ラベル 第2部 雨の神 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第2部 雨の神 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/09/14

第2部 雨の神  6

  テオドール・アルストはケツァル少佐からランチの誘いを受けて、2つ返事で承諾した。少佐は2人の職場から当距離にある小洒落たレストランに席を予約してくれた。普段着で入れるが、料理は手の込んだものを出してくれる人気の店だ。

「ペラレホ・ロハスの処遇が決まったので、お知らせしようと思いました。」

 注文を済ませてから、少佐が切り出した。甘いお話でないことは察しがついていたので、テオは大人しく聞いていた。

「ペラレホはグワマナ族長老会の取調べを受け、取引に応じました。」
「取引?」
「ジョナサン・クルーガーへの制裁を部族に一任すると言うことです。船の当て逃げが起きた時、クルーガーは警察に賄賂を渡し、彼が犯人であると部族が知った時には国外へ逃亡した後でした。ですから、部族は彼に制裁を与えられなかった。結果としてイスタクアテとペラレホが復讐に走ることになったのです。部族はこれからクルーガーに相応の報いを与えるでしょう。」
「部族がペラレホの代わりに復讐してやるんだね?」
「報いを受けさせるのです。」

 少佐は復讐と言う言葉を避けた。恐らく、はっきりとした形でクルーガーに害を与えるのではなく、じわりじわりと苦しみが訪れる形になるのだろう。

「ペラレホはそれを受け入れた。彼はその代償としてどうなるんだ?」
「彼は警察に引き渡され、サン・ホアン村のフェリペ・ラモス殺害の容疑で起訴されます。」
「それは、つまり普通の”ティエラ”として裁かれると言うことか?」
「スィ。彼は遺跡への無断侵入と遺跡荒らしを認め、盗掘を指摘したラモスを殺害したと”自供”しました。」
「”ヴェルデ・シエロ”のことは一切言わずに・・・か。船舶事故のことも言わない訳だな。」
「スィ。ただ遺跡荒らしと殺人の罪だけです。」
「汚職警官を殺害したのも、彼等だろう?」
「それは不問です。何も証拠がありません。グワマナ族も調べようがありません。」

 兎に角、不幸な占い師を殺害した人は裁かれるのだ。

「ペラレホの処遇を教えてくれて有り難う。だが、サン・ホアン村はどうなるのかなぁ。」
「大統領警護隊本部が建設省にオルガ・グランデ北部の地質調査を行うよう勧告しました。あの辺りはオルガ・グランデの水源となる地下水流の支流になりますから、放置する訳に行きません。国とオルガ・グランデ市が大規模な調査に乗り出す筈です。サン・ホアン村は恐らく村ぐるみで移転になると思います。水源枯渇だけでなく、丘陵地の崩落も考慮しなければなりませんから。」
「すると、ラス・ラグナス遺跡が消滅する恐れもあるんだな?」
「スィ。ムリリョ博士が昨日、学術調査の申請を出されました。」

 へぇっとテオは感心した。

「あの人もちゃんと申請を出すんだ!」
「当然です。」

 と言いつつも、少佐も笑った。

「あの遺跡は”ヴェルデ・シエロ”のものではありませんが、コンドルの神像は強い霊力を持っています。博士は気になるようです。マハルダとアンドレも精霊を見ていますしね。」
「俺も見たかったなぁ・・・君は報告で見たんだろ?」
「スィ。綺麗な沼と葦が茂る岸辺の村でした。」

 テオはあの乾いた土地の大空に舞うコンドルと、大地を歩くジャガーを想像した。

「そうだ、一つお知らせがあります。」

と少佐が楽しそうに言った。テオが現実に還って彼女を見ると、珍しく少佐が楽しげな微笑みを浮かべて言った。

「文化保護担当部の欠員補充申請が通りました。若い子が来ますよ!」


 

2021/09/13

第2部 雨の神  5

  トーコ中佐が書類仕事に取り掛かって間もなく、秘書が次の面会者の来訪を告げた。入室を許可するとすぐにケツァル少佐が入って来た。敬礼して、夜の訪問を詫びる彼女を副司令が遮った。

「ギャラガのことだろう?」
「スィ。既にステファン大尉から報告がありましたね?」
「スィ。なかなか面白いではないか。」

 トーコ中佐は書類を閉じた。興味津々で体を机の上に乗り出した。

「君は何時気がついた?」
「気がつきませんでした。」
「ほう?」

 ちょっと驚きだ。彼は思わず言った。

「グラダはグラダを見分けるのではないのか?」
「彼の血の半分は白人です。そしてグラダの血の割合はカイナ族の血より少ないです。ブーカ族の血も混ざっています。正直なところ、初対面の時、彼の出自部族が分からなくて戸惑いました。」
「色々と混血を繰り返してきた家系なのだろう。もしかすると全ての”ヴェルデ・シエロ”の血が混ざっているやも知れぬ。ドクトル・アルストに遺伝子分析を頼んでみてはどうだ?」

 最後は揶揄いだった。先刻ステファン大尉から報告を受けた時、若い大尉の嫉妬心までトーコは読み取ってしまったのだ。大尉は愛する女性を親友の白人に奪われるのではないかと心底恐れていた。恐れる程にケツァル少佐はドクトル・アルストと仲が良いらしい。
 上官の揶揄いを少佐はものともせずに言った。

「遺伝子分析には、比較対象物が必要だそうです。全ての部族のDNAサンプルを採らせて頂ければ彼に分析を依頼出来ますが?」

 トーコは思わず笑った。ケツァルが男達を見ている次元と、ステファンが彼女を見ている次元は違うのだ、と彼は理解した。

「分析にかけなくともわかる。ギャラガが持っているグラダの血はかなり薄いのだろう。しかし薄くてもグラダの力の影響が強いのだ。だから、2頭目のエル・ジャガー・ネグロが現れた。」
「かなり黒が薄いエル・ジャガー・ネグロですが?」
「薄くても、あれは黒いジャガーだ。金色ではない。」
「認めます。」
「では、あの男をグラダ族と認定する。」
「承知しました。」

 ケツァル少佐が微笑した。トーコはドキリとした。この女はまた何か企んでいるな、と警戒した。果たして、彼女は机の方へ上体を傾けた。

「副司令、お願いがあります。」

 トーコは後ろへ上体を反らせた。

「何かな?」
「ギャラガ少尉を文化保護担当部へ下さい。」
「何?!」

 ケツァル少佐は熱弁を振るった。

「半年前に本部がステファン大尉を私から取り上げました。文化保護担当部は目下のところ人手不足に悩んでおります。私は再三人員補充を申請していますが、未だに聞き届けて頂けません。ギャラガ少尉はグラダ族です。彼は今回の任務で能力を目覚めさせました。グラダの力が暴走すると、止められるのはグラダだけです。しかしステファン大尉はまだ修行中で、一番能力の弱いグワマナ族に殴り倒される迂闊者です。ギャラガ少尉が暴走した時に制圧出来るのは私しかおりません。ですから、私が彼を教育します。アンドレ・ギャラガ少尉に文化保護担当部への出向を命じて下さい。お願いします。」

 トーコ中佐が吹き出した。

「最初からそのつもりでここへ来たな、ケツァル?」

 

第2部 雨の神  4

  大統領警護隊本部の正門を守る警備兵は、たまにしか現れないベンツを覚えていた。それでも規則に従い、運転しているケツァル少佐のI Dと緑の鳥の徽章を検め、確認すると敬礼して中へ通した。
 少佐は官舎にぎりぎり近い場所まで車を進め、そこで3人の部下を降ろした。

「私は車を所定の場所に置いてから司令部に行きます。それでは、ご機嫌よう。ブエナス・ノチェス。」

 敬礼して見送る部下達を置いて、彼女は駐車場へ走り去った。
 少佐が去ると、マハルダ・デネロス少尉も男達に向かって挨拶した。

「それでは、私も官舎へ戻ります。お役目お疲れ様でした。ブエナス・ノチェス!」

 ステファン大尉が優しく挨拶した。

「君の応援は頼もしかった。それにかなり成長したな、少尉。また早いうちに一緒に働けることを祈っている。ブエナス・ノチェス!」

 ギャラガ少尉は黙って敬礼した。思えば、女性と気後なく会話していた日々だった。彼が所属している警備班には偶々女性隊員がいないので、入隊以来長い間女性との「世間話」はしていなかったのだ。
 敬礼を交わして、デネロス少尉は官舎へ走り去った。門限まで半時間だった。

「良い子ですね。」

 ギャラガが呟くと、ステファン大尉が頷いた。

「可愛いだろ? 下手に手を出すと承知しないからな。」

 ギャラガはびっくりして大尉を見た。大尉は既に司令部に向かって歩き出していた。少尉は慌てて追いかけた。
 大統領警護隊司令部は24時間稼働中だ。入口で再び身分証の確認が行われ、中に入ると出会う人は皆上級将校ばかりだ。大尉以下はいない。だから誰かが来ると立ち止まって敬礼し、通り過ぎるのを待つ。副司令官の部屋へ辿り着くのに時間がかかった。
 ブーカ族とマスケゴ族のハーフのトーコ中佐は夜間の当番に就いたところだった。その日の昼間の副司令を務めたエルドラン中佐が南のグワマナ族の居住地で起きた事件の収拾に手間取り、引き継ぎが遅れたのだ。その昼間の事件の詳細を読もうとパソコンの報告書を開いたところへ、ステファン大尉とギャラガ少尉の帰還が告げられた。トーコは普通なら部下を待たせて先に報告書を読む主義だったが、官舎の消灯時間を考え、部下を優先させた。
 埃と石鹸の香りを漂わせたステファン大尉とギャラガ少尉が入って来た。敬礼して、大尉が任務終了を告げた。トーコ中佐は頷き、報告せよと言った。
 ステファン大尉がギャラガ少尉を振り返り、命じた。

「少尉、君から行え。」
「失礼します。」

 ギャラガが前に出たので、トーコ中佐は顔にこそ出さなかったが、驚いた。土曜日の朝迄は”心話”を使えず、どこかオドオドした感があった若者だ。だが今彼の目の前に立った少尉は堂々としていた。トーコの目を見て、土曜日から水曜日の夜までの出来事を伝えた。「一瞬」と呼ぶには1秒ほど長かったが、それでも完璧に彼自身が体験し、見聞きしたことが伝えられた。トーコ中佐は大統領官邸西館庭園の「視線」の謎が解明され、解決されたことを知った。それの原因を作ったグワマナ族の漁師ゲンテデマに起きた不幸、北部のサン・ホアン村で事件に巻き込まれた不運な”ヴェルデ・ティエラ”の占い師の不幸も知った。そして、エルドラン中佐の引き継ぎ報告書を読まなくても事態を理解した。
 トーコ中佐はギャラガ少尉を見た。もう君を誰にも”落ちこぼれ”と呼ばせずに済むな、と彼は”心話”で言った。ギャラガは頬を赤くして、「グラシャス」と答えた。
 ギャラガが退がったので、次はステファン大尉が前に出た。失礼しますと言って、報告の”心話”を行った。文化保護担当部、ムリリョ博士、ウリベ教授などの協力を得たことや、隙を作って敵の捕虜になったことも全て語った。協力を求めることは恥ではない。ただ捕虜にされたことは、中佐のお気に召さなかったことは確かだ。

「ケツァルとドクトル・アルストがいなければ、君は殺されていたかも知れない、と言うことだな。」

と指摘されて、彼は素直に認めた。

「またドクトルに助けられました。私が彼を守るべき立場であるのに・・・」

 ふふっとトーコが笑った。その笑みの意味を理解出来ずにステファン大尉が彼を見返すと、副司令官は言った。

「あの”ティエラ”の学者は、君の護り刀なのだろうな。きっとこれからも君と良きコンビになるだろう。」

 その言葉の意味を測りかねてステファンは上官を見つめたが、トーコ中佐は既に次の事案に取り掛かった。

「コンドルの怒りを鎮めたのは良かったが、君達がその荒地に雨を降らせる義務はなかっただろう。」
「そうですが、殺された占い師の霊を慰める為にも、少しだけでもあの地に潤いを与えたかったのです。」
「井戸の枯渇は地下水流の変化なのだな?」
「地揺れが頻発していることを考えると、それ意外に思いつきません。」

 トーコは少し考え込んだ。

「地質学院が群発地震に気がついていながら建設省に何も勧告しないのは由々しきことだ。 場所はオルガ・グランデに近い。あの都市に地震が起きないとも限らない。建設省に一言声をかけておかねばなるまい。」

 そして、2人の部下に視線を戻した。

「簡単に済むと思った事案が思いがけず深いところに原因があった。2人共、よくやった。特別任務を解く。本来の持ち場に戻ってよろしい。」
「失礼します。」

 ステファン大尉とギャラガ少尉は敬礼して副司令室を出た。ケツァル少佐はまだ来ていなかった。2人は官舎に向かって歩き出した。

「警備の時間割を思い出した。」

 大尉が溜め息をついた。

「睡眠時間が2時間しかない。これはきついな。」

 ギャラガは己の時間サイクルが大尉の2時間遅れであることを思い出した。

「私は4時間眠れます。」
「そう考えるのは甘いぞ。」
「え?」
「班は私達が抜けた人数で当番を回している。レギュラーの時間で考えるなよ。」

 ああ・・・とギャラガは天井を見上げて呻いた。計算すると大統領官邸の館内勤務の当番が回って来そうだ。絶対に居眠り出来ない任務だった。


2021/09/12

第2部 雨の神  3

  宴会が早々にお開きになったのには理由があった。一番の理由は明白な事実、即ち、「今日は水曜日」だった。週末ではないのだから、遅くまで飲み食いして騒いでは翌日の仕事に差し支える。テオは木曜日の講義の準備を思い出し、満腹になると一番最初に帰った。少佐がアパートの出口迄見送りに出て行ったので、ステファン大尉がまた拗ねてしまい、ロホに揶揄われた。

「休みをもらった時に会いに来ないから、冷たくあしらわれるんじゃないか。」

 アパートの出口では、テオが殺人事件の解決に協力してくれた礼を少佐に告げていた。 

「だけど、根本的な問題は解決されていないな。サン・ホアン村の水源枯渇問題だ。アスルの調査では、あの近辺は最近小規模な地震が群発しているそうじゃないか。雨乞いだけでは追いつかないだろう。」

 少佐もそれを認めた。

「オルガ・グランデの市役所に通知して村の移転を考えてもらうことになるでしょう。」
「やっぱり移転しかないか?」
「地下水脈を動かすことは、私達には不可能です。」

 人口が希薄な荒地に上水道を引く価値を、地方行政府が見出すことは期待出来なかった。それでも水不足が深刻な状態へ進みつつあることが村の外に知れたことは救いだ。病気の発生や農作物の不作による貧困を防ぐ手立てを考えることが出来る。

「当分は給水車の派遣を行うでしょうね。」

 給水車を所持しているのは陸軍基地だ。あの基地の司令官は色々することが多そうだ、とテオは思った。

「兎に角、今週は親父に殺人事件の犯人が捕まったと報告出来る。グラシャス、少佐。皆にも感謝を伝えておいてくれ。 では、ブエナス・ノチェス。」
「ブエナス・ノチェス。」

 ケツァル少佐はテオの唇に軽く触れる程度にキスをして、すぐに建物の中に戻って行った。その光栄にテオはしばし余韻に浸り、それからステファン大尉が呪い人形を作ろうと思い立たないうちにと、足早に帰途に着いた。
 テオの次に帰宅したのはロホだった。ビートルを運転する気力が残っているうちに、と彼は上官に挨拶し、仲間にも挨拶して帰って行った。
 アスルは家政婦のカーラと後片付けを始め、少佐は残りの部下達を促して階下へ降りた。


第2部 雨の神  2

  ケツァル少佐の高級コンドミニアムの玄関チャイムが鳴った時、テオとデネロス少尉は大急ぎで戸口に向かった。ドアを開けると、いきなり白塗りの奇妙な化粧をした男が3人、先を争うように雪崩れ込んできた。1人がカルロ・ステファンの声で怒鳴った。

「少佐! バスルームを使わせて頂きます!」

 3人はテオの手に次々と鞄を押し付け、再び先を争って浴室へ走って行った。テオは呆然とその後ろ姿を見送り、それからデネロスを見た。彼女がクスリっと笑った。

「ナワルが解けると眠くなるので、必死でぶっ倒れないうちに帰って来たんですね!」

 キッチンでは、家政婦のカーラの手伝いをしていたアスルが、彼女に囁いた。

「今何か見たか?」
「何も見てませんよ。」

 カーラは大鍋の中を大きな杓子でかき混ぜながら言った。

「私はこの家の中で聞いたり見たりしたことは、何もなかったと思うことにしていますから。」
「俺は貴女が好きだよ。」

 アスルはカーラのふくよかな頬にキスをした。カーラが微笑んだ。

「ここで働いていると、退屈しませんからね。」

 テオが居間に3個の鞄を抱えて戻ると、ケツァル少佐はソファに座ってテレビを見たまま尋ねた。

「3人共無事にナワルを使って人間に戻った様ですね?」
「スィ。アンドレもフラフラだったから、恐らく生まれて初めて変身したんじゃないか。」

 彼女が時計を見た。

「出発して3時間で戻って来ましたから、ジャガーでいた時間は正味1時間足らずでしょう。すぐに寝込んだりしません。夕ご飯を食べさせてから、マハルダと一緒に本隊に送り届けます。」
「それじゃ、今夜も君はアルコール抜きなんだな?」
「官舎組もお酒は抜きですよ。」

 えーっとデネロス少尉がわざとがっかりした声を出した。彼女は砂漠から戻ってきた男達が砂を廊下に落としたので、掃除機を持ち出したところだった。

「ビール1本ぐらいは許可下さい、少佐!」
「2本まで許可します。」
「グラシャス!」

 浴室の方から賑やかな男達の声が聞こえてきた。少佐が「子供の水浴びか!」と呟いた。
テオは”出口”が出現したと思われるピラミッド近くにロホの中古のビートルをデポしてやったのだが、ロホ達は誰にも見咎められずに乗り込めただろうか、と思った。恐らくラス・ラグナスで服を着てから”入り口”に入った筈だが、顔が白塗りのままだった。あの顔で緑の鳥の徽章を提示するのは気後するだろう。いくらセルバ共和国が古代の信仰を残す国だからと言って、平日の夜に都会の真ん中を雨乞いの儀式の格好で歩く人はいない。
 軍隊の入浴に慣れている男達は素早く体から砂と埃を落として、まだ埃っぽい服を身につけて居間に入って来た。最初にロホが少佐の前に立ち、”心話”で首尾を報告して、敬礼した。少佐が頷くと、彼は退がり、ステファン大尉と入れ替わった。大尉も”心話”で報告し、それから改まった口調で挨拶した。

「この度は多大なるご尽力をいただき、誠に感謝しております。」

 それに対する少佐の返答はテオの耳には冷たく聞こえた。

「私も司令部に報告することがありますから、全て語りますよ。」

 失敗も成功も隠すことなく上層部に報告すると言うことだ。しかしステファン大尉の顔に不満を表す色はなかった。彼は穏やかな表情で、グラシャスと応え、敬礼した。少佐は敬礼で応え、ギャラガを見た。大尉が退がって、少尉を前へ押し出した。ギャラガも”心話”で遺跡で見たままのことを報告した。自分が2頭の美しいジャガーを目の当たりにしてどんなに興奮してしまったかも伝えてしまったので、彼は恥ずかしくなって最後はうっかり目を伏せてしまった。少佐が指摘した。

「その目を伏せる癖はどうにかしなさい。」

 叱られて彼は顔を上げ、承知と応えた。少佐が言った。

「日曜日の朝、ここへ来た貴方はほとんど何も出来ない自信のないただの若造でした。今、水曜日の夜の貴方は基本をマスターして胸を張って仲間の元へ帰ることが出来るのです。短い日数でよく学習しました。これからも任務に励んで修練に努めなさい。努力は必ず報われます。」
「お言葉を胸に留めておきます。有り難うございました。」

 ギャラガは敬礼した。少佐が敬礼を返してくれた。
 アスルとカーラが料理の器を運んで来た。大勢で食事する時は居間で宴会状態になる。”ティエラ”のテオは少佐にお願いをしてみた。

「カーラも一緒に食べて良いかな?」

 家政婦が、とんでもない、と手を振ってキッチンへ戻った。しかし少佐は彼を見て微笑んだ。

「貴方が望むなら、喜んで。」

 どうして少佐はテオの「お願い」をいつも受け入れるのだろう? ちょっと嫉妬しながら見ているステファンに、ロホが囁きかけた。

「私の報告に少佐は驚かなかった。君も報告しただろ?」
「スィ。」

 我に帰ったステファンは生返事したことに気がつき、慌てて友人に問いかけた。

「何の報告?」

 ロホが目で窓際の席を指した。そこではデネロスとアスルがギャラガにセビーチェの食べ方を指導していた。ただの魚の料理なのだから、そんな必要はないのだが。
 ロホが声を落とした。

「アンドレのナワルだ。」
「ああ・・・」

 ステファンは微かに身震いした。

「なんだか良い意味で悪い予感がする。」
「なんだ、それ?」



 

 

第2部 雨の神  1

  ”出口”から出た瞬間、カルロ・ステファンは緊張した。一瞬警戒して背後を見てしまった程だ。先に”着地”していたロホが彼の動きに振り返り、肩をすくめた。ステファンに続いてギャラガが現れた。もう少しで上官を突き飛ばしそうになり、上体を後ろに反らしてよろめいてしまった。ロホが笑った。

「すぐに前に出ないカルロが悪い。」
「どうせグラダは”着地”が下手さ。」

 大尉は憮然とした表情で呟いた。彼が不機嫌なのは、着地のマズさだけではなかった。服装も気に入らなかった。片手に下げている鞄の中には普段着と靴が入っているが、今の彼は半裸状態だ。それはロホもギャラガも同様だった。現代のセルバ人の民族衣装はちゃんとズボンを履いてシャツを着て色彩豊かなポンチョを着用するのだが、今回ロホが要求したのは、古代の儀式用の装いだった。白い褌に首、手首、足首にビーズの輪っか、羽飾りの付いた冠だ。顔にはペイントだ。ステファンはゲバラ髭を生やしているので剃れと言われるのかと内心ヒヤッとしたが、それはなかった。しかしペイントの免除はなく、植物の樹液から作られた顔料で白塗りされて、青い模様を描かれた。ギャラガと互いの顔を見合って思わず笑った程、滑稽に見えた。同様の装いのロホは真面目だ。実家へ帰ってわざわざ年寄り連中から聞いてきたと言う儀式手順を大尉と少尉に教え、シェケレとグィロの演奏の仕方も教えた。
 現地に到着すると、ロホはすぐに帰りに使う”入り口”を探した。”出口”ができれば自然と”入り口”が近くに生じるのだ。ステファンはその法則を知っているがブーカ族ほどに”入り口”を見つけるのは得意ではない。ギャラガも犬みたいに周辺を探し回り、結局ロホが帰り道を見つけた。その前に荷物を置いておき、コンドルの神像がある場所へ行った。
 コンドルは砂に塗れて以前と同じ場所に立っていた。ロホは右目の穴を丁寧に掃除して、そこに回収された目玉を嵌め込んだ。戻ってきた目玉は隙間が生じ、風化した神像に不似合いに見えた。ロホは気にせずに神像の前に花を盛り付け、保冷バッグから新しい豚の心臓を出して置いた。
 数歩退がり、立ったままで古い”ヴェルデ・シエロ”の言語で歌い始めた。2小節目でステファンとギャラガは楽器を鳴らした。ロホが歌い、2人が音を立て、3人で並んでゆっくりと輪になってリズミカルに神像の前で回った。
 もしギャラリーがいたら照れ臭くて出来なかっただろうが、誰もいないのだ。ギャラガは頭を空白にして、教わった通りのリズムでグィロを鳴らし続けた。先頭のロホは歌いながら優雅に腕を動かして踊っていた。それを見るともなしに視野に入れていると、少しずつ手の動きが緩慢になってきた。早くも疲れたのかとギャラガは己の不甲斐なさに呆れかけた。ロホが腰を前に折った。彼は踊りながら冠を取り、空中へ放り投げた。ギャラガは鳥の羽根の冠が鳥になって飛び立ったのを見た様な気がした。続いてステファンのシェケレの音が止み、彼も冠を取って投げた。今度は鳥がはっきりと見えた。緑色の鳥が飛び立って行った。ギャラガの手が重くなり、彼はグィロを落とした。頭が締め付けられる。冠を取り、彼も投げた。鳥の羽ばたきの風を感じた。
 気がつくと、ロホとステファンの姿がなかった。ギャラガの前を歩いていたのは、金色の生地に黒い斑模様が美しいジャガーと、漆黒に輝く毛皮の黒ジャガーだった。ギャラガは呆然と見つめながらその後ろをついて行った。己が四つん這いになっていることに気が付かずに。


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...