ラベル 第6部 水中遺跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第6部 水中遺跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022/03/14

第6部 水中遺跡   25

   ヴェルデ・シエロの一部族マスケゴは人口が少なく、純血種を保っている家系はほんの5家族しかいない。他は別の部族との婚姻で部族間ミックスが進んでおり、ヴェルデ・ティエラとの間に生まれた子孫の数の方が彼等より遥かに多いのが現状だ。それ故、マスケゴ族の純血至上主義者は部族間ミックスの存在に関しては煩く言わない。現実主義者なのだ。
 マスケゴ族は昔から建築関係を主に司どって来た。技術者集団だったのだ。だからセルバがスペインの統治下に入った時も、スペイン人に使われて都市の建設に従事した。時代が進み、ヨーロッパの植民地支配が揺るぎ始めた頃になると、マスケゴ族は得意の”操心”を用いて雇い主である企業の経営陣に少しずつ食い込んでいった。そしてセルバ共和国独立と共に会社を乗っ取ってしまった。現在セルバ共和国に基盤を置く大手建設会社3社はそれぞれ経営者がマスケゴ系のセルバ人であり、そのうちのロカ・エテルナ社は純血種のマスケゴ族が経営していた。
 スペイン人の創業者から経営権を奪い取ったその名もロカ・デ・ムリリョは会社をより大きく成長させた。彼は子がなかったので、甥に跡を継がせようとした。ところが彼の実妹の息子で彼の唯一人の甥ファルゴは古代建築を学ぶうちに考古学にのめり込んでしまい、結局ロカはファルゴの長男アブラーンを教育して経営権を渡し、この世を去った。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは若いうちから経営者としての才能を発揮させ、父ファルゴが考古学にのめり込んで費やしてしまった財産を立て直し、一家をマスケゴ族の有力者の座に戻した。だから彼の兄弟姉妹、一人の実弟と3人の姉妹達は彼に逆らわないし、末の妹の夫で父親が故郷のオルガ・グランデから拾って来て育てた義理の弟も彼に忠実だ。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは義理の弟が己よりも強い能力を持っていることを少年時代に既に察していた。実弟や姉妹達はわからない様だったが、フィデルは幼いながらに上手に己の能力を隠していた。それはつまり、ママコナと赤ん坊の頃から自在に意思疎通が出来たことを意味しており、そんなことが出来るヴェルデ・シエロは純血種でも限られた能力者だけだった。
 フィデルがムリリョ家に来て間もなく”オルガ・グランデの戦い”が始まった。逃亡した純血のグラダ族シュカワラスキ・マナと一族の戦いだった。その時、アブラーンは父親が母親と話しているのを偶然立ち聞きしてしまった。父親はある疑問を抱いたことを母親に打ち明けたのだ。
ーー何故ママコナはあれが純血種であることを一族に打ち明けないのか?
 アブラーンはシュカワラスキ・マナのことかと思ったが、そうでもないらしい。母親がこう答えたのだ。
ーーママコナはあの子の母親の希望を受け入れ、あの子がマスケゴとして生きることを承諾なさったのでしょう。
 アブラーンは悟った。彼等の家で育てられている男の子は純血のグラダなのだ、と。何故ママコナが彼の母親が言った言葉通りに考えたのか、その当時少年だったアブラーンは理解出来なかった。しかし彼を兄と慕ってくるフィデルを守らなければと言う思いは確かなものだった。ママコナの希望の真意を悟ったのは、父親に家督を譲られた際に”心話”で伝えられた一族の”汚点”からだった。皆殺しにされたミックスのグラダ系の村の生き残りが産んだ子供。村を殲滅させたのは、”砂の民”だ。そして父もその一員だった。決して口外してはならない父の秘密だった。父親は自ら爆弾を懐に抱えて生きていた。もしフィデルが全てを知って激昂すれば、家族全員、悪くすれば都市一つ滅ぼされてしまう。アブラーンはそれを想像した時戦慄を覚えた。
 しかし、成年式で全てを知ったフィデルは一族の決定を許した。それよりも彼自身にもっと深刻な悩みが生じたからだ。アブラーンは彼に約束した。
ーー一生お前を守ってやる。だからお前も我ら家族を守れ。
 フィデルは義理の兄に約束を守ると誓った。そして力の強さを奢ることなく、養ってくれた家族に忠実に仕えている。
 サン・レオカディオ大学考古学部がクエバ・ネグラ沖の海中遺跡発掘の許可を取ったとフィデル・ケサダが報告した時、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは心穏やかでなかった。フィデルも大統領警護隊も知らないことだが、あの海に沈んだヴェルデ・ティエラの街には構造上ある秘密があった。それは建築技術者集団マスケゴ族の旧家家長にのみ伝えられている秘密だ。ファルゴはフィデルにも次男にもそれを教えず、掟を守ってアブラーンにのみ伝えていた。カラコルの街が沈んだ時、その秘密も崩壊した筈だ。しかしそれを証明するものがなかった。もしその秘密がまだ生きていて、モンタルボがそれを見つけてしまうとどうなるのだろう。ヴェルデ・シエロの秘密を守る為に”砂の民”の活動を長老会に依頼しなければならないのか。それとも一族にとって無害なのか。
 アブラーンはさりげない風を装って義弟に尋ねてみた。

「お前の研究室ではその遺跡を調べないのか?」

 フィデルは「ノ」と答えた。

「海中遺跡は私の研究室の専門外です。それにカラコルは私の研究テーマの陸路の交易ルートから外れています。」

 父親の専門はミイラで水に入らない。融通の利かぬ考古学者どもめ、と心の中で悪態をつきながら、アブラーンはモンタルボ教授の発掘隊に潜入させる人員を探し始めた。


2022/03/13

第6部 水中遺跡   24

  サン・レオカディオ大学考古学部が2度目の発掘許可申請を文化・教育省文化財遺跡担当課に提出したのはそれから1ヶ月後だった。予想以上に早い展開でスポンサーを見つけたのだ。相手は隣国でも海洋レジャー施設を建設しているアメリカ資本の観光業者ビエントデルスール社で、サン・レオカディオ大学の発掘作業を海上で見学出来るクルーズを許可することが条件だった。そして発掘が休止するシーズンには、遺跡そのものを潜水して見学するツアーも認めて欲しいと要求を出していた。モンタルボ教授はクルーズやツアーのコースが国境を越えるものであることを心配したが、観光業者はそちらの件は自分達の方で両国政府関係省庁に許可申請すると言った。既に国境を跨いだクルーズコースを持っている業者であったし、国境警備隊とも良好な関係を築いてきた実績がある会社だったので、モンタルボ教授は腹を括り、スポンサー契約を結び、セルバ共和国文化・教育省に発掘許可申請を出したのだ。
 南国と雖もクリスマス休暇は大事だ。その長い連休前に出された申請に、文化・教育省文化財遺跡担当課のお役人達はちょっと焦った。休暇を跨いで持ち越すと、文化・教育大臣は機嫌が悪くなる。決裁に時間を掛けることを嫌う人だった。文教大臣に合否の署名をもらう前に、大統領警護隊文化保護担当部の承認を取るところまで持って行かねばならない。ビエントデルスール社の信用を根拠に早々と申請を受理し、助成金給付の検討に入った。同時に遺跡発掘許可申請を大統領警護隊に回した。
 海で休日を過ごすのが好きな窓口担当のアンドレ・ギャラガ少尉は、水中発掘作業の装備品の目録を見て、知り合いの海中作業士に電話で問い合わせた。海中作業士は海に潜って工事や建築用調査を行う仕事をしているので、モンタルボ教授の申請書に書かれた装備品目録を検討して、ほぼ合格と判定した。モンタルボ教授が事前にビエントデルスール社と相談して立てた計画書だったから、当然だった。それでギャラガはデネロス少尉に発掘調査隊の警護について相談した。デネロスは海での発掘を監視した経験がなかった。それで大学の恩師であるケサダ教授に連絡を取り、海外の海中遺跡調査を経験している団体を紹介してもらった。デネロスはスペインの考古学者に電話をかけて、出土品の管理や作業員の安全管理はどうだったかと質問した。スペイン人は海の上での監視はなかったが、陸上で出土品の検査を受けたと答えた。遺跡から引き揚げた出土品は遺跡がある国のものなので、考古学者と言えど無断で国外に持ち出せない。出土品は当該国の政府が管轄する文化機関に預けられたと言うことだった。
 デネロス少尉が付けた監視案と共に申請書はロホに回された。ロホは海上警備の立案経験がまだなかったので、北部国境警備隊に電話をかけた。勿論大統領警護隊のオフィスだ。クエバ・ネグラのオフィスからの回答は、海賊対策は沿岸警備隊の担当だと言うことだった。ただ発掘隊に密入国者が混ざる可能性もあるので、海から戻って来る調査隊の監視は行うと国境警備隊は言った。出土品の盗難チェックは文化保護担当部に任せるとも言った。密入国者への警戒は国境警備隊本来の職務なので、文化保護担当部が立てる予算に費用は入らない。海賊対策も沿岸警備隊が常時行なっている仕事なので、これも省略出来る。ロホはこの発掘調査に関する予算として、港で待機して出土品の監視をする文化保護担当部の日当を計算して、ケツァル少佐に申請書を回した。
 ケツァル少佐は、夕方帰港する調査隊を待つだけの仕事に貴重な部下の時間を使うのは無駄だと考えた。彼女はセルバ国立民族博物館に電話をかけ、事務長に博物館の学芸員を監視業務に回してもらえないかと尋ねた。普通大統領警護隊の依頼を断る機関は滅多にない。しかしセルバ国立民族博物館は、館長が大統領警護隊文化保護担当部全員の師匠だから、いつも強気で応対する。どの学芸員も多忙で、港で一日何もせずに待たされる仕事をする暇はないと博物館事務長は答えた。少佐は一旦電話を切り、モンタルボ教授に連絡をとった。出土品の所有権を全てセルバ国立民族博物館に譲り、サン・レオカディオ大学は管理権を持つと言うのはいかがだろうかと提案した。管理権とは、出土品を好きな時に大学に持ち帰り研究する権利と、外国へ貸し出したり展示する権利、発見者の名前を出土品の名前に使用する権利等だ。モンタルボ教授は検討期間を3日要求し、3日目の夕刻に提案の承諾を伝えた。ケツァル少佐は博物館に再び電話を入れた。電話に出たのは事務長ではなく、館長だった。

「どうしてもカラコルをいじると言うのだな?」

 不機嫌な声だったが、怒っていない、と少佐は判断した。

「スィ。サン・レオカディオ大学は出土品の所有権を放棄する代わりに、自由に研究したいと言っています。」
「海の底で腐りかけている物など、欲しいだけくれてやるわ・・・と言いたいが、貴重な我が国の歴史の一部だ、粗末に扱えぬ。モンタルボに伝えておけ。調査する以上は徹底して調べろと。そして作業者を決して危険に曝すな、とな。派遣する学芸員はこちらで選考する。」
「グラシャス。」

 少佐は電話を終え、申請書の最後の署名欄に彼女の名前を書き込んだ。

第6部 水中遺跡   23

  テオは日曜日にゴンザレスを市内観光に連れ出すつもりでいた。しかしゴンザレスは研修会で出会った警察学校時代の同級生がアスクラカン南部で署長をしていると知り、彼と一緒に車で帰ると言って、昼前にグラダ・シティを去って行った。朝ご飯にアスルが作った焼きそばを大量に食べて行ったので、アスルは上機嫌だった。

「あんたの親父さんは良い人だな。だけど、俺に嫁を世話しようとするのだけは止めさせてくれ。」

と言ったので、テオは笑ってしまった。エル・ティティにはゴンザレスの親戚がいて、年頃の娘達の結婚相手を探しているのだ。大統領警護隊の中尉となれば嫁の来てがいくらでもいるだろうが、姪っ子をもらってくれないか、と朝食の時にアスルはゴンザレスに声をかけられ、危うく喉を詰まらせるところだった。
 日曜日は自由時間だ。テオは自宅前に迎えに来た友人の車に乗ったゴンザレスを見送り、それから散歩がてら西サン・ペドロ通りに向かって歩いた。歩きながら電話をかけると、ケツァル少佐はアパートで退屈していたので、すぐに外に出て来てくれた。
 商店街まで歩いて、どこかで昼ごはんを食べようと言うことになり、2人は話しながら暢んびり街中を歩いた。少佐はデネロスのオクタカス遺跡発掘監視報告の概要を語り、最後にムリリョ博士がモンタルボ教授の資金集めを知って不機嫌だったと告げた。

「ですから、大学で彼に出会ったら、用心して下さいね。不機嫌な博士は学長も避けて通りますから。」

 テオは思わず笑った。そして彼も公園でケサダ教授と娘のアンヘリタと出会ったことを語った。教授が海中の遺跡に全く興味を示さないことへ疑問を感じたと言うと、少佐はアスルが言った3つの理由を教えてくれた。3番目の理由は、テオの興味を大いに引いた。

「カラコルの町はヴェルデ・シエロの呪いで海に沈んだのか・・・」
「伝説がどこまで真実なのかわかりませんが、全国の全てのヴェルデ・シエロが呪えば、地震も起こせたのでしょう。」
「それでグラダ大学の教授達はモンタルボ教授の研究に知らんぷりをしている・・・ンゲマ准教授はヴェルデ・ティエラだったと思うが・・・?」
「ンゲマ准教授はジャングルの遺跡が専門ですから。」
「そうだった。俺の乏しい考古学の知識によれば、オクタカス辺りの遺跡はカラコルより後の時代のものだったなぁ。」

 モンタルボ教授は可能な限りの資金集めをして、集まる金額から発掘調査隊の規模と装備を算定し、それから再び発掘申請を出すのだろう。
 教授に奇妙な資金援助を持ちかけて来た会社や奇妙な問い合わせ電話の主は、カラコルの町にあったと考えられる財宝を狙っているのかも知れない。モンタルボ教授が発掘許可を得た時に、そんな連中が集まって来るのだろうか。


第6部 水中遺跡   22

 テオは夕日が沈み切る前にアントニオ・ゴンザレスから連絡をもらい、シティ・ホールに迎えに行った。ゴンザレスは昔馴染みの警察官と研修会場で出会って、彼等にテオを紹介した。地元グラダ・シティの警察官が案内して、彼等は彼の行きつけの店を数軒梯子した。テオもオヤジ達に引っ張られ、あちらこちら飲み歩いた。

「何の研修をしたの?」
「決まってるだろう、麻薬取締関連さ。」

 研修は土曜日だけで終わったので、年を取った警察官達はすっかりご機嫌だった。難しいことは憲兵隊に任せて、自分達は街中で不審人物を取り締まるだけだ。彼等は研修内容については口が固かったが、研修会を主催した内務省のお役人達の悪口には大いに盛り上がった。テオは苦笑しながら彼等の愚痴を聞かされた。
 4軒目の店を出て、やっとゴンザレスが「家に帰ろう」と言ってくれたので、テオは車を運転するには飲み過ぎたと気がつき、タクシーを拾った。彼の車は路駐のままだが、車上狙いに遭わないための秘策を施しておいた。フロントガラスの内側に、緑色の鳥のシールを貼ったプレートを置いたのだ。これは大統領警護隊御用達の業者が使用を許されている「駐車違反御免」のプレートだ。交通警察のお目溢しに預かれるし、車上狙いも寄り付かない。大統領警護隊は出入り業者に損害を与える者に対して容赦しないからだ。何の業者だと訊かれれば、テオはこう答えただろう。「遺跡の出土品の年代特定検査業者だ」と。ミイラの遺伝子鑑定は年代特定に入るのだ。
 自宅に帰り着くと、アスルはまだ戻っていなかった。ゴンザレスはシャワーを浴び、客間に入るとすぐ寝てしまった。長距離バスと研修と酒で疲れたのだ。一日暢んびり過ごしたテオはまだ眠る気にならず、自室に入ってパソコンでニュースを見た。
 大統領警護隊本部官舎の門限の頃になって、アスルが帰って来た。テオは物音で彼がシャワーを使う気配を知り、床にマットレスを広げて置いた。
 ドアをノックしてアスルがテオの寝室に入って来た。テオがパソコンの電源を落とそうとすると、「気を遣うな」と言った。彼はマットレスの上にゴロリと寝転がった。テオは声を低くして話しかけた。

「マハルダの報告会は上手く行ったかい?」
「スィ、彼女は大学でも優秀だからな、合格点をもらえた。」

 未許可場所での喫煙者の発見をしくじった点を指摘したことをアスルは黙っていた。大した問題ではないからだ。デネロスは次回から用心する筈だ。そう言えば、とテオは昼間出会った人物との会話を思い出した。

「俺は公園で散歩していてケサダ教授と出会ったんだ。教授はお嬢さんと散歩中だったので、一緒にハンバーガー屋に行って昼飯を食った。」

 アスルは彼の報告を気のない顔で聞いていた。眠たいのかも知れない。テオは急いで本題に入った。

「グラダ大学の考古学者達はクエバ・ネグラの海中遺跡に全く興味がない様だが、どうしてだろう。ヴェルデ・ティエラの遺跡でも地上のものはちゃんと発掘調査をしているのに。」

 アスルは簡単に答えた。

「本当に興味がないからだ。水中調査に使う金がないからだ。そしてカラコルはヴェルデ・シエロにとって禁忌の場所だからだ。」

 え?とテオは彼を見つめたが、アスルは毛布を体にかけて、彼に背を向けた。そしてモゴモゴと呟いた。

「詳しく知りたければ、彼女に聞け。」

 

2022/03/12

第6部 水中遺跡   21

  博物館の駐車場に来ると、デネロス少尉が再び質問した。

「どうしてグラダ大学は海中遺跡の研究をしていないのですか?」

 ロホがケツァル少佐を見た。答えを知っているが、上官に任せたいと言う顔だったので、少佐が答えた。

「いくつか理由があります。第1は、海中遺跡に興味を持った研究者がこれ迄いなかったからです。第2は、海中調査は膨大な資金が必要です。船や潜水具、安全対策、全て国民の税金で賄われている大学の予算から割り当ててもらえるのは至難の業です。第3は、カラコルがヴェルデ・シエロと無関係だと考えられているからです。」

と言ってから、彼女は周囲を見渡し、自分達以外に人がいないことを確認した。そして声を顰めた。

「無関係ではなく、禁忌の場所だったからです。」
「禁忌?」

とアスルがおうむ返しに尋ねた。今度はロホが答えた。

「カラコルはヴェルデ・ティエラの町だった。住民は船で交易をしていた。相手は当然ながら外国だ。そして交易相手がある商品を望んだ。相手国の支配者が欲しがったのだ。」
「何を望んだんだ?」
「ジャガーだ。ジャガーの毛皮ではなく、生きたジャガーを望んだ。恐らく王権の象徴として飼育するつもりだったのだろう。セルバではジャガーを狩ることは古代から禁止されている。ジャガーは神だからな。しかし、カラコルの商人達はその禁忌を犯したのだ。」

 少佐が素早くその後を引き継いだ。

「カラコルの住民は3頭のジャガーを捕まえました。金色のジャガー、黒いジャガー、そして白いジャガーです。」
「え?」
「白いジャガー?」
「黒いジャガーって・・・?」

 アスル、デネロス、そしてギャラガがびっくりして少佐とロホを見つめた。少佐が言った。

「勿論、文献に残っているのではなく、ロホの実家の様な旧家に言い伝えられている話です。金色と黒のジャガーは恐らく動物のジャガーだったのでしょう。動物でもジャガーは捕ってはいけないことに変わりありません。」
「白いジャガーと言うのは?」
「恐らく”聖なる生贄”となる人だったのです。決して他人に見せてはいけないナワルを使った時に見つかって捕まったのだと考えられています。”聖なる生贄”を捧げられるのはヴェルデ・シエロの”暗がりの神殿”だけです。絶対にヴェルデ・ティエラが触れてはいけない人なのです。しかし、カラコルの商人達はその人を外国人に売り渡そうとしたのです。」

 ロホが実家に伝わるその物語を締めくくった。

「ママコナが白いジャガーの危機を察知した。彼女は全国の一族に触れを出したのだ。”聖なる生贄”を外国に渡してはならぬ、一族を汚すカラコルを罰せよ、と。」

 暫く沈黙してから、ギャラガが口を開いた。

「それでカラコルの町があった岬は海の底に沈んだのですね?」

 伝説です、と少佐が囁き、ロホが言った。

「だから、一族の血を引く考古学者はカラコルの遺跡があの海底にあると知っていても無視を続ける。モンタルボ教授は一族とは無関係だし、彼が遺跡を研究しても我々は文句を言えない。だが、我々があの遺跡を研究することはない。」

 夕食はセルド・アマリージョで取ろうと言うことになって、少佐のベンツとロホのビートルにそれぞれ適当に分乗した。ハンドルを握ったケツァル少佐は思った。

 ジャガーを冒涜した町をムリリョ博士はきっと嫌悪されているのでしょうね。




2022/03/11

第6部 水中遺跡   20

  その週末の軍事訓練は、マハルダ・デネロス少尉のオクタカス遺跡発掘隊監視業務の報告会だった。”心話”で指揮官ケツァル少佐に報告したが、文書化すると色々と私観が入っていたことも気付かされ、デネロス自身から反省会の申し出があった。それで大統領文化保護担当部はセルバ国立民族博物館の研修室を貸し切って、オクタカカス遺跡発掘状況報告会を行った。これはデネロス少尉にはかなり緊張を要する「訓練」となった。文化保護担当部の仲間の他に博物館の学芸員達も出席したのだ。ヴェルデ・シエロはいないので、普通の人間を相手に発掘行程や出土品の解説、作業員の待遇、発掘隊の考古学者達の研究などを説明した。
 前回の発掘で見つかった有力者の邸宅跡から大量の生活道具が出土したことや、庶民の住宅も多数確認され、オクタカスは豊かな街であったことが推測された。そして前回落盤事故(と公式には発表されている)で崩落した古代の裁判所「サラ」の発掘作業も報告された。

「恐らくオクタカスに近隣の村などから罪人が集められ、審判にかけられる迄勾留されていたと考えられ、拘置所に相当する施設を探すことが次回の課題となった様です。街の賑わいは、それらの罪人を連れてきた役人や兵士の宿泊施設や店から成り立っていたと考えられます。つまり、オクタカスは商業都市でも宗教都市でもなく、裁判所で繁栄した稀な街だったと推測されるのです。」

 デネロスの遺跡に関する解説が終わると、忽ち学芸員達から質疑が浴びせられた。デネロスは一所懸命考え、応答していった。ケツァル少佐は彼女の落ち着きと慎重さに満足気に見えた。ロホは一度だけ訪れた遺跡を思い出し、異様な雰囲気の洞窟通路やテオドール・アルストに普通の人間ではないと見破られた苦い経験が今では良い思い出になったなぁと、年寄りの様な感慨を抱いた。アスルは陸軍警備隊の撤収を監督して来たところだったので、明日の日曜日は暢んびり寝ていたいなぁと思っていた。ギャラガは自分も早く遠隔地の現場に出て一人前になりたいと強い願望を抱いていた。
 考古学的報告が終了して、学芸員達が研修室から出て行くと、大統領警護隊は警備と監視の報告と反省を行った。作業員の中で出土物をちょろまかそうとした人が2人程いて、デネロスは彼等を見つけ次第解雇した。場所によっては罰金や禁固刑になるのだが、オクタカスの村の住民だったので、今後の雇用のことを考え、厳重注意と解雇で許した。監視が小娘だと舐めていたら、やっぱり大統領警護隊だ、と思い出させてやったデネロスは、一人で森の中を歩き、野豚を仕留めてキャンプに帰り、男達を仰天させたのだった。
 アスルは警備兵の中に隠れて喫煙していた者がいたと指摘した。喫煙禁止ではないが、喫煙場所を守らないのは良くない。山火事の原因になるのだ。デネロスはタバコの臭いに気が付かなかった。喫煙場所で吸った兵士と臭いが混ざってしまったのだ。

「時間の経過による臭いの減少具合を覚えないといけないな。」

と先輩に指摘され、デネロスは反省した。
 最後にアスルがイェンテ・グラダ村跡の報告を行った。ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が長老会の護衛で訪問した時期より数ヶ月経って、村跡はさらに密林に飲み込まれていた。もうそこに人間の営みがあった場所とは誰も思わないだろう。斜めに生えた楡の木も、墓とは思えない。ヘロニモ・クチャは誰にも邪魔されずに故郷の土に還ったのだ。
 報告・反省会が無事に終わり、研修室を片付け大統領警護隊は通路に出た。そこに、館長が立っており、一同は不意打ちを食らった。

「サン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボがカラコルを見つけたと言っておるそうだな?」

 いつも顰めっ面をしているファルゴ・デ・ムリリョ博士が、相変わらず気難しそうな顔で訊いて来た。ロホが訂正した。

「モンタルボ教授は伝説のカラコルの一部ではないかと思われる水中遺跡を発見したのです。」
「カラコルであると言う確証はないのだな。」
「発掘許可を出していませんから、本格的調査はまだです。」

 口をへの字に曲げてムリリョ博士は去って行った。セルバ考古学界の大御所の背を見つめる大統領警護隊に、博士の秘書が話しかけた。

「サン・レオカディオ大学が資金集めに積極的活動を始めたのです。それは構わないのですが、カラコルの遺跡を発見したと言う触れ込みなので、博士はご機嫌斜めです。」
「カラコルが発見されると都合が悪いのですか?」

とデネロスが無邪気に質問した。秘書が肩をすくめた。

「今までセルバ考古学界が手をつけなかった海底で見つけたから、面白くないんじゃないですか?」

 苦笑する大統領警護隊を置いて、彼女は急いで博士を追いかけて行った。

 

2022/03/10

第6部 水中遺跡   19

  昼食は幼い子供の希望でハンバーガーショップで取った。Tシャツにデニムのボトムと言うラフな服装のケサダ教授は珍しいが、子煩悩な父親ぶりを発揮する姿も滅多に見られるものではない。それにアンヘリタ・シメネスは5歳で、最初は人見知りしているのかと思えたが、そうではなかった。3色の糸でミサンガを編み上げると、精神集中させる物がなくなったので、突然お茶目で騒がしい普通の子供に変身した。テオの隣に座りたがり、テオの腕時計に興味津々だった。普通の金属フレームの時計なのだが、熱心に見つめるので、テオは時計を外して持たせてやった。ケサダ教授が娘に「壊すなよ」と注意を与えた。
 テオは教授に水中遺跡に興味ありませんかと訊いてみた。ケサダ教授はないと答えた。

「海岸に近い遺跡は船で交易していた可能性が高い。私は陸路の交易を研究しています。歴史の中で消えていった古の街道を探しています。水中遺跡は他の人が研究してくれればそれで良いのです。」
「そうですか。海の底に沈んだ街と言うものに、俺の様な考古学の素人はロマンを感じますがね。」
「ロマンですか。」

 ケサダ教授は不意に娘からテオの時計を取り上げた。もう少しで時計をオレンジジュースの中に突っ込むところだったアンヘリタが抗議の声を上げたが、父親は取り合わなかった。時計のベルトを紙ナプキンで拭ってから、彼はテオに時計を返した。

「私が水中遺跡に興味を抱かない最大の理由は、水に潜るのが好きでないからです。」

と彼は正直に告白した。

「川や沼なら泳ぐことも苦になりませんが、海は塩分が目に染みるでしょう。それに果てしなく水が広がっている。そんな中に身を浮かべると、どこかへ流される様な気がして怖くなります。」
「俺は沼が苦手で・・・」

 テオも告白した。

「ヌルヌルした藻や水草が脚に絡まるのがなんとも言えない恐怖です。」

 するとアンヘリタが言った。

「パパはワニを捕まえられるよ。」

 恐らくナワルを使ってと言う話だ、とテオは思った。それで彼は言った。

「俺はサソリを捕まえられる女の子を知っているぞ、アンヘリタ。」
「リタよ。」

とアンヘリタが言った。

「リタって呼んで。」
「リタ?」
「スィ。サソリは簡単だから。採り方を教えてあげようか?」
「早く食べなさい、アンヘリタ。」

 娘に注意を与えてから、ケサダ教授はテオに言い訳した。

「私はワニ狩りなどしたことがありません。この子が勝手に思い込んでいるだけです。」
「そうでしょうね。」

 多分幼女はテレビか何かの媒体で、野生のジャガーがワニを捕食する映像を見たのだ、とテオは思った。そして何故かそのジャガーを父親だと思い込んだのだろう。しかし彼女の父親はジャガーではない。彼は決して我が子にもそのナワルを見せないだろう。

「もしクエバ・ネグラ沖の遺跡がカラコルと言う街だとしたら、調査なさりたいですか?」
「カラコル?」

 ケサダ教授はフンと鼻先で笑った。

「興味ありません。カリブ海諸国と船で交易をしていた街です。私の街道研究の対象外ですよ。」

 随分とはっきり言い切ったものだ、とテオは内心呆れた。それともヴェルデ・シエロの考古学者達は自分達の祖先が関わっていない遺跡を知っているのだろうか。

 

第6部 水中遺跡   18

  週末はエル・ティティに帰省するのがテオの1週間の締め括りだったが、その週は違った。養父アントニオ・ゴンザレス署長がグラダ・シティに出張して来たのだ。警部以上の警察官の研修なのだそうだ。金曜日の夜に夜行バスに乗ってやって来た署長を、テオは土曜日の朝バスターミナルまで迎えに行った。署長は長距離バスで疲れた体を休める暇もなく、グラダ・シティ・ホールで開かれる研修会に参加した。週末に仕事をするなんて、セルバの公務員としては珍しいことだが、内務大臣パルトロメ・イグレシアスの都合らしい。大臣は来週月曜日からフランスへ公務で出かけるので、土日に無理矢理研修会の日程をねじ込んだのだ。
 アスルが、土曜日の軍事訓練に出かける前に、自室として使っている客間から枕と毛布をテオの寝室に運び込んでいた。客間をゴンザレスに使ってもらう為だ。テオも自分の寝室にアスルの為に折り畳めるマットレスを置いた。急な来客用に購入していたもので、ソファで寝てもらうより体を伸ばせるので楽なのだ。
 研修会が終わったら電話するとゴンザレスが言ったので、迎えに行くとテオは約束した。夕食時間が何時になるか不明なので、大統領警護隊文化保護担当部とは約束出来なかった。
 夕方迄の時間潰しに公園に行った。広い芝生と低木の植え込みが波打つようななだらかな丘を覆っている。グラダ・シティ市民の憩いの場所だ。暢んびり歩いて、太陽が少しずつ真昼の位置に上がる頃に汗ばんでしまった。
 昼食はどうしようかと考えながら歩き続けると、大きな楡の木の下で休んでいる男性と幼い女の子の2人連れを見つけた。読書している男性がとても馴染みのある人だったので、テオは思わず声をかけた。

「ブエノス・ディアス!」

 男性が顔を上げた。そしてテオを見て微笑んだ。

「ブエノス・ディアス。 お一人ですか?」
「スィ。今日は一人です。」

 女の子は5歳ぐらいに見えた。白と緑と青の糸で何かを編んでいた。テオが子供を見たことに気がついて、男性が紹介した。

「末の娘のアンヘリタです。」
「ブエノス・ディアス、アンヘリタ!」

 テオが屈み込んで挨拶すると、女の子はチラッと彼を見て、「ブエノス・ディアス」と返事をしたが、すぐ糸に関心を戻した。
 テオは相手の許可をもらって隣に腰を下ろした。

「今日はエル・ティティではなかったのですか?」

と相手が尋ねた。テオは首を振った。

「養父が警察官の研修でシティ・ホールに来ているんです。だから、今夜は俺の家に泊まります。明日も研修かなぁ。」
「大臣の気まぐれも困ったものですね。」

 イグレスアス内務大臣の突然の研修会日程変更は既に前の週にニュースで流れていた。
 テオは公園を見渡した。もし記憶が正しければ、まだ女の子が3人いる筈だ。

「他のお嬢さん達は、教授?」

 フィデル・ケサダ教授は肩をすくめた。

「長女のピアノの発表会で、妻と次女と三女も一緒に出かけています。アンヘリタは演奏会に行くにはまだ早い年齢なので、私が子守をしているのです。」
「それは・・・長女さんはお父さんにもピアノを聞いてもらいたいだろうに・・・」
「毎日練習を聞かされているので、どうってことはありません。」

 テオはケサダ教授の家にはもう一人老人がいたことを思い出した。だが、彼女の存在は秘密の筈だ。ここで持ち出してはいけない。家族が出掛けている間、誰かが老人の面倒を見ているのだろう。教授の収入ならお手伝いさんぐらい雇える筈だ。
 テオは暫く鳥の囀りを聞いていた。 ケサダ教授は読書に戻り、幼子は何か編んでいた。
 ふとテオはンゲマ准教授が受けた電話を思い出した。それで、ケサダ教授に訊いてみた。

「ンゲマ准教授が最近奇妙な電話を受けたお話をご存知ですか?」
「奇妙な電話?」

 ケサダ教授が怪訝な顔をした。情報通の彼に入っていない情報なのか。ンゲマ准教授は恩師に報告する必要がない案件として片付けてしまったらしい。しかし喋ってしまった以上、テオは黙っている訳にいかず、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡の発掘を希望しているサン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授が体験した奇妙な資金援助提案と電話の話を語り、クエバ・ネグラの海岸の放置自動車を国境警備隊が調べていたこと、サメの腹から人間の遺骸が出て来たこと、ンゲマ准教授も奇妙な問合せの電話を受けたことを語った。
 ケサダ教授は意外な反応を見せた。笑ったのだ。

「貴方はいつも奇妙な案件を引き寄せるのですね。」
「別に俺が望んで引き寄せている訳じゃありません。」

 テオはちょっとムッとした。だが、と教授は言った。

「普通は無視して終わる話です。しかし貴方は気にしている。」
「そうですが・・・」
「セルバ流にアドバイスすれば、忘れなさい、と言うところですが、貴方は忘れられないでしょう。」
「損な性分です。」

 教授は本を閉じた。

「私からンゲマとモンタルボ教授に、その後の事態の進展を訊いてみましょう。さて、その件はここまでにして、どこかでお昼でも食べませんか? 子供連れで申し訳ないが・・・」



第6部 水中遺跡   17

  焼きそばを食べ終わる頃に、テオはモンタバル教授とンゲマ准教授の元にかかって来た奇妙な問合せの電話の件を語った。モンタバル教授に電話がかかって来たことはケツァル少佐とギャラガも以前教授自身の口から聞いていたので知っていた。ンゲマ准教授は最近のことなので、ちょっと驚いた。ギャラガはムリリョ博士が専任の教授となるし、講義対象もヴェルデ・シエロがセルバを支配していたと考えられる古代遺跡の研究なので、比較的年代が新しい遺跡を研究しているンゲマ准教授とはあまり馴染みがなかった。

「ンゲマ准教授の専門を考えると、クエバ・ネグラ沖の海中遺跡は少し年代が古くなるのではありませんか?」
「電話の主は遺跡より沈没船に関心があるように聞こえます。」

とデネロスが言った。彼女はスパゲティみたいにフォークに焼きそばを巻き取ろうとしたが、この店の焼きそばは短いのでちょっと難しそうだった。だからフォークで掬って食べていた。おかげで口周りにソースがベタっと付いてしまい、紙ナプキンを何枚も消費しているのだ。

「沈没船の噂は聞いたことがないなぁ。」

とテオは言った。

「海の底に昔の街が沈んでいることは住民も知っているけど、サメがいるし、漁師が魚を獲るか、ビーチで水遊びをする程度の場所だ。住民は水深の深い場所まで行かない。潜水漁より網で量をする場所だ。」
「沈没船があれば、もっと以前から噂が流れていると思います。」

 するとアスルが呟いた。

「沈没船ではなく、海底資源のことじゃないか?」

 全員が彼に注目した。

「チャールズ・アンダーソンとか言う男も遺跡ではなく、海底に埋蔵されている物を調査したいと思っているのかも知れない。」
「すると・・・」

 ケツァル少佐が考えた。

「放置自動車を運転していた人物は、アンダーソンか電話の主の仲間で、先行調査のつもりで海に入り、そのまま行方不明になった可能性もありますね。」
「サメに食われたとか・・・?」

 暫く一同は沈黙した。
 ウェイターがデザートに香りの良い中国のお茶とセルバの果物を使った色彩豊かなゼリー寄せを運んで来た。デネロスが注文したマンゴープリンではなかったので、彼女がそれを告げると、ウェイターが言い訳した。

「マンゴーがお昼に完売。今日は仕入れが少なかった。」

 少佐がゼリーを口に入れて微笑んだ。

「これで構いません。美味しいです。」
「グラシャス。」

 ウェイターがお辞儀して奥に戻っていった。デネロスも苦情を言うのを止めて、素直にゼリーを食べた。アスルが彼女に自分のゼリーを差し出した。

「俺の分も食って良いぞ。俺はお茶を買って来る。」

 彼は店内に入って行った。
 ギャラガが少佐に言った。

「クエバ・ネグラの件は発掘許可が出る迄、我々には関係ない話と考えて良いですか?」
「関係ありません。」

 少佐はあっさり言い切った。そしてテオを見た。

「トカゲはもう採取場所に戻したのですか?」
「スィ。スニガ准教授が自分で放しに行った。本当は捕獲した場所に放さなきゃいけないんだが、彼はきっと入り口付近で放してしまうだろうな。」
「学生にやらせれば良いのに。」
「洞窟の中に入るには文化・教育省の許可とガイドが必要なんだ。きっと彼はその手間を省いたんだろう。」

 それにスニガ准教授はちょっとしみったれだ、とテオは心の中で呟いた。学生を連れて行けば、それなりにお金がかかる。
 アスルがお茶が入った紙袋を持って出てきた。そしてテーブルに着くなり、彼は少し興奮気味に報告した。

「おい、中国人って、サメを食うって知ってたか?」


2022/03/09

第6部 水中遺跡   16

  ショッピングモールの中国料理店は繁盛していた。大統領警護隊文化保護担当部は一般企業より1時間早く終業時間を迎えるので、混み合う前にテーブルの確保が出来た。普段はバルで飲みながら小皿の単品料理を数多く注文して食べることが多いセルバ人も、中国料理は大皿を数種類注文して大勢で取り分けるスタイルなので、それが面白いのか喜んで騒いでいる。アスルは厨房を覗く許可をもらって店内に入ったが、それほど長居せずに出て来た。

「あの火力じゃ、普通の家で同じ物を作るのは無理だぞ。」

とギャラガに言った。それでもやっぱり気になるらしく、追加注文する度に中へ入って行くので、テオも少佐も笑ってしまった。デネロスはアジア系のソースの味が気に入ってソースをスプーンで掬って舐めていた。ギャラガは不安そうにテオに囁いた。

「アスル先輩は焼きそばを作ってくれますかね?」
「材料が手に入れば、何とかして作るだろうさ。それより、我が家には箸がないぞ。」
「木の枝で作ります。」

 ケツァル少佐がフォークを使えば?と呟いた。デネロスは遠慮なくフォークを使っていた。箸は無視だ。

「例の村の跡地へ行ってみましたけど、少佐とカルロが見た井戸の跡は草茫々でした。楡の木が生えていましたよ。でも幽霊の姿も臭いもありませんでした。」
「夜もそこにいたのかい?」
「スィ。アスル先輩が来て下さったので、キャンプは先輩に任せて私は村の跡地で寝ました。」

 デネロスは怖いもの知らずだ。少なくとも、死体が見えなければ、幽霊が何人出てこようが平気だった。
 恐らく、とケツァル少佐が言った。

「前回長老会の方々があの村跡を訪問した時に、長老のお一人が、ヘロニモ・クチャにこちらの世界に残った人々の近況を報告されたのでしょう。それでヘロニモは安心して眠りにつかれたのだと思います。」

 テオはその長老が誰なのか見当がついた。その長老はヘロニモ・クチャの心残りであったマレシュ・ケツァルとその息子が元気で暮らしていると告げたのだ。特に息子が立派に成長して、社会人として、守護者ヴェルデ・シエロの誇りを守って生きていることを報告したことだろう。マレシュ・ケツァルの息子の父親がヘロニモ・クチャだったのか、エウリオ・メナクだったのか、それはマレシュにもわからないと言うことだが、ヘロニモにとっては我が子だったのだ。
 デネロスは監視業務に就く前に親から教わった「死者への祈り」をきちんと執り行ったと報告した。”心話”でそれを見て、彼女が間違えることなく作法を守って儀式を行ったことを知り、少佐が満足げに頷いた。

「これでマハルダも多少の悪さをする霊がいる遺跡へ派遣出来ます。」
「え? いえ・・・そんなに回数は多くなくて良いです。」

 デネロスが焦ったので、一同は大笑いした。そこへウェイターが山盛りの焼きそばを運んで来た。アスルがウェイターを見た。

「いつ作ったんだ?」
「今さっき。」

と中国人ウェイターが答えた。

「貴方来なかった。だから、シェフがレシピ書いてくれた。麺が手に入らなければ、うちの店で売る。」

 アスルは漢字で書かれたレシピを渡された。ウェイターは店の中に戻って行った。紙面を睨んでいるアスルを見て、少佐が笑いたいのを堪えながら尋ねた。

「読めますか?」
「神代文字より難しいです。」

 テオが横から覗いた。

「俺は読めるぞ。」

 ヴェルデ・シエロ達が彼を見た。テオは己の額を指差した。

「アメリカ時代に勉強したことがまだここに残っているんだ。家に帰ってからスペイン語に翻訳してやるよ。俺も美味しい物が食えるなら、いくらでも協力する。」
「それじゃ・・・」

 デネロスが期待感いっぱいの顔で言った。

「マンゴープリンと杏仁豆腐と抜絲紅薯の作り方も訊いて下さい。」


第6部 水中遺跡   15

  テオが大学に戻り、キャンパス内を歩いて自然科学学舎に向かっていると、反対側の人文学舎から男性が一人出て来た。Tシャツにデニムパンツのラフな服装だったのですぐにはわからなかったが、考古学部のハイメ・ンゲマ准教授だと気がついた。フィデル・ケサダ教授の弟子でヴェルデ・ティエラのメスティーソだが、顔つきは純血種の先住民に近かった。普段キチンとしたスーツ姿で、昼休みは大学のカフェではなく自宅から弁当持参が多いと聞いていたし、実際のところテオはこの人とあまり出会ったことがなかった。見かける時はンゲマ准教授は大概ケサダ教授かムリリョ博士と一緒だった。珍しい普段着姿だったのは、オクタカス遺跡の出土品整理の手伝いをしていたのだろう。だから彼が近くに来た時、テオは挨拶がてら質問してみた。

「オクタカスの出土品はかなりの量の様ですね。」

 ンゲマ准教授が立ち止まって、「スィ」と答えた。

「有力者の住居跡と思われる箇所からかなりの日用品が出たそうです。数が多いので、もしかするとムリリョ博士がフランスへ持ち出す許可を出すかも知れません。」
「それは珍しい。」
「スィ。フランス人達は張り切っています。セルバの出土品を母国へ持って帰った例はまだありませんからね。」

 ヴェルデ・シエロの秘密に抵触しない壺程度なのだろうが、ムリリョ博士のお墨付きがあれば、堂々と国外へ持ち出せる。

「ところで、」

とンゲマ准教授がテオを見た。

「ドクトル・アルスト、貴方は最近クエバ・ネグラに行かれたそうですね。」
「スィ。街の名前の由来になっている洞窟でトカゲを採取しました。」
「海中遺跡の話を耳にされたことは?」
「モンタルボ教授にお会いして少しだけ話を聞きましたが、街では噂にも聞きませんでした。」

 するとンゲマ准教授が近づいて来て、囁いた。

「奇妙な電話が昨日かかって来まして、クエバ・ネグラの海の宝物について何か知らないか、と訊かれました。」
「相手は?」
「名乗りませんでした。私が知らないと答えるとすぐ切れました。」

 それでテオはモンタルボ教授も同様の電話を受けた話を語った。ンゲマ准教授は不快な表情を見せた。

「何者かが、海の底に関心を抱いている様です。グラダ大学は水中遺跡の研究をしてませんが、モンタルボ教授が心配です。あの人はまだ諦めていないでしょうから。」
「そうですね。」

 テオは、ンゲマ准教授が師匠のケサダ教授かムリリョ博士にその電話の話をしたのだろうか、と考えたが、尋ねなかった。准教授の判断に任せるしかない。


第6部 水中遺跡   14

  テオが危惧したサメから出た遺体のD N A検査依頼は来なかった。恐らく憲兵隊は、放置自動車から車泥棒の身元を探す手がかりを何も見つけられなかったのだ。サメから出て来た遺体は身元不明のまま、クエバ・ネグラの郊外にある教会墓地に埋葬された。
 セルバ共和国沿岸警備隊はクエバ・ネグラ沖でサメを数匹駆除したが、全部捕獲する訳でもなく、1週間も経つと住民の関心は薄れ、忘れられていった。
 オクタカス遺跡発掘隊の撤収が本格化して、グラダ大学に出土品や貸し出した発掘道具の返却など様々な荷物が送られて来始めた。フランス隊の世話をしたンゲマ准教授は大忙しだ。3日目には考古学者達と発掘に参加していた学生達が首都に戻って来た。考古学部が賑やかになった。発掘に参加しなかった学生や教授陣も一緒になって出土品の仕分けや記録作成の手伝いをしていた。
 大統領文化保護担当部の監視当番だったマハルダ・デネロス少尉も3ヶ月ぶりに帰還した。実際は”空間通路”を使って何度か帰って来て備品調達や休憩をしていたのだが、正式に帰って来た。撤収の監督をしたアスルも一緒だった。
 テオは久しぶりにデネロスに出会って、彼女がすっかり大人びていることに感心した。まず容姿が変わった。以前はセルバ美人と呼ばれるぽっちゃり顔に近かったが、顎の線が細くなり、きゅっと締まった顔つきになっていた。欧米のファッションモデルにも通用しそうな美女に変身していたのだ。全く化粧気がないのに、艶々と輝いていた。目つきも鋭くなった。ケツァル少佐を少し若くした感じだ。

「ジャングルでの任務は君にピッタリだった様だね。」

とテオが揶揄うと、えへへと笑った。そこはマハルダちゃんのまんまだ。

「体の奥にあった太古の血が騒いじゃって、楽しかったんですぅ。」

 アスルが横目で彼女を見た。

「出土品をちょろまかそうとした作業員を5人も摘発して、発掘隊から鬼の様に恐れられたんだぞ。」

 ケツァル少佐があははと笑った。

「見た目が可愛いからと言って、甘く考えましたね。いきなり引っ掻かれてさぞや痛い目に遭ったでしょうね。」

 マハルダは首都の空気をグッと吸って、「ああ、排気ガスの臭い!」と呟いた。

「報告書はいつまでに揚げると良いですか、少佐?」
「今週中です。」
「ええ、あと1日?」

 4階の職員全員からドッと笑いが起きた。テオも一緒に笑った。彼はその時、偶々学生の留学手続きの為に3階を訪問して、用事が済んで4階に来ていたのだ。
 デネロスがいそいそと机の前に座った。報告を文書化しなければならない。
 アスルがギャラガから留守中の業務報告を”心話”で受けた。ついでに焼きそばの報告も受けたらしい。彼はボソッと言った。

「俺は作ったことがない。今夜用事がなければ、その店に案内しろ。」

 後輩が作る前に自分が先に作り方をマスターしておきたいアスルだ。ギャラガが「承知」と答えた。アスルが外食なら、テオは自炊しなければならない。だから彼は横から割り込んだ。

「あの店に行くなら、俺も加えてくれ。」
「何の話です?」

 耳聡くデネロスが振り返った。食べ物の話は決して聞き逃さない。仕方がない、とケツァル少佐が苦笑した。

「マハルダのお帰りなさいパーティーでもしますか?」

 ロホが悲しそうな顔をした。

「今夜、グラシエラと会う約束をしています。」

 少佐がテオを見た。テオがグラシエラも連れて来れば、と言いかけると、少佐が先に言った。

「では、貴方は今夜別行動ですね。」
「すみません。」

 ロホはデネロスに向かって、「すまん」と謝った。テオは少佐に小声で尋ねた。

「どうしてグラシエラは駄目なんだ?」

 すると少佐も小声で答えた。

「マハルダにイェンテ・グラダ村の報告もしてもらうので・・・」

 50年前に住民全滅作戦が行われた村の遺構だ。デネロスはその悲劇の場所へ行って、ヘロニモ・クチャの幽霊がもう現れなくなったことを確認に行ったのだった。グラシエラは先祖の悲劇を何も教えられていない。少佐も兄のカルロ・ステファン大尉も、母親のカタリナも、末っ子の彼女には悲しい家族の歴史を教えたくないのだった。ロホはイェンテ・グラダ村跡に行ったことがない。だからグラシエラとあの村の話をせずに済む。

第6部 水中遺跡   13

  地元民にとって大事な物・・・それがチャールズ・アンダーソンや謎の電話の主が探している物なのか?
 テオはモンタバル教授が何か危険なことに巻き込まれそうな不安を感じた。もしかすると発掘許可が出ない方が教授とサン・レオカディオ大学にとって良いのではないか。
 発掘装備と水中活動装備、それにサメ対策とモンタバル教授の考古学部には課題が多い様だ。
 食事が済むと、教授は全員の食事代を払うと言ったが、ケツァル少佐はキッパリと拒否した。公務員として民間人から利益供与を受けられないと彼女は言った。

「もし貴方がここでお支払いされると、私達は貴方に今後一切の発掘許可を出せなくなります。」

 そこまで言われると、教授も仕方なく引き下がるしかなかった。食事代は大皿から取り分けて食べた料理と同じように全員で均等に分担した。(但し、一番格下のギャラガの食事代を少佐が払ったことをテオは知っていた。)
 モンタバル教授と別れて、テオと大統領警護隊の3人はショッピングモールの中をぶらぶら歩いた。平日なので、そろそろ衣料品店などは店仕舞いしてシャッターを下ろし始めていた。少佐の養母の宝飾店がある区画へ行くかとテオは期待したが、そちらへは足を向けなかった。宝石や高級ブランドの衣料品店は食物の匂いがするのを嫌うので、ちょっと遠い場所に出店している。少佐はそこまでわざわざ行く価値を見出さなかったのだ。元よりブランド品には興味のない女性だ。開いている雑貨店などを冷やかしながら、彼等は駐車場に向かった。

「中国料理はいかがでしたか?」

と少佐が不意に質問した。テオは美味かったと答え、ロホも同意した。

「中国では医食同源と言って、食べ物も薬と言う考え方があるそうですよ。」
「そうなんですか。」

 指導師の資格を持っているので、少佐とロホは漢方の話を始めた。まだ若いギャラガはちょっと蚊帳の外だ。テオに、文化・教育省がある商店街にテイクアウト専門の中華料理店がありますよと話しかけた。テオは首を振った。

「あの店はお薦めしないな。中華を食べたければ、大学の学食で食べた方が良い。安いし、学生向けの味付けの物を作っている。唐揚げとか、エビチリとか・・・」
「今夜の焼きそばが気に入りました。」

 テオは笑った。

「食材店で材料を買って、ネットで作り方を検索しろよ。俺の家の台所を貸してやる。アスルに作ってもらうのも良いかもな。」

 ギャラガが悩ましげな顔になった。彼はアスル先輩が好きなのだが、アスルは気まぐれで無愛想だ。だからギャラガはちょっと苦手意識もあった。頼み事をしてもあっさり拒否されることが少なくないのだ。それにテオの家の台所はアスルの縄張りと言う認識をギャラガは持っていた。
 車に乗り込み、街に出た。テオは隣のロホに尋ねた。

「グラダ大学はクエバ・ネグラ沖の水中遺跡に興味がないのか?」
「水中遺跡を研究している学者がいませんから。」

とロホは答えた。

「主任教授、2人の教授、2人の准教授、それに大学院生の講師1人がいますが、全員地上遺跡の研究者です。」
「船は苦手なのかな?」
「船が、と言うより、地震で沈んだとされる街がヴェルデ・ティエラの街だったので、興味がないのでしょう。ンゲマ准教授が興味を抱くかと思ったのですが、彼はフランスの大学が発掘を希望している遺跡の方に関心があって、クエバ・ネグラに無関心です。」
「ああ・・・オクタカスやアンティオワカ辺りか。」
「スィ。海底遺跡は以前イギリス人が興味を持ちましたが、結局壺が10個ばかり出ただけで、生活の痕跡や祭祀跡がなかったのです。ですからグラダ大学に海に潜る人はいません。」

 ギャラガが「泳ぐのは好きですが、潜水はね・・・」と囁いた。あくび混じりだったので、少佐が運転しながら笑った。

「アンドレ、もうお眠ですか。」
「すみません、満腹で瞼が落ちて来そうです。」
「あと少しです、頑張りなさい。」

 少佐はベンツを大統領警護隊本部の正門前に停めた。ギャラガはリュックを手に取り、助手席から外へ滑るように降り立ち、上官とテオに敬礼した。そしてくるりと体の向きを変え、門に向かって走り去った。

2022/03/08

第6部 水中遺跡   12

 「今夜来ていただいたのは、もし資金調達の目処が付いたら、申請からどれぐらいの時間で発掘許可を出していただけるか、お聞きしたかったのです。」

 モンタルボ教授はなんとか食べた物を逃さずに済んだ。テーブルに向き直り、非礼を詫びてから、そう言った。

「申請時期がいつかで、待機時間が変わります。」

とギャラガが申請受付係として言った。

「先ず、ハリケーンのシーズン前であれば、シーズンが終わるまで許可は出せません。危険だとわかっていて海に出る許可を出せませんから。それに地上遺跡と違って水中遺跡は発掘隊の準備状況の報告も必要です。許可を出したのに、これから装備を整えます、と言うのであれば、発掘シーズンが終わってしまいますから。」

 彼は御託を並べてから、締めくくった。

「取り敢えず雨季が始まる頃に予算を組んで申請を出して下さい。そしてハード面での準備を雨季の間に整えられることです。お話を伺うと助成金給付を希望されている様ですから、文化財遺跡担当課が再度の準備調査と給付検討を行う筈です。」

 彼は上官達を見た。テオは彼が”心話”で許可の合否が出る期間を質問したな、と見当をつけた。ギャラガはモンタルボ教授に視線を戻した。

「許可の合否が出るのは早くて2ヶ月後です。雨季が終わる前になりますから、そちらの準備期間は十分だと思います。」
「やはり文化財遺跡担当課が先ですか?」
「スィ。あちらが審査して通った書類を我々が再吟味するのです。」
「海でも護衛をつけていただけるのですか? 海賊とかサメとかから守っていただけますか?」
「海上の護衛は陸軍水上部隊か沿岸警備隊が行います。大統領警護隊は担当外です。」

 ロホが付け足した。

「港であなた方が水中から引き揚げる出土品をチェックします。それが我々の仕事です。」

 テオはあまり馴染みのない考古学教授に尋ねた。

「俺は今朝クエバ・ネグラから帰って来たばかりですが、現地の人に聞いたところでは、あの海域はサメが多いそうです。貴方が潜られた時はどうでしたか? サメはいましたか?」
「小さいのを2、3匹見ましたが、害はないと思いました。しかし、先ほどの写真・・・」
「馬鹿でかいサメが釣れて、その腹から出てきた犠牲者です。地元でも大騒ぎでした。」

 テオは大統領警護隊の友人達を見た。

「あっちじゃ、サメを守護者と呼ぶそうだよ。」
「普通は言いませんよ。」

とロホが不愉快そうに言った。

「もし本当にそう呼ばれているのなら、そこに何か地元民にとって大事な物があるから、と言う意味でしょう。」

 確かにそうだ。セルバで”守護者”と呼ばれるのは古代の神様ヴェルデ・シエロか、その僕と考えられている大統領警護隊のことだ。



第6部 水中遺跡   11

 「まず、会議の前にモンタルボ教授を訪ねて来た男性は、水中活動での機材を提供すると言ったのですね?」
「スィ。お金の具体的な話を向こうが始める前に私が断ってしまったので、彼から聞いたのは装備品やダイバーの調達と言った人材やハードウェアの話だけです。」
「会議の後でかかってきた電話の主は、クエバ・ネグラ沖に黄金を積んだ沈没船の言い伝えはないか、と訊きました。」

 ケツァル少佐がテオ、ロホ、ギャラガを見た。テオが言った。

「同じ人物ではなさそうだが、恐らくチャールズ・アンダーソンとか言う男も沈没船を探しているんじゃないか?」
「しかし、何故私なんです?」

とモンタルボ教授が不安そうに呟いた。

「私達が発掘許可を得たとしましょう。そこへやって来て、手を貸すと申し出て来るのであれば、筋が通りそうです。でも私はただの考古学者で、ほんの数ヶ月前にあの海に潜って岩棚を見つけたんです。新聞記事にならなかったし、町の噂にもなっていない発見を、どこで聞きつけたんです? 私があの海に関心を持っていることすら、知っている人間はいないでしょうに。」
「貴方があの海に関心を持っていると知った人間がいたのでしょう。」

とロホが言った。

「アンダーソンとか言う人物は資金を持っている。だが目立ちたくない。彼自身が関心を寄せた海域に偶然考古学者が潜って何かを見つけた。だから彼は貴方の発掘隊を隠れ蓑に別の何かを探したいのでは?」
「すると電話の主は別のトレジャーハンターで、ライバルのアンダーソンが潜りそうな海を探って先手を打とうとしている?」

とギャラガが推測を述べた。彼はちょっと面白がっている雰囲気だ。

「すると、海岸に放置されていた車だが・・・」

 テオが言うと、彼は早速店へ来る途中の車内で検索したものを再び出してきた。

「車に乗ってきた人間が海に潜っていたら、サメが来て食っちまったんですね。」

 え? とモンタルボ教授が怪訝な表情になった。彼の前に、ギャラガが遠慮なく無惨な遺骸の画像を突き出した。野次馬が撮影したものを早速S N Sにアップしたのだ。
 ウグッと声をたて、モンタルボ教授が後ろを向いた。慌てて紙ナプキンで口元を抑えた。テオは画像を見なかったが、少佐とロホは平然としていた。マナーだなんだと言う割にヴェルデ・シエロはこう言うところに鈍感だ。

「放置自動車の主、と言うか、盗難車だったらしいから、車泥棒なんだろうけど、そいつがサメに食われたのかどうか、調べなきゃな。」

 すると、少佐が嫌なことを言った。

「車内に残された泥棒のD N Aと、サメから出た死体のD N Aを比較すれば、判明出来るでしょう。」


第6部 水中遺跡   10

 「それなのですが・・・」

 モンタルボ教授はテーブルの周囲を用心深く見回した。そして再び大統領警護隊の方を向いた。

「先日の会議の前日に、スポンサーになりたいと言う人が現れまして・・・」
「会議の前?」

 ロホが顔を顰めた。それなら教授はそれを会議で言えば良かったのでは?と思ったのだ。しかし教授がそれを会議で明かさなかったのには理由があった。

「外国の企業で、アンビシャス・カンパニーと言う、聞いたこともない会社でした。」

 モンタルボ教授は携帯を出して検索結果を表示して見せた。テオが覗くと、「チャレンジ精神旺盛な研究者に資金援助して科学・文化の発展に貢献することを目的とした・・・云々」と企業案内が書かれていた。つまり、何が本当の目的なのかわからない会社だ。

「カルロス・・・つまり、チャールズでしょうが、その、チャールズ・アンダーソンと言う男が代表だと言う会社が、私に潜水用具や船やダイバーを調達してくれると言ったのです。あまりにも奇妙なので、彼等の目的は何かと私は訊いたのです。するとアンダーソンは、発掘作業を映像に撮って、それを元にトレジャーハンターをテーマにした映画を作るのだと言いました。」
「俄に信じ難い話だ。」

と思わずテオは呟いた。モンタルボ教授は首を振った。

「そうでしょう? 私は、あの海域に宝を積んだ船でも沈んでいて、それを探しているんじゃないかと疑ってしまいました。それで、援助の申し出は有り難いが、先に国の発掘許可を取らないといけないので、その時点での承諾は出来ないと断りました。」
「向こうはあっさり引き下がったのですか?」
「ええ・・・この話はなかったことにして、誰にも言わないでくれ、と言って去って行きました。」
「その人は大学に貴方を訪ねて来たのですか?」

とこれはケツァル少佐。モンタルボ教授は頷いた。彼は茶色の高そうな上質の革の鞄から、名刺入れを出し、ちょっと探してからアンダーソンなる人物からもらった名刺を出した。それを受け取って、少佐はもう一度、教授の携帯の画面を見た。

「テオ、記憶してもらえます?」

 モンタルボ教授には奇妙な要請に聞こえただろうが、テオは電話番号や住所を記憶するなら朝飯前だ。チャールズ・アンダーソンとアンビシャス・カンパニーの電話番号と住所を記憶した。一応、自分の携帯のメモリーにメモもしておいたが。
 少佐が尋ねた。

「その接触は一回きりでしたか?」
「スィ。しかし、今度は別のところから会議の後で電話がありまして・・・」
「別のところ?」
「今度の電話は名乗らないで、クエバ・ネグラ沖で黄金を積んだ船が沈んでいると言う言い伝えはないか、と言うものでした。」

 モンタルボ教授は肩をすくめた。

「そんな問い合わせは、クエバ・ネグラの誰かに訊けば良いことでしょう? 私の大学は海から離れた町にあるんですよ。私だって、南部の出身で、クエバ・ネグラは研究の為に通っているだけです。何故私にそんなことを訊いて来たのでしょう?」

 テオ達が考えや感想を述べる暇もなくモンタルボ教授は続けた。

「そして昨日の朝ですよ、クエバ・ネグラの国境警備隊から電話がかかって来たんです。海岸に車が放置されているが、私か大学関係者が使ったのではないか、とね。なんで私達がそんなことをするんです? 私が海へ行って遺跡を見つけた時は、私の車を使いました。水中の遺跡の確認して写真を撮った時は、うちの学部の仲間全員で行って、大学の車を使ったんです。バスを使ったんです。ワゴン車なんて知りません。だから私はその電話をかけて来た国境警備隊の兵隊に言いました。私達の車はちゃんと大学にある、海岸にある車はトレジャーハンターのものじゃないかってね。」

 そこで料理が運ばれて来た。教授は一旦お喋りを止め、ケツァル少佐が「食べましょう」と言った。箸とフォークが出されていたが、ヴェルデ・シエロの男達は少佐が箸を使うのを見て、すぐに使い方を覚えてしまった。中国料理を指定したモンタルボ教授は意外にもフォークを使っていた。テオも箸の使い方を遠い記憶から引き出した。
 鶏肉の甘酢餡掛けは、ロホとギャラガにとっては初めての味だったらしい。若者らしく勢いよく肉の唐揚げを口に入れたギャラガは、酢にむせて咳き込んだ。ロホは用心深く齧って、それから気に入ったのか、せっせと箸を動かした。
 最後の炒飯を食べてしまう前に少佐はデザートにマンゴーシャーベットをオーダーした。そして教授に言った。

「私はヨーロッパでも中国料理を食べましたが、母国の店のレベルはそんなに高くないと思っていました。恐らく最初に入った店のレベルが低かったのでしょう。私は中国料理に対する侮辱だと思い、それ以来母国で中国料理を出す店に入ったことがありませんでした。でもこのお店の料理はとても美味しかったです。良いお店を教えていただきました。感謝します。」
「この店の料理長は本物の中国人なのです。私もうちの学長に教えられて気に入ったのです。喜んでもらえて、私も嬉しいです。」

 デザートを待ちながら、少佐が箸を置いて、「さて」と言った。モンタルボ教授が食事が始まる前に語った奇妙な客や電話の話だ。


2022/03/07

第6部 水中遺跡   9

  一向が到着したのはグラダ・シティで一番大きなショッピングモールの駐車場だった。平日の夜だが飲食店が集まっている区画はこれからが稼ぎ時だ。広い通路にテーブルや椅子を出して客を呼び込んでいる。
 ケツァル少佐を先頭に大統領警護隊文化保護担当部とテオドール・アルストは人の波をかき分けながら歩いて行った。やがて中国料理の店の前で少佐が足を止めた。ロホが、これから彼女が落ち合う人が誰だかわかったらしく、ああ、と呟いた。テオは誰だと訊きたかったが、少佐からの紹介を待つことにした。
 少佐に気がついたのか、中年の男性が立ち上がった。

「急な呼び出しに応じていただいて、感謝します。」

と彼が言った。そして少佐の後ろに立っている男達を見た。少佐が紹介した。

「マルティネス大尉はご存知ですね?」
「スィ。先日の会議でお目にかかりました。」

 ロホは無表情で相手を見た。少佐はロホの後ろに控えていたギャラガに「前へ」と合図した。ギャラガがロホの横に立った。少佐が紹介した。

「ギャラガ少尉です。まだ私たちの部署での経験は浅いですが、行動力は上官にも負けません。」

 ギャラガは照れ臭かったが、ロホを見習って真面目な顔で立ち続けた。
 テオは少佐の部下ではないので、自分からギャラガの横に立った。少佐がどんな紹介をしてくれるのか、とちょっと不安を感じたが、少佐は真面目に相手に彼を紹介した。

「こちらはグラダ大学生物学部遺伝子工学科のアルスト准教授です。今日の昼過ぎにクエバ・ネグラから戻られたところです。」
「クエバ・ネグラから!」

 男性は薄い生地のスーツに明るい色合いのネクタイをしていた。服装は上品だし、値も張りそうだった。少佐が彼女の連れ達に彼を紹介した。

「サン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボ氏です。」
「よろしく。」

 モンタルボが挨拶したので、テオも応じた。ただ、文化系の大学であるサン・レオカディオ大学に馴染みがなかったので、モンタルボ教授がどんな考古学を研究しているのかわからなかった。ムリリョ博士のように文献に残らない遺跡を探して歩いているのか、ケサダ教授の様に古代の交易ルートを研究しているのか、ンゲマ准教授のようにヴェルデ・ティエラ台頭後の熱帯雨林の遺跡専門なのか、そう言う情報が私立の大学からテオのような理系科学を研究している学者には入ってこないのだ。
 モンタルボが少佐と男達に着席を促した。会見前に食事だ。テオは中国料理が嫌いでなかったが、セルバ共和国に来てからはあまり縁がなかった。大統領警護隊の友人達がセルバ料理ばかり食べさせてくれるので、他の文化の料理を食べる機会がなかったのだ。
 少佐がメニューを眺めた。彼女は海外にも出かけることがあるので、中国料理は慣れている。しかしすぐにメニューを部下に渡してしまった。ロホはメニューを見て、困った表情になり、テオに見せた。メニューはスペイン語で書かれていたので、食材と料理法はわかるのだが、味付けがわからない。だからロホは困ったのだ。テオはアメリカ時代の記憶を頼りに、これはチリ味、これは甘酸っぱい味、これは塩味、と教えていった。横から眺めていたギャラガが痺れを切らして、指差した。

「鶏肉と豚肉、それに卵のスープ、米。」

 料理法も味付けも無視だ。それでテオは鶏肉を揚げて甘酢餡をかけたもの、豚肉を蒸して甘辛いソースをかけたもの、卵スープ、炒飯を選んだ。少佐に目で承諾を求めると、彼女が頷いた。そしてオーダーを追加した。焼きそばだ。モンタルボも野菜炒めを追加して、やっとビールで乾杯に漕ぎ着けた。

「今夜お呼び立てしたのは、他でもありません、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡調査の件です。」

とモンタルボが料理を待つ間に切り出した。ロホが彼を見た。先日の会議で助成金給付を却下した案件だ。予算見積もりを出さなければ助成金の検討がつかないし、発掘許可も出せない。そう文化財遺跡担当課が宣告した案件だった。考古学者が、己が発見した遺跡にこだわるのは理解出来る。調査するなと言っているのではない。計画的に調査に取り掛からなければ、いつまで経っても終わらないし、事故にもなりかねない。特に水中遺跡は地上遺跡に比較にならないほど危険なのだ。お粗末な装備で貴重な遺跡を触って欲しくなかった。だから、彼は上官よりも先に口を開いた。

「文化財遺跡担当課を納得させられる資金計画の目処が立ったのですか?」

第6部 水中遺跡   8

  昼前にクエバ・ネグラを出発したので夕方になる前にグラダ・シティに到着した。大学に戻ると主任教授と学部長に出張から戻った報告をして、テオとカタラーニは研究室に入った。トカゲを飼育用水槽に入れ、捕獲場所と日時を記入したラベルを水槽に貼った。それをマルク・スニガ准教授の研究室へ持って行った。トカゲを必要としていたのは、スニガ准教授だったのだ。彼は閉所恐怖症なので洞窟に入れない。それでテオが代理で捕獲に行った。助手にやらせれば良いのにと思ったが、遠出も悪くなかったのでテオは引き受けたのだ。小一時間世間話をしてから、終業時間になったので、テオは大学を出た。
 特に約束をしていなかったが、文化・教育省の前で待っていると、職員達が閉庁時間になって一斉に出て来た。文化保護担当部は珍しく全員が揃って降りて来た。こんな場合は何か夜の予定があるのだ。テオは仲間外れにされる予感を抱きながらも声をかけてみた。するとケツァル少佐が「来い」と手を振ったので、ちょっと意外に思いつつもついて行った。
 駐車場で少佐のベンツ、ロホのビートル、テオの中古車(最近トヨタに買い替えた)の前で4人が集合だ。少佐、ロホ、ギャラガ、そしてテオ。少佐はちょっと考えてから、テオを見た。

「出張帰りですね?」
「スィ。」
「車で移動?」
「スィ。」
「では、ベンツ1台にしましょう。ロホとテオはそれぞれ自宅に一旦帰りなさい。私が順番に拾います。」

 それでロホが素早くビートルに乗り込んだので、テオも急いでトヨタに乗った。どちらもマカレオ通りに自宅があるから、前後して到着した。テオは荷物を家の中に放り込んだ。外に出て施錠するとすぐに少佐のベンツが現れた。助手席にギャラガが座っていたので、ロホとテオは後部座席だ。走り出してすぐにロホが尋ねた。

「クエバ・ネグラはどうでしたか? 国境の街は結構賑やかでしょう?」
「スィ。それに意外な人に出会ったよ。」

 テオがルカ・パエス少尉の名を告げると、ギャラガは反応しなかったが、少佐が彼は元気でしたかと尋ねた。

「元気だった。以前から無口な人だったから、殆ど話をしなかったけれどね、でも・・・」

 テオは海岸に放置されていた盗難車の話をした。パエス少尉がその車に大統領警護隊がこだわる理由を教えてくれそうだったが、同僚を気にして口を閉じてしまったことも語った。

「彼は懲戒を受けて転属になったので、同僚に悪い印象を持たれたくないのでしょう。」

とロホが評価した。

「民間人に仕事の内容を喋っては信用を取り返せなくなりますから。」

 きっとパエス少尉は窮屈な思いをして勤務しているのだろう、とテオは同情した。太平洋警備室は僅か5人の小さな部署だったが、少なくとも各自自由に仕事をしていた筈だ。機械いじりが得意だったと言うパエスは、国境警備に勤しんでいる。事務仕事が得意そうな彼の上官だったガルソン中尉は、今車両部で車の整備をしている。仕事内容が逆だったら、どちらも少し楽だったろう。
 ギャラガはテオのパエス少尉近況報告の中にチラリと出たサメの話が気になった。

「人喰いザメがいたのですか?」
「俺はこの目で見た訳じゃない。でも現場は大騒ぎだった。」

 早速ギャラガが携帯を出してネット検索を始めた。

「あ、ほんとだ、ニュースになっています。食われた人間の身元調査を開始とか・・・」

 アンドレ、とロホが声をかけた。

「食事前にそんな話は止そうぜ。」

 ところが、少佐が助手席の少尉に言った。

「これから人に会います。その情報を出来るだけ詳しく集めておきなさい。」

 

第6部 水中遺跡   7

  ほんの1時間前迄平和だったビーチがすっかり大混乱に陥っていた。誰かが通報したのだろう、セルバ共和国の官憲にしては珍しく警察と憲兵隊がすぐにやって来た。早くも砂浜でどっちの縄張りか揉め始めた。
 国境警備隊はレッカー車を引き連れてやって来た。運転手不明の盗難車を収容するのだ。大統領警護隊はルカ・パエス少尉も含めて全部で5名、まるで砂浜の喧騒が聞こえないみたいに完璧に無視して黙々と作業を指揮していた。陸軍の国境警備班は部下扱いだ。勿論ゲイトの方に大勢残っているのだろうが、エベラルド・ソロサバル曹長に指図を与え、レッカー作業を手伝わせていた。レッカー車は民間業者の様だ。砂浜をしきりと気にしていた。
 窓を黒く塗ったバンが2台やって来た。鑑識と死体収容車だ。テオは人垣のおかげで遺体を見ずに済んだことを感謝した。
 大統領警護隊が盗難車が停められていた付近を歩き回っていた。何かの手がかりを求めているのだろう。ソロサバル曹長とレッカー業者が2人で車を牽引する作業をしていたので、カタラーニがお節介にも手を貸しに行った。人助けが好きな若者だ。
 テオは大統領警護隊が盗難車を気にする理由が気になった。密入国の疑いがあるとしても、憲兵隊に任せて良いのではないか、と思ったのだ。だからパエス少尉が近くを通った時に近づいて声をかけた。

「密輸か密入国の疑いがあるのかい?」

 パエス少尉が足を止め、草むらから顔を上げた。

「そんなものですが・・・」

と曖昧な言い方をして、彼はレッカー車の後ろに繋がれたワゴン車を見た。

「発見から3日経ってから収容するには訳があります。」

 彼は同僚が近づいて来るのを見て、口を閉じた。そして、故意に声を大きくしてテオに言った。

「作業を手伝っていただいて感謝します。」

 彼はテオに敬礼すると仲間の方へ戻って行った。 盗難車が牽引されてビーチから出て行き、国境警備隊もそれぞれ車に乗り込んだ。ソロサバル曹長も自分が乗って来た車に乗った。走り去る時にテオとカタラーニに片手を上げて挨拶してくれた。
 砂浜のサメ騒動も沈静化しつつあった。憲兵隊が遺体とサメを収容して、撤収を始めた。警察は交通整理だ。人垣がバラけ始めたので、やっとテオは砂浜に乗り上げている漁船のそばに行った。
 クルーザーみたいに見えたが、そばに行けば古ぼけた大型漁船だとわかった。漁師と地元民がまだ何やら騒いでいた。テオは近くにいた男を捕まえて声をかけた。

「サメから死体が出たんだってな?」

 男は振り返ってニヤッと笑った。

「どこかの馬鹿がエル・エスタンテ・ネグロで泳いだんだ。それで守護者に飲み込まれちまったのさ。」
「エスタンテ・ネグロ? 守護者?」

 男は沖を指差した。

「あの辺りだ。大昔、岬があったって辺りでさ、海の底が平らになって黒っぽい岩の板が並んでいるんで、エスタンテ・ネグロ(黒い棚)って呼ばれている。」
「岩の板が並んでる?」

 それは遺跡じゃないのか、とテオは思ったが、口を挟むのは控えた。

「魚を網で獲るのは良いが、泳いじゃいけない。守護者・・・」

 男はサッと周囲を見回し、大統領警護隊が撤収したことを確認した。

「ヴェルデ・シエロのことじゃないぜ。ジャガーは海の中にはいないからな。ここで言う守護者って言うのは、サメのことなんだ。あの連中がエスタンテ・ネグロ周辺にいっぱいいてさ、人が泳ぐと集まってくる。だから、泳いで魚を獲っちゃいけないのさ。」

 彼は砂浜に乗り上げた漁船を見た。

「あれはホアンの船だ。ホアンは時々白人を沖へ連れて行って大物釣りをさせる。沖って、もっと遠くの沖だぜ。 カジキとかそんなの。で、今日はカジキ狙いで朝早く出たら、客がでっかいサメを見かけて、釣りたいって言ったらしい。ホアンは嫌がったが、チップを弾んでくれたんで、サメ用の仕掛けを客に教えた。」
「それで釣り上げたサメに人間が入っていたのか・・・」
「とんだ大物だよ、全く・・・」

 男はそれだけ喋りまくると、さっさと行ってしまった。
 砂がサメの血で赤く染まっていた。そのうち波に洗われるだろう。
 カタラーニが呟いた。

「なんだかトカゲを捕まえる気力が無くなっちゃいました。」


2022/03/06

第6部 水中遺跡   6

  ノミがいない宿屋を探すのもそれなりの苦労がある。チェックインした時にノミ避けスプレイを撒いておいたので、その夜は無事に眠ることが出来た。
 朝になって、チェックアウトするとテオとカタラーニは近所のカフェで朝食を取り、海岸へ行った。海辺のトカゲを捕獲してからグラダ・シティに帰ろうと言う魂胆だった。ところがビーチに近づくと、何やら人だかりしていた。砂浜に野次馬が大勢押し寄せていた。何だろうと思いつつ、ふとテオが北側を見ると、砂地が草むらに変わる辺りにワゴン車が1台停まっており、そばに兵隊が1人所在なげに立っていた。その顔に見覚えがあったので、テオは声をかけた。

「ソロサバル曹長!」

 陸軍国境警備班のエベラルド・ソロサバル曹長が振り向いた。テオとカタラーニは曹長のそばへ歩いて行った。砂が細かく歩きにくい。
 朝の挨拶を交わしてから、ビーチの人だかりの理由を尋ねると、意外な答えが返って来た。

「でかいサメが獲れたそうです。」
「サメ?」
「スィ。ホーガみたいにでかいそうです。」

 ホーガはカリブ海に住む豚のような頭の魚の怪物で、勿論民間伝承の化物だ。
 テオはビーチを見た。人々は船が戻って来るのを待っている様だ。大型の漁船らしい船がエンジン音を響かせながらビーチに近づいていた。あのまま砂に乗り上げるのか?
 人々が波打ち際に押し寄せ、船が見えなくなったので、カタラーニが人垣の方へ走って行った。テオは曹長に向き直った。 ワゴン車は国境警備班の車ではなさそうだ。ナンバーはセルバのものだが、公用車の印である国旗が描かれていなかった。

「この車は?」

 曹長が車を見た。

「持ち主不明の車です。」
「昨夜、大統領警護隊が持ち主を探していると言っていた、乗り捨てられた車?」
「スィ。」

 テオは運転席を覗き込んだ。がらんとした運転席で、荷物らしきものは見当たらなかった。後部席も空っぽだ。

「いつからここにあるんだ?」
「通報者によれば、一昨日の朝からだそうです。」

 普通なら警察が調べるのだろうが、国境警備隊が番をしたり、持ち主を探している。もしかすると密入国や密輸に関係した車なのかも知れない、とテオは思った。

「ナンバーの照会とかしてみたのか?」
「スィ。」

 当然だろうと言う顔で曹長が答えた。そしてテオが予想したことを言った。

「盗難車でした。」

 だから大統領警護隊が車をこの海岸まで運転してきた人間を探していたのだ。ゲイトを通った形跡がなかったので、まだセルバ側にいるかも知れないと夜の町を捜索していたのだろう。しかし、運転者の顔を知っているのだろうか。それともヴェルデ・シエロの勘を頼りに歩いていたのか? 
 
「それで、君はここで証拠物件の車の番をしているのか。」
「スィ。レッカーを待っています。」

 その時、ビーチに集まっていた野次馬の群れから悲鳴に似た声が上がった。テオとソロサバル曹長はそちらへ顔を向けた。数人が人垣から離れ、砂の上でゲーゲーやり出した。
 テオとソロサバル曹長は意図した訳ではなかったが、同時にその光景に背を向けた。

「サメの腹を裂いたんだな。」

とテオが囁くと、曹長が頷いた。

「そうでしょうね。そして嫌な物が出て来た・・・」

 足音が2人に向かって走って来た。

「アルスト先生!」

とカタラーニの声が怒鳴った。

「凄いものを見ちゃいました。サメの腹から人間が出て来たんですよ!」


第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...