2022/07/29

第8部 贈り物     8

 「だが、それにしてもどうしてネズミの神様が雨の神様なんだろ?」

 テオが素朴に疑問に感じたことを口に出すと、デネロスはニヤリと笑った。

「ネズミと言うのは便宜上の表現です。本当はアーバル・スァット様はジャガーなんですよ。」
「やっぱりそうか!」

 中南米では、ジャガーは雨を降らせる霊的な動物と考える部族が多い。ゴロゴロと喉を鳴らす音が雷を連想させるのだろうとヨーロッパの学者達は考えている。

「昔の彫刻はデフォルメされているし、長い歳月の間に摩耗して原型が分かりにくくなっていますからね。」

 デネロスはタコの唐揚げをモリモリと食べた。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は頭足類を食すことを好まないが、メスティーソ達は好きだ。

「元々あの神像を作ったのは”シエロ”だと言われています。オスタカン族に授けられて、神殿に祀られていたんです。だから、あの神様は”シエロ”の言うことは聞くのです。粗末に扱われて怒り狂わない限りはね。」
「”ティエラ”では制御出来ないのか?」
「無理です。丁寧にお祀りして願い事をすれば叶えて下さいますが、雨のことだけです。お金儲けや恋愛成就はありません。そして一旦怒らせると、もう”ティエラ”では手がつけられません。これは、過去のオスタカン族に伝わる昔話にも数回あります。その都度彼等は”シエロ”を探してきては、神様のお怒りを鎮めてもらったのです。」

 その説明には重要な要素が含まれていることにテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は古代に滅びたと言うのが定説、とセルバ人は公言しているが、本当はまだ生き残っていることを知っているんだ、と彼は気がついた。言い伝えとして知っているのではなく、今も生きていると確信している。

 バルデスも大統領警護隊が”シエロ”と話が出来る人々ではなく”シエロ”そのものだと知っているんじゃないのか?

 だからバルデスはケツァル少佐やロホ達に逆らわない。大統領警護隊だから逆らわないのではなく、”ヴェルデ・シエロ”だから逆らわないのだ。

 ってことは、バルデスは、伝説の神様が霊的存在ではなく、生身の人間だってことも知っているんだ・・・

 それが良いことなのかこちらにとって都合の悪いことなのか、テオは判断しかねた。

 だが少佐達は、そんなことなどお見通しなんだろうな・・・

 無条件に神様扱いされて平伏されるより、こちらの弱点を知られている方が却って利用しやすいこともあるに違いない。例えば洞窟探検の装備を準備してもらうとか、インターネットを使った調査をしてもらうとか。バルデスは善人と呼べないが、セルバと言う国を裏切ることはしない人間だ。”ヴェルデ・シエロ”を裏切るとどうなるか、彼は知っている。
 その彼が、ネズミの神様を盗まれて困っているのだ。神罰を恐れているに違いない。

2022/07/28

第8部 贈り物     7

 「急に慌ただしく先輩達が出動になってしまったので、言いそびれたんですけどぉ・・・」

とマハルダ・デネロスが言った。翌日の夕方、テオが彼女を夕食に誘った時のことだった。ケツァル少佐、ロホ、アスル、それにギャラガがオフィスから出て行ってしまったのがお昼だった。デネロスは日曜日の官庁で1人で書類仕事をして、隣の文化・教育省、文化財・遺跡担当課の職員の応援も受けずになんとか週明けの分を先に片付けてしまった後だった。
 テオは彼女といつものバルで2人で夕食前のツマミとワインを楽しんでいた。

「もうドクトルはご存知ですよね? アリアナに赤ちゃんが出来たこと・・・」
「スィ。少佐も知っている。2人で一緒に伝えられた。」
「それじゃ、名付け親も頼まれました?」
「少佐がね、女の子の場合に・・・」
「ドクトルは?」
「男の子はパパ・ロペスだよ。」

 ああ・・・とデネロスは頷いた。

「そうなるでしょうね・・・」
「不満かい?」

 テオが顔を覗き込むと、デネロスが苦笑した。

「私、名付け親になりたかったんです。」
「名前を考えているのか?」
「スィ。」
「それじゃ、少佐にその名前を言ってみたらどうだ?」
「駄目ですよ。それじゃ少佐が名付け親になれません。」

 それなら、とテオはワインをごくりと飲んでから提案した。

「2人目はどうだい? 次の子供の時の名付け親の権利を予約しておくとか?」

 デネロスが笑った。

「予約? 良いですね!」

 彼女はワインを一気に飲み干した。

「ロペス少佐にもっと頑張って頂かないと。」

 いつもの彼女らしくない物言いだ。恐らくネズミの捜索から仲間外れにされて、内心くさっているのだろう。テオは助っ人が来れば少しは気が紛れるだろうと思った。

「助っ人はいつから来るんだい?」
「月曜日の予定です。」

 デネロスは余り期待していない。カルロ・ステファン大尉以外は誰が来ても考古学に関して素人だ。遺跡に関する知識を一から教えなければならない。その労力を想像して、今から疲れを感じているのだろう。

「飲み込みの早い人だと良いな。」
「遊撃班ですから、頭は良いと思いますよ。」

 デネロスはワインのお代わりを注文した。

「ただ、偉そうにされると、こっちは嫌なんですよ。」

 遊撃班は大統領警護隊のエリート集団だ。警備班などは見下されている感じがある。

「文化保護担当部もエリートだ。気負い負けするなよ。」

 

第8部 贈り物     6

  テオは事件の捜査に加わりたいと思った。しかし、彼には彼の仕事があった。半年後にヨーロッパで開かれる遺伝子学会に出席しないかと生物学部長から打診を受けていた。プロの遺伝子学者として世界に出るチャンスだ。テオは昔から出てみたかった。アメリカ時代は軍の施設にいたので、表だった研究活動の発表が出来なかった。彼が携わった研究はどれも「国家機密」だったからだ。セルバ共和国に亡命してからは、身の安全の為に国外に出ることを許されなかった。だが・・・

「もう世界に出ても良い頃じゃないかね?」

と学部長が言ってくれた。テオが研究しているアメリカ先住民と肉体労働の遺伝子レベルにおける関係、つまり植民地時代に鉱山などの労働に駆り出された先住民が肉体労働に不向きで絶滅に追い込まれた歴史を、遺伝子による筋力の強さで解明しようと言う試みを、発表してみないか、と言うことだ。テオはオルガ・グランデの鉱山会社で働く労働者の中で先住民系の人々が健康被害を受け易いことを心配し、同じ労働条件の他の人種の労働者とどう異なるのか、調べていた。つまり、遺伝子レベルで労働者の体質改善と健康維持を探求しているのだ。
 学会に出てみないかと言う誘いは大変有り難かった。しかし、まだ世界に発表出来る段階迄遺伝子レベルでの解明が出来ていない。テオは返事を1週間待って下さいと学部長に告げたばかりだった。
 彼が話し合いに乗ってこないので、ケツァル少佐は仕事との両立で悩んでいるなと察した。

「ネズミの行方が全く掴めていない段階で、ドクトルが参加されても意味はありません。」

と彼女は言った。テオは黙っていた。デネロスが彼の手に己の手を重ねた。

「2人で留守番しましょう、ドクトル。」
「・・・そうだな・・・」

 テオは仕方なく頷いた。

「俺は白人だし、マハルダより遥かに弱いからな。」

 アスルが立ち上がった。

「それじゃ、私はマハルダに引き継ぐ書類の整理をします。明日の昼迄に渡せるよう努力します。」

 ロホとギャラガも同様に席を立った。

「助っ人がオフィス仕事に向いている人だと良いですね。」

とギャラガが先輩を慰めた。 デネロスは肩をすくめた。

「カルロだったら良いけど、期待はしないわ。遊撃班の副指揮官が来てくれる筈ないもの。」

 だが遊撃班は人員不足の部署に助っ人を出す部署だ。文化保護担当部が応援を求めれば、セプルベダ少佐は適材適所で誰かを寄越すだろう。
 ケツァル少佐が考えた。

「申請書類は多いですか?」
「例年通りです。一月ぐらい溜めても大丈夫でしょう。」

とロホ。テオは突然各国の遺跡発掘許可申請がなかなか通らない本当の理由を悟った。大統領警護隊文化保護担当部は審査が厳し過ぎるのではない。申請書類の審査以外の仕事が生じると、そちらを優先するので、書類は後回しにされるのだ。”ヴェルデ・シエロ”にとって、遺跡調査より遺跡を守る方が先決だ。遺跡から持ち出された物を探し、回収して、元の場所に戻すことが最優先される。
 少佐が呟いた。

「助っ人は1人で十分ですね。」


2022/07/27

第8部 贈り物     5

 「ネズミの神様は盗まれる時に抵抗しないんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が素朴な疑問を投げかけた。ロホが肩をすくめた。

「丁寧に運べば、神様は怒らない。元々アーバル・スァット様は雨が降らなくて困っている村を巡って祀られた神様だから、移動すること自体は問題ないんだ。それが輿ではなくダンボール箱に詰められたり、乱暴に扱われるとお怒りになる。」
「それじゃ、今回の泥棒は静かに神像を運び出したけど、警備員には負傷させたんだな。」

テオが言葉を挟んだ。大統領警護隊ではないが、文化保護担当部には準隊員みたいに参加を許されていた。

「警備員の証言はどうなんだ?」

とアスル。ケツァル少佐が携帯の画面を眺めた。

「バルデスはその件に関して報告していません。彼も現場から遠い場所にいますからね。」
「オスタカン族が住んでいた地域は、オクタカス遺跡に近いです。」

とギャラガが地図を見ながら呟いた。

「警備員はデランテロ・オクタカスの病院にいる筈です。バルデスより先に事情聴取したいです。」

 少佐は黙ってまだ携帯の画面を見ていた。テオが覗き込むと、遺跡の写真だった。小さいのでよくわからないが、アーバル・スァット様が写っているのだろう。テオはアンゲルス邸でネズミの神様の負の力を感じたことがあった。遠く離れていても気分が悪くなる、強力な怒りの力だった。
 少佐が顔を上げた。

「まず、事件発生の経緯を調べましょう。アンドレは警備員に事情聴取して下さい。ロホは各地の空港でネズミの気配を探すこと。アスルは故買業者の動きを探りなさい。」
「私は?」

とデネロス。少佐が冷たく言った。

「貴女はオフィスの留守番です。」
「ええ! どうしてですかぁ?」

 物凄く不満な表情を遠慮なく顔に出してデネロスが抗議した。

「アンドレが事情聴取で私が留守番だなんて・・・」
「全くオフィスを無人にする訳に行かないだろ。」

とアスル。

「必ず誰かが留守番をするんだ。」
「それなら、アンドレが・・・」
「アンドレはグラダ族です。」

 少佐がピシャリと言い放った。デネロスが頬を膨らませたまま黙り込んだ。ロホが説明を加えた。

「アーバル・スァット様はそんじょそこらの悪霊とは威力が違う。君は白人の血の割合が多いし、若い女性は悪霊が好む贄だ。頼むから、オフィスで後方支援に励んでくれ。」

 するとアスルも言い添えた。

「前回アーバル・スァット様がロザナ・ロハスに盗まれた時は、カルロが留守番したんだ。彼はあの時能力を自在に使えなかったから。それにミックスは神様と対峙するとどうしても弱さが出る。」

 少佐がニヤリと笑って提案した。

「留守番1人では荷が重いでしょうから、遊撃班から1人寄越してもらいましょう。マハルダ、その人の指導をお願いします。」

 テオはその助っ人がカルロなのだろうか、デルガド少尉だろうか、と想像した。


2022/07/26

第8部 贈り物     4

  アーバル・スァット・・・セルバ先住民オスタカン族の言葉で「雨を呼ぶ者」と呼ばれる石像がある。オスタカン族はもう殆ど絶滅しかけており、メスティーソが大半を占めるアケチャ族(東海岸地方一帯に住む民族)に同化されつつあった。彼等には先祖の文化を守ろうと言う気概が殆どなく、オスタカン族の遺跡を調査・研究しているのはアケチャ族のセルバ人と言う為体だ。だからネズミによく似た形状の神像アーバル・スァットが盗掘された時も、オスタカン族ではなくアケチャ族の地元民、詳しく言えば現地の官営学校で歴史を子供達に教えている教師が盗難に気がついた。オスタカン文化の遺跡は少なく、殆どは農民の集落のものだったので、宝物と呼べる様な物はないのだが、神像は別だ。中南米の彫刻や彫像、土器等をコレクションして喜ぶ外国人が多い。特に滅多に外国の学術調査が入ることを許さないセルバ共和国の遺跡から出土した物は希少価値が高く、コレクターの間で高値で取引される。郷土史家の教師は直ちに大統領警護隊文化保護担当部に神像の盗難を通報した。
 大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐は、アーバル・スァットが唯の石の神像でないことを知っていた。元は古代の”ヴェルデ・シエロ”が神と崇めた水の精霊が住まう聖なる川、オルガ・グランデの地下、最も深い位置に流れる地底の川の石から彫り出した、本当に神様が宿る石像だったのだ。古代の”ヴェルデ・シエロ”が、支配する”ヴェルデ・ティエラ”に下賜した水のお守りだ。守られるべきオスタカン族がいなくなり、石像は静かにジャングルの中で余生を送っていた。しかし欲深い盗掘者が、珍しい奇妙なネズミの形の石像を遺跡から持ち出してしまったのだ。
 アーバル・スァットは眠りを妨げられ、悪霊となった。正しい祀り方をしない人々にその霊力を発揮して、思いっきり祟ったのだ。石像に触れた者、近づいた者は次々と原因不明の病気になり、生気を奪われ、最悪は死に至った。
 「ネズミ」の暗号名の石像を追跡したケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の部下達は、オルガ・グランデのミカエル・アンゲルスの屋敷で遂に神像を奪還することに成功した。己のボスだったミカエル・アンゲルスを神像を用いて呪殺することに成功したアントニオ・バルデスは、神像の後始末が出来ずに途方に暮れていた。だから大統領警護隊の介入を、さも迷惑そうにしながら、内心は大歓迎、大感謝した。
 神像を回収し、神様の荒御魂を鎮めてお怒りを収めて頂くことに成功した大統領警護隊文化保護担当部は、アーバル・スァットを元の遺跡に戻した。そしてバルデスに神様を利用した罰として、遺跡に警備を付けることを約束させたのだ。バルデスも己が神様に祟られるのは御免だったから、真面目に役目を果たしていた。正規の警備を雇って、遺跡の管理をさせていたのだ。しかし・・・

「その警備員が何者かに襲われ、重傷を負わされ、ネズミの神様が盗まれたそうです。」

 電話で事件を知らされたケツァル少佐は、テオにそう伝えた。テオはことの重大さにすぐ気がついた。アーバル・スァットは小さな石像だが、呪いの威力は半端ない。

「すぐに探さなきゃ・・・」
「当然です。」

 少佐は携帯のメッセージを部下達に一斉送信した。

ーー1800に私の部屋に集まれ!


2022/07/25

第8部 贈り物     3

  帰りの車の中で、テオはケツァル少佐にパパ・ロペスが彼女に何と囁いたのかと訊いてみた。少佐はらしくもなく照れて見せてから答えた。

「もしロペス家に女の子が生まれたら、私に名付け親になって欲しいと仰ったのです。」
「名誉なことだな!」
「スィ。私は両親が罪人でした。ですから、礼儀として一旦お断りしたのですが、それでも構わないからと仰って。」
「男の子の場合の名付け親は・・・パパ・ロペスなんだろうな?」
「一族の風習に従えば、そうなります。シーロのお母様は早くに亡くなっていますから、本来は母系の伯母が女の子の名付け親になるのですが、親戚筋に女性がいないそうです。」
「そう言えば結婚式にロペス家の親戚ってあまり来ていなかったな。白人との結婚に反対なのかと思ったが・・・」
「私達一族は実際のところ出生率が低いのです。幼児の生存率も低く、子供が成人する迄育つ様になったのは、最近のことです。兄弟が大勢いるロホは例外なのですよ。パパ・ロペスのご兄弟も子供時代に亡くなってしまったのです。」
「マハルダも兄姉が多いけど・・・」
「あの家はメスティーソですから。」

 名誉な依頼の話はともかく、もう一つテオには疑問があった。

「セルバでは母親の姓が子供に受け継がれるだろ? ロペス家の子供はオスボーネ(オズボーン)になるのかい?」
「名乗る時はオスボーネ・ロペスになるでしょう。でも子供達が将来どちらの姓を選択するかは、その時にならないとわかりません。現在の法律では好きな方を選べます。」
「それじゃ・・・」

 テオはちょっと緊張した。

「君と俺の間に子供が出来たら、その子は、ケツァル・ゴンザレス? それともミゲール・ゴンザレス?」

 少佐が笑った。

「ケツァル・アルストもありますよ。」
「うーん・・・」

 テオは運転しながら頭を悩ませた。

「やっぱり子供に選ばせた方が良いなぁ・・・」
「その前に結婚しなければ。」

 少佐がウィンクした。テオはドキドキした。ケツァル少佐の養父母は富豪だが、愛娘が大袈裟な挙式を行うことを好まないと承知している。このまま役場へ行って婚姻届を出してしまっても、文句を言わないだろう。しかしテオはまだ薄給の准教授だ。少佐の収入の方が遥かに高く、つまらぬプライドだと承知していても、やはり彼女より稼げる様になる迄結婚を我慢したかった。
 それとも独身と言う身分に未練があるのか?
 その時、少佐がハンドバッグから携帯電話を取り出した。画面を見て、首を傾げた。

「アンゲルス鉱石のバルデス社長からです。」
「え?」

 思いがけない人物からの電話だ。テオもびっくりした。バルデスは善人とは言えないが、セルバ共和国への愛国心は持っている。大企業の社長だが、見方によってはマフィアの首領とも言える。テオと大統領警護隊の友人達にとって、敵ではないが、味方でもない、場合によって協力してくれるが見返りが必要と言う相手だった。お気軽に電話で話をする相手でないことは確かだ。
 ケツァル少佐が電話に出た。

「オーラ・・・」
ーーケツァル少佐!

と挨拶抜きでバルデスが話しかけてきた。

ーー一大変です、ネズミが姿を消しました!!



第8部 贈り物     2

  最初はシャンペンで乾杯した。シーロ・ロペス少佐が招待に応じてくれたテオとケツァル少佐に感謝を述べ、それから客を招くことを許可してくれた父親に敬意を表した。それでテオもお招きに対する感謝を述べた。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな? 今ここで訊いても良いのかどうか知らないけど。」

 彼がそう言うと、驚いたことに、パパ・ロペスも言った。

「儂も知りたい。お前達は何を企んでいるのだ?」

 シーロ・ロペスが珍しく頬を赤らめた。彼が助けを求めるように妻を振り返ったので、アリアナが苦笑して、そして答えた。

「私達、子供を授かりました。今、3ヶ月です。」

 ほほーっとパパ・ロペスが声を上げ、ケツァル少佐が立ち上がってアリアナの席に駆け寄った。

「おめでとう!」
「グラシャス!」

 テオも思わずロペス少佐の手を掴んで激しく揺さぶった。

「おめでとう! 遂に父親になるんだな!」

 ロペス少佐は照れてしまい、小さな声で「まだ生まれていません」と呟いた。テオはパパ・ロペスにも祝辞を告げ、握手した。アリアナがテオに囁いた。

「素直に喜んでくれるのね?」
「当たり前じゃないか!」

 テオは彼女の前に立った。ケツァル少佐から彼女の前の位置を譲ってもらい、義妹を抱きしめた。

「血は繋がっていなくても、君は俺の可愛い妹なんだ。君に子供が出来たら、俺の甥や姪になるんだよ。俺は伯父さんになれるんだ!」
「シーロと私の子供・・・」
「どんな子供だろうと、素晴らしい子供に決まってるさ!」

 彼は改めてロペス少佐を振り返った。

「守るべき者が増えますが、貴方も体を大切にして下さい、少佐。」

 するとロペス少佐が言った。

「今日からシーロと呼んで下さい。私も貴方をテオと呼びたい。」

 テオは思わず堅物の少佐を抱きしめた。

「俺の弟だ!」

 ケツァル少佐はそれを微笑みながら見ていたが、彼女の耳にパパ・ロペスが何やら囁くと、頬を赤らめた。

2022/07/24

第8部 贈り物     1

  セルバ人は気さくに友達を自宅に招くが、”ヴェルデ・シエロ”が必ずしもそうであるとは限らない。大昔から周囲に自分達の正体を隠して生きて来たこの種族は、こいつは信頼できる、と確信が持てなければ自宅に招き入れない。大概の場合は、自宅近くのレストランなどへ友人を連れて行って、そこで奢ってあげる、と言うのが定石だ。メスティーソの人口比率が高い”ティエラ”(普通の人間)は、”ヴェルデ・シエロ”の一族を「少しばかり警戒心の強い伝統的な先住民」と見做しているので、気にしない。それに”ヴェルデ・シエロ”系のセルバ人は本当に数が少ないので、存在を気づかれることも滅多にないのだった。
 外務省出向の大統領警護隊司令部所属のシーロ・ロペス少佐がケツァル少佐とテオドール・アルストを自宅へ食事に招待した時、テオもケツァル少佐も正直なところちょっと驚いた。ロペス少佐は大統領警護隊の中でも堅物として知られており、彼と同期で仲が良かった隊員でもロペス少佐の実家に招かれたことがなかった。それが丁寧に日時の都合を尋ねて来て、土曜日の午餐の約束を取り付けたので、テオとケツァル少佐は何事だろうと訝しく思った。
 当日、テオは失礼にならない平服で花を、ケツァル少佐も軽い柔らかな素材のワンピースにワインの瓶を仕入れて、彼女の車で郊外にあるロペス家の邸宅へ向かった。
 ブーカ族の旧家であるロペス家はコロニアル風の一戸建てだった。白い土壁のフェンスに囲まれ、フェンスには蔦が絡みついて赤い花が咲き乱れていた。大邸宅と呼べるほどの広さはなかったが、門を入って駐車するスペースが5台分あり、庭は緑の芝生と花壇が美しく配置されていた。午餐会は蔦植物を這わせたパーゴラの下に設置されたテーブル席に用意されていた。ロペス少佐の妻のアリアナ・オズボーンとメイドが料理を並べていて、客の到着に気がつくと、家の中に向かってアリアナが声を掛けた。

「シーロ! いらしたわ!!」

 直ぐに玄関の扉が開き、軽装のシーロ・ロペス少佐が姿を現した。テオはプライベイトな招待の場合、軍人同士どんな挨拶をするのだろう、とちょっと疑問を抱いたが、2人の少佐は普通に先住民様式の挨拶を交わしただけだった。ロペス少佐は堅物だが、家族以外の男女が気軽に言葉を交わすことを気にしていない。また年齢の上下にもこだわらなかった。テオは彼と握手を交わし、招待に対する謝辞を述べた。そこへエプロンを外したアリアナがやって来て、今度はケツァル少佐とテオにハグで挨拶した。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな?」

 テオが義妹に尋ねると、アリアナは意味深に夫と視線を交わし、それから微笑んで「スィ」と答えた。
 リビングは涼しく、シンプルだった。普通の一般家庭と変わらず、テレビやオーディオセット、ソファなどが置かれていて、天井で大きなファンがゆったりと回っていた。ソファの真ん中で腰を据えてテレビを見ていたロペス少佐の父親が客を見て頷いた。ケツァル少佐は彼の前に行き、右手を左胸に当てて上体を軽く前に傾け、目上の人に対する挨拶をした。息子の結婚式で彼女とテオに既に会っていたパパ・ロペスはまた頷き、それから立ち上がって白人のテオに握手で挨拶した。旧家の当主が異文化の挨拶をしたので、テオはちょっと驚いたが、息子の少佐は特に驚いた風もなく、客と父親に庭へ出るよう促した。

2022/07/22

番外 2 その3

 登場人物紹介


第7部


デミトリオ・アレンサナ

”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を持っているが、夜目しか使えない普通のメスティーソ。陸軍軍曹。


アダベルト・ロノイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第8班リーダー、大尉。


クレメンテ・アクサ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第7班リーダー、大尉。


アベル・トロイ

先住民カブラ族の少年。悪霊に取り憑かれ、祖父と両親を惨殺してしまった。


エステバン・トロイ

アベルの弟。


アビガイル・ピンソラス

"ヴェルデ・シエロ”。外観は白人のブーカ系。外務省事務次官。


ペドロ・コボス

隣国ハエノキ村の猟師。恐らく古代に分派した”ヴェルデ・シエロ”の子孫と考えられる。


アリエル・ボッシ

外務省事務官。元陸軍軍曹。普通のメスティーソ。


ダニエル・パストル

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ系のメスティーソ。 コック。


ドミンゴ・イゲラス

普通のメスティーソ。運転手。


アランバルリ

隣国の陸軍少佐。 ”操心”と”感応”を使える。


ビーダ・コボス

ペドロ・コボスの母親。


ホアン・コボス

ペドロ・コボスの兄。


ナカイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官少佐。



2022/07/21

番外 2 その2

 登場人物紹介

第6部 続き


アリリオ・カバン

憲兵隊クエバ・ネグラ駐屯地の大尉。


マリア・アドモ・レイバ

エル・ティティの住人。役場の職員。アントニオ・ゴンザレス署長の恋人。


ベンハミン・カージョ

”ヴェルデ・シエロ”のかなり血の薄い末裔。オエステ・ブーカ族。
インチキ占い師。


セフェリノ・サラテ

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ族の族長。


マリア・ホセ・ガルシア

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ系メスティーソ。 農夫。


マクシミリアム(マックス)・マンセル

アメリカ人。インチキ占い師。


ペドロ・ウエルタ

普通のメスティーソ。”ヴェルデ・シエロ”の命令で遺跡クァラの管理を先祖代々行って来た。


レグレシオン

反政府過激派組織。

番外 2 その1

第6部と第7部で登場した人々

 今回は登場順


第6部

リカルド・モンタルボ

サン・レオカディオ大学(私学)の考古学教授 。普通の白人。
海底遺跡カラコルの発掘に燃えている。


ハイメ・ンゲマ

グラダ大学考古学部准教授。普通のメスティーソ。
ケサダ教授の一番弟子。”風の刃の審判”を行うサラの完璧な遺跡を発見しようと焦っている。


エベラルド・ソロサバル

クエバ・ネグラの陸軍国境警備班曹長。 普通のメスティーソ。
観光ガイドも務める。


チャールズ・アンダーソン

アメリカ人。アンビシャス・カンパニー代表。 白人。


ロカ・デ・ムリリョ

”ヴェルデ・シエロ”のマスケゴ族の男性。故人。建設会社ロカ・エテルナ社のセルバ人としての初代経営者。


アブラーン・シメネス・デ・ムリリョ

"ヴェルデ・シエロ”のマスケゴ族の男性。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の長男。
建設会社ロカ・エテルナ社の現経営者兼社長。


ベアトリス・レンドイロ

セルバ人。白人。文化系雑誌シエンシア・ディアリア誌の記者兼編集者。
「神様を見つける香水」アンブロシアの愛用者。


アイヴァン・ロイド

アメリカ人。 白人。動画配信会社代表。


レナト・オルテガ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。北部国境警備隊の指揮官少佐。クチナ基地常駐。


バレリア・グリン

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。北部国境警備隊指揮下クエバ・ネグラ国境警備隊の隊長。大尉。
太平洋警備室から転属して来たルカ・パエス少尉が仲間に馴染めないので心を痛めている。


カミロ・トレント

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ系メスティーソ。
建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社経営者。


ホアン

普通のメスティーソ。クエバ・ネグラの漁師。観光船も経営している。従兄弟もホアンと言う名前。


オルベラ

グラダ大学文学部先住民言語学教授。 普通のメスティーソ。


エフライン・シメネス・デ・ムリリョ

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ族。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の次男。建築デザイナー。


カサンドラ・シメネス

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ族。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の長女。
ロカ・エテルナ社副社長。


アニタ・ロペス

クエバ・ネグラの観光ガイド。普通のメスティーソ。



2022/07/19

第7部 ミーヤ      10

  ンゲマ准教授とその学生グループが当初の予定より早く発掘調査を切り上げてグラダ・シティに戻って来た。完璧なサラの遺構を確認し、さらにカブラロカ渓谷の南に居住区の遺跡があると大統領警護隊文化保護担当部から知らされて、准教授は新たな発掘計画の見直しを考えたのだ。もっとも、一番の理由は渓谷の出口で起きた殺人事件のせいで学生達がちょっと怖気付いてしまったことだ。

「悪霊に取り憑かれた少年が祖父と両親を殺害した。だから更なる悪霊が発生するんじゃないか、と心配する学生や保護者がいるんですよ。」

と准教授は教授会で愚痴った。文系理系全ての教員が集まった教授会だったので、理系のテオも出席を義務付けられていた。大きな会場の大きなテーブルの遥か向こうでンゲマ准教授が調査報告をしているのを、ちょっと眠たいなぁと思いながら聞いていた。

「迷信に惑わされていては、研究は出来ぬ。」

 珍しく会議に出席しているムリリョ博士が呟いた。ンゲマは恩師の言葉に励まされた様に頷いた。

「そうなんです。ですが、過保護の親達からひっきりなしに電話が掛かって来るんです。どこで知ったのか知りませんが、警護の陸軍の衛星電話に掛けて来るんです。それで小隊長が怒ってしまいましてね・・・」

 恐らく学生の中に軍関係の親がいるのだろう。ムリリョ博士もその言い訳にはコメントしなかった。軍や政治家相手なら彼もどうにか出来るだろうが、不特定多数の保護者が相手ではお手上げなのだ。
 迷信などの民間伝承や民俗信仰の研究をしているウリベ教授が、「ここは一旦退いたのは利口でしたね」とンゲマ准教授を慰めた。それに勇気を取り戻したンゲマ准教授が来年の調査を範囲を広げて行いたいので予算を増やすことを考えて欲しいと言い、そこから議論が紛糾した。
 政府依頼の仕事に取り掛かっているテオは黙って座っていた。目下のところ大学から予算増額を図る案件はない。せいぜい備品の購入費をもぎ取る程度だ。
 果敢に戦っているンゲマ准教授の隣に座っている師匠のケサダ教授はダンマリを決め込んでいた。彼は東海岸沿いの古代の交易経路を調べ尽くし、目下のところ本を書こうとしていた。頭の中は本の内容構成を考えることでいっぱいの様子で、教授会も上の空だった。ハエノキ村とカブラ族の交易は物証が見つからず、文化的繋がりもこれと言って見つからなかったので、彼はミーヤを通る古代陸路を中心に研究をまとめるつもりだ、とギャラガが言っていた。
 教授達の予算攻防が続き、テオは数人の教員が逃げ出したのを見て、己もこっそり退席した。生物学部の予算は主任教授が何とかしてくれるだろう。お金の苦労をせずに育ったテオは、こう言うお金の問題を論じるのは苦手だった。誰かが決めてくれる範囲で、遣り繰りして研究する。それが彼がアメリカ時代からしてきたことだ。
 キャンパスのカフェでコーヒーを買って、空席を見つけて座ったところに、アスルがフラッと現れた。カブラロカ遺跡の警護が終わり、撤収して報告書を提出し、短い休みをもらったのだろう、私服姿だ。軍服を脱ぐと周囲の学生達に溶け込んでしまう若さだから、違和感がない。

「教授会ではないのか?」

 正面に座って、アスルが尋ねた。テオは肩をすくめた。

「逃げて来た。直接関係する話じゃないし、下っ端の俺が何を言っても無視されるからな。」
「あんた、まだ下っ端なのか? 遺伝子学者として有名なのに?」
「ほっとけよ。生物学部は主任教授が一番偉いんだ。セルバの旧家の出の人だしな。」

 ”ティエラ”の旧家や名家のことに関心がないアスルは、ふーんと言ったきりだった。テオは彼の仕事の方へ話題を向けようとした。

「撤収は上手く運んだかい?」
「まぁな。」

 アスルは面倒臭そうに答えた。

「悪霊が1匹いただろ?」

 そう言えば・・・テオは忘れていたジャングルの中で感じた嫌な気配を思い出した。

「あいつ、また出たのか?」
「発掘隊に近づこうとしたから、浄化してやった。」

 へぇ、とテオは呟いた。君にも出来るんだ、と。アスルは鼻先で笑った。

「あんな下級の悪霊なんざ、大統領警護隊なら誰でも浄化出来る。ただ、憑依された”ティエラ”が若過ぎたり、デリケートな性格だったりすると、厄介なことになる。あの少年に乗り移って親を殺した奴みたいにな。だからキャンプに近づかせないよう、こっちも気を張らなきゃいけない。」
「お疲れ様。」

 テオはカウンターを見た。

「コーヒー飲むかい? 奢るぞ。」
「コーヒーだけか?」

 アスルは壁のメニューを見た。

「あのでかいピザもいいな。」


第7部 ミーヤ      9

  10日経った。テオとカタラーニは隣国で採取した遺伝子の分析を何とか7割ほど終わらせた。残りは授業の合間などで片付けていくしかない。

「カブラ族との共通性って、セルバ国民との共通性って言うのと同じレベルですね。みんな同じだ。」

とカタラーニの助手を務めている学生がぼやいた。それに対してカタラーニが、

「そんなことを言っている内は、遺伝子学者としてはまだまだだな。要するに親族関係の分析みたいなものなんだから、もっと細部の違いを見るんだよ!」

とアドバイスした。テオは愛弟子の成長を頼もしく思い、微笑ましく見ていた。カタラーニだってテオに対しては似た様な愚痴をこぼしていたのだが、実際の分析作業に入ると真剣に学者の卵として仕事に励んでいるのだった。
 休憩時間にコーヒーを飲んでいると、テオの携帯に電話がかかって来た。見るとカルロ・ステファン大尉からだった。駐車場にいるので出て来れないか、と言う。テオは助手達に留守を頼み、すぐに研究室を出た。
 ステファン大尉は職員用駐車場の端にジープを停めてタバコを咥えていた。火は点けていない。最近は咥えるだけで吸わないようだ。自分で気の抑制が上手く出来るようになったので、口寂しいだけなのだろう。
 テオとハグで挨拶を交わすのも慣れてしまった。

「遊撃班の副指揮官がお出ましとは、また緊急の要件かい?」
「そうではありません。こちらからの情報提供です。」

 ステファンは周囲をチラリと見回した。

「例の3人の軍人の目的です。」

 ああ、とテオは言った。アランバルリ少佐と側近達は大統領警護隊に捕まって、それっきりテオ達に彼等のその後の情報がなかったのだ。所謂テレパシーで他人を操ることが出来る3人の隣国の兵士が、何の目的でセルバ共和国に仲間を求めたのか、それがテオと仲間達が知りたい情報だった。

「ドクトルは今回の調査の前に、隣国政府から依頼された仕事をされていましたね?」
「スィ。旧政権によって虐殺された隣国の市民の遺体の身元確認だ。比較する遺族の遺伝子の方が多過ぎるので、まだ半分しか判明していない。そこへ今回の仕事が割り込んだ。」
「申し訳ありません。自国の用事が優先で・・・兎に角、アランバルリはその旧政権の隠れ残党だったのです。」
「ほう・・・」

 それだけ聞くと、あの3人の目的がわかった様な気がした。

「もう一度政権を奪回しようって企んでいたのか?」
「あいつらは政治をする能力を持っていません。投獄された親戚を奪い返したい、それだけでした。」
「親戚を牢獄から出して、どうするつもりだったんだ? またクーデターでも起こすのか?」
「そこまでの考えはなかった様です。恐らく、亡命したかったのでしょう。偽造パスポートや資産の海外移動とか、そんな準備をしていた様です。武力で刑務所を襲えば大騒ぎになるし、亡命先に予定している国が受け入れてくれるとは限らない。だから”操心”でこっそり仲間を脱獄させて船で逃げる計画だったのです。いや、計画と言える段階まで立てていませんでした。仲間を増やそうと言う段階です。」

 テオは溜め息をついた。向こうはそれなりに真剣だったのだろうが、こちらも危ない橋を渡らされた。

「司令部が許したのかい、君がその情報を俺に伝えることを?」
「スィ。ペドロ・コボスが貴方を毒矢で射た件も関係していましたから。」
「え?」

 びっくりだ。コボスが国境を越えてセルバ共和国に侵入しテオを吹き矢で射たことと、アランバルリが関係していたのか? ステファンは続けた。

「アランバルリはコボスにセルバ人を捕まえて来いと命じたそうです。コボスが死んでしまったので、彼の行動は推測するしかありませんが、恐らく彼はケツァル少佐と貴方が一緒にいるのを見て、女を攫おうと思い、邪魔な貴方を排除するつもりで吹き矢を射たのでしょう。きっとロホの存在に気づいていなかったのです。ロホがいるとわかっていれば、先にロホを倒すことを選択したと思います。」

 テオはまた溜め息をついた。ペドロ・コボスはテレパシーで操られ、無駄に命を失ってしまったのだ。認知症の高齢の母親と引き篭もりの兄を残して死んでしまった。

「あいつら、自分達のことしか考えていなかったんだな・・・」
「スィ。だから政権の座から追い払われたのです。それを自覚していないのです。」

 ステファンもちょっと哀しそうだ。テオはコボス家の遺族に何もしてやれないことを残念に思った。

「アランバルリ達はどうなるんだ?」
「隣国に帰しても脱走兵として指名手配されちゃってますから、すぐ捕まるでしょう。大統領警護隊は密入国を図ったとして、向こうの国境警備兵に引き渡す段取りを整えているところです。」

 そして、学舎の方をステファンは見て尋ねた。

「遺伝子の分析の方は捗っていますか?」
「何とか・・・セルバ政府からも隣国政府からもボーナスを弾んでもらえれば、もっと早くやっちまうけど?」

 やっとテオとステファンは笑う余裕が出来た。



2022/07/18

第7部 ミーヤ      8

  翌日からテオとアーロン・カタラーニは5名の学生を助手としてハエノキ村で採取した検体の遺伝子分析を始めた。全部で398人分だ。全員でないのは残念だったが、取り敢えず村長の協力で全戸から最低でも各2名分の遺伝子を採取出来た。セルバ共和国で採取したカブラ族との共通項を探す政府依頼の分析だから、堂々と大学に遠慮せずに研究室を使用出来た。少しでも”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子があれば、とテオは期待したが、どれも「普通」の人間の遺伝子だった。ペドロ・コボスの母親と兄も普通の”ティエラ”だった。
 3日目に、アンドレ・ギャラガが3人分の遺伝子サンプルを持ち込んだ。

「司令部から言付かりました。アランバルリと2人の側近の物です。」

 ギャラガはテオにそう囁いて排水工事が終了した文化・教育省に戻って行った。テオはその3人の兵士のサンプルを「有志からの提供」と称して、学生に渡した。
 アランバルリと2人の側近があれからどうなったのか、大統領警護隊司令部はテオに教えてくれなかった。ケツァル少佐も知らないのだ。だから夕食の時にテオが3人の兵士の遺伝子サンプルをギャラガが届けてくれた話をすると、彼女はちょっと驚いた。

「それで今朝アンドレは遅刻したのですね。」

 ちょっと苦笑して見せた。

「マハルダに訊いても、彼が大学の正門前バス停で下車してキャンパスへ走り去ったと言うだけで、理由は彼女も知らないと答えました。考古学関連の忘れ物か何かだと思ったのです。」

 そして彼女はテーブルの上に身を乗り出した。

「検査結果は如何でした?」
「何もない。」

とテオは出来るだけ素気なく聞こえないよう努力して答えた。

「ハエノキ村の住民達からも3人の兵士からも、”シエロ”の因子は出ていない。そうだなぁ、アランバルリ達は確かに脳の働きに少し普通の人間と違ったものがありそうだが、所謂”出来損ない”の脳とは違うんだ。コンピューターで遺伝子から人間の細胞を再構築するプログラムを実験的に作ったんだが、”ヴェルデ・シエロ”の脳は全体的に普通の人間より無駄なく活発に働くことがわかった。それは純血種でも人種ミックスでも同じなんだ。ただ、異人種の血の割合が増えると、徐々に退化していく部分がある。それがどの能力がどんな順番でって言うのはまだ判然としないんだ。ただわかっているのは、目に関する能力だけは最後迄残る。夜目と”心話”だ。だからめっちゃ血が薄い人でも夜目は最後迄残るって、俺の研究でわかった。」
「アランバルリ達は夜目を使えないとアンドレが言っていました。」
「そうなんだ。彼等は夜目と”心話”を使えない。だけど”操心”は使える。」
「”幻視”は使えない?」
「使えない。」

 暫くテオと少佐は黙って食事を続けた。そしてほぼ同時に口を開いた。

「思うに・・・」
「思うのですが・・・」

 一瞬目を合わせ、それから少佐がいつもの如く優先権を取った。

「アランバルリと2人の側近は、普通の超能力者ではないのですか?」
「俺もそう思う。それでちょっと分析の方向を変えようと思う。」
「方向?」
「彼等3人の血縁関係だよ。単純に、親戚同士なのじゃないかって。同じ能力を持った従兄弟同士の可能性もあるだろう?」
「そうです。」
「他人の心を支配して動かせるが、持続時間や有効範囲が狭いんだ。だから目的達成の為に仲間を増やしたいと思った、それで似たような力を持った神様がいたと言うセルバの伝説を聞いて、神様の子孫がいないか探ってみようとしたのだろう。」
「彼等の目的とは何です?」
「それは司令部に訊いてくれないか。彼等がアランバルリ達を抑えているんだから。」


 

2022/07/15

第7部 ミーヤ      7

  テオはケツァル少佐のコンドミニアムに帰り着くと、少佐側のリビングのソファに横になり、眠った。家政婦のカーラが夕食の支度をする音を聞きながら、穏やかに休息を取った。疲れていたが2時間後に目覚めたのは、空腹だったからだ。テーブルの上に料理が並んでいた。彼が体を起こすと、丁度少佐がバスルームから髪をタオルで拭きながら姿を現した。「お帰り」と彼が言うと、彼女も「お帰りなさい」と返した。

「あちらでのお仕事はいかがでした?」
「アンドレから報告を聞いただろ?」
「スィ。でも貴方からも聞きたいです。」

 そして付け加えた。

「貴方が疲れて喋れないと言うのでしたら、別ですが。」
「喋れるさ。」

 彼等はダイニングに移動した。カーラがスープを配膳すると、少佐が彼女に言った。

「今日はこれで終わりにしましょう。後は私達でします。」

 まだ外は明るかった。カーラは素直に主人の言葉を受け容れ、持ち帰り用の食材を鞄に入れて、見送りなしで部屋から出て行った。建前は時間給だが、少佐は自分達の都合で彼女を早く帰らせる時は、契約時間通りの給料を払ってくれるので、家政婦は決して文句を言わなかった。
 2人きりになると、テオはゆっくりと食べながら隣国の遺伝子採取旅行で起きた出来事を順を追って語った。到着日に護衛だと言って隣国の陸軍の小隊がセルバ側のバスについてハエノキ村に入ったこと、作業を始めて2日目の午後、シエスタをしていたセルバの”ヴェルデ・シエロ”達が何者かに”感応”で呼びかけられたこと、3日目にテオに吹き矢を射たペドロ・コボスの遺族を訪ねて検体を採取したこと、コボスの家から出ると、護衛部隊のアランバルリ少佐と2人の側近が待ち構えており、"操心”を使って情報を引き出そうとしたので、ケサダ教授が妨害したこと、夕刻に水汲みに出かけたアーロン・カタラーニとアンドレ・ギャラガがアランバルリの一味に襲われ、ギャラガが吹き矢で動けなくなった隙にカタラーニが誘拐されたこと、帰りが遅い彼等を探しに行ったテオがギャラガを見つけ、回復した彼と共にカタラーニを救出に向かったこと、その間にバスと”ティエラ”のセルバ人をケサダ教授とコックのダニエル・パストルが守ってくれたこと、ギャラガが”操心”を使ってアランバルリを操りカタラーニを救出したこと、アランバルリの側近達が追跡して来て、吹き矢で襲われると同時にギャラガがテオ達を連れて大統領警護隊本部へ”跳んだ”こと、仲間の毒矢に刺されたアランバルリを司令部が手当して尋問にかけたこと、同じく手当を受けたカタラーニを連れてテオとギャラガはミーヤの国境検問所へ”跳び”、そこでバスと合流したこと・・・。

「ああ、そうだ、ブリサ・フレータ少尉に会った。彼女、活き活きしていたな、前の職場よりずっと幸せそうだった。」

 ケツァル少佐が頷いた。フレータ少尉の様子はギャラガからも”心話”で情報をもらっていた。

「今度ガルソン中尉に出会ったら、伝えておきます。彼からキロス中佐にも伝わるでしょうから。」

 元上官と部下、それも異性と言う関係では互いに近況を伝え合うことも少ないだろう。テオはちょっぴり友人となった大統領警護隊の隊員達の役に立てたかな、と思った。するとケツァル少佐が言った。

「アンドレは貴方のお陰で命拾いしました。感謝します。」

 テオは驚いて彼女を見た。

「いや、俺はただ彼に息を吹き込んでみただけだ。心肺蘇生術を少しだけ・・・」
「でも放置されたままでは、彼は死んでいました。」

 少佐が微笑した。

「アンドレも十分承知しています。まだ毒に対処する方法を私は彼に教えていませんでした。銃弾をかわす訓練ばかりさせていましたので。指導指揮官としてのミスです。貴方に感謝します。」

 彼女が右手を左胸に当てて頭を下げた。テオは照れ臭かった。だから話を逸らそうとした。

「だけど、アンドレはその後でかなり力を発揮させたぞ。いつの間にあんなに能力を使いこなせるようになったんだ?」
「元々能力を持っているからです。」

と少佐はこの件に関しては冷静に答えた。

「どの様に使いたいか、彼は自分で考えて使ったのです。私は彼が力を使いこなせたことより、自分で判断出来たことを評価します。”ヴェルデ・シエロ”の戦いは、一瞬一瞬で決まりますから。」
「つまり、アンドレは本当の意味で”ヴェルデ・シエロ”の戦士に成長したってことだな。」

 テオもやっと笑うことが出来た。そして他の”ヴェルデ・シエロ”のことに考えを及ぼす余裕が出てきた。

「コックのパストルはメスティーソの”シエロ”だが、彼は民間人だろう? 今回の件で彼がいてくれて助かったけど、厄介なことに巻き込んでしまって申し訳ないなぁ。」

 少佐はパストルと言う人物を知らないので、肩をすくめた。

「彼のことはロペス少佐に任せておけばよろしい。外務省が彼をバスに乗せたのですから。」
「そうだろうけど・・・」

 短い付き合いだったが、テオはまた1人”シエロ”の知人が増えて少し嬉しかった。

「ケサダ教授がいてくれて本当に助かったよ。アンドレと俺がアーロンを救出する間、ずっとボッシ事務官や運転手や村人や陸軍小隊を”幻視”で誤魔化してくれていたんだから。」

 ケツァル少佐が真面目な顔になった。

「彼が何をしたか、ムリリョ博士には黙っていて下さい、テオ。博士は義理の息子の正体を一族に知られまいと必死で隠しているのです。」
「わかってる。教授も”シエロ”だと敵に知られたと言って悔やんでいたから。ムリリョ博士に叱られたくないだろうし。」

 彼の言葉の後半を聞いて、少佐がぷっと笑った。

「フィデルはかなりヤンチャな人ですからね。」
「そうだな。」

 テオも笑った。

「5人目の子供がコディアさんのお腹にいるそうだよ。」

 初耳だったらしく、ケツァル少佐が目を丸くした。

「本当ですか?」
「スィ。今度は男かな女かな・・・?」
「男だと良いですね。」

と言って、少佐はテオを驚かせた。

「何故だ? 子供のナワルが黒いジャガーだと成年式で判明したら、父親もグラダだってわかってしまうじゃないか。」
「大丈夫ですよ、父親に変身してナワルを見せろなんて誰も言いません。フィデルは既に成年式を済ませているし、当時の長老達は彼の子供が成長する頃にはいなくなっていますよ。フィデルのジャガーが何色かなんて言う人はいないでしょう。せいぜい黒だってことを隠していたな、と思われるだけです。」
「・・・」
「子供が白いジャガーになる確率はゼロに近いです。白いジャガーは遺伝しませんから。」
「そうなのか?」
「もし遺伝したら、代々白いジャガーに変身する人が生まれていたでしょう?」

 確かにそうだ。ずっと白いジャガーは”ヴェルデ・シエロ”達の間では伝説の存在でしかなかったのだ。
 少佐が視線を空中に漂わせた。

「フィデルとカルロが並んで変身したら、さぞや美しいでしょうね。」
「俺はアンドレのも見たいよ。」
「彼は銀色ですよ。」

 少佐が微笑んだ。



2022/07/14

第7部 ミーヤ      6

  帰りはハイウェイを快調に飛ばし、バスがグラダ・シティに入ったのは午後4時頃だった。途中、道端の売店で昼食を購入して、あとはトイレ休憩に2回停車しただけだ。アンドレ・ギャラガ、フィデル・ケサダ教授、コックのダニエル・パストル、3人の”ヴェルデ・シエロ”は本当に疲れたのだろう、車中にいる間は殆ど眠っていた。テオも眠たかったが、気絶して十分睡眠を取ったアーロン・カタラーニが運転手と喋っていたので、ぼんやりとその会話を聞いていた。運転手のドミンゴ・イゲラスは陸軍の兵隊とカタラーニが喧嘩したと聞かされたので、これ以降の己の運転手業務で隣国に行くのは拙いかな、と心配していた。

「国内路線のバスに転向すれば?」

とカタラーニが呑気に提案すると、彼は「馬鹿言え」と否定した。

「国境を跨ぐ長距離の方が給金が良いに決まってるだろ。」

 尤も乗客が他国で喧嘩したからと言って運転手にお咎めがある筈がない。イゲラスは軍隊に近づかない様に用心するさ、と笑った。

「だが、一体何が原因で喧嘩したんだ?」
「それが僕もよく思い出せなくて・・・」
「飲酒したんだろ?」
「それも思い出せなくて・・・」

 カタラーニはテオを振り返った。

「記憶喪失ってこんな感じですか?先生?」
「こんな感じとは?」

 テオはいきなり話を振られたので、一瞬ビクッとしてしまった。カタラーニは気づかずに両方の眉を下げて情けない顔をした。

「なんと言うか、頼りない、足が地につかない・・・」
「ああ・・・そうだな・・・」

 テオは「元記憶喪失の先生」として大学で知られている。仕方なく同意してやった。本当はもっと不安で落ち着かないんだ、と思ったが。
 バスは一番最初にグラダ大学に到着した。テオとカタラーニはそこで隣国で採取した検体を降ろし、自分達の荷物も降ろした。ケサダ教授と学生として参加したギャラガも大学で降りた。彼等はあまり物を収集した訳でなく、殆ど写真を撮影しただけなので、個人の荷物だけだった。だからバスが外務省に向かって走り去ると、考古学部の2人はテオ達が検体を生物学部の研究室に搬送するのを手伝ってくれた。
 セルバ流に分析を始めるのは翌日からと言うことにして、検体を冷蔵庫に収納した。そしてテオは打撲を受けたカタラーニを先に帰宅させた。大統領警護隊本部で手当を受けたので、カタラーニがすぐに医者に行く必要はないが、無理をしないよう言い含めた。カタラーニが素直に研究室を出て行くと、テオはやっと肩の荷が降りた感じがした。手伝ってくれたケサダ教授とギャラガにコーヒーを淹れた。

「ハエノキ村の住民に”シエロ”の末裔はいないと思いますが・・・」

と彼は言った。

「アランバルリと2人の側近は怪しいです。彼等の親族を調べたいと思います。」
「その必要はないでしょう。」

と教授が言った。テオが彼を見ると、教授はコーヒーの表面をぼんやり眺めながら続けた。

「今まで彼等は表立った行動を取って来ませんでした。恐らく、何らかのタイミングで彼等は偶然互いに似通った能力を持っていると気づき集まったのだ、と私は考えます。自分達の力がどう言う物なのか調べるうちに”ヴェルデ・シエロ”の伝説に辿り着いたのでしょう。彼等の親族が力の因子を持っていたとしても、力の発露には訓練が必要となるレベルの筈です。あの3人の肉親が団結して力を誇示すると思えません。問題とすべきは、彼等が3人だけなのか、彼等が同じ力の人間を集めて何をするつもりだったのか、と言うことです。」
「アランバルリは今大統領警護隊本部にいます。」

とギャラガが言った。

「多分、上官達が尋問した筈です。国境の検問所に側近の2人もいました。恐らくアランバルリの尋問が終わる迄足止めされたでしょう。尋問で得られた情報の結果で彼等の処分が決まります。」

 教授が彼に視線を向けた。

「その処分の内容を我々は教えられないのだろう? 彼等はいつもそうだ。」

 そうだ、大統領警護隊司令部は敵や違反者に対する処分を決して下位の隊員や部外者に教えてくれない。それは長老会も同じだ。最長老の1人であるムリリョ博士は絶対に長老会の決定を他の一族、家族に教えない。ケサダ教授はその秘密主義に不満なのだ。
 大統領警護隊で一番下位の少尉であるギャラガはショボンとして教授の言葉を認めた。

「私が先生やドクトルにお伝え出来ることはありません。私も教えてもらえないのです。」

 テオは仕方なくその場を収めた。

「それじゃ、今日は各自帰りましょう。お疲れ様でした。」

2022/07/13

第7部 ミーヤ      5

  テオがゲートに近づくと、大統領警護隊国境警備隊の隊員が1人ついて来た。近づくなとは言わない。ただ見守っているだけだ。テオがバスが近づくのを見ていると、ナカイ少佐が窓から声をかけて来た。

「中に入って下さい。」

 検問所オフィスだ。民間人も身体検査が必要な人間は呼び込まれる。テオは肩をすくめて中に入った。意外なことに、中は両国共通のスペースだった。セルバから隣国へ出国する人間の身体検査を隣国の審査官が見守り、隣国からセルバに入る人間の身体検査をセルバの役人が見ている。テオはそこでアランバルリの側近2人が部屋の隅に立っているのを見た。まるで汚れた軍服を見たマネキン人形みたいだ。ボケーっと立っているだけなので、テオはナカイ少佐を振り返った。少佐がニヤリと笑った。恐らく2人の兵士は役人に”操心”を掛けて、セルバ政府のバスを出国させまいとのつもりで、オフィスに入ったに違いない。しかし、そこで待ち構えていたのは、彼等より遥かに強い”操心”を使える本物の”ヴェルデ・シエロ”達だったのだ。
 隣国の役人達は2人の兵士の存在に気がつかないかの様に業務を続けていた。そして緑色のバスがゲートに到着した。運転手のドミンゴ・イゲラスが書類を提出し、外務省事務官のアリエル・ボッシも全員のパスポートと政府の書類を出した。隣国側は持ち出していけない物を持っていないか、それだけ調べた。セルバ側は書類にさっと目を通しただけで、記載されている人数が3人足りないことに言及しなかった。テオは隣国の役人も大統領警護隊の”操心”に掛けられて人数が合わないことに気がついていない、と知った。
 やがて書類の何枚かに許可のスタンプが押され、イゲラスとボッシがバスに戻った。彼等もテオがそこにいることに気がつかなかった。ケサダ教授とコックのダニエル・パストルが連携して仲間に”幻視”と”操心”をかけているのだ。テオはバスから姿を現さない2人に感謝した。
 ナカイ少佐がテオに囁いた。

「バスがゲートから100メートル程入ったところで、お仲間と合流なさい。トーコ中佐によろしく。」
「グラシャス!」

 少佐が目を細めてバスを見た。

「マスケゴとブーカが連携すると、結構な仕事が出来るものですな。」

 テオは笑顔で応えただけだった。
 休憩所に戻る途中で、厨房を覗くと、フレータ少尉と仲間2人が昼食の支度をしていた。

「俺達、バスが戻って来たから、グラダ・シティに戻るよ。」

と声をかけると、少尉は調理の手を止めずに顔だけ向けて、笑顔で「またいつか!」と挨拶してくれた。テオはちょと敬礼を真似て、その場を後にした。
 ギャラガとカタラーニを連れてバスを追いかけ、ナカイ少佐が言った地点で乗り込んだ。ケサダ教授は往路と同じ座席で、コックのパストルも最後尾のシートで少し疲れた表情で座っていた。ギャラガが順番に2人に”心話”で報告を行い、カタラーニとバスの”ティエラ”2人に与える説明の打ち合わせを行った。そして教授が軽く咳払いして、ボッシ事務官と運転手イゲラスに掛けた”操心”と”幻視”を解いた。ボッシ事務官がカタラーニを見て微笑みかけた。

「怪我の具合はどうだね?」
「グラシャス、大したことありませんでした。」

 打撲の跡が生々しいにも関わらず、カタラーニは強がって見せた。
 テオはケサダ教授の隣に座った。

「貴方に多くの負担をかけてしまいました。」

と言うと、教授が肩をすくめた。

「私には負担ではありませんが、アブラーンならどの程度までやるだろうかと、そればかり考えていました。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは生粋のマスケゴ族だ。ケサダ教授は妻の兄の能力の限界がどの程度かと考えながら、マスケゴ族のふりをして能力を使っていた。だから、今彼は疲れているふりをしているのだ。ブーカ族のダニエル・パストルに正体を見破られない様に。マスケゴ族はブーカ族より力が弱いことになっている。もし彼が本当に疲れているのだとしたら、それは気疲れだ。
 
「アランバルリ達は何者なんでしょう?」

とテオが呟くと、教授はさぁねと言った。

「少なくとも、一族ではありません。」


第7部 ミーヤ      4

  昔の勤務地の仲間達がそれぞれ新しい生活に馴染んでいることを聞いて、ブリサ・フレータ少尉は安心した様子だった。特に彼女と上官達が地位を捨ててまで守ったキロス中佐がすっかり健康を取り戻し、引退後の新生活に希望を持って臨んでいることを知り、喜んだ。
 フレータが昼食と検問所の雑事の為に休憩室を出ていくと、アーロン・カタラーニがテオを見た。”ティエラ”の彼が同席していたので、テオは太平洋警備室の元将校達の話を多少ぼかして説明したのだが、それがカタラーニにはちょっと不思議に聞こえたのだろう。しかしフレータにはちゃんと伝わったし、複雑な説明はギャラガが”心話”で補ってくれた。テオはカタラーニの問いかけるような視線を無視して、窓の外を見た。道路に列を作る車が少しずつ進んでいくのが見えた。検問を通ってセルバと隣国を往来しているのだ。
 カタラーニが溜め息をついた。

「僕等が西海岸へ行った時は、アカチャ族とアケチャ族の遺伝的共通性を調べるのが目的でしたね。今回は二つの国にカブラ族の末裔がいるかどうかを調べる目的です。地理的に末裔が共通して分布していて不思議じゃないと思います。どうして遺伝子を調べる必要があるのでしょう。狩猟民に限り、って条件をつけて行き来させれば良いと思いますけどね。」

 それが正論だろうとテオは思った。しかしセルバ共和国を裏で統治している”ヴェルデ・シエロ”達はカブラ族ではなく古代の”シエロ”の末裔の有無を調査したいのだ。それを表立って言うことは出来ない。だから彼は誤魔化した。

「政治家の考えていることなんて、俺達に理解出来る筈ないじゃないか。」

 カタラーニが何となくセルバ人らしく納得したので、ギャラガがホッとした表情をした。テオはちょっと可笑しくなって、外の空気を吸いに外へ出た。ミーヤの街は賑やかだ。大きな建物はないが、国境の街らしく商店が多く、貿易会社の支店もいくつか看板を出していた。隣国はセルバ共和国と農業と言う点ではあまり産物に違いがなく、農産物の取引はそんなに多くない。地下資源も似たり寄ったりだが、セルバは金鉱があるので金製品を扱う店がいくつか見られた。どちらかと言えば南の隣国の方が店が少なく、日用雑貨を仕入れに隣国から商人がやって来る。
 テオはミーヤ遺跡は現在どうなっているのだろう、と思った。小さな遺跡で年代も古いと言えないが、日本人の考古学者が調査している。どうやら古代の歴史や文化を記した石板や粘土板が出た様で、それを研究しているのだとギャラガが教えてくれた。盗むような美術品がないので、警護は大統領警護隊ではなく陸軍だけに任せていた。ミーヤから少しジャングルに入ったとこにあるアンティオワカ遺跡は今年度まだ閉鎖中だ。麻薬密輸組織に倉庫代わりに使われてしまった曰く付きなので、ケツァル少佐はまだ考古学者に開放していない。憲兵隊がのらりくらりと麻薬の残りがないか捜査中とのことだ。
 テオが数軒の店を冷やかして検問所に戻って来た時、ギャラガが戸口に姿を現した。ドクトル、と呼ばれてそばに行くと、彼は囁いた。

「ケサダ教授の気を感じます。バスが近づいている様です。」

 テオは検問所に並ぶ隣国側の車の列を見た。まだバスは見えなかった。

「視界に入っていないが、確かか?」
「スィ。バスを結界で包んでいるのでしょう。凄いパワーです。」

 グラダはグラダを見分ける。テオは検問所で勤務についている大統領警護隊の隊員達を見た。みな平素の表情で車をチェックしている。書類審査を行っているのは、陸軍国境警備班の”ティエラ”達だ。大統領警護隊の隊員達はギャラガが感じ取っているケサダ教授の気の大きさを感じていない。部族が異なると察知出来ない気もあるのだ、とテオは思った。結界にまともに突っ込むと、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。だからグラダ以外の部族はグラダ族の能力を恐れる。逆に言えば、他部族には察知出来ないから、教授は己が本当はグラダ族であることを一族に知られずに済んでいる。
 白人を含め色々な部族の血が混ざり合っていると言っても、ギャラガはケサダ教授の気を感じられる。やはりアンドレはグラダ族だ、とテオは確信した。恐らく微妙にグラダの因子を持った人々が婚姻の繰り返しによって知らぬうちにグラダの割合を高めてしまったのだ。
 大先輩の気を感じてギャラガが興奮しかけていたので、テオは落ち着けと声をかけた。

「バスが無事に国境を越える迄、油断出来ないぞ。」

 そうこうしているうちに、隣国の家並みの向こうから緑色のバスが姿を現した。普通に走って、検問所の列の最後尾についた。護衛でついている筈の陸軍の車両は見えなかった。1台だけジープが後ろについていたが、バスが検問所の列に並ぶと、離れて隣国側検問所オフィスの前に停まった。

「やばい」

とギャラガが囁いた。

「アランバルリの側近の2人です。恐らく書類不備とかでバスの出国を妨害するつもりでしょう。」
「何とか出来ないか?」

 するとギャラガはセルバ側のオフィスに走って行った。責任者のナカイ少佐に協力を要請に行ったのだ。テオはバスを眺めた。見た限り、バスの車体は傷がなく、無事に走って来たと見えた。



2022/07/11

第7部 ミーヤ      3

  逃げて来た時と同じく、戻るのも一瞬だった。アンドレ・ギャラガはケツァル少佐より”着陸”が上手な様で、ミーヤの国境検問所の裏手の、警備隊員駐車場の中に出た。彼はテオが背中に背負ったカタラーニを押さえつけずに”着地”したことを目視で確認してから、検問所に向かって声を上げた。

「オーラ!」

 遊撃班のセプルベダ少佐が事前に検問所に連絡を入れておいたと言っていたので、彼は一番近い検問所オフィスの裏窓に向かって声をかけたのだ。
 テオはカタラーニを見た。まだ眠ったままの大学院生は、アランバルリから受けた拷問の痕が痛々しい。あまり長い時間眠らせるのも気の毒なので、この後自然に目覚めたら聞かせる言い訳をテオとギャラガは打ち合わせていた。
 検問所のオフィスの裏口が開いて兵士が出て来た。女性だ。その顔に見覚えがあったので、テオは思わず駆け寄ってしまった。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 女性少尉が立ち止まった。信じられないと言う顔で彼を見て、すぐに満面の笑顔になった。

「ドクトル・アルスト!」

 軍人らしからず、”ヴェルデ・シエロ”らしからず、彼女はテオに駆け寄り、2人は一瞬ハグし合った。そしてすぐにフレータ少尉がパッと離れた。立場を思い出したのだ。

「本部から連絡を受けてお待ちしておりました。でも・・・ドクトルが来られるなんて!」

 かつて大統領警護隊太平洋警備室で勤務していた将校だ。ある事件に関わってしまい、懲戒処分として故郷に近かった前任地から遠い東海岸の南の端、ミーヤの国境検問所に飛ばされた。しかしそこで彼女は新しい人生を歩み始めた。閉塞的だった前任地より明るく刺激的な職場に入ったのだ。仕事仲間が多く、毎日何かが起きる。ひたすら同僚の食事の世話をして厨房と村の市場の往復だけの数年間とはまるっきり異なる環境で、懲罰として転属させられたにも関わらず、彼女は楽しい新生活を送っているのだった。

「元気そうで何よりだ。君の顔を見てホッとしたよ!」

 テオもつい昔話に引き込まれそうになった。 アンドレ・ギャラガが後ろで咳払いして、彼を現実に戻した。慌てて振り返り、仲間を紹介した。

「文化保護担当部のアンドレ・ギャラガ少尉だ。」

 ギャラガとフレータが敬礼で挨拶を交わした。テオはギャラガが肩を支えて立たせたカタラーニを彼女に見せた。

「アーロンは覚えているよな?」
「スィ。事情は上官から聞いています。建物の中に入って下さい。ここは結構人目につきます。」

 検問所の奥の休憩室は涼しくて、テオとギャラガは長椅子にカタラーニを座らせた。そこでギャラガがカタラーニの催眠を解いた。

「アーロン、おはよう!」

 カタラーニがうーんと唸って目を開いた。目の前にいるギャラガを見て、後ろに立っているテオを見た。

「おはよう・・・あれ? 僕・・・?」

 体を動かして、彼は殴られた箇所が痛んだのか、「いてて・・・」と呟いた。そして周囲を見回した。フレータ少尉と検問所の責任者、大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官のナカイ少佐が立っていた。制服を見てカタラーニはドキリとした様子だったが、すぐにフレータを見分けた。

「フレータ少尉!? え? ここは一体・・・?」

 混乱している彼に、ナカイ少佐が言った。

「君は隣国の兵士の酔っぱらいに絡まれて喧嘩に巻き込まれ、負傷した。それでギャラガ少尉とドクトル・アルストが君をミーヤの診療所に運んだのだ。」

 テオは少佐がカタラーニの前に屈み込み、目を見ながら語っているのを見て、”操心”をかけていることに気がついた。ナカイ少佐はカタラーニから誘拐されて拷問された記憶を削除したのだ。アランバルリの一味がカタラーニから何を聞き出そうとしたのか、カタラーニの口から証言してもらう必要はない。アランバルリ本人を本部に捕えてあるのだから、当人から聞けば済むことだ。だから、カタラーニから”ヴェルデ・シエロ”やその他の超能力者に関する記憶を全て消し去った。
 カタラーニは自身の腕などに残る打撲痕を見て、「そうなんですね」と納得した。フレータ少尉が優しく尋ねた。

「気分はいかが? 冷たい物でも持って来ましょうか?」
「グラシャス、水をお願いします。」

 立ち上がったナカイ少佐はテオとギャラガに言った。

「残りの調査団のバスが到着する迄ここで待っているとよろしい。テレビを見ても構わない。」

 ギャラガが敬礼し、テオも感謝の言葉を言った。少佐は頷き、業務に戻るために部屋を出て行った。
 少佐と入れ替わりに、フレータが水の瓶を数本トレイに載せて戻って来た。

「昼食の支度が始まるので、半時間程度しかお相手出来ませんけど、退屈凌ぎのお喋りには付き合えますよ。」

 太平洋警備室にいた頃よりずっと明朗な女性に変身しているフレータにテオは安心した。

「それじゃ、キロス中佐やガルソン中尉、パエス少尉の現在を語ってあげようか?」

 フレータ少尉は空いている椅子に座った。目が輝いた。

「スィ! お願いします!」


2022/07/10

第7部 ミーヤ      2

  呼び出されたのは昨夜逃げて来た”出口”があった体育館だった。そこでテオとギャラガは遊撃班のセプルベダ少佐と会い、アーロン・カタラーニが担架に乗せられて運ばれて来た。

「意識がない人間を伴って”跳ぶ”のは難しいが、昨夜君はやってのけた。」

とセプルベダ少佐に言われ、ギャラガは赤面した。

「無我夢中で”跳んだ”のです。吹き矢とライフルで狙われていましたから、自身とドクトルを守る為に、考える余裕なく目に入った”入り口”に跳び込んだだけです。」

 フンっとセプルベダ少佐が鼻先で笑った。

「余裕があれば跳ばずに吹き矢と弾丸を爆裂波で破壊出来ただろうな。」

 そう言われればそうだ、とテオは今更ながら気がついた。毎週土曜日にケツァル少佐が部下達にさせている軍事訓練は、飛来する弾丸の破壊がメインなのだ。
 ギャラガが萎縮した。

「私は未熟です。」
「卑下するな。」

とセプルベダ少佐が言った。

「こちらの手の内を敵に披露してやる必要はない。寧ろ目の前で4人の人間が一瞬で消えたのだ、敵は腰を抜かしただろうよ。」

 ずんぐりした純血種の少佐がカラカラと笑った。

「意識がない男と”操心”で意思を失っている男を伴って跳んだのだ。誰にでも出来ることではないぞ。」

 そう言えば、以前意識がない人間を伴って”跳んだ”経験がない若い隊員が、ケツァル少佐に呆れられていたな、とテオは思い出した。思考しない物体を運ぶのと違って人間を運ぶのは難しいのだろう。
 少佐は体育館の中を見回した。”出口”があったのだから、”入り口”も近くに生じている可能性があった。

「ミーヤ迄その学生を背負うのはどちらかな?」

 訊かれてテオが手を挙げた。

「俺が運びます。先導者に負担をかけたくありませんから。」

 セプルベダ少佐が微笑んだ。

「貴方は本当に我々のことをよく理解しておられる。」
「グラシャス。ところで、アランバルリの尋問は誰方がされるのですか?」
「あの男の能力の強さが不明なので佐官級の者が行います。」
「彼のDNAも調べたいので、頬の内側の細胞を採取しておいて欲しいのですが・・・」

 テオの要求に少佐が笑って頷いた。

「担当者に言っておきましょう。貴方もとことん科学者ですな。」

 その時、ギャラガが部屋の南側を指差した。

「少佐、あそこに”入り口”があります!」
「うむ。ミーヤの国境検問所を目的地に”跳べ”。」



第7部 ミーヤ      1

  テオにあてがわれた部屋には窓があった。だから夜が明けて太陽が顔を出す頃になると、窓から光が差し込んで来た。睡眠時間は3、4時間だけだったが、テオは目覚めた。ホテルではないので部屋に洗面所もトイレもない。彼は廊下に出てみた。殺風景な廊下だった。そこに警備班の兵士が1人立っていた。テオの為の立番だと理解した。

「ブエノス・ディアス。」

 挨拶すると向こうも返事をくれた。テオがトイレの場所を尋ねると案内してくれ、用事を終えて出て来ると、まだ待っていた。そして食堂へ連れて行ってくれた。テオが本部内を彷徨かないように監視の意味もあるのだろう。
 カウンターで食事を受け取って適当に空席に場所を取ると、間もなく知った顔が現れた。マハルダ・デネロス少尉だ。彼女はテオに気がつくと、びっくりして目を見張った。そして食事を受け取ると彼の隣に来た。

「ブエノス・ディアス、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ブエノス・ディアス、アンドレが来たら聞いてくれないか?」

 そこへアンドレ・ギャラガも現れた。着替えてさっぱりした顔をしていたので、昨日の服装のままのテオはちょっと羨ましかった。彼がデネロスと反対側に座ったので、テオは文句を言ってみた。

「君だけシャワーを使えたのか?」
「済みません、つい習慣で・・・」

 デネロスがクスクス笑った。

「汗臭いと怒る先輩が部屋にいるんですよ。」

 そして彼女はギャラガの顔を見た。それでギャラガは彼女に”心話”で状況を説明した。そう言うことね、と彼女が呟いた。

「少佐と大尉にも伝えて良いかしら?」
「大丈夫。中尉はまだカブラロカ?」

 中尉は勿論アスルのことだ。デネロスが頷いた。

「ンゲマ准教授は遂に洞窟に入って、サラの完璧な遺跡を確認したそうよ。」
「そいつはおめでとうって言わなきゃ。」

とテオが言ったので、彼等は静かにコーヒーで祝杯を上げた。

「それで、まだ調査の方は終わっていないんですか?」

 デネロスの質問にテオはまだと答えた。

「今日、これからアンドレと俺はアーロン・カタラーニを連れてミーヤの国境検問所へ行く。そこで調査団が帰国するのを待つんだ。」
「相手が向こうの政府軍だとややこしいですね。」

 ギャラガが囁いた。

「攻撃を受けない限り、調査団のバスが国境の向こうにいる間は絶対に手を出すなと副司令に言われています。」
「貴方の力が大きいからよ。」

とデネロスが言った。

「ちょっと加勢する目的で気を放ったつもりでも、グラダ族の攻撃力は大きいの。爆裂波を迫撃砲の攻撃と間違えられては国際問題になりますからね。」
「そんな軽はずみなことはしないぞ。」

 デネロス相手だとギャラガもお気楽に対等の口を利いた。オフィスでの勤務中は先輩として彼女を立てているが、同じ少尉同士だし、軍歴はギャラガの方が長い。能力の使い方も理解してくると教わることも減って来ているのだ。テオは2人が軽い諍いを始める前にまとめにかかった。

「ケサダ教授とダニエル・パストルが上手く相手を出し抜いてくれることを祈ろう。敵がオレ達が出会った3人だけだと良いが・・・」
「アランバルリはこちらで尋問されるようです。」

とギャラガが言った。

「私達が隣国の将校を誘拐してしまったことになるので、情報を引き出した後は記憶を抜いて戻すでしょうが。」
「”シエロ”にそんなことが出来るの?」

とデネロスが心配そうに眉を顰めた。

「どの程度”シエロ”の能力があるのか、まだはっきりしないんだ。」

とテオは言った。

「それをこれから尋問するんだろう。」

 尋問担当者は誰だろう、と彼は思った。恐らく指導師の資格を持てる上級将校だろうが。


第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




第7部 誘拐      9

 「少佐!」

 突然右方向から声をかけられた。テオが思わず振り向くと、暗がりの中に人影が見えた。2人だ。彼が足を止めた瞬間、ギャラガが言った。

「アーロンの体を掴んで、早く!」

 テオは考える暇もなく目の前でアランバルリ少佐に背負われているアーロン・カタラーニの腕を掴んだ。アランバルリに彼もくっつく様なポーズになったと思ったら、ギャラガが息をつく暇もなく続けた。

「走れ!」

 走った、と思った瞬間、体が夜の闇よりも暗い空間に吸い込まれる感触がした。空間移動だ、とテオは思った。思った直後に体が地面に落ちた。
 地面だろうか? 
 目が電灯の照明で少し眩んだ。真っ暗な場所からいきなり明るい場所に出たからだ。ググっと誰かの呻き声が聞こえた。

「ギャラガ少尉!」

 聞きなれない女性の声が聞こえた。テオは瞬きして、視力が戻ると周囲を見回した。
 10人ばかりの男女に取り囲まれていた。インディヘナとメスティーソと・・・全員カーキ色のTシャツと迷彩柄のボトム姿だ。軍人・・・?
 ギャラガがアランバルリとアーロン・カタラーニを押し退けて立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部所属アンドレ・ギャラガ少尉、緊急避難で”跳びました”!」

 敬礼して早口で語った彼に、取り囲んでいた男女はテオ達を見て、ギャラガを見た。1人が叫んだ。

「この隣国の軍人は吹き矢で射られているぞ!」

 テオはハッとした。夢中でアランバルリからカタラーニを引き剥がし、弟子の体に矢が刺さっていないか確かめた。その間に軍人達はアランバルリから矢を引き抜き、1人が傷口に手を当てた。

「血流を止める。誰か中和剤を持って来い! 指導師を呼べ!」

 アランバルリは口を大きく開き、酸素を求めて喘いでいた。筋肉が弛緩して呼吸困難に陥ったのだ。別の軍人が彼に人工呼吸を試みた。傷口に手を置いた軍人にギャラガが視線を合わせた。一瞬で”心話”による事情説明が行われた。

「わかった。」

とその男は言った。そしてまだそばに残っていた仲間に命じた。

「ドクトル・アルストとその学生を救護室に案内してくれ。念の為に2人にも傷がないか調べろ。」

 テオはやっと周囲を見回すことが出来た。リノニウムの床の体育館の様な場所だった。きっと大統領警護隊本部の訓練施設だ、と思った。アンドレ・ギャラガは敵から吹き矢で攻撃された瞬間に、一番安全と思われる場所へ”跳んで”逃げたのだ。
 こちらへ、と女性隊員に案内され、テオはまだ気絶したままのカタラーニを背負って別室へ向かった。隊員がカタラーニを見て、怪我をしているのかと尋ねたので、彼は首を振った。

「ギャラガ少尉が救出しやすいように”ティエラ”の彼を眠らせたんだ。」

 成る程、と隊員は納得した。
 救護室は体育館のすぐそばで、質素なベッドが数台並んでいた。訓練中に負傷する隊員が出た場合の応急手当をする場所だろう。医師らしき人はおらず、隊員はテオがカタラーニをベッドに下ろすと、彼の服を脱がすようにと言った。

「カーテンを閉めますから、ドクトルが学生さんの体をチェックして下さい。」
「わかった。終わったら、俺自身の体も見るから、少し時間がかかるぞ。」
「承知しています。少しでも異常があれば呼んで下さい。」

 体育館の中が気になった。大統領警護隊の本部内は静かで、瀕死の人間がいるにも関わらず騒ぎになっていない。
 恐らくアランバルリの部下は上官と捕虜が姿を消したことに気が付き、先回りして教会前広場へ近づくのを張っていたのだ。吹き矢でギャラガを狙ったが、ギャラガが運良く空間通路の”入り口”がすぐ目の前にあるのを発見して跳び込んだので、矢は彼の後ろに続く形で動いたアランバルリに命中してしまった。紙一重の差でギャラガ、カタラーニ、テオは毒矢から逃れたのだ。
 
 連中は目の前で俺たちが消えたので、腰を抜かしているんじゃないか?

 テオは想像してみた。少し愉快だったが、隣国に残してきた調査団の仲間を思い出し、また新たな心配が生じた。彼等は無事だろうか。ケサダ教授1人に任せてしまうのは酷ではないのか。


2022/07/08

第7部 誘拐      8

 アランバルリ少佐のテントには歩哨がいなかった。野営地の中なので安全だと思っているのだ。武器を持たない村人が襲って来るとも思っていない。悪党にしては間が抜けているとテオは思った。
 ギャラガが囁いた。

「私が中に入ってアーロンを救出します。貴方は外で邪魔が入らないよう見張って下さい。もし誰かがテントに近づいて来る様なら、口笛を吹いて・・・」
「鳥真似は出来ない。ピッと一瞬鳴らすだけで良いか?」
「結構です。」

 2人はそっとテントに忍び寄った。横手に木箱がいくつか積み上げられていた。テオは中身は何だろうと気になったが、開いて見る暇はなかった。木箱の後ろに身を隠し、ギャラガが堂々とテントに入って行くのを見守った。
 ギャラガに渡された小型拳銃を握る手が汗ばんだ。以前もこんな経験をした。ロホが反政府ゲリラ”赤い森”に捕まった時だ。先にテオが誘拐され、ロホは彼の救出に成功したが今度は己が捕まってしまい重傷を負わされた。テオはロホを探しに来たケツァル少佐とカルロ・ステファンと出会い、3人でロホを救出する為にゲリラのキャンプに戻ったのだ。”赤い森”にはミックスの”シエロ”ディエゴ・カンパロがいた。ステファンが囮となってカンパロと一味をひきつけ、その間に少佐とテオが少佐の”幻視”を使ってロホを助け出した。3、4年前の話だが、もう遠い昔の様だ。テオは少佐が”幻視”を使って見張りの前を歩いて行くのを物陰から見守った。あの時の緊張感と同じだ。ギャラガを信じているが、自分がいざと言う時に動けるだろうかと緊張するのだ。
 物凄く長い時間が経った気がしたが、実際は10分足らずだったろう。テントから男が2人出て来た。1人は背中に大きな荷物を背負っていた。彼等は藪に向かって歩き出し、ギャラガが囁いた。

「ドクトル・・・」
「スィ」

 テオは立ち上がり、そっと彼等の後ろについた。先頭はギャラガだ。すぐわかった。真ん中は、驚いたことにアランバルリ少佐だ。そして背負われているのはアーロン・カタラーニだ。ギャラガは”操心”を使って、敵の大将を「誘拐」したのだ。
 カタラーニは静かだった。もう縛られていないから、ギャラガが逃走し易いように彼を眠らせているのだ、とテオは悟った。
 何だか凄いものを見ている、とテオは気がついた。
 アンドレ・ギャラガはほんの少し前まで”心話”さえ使えない落ちこぼれ”シエロ”だったのだ。それが上官達や先輩達に「信用」と言う大切な贈り物をもらい、メキメキと超能力の使い方を習得していった。”操心”と”連結”の区別がまだ未熟だと先輩に注意を受けていたばかりなのに、今、テオの目の前で見事に使いこなしている。しかも”シエロ”同士では使えないと考えられている”操心”でアランバルリを操っているのだ。

 そう言えばケサダ教授もアランバルリと側近2人に同時に”操心”と”連結”をかけて記憶を消した。彼は純血種だが、ミックスのアンドレもやるじゃないか! やっぱりグラダの血は凄い!!

 畑から村に出た。教会前広場まであと少しだ。 

第7部 誘拐      7

 テオは忍耐強くギャラガを待っていた。絶対に安心とは言えないが、もしギャラガが見つかれば野営地に騒ぎが起きる筈だ。しかし兵士達は暢んびりしており、翌日セルバ人の護衛が終われば基地へ帰れると喜んでいた。彼等は田舎から軍隊に入った男達でありながら、この国境に近い寂れた村での勤務は嫌な様子だった。退屈なのだ。遊ぶ場所が全くない。飲み屋もない。女と遊ぶ店もなかった。
 テオが藪蚊に閉口しかけた頃にやっとギャラガが戻って来た。ギャラガがフッと息を吹くと藪蚊はいなくなった。
 テオはギャラガが正面にしゃがみ込むのを待った。

「アーロンはまだ生きています。」

とギャラガは最初にそう報告した。

「どんな状態かわかりませんが、アランバルリのテントにいる様です。」
「誘拐の目的は?」
「連中はセルバ人なら自分達と同じ力を持っているだろうと言う推測だけで彼を攫った様です。私は白人に見えるので排除対象となったのです。」
「つまり、連中は”シエロ”の正しい知識を持っていないのか。」
「その様です。同じ力を持つ仲間を集めて何かをしようと企んでいると思われます。」
「連中の数は?」
「私が聞いた限りでは3人です。少佐と側近が2人。結界を張っていませんでしたし、私の気を感じ取ることもなかったです。」

 テオは考え込んだ。3人だけで何をしようとしているのか。”操心”で兵隊を配下に置いてクーデターでも起こすのか? アランバルリが前大統領派で、投獄されている昔の仲間を救出するつもりだとしたら?
 ギャラガは野営地の様子をチラリと伺ってから、再び報告の続きを語った。

「今日の昼間の出来事を彼等は記憶していません。と言うか、記憶を抜かれたことを気がついているのですが、誰に抜かれたのか覚えていない様子です。しかし、教授が純血種であることはわかっていますから、疑っています。」

 テオは頷いた。

「教授も正体がバレたと悔やんでいる。彼はバスを結界で守って、”幻視”で俺達がいる様に見せかけて明日国境を越える計画だ。」
「成功を信じます。」

 ギャラガが微笑んだ。
 2人は薮の中を通り、ギャラガが立ち聞きした大きなテント迄歩いて行った。月明かりだけだから、テオは足元が見えなかった。慎重に物音を立てずに歩くと時間がかかったが、仕方がない。ギャラガも彼が夜目を使えない普通の人間だと承知しているから、少し前を先導し、躓きそうな障害物があれば立ち止まって、下を指差した。彼が微かに放出している気のお陰で虫や蛇に出会わずに済んだ。2人は野営地から聞こえて来る人の話声や物音に何度も耳を傾け、自分達の存在が気づかれていないことを確かめた。
 テントのそばに到着した時は夜が更けていた。テオは空腹を忘れていた。テントの中の灯りに男が2人座っている影が見えた。どちらも時々手を動かしたり、立ち上がったりしていたから、カタラーニではないだろう。男達の影の足元の荷物の様な物が捕虜に違いない。カタラーニは転がされているのだ。他のテントに軟禁されていないのであれば、だが。
 やがて影の一つが敬礼して、テントから出た。別のテントへ歩いて行く。残った影は足元の物体に声をかけた。

「水をやるから大人しくしていろ。声を出したら殺すぞ。」

 アランバルリの声だった。彼は床の上の捕虜を起こし、水筒を持って頭部へ近づけた。猿轡を外された捕虜が水を貪り飲むシルエットが見えた。
 水を飲み終わると、捕虜は再び猿轡を嵌められ、床に転がされた。
 アランバルリが灯りを消した。

  

2022/07/06

第7部 誘拐      6

  水を入れたポリタンクを載せたカートを押して、ケサダ教授はバスに戻って行った。テオがギャラガを見ると、若い大統領警護隊の隊員は足首に隠していた小型拳銃を盗られていなかったことを確認していた。アランバルリの一味は彼が軍人だとは想像していなかったのだ。白人を吹き矢で射殺してそれで終わり、と安直に考えたのだろう。
 テオとギャラガはトウモロコシ畑の中の道を行き、部隊の野営地へ向かった。辺りは薄暗くなって、村の家家の灯りが見えた。軍の野営地はすぐにわかった。初日に見た様に30人ほどの部隊だ。その中の何人が”シエロ”の末裔なのかわからないが、彼等はセルバ人が殺害されたり誘拐されたと言う騒ぎが起きたら、反政府ゲリラの仕業と決めつけるつもりでいるのだろう。セルバ側からの反撃を警戒もしないで、暢んびり夕食を取っていた。
 夜目が効くギャラガがテオを木陰に誘導した。己の小型拳銃をテオに渡した。

「”幻視”を使って野営地の中に入ってみます。結界を張っているように見えませんが、どこまで入れるか調べて戻って来ます。」

 ギャラガは、自分1人で十分やれる、とは言わなかった。常に2人1組で行動せよと言う教えを真面目に守っていた。カタラーニを見つけて救出するのは2人で行う、と彼は考えていた。それはテオとはぐれてはいけないと言う思いもあったのだ。彼は失敗を取り戻す為にがむしゃらに頑張るタイプではなかった。失敗すれば、その原因を考え、より用心深くなるタイプだ。カタラーニとテオは”ティエラ”で、彼は1人で守らねばならない。しかしテオが非戦闘員であるにも関わらず非常に頼りになる男だと理解していた。だから、テオを安全圏に置いて自分1人で行動することの方が不安だったのだ。
 テオはギャラガの提案を了承した。

「連中が結界を張れる力を持っていると思えないが、用心するに越したことはない。特にアランバルリ少佐には気をつけろ。」

 敵の”シエロ”の末裔の人数が不明なのが気がかりだったが、ギャラガは静かに野営地へ入って行った。テオはそっと木の影から様子を伺っていた。
 ギャラガは最初物陰から物陰へと移動していたが、途中で近くを通った兵士が彼に気づかなかったので、今度は堂々とテントの間を歩いて行った。ぶつからないように、音を立てないように、用心したのはその2点だった。
 兵士達はリラックスしていた。セルバ人の調査団が明朝帰ると聞いて、国境までの護衛をすれば基地に帰れると話していた。指揮官の少佐やその側近達と思われる兵士は彼等が食事を取る場にいなかった。ギャラガはどの兵士からも”ヴェルデ・シエロ”の気を感じなかった。
 ギャラガはテントに戻ろうとした兵士を1人捕まえた。一瞬姿を現し、相手の目を見て命令した。

「アランバルリ少佐のところへ案内しろ。」

 兵士がくるりと背を向けて歩き出したので、ギャラガは急いで”幻視”を再開した。周囲を確認して、他に彼の姿を見た者がいないと判断した。
 ”操心”にかけられた兵士は野営地の中をスタスタと歩いて行った。途中で彼の同僚が声をかけたが、彼は「少佐のところへ行くんだ」と応えただけだった。
 やがて一回り大きなテントの前に来た。兵士が中に入ってしまえば面倒なことになる。ギャラガは兵士に近づき、耳元で囁いた。

「任務完了。戻ってよろしい。」

 素早く身を遠ざけると、兵士はハッと夢から覚めた様な顔になった。目の前のテントを見て、周囲を見回し、首を傾げた。そして上官から絡まれる前にイソイソと立ち去った。
 ギャラガは忍足で大きなテントに近づいた。彼の優れた聴覚を持つ耳に、テントの中の会話が聞こえた。

「セルバ人だからと言って、みんなが同じ力を持っているとは限らないようだ。」
「こいつはただの人間です、少佐。どうしましょうか?」
「我々のことを知られてしまった。生きて帰す訳にはいかん。」

 ギャラガはドキリとした。こいつらは”操心”を使える筈だ。カタラーニの記憶を消して帰せば良いだろうに。アランバルリの声が続けた。

「白人の若造を君は毒矢で殺してしまった。この若造の記憶を消すだけでは騒動を消せないだろう。」

 3人目の声が聞こえた。

「君が白人を殺したりするから、そろそろセルバ人が死体を見つけて騒ぎ出すぞ。」
「あの白人は兵隊みたいな気配を持っていた。軍隊上がりだろう。抵抗されて騒ぎになるといけないから、殺した。セルバ人は村外れの猟師の家族の仕業だと思うんじゃないか。ペドロ・コボスはセルバ人に殺されたから、兄貴が弟の仇を討ったと考えるだろう。」
「いずれにせよ、そろそろ死体を誰かが見つけて騒ぎ出す。ここへ通報に来るのも時間の問題だ。」

 するとアランバルリが言った。

「この若造は人質として生かしておく。あのセルバ人の調査団の中に我々の昼間の記憶を消した人間がいるのは確かだ。」

 ギャラガは緊張した。しかし気を発する訳にいかない。彼は心を無にして会話を聞くことだけに神経を注いだ。
 アランバルリが呟いた。

「インディヘナの男がいたな・・・教授と呼ばれていた・・・」

 ギャラガはそっとテントから離れ、素早く近くの藪に入った。そして葉音を立てずにテオが隠れている場所へと走った。



2022/07/05

第7部 誘拐      5

  2分もするとアンドレ・ギャラガは煉瓦作りの井戸枠にもたれて座れる程に回復した。ケサダ教授が新鮮な水を汲んで与えると、彼は少しずつ飲み下した。井戸の周囲を見回ったテオは何も手がかりを得られずに2人の側に戻った。

「アンドレ、アーロンを攫った連中を見たか?」
「顔は見ていません。しかし、軍服を着ていました。人数は不明です。」
「アーロンは声を出さなかったんだな・・・」
「私がいきなり倒れたので、彼は駆け寄ろうとして、それから立ち止まりました。恐らく・・・銃を向けられたのだと思います。」
「君には吹き矢で、アーロンには銃か・・・」

 ギャラガは知らない人が見れば白人だと思うだろう。アーロン・カタラーニはメスティーソだ。アランバルリの一味は、多分誰が超能力者なのか判別出来ずに、「白人」のギャラガを殺してメスティーソのカタラーニを攫うことにしたのだ。もしかすると、昼間もテオと村長を殺害してボッシ事務官とケサダ教授を攫うつもりだったのかも知れない。
 政府の正規軍が外国政府から公式に調査の為にやって来た科学者を殺害したり誘拐したりすれば、外交問題になる。敢えてするのなら、それは自国政府に対する反乱ではないか。

「アランバルリはクーデターを計画しているんじゃないか?」
「しかし、何の為に我々を襲うのです?」

 と問いかけてから、ギャラガは自分で答えを思いついた。

「同じ力を持つもの同士で協力しろと?」

 教授が肩をすくめた。外国人にクーデターの片棒を担がせるなど、馬鹿げている。それも銃で脅して・・・。
 ギャラガが立ち上がった。腕や脚を振って筋力の回復を確かめている。
 テオはケサダ教授に言った。

「俺はこれからアンドレと共にカタラーニを助けに行きます。」

 反対されるかと思ったが、教授は黙って彼を見返しただけだった。

「教授は”幻視”か何かで事務官達に俺達が一緒にいると思わせておいてくれませんか。そして明日の朝、予定通りに帰国の途について欲しいんです。連中は調査団が騒ぎもせずに出発するのを不審に思って様子を伺いに来るでしょう。連中がバスに気を取られている間に、俺達はカタラーニを探します。」

 ギャラガを見た。相談も何もしなかったが、ギャラガはテオの提案に同意を示して頷いた。

「私は軍人です。背中を射られるなんて不名誉なしくじりです。しかも友人を奪われるなど、あってはならない失敗をしました。自分の名誉回復を二の次にしても、カタラーニを取り戻したいです。ドクトルは私が守ります。もう失敗は許されません。」

 ケサダ教授はテオとギャラガを交互に見比べた。

「確かに、私は民間人で、軍事行動に参加すべきではないな。」

と彼は呟いた。

「パストルの手も借りることになるでしょうが、国境を越える迄人々の目を誤魔化すのは容易いことです。ついでにバスを結界に取り込んでおきましょう。連中が一族の末裔であるなら、バスに触れない筈です。無理に押し入ろうとすれば脳をやられる。」
「もし銃撃されたら・・・」

 ギャラガの心配に、教授が微笑で応えた。

「大統領警護隊だけが守護者ではない、エル・パハロ・ブロンコ。」

 大先輩の能力を心配してしまったギャラガは赤面した。
 テオは彼が十分動けるまでに回復したと判断した。それで教授に言った。

「カタラーニを救出してバスを追いかけます。」

 教授も言った。

「ミーヤの国境検問所で待っている。あそこには一族の警備兵が大勢いるから、もし追手が来ても問題はない。」

 

第7部 誘拐      4

  ダニエル・パストルが夕食が出来たと告げた時、テオはアーロン・カタラーニとアンドレ・ギャラガがまだ戻って来ていないことに気がついた。パストルにそのことを言うと、コックは井戸がある方角を見て、眉を顰めた。

「順番待ちをしたとしても、もう戻って来ている筈ですね。」

 テオは嫌な予感がした。彼は小声でコックに囁いた。

「ダニエル、君は一族だよな?」

 つまり”ヴェルデ・シエロ”だな、と念を押したのだ。パストルはテオが”有名な白人”だと知っていたので、素直に頷いた。テオは更に声を小さくした。

「俺が様子を見てくる。君は”心話”で教授に伝えてくれ。ボッシと運転手には気づかれるな。」

 パストルは承知しました、と答え、何気ない風でケサダ教授やボッシ事務官がいる所へ歩いて行った。
 テオは井戸に向かって歩き出した。武器も何も持っていない。携帯電話だけポケットに入っているが、この村では接続が悪い。村に入ってから使ったことがなかった。
 家並をぐるりと周り、村の水場へ行った。川から引いた水路と井戸が近接して設置されている場所だ。ポンプ式の井戸の側にポリタンクを載せた手押しカートが放置され、少し離れた場所で倒れている男が見えた。そのシャツの色を見て、テオはゾッとした。思わず駆け寄った。

「アンドレ! しっかりしろ!」

 抱き起こそうとして、シャツの背中に刺さっている矢に気がついた。吹き矢だ。まさか、クラーレの毒矢か? 
 矢を引き抜き、捨てた。ギャラガの首に手を当てると脈が感じ取れた。生きている。だが、どうすれば良い? 仰向けにされたギャラガの顔は血の気がなかった。麻酔ではなく毒矢に違いない。ギャラガが生きているのは、”ヴェルデ・シエロ”だからだ。テオはギャラガの額に手を当て、もう片方の手で顎先を持ち上げて気道を確保した。殆ど息がないギャラガの鼻を摘み、口に己の口を合わせた。ためらいはなかった。息を吹き込み、ギャラガが自然に息を吐き出すのを見守った。2度目の吹き込みを行った後、胸骨圧迫を施した。
 もう一度人工呼吸を行おうとした時、ギャラガが咳に似た自発呼吸をした。

「アンドレ!」

 呼びかけると、若い”ヴェルデ・シエロ”は呻き声を上げた。テオの直ぐ後ろでケサダ教授の声が囁いた。

「もう大丈夫だ。」

 テオが振り返ると、教授が先刻テオが捨てた吹き矢を手に取って観察していた。

「中米地峡一帯で使われていた狩猟道具です。先端にクラーレが塗られていた。」

 彼はギャラガに目を遣った。

「射られた瞬間、彼は本能的に毒を中和させる状態に体を持っていったのです。しかし初めての経験だったので、上手に出来なかった。喉の筋肉が硬直して呼吸困難に陥り気絶してしまったのでしょう。貴方の蘇生術で彼は助かりました。」

 テオは脱力しそうになった。ギャラガが目を開き、彼を見上げた。

「ドクトル・・・」
「アンドレ・・・戻って来てくれて有り難う。」

 しかし、ギャラガは己が助かったことを喜ぶ余裕がなかった。彼はまだ上手く動かない唇を必死で動かして、テオに告げた。

「アーロンが・・・連れて行かれました。」

 それで初めてテオは己の弟子が姿を消していることに気がついた。慌てて立ち上がった。周囲を見回した。陽気な若者の姿はどこにもなかった。

2022/07/04

第7部 誘拐      3

  夕刻、採取に来る人が少なかったので、テオは早めに受付を閉め、検体の整理を始めた。1人で出来るので、助手のアーロン・カタラーニはコックの手伝いで水汲みに行くと言った。井戸は遠くないが水のポリタンクは重たい。手押しカートでもガタガタ道ではちょっと厄介な道のりだ。村の女性の装飾品をセルバのカブラ族の衣装のデザインサンプルと見比べていたケサダ教授が、アンドレ・ギャラガに声をかけた。

「一緒に行ってやりなさい。」

 つまり護衛しろと言うことだ。ギャラガは素直に自分のタブレットを仕舞い、カタラーニと共にカートを押して出かけて行った。
 テオはタバコをふかしながらぼんやりしているボッシ事務官に声を掛けた。

「採取を明日の午前中で終わらせて、セルバに引き揚げませんか?」

 これ以上待っても手に入る検体が増えることは期待薄だった。それにアランバルリ少佐の部隊から早く離れたかった。アランバルリがどの程度の能力者なのか不明だし、どれだけの人数の仲間がいるのかも掴めない。だが”操心”を使えるのだから用心するに越したことは無い。
 ボッシ事務官は少し考え、頷いた。

「ドクトルがそう仰るなら、そうします。考古学の先生の方は如何ですか?」

 意見を求められて、ケサダ教授は肩をすくめた。

「遺跡のない場所で古代の文化の共通点を探せと言われてもね・・・」

 彼はチラリとテオを見てから答えた。

「引き揚げに賛成です。」

 ボッシ事務官は大きく頷いた。

「わかりました。では、明日の朝から私の方で撤収手続きを行います。午後、昼食後に出発でよろしいですか?」

 スィ、とテオとケサダは頷いた。採取作業も忙しくないから、撤収作業しながら行えば良いだろう。
 セルバ人は暢んびり作業するが、テオは記録を終えると既に備品のいくつかを片付け始めた。写真の照合だけの仕事をしているケサダ教授が、気が早いなぁと言いたげにチラリと視線を送って来たが彼は無視した。早くセルバに帰りたかった。隣国なのに異質な世界に思えて落ち着かないのだ。”ヴェルデ・シエロ”がいない世界。セルバだって日常は誰もが古代の神様の存在なんて意識せずに暮らしている。話題に上ることはないし、ほとんどの国民は純粋に”ティエラ”だ。それでもテオには安らぎを与えてくれる国だ。だがこの隣国は、どことなくギスギスした空気が漂っていた。村人は軍隊に怯え、警戒していた。軍隊も彼等と距離を置き、親しくなろうとしない。役人は両者の間で中立を保とうと気を張っていた。数年前の政治的内紛がまだ暗い影を落としているのだ。
 アランバルリ達古代の”シエロ”の子孫は、内紛にどんな形で関わったのだろう。隣国の内紛は、政府上層部の権力闘争だった。当時の大統領派と副大統領派がそれぞれ陸軍と海軍を味方につけて争ったと聞いている。結局副大統領が大統領を国外追放し(しかも後に亡命先で暗殺して)政権を掌握した。大統領派が殺害した国民の遺体が多く発見され、世界的なニュースになったのだ。隣国政府は自国の汚点を浄化しようと必死だった。現在いる陸軍は、大統領派から投降して新大統領に忠誠を誓った部隊だ。だからアランバルリもその中の1人だろう。しかし本心から新政権に服従しているのだろうか。
 テオは隣国の内紛にセルバ共和国が巻き込まれるのは御免だ、と思った。もしかするとアランバルリは己の能力が異常に強いと感じ、セルバ共和国の伝説の神々と結びつけて考えたのかも知れない。そして神々の子孫の存在を想像し、恐らく大統領警護隊の話を聞いて、己の能力と伝説の神々を結ぶヒントが得られると思ったのではないか。

 彼より強い能力者が他にいなければ、彼はこの国の独裁者になれる。

 テオはゾッとした。

2022/07/03

第7部 誘拐      2

  教会前のテントに戻ると、アンドレ・ギャラガとアーロン・カタラーニは昼寝をしていた。村全体がシエスタを取っているのだから、細胞を採取してもらいに来る人がいないのだ。コックのダニエル・パストルと運転手のドミンゴ・イゲラスも近くの木陰で寝ていた。テオが採取してきたコボス家の2人の細胞サンプルを冷蔵庫に入れて記録を録っていると、いつの間にかギャラガが起きてそばにいた。

「コボス家の人々はペドロの死に関して何か言ってましたか?」

 ちょっと心配していた。ペドロ・コボスは大統領警護隊に射殺されたのだ。遺族が怨恨を抱いていたとしても不思議でない。テオは首を振った。

「何も・・・母親は耄碌していて、息子が死亡した知らせを聞いた筈なんだが、もう忘れていた。ペドロはまだ生きていて猟に出かけていると思っている。」
「気の毒に・・・」
「兄のホアンは無関心だ。今日の印象ではそう見えた。俺達に早く帰って欲しい、それだけだろう、素直に細胞を採らせてくれた。」

 それよりも、とテオはバスの外に目を遣った。誰もこちらを見ていないと確認してから、それでもその場にしゃがみ込んで、ギャラガにも同じ姿勢を取らせた。

「アランバルリ少佐は”シエロ”だ。」

 えっ!とギャラガが目を見開いた。小声で尋ねた。

「彼が名乗ったんですか?」
「ノ、コボスの家を出て直ぐに声をかけて来た。質問内容は何気ないものだったが、ボッシ事務官と村長を”操心”でその場に足止めした。ケサダ教授が素早く俺の注意を少佐から逸らして俺が”操心”にかけられるのを防いでくれた。」
「貴方は”操心”にかからないでしょう?」

 ギャラガはテオの特異体質を承知していた。テオは苦笑した。

「うん、だが教授は予防線を張ったんだ。そしてアランバルリと2人の部下を一瞬で”連結”にかけた。」
「”連結”? ”操心”ではなく?」
「”連結”だ。村長と事務官にかけられた”操心”をかけた本人に解かせないといけないから。」

 あ、そうか、とギャラガが自分の頭をコツンと叩いた。まだ超能力の種類の使い分けに混乱することがあるのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”同士の場合、能力が同じ強さの者に技はかけられない。但し、グラダ族は別格だ。
 まだ修行中のミックスのグラダ族、アンドレ・ギャラガは本気を出せば純血種の他部族より大きな力を出せる筈だが、まだ完全に力の使い方を学習した訳ではない。

「でも、どうしてアランバルリはドクトルと教授に声をかけて来たんですか?」
「恐らく本命は俺じゃなくて、純血種の教授だったのだろう。しかし無関係な”ティエラ”の事務官と村長に少佐が技をかけたので、教授は怒ったんだ。」
「少佐は教授に何の用事があったのでしょう? 昨日のシエスタの時に”感応”をかけて来たのも少佐でしょうね?」
「恐らく。だが目的がわからない。教授は正体をバラしてしまったことを後悔されている。」

 テオはギャラガの肩に手を置いた。

「君も用心するんだ。力の大きさを頼んで戦おうなんて思わないでくれ。俺達は調査の為に来た。戦いに来たんじゃない。」
「承知しています。ケツァル少佐からも決して正体を明かしてはならぬと命じられています。」

 ギャラガはバスの外へ目を遣った。

「コックも一族です。彼にも伝えておいた方が良いですね?」
「そうだな。”心話”で教えてやってくれないか。彼にも正体を明かさないよう念を押してくれ。」

 午後からの採取は前日より人が減った。そろそろハエノキ村の住民達も慣れてしまって、義務ではない検査に関心を失ったのだろう。
 テオは村民よりアランバルリ少佐の部隊に興味を抱いてしまった。もしかすると隣国版大統領警護隊なのかとも想像したが、そんな特殊部隊を隣国が持っていればセルバ側も早い時期に察知していただろう。アランバルリの部隊の中のごく一部が、”ヴェルデ・シエロ”の末裔に違いない。今回のセルバ共和国から来た民族移動の調査隊の中に一族がいると知っていた訳ではなく、試しに”感応”を行ってみたと思われる。反応がなかったのだから諦めてくれたら良かったのだが、少佐は直接純血種の教授に近づいて試したのだ。
 アランバルリはとんでもなく危険なことをしている、とテオは感じた。あの少佐の目的が何なのかまだ不明だが、怒らせてはいけない男にちょっかいを出してしまったのだ。

 


第7部 誘拐      1

  コボス家の小屋の様な家屋から出て村へ戻ろうと森の端の小道を歩きかけた時、横手から声をかけて来た者がいた。

「コボス家の連中から上手く細胞を採れましたかな?」

 足を止めて振り向くと、護衛として来ている隣国の陸軍分隊長のアランバルリ少佐だった。後ろに2人部下を従えていた。パトロールの途中なのだろう。ボッシ事務官が大きく頷いて見せた。

「スィ、彼等は協力的でした。」
「それは良かった。」

 テオは少佐と事務官が目を合わせた様な気がした。村長が少佐に話しかけた。

「セルバの先生達の調査は予定通りに終わりそうだ。護衛の人数を半分に減らしても問題はないと思う。」
「それは私が決めることだ、村長。」

 少佐が村長の顔を見て、ちょっと笑って見せた。その途端、ケサダ教授がテオの手首を掴んだ。テオは驚いて教授を見た。教授は彼ではなく、アランバルリ少佐を見た。

「ご自分の職務を忠実に全うされるとよろしい。」

と教授が言った。少佐が数歩後退りした。彼は腰のホルダーに装備している拳銃に手を伸ばしかけ、そこで硬直した。テオは何が起きているのか直ぐに理解出来ず、少佐の後ろの兵士達を見た。兵士達も手を武器に伸ばしかけた状態で固まっていた。
 ケサダ教授が静かに言った。

「事務官と村長に掛けた”操心”を解きなさい。貴方がどう言うつもりなのか知らないが、我々は政府から命じられた仕事が終われば直ぐに帰る。このことは忘れよう。」

 テオはアランバルリ少佐と部下達が固まったままもがいているのを感じた。3人の軍人はケサダ教授の強力な”連結”で体を拘束されているのだ。普通、”ヴェルデ・シエロ”の”連結”能力は1人だけに対して有効だ。”操心”と違って脳を支配せずに体の動きだけを支配する能力だ。大統領警護隊が使うのを何度か目撃したことがあったが、一度に複数の人間に”連結”技をかけるのを見たのは、テオも初めてだ。ケサダ教授は最強と言われるグラダ族の純血種だった。
 突然ボッシ事務官と村長がそれぞれ瞬きして、3人の軍人達を見た。

「どうかされましたか、少佐?」

 アランバルリ少佐と2人の部下が脱力して腕をだらんと落とし、よろめいた。あ、いや、と少佐が呟いた。

「日に当たり過ぎた。」

 彼は部下に合図を送り、くるりと向きを変えて来た道を歩き去った。その後ろ姿を見送り、事務官が頭を掻いた。

「ええっと・・・何か話していたような・・・」

 ケサダ教授がテオから手を離して言った。

「仕事の進み具合のことを訊いて来ただけです。」

 4人は教会前広場に向かって歩き出した。テオがそっと教授に囁いた。

「あの3人だけでしょうか? 村人ではなく彼等軍人から細胞を採取すべきなのだと思いますが・・・」

 教授が肩をすくめた。

「採らせてもらえないでしょう。迂闊なことに、私の正体を教えてしまいました。」
「彼等には自覚がありますね。」
「スィ。しかし祖先が私と共通であると言う認識があるかどうかは疑問です。」
「気を感じられたのですね?」
「スィ。出会った時から微かに感じていました。ただ余りに微弱だったので、軽視してしまったのです。貴方に教えるべきだったと後悔しています。」
「抑制していたのでしょうか?」
「ノ、彼等は抑制を知らない様です。あれが彼等にとって精一杯の能力に違いありません。私も微弱な力しか使いませんでしたが、彼等は抵抗出来なかった。」
「大人しく引き退ってくれると良いですね。」
「そう願っています。」

 最強と言われる能力を必死で隠して生きてきたフィデル・ケサダが後悔していた。テオは守らなければと感じた。ケサダもギャラガもパストルも守ってやらねばならない。彼等は異郷の地で正体を暴かれる訳にいかないのだ。

 

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...