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2022/08/18

第8部 贈り物     23

 「例え幸運をもたらしてくれるとしても、神様を贈られるなんて、真平ごめんです。」

とカルロ・ステファン大尉は言った。彼はケツァル少佐と共に陸軍オルガ・グランデ基地の、大統領警護隊が利用する「控室」にいた。携帯電話のメールを読んでいた少佐が、顔を上げずに言った。

「そんな奇特な友人など持っていないでしょう。」

 彼女はロホからのメールを見つけた。建設省の警備室に入り込めたとあった。彼が警備員のふりをして仮眠室で休んでいても、誰も気がつかないだろう。ロホはその気になれば大臣執務室にも入れるのだ。
 アスルはネズミの神様が本来祀られているべき遺跡ピソム・カッカァにギャラガと共に行くとメールして来た。但し、夜が明けてからだ。その夜は病院で重体の警備員の様子を見守るのだと書かれていた。ギャラガからのメールはなかった。報告はアスルが引き受けた様だ。警備員が”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波に襲われたらしいと言う文に、少佐は不快を覚えた。一族が関わっていることは明白だ。ネズミの神様は”ヴェルデ・シエロ”の能力で抑えることが出来るが、同じ”ヴェルデ・シエロ”を敵として戦うのは厄介だ。
 マリオ・イグレシアス大臣が誰からどんな恨みを買ったのか、調べる必要があった。シショカが調べている筈だが、あの男がそれを突き止めたとして、素直に情報を渡してくれる保障はない。”砂の民”として、さっさと仕事をしてしまうかも知れない。
 少佐はマハルダ・デネロス少尉がムリリョ博士と上手く接触出来ることを願った。博士はメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”を嫌っているが、デネロスのことは気に入っているのだ。物怖じしない勇敢な娘、と誉めていた。
 ステファンが毛布を被って寝転んだ。

「明日はグラダ・シティですか?」
「そのつもりですが、何か?」

 オルガ・グランデはステファンの生まれ故郷だ。しかし彼は故郷にあまり良い思い出を持っておらず、懐かしいとも感じない。任務で帰郷しても、仕事が終わるとさっさとグラダ・シティに帰ってしまうのだ。
 ステファンは、「別に」と呟いたが、すぐ言い訳した。

「ネズミの神像の石を切り出した川は、あの川ですよね?」

 あの川というのは、”暗がりの神殿”のそばを流れる聖なる地下川だ。少佐は「スィ」と答えた。

「言い伝えでは、川の石を切り出して、神像を作ったそうです。旱魃に苦しむ農民を救う為に。」
「昔の人々はそう言うことが出来たんですね。」
「今でもママコナなら出来るでしょう。」
「グラダ族でもないのに?」
「グラダ族でもママコナの修行をしなければ出来ませんよ。ママコナは最長老達に幼い頃に仕込まれるのです。」
「では最長老は神像を作れるのですか?」
「念を込める資格を持つのはママコナだけです。」

 ケツァル少佐はママコナではないし、最長老でもない。ステファンの質問に全部答えられる訳でなかったから、だんだん面倒臭くなってきた。

「明日は早いですよ、早く寝なさい。」


2022/08/14

第8部 贈り物     22

 「教えて頂きたいのです。」

とケツァル少佐がパソコンの机にもたれかかって言った。

「前回、貴方がネズミを手に入れた時、どこであの呪いの使い方を教わりましたか?」

 バルデスが一瞬固まった。彼女の顔を見て、それからタブーを思い出して慌てて目を逸らした。

「貴女がネズミを回収された時に話すべきでした。」

とセルバ共和国の経済界の実力者である男が小さな声で言った。

「あの時、私はネズミの威力の恐ろしさと強さに恐怖し、あなた方の偉大な力に畏敬の念を感じる余り、救いを求めていたことを正直に語れませんでした。そして部下達の手前、弱みを見せられなかった。」
「そんなことはこの際どうでも良い。誰からアーバル・スァット様のことを教えられたのです?」
「私は、ロハスから聞きました。」

 少佐が顔を顰めた。ステファンも不機嫌に鼻を鳴らした。バルデスは彼等を怒らせまいと、慌てて説明した。

「当時、私はアンゲルス社長の従業員達に対する冷たい扱いに憤っていました。見かねて諌めようとしたのですが、逆に忠誠心を疑われ、危うくクビになるところだったのです。モヤモヤした気分でバルで飲んでいた時に、隣にやって来た女が声をかけて来ました。私も余り綺麗な経歴の男ではありません。裏社会の有力者の顔や噂は知っています。彼女が盗掘や麻薬密売を生業にしているロザナ・ロハスであることは、すぐわかりました。
 彼女は私に、何か不満を抱えているのですね、と話しかけて来たのです。勿論、私は彼女に胸の内を明かすつもりはありませんでした。適当に曖昧な返答をしていると、彼女がこう持ちかけて来たのです。
『先住民が大昔憎い相手を懲らしめるのに用いていた呪いの石像があります。呪いをかけるのは簡単です。懲らしめたい相手のそばにその石像を置いておくだけです。但し、貴方は決してその石像に近づいてはいけません。』
 私は彼女に尋ねました。
『近づけない物をどうやって憎い相手のそばに置くのか?』と。
 彼女は言いました。
『相手の住所を教えてくれたら、私が手配してその人の家に送りつけます。』と。」

 ステファン大尉が少佐を見た。少佐は宙を眺めていた。
 バルデスがウィスキーをちびりと口に入れて続けた。

「俄に信じられない話です。私は黙っていました。すると彼女はこんなことを言いました。
『私は偶然呪いの力が強い神様の石像を手に入れましたが、その力の大きさを持て余しています。神様を鎮めるには生贄が必要で、適当な人間を探しています。』
 私は尋ねました。生贄は処女でなければいけないのではないか、と。彼女は何でも良いと答えました。
『私が手に入れた神様は老若男女誰でも構わないのです。満腹にさえなれば、静かになります。』」

 少佐がバルデスをジロリと見た。

「貴方がその呪いの神像を譲り受けた見返りは何だったのです?」
「何も・・・」

とバルデスが肩をすくめた。

「信じて頂けないでしょうが、ロハスは私に何も求めませんでした。何故なら、私はそのバルで彼女に、神像は要らない、と答えたからです。」
「貴方は断ったのですか?」
「断りました。呪いの神像など、信じられなかったし、万が一本物だったら、それは恐ろしい罪です。神様が私を無事に解放すると思えません。私が憎む相手を呪い殺して、私にも祟りが降りかかるでしょう、他人を呪うとはそう言う危険な行為です。」

 アントニオ・バルデスは、神の祟りを本気で信じていた。だから、丘の上の豪邸を引き払ったのだ。ステファン大尉が質問した。

「貴方が断ったのにロハスはアンゲルスに神像を送りつけたと言うことですか?」
「スィ。」

 バルデスは頷いた。

「あの女は社長の屋敷に荷物が届いた日に私に電話を掛けて来ました。
『神様が貴方の社長の家に到着しましたよ。貴方はあの社長と仲違いしていたでしょう? 神様が貴方に代わってあの社長を始末してくれます。貴方は呪いが鎮まった時に、神像を元の場所に返して下されば良いのです。』」

 彼は残った酒をクイっと飲み干した。

「要するに、あの女は、盗んだ神像を持て余して、私がアンゲルス社長との間に問題を起こしたことを聞きつけ、私に神像を押し付けたんですよ。自分では処分の方法がわからないから。」

 彼はお代わりを注いだ。

「案の定、彼女は呪いを受けて、あなた方に逮捕された。噂で聞いています。神像をアンゲルスの屋敷に送りつけた後、あの女は仕事で失敗続きだったんです。あの方面のビジネスは、失敗すると組織全体に危険が及ぶ。だからどんな幹部でも、しくじれば組織の誰かに消される。ロハスは孤立しかけていました。実際、政府軍に包囲された時、組織の誰も彼女を助けようとしなかったでしょう? 刑務所でも彼女は厳重な警備下に置かれている。殺し屋が近づけないようにね。それでもあの女は怯えて暮らしているそうですよ。ネズミの祟りを恐れてね。」

 ケツァル少佐は水をそばの植木鉢に注ぎ入れ、グラスを彼に差し出した。

「少し頂けます?」
「どうぞ。」

 バルデスはウィスキーを少し入れてやった。少佐はグラシャスと言って、お酒を口に含んだ。

「すると、ロハスがネズミの祟りのことをどこで学んだか、を知らなければなりません。」
「そう言うことですな。」

 バルデスはステファン大尉を見た。目で「貴方も如何です?」と問うたが、ステファンは無視した。

「ロハスは本業が麻薬で、盗掘は趣味と言った方が良いでしょう。どこで金目の物が手に入るか、巷の噂や民間伝承などを調べていたと思われます。麻薬で稼いでいるのに、何故危険を冒して割に合わない盗掘をするのか、私には理解できかねますが。」
「彼女がどこから貴方と社長が上手くいっていないと聞きつけたか、見当がつきますか?」
「それは・・・」

 バルデスが苦笑した。

「鉱山で大声を上げて言い合いをしましたからな・・・周囲にいた従業員はみんな聞いていた筈です。ロハスの子分でなくても、又聞きでロハスの配下の耳に入ったことでしょう。」

 そして彼は自身が気にしていた質問を思い出した。

「ところで、ネズミはまだ見つかりませんか?」
「見つかりましたよ。」

と少佐はあっさり答えた。

「今のところ、ただの石像です。」



第8部 贈り物     21

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が”着地”したのは、4階建てのビルの屋上だった。排気の為に設けられた煙突の様な物が数基並んでいた。空気は乾いており、ひんやりとしていた。寒いと言った方が近い気温だ。夜の高原地帯の気候だった。市街地の外れと言っても辺鄙な場所ではなく、コンドミニアムが並んでいる。間を通る道も狭くない。オルガ・グランデの富裕層が住む地域だ。
 少佐は街中であるとわかると、携帯で位置情報を探った。

「この建物の中に、バルデスの自宅があります。」

 ステファンが眉を上げた。ちょっと意外だ、と言いたげな表情だった。

「アンゲルスの邸に住んでいるんじゃないんですか?」
「呪殺した元主人の家に住みたいですか、貴方は?」
「・・・ノ・・・」

 郊外の丘の上にあった豪邸は、恐らく売却してしまったのだろう。アントニオ・バルデスはマフィアの首領の様に豪胆で無慈悲な面を持っているが、反面迷信深く、古い信仰も持っていた。
 少佐は屋上から建物の中に入る入り口を探した。ドアが施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”にはないのも同然だ。彼等は屋内に入り、狭い階段を降りて行った。住民が利用すると言うより、メンテナンス用の階段の様だ。踊り場に来る度に少佐はそこにあるドアに手を置いて、バルデスの部屋を探った。ステファンには、彼女がどんな能力を使っているのか、よくわからなかった。”ヴェルデ・シエロ”には透視能力などなかった筈だが。
 3階と4階の間の中二階のドアを通り過ぎ、3階のドアの前に来ると、彼女はドアを押し開いた。通路の右側は薄い壁で、大きな窓が並んでいる。バルコニー形式の廊下だ。オルガ・グランデ市街地の夜景が見えた。左側はドアが4つ。どれも廊下との間に鉄柵のフェンスがあり、少し入ってからまたドアがある、用心深い造りだ。その鉄柵に飾り付けがされていたり、柵の中に鉢植えが並んでいたり、それぞれの住民のセンスが出ていた。
 バルデスの家はメンテナンス階段から2つ目で、花の蕾がいっぱい付いた鉢植えが前庭に並んでいた。富豪にしては質素な住まいだ、とステファンは思った。
 少佐がドアの前でバルデスに電話を掛けた。画面に出たバルデスは、ベッドの中だった。

ーーバルデス・・・
「ケツァルです。」

 バルデスがガバッと起き上がった。画面が暗くなったのは、手で覆ったからだ。隣に妻が寝ているのだろう。彼は小声で囁いた。

ーーこの時間に何の用です?
「今、貴方の家の前に立っています。」

 それ以上は無用だった。バルデスは、「すぐ行きます」と答えて、電話を切った。2分間待たされた。ステファンは廊下の左右を警戒したが、誰もいなかった。外ではまだ活動している人間が少なくなかったが、この高級コンドミニアムの住民は、夜になると寝るのだ。
 ガチャリと音がして、バルデスがドアを少し開けて外を覗いた。ケツァル少佐が徽章を出して見せた。そっくりさんではなく、本物だ、と言うパフォーマンスだ。勿論バルデスは”ヴェルデ・シエロ”が”幻視”を使う種族だと知っているだろうが、疑いもなくドアを開いた。そして手招きした。

「中へ・・・」

 少佐がステファンに「ついて来い」と合図して、2人はバルデスの自宅内に入った。
 広い居間を突っ切り、バルデスは書斎と思しき部屋へ2人を招き入れた。ドアを閉め、施錠したが、それは2人を閉じ込めるのではなく、家族や使用人が入ってくるのを防ぐ目的だった。
 書斎は彼の仕事部屋なのだろう、IT機器が数台あり、モニターもあった。書物も書棚に並んでいた。バルデスは照明を点け、サイドボードに歩み寄った。

「何か飲まれますか?」
「水を。」

 少佐が答えると、ステファンも頷いた。バルデスは2人の客に水を、彼自身にはウィスキーを注いだ。そしてグラスを差し出して、尋ねた。

「で、ご用件は?」


2022/08/10

第8部 贈り物     20

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は路地の屋台で適当に簡単な夕食を済ませた。そして”入り口”を探して歩き続けた。空間通路の入り口を探すのはブーカ族の得意分野だが、グラダ族はそれほどでもない。万能の部族と呼ばれる割に、少佐も大尉も空間通路の使用は苦手だった。

「これは家系でしょうか?」

とステファンが呟いた。実際の仕事に取り掛かる前に歩き疲れたくなかった。

「そうではなくて、適当な”入り口”が今夜は少ないだけです。」

 少佐はいくつか空間の歪みを見つけたが、通路になるような大きさのものはなかったし、オルガ・グランデに通じていそうなものもなかった。ロホは”入り口”探しが得意だが、彼には彼の任務がある。それにアスルも空間の歪みを探しているところだろう。

「せめてデネロスを連れて来れば良かった・・・」

 弟のぼやきを少佐は聞き流した。カルロ・ステファンは任務遂行中は黙って働けるが、彼女と2人でいる時は、どう言う訳か、昔から愚痴が多かった。彼女との血縁関係が判明する以前からだ。上官に愚痴るなんて生意気だ、と少佐は時々注意したが効き目がないのだった。恐らくどこかで姉だと本能的にわかっていて、甘えているのだ。そう言えば、テオも「カルロが愚痴って・・・」と彼女に訴えることがある。ステファンはテオにも甘えているのだ。

「でかいなりして、グチグチ言うんじゃありません。」

と言った時、路地の角に酔っぱらいが座り込んでいるのが見えた。酒瓶を片手に歌を歌っている、その男の横に手頃な空間の歪みが生じていた。 
 少佐は足を止め、ステファンに顎でその歪みを指した。

「あの酔っぱらいをなんとかしなさい。」

 ステファン大尉は酔っぱらいを見た。50絡みの日焼けした顔で、服装は悪くない、普通の庶民の普段着だ。顔も無精髭が生えているが、今朝剃った髭が伸びた程度だ。まだ無事な財布がズボンの尻ポケットに入っているのが見えた。それにしても不用心だ。
 ステファン大尉は男の前に立ち、声をかけた。

「おっさん、家はどこだ? こんな所で座ってちゃ駄目だ。」
「家はそこ・・・」

 男は酒瓶を持っていない方の手で、路地の奥を指した。

「帰るとカアちゃんに酒を取り上げられるから、ここで飲むんだい!」
「それじゃ、反対側に移動してくれないか?」
「なんで?」
「そこは俺の場所なんだ。」

 ステファンは緑の鳥の徽章を出して見せた。男は暫くそれを眺めてから、ああ、と呟いた。

「これは、これは、兵隊さん、失礼しました。」

 男は立ち上がろうとした。足元がふらついたので、ステファンは片手で男の腕を支えた。

「家はそこだって?」
「スィ、そこ・・・」

 2人の男はゆっくりと路地を20メートル程歩いて行った。その間に少佐は歪みの大きさと繋がり先を確認した。これなら国内だったらどこでも行ける。
 振り返ると、一軒の家のドアの前に男が座り込む所だった。ステファンが「ここで良いか?」と尋ね、男は「スィ、スィ」と答えた。
 酔っぱらいを放置してステファンが戻って来た。

「お待たせしました。」
「グラシャス、では、行きましょう。」

 2人が手を繋いだ時、路地の向こうで女性の怒鳴り声が響いた。

「あんた! また飲んだくれて! さっさと家に入んな!」
「ごめん、カアちゃん、ごめん、マリア・・・」

 ステファンは男が女に引き摺られるように家に入って行くのを視野の片隅で見た。少なくとも、あのおっさんは財布を辻強盗に取られずに済んだようだ。


第8部 贈り物     19

 デランテロ・オクタカスの病院は、診療所と呼んだ方がふさわしい設備だった。グラダ・シティの国立総合病院、グラダ大学医学部附属病院や陸軍病院の様な最新医療設備に程遠い、20年以上の年季が入った医療機器がまだ現役で、医師は現代医療を行なっているが、多分都会では何か訳ありで地方で働かざるを得なかったのだろう、と思えるやさぐれ感が漂っていた。
 アンドレ・ギャラガは怪我をした遺跡警備員の病室に入ることを許されたが、肝心の患者は意識不明のままだった。どこかで空気が漏れているんじゃないかと思える雑音がする酸素吸入器に繋がれて、男がベッドに横たわっていた。中年のメスティーソで、警察によれば、彼は雇い主のバルデスに携帯電話で「襲われた」と一言連絡を寄越したきりで、バルデスから救援要請を受けた警察が駆けつけた時にはもう意識がなかったと言う。警察官はバルデスの要請に従って遺跡の中の動画を撮影して、オルガ・グランデに送信した。それでバルデスは神像の盗難を知ったのだ。
 医師は、被害者は頭部を殴打されており、脳にダメージを受けていると言った。レントゲンでは脳内出血を認められなかったが、頭皮が裂けて出血があり、棍棒の様な物で殴られたのだろうと言った。
 ギャラガは指導師の資格も学習経験もなかったが、先輩達から話を聞いて知っていることがあった。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波を頭部に受けると、出血することなく脳にダメージを与えられてしまう、と。外傷を見て、「こんな程度の傷で目覚めない筈がない」と感じていたギャラガは、先輩の言葉を思い出して、ゾッとした。

 盗掘犯は一族の者なのか? 人間に爆裂波を使って負傷させたら、大罪じゃないか!

 バルデス社長は人を遣って患者を大きな病院に移すと診療所に連絡して来たが、まだ救急車は来なかった。ギャラガは哀しい気持ちで患者を見ていた。脳をやられたら、指導師でも治せない。この男は助からない。犯人の手がかりも聞き出せない。
 診療所の外はもう暗くなっていた。丸一日無駄に過ごした。少佐に連絡を取って撤退しよう、と思った時、携帯にメールが入った。見ると、アスル先輩からだった。

ーー2200頃にそっちへ行く。場所は未定。

 空間通路を使って来るのだ、とわかった。ギャラガは返信した。

ーー被害者は頭部に爆裂波を食らっています。回復不可能。

 1分後にまた返事が来た。

ーー俺が行くまで生かしておけ。

 警備員の過去を見るつもりなのだ。ギャラガはベッドを見た。この警備員には家族がいるだろう。可哀想に、1人でこんなところで、こんな死に方をするのか。
 盗掘者への怒りが沸々と湧いてきた。ギャラガは時計を見て、アスルが来る迄まだ2、3時間あると判断すると、病室を出た。取り敢えず病室の入り口に結界のカーテンを張った。普通の人間は出入り出来るが、一族の者は通れない。通ろうとすればギャラガに察知されるし、無理に破ればそいつの脳にダメージを与える。
 ギャラガは夕食が取れる店を探しに、デランテロ・オクタカスの町へ出て行った。


2022/08/09

第8部 贈り物     18

  マハルダ・デネロス少尉はケツァル少佐のコンドミニアムへ行った。少佐が、家政婦に夕食のキャンセルを連絡するには時間が遅いと言い、代理で彼女に食べて欲しいと頼んだのだ。勿論家政婦のカーラには少佐から連絡を入れてくれていた。
 デネロスは嬉しかった。カーラの料理は天下一品だ。そして上官達に気兼ねなくゆっくりと食べることが出来る。
 テーブルに着いた直後にテオドール・アルストが帰宅した。彼も夕食は少佐のダイニングで取るから、着替えてやって来た。

「少佐でなくて申し訳ありません。」

と彼女が笑って言うと、テオも苦笑した。

「別に君が役不足ってことじゃないさ。ただ食べる量が彼女と君では違う・・・」

 ケツァル少佐はあの細い体のどこに入るのか?と不思議に思うほどの大飯食らいだ。超能力が大きい分、食べる量も多い。尤も普段事務仕事しかしない日は普通の人と同じだ。マハルダ・デネロスの前には、普通より少し多めの料理が盛り付けられていた。

「カーラ、残りは全部持って帰ってくれ。」

とテオが声をかけた。カーラが笑いながら言い返した。

「朝ごはんの分は残して行きますよ。」
「その通りですね。」

 デネロスも笑った。彼女は官舎へ持ち帰るパンを素早く包んでいた。官舎の厨房班の食事は不味くないが、質素だ。外の食事に馴染んでしまった舌には味気なく感じるのだった。
 テオはカーラが階下でタクシーに乗るのを見送ってから、部屋に戻った。デネロスは制限時間いっぱい居座るつもりらしく、テレビをつけてのんびり夕食を食べていた。

「君は捜査に出ないのか?」
「出ますけど・・・」

 デネロスは肩をすくめた。

「ムリリョ博士の担当なんです。博士を捕まえるのに、夜は良くありません。博士はミイラとの時間を邪魔されるのがお嫌いなんです。」

 考古学博士ファルゴ・デ・ムリリョは、ミイラ研究の第一人者だ。昼夜問わずミイラの保管庫で装飾品やミイラの生前の健康状態などを調べている。ミイラになった人々が生きていた時代のセルバの社会状況を研究しているのだ。特に夜間は電話などの邪魔が入らないので、保管庫に寝泊まりして調査に没頭していることが多かった。テオはミイラの判別で雇われた時のことを思い出して苦笑した。

「俺達もミイラの部屋へ博士を訪ねて行くのは、御免だな。」

 デネロスも笑った。彼女はミイラも幽霊も怖くないが、狭い部屋に詰め込まれている沢山のミイラに囲まれるのは好きでなかった。

「でも、一族の人がアーバル・スァット様の力について勉強したいと思ったら、博士よりケサダ教授の方が近づき易いと思うんですよね。」

と彼女は言った。テオも同意した。ムリリョ博士は同族の人間でも滅多に面会に応じないし、高齢にも関わらず出張が多い。所在をつかむのが難しい人だ。それに反して彼の弟子で娘婿のケサダ教授は発掘に出かける以外は、大概グラダ大学にいる。優しくて気さくで親切な先生として学生達に慕われているし、学術的な話を求めてメディアなどが取材を求めて来ると大学は必ず彼を推薦する。

「それじゃ、先にケサダ教授に会ってみたらどうだい?」
「ノ、少佐の指示は博士が先です。博士の所在を掴むために教授にお会いするのは有りですけどね。」

とデネロスは舌を出した。教授は彼女の卒論の担当教官でもあったので、彼女にとっては恩師でもある。優しい先生だが、考古学関係の話を聞きに行く時は、今でもちょっと緊張するのだった。

「ところで、どうでも良い話だが・・・」

とテオはちょっと話題の方向を変えた。

「あの神像をアーバル・スァット様と呼んだりネズミと呼んだりしているが、区別はあるのかい?」
「正式名称はアーバル・スァット様ですよ。ネズミと呼ぶのは、あの神様が悪霊になる時です。隠語で呼ぶのです。神様じゃなくてただの石像だと一般人に思わせたいのです。」
「悪霊化している時に、真の名前を呼んで威力を増してしまっては困るって言うのもあるかい?」
「神様の真の名前なんて、私達が知る筈ないじゃないですか。アーバル・スァット様の真の名前なんて誰も知りません。」

 デネロスはビールをゴクゴク飲んでから、テオに言った。

「ところで、官舎まで送っていただけます?」


2022/08/08

第8部 贈り物     17

  ロホが庁舎の外に出ると、駐車場でアスルが待っていた。

「俺も晩飯を食ってから出かける。」

と彼が言った。ロホは頷き、何処へ行く? と尋ねた。アスルは車を駐車出来る食堂の名前を挙げ、ロホは同意するとそれぞれ車に乗り込んだ。
 店は車で5分とかからぬ場所にあり、まだ開店準備の最中の店内に大統領警護隊は強引に入った。店員はロホの制服を見て、黙ってテーブルの上にメニューを突き出した。アスルが尋ねた。

「今作れる料理で構わない。何が出来る?」
「チキンの焼いたの、マッシュポテト、野菜炒め・・・」
「それをもらおう。」

 店員はメニューを下げて厨房へ行った。何かコックと遣り取りしていたが、結局肉を焼く匂いと音が漂って来たので、ロホもアスルも店に対する注意を払うことはなかった。

「今回の仕業は”ティエラ”だと思うか?」

とアスルが尋ねた。ロホは首を振った。

「単独犯だとしたら、盗むところから建設省へ届ける迄ずっと神像を手元に置いていたことになる。そんな度胸がある”ティエラ”がいたら、お目にかかりたい。」

 あのアントニオ・バルデスでさえ、近づくのを恐れて、呪殺に成功したミカエル・アンゲルス社長の部屋に神像を放置していたのだ。盗み出したロザナ・ロハスも他人の手に神像を委ねた。彼等はアーバル・スァット様の扱い方を知っていても、そばに置く勇気がなかった。ロハスはさっさと高値で売却し、バルデスは大統領警護隊が来るのを密かに期待していた。

「一族の者が犯人だとすると、建設省の施策絡みの恨みか?」
「あるいは、イグレシアス個人に対する怨念だ。」

 ネズミの神様の呪いは、特定の個人に向けられるのではない。神像の周辺にいる人々に影響を及ぼす。個人への恨みで神様の祟りを使われては、堪らない。

「当然のことだが、シショカのおっさんは大臣へ恨みを抱いていそうな人間を探しているんだろうな。」
「それも大車輪の仕事でな。」
「大臣に報告出来ない案件だ。」
「あのおっさん1人で調べるのか・・・ご苦労なことだ。」

 ロホもアスルもシショカが嫌いだ。純血種の2人にシショカはちょっかいを出さないが、若造と見下しているのは確かだ。ロホはブーカ族で、アスルはオクターリャ族だ。マスケゴ族のシショカより能力が強いのだが、世間の裏の汚い部分を見てきたシショカは、その豊富な経験と知識で2人の若い軍人より優位に立っている気分なのだ。ロホもアスルもそれを敏感に雰囲気で感じ取っているので、大臣の私設秘書がケツァル少佐に近づく度に挑戦的な態度になってしまう。シショカは少佐に横恋慕しているイグレシアス大臣の使者を務めているだけなのだが。

「シショカは今でもカルロを見下しているのか?」
「カルロの血統を見下しているのさ。能力じゃ、もうカルロに勝てない。」

 ロホは出会う度に親友の力が増していることを感じ取っていた。白人の血が混ざっていても、カルロ・ステファンは立派な”ヴェルデ・シエロ”、グラダ族の男だ。

「そう言えば、あのおっさん、アンドレには手を出さないな・・・」
「そう言えばそうだ・・・」

 ロホとアスルは首を傾げた。アンドレ・ギャラガはステファンほどにも血統がはっきりしていない。それどころか、父親が今もって不明なのだ。見た目は白人に近いし、シショカが最も嫌う”出来損ない”の筈だ。しかし、文化・教育省に顔を出す時、シショカはいつもギャラガを完全に無視した。同じメスティーソのデネロスには時々軽蔑するような視線を向けるのに、ギャラガは見ようともしない。

「怖いんじゃないか?」

とアスルが呟いた。ロホがびっくりして彼を見た。

「シショカがアンドレを怖がっているって?」
「スィ。アンドレの能力は俺達でさえまだ把握しきれていない。あいつは日々成長しているからな。シショカはあいつが見る度に変化しているのを感じるんだろう。カルロの成長と違って、アンドレはどんな方向へ行くのかわからない。だからおっさんはあいつが怖いんだ。」


2022/08/07

第8部 贈り物     16

  ステファン大尉が手元の書類の山を4分の1ほど片付けた時、奥の部屋のドアが開いて、ケツァル少佐と部下達が出て来た。各自自分の机の前に座り、何やら報告書に取り掛かった様子だ。ステファンがデネロスの動きを見ていると、横にケツァル少佐が立った。彼は出来るだけ自然な動きで姉を振り返った。彼が片付けた書類の束に視線を向けて少佐が囁いた。

「折角来てもらったのですが、暫く窓口を閉めることにしました。」

 未決申請書を持って、デネロスが隣の文化財・遺跡担当課へ行くのを、ステファンは視野の隅に捉えた。

「もうお役御免ですか?」

 ちょっぴり残念な気分だ。デスクワークは好きでないが、「もう必要ない」と言われるのは哀しい。
 ケツァル少佐が意味深な笑を浮かべた。

「遊撃班の副指揮官にわざわざ来てもらって1日で帰らせるのでは、私もセプルベダ少佐に申し訳なく思います。ですから、ちょっと貴方に付き合ってもらいます。」

 副官席のロホがクスッと笑った。ステファンは不安を感じた。正直なところ、異母姉の「ちょっと付き合え」は今迄碌なことがなかった。少佐が机に寄り掛かって言った。

「オルガ・グランデに行きます。道案内しなさい。」

 ステファン大尉は彼女を見上げた。オルガ・グランデは彼の生まれ故郷で、少佐は仕事で何度もあの街に足を運んでいる。道案内が必要とも思えないが、恐らく下町やスラム街に足を踏み入れる可能性があるのだろう。

「承知しました。」

とステファン大尉は答えた。

「出立は何時ですか?」
「今夜のバスで行きます。」

 オルガ・グランデ行きの長距離バスが出る曜日ではなかった。大勢の一般職員の手前、彼女は「バス」と言っただけだ。普通の移動手段を使うのではない。
 アスルが立ち上がった。

「例の事件現場へ行ってきます。」
「気をつけて行きなさい。」

 アスルは少佐と敬礼を交わし、リュックサックを手に取ると、オフィスを出て行った。ロホも数枚の書類を素早く仕上げると、立ち上がった。

「ひとまず、早めの夕食を取って、少し寝てから任務に就きます。」
「よろしく。」

 少佐は彼とも敬礼を交わした。ロホはステファンをチラリと見た。一瞬目が合った。

ーーネズミの神様は半端な力じゃない。結界を素早く張らないと、君も少佐も怪我をするぞ。
ーー忠告有り難う。だがネズミの番は君だろう? そっちこそ油断するな。

 親友同士の一種の挑発をし合って、ロホはオフィスから出て行った。
 デネロスは申請書を隣の課に差し戻す作業に追われていた。博物館が閉館するまでに館長を訪問するのは難しそうだった。ステファンは少佐をチラリと見た。

ーー少尉に手を貸します。
ーーどうぞ。

 事務仕事に取り掛かる彼を見て、少佐は己の机に戻った。そしてテオドール・アルストにメールを送った。

ーーオルガ・グランデに行って来ます。


第8部 贈り物     15

  ケツァル少佐はシショカの顔を見ないで質問した。

「我々はこれからこの神像を遺跡から盗み出した犯人を探しますが、もし泥棒を突き止めたら、貴方はお仕事をされるおつもりでしょうか?」

 シショカが口元に不気味な微笑みを浮かべた。

「呪殺は掟破りですからな。一族が信仰していなくても、聖なる石を用いて作られた神像を冒涜しているのです、下衆は処分されて当然です。」

 そして彼は少佐とロホを交互に見た。

「貴方方が捕まえても、やはり評議会が極刑を言い渡すでしょう。どちらが情け深い処分か、お分かりかと思うが・・・」

 ロホがドアに手を掛けた。少佐がシショカに言った。

「報告は必ず致します。その神様を元の遺跡に戻さなければなりませんから、解決すればここへ参りましょう。犯人の名を告げるのはその時にします。」
「それで結構です。」

 ロホがドアを開いた。少佐が出て、彼もシショカに敬礼して外に出た。ドアを閉じると、少佐は既に階段に向かって歩いていた。廊下で待っていたアスルがロホが通るのを待ってから、最後尾をついて行った。
 3人は建設省の庁舎から出てしまう迄一言も喋らなかった。それぞれが乗って来た車に分乗し、文化・教育省へ走った。
 大統領警護隊文化保護担当部のオフィスでは、マハルダ・デネロス少尉とカルロ・ステファン大尉が申請書の審査と予算の編成を行っていた。ケツァル少佐がマルティネス大尉とクワコ中尉を伴って帰還すると、2人は立ち上がって敬礼した。少佐は返礼すると、デネロスにだけ、奥のエステベス大佐のプレートが下がっているドアの内側へ来いと合図した。ロホとアスルも彼女に続いたので、オフィスはステファン大尉だけになった。彼は書類の山を眺め、小さくため息をついた。所属班が異なるので、会議に呼ばれなかったのだ。ケツァル少佐はこう言う場合の線引きに厳しかった。元副官で弟でも、もう「部外者」なのだ。ステファンはちょっぴり寂しかった。
 エステベス大佐のプレートの部屋では、何も載っていないテーブルを囲んで4人の男女が椅子に座った。

「建設大臣宛に、アーバル・スァット様が送りつけられていました。」

と開口一番に少佐は事実を告げた。

「郵便で送られて来たと建設省の職員は言ったそうですが、荷札シールは偽造で、送り主も出鱈目でした。幸い大臣の私設秘書セニョール・シショカが箱から漂う霊気を察知して、彼自身のオフィスに荷物を隔離し、現在保護しています。送り主は神像を丁寧に扱っており、あの神様の扱い方を熟知していると思われます。恐らく大臣かその側近達が神像に間違った扱いをして祟られるのを期待した様です。」
「犯人は一族の人間と考えて宜しいですか?」

とアスルが質問した。少佐は微かに首を傾げた。

「そうとも言い切れません。アントニオ・バルデスもアーバル・スァット様の知識を持っていました。彼に神像を売りつけた盗掘者ロハナ・ロハスもあの神様の扱い方を知っていたので、彼女は盗み出した段階で呪われなかったのです。2人共”ティエラ”です。どこであの神様の知識を得たのか、調べる必要があります。」

 彼女はロホを振り返った。

「シショカは神像の扱い方を知っていますが、職員達が彼の不在時にあの部屋に入る可能性もあります。万が一に備えて、貴方は建設省の近辺で警戒に能りなさい。退屈な任務ですが、必要な役目です。」
「承知しました。」

 ロホは頷いた。少佐はアスルを見た。

「アーバル・スァット様が祀られている遺跡ピソム・カッカァに行って、盗掘が行われた時の様子を探りなさい。跳んでも良いですが、過去に長居しないこと。泥棒の顔を確認したら直ぐに戻りなさい。」
「承知しました。」

 少佐が顔を向けたので、デネロスはドキリとした。少佐が言った。

「文化保護担当部の窓口を暫く閉鎖します。」
「スィ!」

 デネロスはもう少しで嬉しそうな表情になるのを理性で抑えた。捜査に加えてもらえるのだ。

「貴女は博物館に行って、館長に最近ピソム・カッカァについて調べに来た人間がいなかったか、訊きなさい。館長に事情を話しても構いません。」
「承知しました。」
「アンドレはまだ戻りませんか?」
「デランテロ・オクタカスの病院から一回電話がありました。怪我人はまだ意識が戻らないので、待機しているそうです。」
「俺が過去に跳んだら、何が起きたかわかるさ。」

とアスルが言ったが、直ぐに付け足した。

「その怪我をした警備員が持っている情報が必要かも知れないがな。」

 少佐は腰を上げながら彼女自身の予定を言った。

「私はオルガ・グランデのバルデスに会って来ます。彼がネズミを使った時の経緯をもう一度はっきりさせる必要があります。アーバル・スァット様の威力を知っている人間がどの程度の範囲なのか、知っておかねばなりません。」


2022/08/06

第8部 贈り物     14

  マリオ・イグレシアス建設大臣は、所謂悪党ではないが、政治家の多くがそうであるように、知人友人、支持者に便宜を図ってきた。当然ながらそれによって恨みを買うことも少なくなかった。敵がいない政治家なんて、無能なだけだ、と言う人もいるくらいの国だ。イグレシアスは過去にも色々嫌がらせを受けてきたし、妨害も受けた。シショカは私設秘書としてそう言う問題を裏で処理する仕事をしているのだ。大抵の問題は彼1人で十分解決して来た。だが、今回はちょっと勝手が違った。

「過去にも色々毒物やら銃弾やら、脅しが目的の贈り物がありましたが、神様を送りつけられるとはね・・・どう対処すべきか、判断に迷っているのです。」
「そうでしょうね。」

 ケツァル少佐はロホを振り返った。箱を開くべきか、と目で問うた。ロホはちょっと考え、そして頷いた。神様の機嫌が悪い訳でないので、こちらが身構える必要はない。少佐は用心深く、丁寧に包装を解き始めた。シショカは遠ざかりはせず、さりとて間近で見る訳でもなく、己の机にもたれかかって少佐の作業を眺めていた。純血種の彼には、石の神像が発する霊気が見えている。もし霊気が悪意のあるものに変化したら、いつでも逃げ出せる心の準備はしている筈だった。
 箱を開くと、生成り色の綿に包まれた高さ30センチ程の物体が現れた。綿の周囲にぼろ布などを丸めて詰め込んで、運搬時の衝撃で神像が傷つかないよう、神様が機嫌を損ねないよう、用心がなされていた。神像の扱いに慣れた、あるいは知識を持っている人間の仕業だ。少佐もロホもシショカも同じことを考えていた。
 
 これは一族の者の仕業だ。

 少佐が綿を取り去ると、灰色の石で出来た神像が姿を現した。後ろ足で立ち上がり、前足を左右共に前へ突き出し、口を大きく開いて吠えている、そんな感じだが、長い歳月風雨に曝されてきたので、摩耗して丸い印象を与える。この神様を祀ったオスタカン族が神殿を放棄して去ってしまってから、神像は遺跡の中に放置されていたのだ。だがそんな扱いは神様を怒らせたりしなかった。アーバル・スァット様と呼ばれる神像は、静かに廃墟の中で余生を送っていたのだ。いつか大地に戻るだろうと眠っていたのだ。それがある日突然その眠りを妨げられて、神様は怒った。盗掘者や故買屋や、関係した人間に脅威の祟りを発揮した。人間の生気を吸い取り、衰弱させ死に至らしめた。
 ロホがシショカを振り返った。

「この神様はニトログリセリンみたいなお方です。丁寧に運べば眠ったままですが、乱暴に扱うと目を覚まされ、呪いの力を発揮されます。」
「すると・・・」

 シショカが何かを想像して身震いした。

「今、ここで地震が発生して、神像が床に落っこちたら、我々は祟られるのか?」
「可能性はあります。」

 少佐が静かに箱を持ち上げ、神像が入ったまま、床の上に移動させた。

「元来は、”ティエラ”の懇願に従って、”シエロ”の神官が聖域の岩から彫り出した神様です。普段は眠っておられますが、祈祷の時に頭から水を振りかけて目覚めて頂き、雨を降らせて頂くのです。決して祟り神ではありません。」

 シショカは床の上の神様に両手を額に当てるポーズで、神に対する崇拝の気持ちを表した。
 ロホが苦笑した。

「お怒りあそばされて荒魂が石から離れていれば、袋に捕まえて、神像は石として運べるのですが、今の様に眠っておられると、却って静かに運ぶのが難しいのです。」

 シショカは彼を見て、苦い顔をした。

「この部屋から運び出すのは難しいと言われるのか?」
「難しくありませんが、元の遺跡に戻す為に準備が必要です。それに、送り主が誰なのか、まだ何もわかっていません。」

 少佐がシショカを見た。

「箱を持って来たのは、郵便配達員だったのですか?」
「階下の受付係がそう言いましたが、犯人が一族の者なら”幻視”を使った可能性もあります。」

 シショカは溜め息をついた。

「気が進まないが、犯人が判明する迄、この神様をここへ隠しておいた方が良さそうですな。」


2022/08/05

第8部 贈り物     13

 街中で捜査中の時、軍服を着るか私服で通すか、時々大統領警護隊文化保護担当部は頭を悩ませる。ケツァル少佐は港の探索に私服を選んだが、空港を歩き回ったロホは軍服だった。そして故買屋を回っていたアスルは私服だったが、彼の場合は既に故買屋連中に面が割れていたので 、軍服を着ていなくても何者か相手はわかっていた。
 建設省の庁舎前に最初に到着したのはロホだった。彼は暑い外気の中で人を待ちたくなかったので、建物の中に入った。文化・教育省と違って、こちらは立派な独立したビルだ。入り口正面奥の受付カウンターの斜め横にあるソファに座って、仲間の到着を待つと、彼の周囲から自然と人々が距離を空けた。胸の緑の鳥の徽章を見て、ヤバい相手だと思ったのだろう。ロホはアサルトライフルを持っていなかったが、拳銃は軍服着用時の規則で携行していた。受付の建設省職員は彼に何用かと尋ねたいのだが、声を掛けて良いものかと躊躇っていた。大統領警護隊の訪問など上司の誰からも聞かされていなかった。
 5分程して、ケツァル少佐とアスルが建物の前で出会ったのだろう、少佐と中尉の順で入って来たので、ロホは立ち上がった。3人が敬礼を交わし合うと、直ぐに周囲の人々は私服姿の学生に見える男女も軍人だと悟った。
 アスルが受付カウンターへ行った。職員がドキドキして応対すると、彼は囁いた。

「セニョール・シショカから呼ばれている。取り継ぎを頼む。」
「畏まりました。」

 職員は直ぐに内線電話で大臣の私設秘書の部屋に連絡を入れた。短い返事を聞き、それからアスルに顔を向けた。

「どうぞ、3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」
「グラシャス。」

 アスルは素早く視線をフロアに向け、エレベーターではなく階段を見つけた。そして上官2人に階段の方向を手で示した。軍人達が階段へ向かうのを見て、職員は同僚を振り返った。
 大統領警護隊がエレベーターを使わないと言うのは本当なのね。
と彼女が目で言うと、同僚は肩をすくめただけだった。通じたのかどうか、受付職員にはわからなかった。
 階段を上がって行く間、ケツァル少佐、ロホ、そしてアスルは無言だった。3人共空気を感じようと感覚を研ぎ澄ましていたが、怪しい気配はなかった。
 3階のフロアに着くと、アスルは廊下に残り、ケツァル少佐とロホが私設秘書のオフィスのドアをノックした。直ぐにシショカその人がドアを開けた。少佐が公務で来たことを示すために敬礼した。シショカは右手を左胸に当てて挨拶し、2人を中に招き入れた。
 シショカの部屋は特に変わった物はなかった。普通に大臣の個人秘書として、客の応対をするテーブルと椅子、書棚、パソコンやファックスなどのI T機器、そして彼自身のデスクがあるだけだ。そして来客用のテーブルの上に段ボール箱が置かれていた。セルバ共和国の郵便のシールが数枚貼られているが、ケツァル少佐もロホもそれらが偽造荷札だと一眼で分かった。箱から微かに光が放たれているが、恐らく”ヴェルデ・シエロ”でなければ見ることは出来ない。シショカは電話で「不穏な気配」と言ったが、少佐にはそんな感じはしなかった。
 ロホが言った。

「中を確認しないとわかりませんが、この箱の中に入っていらっしゃる方は、セニョール・シショカが丁寧に取り扱わられたので、今のところご機嫌なご様子です。」

 シショカが気まずそうな顔をした。

「私が受け取った時は、運搬途中で揺さぶられたのだろう、かなりご機嫌斜めだった。」
「それでも運んできた人間は精一杯丁寧に扱ったのでしょう。」

 少佐が用心深く箱の上に手を翳した。ロホが上官の表情を伺った。少佐は数秒間目を閉じて考えていたが、やがて目を開くと断言した。

「間違いありません、アーバル・スァット様です。」

 ロホがホッと息を吐いた。「ネズミの神様」なら、一度対峙した経験があるから、扱い方がわかる。それに今はまだ神様は悪霊化していないので、ご機嫌さえ損なわなければ周囲に被害を出さずに済む。
 シショカが顔を顰めた。神様の名前など彼はどうでも良かった。問題なのは、情緒不安定で怒らせると非常に危険な神様が建設大臣宛てに送られてきた事実だ。

「何処の何の神様か知らないが、誰がここへ送りつけて来たのでしょうか。目的は漠然と察しがつくが・・・」

 

2022/08/04

第8部 贈り物     12

 ケツァル少佐はグラダ港にいた。空港をロホに捜査させ、彼女は船舶を一隻ずつ、倉庫を1棟ずつ、ネズミの神様の気配を探して見て回っていたのだ。荷物検査が厳しい航空機より船舶の方が、密輸品の運搬をしやすい。遺跡からの盗掘品の多くが船で国外に持ち出されることが多かった。船の積荷なら、神像に失礼がないように大袈裟な梱包をしても、重量制限やサイズ制限で引っかかる可能性が低い。石だから麻薬探知犬や爆発物探知犬も反応しない。
 少なくとも、アントニオ・バルデスが神像の盗難を知った時から今日までグラダから出港した船はまだいない。海が暴風のために荒れており、セルバ共和国や陸地は穏やかなのだが、海上は危険だと言うので船舶の航行は止められていた。

 だが、太平洋側から船を出されるとお手上げだ。

 太平洋岸のセルバ共和国の唯一の港ポルト・マロンは、バルデスが経営権を握っているアンゲルス鉱石を初めとするオルガ・グランデの鉱山会社が鉱石を積み出す港だ。石や土砂の積荷が多い。そこに神像が紛れ込んでも見つけ出せないが、そんな運び方をされたらあの恐ろしい神様は大激怒なさるだろう。それにバルデスが積荷のチェックを抜かりなく行っている筈だ。もし神像を見つけたら、大統領警護隊太平洋警備室に協力を求めるだろうから、ケツァル少佐は西側の守りをそちらへ任せていた。日頃は暇な太平洋警備室の隊員達が張り切って積荷の検査を行う様が想像出来た。
 マハルダ・デネロス少尉からシショカの電話の件で連絡があったのは、彼女が荷積み労働者達の溜まり場で、女性労働者達に混ざって少し早めの昼休みを取っていた時だった。彼女は口に入れたトルティージャを飲み込むまで電話を放っておいた。そしてデネロスからシショカの名前を聞いて、ちょっと不機嫌になった。内務大臣と建設大臣を務めるイグレシアス兄弟を連想させる人々は嫌いだった。シショカの人柄も好きではなかったが、何故白人の政治家の下で働いているのか、未だに理解出来ない。シショカ自身は純血至上主義者なのに。 
 たっぷり時間をかけて昼食を取ってから、彼女は溜まり場を出て、岸壁を歩いていった。そして周囲に誰もいないことを確かめてから、海を見ながら電話を取り出してかけた。

ーー少佐、お電話をお待ちしておりました。グラシャス。

 シショカが慇懃に挨拶した。少佐はすぐに要件に入った。

「どんな御用でしょう?」
ーー電話では申し上げにくいのです。通信会社に記録が残りますからな。

と言ってから、シショカは彼女を怒らせる前に素早く核心を語った。

ーー大臣宛に送られてきた贈り物から、不穏な気配がするのです。

 少佐はドキリとした。それって・・・

「中身は石ですか?」
ーースィ。重量があります。そして取り扱い注意と美術品のシールが貼られています。

 シショカは馬鹿ではない。一族の歴史にも詳しい。

ーー想像するに、どこかの遺跡からの出土品です。それもかなり霊力が強い石だ。
「送り主はわかりますか?」
ーー書かれている名前を調べましたが、実在する人間ではありませんでした。
「大臣宛てなのですね?」
ーースィ。

 バルデスが己の雇い主を呪殺した手口に似ている。
 少佐はシショカに言った。

「すぐにそちらへ参ります。建設省の庁舎ですね?」
ーースィ。今は私のオフィスに置いています。”ティエラ”には触らせたくないのでね。

 シショカが利口な男で良かった。少佐はちょっとだけ安堵した。電話を切ると、次にロホとアスルに向けてメールを送った。

ーー建設省に標的が届けられた疑いあり。すぐに向かうこと。

 数秒後に2人から「承知」と返信があった。ギャラガは盗難の捜査をさせておこう。ケツァル少佐は駐車場に向かって走った。

第8部 贈り物     11

  マハルダ・デネロス少尉はカルロ・ステファン大尉に”心話”でシショカからの電話の内容を伝えた。大尉は1秒ほど置いてからアドバイスした。

ーー少佐にすぐ連絡を取れ。

 よほどの重大問題が発生した場合でなければ外にいる上官に電話をしてはいけないことになっている。シショカの事案とネズミの神様の盗難、どちらが重要だろうと思いつつ、デネロスはケツァル少佐の電話にかけてみた。運転中だったのか、5回の呼び出し音の後で少佐が電話に出た。

ーーケツァル・・・
「デネロスです。セニョール・シショカから少佐に何か用事があるとかで電話がかかって来ました。」
ーー何かとは何か?
「彼は何も教えてくれません。少佐がお留守ならロホはいないのか、とか、ムリリョ博士はどこにいるのか、とか・・・」

 ケツァル少佐はあまり長く考え込まなかった。

ーー私から連絡してみます。グラシャス。

 通話を終えて、デネロスは溜め息をついた。シショカの用事はきっと厄介なことなのだ。文化保護担当部や考古学博士を探しているのだから、考古学に関係するのかも知れない・・・
 デネロスはふと嫌な予感がしてステファン大尉を振り返った。ステファン大尉も彼女を見た。

ーー同じことを考えたか?

とステファンが尋ねた。デネロスは頷いた。

ーーネズミの神様とシショカに何か接点が生じたのかも知れません。
ーー俺達から質問してもあのおっさんは答えてくれないだろう。だが、あいつが困っているのだとしたら、本当に厄介な問題に違いない。

 シショカは”砂の民”だがムリリョ博士の手下ではないから、独自の判断で仕事をしている。その男が首領の判断を必要としているのだとすれば、正に厄介な問題が発生しているのだろう。
 カルロ・ステファンもマハルダ・デネロスも好奇心がムラムラと湧いてきた。しかし業務途中で外出は許されないし、2人共昔からシショカと接触することをケツァル少佐から固く禁じられていた。

「少佐はあの人との話し合いを私達に教えて下さるかしら?」
「無理だろう。教えてくれるとしたら、それはことが全て終わってからだ。」

 カルロ・ステファンは遊撃班の副指揮官らしく、素早く頭を切り替えた。

「さぁ、さっきの電話は忘れて仕事に戻ろう。」

 デネロスは不満そうな顔だったが、仕事の優先順位を思い出し、書類の束をステファンの机に置いた。

「それじゃ、これをお昼ご飯の後で片付けて頂けます?」
「げっ!こんなにあるのか?」
「クエバ・ネグラ沖の海底遺跡の発掘調査関係です。モンタルボ教授が遺跡を細かく区切って調査されているので、区画ごとに申請書を提出されるんですよ。」
「一つにまとめて出せば良いものを・・・」

 ステファンは書類をパラパラとめくって眺めた。そして溜め息をつくと、デネロスを振り返った。

「先に昼飯にしないか?」

2022/08/03

第8部 贈り物     10

  次の日、カルロ・ステファン大尉は、上官のコンドミニアムから文化・教育省の4階へ出勤した。彼が入口で緑の鳥の徽章とI Dカードを提示すると、守衛当番の女性軍曹が黙って仮職員パスをくれた。ケツァル少佐から既に話を通してあったのだ。ステファン大尉は「グラシャス」と言ってパスを受け取り、首に掛けると階段を上がって行った。いつまで経ってもエレベーターがつかないビルだ。階段の幅だけは広いので大勢が一度に通ることが出来る。
 4階に到着すると、文化財・遺跡担当課の職員達が振り返った。数人の入れ替わりはあったが、殆どが顔見知りの職員だ。ステファン大尉は彼等と挨拶を交わし、ちょっと世間話をした。それから官舎から出勤して来たマハルダ・デネロス少尉の指図で業務に取り掛かった。彼は大尉で仕事の経験も彼女より豊富だったが、一応外部から来た助っ人だ。だから少尉の指示に従って仕事をした。
 昼近くになって、4階オフィスの電話が鳴った。誰が取ると言う決まりはなく、手が空いている人間が出ることになっている。文化財・遺跡担当課の女性職員がその電話を取った。相手と少し話をしてから、ちょっと困った表情でデネロス少尉を振り返った。

「マハルダ・デネロス少尉、建設省から電話です。」
「建設省?」

 デネロスは眉を顰めた。あまり馴染みのない省庁だ。民間で工事を行う時に遺跡が出土してしまうことがある。そんな場合に建設省と文化・教育省がどちらが優先権があるかと事務官で議論するが、大統領警護隊文化保護担当部にはあまり関係ない事案だ。隣の文化財・遺跡担当課に事案が回ってくるのは、文化・教育省の事務官が議論で建設省を負かした時になる。だから4階に建設省が直接電話を掛けてくることはなかった。あるとすれば、それは建設大臣マリオ・イグレシアスの個人的要件だ。
 デネロスはチラリとステファン大尉を見た。ステファンが肩をすくめた。まだイグレシアス大臣はケツァル少佐を追っかけているのか、と内心呆れていた。少佐はもうテオドール・アルストと同居しているのに。
 デネロスは仕方なく電話を取った。

「大統領警護隊文化保護担当部、マハルダ・デネロス少尉です。」
ーー建設大臣イグレシアスの私設秘書、シショカです。

 予想通りの男の声が電話の向こうから聞こえた。イグレシアス大臣はケツァル少佐にデートを申し込む時、自分で電話を掛ける度胸がなくて、いつもこの私設秘書に掛けさせる。シショカは少佐が断るとわかっていても、仕事だから電話をする。
 デネロスは先回りして言った。

「取り継ぎの職員が言ったように、少佐はお留守です。」
ーーそのようですな。マレンカの御曹司も出払っているのかな?

 マレンカの御曹司とは、ロホのことだ。ロホが実家の名前で呼ばれるのを嫌うことを知っていながら、そう呼ぶのだ。つまり、これは、「一族が関わっている問題」だ。若いデネロス少尉にもその程度のことは察せられた。彼女は答えた。

「マルティネス大尉、クワコ中尉、ギャラガ少尉も外へ出払っています。」

 では”出来損ない”しかオフィスにいないのか、とシショカが小さく呟くのをデネロスは聞いてしまったが、黙っていた。ここにステファン大尉がいると知れば、シショカは彼を挑発してくるだろう。シショカとステファンは犬猿の仲だ。
 シショカと話をしている暇はないと思ったデネロス少尉は電話を切り上げようと思った。

「お役に立てなくて申し訳ありませんが、業務が立て込んでいますので・・・」

 するとシショカがこう言った。

ーーファルゴ・デ・ムリリョ博士が今どこにいらっしゃるか、わかるか?

 デネロスは一瞬にして緊張した。”砂の民”のシショカが”砂の民”の首領を探している。つまり、シショカの手に負えない事案が発生していると言うことなのだろう。

「博物館と大学に博士がいらっしゃらないのでしたら、私には見当がつきません。」

 彼女はそう言ってから、言い足した。

「ケサダ教授になら連絡をつけられます。教授なら博士の行き先をご存じかも知れません。」

 シショカが少し沈黙した。フィデル・ケサダは”砂の民”ではない。シショカが抱える要件に巻き込む必要がある人物だろうか、と考えているのだ。それに、シショカはケサダが苦手だった。口論したことも戦ったこともないが、向こうの方が力が強いと彼は感じていた。一族に害をもたらす人間を闇から闇へ葬る仕事をしているシショカは、対峙する一族の者の能力の強さを正確に把握する必要があった。だが、フィデル・ケサダの能力はどうしても測りきれなかった。同じマスケゴ族なのだから、彼と差がない筈なのだが。
 カルロ・ステファン大尉が心配そうにデネロス少尉を見た。彼の耳にも電話から流れるシショカの声が聞こえていた。ケツァル少佐へデートの誘いかと思ったが、そうではないらしい。しかしデネロスに代わってくれとは言えなかった。ステファンを忌み嫌っているシショカは、ステファンが電話を代った途端に切ってしまうだろう。
 やがてシショカは言った。

ーー出来るだけ早くケツァル少佐に連絡をつけたい。伝言を頼む。私に直接電話して下さいと告げてくれ。

 電話が切れた。デネロスが電話を睨みつけた。

「それが他人に物を頼む言い方?」

2022/08/01

第8部 贈り物     9

 ケツァル少佐が雇っている家政婦のカーラは、主人が留守の時にやって来る訪問者を決してアパートの中に入れたりしない。しかし、少佐の部下は例外で、リビングに通す。テオがもう一つの区画に引っ越して来てからは、男性の部下はテオの部屋のリビングへ入るようになった。彼等も彼等なりにカーラに気を遣っているのだ。
 その夜、デネロス少尉を官舎へ送ったテオが帰宅すると、カーラが入れ替わりに帰宅しようと下へ降りて来た。週末は家政婦は休業だったので、テオは驚いた。彼女は少佐の指示で特別業務をしていたのだ。一階のロビーで出会うと、彼女は来客があることを告げた。

「ステファン大尉が見えられましたので、貴方のお部屋へ通しておきました。」
「グラシャス! 気をつけてお帰り!」
「グラシャス! おやすみなさい。」

 カーラは呼んでいたタクシーに乗って帰って行った。 
 テオは来客があることを、駐車場の客用スペースに停められていた大統領警護隊のジープの存在で知っていた。もし遊撃班からの助っ人で中尉以下の隊員だったら、マカレオ通りのアスルが住んでいるテオの旧住宅に行くだろうから、ケツァル少佐のアパートに来るのは大尉だけだ、と予想したのだ。
 エレベーターの使用を”ヴェルデ・シエロ”達は嫌うが、テオは平気だ。すぐに最上階の彼と少佐だけのフロアに到着した。エレベーターを出ると狭い公共スペースがあって、左右に並んでいるドアの右側をテオはチャイムを鳴らしてから開いた。さもなければステファン大尉に殴り倒される恐れがあった。彼等は実際用心深いのだ。
 カルロ・ステファン大尉は何もないリビングの、数少ない家具である古いソファの真ん中にふんぞり返ってテレビを見ていた。テオを見るとニヤリと笑った。

「ご自宅のチャイムをわざわざ鳴らして入るんですか、貴方は?」
「誰もいなけりゃ鳴らしたりしないさ。入るなり君に張り倒されたくないからね。」

 2人は笑い、ハグで挨拶した。それからテオは何もないキッチンにポツンと鎮座する小さな冷蔵庫からビールを出して、大尉と乾杯した。

「もしかして、君がマハルダの助っ人なのかい?」
「スィ。他の連中は考古学の素人なので、私に行ってこいとセプルベダ少佐から命令が降りました。明日からマハルダ・デネロス少尉の部下として働きます。」

 と言いつつ、ステファンは嬉しそうだった。古巣に久しぶりに帰るのだ。それも上官の命令で。書類仕事ばかりでも、嬉しいに違いない。

「マハルダは捜査に加われなくて、不満らしいぞ。」
「そうでしょう。しかし、ネズミの神様はそんじょそこらの神像とは威力が違いますからね。彼女が完璧に能力を使えたとしても、神様が怒った時は歯が立たないでしょう。私も白人の血が入っていますから、神様が言うことを聞いてくれるとは限りません。」
「だが、アンドレは捜査に出ている。」
「彼は・・・」

 ステファン大尉は肩をすくめた。

「能力の幅がまだ謎なんです。もしかすると私より強いかも知れない。」
「黒じゃなく銀色なのに?」
「色で力の強さが決まるのではありません。反対に力の強さが色に出ることもありません。」
「シュカワラスキ・マナの息子がそんなことを言うんだったら、アンドレの力の大きさは本当に未知数なんだな。」

 テオは研究室に保管している友人達の遺伝子マップを頭に思い浮かべた。ギャラガの遺伝子は様々な種族の血が混ざっているので、他の”ヴェルデ・シエロ”達のものと少し差異がある。それがどの力を表し、どの程度の力なのか、テオはまだ解明出来ていない。純血種を解明しなければ、ミックスの解析は難しいだろう。

「だが、純血種以上に強いことはないよな?」
「純血種のグラダは現在女が1人だけです。」

 ステファン大尉は異母姉ケツァル少佐を頭に浮かべて言った。テオは、もう1人男性がいるんだと言いたかったが、我慢した。これは「彼」との約束だ。絶対に誰にも言わない。ただ、少佐とギャラガは知っている。ステファンだけが知らないのは不公平なのかも知れない。だが、彼等を守るために秘密を知る人間は少ない方が良いのだ。
 テオは話題を変えた。

「君の遊撃班の話を聞かせてくれないかな。勿論、公表出来る範囲で構わないから。」


2022/07/29

第8部 贈り物     8

 「だが、それにしてもどうしてネズミの神様が雨の神様なんだろ?」

 テオが素朴に疑問に感じたことを口に出すと、デネロスはニヤリと笑った。

「ネズミと言うのは便宜上の表現です。本当はアーバル・スァット様はジャガーなんですよ。」
「やっぱりそうか!」

 中南米では、ジャガーは雨を降らせる霊的な動物と考える部族が多い。ゴロゴロと喉を鳴らす音が雷を連想させるのだろうとヨーロッパの学者達は考えている。

「昔の彫刻はデフォルメされているし、長い歳月の間に摩耗して原型が分かりにくくなっていますからね。」

 デネロスはタコの唐揚げをモリモリと食べた。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は頭足類を食すことを好まないが、メスティーソ達は好きだ。

「元々あの神像を作ったのは”シエロ”だと言われています。オスタカン族に授けられて、神殿に祀られていたんです。だから、あの神様は”シエロ”の言うことは聞くのです。粗末に扱われて怒り狂わない限りはね。」
「”ティエラ”では制御出来ないのか?」
「無理です。丁寧にお祀りして願い事をすれば叶えて下さいますが、雨のことだけです。お金儲けや恋愛成就はありません。そして一旦怒らせると、もう”ティエラ”では手がつけられません。これは、過去のオスタカン族に伝わる昔話にも数回あります。その都度彼等は”シエロ”を探してきては、神様のお怒りを鎮めてもらったのです。」

 その説明には重要な要素が含まれていることにテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は古代に滅びたと言うのが定説、とセルバ人は公言しているが、本当はまだ生き残っていることを知っているんだ、と彼は気がついた。言い伝えとして知っているのではなく、今も生きていると確信している。

 バルデスも大統領警護隊が”シエロ”と話が出来る人々ではなく”シエロ”そのものだと知っているんじゃないのか?

 だからバルデスはケツァル少佐やロホ達に逆らわない。大統領警護隊だから逆らわないのではなく、”ヴェルデ・シエロ”だから逆らわないのだ。

 ってことは、バルデスは、伝説の神様が霊的存在ではなく、生身の人間だってことも知っているんだ・・・

 それが良いことなのかこちらにとって都合の悪いことなのか、テオは判断しかねた。

 だが少佐達は、そんなことなどお見通しなんだろうな・・・

 無条件に神様扱いされて平伏されるより、こちらの弱点を知られている方が却って利用しやすいこともあるに違いない。例えば洞窟探検の装備を準備してもらうとか、インターネットを使った調査をしてもらうとか。バルデスは善人と呼べないが、セルバと言う国を裏切ることはしない人間だ。”ヴェルデ・シエロ”を裏切るとどうなるか、彼は知っている。
 その彼が、ネズミの神様を盗まれて困っているのだ。神罰を恐れているに違いない。

2022/07/28

第8部 贈り物     7

 「急に慌ただしく先輩達が出動になってしまったので、言いそびれたんですけどぉ・・・」

とマハルダ・デネロスが言った。翌日の夕方、テオが彼女を夕食に誘った時のことだった。ケツァル少佐、ロホ、アスル、それにギャラガがオフィスから出て行ってしまったのがお昼だった。デネロスは日曜日の官庁で1人で書類仕事をして、隣の文化・教育省、文化財・遺跡担当課の職員の応援も受けずになんとか週明けの分を先に片付けてしまった後だった。
 テオは彼女といつものバルで2人で夕食前のツマミとワインを楽しんでいた。

「もうドクトルはご存知ですよね? アリアナに赤ちゃんが出来たこと・・・」
「スィ。少佐も知っている。2人で一緒に伝えられた。」
「それじゃ、名付け親も頼まれました?」
「少佐がね、女の子の場合に・・・」
「ドクトルは?」
「男の子はパパ・ロペスだよ。」

 ああ・・・とデネロスは頷いた。

「そうなるでしょうね・・・」
「不満かい?」

 テオが顔を覗き込むと、デネロスが苦笑した。

「私、名付け親になりたかったんです。」
「名前を考えているのか?」
「スィ。」
「それじゃ、少佐にその名前を言ってみたらどうだ?」
「駄目ですよ。それじゃ少佐が名付け親になれません。」

 それなら、とテオはワインをごくりと飲んでから提案した。

「2人目はどうだい? 次の子供の時の名付け親の権利を予約しておくとか?」

 デネロスが笑った。

「予約? 良いですね!」

 彼女はワインを一気に飲み干した。

「ロペス少佐にもっと頑張って頂かないと。」

 いつもの彼女らしくない物言いだ。恐らくネズミの捜索から仲間外れにされて、内心くさっているのだろう。テオは助っ人が来れば少しは気が紛れるだろうと思った。

「助っ人はいつから来るんだい?」
「月曜日の予定です。」

 デネロスは余り期待していない。カルロ・ステファン大尉以外は誰が来ても考古学に関して素人だ。遺跡に関する知識を一から教えなければならない。その労力を想像して、今から疲れを感じているのだろう。

「飲み込みの早い人だと良いな。」
「遊撃班ですから、頭は良いと思いますよ。」

 デネロスはワインのお代わりを注文した。

「ただ、偉そうにされると、こっちは嫌なんですよ。」

 遊撃班は大統領警護隊のエリート集団だ。警備班などは見下されている感じがある。

「文化保護担当部もエリートだ。気負い負けするなよ。」

 

第8部 贈り物     6

  テオは事件の捜査に加わりたいと思った。しかし、彼には彼の仕事があった。半年後にヨーロッパで開かれる遺伝子学会に出席しないかと生物学部長から打診を受けていた。プロの遺伝子学者として世界に出るチャンスだ。テオは昔から出てみたかった。アメリカ時代は軍の施設にいたので、表だった研究活動の発表が出来なかった。彼が携わった研究はどれも「国家機密」だったからだ。セルバ共和国に亡命してからは、身の安全の為に国外に出ることを許されなかった。だが・・・

「もう世界に出ても良い頃じゃないかね?」

と学部長が言ってくれた。テオが研究しているアメリカ先住民と肉体労働の遺伝子レベルにおける関係、つまり植民地時代に鉱山などの労働に駆り出された先住民が肉体労働に不向きで絶滅に追い込まれた歴史を、遺伝子による筋力の強さで解明しようと言う試みを、発表してみないか、と言うことだ。テオはオルガ・グランデの鉱山会社で働く労働者の中で先住民系の人々が健康被害を受け易いことを心配し、同じ労働条件の他の人種の労働者とどう異なるのか、調べていた。つまり、遺伝子レベルで労働者の体質改善と健康維持を探求しているのだ。
 学会に出てみないかと言う誘いは大変有り難かった。しかし、まだ世界に発表出来る段階迄遺伝子レベルでの解明が出来ていない。テオは返事を1週間待って下さいと学部長に告げたばかりだった。
 彼が話し合いに乗ってこないので、ケツァル少佐は仕事との両立で悩んでいるなと察した。

「ネズミの行方が全く掴めていない段階で、ドクトルが参加されても意味はありません。」

と彼女は言った。テオは黙っていた。デネロスが彼の手に己の手を重ねた。

「2人で留守番しましょう、ドクトル。」
「・・・そうだな・・・」

 テオは仕方なく頷いた。

「俺は白人だし、マハルダより遥かに弱いからな。」

 アスルが立ち上がった。

「それじゃ、私はマハルダに引き継ぐ書類の整理をします。明日の昼迄に渡せるよう努力します。」

 ロホとギャラガも同様に席を立った。

「助っ人がオフィス仕事に向いている人だと良いですね。」

とギャラガが先輩を慰めた。 デネロスは肩をすくめた。

「カルロだったら良いけど、期待はしないわ。遊撃班の副指揮官が来てくれる筈ないもの。」

 だが遊撃班は人員不足の部署に助っ人を出す部署だ。文化保護担当部が応援を求めれば、セプルベダ少佐は適材適所で誰かを寄越すだろう。
 ケツァル少佐が考えた。

「申請書類は多いですか?」
「例年通りです。一月ぐらい溜めても大丈夫でしょう。」

とロホ。テオは突然各国の遺跡発掘許可申請がなかなか通らない本当の理由を悟った。大統領警護隊文化保護担当部は審査が厳し過ぎるのではない。申請書類の審査以外の仕事が生じると、そちらを優先するので、書類は後回しにされるのだ。”ヴェルデ・シエロ”にとって、遺跡調査より遺跡を守る方が先決だ。遺跡から持ち出された物を探し、回収して、元の場所に戻すことが最優先される。
 少佐が呟いた。

「助っ人は1人で十分ですね。」


2022/07/27

第8部 贈り物     5

 「ネズミの神様は盗まれる時に抵抗しないんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が素朴な疑問を投げかけた。ロホが肩をすくめた。

「丁寧に運べば、神様は怒らない。元々アーバル・スァット様は雨が降らなくて困っている村を巡って祀られた神様だから、移動すること自体は問題ないんだ。それが輿ではなくダンボール箱に詰められたり、乱暴に扱われるとお怒りになる。」
「それじゃ、今回の泥棒は静かに神像を運び出したけど、警備員には負傷させたんだな。」

テオが言葉を挟んだ。大統領警護隊ではないが、文化保護担当部には準隊員みたいに参加を許されていた。

「警備員の証言はどうなんだ?」

とアスル。ケツァル少佐が携帯の画面を眺めた。

「バルデスはその件に関して報告していません。彼も現場から遠い場所にいますからね。」
「オスタカン族が住んでいた地域は、オクタカス遺跡に近いです。」

とギャラガが地図を見ながら呟いた。

「警備員はデランテロ・オクタカスの病院にいる筈です。バルデスより先に事情聴取したいです。」

 少佐は黙ってまだ携帯の画面を見ていた。テオが覗き込むと、遺跡の写真だった。小さいのでよくわからないが、アーバル・スァット様が写っているのだろう。テオはアンゲルス邸でネズミの神様の負の力を感じたことがあった。遠く離れていても気分が悪くなる、強力な怒りの力だった。
 少佐が顔を上げた。

「まず、事件発生の経緯を調べましょう。アンドレは警備員に事情聴取して下さい。ロホは各地の空港でネズミの気配を探すこと。アスルは故買業者の動きを探りなさい。」
「私は?」

とデネロス。少佐が冷たく言った。

「貴女はオフィスの留守番です。」
「ええ! どうしてですかぁ?」

 物凄く不満な表情を遠慮なく顔に出してデネロスが抗議した。

「アンドレが事情聴取で私が留守番だなんて・・・」
「全くオフィスを無人にする訳に行かないだろ。」

とアスル。

「必ず誰かが留守番をするんだ。」
「それなら、アンドレが・・・」
「アンドレはグラダ族です。」

 少佐がピシャリと言い放った。デネロスが頬を膨らませたまま黙り込んだ。ロホが説明を加えた。

「アーバル・スァット様はそんじょそこらの悪霊とは威力が違う。君は白人の血の割合が多いし、若い女性は悪霊が好む贄だ。頼むから、オフィスで後方支援に励んでくれ。」

 するとアスルも言い添えた。

「前回アーバル・スァット様がロザナ・ロハスに盗まれた時は、カルロが留守番したんだ。彼はあの時能力を自在に使えなかったから。それにミックスは神様と対峙するとどうしても弱さが出る。」

 少佐がニヤリと笑って提案した。

「留守番1人では荷が重いでしょうから、遊撃班から1人寄越してもらいましょう。マハルダ、その人の指導をお願いします。」

 テオはその助っ人がカルロなのだろうか、デルガド少尉だろうか、と想像した。


2022/07/26

第8部 贈り物     4

  アーバル・スァット・・・セルバ先住民オスタカン族の言葉で「雨を呼ぶ者」と呼ばれる石像がある。オスタカン族はもう殆ど絶滅しかけており、メスティーソが大半を占めるアケチャ族(東海岸地方一帯に住む民族)に同化されつつあった。彼等には先祖の文化を守ろうと言う気概が殆どなく、オスタカン族の遺跡を調査・研究しているのはアケチャ族のセルバ人と言う為体だ。だからネズミによく似た形状の神像アーバル・スァットが盗掘された時も、オスタカン族ではなくアケチャ族の地元民、詳しく言えば現地の官営学校で歴史を子供達に教えている教師が盗難に気がついた。オスタカン文化の遺跡は少なく、殆どは農民の集落のものだったので、宝物と呼べる様な物はないのだが、神像は別だ。中南米の彫刻や彫像、土器等をコレクションして喜ぶ外国人が多い。特に滅多に外国の学術調査が入ることを許さないセルバ共和国の遺跡から出土した物は希少価値が高く、コレクターの間で高値で取引される。郷土史家の教師は直ちに大統領警護隊文化保護担当部に神像の盗難を通報した。
 大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐は、アーバル・スァットが唯の石の神像でないことを知っていた。元は古代の”ヴェルデ・シエロ”が神と崇めた水の精霊が住まう聖なる川、オルガ・グランデの地下、最も深い位置に流れる地底の川の石から彫り出した、本当に神様が宿る石像だったのだ。古代の”ヴェルデ・シエロ”が、支配する”ヴェルデ・ティエラ”に下賜した水のお守りだ。守られるべきオスタカン族がいなくなり、石像は静かにジャングルの中で余生を送っていた。しかし欲深い盗掘者が、珍しい奇妙なネズミの形の石像を遺跡から持ち出してしまったのだ。
 アーバル・スァットは眠りを妨げられ、悪霊となった。正しい祀り方をしない人々にその霊力を発揮して、思いっきり祟ったのだ。石像に触れた者、近づいた者は次々と原因不明の病気になり、生気を奪われ、最悪は死に至った。
 「ネズミ」の暗号名の石像を追跡したケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の部下達は、オルガ・グランデのミカエル・アンゲルスの屋敷で遂に神像を奪還することに成功した。己のボスだったミカエル・アンゲルスを神像を用いて呪殺することに成功したアントニオ・バルデスは、神像の後始末が出来ずに途方に暮れていた。だから大統領警護隊の介入を、さも迷惑そうにしながら、内心は大歓迎、大感謝した。
 神像を回収し、神様の荒御魂を鎮めてお怒りを収めて頂くことに成功した大統領警護隊文化保護担当部は、アーバル・スァットを元の遺跡に戻した。そしてバルデスに神様を利用した罰として、遺跡に警備を付けることを約束させたのだ。バルデスも己が神様に祟られるのは御免だったから、真面目に役目を果たしていた。正規の警備を雇って、遺跡の管理をさせていたのだ。しかし・・・

「その警備員が何者かに襲われ、重傷を負わされ、ネズミの神様が盗まれたそうです。」

 電話で事件を知らされたケツァル少佐は、テオにそう伝えた。テオはことの重大さにすぐ気がついた。アーバル・スァットは小さな石像だが、呪いの威力は半端ない。

「すぐに探さなきゃ・・・」
「当然です。」

 少佐は携帯のメッセージを部下達に一斉送信した。

ーー1800に私の部屋に集まれ!


第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...