2025/05/16

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。
 テオは、大神官代理ロアン・マレンカが職務に戻った、とロホから教えてもらった。大神官代理はこれからも膵臓の薬を手放せないが、危機を脱して、神託を聞いたり、ママコナと情報を交換する程度の職務はこなせるまでに回復したのだ。
 神官の何人かが神殿から姿を消し、残った神官達が神殿近衛兵に新しい神官候補の少年達を探して集めるよう命じた。誰がどの部族から選ばれるのか、それは神殿の外の人間には誰も分からない。
 処罰された神官達の身内に累が及んだのかどうか、それもテオには分からない。ケツァル少佐にも分からないのだから、知りようがなかった。ムリリョ博士はこの件に関しては、一言も教えてくれなかった。博士が口を閉ざしているから、ケサダ教授も何も知らないのだ。
 テオは少佐に教授が「イェンテ・グラダ村の住人は既に純血種になっていた」説を唱えたことを告げた。少佐は異論を唱えなかった。ただ、こう言った。

「いつ頃にそれが達成されていたのか不明です。だから、村から抜け出した住民がいたでしょうし、その子孫でグラダの血を引く人々がどこかに隠れていても不思議ではありませんね。」
「それじゃ、アンドレのグラダの血も、案外近い過去に彼の家系に入っていた可能性があるな。」
「スィ、彼が突然変異みたいに強いグラダの能力を持って生まれたことが不思議でしたが、イェンテ・グラダからの脱走者の子孫だと考えれば、納得出来ますね。」

 しかし、テオも少佐もその推測をギャラガ本人に告げるつもりはなかった。推測なのだから、本人に言ってどうなることでもない。今は彼の能力が暴走しないように、修行を続けさせることが大事だ。

「ところで・・・」

 テオはダメもとで少佐にお願いをしてみた。

「エステベス大佐ってどんな人だい? よく名前を耳にするけど、どんな人物なのかは誰も語ってくれない。俺は興味を持っているが、会うことは出来るんだろうか?」

 少佐は気の無いふりをして答えた。

「大佐はいつもご多忙です。でも、そのうちに何かの機会に会えるかも知れませんね。」

 テオはピラミッド神殿の中で話をしたママコナと”アダ”を思い出し、あの仮面の長老ともう一度会ってみたいなぁと思ったのだった。

2025/05/12

第11部  神殿        22

 「神官が一度に複数入れ替えされるとなると、部族によってはかなり混乱が起きるんじゃないか? 特にサスコシ族とカイナ族、それに、マスケゴ族にも?」

 テオが心配すると、ケツァル少佐は肩をすくめた。

「他部族のことは、関与しなかった部族には関係ないことです。サスコシ族はかなり厄介な状況になるでしょうけど。何しろ純血至上主義者とそうでない人々との対立がありますから。」
「カイナ族は人口が少ないって聞いた。特に純血種の家族が少ないって、フレータ少尉が以前言っていた。」
「フレータ少尉の家系は今回の事件に加担していなかったと思われるので、彼女の家系から候補者を出すでしょう。適齢期の子供がいなくても若い人をスカウトしようと長老会は画策すると思います。」
「女性神官がいてもいいんじゃないかな。」

 テオはピラミッドの神殿で出会った”アタ”と名ばれる地位であろう女性長老を思い出した。彼女のような落ち着きのある常識人が神官になるべきだろう、と思った。

「女性は”名を秘めた女”一人で十分ですよ。」

と少佐が言った。

「彼女は女官や侍女達の意見をまとめて神官に命令や助言を与えているのです。もし神官が女達だったら、却って話がまとまらないでしょう。」

 彼女がクスッと笑った。
 テオはピラミッドの中でママコナと語り合ったことを思い出した。あの稀有な体験を少佐に教えられないのが残念だった。

「ママコナは外に出たいと思わないのかな?」

と故意に言葉に出してみた。少佐は肩をすくめただけだった。

「彼女が実際どんな人生を送っているのか、誰も知りません。もしかすると、こっそり”通路”を通って外へ出ているのかも知れません。でも私は知りたくありません。彼女が一族の最高権威である立場を守ってくれさえすれば、私達はまとまるのですから。」

 

2025/05/09

第11部  神殿        21

 「マスケゴ族の神官クワロワは、己の隠し子を大神官代理にしたいと考えました。でも、もし他にグラダの子孫が現れると、彼の思惑が外れてしまいます。だから彼は大統領警護隊遊撃班の若い少尉に、グラダの血を引く幼児を探せと命じました。」
「見つけ次第消すつもりだったのか?」
「スィ。」

 テオはゾッとした。クワロワやアスマの仲間は、己達の血族を神官にする世襲制を画策し、邪魔なマレンカ大神官代理に呪いをかけて瀕死の状態に追い込み、自分達が大神官代理候補に立てようとする幼児のライバルが出て来ないよう、グラダの子孫を狩ろうとしたのだ。

「その企みを、アスマ神官達は認めたのか?」
「神殿の裁判で嘘はつけません。被告は抑制タバコの煙で燻され、抵抗する力を奪われます。いかなる尋問にも嘘をついたりや沈黙することが不可能になるのです。」
「君はエダの神殿に行っていただろ? あそこでは何が起きていたんだい?」
「アスマ達が他の神官達を仲間に引き入れるか否か、試していたのです。大神官代理が重い病に倒れたので、次の大神官代理を決めなければならない、と神官達を誘い出し、閉じ込め、洗脳しようと試みていました。でもブーカやオクターリャの神官はなかなか言いなりになりません。彼等の悪巧みが気づかれそうになっていたので、反対派を殺害してしまうことを考えていた最中に、私とマハルダが女性近衛兵達と接触したのです。」
「女性近衛兵達は、世襲制に利用されようとしていたんだってな?」
「スィ。酷い話です。彼女達は真相を知ると憤っていました。近衛兵達は神殿の神聖さを守っているのに、世俗の汚い野望を持ち込まれて、それも神官自ら汚れを持ち込んだので、叛乱神官達の極刑を求めています。」
「アスマ達はワニの池に放り込まれるのか?」
「その判決は、私には教えられませんでした。」

 少佐は疲れた顔でボードをぼんやり眺めた。

「恐らく、我々はアスマ達に2度と会うことはないでしょう。」

2025/05/02

第11部  神殿        20

 「”名を秘めた女の人”は確かに大神官交代の夢を見て、マレンカ様に忠告なさったのでしょう。交代の夢とは、白いジャガーの夢です。ママコナが白いジャガーを夢で見ると大神官が交代すると言い伝えがありました。でも実際にそうなっていたのか、誰にもわかりません。交代とは、死を意味していましたから、ママコナが大神官に『貴方は死にます』などと告げていたとは、私は思えません。」
「女官や神官達が大神官の身体に異常が顕れた時に、そう宣伝していたってことか?」
「ママコナの権威を軽く考えて傀儡にしていた神官がいたと考えれば、きっとそう言うことだったのでしょう。」
「そして当代のママコナが白いジャガーの夢を見たと本当に言ったので、それを利用したのか?」
「彼女が実際にどんな夢を見たのか、それは彼女が”心話”で語りかける侍女にしかわからないでしょう。」
「ただのモノクロの夢で白地に黒い点々がついたジャガーだったかも知れない、と君は思うんだな?」
「でも彼女は、何か良くないことが神殿内で起きつつあることは、察していたのでしょう。」

 テオはアスマ神官の名前の部分をペンでトントンと叩いた。

「君が”サンキフエラの心臓”をこの神官に預けた時、神官はあの石が”ティエラ”のための物で”シエロ”には効果がないと知っていた・・・」
「仲間にカイナ族のエロワ神官がいますから、石の正体はエロワから聞いたでしょう。アスマ神官は大神官代理の健康をさも気遣うふりをして、治療に石を使ってみた、でも当然効果がありません。本物かどうかわからないので、大統領府厨房スタッフに毒を盛ってテストしたのです。」
「本物でも”シエロ”には効果がない石だから、大神官代理は治らない・・・だから、彼は神殿から逃げることにした?」
「一族の治療師はどこでどの神官と繋がっているかわかりません。だから、マレンカ様は親族の近衛兵に逃亡の手助けを依頼されました。」
「それがロホの兄さんのウイノカ・マレンカさんだったんだな?」

 ケツァル少佐が苦笑した。

「ロホの兄さんが神殿で働いていると知っていましたが、まさか神殿近衛兵だったとは、私も昨晩まで知りませんでした。近衛兵が大統領警護隊だったことも・・・。」
「正直言うと、俺もウイノカさん本人から接触される迄知らなかった。そしてロホや君達には教えるなと口止めされたんだよ、黙っていてごめん。」

 テオが謝ると、少佐を首を振った。

「我が一族は互いに秘密を持ち合いますから、貴方が謝ることはありません。ウイノカさんの身分はご家族にも秘密なのでしょう、奥さんもご存じないと思いますよ。神殿の事務官程度に思っておられることでしょう。ロホが裁判に出廷した時、既にウイノカさんの証言は終わっていたので、ロホはまだお兄さんの身分を知らないのです。」
「そうなのか・・・」

 テオは、まだ親友に秘密を持たなければならないのか、と心苦しく思った。少佐は気にする様子がなかった。

「ウイノカさんは、神官達がエダの神殿に出かけた直後に、毒の調査に入り、貴方と接触したのです。」
「スィ、毒の出どころと誰が手に入れたか調べた。あれはマハルダも内容を知っている。」
「スィ、薬屋のカダイ師から神官の従者が購入したのです。カダイ師は記憶を消されていましたが。従者は近衛兵の尋問を受け、白状しました。一般市民に害を為したことで、彼は処罰されました。」
「まさか、死刑・・・」
「神殿追放です。そして当分正業には就けないでしょう。」


2025/04/30

第11部  神殿        19

 本来は大神官代理の交代は、当代の代理が病気又は老齢で職務を果たせなくなった時に行われる。しかし、4人の神官はそれを待てないと思ったのだ。彼等は自分達の代に自分達の権威を拡大してくれる大神官代理を望んだ。代理でなく大神官でも良いのだ。そして彼等には家系に伝わる遠い祖先の話があった。祖先の一人はグラダ族だったと言う・・・。神官は独身だが、親族の子供を大神官代理にして操ることが出来る。傀儡だ。それに、これは審問で判明したのだが、マスケゴ族の神官クワロワには、神官でありながら隠し子がいたのだ。彼は女官の一人との間に男の子をもうけていた。もう直ぐ1歳になる。

「その子が、グラダを祖先に持つ神官候補適齢期の子って訳か!」
「スィ、とんでもない話です。」

 少佐は女官の名前と子供とクワロワの名前の下に小さく書き加えた。
 テオは内心ホッとした。ケサダ家の男の子を狙っていたのではなかったのだ。恐らく、ケサダ家の血統が明確でないことを不安に感じたクワロワ神官が、ムリリョ博士にケサダ教授の家の孫を養子に欲しいと持ちかけて、血筋を確かめようとしたのだ。クワロワと名乗っているが本物のケサダの血筋である神官は、ムリリョ博士に断られ、ムリリョ家のケサダ達が神官職に興味を持たないと安堵したに違いない。 

「彼等は世襲制に反対するマレンカ大神官代理を呪いで病にした。」

 テオは赤ペンで上部4人を括弧で括り、ロアン・マレンカの名前に向けて矢印を書いた。 少佐が怒りの表情で言った。

「呪われる本人にバレないように、4人で静かに少しずつ爆裂波を彼の膵臓に向けたのです。大神官代理が体の不調に気がついた時には、もう自分で対処不可能な状態になっていました。」

 ママコナは4人の神官の叛乱を予知していた。彼女はマレンカ大神官代理に警告したのに、大神官代理はカイナ族出身のママコナの声を軽んじて聞かなかったのだ。手遅れになってから、彼女に助けを求めた。
 テオは呟いた。

「ママコナは叛乱を予知していたんだよ。でもマレンカ氏は彼女の警告を無視しちまったんだ。」

 少佐が振り向いた。

「なんですって?」

 テオは内心慌てた。ママコナと会ったことは誰にも言ってはならない。彼は必死で頭を回転させて言い訳した。

「だってさ・・・ママコナは神殿内で起きることはわかっているんだろ? 彼女は何が起きているか知っていた筈だよ。そして大神官代理に教えたと思うんだ。でも強い能力を持つ部族の人達は、オセロットやマーゲイを甘く見ているだろ? きっと大神官代理はママコナの忠告を聞かなかったんだ。」

 少佐は暫く黙って彼を見ていたが、やがて視線をホワイトボードに戻した。


第11部  神殿        18

  テオはボードの左端上部に、「ラス・ラグナス 石」と書いた。そして少し斜め右に、アスマと書いた。すると少佐が横に来て、彼からペンを受け取り、アスマの下にカエンシット、エロワ、クワロワ、フレータ、ロムべサラゲレス、スワレ、後5人の名前を書いた。それからそれぞれの名前の右側に()付きで部族名を書いたので、テオはそれが神官の名前だとわかった。 彼女はそれからさらに右にロアン・マレンカと書いた。大神官代理だ。 次に大神官代理の名前の上の空きスペースに「長老会」と書き、神官達の名前のずっと下に「神殿近衛兵 女性 男性」と書き入れた。
 そして、石から矢印をアスマへ伸ばした。

「私がサンキ・フエラの石をアスマに渡してから、事件が始まりました。でも・・・」

 彼女は「長老会」の下に小さく「夢」と書き加えた。

「長老の一人が、”名を秘めた女”が白いジャガーの夢を見た、と言ったそうです。それは石が発見される前のことで、 ”名を秘めた女”は特別な意味を持って言ったのではなく、単に見た夢の話をしたのですが、彼女の夢は時に予言と解釈されます。その長老は昨今の神殿の権威がセルバ社会で低下していることを嘆き、神官に代替わりが必要かも知れないと脅すつもりで言ったようです。」
「ママコナが白いジャガーの夢を見ることは、大神官の代替わりを予言することになると、ムリリョ博士も言っていた。」
「スィ。でも、本当に”名を秘めた女”は予知夢を見たのではありません。彼女はただ色がついていない夢を見たに過ぎなかったのです。」

 そう言われると、テオもたまにモノクロの夢を見たことがあったなぁ、と思った。内容は覚えていなかったが。

「彼女は夢の話をうっかり他人に話すことも出来ないんだな。」
「そうですね、お気の毒ですが、話す相手を限定するべきでした。」

 少佐も苦笑した。

「でも、話を聞いた長老も、それが予言だとは捉えなかったのですよ。神官達を叱咤激励するつもりで迂闊に喋ってしまったのです。彼は、後で長老会のメンバー達から厳重に注意されたそうです。」
「だが、それを誤解した神官がいたんだな?」

 少佐がアスマ、カエンシット、エロワ、そしてテオが初めて目にするクワロワと言う名前に黒丸を付けた。

「彼等は、神官ではなく、大神官代理を交代させることを考えたのです。」

2025/04/28

第11部  神殿        17

  大学での仕事は何事もなく平穏にこなせた。学生達は遺伝子の組み替えのさまざまなパターンを考察し、人間の病気に対する遺伝子の影響を考えた。どうすれば病気に強い子供を産めるようになるのか。 それは人口の減少が早い少数民族の課題でもあった。多産でも生まれた子供が病気に罹りやすければ、衛生管理に力を入れても、経済的に貧しい人が多いこの国では乳幼児の死亡率低下を防げない。テオは彼本来の研究分野に没頭して、夕方までなんとか神殿の問題を忘れていられた。
 夕方、研究室を閉めて駐車場に向かいながら携帯をチェックすると、ケツァル少佐からメッセージが入っていた。

ーー今夜帰ります。夕食に間に合うと思います。

 それだけだった。テオは「お疲れ」とだけ返信した。
 駐車場でケサダ教授を見かけた。教授は何もなかったかのように、他の職員と談笑していた。テオは彼に声をかけずに車に乗り込み、帰路に着いた。
 文化・教育省の駐車場に立ち寄ってみると、ロホのビートルが駐車していた。ロホも何とか己の役目を終えたようだ。
 恐らく長老会は文化保護担当部に裁判の詳細に立ち入らせなかったのだ。必要な証言だけ語らせて、彼等を解放したに違いない。
 テオは駐車場を一周してから、自宅に向かった。役所は大学より終業時間が少しだけ遅い。約束していれば、テオは彼等を待つが、この日は誰とも約束していなかったので、自宅で少佐を待つことにした。
 帰宅すると、家政婦のカーラが食事の支度をしていた。テーブルは2人分の用意だけだった。少佐は彼女に特に何も連絡をしていなかった様だ。テオは自分のスペースでシャワーを浴び、着替えて、ダイニングに入った。そこへ少佐が帰って来た。 テオが玄関に出迎えて、「お帰り」とキスをすると、彼女は素直に、何もなかったかの様に応じた。そして、いつもの様にシャワーを浴びて着替えた。
 食事の開始も普段と変わらず、穏やかに2人で乾杯して、カーラに残りの食材を与えて帰らせた。
 カーラがいなくなって、本当に2人きりになると、少佐が初めて大きく溜め息をついた。テオは尋ねた。

「事件は全て解決したのかい?」
「多分・・・」

 少佐が少々投げやりな声で答えた。

「相変わらず、我々には全容を教えてくれない人々です。」

 長老会と神殿の人々のことを言っているのだろう。テオは立ち上がり、リビングへ行った。そこに、最近彼が購入したキャスター付きのホワイトボードがあった。大学の准教授らしい発想で、彼は友人達とややこしい話をするために準備したのだ。今迄部屋の片隅に置いたままで使ったことがなかったが、今回はこれが必要だと思えた。
 彼がコロコロとボードを押して来るのを見て、少佐がちょっと笑った。

「刑事ドラマみたいです。」
「そうさ、時系列や登場人物の相関図がないと、俺は理解出来ないからな。」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...