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2024/02/14

第10部  追跡       22

  結局エンリケ・テナンの逮捕は翌日の新聞の片隅に小さく「密猟者逮捕」と出ただけだった。テナンが犯した殺人の話は載っていなかった。

「まだ2人逃亡中ですから。」

とケツァル少佐はテオに言った。

「逃げている2人が自棄にならないよう、報道を抑えているのでしょう。憲兵隊は2人の氏名と写真を持っていますから、各地の警察に手配しています。」
「すると”砂の民”が連中の名前や顔を知っていると思って良いのだな。」
「仕方がありません。彼等は実際に目撃したのです。テナンと一緒にサバンの遺体を焼いて、コロンの遺体をバラバラにした。粛清は免れません。」
「テナンも捕まったと言っても安全じゃないだろう?」

 テオは麻薬関係で捕まった人間が口封じのために刑務所内で殺害される話を聞いたことがあった。麻薬組織と”砂の民”、どちらも執拗で執念深く、無慈悲だ。
 テオと少佐は大学のカフェで昼食を共にしていた。少佐はいつも食事を取るカフェ・デ・オラスが臨時休業だったので、安くてボリュームがある食事を取れる大学のカフェに来ただけで、特にテオに用事がある訳ではなかった。テオも偶々売店で買った新聞にエンリケ・テナンの記事があったので、話題にしただけだ。

「今日はあの掃除夫は元気にしていましたか?」
「彼は総合学舎のロビーを掃除しているのを朝見かけた。ちょっと元気がなかったが、それは父親が密猟で捕まったからだろう。まさか殺人を犯しているとは分からない筈だ。多分、昨日の夕方帰宅してアパートの住人から父親が憲兵隊にしょっ引かれたことを聞いたに違いない。憲兵隊に問い合わせても、会わせてもらえないだろうし、説明も密猟のことだけだったと思う。」
「憲兵隊の一族の人は上手く誤魔化せたと信じています。テナンの記憶から殺人の部分を消すことは出来なくても、世迷ごとで済ませるでしょう。」

 そしてちょっと怖いことを言った。

「テナンの父親を普通の殺人罪で済ませるために、逃亡中の2人には粛清を受けてもらった方が良いかも知れません。」

 テオは無言だった。ジャガーが人間になった、と同じ証言を3人がしたら、面倒なことになる。それは理解出来た。一人だけなら、そいつはちょっとおかしいのだ、と言えるから。
 ふとケツァル少佐が視線をテオの背後に向けた。一瞬彼女が警戒したことを、テオは空気の微妙な変化で気がついた。少し空気が固くなった感じがして、すぐに緩んだ。

「ブエノス・ディアス」

とケサダ教授の声が聞こえ、テオは後ろを振り返った。長身でハンサムな考古学教授が立っていた。但し、彼が声をかけたのはテオではなくケツァル少佐でもなかった。白いスーツに黒いシャツを着た建設大臣の私設秘書セニョール・シショカがいたのだ。テオはぎくりとした。シショカは筋金入りの”砂の民”だ。大学に何の用だ?

2024/02/13

第10部  追跡       21

  ムリリョ博士が溜め息をついた。

「手下達の仕事に細かく指図する権限は、儂にはない。」
「しかし・・・」
「お前は誤解している様だが、我々は上下の命令系統を持たない。儂は仲間に何が起きているのかを伝えただけだ。粛清するかしないかと決めるのは手下達だ。」
「では・・・」
「その掃除夫が父親とこれ以上接触せず、聞いた話を全て忘れているなら、お前が案ずる必要はない。マレンカの若造(ロホのこと)がどれだけ能力を発揮したか、それが決め手だ。」

 博士は立ち上がった。

「儂はこれから昼に行く。お前も来ると良い。」

 断れない雰囲気だったので、テオは博士に続いて部屋から出た。ムリリョ博士と食事だなんて、光栄なのだろうが、恐ろしい気もした。歩いて行くと、パティオに出る出入り口に差し掛かった。博士が外を見た。ロホがやって来るのが見えた。ホルヘ・テナンはどうしたのだろう。
 ロホがそばへ来るまで博士は立ち止まって待っていた。ロホはケサダ教授の直弟子で、博士から見れば孫弟子になる。大師匠にロホは右手を左胸に当てて敬意を表した。ムリリョ博士は頷いた。そしてロホの目を見た。”心話”だ。ホルヘ・テナンに対するロホの対処方法をそれで確認したのだろう。

「掃除夫は一族にとって無害だと言うのだな?」

と言葉で博士が確認した。ロホが「無害です」と答えた。

「彼は清掃会社から派遣されて、この大学で毎日掃除をしています。父親と会ったのは2年ぶりだと彼の心が言っていました。昨日父親と会って聞いた話を記憶から消し去れば、彼は父親はまだ故郷の村にいると信じたままです。」
「では、憲兵隊が父親をどう扱うかが問題だ。」

 憲兵隊はセルバ野生生物保護協会の職員を惨殺した密猟者を逮捕したことを公表するだろうか。もし公表してテレビや新聞に出たら、ホルヘ・テナンは父親の罪を再び知ることになる。だが彼はショックを受けるだけで済む。父親が殺害した人間が何者だったのか知らずに済むから。
 問題は殺害犯のエンリケ・テナンだ。憲兵隊に何を喋るだろう。憲兵隊は彼の言葉をどこまで信じるだろう。
 ムリリョ博士はそこまで考えないことにしたのか、ロホも昼食に誘った。ロホはぎくりとしてテオを見た。テオは肩をすくめて見せるしかなかった。断って良いことでもあるだろうか。

第10部  追跡       20

  ムリリョ博士の部屋は、テオが想像していた通りの、一見乱雑でしかし整理整頓されている考古学者の部屋だった。書籍があちらこちらに山積みされ、古文書の様なものも置かれている。無造作に机の上で横たわっているのは、子供のミイラだ。勿論本物だろう。
 ムリリョ博士はテオに椅子を勧めるでもなく、己の席に座った。テオは仕方なく彼の机のそばに立った。目の前でミイラが目玉のない目でこっちを見ていた。

「サバンを殺害した人間がわかりました。」

とテオは要件は何かと訊かれる前に言った。その方を博士も望んでいるだろうと思った。ムリリョ博士は黙って彼を見返しただけだった。

「エンリケ・テナンと言うプンタ・マナ南部に住んでいた元農夫です。密猟で生計を立てていた様ですが、ジャガーを撃ったら人間になったので腰を抜かしたそうです。」
「エンリケ・テナン?」

と博士が低い声で復唱した。どうやら初耳の名前だったらしい。まだテオが憲兵隊に通報したことは伝わっていない様だ。テオは続けた。

「テナンは仲間の密猟者が最近続け様に3人、奇妙な死に方をしたので、”ヴェルデ・シエロ”の呪いだと怯えて、故郷を逃げ出し、グラダ・シティで働いている息子を頼って来ました。
 息子は掃除夫として働いていて、父親の密猟には関与していません。逃げて来た父親に罪の告白をされ、びっくりして俺のところに相談に来ました。彼はジャガーが人間に変身したことは信じていませんでしたが、父親が人を殺して死体を焼いて埋めたことは信じました。信じて、父親が変死することを恐れ、俺に相談に来ました。俺が大統領警護隊と親しくしているから、何か助けてもらえないかと頼って来たのです。」

 いつものことながら、ムリリョ博士は言葉を挟まなかった。まだテオが本題に入っていないと知っているからだ。テオは続けた。

「父親は罪の償いをするべきだと言う息子の言葉を聞いて、俺は息子の承諾の元で憲兵隊にエンリケ・テナンの現在地を通報しました。恐らく電話に出たのは一族の人の憲兵でしょう。俺は彼がエンリケがジャガーから変身した男の話を広めないよう手を打ってくれるものと信じています。」

 すると初めてムリリョ博士が口を開いた。

「エンリケ・テナンに手を出すな、と言いたいのか?」
「違います。」

 テオは速攻で否定した。

「エンリケ・テナンは粛清されて当然のことをしました。俺は密猟者のことはどうでも良いです。俺が心配しているのは、父親の罪の告白を聞いてしまった息子の将来です。さっき、ロホに相談して、ロホが息子の掃除夫から今から過去1日分の記憶を消してくれました。だから、息子のホルヘ・テナンには手を出さないで頂きたい。」


2024/02/11

第10部  追跡       19

  ロホが近づいて行くと、ホルヘ・テナンは少し警戒した様子で彼を見た。ロホは無言で緑色に輝く大統領警護隊の徽章を提示した。テナンはその場で固まった様だ。ロホは優しく声をかけながらさらに近づき、相手の目を見た。見ていたテオは少し冷たい風が吹くのを感じたが、それも一瞬のことだった。
 ロホがテナンから離れ、テオの元に戻って来た。

「1日分の記憶を消しました。でもまだ安心は出来ません。」

 彼は人文学舎の方向を見た。

「ムリリョ博士は今日は来られていますか?」
「それは確認していない。」
「彼に、息子は父親の罪と無関係だと知ってもらわなければ・・・」
「わかった。」

 テオは昼休みが近づいて人々が動き出した学内を歩いて行った。ロホはパティオの端に残った。テナンを暫く守るのだろう。
 考古学部は静かだった。もしムリリョ博士もケサダ教授もいなければ面倒だな、とテオは心配した。博士は”砂の民”の首領だから、彼を納得させればホルヘ・テナンは安全だ。彼の所在が不明ならケサダ教授に伝言を頼むか、居場所を教えてもらわねばならない。もしどちらもいなければ、掃除夫の身を案じなければならない。
 全くの幸運・・・学舎の入り口で、テオはまともにムリリョ博士と出会した。

「ブエノス・ディアス!」

 彼は思わず声を出した。博士はいつもの様にむっつりした顔で彼を見返しただけだった。

「貴方にお話を聞いて頂きたく、来ました。」

 テオが告げると、博士はチラリと彼の背後のパティオの方を見た。掃除夫を見たと言うより、ロホの存在を気にした様子だった。

「他人に聞かれて拙いことか?」

 博士が短く尋ねた。テオは「拙いです」と答えた。博士は顎で己の研究室の方を指した。

2024/02/10

第10部  追跡       18

  ロホが大学へ来たのは、電話を切ってから5分後だった。”空間通路”を通る訳にいかないので、車でやって来た。歩いても同じ時間で済む距離だ。ロホは仕事をアスルに引き継いで、車に乗って、大学の駐車場に車を置いて、と手順を踏んだので時間がそれぐらいかかったのだ。
 研究室のドアを開けるなり、テオは彼に尋ねた。

「掃除夫を見かけなかったか?」

 ロホは来た方角を振り返った。

「パティオで一人いました。」

 テオはすぐに部屋から出た。歩き出した彼の後ろを、ロホは無言でついて来た。学舎を出て、中庭に出た。芝生と低木の植え込みの向こうで、カートを置いて、ホルヘ・テナンが石畳の遊歩道を箒で掃いているのが見えた。
 テオは立ち止まり、ロホに説明した。

「彼の父親が密猟者だ。仲間が不思議な死に方をしたので、恐ろしくなり、住んでいた町を逃げ出して息子のアパートに転がり込んだらしい。親父の告白を聞いて、息子は仰天した。父親が密猟か何か良くないことをしていたことは薄々勘づいていたが、人を殺したと告白されて、彼も怖くなった。しかも父親は、ジャガーを撃って、そのジャガーが人間になった、と言ったそうだ。息子はどうすれば良いのか途方に暮れて、俺が大統領警護隊と親しいと噂されていることを思い出し、相談に来た。」
「父親はまだ息子のアパートにいるのですか?」
「わからない。俺は少佐に電話する直前に憲兵隊に通報した。少佐に教えられた憲兵隊の少尉に通報したんだ。まだ半時間経つか経たないかだ。」
「では、そっちは憲兵隊に任せましょう。」

 ロホは掃除夫を眺めた。

「彼の記憶から父親の話を消すのですね?」
「出来るかい?」
「まだ新しい記憶でしょうから、出来ます。でも、貴方と会話した内容も忘れてしまいますよ。」
「要するに1日分の記憶を消すんだな。」
「スィ。」
「今朝まで知らない者同士だった。だから今朝の会話を消されても彼と俺の関係に何ら支障はない。」

 ロホはわかった、と手で合図してパティオの中へ歩き出した。

2024/02/09

第10部  追跡       17

  ホルヘ・テナンが研究室から出て行き、たっぷり5分待ってから、テオはある人物に電話を掛けた。前夜、ケツァル少佐から、「もし事件に関連する情報があればここへ連絡を」と教えられた番号だった。10回近く呼び出しが鳴って、もう切ろうかと思った瞬間に相手が出た。

ーー憲兵隊本部、コーエン少尉・・・

 テオは素早く名乗った。

「グラダ大学のアルスト准教授。」

 それだけ言えば、相手はわかる、と少佐は言った。恐らく、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵隊員だ。果たして、相手は「ああ」と声を出した。テオは挨拶抜きで要件を述べた。

「ジャガーを撃って、死体を焼いたと言う男の所在がわかった。」

 テナンから聞いたアパートの住所を告げた。長い説明はしない。相手が今誰と一緒にいるのか、何をしているところなのかわからないから。

「息子は大学で掃除夫をしている。その息子からの情報だ。息子は父親の言葉を信じていないが、恐ろしいので俺に相談に来た。」

 相手は短く言った。

ーー情報に感謝します。出来るだけ穏便に対処します。

 そして通話が切れた。
 テオは深呼吸した。テナンの父親が”砂の民”に発見される前に憲兵隊に確保されて欲しかった。あの掃除夫の若者がこれ以上泣くことがないように。

 そうだ、ホルヘの記憶を消さなければ!

 テオは急いで今度は少佐の番号に掛けた。少佐はすぐ出てくれたが、忙しかったのか、テオが名乗る前に、自分の電話をロホに投げ渡した様だ。男の声が応えた。

ーーロホです。
「アルストだ。頼みがある。ある人の記憶を消して欲しい。彼の命がかかっている。」

 親切なロホはテオの切羽詰まった声を正く理解してくれた。

ーー承知しました。どこへ行けば良いですか。
「すぐ来てもらえるなら、大学へ・・・」
ーー承知。

 通話が切れた。テオは椅子に深く腰掛けた。まだ昼前なのに、疲れた・・・。

2024/02/08

第10部  追跡       16

  大事なことは、今目の前で震えながら泣いているホルヘ・テナンと言う若者を”砂の民”の粛清リストから外すことだ。テオはそう判断した。テナンの父親は罪を犯した。だから、粛清の対象になっても文句を言えない。それは全ての”ヴェルデ・シエロ”がそう判断する筈だ。しかし、ホルヘは違う。何も知らずに都会で掃除夫をしている若者が、父親に罪の告白をされて、それだけで粛清されてしまって良い訳がない。

「本当に人間が・・・いや、ジャガーが人間になったと、君は信じているのかい?」

 テオは若者に声をかけた。取り敢えず、ここはしらばっくれて、ホルヘの心を落ち着かせよう。ホルヘ一人なら、父親から聞いた話の内容を記憶から消し去ることなど、”ヴェルデ・シエロ”にとって朝飯前の筈だ。

「親父は・・・そう言いました・・・」

 ホルヘは泣きながら言った。

「信じられないでしょけど・・・」
「信じないさ。」

とテオはキッパリと言った。

「誰も君の親父さんの話なんて信じない。ジャガーは神様だが、人間になったりしない。君のお親父さんは、密猟の目撃者を撃ってしまった、それを誤魔化すために、ジャガーが人間に変身したと言ってるんだ。」

 ホルヘが顔を上げてテオを見た。

「あんたは白人だから・・・」
「白人でもセルバ人だ。先住民だってメスティーソだって、誰も君の話を信じない。神話の中の神様がこの時代に現れたなんて、誰が信じる?」
「でも、親父の仲間が死んでしまった・・・」
「仲間割れだろ? まともな人間じゃなかったんだ、麻薬のせいもあるだろうさ。」

 テオは立ち上がった。

「君の親父さんは君の家にいるのかい?」
「スィ。アパートに隠れています。絶対に外に出るなと言い聞かせています。」
「それじゃ、君は今日の仕事をするんだ。普段通りに振る舞いなさい。誰からも怪しまれないように。俺は大統領警護隊の友人に相談する。」
「えっ!」
「大統領警護隊は神と話が出来るんだろ? だから君は俺に相談に来た筈だ。」
「そうです・・・」
「俺の友人達に、君の親父さんがいる場所を教えて良いかな? 親父さんが奇妙な死に方をする前に・・・」

 ホルヘは蒼白になっていた。きっと神の祟りを考えているのだ。

「親父さんが殺人で逮捕されても、君は平気でいられるか? 神の罰を受けた方が良いと思うか?」
「僕にはわかりません・・・」

 ホルヘはテオを見つめた。

「でも・・・人間として罪を償って欲しい・・・」

 テオは頷いた。

「わかった。友達にそう伝える。だから、君はもう仕事に戻りなさい。」

 彼はポケットから財布を出し、紙幣を1枚つかみ出した。

「君の仕事を遅らせたから、チップを渡しておく。誰かに訊かれたら、アルスト先生の部屋の掃除を特別に頼まれた、と言っておくんだ。」


2024/02/07

第10部  追跡       15

  テオの研究室に向かう時もホルヘ・テナンは掃除道具のカートを押していた。途中ですれ違った事務職員がテナンに声をかけた。

「ホルヘ、この時間はパティオの掃除だろう?」

 だからテオがテナンの代わりに答えた。

「俺がちょっと呼んだんだ。すまない、用事が終わったらすぐに行かせるよ。」

 多分、チップが必要になるな、と思った。掃除夫は大学が雇っている訳ではない。契約している清掃会社から派遣されて来るのだ。事務職員に名前を覚えられているなら、先ほどテナンが「5年ほど」と言った言葉は嘘ではないのだろう。
 テオは研究室に入ると、ホルヘをカートごと中へ導いた。そしてドアの外に「実験中」と書いたプレートを下げておいた。これで当分邪魔は入らない。
 彼は執務机の向こうに座り、テナンにも折り畳み椅子に座るよう声を掛けた。あまりこう言うシチュエーションに慣れていないのか、テナンは遠慮しもち腰を降ろした。テオは冷蔵庫を開け、コーラの瓶を取り出した。

「飲むかい?」

 訊くと、テナンは小さく頷いた。テオはグラスコップを2つ出してコーラを注ぎ入れ、一つをテナンに渡した。テナンがゴクゴクと喉の音をたててコーラを飲んだ。緊張して喉が乾いていたのだろう。テオは微笑してもう一杯注いでやった。テナンはそれには口をつけずにテオを見た。

「先生はその・・・骨の鑑定をされたと聞きました。」

 過去形だ。テオは頷いた。なんとなく、テナンの話の行先がわかった。しかし彼は黙っていた。テナンは小さな声で言った。

「その・・・骨の人を殺したのは、多分、僕の親父とその仲間です。」
「骨の人はセルバ野生生物保護協会の職員でイスマエル・コロンと言う人だ。」
「スィ、新聞で読みました。」

 テナンは泣きそうな顔になっていた。

「親父は昔、真面目な農夫だったんです。でもハリケーンで畑が駄目になって、立て直すのに金が要った。だから、森で動物を狩って毛皮とかを売る商売に手を出しました。」
「誘った連中がいたのかな?」
「そうだと思います。狩のことは、親父は家族に言いませんでしたから、詳しいことは知りません。でも良くないことをしているんだと言うことは、お袋も僕も姉貴も薄々感じていました。時々村の仲間と森に出かけていましたから。」
「だけど、君はグラダ・シティで暮らしている。どうして君の親父さんがコロンを殺した一味だと思うんだい?」

 テナンは躊躇った。テオはふと思いついて、鎌をかけてみた。

「もしかすると、親父さんは君のところにやって来た?」

 テナンが体を縮ませた様に見えた。図星だ。父親は都会の息子を頼って身を隠そうとしたのだ。息子は今、すごく困惑している。父親を庇いたい気持ちは偽りがない。しかし、ホルヘは、彼も”ヴェルデ・シエロ”の怒りが恐ろしいのだ。
 テオはさらに尋ねてみた。

「親父さんは、森の中でしたこと、見たことを君に喋ったのかい?」

 テナンの目から涙がこぼれ落ちた。

「親父はジャガーを撃ったんだと言ってました・・・ジャガーが襲い掛かって来たから、撃ったって・・・でも額を撃ち抜いたら、ジャガーは人間になって・・・」

 テナンは震えていた。

「親父は・・・親父と仲間は・・・ジャガーだった人を・・・神を、穴に入れて焼いたんだって・・・他の神に見つからないように焼いたって・・・」

 テオは暫く何も言えなかった。ホルヘ・テナンの父親はオラシオ・サバン殺害の張本人だった。そしてサバンの遺体を事件発覚を恐れて焼いて消し去ろうとした。これは、”砂の民”でなくても、セルバ国内の全ての”ヴェルデ・シエロ”にとって許し難い行為に違いない。


第10部  追跡       14

  月曜日、テオは大学へ出勤した。午前中の講義は10時だったから急がない。9時40分頃に研究室に入り、授業の準備をした。月曜日は理論上の遺伝子組み替えの話だから、退屈だ。聞く方も話す方も退屈だから、テオは出来るだけ分かりやすい事例を集め、話をした。そして2時間の講義を1時間10分で終えた。学生達は特に文句を言わず、テオが出した課題を携帯やタブレットに記録して教室から出て行った。この講義は出欠を取らないので、課題の提出だけで単位を決める。学生達にすれば単位稼ぎの楽勝講義だ。
 学生達が出て行った後の教室で、彼はホワイトボードの字を消して、書籍をカバンに入れた。部屋から出ていきかけて、戸口に立っている人物を見て動きを止めた。
 あまり口を聞いたことがない、と言うより、存在すら気にかけたことがなかった掃除夫が立っていた。まだ掃除の時間ではない、と思った。掃除夫だと思ったのは、相手が清掃道具を載せたカートを押していたからだ。

「もう掃除の時間かい?」

とテオが声をかけると、まだ20代になるかならないかの掃除夫が質問して来た。

「ロス・パハロス・ヴェルデスと友達だと言う先生は、あんたで良かったですか?」

 地方の訛りがあるスペイン語だった。これは南部の訛りだ、とテオは思った。

「大統領警護隊文化保護担当部と友達と言うなら、私のことだ。」

 彼は准教授らしく重々しく聞こえるよう発音してみた。気取った訳ではない。彼が大統領警護隊と知り合いだと聞いて訪ねて来る人間は、大概厄介な頼み事を持って来るからだ。気安く連中に頼み事をしてくれるな、と彼は内心防衛線を張った。
 掃除夫が片手を胸に当てた。

「ホルヘ・テナンと言います。プンタ・マナの南端の村の生まれです。」

 だからテオも自己紹介した。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。貴方はここで働いて長いのですか?」

 テナンは頷いた。

「5年になります。故郷の村にはその間2回しか帰っていません。その・・・バス代がかかるので・・・」

 彼は首をブンブンを横に大きく振った。

「僕のことはどうでも良いです。あの、僕の親父が・・・」

 彼は躊躇った。テオに打ち明けて良いものか、迷っていた。だからテオは言った。

「人に聞かれて拙い話なら、俺の研究室に行こう。」

2024/02/05

第10部  追跡       13

  死亡が確認されたのは、ミーヤの国境検問所で手配ポスターに印刷された3名だった。つまり、あのポスターの写真を見た”砂の民”がいて、行動を起こしたのだ。
 密猟者の一人はミーヤの教会裏の森の中で首を吊っていた。2人は少し北へ行った小さな村の畑の外れで互いの胸をナイフで刺し合って死んでいた。喧嘩の果ての相討ちと警察は結論づけて、それで終わりだ。
 恐らく3人共、”砂の民”による幻覚などで精神的に追い詰められたのだ。”砂の民”は決して自分達の手を直接下したりしない。標的を「勝手に」死なせるのだ。
 夕食の後で、テオはケツァル少佐からその話を聞いて、げんなりした。出来れば法的な処罰を受けさせたかった。しかし”ヴェルデ・シエロ”の掟では、彼等の存在に関する証言を密猟者達の口から引き出す事態は厳禁なのだ。
 大統領警護隊も”砂の民”の今回の仕事に対して沈黙している。多分、オラシオ・サバンの遺族は満足するだろう。しかし、イスマエル・コロンの家族は? 
 セルバ共和国では、損害賠償を請求するには犯人が生きていなければならない。国として犯罪被害者の救済制度などないのだ。このままではコロンは死に損ではないか、とテオが言うと、少佐は冷ややかに言った。

「犯人を捕らえて有罪に持ち込んでも、賠償する経済力を持っていませんよ。密猟者達は麻薬の密輸業者と違って、その日暮らしの人間ばかりです。」

 テオは悲しい気分でビールをがぶ飲みした。すると少佐が彼の空瓶を集めながら言った。

「残りの手配書が出ていない3人ですが、そのうちの2人は憲兵隊の資料に該当者がいました。残りの1人が誰か、突き止めなければなりません。資料にあった2人の手配書は明日にでも作成されるでしょう。」

 テオは顔を上げた。アルコールで少し顔がピンク色になっていた。

「”砂の民”はそいつらも狩るだろうな。」
「スィ。でも、最後の1人を彼等も突き止めねばなりませんから、2人のうちのどちらかは生かして捕まえるでしょう。」
「捕まえる? 連中は直接手を出したりしないだろう?」
「直接殺さないと言う意味ですよ。拷問や思考を引き出すことはします。」
「それじゃ、俺達もその最後の1人を探して憲兵隊に突き出してやろう。」

 彼は力強く言った。

「仲間が”ヴェルデ・シエロ”を殺した結果、酷い死に方をしたことを承知しているなら、そいつは絶対にサバンの正体を口外しないだろう。命を助けてやる代わりに、コロンの家族に少しでも償いをさせるんだ。」

 少佐は黙って彼を見ているだけだった。そんなに上手くいくかしら、と言いたげに。

2024/02/02

第10部  追跡       12

  月曜日、いつもの業務が始まり、アンドレ・ギャラガ少尉はあくびを噛み殺しながら書類に目を通していた。そろそろ紙の書類を電子文書に置き換えていく方針になったらしいが、文化・教育省の4階はまだその恩恵にあずかれない。
 彼には別に考えるべきことがあった。昨夜ジープを長時間運転してミーヤからグラダ・シティに帰って来た。遅くなったので、官舎に戻らず、外泊する旨を報告して、アスルの家、テオが権利を持っている長屋の一角に泊めてもらった。その時、アスルが提案したのだ。

「官舎を引き払って、お前もここに住まないか?」

 スラム街と軍隊の宿舎暮らししか経験がないギャラガに、「普通の家」に住んでみろ、と言ったのだ。

「家賃はドクトル(テオのこと)に払う。家事は分担だ。飯の支度は俺がするから、お前は掃除しろ。」

 ギャラガは少し考えさせて下さい、と言ったが、アスルはもうそのつもりになっていた。彼も遺跡発掘の監視業務で家を空けることが多いので、ギャラガが住んでくれた方が保安上安心出来るのだ。ギャラガは今夜官舎に帰ったら、官舎の管理をしている司令部の上官に相談しようと思った。
 ネットニュースをチョイ見していたマハルダ・デネロス少尉が「あらら・・・」と呟いたので、彼は我に帰った。横を見ると、デネロスは立ち上がり、ケツァル少佐の机へ行った。囁き声が聞こえた。

「手配書の3人、粛清されたようです。」

 ロホとアスルも仕事の手を止めた。それぞれパソコンと携帯で検索を始めたので、ギャラガも携帯を出してニュースを見た。
 昨日、彼とアスルが発見した首を吊った男の他に、2名の男が喧嘩をして互いに刃物で刺し合ったとあった。3人は密猟者で憲兵隊から指名手配されていたと言う。ニュースはそれだけの情報しかなかった。喧嘩の原因や経緯は何も書かれていなかった。よくある無法者同士の喧嘩、成れの果て、で誰も関心を持たないからだ。

「仕事が早いな・・・」

とロホが呟いた。「仕事」をしたのは”砂の民”だ。彼等が密猟者を捜査したと思えないから、文化保護担当部が憲兵隊や国境警備班に情報を渡した後、誰かが別の誰かにその情報を流したのだ。密猟者達の顔を特定したのは過去に飛んだアスルだ。
 アスルが溜め息をついた。文化保護担当部としては、警察の真似事をしないから、密猟者がどうなろうと構わない。人を殺した罪に相応の罰を受ければ言うことはない。憲兵隊に彼等が捕まって、”ヴェルデ・シエロ”を殺した、とさえ言わなければ。言うかも知れない、それだけの理由で、”砂の民”は行動しているのだ。

「残りは3人ですね。」

とデネロスも呟いた。

2024/01/31

第10部  追跡       11

 グラダ・シティとプンタ・マナの中間辺りにある寂れた農漁村の小さなキリスト教会に2人の男が駆け込んで来た。夕刻の礼拝の準備をしていた司祭に彼等は縋り付くようにして訴えた。

「神父様、匿って下さい、俺達はまだ死にたくない。」

 若い神父はちょっと驚いて開放されたままの扉の向こうを見た。まだ西日が射す時刻でもなく、外は日曜の午後をのんびり過ごす村人達がサッカーに興じたり、ベンチでお喋りしている姿が見えるだけだった。

「誰かに追われているのですか?」

 男達は顔を見合わせた。一人が告解室を指差した。

「懺悔させて下さい。」

 神父はもう一人の方を見た。2人目の男は椅子にぐったりと座り込んでしまった。

「駄目だ、どこに行っても追いかけてくる・・・あいつらから逃げることは不可能だ!」
「あいつらとは?」

 神父の問いかけに男達は再び顔を見合わせた。懺悔を希望する男が尋ねた。

「神父様、あんたはセルバ生まれかい?」
「ノ、私はフランスから来ました・・・」
「それじゃ、わからないだろう。」

 男はちょっと苛つきながら告解室を指差した。

「さぁ、懺悔を聞いてくれ。俺達を追いかけて来る古代の神の話を聞いてくれ。」

 その時、入り口から差し込んでいた陽が翳った。神父と2人の男が振り返ると、入り口に黒いシルエットになって一人の女性が立っていた。
 神父が記憶しているのは、そこ迄だった。彼が我に帰ると、教会内には誰もいなかった。2人の男も、入り口に立った陰を作った女性も姿を消していた。



 

2024/01/30

第10部  追跡       10

  アスルが心を過去に飛ばして見た密猟者達の顔を、ケツァル少佐とロホは憲兵隊の手配リストと照合し、6人の中の5人は氏名を確定させた。憲兵隊にその写真を指摘して、2人は憲兵隊本部を出た。
 日曜日だ。ロホは自宅に帰って寝ますと言い、上官と別れた。上官の裏をかいて彼女の妹の家に行くなどと言う姑息な真似はしない男だ。本当に真っ直ぐアパートに帰ってシャワーを浴びて寝てしまった。
 ケツァル少佐も自宅へ帰った。テオが帰って来てリビングで寝ていたので、起こさずにおいた。彼女もシャワーを浴び、着替えて何か食べようと考えていると、テオが目を覚ました。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 ノ、と彼女は答え、2人で食事に出かけた。午後2時を過ぎていたが、セルバでは遅いお昼にはならない。丁度12時頃に入店した客がのんびり出て来る時間で、2周目の客として彼等はイタリア人の店に入った。森の中での捜索の話やサバンの身元確認が所持品のお守りでなされたことを歩きながら語ったので、食事中は事件のことを忘れて食べることに専念した。
 山盛りのスパゲッティがみるみるうちに少佐の胃袋に収まっていくのをテオは愉快な気分で眺めた。彼女は超能力を使うと酷く空腹になる。それを補うために大量に食べるが、勿論彼女の体が健康な証だ。

「そう言えば、アリアナの出産はもうすぐでしたね。」

と少佐が話を振ってきた。テオは頷いた。

「順調なら今月末頃だって医者が言っているらしい。」
「病院で産むのですか?」
「夫婦はそのつもりだ。ロペス少佐は昔からの伝統的な出産方法で彼女が危険な状態になったりしたら助産師を引き裂いてやると言っていた。」

 少佐が噴き出した。

「シーロはあまり伝統的な作法を好まない人ですね。それに彼の実家は女手がいないので、出産後のアリアナや赤ちゃんの世話をする人もいないでしょう。ヘルパーを雇うのでしょうか。」
「そのつもりだろうけど・・・」

 すると少佐が提案した。

「私も病院が安全だと思います。一族の助産師もいますから、生まれて来る子供の扱いを任せて大丈夫でしょう。でも自宅に帰ったら、子供はミックスですから、ママコナの教えの声を聞けません。私が純血種のヘルパーを探してみましょう。」

 ”ヴェルデ・シエロ”の子供は生まれた時に大巫女ママコナのテレパシーで基本的な超能力の使い方を教えられる。テオは恐らくそれは脳波の使い方を調整されているのだろうと想像している。ミックスの子供はママコナの”声”を上手く受信出来ないので、脳波の調整が出来ず、超能力の基本的な使い方を学べないのだ。だから純血種から”出来損ない”などと蔑視されてしまうのだろう。純血種の父親は24時間子供の世話をする訳でないので、フォローが難しい。子供が言葉を理解出来る年齢になってから教育を始めるので、どうしても純血種に遅れてしまう。
 でも、最初から専属の純血種のヘルパーがいれば? ケツァル少佐はある意味実験を始めようとしていた。それは将来彼女が産むかも知れないテオの子供の為でもあった。


2024/01/29

第10部  追跡       9

  この日は日曜日で、「土曜の軍事訓練」は終わっている筈だった。それに密猟者・殺人犯の追跡は大統領警護隊文化保護担当部の任務ではない。だからケツァル少佐はアンティオワカ遺跡で解散した時に、部下達に自己判断で捜索を切り上げて帰宅するよう命じた。
 マハルダ・デネロス少尉は森の中で体験した「死の穢れ」で精神的に参っていたので、グラダ・シティでテオドール・アルストをグラダ大学に送り届けると、そのまま次兄の家で体を休めた。彼女の新しい交際相手のファビオ・キロス中尉は所属部署が違って、少佐の部下でもなく、ただ暇だったので今回の捜索に同行した。彼はデートが仕事になってしまった感じのデネロス少尉を労わりながら、結局まだ正式に彼女の家族に紹介されていなかったので、彼女の次兄の家でシャワーを使わせてもらった後、自分の家に帰宅した。
 別れ際、彼は彼女に言った。

「この週末は楽しかった。だが次は2人だけで静かに過ごすことも考えておいてくれないか?」

 デネロスははにかみながら答えた。

「土曜日の軍事訓練は私の楽しみの一つなのです。日曜日では駄目ですか?」

 キロス中尉は無骨な笑を浮かべた。

「日曜日でも、平日の夜でも構わない。私は2ヶ月の休暇中だから。」

 2人は丁寧に別れの挨拶を交わしたのだ。
 文化保護担当部の幹部2人、ケツァル少佐とロホはグラダ・シティの憲兵隊本部に行った。日曜日だが、軍隊に曜日は関係ない。普段通りの任務をこなしている憲兵達の中を通り、2人は殺人を主に取り扱っている班を訪ねた。
 憲兵隊は”ヴェルデ・シエロ”の軍隊ではないし、幹部も普通の人間が多い。だから少佐は南の森の中で起きた殺人事件の話を詳細に語らなければならなかった。憲兵隊は既にセルバ野生生物保護協会から同様の訴えを受けていたので、ちゃんと話を聞いてくれた。それに今回は動物学者でなく大統領警護隊が相手だ。最初の通報者の時より真剣に受け止めた。

「密猟の目撃者を殺害するのは珍しくありません。しかし遺体の扱いが異常だ。」

と担当した少尉が青褪めた顔で言った。バラバラ死体や焼かれた骨などの話は好きでないのだ。誰でも好きではないが。

「密猟者のリストですが・・・」

 少尉はファイルを出してきた。数枚のページに写真が貼り付けてあった。

「逮捕歴のある人物と逃亡中の人物、要注意人物の順に綴じてあります。お心当たりがあれば教えて下さい。」

 彼はファイルを少佐に渡し、部下に呼ばれて部屋から出て行った。他の事件で何か進展があったらしい。憲兵隊は忙しい組織だった。

2024/01/28

第10部  追跡       8

  ミーヤ・カソリック教会は大きくない。祭具室を抜けると司祭の居住区画で、廊下を通るとすぐに裏口から外に出た。町の住人が住む質素な家々が並び、すぐ向こうは森だ。アンドレ・ギャラガ少尉は教会から嗅いでいた人間の匂いがその森の方向へ向かっていることに気がついた。司祭は教会内のバザーにいたから、これは別の人間だ、と彼は思った。司祭の家族ではないだろう。司祭は妻帯しない。司祭館の家事を取り仕切る人間がいるとしたら、その人自身の住居か商店街に向かう筈だが、その匂いは森に真っ直ぐ向かっていた。
 先輩中尉を振り返ると、アスルも不機嫌な顔をして森を睨んでいた。

「森に隠れたのでしょうか。」

 ギャラガが尋ねると、彼は首を振った。

「この付近の森は国境破りを警戒して監視カメラを設置してある。密猟をする連中なら承知している。敢えてそんな場所に隠れるとは思えない。」

 突然彼が森の方角へ走り出したので、ギャラガも急いで追いかけた。行く手を塞ぐように畑の柵があったが、2人は軽々と跳び越えた。野菜の列を跨ぎ越し、再び柵を越えて森に走り込んだ。畑を荒らす動物を遠ざけるために、柵から森の最初の植生迄の間は樹木が伐採され、土と下草の空間だ。アスルとギャラガは人間が通った痕跡を追跡した。匂いの主は走っていた。何かから逃げたのだ、きっと。ギャラガは柵を越える時に、柵の上に張られた有刺鉄線に血が付着しているのを目撃していた。怪我をしてまで逃げたかったのか? 何から?
 森に入って500メートルも行かないうちにアスルが立ち止まった。ギャラガも足を止めた。酷く不快な感覚が襲ってきた。

ーー死の穢れだ・・・

 虫の羽音、まだ新しい死体の臭い。
 このあたりではしっかりした幹を持つ樹木が見えた。一番太い枝から大きな物がぶら下がっていた。
 アスルが溜め息をついた。そしてギャラガに囁いた。

「憲兵隊に電話しろ。手配書の一人だ。」

 まだ電波が届く距離だったので、ギャラガは言われた通り、電話を出した。位置確認を緯度と経度で行い、それから憲兵隊ミーヤ基地に掛けた。彼が通報している間にアスルが死体に近づいた。グルリと周囲を回って検分し、ギャラガのそばに戻った。

「物理的に誰かに強要された痕跡はない。首に締められた跡もなさそうだ。本当に首を吊っている。」
「自殺ですか?」
「見た限りではそうなる。しかし、走って行っていきなり首を吊ったりするか?」

 ギャラガは少し考えてから、言った。

「”砂の民”に幻影でも見せられましたかね?」
「多分・・・殺したサバンかコロンの幽霊に追っかけられたのだろう。」

 アスルは小さく「けっ」と言った。

2024/01/27

第10部  追跡       7

  憲兵隊にも配布するとかで手配書のコピーがたくさん置かれていたので、アスルとギャラガは2枚もらって、検問所の食堂を出た。そしてミーヤの街中を歩いて行った。隣国との往来に利用される大通りを中心に広がる細長い街だ。それに大きくない。セルバ共和国南部では観光都市プンタ・マナに次ぐ都市だが、どうしても田舎の印象は拭えない。首都グラダ・シティで育ったギャラガも、子供時代どこで過ごしたのか不明だが入隊以来ずっと首都を寝ぐらにしているアスルも、この街が洗練されていると思えなかった。しかし賑わっている。隣国の商人や買い出しの一般人が普通に検問所を出入りしている。セルバ側からも出かける人間が少なくない。物資はそれなりに豊かで雰囲気は陽気で活気に満ちていた。凶悪な殺人犯が隠れていそうに見えた。しかし密輸は行われるし、密入国もある。犯罪は普通に存在するのだ。
 ミーヤのカソリック教会はグラダ大聖堂に比べると小じんまりした田舎の教会に見えた。日曜の朝のミサが終わり、昼間は開放されていた。グラダ大聖堂と違って観光客は来ないが、地元民がいて、バザーの様な催し物をしているのが見えた。見たところ女性ばかりだ。

「殺人犯が隠れている様に見えません。」

とギャラガが囁いた。アスルは首を振った。

「いないだろうが、ちょっと俺たちの存在をアピールしておこう。」

 2人はジャングルから来たので、野戦服のままだった。アサルトライフルも持っていた。背中のリュックサックは遺跡発掘隊の監視業務で背負っているのを街の人々が何度も見ていたので、彼等が大統領警護隊であることは、胸の緑の鳥の徽章を見なくてもすぐにわかった。彼等が教会の中に入って行くと、洋服や小物の品定めをしていた女性達がチラリと彼等に視線をやったが、すぐに商品籠の方に顔を向けた。
 アスルは左回りに、ギャラガは右回りに壁に沿って歩いて行き、祭壇の前で合流した。

ーーここにはいません。
ーー奥の部屋を見てみよう。

 ”心話”で言葉を交わすと、2人はその場にいた人々に自分達はいないと思わせる幻視をかけた。恐らく女性達は、彼等は何時の間にか教会から出て行ったと思うだろう。
 2人は祭壇の横にあるドアを開き、司祭が使用する祭具室へ入って行った。

2024/01/26

第10部  追跡       6

  仮に「アキレスの一味」と密猟者グループを呼ぶことにしよう。クレトと言う一味のメンバーが半月前、バルに現れた時蒼白な顔でグラスをまともに持てないほど震えていたと言う。幽霊でも見たかと揶揄われても返事をしなかった。それから彼等は人前に現れていない。

「恐らく、クレトとか言うヤツは、オラシオ・サバンが殺されてジャガーから人間に戻るところを目撃したに違いない。」

 とアスルはギャラガに囁いた。

「連中は自分達が神を殺したと知った。恐怖でサバンの遺体を穴に入れ、焼いて痕跡を消そうとしたんだ。土で埋めた後も、連中は不安で恐ろしかった。」
「それで神から逃れようと姿を消した・・・?」

 ギャラガの質問と言うより確認の問いかけに、アスルは頷いた。

「だがセルバ国内にいる限り、必ず神に見つけ出される、と連中は思っている。それなら、どこに隠れる?」
「”ヴェルデ・シエロ”はキリスト教にとっては異教の神です。だから”シエロ”から隠れるなら、教会では?」
「もし連中がそう考えたなら、短絡的だな。俺達はキリスト教会を怖いと思っていない。用がないから近づかないだけだ。」

 アスルは食堂内の警備兵達を見回した。大統領警護隊は警察組織ではないから、犯罪者を追いかけたりしない。少なくとも、命令がなければ検問所から出て捜索したりしない。それは陸軍の国境警備兵も同じだ。彼等の仕事は国境を守ることで、出国者に注意して目を見張らせるだけだ。

「ミーヤの教会に行ってみますか?」

とギャラガが提案した。アスルは頷き、2人は空になった食器を返却口に運んだ。ブリサ・フレータ少尉がカウンターの向こうで彼等の顔を見て微笑んだ。

「何か手がかりを掴んだと言いたそうな顔ですね。」
「手がかりではないが、探す場所のヒントを陸軍からもらった。」

 アスルは料理をする人間が好きだ。彼自身も料理をするのが好きだからだ。彼が珍しくフレータ少尉に向かって微笑みかけたので、ギャラガはびっくりした。彼女が小さな紙袋を出して、アスルに差し出した。

「お料理をされるとステファン大尉から以前お聞きしていたので、よろしければこれを使ってみて下さい。隣国から来る行商人から買った混合スパイスです。怪しい物は入っていませんよ。多分、中尉なら成分や割合をすぐに当てられると思います。魚のシチューに丁度良い味を作ってくれます。」

 アスルは素直に有り難く頂戴した。ギャラガは新しい料理のレパートリーが増えるんだな、と期待した。


2024/01/24

第10部  追跡       5

 国境検問所の食堂は、大統領警護隊だけの場所ではなく、陸軍国境警備隊も一緒に食事をするのだ。だから料理はたっぷりあったし、アスルとギャラガも気兼ねなくテーブルに着けた。ブリサ・フレータ少尉は2人の皿に大きめの肉を載せてくれた。
 食事を始めようとした時、大統領警護隊警備班の隊長ナカイ少佐と先刻の警備兵が食堂に入って来た。ここの検問所の最高司令官に当たる人物だから、全員が立ち上がった。少佐は敬礼を兵士達と交わしてから、着席するようにと言った。

「食べながらで良いから、聞いて欲しいことがある。」

 彼がそう言うと、先刻の警備兵が一枚の大きな紙を広げ、後ろの壁に貼った。男の顔写真が3人分、コピーされていた。ナカイ少佐が言った。

「これは密猟者の手配書だ。連中は国境検問所を通らずに船で他国に動物の毛皮などを密輸していたが、最近、どうやら動物だけでなく人を殺したらしい。」

 兵士達が食事の手を止めて写真に見入った。

「殺害されたのは、セルバ野生生物保護協会の職員2名。間もなく首都でも手配書が発布されるだろう。密輸でなく国外逃亡を図る恐れがあるので、検問所でも注意して欲しい。犯人グループはもう少し人数が多い様だが、現在判明しているのはこの3人だ。」

 アスルが警備兵に伝えたのは6人だったが、写真が手に入ったのは3人だけだったのだろう。大統領警護隊の間では”心話”で6人全員の顔の情報が行き渡っている筈だ。陸軍には心で伝えられないから、手に入るだけの写真で手配を伝えた。
 陸軍兵から質問が出た。

「手配書の男だけでなく、一緒にいる連中も捕まえてよろしいですか?」

 少し乱暴だが、殺人犯の連れも一蓮托生だ、と言いたいのだ。犯罪に無関係かどうかは、捕まえてから調べる。それがこの国のやり方だ。
 ナカイ少佐は頷き、そしてアスルを見た。アスルは目で「ご協力感謝します」と伝えた。少佐は再び頷き、食堂から出て行った。

「アキレスの一味だな。」

と陸軍の方から囁きが聞こえた。

「前から怪しいと思っていたんだ。行商をしていると言いながら、妙に森へ出掛けていたからな。」
「だが、最近見かけない。以前はよくバルで見かけたんだが。」
「そう云や、半月前当たりだったか、クレトの奴が真っ青な顔でバルに来たことがあった。手が震えて酒のグラスを満足につかめていなかった。誰かが幽霊でも見たのかと揶揄っていたが、一切答えなかったな。」
「それじゃ、その時に、人を殺したんじゃないか?」

 大統領警護隊の隊員達は互いの目を見合った。その証言だけで十分だった。

第10部  追跡       4

 「アンドレ・ギャラガ少尉!」

 不意に女性の声に呼ばれて、ギャラガは驚いて声がした方へ顔を向けた。アスルも振り返った。女性の士官が入り口に立っていた。日焼けした彼女の顔を見て、ギャラガは顔を綻ばせた。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 敬礼を交わす2人の少尉を見て、アスルが尋ねた。

「知り合いか?」

 すると先刻まで話をしていた警備兵が説明した。

「隣国の超能力者騒動の時に、ギャラガ少尉がここへ来た。遺伝子学者の白人と大学生と3人だったかな。」

 アスルはその事件に直接関わらなかったので、話には聞いていたが関係者がどの範囲なのか知らなかった。それにフレータ少尉が太平洋警備室からミーヤ国境検問所へ異動になった件も知ってはいたが、あまり記憶に留めていなかった。本部の隊員のほとんどを知っていると自負している彼は、外の組織に勤務している隊員の知識が乏しいことを自覚した。
 フレータ少尉は休憩中の隊員に昼食の準備が出来たことを知らせて、それからギャラガとアスルに改めて向き合った。

「こちらへは、遺跡関係の密輸摘発か何かで?」
「ノ、もっと悪質だ。」

 アスルは彼女の上官の顔を立てて、この場では説明しなかった。

「恐らく隊長から後で説明があると思う。」

と警備兵を見て言った。警備兵が頷き、

「隊長に報告してから、食事に行く。」

と言い、部屋から出て行った。
 フレータ少尉が客を見た。

「あなた方もお食事されますか?」

 料理に興味があるアスルは、大きく頷いた。


2024/01/21

第10部  追跡       3

  憲兵と名前を交換し合ってから、アスルとギャラガは国境検問所へ行った。カフェから徒歩で行ける距離だ。当番の警備兵達は忙しいだろうから、休憩中の兵士がいる裏の事務所へ行った。首都かジャングルの遺跡にいる筈の文化保護担当部がやって来たので、休憩中の大統領警護隊の隊員は訝しげに応対した。敬礼を交わしてから、アスルは応対した隊員に密猟者の情報を”心話”で与えた。

「密猟は隣国でも問題になっている。」

と警備兵は言った。

「検問で通せない品だから、恐らく海に出て運んでいるだろう。憲兵隊から沿岸警備隊に手配書を回してもらおう。」
「殺人犯だ。」
「一族の者を殺害するなんて、質が悪い。」

 警備兵は検問ゲイトの方をチラリと見た。

「だが、その被害者は何故ナワルを使ったと思うんだ?」
「服を焼いた跡がなかったからな。死体をわざわざ裸にして焼くなんて、密猟者はやらないだろう。身元隠しなど、森の奥では意味がない。」
「そうだな・・・」

 警備兵は片手を顎に当てた。

「ことによると大事かも知れないぞ。ナワルの状態で殺されたら、人間に戻ってしまうところを目撃される。」
「十分その恐れはある。だから”砂の民”が動いている。」

 警備兵が溜め息をついた。

「あの連中は秘密裏に動くから、全て片付いても、我々にはわからない。我々はいつまでも犯人を探すことになる。」
「それに見せしめにならない。」

 アスルは国境警備班が自分達と同じ意見であることに安心した。

「隊長と相談して、この近辺の一族に警戒を促そう。」
「しかし、ピューマにも知られるぞ。」
「知られても構わんさ。」

と警備兵は言った。

「逆に連中は動きにくくなる。」

 先輩達の会話を聞いていたギャラガは思った。

ーー密猟者は”ヴェルデ・シエロ”全体を敵に回したな・・・

第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...