのだと察します。」

 テオは背もたれから体を起こした。

「グラシャス、ちょっとした事故みたいなもので、自宅から急に遠くへ飛ばされたもので・・・」

 普通の人なら意味不明の彼の言い訳を、アブラーンは真面目に聞いてくれた。 ”ヴェルデ・シエロ”の社会なら、偶にあることなのだろう・・・。テオは反対に彼に尋ねた。

「貴方は何故こんな時刻に外を走っていたのですか?」
「私はパーティー帰りです。」

 そう言えば、アブラーンはスーツ姿だった。

「ビジネス上の付き合いで、出席しなければならなかったのです。私はプライベイトなら飲みますが、ビジネスでは頭をすっきりさせたいので飲みません。飲んだと思わせて、夜明けまで付き合うつもりはなかったので、抜け出したのです。お陰で貴方を拾うことが出来ました。」
「グラシャス。」

 テオは車外に出た。

「貴方のご家族によろしくお伝えください。妹さん達にも・・・」
「父やフィデルではなく、妹達にですか?」

 アブラーンが意味深に微笑んだ。女性に関係あることだろう、と勝手に想像したのだ。テオは「おやすみなさい」と言い、アブラーンは彼がドアを閉めると、すぐに走り去った。
 テオはアパートに入った。エレベーターで最上階に上がり、自室に入った。ひどく疲れて、寝室に入るとベッドに倒れ込み、そのまま眠った。 

2025/04/20

第11部  神殿        14

 都会の墓地は周囲を柵で囲まれている。門番がいて、夜間は門扉が閉じられ開門時間にならなければ開かれない。 テオは迷ったが、その墓地の柵が壊れていないか静かに歩いて探し、なんとか外へ抜け出すことが出来た。

 それにしても、ここはどこだ?

 普段は尻ポケットに携帯を入れているが、夜寝る準備をしていた時に来客があって、寝そびれた。携帯もリビングのテーブルの上に置いて来てしまった。現在地もわからない。兎に角大きな通りに出よう。
 テオは夜の闇を歩き出した。月が天空に浮かんでいる。高さから考えると、現在は午前3時か4時だろうか。夜明けが近い。
 みんなどうしているのだろう。ケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の仲間は、本部で足止めを食っていると思って良いだろう。神官達のゴタゴタは片付いたのだろうか。
 住宅地を抜けて、車が通る広い道に出た。そこまで来ると建物の様子から、グラダ・シティの南部だと見当がついた。ここから西サン・ペドロ通りまで歩くのはしんどいなぁ、と思うと急に疲れを感じた。
 後ろから1台の乗用車が走って来て、彼を追い越して行った。ぼんやり眺めながら歩いて行くと、その車が路肩で停車していた。かなり高級なセダンだ。金持ちの車だな、と思っていると、運転席のドアが開いて男が降りて、こちらを向いて立った。

「ドクトル・アルスト?」

声をかけられて、テオはびっくりした。暗いので相手の顔を判別出来ない。歩き続けながら答えた。

「スィ。貴方は・・・」
「アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」

 あ、っと思った。ムリリョ博士の長子で大企業ロカ・エテルナ社の社長だ。 テオが「こんばんは」と言うと、相手は不思議そうに訊いてきた。

「こんな時刻にこんな場所で、どうして一人で歩いておられるのです?」
「ちょっと訳がありまして・・・」

 アブラーンに事情を説明出来ない。彼は「一般の”ヴェルデ・シエロ”」で、神殿の内乱には無関係だ。きっとアブラーンの父親ムリリョ博士だって息子に今回の騒動を教えていない筈だ。無関係の人間を巻き込んではならない。
 テオは相手に詮索されぬうちに言った。

「訳ありで、事情を語れませんが、困っています。西サン・ペドロ通りの入り口まで送っていただけませんか?」

 アブラーンはどうやら一人だった様で、誰に相談するともなく、頷いた。

「構いません、通り道ですから。」

 彼は助手席のドアを手で指した。テオは「グラシャス」と言うと、素早く車に乗り込んだ。革張りのゆったりした座席に腰を下ろすと、睡魔が襲って来た。

「申し訳ありませんが、眠らせてください。着いたら起こしてください。」

 厚かましい要請に、アブラーンは苦笑した様子だったが、何も言わずに車を発進させた。

2025/04/18

第11部  神殿        13

 目の前にいる最長老は、ケサダ教授を知っているのだろうか。 テオは出来るだけ彼を特定されない程度に情報を出してみた。

「俺の友人は既婚者で子供もいるのです。」

すると意外なことに、最長老はこう答えた。

「では、彼の妻に相談しましょう。勿論、その時が来た場合です。」

 そして彼女は小部屋の出入り口を手で差した。

「さぁ、貴方をここから外に出しましょう。これから少し急ぎます。長老会の招集がある様子ですから。しっかりついてきてください。」

 そしてテオの返答も待たずに部屋から出た。テオも急いで立ち上がり、彼女の後ろをついて行った。
 最長老は高齢者だと思えたが、歩く速さはテオと殆ど変わらなかった。 テオの方が遅れまいとついて行くのが大変だった。ジャガーの足で歩いているな、と彼は思った。
 長い通路、たくさんの曲がり角、階段を登ったり降りたり・・・照明がなくなった時は流石に彼は動けなくなり、最長老が彼の腕を取った。

「神殿内は儀式的意味もあって、我々には必要がない照明を設置していますが、ここにはありません。段差があれば教えますが、平坦な道は障害物がない限り、私は何も言わずに貴方を誘導します。」
「宜しくお願いします。」

 空気に流れがあった。地下道だろうと思えたが、どこかに通風口があるのだろう。やがて、「階段を登ります」と言われて、テオは足探りで段差を見つけ、慎重に登って行った。10段ばかり登って、最長老が不意に彼を前へ押し出した。
 急に明るくなった。実際はまだ夜中だったが、月明かりで照らされた風景が見えた。

 墓地だ・・・

 石造りの四角い小さな小屋の様な墓所の一つから彼は外に出たのだ。それを悟ってから後ろを振り返ると、そこにはもう誰もおらず、闇の中は何も見えなかった。

 今通って来た通路は、もしかすると”アタ”だけが知っている秘密の通路なのかも知れない。

 テオは墓地の中を見回し、出口の方角に見当をつけると歩き出した。今出て来た墓が誰の墓なのか、プレートを見ようと振り返ると鉄の扉が音も無く閉じられるのが見えた。最長老は心のリモートで閉じたのだろう。月明かりで見える墓碑銘は”クレスセンシア・エステベス”だった。

 エステベス・・・? エステベス大佐?


2025/04/17

第11部  神殿        12

 テオは用心深く尋ねた。

「白人の俺が、貴方方の秘密を知り過ぎると、生きてここから出られないような気がするのですが、俺は今どんな立場にいるのでしょう?」

 最長老が近くの棚に心なしかもたれかかった様に見えた。

「貴方の立場は、ピラミッドの中に現れた時から危険な位置にあります。神殿近衛兵に見つかれば、有無を言わさず連行され、ワニの池に投棄されるでしょう。」

 恐ろしいことをサラリと言ってのけた。テオは言った。

「それは愉快じゃないですね。」
「私もそう思います。」

 最長老は面白がっている様な声音だ。テオを痛ぶっているのかも知れない。

「でも」

と彼女は言った。

「貴方が我々を危うくするような人でないことを、私は承知しているつもりです。」
「グラシャス。」
「現在神殿内部では、貴方がご存知の内乱でゴタゴタが起きています。 ”名を秘めた女性”は現在の神官達を以前からあまり信用していません。現在の状態を予感していたのでしょう。ですから女性の近衛兵のみに話かけられ、男達の不審をさらに買う羽目になってしまいました。」
「悪循環ですね。」
「スィ。神官の半数を入れ替えなければならないでしょう。」
「でも、神官は子供の時から修行を始めなければならないのですよね?」
「そう言われていますが、近衛兵も十分その修行をしているのですよ。神託なんて、”名を秘めた女性”にしか降りてこないのですから、大神官も大神官代理も必要ないのです。」

 大胆なことを言って、最長老は仮面の奥で笑った。

「最長老達を招集して、これから神官の弾劾裁判を始めます。」
「俺の友人達は?」
「彼等は証人として暫く神殿内に留め置かれますが、言うべきことを言って仕舞えば、帰されます。」

 テオには、神官達がこの後どうなるか知らされないだろう。そして友人達も一族の最高幹部達の決定を全て知る訳でもないのだ。テオはこれ以上求めても、目の前の最長老が何も教えてくれないことを知っていた。

「後一つだけ・・・俺の友人の白いジャガーは、どうなりますか?」

 最長老が少し間を置いてから答えた。

「”名を秘めた女性”が”アタ”を必要と感じた時に召喚します。」
「彼の意志に反しても?」
「申し訳ありませんが・・・誘拐するかも知れません。誘拐出来れば、ですが。彼は純血のグラダでしょう?」

 ケサダ教授が抵抗すれば、神殿など破壊されるかも知れない。テオは譲歩策を考えた。

「俺から彼に白いジャガーの役目を伝えては駄目でしょうか? 神殿から要請が来た時に、彼が素直に応じてくれるように・・・」
「出来れば、そうしていただきたいです。」

 最長老が溜め息をついた。

「でも、女の子供が出来る迄、帰れないのですよ?」

 教授は子沢山だから・・・とテオは思った。後は女性側の体調だろうな、と。 

2025/04/16

第11部  神殿        11

  テオは恩人でもあるこの最長老に嘘をつきたくなかった。しかし友人を裏切ることも出来ない。

「もし、純血種のグラダの男性がいるとしたら、どうなさいますか?」

 質問で相手の質問に返した。最長老がどんな表情をしたのか、仮面が邪魔でわからなかった。彼女は少し間を置いてから答えた。

「現在神殿内を騒がせている人達と同じ考えを持つ連中が、その人の存在を知れば、ややこしいことになるでしょう。」
「だから、俺は沈黙を保っています。」

 最長老は仮面を被った顔をテオから横の棚で占められた壁に向けた。何か考え込んでいる。テオは小部屋の外が気になった。
 ケツァル少佐は女性の神殿近衛兵達が”空間通路”で神官達と共に神殿に戻ったと言っていた。少佐も大統領警護隊の仲間もこちらへ向かっている筈だ。しかし、この神殿の静けさはなんだろう。ここは広大で一部の騒ぎは全く聞こえない程なのだろうか。
 最長老がテオに向き直った。

「その人が純血種のグラダだとして、どうして成年式で立ち会った長老達は沈黙したのでしょう?」

と訊いてきた。テオは肩をすくめて見せただけだった。そんな成年式のことなんて知るものか、と態度で見せた。

「黒いジャガーなら、直ぐに神殿にグラダの出現が報告されたでしょうね。」

と最長老が言った。少し声の調子が以前と変わっていた。テオはその微かな変調に気がついた。この人は面白がっている? テオの”友人”の正体を推理して楽しんでいるのだ。

「毛色はグラダの男なら黒です。金色に斑はあり得ません。長老達が沈黙してしまったのは、その人の毛色がとても珍しい色だったからでしょう・・・」

 最長老が仮面の向こうで大きな溜め息をついた。

「困りましたね、エル・ジャガー・ブランコですか・・・」

 だがその声音に困ったと言う響きはなかった。テオは思い切って尋ねた。

「白いジャガーは生贄になるのですか?」

 最長老が彼を見つめた。

「そんなことも、貴方はご存知なのですね?」
「あ・・・考古学者や文化保護担当部と付き合っていると、そう言う伝統的な話も耳に入りますから・・・」
「生贄の内容も聞きましたか?」
「生贄の内容?」

 きっと儀式の話だ。テオはずっと以前に聞いた話を思い出そうとした。

「えっと・・・聖なる白いジャガーの能力を取り入れるために大神官が生贄を殺して、その心臓を食う・・・?」
「それは、他所の民族の儀式の話が混ざった間違った言い伝えです。」
「え?!」

 最長老はテオにグッと顔を近づけてきた。テオは松明の灯りの中で暗い空洞に見えた仮面の目の穴の奥に、光る瞳を見つけた。

「正い知識を考古学者に教えなさい。」

と最長老が囁いた。

「白いジャガーは、必ず男性です。そして、彼は”名を秘めた女”と交わって、彼女の子供を作るのです。」

 テオはあんぐりと口を開けた。今、最長老はなんて言った? 

「白いジャガーとママコナは・・・子供を作るのですか?」
「スィ。」

 最長老は姿勢をもとに戻した。

「”名を秘めた女”は、次の世代に知識を伝えなければなりません。でも世継ぎは彼女が死んだ後に生まれます。だから、彼女は自身の子供を産み、その子に引き継ぐべき知識を与えておくのです。 その子は必ず娘で、"アタ”、繋ぎ と言います。 ”アタ”は母親である”名を秘めた女”から全てを受け継ぎ、母親の死後に迎えられる次の”名を秘めた女”に受け継いだ全てを伝え、教育に当たります。養育係であり、教師であり、導師です。」
「では、父親の白いジャガーは、子供が出来たら・・・」
「お役御免ですから、神殿から出されます。」
「殺されるのでは?」
「神殿を汚すことになりますから、そんなことはしません。彼は2度と聖なる妻にも娘にも会えませんが、その命を奪われることはないのです。」

 最長老は仮面の下で笑った。

「”名を秘めた女性”は、そろそろ”アタ”を産まなければなりません。貴方のお友達をここへ迎えなければ・・・」
「ちょっと待ってください。」

 テオは考えた。

「すると、今の”名を秘めた女性”を養育した”アタ”の父親も白いジャガーだったのですか?」

 最長老が「フッ」と声を出した。

「白くはありましたが、斑がありました。純白ではなかったのです。グラダではありませんでしたから。遠い祖先にグラダがいるブーカの男だったそうです。」

 テオは、突然相手が何者か理解した。

 この人は、先代のママコナの娘だ!



2025/04/14

第11部  神殿        10

  最長老と呼ばれるからには、彼女は高齢の筈だ。しかし長身のその仮面の女性は大股で素早く歩き、テオは遅れないようについて行く努力をしなければならなかった。石造の廊下は松明が灯っていたが、足元は滑らかで、滑らずに歩けるよう、微かな波状の処置がされている石畳だった。5分ほど歩き、彼らは右に一回、左に2回曲がって、やがて小部屋に入った。何かの祭祀に用いられるのか、壺が棚に並び、良い香りが室内に充満していた。香油の様だ。
 最長老は部屋の中央で立ち止まり、振り返ると、テオに背もたれのない椅子らしき台を指差して、座るよう促した。テオは素直にそこに腰を降ろした。

「”空間通路”に巻き込まれたと言いましたね?」

と彼女が穏やかな声で尋ねた。テオは「スィ」と答えた。

「友人が帰るために”入り口”に入った直後に用事を思い出して、引き留めようと近づいてしまったのです。」

 それは本当だ。あの瞬間、まだケサダ教授の姿が見えていた。服を掴めば引き留められると思った。

「”入り口”に入ってしまった者を引き留めることは出来ません。」

と最長老が言った。テオは認めた。

「スィ、事故だったのです。でも、ここへ飛ばされた理由がわかりません。」
「貴方はお友達と直前に神殿の話をしていたのではないですか?」

 最長老は鋭い。テオは素直に認めた。

「ケツァル少佐が神殿だか大統領警護隊本部司令部へ行ってしまったので、彼女と連絡をつけたいと思ったのです。 友人にそれを言おうとして・・・」
「お友達も大統領警護隊ですか?」
「ノ、民間人です。」

 仮面の奥から最長老がじっと見つめているのをテオは感じていた。この人は信頼出来る。だが、どこまで話して良いのだろう。ムリリョ博士を呼んでもらう方が良いのだろうか? しかし、博士が白人の神殿侵入を許すと思えない。

「貴方はとても重要なことを語っていますが、意識されていますか?」

と最長老が尋ねた。テオはキョトンとした。

「重要なことですか? 俺が話していると?」

 恐らく、仮面の向こうで彼女は微笑んだのだろう、とテオは思った。彼女が穏やかに説明した。

「貴方のお友達は貴方の家から”空間通路”の”入り口”を使って帰った、と貴方は言いました。”入り口”があると言うことは、近くに”出口”もあった筈です。お友達は”空間通路”を使って貴方の家にやって来て、”空間通路”を使って帰った。まるで車か自転車でも使うように。」

 テオは黙り込んだ。そう言えば、以前もケサダ教授はコンドミニアムの駐車場に突然現れ、すぐに去った。あの時も”空間通路”を使ったのだろう。だが”空間通路”は空間の流れで生じる歪みで容易く使えるものではない、と”ヴェルデ・シエロ”達は言っている。ケツァル少佐でさえ、使いたい時は”入り口”がどこかに生じていないか探している。”入り口”を見つけるが上手だと言われるブーカ族も、探すだけで、”通路”を創りはしない。
 仮面の最長老が言った。

「民間人のグラダ族がいるのですね? それも純血種の男性が・・・」

2025/04/10

第11部  神殿        9

  暫くテオはママコナが去った方向を見つめて立っていた。伝説の大巫女様と言葉を交わしたことが、まだ信じられなかった。彼女はスペイン語を話したのだ! しかもインターネットで世間のことを知っていると言った! 彼女がテレパシーで”ヴェルデ・シエロ”に話しかける言葉は、人語ではなくジャガーの言葉だった! ”ヴェルデ・シエロ”達に与えられる”真の名”はジャガーの言葉だったのだ! 
 どこか暗がりの遠くでドアが閉じられる微かな音が聞こえ、彼は我に帰った。ママコナは完全に神秘の場所へ戻って行った。2度と彼の前に現れることはないだろう。
 テオはこれから行くべき方向へ向き直った。彼を導いてくれる人がいると言う通路を目指して歩き始めた。彼の足音だけが暗がりの中で響いた。そう言えば自宅のリビングから”空間通路”を超えてやって来たのだ。靴は部屋履きのサンダルだった。服装も部屋着のままだった。こんなラフな格好で大巫女様と対面していたのだ。今更ながら恥ずかしくなった。本当は正装して面会する相手だった筈だ。
  テオが新たな通路の入り口を認めた時、そこに人影が現れた。彼はドキリとして立ち止まった。まばらに壁に取り付けられた松明の灯りで、その人物が白っぽい服装であることがわかった。ローブのように肩から足首まですっぽり隠している。身長があって、しかしその体格は女性だった。頭部には仮面が装着されていた。

 最長老だ・・・

 背が高くて女性の最長老を、テオは一人だけ知っていた。相手の部族も名前も教えられていないが、以前地下の聖地で絶体絶命の危機を助けてもらった。
 テオはママコナが言った「貴方がご存じの人」はこの最長老のことだろうと悟った。ここは神殿内部で、普通の大統領警護隊の隊員は入って来られないのだ。
 もし、無断でピラミッドに入り込んだことを咎められたら、それはそれで罰を受けよう、とテオは覚悟した。ここで逃げ出して騒ぎを起こしても逃げ切れるものではない。母国から亡命して受け入れてくれたセルバ共和国に迷惑をかけられない。
 彼は意を決して声を出した。

「ブエナス・ノチェス、”空間通路”に巻き込まれて、ここへ出てしまいました。」

 最長老は彼を眺めた。

「テオドール・アルスト・・・でしたね?」
「スィ。貴女の一族の人と俺の自宅で話をして、彼が”空間通路”を使って帰ってしまった直後に彼を追いかけようとして、”入り口”に入ってしまい、次の瞬間にこの空間に出てしまいました。ここは・・・まさか、神殿じゃないでしょうね?」

 最後はちょっと惚けて言ってみた。

「神殿です。」

と最長老があっさりと答えた。

「貴方は入ってはいけない場所に出てしまったようですね。」

 テオは恐る恐る尋ねた。

「俺を逮捕しますか?」
「さて、どうしたものでしょう。」

 最長老の表情は仮面で全く察することが出来なかった。だが、その声は確かにテオが”暗がりの神殿”の奥にあった聖域で出会った人だ。彼女は彼に手招きした。

「場所を移動しましょう。もう少し安全な場所へ移ってから、貴方の処遇を考えます。」

 そして、多分、仮面の下で笑ったのだろう、こう付け加えた。

「急に走り出したり消えたりしないでください。」

2025/04/05

第11部  神殿        8

 ママコナは、大神官代理を救えるのは大統領警護隊文化保護担当部とテオだ、と断言した。テオは驚きのあまり口をあんぐり開けて、馬鹿みたいに立ち尽くした。ママコナが続けた。

「貴方と貴方のお友達は旧態のしきたりにあまり捉われません。それは古い体質から抜け出せない神官達には脅威なのです。しかし彼等はその脅威に気づいていませんでした。普段貴方達と接する機会がなかったからです。そして貴方達と親交を持つ長老は、わざわざ彼等に貴方方の能力を教えたりしない。」

 ママコナはファルゴ・デ・ムリリョのことを言っているのだろう。沈黙を守ることは仲間を守ることだ。ムリリョは”砂の民”の部下達の話も家族の詳細も他人に明かしたりしない。彼の寡黙さは身内を守るためだ。
 ママコナが前方の暗い通路の入り口を指差した。

「あちらに、貴方がご存知の人がいらっしゃいます。私は行動の範囲を制限されているので、この先へ行けません。あの人が貴方を安全に外へ出してくださるでしょう。貴方がここへこられた目的も聞いてくださると思います。」

 彼女は壁に背をつける形でテオに道を譲った。テオは彼女の前を静かに通り抜けた。微かに甘い花の香りを嗅いだ気がした。

「俺が貴女とここで出会ったことは、口外しない方が良いでしょうね?」
「そうですね・・・」

 ママコナは少し考える表情になった。

「貴方が弾みで神殿に入ってしまったことは、大統領警護隊に教えても良いですが、私と先ほどの会話をしたことは言わないでください。私の地位に関わる問題ですから。」

 最後はちょっと笑っていた。気安く初対面の白人男性と言葉を交わす大巫女様、それは全セルバ国民から神聖な存在として敬われている彼女の沽券に関わるのだろう。
 それでもテオは言いたかった。

「貴女とお話出来て楽しかったです。そして貴重な体験でした。貴女とまたお会いしたいですが、それは無理でしょうね?」
「無理ですね。」

 あっさりママコナは答えた。

「貴方がジャガーなら、お話出来ますのに。」

 テオには彼女の心の声が聞こえないのだ。彼は握手も許されない相手に、軽く頭を下げた。

「今回の騒動が早く収束して、出来るだけ平和に解決することを望みます。」

 彼が言うと、彼女は頷いた。

「大丈夫です、貴方達がいますから。」

 そして、彼女は「ご機嫌よう」と囁いて、彼に背を向け、大広間の来た道を歩いて去って行った。

 

2025/04/02

第11部  神殿        7

  ママコナは前に向き直った。足は速度を変えずに壁伝いに歩いて行く。

「私はカイナ族の生まれですから、ジャガーにはなれません。でもナワルは使える力の大きさを表すだけで、本質は一族全員が同じなのです。」
「そうでしょうね。」
「ですから、私も他のカイナ、グワマナも、ジャガーなのです。」
「俺もそう思います。」
「異人種の血が入った人々を一部の頭の固い人達は”ツィンル”と認めませんが、ナワルを使える限り、彼等は”ツィンル”です。」
「でも、貴女の声を聞けないのでしょう?」
「人の姿の時はね・・・」

 ママコナは意外なことを言った。

「ナワルでジャガーになっている時は、彼等も私と会話出来るのですよ。でもジャガーの言葉なので、人に戻ると記憶していても言葉に出来ないのです。だから、彼等は沈黙してしまいます。それで誤解されているのです。」

 テオは歩きながら唖然とした。するとカルロ・ステファン大尉もマハルダ・デネロス少尉も変身している時はママコナの声を聞いて理解しているのだ。ただ思い出すのが難しい。人の言葉でないから・・・。
 ママコナが彼に背を向けたまま、大きな溜め息をついた。

「今回の騒動を起こした神官達は、私と話をしようとしませんでした。私が男性と話をしたがらないと言って、私が話しかけても耳を傾けてくれなかったのです。恐らくオセロットの声を聞きたくないと言うジャガーの慢心でしょう。私は大神官代理に警告を送ったのですが、彼は私の言葉を軽く考えていました。叛乱など起こる筈がないと思ったのです。叛乱神官達の呪いを受けた彼は私に初めて助けを求めて来ました。私はこう答えるしかありませんでした。『友達が来るのを待ちなさい』と。」

 彼女が立ち止まったので、テオも立ち止まった。ママコナが体ごと振り返った。

「友達とは、貴方と大統領警護隊文化保護担当部の人達です。」


2025/03/28

第11部  神殿        6

  大広間を壁伝いに移動するのは時間がかかった。テオはママコナを追い越してはいけなかったし、近づき過ぎてもいけなかった。歩幅を狭くして歩くのは、疲れるものだ。
 テオは次から次へと頭に浮かぶ疑問、彼女に訊いてみたいことを、整理がつかぬままに質問にしてみた。

「俺は友人達から貴女が男の人を好きでないと聞かされていましたが、今、貴女は俺と普通に話をされていますね。怖くないですか? 俺は初対面の異人種ですよ?」

 ママコナが振り返った。足は止めない。

「貴方から敵意を感じません。それに貴方は一族の味方だと聞いております。以前、ここに白人の女性が来たことがあります。彼女も”通路”を通って来ました。女官や近衛兵が大騒ぎしましたが、&%$%%(テオには聞き取れなかった)が、彼女は私達の友達だと言いました。貴方は彼女の兄弟でしょう?」

 テオは、彼女がアリアナ・オズボーンのことを言っているのだとわかった。オルガ・グランデの地下洞窟から、彼女はロホに導かれて脱出したのだが、出口がこの地下神殿だったので、大騒ぎになった、と後にムリリョ博士が苦言を呈していたのだ。博士は「白人が神殿を汚した」と言っていたが、目の前にいるママコナはそんな考えを持っているのだろうか。

「俺は白人です。神殿を汚したことになりませんか?」
「それは頭が硬い年寄りの考えです。」

とママコナがあっさりと言ってのけた。

「穢れなら、同胞を爆裂波で傷つける人間の方がずっと汚れているでしょう?」
「仰せの通り・・・」

 ケツァル少佐や高齢の”ヴェルデ・シエロ”はママコナを世間知らずの箱入り娘の様に表現している。しかし、彼女は実際は聡明で機転が効いて、物知りなのではないか、とテオは見識を抱いた。そして心が広い。
 そしてもう一つ、ある謎が解けた。それは彼女が時々口にする”ヴェルデ・シエロ”の”真の名”をテオが聞き取れない理由だ。 ”ヴェルデ・シエロ”の真の名前は人間の言葉の「音」ではないのだ! 

 この人は、ジャガーの声で同胞の名前を呼んでいる・・・


2025/03/25

第11部  神殿        5

  テオとママコナはいきなり広い空間に出た。石に囲まれた大広間だ。中央に高い祭壇らしきものがあり、それ自体が頂点が平なピラミッドの様だ。壁には彫刻が施され、火が灯されている。テオは微かな空気の流れを頬に感じた。気流があるから、火を焚いても酸欠状態にならないのだ、とぼんやり思った。

「ここは祈りの間です。」

とママコナが説明した。

「暴風などの大きな災害が迫った時、ここで私と能力の強い者達が国土の安全を祈ります。」

 テオは以前ハリケーンが接近した時のことを思い出した。大統領警護隊の友人達は一晩中祈っていた。彼等は服を脱いでいた。
 テオはそっと訊いてみた。

「祈る時はナワルを使うのですか?」

 ママコナが彼を振り返った。

「見たことがあるのですか?」

 質問に質問で返したが、テオの質問に「スィ」と答えたも同じだった。テオは首を振った。

「ノ、しかし、以前ハリケーンが来た時、友人達が夜を徹して祈っていました。彼等は服を脱いでいましたので・・・」

 ママコナがクスッと笑った。

「変身しなければならないと言うのではないのです。祈りに夢中になって興奮状態になる人が変身してしまう、それが私達の体の厄介な問題です。」

 ママコナの口からナワルを「厄介な問題」と表現されて、テオはびっくりした。

「興奮が頂点に達すると、貴女の一族は変身してしまうのですか?」
「その様です。」

 ママコナは高い天井を見上げた。テオも見上げると、そこに竜の様な不思議な動物の彫刻があった。天井いっぱいに刻まれている。

「あれは私達の最高神です。」

とママコナは言った。

「名を呼ぶことを許されていません。私達は変身して神に呼びかけるのです、国を守り給え、と。」

 それから彼女は視線を壁の対面へ移した。

「これから、向こうに見えている通路へ行きますが、貴方は一族の者ではないので、この広間を横切ることは出来ません。時間がかかりますが、壁伝いに歩きますよ。」


2025/03/21

第11部  神殿        4

  テオはママコナに出会ったら質問したいことがいっぱいあった。しかし、今、実際に彼女を目の前にすると、そんな多くの疑問が真っ白になって、何も言葉が思いつかなかった。彼は黙って彼女の後ろについて階段を下って行った。
 時々ママコナは立ち止まり、1分ほどじっとしていることがあった。そんな時の彼女はボウッと白く輝いて見えた。何かしているのだ、とテオは思った。テレパシーで誰かと話しているのか、それとも彼女から何かを発して様子を探っているのか。
 不意にテオは一つ疑問が浮かんで、尋ねた。

「ケツァル少佐は、貴女にとって俺達の名前は意味をなさず、俺が少佐の名前を言っても貴女にはわからない、と言う意味のことを以前に言いましたが・・・」

 ママコナが立ち止まって振り返った。

「もし、私が少佐に出会ったことがなくて、貴方から彼女の名前を聞いても、私には誰だかわからないでしょう。でも私はシータ・ケツァルと会ったことがあるのです。ですから、現世の名前と彼女の”真の名”が結びつきます。」

 彼女は微笑んだ。

「私と普段接している女官や神官、近衛兵も同じです。大統領警護隊の指揮官に任命された人々は皆さん私に挨拶に来られますから、私は存じ上げております。今は貴方もその一人です。」

 そしてちょっと寂しげな表情になった。

「私はインターネットを使いますので、世間で私のことをどの様に言っているかも存じています。私は架空の人物であったり、ただの宗教上のお飾りであったり、正直なところ私にとって良い印象ではない言葉で表現されています。でも、私は選ばれた以上、私の役目を最後までやり遂げる覚悟で生きています。」
「貴女の役目?」
「セルバの民を守り、幸福に生きられるよう祈ることです。」
「貴女自身の幸せは?」

 言ってはいけない質問だ、と思ったが、テオは訊いてしまった。ママコナはニッコリ笑った。

「自己満足ですが、人民が私に感謝する声を聞くことです。 私自身は何もしなくても、彼等の心の支えになっている、それだけで十分です。」

 それは、貴女が本当の世界を知らないからだろう、とテオは思ったが、黙っていた。
 ママコナが前へ向き直った。

「もう少し下ります。疲れたら仰ってください。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...