2024/04/30

第11部  紅い水晶     11

  ラス・ラグナス遺跡はムリリョ博士にとってもあまり魅力がない遺跡だったようだ。祭祀に使われたと思しき石像などはサン・ホアン村の住人達が持ち去ったのだから、尚更だった。グラダ・シティから遺跡まで片道1日、遺跡と山の散策で1日、結局2日目の夜に一行はオルガ・グランデのホテルに引き上げてしまった。ロカ・エテルナ社の社用旅行と言う名目だから、豪華なリゾートホテルという訳に行かなかったが、それなりに高級なホテルに彼等は宿泊した。夕食は一応全員一緒にホテルのレストランで取った。アンヘレス・シメネス・ケサダが上手にその場の雰囲気を盛り上げてくれて、カサンドラと博物館員アントニア・リヴァスも砂漠の風景をネタにして会話を楽しんだ。博士はいつものことながら無口で食べることに専念し、技師のディエゴ・トーレスは博士を会話に引っ張り込もうと何度か声をかけて、カサンドラとリヴァスをハラハラさせた。博士は孫娘の手前、大人気なくヘソを曲げたりせずに、適当に技師の言葉に相槌を打っていた。
 食事が終わって各自が部屋へ引き上げる段になってから、博士がカサンドラに囁いた。
ーーお前達、山で何か変わったことはなかったか?
 カサンドラは何もなかったと答えた。彼女は実際何もないとその時思っていた。逆に遺跡で何か面白い物を見つけたのですかと尋ねると、博士はツンとして、何もないと言った。
 部屋割りはカサンドラとアンヘレスがツインで、他のメンバーは3人ともシングルだった。シャワーを浴びてベッドに入る前にアンヘレスが何時帰るのかと訊いた。
ーー明日の昼前の飛行機で帰るわよ。
とカサンドラが答えると、彼女は安心した様な顔をした。
ーーそれじゃ、朝ご飯の後、すぐにこのホテルを出る? それとも朝ご飯は外で食べる?
ーー貴女のお祖父様次第ね。でも、どうしたの? このホテルは好きじゃないの?
ーーわからない。
とアンヘレスは言った。
ーーさっき夕ご飯の時、とても嫌な気分がしたの。何か悪い気が漂っている感じ。
 カサンドラは姪がそんなことを言うのを初めて聞いた気がした。妹夫婦は子供達を普通の人間の子供同様に育てている。巫女の様な訓練は受けさせていないし、アンヘレスはピアノの教師になりたいと音楽教室で頑張っている少女だ。普段は悪霊や死霊と無縁な生活をしている。
 しかし義弟フィデルは考古学者で、時々古代の死人を扱うことがある。彼はシャーマンの訓練を受けていないが、”ヴェルデ・シエロ”らしく我が身と近くにいる人々を悪霊から守る力は十分に持っているし、カサンドラの妹のコディアだって同程度の力はある。純血種なのだから。成年式を終えたばかりのアンヘレスが、何かを感じてもおかしくない。ただ、カサンドラもムリリョ博士も熟年した”ヴェルデ・シエロ”だ。彼等が何も感じなかったのは、どうしてだろう。

 ケツァル少佐は内心動揺しかけて、堪えた。カサンドラに知られてはいけない。カサンドラは義弟フィデル・ケサダがマスケゴ族だと信じているし、姪のアンヘレスとその弟妹達もマスケゴ族だと思っている。

2024/04/28

第11部  紅い水晶     10

  ケツァル少佐がロカ・エテルナ社の駐車場に車を停めたのは午後1時を少し回った頃だった。セルバ人なら昼食を楽しみ、昼寝を考える時間だ。少佐は指示された階の指示された場所に車を置いて、すぐ背後にあった扉の中に入った。ガラス張りの渡り廊下を通り、次の扉を開くと、そこはロカ・エテルナ社の最上階だった。本来は地上階の受付を通さないと入れない区画だ。扉が開いていたのはカサンドラ・シメネスが開けてくれていたからで、彼女が扉の内側の通路で待っていた。彼女は少佐を見るなり右手を左胸に当てて挨拶した。

「ご足労お願いして申し訳ありません。どうぞこちらへ・・・」

 ロカ・エテルナ社は各部屋の壁がガラスになっている。しかしそれぞれの部屋の内部にはブラインドが装備されており、スイッチ一つで外からは不可視の状態にすることが出来た。
 カサンドラは彼女のオフィスに少佐を招き入れた。執務机が奥にあるが、部屋の中央は会議用のテーブルが設置され10人ばかりが座れる様になっていた。テーブルの上に軽食の準備がなされていた。

「大至急ケータリングを頼んだので、こんな物で申し訳ありませんが・・・」

 ケツァル少佐はトルティーヤとトマトソースの煮込み料理を見て微笑んだ。

「十分です。お心遣い有り難うございます。」

 2人の女性は無意味な挨拶交換はしなかった。すぐにテーブルに向かい合って座った。

「まず、何が起きたか、”心話”で報告したいのですが、よろしいですか?」
「スィ、お願いします。」

 彼女達は互いの目を見つめ合った。”心話”は秒単位で大量の情報を伝達交換出来る”ヴェルデ・シエロ”の能力だ。生まれつき持っている能力だが、正しい使い方は親が子に教える。そうでなければ、一方的に他人に己の情報を吸い取られてしまうだけだ。必要な情報だけを伝達して、他人に知られたくない情報はセイブする、それが正しい使い方だ。
 ケツァル少佐は、カサンドラ・シメネスが父ファルゴ・デ・ムリリョ博士、姪のアンヘレス・シメネス・ケサダ、彼女の部下で設計技師のディエゴ・トーレス、ムリリョ博士の助手で博物館員のアントニア・リヴァスと共に車に乗ってラス・ラグナス遺跡に到着したところから情報を見せてもらった。博士とアンヘレス、リヴァスの3人は遺跡に向かい、カサンドラとトーレスは遺跡を見下ろす丘へ登った。徒歩だ。カサンドラは彼女自身が丘で何をしたかは受け渡す情報から省いた。少佐が見せられたのは、彼女が時々目撃したトーレス技師の行動だった。トーレスは地形を撮影し、谷と尾根の高度差を測定し、地形図と照らし合わせて他社が建築する予定の砂防ダムの影響を推測していた。ダム自体はもっと下流に建設されるので、遺跡を直接破壊する物ではない。谷の深さや建設予定地からの距離を考えても遺跡が土砂に埋もれるのは何十年も先の話だと、カサンドラとトーレスは言っていた。
ーー何十年どころか、何百年後かも知れません。
とトーレスは言い、2人は日陰がない丘を下りて休憩することにした。地面は乾いた硬い土の道だった。道なき道だが、歩きやすい地面を探して登ったので、帰りも同じルートを辿った。トーレスは普通の人間だ。建設現場を実地調査で歩くことに慣れていたが、”ヴェルデ・シエロ”のカサンドラがいつしか彼を追い越して先に歩いていた。
 ズサッと滑る音が聞こえ、カサンドラが後ろを振り返った。トーレスが浮石を踏んで足を滑らせ、尻餅をついていた。彼女は直ちに部下が大きな怪我をしなかったことを目視で確認した。”ヴェルデ・シエロ”の目視は人間の肉体の内部を見ることが出来る。トーレスは足を挫くことなく、骨折もしなかった。それでも一応彼女は「大丈夫ですか?」と声をかけてやり、トーレスは無様な姿を見られたことを恥じらいながら立ち上がった。立ち上がる時に彼は手をついた場所にあった何かを掴んでいて、衣服の埃を払う際にそれをズボンのポケットに入れた。
 ケツァル少佐の頭の中にカサンドラの言葉が入った。

ーーあの時、私は彼に何を拾ったのか尋ねるべきでした。


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等しいメスティーソの養父と完全に普通の人間の養母だったので、白人社会で育ったも同然だった。だから今でも時々一族の伝統を重んじる人々と接すると内心ストレスが溜まることが多い。自分がこんなだから、白人のテオはもっと辛いだろう、と彼女は想像出来た。テオはアメリカ人らしく感じたことをズバズバ口に出すので、それでストレス発散が出来るようだが。
 テオから「ムリリョ博士に連絡を取って欲しい」と言うケサダ教授からの伝言を聞いて、彼女は溜め息をついた。博士は慣習を守って異性である彼女に直接電話をかけない、と言う訳ではなく、博士は自分の都合でかけたりかけなかったりするだけだ。教授の方は恐らく今回の要件に関わりたくないのだ。博士から大統領警護隊に連絡を付けろと命じられて、渋々テオに声をかけたに過ぎないのだろう。
 港湾での職務を終えると、昼になっていて、少佐は昼食をどうしようかと考えながら、車に乗り込み、ムリリョ博士に電話をかけた。博士は誰からの電話かすぐわかったのだろう。3回目の呼び出し途中で出てくれた。そしていきなり言った。

ーーカサンドラに電話してくれ。

 一方的にカサンドラ・シメネスの電話番号を告げて、彼は電話を切った。
 ケツァル少佐は腹が立つよりも、何となくことの厄介さを想像してうんざりした。さっさと面倒を片付けてしまおうと言う考えの下で彼女は教えられた番号を入力した。呼び出し音が5回を超えて、切ろうかと思った時、声が聞こえた。

ーーカサンドラ・シメネスです。
「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

 正式名を告げると、先方は「ああ」と安堵したかの様な声を出した。

ーー少佐、グラシャス、すぐお会いできますか?

 急いでいる。少佐は物事がただならぬものであると予感した。

2024/04/27

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。

「出かけている時に申し訳ない。」

とテオは切り出した。

「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人にムリリョ博士と連絡を取ってくれと頼まれたんだ。」
ーームリリョ博士にですか?

 少佐の声に訝しげな調子が入った。

ーー教授は私の番号をご存じの筈ですが、どうして貴方を通すのです?
「俺にも分からないさ。」

とテオは言った。やはりケサダ教授は少佐やロホ達の電話番号を知っているのだ。しかし直接電話したくない。何故だろう。

ーー博士が私達にどの様なご用件なのでしょう?
「俺にも分からないが、カサンドラの部下が先日出かけた遺跡で何か拾い物をしたので、相談があるそうだ。」
ーー遺跡で拾い物?

 それは、大統領警護隊文化保護担当部から見ると「法律違反」の行為だ。遺跡からは許可なく物を持ち出してはならない。例えそれが小石であっても。しかし娘の部下が法律違反をしたからと言って、わざわざ文化保護担当部に相談するムリリョ博士ではない筈だ。

ーー教授はそれが何か仰らなかったのですか?
「それどころか、何か知らない様だ。それとも関わりになりたくない感じで・・・」

 また電話の向こうで汽笛が聞こえた。

「今港かい?」
ーースィ。憲兵隊と共に遺跡から出土した美術品の密輸阻止をしたところです。
「すまない、仕事の邪魔をしたな。」
ーー構いません。終わりましたから。博士には私から連絡を入れます。厄介なことにならなければ良いのですが、博士の手に負えないことでありそうな予感がします。

 「ではまた」と言って少佐は電話を切った。テオは電話をポケットに入れてから、ラス・ラグナスの遺跡を思い起こしてみた。乾き切った土の塊がぽつんぽつんと立っていた、古代の村の跡地だ。コンドルの神様は力を持っていたが、他に災いの元になるような物はなかった筈だが・・・。


2024/04/26

第11部  紅い水晶     7

  火曜日の朝、テオが大学に出勤すると、研究室に入る前に考古学部のケサダ教授に声をかけられた。

「エル・ティティから戻られたのですね? 今、お時間はありますか?」

 珍しく教授の方からお誘いだ。しかも心なしか少し急いでいる様に見えた。テオは始業時間を考えて、「5分ほどなら」と答えたが、これはセルバ時間で実際は10分程の余裕だった。
 ケサダ教授は通路にいるにも関わらず、彼に近寄って来て囁いた。

「カサンドラの部下が、北部の遺跡で何か厄介な拾い物をしたそうです。」
「え?」

 テオが驚いて見返すと、教授はそっと周囲を見回して、声が聞こえる範囲に学生がいないことを確認した。遺跡で「厄介な拾い物」と言えば、この場では「悪霊に取り憑かれた」と言う意味に解釈出来た。

「カサンドラが義父(ムリリョ博士)に相談して、義父はマスケゴの力では手に負えないと判断し、私に大統領警護隊に連絡しろと言って来ました。」

 それなら博士が直接文化教育省へ行けば良いのに、とテオは思ったが、博士には博士の都合があるのだろう。ケサダ教授はマスケゴ族として育てられたグラダ族で、悪霊を祓う訓練を受けていない。自分自身や近くにいる人間をその場で守ることは出来ても、悪い霊に取り憑かれた人から悪霊を追い払う技術は習得していないのだ。それに「カサンドラの部下」と言う人は恐らく普通の人間”ティエラ”で、何か困ったことになっても考古学者が対処してくれると思っていないだろう。

「文化保護担当部に電話をかけたのですが、今日は全員出払っていると、文化財遺跡担当課に言われたのです。」

 そう言えば、過去にケサダ教授が直接ケツァル少佐や隊員に電話をかけてきたことがなかった。教授は弟子達の番号を知らないのだろうか。
 テオは伝言係を引き受けることにした。

「わかりました。隊員の誰かに連絡をつけてみます。教授に連絡させると良いですか、それとも・・・」
「博士に直接お願いします。」

 ケサダ教授は弟子の隊員達が最も苦手とする相手を指定した。

「私は話の内容を知りませんので。」

と平然と言ったのだ。

第11部  紅い水晶     6

  1週間経った。その間、グラダ・シティは平和で大きな事件も事故も起きなかった。テオは久しぶりに週末エル・ティティに帰省した。珍しく土曜日の軍事訓練を副官のロホに一任してケツァル少佐もテオに同行した。まだ正式に婚約発表した訳ではなかったが、もう同居しているのだし、彼女も彼の伴侶となる心構えをしている様子で、テオの義父アントニオ・ゴンザレスと新しい伴侶となるマリアも彼女を義理の娘として迎えてくれた。エル・ティティの若い友人たちも集まって、テオと少佐は仕事を忘れて楽しい週末を過ごした。ゴンザレスは少佐が富豪の娘だと知っていたので、自分達との「格差」にちょっと不安を抱いていたが、少佐は全く気にせずに、村の女性達と一緒に歌ったり踊ったり、食事の準備や後片付けをして、「普通の女性」であることをアピールした。

「疲れないかい?」

と二人きりになった時、テオが気遣うと、彼女は何を馬鹿なことを訊くのだ、と言いたげな顔をした。

「私は普通の女ですよ。軍人でも家事はするし、”シエロ”でも世間話は大好きです。」
「そうじゃなくて・・・君は・・・君の両親はお金持ちで・・・」

 少佐が「あはは!」と笑った。

「私は子供の頃、両親が仕事で旅行が多かったので、遊び相手は使用人の子供達でした。私は彼等と一緒に使用人の親の手伝いをしたのです。私の両親はそれを知っても、少しも嫌がりませんでしたし、使用人達も遠慮なく私に用事をさせてくれました。大人達は、私が将来どんな生活をするかわからないから、子供のうちに色々な経験をさせなければ、と理解していたのです。ミゲール家はオープンな家で、使用人の子供達も私と一緒にお稽古事をさせてもらっていたし、私よりお上品に社交界作法をマスターしている人もいましたよ。」

 そして彼に言った。

「私は大統領警護隊を引退するつもりはありませんが、貴方との生活の基盤を置く家をこのエル・ティティに決めても構いませんよ。私の両親が世界中を飛び回っても必ずセルバに戻って来るようにね。」

 そして週明けに、テオと少佐は仲良くグラダ・シティに戻った。


2024/04/24

第11部  紅い水晶     5

 「アンヘレスはピアノを弾く道へ進むんじゃなかったのかい?」

とテオが意外そうな顔で言った。ケツァル少佐と彼は彼女のアパートの食堂で一緒に夕食を取っていた。彼女から昼間の出来事を聞かされて、テオは意外に思ったのだ。アンヘレス・シメネスはピアノ演奏を得意としていたし、専門の先生について練習もしていた。考古学に興味があると思えなかったし、ケサダ教授も全く彼女の話を学問とつなげて話したことがなかった。

「彼女はお祖父さんと伯母さんについて旅行する気分の様ですよ。西部地区へ行ったことがないので、興味があるのでしょう。マスケゴ族は古代に移住してからずっとオルガ・グランデ周辺で生活していましたから、彼女にとって先祖の土地を見学する程度のことだと思います。」

 ケツァル少佐はあまり重要に考えていない。ラス・ラグナス遺跡には不思議な力を持つコンドルの形の石像があったが、それはサン・ホアン村の住民が新しい土地へ移住する際に一緒に持ち去った。現在のラス・ラグナス遺跡は本当に砂と土に還ろうとする過去の村の残骸しかない。素人が見れば、そこに村が存在したなんて想像すらしない、そんな何もない場所なのだ。

「建設される砂防ダムはもっと下流になるから、遺跡が破壊されることはないでしょうし、砂防ダムなので水没の心配もありません。泥が溜まって埋もれてしまうのも何十年も先の話です。でも工事が始まるとサン・ホアン村があった場所にすら近づけなくなりますから、ムリリョ博士は今のうちにラス・ラグナス遺跡を映像に残しておきたいのだそうです。学生を2人連れていかれる予定ですが、アンヘレスに撮影を頼もうかと仰っていました。学生はまだ誰をと決めていないので、もしかすると博士には珍しく女性学生を選ぶかも知れませんね。」

 勿論可愛い孫娘を守るためだ。テオはあの怖い堅物老人が孫娘に対してメロメロになる姿がどうしても想像出来なくて、困った。

「カサンドラ・シメネスも行くのだろう? 彼女もお供を連れて行くんじゃないのかい?」
「そりゃ、彼女は仕事ですから、ダム建設に詳しい部下か技術者を同伴するでしょうね。」

 マスケゴ族の名門とセルバ共和国屈指の大手建設会社の重役の旅だ。どんな面々になるのだろう、とテオは野次馬的興味を抱いた。しかし、遺伝子学者が入り込む余地がないことは、確かだった。


2024/04/23

第11部  紅い水晶     4

  それから暫く大統領警護隊文化保護担当部は普段の業務に戻った。ギャラガ少尉は発掘申請書をチェックし、ロホは発掘隊に護衛を付ける予算の算定をし、ケツァル少佐は部署全体の予算のやりくりを考えていた。中尉のアスルともう一人の少尉マハルダ・デネロスはそれぞれ発掘隊監視業務で1週間と10日の出張中だった。文化・教育省の古いビルの古いエアコンがブーンと音を立てて生温い風を出しているところへ、真っ白な頭髪と真っ白な眉毛の高齢男性が階段を上がって姿を現した。
 4階の文化財遺跡担当部に緊張が走った。普通の人間である職員達にとっても、セルバ国立博物館館長は畏怖の対象で、怖い人だった。ムリリョ博士を怒らせるとセルバ国内の歴史的価値の高い文化財は一般公開を差し止められたり、国外へ貸し出すことが出来なくなる。そればかりか、貴重な外貨獲得手段である遺跡発掘協力金が海外から得られなくなる。大統領警護隊文化保護担当部が遺跡立ち入りを許可しても、ムリリョ博士が「駄目だ」と言えば、簡単に決定が覆されるのだ。何しろ文化保護担当部の隊員達は全員博士のお弟子さんなのだから。
 博士は文化財遺跡担当部の部長にラス・ラグナス遺跡立ち入り申請書を提出した。無言だ。部長はラス・ラグナス遺跡が何処にあってどんな遺跡か知らなかったが、無言で許可を出す証明として署名した。
 手続きを博士に説明するのは釈迦に説法だ。博士は無言で隣のカウンターに移動した。

「ブエノス・ディアス、博士。」

とギャラガ少尉は普通に挨拶した。博士が頷くと、彼は申請書に目を通し、それから遺跡立ち入り許可証の発行手続きを始めた。ケツァル少佐が立ち上がり、カウンターまでやって来た。

「ブエノス・ディアス、博士。」

 博士はまた頷いた。少佐が言った。

「1時間程前に、アンヘレス・シメネス・ケサダが同じ遺跡の立ち入り許可証を取りに来ましたよ。」

 ピクっと博士が眉を動かした。しかしギャラガは気の波動の欠片さえ感じなかった。ムリリョ博士は大して驚いていなかった。

「許可証を出したのか?」
「スィ。博士に同行すると言うので、認めない訳にいきませんから。」

 すると意外にもムリリョ博士はフッと顔を緩ませた。

「成年式の祝いに何処かに連れて行ってやろうと言ったら、遊びではなく遺跡に行きたがったのだ。考古学には無関心だった筈だがな。」

 あら、と少佐がわざとらしく驚いた顔をして見せた。

「彼女は成年式を済ませたのですか?」
「スィ。数日前に無事に済ませた。」

 ”ヴェルデ・シエロ”でなければこの会話の真の意味を理解出来ない。アンヘレスは部族の長老達と両親の前で見事ジャガーに変身して見せたのだ。ナワルを使える一人前の”ヴェルデ・シエロ”だと一族から承認されたのだ。そして、これは博士と少佐だけの間だけで(と言う建前で)暗黙の了解があったのだが、アンヘレスのジャガーは普通の黄色に黒の斑紋があるジャガーだった、と言うことだ。父親のフィデル・ケサダの様な秘めたる存在にしなければならない異色ではなかった。

「おめでとうございます。」

 ケツァル少佐が心から祝福した。ロホとギャラガも祝福し、先住民の文化の話と理解した文化財遺跡担当部からもお祝いの言葉が上がった。
 ムリリョ博士は珍しく微笑んで、素直にその祝福を受け取った。

2024/04/22

第11部  紅い水晶     3

 「許可証を出すこと自体は問題ありませんが、お祖父様は貴女を同行して下さいますか?」

とケツァル少佐が少々興味本位の色を滲ませながら質問した。アンヘレスの祖父ムリリョ博士は堅物だ。純血至上主義者でアンドレ・ギャラガの様な異人種の血が混ざった”ヴェルデ・シエロ”を好ましく思っていない。ただギャラガはその勇気と素質で一族と認めてもらっている。他のミックスの同胞はなかなか受け入れてもらえない。気難しい人なのだ。彼が男女差別をしたと言う話は聞かないが、孫娘を何もない遺跡に連れて行ってくれるのだろうか。
 しかしアンヘレス・シメネス・ケサダは祖父に愛されていると言う自信があるのだろう。ニコニコして少佐に答えた。

「大人しくお行儀よくしていれば問題ないと思います。伯母のカサンドラ・シメネスも一緒ですから。」

 カサンドラ・シメネスはシメネスとムリリョ両家が経営するセルバ共和国で1・2を争う大手建設会社の副社長だ。ムリリョ博士の長女でもあり、建設会社の実力者でもあった。だが彼女の会社ロカ・エテルナ社は砂防ダムの建設に無関係の筈だが・・・。
 少佐が席を立ってカウンターのそばに来た。

「伯母上も行かれるのですか?」
「スィ。伯父と伯母の会社はダム建設に無関係ですが、どんな場所にどんな工事をするのか、実地を見たいと伯母が希望したのです。ですから、今回の旅行の本当の主催者は伯母で、祖父は便乗しているのです。」

 それにさらに便乗しているのが、アンヘレスだ。少佐もロホもギャラガも笑ってしまった。

「では、カサンドラ・シメネスも許可申請に来ますね?」
「伯母は遺跡には入らないそうです。山の地形を見ると言ってました。だから、許可証を取りに来るのは、祖父だけです。」

 少佐がギャラガを見た。目で「発行してあげなさい」と伝えた。ギャラガはパソコンに向かった。申請書のアプリを出し、必要項目を申請書を見ながら打ち込み、5分後にプリンターから許可証が吐き出された。プラスティックのカードにそれを貼り付け、ストラップと共に少女に手渡した。

「他の人への貸与は認めません。」
「わかりました。グラシャス!」

 アンヘレスは明るく微笑んでカードを受け取り、フロアから去って行った。
 ギャラガは上官達を見た。

「ところで、彼女の両親は承知しているのでしょうか?」

 少佐が首を傾げた。

「父親は知らないのではないですか? 彼女の話に一度も登場しませんでした。きっと母親の入れ知恵で、祖父より先に許可証を取得したかったのでしょう。」


2024/04/21

第11部  紅い水晶     2

 「ブエノス・ディアス!」

 元気な若い女性の声に、アンドレ・ギャラガ少尉は書類から顔を上げてカウンターの向こうを見た。先住民の少女が立っていて、にっこり笑いかけていた。市内の高校の制服を着ている。ほっそりとした顔は、彼が以前彼女を初めて見た時とあまり変わっていない。でもちょっと背が伸びたか? ギャラガはドキドキしながら返事をした。

「ブエノス・ディアス、セニョリータ・アンヘレス・・・」

 彼が口に出した名前を聞いて、奥の席にいた上官がこちらを向いた。ケツァル少佐も彼女の名前を知っているのだ。
 アンヘレスは書類をカウンターの上に置いた。

「ラス・ラグナス遺跡見学の許可申請に来ました。お隣で学生証を見せたら、許可証は直接こちらで発行してもらえると聞いたので・・・」

 セルバ国内の学校の学生は大統領警護隊文化保護担当部の許可が出れば自由に遺跡見学が出来る。発掘ではなく、見るだけだから、協力金の支払い義務がないし、監視も付かない。但し、護衛も付かないので、安全管理は自己責任になる。
 ギャラガは申請書に書かれた名前を見た。

「ええっと、アンヘレス・シメネス・ケサダさん、許可証は直ぐに発行出来ますが、ラス・ラグナス遺跡がどんな場所かご存知ですか?」

 ラス・ラグナス遺跡はギャラガにとっても忘れられない場所だ。彼が文化保護担当部に入る前に初めて脚を踏み入れた遺跡で、彼が文化保護担当部に引き抜かれるきっかけとなった場所だ。セルバ共和国北部の砂漠の中にあり、国の歴史の中から抜け落ちた忘れられた農村の廃墟、廃墟と言うより殆ど無に還りつつある土地だった。その遺跡をひっそりと守ってきたサン・ホアン村は水脈の枯渇のせいで、2年前都市に近い土地に移転したのだ。その時、遺跡に祀られていた神像なども一緒に移転された。現在は本当に何もない、土塊同然の壁の残骸が残っているだけだ。そんな場所に高校生が何を見に行くのだ?
 アンヘレスが頷いた。

「砂漠でしょ? それに砂防ダムの建設で、もしかすると破壊されちゃうかも、ってアブラーン伯父様が言ってました。だから、お祖父様が最終チェックされる旅に私も連れて行ってもらうんです。」

 へーっと言いたげな顔をしたのは、ケツァル少佐と収支報告書作成をしていたマルティネス大尉、ロホだった。ラス・ラグナス遺跡に何もないことを知っていて、それでも無視しなかった考古学者は、ファルゴ・デ・ムリリョ博士だ。博士はアンヘレスの祖父で、国立民族博物館の館長でもあった。そしてギャラガの正規の指導教官だ。しかしギャラガにはラス・ラグナス遺跡視察の話は来ていなかった。恐らく他の学生にも知らされていないだろう。

「その旅は、博士の私的な旅行でしょうか?」

 少佐が声をかけて来た。ムリリョ博士と言えども遺跡に立ち入るには文化保護担当部の許可が必要なのだ。しかしまだ博士からそんな申請は出ていなかった。
 アンヘレスがニンマリと笑った。

「プライベイトな旅行です。多分、後から祖父も来ます。私は先に許可を頂いて連れて行ってもらうつもりです。」

 つまり、ムリリョ博士は孫娘を連れて行く計画を立てていないのだ、と大統領警護隊文化保護担当部は知った。


2024/04/17

第11部  紅い水晶     1

  アンヘレス・シメネス・ケサダは15歳の誕生日に、将来父と母の姓のどちらかを選ぶかと言う選択に迫られた。それは”ヴェルデ・シエロ”でなくても、セルバ共和国に住む多くの先住民族の子供達に共通の義務であり権利だった。彼女は父がケサダ姓を娘が継ぐことを望んでいないことを知っていた。父の姓は父の母親マルシオ・ケサダから受け継いだものだが、マルシオ・ケサダは本名ではなく、実際はマレシュ・ケツァルと言うのだ、とアンヘレスは知っていた。何か深い事情があって祖母は真の身元を隠し、我が子である父フィデルをケサダ姓を名乗らせることで守ったのだ。だからアンヘレスはアンヘレス・シメネスと名乗ることを父親フィデルは望んでいたし、彼女もそれを承知していた。しかし、彼女はケサダと言う姓が好きだった。父親はグラダ大学の考古学教授で、多くの弟子を育ててきた。若い学生達にとって彼はケサダ教授以外の何者でもなく、尊敬と敬愛の対象なのだ。それはアンヘレスにとって誇りであった。だから、彼女は15歳の「成年式」の前に、母に言った。

「ケサダ姓を選んでも良いでしょう?」

 母コディア・シメネスは優しく微笑んだ。そして頷いた。

「貴女が選ぶ名前に誰もクレームはつけませんよ。」
「でもパパは喜ばないと思うわ。」
「そうかしら?」

 コディアはチラリと夫の書斎のドアを見た。

「貴女のパパは貴女がケサダの名を選べば誇りに思うわよ。」
「そうだといいけど・・・」

 アンヘレスが自信なさげに呟くと、夫のことは何でも承知しているとばかりにコディアは優しく彼女の肩を手でさすった。

「パパは決してケサダの名を軽く考えていません。誰から貰ったにせよ、その名前はパパを今日まで守ってきたのです。パパは誇りに思っています。だから貴女が引き継げばきっと嬉しく思いますよ。」

 アンヘレスは母の頬にキスをして、自室に向かって足速に歩き去った。その後ろ姿を見送って、娘が父親に似て長身に育ったことをコディアは改めて認めた。4人の娘の中で長女の彼女が一番父親に懐き父親を尊敬している。父親の血を濃く継いでいるとしたら、あの子のナワルは何色だろう、と彼女は考えた。白であったら、きっと一族は大騒ぎになる。あの子が半分グラダの血を引いていることがバレなくても、聖なる生贄とされたかも知れない毛皮を持てば、ナワルの使用は普通の一族の人間よりも厳しく制限されるだろう。

 どうか金色でありますように・・・

 コディアは古代の神々にそっと祈った。


2024/04/14

第10部  罪人        15

  セルバ国立民族博物館の展示室をエクはゆっくりと見物しながら歩いていた。きちんとシャツの上にネクタイを締めた白髪の男性が彼のそばに静かに近づいた。

「そちらは5世紀頃の遺跡から出土した祭祀具です。」

と男性が囁き、それからもっと低い声で彼等だけの言語で告げた。

「女は国外追放になった。実行者の男は明日裁判にかけられる。」
「有り難うございます。」

 エクはガラスケースの中を見たまま答えた。

「私は今夜帰ります。これ以上追うのは私の役目ではありません。」

 そしてスペイン語で言った。

「どんな祈りに使用された物でしょうか?」
「収穫の感謝でしょう。」

 男性は祭具の盃に似た道具を指差した。

「生贄の血を入れた痕跡は見つかりませんでした。これは液体ではなく穀物を入れた物と考えられています。」

 そして古い言葉に切り替えた。

「貴方の労に感謝する。」

 エクは頭を垂れた。そしてゆっくりと顔を上げると、もう博物館の職員はいなかった。
 エクは思った。外務省にも一族の者はいるだろうが、ピューマはいるのだろうか。もしいるのであれば、女を罰して欲しいものだ、と。しかし彼は深追いをしなかった。そして夜行バスに乗る前に何か腹ごしらえをしておこうと考えたのだった。


第10部  罪人        14

 「貴方がロバートソン博士の助命嘆願をしなかったのは意外でした。」

とケツァル少佐が言った。テオは彼女とアパートの彼女のスペースで2人で夕食を取っていた。彼は彼女にムリリョ博士との会談の内容を伝えたところだった。家政婦のカーラはこの日、子供の誕生会とかで仕事を休んでいたので、テオはピザの出前を取ったのだ。大判のピザを3枚、うち2枚は少佐が一人で食べるのだ。

「助命嘆願をする意味がないだろう。」

とテオはコーラをグラスに注ぎ入れながら言った。少佐はビールだ。彼女はあまりコーラを好まない。甘味料が多過ぎると言って、ライムソーダ等の天然果汁をソーダ水で割った方を好んだ。

「彼女はサバンの父親が息子とコロンの行方不明に騒ぎ出したと思い、先手を打って2人の捜索を官憲に依頼した。あの時の彼女の芝居に俺はすっかり騙された。彼女はあの時2人の協会員が既に殺害されていたことを知っていたし、もしかするとサバンは彼女の援助金横領を疑っていることを彼女に察知されて消されたかも知れないんだ。コロンも同様だ。彼女は直接殺害に手を下さなくても、原因を作った張本人だ。彼女と殺人の繋がりを証明する物が何もないし、証人もいないから、俺は悔しい。彼女がお金を全額返したとしても、殺害された2人は戻ってこないんだ。俺は彼女がアメリカに帰って悠々と生き延びることが許せない。本当は”砂の民”に頼んでアメリカまで彼女を追いかけて欲しいくらいだよ。」

 珍しくテオが憤っているので、少佐が憐れみの目で彼を見た。

「彼女がアメリカ人だから、悔しいのですね?」
「俺はもうセルバ人だ。だが、生まれたのはアメリカだからな。少なくとも法と秩序の国であって欲しい。」

 少佐が手を伸ばして彼の手に重ねた。

「彼女は生きていても信用を失くします。 ”砂の民”は標的の命を奪わなくても精神的に追い詰めることが出来ます。きっと帰国した後の彼女の周囲で、彼女の評判が急速に落ちていくことでしょう。」

 それはある意味、残酷な報復方法だった。テオは、だからそれで自分を納得させることにした。

「そうだな・・・もうあの女のことは忘れる。サバンとコロンの冥福だけを祈ることにするよ。」


2024/04/12

第10部  罪人        13

  セルバ外務省とアメリカ合衆国大使館の間で、フローレンス・エルザ・ロバートソン動物学博士の処分について話し合いがあったことは、大統領警護隊文化保護担当部に知らされなかったし、彼等は特に関心もなかった。だがマスコミは外務省の「ある筋」から情報をもらい、ロバートソンの身柄が国外追放になることを報じた。勿論、横領した援助資金を返金してからだ。ロバートソンは家財や高級車、高級ブランドの衣服を売却し、ほとんど無一文で祖国へ帰らねばならなかった。

「彼女と密猟者の繋がりをはっきりと証明する手立てがないのです。」

とテオはムリリョ博士に訴えた。彼は博物館の庭で博士を捕まえ、ベンチに並んで座らせ、強引に話し合いに持ち込んだ。博士はロバートソンの話に無関心だった、あるいは無関心を装っていて、テオの話を煩そうに聴いていた。

「彼女が指示を出していたと思える男は、既に粛清されて死んでしまいました。恐らく、誰も彼から彼女に関する情報を引き出していなかった筈です。だから、彼女が自白しない限り、我々は憶測で行動すべきではありません。」
「我々?」

 ムリリョ博士が白い眉をピクリと動かした。

「お前は儂等の仲間だと言うのか?」

 テオは肯定出来なかったが、否定もしたくなかっった。

「少なくとも、オラシオ・サバンとイスマエル・コロンを殺害した真犯人を突き止めたいと願っている仲間でしょう?」

 博士が溜め息をついた。

「サバンに銃弾を撃ち込んだのは、エンリケ・テナンです。それは本人が認めています。だが彼はジャガーと間違えて人を撃ったと言っている。誰かに命令されてサバンを殺したとは言っていません。コロンはサバンの殺害が密猟者の手によるものだと知って、口封じに殺されたのです。殺人者達とロバートソンの繋がりはどこにも物証として存在しないのです。それにテナンの心を読んでも、きっと彼女のことは出てこないでしょう。ロバートソンもテナンのことは知らないのですから。」

 ムリリョ博士は博物館前の広場で遊ぶ子供達を眺めた。

「確かに、誰も”ヴェルデ・シエロ”の存在に気がついていないし、密猟者の死が連続して起きたのは、死者の呪いだと思っている。」
「だから、”砂の民”がロバートソンを追いかける理由はありません。」

 いきなり博士が振り返ったので、テオはどきりとした。”ヴェルデ・シエロ”は目で見るだけで相手を攻撃出来る。いつも不機嫌な様子の博士に睨まれると、若い”ヴェルデ・シエロ”でさえびくつくのだ。

「あの女から手をひこう。」

と博士が囁いた。

「外国人だし、執拗に追えば、また北の国の関心を引く。だが、あの女がこのセルバの地を再び踏む様なことがあれば、その時は容赦しない。儂がいなくなった後も、その命令は生きるように、伝えておく。良いか?」

 テオは左胸に右手を当てて、承知したことを表した。

2024/04/08

第10部  罪人        12

 「セルバ野生生物保護協会のアメリカ人会員が、活動資金を横領して憲兵隊に逮捕された事件はご存知でしょうか?」

とテオは始めた。ロペス少佐が「スィ」と答えた。テオは続けた。

「アメリカ政府はアメリカ人が国外で罪に問われた場合、確固たる証拠がなければ、冤罪だと主張して釈放を求めて来ます。 幸い、今回の事件は横領された金の流れが憲兵隊によって掴めているので、その恐れはないと思いますが・・・」

 彼は紙に書いた文章をロペス少佐に見せた。そこには、ロバートソン博士が密かに密猟者と繋がっていたらしいこと、その密猟者がオラシオ・サバンを殺害したこと、6人いた密猟者の5人までが”砂の民”によって粛清されたこと、ロバートソンと密猟者の繋がりを示す物的証拠は何も見つかっていないし、直接連絡を取っていた人間は既に粛清されたメンバーの中にいるらしいこと、が書かれていた。
 テオは少佐が文章を最後まで読み終えたと思えたところで言い添えた。

「サバンの父親は息子の日記を持っていまして、そこにはロバートソンが悪いことをしているらしいと書かれていました。密猟者との繋がりを疑っていたのです。そしてサバンの父親は、ムリリョ博士と接触しています。」

 ロペス少佐がピクリと眉を動かした。ムリリョ博士が何者なのか、知らない彼ではなかった。外務省で事務職をしているが、大統領警護隊の司令部所属の少佐なのだ。

「そのアメリカ人の博士は危険な立場にいますね。」

と少佐は囁いた。テオは頷いた。

「推測だけでものを言いたくありませんが、彼女は2人の協会員殺害の黒幕であろうと考えられます。 そしてピューマも同じことを考えていると思うのです。」

 ピューマとは、”砂の民”の隠語だ。少佐が溜め息をついた。

「一族の存在を知らずに罪を犯したとしても、一族の人間に害をなしたのであれば、連中は決して許しはしないでしょう。殺害されたもう一人の男は一般市民ですが、彼を守るのも我々の使命なのです。彼女がどこの国の人間であろうと、このセルバで罪人は無事に生涯を全う出来るものではありません。」

 ロペス少佐はテオを見た。

「彼女をセルバ国内の刑務所に入れるのは簡単ですが、彼女が生きてそこから出られる保障はありません。また、彼女を国外追放しても、狩り人は追って行きます。」
「わかっています。」

 テオは悲しく感じながら同意した。

「ただ、粛清は本当に自然に見えるようにして頂きたい。アメリカ政府が、彼女を自然死と思うような形で・・・犯罪や事故に巻き込まれたのでは、誰かが疑いを持ちます。」

 ロペス少佐は2度目の溜め息をついた。

「私はあの考古学の御大と接点がありません。留学生の手続きは全部彼の弟子のケサダ教授の仕事ですから。しかし、なんとかやってみましょう。ロバートソンを国外追放に持ち込んでみます。外国で死んだら、我が国への疑いは持たれないでしょうから。」


2024/04/06

第10部  罪人        11

  翌日、テオは外務省出向の大統領警護隊シーロ・ロペス少佐に連絡を入れた。一緒にランチをしたいと言うと、ロペス少佐は義理の兄弟となったテオの申し出を断らずに、省庁が多いオフィス街のレストランを指定してくれた。ドレスコードは不要の店だと言われ、テオは失礼がないようシャツの上に薄いジャケットを着用して出かけた。研究室に常備している緊急準正装用だ。学長や学部長の気まぐれで突然食事会に招待された場合に備えての物で、今回はロペス少佐に頼み事があったので、きちんとした服装で行くべきだろうと思ったのだ。
 ジャケットを着て行って正解だった。指定された店はTシャツにジーンズで入れるような店ではなかった。「ラフな服装」の言葉の定義が世間とはちょっと違う。テオは真っ白な制服を着たウェイターに案内され、少佐が予約したテーブルに案内された。ロペス少佐は常連なのだろう、綺麗な花が咲く中庭に面したテラス席だった。そこに着席する間もなく、ロペス少佐も到着した。テオは挨拶した。

「ブエノス・ディアス! 俺が誘ったのに、こんな良い店を予約して頂いて、申し訳ない。」

 ロペス少佐が首を振った。

「ブエノス・ディアス! お気になさらずに。私が職場に近い場所をと我儘でここを選んだのです。さぁ、掛けて。」

 席に着きながら、テオはどんな高い店だろうと不安に思った。しかしメニューを渡されると、案外リーズナブルな値段だったので安心した。微かな彼の表情の変化で彼の心の中を読み取ったのだろう、ロペス少佐が可笑そうに笑った。

「店構えを見て、高級店だと思われたでしょう? 我々は初めての客で厄介な交渉相手の場合、ここへ案内して、メニューを見せずに注文するのです。相手はちょっと萎縮しますね。時には相手の料金も支払って恩を売ります。」
「それは・・・なかなかの外交手腕ですね。」

 テオもやっと緊張がほぐれた。料理を注文してから、テオは電話をかけた際に質問したことをもう一度することにした。一応セルバの礼儀だ。

「アリアナは順調ですか?」
「スィ。そろそろ臨月です。仕事を休ませて家でテレワークですよ。」

 少佐も電話と同じ返答をしてから、本題に入った。

「それで、私に頼みとは?」


2024/04/05

第10部  罪人        10

 「多分、ロバートソンは資金横領で協会から告訴されるでしょうね。」

とロホが夕食の時に言った。その夜、テオは大統領警護隊文化保護担当部の男達だけを、アパートの彼自身のスペースに呼んで食事をした。ケツァル少佐は会議を兼ねた夕食会で文化・教育省のお偉方と出かけて留守だ。マハルダ・デネロスは一緒にアパートへ来たが、スクーリングで出された宿題の論文を考えるので、彼女一人だけ少佐のスペースで食事だ。家政婦のカーラは料理をテオのスペースに運ばなければならず、アスルとテオが手伝った。一番下っ端のアンドレ・ギャラガは酒類を買うので遅れて来た。
 大尉で何も手伝わなかったロホが食事開始の合図をして、男達はビールを飲み、カーラ手作りの美味しい夕食を味わった。料理は全部出されていて、カーラは普段より早く帰宅した。デネロスは一人勉強しながら食べているのだ。

「俺は今でも彼女が密猟の黒幕だなんて信じられない。葬式で本当に泣いている様に見えたんだがな・・・」

 テオは悔しかった。ロバートソン博士とは何回か会ったし、話もした。彼女はサバンやコロンを心から悼んでいる様に見えたのだ。しかし大統領警護隊の友人達は冷めた眼で彼女を見ていた。

「別にあの女がアメリカ人だから、とか、白人だから、って訳じゃない、最初から胡散臭い雰囲気を感じていたんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「ああ言う団体はボランティアみたいなものでしょう? 協会員は手弁当であまりお金を持っていない。でも彼女は結構値が張る服を着ていました。Tシャツだってブランドものだったし・・・まぁ、金持ちの道楽でボランティアやってる人もいますけど。」

 テオはそちら方面の知識がないと言うか、無頓着な方なので、己の観察眼の無さに落胆した。

「君等は早い時期から彼女を疑っていたのか?」
「疑うと言うか、あまり信用出来ない人だな、と感じていたんです。」

とロホ。

「兎に角、彼女と密猟者を結ぶ確固たる証拠が出ないと、殺人事件と彼女は結びつけられないな。」
「真相を知る人間は”砂の民”が粛清しちまったし、あの女は絶対に口を割らないだろう。生きてアメリカに帰りたいだろうから。 詐欺容疑なら、刑期も知れている。」

 するとロホが暗い表情になった。

「きっとサバンの父親はそれを許さないだろう。”砂の民”も見逃したくないだろうな。」
「彼女の出所後に粛清するってか?」
「そんな悠長なことはしませんよ、きっと。」

 ロホはセルバの裏の社会の知識を持っている。彼はそうする必要もないのに、声を低くして囁いた。

「ロバートソンが刑務所に入ったら、囚人を動かしますよ。囚人同士の喧嘩で殺人が起きるのは珍しくありませんから。殺されなくても、彼女はきっと酷い目に遭わされます。」

 テオはゾッとした。するとギャラガも心配そうに言った。

「オラシオを実際に殺害したエンリケ・テナンも生きて出所は無理ですね? 動物と間違えて人を撃ったなら、殺人でも刑期はそう長くありません。他の囚人と接する機会も多い筈です。」

 囚人までは守れない。テオは気分が沈んだ。

2024/04/04

第10部  罪人        9

  セルバ野生生物保護協会のネコ科部門総責任者フローレンス・エルザ・ロバートソン動物学博士は、政府やスポンサー企業から出された援助金を、下部保護団体に出資したと帳簿に記載していた。しかし実際はその下部組織ミァウオンカと言う団体は、プンタ・マナのビル内に事務所を置いているだけで、何の活動もしていないことが判明した。活動していないどころか、部屋の管理をしている老人が一人いるだけで、団体員は一人もいない幽霊組織であることが、憲兵隊の捜査で判明した。
 ロバートソンは自分が設立したミァウオンカに援助していると偽り、資金を架空口座に振り込ませた後、自身の口座へ送金する手口で私腹を肥やしていたのだ。
 セルバ野生生物保護協会は今回の不祥事に衝撃を受け、当面の間活動休止を発表し、協会員全員の口座を調べる方針である。
 ロバートソンは横領の罪で取り調べを受けているが、容疑は固まっており、間も無く起訴される見込みである。彼女はアメリカ合衆国の市民権を持っているが、アメリカ大使館は憲兵隊から出された証拠書類を吟味し、彼女の罪状が揺るがないものと判断すれば、セルバ政府に彼女の身柄を拘束する権利があることを認めざるを得ないであろう。
 なお、ロバートソンには、先月発生したセルバ野生生物保護協会の協会員オラシオ・サバン氏とイスマエル・コロン氏が密猟者によって殺害された事件にも何らかの関与が疑われている。
       シエンシア・ディアリア誌 社会部編集長 ベアトリス・レンドイロ

 外国人による税金の詐取は、セルバ社会でちょっとした大事件だった。マスコミはまだ殺人事件とロバートソン博士の関係を確実なものとしていないが、憲兵隊は既にロバートソンがサバンとコロンに不正を知られそうになって密猟者の手で消させたと考えている。それが市井でも噂になって、暇な人間達の世間話の中心になっていた。

「これだけ噂になると、”砂の民”も手を出せませんね。」

とマハルダ・デネロスがテオに囁きかけた。 2人は大学のキャンパスでシエスタのお茶をしていた。デネロスにとっては久しぶりのスクーリングだ。ジャングルでの監視業務やオフィスでの書類仕事から解放されて勉学に励む1日は貴重だった。彼女は提出した言語学のレポートを教授と共に2時間かけて検証し、やっと合格をもらって、一息ついていた。

「先に逮捕された密猟者のエンリケ・テナンはロバートソンの顔も名前も知らないと思うが、コーエン少尉はどうやって2人の関係性を解明するのかな。」

 テオが呟くと、デネロスは首を傾げた。

「それは私達の知ったこっちゃないです。憲兵隊の捜査力の見せ所でしょう。コーエン少尉は世間を納得させなきゃいけませんから、超能力は使えません。」
「そうだな・・・俺達が関与する余地はないもんな・・・」

 テオはちょっと寂しく感じた。もう少し役に立ってみたかったのだが・・・。


第11部  紅い水晶     12

  カサンドラの父ファルゴ・デ・ムリリョ博士が彼女に「山で変わったことはなかったか」と尋ね、姪のアンヘレス・シメネス・ケサダが「ホテルに悪い気が漂っている感じ」と言った。カサンドラは不安になったが、姪にそれを気取られぬよう用心して、その夜は何事もなく過ごした。  翌朝、朝食の席に...