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2021/07/20

聖夜 12

  南国のクリスマスは初めての体験だ。シオドアとアリアナは次の日の夕方、グラダ国際空港に降り立った。乗客達の多くは冬服だったが、入国審査を通り、税関を抜け、ロビーで荷物を受け取ってロビーの暖かさに戸惑った。冷房が効いているのだが、冬服では暑かった。赤道はもっと南の筈だがと文句を言う人もいた。同じ飛行機に搭乗したケツァル少佐とロペス移民審査官は着替えを持っていたので適当な頃合いに軽装になっていた。少佐は旅慣れしている。ロペスは往路で学んだのだろう。
 ロビーにはセルバ共和国外務省の迎えが来ていた。ケツァル少佐とはそこでお別れで、シオドアとアリアナはロペスと共に迎えの車に乗り、大統領府近くの外務省へ連れて行かれた。文化・教育省は雑居ビルにあるが、外務省はそれなりの重厚さを持つスペイン統治時代に建てられた歴史ある建物だった。夕刻だったので、そこで仮の身分証をもらって、許可なしに外出してはならないと注意をもらい、近くのホテルに案内された。安宿ではなく、警備の都合上ちゃんとセキュリティが充実した値段の高そうなホテルだった。仮の身分証を提示するとレストランで食事も出来た。アリアナが試しにホテル内の洋品店で彼女と彼の服をカードで購入したら、ちゃんと使えた。

「これで私達が今何処にいるかアメリカ側にも知られたわね。」

とアリアナが言った。シオドアは平気だよと言った。

「ここまで全くアメリカ政府の妨害が入らなかった。またミゲール大使が国務長官に面会してくれたんじゃないかな。」
「でも大使の説得で政府が私達を解放してくれるかしら。」
「セルバマジックだよ。」

とシオドアは冗談で言った。後に知ったことだが、ミゲール大使は本国から送られてきたメールを印刷して国務長官に渡したのだ。そこには、セルバ共和国のみならず中米各国で活動しているアメリカの諜報機関のメンバーの氏名がリストアップされていた。
 諸国に黙っていてやるから、たった2人の遺伝子学者の亡命に目を瞑れ、と言うセルバ共和国流の外交手段だった。正にセルバマジックだった。
 翌日、再び外務省へ連れて行かれ、そこで1年間の観察期間の説明を受けた。仕事はグラダ大学で遺伝子関係の研究室を紹介された。シオドアは以前途中放棄した遺伝子工学の講師を選んだ。今度こそ真面目に学生に教えるのだ。アリアナは医学部で遺伝病の研究を指導することになった。そこでは英語が使えた。住まいはグラダ・シティの高級住宅街にある戸建て住宅で、そこに監視役を兼ねたメイドと運転手が付いた。どちらも英語を話せた。但し、どちらも”ヴェルデ・ティエラ”のメスティーソだった。

「研究所にいた頃と変わらないわね。」

とアリアナがちょっと拍子抜けした様に言った。彼女は収容所の様な生活を想像していたのだ。

「研究所より監視は緩いよ。」

 シオドアは大学内にいれば自由に歩き回れることを教えた。

「だけどアメリカ人留学生には用心しないとね。」
「スパイがいるってこと?」
「油断禁物ってことさ。俺達が母国の人間と接触するのを不愉快に思うセルバ人がいるかも知れないだろう?」
「私達がスパイじゃないかって疑われるのね。」

 アリアナは笑った。シオドアは”ヴェルデ・シエロ”の秘密を守るためなら暗殺を平気でやってのける”砂の民”と呼ばれる人々がいることを彼女に黙っていた。
 大学で働き始めて3日目に、アリアナに嬉しい出来事があった。キャンパスでマハルダ・デネロス少尉が声をかけて来たのだ。通信制の大学で学んでいる彼女は、久しぶりのスクーリングで大学に顔を出したのだった。
 デネロスはホテルで姿を消してアリアナを驚かせたことを詫びた。

「ドクトラお一人でしたら、走って逃げたのですけど、ボディガードが怖かったので。」

 と彼女は言い訳した。アリアナは首を振った。

「あの時の私はこの国に全く無知だったの。そして私自身が本国で置かれている立場にも無知だったわ。研究所が作った都合よく言うことを聞く人形だったのよ。あの時、貴女がテオの資料を焼いてくれなかったら、今頃セルバ共和国とアメリカの間で超能力開発を巡る情報戦争が起きていたかも知れないわね。」

 デネロスは肩をすくめた。

「私達には、超能力を持っていると言う意識がないのですけどね。」
「普通のことなのね?」
「スィ。力の種類や強弱は個性ですから。」

 クリスマス休暇で大学が休校になると、シオドアはエル・ティティからアントニオ・ゴンザレスを呼んだ。署長は都会に出ることを渋っていたが、2日だけなら、とバスに乗ってやって来た。シオドアはアリアナに「親父だ」と紹介した。ゴンザレスはスペイン語がまだおぼつかないアリアナの為に、やはりおぼつかない英語で一所懸命話しかけた。アリアナもできる限りスペイン語を使って話をした。

「綺麗な妹だな、テオ。」

とゴンザレス署長は感想を述べた。

「都会が似合う女性だ。田舎の生活は無理だと思うぞ。彼女がこの国に慣れる迄一緒にいてやれ。これからはテレビ電話も使える。署に回線を引いたんだ。毎日顔を見られるから、無理をして観察期間を延長されることがない様に気をつけな。」
「グラシャス。だけど、やっぱり俺はエル・ティティが懐かしいよ。」

 シオドアは彼が家に帰る時、何度も抱擁を交わして別れを惜しんだ。そんな2人をアリアナは羨望の眼差しで見ていた。彼女には心の支えとなる人も場所もセルバになかった。

聖夜 11

  ロペス審査官が大使館へ通じる扉の向こうに消えると、シオドアはリビングへ行った。アリアナがソファに座り、ケツァル少佐が南米のマテ茶を淹れていた。シオドアが入室したので、少佐が飲みますかと尋ね、彼は飲むと答えた。伝統的なストローを入れた容器を少佐は2人に配り、熱いので注意して飲む様にと言った。

「温いのを出すと、『あなたに会いたくない』と言う意味だそうです。」

と彼女が言った。シオドアはミルクや砂糖が欲しいなと思ったが、マテ茶の飲み方をよく知らないので黙っていた。するとアリアナが遠慮なしに砂糖を所望した。少佐が快く砂糖壺を出したので、彼も入れてもらった。

「セルバではマテ茶を飲んだことがないな。」
「カフェで注文したらあったわよ。」

とアリアナ。

「貴方はコーヒーしか飲まないからよ。」
「エル・ティティでもコーヒーしか飲まなかった。お茶はたまにハーブティが出ただけだ。」
「お茶は高価ですから。」

と少佐が2人の言い合いに割り込んだ。

「グラダ・シティは都会なので、アメリカとそんなに変わらない物が手に入ると思います。あなた方は1年間グラダ・シティで暮らすことになります。住む場所やお仕事は明日ロペス少佐から説明があるでしょう。」
「審査に通ったのか?」
「明日の朝になればわかります。」

 セルバ流に答えてから、少佐は付け足した。

「大丈夫、通ります。あなた方はセルバ国民を助けてくれましたから、政府は礼を尽くします。」
「向こうへ行ったら、あなた方と頻繁に会えるのでしょうか?」

とアリアナが質問した。シオドアはドキリとした。彼女はまだ黒い猫に未練があるのだ。少佐は微笑みを返した。

「遺跡発掘のシーズンは忙しくなりますが、監視や護衛の仕事がなければ、オフィスにいます。」
「またマハルダとお話ししたいわ。」

 多分それは口実だ、とシオドアは思ったが黙っていた。アリアナがカップを手にしたまま立ち上がった。

「面接で疲れたので、今夜はもう休みます。お茶をそのまま寝室へ持って行って良いですか?」
「どうぞ。ゆっくりお休み下さい。」
「有り難う・・・グラシャス。」

 アリアナは微笑みを浮かべて挨拶するとリビングから出て行った。
 シオドアは溜め息をついた。

「彼女は審査官にステファンが捕まった時のことを訊かれなかったそうだ。」
「それが何か?」
「彼女は彼に心を奪われている。彼が彼女の初めての男じゃないことぐらい俺は知っている。俺も彼女と経験があるから。だが、今回の彼女の彼への執着はいつもと違う。真剣になってしまっている。それが心配なんだ。」
「何故?」

 シオドアは躊躇った。ケツァル少佐とステファン大尉は上官と部下の間柄だ。しかし昨夜の食事風景で2人はまるで恋人同士に見えた。アリアナには姉弟みたいだと言ったが、シオドアは少佐と大尉の間に他人が入り込めない繋がりが有る様に思えた。
 少佐がもう一度尋ねた。

「ドクトラ・オスボーネがカルロを好きになって何か支障でも有るのですか?」

 シオドアは思い切って言った。

「ステファンは君のことが好きだろう?」

 少佐がちょっと黙ってストローでお茶を一口飲んだ。そして肩をすくめた。

「まぁ、嫌いだったら、こんな我儘な上官の後をついて来ないでしょうけど。」
「そうじゃなくて・・・」

 もどかしかった。

「ステファンは君を愛している。俺は側で見ていてわかるんだ。だが彼は自身を”出来損ない”と卑下して、君とは釣り合わないと思っているんだ。彼は君しか見ていない。だから、アリアナが彼を振り向かせようとどんなに努力しても無駄なんだ。俺はアリアナが絶望した時、どう慰めて良いのかきっとわからなくなる。」

 ああ、成る程、と少佐は呟いた。

「ドクトラ・オスボーネにはもっとお友達が必要ですね。しかし、こんなことを言うと、貴方は怒るかも知れませんが・・・」
「何?」

 彼女はズバリと言った。

「カルロがエル・ジャガー・ネグロなら、複数の妻を持てます。」

 シオドアは数秒間思考が停止した。彼女の言葉の意味はわかった。わかるが、それが解決策になるとは思えなかった。アリアナがステファンの複数の妻の一人になる? ってか・・・

「セルバ共和国はカトリック教国だったよな?」
「スィ。」
「ステファンはカトリックじゃなかったか?」
「セルバ国民は建前上カトリックです。」
「妻は一人だろう?」
「夫も一人です。」

 建前上、と少佐は追加した。シオドアはちょっと胸がドキドキした。

「”ヴェルデ・シエロ”は一夫多妻なのか?」
「違います。」

 少佐は少し考えて、どう説明しようかと迷った様子だった。

「例えばですね・・・貴方と私が夫婦とします。」

 嬉しい例えだが、何か裏がありそうで、シオドアはまたドキドキした。少佐が続けた。

「カルロとロペスとファルコが来て私に求愛するとします。私はカルロとファルコを選んでロペスを断ります。」
「はぁ? 君は俺の妻だろう?」
「でも私はカルロが欲しいし、ファルコも欲しい。だから受け入れます。」
「ロペスは嫌いか?」

 そんな質問をしている場合ではないのだが・・・。 少佐が笑った。

「例え話ですよ。私は子供を産みます。父親が誰かは問題ではありませんが、取り敢えずファルコの子供と言うことにしましょう。でも私の夫は貴方です。だから貴方が私の子供を我が子として育てます。」
「それって・・・夫の立場で言わせて貰えば、損した気分・・・俺は他人の子を育てるんだろ? そしてファルコは自分の子を他人に取られるんだ。」
「でも、貴方はよその夫婦の妻に求愛出来ますよ。貴方はそっちの夫婦に貴方の子供を養育させるのです。」

 混乱しそうだ。それがカルロ・ステファンがアリアナを受け入れる理由になるのか?
 さらにもう一つ疑問があった。

「ステファンがエル・ジャガー・ネグロだったら、どうして複数の妻を持てるんだ?」
「エル・ジャガー・ネグロ、つまりグラダ族の男である証拠です。先刻私が話した婚姻形態は、グラダ族特有のものなのです。」
「え?」

 シオドアは目をパチクリさせた。グラダ族のことを今朝ミゲール大使からレクチャーされたばかりだ。”ヴェルデ・シエロ”の能力を全て持って生まれたオールマイティの部族。だが彼等は近親婚を繰り返して子供が生まれなくなり、古代に滅亡してしまった。今は他部族の中に混血して細々とその遺伝子が受け継がれているだけだと、大使は言った。

「少佐、君は純血種のグラダ族だと大使は言った。」
「スィ。」
「自覚があるのか?」
「ママコナからそう教わりました。長老達もそう言って私を教育しました。」
「ステファンは白人の血が入っている。」
「彼の母親の母親が白人と”ヴェルデ・ティエラ”のメスティーソです。」
「お祖父さんは?」
「遠い祖先にグラダがいるブーカ族です。」
「それじゃ、ステファン自身の父親は?」

 少佐が首を傾げた。

「カルロは覚えていないのです。彼が2歳の時に亡くなったそうです。」

 では黒いジャガーのナワルは、その正体不明の父親から受け継いだのだ。シオドアは遺伝子分析装置が欲しい、と思ってしまった。


聖夜 10

  セルバ共和国駐米大使私邸で開かれた私的な晩餐会は、とても和やかで平和的なものだった。シオドアは大使とロペス移民審査官とスポーツの話を楽しんだ。ロペスはサッカー好きの中米人にしては珍しくバスケットボールが好きで、NBAの試合の話題ではシオドアも彼と贔屓のチームや選手など共通の話題を語り合えた。大使もセルバ人で唯一人選手として活躍している若者を応援しているのだと話に参加した。
 アリアナはケツァル少佐とファッションの話をした。ミゲール大使の妻はヨーロッパで活躍する宝飾デザイナーだったので、食事が終わると少佐が彼女をリビングへ連れて行き、飾られている石やカタログを見せた。綺麗な輝きを見せる宝石にアリアナは魅了された。研究所の女性達とこんな話をしたことがなかった。せいぜい服やお菓子の話題ばかりだった。

「セルバではどんな宝石が採れるのですか?」
「主にクウォーツ系です。オパールやアメジストが多いです。レインボーガーネットが採れたら儲けものですが、まだ発見されていません。」
「メキシコの幻の宝石ですね!」
「それから生物系の真珠やコーラルもあります。」

 少佐は可笑しそうに言った。

「どうして母はコーヒー農園主と結婚したのでしょう。鉱山主と結婚すればもっと材料がたくさん手に入ったのに。」
「コーヒーがお好きなんじゃないですか?」

 アリアナはガラスケースに入っている宝石で作られたコーヒーの木を見た。小さな物だが、綺麗で可愛らしかった。どれほどの価値があるのか見当がつかない。ミゲール夫人(スペイン人は夫婦別姓だが、大使の妻は偶然夫と同じ姓だった)が夫の誕生日プレゼントに贈ったものだと言う。

「貴女はどの宝石がお好きですか?」

と少佐に質問してみると、意外にも少佐は首を振った。

「私は宝石は好きでないのです。子供の頃は工房に近づくことさえ許されませんでした。母は私が石をキャンデーと間違えて飲み込むのを恐れたのです。」
「わかります。」

 アリアナは思わず微笑んだ。ケツァル少佐の食欲を思い出したのだ。少佐が肩をすくめた。

「私は母が忙しくて遊んでくれないのは宝石のせいだと決めつけて、石が嫌いになったのです。大人になった現在は、宝石を見ると遺跡に飾られている仮面や壁画を連想します。休日に仕事を思い出させる物は嫌ですね。」
「私も、コイルやバネを見るとDNAの螺旋構造を思い出してしまいます。」

 2人は顔を見合わせて笑った。
 リビングのドアをノックして、ロペス移民審査官が顔を出した。

「私はお暇する。明日は午前10時に博士達を大使館へ寄越して欲しい。」

とケツァル少佐に言った。少佐が頷いた。

「承知しました。私のパスポートも明日の午前中に出来上がる筈です。一緒にセルバ行きの航空機に乗りましょう。」
「わかった。おやすみ。」

 審査官は少佐とアリアナに会釈して姿を消した。彼が体の向きを変えた時に、胸の緑の鳥の徽章がキラリと光ったので、アリアナは少佐に尋ねた。

「あの人も大統領警護隊なのですか?」
「スィ。事務方です。私の文化保護担当部も事務方ですが、現場で活動することが多いので、戦闘訓練は欠かせません。ロペス少佐はそんな必要がない職場なので、恐らくこの数年はライフルを撃ったことがないでしょうね。」

 


2021/07/19

聖夜 9

  航空機は何度乗っても好きになれない、とカルロ・ステファン大尉は思った。空港迄送ってくれた大使館の書記官は、彼と入れ違いにアメリカに入国する移民審査官を拾って帰ると言っていた。ステファンは一人で飛行機に乗った。ケツァル少佐は今朝迄彼と一緒に帰国するつもりでいたらしいが、パスポートを持って来るのを忘れたことに気がついて、早朝から大騒ぎした。大使館で再発行してもらう迄、カメル軍曹の遺体引き取りを依頼したファルコ少佐の手伝いをすると言って彼女は出かけてしまい、結局彼は一人で帰国したのだ。
 入国審査は直ぐに済んだ。パスポートと共に大使館に預けていた緑の鳥の徽章を係にチラリと見せると、殆どフリーパスで通された。元々荷物らしい物を持っていなかったので、税関も簡単に通った。
 ロビーに出ると、迎えがいた。大統領警護隊の見事なオーラを放ったトーコ副司令官だった。ブーカ族とマスケゴ族のハーフで純血種に違いないのだが、複数部族の血が混ざっているので単独部族の純血を重んじる所謂純血至上主義者と仲が悪い人だ。訓練をサボったり規律を守らなかったりする若い隊員達に大変厳しいが、真面目に軍務に励む者には優しい面も見せる。ステファンは私服であることを後悔した。大使館では目立たない様にと私服着用を命じられたが、母国に帰って来たら、やっぱり軍服を着用したかった。持っていないのだから仕方がなかったが、きちんと軍服で決めている上官に対して失礼だと自身を責めた。
 ステファン大尉は副司令官の前に立って敬礼した。

「大統領警護隊文化保護担当部、カルロ・ステファン只今任務終了にて帰還致しました。」
「ご苦労。」

 副司令官が敬礼を返してくれた。
 距離をおいた場所を歩いて行く観光客が囁きあっているのが聞こえた。軍人だ、かっこいい! セルバの兵隊ってクールだね・・・等々。
 トーコ副司令官はそんな雑音を聞こえないふりをして、来いと合図した。ステファンは大人しくついて行った。実を言えば、迎えが来るなど予想だにしていなかったのだ。自分でタクシーでも拾って大統領警護隊本部へ帰国報告へ行くつもりだった。どうして副司令官が俺の出迎えにお越し下さったのだ? もしかして、これは任務完了出来なかったことのお咎めか? 
 防弾ガラス仕様の大統領警護隊公用車がVIP用出口に停まっていた。普通の隊員が乗るジープや軍用トラックとは違う。どうなっている? ステファンは戸惑った。副司令官が公用車の後部席に乗り込み、彼にも乗れと手を振ったので、ますます混乱しそうになった。せめて”心話”で事情を説明してくれれば良いのに、と思いつつ、彼は上官の隣に座った。
 公用車が走り出した。トーコ副司令官が、窓の外を眺めるふりをしながら話しかけて来た。

「ナワルを使ったそうだな。」

 ステファンはドキリとした。彼は”出来損ない”の隊員で、”心話”しか使えない落ちこぼれだと言うのが、警護隊での常識だったのだ。

「生き延びたい一心で無意識に使ってしまった様です。許可なく変身しました。申し訳ありませんでした。」
「許可なく、か・・・」

 トーコがフッと笑った。

「誰もお前が変身出来るとは想像すらしなかったのだ。許可など要らぬ。」

 彼はやっとステファンを振り返った。

「お前が入隊した時、ケツァルがお前を指してグラダがいると言った。しかし誰も本気にしなかった。だが・・・」

 トーコ副司令官は視線を前に向けた。

「グラダはグラダを見分けたのだ。気づくべきであった。」
「私の母は、遠い祖先にグラダを持っています。しかし、グラダと呼ばれる濃い血は持っていません。」
「本当にそう思っているのか?」

 再びトーコはステファンを見た。

「お前の父親は何者だ?」
「私の父?」

 ステファンは遠い記憶を探ろうとした。彼には2歳年下の妹がいる。その妹が生まれるか生まれないかの内に死んでしまった父を、彼は覚えていなかった。記憶に微かに残っているのは大きな力強い男のぼんやりとした陰だった。
 彼の目を見ていたトーコががっかりした表情になった。

「父親を亡くした時、お前はほとんど赤ん坊だったのだな。」
「母は父のことを何も教えてくれません。尋ねるといつも泣くばかりで話にならないのです。近所の人の話では鉱山で働いていて落盤事故で亡くなったと言うことです。」

 トーコが一瞬緊張した、とステファンは感じた。車内の空気がビーンと張り詰めた感触がした。運転手の隊員もびっくりした様だ。運転席と後部席の間にはシールドがあって会話は聞こえない筈だ。運転手はトーコの気に驚いたのだ。トーコが固い表情で尋ねた。

「鉱山と言ったか?」
「スィ。」
「オルガ・グランデか?」
「スィ。」

 トーコが深く息をした。彼は前を向いた。心の中で呟いた。

 お前の父が誰だかわかったぞ。


聖夜 8

 シオドアとアリアナが応接室でくたびれてぼんやりしていると、フナイ理事官が来て、審査終了を告げた。

「今日は遅くなりましたので、大使私邸へお戻り下さい。ご案内します。」

 2人は大使館と私邸を繋ぐ扉まで案内された。扉を閉じる時に理事官が微笑みを浮かべて言った。

「きっと明日の夕刻にはセルバへ到着出来ますよ。」

 扉が閉じられると、アリアナが全身の力を抜いてふらついた。シオドアは彼女を支え、2階へ上がるとメイドに告げた。メイドが何か温かい飲み物をお持ちしましょうと言ってくれた。彼女はメスティーソで、”ヴェルデ・シエロ”なのか”ヴェルデ・ティエラ”なのか、シオドアにはわからなかった。もしかすると普通のヒスパニックの使用人かも知れない。
 審査官は小部屋で報告書を手早くまとめたが、手の震えがなかなか止められなかった。興奮を感じていた。報告書を送信すると、彼は荷物をまとめ、大使の執務室へ行った。
 執務室には彼の同僚が2人いた。大使館の武官エドガルド・ファルコ少佐と文化保護担当部のシータ・ケツァル少佐だ。審査官はシーロ・ロペス少佐、つまり大使執務室には大統領警護隊の少佐が3人も揃った訳だ。ロペスが入室した時、ファルコ少佐が警察の遺体安置所からカメル軍曹の遺体を無事回収した報告を行っていた。

「棺に入れて、明日ケツァルが付き添って帰国する予定です。これでカメル軍曹もカメルの家族も安心出来るでしょう。」

とファルコ少佐は真面目な顔で報告した。彼は前の晩にケツァル少佐からカメル軍曹の遺体回収の相談を持ちかけられ、この日の朝2人で出かけたのだ。家族が遺体を引き取ると言う簡単な”操心”で安置所からカメル軍曹を運び出し、用意したレンタカーで戻って来た。防犯カメラに映ったのは殆ど後ろ姿かフードを被った人物だけだ。少佐級の2人の共同作業だったので、物事はスムーズに運んだ。

「余計な仕事をさせて申し訳なかった。今日は報告書を提出したらそのまま帰ってよろしい。」

 大使の言葉に武官は敬礼した。そして初めて審査官に気がついたふりをした。

「おや、ロペス、遥々本国から出張か?」

 敬礼で挨拶を交わしてから、ロペス少佐は「珍しい事案があってね」と言った。そして大使に向き直った。

「テオドール・アルスト及びアリアナ・オスボーネの亡命申請に関する面接審査を終了しました。」
「ご苦労。」
「本国からの返答は、問題がなければ、今夜の内に連絡が来るでしょう。」
「問題とは?」

 ロペス少佐審査官はケツァル少佐をチラリと見てから大使に言った。

「大統領警護隊文化保護担当部のカルロ・ステファン大尉がナワルを使った件です。」

 部屋を出ようとしたファルコ少佐が足を止めた。ドアノブにかけた手を引っ込め、ロペスを見た。

「ステファンがナワルを使った?」

 あの”出来損ない”が? と言う響きを聞き取ったケツァル少佐が、何か問題でもあるのかと抗議を込めて言った。

「スィ、彼は使えますよ。」
「使ったどころか・・・」

 ロペス少佐は強ばった表情で大使を見つめた。

「アリアナ・オスボーネが目撃してしまった。しかも、普通のジャガーではない。エル・ジャガー・ネグロです!」

 ファルコ少佐が驚愕して一同を見た。大使が両手を机の上で組んだ。

「私は本国にそう報告した筈だがね、ロペス少佐。」
 
 たじろぐロペス少佐に、ケツァル少佐が微笑みかけた。

「本気にしなかったのですね、本部の連中は?」

 ファルコ少佐が彼女を見た。

「そう言えば、君は新入隊の若者達を見た時、私に『グラダがいる』と言ったな・・・」
「覚えていたのですか? エドガルド、貴方はあの時笑ったでしょう。」
「グラダの血を引く者は多い。殆どはブーカ族かサスコシ族だ。だがグラダを名乗れる様な濃い血統の人間は存在しない筈だ。」 
「では、私は何なのでしょう?」
 
 ケツァル少佐に問われて、2人の男性少佐は黙り込んだ。大使が少佐達のお喋りに終止符を打つために、ロペス少佐に声をかけた。

「ドクトラ・オスボーネがステファンのナワルについて口外することはないだろう。彼女はセルバ人の能力を初めて目撃した折に、他人に喋って精神障害を疑われた。2人の博士の亡命に本国は拒否する理由を持たないと思うが。」

 ロペス審査官は大使の言葉に、彼が渡米してきた本来の役目を思い出した。

「本国から亡命の許可が下り次第、彼等の渡航手続きを開始します。アメリカ側の妨害が入るとウザいので、明日可能な限り早い便で彼等を連れて帰ります。」
「我が国の国民を救ってくれた恩人達だ。丁重に頼むぞ。」

審査官は軽く頭を下げて、承ったと表現した。

「今夜は大使館で休ませていただきます。」
「部屋を用意させよう。食事はうちに来ると良い。」
「グラシャス。」

 ケツァル少佐が武官を見た。

「貴方も来る?」

 ファルコ少佐は首を振った。

「ノ、私は報告書を書いたら自宅に帰る。では、また明日。」

 彼は大使に挨拶をして、ロペス審査官とケツァル少佐には敬礼をして出て行った。ロペスが呟いた。

「相変わらず固い男だ。」
「奥方に忠誠を誓っているだけです。」

 ケツァル少佐も大使に向き直った。

「報告書を書いたら帰宅します。」
「早く行きなさい。」

と大使。

「君達がいると、参事官や書記官が怖がって部屋に入って来ない。」



2021/07/18

聖夜 7

  ミゲール・セルバ共和国特命全権大使は大使館業務が始まると、公使、参事官、武官、書記官、理事官を執務室に集め、1日の業務の打ち合わせを行った。そしてシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンを紹介して、2人の亡命申請を告げた。アメリカからセルバへの亡命申請は初めてのことなので、外交官達に戸惑いの表情が浮かんだのは無理もないことだった。
 シオドアは外交官達の顔ぶれをそれとなく観察した。純血種のセルバ人である武官は間違いなく”ヴェルデ・シエロ”だ。残りの外交官達はメスティーソだが、完全な”ヴェルデ・ティエラ”である筈がない、と彼は思った。その証拠に公使と参事官は、例の麻酔作用を含むタバコの匂いを微かに漂わせていた。書記官も理事官も時々大使と目を合わせる。それぞれが質疑応答を”心話”で行っているのだ。”心話”は嘘をつけない。そして大量の情報を1秒足らずでやり取り出来る。共有情報確認が目と目で一瞬にして行われていた。ほんの数分でセルバ共和国大使館の外交官達はシオドアとアリアナが置かれている立場を理解した。
 リギア・フナイと言う名の女性理事官がシオドアとアリアナを大使館の中の部屋に案内した。応接室の様な場所でソファとテーブルと飾り棚、テレビが置かれていた。

「本国から連絡がある迄、こちらで待機していただくことになります。お手洗い以外は部屋から出ないようお願いします。お昼のお食事は出しますが、飲み物は内線09で頼んで下さい。」

 真面目な顔をして流暢な英語で話した理事官は、そこで声を小さくした。

「もし夜になっても本国がぐずぐずしている様でしたら、大使私邸へお戻りになって結構です。あちらの方が快適ですから。」

 そしてウィンクして出て行った。
 待機は退屈だった。せめて大使館の業務を見学出来れば面白いのだが、訪問客と顔を合わせる訳にいかないので、2人でテレビで映画を見て午前中を過ごした。お昼ご飯はスパイシーなトマトソースのスパゲッティで、アリアナが食べ物だけならいつでもセルバに引っ越しても大丈夫だと冗談を言った。

「昨夜のお魚のソースも、大使と同じ辛いソースでも良かったと思うの。少佐が気を利かせて甘口に替えてくれたけど・・・」
「そうかい? あの辛いソースはもしかするとハバネロかも知れないぞ。」
「ハバネロは肉料理に合うのよ。魚にはあまり使わないわ。」

 無駄口を叩くのは、恐らくステファン大尉が帰国してしまう寂しさを紛らわせているのだろう、とシオドアは思った。大尉は朝食の後、シオドアとアリアナに別れの挨拶をさらりと告げて少佐と共に大使の書斎に去ってしまい、それきり姿を見せなかった。アリアナの為に、彼等は書斎で何をしているのかとシオドアが尋ねたら、大使は大統領警護隊本部へ提出する報告書を作成中だと答えた。
 そして、シオドアだけに聞こえる声で大使は囁いた。

「カルロに暗殺者から身を守る教授もしている筈です。」

 母国に帰っても、あの若い大尉には敵がいるのだ。もしかすると遺伝子学者よりも質の悪い純血至上主義者達が。
 午後になってフナイ理事官が本国から来たと言う移民審査官を伴って部屋に来た。審査官は平服だったが、左の胸に緑色の鳥の徽章を付けていた。大統領警護隊の隊員だ。シオドアはセルバ共和国政府が選挙で選ばれた大統領や議員以外はほぼ”ヴェルデ・シエロ”で占められているのだろうと想像した。
 面接は一人ずつ、小部屋で行われた。シオドアは大統領警護隊文化保護担当部と知り合った経緯を訊かれた。エル・ティティのバス事故で記憶喪失に掛かってから、ケツァル少佐と出会い、オルガ・グランデのアンゲルス邸で悪霊祓いをしたこと迄をかいつまんで話すと、審査官は持参したタブレットで書類を見ながら一々頷いていた。シオドアは審査官が見ている書類が彼の行動を逐一記録したものだと気がついた。これは文化保護担当部が提出した報告書からシオドアに関する記述を抜粋したものなのか、それとも警護隊が独自に調査したものなのか、シオドアは戸惑った。少佐がどこまで本当のことを報告書に挙げたのかわからない。もし彼女が彼を庇って虚偽を書いたとしたら、シオドアの面接の答え方行かんで彼女を窮地に追い込むかも知れない。反対に警護隊独自の調査結果が書類に載せられているのであれば、”ヴェルデ・シエロ”はセルバ共和国にいた頃のシオドアを常に監視していたことになる。気分の良いものではなかった。
 悪霊祓いの後でダブスン博士に連れられてアメリカに帰国した後の行動は、審査官からの質問で確認を取られた。記憶喪失が治らない内にセルバに再入国した理由、オクタカス遺跡での”風の刃の審判”事故、反政府ゲリラによる誘拐事件。シオドアはアスルによって過去の村へ送られたことが報告書に入っていないことを知った。アスルが彼を隠す為に時空を飛んで過去へ行ったことは、一族に秘密になっているのだ、きっと。最後は怪盗”コンドル”事件から前日の夜に大使館へ亡命する為に逃げ込む迄の経緯だった。シオドアはステファンとカメルがセルバ共和国政府の命令で美術品回収をしていた事実を知っていたとは言わなかった。公園でステファンと再会して彼がアメリカに来ていたことを知り、テレビで泥棒騒ぎと黒豹出没を知った直後にアリアナから救援要請を受けて彼女の家に行ったこと、そこで負傷したステファンに会ったこと、大使館に相談したらケツァル少佐が応援に来てくれたこと、遺伝病理学研究所がステファンを超能力者と知って攫ったので、少佐とアリアナと力を合わせて彼を救出したことを語った。語り終わると夕方になっていた。
 セルバ人にとって大切なシエスタの時間を潰してしまったが、審査官はシオドアが「以上です」と締め括ると、暫くタブレットの中に何かを入力していた。超能力者もインターネットを使って通信するんだな、とシオドアは疲れた頭でぼんやり思った。
 審査官がオズボーン博士と交替しなさいと言ったので、応接室にいたアリアナと交替した。すれ違う時に、彼は彼女にありのままを言えとアドバイスした。

「彼等は全部知っている様だ。下手に嘘をつくと亡命させてくれない。」

 アリアナは不安気な表情で小部屋に入っていった。彼女はセルバ共和国に短時間しか滞在しなかった。シオドアが行方不明になったので探しに行き、手がかりを求めてケツァル少佐に面会したこと、少佐が護衛に付けてくれたデネロス少尉がシオドアの遺伝子分析資料をホテルで焼いてしまい、彼女とボディガードの目の前で姿を消したことを語ると、審査官が質問を入れた。

「何故デネロスはアルスト博士の資料を焼いたのです?」
「わかりません。」

と答えてから、アリアナは真っ当な答えを自ら引き出した。

「あれはセルバ人の遺伝子の分析結果の資料でした。シオドア・ハーストは自身の研究が母国の軍事目的に使われるのを恐れていましたから、きっとケツァル少佐を通してデネロス少尉に資料の破棄を要請したのでしょう。」
「だが、貴女はケツァル少佐からそれを預かったのでしょう? 何故少佐は自分でそれを処分しなかったのです?」
「その時少佐はその資料がどれだけの意味を持つものかご存知なかったのです。遺伝子マップを見ても古代文字の解読より難しいと仰いました。ですから私が持っている方が、グラダ大学の研究室に放置したままにするより安全だと考えられた様です。私が資料をホテルに持ち帰った後で、シオドアが少佐に資料の破棄を頼んだのだと思います。」

 審査官は暫くタブレットを眺めていた。ホテルでのデネロス少尉消失騒動は報告がなかった。彼はアリアナに言った。

「目の前で女性が消えて、さぞかし驚かれたことでしょう。」
「それはもう・・・」

 アリアナはその後彼女とボディガードがどんなに訴えても誰も本気で聞いてくれなかった悔しさを審査官に延々と語った。アメリカに帰国後、ボディガードが精神カウンセラーにかかったこともぶちまけた。
 次に審査官は彼女がステファン大尉を救助した話を語る様にと言った。アリアナは緊張した。何もかも話せと言うのか。あの夜のことも?
 彼女は庭先で黒い大きな猫を見つけた話を語った。タブレットに入力していた審査官の手が止まった。彼が顔を上げてアリアナの目を見た。

「本当に、黒い猫だったのですか?」
「猫ではなく、ジャガーだと後でシオドアに教えられました。」
「黒かったのですね?」
「ええ、テレビでも黒豹だと言っていました。私が見つけた動物も真っ黒で、それは本当に・・・綺麗でした。」
「真っ黒なジャガー・・・ですか・・・」

 審査官はタブレットに打ち込んだが、その指が微かに震えていた。

ーー彼女はエル・ジャガー・ネグロを見たと語った。

 審査官はまた顔を上げた。

「その黒いジャガーはどうなりました?」
「男の人になりました。後で、シオドアが彼の名前はカルロ・ステファンだと教えてくれました。」

 審査官はタブレットに打ち込んだ。

ーー彼女の目の前でエル・ジャガー・ネグロはナワルを解き、カルロ・ステファンになった。

 彼はタブレットを閉じた。 そしてアリアナに言った。

「面接を終了します。グラシャス、お疲れ様でした。」



聖夜 6

  グラダ族についてもっと詳細を聞きたかったが、書斎のドアをノックする者がいた。

「パパ?」

 少佐の声が呼んだ。ミゲール大使はシオドアに微笑で「終わり」と告げて、ドアに向かって言った。

「お入り。」

 ケツァル少佐が入ってきた。ふわりとした白いセーターとジーンズのラフな姿だった。シオドアを無視して真っ直ぐ大使の前へ行き、おはようと挨拶のキスをした。それからシオドアに向き直り、おはようございますと挨拶した。男達に何の話をしていたのかと訊いたりしない。彼女は大使の前で真っ直ぐ立った。

「昨夜航空券の手配をしたので、今日の昼過ぎの便でグラダ・シティに帰ります。」
「もう少しゆっくりしていけとも言えないのだろうね。」

と父親が寂しそうに言った。少佐は肩をすくめた。

「直にクリスマスでしょう。ママの帰国に合わせて私も休暇を取ります。」

 飽くまで”少佐流”で話す少佐。クリスマスか、とシオドアは呟いた。

「俺もゴンザレス署長と一緒に過ごせるかな・・・」
「無理でしょう。」

と少佐が遠慮なく言った。

「亡命者は最低でも一年はグラダ・シティの所定の場所から移動出来ません。警察署長をエル・ティティからグラダ・シティに呼ぶとよろしい。」

 それは良いアイデアに聞こえる。しかし・・・

「来てくれるかなぁ・・・都会は苦手だと言っていたし・・・」
「休暇の間だけでも来てもらうことです。さもないと一年会えませんよ。」

 それから少佐は大使に向き直った。

「本題に戻ります。」
「本題?」
「私はパスポートを持たずにアメリカに入国しました。出国に必要ですので、再発行願います。」

 ミゲール大使が笑い出した。シオドアも苦笑するしかなかった。アリアナにパスポートを持って来いと言った本人が、本国に自分のパスポートを忘れて来ていたのだ。

「”通路”にパスポートは必要ないもんな、少佐。」
「カルロ一人だけを連れて帰るつもりだったのです。2人だけなら、あの”通路”でセルバまで帰れました。」
「俺達がお荷物だったんだな?」
「貴方が私を迎えに来ずに、カルロを連れて来てくれていれば、あの騒動はなかったし、早くことが済んだ筈です。」
「俺の判断ミスが原因なのか?」
「違いますか?」
「お止し、シータ。」

 大使に割り込まれて、少佐は黙った。大使は業務時間になればパスポートの再発行手続きをすると言って、彼女を宥めた。

「朝ご飯だから、カルロとオズボーン博士を起こしてあげなさい。」

 少佐が書斎から出ていった。ドアが閉まると、また大使が笑い出した。

「申し訳ない。失敗を指摘されて、彼女はバツが悪かったのです。貴方に八つ当たりさせてしまった。」
「俺の判断ミスがあったのは事実です。」
「過ぎたことです。それに貴方は移住したかったセルバへ行くチャンスを掴めたではありませんか。」
「そう仰っていただけると有り難いです。」
「では、朝食としましょう。私は着替えてきます。先に食堂へ行って始めて下さい。」

 シオドアは礼を言って、書斎から食堂へ行った。女性達はまだ来ていなかったが、ステファン大尉が昨夜選んだ服とは別の暖かそうなセーターとジーンズ姿で窓のそばに立っていた。多分少佐に見繕ってもらったのだ。髭もパスポートの写真に合わせて再び綺麗に剃っていた。朝の挨拶を交わし、シオドアも窓の前に立った。外は明るくなり、庭が雪で真っ白になっているのが見えた。

「雪ですね。」

と大尉がちょっぴり嬉しそうな響きを声に滲ませた。南国生まれなので、初めて本物を見た様だ。これで喜ぶなんて、可愛いじゃないか、とシオドアは思った。

「この程度じゃ日が昇ったらすぐに融けてしまうよ。航空機には影響がないから、君は今日中に帰国出来る筈だ。」

 大尉が少し恥ずかしそうに目線を下へ向けた。

「すっかりお世話になってしまいました。有り難うございます。」
「俺は何も出来なかった。君を助けたのはアリアナと少佐だ。」
「貴方は研究所で私を守り続けてくれました。特にあの変な男から・・・」
「エルネストのことは早く忘れてしまえ。俺もアリアナも彼のことは早く忘れたいんだ。」

 シオドアはエルネスト・ゲイルは今何をしているだろうと思った。破壊されたデータの復旧に取り組んでいるのだろうか。ワイズマン所長はどうなったのか。少佐に心を操られデータを破壊してしまったあの男は、無事では済むまい。そしてホープ将軍は、1時間足を動かさず声を出さずに立っていられただろうか。
 アリアナが入って来た。シンプルなワンピース姿だ。彼女に続いてケツァル少佐も入って来た。ステファン大尉がアリアナに朝の挨拶をするのを横目で見て、シオドアの向かいに座った。最後にミゲール大使が服装を整えて現れた。客がいなければ、業務開始直前までラフな格好でいられたのだろう。
 朝ご飯はセルバ風に ガジョピント(豆ご飯)、卵料理、サルサ(野菜サラダ)果物だった。シオドアとステファン大尉にとっては久しぶりのセルバ料理だったので、喜んで食べた。アリアナはちょっと用心深く一口目を食べたが、好みの味だったのか、すぐにスプーンをせっせと動かした。
 大使が、食べながらで良いから、とその後の予定を話した。シオドアとアリアナはこのまま大使の私邸に留まる。大使は本国に2人から亡命申請が出されたことを伝える。恐らく本国から移民手続きの指示が来るので、2人は面接を受けることになる。それから本国が亡命許可を出す迄大使館に留め置かれる。許可が出れば、その日の内に空港へ移動し、航空機でセルバ共和国へ向かう。大使が関われるのはそこ迄だ。その後のことは、本国から来る面接官から説明があるだろう。
 どのくらいの日数がかかるのか、大使にも見当がつかない。なにしろセルバ流に物事が動くのだ。

「ただ、クリスマス休暇に入る前に仕事を終えたい役人が多いですから、早めに進む筈です。先延ばしはしません。アメリカ政府がドクトル達を取り返しに来ると困りますからね。そこのところは、暢んびり屋のセルバ人も理解しています。」

 アリアナがステファン大尉にではなくケツァル少佐に尋ねた。

「あなた方は今日帰ってしまわれるのですか?」
「スィ。」

と答えてから、少佐は大使をチラリと見て言った。

「私のパスポートの再発行の問題がありますから、私は帰国が遅れる可能性があります。大尉は今日中に帰します。」

 大使が肩をすくめた。アリアナが怪訝な顔をしたので、シオドアが教えた。

「少佐は空間の”通路”を通って来たので、パスポートを持って来ていなかったんだ。」

 アリアナが素朴に尋ねた。

「その”通路”で帰れないのですか?」
「この近所に”入り口”がないのです。」
「昨夜私達が出てきた・・・その・・・空中の”穴”は?」
「あれは”出口”専用です。」
「それに、今朝はもう塞がっている筈です。」

とステファン大尉が言ったので、少佐が彼を見た。

「昨夜は”出口”の位置が高過ぎました。」
「あの部屋の様子をはっきり記憶していなかったからです。」
「ここへ来たのは昨夜で2度目だ。部屋を間違えずに”着地”したのだから、上等じゃないか。」

と大使が大尉に助け舟を出した。少佐が「チェッ」と言う表情をした。シオドアはクスッと笑ってしまい、しまったと後悔した。少佐の攻撃の矛先がこっちへ来る。今朝は一番に彼女の機嫌を損ねてしまったのだ。彼は慌ててコックに卵料理の追加を依頼した。



聖夜 5

  ミゲール大使は時計を見て、まだ時間に余裕があることを確認した。

「我々”ヴェルデ・シエロ”は7つの部族に分かれます。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナです。言葉は全部同じですが、持って生まれる能力が部族毎に少しずつ異なるのです。共通しているのは”心話”や空間の歪みを見る能力、他人に幻影を見せたり自分の姿を見えないと相手に思わせる”幻視”です。
 大統領警護隊文化保護担当部を例に挙げれば、アルフォンソ・マルティネス中尉とマハルダ・デネロス少尉はブーカ族です。現在一番純血種の人口が多く、メスティーソの数もかなりいます。他部族のメスティーソの大半の先祖にブーカ族がいると言っても過言ではありません。彼等は友好的で穏和な部族なので人口を減らさずに今日迄生き延びたのです。
 ブーカ族は空間の通り抜けを日常的に行えます。”入り口”を探すのが上手で、”出口”を作るのも上手です。他の部族は修練しなければ出来ません。空間の歪みを見ることは出来ても、”通路”に入るのが容易ではないのです。
 また、ブーカ族は古い石像などに籠る昔の精霊を見たり捕まえたり出来ます。彼等の多くが田舎で拝み屋として生き残っているのは、その能力のお陰です。マルティネスの生家も悪霊祓いを行う祈祷師の古い家柄で、一族の尊敬を集めています。白人の言葉で言えば貴族です。デネロスは白人や他の部族の血が混ざっているメスティーソなので修行を積まなければなりませんが、他の部族の純血種よりは習得が早い筈です。
 キナ・クワコ少尉はオクターリャ族です。この部族は非常に特殊な能力を持っており、時間を跳躍します。子供でも平気でやってのけます。他の部族は厳しい修行を何年も重ねて長老と呼ばれる年齢になる頃にやっと習得出来る力です。ですから、彼等は自ら厳しい掟を設けて、未来へ飛ぶことを死に値する大罪と定めています。
 クワコは12歳の時、1世紀近い過去へ一人で飛んだことがあります。そこで彼は疫病で彼自身の部族が死にかけているのを見たのです。彼は元の時間に引き返し、薬を持って再び過去へ飛びました。」
「ちょっと待って・・・」

 シオドアは慌てた。

「それは時間の掟に反するのではありませんか?」
「誰でもそう思った筈です。しかし、彼は疫病で苦しむ先祖を見捨てられなかった。もし1世紀前に一族が死に絶えていたら、自分は存在しない筈だ、ここで自分が皆んなを救うことが現在の自分に繋がっているのだ、と。薬を渡された人々は彼が掟を破ったことを心配しました。生き延びることに感謝し、彼の身を心配したのです。」
「アスルの判断は正しかった! オクターリャ族は疫病から救われ、キナ・クワコが現代に生きている!!」
「そうです。”ヴェルデ・シエロ”は過去の偉人の名前を記録しません。出来事を記憶するだけです。」

 シオドアは過去の村で知り合った少年がアスルの名前を知っていたことを思い出した。あの村は半世紀前に存在していた。キナ・クワコの名前はまだ人々の記憶に残っていたのだ。オクターリャの英雄として。

 あいつ、本当に物凄い英雄なんだ!

 大使はまた時計を見た。午前6時を過ぎていた。

「”ヴェルデ・シエロ”は、生まれつき持っていない能力でも、修行をすれば他部族が生まれつき持っている能力を習得出来ます。しかし、グラダ族だけは違うのです。」

 階上でドアが開閉する音が微かに聞こえた。誰かが目覚めたのだ。
 大使が声を低くした。

「グラダ族は、その名が首都に付けられる程、強い能力を持っていました。”ヴェルデ・シエロ”界のオールマイティとも言える、あらゆる能力を生まれつき持っていたのです。ですから、”曙のピラミッド”のママコナと政治と祭祀の頂点を司る大神官はグラダ族が独占していました。古代のセルバはグラダ族が支配する世界だったと言っても過言ではありませんでした。けれども、力が強い反面、彼等は人口が極端に少ない部族でした。能力を維持する為に近親婚を繰り返したことも原因だったのでしょう。子供が生まれなくなり、純血種のグラダ族は遠い過去に滅んでしまい、強力な支配者がいなくなったことで、”ヴェルデ・シエロ”がセルバを支配する時代は終わったのです。グラダの血を引く人々の多くはブーカ族の中で生き残りましたが、時代を追う毎に減って行きました。血が薄まっていったと言った方が良いかも知れません。」

 大使は冷えたコーヒーを飲み干した。そしてシオドアには新しいコーヒーを入れてくれた。

「実を言うと、私もシータ・ケツァルが誰の子供なのか知らないのです。ただ、ある日私は大統領警護隊本部の地下にある長老会の大広間に呼ばれました。私が選ばれた理由もわかりません。いきなり家に使者が現れて、連れて行かれたのです。
 大広間には長老達が並び、私は何か大きなミスをして一族の制裁でも受けるのかと震え上がりました。ほんの20代の”出来損ない”の若造でしたし、長老なんかと縁のない生活をしていましたから。一人の長老が赤ん坊を抱いて私の前に来て言いました。
『子供を与える。我が子として育てよ。この子供がどのような人生を歩むかはこの子供自身が決める』
 そして、こう言いました。
『この子供の名はシータ・ケツァル、真に純血のグラダである。心して育てよ。』
と。」

 シオドアはぽかんとしてミゲール大使を見つめた。

「純血のグラダ族・・・オールマイティ?」

 彼は必死で頭を働かせた。

「だけど、今ピラミッドにいるママコナ様は・・・」
「彼女はカイナ族の女です。純血のグラダ族が絶滅して以来数世紀に渡ってママコナは残りの6部族から出ています。先のママコナが亡くなってから最初に生まれた純血種の女の子がピラミッドに迎えられるのです。 ママコナの教育は長老会のメンバーが共同で行います。
 シータ・ケツァルは先代のママコナ存命中に生まれたので、ママコナになる資格はありません。お陰で彼女は自由にのびのびと育ち、私達夫婦は子育ての喜びを体験出来ました。成長した彼女は自分で軍隊に入ることを決めました。理由は実に子供らしいものでした。」

 シオドアは想像して言ってみた。

「軍服がかっこいいとか?」

 大使が笑った。

「ノ。 機関銃をぶっ放してみたかったそうです。」

 シオドアは反政府ゲリラの頭目に思い切り銃弾を浴びせた少佐を思い出した。部下を傷つけられて頭に来ていた彼女のストレス発散だった。彼も苦笑した。

「そう言えば、文化財・遺跡担当課で職員が騒いだ時、少佐がライフルを天井に一発撃って鎮めたんです。空砲でしたけど。」

 ありゃりゃ、と大使が首を振った。

「シータを妻にしたいと申し込んで来る男達が結構いるのですが、彼等は彼女のそんな面を知らないでしょうな。」

聖夜 4

  シオドアは翌朝5時前に目が覚めた。まだ疲れが取れていなかったが、亡命のことを考えると興奮して熟睡出来なかった。大使は本国の許可が出次第彼とアリアナをアメリカから出国させてセルバ行きの飛行機に乗せると言ってくれた。空港までは武官とその部下が護衛してくれる。ケツァル少佐とステファン大尉はセルバ国民だし、軍務終了でこの日の内に帰国する予定だ。大使はカメル軍曹の遺体を引き取る口実を考えなければと言っていた。カメルは今のところセルバ共和国と無関係な泥棒として警察の遺体安置所に置かれている。もしかすると国立遺伝病理学研究所が彼も超能力者であると考えて遺体を引き取ってしまったかも知れない。カメル軍曹は恐らく何者かに心を操られ、ステファン大尉暗殺を図ったのだ。本人に罪はなかっただろう。大使は彼の遺体を本国の親族に返したいと希望した。この件は大統領警護隊文化保護担当部の管轄ではなかった。大使館の仕事だ。昨日大使の部屋にいたファルコ少佐と言う武官が指揮を執るのだろう。ケツァル少佐が彼と話をしたのは、その件かも知れなかったが、シオドアは確認する機会がなかった。
  客間のバスルームで洗顔して服を着替えた。廊下に出ると、冷たい風が建物の端から吹いてきて、微かにタバコの香りがした。ステファン大尉のタバコの匂いだ、と思ったシオドアは暗い廊下を静かに歩いて行った。アリアナや少佐の部屋は静かだ。まだ眠っているのだろう。大使館の業務開始が午前9時だと言っていたので、使用人もまだ活動していない様子だ。
 廊下の突き当たりにバルコニーに出る大きな掃き出し窓があった。そこで柵にもたれて庭を見下ろしながら、ミゲール大使がタバコを吸っていた。ガウンを着ている。シオドアが「おはようございます」と声を掛けると、彼は振り返って優しい表情で「おはよう」と返事をした。

「よく眠れましたか?」
「それが、亡命のことを考えると興奮してしまって・・・」

 シオドアは慌てて言い添えた。

「楽しみなので、興奮しているんです。本国が許可を下さることを切に願っています。」
「我が国を愛してくれて有り難う。」

 大使は微笑んだ。

「それとも、国ではなく人を愛して下さっているのかな。」
「人です。」

 シオドアは断言した。

「俺を救ってくれたエル・ティティの町の住人達、一緒に冒険をした大統領警護隊の仲間達、大学で俺を先生と呼んでくれた学生達・・・俺はセルバで初めて人間として扱ってもらえた。」
「私も貴方が気に入りましたよ。」

 大使がタバコを勧めてくれたが、シオドアは喫煙の習慣がなかったので辞退した。

「セルバ国民でも誰かが”ヴェルデ・シエロ”だとわかると、周囲は皆んな退くんですよ。私は父親がスペイン系で、母親がサスコシ族のメスティーソです。私は”心話”しか使えないので普通の子供として育ちましたが、母親は気を出しっぱなしの”出来損ない”でしたから子供の頃それなりに苦労した様です。虐められることは決してありません。皆んな神様の力が恐いのでね。その代わり、仲間外れにされます。ですから私の母は学校の勉強を頑張って白人の会社に就職し、父と出会いました。私の”ヴェルデ・シエロ”としての教育は、母方の親族から与えられた物です。」

 そしてふと心配そうな表情になった。

「寒くありませんか?」
「スィ、寒いです。」

 大使はシオドアに建物の中へ入れと手を振り、タバコを携帯吸い殻入れに入れて消した。

「このタバコの葉には、微量ですが麻酔の様な作用があって、”出来損ない”の出しっぱなしの気を鎮める効果があります。カルロ・ステファンが吸っているのを見たことはありませんか?」
「ジャングルで出会った時、彼はいつも咥えていました。火が点いていてもいなくても。」
「彼の様に大きな気を持つ者には必需品です。しかし、吸うと能力が抑制され、純血種の様に自由に使うことが出来なくなります。」

 大使は窓を閉め、シオドアを階段へと誘った。

「朝食迄時間があります。書斎でコーヒーでもいかがです?」
「いただきます。丁度欲しかったんです。」

 シオドアの正直な言葉に彼は朗らかに笑った。シオドアは大使にリクエストした。

「朝の寛ぎの時間を台無しにして申し訳ありませんが、もし宜しければ”ヴェルデ・シエロ”について少しレクチャーして戴けませんか? これからセルバ共和国で暮らす心構えとして。」
「構いません。私も早くに目が覚めて時間を持て余していただけですから。」

  大使の書斎は大使館に使われている区画の近くにあった。部屋の中は高価な書物がぎっしり詰まった書棚と農園主としての事業家である彼のもう一つの顔を表す書類のファイルの棚があり、観葉植物の植木鉢が5つ点在していた。大使はシオドアに好きな椅子にどうぞと言って、自分でコーヒーを淹れた。遠くで物音がした。彼はコックが出勤して来て朝食の仕込みを始めたのだと教えてくれた。
 
「通常は私一人か妻と2人だけなので朝は自分で簡単に済ませるのですが、今朝は客人がいますからね、彼は臨時収入を得られる訳です。」
「奥様はお出かけですか?」
「妻は宝飾デザイナーで、マドリードとパリに工房を持っています。セルバの農園へはよく帰って来ますが、この大使館には大きな行事がある時にしか来ません。」

 大使がウィンクした。

「ここには娘がいないでしょう?」
「ああ・・・」

 きっとケツァル少佐は大使夫人にも「ママ」と抱きついてキスをするのだろう。大使の机の上には家族の写真を入れた写真立てがたくさん置かれていた。黒髪のスペイン美女と黒髪の純血種先住民美少女の写真が大半だ。どの写真も笑顔が溢れていた。

「妻は娘が何者なのか知りません。生まれて直ぐに母親を亡くした赤ん坊を、私の親族を名乗る長老から託された時、本当に単純に子供欲しさから引き取ったのです。”操心”など必要なかった、とその長老は私に言いました。結局私達夫婦には実の子ができずに、子供はシータ一人だけです。ですから妻のあの子への愛情と言ったら、夫の私が嫉妬するほどですよ。」

と大使が幸せそうに笑った。シオドアはこの家族が羨ましかった。エル・ティティのゴンザレス署長が恋しくて堪らない。どうしても本国の許可をもらわなければ、と思った。

「そんな可愛いお嬢さんが軍隊に入ると決めた時、賛成なさったのですか?」

 シオドアの質問に、大使が複雑な表情をした。

「娘が普通の男性と結婚して普通の家庭を築いて穏やかに暮らしてくれれば、私達親は安心出来るのですが・・・やはりジャガーを檻に入れておくことは出来ないのです。」
「ケツァル少佐は、”ヴェルデ・シエロ”としての教育は”曙のピラミッド”のママコナがテレパシーで行う様なことを言っていました。」
「その通りです。私の母も私も”出来損ない”ですから、ママコナの声は脳の奥で雑音程度にしか聞こえませんが、娘ははっきり言葉として聞いていました。”心話”で私にはわかりました。そして日々彼女が”ヴェルデ・シエロ”として成長していくのがはっきりわかりました。正直なところ、私は焦りました。明らかに普通の子供と違って利口過ぎるし、感情表現も大人の物です。ですから私は毎日彼女に”心話”で言い聞かせました。能力を隠せと。使用人の子供達と同じ様に振る舞えと。」
「ジャガーは猫のフリをしたのですね。」
「スィ。きっと彼女なりに辛かったと思います。しかしママコナも同じ様に説得してくれたのでしょう。多くの純血種が同様の教育を受けて来たのです。親が同族であるかないか、その違いでした。シータは妻の前では現在でも普通の娘として振る舞います。たまに失敗しますが、妻は娘が風変わりなのはインディヘナだからだと思ってスルーしています。」
 
 大使は真新しい軍服を着てお澄まししている少女の写真を眺めた。

「軍隊に入って、士官学校に入学し、大統領警護隊にスカウトされる、それが普通の道筋ですが、シータは最初から警護隊に入りました。彼女が何者か、皆んなわかっていたからです。」
「彼女は有名な様ですが・・・」
「特別だからです。」

 大使が視線をシオドアに向けた。

「そもそも、何故長老がわざわざ私に彼女を預けたか、お分かりですか?」
 

2021/07/17

聖夜 3

  食事が終わると、大使が客人に部屋を用意させていると伝えた。

「客間は3部屋あります。お好きな部屋を使って下さい。衣類も着替えた方が良いでしょう。」

 富豪の家は初体験だ。シオドアとアリアナはそれぞれ男性用女性用の衣装部屋に案内された。パーティーなどで来客が宿泊する時に利用するのだと言う。ステファン大尉も当初は遠慮していたが、いつまでも警備兵の制服を着ている訳にいかないので、シオドアと一緒に服を選んだ。人前に出る訳ではないので軽装だ。着替える時、大尉の脇腹の傷がすっかり塞がっていたのでシオドアは感心した。彼も傷の治りが早いが、これは驚異的だ。

「俺たちが大使の執務室に落っこちた時、大使の横にもう1人いたね?」

と話しかけると、大尉は出来るだけ質素な服を探し出してサイズを点検しながら応えた。

「大統領警護隊海外警備部のファルコ少佐です。」
「大使館付きの武官か。」
「スィ。エリート中のエリートです。」
「当然”ツィンル”なんだな。彼は君の救出作戦に全く関わっていなかったのか? 無関心に見えたけど・・・」
「私の任務は外交官が直接関与してはいけないものでした。私とカメルはこちらへ入国して直ぐに大使館に身分証を預けた後、任務完了まで一切大使館に接触してはいけなかったのです。難局に面しても助けを求めることを許されていませんでした。」
「だが、ファルコ少佐は君達の任務を知っていたんだろ?」
「スィ。ですが彼は恐らく死ぬ迄知っていたとは言わないでしょう。」
「セルバ共和国政府はそうまでして自国の秘密を守りたい訳だ。 だけど、今夜ぐらい君に一言苦労を労う言葉をかけても良さそうなものだ。」
 
 シオドアも大尉が探し出した服と同じタイプの物を近くのハンガーで見つけた。フリルが付いていないシャツとラメが付いていないジャケットとズボンだ。それから寝るためのパジャマを見つけた。大尉はパジャマは好きでないらしく、Tシャツとトランクスで十分の様だ。

「ファルコ少佐は、私が警護隊の訓練所を卒業する時に、私を採用しようとして下さった方です。」

とステファンは言った。

「混血の”出来損ない”の隊員の多くは、大統領府の警備で現役時代を終えます。海外警備部にスカウトされるのは大変名誉なことです。純血種でも滅多に呼ばれません。」
「そうだろうね。」
「私は外国語の成績が良かったので、少佐のお眼鏡にかなったのです。しかし・・・」

 大尉は溜め息をついた。

「他人の出世を妬む連中は何処にでもいます。誰かが、私が軍隊に入る前はスラム街でケチな犯罪を犯して暮らしていた過去を持っていると、少佐に告げ口したらしいのです。」
「それで、海外勤務の話はアウトか・・・」
「ええ・・・今回の任務は泥棒行脚でした。ファルコ少佐は私を見て、あの時採用しなかったのは正解だったと思われたことでしょう。」
「そうかな・・・泥棒に見せかけて盗難品を回収するのは非常に危険な任務じゃないか。それを任されるって言うことは、君の司令官が君を信頼していたからだろう?」
「そうですが・・・」

 彼は独り言の様に言った。

「私1人だったらもっと早く終わって帰れた筈なのに、何故カメル軍曹が一緒だったのか未だに理解出来ません。」
「ケツァル少佐はカメルが誰かに操られていたのだろうと考えている。”操心”はとても高度な術だそうだね。」
「スィ。今日、研究所から逃げる時に少佐は研究所全体に私達を無視すると言う術をかけました。それでもかからない人間が何人かいました。それに彼女の術は1時間ほどで効力がなくなります。ですが、カメルは国を出てから警官隊に撃たれる迄2ヶ月以上もかけられたままだったと考えられます。普通の”ツィンル”では不可能な力です。」
「カメルを君達に紹介した特殊部隊の司令官が彼を操ったのではないのか?」
「特殊部隊の司令官はチコ・ディノイ大佐です。まだ長老と呼ばれる年齢ではないし、そんな術を使える修行をした様には思えない。軍隊の中は外の人が考えるより忙しいのです。ママコナから教わる以外の術を修行する時間など取れません。」
「それじゃ、その大佐を操った人間がその上にいるのさ。」

 2人は楽な服装に着替えて、寝間着と翌日の服を持って衣装部屋から出た。すると丁度アリアナも服を抱えて出てきた。ちょっと浮かれていた。

「まるでシンデラになった気分。選り取り見取りに選んでって言われて迷っちゃった。」

 恥ずかしそうに笑って見せる顔を見て、シオドアは可愛いと思った。”妹”がこんな無邪気な笑顔を見せるのは何年振りだろう。

「まさかドレスを選んだんじゃないだろうな?」

 シオドアがからかうと、彼女は「ノ」と言った。そして疲れたからもう寝ると告げた。

「角部屋を使わせてね。朝日を見たいの。」

 彼女は男達にお休みと言った。ステファン大尉がドクトラと呼びかけた。

「色々と有り難うございました。」

 アリアナは振り返らずに手を振って廊下の奥へ歩き去った。彼女は昨晩大尉とどう過ごしたのか言わなかった。大尉も口をつぐんでいる。だからシオドアも訊かなかった。少佐も察しているのだ。

「君はどっちの部屋を使う?」

とシオドアが尋ねると、大尉は首を振った。

「私は廊下で十分です。」
「冗談だろう?」

 シオドアは笑った。

「今はそんな時代じゃないぜ。」
「私は客ではありません。」
「そう、客ではありません。」

 いつの間にか後ろにケツァル少佐が立っていた。両手に何か布の塊を抱えていた。

「カルロ、ハンモックを張るので手伝いなさい。」
「承知しました、少佐。」

 少佐の後ろを付いて歩きかけた大尉にシオドアが訊いた。

「どっちの部屋で寝るんだ、ステファン?」

 すると少佐が答えた。

「決まっているでしょう、私の部屋です。」
「はぁ?」

 ぽかんとするシオドアを無視して少佐は部下に命じた。

「私のベッドを使いなさい。」
「・・・承知しました。」

 シオドアは精一杯皮肉を言ってみた。

「襲うなよ。」

 ステファンが振り返って言い返した。

「そんなことをしたら大使に銃殺されます。」




聖夜 2

  ミゲール大使の私邸でシオドア達は夕食をご馳走になった。たった1時間前にハンバーガーを食べたばかりだったが、随分昔のことの様に思えた。料理は急ごしらえだとコックが言い訳したが、焼いたチキンに玉ねぎやポテトやトマトやトウモロコシなどの焼いたり蒸したりした野菜を添えた単純な物がとても美味しかった。シオドアはこの単純な料理に、エル・ティティの生活を思い出し、懐かしく感じた。セルバの庶民の食事だ。大使にはそれなりの魚をメインにした食事が用意されていたので、コックはそれを分けて女性2人に出した。アリアナは何から何まで初体験で混乱していた。食欲がなさそうに見えたが、斜め向かいに座った少佐が辛いソースを彼女の為にマイルドな物に取り替えてあげてとコックに頼んでくれたので、魚のフライを口に入れた。そして口に合った様で、それから黙って食べ始めた。
 シオドアは斜め向かいのステファン大尉が少佐とチキンの攻防戦を繰り広げるのを見て、笑ってしまった。大尉は肉を最初に食べ易い大きさに切り分けておく習慣があるらしく、少佐がそれを横から掠め取って行くのだ。大尉は苦情を言わない代わりに、彼女が盗る瞬間を見つけると、彼女の手をピシャリと叩いた。上官に対する振る舞いとは思えない。少佐の行為も上官が部下にするものと思えなかったが。
 アリアナがシオドアに囁いた。

「仲が良いのね。」
「うん・・・まるで姉弟みたいだ。」

 いきなりケツァル少佐が咳き込んだ。彼女はナプキンで口元を抑え、失礼、と席を立った。コックが彼女を厨房へ案内した。シオドアはステファン大尉がちょっと気遣う目で彼女の背を見送るのに気がついた。大きな超能力を使った後で疲れている少佐を心配しているのだ。

「それで?」

とミゲール大使が不意に言葉を発した。英語だ。

「ドクトルとドクトラはこれからどうされますか?」

 シオドアは現実に引き戻された。彼はナイフとフォークを皿に置いて、大使に向き直った。

「私、シオドア・ハーストは、セルバ共和国に亡命を申請します。お願いします。」

 もう心は決まっていた。祖国に何も心残りはない。血縁者も友人もいない。仕事に未練もない。財産もない。失うものは何もなかった。
 彼はアリアナを振り返った。彼女は巻き込まれたのだ。セルバへ行っても言葉がわからない。友人もいない。エル・ティティの様な田舎の暮らしに我慢出来るだろうか。

「君は好きな道を選べば良いよ、アリアナ。」

とシオドアは努めて優しく言った。

「元は俺の好奇心から始まった騒動だ。俺は研究所を荒らすつもりはなかった。だが友人を助けるのに必要だった。君はたまたま巻き込まれただけだ。今戻って、俺に無理矢理強要されて逃亡を手伝わされたと言えば良い。」

 アリアナが「馬鹿を言わないで」と反論したので、彼はびっくりした。彼女は言った。

「私は、少佐からパスポートを用意してと言われた時に、心を決めたの。私もセルバに行くわ。スペイン語を覚える。フランス語ができるから、スペイン語だって覚えられるわ。」

 大使が微笑した。

「では、明日の朝、本国に連絡を入れます。我が国が周辺国から難民を受け入れた歴史はありますが、アメリカから亡命者を迎えるのは、恐らく初めてです。しかし、政府が拒む理由はないと思います。あなた方は、我が国の国民を救ってくれましたから。」

 ステファン大尉がシオドアとアリアナに向かって軽く頭を下げた。

「お2人のご協力と犠牲に深く感謝いたします。」

 英語で丁寧に言われて、アリアナが赤面した。シオドアは気が付かないふりをした。彼女はきっとステファンに恋をしているのだ、と推測していた。庭先で拾った黒い猫の抱き心地を忘れられないのだ。しかし男の方は恩を感じていても、彼女に気持ちがある訳ではない。ステファンの心は間違いなく彼の上官にある。シオドアは確信した。
 ケツァル少佐がデザートの大きなチョコレートプディングの皿を持って戻って来た。大使が呆れたと言いたげな顔をした。

「シータ、セルバ美人になるつもりかい?」

 ちょっと昔のメソアメリカでは、女性は太っている方が美人と見做された。女性が太る程彼女の配偶者たる男が裕福である証拠だったのだ。しかし最近は欧米と同じように若い女性はスリムでモデルみたいな体型を維持したがる。

「今夜の彼女は必要なんですよ。」

とステファン大尉が静かに上官を援護した。チキンを掠め取る彼女の手を叩いたくせに、甘い物は見逃してやるのだ。彼は食べないから。
 少佐はテーブルの真ん中にプディングの皿を置いた。そしてアリアナを見て微笑んだ。

「必要でしょ?」
「スィ。」

とアリアナがスペイン語で応えて、また赤くなった。


2021/07/16

聖夜 1

  駐米セルバ大使館は、フェルナンド・フアン・ミゲール大使の私邸の一角を使用していた。大使館を開いた時は本国の省庁同様オフィスビルのフロアを一つ借り切っていたのだが、富豪の農園主が大使に任命された時、共和国政府はミゲール氏の私邸の一部を借りる契約をした。そしてミゲール氏が大使を辞める時は、私邸を大使公邸として購入する契約にもなっていた。大使は格安の条件でそれを呑んだ。
 ミゲール大使は大使館で開くクリスマスパーティーの計画を会議で話し合い、午後9時に終了した。セルバでは普通に夕食が始まる時刻だ。職員達が帰宅し、彼は執務室で1人残った武官にパーティーの警護の計画表を出すよう指示した。武官は大統領警護隊の緑色の鳥の徽章を胸に付けていた。肩書きは少佐だ。勿論純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。

「ファルコ少佐、君はクリスマスに帰国しないのかね?」
「私は独立記念日に休暇を申請しています。」
「そうか。早く家族に会いたいだろうに。申請がすんなり通るといいな。」
「グラシャス。」

 大使と武官が友好的な微笑みを交わしていると、突然オフィスのど真ん中にアメリカ兵の制服を着た男が空中から現れて床に転げ落ちた。大使と武官が呆気に取られているうちに、オフィスワーカーらしい白人女性が同様に出現して先の男の上に落ち、次いで同じくオフィスワーカー姿の白人男性が空中で必死でバランスを取り、女性の上に落ちまいと努力して最初の男の真横に落ちた。最後に赤いジャンパーを着た女性が3番目に出て来た男の真上に落ちた。

「グエ!」

 3番目に出て来た男が声を上げた。失礼! と赤いジャンパーの女性がスペイン語で謝罪した。白人の女性が自分の下敷きになった男から慌てて床に転がり下りて、彼に英語で声を掛けた。

「ごめんなさい!大丈夫?」

 男は肺から空気を押し出されてしまったらしく、うーっと唸った。
 ミゲール大使が武官を振り返って言った。

「今日はこれで終わりにしよう。帰って宜しい。」

 ファルコ少佐は赤いジャンパーの女性を見て、白人女性の下敷きになった男を見た。そして大使を振り返った。

「では、帰らせていただきます。ノス・ヴェモス・マニャーナ。」
「ノス・ヴェモス・マニャーナ。」

 また明日と挨拶して、武官は大使執務室を出て行った。武官がドアを閉じると、大使は赤いジャンパーの女性の下敷きになった男が立ち上がるのを眺めた。白人女性も彼女の犠牲になった男を支えて立ち上がった。その男は大使の存在に気がついた途端、しゃんと背筋を伸ばし、靴の踵をカチッと言わせて直立不動の姿勢を取った。大使は彼に頷いて見せ、白人女性に英語で「こんばんは」と挨拶した。白人女性は明らかにびっくりした表情で室内を見回した。そして見知らぬ中年の紳士に挨拶を返した。

「こんばんは・・・オズボーンと言います。ここは何処ですか?」

 シオドアは答えてやりたかったが、咳が出て声が出なかった。ステファン大尉が気をつけしたままでアリアナに教えた。

「駐米セルバ共和国大使館です。」
「こんばんは、ミゲール大使・・・」

 やっとシオドアは声を出せた。そしてケツァル少佐がいないことに気がついた。さっき迄彼の上に乗っかっていたのに。
 大使が来客用の椅子を手で指して座れとジェスチャーをした。立ったまま動かないステファン大尉のそばにいたアリアナをシオドアは椅子に誘導した。大使が気を利かせて大尉に声を掛けた。

「楽にしなさい、ステファン大尉。」
 
 それでステファン大尉が足を開いて「休め」の体勢になったので、シオドアはちょっと可笑しく感じた。大尉は直属の上官であるケツァル少佐の前では平気で砕けた姿勢になれるのに、大使の前では緊張したままだ。
 大使がシオドアに顔を向けて微笑んだ。

「少し遅かったですね。最後に電話でお話しした時は、彼を保護して下さったとお聞きしました。翌明け方迄には迎えの者が連れて帰って来ると思っていたのですが。」

 ステファン大尉が何か言い掛けたが、シオドアは遮った。

「申し訳ありません。俺の昔の職場の連中に彼の存在を知られてしまいました。俺がケツァル少佐を”出口”へ迎えに行った間に、連中に彼を攫われてしまい、取り返すのに手間取ったのです。少佐に余計な仕事をさせてしまいました。俺が馬鹿でした。彼女を迎えになど行かずに、彼女のいる場所に彼を連れて行くべきでした。」

 アリアナは彼等がスペイン語で喋っていたので会話の内容が分からなかった。しかし、シオドアが自分達が大使館に現れた理由を語っているのだと見当がついた。どうやって墓地から大使館に来ることが出来たのか、彼女には理解出来なかったが、これもセルバ人の超能力なのだろう、と思った。彼女は椅子の横でじっと立っているステファン大尉を見上げた。彼にもっとそばに来て欲しかった。さっきの様に手をしっかりと握っていて欲しかった。

「貴方の昔の職場の人々は、ステファンをどうしようとしたのです?」

 シオドアは躊躇った。母国に忠誠を誓った訳ではないが、外国の、それも大使に聞かせたくない話だ。しかし嘘をつきたくなかった。シオドアはセルバ共和国に行きたいのだ。あちらの国で残りの生涯を過ごしたいのだ。

「お恥ずかしい話ですが、俺とアリアナは母国政府が運営する国立遺伝病理学研究所で生まれた遺伝子組み替え人間です。研究所は超能力者と呼ばれる人々を全国から連れてきて、能力開発や人間兵器の研究をしています。彼等は様々な方面からセルバ共和国の古代の神々の不思議な能力の話を得ていました。しかし、これ迄は本気にしていなかったのです。南の小さな国に大きな能力を持った人々が暮らしているなどと信じていなかったのです。ですが、今回、中南米の美術品ばかりを狙う泥棒”コンドル”が警察に追い詰められ、姿を消したこと、同時に何処から来たのか黒いジャガーが現れたことで、うちのゲイル・・・俺とアリアナの”兄弟”になる男ですが、彼が俺の過去の言動と照らし合わせてセルバ共和国の秘密に興味を抱いたのです。彼は覗き見が趣味でして・・・C C T Vの覗き見や盗聴が好きで、偶然ステファンを助けたアリアナの家に盗聴器を仕掛けていまして、彼女と俺の会話を聞いたり、ジャガーの姿をカメラの映像で見てしまったりしたのです。
 研究所では、超能力者本人を飼い慣らすことは無理なので、遺伝子を採取して兵士の遺伝子に組み込んだり、新しい子供を作るのに使うのです。」
「つまり、子供を作らせる為に彼を攫ったと?」
「簡単に言えば、そう言うことです。」

 アリアナが不安気にシオドアを見た。彼女の名前が話の中で出て来たので、彼が何の話をしているのか心配だった。
 大使がステファンに何か質問しようと顔を向けた時、ケツァル少佐が部屋に戻って来た。大使がちょっと不満顔で声を掛けた。

「私に挨拶もしないで何処へ行っていた?」
「ファルコを追いかけて話をしていました。」

 少佐は少しも悪びれないで大使の前に立った。

「只今任務完了しました。休息の為に大使館の部屋を一つお借りしたい。」

 すると大使がニヤリと笑って言った。

「只今のキスをすれば、私邸の方の部屋を使わせるぞ。」

 シオドアは思わず少佐を見た。少佐は一瞬天井を見上げ、それから大使の前に進み出た。そして、いきなり大使の首に両腕をかけ、

「只今、パパ。」

と囁いて大使の両頬にキスをした。 大使が笑顔で彼女を抱き締めた。

「このお転婆娘が! 半時間で戻ると言って出かけて、結局帰って来たのは48時間後かい?」
「ごめんなさい。事態を軽く考えてしまって・・・」
「それじゃ、指揮官失格だな。警護隊を除隊させられたら、さっさと嫁に行けよ。」
「それだけは勘弁して・・・」
 
 思いっきりラテンアメリカの乗りで大使と少佐が頬のキスを繰り返した。アリアナが目を丸くした。シオドアは何故かステファン大尉を見てしまった。大尉は空中を見つめていたが、肩が細かく震えていた。

 あいつ、笑ってやがる・・・


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...