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2022/03/21

第6部 訪問者    21

 国境警備隊の宿舎に戻ると、丁度ルカ・パエス少尉も勤務を終えて戻って来たところだった。ケツァル少佐に気がついて彼が敬礼したので、少佐はギャラガ少尉を先に行かせ、ドアの外でパエス少尉に向き合った。

「これから自宅に戻って夕食ですか?」

 パエスが小さく溜め息をついた。

「グリン大尉からお聞きになられたのですね。」
「スィ。偶々ハラールの話題から、貴方の話になりました。昔からの伝統を破るのは気持ちが良くないでしょうが、貴方一人が同僚と違う生活を続けるのはどうでしょう。疲れませんか。」
「ハラールの問題もありますが・・・」

 パエスは顔を町の方へ向けた。

「妻の為でもあります。妻は不始末をしでかして転属になった私について来てくれました。子供達を実家に置いて、私を選んでくれたのです。しかし国境警備隊の休暇は半年毎に一月です。見知らぬ土地で妻は一人で半年暮らさなければなりません。ですから、私は1日に1度、食事の為に彼女の元に帰るのです。」

 少佐も溜め息をついた。

「貴方の気持ちはわかります。しかし、貴方は軍人で、彼女は軍人の妻です。貴方の同僚達も家族と会えない半年間を我慢して勤務しているのです。彼等の家族はクエバ・ネグラに住んでいないでしょう。電話をかけることさえ我慢している隊員もいるのです。奥さんと会うなとは言いませんが、軍人らしくケジメをつけなさい。」

 年下の上官から注意されて、パエス少尉はムッとした様子だった。太平洋警備室で勤務していた頃は毎日自宅から通勤していたのだ。 いきなり生活習慣を変えるのは難しいのだろう。ケツァル少佐はパエス少尉に思い入れはなかったが、同じ太平洋警備室から転属させられたガルソン中尉やフレータ少尉が新しい職場に馴染んで落ち着いていることを考えると、パエスにももっと気楽に働いて欲しかった。そうでなければ、太平洋警備室の問題を発見して事件の解決に奔走した彼女の弟カルロ・ステファン大尉や友人のテオドール・アルストが後々後悔することになってしまう。あの男達は他人の問題を見捨てておけないお人好しなのだから。

「国境警備隊の隊則がどの様なものか知りません。しかし家族が住む場所が勤務場所に近いのであれば、そこから通えないのですか? 本部の家族持ちの隊員達は自宅に帰る時間を十分もらっていますよ。一度グリン大尉に相談してみなさい。大尉は決して話のわからない人ではありません。クチナ基地のオルテガ少佐に話をしてくれるかも知れません。大統領警護隊は決して石頭ばかりでない筈です。」

 無言のままパエス少尉がもう一度敬礼した。ケツァル少佐はドアを開き、宿舎の中に入った。少し遅れてパエス少尉も入り、これから勤務に出て行く隊員と引き継ぎを行う為に共有スペースと廊下の角にある事務室に入った。
 少佐は真っ直ぐ寝室に割り当てられた部屋へ行った。ギャラガ少尉が簡易ベッドの上に座っていた。男女別ではなく、一部屋に男女2人だ。空き部屋が一部屋しかないので、仕方がない。しかも簡易ベッドを入れたので、かなり狭かった。最初に連絡を受けて部屋の準備をした隊員は「ミゲール少佐」が「有名なケツァル少佐」と同一人物であると知らなかったので、男性だと思っていたのだ。昨夜到着した時、この部屋を使ったのはギャラガだけだった。少佐は道中車の中で眠ったので使わなかった。昼間シャワーを使った時は交代で部屋を使ったので、一緒に部屋に入ったのはこれが初めてだ。

「共有スペースのソファで寝ます。」

とギャラガが言うと、少佐は首を振った。

「それではここの隊員達が気まずい思いをします。私は平気ですから、貴方も気にせずにお休みなさい。」

 彼女はさっさと装備していた拳銃を枕の下に置き、靴を脱ぐと着衣のままベッドに横になり、すぐに目を閉じた。
 ギャラガは簡易ベッドから下り、ドアへ行って取り敢えず施錠した。そして靴を脱ぐと、拳銃と財布を枕の下に置き、ベッドに横になった。ここは野宿と同じ、別々の木の上で寝ているんだ、と己に言い聞かせ、彼は目を閉じた。

第6部 訪問者    20

  船を下りると、ケツァル少佐とギャラガ少尉は船長に教えてもらったバルへ行った。「小さなホアン」の紹介だと言うと、新鮮な魚介類のセビーチェを出してくれた。その後も地元の料理を次々と注文し、国境警備隊の食堂では決して味わえない美食を、2人は時間をかけて堪能した。

「建設会社が何を隠そうとしているのか、わかった様な気がします。」
「何ですか?」

 ギャラガの言葉に少佐が興味深げに彼を見た。ギャラガはクラッカーを4枚、箱の壁の様に四角く立てた。その上に器用に天井部分のクラッカーを重ねて置いた。さらにまた上に箱を積み上げた。彼は2階以上の部分を指した。

「カラコルです。」

 そして下の部分を指した。

「地下の貯水槽です。この壁を崩すと・・・」

彼はクラッカーの1枚を強引に押し倒した。クラッカーのカラコルは、3枚の壁に支えられて保たれた。

「壁の一角が崩れただけでは、街は保たれています。しかし、貯水槽の中の水が流れてしまって空になると、壁の外の海水の圧が残りの壁を崩してしまいます。」

 少佐が考え込んだ。

「壁の一角が崩れ、貯水槽の中の水が流れ出て貯水槽が空になる・・・どう言うことですか? 壁が崩れたら海水がすぐに流れ込んで来るでしょう?」
「最初に崩れた壁は、海に面した三方ではなく、陸と繋がっている面です。恐らく、貯水槽の水は本土の地下に流れて行ったのです。」

 ギャラガはクラッカーの積み木を片付けた。

「船長のホアンは、大昔のクエバ・ネグラは海のそばまで森林が迫っていたと言いました。今は低木と草が生えているだけです。塩気に強い植物ばかりですよ。もう少し南へ行けばマングローブがありますが、ここはありません。土に塩分が多いんじゃないですか。」
「そう言えば、船長が昔の水は売れるほど美味しかったが今はそのままでは飲めないと言ってましたね。」
「壁が崩れて貯水槽の真水が本土側に流れてしまい、海からの圧力に耐えきれなくなった壁が崩れてカラコルの街は陥没したのでしょう。そこにまた海水が流れ込んだ。本土へ流れる水路は崩落した地面で塞がれた筈ですが、海水はずっと少しずつ染み込んでいるのだと思います。」
「それにロカ・エテルナ社がどう絡んでいるか、ですね。」

 エビのペーストをクラッカーに載せてギャラガは口に入れた。それをもぐもぐと食べてしまってから、白ワインのグラスを見ている上官に考えを述べた。

「私は一族の歴史に詳しくありません。でも古代の神殿などの建築に携わった部族がいた訳でしょう? カラコルの町が築かれる頃にそうした技術集団が雇われて、密かに町の下にそんな仕組みを造ったとしたら、どうでしょう?」
「その仕組みを造った目的は?」
「海の交易で栄えていた町ですね? もし外国から侵略を受けて町を占領された場合を想定し、町ごと敵を海の底に沈めてしまう、と言う対策を取っていたとしたら?」

 少佐が彼を見た。

「侵略されなかったが、町は神を冒涜した。だから、神の怒りによって沈められた?」

 暫く2人は黙って口を動かしていた。不意に少佐が呟いた。

「地震は本当にあったのでしょうか?」
「山に登った時、断層を見ました。しかし・・・地面がずれた方角が違いましたね。あれなら、カラコルがあった岬は持ち上がってしまう・・・」
「岬は実在したのですか?」
「少佐・・・」

 ケツァル少佐は頭に浮かんだ突拍子もない考えに、自分で苦笑した。

「岬は存在しなかったけれど、カラコルの町は存在したのかもしれませんよ、アンドレ。」


第6部 訪問者    19

  街に下りて住民に船に乗って海を見たいと言うと、浜辺で漁師を雇えば良いと教えてくれた。仕掛けの手入れが終わっていれば、小遣い稼ぎに観光客や釣り人を乗せるのだと言う。そこで砂浜に下りると、丁度古い大型の船と中型の漁船を並べて数人の漁師が夕刻の出漁までの時間を潰していた。ギャラガが声を掛けると、彼等はちょっと相談して、ホアンと言う男が名乗り出た。時間と値段の交渉の後で、ケツァル少佐とギャラガ少尉は普通の観光客のふりをして中型の漁船に乗せてもらった。
 規則に従ってオレンジ色のライフジャケットを着用し、彼等は穏やかな海の上に出かけた。

「いつもこんな穏やかな海なのかな?」

とギャラガが話しかけると、船長のホアンが舵輪を回しながら頷いた。

「セルバの海は穏やかさ。ハリケーンさえ来なければ、いつでもご機嫌さね。」

 彼は速度を落とした。

「エンバルカシオンの縁は浅くなっているから、通り道を決めてあるんだ。」

 エンバルカシオンとは、海中に没した岬があると言われている海域の地元での呼び方だ。「器」と言う意味で、地元民は大きな縁高の皿に見立てているのだった。

「サメが多いんだって?」

 ギャラガが無難な話題から話を進めた。ホアンはパイプタバコを吸いながら、海面を見た。

「多いと言っても、この船ほどの大きさのヤツはいない。でも先日、俺の従兄弟のホアンが、俺と同じ名前なんで皆こんがらがるんだがね、そのホアンがもっと沖で馬鹿でかいのを釣り上げたんだよ。」
「腹から人が出て来たサメかい?」
「ああ、新聞に載ったから、あんたも読んだんだね。」

 ホアンはパイプを咥えたまま笑った。

「安心しなよ、エンバルカシオンは浅いから、そんなでかいのはいない。ほら、底が見えるぜ。」

 船の速度がさらに落ちて、ホアンは停止させた。ギャラガと少佐は甲板から下を見た。珊瑚や魚が見えた。水深は7〜8メートルか? 数分後、再び船が動き出し、エンバルカシオンの中心部へ進んだ。

「この辺りは底の岩が凸凹して、隠れ場所が多いから魚が多い。だからサメも住んでいる。」

 海面から見た限りでは、珊瑚や藻で海底が人工的に加工された岩なのか天然の岩なのか判別出来なかった。ケツァル少佐がホアンに尋ねた。

「平らな岩が並んでいる箇所があると、ホテルで出会った考古学者が言ってました。場所は分かりますか?」

 ああ、とホアンが頷いた。

「カラコルを見つけたって騒いでいる学者だな。場所は知っている。この先だ。」

 彼は船を進め、やがて停船した。 少佐とギャラガは覗いて見たが、波が光ってよくわからなかった。少佐がホアンに尋ねた。

「貴方はその平らな岩を見たことがありますか?」
「うん、道みたいに岩が並んでいる。所々にそう言う風になっている箇所があるんさ。でも不思議じゃない。カラコルが沈んでいるんなら、当然だろう。」

 地元民は古代の町が沈んでいることを疑っていない。しかし、学者が大騒ぎする理由がわからない、そんな雰囲気だった。ギャラガが観光客らしく質問した。

「宝を積んだ沈没船とか、古代の町の財宝とか、そんな伝説や噂はないのかい?」

 ホアンが大声で笑った。

「他所から来る人は皆そう訊くんだなぁ。確かにカリブ海には海賊や沈没船の伝説がわんさとある。だけど、残念ながら、クエバ・ネグラにはないんさ。ここはね、金は積み出していなかったんだ。オルガ・グランデの金はここへ来なかった。昔は北のルートを通って隣国へ運ばれていたからね。ここは、船の水を補給する港だったんだよ。クエバ・ネグラの水は旨かったそうだ。今じゃミネラルが多過ぎてそのままじゃ飲めないがな。」
「水で富を得ていたのですか?」
「そりゃ、水以外にも何か売っただろうけど・・・」

 ホアンは陸の方向を見た。

「大昔は、海岸近くまで森だったそうだ。だから動物を狩ることが出来た。綺麗な毛皮の獣や、美しい羽の鳥とかね。罰当たりだよ、ジャガーなんか狩って売ろうなんて考えてさ・・・」

 彼は少佐を振り返った。

「あんた達、都会から来ただろ? グラダ・シティでもやっぱりジャガーは神様だろ?」
「スィ。雨を呼ぶ大切な神様です。」
「カラコルの町はジャガーを外国に売ろうとして、”ヴェルデ・シエロ”の怒りを買ったんだ。地震が来て、町を支えていた柱が全部折れて、一晩で岬が海の底に沈んだって、婆ちゃんが語ってくれたっけ。この辺りの人間は皆そう言う言い伝えを聞かされて育ったんだよ。神様を冒涜して罰せられた恥ずかしい話だから、外の人間にはあまり話さないがね。だけど、俺は今話すべきだと思うんだ。だって森林伐採でどんどん森が減っているじゃないか。森がなくなると、海も痩せてくるって、テレビで偉い先生が言ってた。ジャガーが住めなくなるセルバはセルバじゃない。昔話に教訓が含まれているってことを、学校で教えるべきさ。」

 思いがけず漁師から深い地球環境問題に関わる意見を聞かされ、少佐は相槌を打つしかなかった。 ギャラガはホアンの話の最初の部分が気になった。

「町を支えていた柱が折れたって、どう言うことだろ?」
「だから、柱の上に町が築かれていたんさ。水を売っていた町だから、地面の下に水を溜めていたんだろ。地震で床が崩れて、柱が折れて、町がドシンと落っこちたのさ。」


2022/03/20

第6部 訪問者    18

  カミロ・トレントが立ち去ると、ギャラガ少尉は上官を振り返った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社の親会社は、ロカ・エテルナ社です。トレントに指図して海底の映像を奪わせたのは、ロカ・エテルナ社の人間ではありませんか?」

 少佐が目を閉じた。

「厄介な相手です。社長はムリリョ博士の長子、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」
「”砂の民”ですか?」
「知りません。私が明確に”砂の民”だと知っているのは、首領のムリリョ博士とセニョール・シショカだけです。」
「ケサダ教授は・・・」
「彼もそうではないかと思っていますが、本当のところ、確認出来ていません。」
「でも、教授がドクトル・アルストに”砂の民”はピューマだと教えてくれたでしょう?」
「教えてくれただけですよ、アンドレ。そして彼はムリリョ博士の養い子で娘婿でもあります。”砂の民”の知識を持っていても不思議ではありません。」
「でも、”砂の民”は家族にも秘密を打ち明けないんじゃないですか?」
「常識的に考えれば、その通りです。ですが・・・」

 少佐は目を開いた。

「ムリリョ博士とケサダ教授の関係は簡単ではありません。兎に角、今回の件はアブラーンにぶつかってみなければわかりません。8世紀に海の底に沈んだと言われる伝説の町と、現代の建設会社が発掘調査を妨害する理由がどう結びつくのか、訊いてみましょう。」
「グラダ・シティに帰るのですか?」

 心なしかギャラガが残念がっている様に聞こえた。彼女は滅多に遠出しない若い部下を見た。ギャラガが遠出しないのは、遠出に慣れていないだけだ。出張を命じれば躊躇なく何処へでも行く。だが自発的に休暇に遠出したりしない。子供の頃は貧しくてその日の糧を得るので精一杯だったし、生きる為に軍隊に入り、休暇をもらっても帰る家も遊ぶ友人も持たなかったから、官舎から近くの海岸へ行くだけだった。

「帰るのは明日にしましょう。」

と少佐は言った。

「これから自由時間にします。好きに過ごしなさい。明朝700にここに集合。」

 喜ぶかと思ったが、ギャラガはぽかんとして上官を見つめるだけだった。だから少佐も戸惑ってしまった。

「遊びに行って良いですよ。」

と言うと、逆に「貴女は?」と訊かれた。実を言うと少佐も午後の予定などなかった。カミロ・トレントが現れなければ彼を探しに行くつもりだったのだ。彼女は両手で髪をかき上げた。

「どうしましょう・・・」

 ギャラガが窓の外を見た。

「もし宜しければ・・・」

と彼が言った。

「船を雇って、カラコルを海の上から見てみませんか?」


第6部 訪問者    17

  共有スペースで言葉を交わした隊員が検問所の勤務に出るために、身支度をしに部屋へ戻って行った。装備を整え、隣の陸軍の食堂で食事を取ってから勤務に就くのだ。
 ”感応”で呼んだカミロ・トレントが現れないので、失敗したかとギャラガ少尉が不安になる頃になって、駐車場に一台の小型バンが入って来た。赤い車体に「クエバ・ネグラ・エテルナ 建築&解体」と白いペンキで書かれていた。窓から見ていると、車から中年のメスティーソの男性が降りて来た。繋ぎの作業服を着ているが、汚れていない。作業員ではなく監督をする立場の人間だろう。彼は2棟の宿舎を見比べ、やがて意を決して大統領警護隊の宿舎へ歩き出した。
 ケツァル少佐は座ったままだった。ギャラガ少尉が入り口まで行った。ノックの音が聞こえた。彼は静かにドアを開いた。応対に出て来たのが白人に見える若い男だったので、建設会社の男性は少し驚いた様子だった。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントと言います。こちらで私をお呼びになった方はおられますか?」

 用心深く問い掛けたのは、呼んだ相手の正体も位置も不明だったからだ。肉親や親しい仲間の呼びかけであれば、相手が誰だかわかるし、己と相手との距離も概ね推測出来る。居場所も見当がつく。しかし初めて呼びかけて来た人物を探すのは困難だ。トレントが来るのが遅れたのは、呼びかけた人物が誰だかわからずに戸惑い、相手の居場所を探していたからだ。トレントはこの町の”ヴェルデ・シエロ”を大方把握しているに違いない。そして心当たりの人から順番に探って周り、国境検問所まで行き、最後にこの国境警備隊の宿舎に行き着いた。
 ギャラガが頷いた。

「私が上官の命令で呼びました。中へお入り下さい。」

 トレントが用心深く中に入って来た。私服姿の白人の様な男と、私服姿の若い女性しかいない共有スペースに足を踏み入れ、彼の後ろでギャラガがドアを閉じたので、ちょっとだけ後ろを振り返る素振りを見せた。
 ケツァル少佐が立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

 彼女が自己紹介すると、トレントが溜め息をついた。諦めの溜め息だ。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントです。文化保護担当部が来られたと言うことは、サン・レオカディオ大学の件ですね。」
「スィ。」

 相手があっさり認めたので、少佐は少し拍子抜けした。

「モンタルボ教授から撮影機材を奪った男達を操ったのは、貴方ですか?」
「その通りです。リーダー格の男に”操心”をかけました。残りはリーダーが集めた手下です。」
「軽傷とは言え、市民に怪我をさせましたね。」
「申し訳ありません。私の能力では一人を操るのが限界でした。リーダーには調査隊に怪我をさせるなと命じたのですが、手下どもには伝わらなかったのです。処罰の対象となるでしょうか?」
「致命傷を負わせた訳ではないので、大統領警護隊は気に留めていません。調査隊の怪我の件は憲兵隊が捜査しています。」

 ギャラガはいつもながらのセルバ流「単刀直入に要件に入らない会話」に少しイラッとした。もしここにドクトル・アルストがいれば、必ずこの会話に割って入る筈だ。しかしギャラガは少佐の部下だ。彼は辛抱強く会話を聞いていた。
 少佐が遂に本題に入った。

「サン・レオカディオ大学から盗んだ物をどうするつもりですか?」

 トレントが肩をすくめた。

「撮影した映像をグラダ・シティに送りました。奪ったカメラやその他の機材は私が操ったリーダーの手下どもが故買屋に売った筈です。リーダーから連中への報酬です。」

 それなら憲兵隊が既にこの界隈の故買屋を片っ端から調べていることだろう。「リーダー」がどう言う立場の人間なのかトレントは言及しなかった。恐らく憲兵隊がその「リーダー」を突き止めても、「リーダー」とトレントとの繋がりは判明しない。「リーダー」には”操心”に掛けられた記憶がない。

「映像をグラダ・シティに送ったと言いましたか?」

 ギャラガ少尉は思わず口を挟んでしまったが、少佐は咎めなかった。ギャラガにも尋問の経験は必要だ。トレントが頷いたので、彼は更に尋ねた。

「グラダ・シティから貴方に映像を奪えと指図が来たと言うことですか?」

 トレントは少し沈黙してから、考えながら言った。

「指図は、考古学者が海の底で何を撮影したか調べろと言うものでした。ですから私は何とかして調査隊に近づこうとしたのですが、大学側はモンタルボの教室の学生ばかりでしたし、撮影隊の方はアメリカ人ばかりで、潜り込む隙がありませんでした。私は4分の1”シエロ”ですから、力が強くありません。”幻視”を使って潜入することは出来ても、長時間相手を騙す技を持っていませんので、力づくで奪う方法を選択しました。映像を記録した媒体が何かわからなかったので、撮影機材一切合切を奪わせたのです。」
「映像はどの様な方法でグラダ・シティに送ったのですか?」
「モンタルボはU S Bにデータを保存していたので、社員に運ばせました。郵送では紛失する恐れがありますし、何時向こうに着くかわかりませんから。」

 ケツァル少佐がそこで再び口を挟んだ。

「貴方のところの社員が知っている場所に運んだのですね?」

 トレントはまた溜め息をついた。大統領警護隊に嘘の証言をすると後で重罪に問われる。彼は法で罰せられるのと、部族内ルールを犯して族長から罰せられるのと、どちらがキツいだろうと天秤にかけた。

「申し訳ありません。これ以上話すことは部族を裏切ることになります。」

 ギャラガが少佐を見た。トレントの言葉は、今回の強奪事件が彼個人の目的があってしたことではなく、部族の上の方からの指示に従って行ったことを示唆していた。
 ケツァル少佐も少尉と同じ見解だった。これ以上トレントを問い詰めても彼は口を割らないだろう。彼女は言った。

「強奪犯と盗難品の行方は大体わかりました。指図を出した人の真意は不明ですが、ここで調べても拉致は明かない様です。お帰りください。」

 ギャラガはまだ不安要素が残っていた。

「モンタルボはまた調査をすると言っています。貴方はまた彼を妨害しますか?」

 するとトレントは心外なと言いたげな顔をした。

「私は彼を妨害していません。撮影したものを奪っただけです。」

 少し認識のずれがあるようだ。ギャラガはそう思ったが、それ以上突っ込むのを止めた。


2022/03/19

第6部 訪問者    16

  宿舎の共有スペースに入ると、男性隊員が一人ソファに座ってテレビを見ていた。恐らく先程のギャラガが失敗した気の波動で目が覚めてしまい、交代時間迄の時間を潰そうとしていたのだ。入って来た私服姿のケツァル少佐とギャラガ少尉に怪訝な表情で顔を向けたので、ギャラガが気を利かせて紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐であられる。私は同部のギャラガ少尉だ。」

 隊員が急いで立ち上がって敬礼した。敬礼を返したケツァル少佐は彼の上半身がまだTシャツ1枚だけなのを見て、寝起き間もないと判断した。

「我々が貴官の休息を妨げた様です。」
「そうではありません。間もなく交代時間ですので、目を覚ましておりました。」

 少佐は、そうではないだろうと突っ込まずに、彼に休憩の続きを、と指図した。そしてもう一つのソファにギャラガと並んで座った。隊員も腰を下ろしたので、彼女は言った。

「もしかするとカミロ・トレントと言う男性が来るかも知れません。我々が呼んだのですが、彼は誰に呼ばれたのか知らない筈です。彼が現れたら、教えて下さい。」
「承知しました。」

 一般人が聞けば奇妙な言葉だったが、”ヴェルデ・シエロ”は意味がわかる。隊員は少佐の言葉を理解した。彼はボリュームを落としてテレビのニュースを見ていた。大きな事件は起きていないが、今年の雨季は雨量が例年より多いだろうと気象学者が予想していると言うニュースが伝えられると、隊員は溜め息をついた。豪雨の中での検問を想像してうんざりしたのだろう。毎年のことではあるが、こんな時は東海岸ではなく西海岸で勤務したくなるに違いない。
 隊員がチラリとこちらを見た。国境警備隊でない人間がいるので気になるのだろうと少佐が思っていると、彼が話しかけて来た。

「失礼ですが、先程気の波動を発せられましたか?」
 
 少佐が彼の方へ顔を向けると、ギャラガが急いで言い訳した。

「私が少しヘマをやっただけだ。起こしてしまって悪かった。」

 隊員が彼に視線を向けた。一見”ヴェルデ・シエロ”に見えないギャラガに彼は問い掛けた。

「君が、あの、白いグラダか?」

 ギャラガは予想以上に己が有名なことを知って、ちょっとうんざりした。

「そうだ。白人の血が混ざっているので、まだ修行中だ。」
「気の波動に鋭い波があった。君が本気で爆裂波を放ったら戦車隊でも一撃で吹っ飛ぶんだろうな。」

 その声には羨望が混ざっていたので、ギャラガはびっくりした。そんな風に賞賛されたのは初めてだ。すると少佐が隊員に言った。

「ギャラガ少尉を煽てないように。彼はまだ20歳です。制御を完璧に習得する迄は爆弾の様な子です。」

 つまり、ギャラガ少尉は現在でも十分強大な爆裂波を使えると暗に言ったのだ。1年と半年前迄、”心話”すら使えない”出来損ない”として有名だったカベサ・ロハ(赤い頭)は、本当は能力がなかったのではなく、使い方を知らないだけの子供だった、と少佐は隊員に仄めかした。だから、ギャラガを舐めると痛い目に遭うぞ、あまりこの部下に構うな、と牽制したのだ。
 国境警備隊の隊員は聡い男だった。少佐が言いたいことを理解した。そしてさらに別のことも察した。修行中のグラダを見守っているこの上官も、グラダだ。

「ミゲール少佐、もしや、貴女はケツァル少佐であられますか?」

 ギャラガは笑いそうになって耐えた。ケツァル少佐は仕方なく無言で頷いた。隊員が再び跳ねるように立ち上がり、敬礼した。

第6部 訪問者    15

  ロカ・エテルナ社はセルバ共和国の3大建築業者の一つで、創業者のスペイン人がセルバ共和国独立直前に本国へ逃げ去った後を襲ったロカ・デ・ムリリョが成長させ、経営権を甥の息子のアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに譲った会社だ。クエバ・ネグラの町で一番大きな建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社はその子会社で、経営者はマスケゴ系メスティーソの男性だった。つまり、まだ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる能力者だ。
 国境警備隊の陸軍国境警備班所属エベラルド・ソロサバル曹長から会社の名前と社長のカミロ・トレントの名を聞き出したケツァル少佐は昼食後ギャラガを大統領警護隊側の駐車場へ連れて行った。クエバ・ネグラの丘ほどではないが、国境警備隊宿舎も小高い場所にある。街並みの屋根がすぐ目の前に並んでいた。

「”感応”を行った経験はありますか?」

 少佐に訊かれて、ギャラガは「ありません」と答えた。”感応”は呼び出したい人の名前や顔を脳裏に浮かべて精神を全集中させる。通常親が自分の子を呼ぶ時に用いる能力で、軍隊では上官が部下に集合をかけたり、戦闘時や緊急時に助けを求める時に使う。平時に友達を呼んだり目上の人に気軽に用いるものではない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は教えられなくてもこの能力を使えるが、親から厳しくマナーを躾けられる。異人種の血が入るミックスは少し練習が必要だ。一瞬のものなので、エネルギーの消耗はない。しかし気を発する瞬間だけ心が無防備になるので、使うタイミングを誤ると軍人は危険に曝される場合があった。
 ケツァル少佐はギャラガ少尉に命じた。

「やってごらんなさい。カミロ・トレントを呼ぶのです。」

 ギャラガは脳裏に、Camilo Torrent と文字を思い浮かべた。その名に思い切り念をぶつけてみた。
 ケツァル少佐は空気にビリッとした震動を感じた。失敗だ。ギャラガが出したのはテレパシーではなく気の波動、微弱な爆裂波だ。カミロ・トレントには届かないが、宿舎周辺の人間や動物には感じ取れる。果たして大統領警護隊の宿舎の窓が開き、指揮官のバレリア・グリン大尉が顔を出した。

「何事です、少佐?」

 ケツァル少佐は彼女を見上げ、2階の窓から顔を出している女性の目を見た。

ーー申し訳ない、部下に”感応”の使い方を教えようとしていました。

 グリン大尉は赤毛のギャラガの頭を見下ろした。そして少佐に視線を戻した。

ーー噂の白いグラダですね。失敗とは言え、かなりの威力の波動でした。
ーー貴官の休息を妨げたことをお詫びします。
ーーどこでもメスティーソの教育には苦労いたします。次は成功を祈っています。

 グリン大尉は微笑して顔を引っ込め、窓を閉じた。
 ケツァル少佐はギャラガを振り返った。ギャラガは失敗したことを悟っており、何が悪かったのか考えていた。少佐が彼の名を呼んだので、上官の目を見た。”心話”で少佐が彼の心の動きを悟った。

ーー名前に念をぶつけるのではなく、呼び寄せなさい。

 ギャラガは戸惑い、それからまた脳裏に文字を思い浮かべ、それを己に引き寄せるイメージを抱いた。文字が彼の脳裏からスッと消えた感じがした。彼は自信なさそうに言った。

「上手くいったでしょうか?」

 少佐がクスッと笑った。

「誰も成功したか失敗したかわからないものですよ、”感応”っていう力は。」
「えー・・・」

 狐に包まれた様な表情の部下を見て、また少佐は笑った。そして、トレントが来るまでシエスタにしましょうと言った。


第6部 訪問者    14

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は国境警備隊の宿舎に戻った。クエバ・ネグラ検問所の大統領警護隊の隊員は全部で8人、一人ずつ3時間おきに宿舎に戻って一人ずつ勤務に出て行く。宿舎には常時3人が休憩している。少佐とギャラガは誰も浴室を使用していないことを確認してから、シャワーを使った。男女の別がないから、シャワールームも脱衣所も一つしかない。少佐が先に浴び、充てがわれた部屋に入った。ギャラガが昨晩置いた2人のリュックとアサルトライフルが質素なベッドの横に並べられていた。服を着替えて、濡れた髪を窓からの風に当てて乾かした。バレリア・グリン大尉はまだ休んでいるだろう。
 ギャラガが戻って来たので、彼の身支度を待ってから、2人で隣の陸軍国境警備班の食堂へ行った。食堂は賑わっていた。検問所の兵士達が順番に昼食に来ていた。彼等はゆっくり食べることはなく、簡単なスープとパンだけの食事を流し込み、すぐに出て行った。だから少佐とギャラガも冷めたスープをもらった。

「本部の警備班は警備についている間は水分補給しかしません。」

とギャラガが呟いた。少佐が頷いた。

「外での勤務は大統領府の警備より体力を使いますからね。」
「文化保護担当部の事務仕事も腹が減りますよ。頭を使うと恐ろしくエネルギーを消耗するんです。」

 少佐は思わず笑ってしまった。彼女は自分のパンを部下の皿に入れてやった。すると隣のテーブルにいた陸軍の兵士が声をかけて来た。

「グラダ・シティから来られた大統領警護隊の方ですね?」

 ギャラガが「スィ」と答えた。

「文化保護担当部だ。昨日私立大学の教授と発掘調査隊が強盗に遭ったと聞いたので、被害状況を調査に来た。」
「強盗事件にわざわざ来られたのですか。」

 そんな必要はないのに、と言う響きが兵士の声に含まれていた。ギャラガは言った。

「強盗犯の捜査は憲兵隊に任せる。我々は発掘調査隊が奪われたものの内容を調査するのだ。文化財を傷つけられては困るから。」

 恐らく検問所の兵士には、何を悠長な仕事をしているのだ、と思えただろう。 彼はちょっと失笑した。

「学者と言う人達は私の様な凡人にはわからない物を大事に調べますね。先月もグラダ大学から来た若い教授がトカゲを捕まえて帰られました。その後で別の教授が来て、そのトカゲをまた放しに洞窟まで登りました。そのまま飼えば良いのにと言ったら、生態系がどうのとか説明してくれましたが、自分にはさっぱりでした。」

 ギャラガは苦笑した。そして、

「最初に来たのはアルスト准教授だろう。」

と言うと、兵士が頷いた。

「そんな名前でした。学生を一人お供に連れていました。お知り合いですか?」
「まぁな。気さくな良い人だろう?」
「そうですね。2人目の教授より話し易かったです。」

 エベラルド・ソロサバル曹長はテオドール・アルストからチップをもらったのだが、同僚の手前それは言わなかった。彼は大統領警護隊の白い肌の隊員に窓から見える赤い看板を指差した。

「あの赤い看板の店は午後6時から営業します。もし地元の料理を味わいたければ、あの店が一押しです。漁師の身内が経営しているので、手頃な値段で美味い魚を食べさせてくれます。」

 ケツァル少佐がちょっと笑って彼に声をかけた。

「まるで貴官は観光ガイドですね。」

 曹長が頬を赤らめた。

「地元出身なもので、つい饒舌になってしまいました。」

 すると彼と同じテーブルの兵士が笑いながら大統領警護隊の隊員に教えた。

「このソロサバル曹長は実際に観光ガイドとしても駆り出されるのです。町役場がガイドを雇うと金がかかるので、こっちへ仕事を押し付けるんです。軍人をタダで使ってやがる。」

 少佐とギャラガも兵士達と一緒に笑った。笑い声が収る頃に少佐がソロサバル曹長に尋ねた。

「地元の出だと言うことは、この辺りで名前が知られた建築屋を知っていますね?」


第6部 訪問者    13

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は町の名前の由来となった「黒い洞窟」クエバ・ネグラがある黒い岩だらけの丘の頂上へ登った。徒歩だったので、てっぺんに着いた時は既にお昼になっていた。2人共汗ぐっしょりだったが、気にせずに岩の上に上って海を見下ろした。
 海中遺跡があると言われているポイントは、楕円形のお盆をそのまま水中に沈めたような形に見えた。岬の形に海底が盛り上がってお盆の縁を形成している。内側が深くなって丘の上から見ると真っ青な池が海の中にあるかの様に見えた。昨日モンタルボ教授の一行があの中で潜って海底を撮影したのだ。

「凹んじゃってますね。」

とギャラガが素直な感想を述べた。環礁の様にも見えるが盆の縁の外側もそれほど深くなさそうだ。礁の部分は浅いのだろう。だからあまり漁師が近づかない。船底を引っかけそうな水深なのかも知れない。

「自然現象だと思いますか? それとも誰かが力を加えて凹ませたと思いますか?」

 少佐の問いかけに、ギャラガは額に手を翳して海面を見つめた。

「自然現象でしたら、あんな風にシンメトリーに凹んだりしないでしょう。」

 彼は指で空中に線を描いた。

「珊瑚礁が成長しているので近くで見るとわからないと思います。しかしここから見ると、窪んだ部分は縦長の八角形です。真ん中に線を引けば綺麗に左右対称になります。」

 少佐も目を細めて陽光に煌めく海面を見つめた。そしてギャラガが見て取った海底の形状を彼女も見た。確かに、と彼女は彼の発見を認めた。

「人工的に形成された場所に見えます。すると一つ疑問が浮かびます。地震であんなに綺麗に壊れるでしょうか。或いは、気の爆裂を用いて、あの様な形に町を沈めることが出来たでしょうか。」
「カラコルの元の意味を考えると、町の建設段階で何か地下に大きな空洞を造ったか、それとも故意に空洞の上に町を築いたと推測されます。モンタルボも古代の言語の意味を研究している筈ですし、この丘の上から海を見て、あの不自然に綺麗な海底の形状に気がついてカラコルの実在を確信したのでしょう。カラコルは”ティエラ”の町だったそうですが、一番最初にあの位置に町を築いたのは何者でしょうか。」

 ギャラガの言葉にケツァル少佐は視線を海から部下に向けた。

「今回の強奪事件は宝探しの争いではなく、もっと古い時代に原因がありそうですね。」

 ギャラガが頭を掻いた。

「それを調べるのは難しそうですね。グラダ大学の考古学部は海の遺跡に興味を持たないし、もしかすると海の遺跡を禁忌の場所にしているのかも知れません。」

 少佐が溜め息をついた。

「またムリリョ博士が何か隠していると言うことですか・・・」
「あの方はセルバの生き字引です。でも決して全てを教えて下さることはありません。」
「禁忌なら、決して教えて頂けないでしょうね。」

 少佐は街並みを見下ろした。ギャラガが尋ねた。

「銃弾を呼ぶように、撮影機材を呼べませんか?」

 彼女が吹き出した。

「そんなことをしたら、住民が腰を抜かします。」

 でも、と彼女は笑い顔を消して、また町を見た。

「”操心”を使った者を呼び出せるかも知れません。」


2022/03/18

第6部 訪問者    12

  リカルド・モンタルボ教授の居場所を突き止めるのは造作無かった。ギャラガ少尉が申請書を何度も審査したので教授の携帯電話の番号を暗記していたのだ。彼が電話を掛けると、教授は宿泊しているホテルを教えてくれた。港から見えている2階建ての小さな宿だった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が訪問すると、モンタルボ教授はロビーで出迎えた。気の毒なことに顔に殴打された跡が青黒く残っていた。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンも間もなく来ます。」

と教授は言い、ホテルが営業しているカフェの屋外席に少佐と少尉を案内した。
 テーブルを囲んで座ると、少佐が見舞いの言葉を言った。教授はグラシャスと答え、それから腹立たしげに襲撃者を罵った。ギャラガが彼を遮った。

「犯人に心当たりはありませんか?」
「ありません。」

 モンタルボ教授は憮然とした声で言った。

「アンダーソンはアイヴァン・ロイドが差し向けた連中だろうと言ってましたが、私はそんな連中のことなど知りません。」
「アイヴァン・ロイド?」

 少佐がその人物のことを訊こうとした時、教授が道の向こうからやって来る人物に気がつて、手を大きく振った。早く来いと合図したのだ。ギャラガがその方角を見たが、少佐は無視した。ギャラガは背が高い白人が歩いて来るのを見た。その後ろの連れらしい男もやはり背が高く、そちらはアフリカ系だった。アメリカ人だな、とギャラガは思った。
 アンダーソンとブラッド・ジェファーソンと言う2人の男がテーブルのそばに来た。モンタルボ教授が彼等を大統領警護隊に紹介した。

「アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏とジェファーソン氏です。アンダーソン氏は会社の代表で今回の撮影の監督、ジェファーソン氏はソナー係です。」

 教授は大統領警護隊の2人を紹介しようとした。ケツァル少佐が自己紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐とギャラガ少尉です。今回の襲撃事件の捜査を担当しています。」

 所属部署について言及しなかった。モンタルボ教授が何か言いかけたので、ギャラガが咳払いして教授の視線を己に向けさせた。

ーー黙っていろ。

 ”操心”を使ってみると、教授はあっさり術に掛かった。ケツァル少佐はギャラガが微かに気を発したことに気がついたが、彼が何も言わないので無視することにした。
 アンダーソンとジェファーソンも額に絆創膏を貼ったり、顔面に部分的青痣を作っていた。少佐は彼等を隣のテーブルに着かせ、襲撃当時の様子を聞き取った。
 モンタルボ教授と助手達5名、そしてアンビシャス・カンパニーの社員達10名はチャーターしたクルーズ船で水中遺跡がある海面へ出かけた。ジェファーソンがソナーで海底の地形を調べ、建造物らしきものと思われる地形の上でカメラを水中に入れた。アンダーソンはカメラマンと共に潜った。モンタルボ教授とジェファーソンが船上から指示を出し、潜水チームは大学の助手達も含めて約5名から7名、交代で潜って海底の様子を撮影した。船上のサポート班はサメの警戒をして、ボートを1艘出して海面で待機する者とクルーザーに残る者に分かれた。
 モンタルボ教授が船上のモニターで見た海底の様子を説明しようとしたが、ケツァル少佐は断った。事件の詳細に直接関係ないからだ。
 港に戻ったのは午後4時を少し過ぎた頃だった。クルーザーを係留して、機材を下ろし終えた時、突堤の入り口にワゴン車が2台止まっていることにアンダーソンが気がついた。いつからその車がそこにいたのか覚えていない、と彼はケツァル少佐に言った。彼等自身の車はワゴン車の向こう側で駐車していたので、荷物を運ぶのに邪魔だと思い、ワゴン車を移動してもらうよう社員を頼みに行かせた。ところがその社員が相手の車に十分な距離まで近づかないうちに、ワゴン車から目出し帽にバットや棍棒を持った男達がパラパラと降りてきて、いきなり社員を殴った。そしてクルーザーに向かって走って来た。アンダーソンは銃を持っていたが、その時は手元ではなく手荷物の中に入れたままだった。取り出す暇もなくバットか何かで殴られた。モンタルボ教授が抗議の声を上げたが、暴漢達は無言のまま調査スタッフを殴り、機材を奪うとワゴン車に乗り込んで走り去った。

「警察に電話をする暇もありませんでした。」

とアンダーソンが見事なスペイン語で語った。ギャラガが暴漢の特徴を尋ねると、彼等は互いに顔を見合って考え込んだ。

「服装はバラバラで・・・その辺の男達が目出し帽を被って強盗に変身したとしか思えない。」
「魚の臭いがする男がいました。でも全員じゃない。」
「車のオイルの臭いがする男もいたなぁ。」
「年寄りもいたような気がします。若いのもいたし・・・」

 ギャラガが少佐に言った。

「金を与えて急拵えの強盗団を結成した感じですね。」

 少佐は直ぐには同意を示さなかったが、数秒おいて頷いた。ギャラガは彼女が別の意見を持ったな、と察した。

「襲撃者の心当たりはありますか?」

 モンタルボ教授は首を傾げたが、アンダーソンが答えた。

「アイヴァン・ロイドじゃないかと思うのです。」
「誰?」
「我が社と競合している動画サイトを運営する男です。伝説や物語の実証と言うテーマで秘境や危険な場所へ行って動画を撮影し、配信する仕事をしています。我が社の動向を見張っていて、先回りして映像を配信するので、こちらの商売の邪魔なのです。」
「その人物があなた方が撮影した映像を盗み、配信しようとしていると、貴方は考えるのですね?」
「いや、きっと宝が写っていないか確認したいのでしょう。沈没船らしきものや古代の宝物らしき物が写っていたら、自分で潜るんですよ。だが、金を使い危険を冒して前調査はしたくない、そんなヤツです。」

 アンダーソンは怒りを声に滲ませた。

「憲兵隊にも言ったんですがね、ロイドの顔も居場所もわからないんじゃ探しようがないと言うんです。」
「アイヴァン・ロイドが本名だと言う証明もないでしょう。」

 少佐は腰を浮かしかけた。当事者から集められる証言はこれ以上出て来ないと判断した。
 ギャラガがモンタルボ教授に尋ねた。

「発掘調査を続けますか?」
「勿論です。」

 モンタルボ教授が憮然とした態度で言った。

「船上モニターで見た海の底の様子は私の頭の中に残っています。スポンサーのビエントデルスール社と相談して援助をまだしてもらえるか交渉します。」

 それ以上のことは大統領警護隊の関知しないことだ。ケツァル少佐とギャラガ少尉は聞き取りの協力に対する感謝の言葉を告げ、カフェから出た。
 
「襲撃者は金で雇われた者でないとお考えですか?」

とギャラガが歩きながら質問した。少佐が囁いた。

「”操心”で動かされた可能性も考えられます。」
「では、襲撃を指図したのは一族の人間?」

 ギャラガは驚いた。少佐が難しい顔をして道の向こうを見つめた。

「貴方が昨夜ダウンロードしてくれた海底の地形図を見て、奇妙な印象を受けました。8世紀の祖先達がどんな方法であの岬を沈めたのか、調べてみる必要があるかも知れません。もしかすると、それを知られたくない一族の人々がいる可能性もあります。」


2022/03/17

第6部 訪問者    11

  アンドレ・ギャラガ少尉が目を覚まして共有スペースに出て来ると、ケツァル少佐は彼を同伴して陸軍国境警備班の宿舎へ行き、そこの食堂で朝食を取った。陸軍側では既に真夜中にグラダ・シティから美人と白人に見える大統領警護隊の隊員が2名やって来たと情報が拡散されていたので、私服姿の彼等を素直に迎え入れた。ギャラガは食事中兵士達の視線を集めていることを感じていた。きっと彼の容姿を見て、本当に大統領警護隊なのか? と疑っているのだろうと推測した。大統領警護隊本部においては、彼の容貌は皆見慣れてしまい珍しいものでないので、最近は揶揄われることもなくなった。カベサ・ロハ(赤い頭)と言う渾名は聞かれなくなり、新たに「エル・パハロ・ブランコ」(白い鳥)と呼ばれるようになった。アスルなどは「正確には白い緑の鳥だろう」とややこしいことを言う始末だ。実際、昨年国境警備隊に配属されたギャラガの同期生が1人いて、出かける前に共有スペースで出会した時、そいつは同僚に彼を紹介した。

「こいつ、エル・パハロ・ブランコって呼ばれているんだ。だけど、エル・ジャガー・ネグロなんだぜ。」

 白人の姿をしたグラダ族だって?と同僚が驚いていた。ギャラガは面倒臭かったので、よろしく、とだけ挨拶して少佐を追いかけた。
 陸軍の食堂のご飯は特に美味と言うほどでなく、雇われコックが大雑把に作っているのだろうと窺われた。もしかするとパエス少尉はこの味付けが気に入らないのかも知れない。フレータ少尉の料理が懐かしいに違いない。
 食事が終わるとケツァル少佐とギャラガ少尉は港へ出かけた。小さな国境の町は徒歩でも半日あれば一周してしまえそうだ。
 グリン大尉の情報にあった風景を探すとすぐに見つかった。ビーチから少し南に行った海岸で水深があるので大型クルーザーでも着岸出来る突堤が2本海に突き出していた。港とビーチの間に岩礁があり、ギャラガが岩礁と水没した岬の盛り上がりが砂を溜めてビーチを形成したのでしょうと言った。ビーチの中央辺りに小さな川が海に流れ込んでいた。川と言うより町の余剰水を海に流している溝みたいな役割の水路だ。

「不自然にここだけ深いのですね。」

と少佐が感想を述べると、ギャラガは綺麗な海水の底を眺めた。

「人工的に掘ったようにも見えます。カラコルが沈んでしまったので、新しく港を造ろうとしたのではないですか。しかし結局往年の繁栄は取り戻せなかった。」

 沖も深いので、自然の海底地形を利用して急拵えの港を造ったのだろう、と彼等は思った。
 突堤はハイウェイから数本の枝道を使ってアプローチ出来たので、襲撃者がどこから来たのか現場を見ただけでは特定出来なかった。ギャラガがコンクリートの地面をじっくりと観察した。

「見たところ血痕が落ちている様子はありません。怪我人が出たと言っていましたが、出血するような傷でなさそうです。」
「打撲ですから、痛いのは変わらないでしょう。」

 少佐は海に面して並んでいる宿屋や小さなホテルを眺めた。モンタルボ教授はまだクエバ・ネグラに滞在している筈だ。アンビシャス・カンパニーの人間もいるだろうか。
 心地よい風が海から吹いていた。ギャラガが沖を眺めていたので、泳ぎたいですか、と訊くと、彼は肩をすくめた。

「グラダ・シティから南のビーチとここはちょっと雰囲気が違います。変なことを言うようですが、私はここの海が気持ち悪いです。」

 ケツァル少佐は思わず少尉の顔を見た。海が好きなギャラガが気持ち悪いと言う。ヴェルデ・シエロは同胞の感じたことを無視しない。誰か一人でも「悪い予感がする」と言えば、全員が警戒する。少佐は気持ちを引き締めた。
 

第6部 訪問者    10

  東の水平線の向こうが微かに明るくなった頃合いに、一人の女性隊員が検問所から戻って来た。階級は大尉で、ケツァル少佐は彼女がクエバ・ネグラの国境警備隊の指揮官だとわかった。少佐は私服だったので、故意に気を発して己が何者かアピールして彼女を迎えた。大尉が彼女の前で直立して挨拶した。

「クエバ・ネグラ国境警備隊を指揮しておりますバレリア・グリン大尉です。グラダ・シティからの出動、感謝します。」
「文化保護担当部のシータ・ケツァル・ミゲール少佐です。司令部の指示により、サン・レオカディオ大学発掘隊襲撃事件を調査に来ました。暫くこの宿舎を宿泊に使用させてもらいますが、貴官達の業務に口を出すことはしませんので、我々の行動にも世話や口出しは無用です。」

 グリン大尉は微笑し、”心話”を求めた。少佐が応じると、大尉は昨夕に起きた事件のあらましを報告してくれた。
 サン・レオカディオ大学発掘隊はモンタルボ教授と5名の助手、それにアンビシャス・カンパニーと言うP R動画制作会社のスタッフ10名が昨日の昼間、船をチャーターして、8世紀頃に岬が水没したと伝えられる海域を数往復して水中カメラで海の底を撮影した。午後4時過ぎに彼等はクエバ・ネグラ港に戻り、ホテルで映像編集を行おうと機材などを運ぶ為に車を突堤に置いて、荷物を船から下ろしていた。そこへ2台のワゴン車が来て、停車するなりワゴン車から数人の男達(目出し帽を被っていたらしい)が降りて来て、撮影機材を奪おうとした。教授と仲間達は相手が銃を持っていないと判断して抵抗したが、相手はバットや棍棒を持っており、殴打され、結局撮影機材を奪われ、人も怪我をした。
 モンタルボ教授は警察に連絡を入れ、ついでに大統領警護隊にも通報した。彼が使った大統領警護隊の番号は国境警備隊オフィスのものだったので、グリン大尉は管轄外の犯罪の通報にちょっと困惑した。通報者は考古学者で発掘作業の事前調査だと言った。それで大尉は本部に連絡を入れ、文化保護担当部に任せようと思った。
 事情を理解したケツァル少佐も、彼女に情報を分けた。モンタルボ教授には発掘申請を出す段階で数件の奇妙な協力の申し出や問合せ電話があったことだ。
 グリン大尉が苦笑した。

「ここの海で宝を積んだ船が沈んでいると言う噂があれば、とっくの昔にトレジャーハンターが集まっていたでしょう。カラコルがあったと言われる海域はサメが多く、ここのビーチは綺麗ですが、浅瀬で水遊びをする程度で深度があるところで泳ぐ人間はいません。水中の宝物や沈没船を見たり聞いたりした人はいません。」
「そうでしょう。文化・教育省の文化財遺跡担当課にもその様な記録はないそうですし、建設省交通部に沈没船のマップがありますが、そこにもここの海域は何もマークされていません。」
「私は仕事柄麻薬か密輸関係の品物を誰かが海底に隠したか落としたのではないかと考えています。しかしサメが多く出没する海に部下や陸軍水上部隊や沿岸警備隊に潜れとは言いたくありません。」

 そして彼女はケツァル少佐に顔を近づけ、声を低めた。

「一月ほど前に、地元の漁師と観光客が釣り上げたサメから、人間の体の一部が出て来ました。」
「知っています。友人が偶然仕事でこちらを訪れていた時に、浜に揚げられたそうです。」
「そうでしたか。では、乗り捨てられた盗難車が同時期にあったことはご存知ですか?」
「それも聞きました。盗難車とサメの犠牲者に何か関連があるのですか?」
「物証はないのですが、犠牲者の身元が全く不明のままであることと、盗難車を乗り捨てた人物が見つからないことで、両者が同一人物ではないかと憲兵隊が憶測を立てているそうです。国境警備隊は盗難車は密出国者が乗り捨てたのではないかと考えていますが。」

 ケツァル少佐が、それが真っ当な考えだと言うと、大尉は頷いた。

「ただ、その盗難車を乗り捨てた人間と同一人物なのか、これも不明なのですが、車が発見場所に置かれた日に、浜辺で漁師のボートが一艘盗まれました。船外モーター付きの簡単な小型の釣り船です。それが2日後に国境の向こう側の浜辺で転覆した状態で打ち上げられたのです。隣国のオフィスと話し合った結果、密出国者が車を盗んで乗り捨て、ボートを盗んで海から越境しようとして波で転覆し、サメに襲われたのではないかと言うことになり、我々が盗難車を押収しました。」
「そして実際にサメから死体が出たのですね。」
「その通りです。でもこれは考古学者襲撃事件とは関連ないと思います。我々にとって完結した事案です。」

 少佐はグラシャスと言った。グリン大尉が、陸軍側の食堂で食事が取れることを教えてくれた。

「我が方では軽食を温める程度の厨房です。ハラールを気にしなければ、陸軍の食堂で十分ですから。」

 そこでふとケツァル少佐はパエス少尉を思い出した。彼がいた太平洋警備室の厨房ではきちんとハラールの儀式を毎回行ってから調理していたそうだ。それでさりげなく言った。

「先程案内してくれたパエス少尉が前に勤務していた太平洋警備室はハラールを行っていたそうですよ。」

 ああ、とグリン大尉がちょっと困惑した顔をした。

「それが些細な問題を引き起こしました。ここへ着任した当日に彼が陸軍の食堂の食事は食べられないと言い出し、他の隊員達の反発を招いてしまいました。我々は一族の文化を否定する気はありません。しかし国境警備は多忙です。クチナ基地では儀式を行って調理していますが、ここのオフィスは指揮官少佐の許可の元で省略しているのです。陸軍側に強制する権利を持っていませんし、”ティエラ”もハラールの文化を持っていますがクエバ・ネグラの陸軍国境警備班では儀式を行わないのです。理由は我々と同じです。」
「パエス少尉は孤立しているのですか?」
「勤務中は命令に従いますし、同僚とも協力し合っています。しかしプライベイトな時間は一人ですね。奥様を同伴されて部屋を近くに借りているようで、非番の日はそちらへ帰ってしまい、同僚と過ごすことはありません。」

 グリン大尉は若い。年齢的にはパエス少尉とあまり変わらないだろう。彼女はパエス少尉の転属の理由を知らされていた。だからパエス少尉がこのまま国境の町で退役まで暮らすのであれば、同僚と仲良くなって欲しいと願っていた。
 彼女の正直な気持ちを”心話”で伝えられたケツァル少佐は、彼女を励ました。

「貴女が良い指揮官となる試練ですよ。」


2022/03/16

第6部 訪問者    9

  宿舎の入り口を入ったところが隊員達の共有空間なのだろう、古いソファが2台と低いテーブルが置かれ、部屋の端のテレビだけが新しい大型液晶画面だった。パエス少尉が空き部屋がありますと言ったが、ケツァル少佐はギャラガ少尉だけをその部屋へ行かせた。彼女自身は共有スペースのソファに座り、ギャラガが彼女の携帯に転送したクエバ・ネグラ周辺の地図を画面に出して眺め始めた。パエス少尉が戻って来て、コーヒーは如何ですかと尋ねた。少佐が顔を上げて彼を見た。

「貴方は今夜の夜勤当番ですか?」
「ノ、当番はゲイトにいます。私はここで1番の新参者なので、電話や訪問者があれば夜中でも応対する役目になっています。」

 ケツァル少佐はその返答の内容が気に入らなかった。隊員の入れ替えがある迄パエス少尉はずっと夜中の電話番ではないか。

「北部国境警備隊の指揮官はレナト・オルテガ少佐でしたね?」
「スィ。少佐はクチナにいらっしゃいます。」

 クチナは北部の国境線の丁度中央に当たる位置で、道路はないのだが平坦な地面の谷になっており、ラバの様な動物なら歩き易い土地だ。隣国から時々越境して来る人間がいるので、国境警備隊はそこに基地を置いた。緩やかな谷間を挟んで反対側に隣国の国境警備隊が同様の基地を置いている。クエバ・ネグラや西側のオルガ・グランデ北部の様な隣国の兵士との交流はない。
 ケツァル少佐は新入り虐めの様なパエス少尉の待遇をオルテガ少佐に問い質してみようと思った。それともこれはクエバ・ネグラだけの行為なのだろうか。

「コーヒーは今は結構です。貴方は休みなさい。」
「グラシャス。」

 パエス少尉は敬礼して廊下に姿を消した。
 ケツァル少佐はもう一度地図を見た。ギャラガは数種類の地図をダウンロードしており、海底の地形図まであった。それを見ると、確かにクエバ・ネグラから沖に向かって岬の様に伸びている浅い部分が見て取れた。岸に近いところは幅1キロ程か。一番沖までが3キロ程、舌の様な形だ。岬全体がストンと落ちた様に見えた。地震があった時代のヴェルデ・シエロ全員が同時にカラコルの消滅を祈ったとして、こんなに綺麗に地面が沈下するだろうか。そもそもヴェルデ・シエロの呪いはそこまで強力なのだろうか。現代に生きているヴェルデ・シエロの中で最強と言われる純血のグラダ族ケツァル少佐は考え込んだ。建造物の破壊なら簡単だろう。しかし地面を陥没させるのはどうだろう。下に空洞があれば別だが、普通の地面なら物理的に矛盾が・・・。そこまで考えて彼女は、カラコルと言う単語の意味を思い出した。「筒の上」だ。カラコルの都市が建設された岬はどんな地形だったのだ?
 彼女はオルガ・グランデの地下を思い出してみた。金鉱石を掘り出す為に縦横無尽に坑道が掘られている。3本の大きな地下川が流れている。もし大きな地震が起きれば確実に致命的被害が出る。しかし、オルガ・グランデの街全体がストンと落ちることはないだろう。
 もしカラコルに最初に街を造った人々が、岬の地下が空洞だと知っていたのなら、物凄く愚かな行為をやってのけたことになる。地震と火山がある国だ。暴風雨も来る。災害の多い海岸、地下に空洞を抱える岬に大きな街を造った人々。建設したのは何者だ?

第6部 訪問者    8

  上官からの突然の呼び出しにすぐに応じられるのが優秀な軍人だ。アンドレ・ギャラガ少尉は必要最低限の宿泊装備等荷物を入れたリュックを常に持ち歩いている。指定された場所に現れた彼は、微かに中国料理の匂いを漂わせていたので、ケツァル少佐は思わず失笑した。彼と同行していたアスルはテオドール・アルストの家に帰って行った。
 ”心話”で司令部からの情報を伝えられたギャラガは、すぐにクエバ・ネグラの街と海域の地図を検索した。

「襲撃場所は陸上ですか、海上ですか?」
「事件発生は夜になってからですから、陸上だと思います。暗くなってから海の底を見たりしないでしょう。」

 ケツァル少佐はベンツの助手席に彼を乗せ、現地に到着する迄眠るようにと命じた。ギャラガはまだ上官のベンツの運転をさせてもらったことがない。

「ハイウェイ上を走る間は私が運転します、少佐。」
「では、お願いします。私は少し飲んでいるので。」

 ギャラガは運転を申し出て良かった、と内心安堵した。少佐が後部席に移り、ギャラガは初めて運転席に座った。そして座席やステアリングを調整すると、走り出した。少佐はすぐ眠ってしまった。月曜日の夜のセルバ東海岸縦貫ハイウェイは空いていた。ギャラガは快調にベンツを運転して、夜が明けきらぬうちに国境の町クエバ・ネグラの市街地に入った。彼はベンツを国境警備隊の宿舎がある小高い丘へ向けた。町と海岸を見下ろせる場所だ。
 低いフェンスに囲まれた建物が2棟あり、門から向かって左が大統領警護隊、右が陸軍国境警備班だ。ギャラガは声を発した。

「国境警備隊の宿舎前に来ました。これからどこへ行きますか?」

 少佐がむっくりと体を起こした。窓の外を見て言った。

「夜明けまでここで休憩しましょう。貴方は眠らなければいけません。」

 ギャラガは門迄車を進めた。門衛は陸軍兵で、大統領警護隊の徽章を見せるとすぐに宿舎に電話をかけた。そして返答をもらうと、ギャラガに「どうぞ」と言った。

「宿舎の中に入っていただいて良いそうです。」
「グラシャス。」

 ベンツは門の中に進み、軍用車両が並んでいる端に止まった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が荷物を持って車外に出ると、左の宿舎から兵士が一人出てきた。ケツァル少佐は初対面だったが、彼がルカ・パエス少尉だとすぐわかった。キロス退役中佐やフレータ少尉の”心話”で顔を見たことがあった。

「文化保護担当部の指揮官ミゲール少佐とギャラガ少尉です。司令部の指示で発掘調査隊襲撃事件の捜査に来ました。」

 パエス少尉が敬礼した。

「国境警備隊パエス少尉です。ミゲール少佐とギャラガ少尉の出動に感謝します。」

 彼は建物の入り口を手で示した。

「中でお休み下さい。日が昇らないことには世間は動き出しませんから。」


第6部 訪問者    7

  その夜、テオは仕事を終えると大統領警護隊文化保護担当部の友人達を夕食に誘った。誘いに応じてくれたのはケツァル少佐、ロホ、そしてデネロス少尉だった。アスルとギャラガ少尉はサッカーの練習があると言って別行動だった。

「本当にサッカーに行ったのかどうか、わかったもんじゃありません。」

とデネロスが囁いた。

「最近、あの2人は中国の焼きそばにハマっていて、あちらこちらの店を食べ歩いているんです。」

 彼女の「密告」にテオ達は大笑いした。

「ラーメンじゃなくて、焼きそばかい?」
「スィ。麺の焦げた部分が美味しいそうです。」

 部下達に焼きそばの味を教えた張本人であるケツァル少佐が「責任を感じる」と発言したので、またテオ達は笑った。
 いつものようにバルの梯子をしながら、テオはカルロ・ステファン大尉が無事に3ヶ月の太平洋警備室厨房勤務を終えて首都に帰還したことを告げた。友人達と共にステファンが無事に任務を務め上げたことを喜び、太平洋警備室が新規一転で新しい指揮官と隊員達が地元民と上手くやっていくことを願って乾杯した。
 オルガ・グランデ近辺の遺跡に行くことがあれば、太平洋警備室を覗いて見ることも大事だろうとロホが提案した。本部やグラダ・シティ周辺の同胞から忘れられていると思わせてはならない。リモートの定時報告だけの接触では指揮官も孤独だろう。
 お腹が満たされる頃に、ケツァル少佐の電話に着信があった。少佐がポケットから電話を出し、かけてきた相手を見て、ギョッとなった。急いで店の外に出て行ったので、テオはロホを見た。デネロスもロホを見た。ロホは憶測を言葉に出す人ではないが、この時は少佐の電話の相手に見当がついた。

「司令部からでしょう。」

 彼はバルのスタッフに精算を依頼した。食事代をまとめて払い、それから仲間に店を出ようと合図した。
 テオ達が外に出ると、歩道の端で少佐が電話で話をしていた。意見を言うのではなく、ひたすら相槌を打ち、最後に「承知しました」と言って通話を終えた。デネロスが呟いた。

「深刻そう・・・」

 少佐が仲間のところへ戻って来た。ロホが代表して質問した。

「命令が出ましたか?」
「スィ。」

 少佐はテオをチラリと見た。民間人なのでテオが遠慮して距離を空けようとする前に彼女は言った。

「クエバ・ネグラのモンタルボ教授の調査隊が何者かに襲われたそうです。」

 一同は驚いた。モンタルボ教授はまだ本格的な発掘調査に取り掛かっていない。雨季明けに調査を始める前段階として、最初の発掘範囲を決めるために船の上からカメラを下ろして水中を撮影し、ダイバーが遺跡に触れることはしていない筈だった。トレジャーハンターが欲しがる物と言えば、撮影した画像だろうが、襲撃して奪う価値があるのだろうか。

「怪我人が出たのですか?」

 デネロスの質問に少佐は3人と答えた。

「教授は無事でしたが、助手が2名と撮影スタッフ1名が襲撃者に殴られて軽傷を負ったそうです。国境警備隊から本部への連絡でしたから、本部もその程度の情報しか得ていません。恐らく憲兵隊の方が詳しいでしょう。国境警備隊は遺跡発掘関係者の事件なので、文化保護担当部に知らせておくようにと本部に通報したのです。」
「それはつまり・・・」

 ロホが苦い顔をした。

「我々が発掘調査隊の警護を怠ったと言いたい訳ですね。」
「しかし、発掘はまだだろう? モンタルボは事前調査まで申請内容に含めていたのか?」

 テオの質問に、少佐が指を向けた。

「事前調査は申請内容に入っていません。地上遺跡と違って海面から下を覗くだけですから。我々の警護責任はまだ発生していません。」
「本部は何て言って来たんです?」

 デネロスが不安気に尋ねた。サン・レオカディオ大学発掘隊の警護で船に乗るのは御免被るとその顔が訴えていた。
 少佐が溜め息をついた。

「警護ではなく襲撃者の正体を突き止めよとエルドラン中佐が仰せです。もし我々が動かないのなら、遊撃班を送るそうです。」
「遊撃班は遺跡の知識がありません。カルロはまだ厨房勤務ですから、残りは考古学のど素人ばかりですよ。」

とロホ。

「行くしかないですね。」

と少佐がまた溜め息をついた。雨季前なので雨季明けの発掘申請が多い季節なのだ。

「私が行きます。ロホは指揮官代行をなさい。最終の署名は私がしますが、再検討が必要ないよう、しっかり予算検討を詰めておきなさい。」
「承知しました。」
「マハルダは近郊遺跡の巡回監視をしっかりとしておくこと。こそ泥は容赦しない。」
「承知しました。」
「アスルは申請受付です。今回はアンドレを連れて行きます。」
「アンドレをですか?」
「あの子は海で泳げます。」

 ああ、とロホとデネロスが納得した。
 テオは当然ではあるが蚊帳の外感が拭えなかった。こんな時は民間人であることが寂しい。

「遺伝子分析が必要な捜査はないのかなぁ・・・」

 しかし、デネロスが学生らしい意見を言った。

「アルスト先生は期末試験の準備で忙しいでしょ?」

 そうだ、その仕事がこれから始まるのだ。テオはがっくりときた。



2022/03/15

第6部 訪問者    6

  テオが週末をエル・ティティで過ごし、月曜日の午前にグラダ・シティに戻ると、自宅に客がいた。同居人のアスルは仕事に行っているから、客は無断で入っていたのだ。テオが居間に入るとソファの上でだらしなく手足を伸ばして眠りこけていた。床に大きなリュックサックが置かれていて、微かに潮の匂いがした。テオは午後から大学に出るつもりだったので、荷物を寝室に放り込み、シャワーを浴びた。さっぱりして居間に戻ると、客が目を覚まして起き上がっていた。互いに「Bienvenido de nuevo」と挨拶を交わした。

「これから昼飯に行くけど、一緒に来るかい?」

とテオが声をかけると、カルロ・ステファン大尉は「お供します」と言って、己の荷物を持ち上げた。2人でテオの車に乗り込んだ。
 昼食は途中で見つけた店で取った。テオは人員が入れ替わった太平洋警備室の様子を聞いてみた。ステファンは肩をすくめた。

「本部から派遣されて来た連中です。指揮官以下全部で6人。やっと地理とアカチャ族と港湾労働者達に慣れてきたところですよ。本部にいた時は市民と接する機会があまりなかったですが、外の仕事ではそうもいきません。私は新しい指揮官のコリア中佐に積極的に村民と交流した方が良いと進言しました。」
「聞いてくれたかい?」
「コリア中佐はグラダ・シティのブーカ族です。彼が連れて来た部下達も東部出身者ばかりで、西海岸地方の気候風土が珍しいのでしょう、オフィスの外の巡回が面白くて仕方がない様子でした。」
「それじゃ、村民や陸軍水上部隊、沿岸警備隊、港湾労働者達と接する機会が多いだろうな。」
「スィ。私のアドバイスは不要だったと思います。それに2名女性隊員がいて、早速センディーノ医師と親しくなっていました。」
「厨房は?」
「指揮官以外の全員で順番に担当しています。ですから私はハラールを教えておきました。」

 閉塞的だった大統領警護隊太平洋警備室は隊員全員が入れ替わり、雰囲気がすっかり変わったようだ。テオは少し安心して、ガルソン中尉が警備班車両部にいることを伝えた。ステファン大尉がちょっと困った表情になった。

「車両部ですか。すると遊撃班が外へ出動する時は顔を合わせますね。」
「気まずいかい? 現在の太平洋警備室の様子を教えてやれば、彼も少し安心するんじゃないか? それにフレータ少尉は南部国境で勤務している。電話で話した時、新しい職場の仕事が楽しいと言っていた。パエス少尉も北部国境で元気に働いているところに出会った。話をする時間は殆どなかったけど、クエバ・ネグラの検問所オフィスにいる。それからキロス中佐は退役して子供に体操を教える仕事を始めたそうだ。健康を取り戻して元気にしている。」

 それでステファン大尉も安堵の表情になった。

「彼等がどうなったのか、本部は教えてくれませんから、貴方の報告で安心しました。ガルソンの家族が村から出て行ったことは知っています。」
「彼の家族はトゥパム地区に住まいを見つけて引っ越して来ている。ガルソンは家族持ちなので2週間に1日休日を貰えて、家族と一緒に過ごしているって。」

 ステファン大尉がちょっと拗ねた表情になった。

「それは、私に当て擦りですか?」
「カタリナとグラシエラに会いに行っていないのか?」
「お袋には電話をしていました。残りの3ヶ月の厨房勤めが終われば、休暇をもらえるので、その時に実家で暢んびりさせてもらいます。」
「それじゃ安心だ。俺の気掛かりはパエスの家族だ。まだ村にいるのか?」
「彼は少尉に降格でしたね。給料も下げられた筈です。家族を養うのは厳しい。彼の子供は妻の連れ子でしたから、妻の実家が子供を引き取って、妻だけ夫と共に村を出たそうです。それ以上のことは私も知りません。」

 現実はパエス少尉には厳しかったようだ。ガルソンだって給料を下げられただろう。本部に嘘をついた3年間の代償は大きかった。
 食事を終えて店を出ると、テオは大統領警護隊本部へステファンを送って行った。大尉が文化保護担当部の面々は元気ですか、と訊いたので、全員元気だと答えた。ふと悪戯心が出て、ポケットに入れていた香水の小瓶を出した。

「ちょっと嗅いでみてくれないか?」

 ステファン大尉が怪訝な顔をして小瓶を受け取り、蓋を取った。途端にクシャミをした。

「何ですか、この強烈な・・・ハックション!」

 テオは蓋を閉めろと言い、ジャガーがアレルギーを起こすブタクサの香水だと説明した。ステファンが怒ったふりをした。

「変な物を買わないで下さい。」


第6部 訪問者    5

  Ambrosia artemisiifolia と書かれたラベルをフィデル・ケサダ教授が険しい目付きで見つめているので、テオは苦笑した。

「焼畑農耕民がジャガーの襲撃を避ける為の苦肉の策として、北米のブタクサを移植した様です。毒ではありませんが、花粉が飛散するシーズンになるとアメリカでもアレルギー症状で悩む人口が増えます。」
「するとヴェルデ・シエロでなくてもクシャミが出るのですね?」
「スィ。北米では珍しくない季節的な病気です。香水の成分になるような香りはありませんが、薬効はあるみたいです。」

 小瓶の底に溜まると言うより付着していると表現した方が良い微量な物質を嫌らしそうに見ながら、ケサダ教授は小瓶をカフェのテーブルの上に置いた。

「どんなルートでその小間物屋の先祖が手に入れたのか知りませんが、私は出土物の中にその植物の種が入っていないことを願います。」
「交易で齎されたと言うより、何かの荷物に種が付着して運ばれて来たのでしょう。」

 テオは小瓶をポケットに仕舞った。まだ研究室に香水が残っているが、処分を決めかねていた。量が少ない割に高かったので、捨てる決心がついていなかった。

「兎に角、人体に毒となる物でないことは確かです。」

と彼が締めくくった時、ケサダ教授を呼ぶ声が近づいて来た。テオとケサダ教授が同時にその方向を見ると、ンゲマ准教授がやって来るのが見えた。年齢は教授の方が5歳ほど上だと聞いているが、ンゲマ准教授の方が年嵩に見えた。体型と顔つきが実年齢より老けて見える原因だろうとテオは思った。
 ンゲマ准教授はテーブルのそばに来ると、テオに挨拶をしてから、恩師に向き直った。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボが早速船を出したそうです。なんでも、雨季明けから調査に入る範囲を決めておく為だとかで、遺跡には触らずに水中から建造物の撮影をすると言っているそうです。」
「それで君は何を慌てているのだ?」

 水中遺跡に興味がない教授が落ち着いた声で尋ねると、ンゲマ准教授は焦ったそうに言った。

「かなりの人数の撮影隊を引き連れているそうです。映画を撮るとかなんとか・・・」
「好きにさせておけば良い。」
「もしあの海中遺跡が本当にカラコルだったら、私立大学に調査されるなんて、悔しいじゃないですか!」

 テオとケサダ教授はンゲマ准教授の汗ばんだ顔を見上げた。思わずテオは声をかけた。

「貴方はカラコルを見つけたかったんですか?」

 ンゲマ准教授はドキッとした。ちょっと退いたが、それが彼の本音を代弁していた。ケサダ教授が弟子の気持ちを察した。

「未発見の伝説の街を見つけるのは、考古学者の夢ですよ、ドクトル・アルスト。ハイメは伝承を頼りにジャングルを歩き回るが、まだ大きな発見をしていない。しかし、海は専門外なのだから、傍観者に徹した方が良いな。」

 宥めてやんわり叱っている。ハイメ・ンゲマに自分が追い求める物を最後まで諦めるなと注意したのだ。ンゲマ准教授はメディアが大きく取り上げる私立大学の活躍が悔しいのだろう。テオは彼の気持ちを切り替えさせようと質問した。

「貴方は何を探していらっしゃるのです?」

 ンゲマ准教授が溜め息をついてから答えた。

「サラの完璧な遺構です。」

 サラとは、先住民が裁判に使用した洞窟だ。天然もしくは人口的な洞窟をほぼ完全な円形に整え、天井中央に穴を開ける。罪人をその穴の下に立たせ、上から石を落とす。罪人が無傷なら無罪、死んだり怪我をすれば有罪とした、昔の裁判方法だ。但し、これは石を罪人に直撃させるのではなく、罪人は天井の穴から少しだけ離れた場所に立たされる。石が落下した衝撃で飛散する石の破片での傷を見て、判決を下すので、「風の刃の審判」と呼ばれる古代セルバ独特の裁判方法だ。尤もこれはヴェルデ・ティエラの裁判で、ヴェルデ・シエロのやり方ではない。サラと呼ばれるその円形洞窟は裁判のために天井に穴を穿つ。その為に使用されなくなったら天井部分の崩落が起こり、現代それが完璧に残る遺跡がまだ発見されていないのだ。オクタカス遺跡でテオはその完璧な遺跡を目撃したのだが、ある事件で天井を塞いでいた石が落とされてしまい、穴が開いてしまった。雨季が迫っており、サラの底に溜まったコウモリの汚物から外の遺跡を保護するために、大統領警護隊はサラの円形部分を爆破して人為的に崩落させてしまったのだ。ンゲマ准教授はその報告を受けた時泣いて悔しがったと言う話が、グラダ大学考古学部の新しい歴史の1ページに書き加えられたのだ。

「見つかると良いですね。」

 とテオは准教授を慰めた。

「俺もオクタカスでせめて写真を撮っておけば良かったと後悔しています。」

 ンゲマ准教授が首を振った。

「貴方は落盤事故で危うく大怪我をなさるところだったのでしょう。写真なんて撮っていたら、命を失っているところでしたよ、きっと。」

 いや、もっと余裕があった、とテオは思ったが、言葉に出さなかった。何もかもお見通しと言う風情のケサダ教授は、弟子に囁いた。

「カブラロカは行ったのか?」

 ンゲマ准教授が、ハッとした表情になった。

「あそこはまだ未調査で・・・」
「雨季明けに行ってみなさい。小さな遺跡だが、メサがすぐ背後にある。オクタカスと配置が似ている。」

 ンゲマ准教授は頷き、テオに挨拶して人文学舎の方向へ歩き去った。

「彼は焦っていますね。」

とテオが言うと、教授は苦笑した。

「彼が出席した審議会で申請却下した案件が生き返って動き出したからでしょう。それに対して彼が肩入れしてきたフランス隊は最近不祥事続きだ。モンタルボに嫉妬しているのです。」


 

第6部 訪問者    4

  小間物屋の名前はペケニャ・カンシオン・デ・アモール(小さな恋の歌)と言った。いかにも女性が好みそうな色彩豊かで可愛らしい装飾品や衣装が狭い店内にぎっしりと展示されていた。店主は30代半ばのメスティーソの女性で、地元の学生らしい若い女性グループの接客に忙しそうだった。
 テオは彼女に声をかけ、店内を覗いてみた。香水は奥のガラス張りの小さなショーケースの中に小瓶で販売されていた。6種類あって名前がついているが、ベアトリス・レンドイロ記者が付けていた銘柄は紫色の小瓶に入っていた。値段はコーヒー10杯分だ。
 店主が声をかけて来た。

「何をお探しですか?」

 テオは店の外に立っているケツァル少佐とデネロス少尉を見た。

「友達に贈り物をと思って、香水を選んでいるんだが、どんな香りかテスティング出来るのかな?」
 
 すると店主はそばにやって来て、ショーケースの後ろからテスティング用のスプレイを6本出してきた。そこから選ぶように、と言ってまた先客グループのところへ戻った。
 テオは少佐達を手招きして、サンプルを見せた。

「試してみるかい?」

 少佐がスプレイの1本を手に取り、何もしないで噴出口に鼻を近づけた。そしてすぐに顔から遠ざけた。テオは彼女が可愛らしいクシャミをするのを初めて見た。デネロスが別のスプレイを手にした。彼女は何も感じなかったので、スプレイを空中に一押しした。シトロンの様な爽やかな香りが漂った。少佐もそれは反応しなかった。香りが消える頃に3本目を試し、それも2人は反応しなかった。結局5本は何も起こらず、最初のスプレイをデネロスが最後に試し、やはり彼女もクシャミをした。テオはショーケースを見た。間違いなく紫色の小瓶の香水だ。
  店主が戻ってきた。

「お気に召すものがありましたか?」

 テオは紫色の小瓶を指差した。

「これはどんな成分を使っていますか?」

 店主がニヤリと笑った。

「企業秘密ですわ、セニョール。」

 まぁ、そう言うだろう。テオはアンブロシアと名付けられたその小瓶を1本購入した。
小瓶を小さな可愛らしい箱に入れながら店主が囁いた。

「これは神様を見つける香水なんですよ。」

 テオとケツァル少佐は顔を見合わせた。デネロスは平静を装って黙って立っていた。

「神様を見つけるって・・・」
「私の母方の先祖は南部のジャングルで焼畑をしていた部族なんです。時々ジャングルにジャガーが出没して人や山羊を襲うので、ある種の植物を畑の周囲に植えたそうです。ジャガーはその草自体は平気なのですが、花粉に反応してクシャミをするのですって。だから隠れていてもクシャミで存在がわかるので、ジャガーを見つける草、つまり神様を見つける草と先祖は呼んでいたそうです。」
「その植物の成分がこの香水に入っているのですか?」
「色々な成分を混ぜて作っていますけど、代表してその草の特徴を売りにしています。神様を見つけられたら、幸福が来るじゃないですか。」

 小間物屋を出て、テオとケツァル少佐、デネロス少尉は飲食店街に向かって歩いた。デネロスは最後に噴射した香水アンブロシアの影響がまだ鼻に残っており、ハンカチで顔を押さえていた。

「あんな強烈なものだとは思いませんでした。ケサダ教授が悩まれたのも納得です。」
「恐らく、クシャミが出た学生達も先祖にヴェルデ・シエロが混ざっているんだろう。」

 テオは、ブタクサだよ、と少佐に囁いた。少佐はなんとも言えない情けない表情をして見せて、彼を笑わせた。

「まさかブタクサで神を見分けるとは想像もつきませんでした。」
「農民の知恵だな。勿論畑に出没したのは本物のジャガーだったんだろうけど・・・」

 君達の体質はかなりジャガーに近いんだな、とテオは心の中で思った。デネロスが提案した。

「敵が一族の末裔だったら、この香水を使った武器で撃退出来ませんか?」
「止しなさい、しくじると自滅しますよ。」

 テオは香水の香りが漂う戦場を想像して苦笑した。

「買ってはみたものの、分析して残った香水は捨てるしかないな。」


2022/03/14

第6部 訪問者    3

  夕刻。テオは早めに大学を出て文化・教育省の駐車場に車を置いた。定時に省庁が閉まり、職員達がゾロゾロビルから出て来た。ケツァル少佐は珍しくデネロス少尉と共に階段を下りて来て、彼女も同伴して良いかと訊いた。悪い訳がない。少佐がベンツを使うと言ったので、テオは後から出て来たアスルに己の車のキーを預けた。今日は男の部下は連れて行かないつもりの少佐が、アスルに微笑んで見せた。アスルはギャラガに声をかけ、2人でテオの車に乗り込んだ。最後に出て来たロホがアスルと視線を交わしたので、テオは男の部下3人で何処かへ行くのだろうと予想した。
 ベンツの助手席にテオが座ると、デネロスが後部席に乗り込んだ。

「小間物屋で研究用サンプルを購入って、何の研究なんです?」

とデネロスが車が動き出してすぐに質問した。テオは隠す必要がなかったので、正直に答えた。

「今朝大学に客が来たんだが、その人が強烈な匂いの香水を身に付けていたんだ。俺は匂いがきついと思った程度だったが、以前同じ人がケサダ教授を訪問したことがあって、その時教授と学生数人がクシャミが止まらなくなって困ったことがあった。」

 少佐が運転しながら、ああ、と呟いた。ロホがケサダ教授のクシャミから強大な気の衝撃波を感じ取った話を思い出したのだ。デネロスがまた尋ねた。

「クシャミって、その香水が原因なんですか?」
「それしか原因を思いつかないって教授が言っていたからね。」
「その香水をこれから買いに行くんですね?」
「スィ。」
「それだけなら少佐を誘わなくても・・・」

とデネロスが言いかけた。テオは素早く彼女を遮った。

「その客が大統領警護隊文化保護担当部の隊員と会いたがっているんだ。それに昼に現れた別の人物もやはり君達に繋ぎをつけて欲しいと言ってきた。」
「2組の客ですか?」

 と少佐。テオは「スィ」と答えた。

「どちらもクエバ・ネグラ沖の海中遺跡発掘の現場を取材したいと言うんだ。モンタルボ教授に話を持って行ったら、大統領警護隊の許可をもらえと言われたそうだ。」
「モンタルボ教授は念願の発掘許可を部外者に台無しにされたくないのでしょう。」
「誰なんです、その人達? 香水をつけていたのは女の人ですよね?」

 それでテオはシエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者とアンビシャス・カンパニーと言うPR動画制作会社のチャールズ・アンダーソンと名乗るアメリカ人の話を語った。

「シエンシア・ディアリア? どんな雑誌なんですか?」
「俺も知らない。ショッピングモールに書店があるだろうから、探してみよう。 それに、もう一つ気になることがあるんだ。」

 テオはチャールズ・アンダーソンがテオの元に先客があったことを知った時に警戒した様子だったことも語った。アイヴァン・ロイドと言う名前をアンダーソンが出したと言うと、少佐が首を傾げた。

「モンタルボ教授の元に電話を掛けて来て、クエバ・ネグラ沖に宝物が沈んでいると言う話はないかと訊いた人物かも知れませんね。」
「俺もそう思う。だけど、何故カラコルの遺跡にそんなに注目が集まるんだ? 沈没船や財宝の伝説でもあるのかい?」
「そんなものはありません。」

 少佐が速攻で否定した。

「カラコルは外国との貿易で栄え、地震で突然海に沈んだ街、と言う伝説が残っているだけです。実在した街だと言う物証はまだ見つかっていないのです。ですからモンタルボ教授はカラコルの実在を証明しようと躍起になっている訳です。」
「カラコルは実在したのかい?」

 テオの質問に少佐はすぐに答えず、デネロスも戸惑った。

「実在が証明されていない場所としか言いようがありません。」

と少尉は言った。

「モンタルボ教授は海の底が平らなので、人工的な道路か建築物の一部だと考えているのです。彼が考えている通りの物であれば、比定地としてカラコルであろうと言うことになります。出土物があって、それがカラコルの物と決定されれば、その場所がカラコルと特定されるでしょう。」
「何がカラコルの物だって印になるんだい? カタツムリ(カラコル)の絵でも描いてあるのかな?」
「それはスペイン語でしょう。セルバのティエラの古い言葉でカラコルは『筒の上』と言う意味です。」

 デネロスの説明にテオは「変なの」と呟いた。

「筒の上なんて名前の街だったのか? 地下が空洞にでもなっていたのか?」

 すると少佐が呟いた。

「そうだったのかも知れませんね。」


第6部 訪問者    2

  レンドイロ記者が帰った後、テオは彼女が教えてくれた香水の銘柄を検索してみた。すると扱っている店は1店舗だけで、グラダ・シティ最大のショッピングモールにある小間物屋だとわかった。所謂香水専門店とか、高級化粧品店ではないのだ。恐らく個人で製造して販売しているのだろう。口コミは両極に分かれており、薔薇に似た香りが素晴らしいと言う評価と、匂いがドギツイので希釈した方が良いと言う意見が2件だけ入っていた。
 テオはケツァル少佐にメールを送った。

ーーグラダ・ショッピングセンターで研究用サンプルを購入したい。もし今夜時間があれば一緒に行ってくれないか? 女性用小間物店で扱っている品物だ。

 少佐の返答は、

ーーいいけど・・・?????

 恐らく、「研究用サンプル」とは何か、と言う意味だろう。テオは説明は省いて「いつもの時間に」とだけ返信した。
 昼休みに、カフェで昼食を取っていると、またもや来客があった。

「失礼ですが、テオドール・アルスト准教授でしょうか?」

 男性が声を掛けてきた。白いソフト帽を被った白人の中年男性で、薄い生地のジャケットに同じ生地のボトムを履いていた。髭は綺麗に剃ってあり、丈夫そうな帆布の鞄を持っていた。テオが「そうです」と答えると、男は帽子を脱いだ。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンと申します。」

 彼は英語で喋った。テオが元アメリカ人だと承知しているらしい。テオが黙っていると、彼は名刺を出した。

「私どもの会社はP R動画を制作してネットで配信し、広告料を頂いています。今回、セルバ共和国北部のクエバ・ネグラ沖で伝説の古代都市が発見され、発掘調査が開始されると聞きました。私どもは以前にもその調査を指揮されるサン・レオカディオ大学のモンタルボ教授に水中での発掘調査の様子を映画に撮らせて頂きたいと申し出たのですが、その時点では発掘許可が降りていないと言う理由で教授に断られました。ですが、我が社は既に潜水用具や船をチャーターする会社と契約を結んでおりまして、どうしてもこの度の調査に同行させていただいて撮影したいのです。」
「それではモンタルボ教授にもう一度頼んでみては?」
「教授には連絡しました。すると大統領警護隊文化保護担当部の許可がなければ同行取材は許されないと言う返答でした。ですから・・・」

 テオは相手の言いたいことがわかった。

「俺がミゲール少佐やマルティネス大尉と親しいので、顔つなぎして欲しいと?」
「その通りです。」

 アンダーソンが嬉しそうな顔をした。

「大統領警護隊はいきなり訪問しても門前払いを食らわせると評判でして・・・特に我々の様な外国人には面会すらしてくれないと聞いています。どうか、先生から口を利いて頂けないでしょうか? 勿論、お礼は弾みます。」

 テオは眉を顰めた。お金で動く人間と見られたのか? 彼は言った。

「謝礼など要りません。話すだけなら引き受けましょう。この手の要請をもらったのは、今日貴方で2人目です。」

 え? と言う顔をアンダーソンがして見せた。目が鋭く光った、とテオは思った。アンダーソンが尋ねた。

「それは、アイヴァン・ロイドですか?」

 今度はテオが、え? と言う顔をした。

「違いますよ。地元の雑誌記者です。」
「そうですか・・・」

 アンダーソンが心なしか安堵した様子だった。テオは彼から名刺を預かり、アンダーソンはすぐに大学から去って行った。


第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社...