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2021/08/22

星の鯨  16

  翌朝、シオドアはケツァル少佐の「起床!」と言う声で起こされた。バスルームへ行くと、彼の服は乾燥機の中で皺だらけになっていた。仕方がないので、少佐が豆を煮込んだり果物を切ったりしている間にアイロン掛けをした。そしてロホを虜にした煮豆をたっぷり食べて、少佐のベンツで大学迄送ってもらった。
 午前中の授業が終わり、彼が研究室に戻ると、客がいた。ステファン大尉だ。彼と大学で会うのは初めてだったので、ちょっと驚いた。

「いつ来たんだい?」
「8分前です。」
「生物学に興味でもあるのかな? それとも任務?」

 ステファンは躊躇した。シオドアはコーヒーを淹れる準備を始めた。客の為と言うより己の為だ。砂糖壺とミルクを先に机の上に置いた。ステファンはTシャツの上にジャケット、下はジーンズだ。多分、いつも通り拳銃を装備している。シオドアは彼が昨晩アリアナを病院職員寮へ送って行ったことを思い出した。彼女と何かあったのだろうか? と思った時、ステファンがやっと言った。

「昨日、アリアナから言われたのです。その・・・少佐との・・・ことを応援すると・・・」

 ひどく言いにくそうに打ち明けた。シオドアは黙ってカップにコーヒーを注ぎ、彼の前に置いた。ステファンがハッとして彼を見上げた。

「昨晩、少佐のアパートに泊まったのですか?」

 後ろめたいことは何もしていないので、シオドアは素直に認めた。

「スィ。帰ろうにも足がなかったし、少佐は運転する気分じゃなかったから、泊まって行けと言ってくれた。」
「それだけ?」
「それだけじゃないな・・・客間でぐっすり寝かせてもらった。朝飯をご馳走になった。車で大学迄送ってもらった。」

 シオドアはステファンの嫉妬を感じて、ちょっぴり愉快な気分になった。だけど、どうしてバレたんだ? 彼は後学の為に質問した。

「どうしてわかった? 新しい能力を開発したのか?」

 ステファンがぶすっとした顔で答えた。

「貴方から少佐と同じ石鹸の香りがします。」

 シオドアは思わず声を立てて笑ってしまった。

「彼女に石鹸のブランドを訊いておこう。寮でも使ってみる。」
「揶揄わないで下さい。」

 ステファンが拗ねた顔でコーヒーに砂糖を入れてやや乱暴にかき混ぜた。

「私は貴方に宣戦布告に来たのです。」
「宣戦布告?」
「スィ。私は、まだ彼女を諦めていません。」

 シオドアは溜め息をついた。彼は前日考古学のケサダ教授に同父異母兄弟姉妹の婚姻について質問したばかりだった。ケサダは、セルバ共和国の法律では全血半血に限らず兄弟姉妹間の婚姻は禁止だと答えた。但し、と彼は言った。

「先住民に限り、同父異母兄弟姉妹間の婚姻は認められています。この場合の先住民は”ティエラ”も”シエロ”も一緒です。法律を作った人間が何者か考えれば、不思議ではありませんがね。」

 カルロ・ステファンは純血種ではないし、白人の血が入っているが、メスティーソが先住民でないとは言い切れない。父親は正真正銘の純血の先住民だったのだ。

「法律がどうあれ、俺は遺伝子学者として君の主張を認めたくないな。」

とシオドアは言った。

「それに、俺も彼女が好きだ。」

 遂に言ってしまった。勿論、大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は全員承知のことだろうけど。
 ステファン大尉は彼をじっと見つめた。しかし怒っていない、とシオドアは気がついた。

「俺と闘うつもりかい?」
「貴方が望むなら・・・」

 ステファンが微かに微笑んだ。

「我々はハンデがあります。私は彼女の”出来損ない”の弟だし、貴方は白人だ。双方とも一族の頭の硬い連中には、彼女に相応しくないと断じられるでしょう。」
「そうだな。ロホやアスルの方が遥かに彼女に相応しいだろうし。」
「ロホは最強のライバルですが、アスルは考えなくて良いです。アイツは彼女を慕っていますが、我々とは少しレベルが違います。」
「姉さんの様に慕っている?」
「スィ。」

 シオドアは吹き出した。

「昨夜、少佐が言ったんだ。複数の女性達が、君と俺を取り合っていると。」
「え?」
「争奪戦の参加者を訊いたが教えてくれなかった。彼女は恋人争奪戦のゲームだと言った。」
「アリアナは私に恋愛ゲームを仕掛けないと言いました。」
「それは君を忘れたいと言う意味だ。」

 シオドアはコーヒーを飲んだ。

「君達の恋愛観はよくわからない。と言うより、俺自身がまともな恋愛の経験がないだけで、大人の恋愛がどんなものかわかっていないのかも知れないな。本当に好きなら、血の濃さも関係なくなるのかも知れない。」

 その時、ステファンの携帯電話が鳴った。彼がポケットから出して見ると、かけてきたのはケツァル少佐だった。彼が出るなり、不機嫌な声が聞こえた。

ーー何処をほっつき歩いているのです? 4階から2階へ行くのに1時間もかかるのですか?

 ステファン大尉が情けない顔をした。

「申し訳ありません、ちょっと野暮用で外出しています・・・」
ーー早く戻って来なさい! さっさと報告書を上げる!

 シオドアは声を立てずに笑うと言う困難な技を習得する必要がある、と思った。


星の鯨  15

  部下達とアリアナが去って、ケツァル少佐のアパートは静かになった。食器洗いは部下達がやってくれたし、椅子やテーブルも元に戻して帰ったので、少佐はのんびりソファに座って、シオドアが掃除機を床にかけるのを眺めていた。家事はあまりやらない主義だ。実家も自宅もメイドがいるし、家事らしきことをしたのは大統領警護隊の訓練生だった時くらいだ。金持ちが家事をやらないのは、メイドの仕事を取ってしまわないための心得だ。少佐が怠け者なのではない。それにその日は長い話を語ったので、彼女は疲れていた。元気な時ならワインかブランデーでも一杯やって寝るのだが、心臓の傷を気遣って彼女は我慢していた。だがシオドアには礼を言いたかったので、彼が掃除機を片付けてリビングに戻るとテーブルの上にブランデーの瓶とグラスを用意していた。

「メイドの仕事を取ってしまったお仕置きに、一杯召し上がって下さい。」
「そんな罰があるかい?」

 シオドアは笑いながら彼女の隣に座った。少佐が彼の前にブランデーを、彼女自身には水を入れたグラスを置いた。

「本当にアリアナがカンクンに行くことを知らなかったのですか?」
「知らなかった。」

 シオドアはグラスに酒を注ぎ入れた。少佐がつまらなそうな顔をした。

「やっと心が繋がりかけたのに・・・」
「そこで切れたりしないさ。電話でもメールでもしてやってくれよ。きっと喜ぶさ。」
「近くにいてくれた方が嬉しいのですけど・・・シーロも意地悪です。」

 少佐は同僚の愚痴をこぼした。シオドアは何となくロペス少佐がアリアナを国外へ行かせる理由に心当たりがあった。

「アリアナは少し異性関係にだらしないところがあった。カルロにもシャベス軍曹にも簡単に手を出した。今度の事件でスワレにそれを利用され付け込まれた。ロペス少佐はわかっていた様だ。放置しておいたら、”砂の民”を動かすことになってしまう。ロペス少佐は彼女を守るために、メキシコ行きを勧めてくれた。俺はそう信じる。」

 ケツァル少佐が水を一口飲んだ。

「ことは恋愛問題だけに収まらないと言うことなのですね。そう・・・”砂の民”が介入してきたら、ゲームも何もあったものではありませんから。」
「ゲーム?」

 シオドアが怪訝な顔をしたので、彼女はけろりとした顔で言った。

「恋人の争奪戦です。誰がカルロを取って、誰が貴方を取るか。」
「はぁ?」

 シオドアは彼女に向き直った。

「誰と誰が、カルロと俺を取り合っているんだ?」
「気になります?」
「気になる。」
「教えません。」

 少佐は立ち上がった。

「選択肢はもっと多いです。参加者も増えていきますからね。」

 訳のわからないことを言って、彼女はバスルームに向かって歩き出した。

「今夜は泊まって行かれます?」
「いや・・・寮に戻らないと、またロペスに叱られる。」
「でも、カルロは自宅に直帰です。私は今夜車を運転したくありません。帰りの足はありませんよ。」
「歩いて帰るさ。」

 少佐が足を止めて振り返った。見つめられてシオドアはドキドキした。

「ここから寮迄の距離を歩いて行かれるのですか?」
「・・・」
「路上強盗と言う言葉をご存知?」
「・・・」
「タクシーもこの時間はありませんよ。」
「少佐・・・」
「何です?」
「俺に泊まって欲しいのか?」

 暫く彼は少佐と目を見つめ合った。”心話”は通じなかった。彼は普通の男として、女の気持ちを考えなければならなかった。少佐は先住民で、先住民は単刀直入な物言いをしない。しかし、彼女はちゃんと意思表示をしたのだ。「今夜は泊まって行かれます?」と。
 シオドアは折れた。

「わかった・・・申し訳ないが、泊めてくれないかな・・・」

 入浴の支度をしてもらって、シオドアは風呂に入った。着替えはなかったが、乾燥機付き洗濯機があったので、そこに服を入れて洗濯した。バスローブだけ身につけてリビングに戻ると、少佐が客間を準備してくれていた。彼女の寝室ではないのだ。思い起こせば、以前泊まった時も彼は客間でロホはリビングだった。アメリカのセルバ大使館、ミゲール大使の私邸でも、彼女はステファンを彼女の部屋に入れたが、ステファンは彼女のベッドで彼女自身はハンモックだったのだ。
 少佐はアリアナではない。 シオドアは己の心に言い聞かせた。
 ベッドに入り、目を閉じた。アリアナとステファンは何事もなくそれぞれ帰宅したのだろうか。アリアナは己がメキシコへ行くことになった原因を理解した様だった。それなら今夜は何事もなく別れただろう。ステファンも彼女の誘惑に負けることはない筈だ。今以上に事態をややこしくしたくないだろうから。
 ブランデーが効いて彼は眠りに落ちた。 

星の鯨  14

  ロホとアスルはデネロスが運転する軍用ジープで大統領警護隊の官舎に帰って行った。アリアナはステファン大尉が病院職員寮へビートルで送ると言った。アリアナは躊躇したが、少佐がそうしなさいと勧めたので、素直に従った。シオドアは少し心配だったが、アリアナが大丈夫と目で言ったので、彼女を大尉に任せることにした。

「カンクンへ行く日が決まったら、必ず連絡しろよ。」

と彼は念を押して彼女を送った。
 ビートルの助手席に座ると、走り出して間もなく、大尉が彼女に話しかけた。

「向こうに行ったら、アメリカ人に気をつけて下さい。遺伝病理学研究所と繋がりがあるかも知れません。向こうはまだ貴女を諦めていない可能性もあります。」
「ロペス少佐はそれも考慮に入れて下調べをして下さった筈よ。」

 アリアナは前を向いたまま言った。

「私もいつまでも人に頼ってばかりじゃ駄目なのよ。自分で自分の身を守れるようにならないと。」
「頑張り過ぎても良くありません。」
「まだ頑張る入り口にいるのに、そんなことを言わないで。」

 彼女は笑った。そして、思い切って胸の内を打ち明けた。今言わなくて、何時言えるのだ?

「知っていると思うけど、私、貴方のことが本当に好きなの。今も好き。だけど、貴方が誰を愛しているか知っている。テオは貴方の恋に批判的だけど、私は・・・貴方が彼女を諦めきれない気持ちがわかる。だから、貴方の邪魔をしたくないの。」
「邪魔とは・・・?」
「貴方に恋愛ゲームを仕掛けたりしないってこと。」

 アリアナは運転席の方を向いた。ステファンは前を向いたままだ。

「テオによく叱られるけど、私は時々自分を抑えられなくなる。多分、本当の恋愛をしていないからだと思うの。このまま貴方のそばにいたら、私はまたゲームを始めてしまう。貴方に少佐と私を選ばせようとするでしょう。負けるとわかっていてもね。そして貴方には気まずい思いをさせてしまうに決まっている。私はまた別の男性を摘み食いしてしまうわ。シャベス軍曹みたいな若い人を誘惑してしまうでしょう。」

 彼女も前を向いた。

「貴方とロホが、私のことをアスルが気に入っていると言ってくれたわね。私には彼はまだ子供に見えるの。だけど、今日、私は彼をもう少しで誘惑しそうになった。」
「そうは聞こえませんでしたが・・・」
「本当に誘いをかけようとしてしまったのよ。テオは気がついているわ。後で聞いてごらんなさい。」
「アスルにも経験は必要です。」
「でも貴方の代わりに、と言うのは良くないわ。だから、私はロペス少佐の提案を聞いた時に、貴方達と距離を置く良い機会だと思ったの。でもね、少佐とマハルダから離れるのは寂しいの。洞窟の中で少佐の手術を任された時、彼女が私を心から信頼してくれていることがわかって、本当に嬉しかった。だから、私は彼女が貴方を選んだら、絶対に応援する。テオが反対しても私は味方するわ。」

 ステファン大尉が小さく溜め息をついた。

「彼女が私を選んでくれるかどうか、私には自信がありません。今まで彼女が私に対して親しげに振る舞っていたのは、同じグラダ族の血が流れていたからだと、今回の事件で思い知りました。男としての信頼は、私よりロホの方へ置かれています。そして人として彼女はテオを信用しています。洞窟で敵に襲われた時、彼女はテオの背中に隠れたのです。私だったら、絶対に彼女はそんなことをしない。逆に私を守ろうとしたでしょう。男として屈辱です。」
「諦めちゃ駄目よ!」

 アリアナが力強く言ったので、彼はびっくりした。

「彼女はどんなことでも貴方に関することは細やかに気をつけて行動しているわ。貴方との本当の関係がわかる前から・・・彼女は貴方を愛している。彼女を信じてあげて。」

 ステファン大尉が苦笑した。

「遺伝子学者が、近親婚を奨励するのですか?」
「心の繋がりは誰にも邪魔出来ないのよ。」

 アリアナは心の中で呟いた。

 私は繋がりたい人が増えてしまったの・・・

星の鯨  13

 「明日からはまた普通の業務に戻るんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。 ケツァル少佐が頷いた。

「スィ。但し、アスルはまだ足が不自由ですから・・・」
「もう歩けます!」

 アスルが主張したが、少佐は無視した。

「アスルがしていた仕事をデネロス、貴女がして下さい。」

 え? と全員がちょっと驚いた。アスルは確実にショックを受けた。仕事を後輩に取られるなんて屈辱ではないか? シオドアは彼が可哀想に思ってしまった。しかし少佐は部下の抗議を受け付けなかった。

「短期間の業務内容の交換です。軍の警備隊の手配を承認が通った申請書に従ってデネロスが行います。アスルはデネロスがしていた申請書のチェックとデータ入力です。誰もが最初に行う業務ですから、まだ覚えているでしょう?」
「そうですが・・・」
「デネロスにも現場へ出る準備が必要です。彼女が手配した警備隊の最終確認はアスルがしなさい。」
「承知しました。」

 下っ端の仕事と指南役を命じられて、アスルは渋々承知したのだ。文化・教育省はエレベーターがない。脚を折ったアスルを4階まで何度も往復させまいと少佐なりの気遣いなのだろうけれど、その気になれば直ぐに傷を治せる”ヴェルデ・シエロ”にとっては却って嫌がらせだ。もっとも・・・

「私もまだ本調子ではないので、大臣や他のセクションとの会議には、ステファン大尉に出席を命じます。」

 少佐もまだ階段の登り降りを頻繁にするのは辛いのだ。会議の席が苦手なステファン大尉が不承不精承った。恐らくロホに代わってもらいたいだろう。そのロホは発掘調査隊監視のスケジュールがぎっしり詰まっていた。少佐が駄目、アスルも駄目、ステファンも忙しいとなると、中間の彼が全部負うことになる。
 大統領警護隊文化保護担当部の業務打ち合わせが終わったと思われた時、アリアナが、「私も・・・」と声を出した。シオドアが振り返ると、彼女が遠慮がちに話し出した。

「私も職場を変わることになったの・・・」
「はぁ?」

 シオドアは思わず声を上げた。全然そんな話を聞いていない。と言うか、事件の後、亡命観察期間の住居に戻るのを拒否したら、シオドアとアリアナは別々の住まいに移されてしまい、あまり顔を合わせていなかったのだ。シオドアは送迎の必要がない大学の寮に入居させられ、アリアナは大学病院の職員寮に移された。互いの仕事に変更があれば連絡を取れば良いではないか、とシーロ・ロペス少佐に言われた。しかしアリアナは仕事に変更がある話をシオドアにしていなかった。

「変わるって、何処へ?」
「カンクンよ。」
「カンクン?!」

 メキシコだ。少佐とロホが顔を見合わせた。デネロスとステファンも戸惑った。

「セルバから出るの?」

とデネロスが不安そうな声で尋ねた。 アリアナはちょっと笑おうとして、おかしな表情になった。きっと彼女も涙が出そうになったのだ。

「国籍はセルバ共和国なの。カンクンの遺伝病研究施設へ出向になるのよ。半年の予定で、次のクリスマス迄には帰って来られるって、ロペス少佐が言うの。」
「シーロがね・・・」

と少佐がちょっと不機嫌な声を出した。誘拐事件の渦中にあったアリアナをスキャンダルから遠ざける為に考え出した策だろうが、彼女一人だけを遠ざけるのは最善策と思えなかったのだ。
 アリアナが無理に笑おうとした。

「ロペス少佐が意地悪をしたんじゃないのよ。内務大臣の弟の建設大臣のところの・・・」
「シショカ?」

とシオドアが名前を出した。”ヴェルデ・シエロ”達が彼を見た。アリアナが頷いた。

「そう、秘書のシショカって人が、私があまりにも事件の細部に入り込み過ぎたって言ったんですって。」

 シショカは”砂の民”だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知ろうとする外国人やセルバ共和国の国益に反することをする市民の抹殺を行う役目を負う人間だ。ステファン大尉がアリアナに優しく言った。

「ロペス少佐は貴女をシショカから守りたいと思っている訳ですね。」
「スィ。」

 アリアナがやっと微笑みらしい微笑を浮かべた。

「”ヴェルデ・シエロ”がいない国で、私が言語に不自由しなくて、出来るだけセルバ共和国に近くて、私の知識が活かせる職場を探して、カンクンの病院を見つけてくれたの。そこなら、私がもし何かの弾みにこの国の秘密を口走っても誰も気にしないだろうって。半年も経てばセルバ人は事件を忘れてしまうし、過去の詮索をしないマナーで噂も消えてしまうから、また帰って来なさいって・・・」
「何故君だけなんだ? 俺は放置しても平気だって思われているのか?」

とシオドア。

「貴方は大丈夫でしょう。シショカも寄り付かない。」

と少佐がぶっきらぼうに言った。なんで? とシオドアが問いかけるのを無視して、彼女はアリアナの手を取った。

「半年の我慢なのですね? 電話やネットでお話しするのは構わないでしょう?」
「ええ!」

 アリアナが頷くと、デネロスも尋ねた。

「私達が出張で訪ねても良いんですよね?」
「その筈・・・」

 出張? と少佐がデネロスを睨んだので、アリアナは思わず笑いそうになった。
 シオドアはアスルが静かなのに気がついた。アスルは黙ってアリアナを見ていた。

 コイツ、本当にアリアナのことが好きなのか?

 アリアナがシオドアの視線の先に気がついた。ちょっと躊躇ってから、アスルに目を合わせた。

「もし、機会があれば遊びに来て・・・一緒にメキシコの遺跡巡りとか出来れば良いわね。」

するとアスルは精一杯無愛想に言った。

「俺と一緒に歩くなら、サッカー場巡りになりますよ。」

 ロホが彼の後頭部をペンっと叩いた。しかしアリアナは笑ってアスルに言った。

「サッカー場の方が私の性に合っているかもね。」




 

2021/08/14

星の鯨  12

  シオドア達がいなくなると、メナクはシャベス軍曹を連れて神殿へ入った。神殿は汚れていなかったが、血の匂いで満ちていた。それはケツァル少佐が決して万全の体調でないことを彼に伝えた。彼等は遠くへ行けない。そう踏んだメナクが神殿で休んでいると、声が壁の向こうから聞こえてきた。驚いた。シオドア達は、禁断の聖地を発見した様子だった。神殿の仕組みがどの様になっているのかわからなかった。もっとよく聞こうと壁に近づいて歩いていると、”入り口”を見つけた。巧妙に隠された様な狭い”入り口”だったが、メナクはシャベス軍曹を連れて通った。
 ”出口”から出たメナクはその場所のあまりの美しさと異様さに暫く動けなかった。その場所が何なのか理解出来なかった。キラキラ光る小さな点、金色に輝く湖、光に包まれた巨大な鯨型の島・・・正に、太陽の野に星の鯨が眠っている・・・風景だった。
 湖の畔でシオドアとケツァル少佐が何かをしていた。ステファン大尉の姿は見えなかった。やがてシオドアと少佐が荷物を置いた場所に戻った。”出口”の近くだ。動くものを見つけたシャベス軍曹が、地面に置かれたアサルトライフルを拾い上げた。女が先に気がついて動きを止めた。メナクの期待に反して彼女は声を出さずにシオドアに警告を発した。気を発して気温を下げたのだ。そしてシオドアは異変に気付いて振り返り、シャベスを見つけた。
 シオドア・ハーストはメナクの思惑に反して、シャベスの名を呼ばなかった。”操心”にかけられたシャベス軍曹を動かすキーワードは何かと考えたのだ。フリーズした様に見えた彼は、その時必死で難局打開を考えていた。先にケツァル少佐が行動を起こした。シャベス軍曹の目がシオドアを捉えていると判断すると、荷物の中から掴み取った使い捨てカイロを軍曹に投げつけた。シャベスがそれを撃った瞬間、シオドアが飛びかかった。シャベスは仰向けに倒れ頭部を岩盤に打ちつけてしまった。
 シャベス軍曹が動かなくなったので、メナクは軍曹は死んだと思った。手駒が無くなった彼は、自ら敵の前へ出て行った。相手は”ヴェルデ・ティエラ”の白人学者と手負の女だ。純血のグラダは油断禁物だが、彼女は白人の背後に隠れてしまった。”ヴェルデ・ティエラ”に守ってもらわなければならない状態だ。勝てるとメナクは確信した。
 ケツァルを渡せと言うメナクの要求を、シオドアが拒絶した。彼はメナクとスワレが同じ肉体を共有していたと知ると、シュカワラスキ・マナとエルネンツォ・スワレの死の真相を察した。誰が本当の殺人犯か分かったのだ。メナクはシオドアの喉を締め上げ、シュカワラスキと同じ方法で殺そうと試みた。
 突然、彼の背後から黒いジャガーが襲いかかってきた。湖の探索に一人で出かけたカルロ・ステファンのナワルだった。ステファンは島の反対側から戻ろうとした時に、岸辺でシオドアと少佐が何者かに襲われていることを知った。彼は咄嗟に水の流れに乗って下流へ流れ、岩伝いに水に入った場所へ戻った。変身は速やかに終了した。泳ぐために裸になっていたのでスムーズに出来た。メナクの背後から忍び寄って行くとシオドアが気がついたが、知らぬ顔をしてくれた。メナクがシオドアの首を締めにかかった時に、彼は襲いかかった。
 メナクは完全にパニックに陥った。彼が知っている黒いジャガーはシュカワラスキ・マナだった。彼は死者の魂が集まっている聖地に現れたカルロ・ステファンのナワルをシュカワラスキ・マナだと勘違いしたのだ。抵抗する気力が一瞬で消え失せ、噛みつこうとする牙から頭部を守ることで精一杯だった。シオドアと少佐がジャガーを制止しなければ、腕を噛み砕かれ、喉を裂かれて殺されていただろう。
 ジャガーは少佐の命令で動きを止めた。そして現れた長老会の命令でやっとメナクから離れた。メナクは恐怖で動けなかった。ジャガーの唸り声が続いており、シュカワラスキ・マナが怒っていると思うと、顔を上げる勇気もなかった。長老達と少佐とシオドアが話しているのが聞こえたが、彼の頭は理解する余裕がなかった。やがて女の手で縛り上げられ、長老の一人が薄刃のナイフで彼の目の下を切った。目を封じて技を使えなくしたのだ。
 メナクはグラダ・シティに連行され、ピラミッドの神殿で長老会の裁判にかけられた。”ヴェルデ・シエロ”の裁判は欧米的なものではない。弁護人はつかない。長老達が”心話”で被告人の罪状に対する情報を交換し合う沈黙の裁判だ。弁護は被告人が口頭で行うだけだ。メナクは多くを語らなかった。ただこう言った。

「お前達が儂の親兄弟を殺したから、こう言うことになった。」

 誰も同情しなかった。メナクにはその場で酒が与えられた。彼の親兄弟を死に至らしめた遅効性の毒が入った酒だった。

***********

「それで、イェンテ・グラダ村で生まれた人々は全てこの世から去りました。」

とケツァル少佐が締めくくった。
 アリアナが尋ねた。

「シャベス軍曹は助かったの?」
「スィ。」

 少佐がちょっとだけ笑って見せた。

「少し記憶障害が残っていますが、手術を受けて意識を取り戻しました。生命の危機を脱したので、来週には一般病棟に移れるそうです。」
「良かった・・・」

とシオドアが真っ先に言った。

「俺は人殺しになるところだった。」
「正当防衛でしょ。」

とデネロス少尉が言った。

「素手でアサルトライフル持った軍人に立ち向かったんですよ。罪になんか問われません。」
「法律じゃなくて、気持ちの問題だよ、マハルダ。」

 そうかなぁと言うデネロスはまだ若いのだ。生きるか死ぬかの体験をしたことがない。その証拠に、話題をすぐに変えた。

「太陽の野は死者の場所なんですね? 少佐と大尉はお父さんとお母さんに会えたんですか?」
「ノ。」

と少佐と大尉が同時に答えた。一瞬目を合わせてから、少佐が言った。

「多分、あの場所は英雄だけが休むことを許される場所だと思うのです。だからとても美しく心休まる空間です。」
「グリュイエがいたんですね。」

とアスルが言った。彼はまだ松葉杖を使っている。その気になれば少佐の心臓の様にスピード回復させられるのだが、司令官から普通の人間並の回復を求められているので、ギプスが取れないのだ。大尉が頷いた。

「いた。何だかのんびり空中を漂っていた。」
「そうですか・・・」

 アスルはちょっぴり感慨深そうな表情を見せた。若くして非業の死を遂げた後輩が、美しい地下の世界でのんびり漂っている。想像しただけで涙が出そうになった。デネロスがグリュイエって誰?と訊きたそうな顔をしたが、アスルの表情を見て質問を呑み込んだ。きっと尋ねてはいけないことなのだと彼女なりに理解したのだ。

星の鯨  11

  スワレ=メナクはブーカ族の名家の家長として、また長老会の重鎮として権力を欲しいままにしていたが、1人の体に2人の魂は時に厄介でもあった。スワレはブーカ族だから、己の一族が可愛い。しかしメナクにとっては親を殺した人々の身内だ。2人はしばしば対立することがあった。陰の気だ。それは肉体を蝕むことになった。スワレはメナクの消滅を願うようになったが、メナクに知られた。同じ体にいるのだから当然だ。メナクはスワレの肉体を己一人のものにしたかったが、もしスワレを消したら肉体も死ぬのではないかと心配だった。
 そのうちに、大統領警護隊のカルロ・ステファンが大尉に昇進した。敵が近づいて来ると彼等は焦った。もう一度手を結び、彼等は陸軍兵士カメル軍曹に”操心”をかけた。北米の博物館から中南米の古美術品を盗み出す任務に彼を参加させたのは、陸軍に顔が利くスワレだった。盗むべき美術品のリストを手に入れ、メルカトル博物館のオパールの仮面に目を付けた。ステファンが仮面を手に取った時、背後から心臓を刺して殺す。それが命令だった。心臓を汚して甦るのを妨げる古代の呪法だ。
 しかし、カメルは失敗した。彼は非業の死を遂げ、ステファンは思いがけず”ヴェルデ・シエロ”の能力を目覚めさせてしまったのだ。無事にセルバ共和国に帰国したステファンをスワレ=メナクは脅威と看做すしかなかった。しかし打つ手が見つからず、2人の魂は再び肉体の中で諍いを持つようになった。そんな時に思いがけない事件が起きた。美術品密売人ロザナ・ロハスの要塞を政府軍が攻撃した際、大統領警護隊文化保護担当部に反政府ゲリラだった従兄弟を殺された憲兵が逆恨みでステファンを狙い、それを庇ったケツァル少佐を撃ってしまったのだ。少佐はそれをステファン暗殺未遂事件と結びつけて考えてしまった。そしてその考えを打ち明けられたシオドア・ハーストがムリリョ博士に純血至上主義者の犯行ではないかと果敢に詰め寄り、ムリリョの古い記憶を呼び覚ましてしまった。正に寝た子を起こしてしまったのだ。
 ムリリョはシュカワラスキ・マナが空間通路での移送で死んだことを疑っていた。強大な力を持つ純血種のグラダが移送事故で死ぬ筈がないと考えた。そして兄をマナに殺されたトゥパルが事故を装って殺害したに違いないと推測したのだ。実際、そうだった。メナクは己の計画を蹴って逃げた裏切り者のマナを憎んでいたが、同じグラダだ、殺すつもりはその時まだなかったのだ。マナから空気を奪い殺害したのはスワレだった。スワレはムリリョに疑われていることに気づかず、ステファン暗殺だけに執着した。
 一方、メナクはスワレの肉体が老齢で体調も良くないことが気になっていた。新しい肉体が必要だと感じていたが、スワレにそれを告げることは出来なかった。メナクが欲したのは、限りなく純血種に近いグラダ系の体だった。但し、白人の血が混ざった体はごめんだった。彼の身近で一番条件に当てはまったのが、ケツァル少佐だった。女性だが我慢するしかない、と彼は思った。
 シュカワラスキ・マナの2人の子供を同時に誘い出し、1人を殺し1人の肉体を盗む。但し、肉体強奪はメナク一人の企みでスワレには内緒だった。彼等はケツァル少佐とステファン大尉の親しい友人となったシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンの家を襲撃した。高齢者と言えども”ヴェルデ・シエロ”だ。普通の人間の特殊部隊など赤子と同じだった。警護のシャベス軍曹はあっさり”操心”にかかった。シオドアが留守だったので、アリアナを攫った。
バスルームの鏡に暗がりの神殿の呪い文を書いたのは、地下の神殿がマナの子供を殺す絶好の場所だと思ったからだ。メナクもスワレも、その神殿の奥にある本当の聖地をその時点で知らなかった。
 オルガ・グランデの鉱山へは空間通路を使った。スワレがブーカ族だったので、これは簡単だった。だが高齢のスワレの体は、”ヴェルデ・ティエラ”を2人運ぶことでかなり消耗してしまった。暗闇の空間で彼等は獲物が来るのを待ち続けた。そのうちに彼等は面白いことを知った。”操心”にかけられていても人間は日常の会話や生活が出来る。攫われてきた2人の男女は暗闇の恐怖の中でも励まし合っていた。その内容からスワレはアリアナがステファンを好いていることを知った。だから”操心”をかけた。カルロ・ステファンに出会ったら彼の心臓を刺す、と言うものだった。そして遂にシュカワラスキ・マナの子供達が坑道へやって来た。
 スワレはアリアナを解放した。彼女は夢見心地で暗闇を歩いて行った。やがて彼等はロホの叫び声を耳にした。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 長年の怨念が晴らされた。スワレは感激した。感激して、興奮して、彼の魂は消えて行った。
 メナクはスワレの死を感じ、慌てた。しかし幸いなことにメナク自身は消えなかった。スワレの肉体が遂に彼一人のものになったのだ。但し、老いさらばえ、ポンコツになった肉体だった。メナクはケツァル少佐の肉体を手に入れるべく、神殿に近づいたが、様子が変だと気がついた。
 神殿はロホの結界で守られており、近づくことすら出来なかった。そして殺された筈のカルロ・ステファンが生きて動き回っていた。倒れていたのは、ケツァル少佐の方だった。ステファンと白人のシオドアが彼女の手当てに奔走していた。
 スワレは失敗したのだ。ブーカの若造に欺かれ、メナクの大事な新しい肉体を傷つけられたのだ。怒りに駆られたが、メナクはそこで純血のグラダの恐るべき能力を目の当たりにすることとなった。心臓を刺されたシータ・ケツァルは死んでおらず、自らの力で治療に専念していた。そして半分グラダの腹違いの弟が姉の心臓から刃物を少しずつ引き抜く繊細な技に挑戦していた。メナクは彼等の能力に賭けることにした。新しい肉体を手に入れる為に、しかもそれは彼が愛したウナガンとよく似た女だった。
 メナクは一旦隠れていた坑道に戻った。シャベス軍曹に新しい”操心”をかけた。誰かがシャベスの名を呼んだら、そいつを撃つ、と言う簡単なものだ。”操心”の上の”操心”の上書きだ。それが限界だった。
 敵が疲弊するのを待っていると、かなり長い時間が経った。大統領警護隊は優秀な軍人達だ。疲れても一度に全員が休憩することはなかったし、結界は張られたままだった。最初にブーカの若造を始末するべきかと迷っていると、ケツァル少佐が復活してしまった。手負であるにも関わらず、彼女はロホを休ませ、仲間にも気づかれぬうちに結界を張った。
 メナクは自分達がとんでもない者を相手にしているのだと気が付き始めた。純血種のグラダは彼の様な混血には決して追いつけない途方もなく大きな力を持っているのだ。メナクは作戦を変えるべきか、続行すべきかと迷った。迷っているうちに、大統領警護隊は2手に分かれた。ロホと”操心”が解けて少佐の手当てに活躍したアリアナが救援要請と報告の為に神殿から出た。メナクには、彼等をもう一度襲って捕虜を得る余力も、ブーカ族の若者と戦って勝つ気力もあまり残っていなかった。メナクは彼等を見逃した。長老会がこの場所へ来る迄に、女を手に入れることが先決だと思ったのだ。
 ケツァル少佐はステファン大尉とシオドアを連れて神殿の奥へと歩き始めた。何処へ行くのか、メナクには見当がつかなかった。

星の鯨  10

  カタリナ・ステファンは3人目の子供を産んだ。今度は男の子だった。シュカワラスキ・マナは息子にカルロと名を付けた。白人の名前を名乗らせ、己とは違う人生を生きて欲しかったのだろう。彼の義父はカルロの能力を封じることを禁じた。勿論未熟なシュカワラスキの技から孫を守る為だ。シュカワラスキも義父に従った。
 だがその直後に、グラダ・シティで大きな事件が起きた。ママコナが逝去したのだ。大巫女の逝去はセルバの全ての”ヴェルデ・シエロ”に文字通り電光石火の速さで伝わり、シュカワラスキとその家族にも届いた。反抗して逃げ出したものの、ママコナはシュカワラスキにとって育ての親だ。彼女の死にシュカワラスキは悲嘆し激しく動揺した。その隙を突かれて結界が破られた。”砂の民”達がオルガ・グランデに雪崩れ込んで来た。
 シュカワラスキは地下の坑道の迷路に逃げ込んだ。追跡者達は暗闇の中で彼と戦わねばならなかった。闇でも目が見える”ヴェルデ・シエロ”だが地の利はシュカワラスキの方にあった。彼は2年間地下で戦った。地上の”ヴェルデ・ティエラ”に影響を与えてはならない。それは古代から神として崇められてきた”ヴェルデ・シエロ”にとって何にも変えられぬ掟だった。
 妻のカタリナと息子のカルロは”砂の民”のムリリョに匿われていた。ムリリョはシュカワラスキの2番目の娘を病魔から救えなかったことが心に残っていた。父親の裁量に任せて赤ん坊を死なせてしまったことを後悔していたのだ。彼はカタリナの父親に協力を求めた。カタリナの子供達を守って欲しいと。
 カタリナは勇敢な女性だった。彼女はムリリョや父親の目を盗み、廃屋の井戸からこっそり地下に降りて夫を援助した。1年半近くそれは続いたが、やがてムリリョに知られた。4人目の子を身篭ってしまったのだ。カタリナはムリリョに夫の助命嘆願をした。当時ママコナはまだ2歳だった。カルロと同じ年に、先代ママコナ逝去の直後に生まれたカイナ族の女の子だ。罪人の裁定が出来る筈がなかった。だから、ムリリョはカタリナが使っていた井戸を降りて、シュカワラスキ・マナと面会した。彼は長老会に投降してひたすら助命嘆願せよと忠告した。息子と次に生まれてくる子供の為に生きることだけ考えよと訴えた。
 翌日、シュカワラスキ・マナは投降した。家族に手を出さぬと言う条件のみで、”砂の民”の頭目に捕縛された。投降した者を殺すことは許されない。直接能力を使って死なせることは掟に反するからだ。”砂の民”達は、長老会の裁きをマナに受けさせることにした。少なくとも、公平な裁判の場を与えてやろうと話がまとまった。護送にはブーカ族の能力が必要だった。空間の通路を使わなければ、マナの様な能力の人間をグラダ・シティ迄連行することは不可能だったからだ。 
 グラダ・シティから派遣されて来たのは、トゥパル・スワレだった。誰も彼がニシト・メナクの魂を宿しているとは気づかなかった。そしてトゥパルはエルネンツォを殺した時の記憶がなかった。殺人を犯した時、彼の意識はニシトに抑え込まれていたからだ。彼はシュカワラスキが兄の仇だと信じて疑わなかった。
 気を抑制する麻薬で意識朦朧となったシュカワラスキ・マナはトゥパル・スワレの先導で空間通路に入った。そしてピラミッドの神殿に出た時、彼は既に息をしていなかった。

********************

 マハルダ・デネロス少尉の目に涙が浮かんだ。

「シュカワラスキ・マナが可哀想・・・カタリナが可哀想・・・」

 彼女の隣に座っていたアリアナがそっと彼女の肩に手をかけた。

********************

 事件は「オルガ・グランデの汚点」と呼ばれ、当時の”ヴェルデ・シエロ”の大人達は語るのも憚られる昔話として封印した。だから若者達はほんの20年前にそんな出来事があったことを知らない。
 その20年間に、シータ・ケツァルはミゲール家の娘として成長し、自ら希望してセルバ陸軍に入隊し、大統領警護隊に採用された。純血のグラダ族であることは、長老会から司令官エステベス大佐に知らされていたが、彼女自身の能力の高さと強さで直ぐに警護隊全体にその血が何者なのか知られることになった。ウナガン・ケツァルは死ぬ間際に罪を許されていたので、シータを罪人の子と見る者はいなかった。それよりも純血のグラダの威力への畏怖の方が勝っていたのだ。彼女は警護隊の中で一目置かれる存在になった。
 一方、カルロ・ステファンは父親を失い、父親の死後に生まれた妹グラシエラと母親と貧民街で暮らしていた。祖父はグラシエラの能力を封じ込め、”心話”以外は使えなくした。彼は一家を支えて鉱夫を続けたが、カルロが5歳になる頃に亡くなった。生きるためにカルロ・ステファンはなんでもやった。子供に出来ることと言えばケチな窃盗やかっぱらい、置き引き、掏摸、詐欺まがいの行為ぐらいで、一人前のワルに育っていった。15歳になる頃に彼は偶然一人の軍人の財布を狙ってとっ捕まった。その軍人は”ヴェルデ・シエロ”だった。彼は掏摸が”出来損ない”だと知ると、こう言ったのだ。

「こんなことをしていると早死にする。同じ早死にするなら軍隊に入れ。給料をもらえるし、死ねば遺族に恩給が出る。」

 カルロ・ステファンは入隊し、成績が良かったので士官学校に入れてもらえた。そして大統領警護隊に採用されたのだ。そこでロホことアルフォンソ・マルティネスと知り合った。
 人類学者のムリリョが遺跡荒らしに頭を抱え、大統領警護隊に先祖の宝を守れと訴えた時、エステベス大佐は文化保護担当部の設立を考えた。指揮官にケツァル少佐を選んだのは偶然だった。女性隊員の多くは外交官や政府高官に付いて警護する護衛官になる。或いはそれらの役職に就いたり、省庁で事務官になる。だがケツァルは野外で走り回るのが好きな将校だった。ジャングルや砂漠の遺跡を守らせるのに打って付けだと大佐は考えた。
 新規開設部署の指揮官に任命するから部下を自由に選べ、と言われたケツァル少佐は後輩達の中から2人の男性少尉を選んだ。ステファンとマルティネスだ。動と静、荒削りと繊細、貧民街出身とブーカ族の名家の御曹司、面白い取り合わせで、その2人は仲が良かったのだ。しかもステファンは半分以上グラダだった。勇敢で運動能力は抜群だ。”ヴェルデ・シエロ”としての能力の使い方を知らない”出来損ない”だが、なんでも上手く出来る優等生のマルティネスと一緒にさせれば学ぶことも出来ると彼女は考えた。そして遺跡では祀られ方が悪くて悪霊と化した神様を鎮めるのにマルティネスの才能が絶対に必要でもあった。
 大統領警護隊文化保護担当部が活動を軌道に乗せると、長老会にも噂が届いた。ウナガン・ケツァルとシュカワラスキ・マナの娘が、グラダの血を引く男を部下として使っていると。長老達は聞き流したが、2人だけ、気にした男がいた。歳を取って長老となったトゥパル・スワレと彼に宿るニシト・メナクだ。シュカワラスキの子供達が何時真相を知るか、気が気でなかったであろう。
 そんな時に事件が起きた。シオドア・ハーストが”曙のピラミッド”に近づいてしまったのだ。ママコナの結界を破った男の存在を聞いて、スワレ=メナクはステファンかと不安になったのだ。ところが、シオドアをママコナの好奇心から守る為に、ケツァル少佐が彼をオクタカス遺跡に隠してしまった。スワレ=メナクはシオドアを観察する為に配下の陸軍兵士をオクタカス遺跡の警備隊に送り込んだ。そこで配下の兵士は、既にオクタカス遺跡で警備の役に就いていたステファン中尉を見つけてしまった。報告を聞いたスワレ=メナクは慌てた。彼等はそれまでシュカワラスキの息子が己の近くで大統領警護隊として働いていたなどと夢にも思わなかったのだ。彼は警備兵の配下に命じて”風の刃の審判”を用いてシュカワラスキの息子の能力の大きさを試させた。そして防御本能しか使えない”出来損ない”だと断じて、放置することにした。”出来損ない”なら何時でも殺せるとたかを括ったのだ。

 

星の鯨  9

  シュカワラスキ・マナは長老会が彼の娘を他人に与えてしまったことを知らされなかった。彼はウナガンの忘れ形見を養育したいと望み、子供を渡してくれと長老会に要求した。しかし彼の要求は誤解された。イェンテ・グラダ村では、純血種を生み出す為に古代の風習を取り入れ、男が妻以外の女性に産ませた自身の娘と婚姻することが平然と行われていたのだ。シュカワラスキは要求を拒絶されると、愛する女性を失った悲しみで自棄を起こした。大神官になる為の勉学を全て放棄して、グラダ・シティを逃げ出してしまったのだ。
 愛する妻を失い、同志と頼みにしていたシュカワラスキに逃げられてしまったニシト・メナクは絶望した。彼は自殺を図ったのだが、その時、彼と親しかったブーカ族のトゥパル・スワレに発見されてしまった。トゥパルはかねてからグラダ族の巨大な能力に羨望を抱いていた。ニシトの権力を手に入れて一族へ復讐しようと言う考えと、グラダ族の能力があれば権力を欲しいままに出来ると言うトゥパルの欲望が、その瞬間にマッチしてしまったのだ。ニシトは己の肉体を棄て、トゥパルの肉体に入った。一人の肉体に2人の心が同居したのだ。
 ニシト・メナクは自害したとされ、その体は一般のセルバ人と同じ墓地に葬られた。ニシト=トゥパルはそれから暫く一族を欺いて大人しく暮らしていた。
 一方、グラダ・シティを逃げ出したシュカワラスキ・マナは流れ流れてセルバ共和国第2の都市オルガ・グランデの鉱山町に辿り着いた。そこで偶然にも、或いは運命的な出会いがあった。彼は、イェンテ・グラダ村が殺戮に遭う2、3年前に村から鉱山町へ出稼ぎに出ていた男達と知り合ったのだ。男達は故郷の村が消えてしまったことを知っていたが、その理由を知らなかった。故郷喪失を悲しみながらも、新しい生活を守る為に、普通の市民として生きていたのだ。シュカワラスキは彼等と同じ鉱夫になり、鉱山で金鉱石を掘って働いた。そして同郷の男の一人の家族と親しくなった。彼女の名前はカタリナ・ステファン、母親は白人と”ヴェルデ・ティエラ”先住民のハーフだった。4分の1白人、4分の1”ヴェルデ・ティエラ”先住民、そして残りは割合が不明だが、グラダ族の血を含む”ヴェルデ・シエロ”の女性だ。カタリナの父親は娘が普通の人間として生きていけるよう、彼女が赤ん坊の時に能力を封印していた。だからカタリナは”心話”しか使えなかった。それでもシュカワラスキと心を通じ合わせるのに十分だった。
 シュカワラスキとカタリナは町の小さなカトリック教会で結婚式を挙げた。”ヴェルデ・シエロ”でもカトリック教徒はいるが大神官になる筈だった男が異教の神の前で愛の誓いをしたのだ。

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デネロス少尉とアスルが思わずステファン大尉とケツァル少佐を見比べた。シオドアは彼等の心の中が読める気がした。

 まさか、この2人は姉弟だったの?
 大尉は姉君に恋心を抱いているのか?

少佐と大尉は互いにチラリと目を交わし、肩をすくめ合った。

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 グラダ・シティからはシュカワラスキ・マナ捕縛の命令が出されていた。大神官の修行を貫徹させずに逃げ出した純血のグラダが暴走した時、どれだけ危険か、長老会が危惧したのだ。他にグラダ族に匹敵する能力の人間はいない。彼等はシュカワラスキの逃亡から2年目に彼をオルガ・グランデで見つけた。
 ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォはブーカの名家の当主で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 シュカワラスキは拒否した。彼は家族を得て、初めて人並みの幸福を知ったのだ。しかし長老会は彼の我儘を許さなかった。そこでエルネンツォは彼に子供を寄越せと迫った。マナの子供は確実に半分グラダだ。それ以上の可能性もあった。教育次第で男の子なら大神官になれるかも知れない、女の子なら次代のママコナを産めるかも知れない。当然ながらシュカワラスキはそれも拒否した。彼の最初の子供は女の子だった。彼は義父を真似て娘の能力を封印しようと試みたが、中途半端で修行を投げ出した彼には難し過ぎた。娘は死んでしまった。
 我が子を死なせてしまったシュカワラスキはショックを受け、オルガ・グランデを自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には無意味な結界だが、”ヴェルデ・シエロ”は出入りが出来なくなった。エルネンツォ・スワレは結界を下げさせる為に、シュカワラスキの2番目の娘を人質に取ろうとした。当時、オルガ・グランデの街に結界で閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”の中に、ファルゴ・デ・ムリリョがいた。考古学者だが、裏の顔は”砂の民”だ。彼は同僚であるエルネンツォの意を汲み、シュカワラスキの子供を拐いに行ったのだが、赤ん坊が麻疹に罹っていることを知った。直ちに医師に診せるようシュカワラスキに進言したが、父親は子供を人質に取られることを恐れ、拒否した。赤ん坊は死んでしまった。
 2人も続けて我が子を失ったシュカワラスキは当然ながら怒り心頭に発した。彼とエルネンツォ・スワレは激しく戦った。彼の妻カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと懇願した。生きていれば必ずまた会える、彼に死んで欲しくないと訴えたのだ。しかしシュカワラスキの怒りは抑えられなかった。
 赤ん坊の死から13日目に、エルネンツォ・スワレの遺体が発見された。全身の骨を打ち砕かれていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。当然シュカワラスキが疑われた。超能力で人間を殺害するのは大罪だ。長老会は全ての”ヴェルデ・シエロ”にシュカワラスキ・マナの捕縛を生死問わずで発令した。
 しかし、これは先日の調査会で判明したことだが、エルネンツォ・スワレを殺害したのは、弟のトゥパル・スワレに宿っていたニシト・メナクだったのだ。彼等は空間通路を使い、シュカワラスキの結界の隙間である地下の坑道を利用してグラダ・シティとオルガ・グランデを何度も往復していた。トゥパルにとっては兄の援助だったが、その言動に弟と異なるものを感じたエルネンツォにニシトの魂の存在を見破られてしまったので、殺害したのだ。誰もその事実に気が付かなかった。トゥパル自身も、兄を殺害したのはシュカワラスキだと思い込んだ。殺害時、彼の意識はメナクに抑え込まれていたのだ。ニシト=トゥパルはシュカワラスキに更に罪を被せる為に仲間を4人次々と騙し討ちで殺していった。地下水路を利用してオルガ・シティを脱出したムリリョや他の”ヴェルデ・シエロ”は真相を知る由もない。シュカワラスキ・マナは大罪人の汚名を着せられることになった。

星の鯨  8

  全ては遠い過去に始まった。
 出生率の低下で部族としての勢いを失ったグラダ族は歴史から消えて行き、その血を受け継いだ一部の者が集まってグラダ族の復権を企み、血を濃くする試みを始めた。しかし混血のグラダ達は気の制御が上手く出来ず、指導者もいなかった。試みは中央のママコナに秘密で行われていたからだ。他部族にも内緒で行われていた純血種への回帰は、彼等を狂気へと駆り立て、麻薬に頼るようになった。彼等イェンテ・グラダ村の存在が中央の長老会に知れたのは、その狂気が周囲の”ヴェルデ・ティエラ”に知られたからだ。既に時代は20世紀も終盤にかかっていた。ママコナと長老会は”ヴェルデ・シエロ”全体の安全を守ることを第一と考え、イェンテ・グラダ村をこの地上から抹消した。
 イェンテ・グラダ村の生き残りは幼過ぎて殺戮から免れた3人の子供だけだった。半分グラダのウナガン・ケツァルとニシト・メナク、そして大人達の念願だった純血種のシュカワラスキ・マナだ。彼等はそれぞれブーカ族の家庭で養育されたが、最年長のニシトは両親を殺された時の記憶があった。彼は成長するに従い、密かにウナガンとシュカワラスキにその事実を伝えたが、彼は親達が殺された本当の理由を知らなかった。生き残った子供達は、ただ一族への恨みを募らせて行っただけだった。
 ウナガンはママコナの神殿で働く女官となった。そして純血種故に大神官となるべく教育を受けている最中だったシュカワラスキに子供の父親になることを頼んだ。彼女はニシトと愛し合って結婚していたのだが、子供の父親は純血種が生まれる確率の高いシュカワラスキを選択したのだ。これはニシトも合意の上だった。ニシトは親を殺された恨みと、一族が混血のグラダである彼を無視して純血種のシュカワラスキだけを大切にしていると思い込み、一族への憎しみしか抱いていなかったのだ。ウナガンの権勢への欲望とニシトの一族への怨恨が手を結んだ。
 シュカワラスキは単純にウナガンを愛していた。だから彼は喜んで彼女の提案を受け入れ、子作りに協力した。彼が大神官になれば、ニシトも側近として権力を得られる筈だった。しかし、ウナガンは欲を出した。生まれてくる子供が女の子であったなら、ママコナにしようと考えたのだ。その為には当代のママコナが子供が産まれる前に死ななければならない。ウナガンは臨月になると、ママコナの暗殺を図った。しかし、ママコナの食事に毒を盛ろうとした彼女の手は突然動かなくなり、彼女はパニックに陥った。女官達に制圧された彼女は、企みを白状させられ、投獄された。
 ママコナは、ウナガンの腹の中の子供が、母親の悪意を感じて止めたのだろうと言った。ウナガンはそれを信じなかった。ママコナが彼女の子供を誑かし、彼女を罪に陥れようとしたのだと主張した。ママコナはそこで初めてイェンテ・グラダ村の生き残りの3人が心の闇を抱えていたことを知った。偉大なる巫女はウナガンの胎内の子供に語りかけ、子供が母親の毒気に侵されぬよう守り続けた。
 ウナガンが失敗して捕らえられたことを知ったニシト・メナクは妻を返せと長老会に訴えた。ウナガンの心の闇の原因が彼であることを知った長老会は彼の要求を退けた。ニシトはシュカワラスキにウナガンを救い出すよう求めたが、シュカワラスキは一族に逆らうことを良しとしなかった。その間に牢獄のウナガンは衰弱していった。企みが失敗した上に自身が愚かにも夫の怨恨に引き込まれたことを、ママコナとの連日の対話でようやく理解したのだ。激しい後悔と自責の念が彼女を弱らせていった。ママコナと女官達は彼女を救おうと尽力したが、彼女自身が死を受け入れたのだ。彼女は最後に一族への貢献として純血種の子供を産み落とした。シュカワラスキ・マナの娘だ。ママコナはウナガンに子供に名を与える栄誉を与えた。免罪だった。赤ん坊に最初で最後の乳を与えて名前を付けたウナガンは、安らかにこの世を去った。
 ウナガンの死を、2人の幼馴染で彼女を愛した男達は素直に受け入れることが出来なかった。彼女の夫として名目上の子供の父親になる筈のニシトは、子供を受け入れることが出来なかった。母親を胎内で裏切った子供だと罵り、養育を拒否した。長老会も彼に子供を託す訳にいかぬと判断した。子供の命を守る為に誰に育てさせるのが最善かと考えていると、ママコナが提案した。最も一族から遠い場所にいる一族に与えよう、と。子供は政治から遠ざけて育て、成長した暁にその将来の選択は誰も干渉してはならぬ、と。つまり・・・

「普通の子供として育つ様に」

とママコナは決定を下した。長老会は、ウナガンが産んだ赤ん坊を、白人の血が濃いサスコシ族のメスティーソ、フェルナンド・ファン・ミゲールとスペイン人の妻マリア・アルダ・ミゲール夫妻に与えた。シータ・ケツァルと言う本名以外の子供の身元に関する情報を一切与えずに。 

***********

「少佐は普通の子供じゃないですよ。」

とマハルダ・デネロス少尉がお茶を飲みながら言った。

「凄いお金持ちのお嬢様ですもの。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員達とシオドア・ハースト、アリアナ・オズボーンはケツァル少佐のアパートに集合して、今回の事件の顛末を少佐とステファン大尉とロホから聞かされていた。少佐達もあの迷路の様な坑道から救出されて長老会と大統領警護隊本部の合同調査会で知ったことを話しているのだ。最初は若い2人の少尉に何も教えないでおこうと彼等は思っていたのだが、”心話”でいつかぽろりと伝わってしまうかも知れない。それでは部下に上官に対する不信感が生じるのではないか、とシオドアが言ったのだ。シオドア自身も事件の整理がまだついていなかったし、アリアナも誘拐されたので巻き込まれた理由を知る権利があった。
 しかし、最初の部下からのコメントが、マハルダのちょっとズレた感想だった。話の腰を折られて、アスルが不満げにデネロスに注意した。

「話の展開にそんなことは問題じゃない。つまらんことに口を出すな。」

 デネロスがペロッと舌を出した。

「すみません・・・続けて下さい。」


2021/08/13

星の鯨  7

  復路は往路より辛かった。行きは4人だったが帰りは3人だ。目的を果たし、誘拐された2人を救出したが、彼等は空間通路で無事にグラダ・シティへ送り届けられた。残された3人は疲れた体に鞭打って荷物を背負い、坂道を登り続けた。
 先頭はシオドアだ。ヘッドライトの光だけを頼りに道を見つけて歩いて行く。真ん中のケツァル少佐はナビゲーターで、方向を指示する。最後のステファン大尉は2人分の荷物を背負って黙々と歩いていた。
 シオドアはライトの電池が使い果たされてしまうことを恐れた。最後の1個をセットする時、これがなくなれば真っ暗闇だと思い、気分も暗くなった。少佐と大尉は闇でも見えるが、自分が何も見えないと言うのは辛く苦しい。出来るだけ早く照明が設置されている現役の坑道へ出ようと頑張って歩いた。
 ケツァル少佐はまだ胸が痛むのか、時々立ち止まって片手で胸を抑えていた。呼吸を整え、再び歩き出す彼女に、シオドアは前を向いたまま水筒を差し出した。グラシャス、と彼女が低い声で感謝した。
 ステファン大尉はナワルを解いた。変身した姿から人間に戻ると丸1日は動けなくなると言う”ヴェルデ・シエロ”の体質に耐えて歯を食いしばって歩いていた。シオドアは休憩させてやりたかったが、休むとそのまま眠ってしまうと少佐に言われて、彼に我慢させるしかなかった。ストレス解消のタバコも許されなかった。気を抑制する効果は、ナワルを使った後の体に眠気を誘うのだ。
 シオドアは気を紛らわせる為に、独り言でも良いから喋ってみたくなった。

「俺達が出かけている間、文化保護担当部にはマハルダしかいないんだよな。アスルは脚が治る迄本部でリモートワークだろ? マハルダは忙しいだろうな。」
「そうでもないですよ。」

と少佐が応じた。

「隣の部署から回されてくる申請書類に記入漏れがないかチェックして、書類のデータを入力するだけです。警護の規模を考えるのはロホですから、ロホがいなければ書類を置いておけば良いのです。ロホの書類は溜まりますけどね。」
「カルロは何をするんだい?」
「カルロは予算の計上です。ロホが想定する警備規模に係る金額を算定するのが仕事です。」
「なんだ、カルロは会計士か。頭が良いんだな。アスルは何をしているんだ?」
「アスルは実際の警備に係る兵力の手配です。 但し、私が今言った仕事はオフィスの中だけですよ。」
「それじゃ、マハルダからロホへ行く途中で書類が止まるとアスルの仕事がない?」
「ありません。」
「君の仕事は?」
「私は承認です。警備規模、予算が適正であると判断したら承認の署名を入れます。するとマハルダが申請団体に連絡を入れて実際の準備に取り掛からせます。その間にアスルが陸軍に連絡を入れて警備隊を組織させるのです。」
「そして現地での警備の監督と遺跡の見張りを君達全員が交替で行うのだな?」
「スィ。」
「休日は何をして過ごすんだい? 省庁は土日は休みだろう? 君達も休みかい?」
「軍隊に休日はありませんが、それは建前です。」

と少佐がけろりとして言って退けた。

「まず、オフィスが閉まってしまうので、デスクワークが出来ません。文化保護担当部の業務は休業です。ですから、我々は軍事訓練を行います。」
「本部で? それとも士官学校で?」
「ノ。海岸とかバナナ畑とかサッカー場とか・・・」
「野外訓練だから、実際の場所に似たような所を使うんだな。」

 するとステファン大尉が囁く様な声で言った。

「訓練の内容は、主に隠れん坊や鬼ごっこです。それから宝探し・・・」

 シオドアは少佐を振り返った。

「遊びじゃないか。」
「ですから、建前だと言いました。」

 少佐は真面目な顔で言った。

「ジャガーの子供の訓練を参考にしているだけです。」

 シオドアは笑った。立派な大人が、それも泣く子も黙る大統領警護隊の軍人が、ビーチや畑で隠れん坊? 鬼ごっこ? 

「まさか、絶対に参加しなければならないのか?」
「任意です。」
「誰も来ない時は?」
「指定時間に来なければ、私はそのまま休日モードに入ります。」

 やっぱり遊んでいるのだ。少佐も必ずしも部下に相手にして欲しい訳ではなく、軍隊と言う集団である建前上、訓練を設定しているだけなのだろう。するとステファンが言った。

「マハルダは必ず参加していますね。」
「スィ。」

 少佐がちょっと立ち止まって休んだ。 シオドアも足を止めた。ステファン大尉は荷物を背負って立ったまま休憩だ。

「彼女は早く現場に出たいので、訓練も頑張っているのです。ですから、隠れん坊と言えども手は抜けません。」

 ステファン大尉が、シオドアが考えていた遊びではないことを教えた。

「我々の隠れん坊や鬼ごっこは実弾射撃を伴いますから。」
「空砲やペイント弾でなく?」
「実弾です。飛んでくる弾丸の破壊が大統領警護隊の役目ですから。」
「ああ・・・そうだったな。」

 ステファンが欠伸を堪えて横を向いた。また歩こうとシオドアが前を向くと、ライトの光の中に人影が現れた。彼は思わずアサルトライフルを構えた。

「誰だ?」

 すると相手が思いがけない名乗りを上げた。

「大統領警護隊遊撃班ファビオ・キロス中尉です。司令の命により、文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐、副官カルロ・ステファン大尉、及びグラダ大学客員講師テオドール・アルスト博士をお迎えに上がりました。」

 よく見ると彼の背後には10名ばかりの兵士が立っていた。皆目を金色に輝かせていた。ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉が前に出た。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐の副官ステファン大尉だ。ミゲール少佐は胸に深い傷を負われて平常の活動が困難である。またアルスト博士は民間人で”ヴェルデ・ティエラ”であるにも関わらず我々の助力となりお疲れだ。私に関して報告すれば、ナワルを使った直後である。従って速やかに本部へ我々を移送されたし。」

 キロス中尉がシオドアをジロリと眺め、それから少佐に視線を移した。恐らく2人の身体検査を”透視”で行ったのだろう、とシオドアは見当をつけた。果たして、キロス中尉は少佐の胸の傷が心臓にあることを発見して、青褪めた。

「そのお体で、一体どれだけの距離を歩いて来られたのですか?」

 少佐は肩をすくめた。

「歩くのに精一杯で距離を計測していません。あなた方の接近にも気づかなかったのです。大失態です。」
「時間にして・・・4時間かなぁ・・・」

 シオドアは時計を見ながら呟いた。

「疲れて空腹も感じない程だ。なぁ、カルロ・・・」

 振り返って、ドキッとした。ついさっき、あんなに堂々と口上を述べたばかりなのに、ステファン大尉は既に立ったまま居眠りモードに入りかけていた。
 ナワルを使える大統領警護隊の隊員達はステファンの疲労が理解出来たのだろう、笑ったりしなかった。キロス中尉がステファンにではなくケツァル少佐に言った。

「失礼しました。こちらに”入り口”があります。どうか、”通路”を出る迄眠らないで頂きたい。」

 少佐が彼に尋ねた。

「意識のない人間を通路で先導した経験はないのですか?」

 キロス中尉は戸惑って部下達を振り返った。誰もが首を振るのを見て、シオドアは文化保護担当部の隊員達が本隊の隊員より優秀だと思った。キロス中尉は赤くなって少佐に向き直った。

「申し訳ありません。我々は未熟です。」
「未熟ではなく未経験なだけです。」

 少佐は立ったままうつらうつらしかけたステファン大尉の顔の前で両手をパンっと叩いた。大尉がハッと目を覚ました。

「あと少しで任務完了です。それまで耐えなさい。」

 少佐に言われて、大尉は敬礼で応えた。そしてシオドアに小声で頼んだ。

「私がまた眠りかけたら、踵を蹴飛ばして下さい。」

星の鯨  6

  トゥパル・スワレの体に宿るニシト・メナクが悲鳴を上げた。シオドアは急に呼吸が楽になって、その場に膝を突いた。肺が空気を求め、彼は激しく咳き込んだ。ケツァル少佐が彼の体に腕をかけ、背中を優しく摩った。
 男の悲鳴が続いていた。シオドアが顔を上げて見ると、地面に倒れた男の上に大きな黒いジャガーがのしかかっていた。男は両腕を顔の前にかざし、噛まれまいと必死で抵抗していたのだ。シオドアは怒鳴った。

「殺すな、カルロ! そんなヤツの血で君の牙を汚すな!」

 ジャガーが逞しい前脚を持ち上げた。ケツァル少佐が叫んだ。

「止めい!」

 ジャガーの動きが止まった。男はまだ腕で顔を覆っていた。腕は傷だらけで血が流れ出ていた。その腕が少しでも動くと、ジャガーが威嚇の声を発した。

「退がれ、エル・ジャガー・ネグロ。」

 穏やかな男性の声が聞こえた。シオドアと少佐は声がした方向へ振り向いた。そして暗がりの中から湧いて出た5人の白い貫頭衣の人物を見た。彼等は全員奇妙な文様が入った人面の仮面を被っていた。長老会の人々だ、とシオドアは思った。
 別の声が同じことを繰り返したが、それは女性の声だった。

「退がりなさい、エル・ジャガー・ネグロ。」

 黒いジャガーは唸り声を出した。その「抗議」を理解したのか、先刻の女性が応えた。

「怒りは理解します。しかし、裁きは我々で行います。」

 ジャガーが男の体から下りた。まだ唸り声は続いていた。相手に、少しでも動くと爪を立てるぞと威嚇しているのだ。
 シオドアはケツァル少佐に手を貸して立ち上がった。彼等はニシト・メナク=トゥパル・スワレが地面に蹲り両手で頭を抱えているのを見下ろした。
 シオドアは新たに現れた人々に声を掛けた。

「あなた方は長老会の人々だとお見受けします。ここで起きたことを、何処からご存知ですか? 今来られた様に見えましたが・・・」

 3人目が答えた。

「暗がりの神殿にいると、ここでの会話が全て聞き取れるのだ。何処から聞いていたかだと? フン、黒猫が湖に入ったあたりからだ。」

 その喋り方に聞き覚えがあったので、シオドアはドキッとした。貴方は、と言いかけると、ケツァル少佐が脇腹を肘で突いた。仮面を被った長老に個人名を呼んではいけないのだ。
 4人目が説明した。

「アルファット・マレンカが白人の女を連れてピラミッドの太陽神殿へ戻って来た。彼の通報を受け、すぐに動ける者だけで彼の記憶を辿って太陽神殿から空間を抜けて暗がりの神殿に来たのだ。暗がりの神殿は禁忌の場所で長い間誰も立ち入らなかったので、仕組みもよくわかっていない。だが奥の壁の前に立つと、ここでのお前達の会話が全て聞こえた。」
「え? そんな仕組みがあったんですか?!」

 シオドアが単純に驚くと、少佐が小声で囁いた。

「私達が向こうにいた時、こちら側には誰もいなかったでしょ!」
「あっ、そうか・・・」
「恐らく、ここでの音声を壁の向こうで巫女や神官が聞いて、神託を行っていたのです。」

 4人目はシオドア達の口出しに気を悪くした様子もなく続けた。

「”入り口”も奥の壁にあった。襞の様な”入り口”だったので、マレンカの小倅も気付かなかった様だが。」

 最初の長老が後を継いだ。

「我々もここは初めてだ。ここへ来て初めて知ったことばかりでな・・・」

 彼は仮面越しに湖や天井を眺めた。

「恐らく、生きている者が知ってはいけない場所なのだろう。」

 彼には誰か懐かしい人が見えたのだろうか。
 すると5人目が初めて声を出した。

「急がせて申し訳ないが、この”ヴェルデ・ティエラ”は早く手当てしてやらなければ死んでしまうぞ。」

 彼は倒れていたシャベス軍曹を診ていたのだ。

「頭の中の出血を止めておいた。後は医者に任せるしかない。”ティエラ”は自分で治せないからな。」

 3人目がケツァル少佐に向き直った。

「ケツァル、そこで縮こまっている男を束縛せよ。」
「承知。」

 ケツァル少佐はスワレ=メナクを引き起こし、残っていたロープで後ろ手に縛り上げた。3人目の長老が薄刃のナイフを取り出し、男の前に屈み込んだ。

「聖地を汚す罪を知っているな?」

 彼がいきなり手を動かしたので、男が悲鳴を上げた。シオドアは3人目の長老が何をしたのかすぐにわからなかった。びっくりして男の様子を見ようとしたが、足元にジャガーがすり寄って来たので前に出られなかった。女性の長老がシオドアの為に教えてくれた。

「目を使えない様にしただけです。」

 目を潰したのか? シオドアはゾッとした。メナクはスワレが死んだ様なことを語っていたが、肉体の苦痛を感じたり、機能の低下は辛い様だ。
 3人目が罪人を立たせた。5人目が4人目にシャベス軍曹を運ぶ手伝いを要請した。

「年寄りの仕事ではないぞ。」

と4人目が文句を言ったので、シオドアはおかしく思えたが笑うのを控えた。3人目が宥めた。

「ここにいる若い連中は使えぬ。白人は神殿に入れられぬ。それでなくともマレンカの小僧が白人女を入れたので清めの為に女官達が奔走しておるのだ。ケツァルは手負で力仕事を任せられぬ。黒猫はまだナワルを解いておらぬ。解けても暫く動けぬだろう。」

 長老達は、罪人と怪我人を運んで暗闇の中へ消えていった。
 
 静寂が洞窟内に戻って来た。
 シオドアは命綱を片付け、ケツァル少佐も装備をリュックに片付けた。彼女がシャベス軍曹に投げつけたのは、温パック用に持参した使い捨てカイロだった。水泳で冷えたステファン大尉の為に使用しようとリュックから掴み出したところで、シャベス軍曹の存在に気がついたのだった。
 2人がせっせと作業をしている間、黒いジャガーは岩の上に寝そべって見物していた。ゴロゴロ喉を鳴らす音が響いていた。シオドアが声をかけた。

「おい、寝てないで手伝えよ。」
「放っておきなさい。」

と少佐が地面に罪人の血が落ちていないか確認しながら言った。

「ナワルを解いても寝てるだけです。すぐには役に立ちません。」
「それじゃ、猫と同じじゃないか。」

 2人で言いたい放題だ。

「どうやって帰るんだ?」
「暗がりの神殿までなら、”入り口”を使えるでしょう。」
「そこからは?」
「歩きです。」
「俺たちは太陽神殿へ行く通路を使えないのか?」
「無理です。私も権限を与えられていません。」
「ロホは空間通路でめっちゃ早く帰れたんだよな?」
「ロホだから出来たのです。私が普通の”入り口”を見つける迄はひたすら歩きです。」

 荷造りが終わったので、シオドアは黒いジャガーのそばへ行った。ジャガーが緑色の目で彼を見上げた。シオドアは屈み込んで、ビロードの様な毛皮を撫でた。本当に美しい獣だ。強くて逞しい。古代の人々が神として崇めたのも理解出来る。

「もしかすると親父さんの無実が認められるかも知れないな。少なくとも、殺人の罪は免れると俺は思う。君は親父さんのことを堂々と語れるんだ。」

 ジャガーが目を閉じて頭をシオドアの胸に押し付けて来た。シオドアはその逞しい首を抱いてやった。ゴロゴロ・・・ジャガーが喉を鳴らし続けた。
 少佐が呟いた。

「ジャガーもリュックを背負えるかしらね・・・」

 天井や鯨を覆う無数の光の点達が笑ったかの様に瞬いた。


2021/08/12

星の鯨  5

  白い貫頭衣の男がジリジリと下流の岩壁の方へ回り込みながら近づいて来た。

「その女は、母親の腹の中にいる時に、母親を死に追いやったのだ。儂の妻が惨めに牢獄で死んでいったにも関わらず、己はのうのうと生きておる。許し難い存在だ。」

 その話を何処かで聞いたことがある。シオドアは相手を見つめた。

「貴方は、ニシト・メナクか?」
「アイツはブーカです。」

と少佐が囁いた。

「グラダではない。でも・・・」

 彼女は戸惑っていた。

「時々気の大きさが変化します。」
「どう言うこと?」
「時々グラダで時々ブーカ・・・」

 シオドアは相手の動きに合わせて体の向きを変えた。少佐を常に後ろへ隠す形になろうと務めた。男が声を張り上げた。

「こっちへ来い、ケツァル! お前は儂の娘になる筈だった女だ!」
「やっぱり、ニシト・メナクだ。」

とシオドアは言った。

「貴方、自殺したんじゃなかったのか? ウナガン・ケツァルがママコナの暗殺に失敗して捕らえられた時に、彼女を救出することもしないで、ただ返せと訴えただけだろ? ウナガンがシュカワラスキ・マナの子供を身籠ることを黙認したくせに、生まれた子供を引き取ることを拒否したんだろ? ウナガンが死んでマナが逃げ出したら、絶望して自分で死を選んだんじゃないのか? 勝手な男だよな。イェンテ・グラダ村の殺戮の時、ウナガンもシュカワラスキもまだ赤ん坊で何も覚えちゃいなかった。貴方が彼等に教えて、親の敵討ちに誘い込んだんだ。それなのに仲間が失敗したら、自分だけ逃げた。死んだふりをしたのかい? 今までブーカ族のふりをして、一族を騙していたんだな?」

 喋りながら、彼は岩に結えつけていた命綱が弛んでいることに気がついた。ステファン大尉は何処へ行った?
 男がフッと笑った。皺だらけでよくわからないが、笑ったのだ。

「儂はブーカ族のふりなどしておらぬ。元々半分ブーカだった。そしてこの体は完全にブーカだ。」

 少佐がシオドアの後ろから顔を出した。

「貴方はトゥパル・スワレの体を乗っ取ったのか、メナク?」
「乗っ取った? 憑依したってことか?」

 シオドアは目の前に立っているのが化け物に思えてきた。こいつを倒せるのだろうか?

「憑依か・・・」

と男が言った。

「確かに。儂とトゥパルは契約したのだ。トゥパルは儂のグラダの力を欲しがった。儂は一族に君臨する力が欲しかった。スワレの家長になればそれは夢ではない。だから儂はニシト・メナクであることを捨てたのだ。」

 それは何時のことだ? シオドアは疑問を感じた。ニシト・メナクが自殺したことになっているのは、シュカワラスキ・マナがグラダ・シティから逃げて半年後だ。その時にメナクとトゥパル・スワレの間で契約が成立していたとなれば、スワレ家の人々はずっと彼等に騙されていたことになる。兄のエルネンツォも・・・。
 突然、シオドアはある考えに至った。彼は男に尋ねた。

「エルネンツォ・スワレを殺したのは、シュカワラスキ・マナではなく、貴方じゃないのか?」
 
 男は答えなかった。否定しないのだから、沈黙は肯定だ、とシオドアは確信した。

「エルネンツォは貴方が弟とメナクの二重の人格を同居させている人間だと知ってしまったんだ。だから、貴方は兄を殺害して、シュカワラスキ・マナに罪をなすりつけた。そして4人の”砂の民”も貴方が殺したんだ!」

 彼は暗闇をライフルで指した。

「スワレはブーカだから、空間通路を自在に使える。シュカワラスキ・マナが作った結界も貴方には意味がなかった。この坑道の中にいくつか”入り口”と”出口”を持っていたんだろ? だから鯨の文句が書かれた神殿も知っていたし、ここへも出て来られたんだ。」

 男が低い声で笑った。

「トゥパルは本気でシュカワラスキ・マナが兄を殺したと思い込んでいたぞ。己の手で殺しておきながら、記憶がなかったのだ。儂がグラダの力を使う時は意識がなかったからな。だからシュカワラスキの倅が成長してグラダ・シティにいると知ると、儂に消してくれと頼んだ。己の力でグラダに挑むことは不可能だと怖気付いたのだ。儂はまだ正体を誰にも知られたくなかった。だからややこしい技で”ティエラ”の兵隊どもを操らねばならなかった。儂にはまだやるべきことがあったからな。」
「何をやるつもりなんだ?」

 シオドアは男の背後の岩陰から真っ黒な影が出て来るのを視野の片隅に捉えた。

「トゥパルの体は老いた。」

と男が言った。

「この体はもう使い物にならぬ。トゥパルもいなくなった。」
「え?」

 とシオドアと少佐が同時に声を出した。トゥパルがいなくなったと言うことは?

「アイツは消えたのだ。白人の女がシュカワラスキ・マナの倅を殺した時にな。」
「つまり、貴方の宿主は寿命が尽きて死んだのか。」

 シオドアは目の前の男が屍人なのだと悟った。自殺した男の魂が動かしている死体だ。
 男の背後から黒い影が近づいて来た。緑色の二つの目が輝いていた。
 シオドアは叫んだ。

「それじゃ、貴方も潔くあの世に行ったらどうなんだ?」
「儂はまだ行かん。その女を寄越せ。グラダの体が必要だ。」
「何を世迷言を言ってるんだ? 狂っているのか?」

 いきなり喉が詰まった。締め付けられた。彼はライフルを落とした。何かに首を絞められる・・・少佐が彼の体に縋り付いてきた。

「テオ! アイツを振り払いなさい!」

 その時、 野獣の咆哮が洞窟内に轟いた。


星の鯨  4

  光の点達が騒ぎ始めた。サワサワザワザワと音が大きくなってきた。シオドアは銃口を見つめた。洞窟内の光が増した様な気がした。暗闇が薄くなり、男の姿がぼんやりと見えてきた。ヨレヨレのシャツと泥だらけのパンツ姿のエウセビーオ・シャベス軍曹が、アサルトライフルを手に立っているのだった。ライフルはケツァル少佐の物だ。軍曹はじっとシオドアに照準を定めていた。シオドアは頭の中で周囲の風景を展開させてみた。身を隠せる岩がそばにない。体を地面に投げ出してもライフルの銃弾を避けられない。
 ケツァル少佐はじっとしていた。荷物を取ろうとしてライフルがないことに気がついたのだろう。そしてシャベス軍曹の存在を知って、武器から目を離してしまった己のミスを悟ったのだ。彼女の目は軍曹を見ていなかった。前方の暗闇を向いていたが、多分全神経はシャベス軍曹の指の動きに集中させている筈だ。シャベス軍曹はトゥパル・スワレの”操心”に掛けられているから、そこに更なる”操心”を上書きすることは至難の業だ。シオドアは彼女がアリアナの”操心”に”幻視”を上書きした時のことを思い出した。アリアナに少佐自身をステファン大尉だと思わせることは成功したが、トゥパル・スワレの”操心”を解くことは心臓を刺される迄不可能だった。
 少佐は今どうしようかと考えている、とシオドアは思った。下手に動いて軍曹に引き金を引かせてしまったら、シオドアは確実に撃たれる。ここは”連結”とか言う技しかないのでは? しかし今の少佐にそれを使う力が残っているだろうか。
 その時、湖の何処かでパシャッと水音が響いた。シャベス軍曹の注意が一瞬そっちへ飛んだ。少佐がリュックの中で掴んでいた何かの小袋をシャベス軍曹に投げつけた。軍曹が小袋に銃口を向けた。シオドアは夢中で軍曹に突進した。軍曹が銃を構え直す前にタックルした。
 アサルトライフルが火を吹いた。天井の岩に向かって数発の銃弾が撃ち込まれ、岩の破片が落ちてきた。シオドアとシャベス軍曹は岩の上に倒れた。軍曹の頭の下でゴツッと嫌な音がした。シオドアは必死で彼の手からライフルを奪い取った。シャベス軍曹は頭を上げかけ、また落とした。頭上でザーザーと音がした。光の点が乱舞していた。銃弾に驚いたのか?
 
「テオ!」

と少佐が呼んだ。シオドアは彼女を振り返った。ケツァル少佐がシャベス軍曹が立っていたその奥の暗闇を指差した。真っ暗だったが、何か白い物が近づいて来るのが見えた。シオドアは立ち上がり、アサルトライフルをそちらへ向けた。

「少佐、俺の後ろに来い!」

 多分、ケツァル少佐は今迄他人の後ろに隠れるなんてしたことがなかっただろう。しかし彼女は素直に彼の後ろに来た。

「スワレか?」
「スィ。」
「丸腰か、何か持っているか?」
「杖を持っています。武器はそれだけです。」

 つまり、杖を武器にする可能性はあると言うことか。相手は”ヴェルデ・シエロ”だ。銃火器や刃物を持っていなくても、危険な存在であることに間違いない。

「向こうに坑道があるのか?」
「ノ・・・”出口”から来ました。」

 つまり、空中から湧いて出てきたのだ。
 シオドアはシャベス軍曹に視線を向けた。シャベスは倒れたまま動かなかった。頭の打ちどころが悪かったのか? シオドアは彼に怪我をさせたのではないかと不安になったが、確かめる余裕がなかった。
 天井の点が動き、見える範囲が広がった気がした。近づいて来る人物がシオドアの目にも見える様になった。白い貫頭衣を着た男だ。身長が高く、頭髪は薄い。残っている髪の毛は真っ白だった。シオドアは骸骨が歩いているのかと思った。それ程に男は痩せこけてシワだらけだった。目は”ヴェルデ・シエロ”らしく暗闇の中で金色に光っていた。シオドアは彼に声を掛けた。

「貴方がトゥパル・スワレか?」

 男が足を止めた。微かに驚いている気配を感じられた。シオドアは相手が何に驚いたのかわかった。

「俺に”操心”を掛けているつもりだったか? 生憎、俺は特異体質なんでね、あなた方の常識に当てはまらないことが多いんだ。もっとも、俺の立場から言わせて貰えば、あなた方”ヴェルデ・シエロ”の方が人間の常識から外れているがな。」

 男が嗄れ声で言った。

「お前に用はない、その女を渡せ。儂のものだ。」

 シオドアの後ろでケツァル少佐が「はぁ?」と声を出した。シオドアは相手を挑発してみた。

「馬鹿か、貴方は? 彼女が貴方みたいな爺さんのものになる筈がない。」

 男が杖でシオドアを、と言うより彼の後ろにいるケツァル少佐を指した。

「その女は儂の妻を殺した。儂等の計画を潰した。だから、その報いを受けさせる。」

 支離滅裂だ、とシオドアは思った。ケツァル少佐がいつブーカ族の長老の妻を殺したのだ? ところが、後ろで少佐が呟いた。

「アイツ、誰?」

 

星の鯨  3

  ロープを結えつける岩は抜け穴がある岩壁が湖に面している辺りにしかなかったので、そこに結びつけた。腰にロープを巻いたステファン大尉を見て、不安解消を兼ねてシオドアは揶揄った。

「まるで繋がれた猫だな。」

 ステファン大尉はふんと言った。

「せめてジャガーだと言って下さい。」

 彼は丸腰で1メートル程の岩を下り、水に脚を浸けた。ああ、と声を上げたのでケツァル少佐が慌てて水辺に来た。

「どうしました?」
「水が冷たい。」

 少佐が肩の力を抜いたので、シオドアはクスッと笑った。

「なんだかんだ言っても、君は彼が心配なんだ。」
「部下の安全は上官の責任ですからね。」

 少佐は彼と並んで湖の中の部下を眺めた。
 水深は1メートル20センチ程だろうか。足が立つ様だが、ステファン大尉は泳ぎ始めた。水流を斜めに遡っていくのは、帰りが楽だからだろう。シオドアは水温を考え、”ヴェルデ・シエロ”はどれ程の低温に耐えられるのだろうと心配した。氷の様な冷たさではないが、普通の人間が長時間浸かっていられる温度ではなかった。
 天井の光る点達がまた騒ぎ出した。と言っても攻撃する気配はなく、ザワザワと動いているだけだったが、少しばかり活発になった様だ。少佐が天井を見上げた。シオドアが知り合いでもいたかと尋ねると、「ノ」と答えた。

「誰の顔も見えません。ただ光が動いているだけです。」
「俺もザワザワ木の葉が風に揺れる音みたいなものしか聞こえない。」

  命綱のロープはまだ余裕があった。少しずつ水の中へ入っていくロープをシオドアは見ていた。
 ステファン大尉が鯨に辿り着いた。彼が手を伸ばすと光の点がサッと左右に動いた。岸辺のシオドアにもそれが見えたので、彼は声をかけてみた。

「その小さいのは生き物かい?」
「その様にも見えますし、違うかも・・・」

とステファンが曖昧な返事をした。

「手に触れても感触がありません。」

 彼は光のベールの中に手を突っ込んだ。彼の腕が肘まで光の中に入って行ったので、シオドアはドキドキした。まさか、あのまま吸い込まれるんじゃないだろうな?
 ドンっと音がした。少佐が「何?」と尋ね、ステファンが答えた。

「拳で叩いてみました。金属のようで・・・少し温かい・・・すべすべして・・・」

 どうやら鯨の本体に触れている様だ。

「何処にも手をかけられる場所がありません。反対側へ行ってみます。」

 彼は鯨の尾なのか頭なのかわからないが、上流側へ鯨の流線形の体に沿って泳いで行った。命綱がどんどん水の中へ入って行く。

「あれは何だと思う?」

 シオドアは少佐に声を掛けた。少佐はまた首を傾げた。

「人工物だと思いますが、見当がつきません。」
「U F Oかな?」
「地下にU F Oですか?」
「何処かの火山から地下へ入り込んで隠してあるとか・・・」
「誰が?」
「君達のご先祖?」
「テレビの見過ぎですよ。」

 超能力者に軽くいなされてしまった。

「兎に角、君達のご先祖はこの湖と鯨を見て、神秘的なものを感じたのは間違いない。だから神殿を造って祀ったんだ。あの神殿に神像がなかったのは、ここに本尊があるからさ。」

 ステファン大尉が鯨の端っこに到着した。そのまま島陰に回り込んで姿が見えなくなった。シオドアは耳を澄ました。手で水をかく音が聞こえたので、ホッとした。

「そっち側も同じかい?」
「スィ。」

 シオドアは命綱がもう残り少ないのを見た。

「そろそろ戻って来いよ。ロープがいっぱいいっぱいだ。」
「承知・・・」

 遂にロープがピンと張った。シオドアは岩に結びつけてある付近を掴んで、くいくいと引っ張ってみた。抵抗があった。ステファンが引いたのか、鯨の端っこで何かに引っかかったのか。シオドアはステファンの服とアサルトライフルを岩の根元に移動させた。大尉が水から上がったら直ぐに服を着られるよう準備した。バスタオルはないが、汗拭き用の小さいのはある。少佐もリュックの所へ戻った。何かを取り出そうと彼女が荷物を探りかけて動きを止めた。シオドアは彼女から2メートル程離れたところで、大尉の軍靴を掴み上げようとしていた。微かに気温が下がった気がして、彼女の方を見た。

「どうした・・・」

 彼は口を閉じた。暗闇の中から1丁のライフルが突き出されていて、シオドアを狙っていた。



星の鯨  2

  透明な湖が目の前にあった。天井や奥行きがどの程度の距離なのかわからないが、水の上の空間はかなり広い様だ。そこにキラキラ光る小さな物体が無数に見えた。岩に付着しているのか、空中に浮かんでいるのかわからない。土蛍なのだろうか。しかしシオドア一行の目を捉えたのはもう一つの光る物体だった。それは湖の中央辺りに横たわっていた。兎に角大きな物体だった。長さは100メートル以上あるだろうか、幅もかなりありそうだった。緩やかな流線形で半分水面下にあった。水上に出ている部分は光っていた。さまざまな色彩が絶えず波打つように変化して、表面はすべすべの様に見え、次の瞬間には粉を吹いている様にも見えた。表面から時々光る小さな物体が飛び立ったり、集まってきたりしている様にも見えた。透明な水の底は金色だった。金鉱石でもあんなに金色ではないだろう、とシオドアは思った。空中の光る小さな物体は、湖底の金色の光を受けて光っている様にも見えた。
 ケツァル少佐が呟いた。

「太陽の野に星の鯨が眠っている・・・」

 ステファン大尉が記憶を探る表情をした。

「祖父の昔話のイメージより明るいですが、ほぼ同じです。」
「それじゃ、君のお祖父さんはここ迄来たことがあるんだな?」
「祖父に見せてもらったイメージはもっと暗かったのですが、ここは予想以上に明るいです。」

  シオドアは星の鯨をもっと良く見ようと水辺に近づいた。滝の方を見ると、綺麗な岩壁が水を堰き止めているのが見えた。あれは人工物じゃないのか? シオドアは湖を見回した。壁が綺麗に滑らかな曲線を描いている。巨大な水盤の様に見えた。底が平に見えるのは目の錯覚ではなさそうだ。天井も凸凹していなかった。キラキラ輝くものに覆われているが、プラネタリウムの様にも思える。そして、時々横へ動く点もあった。
 彼は鯨を見た。表面を覆っている光る物も動いているのだ。あれは生き物だろうか。光る生物なのか? 
 突然空気がぴっと冷えた様な気がして、シオドアはびくりとした。後ろを振り返ると、ケツァル少佐が空中の一点を見つめていた。彼女の目の前を小さな光の点がゆっくりと移動していた。少佐はそれを見つめていたのだ。シオドアはステファン大尉の反応を伺った。大尉もやはり少佐と同じ物を見つめていた。
 光る点が湖の方向へ動き、少佐と大尉がそれを目で追った。シオドアも点を見たが、虫の様な羽根は見えなかった。兎に角小さい。小さいが光っているので見える、そんな大きさだ。光はゆっくりと飛んでいたが、水上に出ると急に速度を得てスッと中央の鯨の形の島へ去って行った。
 ステファン大尉が息を吐き出した。そして島を見たまま、少佐に話しかけた。

「グリュイエでしたね?」
「スィ。」

 少佐が夢見心地の表情で答えた。シオドアは「グリュイエって?」と尋ねた。大尉が少佐を見た。少佐が我に帰った。そしてシオドアを見上げて答えた。

「大統領警護隊文化保護担当部に配属される予定だった少尉です。」
「予定だった?」
「配属の打診を受けて本人も喜んで承諾した日の夕方に亡くなったのです。」

 シオドアは鯨の島を見た。もうさっきの光の点が何処へ行ったのかわからなかった。

「その人が、さっきの光だったのか?」
「わかりません。彼の顔が光のそばに見えたのです。」
「幽霊か?」

 少佐は首を傾げただけだった。シオドアはステファンを見た。ステファンが彼に向き直って説明した。

「グリュイエは陽気で優しい若者でした。アスルの後輩でアスルに憧れて彼と同じ部署を希望したのです。」
「希望が通って嬉しかっただろうな・・・」
「スィ。彼は上官に配属の承諾をした日の夕方、アスルにその報告をするつもりだったのでしょう、バスで文化・教育省へ向かったのです。そのバスが事故を起こした・・・信号無視のトラックと衝突したのです。6人の死者が出ました。」
「グリュイエもその一人だったんだ・・・」
「アスルは彼の死を受け入れられなくて、事故の瞬間に飛んだのです。」

 アスルことキナ・クワコ少尉は時間跳躍を自在に出来るとシオドアも聞いたことがあった。但し、それには厳しい掟があって、未来に飛んだり、過去の歴史を変えることは絶対に許されない。アスルは後輩のグリュイエを助けたかったのだろうが・・・。

「グリュイエは脚を曲がったバスの車体に挟まれていたそうです。それでも近くにいた妊婦を助けようと、気で彼女を外へ弾き飛ばした。その直後にバスは火に包まれてしまったのです。一瞬のことだったそうです。」

 少佐が言った。

「私は彼に会ったことがありません。配属希望者がいると副司令から推薦状を受け取っただけでした。彼に会うのを楽しみにしていたのに突然の悲報でショックでした。彼は、大統領警護隊の”名誉の殉職者”に列せられて写真が礼拝堂に飾られています。ですから、彼の顔は知っているのです。」

 そう言えば、マハルダ・デネロス少尉が大統領警護隊文化保護担当部に配属された時、「空きがある」と上官に勧められたと言っていた。その「空き」がグリュイエ少尉の死去だったのだ、とシオドアは悟った。恐らく、グリュイエ少尉が文化保護担当部を希望していたと言う事実をデネロス少尉は教えられていないのだ。ケツァル少佐もステファン大尉もロホもアスルも彼女にそんな悲しい事情を教えない。デネロス少尉は将来の進むべき道をなかなか見つけられなくて、偶々空きが出来た場所にやって来た。そして楽しく働いている。だから、それで良いのだ、と彼女の上官達は考えている。

「事情はわかった。だけど、どうしてその夭逝した英雄が、こんな所に現れたんだ?」
「わかりません。カルロも私も彼と直接の接点がありませんでしたし、さっき彼を見る迄彼のことを思い出したこともありませんでした。ですから、いきなり彼が目の前に現れて、私は仰天してしまいました。」
「でも君達は、すぐに彼だとわかったんだ?」
「スィ・・・本当に、すぐわかりました。」
「私もです。」

 ステファン大尉は光る点達を見上げた。シオドアはふと思ったので、言葉に出してみた。

「普段もこんなに輝いて動いていたら、鉱夫達にもっと知られていたよな?」

 ステファンが振り返った。

「どう言うことです?」
「この光の点は普段はじっとして余り輝いていないんじゃないかな。だけど、今日は俺達が来た。強力な力を持ったグラダ族が2人と白人だ。だから、彼等は騒いでいる。」
「しかし、何故グリュイエが・・・」
「テオがいるからでは?」

と少佐が言って、シオドアを驚かせた。

「俺が?」
「貴方はバス事故の生き残りでしょう?」

 ああ、とシオドアは声を立てた。

「グラダ族とブーカ族の強い力が神殿から発せられたのを感じて、彼等は目覚めたんだ。そして、大統領警護隊文化保護担当部の指揮官と副官がやって来た。同行している白人がバス事故で生き残ったヤツだ。だからグリュイエ少尉は興味を持って挨拶に近づいた・・・」

 彼は湖を指差した。

「あの湖は死者の魂の場所か?」
「それも英雄の・・・」

とステファンは呟き、彼はリュックを背中から下ろした。岩に座っている少佐の横に荷物を置き、アサルトライフルも置いた。

「あの島を見てきます。」
「はぁ?」

 シオドアは彼の前に立った。

「いきなり何を言い出すんだ? あれが何かもわかっていないのに、そばへ行くのか?」
「何かわからないから調べに行くのです。」

 ステファンは既に服を脱ぎ始めていた。少佐が言った。

「許可していません。」
「今やらなくて、何時やるのです?」

 大尉は好奇心と言うより、することをさっさと済ませて帰ろうと言う気分だ、とシオドアは感じた。トゥパル・スワレと戦ったら、もう鯨を調べる余力は残らないだろうと思っているのかも知れない。後日またここへ来ることは考えていない。きっとここにまた来たいなんて思っていないのだ。
 ステファン大尉は見事な筋肉をシオドアの前に曝し、軍靴も脱いだ。ボクサーパンツ1枚になると、少佐がリュックのサイドに装備されていたロープを掴んで彼に投げた。

「水の流れは見た目より疾いですよ。しっかり固定させて体に結えて行きなさい。風邪をひいたら承知しません。国防省病院に叩き込みますからね。」



 



2021/08/11

星の鯨  1

  メンバーが3人になった。正直なところ、全員がまだくたびれていた。ケツァル少佐は胸の痛みが動きの妨げになっていたし、ステファン大尉は眠気が残っていたし、シオドアも緊張の連続だったので休みたかった。しかし彼等はなんとなく神殿にいても何の進展もないと感じていた。少佐にも大尉にも、神殿の彫刻や建築様式を見てもその目的がわからなかった。入り口の神代文字は読めるのに、何の為の神殿なのか、どこにもヒントが残されていなかったのだ。

「アリアナがやって来た方角へ行ってみよう。」

とシオドアは提案した。

「ただ、水がもうないんだ。水汲みを先に済ませておいた方が良いと思う。」

 すると少佐が言った。

「全員で一緒に行動しましょう。これ以上散開するのは危険です。」

 彼女は全員を守る体力がないのだ。彼女の余力は今彼女自身の傷の治療に集中して使用されている。だから仲間に遠くへ行って欲しくないと思っていた。シオドアもステファン大尉もそれを理解した。

「それじゃ、全員で俺が水を汲んだ場所まで行こう。距離はそんなにないが、下り坂があるから、足元に注意してくれ。」

 ステファン大尉が少佐に尋ねた。

「私の背中に乗られますか?」
「結構です。」

 少佐は彼女のリュックをシオドアに差し出した。

「誰の背中にも乗りませんが、荷物も水筒とライフル以外は持ちません。」
「それで結構です。」

と大尉が素っ気なく言った。まだ完全に仲直りした雰囲気ではない。シオドアは心の中で肩をすくめた。似たもの姉弟だ。互いに意地を張っているが、仲直りは突然やってくる筈だ。それまで彼は我慢しなければならない。
 3人は静かに神殿を離れた。ゴミの一切はロホが持ち去ってくれた。遺跡を汚すなと言う文化保護担当部の規則を守ったのか、自分達の痕跡を他人に辿られたくないのか、恐らくその両方だろう。 
 真っ暗な道を歩いて行った。足音を立てるのはシオドアだけだ。軍靴を履いているのに、大統領警護隊の隊員達は決して足音を立てない。だから先頭を歩いているシオドアは時々仲間がちゃんと後ろをついて来ているのか不安になった。すぐ後ろが少佐で、最後がステファンだ。

「俺の歩みが遅いので、まどろっこしいだろう?」

と声をかけると、少佐が「ノ」と言った。

「今の私には丁度良いペースです。」

 神殿の右手を真っ直ぐ歩き、坂を下って突き当たった壁を今度は右に折れて壁沿いに歩くと地下の水流に行き当たる。シオドアは道順を覚えていたが、真っ暗なので通る道筋が合っているかどうか自信がなかった。だから、先の時と同様、いきなり開けた空間に出て、青い水流をライトの光の中で見た時は、ホッと安堵した。
 少佐が岩の上に座るのを見ながら、水辺に近づき、水筒を下ろした。汲みたての冷たい水を3人で飲んだ。もう一度水筒をいっぱいにしてから、ステファンが地下川の上流を見た。

「滝の向こうに空間がありますね。」

 だからシオドアは光をそちらへ向けた。

「鉱物が光って星空みたいに見えたんだ。」

 滝の上方にキラキラと小さな光が無数に瞬いた。ステファンの目が緑色に光った。

「あの光達、動いていますよ。」
「え?」

 目を凝らして見たが、普通の人間の目では光の点が小さ過ぎてよくわからなかった。

「瞬いているだけじゃないのか?」
「ノ、ちょっとずつ移動しています。この距離でわかりにくいのでしたら、近くで見てもさらにわからないでしょう。」

 少佐に滝の上流の光を報告すると、呆れたことに少佐は滝を登ろうと言い出した。これに、ステファン大尉が遂にブチ切れた。

「いい加減にしてくれませんか! 貴女は死ぬ一歩手前だったのですよ、これ以上体に無理なことをしないで下さい!!」

 感情を爆発させたので、空気がビリリと震動した。シオドアは敵に位置を勘づかれると注意しようとした。その時、滝の上流でサワサワと音がした様な気がした。

「さっきの音、聞こえたか?」

 睨み合っている少佐とステファンが「何の音?」と同時に尋ねた。シオドアは言った。

「滝の上流で木の葉が擦れる様な音がしたんだ。カルロの気に反応したみたいだ。君達には聞こえなかったのか?」

 ステファンはまだ少佐を睨んでいたが、彼女はシオドアを見上げた。

「貴方には聞こえるのですね?」
「スィ・・・霊かな?」
「霊なら私は感じますが・・・」

 彼女はステファンを見た。

「貴方は、カルロ?」

 話をふられてステファンは一瞬戸惑った。

「何も感じません。」

 少佐を睨んでいた眼差しが不安に変わった。霊がいたら、少佐が怖がるじゃないか・・・。 その心の微妙な動きを少佐は察した。彼女はツンツンして言った。

「怖くなんかありません。感じないのですから。」

 彼女はシオドアを見た。

「まだ聞こえますか?」
「今は聞こえない。俺より聴力の優れた君達に聞こえなかったのなら、やっぱり霊かも知れない。」

 少佐は幽霊が見えなければ怖くない人だ。声だけとか、物がガタガタ動いたりとか、そう言うのは平気だ。彼女はステファン大尉を振り返った。

「沢登りは止めて、上流へ行く道を探しましょう。」
「トゥパル・スワレを探すんじゃないんですか?」

 上官の気紛れに慣れているステファンは、彼女が少しでも敵に出会う確率を減らしてくれるのであれば大歓迎だった。少佐はニッと笑った。

「あっちがしびれを切らしてやって来ますよ。」

 彼女が腰を浮かしたので、大尉は手を貸した。シオドアは上流に向かってライトをぐるりと動かしてみた。川から離れた岩壁に岩の隙間の様な通路があった。空気が流れていたので、何処かに通じているのだ。シオドアは体を入れてみた。立って通れる高さは最初の1メートルだけで、後は背を丸めて頭を下げなければ通れなかった。これは胸を負傷している少佐には辛いだろうと思ったが、彼女は荷物を持っていなかったので腰をかがめてついてきた。最後尾のステファンが荷物の大きさが祟って一番苦労した。
 シオドアは通路の最後の部分を四つん這いになって通り抜けた。リュックは引っ張らなければならなかった。少佐が押してくれて、何とか広い場所に出た。
 滝の音が響いていた。穴の外は低い岩棚で、目の前に湖が広がっていた。じっくり眺める前にシオドアは少佐を引っ張り出し、通路の中に声をかけた。

「カルロ、荷物を先に押せ。引っ張り出すから。」
「そんな・・・向きを変える空間などありませんよ。」

 そう言われればそうだった。結局ステファン大尉を先に引っ張り出して、それから彼のリュックを救出した。
 ケツァル少佐は穴から出た時のままの膝を突いた姿勢で地底湖を見ていた。見惚れていたと言っても良かった。最後に穴から出たステファンも、その場の風景を見て、思わず「ワオ!」と声を上げた。シオドアは額の汗を拭きながら目の前の景色を眺めた。ライトで照らさなくても、そこの景色が良く見えた。
 それは不思議な光景だった。


第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...