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2022/01/30

第5部 山の向こう     19

  グラダ・シティに帰る日がやって来た。テオも2人の院生達も、ブリサ・フレータ少尉が退院して来る前にサン・セレスト村を去ることを残念に思った。彼女との付き合いは短く浅かったが、ハラールの儀式をわざわざ教えに来てくれた親切な女性だ。せめて彼女をお茶に招待したかったと院生達は言った。オルガ・グランデに戻っても陸軍病院に見舞いに立ち寄る時間的余裕がなかった。セルバ航空の飛行機は離陸が遅れることが多いが、乗客が遅刻しても待ってくれない。
 採取したサンプルを3つの保冷バッグにぎっしり詰め込んだ。往路はステファン大尉と合流したので陸軍のトラックで来たが、帰りは1日2本の路線バスだ。朝早く学校へ行く子供達と一緒にバスに乗るために広場で待っていると、驚いたことにガルソン大尉がセンディーノ医師と共に見送りに来てくれた。

「想定外の騒動であなた方に多大な迷惑をかけてしまいました。」

 大統領警護隊とは思えない腰の低さでガルソン大尉が挨拶した。

「この村は普段は平和で暢んびりした場所です。港の積出があるので煩雑な印象を与えますが、休日は磯で魚を釣ったり、泳いだりして楽しめる海岸です。不便な所ですが、機会があればまた訪ねて来て下さい。」

 センディーノ医師も挨拶した。

「まるで大学にいる子供達が帰って来た様な気持ちで過ごせました。手術のお手伝いもしていただいて、本当に頼もしかったです。大尉が仰ったように、ここは良い村ですよ。また遊びに来て下さいね。」

 バスが埃を立てながらやって来た。テオ達はセンディーノ医師とハグし合い、ガルソン大尉とは握手を交わした。
 テオと握手した時、ガルソン大尉が囁いた。

「私は転属させられるかも知れません。次の指揮官がどんな人かわかりませんが、私は何処に行っても、キロス中佐に起きたことを調べ続けたいと思います。」
「気をつけて下さい。」

とテオも囁き返した。

「俺もラバル少尉一人の犯行とは思えないのです。くれぐれも用心して下さい。」

 バスは子供達が乗り込む間停まっているが、うかうかすると行ってしまいそうなので、別れの挨拶を切り上げて、大人達も乗り込んだ。ドアが閉まらないうちにテオはガルソン大尉に怒鳴った。

「カルロ・ステファンをよく指導して下さい。俺の将来の弟になるかも知れない男ですから!」

 ガルソン大尉が目を丸くした様に思えたが、ドアが閉まり、バスは直ぐに動き始めた。
 テオが座席に座ると、院生達が窓の外に手を振った。バスがガタガタ揺れながら坂道を登り始め、村が遠ざかっていった。

「先生、さっきの、何なんです?」

とカタラーニが尋ねた。

「さっきの、とは?」
「ステファン大尉が先生の弟になるって・・・」
「ああ・・・」

 テオはニヤリと笑った。

「彼の姉さんが美人なんだ。」




第5部 山の向こう     18

  本部からの応援を連れて戻って来たパエス中尉は、夜中にサン・セレスト村に到着した。テオは宿舎で休めと言われて戻っていたが、眠れなかったので、車のエンジン音を聞いた時に寝袋から出た。同室のカタラーニは爆睡していたので、起こさない様に静かに部屋を出た。外に出ると、太平洋警備室の建物の前にジープが停車したところだった。ライトを点灯していない。いかにも”ヴェルデ・シエロ”の車だ。テオは月明かりだけで道を歩いて行った。静かだ。隊員同士の会話は全て”心話”で交わされているのだろう。暗かったので不確かだったが、ジープから3人が降りて、オフィスに入って行った。
 テオが建物に近づいた時、後ろから人が来る気配がした。立ち止まって振り返ると、既に近くまで来たガルソン大尉が、彼を見て呆れた様に言った。

「眠れないのですか?」
「うん。車の音が気になって来てしまった。」

 大尉が溜め息をつくのがわかった。彼も休んでいたのだろう、Tシャツの上に着た上着のボタンを留めながら歩いていたのだ。

「本部の連中が貴方をオフィスに入れることを承知するか否かわかりませんが、入り口迄どうぞ。」

 一緒にオフィスの入り口迄行った。ガルソン大尉が彼に待機を要請して、中に入った。オフィスは灯りが灯っていた。照明を使用しないと”ティエラ”達に奇妙に思われるので、点けている。宿直がいると示す必要もあるのだ。
 2、3分後にドアが開いて、ステファン大尉が顔を出した。

「テオ、入って下さい。」

 ガルソン大尉が本部の隊員に話をつけてくれたのだ。テオはステファン大尉についてオフィスに入った。見覚えのある顔が、柔らかな照明の下に見えた。一人は知っているが友人ではなく、もう一人は友人だ。

「ファビオ・キロス中尉にエミリオ・デルガド少尉!」

 キロス中尉が真面目な顔で、デルガド少尉がうっすら微笑を浮かべて敬礼した。ガルソン大尉はテオが2人を知っていたことに少し驚いたが、パエス中尉は道中で彼等から話を聞いたのか、知らぬ顔をしていた。
 キロス中尉がガルソン大尉に言った。

「すぐに反逆者を本部へ連行します。」

 デルガド少尉が書類を出してガルソン大尉に手渡した。大尉が目を通し、机にそれを置いてペンで署名した。今時アナログな手続きだが、大尉は書類を少尉に戻した。デルガド少尉がそれをポケットに仕舞った。
 ステファン大尉が奥の部屋に入り、それから直ぐに顔を出した。

「ガルソン大尉、結界を開けていただけますか?」
「ああ、そうだった・・・」

 ガルソン大尉も奥へ入った。
 テオは自席に座ったパエス中尉を見た。右目の下に小さく絆創膏を貼ってあった。”ヴェルデ・シエロ”だから朝になれば治っているのだろうが、”ティエラ”への建前上、数日貼って見せるのだ。それでもテオは尋ねずにいられなかった。

「傷の具合はどうですか、パエス中尉?」

 無愛想なパエス中尉が彼をチラリと見て、答えた。

「平気です。グラシャス。」
「キロス中佐とフレータ少尉の状態は?」
「中佐は改めて手術を受けられた。我々が病院を再訪した時は意識が戻っていたが、まだ会話は無理だ。フレータはセンディーノ医師の手術が上手くいっていたので、今は休んでいる。お気遣い有り難う。」

 中佐と本部から来た遊撃班の中尉は同じキロスだ、とテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は人口が少ないから、同姓の家族が多いし、実際親戚なのだろう、と十分に推測された。
 ガルソン大尉とステファン大尉に挟まれてラバル少尉が引きずられる様に現れた。椅子から解放されているが、手は背中で縛られたままだ。目隠しを外されていた。意識は戻っていた。肋骨の骨折に起因する胸の苦痛で額に脂汗を浮かべている。
 キロス中尉が正面にたち、ラバルの顔を見つめた。

「ホセ・ラバル少尉、貴官はカロリス・キロス中佐及びブリサ・フレータ少尉殺害未遂容疑で逮捕された。間違いないな?」

 ラバル少尉が目の前の若い中尉を睨みつけた。キロス中尉もデルガド少尉もラバル少尉の息子と言っても良い若さだ。屈折したラバル少尉にはかなり屈辱だろう。ただ、キロス中尉はブーカ族、デルガド少尉はグワマナ族の純血種だった。ラバル少尉の純血至上主義には親切だったかも知れない。
 ラバル少尉が答えないので、もう一度、キロス中尉が繰り返した。

「貴官は同胞2名の殺害未遂容疑で拘束されている。これから本部へ移送する。もし逃亡を図れば、その場で射殺する。承知せよ。」

 ラバル少尉が低い声で呟いた。

「ここで殺せ。」

 キロス中尉とデルガド少尉が視線を交わした。デルガド少尉が片手をラバル少尉の額に押し当てた。テオは彼が何をしたのかわからなかった。ラバル少尉ががくりと頭を垂れた。脚が崩れ、スタファン大尉とガルソン大尉が両脇で抱え直した。

「せめて車に乗せる迄待てなかったか、デルガド少尉?」

 とステファンが個人的に親しい部下に苦情を呈した。デルガド少尉は若者らしく、小さく舌を出した。

「車へ行くまでに抵抗する懸念がありましたので、意識を奪いました。」
「デルガドは用心深くなっています。」

とキロス中尉が言った。

「一度痛い目に遭っていますからね。」

 ステファン大尉は肩をすくめた。そしてガルソン大尉に、行きましょう、と合図した。2人の大尉が部下がするべき作業を、拘束したラバル少尉を車に連れて行く作業を行った。キロス中尉が車のドアを開けて作業を手伝った。
 デルガド少尉は別の書類を出して、ペンで何やら走り書きした。ラバル少尉の意識を奪った経緯でも報告書に書いたのだろう。エミリオ、とテオは声をかけた。デルガド少尉は書きながら、何でしょう、と応えた。

「ここで起きたことは全部ガルソン大尉達から聞いたんだね?」
「スィ。」
「ラバル少尉はどうなるのだろう?」

 デルガド少尉が体を起こし、書類をポケットに仕舞った。

「貴方の命を奪おうとした男の心配をしてやるですか?」
「彼の本当の動機がわからないからね。それに直前迄彼は良い人に見えた。」

 デルガド少尉は肩をすくめた。

「司令部での取り調べで彼が何を語るのか、我々は知らされません。彼がどうなるのかも知らされません。貴方ももう忘れなさい。」


第5部 山の向こう     17

 ガルソン大尉は床に倒れて気絶しているラバル少尉の周囲に砂で輪を描いた。結界だ、とテオは説明がなくてもわかった。ラバル少尉は目覚めても自力で輪の外に出られない。
 ステファン大尉からガルソン大尉に電話が掛かってきた。夕食の準備が出来た連絡だ。何だか日常的な遣り取りが遠い世界の会話に聞こえた。ガルソン大尉は自宅に帰って食べるので、診療所のセンディーノ医師にも厨房棟へ食事に来るよう声を掛けると言い、電話を終えた。そしてテオには2人の院生を呼んで下さい、と言った。

「ラバルはこのままにしておきます。もう暫くは気絶しているでしょう。ステファン大尉が宿直を引き受けると言うので、私はこのまま自宅へ戻って休みますが、本部から隊員が来たら呼んで下さい。」
「わかりました。おやすみなさい。」

 テオはガルソン大尉とオフィス前で別れた。2人の院生は空腹だったのか、電話をかけると数分後には走って来た。大統領警護隊の厨房棟の印象は、高校の学食みたいだ、だった。
 カウンターでステファン大尉から料理を配ってもらっていると、ガルソン大尉の招待を受けたセンディーノ医師も現れた。看護師達は自宅へ帰るので、いつも夜は一人で食事をしていた彼女は久しぶりの「外食」に喜んでいた。

「この村に住んで長いのに、この建物に入ったのは初めてです。」
「不思議ですね、今夜はここに長く勤務している隊員が一人もいない。」

 テオの言葉にステファン大尉が苦笑した。

「私が来たばっかりに騒ぎが起きた感じで、申し訳ない。」
「俺達にそんなことを言っても意味がないさ。」

 テオはステファン大尉と事件の話をしたかったが、院生と医師がいるので自重した。代わりに医師から2人の女性隊員の回復にかかる日数やリハビリの手段などを聞いた。ガルドスは医学生なので真剣に質問したり耳を傾けたが、カタラーニは少し難しい話と思えたのか、ステファン大尉に料理の仕方を聞いていた。
 軍隊の食堂だからアルコール類はなかった。太平洋警備室はビールすら置いていなかった。水とコーヒーで食事を締めくくり、昼間の医療行為で疲れた医師と院生達は、食事の礼とおやすみを言ってそれぞれ寝るために厨房棟を出て行った。
 やっと2人きりになれた。厨房で食器や鍋を洗うステファン大尉を手伝いながら、テオがそう言うと、ステファンは笑った。

「まるで恋人同士の様な台詞です。」
「そうか? まだケツァル少佐には言ったことがないんだ。そこまで行っていないってことかな。」

 ステファンが鍋を磨く手を止めた。

「少佐を少佐と呼んでいる間は、まだなのでしょうね。」

 テオも皿を拭く手を止めた。

「だが、彼女は少佐だ。階級じゃなくて、俺にとって・・・尊敬する人なんだよ。」
「私にとってもそうですが・・・最近他人に私的な立場で彼女のことを話す時、やっと『姉』と呼べるようになりました。」
「俺には、やっぱり少佐だよ。『彼女』って呼んだら、張り倒されそうな予感がして・・・」

 ステファンが愉快そうに声を立てて笑った。それから真面目な顔に戻った。

「今回の事件はまだ終わっていませんね。」
「ああ、終わっていない。」

 テオも真面目な雰囲気に頭を切り替えた。

「ラバル少尉がジープを爆破したことはわかった。彼は純血至上主義者みたいなことを言った。だが、その思想が何故キロス中佐を暗殺することに繋がるんだ?」

 ステファン大尉が考え込んだ。

「純血至上主義者は2種類います。一つは、単一部族の血統を守れと言うグループです。この思想では、ラバル少尉は当てはまりません。彼は2つの部族のミックスです。ガチガチの純血至上主義者から弾き出されます。もう一つは、”ヴェルデ・シエロ”で”ツィンル”、異人種の血が一切入っていない血統を守れと言う考え方です。一つ目のグループよりは緩いですが、人数はこちらの方が多いです。ラバルはこちらのグループに入ると思われますが、”ティエラ”や私の様な”出来損ない”を排除して”ヴェルデ・シエロ”だけの国家を創ると言う過激思想は異端です。純血至上主義者の多くは現実的です。自分の家系の血を守るだけの主義ですから。」

 テオは皿を棚にしまった。

「ティティオワ山の向こうで3年前に何が起きたのか、調べる必要があるな。」


2022/01/29

第5部 山の向こう     16

 「ここは我々の国だが、”ティエラ”の国でもある。白人だってここで生まれたらこの国の人間だ。他所から来ても、この国で生きていくと決めたら、この国の人間だ。」

 ガルソン大尉はラバル少尉に言った。

「ここが我々だけの土地だった時代は遥か大昔のことだ。何故今更そんなことにこだわる?」

 ラバルは目隠しをされた顔をガルソン大尉の方に向けた。

「3年前、港湾の現場監督バルタサールが、彼の会社が労働者の血液をアメリカに売っていると教えてくれた。白人の国で得体の知れない薬を作る材料にしているのだ。薬が完成すれば、連中は世界中を自分達に従わせることに使うのだろう。そんなことは許されない。阻止しなければならない。」

 ガルソン大尉がテオを振り返った。そんな話を確かにテオが語ったことを思い出したからだ。ラバルは更に言った。

「そこにいる白人も村の住民の細胞を集めているではないか。我々の子孫を探しているのだ。我々を制圧するために。」

 テオは肩をすくめるしかなかった。エンジェル鉱石がしていたことは、ラバルが言った通りだ。国立遺伝病理学研究所は、病気の治療薬ではなく軍事目的の薬品を開発する研究をしていた。彼はラバルに向けて言った。

「エンジェル鉱石がしていたことは、貴方が言った通りだ。俺がいた研究所がしていたことも、貴方が想像した通りだ。だが、あの研究所はもうない。ケツァル少佐とステファン大尉がぶっ潰した。セルバ大使が向こうの政府に掛け合って、セルバ共和国に干渉しなければセルバ共和国もアメリカに対して何もしないと約束した。だから俺はこちらの国の国民として受け容れてもらえた。もう貴方が心配することはないんだ。」
「では、今お前がしていることは何だ? 口の中を棒でかき回して・・・」
「細胞を採取しているだけだ。これはセルバ政府の仕事だ。先住民保護政策で部族毎に助成金が出る。内務大臣がその助成金の予算をケチろうとして、東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ部族である証明をしろと俺に指図した。俺は国の両端に住む2つの部族が同じだとは思えなかったから、別々の部族である証明を遺伝子の分析で行おうとしている。2人の院生達も俺の意見に賛同してくれているんだ。2つの部族が別の部族だと証明できれば、それぞれが同額の助成金をもらえる。」

 ラバル少尉が沈黙した。ガルソン大尉が彼に尋ねた。

「君の思想はわかった。しかし、それとキロス中佐を襲ったことは、どう繋がるのだ?」

 ラバル少尉が息を吸い込んだ。ガルソン大尉がいきなりテオを突き飛ばした。テオは床に転がった瞬間、強烈な光を浴びて目を手で庇った。ドタンッと大きな音がして床に重たい物が倒れる気配がした。テオは思わず叫んだ。

「ガルソン大尉、大丈夫か?」
「大丈夫です。」

 落ち着いた声が聞こえ、大尉の手がテオの肩に触れた。

「光を浴びてしまったが、目をやられたりしていませんか?」

 テオは目を開いた。暫くチカチカしたが、直ぐに視力が戻って来た。彼は体を起こした。

「大丈夫、見えます。」

 後ろを振り返ると、ラバル少尉が椅子ごと床の上にひっくり返っていた。脚がだらりと垂れて、ラバルの口から血が流れていた。テオがドキリとしていると、ガルソン大尉が少尉を見て言った。

「気絶しているだけです。己が放った気の爆裂を己で食らったので、死にはしませんが、肋骨が折れて動けない状態です。」
「つまり・・・」

 テオは立ち上がった。

「貴方が彼の気を跳ね返した?」
「スィ。こんな場合は自分がブーカ族に生まれたことを感謝しますな。」
「俺は貴方に庇ってもらって感謝します。」

 マスケゴ族とカイナ族のハーフのラバル少尉の力は、ブーカ族のガルソン大尉に跳ね返されてしまった。テオは以前文化保護担当部と遊撃班の軍事訓練に参加させてもらった時のことを思い出した。ステファン大尉が放った気の爆裂を、ロホが跳ね返した。ステファンは己の気に耐えたが、近くにいたブーカ族や他の部族と思われる隊員3名は弾き飛ばされ、負傷した。ステファン大尉はグラダ族と数種の人種の血が混ざるミックスだから、その気の爆裂の威力は半端ない。ロホはブーカ族でしかもかなり優秀な能力者だから、見事に跳ね返したが、ステファンの味方であった隊員達は油断があってステファンの気の威力に耐えられなかったのだ。恐らく、とテオは思った、あれは反射波だったから、軽傷で済んだのだ。直撃していたら、訓練で放った気でも、大怪我をしていただろう。
 普通の人間が”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂をまともに食らったら、きっと命を失うのだろう、と容易に想像出来た。だから、彼等は掟で定めているのだ。能力を使って直接人間の命を奪ってはならない、と。
 ガルソン大尉は気絶しているラバル少尉を見下ろして言った。

「こいつは貴方を亡き者にしようとしました。キロス中佐とフレータも殺されかけた。大罪人です。」


 

第5部 山の向こう     15

  ステファン大尉が厨房棟へ行き、ガルソン大尉はラバル少尉のUSBをチェックし始めた。テオは宿舎に帰ろうか、ステファンの手伝いをしようかと迷い、ふと思いついてキロス中佐の部屋のドアを開いた。ガルソン大尉が彼の行動に気がついて立ち上がったが、彼は室内に入った。
 ラバル少尉が顔を上げた。目隠しされているので、耳だけでテオの動きを追った。テオは椅子を引き寄せ、彼の正面に置いて、馬乗りの形で座った。

「貴方は25年ここで勤務されていると聞いたが、一体何が貴方にあんな酷いことをさせたんだろう?」

 戸口でガルソン大尉が立ち止まった。テオは思いつくまま話しかけた。

「ガルソン大尉は15年前、中尉に昇級してここへ来られた。パエス中尉は17年目だと聞いた。2人共貴方より若く、そして貴方より力が強いブーカ族だ。貴方は25年ここで真面目に勤務して、少尉のまま・・・貴方はそれで心が折れてしまったのだろうか?」
「何を言っているのか、わからん。」

とラバルが言った。

「私は毎日ここで働いてきた。朝起きて、港のパトロールをする。港湾労働者達を白人の監督官の横暴から守ってきた。村の住民を外国の船員の暴力から守ってきた。毎日だ。それが私の役目だ。手柄も何もない。少尉のままでいるのは当たり前だ。」
「それで貴方は満足だったのか? 転属願いとか・・・」
「大統領警護隊にそんな制度はない。指揮官から司令部へ話を通してもらえなければ・・・」

 テオは文化保護担当部の友人達を思い浮かべた。ロホもアスルも最近昇級したが、指揮官のケツァル少佐が本部に推薦してくれたからだと2人は言っていた。しかし、少佐は本部が彼等の働きを認めたのだと言った。ロホもアスルも他の部署への転属は願っていない。ずっと少佐の下で働き続けたいと願っている。だが少佐は副官のステファン大尉を手放した。ステファンが彼女の下に居たいと強く願っていたにも関わらず、彼の将来を考えて手放す方が最善だと信じたからだ。

「貴方は貴方の希望をキロス中佐に伝えたことがあるのか?」
「私の希望? 私に希望など・・・」

 ラバル少尉は口の中で何やらモゴモゴ呟いたが、テオには聞き取れなかった。スペイン語ではなかった。
 テオはもう一度質問した。

「どうしてキロス中佐をあんな目に遭わす必要があったんだ? 一緒に勤務しているフレータ少尉やパエス中尉を傷つける理由があったのか?」
「フレータとパエスは運が悪かっただけだ。」
「巻き添えか?」
「そう言うことになるかな。」

 開き直ったような言い方だった。テオは診療所に運んだ時のフレータ少尉の熱い体の感触を思い出した。水をかけた方が良かったかと思ったが、この乾燥した土地で村の共同井戸迄走るより、簡易水道が使える診療所が最善と思えたのだ。フレータは苦痛で叫び声を上げそうになるのを必死で耐えていた。顔の半分を火傷してしまった女性。”ヴェルデ・シエロ”なら回復出来るだろうが、時間がかかるだろう。
 テオはいきなりラバルの襟首を掴んだ。

「運が悪かったで済むと思っているのか!」

 ガルソン大尉が駆け込んで来て、彼をラバルから引き離した。

「ドクトル、近づき過ぎては危ない。」

 テオは戸口まで引き摺られて、やっと我に返った。頭を振って、深呼吸した。

「すみません、ガルソン大尉。フレータ少尉の火傷を負った顔を思い出したら、カッとなってしまった。」

 ガルソン大尉が彼の目を覗き込んだ。テオはドキリとした。しかし大尉は彼に何かをしようとしたのではなかった。彼の瞳を見て、大尉は微かに微笑んだ。

「大丈夫、ラバルに支配された訳ではない。」
「少尉は目を使えないでしょう?」
「視線を合わせなくても、一時的に感情を支配することが出来ます。”操心”と違って体を支配して動かすことは出来ませんが、激昂させて暴れさせることは出来る。騒ぎに乗じて逃げることが出来ますから。」

 ガルソン大尉は後ろを振り返った。ラバル少尉は軽く体を揺すっていた。

「白人を信じるんですか、大尉?」

と彼が言った。

「どうして我々は”ティエラ”や白人を守らなきゃいけないんですか? ここは私達の国じゃないですか!」


 

第5部 山の向こう     14

  ステファン大尉がグラダ・シティの大統領警護隊本部に連絡を入れ、キロス中佐とフレータ少尉の負傷とラバル少尉を拘束した過程を報告した。本部は空間通路の”出口”がサン・セレスト村にないので、オルガ・グランデへ遊撃班を遣ると答えた。”出口”がオルガ・グランデの何処に出現するのか不明だが、迎える人員が必要だ。陸軍基地で待機するよう命じられ、ガルソン大尉がステファンの横から割り込んだ。

「ガルソン大尉です。ステファン大尉には太平洋警備室を管理してもらわなくてはなりません。迎えの人員はパエス中尉を送ります。負傷したキロス中佐とフレータ少尉をヘリコプターで陸軍病院に送る手配をしましたが、パエスも軽微ながら負傷しておりますので、付き添いで行かせます。」

 本部はガルソン大尉の提案を承諾した。
 陸軍水上部隊の応援要請を受けたオルガ・グランデの陸軍基地からヘリコプターが飛んで来たのはそれから半時間後だった。ガルソン大尉が救援要請を部隊長に命じてから2時間も経っていた。ガルソン大尉とパエス中尉が陸軍衛生兵を診療所へ案内して、2人の女性をヘリコプターに搬送した。そしてヘリコプターは彼女達とパエス中尉を乗せてオルガ・グランデに向けて再び飛び去って行った。
 診療所からカタラーニとガルドスの2人の院生が来たので、テオは彼等に宿舎に戻って休むようにと命じた。

「今日は大変な一日だった。明日迄休みにしよう。」

 テオがそう言うと、カタラーニが夕食はどうしますか、と心配した。するとオフィスの中まで会話が聞こえたのだろう、ステファン大尉が戸口に現れて、大統領警護隊が今夜の夕食をご馳走するといった。

「中佐も2人の少尉もいない。私一人の分を作っても仕方がない。隊員の手術をして頂いたお礼に私が食事を作ります。」

 彼は後ろを振り返ってガルソン大尉に声をかけた。

「貴方はどうされますか?」

 ガルソン大尉が首を振った。

「私は自宅へ帰って食べる。爆発騒ぎで家族は動揺している筈だから、安心させる。パエス中尉の家族にも声をかけてやらないと。それに遊撃班が来たら、私は本部へ行かねばならないかも知れない。」

 食事の用意が出来たら電話すると言って、テオは院生達を宿舎へ帰らせた。そしてオフィスに入った。ガルソン大尉がラバル少尉の机を調べていた。

「汚職の疑いですか?」
「それなら簡単ですがね。」

 ガルソン大尉はファイルやU S Bを机の上に並べた。

「まだ彼が中佐を狙った理由は何一つわかっていない。」
「3年前に中佐が異常な状態になった原因も。」

とステファン大尉も呟いた。

第5部 山の向こう     13

  ラバル少尉は目隠しされてキロス中佐の部屋に入れられた。彼がパエス中尉を縛り付けた椅子に彼自身が縛り付けられた。
 テオはまだ状況がよく理解出来なかったので、ガルソン大尉とステファン大尉が何か説明してくれないかと待った。セルバ人はこんな場合もそんなに慌てない。ステファン大尉が厨房棟からフレータ少尉が負傷する直前まで準備していた昼食を運んで来て、遅い食事を仲間に振る舞った。超能力を使った”ヴェルデ・シエロ”は空腹になる。特に気の爆裂や結界などの大きなエネルギーが必要な力を使用した後は殊更だ。
 ガルソン大尉は猛然と豚肉の煮込み料理を口に運んだ。パエス中尉はステファン大尉にもらった氷を右目の下に当てながらも、食欲はあって、しっかり食べた。テオもお相伴に預かった。大統領警護隊の食事は満足出来る出来具合だった。ステファン大尉も食べて、フレータ少尉が煮込み料理を食べられなかったことを残念がった。彼女の得意料理だったのだ。
 空腹が解消されるとガルソン大尉もパエス中尉も元気を取り戻した。そう判断したので、テオは尋ねた。

「どうして犯人がラバル少尉だとわかったんです?」

 ガルソン大尉が簡単だと言いたげに答えた。

「パエス中尉の怪我が目のそばだったからです。中尉が車を爆破したのだったら、目を傷つけるヘマはしない。我々にとって目は大事な武器ですから。ラバルは中尉を介抱するふりをして、彼を拘束し、私達を彼に近づけようとしなかった。」
「では、中尉が『中佐は死んだか?』と尋ねたと言うのは・・・」
「ラバルの嘘です。」
「しかし、すぐにバレるでしょう?」
「ラバルは中尉を中佐の部屋に監禁した後で、”操心”で従わせようとしたのです。しかし、部屋を離れて私に中尉を拘束した報告をしている間に、パエス中尉が身を守る為に部屋に結界を張ってしまった。中尉はブーカ族だから、マスケゴとカイナのミックスのラバルには彼の結界を通ることが出来ません。仕方なくラバルは部屋の外に座り、番をしているふりをして、結界が弱まるのを待っていたのです。」
「貴方達はラバルの嘘に騙されたふりをしていたのですか?」
「キロス中佐とフレータ少尉の救助が最優先でした。それにあの時は流石に私も動転してしまい、爆発の原因究明をステファンに託すしかなかった。ステファンはテロかそうでないのか確認して、陸軍兵や村人達の安全を優先しなければなりません。我々は守護者ですから。」

 ステファン大尉とパエス中尉が小さく頷いた。パエス中尉が申し訳なさそうに言った。

「爆発の後でラバルがそばに来た時、助けてくれるのだと思いました。あの時は目が痛くて開けていられなかった。だからラバルが私の顔に包帯を巻いた時も疑わなかったのです。手を後ろへ回された時、やっとおかしいと気がつきましたが、遅かった。大尉達に声をかけたのですが、皆外にいて声が届きませんでした。このままではラバルに殺されるかも知れないと思い、結界を張りました。目は見えませんでしたが、部屋の大きさと形状がわかっています。結界を小さく張ればラバルが私に近づけない強さの壁を築けます。」

 ステファン大尉が彼に尋ねた。

「ラバルがジープに向けて放った気を感じませんでしたか?」
「感じたと思いますが、ショックで覚えていません。私は中佐を後部席に座らせ、ドアを閉めました。運転席にフレータが座ってドアを閉じた直後にやられたのです。エンジンをかける直前だった筈です。だからラバルはエンジンに向けて気の爆裂を放ったのでしょう。気がついた時は私は地面に倒れていました。負傷が目の下だけで済んだのは、きっと中佐が守って下さったのだと信じています。」
「キロス中佐は守護者の鑑だな。」

とテオは呟いた。

「彼女は貴方とフレータ少尉を守った為に彼女自身が逃げるタイミングを失ったのだろう。」
「そう思います。」

 ガルソン大尉がステファン大尉に顔を向けた。

「君から本部へ連絡してくれないか。私がもっと早く中佐の異常を報告していればこんな事態にならなかった。ラバルの取り調べも本部に任せなければならない。我々は当事者になってしまったから。」

 

2022/01/28

第5部 山の向こう     12

  ラバル少尉が上官達を振り返った。彼は厨房棟を顎で指した。

「昼食がまだですが、食べに行きますか?」

 ガルソン大尉とステファン大尉が視線を交わした、とテオは思った。ガルソンが答えた。

「食べに行こうか。ここから出られればの話だが。」

 その次に起きたことは、テオの視力では捉えられなかった。彼の前にステファンが立ち、彼の視界を奪ったことも要因の一つだ。室内で何かが光り、空気がバチッと裂ける様な音がした。重たい物体が硬い物に激突する音も響き、机と共にラバル少尉の体が床の上に転がった。机の上に置かれていたパソコンや書類が床に散乱した。ステファンが動いた。彼はラバル少尉に飛びつくと、彼の体を床の上にうつ伏せに転がし、素早く革紐で少尉の手首を後ろ手に縛り上げた。
 ガルソン大尉は彼自身の机の後ろの壁に背中を張り付かせる様に立っていた。激しく肩で息をしていた。ステファン大尉が声を掛けた。

「大丈夫ですか?」
「なんとか・・・」

 ガルソン大尉がテオを見た。

「ドクトルは大丈夫ですな?」
「彼は私が守りました。」

 ラバル少尉が床の上で怒鳴った。聞くに耐えない悪態を吐きまくった。
 テオは立ち上がった。展開が読めていなかったが、一つだけ、しなければならないことを悟った。

「パエス中尉は無事か?」

 彼は奥のドアに走り、ドアを開いた。パエス中尉は椅子に縛り付けられていた。両目を包帯で塞がれ、じっとしていたが、ドアが開いたので顔を上げた。前の部屋での騒動は聞こえた筈だ。

「何があった? 一体何がここで起きているんだ?」

 ステファン大尉がテオの横を通り、奥の部屋に入った。椅子の後ろに回ってナイフで中尉の手首を縛っていた革紐を切った。

「申し訳なかった、中尉。貴方が目を負傷したので、わざとラバルに騙されたふりをして、貴方を拘束させてもらいました。負傷した貴方に動かれては、却って危険な目に遭わせるとガルソン大尉が判断なさったのです。」

 ステファン大尉はパエス中尉の包帯を解いた。右目の下を切ったのは事実で、中尉の顔が腫れていた。テオはパエス中尉の目を覗き込んだ。

「眼球は無事な様だ。俺の顔が見えますか、中尉?」

 パエス中尉が呟いた。

「忌々しい白人の顔が見えます。」
「ルカ!失礼なことを言うな!」

 ガルソン大尉が戸口で壁にもたれかかって、中尉の口の悪さを注意した。テオは笑った。

「気力は大丈夫な様ですね。診療所に行きますか?」
「氷で冷やせばすぐに治ります。」

 強がるパエス中尉にステファン大尉が言った。

「その前に祓いを施しましょう。ラバルが貴方のそばにいたので出来なかった。痛みを取り除けば、貴方の力ですぐに治せますよ。」

 彼はガルソン大尉を見た。

「大尉の方が休息が必要でしょう? ラバルを逃さないようにオフィスに結界を張っておられた。」

 ガルソンが苦笑した。

「要塞を一つ吹っ飛ばす程の力を持つグラダの貴方が、結界を張るのは苦手とは、驚きですな。」

 ステファン大尉はテオをチラリと見て、ちょっと頬を赤く染めた。

「私の弱点です。」



 

 

第5部 山の向こう     11

  テオはガルソン大尉の横に並び、小声で尋ねた。

「大尉はパエス中尉が何か車にやったとお考えですか?」

 ガルソン大尉が足を止め、ステファン大尉を振り返った。余計なことを部外者に言うな、と目で言ったのかも知れない。ステファン大尉がテオに言った。

「キロス中佐の骨折は気の爆裂を受けたからです。この村の中にいる”シエロ”は我々6人だけですから・・・」
「それに私の子供が2人。」

とガルソン大尉が付け加えた。母親が”ティエラ”でも子供は半分”ヴェルデ・シエロ”だ。でも、とテオは言った。

「貴方のお子さんは計算に入れなくて良いでしょう。あんなことが出来るのは大人だ。それに、パエス中尉も結婚されていましたね?」
「パエスの子供は妻の連れ子です。」

 ガルソン大尉が再び足を動かした。

「彼の家の子供達は”ティエラ”だ。」

 テオも彼を追いかけた。

「しかし、彼が何故キロス中佐にあんなことをする必要があるんです? フレータ少尉だってあんな目に遭わされる理由がない。」
「それはこれから彼を尋問します。」

 ステファン大尉が後ろで別の話を囁いた。

「フレータが言ってました。彼女が助かったのは、キロス中佐が気で彼女を車外に吹き飛ばしてくれたからだ、と。」

 歩きながら数歩の間、ガルソン大尉が目を閉じた。

「そう言う優しい方なのです、中佐は・・・」

 彼が目を開いた時、微かに空気がビリリと振動した、とテオは感じた。上官を暗殺しようとした者へのガルソン大尉の怒りだった。
 オフィスの前に来ると、黒く焦げたジープがまだ残っていた。立ち番をしていた陸軍兵にガルソン大尉が部隊長を呼べと命令した。テオとステファン大尉はオフィスの中に入った。奥の部屋のドアは閉じられ、その前にラバル少尉が椅子を置いて座っていたが、ステファン大尉が入って来たので立ち上がり、敬礼した。ステファンも敬礼した。それから彼はテオに彼自身の席に座って待つよう指図して、ラバルにはコーヒーを淹れてやった。テオはパエス中尉が気になったが、大人しく座っていた。
 ガルソン大尉と部隊長が入って来た。ステファンは彼等にもコーヒーを淹れて出した。部隊長はちょっと驚いた様だ。今迄にも大統領警護隊のオフィスに入ったことはあったのだろうが、コーヒーのサービスは初めてだったに違いない。
 ガルソン大尉は先ず村の道路封鎖を解除する許可を出した。部隊長が不安気に尋ねた。

「テロリストを探さないのですか?」
「テロリストはいない。」

とガルソン大尉が言った。

「爆弾はなかった。ただの事故だ。」

 テオは部隊長がまだ不安気な顔をしているのを見逃さなかった。しかしガルソン大尉は”操心”を使って彼の不安を取り除く気力がないらしく、放置した。

「キロス中佐とフレータ少尉は命を取り留めたが、火傷が酷い。オルガ・グランデ陸軍病院へ移したいので、手配してもらえないか?」

 部隊長が立ち上がり、敬礼した。

「直ちに基地へ戻り、オルガ・グランデ基地に連絡します。ヘリコプターで搬送することになるかと思いますが、大丈夫ですか?」
「スィ。グラシャス。」

 ガルソン大尉も立ち上がって敬礼を返した。部隊長は体の向きを変え、ステファン大尉とラバル少尉にも敬礼してオフィスから足速に出て行った。

第5部 山の向こう     10

  2時間後、イサベル・ガルドスが疲弊した表情で待合室に出てきた。アーロン・カタラーニも一緒だった。2人はバスルームに入って防護服を脱ぎ、シャワーを一緒に浴びた。そして2人で並んで待合室のベンチに座ったので、テオはサンドウィッチとコーヒーを運んでやった。

「怪我人はどんな具合だい?」

 彼が尋ねると、ガルドスが微笑んだ。

「フレータ少尉は大丈夫です。焼けた軍服を脱がすのに時間がかかりましたが、熱傷の程度は深くありませんでした。と言っても、深達性II度ですから、油断出来ません。爆風で外に弾き飛ばされたのが良かったのだと、ドクトラが仰いました。少尉はまだ横になっていますが、意識はあります。入院準備を看護師が整える迄、もう少し手術室にいてもらうそうです。」

 ステファン大尉がテオの後ろでホッと息を吐くのが感じられた。だが安心するのはまだ早い。

「キロス中佐は?」
「深達性Ⅲ度ですから、かなり危険な状態です。意識もありません。」
「助かるだろうか?」
「センディーノ先生は助けると仰っています。」

 テオは手術室のドアを見た。手術室と言っても、村の診療所だ。最新設備が整っている訳ではない。
 ドアが開き、医師と2人の看護師が出て来た。テオはセンディーノ医師と看護師がバスルームへ行って汚れた防護服とマスクなどの装備を解く迄待っていた。10数分後に3人は待合室に戻って来た。テオが作ったサンドウィッチとコーヒーに飛びつくようにして彼等は空腹を満たした。
 テオは辛抱強く彼女達が口を利く迄待った。やがてセンディーノが顔を上げた。

「運よく気道熱傷はありませんでした。肋骨を骨折していたので、その処置に時間がかかりました。熱傷箇所は少なく、治癒に時間はかかりますが、熱傷で生命の危険が脅かされる恐れは低いと思います。でも私としては、オルガ・グランデの大きな病院での治療を勧めます。ここでは清潔に保つのが難しいですから。」

 ステファン大尉が尋ねた。

「フレータ少尉と話せますか?」

 センディーノが「スィ」と頷いた。

「彼女は強いですね。熱傷部位は右半身で、深達性部分は少ないものの、かなりの激痛だと思いますが、耐えています。痛み止めを処方したので、少しうつらうつらした状態ですが、5分程度の会話は出来るでしょう。でも、もう少し後になさっては?」

 しかしステファン大尉は手術室に入って行った。センディーノが呆れたと言う表情をしたが、看護師達は大統領警護隊の行動に特に驚かなかった。
 センディーノがテオに尋ねた。

「夢中で患者の手当をしましたが、一体何が起きたのです?」
「キロス中佐が気分が悪い様子だったので、フレータ少尉がジープで宿舎へ連れて行こうとしたのです。エンジンをかけた途端にジープが爆発したらしい。」
「他に怪我人は?」
「パエス中尉が右目を負傷したと聞きましたが、ここには来てません。」

  看護師が窓の外を見た。

「水上部隊に軍医がいますから。それに沿岸警備隊にも衛生部隊がいます。」

 そっちの設備の方が良かったのかな、とテオはちょっぴり考えてしまったが、それではステファン大尉が怪我人のそばに近づけないかも知れない。
 診療所の入り口のドアが開いて、ガルソン大尉が入って来た。

「中佐と少尉の様子はどうですか?」
「2人共、取り敢えず窮地を脱した様だよ。」
「良かった・・・」

 ガルソン大尉はまだ昼過ぎだと言うのに、3日も働いた様に疲れ切って見えた。センディーノが彼にパエス中尉の怪我の具合を尋ねた。ガルソンは、大したことない、と答えた。

「目の下を少し切っただけです。」

 それは目を武器に使う”ヴェルデ・シエロ”にとって大事なのだが、ガルソンは何でもない様に言った。
 カタラーニが窓の外の道路封鎖を見ながら、大尉に質問した。

「道を封鎖しているのは、テロでも警戒しているのですか?」
「スィ。」

 とガルソンがこれも事なげなく答えた。

「しかし爆弾が使用された様子がないので、暫くしたら封鎖を解きます。」

 彼は医師に向き直った。

「救急処置に感謝します。2人の女性は病院に移した方が良いですか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が普通の病院の利用を考えていることに、テオは少し驚いた。庶民として生活している人ならともかく、大統領警護隊はそんな考えを持たないのではないのか、と思ったのだ。しかし、センディーノ医師がこう言った。

「オルガ・グランデ陸軍病院ですか? あそこなら設備が整っているので、患者も安心して治療に専念出来るでしょう。」
「では、水上部隊長に患者の受け入れ要請をしてもらえるよう頼んで来ます。」

 頼むのではなく、命令しに行くのだ、とテオは思った。そこへステファン大尉が手術室から出て来た。フレータ少尉の話を聞いていたにしては時間が長かったので、きっとキロス中佐と少尉に祓いをしていたのだろう、とテオは推測した。
 2人の大尉が一瞬目を合わせた。”心話”だ。一瞬にして情報共有をしてしまえる。他人に聞かれたくない話がある時は羨ましい。
 ガルソン大尉が石の様に無表情で、顔を振って「来い」と合図した。ステファン大尉は診療所の人々に「また来ます」と言って、先輩について外へ出た。テオも急いで後を追った。それぞれがどんな新しい情報を持っているのか、知りたかった。
 ガルソンがテオに気付き、煩そうな顔をしたが、来るなとは言わなかった。


2022/01/27

第5部 山の向こう     9

  看護師の一人が待合室に顔を出し、テオとカタラーニ、どちらでも良いから中で手伝ってくれと言った。カタラーニが素早く手を挙げた。彼はテオに言った。

「僕が中で手伝います。先生は大統領警護隊に顔が効くから、残って下さい。あ、僕等が集めた検体を冷蔵庫に入れておくのを忘れないで。」

 ちゃっかり恩師を使ってくれた。待合室に一人になったテオは窓の外を見た。診療所から事件現場は見えないが、陸軍兵がジープで道路を封鎖するのが見えた。ステファン大尉はテロの疑いを抱いて、犯人の逃亡を防ごうとしているのだ。
 テオはキッチンに入り、手術室で最善の努力をしている5人の為にサンドウィッチを作った。ジャムやピーナツバターの簡単な物だが、昼食を暢んびり作っている気分になれなかった。大皿にサンドウィッチを盛り付けたところへ、やっとステファン大尉が現れた。

「爆弾か?」

 テオの質問に、彼は首を振った。

「それを疑ってジープの残骸をガルソン大尉と2人で見ましたが、それらしき物は見つかりませんでした。」

 大統領警護隊は科学捜査をしない。ただ破片を「呼ぶ」のだ。爆弾の破片がなかったので、別の疑念が湧いた、とステファンは言った。

「ガルソン大尉は、パエス中尉を拘束しました。」
「何故だ?」

 テオはびっくりした。パエス中尉は仲間だろう? ガルソンと同じブーカ族だ。ステファンは説明した。

「ジープの爆発でパエス中尉は右目を負傷しました。ラバル少尉が彼を介抱しようとした時に、パエスが尋ねたそうです。『中佐は死んだか?』と。」

 テオは少し考えてしまった。そして大統領警護隊が何に引っ掛かりを感じたか悟った。

「普通は、『中佐は無事か?』と尋ねるよな?」
「スィ。ラバル少尉は奇異に感じ、パエスをオフィスに連れて行ってから、手当てをするフリをして、パエスに目隠しをして、手首を縛りました。それから私にパエスを拘束したことを報告に来ました。私が水上部隊の部隊長に車を見張らせてオフィスに戻ると、パエスは椅子に縛られて怒っていました。彼は拘束された理由がわからないと言いましたが、そこに診療所からガルソン大尉が戻って来ました。ラバル少尉がパエス拘束の経緯を報告すると、ガルソンは少尉の意見を支持しました。私も意見を求められたので、同意しました。」
「だが、パエス中尉がジープを爆発させたとして、その理由は何だ?」
「それはこれから調べなければなりません。彼の単独犯行なのかどうかも不明です。」

 テオはもう一度窓の外を見た。小さな村の封鎖は既に完了しており、外は静かになっていた。彼は自分の意見を述べた。

「パエスが犯人かどうかは別として、爆弾が使用されたのでなければ、ジープを爆発させたのは、”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂だな?」

 ステファンが渋々認めた。

「エンジンの不具合でもなければ、そう言うことでしょう。」
「君は村を封鎖したが、多分オルガ・グランデの陸軍基地に報告が入っていると思う。」
「大統領警護隊から指図がなければ、軍は大統領警護隊が関わる事件に乗り出して来ません。」
「そんな問題じゃないだろ。」

とテオは親友が見落としていることを指摘した。

「事件はすぐに”砂の民”の耳に入るってことだよ、カルロ。」


第5部 山の向こう     8

 テオとステファン大尉、ガルソン大尉、そしてラバル少尉は先を争う様にオフィスの外に飛び出した。ジープが炎を上げていた。ドアが吹き飛び、ジープの左右の地面に女性が転がっていた。 左前がフレータ少尉で、右がキロス中佐だ、とテオは思った。離れた場所にパエス中尉が蹲っていた。テオはどっちを先にと思う間も無く、近い方のフレータ少尉に駆け寄った。ステファン大尉が気の力で炎を吹き消した。ガルソン大尉とラバル少尉はキロス中佐の軍服の火を消し、彼女を抱き起こした。
 恐らく”ヴェルデ・シエロ”の女性達はジープが爆発した瞬間自分でドアを吹き飛ばし、脱出したのだろう。普通の人間なら到底無理だった筈だ。フレータ少尉はテオが抱き抱え、中佐をガルソン大尉が抱え上げた。

「診療所へ運べ!」

 ステファン大尉はそばの陸軍水上部隊や沿岸警備隊の基地から人が駆け出して来るのを見た。彼はラバル少尉に命令した。

「パエス中尉を見てやれ! 怪我をしていたら彼も診療所へ!」

 年上でもどうでも良かった。素早く命令を出し、彼はジープをもう一度見た。火が完全に消えて二次爆発の恐れがないことを確認した。
 陸軍の部隊長がそばへ駆けつけた。

「何事ですか?!」

 ステファン大尉は彼等に命じた。

「燃えた車に誰も近づかせるな。村の入り口を封鎖しろ。港も封鎖だ。住民は家から出すな。」

 ステファン大尉が爆発したジープの現場検証を始めている間に、テオとガルソン大尉は負傷者を診療所に運び込んだ。午前の診療を終えかけていたセンディーノ医師の診療所は忽ち大騒ぎになった。フレータ少尉もキロス中佐も脱出したものの大火傷を負っていた。センディーノ医師は診察中だった年配の男性に、待つようにと頼み、大急ぎで手術室を開いた。
 テオが看護師の手伝いをしていると、カタラーニとガルドスが戻ってきた。彼等も爆発音を聞いて、走って来たのだ。何が起きたのかと尋ねる彼等に、テオは手術の手伝いをしてくれと頼んだ。医学生のガルドスが手術室に入った。
 カタラーニはまだ混乱している診療所の待合室に立ち、呆然と立っているガルソン大尉を見た。

「大統領警護隊に何かあったんですか?」

 テオはカタラーニを見た。起きたことを隠す意味がなかったので、彼は事実を教えた。

「ジープが爆発したんだ。フレータ少尉がキロス中佐を宿舎へ連れて行く為に乗り込んだ直後だ。2人共大火傷を負った。」

 爆発?とカタラーニが口の中で呟いた。
 テオは診察を中断されたアカチャ族の男性に声をかけた。

「怪我人の手術に時間がかかります。自宅で待たれますか?」

 男は手術室のドアを見て、それからテオを見た。最後にガルソン大尉を見た。

「ラス・パハロス・ヴェルデスも怪我をするのか?」

と男が尋ねた。大尉がその男に視線を向けたので、男は顔を伏せた。大統領警護隊に失礼なことを言ってしまったと後悔しているのが、テオには感じられた。しかしガルソン大尉は小さな声で呟いた。

「当たり前だろう。」

 男は黙って診療所から出て行った。外で陸軍水上部隊の兵士達が「家に入れ」と住民達に怒鳴っている声が聞こえた。
 大尉、とテオはガルソン大尉に声を掛けた。

「座って下さい。火傷の治療は時間がかかります。」

 ビクッと体を震わせ、それからガルソン大尉は彼を振り返った。目の焦点がやっと合った感じだった。

「ここで待っていても意味がない。」

と彼は言った。

「指導師の方が役に立つ。ステファンと交代してきます。」

 テオの返事を待たずに彼は外へ出て行った。

 


第5部 山の向こう     7

 15分程でステファン大尉がオフィスに出て来た。僅か15分だったのに、彼はげっそりヤツれて見えた。テオとガルソン大尉が思わず彼を見つめると、彼は囁く様な低い声で言った。

「落ち着いてくれました。呪いを祓ってみましたが、悲しみまで癒すことは出来ません。彼女を宿舎で休ませた方が良いかと思います。」

 ガルソン大尉が彼を見つめて、そして首を傾げた。

「呪いと言ったか?」
「スィ。」
「中佐は誰かの気の爆裂か、”操心”の邪悪な気で傷つけられていたと言うことなのか?」

 ステファン大尉は小さく頷いた。

「恐らく、何が起きたか貴方に告げたくても呪いの力で話せなかったのでしょう。酷く衰弱されています。休ませてから、話を聞きましょう。」

 ガルソン大尉も頷いた。そして携帯電話を取り出すと、フレータ少尉を呼んだ。
 テオは2人の大尉のどちらへともなく、尋ねた。

「中佐はブーカ族だと聞いたが、ブーカ族を苦しませることが出来る力を出せるのは、やっぱりブーカ族なのか?」

 ブーカ族のガルソン大尉が彼を振り返った。

「対等に対決すれば、そう言うことになります。しかし、不意打ちや事故の場合はどの部族が優位と言うことはありません。一番力が小さなグワマナ族でも、不意打ちでグラダを倒せる可能性はあります。」
「それじゃ・・・」

 テオはアスクラカンと言う街をバスの通過地点としか認識していないが、最近ちょっとした事件で関わった。ステファン大尉はその事件で現地に行ったのだ。

「サスコシ族と中佐の間で何らかのトラブルがあった可能性もありますね?」

 ステファン大尉がハッとした表情になり、ガルソン大尉も、「サスコシがいたな」と呟いた。アスクラカンの街周辺にはサスコシ族が多く住んでいる。彼等の領地と言うことではないが、街の経済や政治に影響力を持つ富裕層にサスコシ族の血筋の人々が多いのだ。そしてテオがそのことを頭に置いているのには理由があった。アスクラカンのサスコシ族の中には、家族ぐるみで純血至上主義者と言う家系があるのだ。自分達の家族のメンバーが他部族や異人種との間に作った子供を認めないと言う人々だ。最悪の場合、その生存権さえ認めないと言う極右もいた。勿論、全てのサスコシ族がそうなのではない。平和で広い心の人々の方が多い。ただ、ミックスの”ヴェルデ・シエロ”が純血至上主義者の家族が所有する地所に足を踏み入れると、安全の保障がないと言われている。強力な超能力を持っているグラダ族のミックスであるステファン大尉でさえ、平和主義者のサスコシ族から、特定の家族に近づくなと忠告を与えられたのだ。

「アンゲルス鉱石の産業医を追いかけて行ったキロス中佐がサスコシ族とトラブルになったとしたら、その原因をまた考えなければなりませんが、強い力を持っていると言われる中佐がダメージを受ける何かがあったのは間違いありません。」

 ガルソン大尉はテオの言葉を聞いて、ステファン大尉に確認した。

「中佐がかけられた呪いは祓えたのですな?」
「スィ。」
「では中佐が休まれて落ち着かれたら話を聞ける?」
「その筈です。」

 その時、オフィスにフレータ少尉が入って来た。

「遅くなりました。申し訳ありません。」

 昼食の支度を一人でしていた少尉は遅れた言い訳はしなかった。ガルソン大尉が、彼女が不在の間にオフィスであった出来事を彼女に”心話”で伝えた。フレータ少尉が少し動揺したのか、空気が揺らいだ感じがした。彼女はキロス中佐を「女の家」に連れて行くために指揮官事務室に入った。
 パエス中尉が戻って来た。彼にもガルソン大尉が情報を与えた。中尉が溜め息をついた。

「宿舎はすぐそこだが、車で中佐をお連れした方が良いでしょう。」

と彼は言い、外へ出て行った。
 フレータ少尉に支えられる様にしてキロス中佐が出て来た。中佐は両手で顔を覆っていた。泣いている様にも見えた。2人の女性はオフィスを横切り、外へ出て行った。テオは中佐の足取りが弱いものの足がしっかり前に出ているのを見て、ステファンのお祓いは効いたのだと安心した。
 戸口で女性達とすれ違ったラバル少尉が入って来た。

「中佐はどうなさったのだ?」

 それでガルソン大尉が再び彼にも情報を分けた。ラバル少尉の顔が曇った。

「サスコシが関わっているのか?」

 彼は外へ顔を向けた。テオには見えなかったが、車のドアが閉まる音が聞こえた。その直後だった。
 テオと太平洋警備室のオフィスにいた大統領警護隊の隊員達は爆発音を聞いた。


2022/01/26

第5部 山の向こう     6

  テオはキロス中佐の現状に部下が心を痛めていることは言わなかった。その代わりに、3年前にアスクラカンに行ったことを覚えていますか、と尋ねた。
 キロス中佐はボーッと前方を力のない目で見ていた。それから、ゆっくりと答えた。

「覚えています。バルセル医師を追いかけて行きました。」
「バルセル?」
「エンジェル鉱石の産業医でした。」

 スペインっぽくない名前だが、この際医師の先祖が何処の国の出身かは問題ではない。テオは誘導したくなかったが、中佐があまり喋りたがらない様子なので、ガルソン大尉から聞いた話をしてみた。

「エンジェル鉱石が健康診断で集めた従業員の血液をアメリカに売却していたことを知って、貴女はバルセル医師にその真偽か目的を追求しようとされ、アスクラカン迄追いかけたのですか?」

 キロス中佐は反応しなかった。言いたくないのか、それとも意識が飛んでしまったのか。目は虚空を見ていた。テオはどう話を進めるべきか考えた。

「貴女はバルセル医師に会われたのですか?」
「ノ。」

今度は即答だった。

「会えなかったのですか? 会わなかったのですか?」

 答えが直ぐに返って来なかったので、別の質問をしようと考えかけると、中佐が呟いた。

「会えなかった。」

 テオは彼女の視界に入るように椅子の位置を少しずらした。

「どうして会えなかったのですか?」

 キロス中佐がギュッと眉を顰めた。何か不愉快な記憶が蘇った様だ。そして片手を額に当てた。頭痛でもするのか下を向いてしまった。テオは優しく声をかけた。

「水をお持ちしましょうか?」

 返事がないので、彼は立ち上がり、戸口へ行った。キロス中佐が後ろで何か呟いた。彼は振り返った。中佐は体を前に折り曲げ、苦痛に耐えている様に見えた。
 テオは急いでドアを開けた。ガルソン大尉がパソコンで作業中だったが、素早く振り返った。テオは彼に伝えた。

「中佐は気分が悪い様です。指導師かセンディーノ医師を呼んだ方が良いでは?」

 ガルソンが立ち上がり、中佐の部屋を覗き込んだ。中佐の状態を確認すると、彼は携帯を出して誰かにかけた。

「ステファン、オフィスに戻ってくれ。指導師が必要だ。」

 その時、キロス中佐が顔を上げた。彼女が何か言ったが、テオには理解出来ない言葉だった。ガルソン大尉がギョッとした表情になった。彼は”ヴェルデ・シエロ”の言葉で彼女に言葉をかけた。中佐が頭を両手で抱え、首を振った。
 オフィスのドアが勢いよく開き、ステファン大尉が駆け込んで来た。

「どうしました?」
「中佐を診てくれ。」

 テオとガルソン大尉がほぼ同時に同じことを言ったので、彼は急いでオフィスを横切り、指揮官の部屋に入った。テオには、彼が一瞬何かに押し戻されかけた様に見えた。しかしステファンは両足を踏ん張り、それから力強い足取りで前に進んだ。

「中佐、どうされました?」

 キロス中佐は再び何かを言った。テオにステファンは背を向けていたので、テオは彼がその時、どんな表情をしたのか分からなかった。ステファンは優しい声根で指揮官に話しかけた。彼等の母語だったので、テオには理解出来なかった。だがステファンが机を回り込み、キロス中佐の上半身をそっと抱き締めた時、あまり驚かなかった。ステファンは指導師としての治療行為を行なっているのだ、とわかった。ステファンがオフィスの方へ顔を向けた。次の瞬間ドアがバタンと音を立てて閉まった。誰が閉めたのか分からなかったが、テオは指導師の仕事が見られないと悟った。
 ステファンの席に行って椅子に腰を下ろすと、ガルソン大尉が声をかけて来た。

「何か分かりましたか?」
「何も・・・」

 テオは溜め息をついた。

「中佐がエンジェル鉱石の産業医だったバルセル医師を追ってアクスラカンに行かれたことは分かりました。でも医師に会えなかったそうです。その理由を訊こうとしたら、中佐の気分が悪くなった様です。」

 するとガルソン大尉が頷いた。

「私が訊いた時も同じでした。アスクラカンでの出来事を訊くと、あの様な症状が出るのです。」



第5部 山の向こう     5

  宿舎に帰ると、2人の院生はそれぞれの部屋で真面目に日中のサンプル採取に関するレポートを作成中だった。テオは彼等の邪魔をしないように、静かにキッチンで湯を沸かして体を拭き、ベッドに入った。
 キロス中佐がバスを崖から落とした説はどうしても考えたくないが、アスクラカンに彼女がいた時期がはっきりしないことには彼女の無実も考え辛い。今もバスが崖から転落した原因は不明だ。道幅が狭い未舗装の道路だったが、バスの運転手はベテランだったと聞くし、天候も良かったと聞いている。テオを含めた37名の乗客の数も定員オーバーではない。もっと詰め込みで客を乗せて走るバスはいくらでもあった。車両故障か、運転手の突然の病気発症か、それとも何者かの破壊行為か、とゴンザレス署長は捜査したが、転落の衝撃で破壊され、焼け焦げたエンジンや車体から何も手がかりを掴めなかった。
 テオは己がエンジェル鉱石が売却した血液から発見された超能力者かも知れない人間に会いに行ったのだろうと言う、セルバ渡航の動機を捨てていない。その動機を何らかの経緯で”砂の民”が知って、彼の暗殺を図ったのだとしたら、と考えたこともあった。しかし基本的に”ヴェルデ・シエロ”達は自身の存在意義を「セルバ国民を守護する」ことに置いている。”砂の民”がテオ以外の37名を殺害してでも彼を暗殺しようとしたとは考えられない。寧ろ彼を生かしても構わないからバスを救おうとした筈だ。
 色々考えが頭の中を駆け巡り、テオはそのまま訳のわからない夢を見ながら眠った。だから翌朝目覚めた時は、頭がボーッとしてしまった。カタラーニが、気分が悪ければ一人で採取してきます、と言ったので、彼はガルドスと一緒に行ってみれば、と提案した。ガルドスも診療所ばかりで採取していても人数を稼げないだろうし、村の中の様子を見て歩くのは悪くないだろうと。ガルドスも彼の提案に喜んで同意したので、カタラーニはちょっと照れながらも女性と2人で歩くことにした。
 若い2人が出かけると、テオは朝食の後片付けをして、身支度した。キッチンのテーブルで採取した検体の分類整理をしてラップトップにデータを入力していると、ステファンからメールが入った。1030にオフィスへ来て欲しいと言う内容だった。キロス中佐は話が出来る状態らしい。テオは少しだけ安心した。
 入力作業を済ませ、サンプルが入っている冷蔵庫の電源が切れていないことをチェックして(地方ではよく停電が起きる。)約束の時間に太平洋警備室に出かけた。
 オフィスではガルソン大尉一人が机で仕事をしていた。パエス中尉は前日修理したエンジンを沿岸警備隊へ届けに行ったのだと言う。ラバル少尉はいつもの様に港湾施設のパトロールに出かけており、ステファン大尉とフレータ少尉は食材購入に出かけている。
 大尉はテオと挨拶を交わすと、奥のドアの前へ行き、ノックした。そしてドアを少し開いて中の人に声をかけた。

「ドクトル・アルストがお見えです。」

 そしてテオには中の人の声が聞こえなかったが、大尉は頷いて、テオに中へどうぞ、と手を振った。それでテオは奥の事務室に入った。
 薄暗い室内の執務机の向こうに、一見70歳かと思える様な疲れた顔の女性が座っていた。テオが「ブエノス・ディアス」と挨拶すると、彼女も同じ言葉で返礼した。そしてミイラの様にやせ細った手を持ち上げ、椅子を指差した。

「どうぞおかけになって・・・」

 消え入りそうな低い声だった。テオは椅子に座った。中佐が息を吸い込み、それから言葉を発した。

「ガルソンとステファンから話を聞きました。3年前の私の行動についてお聞きになりたいと。」

2022/01/25

第5部 山の向こう     4

  明朝にキロス中佐がオフィスに出て来たら、直接彼女にテオと面会出来るか訊いてみる、とガルソン大尉は言った。もしその時点で彼女自身に判断能力がなければ、昼休みに厨房棟へ来てもらえないか、と彼はテオに頼んだ。
 セルバの神様が病気の仲間を救おうとして、白人に協力を仰いでいる。テオは事態の深刻さを理解した。
 大統領警護隊と夜の挨拶を交わして、彼はオフィスを出た。ステファン大尉が送りましょうかと声をかけてくれたが、辞退した。歩いてもそんなに遠くない距離だ。だがステファンは先輩達に向かって言った。

「”ティエラ”は夜目が利きません。転ばないよう、見守って来ます。」

 テオは勝手にしろよと笑い、2人は外に出た。少し歩いてから、ステファンが質問した。

「オルガ・グランデに来ているピューマと言うのは誰です?」

 テオは肩をすくめた。

「何時来るのか、実は知らないんだ。俺の同僚になる人だ。」

 それでステファンは、テオが示唆した”砂の民”が彼自身の恩師だと悟った。

「あの先生が来られたら、中佐の件は隠しようがありません。」
「教授はこっちへ来る訳じゃない。新しく発見された”ティエラ”の墓所遺跡を見学に来るんだ。だから文化保護担当部に遺跡立入許可を申請してパスをもらっていた。恐らく”シエロ”のミイラが混ざっていないか、地下墓地を歩くつもりだろう。君達の方から彼に接触しなければ、中佐の件に気づかずに帰ると思う。」
「そうだと良いのですが・・・」

 暗かったので、テオにはステファン大尉がどんな表情をしているのか見えなかったが、声は憂を帯びていた。

「”砂の民”は大統領警護隊に匹敵する情報網を持っています。”耳”と”目”と呼ばれる情報収集を司どる”ティエラ”を各自持っています。”耳”と”目”は自分達が操られているとは知らずに情報を集め、”砂の民”に報告するのです。無報酬ですが、”砂の民”の守護を受けているので身の安全は保障されます。教授がオルガ・グランデに”耳”や”目”を持っているかどうか知りませんが、西部地方は昔マスケゴ族の勢力範囲でした。殆ど”ティエラ”同然のマスケゴの子孫が大勢います。族長の身内である教授がオルガ・グランデに来れば、当然そう言う人々が集まるでしょう。教授が”砂の民”なのかどうか、彼等は知りません。それでも部族の長の家族は近づきになって損をしない存在ですからね。」

 カルロ・ステファンは以前大学の図書館で油断してケサダ教授に心を盗まれた苦い経験がある。ケサダは休憩していた彼に声をかけ、無防備に返事をしてしまった彼は教授と視線を合わせてしまい、強引に記憶をごっそり読まれてしまったのだ。お陰でステファンは人前で気絶すると言う失態をやらかしてしまい、姉のケツァル少佐から長い間揶揄われる羽目に陥った。(少佐は弟の油断から来る失敗には容赦しない。)それ以来、ステファンはフィデル・ケサダを警戒していた。
 テオはステファンが教授を警戒する理由を理解しているが、そんな必要はないのに、とも思う。教授は悪気があってステファンの心を盗んだのではない。大勢の人間がいる場所で大統領警護隊が油断して隙だらけで座っていたから、注意を与えただけだ。教授にすれば、ちょっとした悪戯心だったのだろう。何故なら、あの教授は白人の血を持つミックスのステファンより遥かに大きな力を持つ真の純血のグラダだからだ。

「ケサダはこっちには来ないさ。ここの海岸には遺跡がないから。」


第5部 山の向こう     3

  太平洋警備室のオフィスに別棟から戻って来たステファン大尉、フリータ少尉、ラバル少尉がその順番で入って来た。彼等はテオを見て、それからオフィス内の雰囲気で会談が既に始まっていることを知った。ガルソン大尉がステファンに”心話”でテオとの会談を伝えた。ステファンは頷き、2人の少尉にも情報提供を、と彼に言った。それでガルソンはラバルとフレータにも”心話”で伝えた。2人の少尉はテオがバス事故の生き残りだと知って驚いたが、その驚き方は同じではなかった。フレータは単純にびっくりした様子だったが、ラバルは却って警戒する様な目でテオを見た。記憶喪失を疑っているのかも知れない。
 ステファンがそばに来たので、彼の席に座っているテオは立ちあがろうとした。ステファンはそのままと手で合図した。テオは尋ねた。

「キロス中佐はきちんと夕食を取ったかい?」

 ステファンは肩をすくめた。フレータ少尉が答えた。

「出された物は全部召し上がりました。でも元気を失う前の半分の量です。」
「少しずつ量が減っている。」

とラバル少尉が呟いた。テオはキロス中佐をまだ見たことがないことに気がついた。こんな時は”心話”を使える”ヴェルデ・シエロ”達が羨ましい。彼はステファンを見上げ、尋ねた。

「君の任務は、ここで何が起きているかを調べることだろう? 本部に報告するかい?」

 ステファン大尉は室内を見回した。ガルソン大尉、パエス中尉、ラバル少尉、そしてフレータ少尉が彼を見つめていた。指揮官を救えないだろうか、と彼等の目が訴えていた。彼はテオに言った。

「実際に何が起きているのか、私はまだ掴みかねています。キロス中佐は確かに心の病に罹っておられる様に見えます。しかし、何故そうなったのか、原因を探る必要があります。」
「我々は3年間調べ続けた。」

とラバル少尉が抗議口調で言った。

「だが、何もわからない。」

 テオはガルソン大尉に向き直った。

「俺をキロス中佐に会わせて頂けませんか?」
「何の為に?」
「バス事故のことを教えてもらいます。」

 彼はちょっと考え、それからこう言った。

「もしかすると彼女は俺に何か語ってくれるかも知れません。あるいは、彼女はバス事故と全く無関係かも知れませんが。」

 ガルソン大尉はパエス中尉を見て、ラバル少尉を見た。それからフレータ少尉にも視線を向けた。最後にテオを見た。

「中佐が普通に会話が出来る状態なのか、私には判断が難しいのです。挨拶程度の短い会話なら出来ますが、5分も保ちません。座ったまま眠った状態になります。」

 テオはステファンを振り返った。ステファン大尉は仕方なく食事の時の中佐の様子をテオに語った。

「食事はされますが、時々動かなくなります。食べている最中に意識が混濁しているのではないかと思われる様な・・・」
「それは重症じゃないのか?」

 テオは心配になった。彼は室内の誰へともなく言った。

「あなた方は、中佐の異常をもっと早く本部に報告すべきだった。どんな結果になろうと、彼女の命を守ることが先決じゃなかったんですか?」


第5部 山の向こう     2

 不気味な程長い沈黙があった。ガルソン大尉もパエス中尉も黙ってテオを見ていた。テオは真っ暗な窓の外に目を遣った。2人の”ヴェルデ・シエロ”の沈黙が彼の質問への肯定を表していた。
 テオは深呼吸した。

「あなた方は、キロス中佐があのバスを道路から崖下に落としたと考えておられるのですね?」

 ガルソン大尉がゆっくりと首を傾げた。

「問題の医者がそのバスに乗っていたのです。だが、あそこで彼を殺す理由がない。少なくとも、我々には理解出来ない。」

 パエス中尉も言った。

「医者はアメリカ人をエンジェル鉱石に紹介しただけです。いくらか謝礼は取ったかも知れないが、彼は我々の存在を知らなかったし、アメリカ人の目的も知らなかった筈です。 中佐があの医者を殺す理由はありません。ましてや罪のない37人の命を奪うなど・・・」
「だが、あの事故がキロス中佐に何らかの心理的プレッシャーを与え、彼女の生気を奪ってしまった?」
「我々には彼女の心の病の原因がそれしか思いつかないのです。」

 テオは考え込んだ。超能力を使って直接人間を死なせることは、”ヴェルデ・シエロ”にとって絶対にしてはならない掟だ。人望厚かったカロリス・キロス中佐がそんなことをする筈がない、と部下達は信じている。だが何が起きたのか、中佐自身は語ろうとしない。ただ内に篭ってしまい、日々生きているだけの存在になってしまった。

「大罪を犯すことは、”砂の民”でさえ避ける。バス事故は本当にただの事故だったんじゃないのか? キロス中佐はもしかするとあのバスに乗っていて、自分だけ助かってしまったと思い込んでいるんじゃないか? 守護しなければならない国民を目の前で死なせてしまって、心が壊れてしまったのだと考えれないか?」

 ガルソンもパエスも答えなかった。
 テオは事故当時の記憶がない己が歯痒かった。事故に遭う前の記憶は戻ったのに、あのバスに乗った所から病院で目覚める迄の記憶だけが彼の脳から抜け落ちているのだ。

 もしかすると、キロス中佐の心の病の原因を知っているのは、この俺なのかも知れない。

 テオは気分が悪くなってきた。しかし、ここで逃げ出す訳にいかなかった。ガルソン大尉とパエス中尉は太平洋警備室の重大な秘密を打ち明けてくれたのだ。だから、テオもその行為に報いなければならない。

「その事故を起こしたバスに、俺も乗っていたんですよ。」

 室内の気温が1度下がった気がした。2人の”ヴェルデ・シエロ”が動揺したのだ。テオは彼等に余計な期待をさせたくなかったので、素早く続けた。

「俺はあの事故の唯一人の生存者で、記憶を失ったのです。そしてケツァル少佐と出会った。過去の記憶は戻りましたが、どう言う訳か、あのバス事故だけは思い出せないのです。バスに乗る所から、エル・ティティの病院で目が覚める迄の間の記憶が今もすっぽり抜け落ちて、何も思い出せない。それが何とかなればキロス中佐の病気の原因もわかるんじゃないかな、と思うのですが。」

 その時、ガルソンとパエスが戸口の方へ視線を向けた。


第5部 山の向こう     1

 「今から3年程前のことです。」

とガルソン大尉が語り始めた。

「港で働いているアカチャ族の現場監督にお会いになりましたか?」
「スィ。ホセ・バルタサール氏ですね?」
「彼がラバル少尉にある情報を伝えました。アンゲルス鉱石、当時はエンジェル鉱石と言いましたが、オルガ・グランデ最大の金鉱山を所有している鉱山会社が従業員の健康診断を行いました。」

 テオはドキリとした。それは彼が「7438・F・24・セルバ」とタグ付けされた血液サンプルの存在を知ることになった健康診断ではないのか?
 ガルソンが続けた。

「バルタサールはエンジェル鉱石がその健康診断で採取した血液をアメリカの会社に売却しているらしいと我々に伝えたのです。」
「内部告発ですか。」
「スィ。そのアメリカの会社が何者なのか我々にはわかりませんでした。しかしアメリカ先住民の血液を研究している製薬会社の話は聞いたことがあります。ワクチンの研究などに長い間外部との婚姻が行われたことがない人間の遺伝子を分析して使うのだと・・・私達には意味がよくわかりませんが。」
「まぁ、俺は理解出来ますが、説明しても一般の人にはわからないでしょう。それにキロス中佐の病気と遺伝子が関係しているとは思えませんが?」
「中佐は遺伝子の分析と言う言葉に懸念を抱かれました。」
「従業員に”ヴェルデ・シエロ”の血筋を持つ人がいると、アメリカの会社にあなた方の存在を知られてしまうと心配されたのではありませんか?」

 ガルソンとパエスがギクリとした表情でテオを見た。だからテオは率直に語ることにした。

「ステファン大尉や本部からの噂話で俺のことを少しはご存じかと思いますが、俺はその先住民の血液をエンジェル鉱石から買っていた会社、本当は政府の研究機関で働いていた科学者でした。」
「では、貴方がぶっ潰して逃げた研究所と言うのは・・・」

 テオは苦笑した。

「ぶっ潰しはしません。ただ、ケツァル少佐がデータを消去してコンピュータの中身をメチャクチャにしただけです。その研究所は超能力者の開発をしていたのです。軍で使えるように兵士に超能力者の遺伝子を注射で与えるようなものを。だから俺達はセルバ人のデータも彼等が北米で集めたデータも全部消して記憶媒体も復元不可能な状態に破壊したのです。」
「そうでしたか。だからグラダ・シティの本部は貴方を特別な存在として保護しているのですな。」

 ガルソンの目付きが柔らかくなった。パエス中尉も少し肩の力を抜いた様子だった。
 テオは逆に胸の奥に不安を感じながら、ガルソンに話の先を促した。

「キロス中佐はエンジェル鉱石に何か働きかけたのですか?」
「私達は彼女が何をなさったのか知らされていません。中佐は一人でオルガ・グランデのエンジェル鉱石へ出かけられました。血液の売却先を探りに行かれたのでしょう。
 鉱山会社の社長ミカエル・アンゲルスはアメリカ人から金を受け取った後のことは知らないと言ったそうです。それで中佐はアメリカ人を会社に紹介した医者を探しました。」
「医者?」
「健康診断を指導した医者です。オルガ・グランデで大きな診療所を経営している男でした。彼は中佐が探し当てた時、アスクラカンにいました。それで中佐はアスクラカンへ出かけられた。」

 テオはドキドキした。何故だかわからないが、凄く嫌な予感がした。

「中佐は10日後に帰って来られました。疲れ果てて、一度に老け込んだ感じで・・・。」
「大罪を犯したのだ。」

とパエス中尉が消えそうな低い声で囁いた。ガルソン大尉は黙って首を振った。

「誰も見た者はいない。誰にも何が起きたのかわからん。」
「何か起きたのですか?」

 テオが尋ねても、彼等は黙っていた。だから、テオは勇気を振り絞って言った。

「エル・ティティから少し山を登った辺りのハイウェイから乗合長期距離バスが転落したんじゃないですか?」

 

第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...