2022/08/31

第8部 探索      9

  時間は半日前に戻る。

 ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は東セルバ州立刑務所にいた。州立と言うが、セルバ共和国で重犯罪で捕まった凶悪者の殆どが収監されている刑務所だ。オルガ・グランデにある西セルバ州立刑務所がどちらかと言えば軽犯罪者が多いことを考えると、裁判所は東西で囚人の罪の重さを分けているのかも知れない。セルバ共和国の法律では死刑はまだ存在する。どんな方法かは裁判で決められるが、一般的には絞首刑だ。銃殺は軍法会議で死刑が決まった場合で軍人にしか行われないことになっている。それ以外の方法は行わないのが建前だが、都市伝説では、「”ヴェルデ・シエロ”を怒らせるとワニの池に生きたまま放り込まれる」と言うのがある。州立刑務所にワニは飼っていないし、池もない。ただ、塀の外を濠が囲んでいる。植民地時代の要塞跡だったので、その名残だ。立地は海のそばで、濠は海水を引いており、時々サメが泳いでいるのが見えると、看守達が入所する際に囚人を脅す。真偽の程は定かでない。
 ロザナ・ロハスは東セルバ州立刑務所の重犯罪者棟に収監されていた。女性用の区画だ。刑期は96年。恐らく生きて出られない。模範囚でもせいぜい10年減らしてもらえるだけだろうし、満了する頃に彼女は100歳を超えている。
 セルバ共和国の刑務所は賄賂が利かないことで犯罪者の間で有名だ。刑務官達は大統領警護隊の司令部から任官されて来る所長を恐れている。所長は暴君ではないが、大統領警護隊隊員だ。刑務官や囚人の不正をすぐ見破る。歴代の所長がそうだったから、現在の所長も同じだった。例えその所長がメスティーソであっても。
 大統領警護隊同士だからと言って、面会者に優遇はなかった。ケツァル少佐はロザナ・ロハスへの面会を申し込み、許可が出る迄午前中いっぱい待たされた。刑務所所長は多忙なのだった。刑務所の近くの刑務官達が利用する食堂で朝から昼まで、少佐とステファン大尉は待っていた。2人共私服姿だったが、雰囲気で軍人だとわかるのだろう、店の従業員は時々コーヒーのお代わりは要り用かと聞きに来るだけで、テーブルに近づかなかった。
 少佐の携帯には部下達からのメールが送られてきた。
 マハルダ・デネロス少尉はテオドール・アルストと共にムリリョ博士に面会し、博物館の学芸員に話を聞くと書いていた。
 アスルはアンドレ・ギャラガ少尉と共にピソム・カッカァ遺跡へ行った。デランテロ・オクタカスの病院を発ったのが夜明け前で、日が昇った後でアスルは盗掘現場から「過去」へ跳んでみた。微妙な時差で盗掘者を目撃することは出来なかったが、犯人の匂いは嗅いだ。「次に出会えば、嗅ぎ分けられます。」と彼は書いていた。
 ギャラガは捜査状況の報告を先輩に任せて、彼自身は盗掘者に瀕死状態にされた警備員を気遣う内容を送って来た。爆裂波でやられた人間の脳を治療出来ないのでしょうか、と彼は疑問文を書いていたが、答えは期待していない筈だ。
 ロホは簡潔に報告を送って来た。「異常なし」と。
 ステファン大尉は己の携帯に何もメールが入って来ないことを悲しげに眺めていた。メールボックスは空だ。大統領警護隊遊撃班は彼に「戻ってこい」と言ってくれない。これは首都が今の所平和だと言う証拠でもあるのだが、彼は寂しかった。遊撃班に戻れば、彼は副指揮官で、班員達は部下だ。しかし文化保護担当部では、彼はタダの助っ人で、指揮官は彼を昔の様に部下扱いするし、弟だと「見下して」いる。彼女と一緒に仕事が出来るのは嬉しいのだが、姉は小言が多い。彼が苛ついても無視だ。

「面会は1人だけでしたね?」

 彼は刑務所の規則を思い浮かべた。子供時代はかっぱらいや万引き、喝上げ、掏摸と軽犯罪を繰り返していたが、捕まったことがなかったので、刑務所も少年院も縁がなかった。

「それに互いの目を見てはならない・・・」

 少佐が小さくあくびをした。

「私は待ちくたびれました。ロハスには貴方が面会しなさい。」
「え?」

 ステファンは驚いた。

「貴女は彼女に質問なさりたいのでしょう?」
「質問は一つだけです。いつ、誰からアーバル・スァットの力を教わったのか。」


第8部 探索      8

  雑貨店からテオとデネロス少尉が通りに出ると、夕暮れだった。空間通路でも探さなければグラダ・シティに当日中に帰ることは出来ない。宿を探すか、とテオが提案した時、背後から「ドクトル! デネロス少尉!」と声をかけられた。振り返るとアスルとギャラガ少尉が立っていた。デネロスが上官であるアスルに敬礼で挨拶した。目を見合ったので、互いに捜査状況を報告し合ったのだろう、とテオは想像した。アスルが背後の一軒の民家らしき建物を指した。

「俺達はあそこに部屋を取った。あんたらも取ると良い。今夜は部屋が空いているそうだ。」
「ホテルなのか?」
「そんなもんだ。」

 看板を出していないのに、と思ったが、入口の上に小さく「ホセの宿」と書かれた板が打ち付けられていた。テオが入ると、普通の家のリビングの様な部屋で、若い男が古いソファに座ってテレビを見ていた。ドアに付けられたベルがカラコロと鳴り、彼は振り向いた。テオは声をかけた。

「男1人女1人、2部屋欲しい。」

 男は部屋の端の階段を指差した。

「2階だ。好きな部屋を選んでくれ。但し、2部屋は先客がいる。」

 テオは室内を見回した。どう見ても普通の家だ。料金表もフロントもない。

「料金は前払いで良いか?」
「スィ。」

 ギャラガから聞いた料金を支払い、鍵をもらった。どうやらどの部屋も同じ鍵の様だ。デネロスと2階へ上がるとドアが5つあり、取り敢えず無施錠の部屋を見つけてそれぞれ中に入った。毛布1枚と枕が一つ置かれた粗末なベッドだけの部屋だった。荷物らしい物を持って来なかったので、テオはそれだけ確認して廊下に出た。デネロスは大統領警護隊が野外活動する時に持ち歩くリュックを持っていたので、それを部屋に置いて来た。他人が触れるとビリビリと来る「呪い」をかけてある、と彼女は言った。盗難防止策だ。そんな能力なら俺も欲しい、とテオは思った。
 宿から出て、少し歩くとアスルとギャラガが見つけた食堂に入った。殺風景な室内装飾の店だが、客はそこそこ入っていて、他所者が来ても珍しくないのかチラリと見られた程度だった。豆の煮込みや鶏肉の焼いたのを食べて、4人は満腹になった。どこかでアスル達が調べたことを聞きたいなぁとテオが思っていると、テーブルに近づいて来た老人がいた。地元の人だ。

「大統領警護隊の方ですな?」

 彼はアスルに話しかけた。純血種はアスルだけだから、庶民は彼が隊員だとわかっても、メスティーソのデネロスやギャラガも仲間だとは考えが及ばないのだ。アスルは頷いて見せた。彼は部下達を手で指した。

「この2人は少尉で、私は中尉です。何か用ですか?」

 老人は食堂内の他の客を振り返った。テオは全員がこちらを見ていることに気が付き、驚いた。彼等はこの村の住人なのだろう。老人が代表を買って出たのか、それとも長老として役目を担ったのか。老人が低い声で囁いた。

「アーバル・スァット様を盗んだのは若い男女です。インディヘナでした。儂等にはわかりませんが・・・」

 彼が「わからない」と言ったのは、その男女の泥棒が”ヴェルデ・シエロ”なのか”ヴェルデ・ティエラ”なのか区別出来ないと言う意味だ。アスルが頷いた。

「グラシャス、泥棒は我々が探す。」
「グラシャス。」

 食堂内の人々が口々に「グラシャス」と言った。だから、アスルは言った。

「アーバル・スァットはグラダ・シティで見つけた。泥棒を見つける迄安全な場所に保管している。だから、災いが降りかかることはない。」

 今度の「グラシャス」はもっと大きく、喜びの響きが混ざっていた。

「前回の盗難の時は、毎日天候が不安定で雨季でもないのに雨が多くて困りました。今回はまだ何も起こっていませんが、遺跡で警備員が殺害されたと聞いて、この辺りの住民はみんな不安でならないのです。」
「警備員は死んでいない。」

 アスルは彼等を安心させるためにそう言ったが、重体の怪我人は2度と目覚めないだろう。住民達は安心して互いに肩を叩き合ったり、乾杯をした。テオ達にもビールが振る舞われた。アスルが食堂内の人々に声をかけた。

「それで? その男女はどんな人間だった?」


2022/08/30

第8部 探索      7

  遺跡に近い土地の人々は大統領警護隊と言えば遺跡の監視、と思うのだろう。テオとデネロス少尉は心の中で苦笑しながら、サラス氏が案内するまま、ごちゃごちゃした雑貨店の中の木製ベンチに座った。多分近所の人の社交場なのだろう、古いスタンド式吸い殻入れや、カップがいくつか積み重ねられた小さなテーブルが両脇に置かれていた。サラス氏が何か飲みますかと訊いたので、水をもらった。

「大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉と、グラダ大学准教授のドクトル・アルストです。」

 デネロスは簡単な自己紹介をした。テオの肩書きを言わなかったのは、言う必要がないと判断したからで、相手は考古学の先生ぐらいに思うだろう。果たして、サラス氏は突っ込まなかった。デネロスはすぐに要件に入った。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られていた神像が盗難に遭ったことをご存じですか?」

 サラス氏の顔が曇った。

「スィ。憂うべきことです。これで2回目ですから。」
「どんな神様かご存知ですか?」
「スィ。小さな動物の形の神様です。先祖から聞いた話では、雨を降らせるジャガー神だと言うことですが、雨の神様を盗むなんて、どう言う了見なんだか・・・」

 雑貨店主はテオを見て、尋ねた。

「外国ではあんな古い物を高い値段で買う人がいるそうですね。」
「罰当たりですけどね。」

とテオは頷いた。

「神様を敬うことを知らない人間がいるんです。キリスト教の神様の像でも盗まれますからね。」
「そんな奴らはジャガーに食われてしまえば良いんだ。」

 サラス氏はそう呟いてから、デネロスの視線に気がつき、手を振った。

「ノノ、そんな恐ろしいことを私は願いません。」

 大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”と深い繋がりがあると知っているのだ。うっかりしたことを口走って、本当にジャガーが暴れると困ると心配していた。

「アーバル・スァット様が怒るとどうなるか、ご存知ですか?」

 デネロスの問いに、彼は小さく頷いた。

「命を吸い取られます。ジャガーに魂を食われてしまうんですよ。」
「どんな失礼をすれば神様は怒るのでしょう?」
「それは・・・」

 サラス氏の躊躇いは答えを知っている証拠だ。デネロスはそれ以上訊かずに、別の質問をした。

「同じ質問をした人が最近いませんでしたか?」

 サラス氏は暫く黙っていた。そして悲しそうに言った。

「記憶にないんです。」
「え?」
「誰かに何かを喋ったと言う記憶はあるのですが、何を喋ったのか覚えていないんです。」

 ”操心”にかけられたとサラス氏は言っているのだ、とテオは気がついた。デネロスを見ると、彼女も同じ考えに至っている様子だった。彼女は質問を変えた。

「それはいつ頃のことでしょうか?」
「2月程前です。」

 サラス氏はデネロス少尉を見つめた。

「貴女は大統領警護隊ですよね?」
「スィ。今、アーバル・スァット様の盗難事件を調査中です。」
「私の体験は私のこれからの人生や家族に何か悪いことを呼び込むのでしょうか?」

 デネロスはメスティーソだ。それに若い女性だから、時々大統領警護隊としての彼女の能力を疑う人がいる。サラス氏も彼女に助けを求めようとはしなかった。それにデネロスは、純血で強い力を持った隊員がどんなに手を尽くしても”操心”で消された記憶が戻らないことを知っていた。だから助けを求められないことに気を悪くしたりしなかった。彼女は彼の質問に優しく答えた。

「貴方の記憶を消した人間は、もう貴方を煩わせることをしません。大丈夫です、貴方はその人を見ても既に見分けられないし、相手も貴方をどうにかしようなんて考えていない筈です。」

 テオにはいかにもセルバ的にのんびりした考えだと思えたが、サラス氏はそれで納得した。

「そうなんですね! 盗難事件で警備員が重傷を負わされたと聞いたので、私にも何か災いがあるかも知れないと不安でした。」

 デネロスは首を振って、災いはない、と表現した。そして最後の質問をした。

「アーバル・スァット様はどんな時にお怒りになられますか?」


2022/08/26

第8部 探索      6

  マハルダ・デネロス少尉は上官の許可を求めなかったが、ケツァル少佐の携帯に留守電を入れておいた。テオと一緒にデランテロ・オクタカス郊外のぺグムと言う集落に行くと言う内容だった。それから空軍の知人に電話をかけ、本日中にデランテロ・オクタカスへ飛ぶ便はないかと尋ねた。電話を切ると彼女はテオを振り返った。

「半時間後に飛び立つそうです。飛行場へ急いで!」

 予定時間通りに飛び立つことは滅多にないセルバの航空業界だが、空軍がそうとは限らない。グラダ・シティ国際空港の端っこにある空軍用スペースにテオの車が滑り込んだのは25分後だった。ドアをロックして2人は走った。兵士ではなく物資を運ぶ小型輸送機に無理矢理乗り込む形だ。定員オーバーではないか、と心配したが、荷物は軽そうだった。
 乗員はテオ達に何をしに行くのかと訊かなかった。大統領警護隊が乗せろと言うのだから乗せる、それだけだ。
 小さな輸送機はガタピシ言いながらグラダ・シティ国際空港を飛び立った。空軍なのだから、もっとマシな飛行機を買って貰えば良いのに、とテオは思ったが、黙っていた。オルガ・グランデへ行く空路より気流の乱れが少ないと言っても、深い緑の密林の上を飛んで行く。もし墜落したら、救助が来るのに時間がかかりそうな土地の上を通過した。
 テオとデネロスは沈黙したまま、座席に座っていた。狭い空間で、動き回るスペースもあまりない。パイロットも副操縦士も殆ど喋らなかった。やがてガタガタの滑走路に着陸して、飛行機が停止した時、全員がホーッと大きく息を吐いた。
 テオとデネロスは乗員に礼を告げて、空港を離れた。出口でペグム村へ行く道を訊くと、意外にも乗合タクシーを教えてくれた。オクタカス遺跡へ何度か監視業務に出かけていたデネロス少尉だが、近隣の村々へタクシーで行けるなんて知らなかったらしく、ちょっと驚いていた。
 タクシーと言っても小型トラックを改造した車で、荷台に屋根が載っけてあり、ベンチが備え付けてあるだけのものだ。窓ガラスは前半分だけで、後は風通しがやたらと良かった。乗客は全部で7人、デランテロ・オクタカスで野菜を売った女性達が自宅へ帰るところで、朝は野菜を入れて来たであろう大きな籠に、帰りは日用雑貨を購入して詰め込んでいた。自宅用ではなく村で売るのだろうと見当がついた。
 デネロスがオスタカン族の住民のことを尋ねると、彼女達は即答で教えてくれた。テオは地方訛りがきつい彼女達の言葉を7割程しか聞き取れなかったが、デネロスはちゃんと理解出来たらしく、表情が穏やかになって、グラシャスを繰り返した。
 ペグム村は、予想したより綺麗なところだった。森が開かれていて、木造の民家が未舗装のメインストリートに沿って並んでいる。少し床を地面から上げて離してあるのは虫などを避ける為だろう。どの家も2、3段の階段を上がって家に入る。家の前では女性達がお喋りしながら屋外キッチンで夕食の支度をしていた。男性達は日中の仕事が再開される時間なので、民家の裏手で働いている様だ。
 乗合バスを降りた女性達は1軒の家を目指して歩いて行った。そこが村で唯一の商店で、食料品から日用雑貨、衣類などを販売していた。彼女達は野菜を売ったお金で仕入れた雑貨をその店に卸し、またお金を受け取って帰って行った。
 テオとデネロスはその店の主人が仕入れた品物を店頭に並べるのを眺めていた。やがてデネロスが声をかけた。

「ブエノス・タルデス! 貴方がセニョール・サラスですか?」

 主人が顔を向けた。よく日焼けしたメスティーソの男性で、60は過ぎているだろうか。商店主らしい人当たりの良さそうな顔で頷いた。

「スィ、儂がサラスです。何か?」

 他所者への警戒がなかった。綺麗な村だから、訪問者が多いのだろう。それにこの村は、オクタカス遺跡の側のオクタカス村への通過点だ。流通の途中の村なのだ。
 デネロスが徽章を出した。サラスは手の埃を払い、店の中の椅子を指差した。

「遺跡の監視ですか? あちらで休まれませんか? お茶を出しますよ。」


2022/08/24

第8部 探索      5

「その修道女はアーバル・スァットに興味を持ったと思いますか?」
「どうでしょう・・・」

 アバスカルは首を傾げた。

「病気平癒の神様ではありませんし、とても古くて観光客も素通りしてしまうような小さな神像です。雨を降らせる力があるとも思えませんし・・・」

 学芸員にはそう見えるのだろう。それに神像に力があるなら、現代でも近隣の先住民などがお供えをしたりして崇拝しているのではないか。無造作に神殿の棚に置かれていただけだから、ロザナ・ロハスは盗めたのだ。

「アーバル・スァットを盗んだと言われている女性のことですが・・・」

 テオが女性犯罪者のことに触れかけると、アバスカルは肩をすくめた。

「あの麻薬業者ですか? あんな人はここへ来ないでしょう。ここには監視カメラがありますから、例え遊びに来るだけだとしても、映りたくないと思いますよ。」

 彼女は部屋の隅の天井に設置されているカメラを指差した。テオが見たところ、休憩スペースのカメラはそれ1台だけで、部屋の出入り口を撮影しているように見えた。
 デネロスが、修道女が来たのはいつ頃でしたか、と尋ねた。アバスカルはブログの日付を見て、5年前の月日を言った。ロザナ・ロハスがアーバル・スァットを盗掘する半年程前だった。 

「その人はそれっきり来なかったのですね?」
「来ませんでした。」
「他に呪術や願い事を叶えてくれる神様について質問した人はいませんでしたか?」
「博物館でそんな質問をする人はあまりいませんわ。大概は祭祀の方法や占星術の技術や、農耕と狩猟の関係などを調べている人が多いです。考えてもみて下さい、私たちが古代の呪術について遺跡から何を知ることが出来ます?」

 確かに、考古学は出土品を見て、それが何に使われていたのか、どう使われていたのか、誰が使っていたのか、考える学問だ。呪術の内容まで判明したりしない。
 アバスカルは修道女の名前を覚えていなかったし、どこの修道院かも聞いていなかった。
 テオとデネロスは彼女に礼を告げて、博物館を出た。
 車に乗り込むと、デネロスは考え込んだ。

「民間のシャーマンがセルバ共和国に何人いると思います?」
「数えた人はいないと思うが・・・」

 テオは絞り込む方法を思いついた。確実ではないが、ないよりマシな案だ。

「ピソム・カッカァ遺跡周辺のシャーマンや呪術師を当たった方が良くないか? アーバル・スァットの呪いを知っているのは、オスタカン族だと思うが・・・」
「オスタカン族はアケチャ族に同化されて、殆ど残っていません。少なくとも純血のオスタカン族なんて・・・」

 そこでデネロスは何かに思い当たり、電話を取り出したので、テオは車のエンジンをかけずに待った。デネロスがかけたのは、ウリベ教授だった。結局、あの福よかな人懐っこい教授に頼ることになるのか、とテオは思った。
 ウリベ教授はお昼寝の最中だったのか、電話に出ても少しばかりはっきり聞き取れない喋り方だった。デネロスは彼女のシエスタを邪魔したことを謝罪し、それからオスタカン族の伝承に詳しい人を教えて欲しいと頼んだ。

ーーオスタカン族? 何だか懐かしい言葉ねぇ。

 といつも陽気なウリベ教授が答えた。

ーーあの部族はとても古くて、人口も少なくなっているから、殆ど伝承も残っていないのよ。だからシャーマンと言うより、土地の古老に昔話を聞けたら幸運と言うことです。

 まだ生きているかどうか知らないが、と前置きして、教授はデネロスに3つばかり名前を告げた。テオはそれを素早く自分の携帯にメモした。住所は具体的に覚えていなかったが、住んでいた村は知っていると教授はデランテロ・オクタカス近郊の集落の名前を一つだけ言った。

ーーそこにオスタカン族の末裔が住んでいるわ。目で見てもわからないけどね。言葉もアケチャ語とスペイン語だけです。
「グラシャス、先生! 恩に着ます!」

 大袈裟ね、と笑ってウリベ教授との通話は切れた。
 デネロスが振り返ったので、テオは腹を決めた。

「デランテロ・オクタカスへ行くか・・・」


第8部 探索      4

 テオもデネロスも学芸員が耳寄りな情報を持っているとは期待していなかった。博物館は混雑する場所ではないが、週末は海外からの観光客も多い。職員達はその資格や肩書きに関わらず客の応対に忙しく、一人一人の客の顔を覚えていないだろう。 博物館に一番近いタコスの店で簡単に昼食を済ませ、コーヒーを飲んでから、テオとデネロスは博物館に戻った。
 マリア・アバスカルは2人が奥のスペースへ辿り着く前に彼等に追いついた。手にタブレットを持っており、休憩スペースのソファへ2人を誘導した。休憩スペースは広くて、近代のセルバ人画家が描いた遺跡や神話をモチーフにした幻想的な油絵が4、5点3方の壁にかけられた四角い部屋だった。その真ん中に背もたれのないソファが置かれているので、他の人が近づくとすぐ知ることが出来る。

「呪術のどう言うことをお知りになりたいのでしょうか?」

 アバスカルの質問に、デネロスが答えた。

「呪術の内容ではなく、呪術の使い方を調べに来た人がここ5、6年の間でいなかったか、覚えていらっしゃいますか?」
「呪術の使い方?」

 アバスカルが目を見張った。デネロスが説明した。

「つまり、どんな神様や精霊に、どんな方法で願い事を叶えてもらうか、その儀式の方法等です。」
「・・・」

 テオが周りくどい言い方がまどろっこしいので、ズバリ言った。

「誰かを呪殺したい場合の方法とか・・・」
「呪殺ですか・・・」

 アバスカルは口元に手を当てた。驚いた様子だが、ショックを受けたと言う感じではなかった。

「ええ、中南米の呪いの効果を期待して、そう言う不穏な情報を調べて来る外国人がたまにいますね・・・」

 彼女はタブレットを操作し始めた。面会者のリストかと思ったらそうではなく、彼女個人の日誌の様な感じだった。ブログ形式で日誌を毎日書いているのだ。彼女は検索ワードに「呪殺」と入れた。しかし出てきたのは、来館者との会話を描いた日誌で、若者達と冗談混じりで話をした様子ばかりだった。

「民間信仰で呪いを研究されているのは、グラダ大学のウリベ教授ですけど・・・」

とアバスカルは言い訳するように呟いた。

「でも私は教授にそんな遊び半分の観光客を紹介したことはありません。」
「勿論、貴女が軽薄な人々に真面目に取り合うなんて思っていません。」

 テオはデネロスを見た。彼女に主導権を戻したかったが、彼女はテオのペースに任せることにしたのか、黙って見返しただけだった。それで彼は更に突っ込んで質問した。

「アーバル・スァットと言う石の神像をご存じですか?」
「アーバル・スァット?」
「ピソム・カッカァと言う遺跡で祀られているネズミ・・・いや、ジャガーの神像です。」

 アバスカルはちょっと首を傾げ、それから思い当たることがあったのか、「ああ」と声を立てた。

「一度盗掘されて、それから大統領警護隊が取り戻した神像ですね?」
「スィ。その神像について、博物館では・・・いえ、貴女はどんな情報をご存じですか?」
「ピソム・カッカァはオスタカン族が7世紀から8世紀頃に築いた都市で、現在はその都市の10分の1だけが遺跡として現存しています。遺跡内には2つだけ神殿が残っており、ジャガー神アーバル・スァットが祀られているのは、西の神殿と呼ばれている場所です。あの神様はジャガーですから、雨を呼ぶ神様です。他人を呪う為の神様ではありません。」
「でも、神様は扱い方を間違えると、お怒りになりますよね?」
「スィ、とても恐ろしい祟りがあります。」

 そこまで言ってから、アバスカルは何かを思い出し、ブログを検索した。

「今でも神様へ祈りを捧げたら願いが叶うのかと訊いてきた人がいました。」

 彼女は古い記事を探し当てた。

「地方の修道院に入っている女性で、身内が重い病に臥せっているので、古代の呪術でも何でも良いから救いの手を差し伸べたいと言う人が訪ねて来ました。」
「修道女ですか?」

 デネロスが意外そうに言った。

「修道女なら、キリストや聖母に救いを祈るでしょうに・・・」
「奇跡を期待しても空い時はあります。」

 アバスカルが寂しい笑みを浮かべた。

「それにその女性は先住民でした。キリスト教の信仰より民族が古代から信じてきたことの方が彼女には重たかったのでしょうね。」
「彼女の質問に貴女は何と答えたのですか?」

 アバスカルはちょっと躊躇った。そしてデネロスを見た。

「”ヴェルデ・シエロ”が関わった神様なら、何らかの祈りの効果を期待出来るかも知れませんと・・・」

 アーバル・スァットは雨の神様で、病気平癒の神様ではない。デネロスが尋ねた。

「どこかの神様を紹介なさったのですか?」

 アバスカルが苦笑した。

「そんな無責任なことはしていません。私はただ現在観光客が近づける遺跡を紹介するパンフレットを彼女に渡し、それらの場所に置かれている神像や神の彫刻について一つ一つ簡単に説明しただけです。そして病気平癒は民間信仰のシャーマンの方が詳しいでしょうと言いました。」


2022/08/22

第8部 探索      3

  シエスタの時間は博物館も昼休みだ。そんな時に訪問すれば職員や学芸員は迷惑だろうが、見学者の邪魔をせずに済む。テオは午後の授業がないのでマハルダ・デネロス少尉を車に乗せてセルバ国立博物館へ行った。
 デネロスの緑の鳥の徽章を見せると、入館料なしで中に入れてもらえた。2人は真っ直ぐ事務室へ行き、ドアを開いた。職員達は昼食に出かけており、残っているのは3人だけだった。デネロスは一番近くにいた初老の男性学芸員に徽章を見せて、

「呪術に詳しい人がいると館長から聞いて来ました。面会を希望します。」

と要請した。すると男性学芸員は一番奥の机でお手製と思えるサンドウィッチを食べている中年のメスティーソの女性学芸員を指した。

「マリア・アバスカルのことを館長が仰ったのなら、そうです、彼女が呪術の研究をしています。」
「グラシャス。」

 テオとデネロスは部屋の奥へ進んだ。アバスカルはカップのコーヒーを飲みかけていたが、近づいてきた客に気がついて手をおろした。「こんにちは」とデネロスとテオは挨拶した。

「私は大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉です。」
「俺はグラダ大学生物学部准教授のアルストです。」

 アバスカルが微笑した。

「少尉も准教授も存じ上げています。時々ここを訪問されましたよね?」
「スィ。」

 個別に紹介されたことはなかったが、何度か用事があって博物館に来ていたので、テオもデネロスも職員達に顔を覚えられていた。なにしろ気難しい館長を訪ねて来る人だ。誰も忘れたりしなかった。

「今日は館長から貴女を紹介されました。呪術の研究をされているとか・・・」
「スィ。呪術と言っても色々ありますが、どんな要件でしょう?」

 テオは彼女の机の上の弁当を見た。

「先に食事を続けて下さい。俺達も外で食べて来ます。何時頃にお伺いするとよろしいですか?」

 アバスカルは大きな茶色の目をくるりと回し、ちょっと考えた。

「この近所で食事が出来るお店は3軒だけです。食べ終わったら、私からお店へ伺います。お食事なさりながらで良ければですが?」

 出来ればあまり部外者に聞かれたくない話だ。デネロスがテオを見た。テオは時計を見た。そして脅かすつもりはなかったが、声を低くして言った。

「館長の紹介と言う意味をお考えくださると嬉しいです。」

 アバスカルがハッと目を見開いた。そして1日の予定表をめくった。

「午後2時迄でしたら、空いています。」
「では、出来るだけ早く戻って来ます。この場所でよろしいですか?」
「展示室の一番奥に客の休憩スペースがあります。そちらへお越し下さい。戻られたら、誰かが私に教えてくれますから。」

 再会を約束して、テオとデネロスは博物館を一旦出た。


 

2022/08/21

第8部 探索      2

  12時になると、学生達も職員達もキャンパス内のカフェや学外の食堂へ向かって移動する。テオは考古学部へ向かった。午前中どこかで時間を潰していたマハルダ・デネロス少尉と建物の入り口で出会った。考古学部は特に変わった場所ではない。博物館のように遺跡からの出土物やミイラが廊下に並んでいるなんてこともない。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の研究室はケサダ教授の部屋の隣だった。ドアには「主任教授」と書かれているだけで、博士の名前はなかった。テオがノックするとドアが勝手に開いた。こんな些細なことで能力を使うなんて博士らしくないと思いつつ、テオとデネロスは挨拶をしながら中に入った。
 ムリリョ博士は机に向かって何やら書類仕事をしており、2人が入室しても振り返らなかった。デネロスが声をかけた。

「面会許可、有り難うございます。」

 博士は黙ってゆっくり椅子を回転させ、振り返った。テオはいきなり話題に入ると礼儀がどうのと言われそうな気がしたので、デネロスに任せることにした。ムリリョ博士は2人のどちらが主導権を持つのか見極めようとしているのだ、と思った。

「ピソム・カッカァからアーバル・スァットの神像が盗み出され、昨日それが建設大臣マリオ・イグレシアスの所へ送られて来ました。」

 デネロスは彼女が知っていることを喋り出した。

「幸い私設秘書のセニョール・シショカがその箱を受け取り、中の異様な気配を知って検めました。彼は神像を見て、大統領警護隊文化保護担当部に連絡して来ました。文化保護担当部は現在、盗掘者と大臣に神像を送りつけた人物を特定するために捜査に取り掛かっております。」

 するとムリリョ博士がジロリとテオを見て、それから視線をデネロスに戻した。

「アーバル・スァットは今どこにある?」
「建設省のセニョール・シショカの部屋だそうです。」

 博士は小さく頷いた。シショカは彼の配下ではないが、同業者で同族だ。信頼を置ける男なのだろう。博士は窓の外を見た。庭の植え込みが見えるだけだ。

「数日前から少し気が乱れていた。だから妊婦が不安定になる。この2、3日は出産が増えるだろう。」

 え? とテオは驚いた。あのネズミの神様は子供の誕生にも影響を及ぼすのか? コディア・シメネスが一月早く産気づいたのも、そのせいなのか? だがここで個人的な話を持ち出すのは拙いとテオは知っていた。ムリリョ博士は公私をはっきり分けて考える。
 デネロスが面会の目的を出した。

「博士にお尋ねします。ここ最近、古い呪術のことを調べている人はいませんでしたか? 一族の者でも”ティエラ”でも構いません、古代の神像と呪術の関係を研究している人をご存知ないでしょうか? 恐らくウリベ教授が研究されている民間信仰よりずっと古い時代のものを、調べていた人間がいる筈です。」

 すると博士はちょっと考えた。真剣に捜査に協力してくれているんだ、とテオは別のところで感動を覚えた。

「呪術は儂の分野ではない。」

と博士は言った。

「しかし博物館の学芸員の中に呪術研究をしている者がいる。彼女に訊くと良い。」

 その人の名前は、と尋ねる前に博士はクルリと椅子を回転させて机に向き直った。テオがデネロスを見ると、彼女はそれ以上質問してはいけないと思ったのか、「グラシャス」と声をかけた。それで、テオは博士の背中に声をかけてみた。

「コディアさんの出産が無事に済むことを祈っています。」

 デネロスはさっさと部屋から出て行った。長居無用と言わんばかりだ。テオも博士の返事を期待していなかったので、「グラシャス」と囁いて出ようとした。博士が呟いた。

「男の子だ。フィデルは後継者を作りおった。」

 半分だけのグラダ族の男、しかし純血種の”ヴェルデ・シエロ”が生まれたのだ。テオは

「おめでとうございます。」

と挨拶して、部屋から出た。微かだが、興奮していた。

2022/08/19

第8部 探索      1

  テオドール・アルストがグラダ大学に出勤すると、マハルダ・デネロス少尉も来ていた。彼女はすぐに考古学部へ行きたかったのだが、男子学生達が美人を放置しておく筈がなく、早速何人かに声をかけられ、なかなか前へ進めずに困っていた。

「ナンパしていないで、勉強なさい!」

 彼女が緑の鳥の徽章を出して見せる迄、若者達のアタックは続いた。テオは彼女を援護してやりたかったが、見当違いの噂が流れても困るので、近くを通りながら軽く、

「ブエノス・ディアス、デネロス少尉!」

と声をかけた。デネロスはすかさずその救いの手に縋りついた。

「ブエノス・ディアス、ドクトル・アルスト!」

 彼女は学生達を振り切って彼に駆け寄った。

「今朝は考古学部の先生達にお会いになりましたか?」
「ノ、まだ来たばかりだから、誰にも会っていない。」

 テオは理系学舎に向かって歩いていた。デネロスは方向違いでもついて来た。

「ムリリョ博士が来られていると言うことは・・・?」
「予想がつかないなぁ。」

 テオもわかりきったことを喋り続けた。

「業務関連で面会を希望かい?」
「スィ、出来れば大至急お会いしたいのですけどぉ・・・」

 建物の中に入って学生達をまいてから、2人は立ち止まった。テオは携帯を出して、ムリリョ博士の番号にかけてみた。しかし博士はいつもの如く彼の電話には出てくれなかった。5分程粘ってから、テオは一旦切って、次にケサダ教授の番号にかけてみた。

ーーケサダ・・・

 聞き慣れた穏やかな教授の声が聞こえた。テオは急いで名乗った。

「テオドール・アルストです。今日は大学に来られますか?」

 すると思いがけない返答が聞こえた。

ーー今、病院にいます。コディアが出産するので・・・
「あっ!」

としか言いようがなかった。ケサダ教授の愛妻コディア・シメネスが5人目の赤ちゃんを孕っていることは知っていた。まだ予定日は先だな、と思っていたのだが、早く産気づいた様だ。

「出産がご無事に済むことをお祈りしています。」
ーーグラシャス。 ところで何用ですか?

 尋ねられて冷や汗が出た。

「あ、ムリリョ博士に面会を取り付けたくて・・・俺ではなくデネロス少尉が博士に用があるのです。」

 ムリリョ博士はコディア・シメネスの父親だが、娘の出産に立ち会うとは想像出来なかった。ケサダ教授は親切だ。

ーー博士に伝えておきます。デネロスの電話にかけて貰えば良いのですね?
「スィ、グラシャス!」

 ムリリョ家は伝統を重んじる家系だが、自宅や部族の出産のしきたりに従った施設ではなく、病院で産むのだな、とテオはぼんやりと思った。
 デネロスがテオを見つめていた。

「教授の奥様が出産ですか?」
「スィ、予定日より早いよう気がするが・・・」

 デネロスも指を折って数えてみた。

「一月早いと思います。コディアさんは産んでしまうのですね?」

 予定日迄安静にしているのではなさそうだ。もしかすると危険な状態なのだろうか。テオとデネロスは不安を覚えた。

「マスケゴ族も病院で出産するのが普通なのかな?」

 デネロスが苦笑した。

「勿論です。伝統的な産屋を使うのは田舎の人ですよ。それにグラダ大学附属病院の産科には一族の医者がいますから、出産に伴う儀式なども行います。」

 この国の最先端医療を誇る大学病院で、出産の儀式か、とテオはちょっと驚いた。だが”ヴェルデ・シエロ”の親達には重要なのだ。

「アリアナも出産の時は儀式を行うのかな?」
「当然です。」

とデネロスは微笑みながら答えた。

「ロペスの家系はブーカ族の重鎮ですから、必ず行います。そしてシーロの血を引く子供を産むことで、アリアナは白人であっても一族の一員として正式に迎え入れられるのですよ。」

 その時、デネロスの携帯電話が振動して、彼女は慌ててポケットから電話を取り出した。非通知だが、彼女は相手が誰だか想像出来た。

「ワッ! きっと博士からですぅ・・・」

 緊張しながら彼女は通話ボタンを押した。そして相手の声を暫く聞いてから、「わかりました、グラシャス!」とだけ言って電話を終えた。
 テオを見て、彼女は告げた。

「1200に考古学部の博士の研究室へ来るようにと言われました。ドクトルも一緒に来て下さい。」
「え? 俺も行って良いの?」
「ご指名です。」

 それって、めっちゃ緊張ものじゃん、とテオは内心思った。

 

2022/08/18

第8部 贈り物     23

 「例え幸運をもたらしてくれるとしても、神様を贈られるなんて、真平ごめんです。」

とカルロ・ステファン大尉は言った。彼はケツァル少佐と共に陸軍オルガ・グランデ基地の、大統領警護隊が利用する「控室」にいた。携帯電話のメールを読んでいた少佐が、顔を上げずに言った。

「そんな奇特な友人など持っていないでしょう。」

 彼女はロホからのメールを見つけた。建設省の警備室に入り込めたとあった。彼が警備員のふりをして仮眠室で休んでいても、誰も気がつかないだろう。ロホはその気になれば大臣執務室にも入れるのだ。
 アスルはネズミの神様が本来祀られているべき遺跡ピソム・カッカァにギャラガと共に行くとメールして来た。但し、夜が明けてからだ。その夜は病院で重体の警備員の様子を見守るのだと書かれていた。ギャラガからのメールはなかった。報告はアスルが引き受けた様だ。警備員が”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波に襲われたらしいと言う文に、少佐は不快を覚えた。一族が関わっていることは明白だ。ネズミの神様は”ヴェルデ・シエロ”の能力で抑えることが出来るが、同じ”ヴェルデ・シエロ”を敵として戦うのは厄介だ。
 マリオ・イグレシアス大臣が誰からどんな恨みを買ったのか、調べる必要があった。シショカが調べている筈だが、あの男がそれを突き止めたとして、素直に情報を渡してくれる保障はない。”砂の民”として、さっさと仕事をしてしまうかも知れない。
 少佐はマハルダ・デネロス少尉がムリリョ博士と上手く接触出来ることを願った。博士はメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”を嫌っているが、デネロスのことは気に入っているのだ。物怖じしない勇敢な娘、と誉めていた。
 ステファンが毛布を被って寝転んだ。

「明日はグラダ・シティですか?」
「そのつもりですが、何か?」

 オルガ・グランデはステファンの生まれ故郷だ。しかし彼は故郷にあまり良い思い出を持っておらず、懐かしいとも感じない。任務で帰郷しても、仕事が終わるとさっさとグラダ・シティに帰ってしまうのだ。
 ステファンは、「別に」と呟いたが、すぐ言い訳した。

「ネズミの神像の石を切り出した川は、あの川ですよね?」

 あの川というのは、”暗がりの神殿”のそばを流れる聖なる地下川だ。少佐は「スィ」と答えた。

「言い伝えでは、川の石を切り出して、神像を作ったそうです。旱魃に苦しむ農民を救う為に。」
「昔の人々はそう言うことが出来たんですね。」
「今でもママコナなら出来るでしょう。」
「グラダ族でもないのに?」
「グラダ族でもママコナの修行をしなければ出来ませんよ。ママコナは最長老達に幼い頃に仕込まれるのです。」
「では最長老は神像を作れるのですか?」
「念を込める資格を持つのはママコナだけです。」

 ケツァル少佐はママコナではないし、最長老でもない。ステファンの質問に全部答えられる訳でなかったから、だんだん面倒臭くなってきた。

「明日は早いですよ、早く寝なさい。」


2022/08/14

第8部 贈り物     22

 「教えて頂きたいのです。」

とケツァル少佐がパソコンの机にもたれかかって言った。

「前回、貴方がネズミを手に入れた時、どこであの呪いの使い方を教わりましたか?」

 バルデスが一瞬固まった。彼女の顔を見て、それからタブーを思い出して慌てて目を逸らした。

「貴女がネズミを回収された時に話すべきでした。」

とセルバ共和国の経済界の実力者である男が小さな声で言った。

「あの時、私はネズミの威力の恐ろしさと強さに恐怖し、あなた方の偉大な力に畏敬の念を感じる余り、救いを求めていたことを正直に語れませんでした。そして部下達の手前、弱みを見せられなかった。」
「そんなことはこの際どうでも良い。誰からアーバル・スァット様のことを教えられたのです?」
「私は、ロハスから聞きました。」

 少佐が顔を顰めた。ステファンも不機嫌に鼻を鳴らした。バルデスは彼等を怒らせまいと、慌てて説明した。

「当時、私はアンゲルス社長の従業員達に対する冷たい扱いに憤っていました。見かねて諌めようとしたのですが、逆に忠誠心を疑われ、危うくクビになるところだったのです。モヤモヤした気分でバルで飲んでいた時に、隣にやって来た女が声をかけて来ました。私も余り綺麗な経歴の男ではありません。裏社会の有力者の顔や噂は知っています。彼女が盗掘や麻薬密売を生業にしているロザナ・ロハスであることは、すぐわかりました。
 彼女は私に、何か不満を抱えているのですね、と話しかけて来たのです。勿論、私は彼女に胸の内を明かすつもりはありませんでした。適当に曖昧な返答をしていると、彼女がこう持ちかけて来たのです。
『先住民が大昔憎い相手を懲らしめるのに用いていた呪いの石像があります。呪いをかけるのは簡単です。懲らしめたい相手のそばにその石像を置いておくだけです。但し、貴方は決してその石像に近づいてはいけません。』
 私は彼女に尋ねました。
『近づけない物をどうやって憎い相手のそばに置くのか?』と。
 彼女は言いました。
『相手の住所を教えてくれたら、私が手配してその人の家に送りつけます。』と。」

 ステファン大尉が少佐を見た。少佐は宙を眺めていた。
 バルデスがウィスキーをちびりと口に入れて続けた。

「俄に信じられない話です。私は黙っていました。すると彼女はこんなことを言いました。
『私は偶然呪いの力が強い神様の石像を手に入れましたが、その力の大きさを持て余しています。神様を鎮めるには生贄が必要で、適当な人間を探しています。』
 私は尋ねました。生贄は処女でなければいけないのではないか、と。彼女は何でも良いと答えました。
『私が手に入れた神様は老若男女誰でも構わないのです。満腹にさえなれば、静かになります。』」

 少佐がバルデスをジロリと見た。

「貴方がその呪いの神像を譲り受けた見返りは何だったのです?」
「何も・・・」

とバルデスが肩をすくめた。

「信じて頂けないでしょうが、ロハスは私に何も求めませんでした。何故なら、私はそのバルで彼女に、神像は要らない、と答えたからです。」
「貴方は断ったのですか?」
「断りました。呪いの神像など、信じられなかったし、万が一本物だったら、それは恐ろしい罪です。神様が私を無事に解放すると思えません。私が憎む相手を呪い殺して、私にも祟りが降りかかるでしょう、他人を呪うとはそう言う危険な行為です。」

 アントニオ・バルデスは、神の祟りを本気で信じていた。だから、丘の上の豪邸を引き払ったのだ。ステファン大尉が質問した。

「貴方が断ったのにロハスはアンゲルスに神像を送りつけたと言うことですか?」
「スィ。」

 バルデスは頷いた。

「あの女は社長の屋敷に荷物が届いた日に私に電話を掛けて来ました。
『神様が貴方の社長の家に到着しましたよ。貴方はあの社長と仲違いしていたでしょう? 神様が貴方に代わってあの社長を始末してくれます。貴方は呪いが鎮まった時に、神像を元の場所に返して下されば良いのです。』」

 彼は残った酒をクイっと飲み干した。

「要するに、あの女は、盗んだ神像を持て余して、私がアンゲルス社長との間に問題を起こしたことを聞きつけ、私に神像を押し付けたんですよ。自分では処分の方法がわからないから。」

 彼はお代わりを注いだ。

「案の定、彼女は呪いを受けて、あなた方に逮捕された。噂で聞いています。神像をアンゲルスの屋敷に送りつけた後、あの女は仕事で失敗続きだったんです。あの方面のビジネスは、失敗すると組織全体に危険が及ぶ。だからどんな幹部でも、しくじれば組織の誰かに消される。ロハスは孤立しかけていました。実際、政府軍に包囲された時、組織の誰も彼女を助けようとしなかったでしょう? 刑務所でも彼女は厳重な警備下に置かれている。殺し屋が近づけないようにね。それでもあの女は怯えて暮らしているそうですよ。ネズミの祟りを恐れてね。」

 ケツァル少佐は水をそばの植木鉢に注ぎ入れ、グラスを彼に差し出した。

「少し頂けます?」
「どうぞ。」

 バルデスはウィスキーを少し入れてやった。少佐はグラシャスと言って、お酒を口に含んだ。

「すると、ロハスがネズミの祟りのことをどこで学んだか、を知らなければなりません。」
「そう言うことですな。」

 バルデスはステファン大尉を見た。目で「貴方も如何です?」と問うたが、ステファンは無視した。

「ロハスは本業が麻薬で、盗掘は趣味と言った方が良いでしょう。どこで金目の物が手に入るか、巷の噂や民間伝承などを調べていたと思われます。麻薬で稼いでいるのに、何故危険を冒して割に合わない盗掘をするのか、私には理解できかねますが。」
「彼女がどこから貴方と社長が上手くいっていないと聞きつけたか、見当がつきますか?」
「それは・・・」

 バルデスが苦笑した。

「鉱山で大声を上げて言い合いをしましたからな・・・周囲にいた従業員はみんな聞いていた筈です。ロハスの子分でなくても、又聞きでロハスの配下の耳に入ったことでしょう。」

 そして彼は自身が気にしていた質問を思い出した。

「ところで、ネズミはまだ見つかりませんか?」
「見つかりましたよ。」

と少佐はあっさり答えた。

「今のところ、ただの石像です。」



第8部 贈り物     21

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が”着地”したのは、4階建てのビルの屋上だった。排気の為に設けられた煙突の様な物が数基並んでいた。空気は乾いており、ひんやりとしていた。寒いと言った方が近い気温だ。夜の高原地帯の気候だった。市街地の外れと言っても辺鄙な場所ではなく、コンドミニアムが並んでいる。間を通る道も狭くない。オルガ・グランデの富裕層が住む地域だ。
 少佐は街中であるとわかると、携帯で位置情報を探った。

「この建物の中に、バルデスの自宅があります。」

 ステファンが眉を上げた。ちょっと意外だ、と言いたげな表情だった。

「アンゲルスの邸に住んでいるんじゃないんですか?」
「呪殺した元主人の家に住みたいですか、貴方は?」
「・・・ノ・・・」

 郊外の丘の上にあった豪邸は、恐らく売却してしまったのだろう。アントニオ・バルデスはマフィアの首領の様に豪胆で無慈悲な面を持っているが、反面迷信深く、古い信仰も持っていた。
 少佐は屋上から建物の中に入る入り口を探した。ドアが施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”にはないのも同然だ。彼等は屋内に入り、狭い階段を降りて行った。住民が利用すると言うより、メンテナンス用の階段の様だ。踊り場に来る度に少佐はそこにあるドアに手を置いて、バルデスの部屋を探った。ステファンには、彼女がどんな能力を使っているのか、よくわからなかった。”ヴェルデ・シエロ”には透視能力などなかった筈だが。
 3階と4階の間の中二階のドアを通り過ぎ、3階のドアの前に来ると、彼女はドアを押し開いた。通路の右側は薄い壁で、大きな窓が並んでいる。バルコニー形式の廊下だ。オルガ・グランデ市街地の夜景が見えた。左側はドアが4つ。どれも廊下との間に鉄柵のフェンスがあり、少し入ってからまたドアがある、用心深い造りだ。その鉄柵に飾り付けがされていたり、柵の中に鉢植えが並んでいたり、それぞれの住民のセンスが出ていた。
 バルデスの家はメンテナンス階段から2つ目で、花の蕾がいっぱい付いた鉢植えが前庭に並んでいた。富豪にしては質素な住まいだ、とステファンは思った。
 少佐がドアの前でバルデスに電話を掛けた。画面に出たバルデスは、ベッドの中だった。

ーーバルデス・・・
「ケツァルです。」

 バルデスがガバッと起き上がった。画面が暗くなったのは、手で覆ったからだ。隣に妻が寝ているのだろう。彼は小声で囁いた。

ーーこの時間に何の用です?
「今、貴方の家の前に立っています。」

 それ以上は無用だった。バルデスは、「すぐ行きます」と答えて、電話を切った。2分間待たされた。ステファンは廊下の左右を警戒したが、誰もいなかった。外ではまだ活動している人間が少なくなかったが、この高級コンドミニアムの住民は、夜になると寝るのだ。
 ガチャリと音がして、バルデスがドアを少し開けて外を覗いた。ケツァル少佐が徽章を出して見せた。そっくりさんではなく、本物だ、と言うパフォーマンスだ。勿論バルデスは”ヴェルデ・シエロ”が”幻視”を使う種族だと知っているだろうが、疑いもなくドアを開いた。そして手招きした。

「中へ・・・」

 少佐がステファンに「ついて来い」と合図して、2人はバルデスの自宅内に入った。
 広い居間を突っ切り、バルデスは書斎と思しき部屋へ2人を招き入れた。ドアを閉め、施錠したが、それは2人を閉じ込めるのではなく、家族や使用人が入ってくるのを防ぐ目的だった。
 書斎は彼の仕事部屋なのだろう、IT機器が数台あり、モニターもあった。書物も書棚に並んでいた。バルデスは照明を点け、サイドボードに歩み寄った。

「何か飲まれますか?」
「水を。」

 少佐が答えると、ステファンも頷いた。バルデスは2人の客に水を、彼自身にはウィスキーを注いだ。そしてグラスを差し出して、尋ねた。

「で、ご用件は?」


2022/08/10

第8部 贈り物     20

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は路地の屋台で適当に簡単な夕食を済ませた。そして”入り口”を探して歩き続けた。空間通路の入り口を探すのはブーカ族の得意分野だが、グラダ族はそれほどでもない。万能の部族と呼ばれる割に、少佐も大尉も空間通路の使用は苦手だった。

「これは家系でしょうか?」

とステファンが呟いた。実際の仕事に取り掛かる前に歩き疲れたくなかった。

「そうではなくて、適当な”入り口”が今夜は少ないだけです。」

 少佐はいくつか空間の歪みを見つけたが、通路になるような大きさのものはなかったし、オルガ・グランデに通じていそうなものもなかった。ロホは”入り口”探しが得意だが、彼には彼の任務がある。それにアスルも空間の歪みを探しているところだろう。

「せめてデネロスを連れて来れば良かった・・・」

 弟のぼやきを少佐は聞き流した。カルロ・ステファンは任務遂行中は黙って働けるが、彼女と2人でいる時は、どう言う訳か、昔から愚痴が多かった。彼女との血縁関係が判明する以前からだ。上官に愚痴るなんて生意気だ、と少佐は時々注意したが効き目がないのだった。恐らくどこかで姉だと本能的にわかっていて、甘えているのだ。そう言えば、テオも「カルロが愚痴って・・・」と彼女に訴えることがある。ステファンはテオにも甘えているのだ。

「でかいなりして、グチグチ言うんじゃありません。」

と言った時、路地の角に酔っぱらいが座り込んでいるのが見えた。酒瓶を片手に歌を歌っている、その男の横に手頃な空間の歪みが生じていた。 
 少佐は足を止め、ステファンに顎でその歪みを指した。

「あの酔っぱらいをなんとかしなさい。」

 ステファン大尉は酔っぱらいを見た。50絡みの日焼けした顔で、服装は悪くない、普通の庶民の普段着だ。顔も無精髭が生えているが、今朝剃った髭が伸びた程度だ。まだ無事な財布がズボンの尻ポケットに入っているのが見えた。それにしても不用心だ。
 ステファン大尉は男の前に立ち、声をかけた。

「おっさん、家はどこだ? こんな所で座ってちゃ駄目だ。」
「家はそこ・・・」

 男は酒瓶を持っていない方の手で、路地の奥を指した。

「帰るとカアちゃんに酒を取り上げられるから、ここで飲むんだい!」
「それじゃ、反対側に移動してくれないか?」
「なんで?」
「そこは俺の場所なんだ。」

 ステファンは緑の鳥の徽章を出して見せた。男は暫くそれを眺めてから、ああ、と呟いた。

「これは、これは、兵隊さん、失礼しました。」

 男は立ち上がろうとした。足元がふらついたので、ステファンは片手で男の腕を支えた。

「家はそこだって?」
「スィ、そこ・・・」

 2人の男はゆっくりと路地を20メートル程歩いて行った。その間に少佐は歪みの大きさと繋がり先を確認した。これなら国内だったらどこでも行ける。
 振り返ると、一軒の家のドアの前に男が座り込む所だった。ステファンが「ここで良いか?」と尋ね、男は「スィ、スィ」と答えた。
 酔っぱらいを放置してステファンが戻って来た。

「お待たせしました。」
「グラシャス、では、行きましょう。」

 2人が手を繋いだ時、路地の向こうで女性の怒鳴り声が響いた。

「あんた! また飲んだくれて! さっさと家に入んな!」
「ごめん、カアちゃん、ごめん、マリア・・・」

 ステファンは男が女に引き摺られるように家に入って行くのを視野の片隅で見た。少なくとも、あのおっさんは財布を辻強盗に取られずに済んだようだ。


第8部 贈り物     19

 デランテロ・オクタカスの病院は、診療所と呼んだ方がふさわしい設備だった。グラダ・シティの国立総合病院、グラダ大学医学部附属病院や陸軍病院の様な最新医療設備に程遠い、20年以上の年季が入った医療機器がまだ現役で、医師は現代医療を行なっているが、多分都会では何か訳ありで地方で働かざるを得なかったのだろう、と思えるやさぐれ感が漂っていた。
 アンドレ・ギャラガは怪我をした遺跡警備員の病室に入ることを許されたが、肝心の患者は意識不明のままだった。どこかで空気が漏れているんじゃないかと思える雑音がする酸素吸入器に繋がれて、男がベッドに横たわっていた。中年のメスティーソで、警察によれば、彼は雇い主のバルデスに携帯電話で「襲われた」と一言連絡を寄越したきりで、バルデスから救援要請を受けた警察が駆けつけた時にはもう意識がなかったと言う。警察官はバルデスの要請に従って遺跡の中の動画を撮影して、オルガ・グランデに送信した。それでバルデスは神像の盗難を知ったのだ。
 医師は、被害者は頭部を殴打されており、脳にダメージを受けていると言った。レントゲンでは脳内出血を認められなかったが、頭皮が裂けて出血があり、棍棒の様な物で殴られたのだろうと言った。
 ギャラガは指導師の資格も学習経験もなかったが、先輩達から話を聞いて知っていることがあった。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波を頭部に受けると、出血することなく脳にダメージを与えられてしまう、と。外傷を見て、「こんな程度の傷で目覚めない筈がない」と感じていたギャラガは、先輩の言葉を思い出して、ゾッとした。

 盗掘犯は一族の者なのか? 人間に爆裂波を使って負傷させたら、大罪じゃないか!

 バルデス社長は人を遣って患者を大きな病院に移すと診療所に連絡して来たが、まだ救急車は来なかった。ギャラガは哀しい気持ちで患者を見ていた。脳をやられたら、指導師でも治せない。この男は助からない。犯人の手がかりも聞き出せない。
 診療所の外はもう暗くなっていた。丸一日無駄に過ごした。少佐に連絡を取って撤退しよう、と思った時、携帯にメールが入った。見ると、アスル先輩からだった。

ーー2200頃にそっちへ行く。場所は未定。

 空間通路を使って来るのだ、とわかった。ギャラガは返信した。

ーー被害者は頭部に爆裂波を食らっています。回復不可能。

 1分後にまた返事が来た。

ーー俺が行くまで生かしておけ。

 警備員の過去を見るつもりなのだ。ギャラガはベッドを見た。この警備員には家族がいるだろう。可哀想に、1人でこんなところで、こんな死に方をするのか。
 盗掘者への怒りが沸々と湧いてきた。ギャラガは時計を見て、アスルが来る迄まだ2、3時間あると判断すると、病室を出た。取り敢えず病室の入り口に結界のカーテンを張った。普通の人間は出入り出来るが、一族の者は通れない。通ろうとすればギャラガに察知されるし、無理に破ればそいつの脳にダメージを与える。
 ギャラガは夕食が取れる店を探しに、デランテロ・オクタカスの町へ出て行った。


2022/08/09

第8部 贈り物     18

  マハルダ・デネロス少尉はケツァル少佐のコンドミニアムへ行った。少佐が、家政婦に夕食のキャンセルを連絡するには時間が遅いと言い、代理で彼女に食べて欲しいと頼んだのだ。勿論家政婦のカーラには少佐から連絡を入れてくれていた。
 デネロスは嬉しかった。カーラの料理は天下一品だ。そして上官達に気兼ねなくゆっくりと食べることが出来る。
 テーブルに着いた直後にテオドール・アルストが帰宅した。彼も夕食は少佐のダイニングで取るから、着替えてやって来た。

「少佐でなくて申し訳ありません。」

と彼女が笑って言うと、テオも苦笑した。

「別に君が役不足ってことじゃないさ。ただ食べる量が彼女と君では違う・・・」

 ケツァル少佐はあの細い体のどこに入るのか?と不思議に思うほどの大飯食らいだ。超能力が大きい分、食べる量も多い。尤も普段事務仕事しかしない日は普通の人と同じだ。マハルダ・デネロスの前には、普通より少し多めの料理が盛り付けられていた。

「カーラ、残りは全部持って帰ってくれ。」

とテオが声をかけた。カーラが笑いながら言い返した。

「朝ごはんの分は残して行きますよ。」
「その通りですね。」

 デネロスも笑った。彼女は官舎へ持ち帰るパンを素早く包んでいた。官舎の厨房班の食事は不味くないが、質素だ。外の食事に馴染んでしまった舌には味気なく感じるのだった。
 テオはカーラが階下でタクシーに乗るのを見送ってから、部屋に戻った。デネロスは制限時間いっぱい居座るつもりらしく、テレビをつけてのんびり夕食を食べていた。

「君は捜査に出ないのか?」
「出ますけど・・・」

 デネロスは肩をすくめた。

「ムリリョ博士の担当なんです。博士を捕まえるのに、夜は良くありません。博士はミイラとの時間を邪魔されるのがお嫌いなんです。」

 考古学博士ファルゴ・デ・ムリリョは、ミイラ研究の第一人者だ。昼夜問わずミイラの保管庫で装飾品やミイラの生前の健康状態などを調べている。ミイラになった人々が生きていた時代のセルバの社会状況を研究しているのだ。特に夜間は電話などの邪魔が入らないので、保管庫に寝泊まりして調査に没頭していることが多かった。テオはミイラの判別で雇われた時のことを思い出して苦笑した。

「俺達もミイラの部屋へ博士を訪ねて行くのは、御免だな。」

 デネロスも笑った。彼女はミイラも幽霊も怖くないが、狭い部屋に詰め込まれている沢山のミイラに囲まれるのは好きでなかった。

「でも、一族の人がアーバル・スァット様の力について勉強したいと思ったら、博士よりケサダ教授の方が近づき易いと思うんですよね。」

と彼女は言った。テオも同意した。ムリリョ博士は同族の人間でも滅多に面会に応じないし、高齢にも関わらず出張が多い。所在をつかむのが難しい人だ。それに反して彼の弟子で娘婿のケサダ教授は発掘に出かける以外は、大概グラダ大学にいる。優しくて気さくで親切な先生として学生達に慕われているし、学術的な話を求めてメディアなどが取材を求めて来ると大学は必ず彼を推薦する。

「それじゃ、先にケサダ教授に会ってみたらどうだい?」
「ノ、少佐の指示は博士が先です。博士の所在を掴むために教授にお会いするのは有りですけどね。」

とデネロスは舌を出した。教授は彼女の卒論の担当教官でもあったので、彼女にとっては恩師でもある。優しい先生だが、考古学関係の話を聞きに行く時は、今でもちょっと緊張するのだった。

「ところで、どうでも良い話だが・・・」

とテオはちょっと話題の方向を変えた。

「あの神像をアーバル・スァット様と呼んだりネズミと呼んだりしているが、区別はあるのかい?」
「正式名称はアーバル・スァット様ですよ。ネズミと呼ぶのは、あの神様が悪霊になる時です。隠語で呼ぶのです。神様じゃなくてただの石像だと一般人に思わせたいのです。」
「悪霊化している時に、真の名前を呼んで威力を増してしまっては困るって言うのもあるかい?」
「神様の真の名前なんて、私達が知る筈ないじゃないですか。アーバル・スァット様の真の名前なんて誰も知りません。」

 デネロスはビールをゴクゴク飲んでから、テオに言った。

「ところで、官舎まで送っていただけます?」


2022/08/08

第8部 贈り物     17

  ロホが庁舎の外に出ると、駐車場でアスルが待っていた。

「俺も晩飯を食ってから出かける。」

と彼が言った。ロホは頷き、何処へ行く? と尋ねた。アスルは車を駐車出来る食堂の名前を挙げ、ロホは同意するとそれぞれ車に乗り込んだ。
 店は車で5分とかからぬ場所にあり、まだ開店準備の最中の店内に大統領警護隊は強引に入った。店員はロホの制服を見て、黙ってテーブルの上にメニューを突き出した。アスルが尋ねた。

「今作れる料理で構わない。何が出来る?」
「チキンの焼いたの、マッシュポテト、野菜炒め・・・」
「それをもらおう。」

 店員はメニューを下げて厨房へ行った。何かコックと遣り取りしていたが、結局肉を焼く匂いと音が漂って来たので、ロホもアスルも店に対する注意を払うことはなかった。

「今回の仕業は”ティエラ”だと思うか?」

とアスルが尋ねた。ロホは首を振った。

「単独犯だとしたら、盗むところから建設省へ届ける迄ずっと神像を手元に置いていたことになる。そんな度胸がある”ティエラ”がいたら、お目にかかりたい。」

 あのアントニオ・バルデスでさえ、近づくのを恐れて、呪殺に成功したミカエル・アンゲルス社長の部屋に神像を放置していたのだ。盗み出したロザナ・ロハスも他人の手に神像を委ねた。彼等はアーバル・スァット様の扱い方を知っていても、そばに置く勇気がなかった。ロハスはさっさと高値で売却し、バルデスは大統領警護隊が来るのを密かに期待していた。

「一族の者が犯人だとすると、建設省の施策絡みの恨みか?」
「あるいは、イグレシアス個人に対する怨念だ。」

 ネズミの神様の呪いは、特定の個人に向けられるのではない。神像の周辺にいる人々に影響を及ぼす。個人への恨みで神様の祟りを使われては、堪らない。

「当然のことだが、シショカのおっさんは大臣へ恨みを抱いていそうな人間を探しているんだろうな。」
「それも大車輪の仕事でな。」
「大臣に報告出来ない案件だ。」
「あのおっさん1人で調べるのか・・・ご苦労なことだ。」

 ロホもアスルもシショカが嫌いだ。純血種の2人にシショカはちょっかいを出さないが、若造と見下しているのは確かだ。ロホはブーカ族で、アスルはオクターリャ族だ。マスケゴ族のシショカより能力が強いのだが、世間の裏の汚い部分を見てきたシショカは、その豊富な経験と知識で2人の若い軍人より優位に立っている気分なのだ。ロホもアスルもそれを敏感に雰囲気で感じ取っているので、大臣の私設秘書がケツァル少佐に近づく度に挑戦的な態度になってしまう。シショカは少佐に横恋慕しているイグレシアス大臣の使者を務めているだけなのだが。

「シショカは今でもカルロを見下しているのか?」
「カルロの血統を見下しているのさ。能力じゃ、もうカルロに勝てない。」

 ロホは出会う度に親友の力が増していることを感じ取っていた。白人の血が混ざっていても、カルロ・ステファンは立派な”ヴェルデ・シエロ”、グラダ族の男だ。

「そう言えば、あのおっさん、アンドレには手を出さないな・・・」
「そう言えばそうだ・・・」

 ロホとアスルは首を傾げた。アンドレ・ギャラガはステファンほどにも血統がはっきりしていない。それどころか、父親が今もって不明なのだ。見た目は白人に近いし、シショカが最も嫌う”出来損ない”の筈だ。しかし、文化・教育省に顔を出す時、シショカはいつもギャラガを完全に無視した。同じメスティーソのデネロスには時々軽蔑するような視線を向けるのに、ギャラガは見ようともしない。

「怖いんじゃないか?」

とアスルが呟いた。ロホがびっくりして彼を見た。

「シショカがアンドレを怖がっているって?」
「スィ。アンドレの能力は俺達でさえまだ把握しきれていない。あいつは日々成長しているからな。シショカはあいつが見る度に変化しているのを感じるんだろう。カルロの成長と違って、アンドレはどんな方向へ行くのかわからない。だからおっさんはあいつが怖いんだ。」


2022/08/07

第8部 贈り物     16

  ステファン大尉が手元の書類の山を4分の1ほど片付けた時、奥の部屋のドアが開いて、ケツァル少佐と部下達が出て来た。各自自分の机の前に座り、何やら報告書に取り掛かった様子だ。ステファンがデネロスの動きを見ていると、横にケツァル少佐が立った。彼は出来るだけ自然な動きで姉を振り返った。彼が片付けた書類の束に視線を向けて少佐が囁いた。

「折角来てもらったのですが、暫く窓口を閉めることにしました。」

 未決申請書を持って、デネロスが隣の文化財・遺跡担当課へ行くのを、ステファンは視野の隅に捉えた。

「もうお役御免ですか?」

 ちょっぴり残念な気分だ。デスクワークは好きでないが、「もう必要ない」と言われるのは哀しい。
 ケツァル少佐が意味深な笑を浮かべた。

「遊撃班の副指揮官にわざわざ来てもらって1日で帰らせるのでは、私もセプルベダ少佐に申し訳なく思います。ですから、ちょっと貴方に付き合ってもらいます。」

 副官席のロホがクスッと笑った。ステファンは不安を感じた。正直なところ、異母姉の「ちょっと付き合え」は今迄碌なことがなかった。少佐が机に寄り掛かって言った。

「オルガ・グランデに行きます。道案内しなさい。」

 ステファン大尉は彼女を見上げた。オルガ・グランデは彼の生まれ故郷で、少佐は仕事で何度もあの街に足を運んでいる。道案内が必要とも思えないが、恐らく下町やスラム街に足を踏み入れる可能性があるのだろう。

「承知しました。」

とステファン大尉は答えた。

「出立は何時ですか?」
「今夜のバスで行きます。」

 オルガ・グランデ行きの長距離バスが出る曜日ではなかった。大勢の一般職員の手前、彼女は「バス」と言っただけだ。普通の移動手段を使うのではない。
 アスルが立ち上がった。

「例の事件現場へ行ってきます。」
「気をつけて行きなさい。」

 アスルは少佐と敬礼を交わし、リュックサックを手に取ると、オフィスを出て行った。ロホも数枚の書類を素早く仕上げると、立ち上がった。

「ひとまず、早めの夕食を取って、少し寝てから任務に就きます。」
「よろしく。」

 少佐は彼とも敬礼を交わした。ロホはステファンをチラリと見た。一瞬目が合った。

ーーネズミの神様は半端な力じゃない。結界を素早く張らないと、君も少佐も怪我をするぞ。
ーー忠告有り難う。だがネズミの番は君だろう? そっちこそ油断するな。

 親友同士の一種の挑発をし合って、ロホはオフィスから出て行った。
 デネロスは申請書を隣の課に差し戻す作業に追われていた。博物館が閉館するまでに館長を訪問するのは難しそうだった。ステファンは少佐をチラリと見た。

ーー少尉に手を貸します。
ーーどうぞ。

 事務仕事に取り掛かる彼を見て、少佐は己の机に戻った。そしてテオドール・アルストにメールを送った。

ーーオルガ・グランデに行って来ます。


第8部 贈り物     15

  ケツァル少佐はシショカの顔を見ないで質問した。

「我々はこれからこの神像を遺跡から盗み出した犯人を探しますが、もし泥棒を突き止めたら、貴方はお仕事をされるおつもりでしょうか?」

 シショカが口元に不気味な微笑みを浮かべた。

「呪殺は掟破りですからな。一族が信仰していなくても、聖なる石を用いて作られた神像を冒涜しているのです、下衆は処分されて当然です。」

 そして彼は少佐とロホを交互に見た。

「貴方方が捕まえても、やはり評議会が極刑を言い渡すでしょう。どちらが情け深い処分か、お分かりかと思うが・・・」

 ロホがドアに手を掛けた。少佐がシショカに言った。

「報告は必ず致します。その神様を元の遺跡に戻さなければなりませんから、解決すればここへ参りましょう。犯人の名を告げるのはその時にします。」
「それで結構です。」

 ロホがドアを開いた。少佐が出て、彼もシショカに敬礼して外に出た。ドアを閉じると、少佐は既に階段に向かって歩いていた。廊下で待っていたアスルがロホが通るのを待ってから、最後尾をついて行った。
 3人は建設省の庁舎から出てしまう迄一言も喋らなかった。それぞれが乗って来た車に分乗し、文化・教育省へ走った。
 大統領警護隊文化保護担当部のオフィスでは、マハルダ・デネロス少尉とカルロ・ステファン大尉が申請書の審査と予算の編成を行っていた。ケツァル少佐がマルティネス大尉とクワコ中尉を伴って帰還すると、2人は立ち上がって敬礼した。少佐は返礼すると、デネロスにだけ、奥のエステベス大佐のプレートが下がっているドアの内側へ来いと合図した。ロホとアスルも彼女に続いたので、オフィスはステファン大尉だけになった。彼は書類の山を眺め、小さくため息をついた。所属班が異なるので、会議に呼ばれなかったのだ。ケツァル少佐はこう言う場合の線引きに厳しかった。元副官で弟でも、もう「部外者」なのだ。ステファンはちょっぴり寂しかった。
 エステベス大佐のプレートの部屋では、何も載っていないテーブルを囲んで4人の男女が椅子に座った。

「建設大臣宛に、アーバル・スァット様が送りつけられていました。」

と開口一番に少佐は事実を告げた。

「郵便で送られて来たと建設省の職員は言ったそうですが、荷札シールは偽造で、送り主も出鱈目でした。幸い大臣の私設秘書セニョール・シショカが箱から漂う霊気を察知して、彼自身のオフィスに荷物を隔離し、現在保護しています。送り主は神像を丁寧に扱っており、あの神様の扱い方を熟知していると思われます。恐らく大臣かその側近達が神像に間違った扱いをして祟られるのを期待した様です。」
「犯人は一族の人間と考えて宜しいですか?」

とアスルが質問した。少佐は微かに首を傾げた。

「そうとも言い切れません。アントニオ・バルデスもアーバル・スァット様の知識を持っていました。彼に神像を売りつけた盗掘者ロハナ・ロハスもあの神様の扱い方を知っていたので、彼女は盗み出した段階で呪われなかったのです。2人共”ティエラ”です。どこであの神様の知識を得たのか、調べる必要があります。」

 彼女はロホを振り返った。

「シショカは神像の扱い方を知っていますが、職員達が彼の不在時にあの部屋に入る可能性もあります。万が一に備えて、貴方は建設省の近辺で警戒に能りなさい。退屈な任務ですが、必要な役目です。」
「承知しました。」

 ロホは頷いた。少佐はアスルを見た。

「アーバル・スァット様が祀られている遺跡ピソム・カッカァに行って、盗掘が行われた時の様子を探りなさい。跳んでも良いですが、過去に長居しないこと。泥棒の顔を確認したら直ぐに戻りなさい。」
「承知しました。」

 少佐が顔を向けたので、デネロスはドキリとした。少佐が言った。

「文化保護担当部の窓口を暫く閉鎖します。」
「スィ!」

 デネロスはもう少しで嬉しそうな表情になるのを理性で抑えた。捜査に加えてもらえるのだ。

「貴女は博物館に行って、館長に最近ピソム・カッカァについて調べに来た人間がいなかったか、訊きなさい。館長に事情を話しても構いません。」
「承知しました。」
「アンドレはまだ戻りませんか?」
「デランテロ・オクタカスの病院から一回電話がありました。怪我人はまだ意識が戻らないので、待機しているそうです。」
「俺が過去に跳んだら、何が起きたかわかるさ。」

とアスルが言ったが、直ぐに付け足した。

「その怪我をした警備員が持っている情報が必要かも知れないがな。」

 少佐は腰を上げながら彼女自身の予定を言った。

「私はオルガ・グランデのバルデスに会って来ます。彼がネズミを使った時の経緯をもう一度はっきりさせる必要があります。アーバル・スァット様の威力を知っている人間がどの程度の範囲なのか、知っておかねばなりません。」


2022/08/06

第8部 贈り物     14

  マリオ・イグレシアス建設大臣は、所謂悪党ではないが、政治家の多くがそうであるように、知人友人、支持者に便宜を図ってきた。当然ながらそれによって恨みを買うことも少なくなかった。敵がいない政治家なんて、無能なだけだ、と言う人もいるくらいの国だ。イグレシアスは過去にも色々嫌がらせを受けてきたし、妨害も受けた。シショカは私設秘書としてそう言う問題を裏で処理する仕事をしているのだ。大抵の問題は彼1人で十分解決して来た。だが、今回はちょっと勝手が違った。

「過去にも色々毒物やら銃弾やら、脅しが目的の贈り物がありましたが、神様を送りつけられるとはね・・・どう対処すべきか、判断に迷っているのです。」
「そうでしょうね。」

 ケツァル少佐はロホを振り返った。箱を開くべきか、と目で問うた。ロホはちょっと考え、そして頷いた。神様の機嫌が悪い訳でないので、こちらが身構える必要はない。少佐は用心深く、丁寧に包装を解き始めた。シショカは遠ざかりはせず、さりとて間近で見る訳でもなく、己の机にもたれかかって少佐の作業を眺めていた。純血種の彼には、石の神像が発する霊気が見えている。もし霊気が悪意のあるものに変化したら、いつでも逃げ出せる心の準備はしている筈だった。
 箱を開くと、生成り色の綿に包まれた高さ30センチ程の物体が現れた。綿の周囲にぼろ布などを丸めて詰め込んで、運搬時の衝撃で神像が傷つかないよう、神様が機嫌を損ねないよう、用心がなされていた。神像の扱いに慣れた、あるいは知識を持っている人間の仕業だ。少佐もロホもシショカも同じことを考えていた。
 
 これは一族の者の仕業だ。

 少佐が綿を取り去ると、灰色の石で出来た神像が姿を現した。後ろ足で立ち上がり、前足を左右共に前へ突き出し、口を大きく開いて吠えている、そんな感じだが、長い歳月風雨に曝されてきたので、摩耗して丸い印象を与える。この神様を祀ったオスタカン族が神殿を放棄して去ってしまってから、神像は遺跡の中に放置されていたのだ。だがそんな扱いは神様を怒らせたりしなかった。アーバル・スァット様と呼ばれる神像は、静かに廃墟の中で余生を送っていたのだ。いつか大地に戻るだろうと眠っていたのだ。それがある日突然その眠りを妨げられて、神様は怒った。盗掘者や故買屋や、関係した人間に脅威の祟りを発揮した。人間の生気を吸い取り、衰弱させ死に至らしめた。
 ロホがシショカを振り返った。

「この神様はニトログリセリンみたいなお方です。丁寧に運べば眠ったままですが、乱暴に扱うと目を覚まされ、呪いの力を発揮されます。」
「すると・・・」

 シショカが何かを想像して身震いした。

「今、ここで地震が発生して、神像が床に落っこちたら、我々は祟られるのか?」
「可能性はあります。」

 少佐が静かに箱を持ち上げ、神像が入ったまま、床の上に移動させた。

「元来は、”ティエラ”の懇願に従って、”シエロ”の神官が聖域の岩から彫り出した神様です。普段は眠っておられますが、祈祷の時に頭から水を振りかけて目覚めて頂き、雨を降らせて頂くのです。決して祟り神ではありません。」

 シショカは床の上の神様に両手を額に当てるポーズで、神に対する崇拝の気持ちを表した。
 ロホが苦笑した。

「お怒りあそばされて荒魂が石から離れていれば、袋に捕まえて、神像は石として運べるのですが、今の様に眠っておられると、却って静かに運ぶのが難しいのです。」

 シショカは彼を見て、苦い顔をした。

「この部屋から運び出すのは難しいと言われるのか?」
「難しくありませんが、元の遺跡に戻す為に準備が必要です。それに、送り主が誰なのか、まだ何もわかっていません。」

 少佐がシショカを見た。

「箱を持って来たのは、郵便配達員だったのですか?」
「階下の受付係がそう言いましたが、犯人が一族の者なら”幻視”を使った可能性もあります。」

 シショカは溜め息をついた。

「気が進まないが、犯人が判明する迄、この神様をここへ隠しておいた方が良さそうですな。」


2022/08/05

第8部 贈り物     13

 街中で捜査中の時、軍服を着るか私服で通すか、時々大統領警護隊文化保護担当部は頭を悩ませる。ケツァル少佐は港の探索に私服を選んだが、空港を歩き回ったロホは軍服だった。そして故買屋を回っていたアスルは私服だったが、彼の場合は既に故買屋連中に面が割れていたので 、軍服を着ていなくても何者か相手はわかっていた。
 建設省の庁舎前に最初に到着したのはロホだった。彼は暑い外気の中で人を待ちたくなかったので、建物の中に入った。文化・教育省と違って、こちらは立派な独立したビルだ。入り口正面奥の受付カウンターの斜め横にあるソファに座って、仲間の到着を待つと、彼の周囲から自然と人々が距離を空けた。胸の緑の鳥の徽章を見て、ヤバい相手だと思ったのだろう。ロホはアサルトライフルを持っていなかったが、拳銃は軍服着用時の規則で携行していた。受付の建設省職員は彼に何用かと尋ねたいのだが、声を掛けて良いものかと躊躇っていた。大統領警護隊の訪問など上司の誰からも聞かされていなかった。
 5分程して、ケツァル少佐とアスルが建物の前で出会ったのだろう、少佐と中尉の順で入って来たので、ロホは立ち上がった。3人が敬礼を交わし合うと、直ぐに周囲の人々は私服姿の学生に見える男女も軍人だと悟った。
 アスルが受付カウンターへ行った。職員がドキドキして応対すると、彼は囁いた。

「セニョール・シショカから呼ばれている。取り継ぎを頼む。」
「畏まりました。」

 職員は直ぐに内線電話で大臣の私設秘書の部屋に連絡を入れた。短い返事を聞き、それからアスルに顔を向けた。

「どうぞ、3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」
「グラシャス。」

 アスルは素早く視線をフロアに向け、エレベーターではなく階段を見つけた。そして上官2人に階段の方向を手で示した。軍人達が階段へ向かうのを見て、職員は同僚を振り返った。
 大統領警護隊がエレベーターを使わないと言うのは本当なのね。
と彼女が目で言うと、同僚は肩をすくめただけだった。通じたのかどうか、受付職員にはわからなかった。
 階段を上がって行く間、ケツァル少佐、ロホ、そしてアスルは無言だった。3人共空気を感じようと感覚を研ぎ澄ましていたが、怪しい気配はなかった。
 3階のフロアに着くと、アスルは廊下に残り、ケツァル少佐とロホが私設秘書のオフィスのドアをノックした。直ぐにシショカその人がドアを開けた。少佐が公務で来たことを示すために敬礼した。シショカは右手を左胸に当てて挨拶し、2人を中に招き入れた。
 シショカの部屋は特に変わった物はなかった。普通に大臣の個人秘書として、客の応対をするテーブルと椅子、書棚、パソコンやファックスなどのI T機器、そして彼自身のデスクがあるだけだ。そして来客用のテーブルの上に段ボール箱が置かれていた。セルバ共和国の郵便のシールが数枚貼られているが、ケツァル少佐もロホもそれらが偽造荷札だと一眼で分かった。箱から微かに光が放たれているが、恐らく”ヴェルデ・シエロ”でなければ見ることは出来ない。シショカは電話で「不穏な気配」と言ったが、少佐にはそんな感じはしなかった。
 ロホが言った。

「中を確認しないとわかりませんが、この箱の中に入っていらっしゃる方は、セニョール・シショカが丁寧に取り扱わられたので、今のところご機嫌なご様子です。」

 シショカが気まずそうな顔をした。

「私が受け取った時は、運搬途中で揺さぶられたのだろう、かなりご機嫌斜めだった。」
「それでも運んできた人間は精一杯丁寧に扱ったのでしょう。」

 少佐が用心深く箱の上に手を翳した。ロホが上官の表情を伺った。少佐は数秒間目を閉じて考えていたが、やがて目を開くと断言した。

「間違いありません、アーバル・スァット様です。」

 ロホがホッと息を吐いた。「ネズミの神様」なら、一度対峙した経験があるから、扱い方がわかる。それに今はまだ神様は悪霊化していないので、ご機嫌さえ損なわなければ周囲に被害を出さずに済む。
 シショカが顔を顰めた。神様の名前など彼はどうでも良かった。問題なのは、情緒不安定で怒らせると非常に危険な神様が建設大臣宛てに送られてきた事実だ。

「何処の何の神様か知らないが、誰がここへ送りつけて来たのでしょうか。目的は漠然と察しがつくが・・・」

 

2022/08/04

第8部 贈り物     12

 ケツァル少佐はグラダ港にいた。空港をロホに捜査させ、彼女は船舶を一隻ずつ、倉庫を1棟ずつ、ネズミの神様の気配を探して見て回っていたのだ。荷物検査が厳しい航空機より船舶の方が、密輸品の運搬をしやすい。遺跡からの盗掘品の多くが船で国外に持ち出されることが多かった。船の積荷なら、神像に失礼がないように大袈裟な梱包をしても、重量制限やサイズ制限で引っかかる可能性が低い。石だから麻薬探知犬や爆発物探知犬も反応しない。
 少なくとも、アントニオ・バルデスが神像の盗難を知った時から今日までグラダから出港した船はまだいない。海が暴風のために荒れており、セルバ共和国や陸地は穏やかなのだが、海上は危険だと言うので船舶の航行は止められていた。

 だが、太平洋側から船を出されるとお手上げだ。

 太平洋岸のセルバ共和国の唯一の港ポルト・マロンは、バルデスが経営権を握っているアンゲルス鉱石を初めとするオルガ・グランデの鉱山会社が鉱石を積み出す港だ。石や土砂の積荷が多い。そこに神像が紛れ込んでも見つけ出せないが、そんな運び方をされたらあの恐ろしい神様は大激怒なさるだろう。それにバルデスが積荷のチェックを抜かりなく行っている筈だ。もし神像を見つけたら、大統領警護隊太平洋警備室に協力を求めるだろうから、ケツァル少佐は西側の守りをそちらへ任せていた。日頃は暇な太平洋警備室の隊員達が張り切って積荷の検査を行う様が想像出来た。
 マハルダ・デネロス少尉からシショカの電話の件で連絡があったのは、彼女が荷積み労働者達の溜まり場で、女性労働者達に混ざって少し早めの昼休みを取っていた時だった。彼女は口に入れたトルティージャを飲み込むまで電話を放っておいた。そしてデネロスからシショカの名前を聞いて、ちょっと不機嫌になった。内務大臣と建設大臣を務めるイグレシアス兄弟を連想させる人々は嫌いだった。シショカの人柄も好きではなかったが、何故白人の政治家の下で働いているのか、未だに理解出来ない。シショカ自身は純血至上主義者なのに。 
 たっぷり時間をかけて昼食を取ってから、彼女は溜まり場を出て、岸壁を歩いていった。そして周囲に誰もいないことを確かめてから、海を見ながら電話を取り出してかけた。

ーー少佐、お電話をお待ちしておりました。グラシャス。

 シショカが慇懃に挨拶した。少佐はすぐに要件に入った。

「どんな御用でしょう?」
ーー電話では申し上げにくいのです。通信会社に記録が残りますからな。

と言ってから、シショカは彼女を怒らせる前に素早く核心を語った。

ーー大臣宛に送られてきた贈り物から、不穏な気配がするのです。

 少佐はドキリとした。それって・・・

「中身は石ですか?」
ーースィ。重量があります。そして取り扱い注意と美術品のシールが貼られています。

 シショカは馬鹿ではない。一族の歴史にも詳しい。

ーー想像するに、どこかの遺跡からの出土品です。それもかなり霊力が強い石だ。
「送り主はわかりますか?」
ーー書かれている名前を調べましたが、実在する人間ではありませんでした。
「大臣宛てなのですね?」
ーースィ。

 バルデスが己の雇い主を呪殺した手口に似ている。
 少佐はシショカに言った。

「すぐにそちらへ参ります。建設省の庁舎ですね?」
ーースィ。今は私のオフィスに置いています。”ティエラ”には触らせたくないのでね。

 シショカが利口な男で良かった。少佐はちょっとだけ安堵した。電話を切ると、次にロホとアスルに向けてメールを送った。

ーー建設省に標的が届けられた疑いあり。すぐに向かうこと。

 数秒後に2人から「承知」と返信があった。ギャラガは盗難の捜査をさせておこう。ケツァル少佐は駐車場に向かって走った。

第8部 贈り物     11

  マハルダ・デネロス少尉はカルロ・ステファン大尉に”心話”でシショカからの電話の内容を伝えた。大尉は1秒ほど置いてからアドバイスした。

ーー少佐にすぐ連絡を取れ。

 よほどの重大問題が発生した場合でなければ外にいる上官に電話をしてはいけないことになっている。シショカの事案とネズミの神様の盗難、どちらが重要だろうと思いつつ、デネロスはケツァル少佐の電話にかけてみた。運転中だったのか、5回の呼び出し音の後で少佐が電話に出た。

ーーケツァル・・・
「デネロスです。セニョール・シショカから少佐に何か用事があるとかで電話がかかって来ました。」
ーー何かとは何か?
「彼は何も教えてくれません。少佐がお留守ならロホはいないのか、とか、ムリリョ博士はどこにいるのか、とか・・・」

 ケツァル少佐はあまり長く考え込まなかった。

ーー私から連絡してみます。グラシャス。

 通話を終えて、デネロスは溜め息をついた。シショカの用事はきっと厄介なことなのだ。文化保護担当部や考古学博士を探しているのだから、考古学に関係するのかも知れない・・・
 デネロスはふと嫌な予感がしてステファン大尉を振り返った。ステファン大尉も彼女を見た。

ーー同じことを考えたか?

とステファンが尋ねた。デネロスは頷いた。

ーーネズミの神様とシショカに何か接点が生じたのかも知れません。
ーー俺達から質問してもあのおっさんは答えてくれないだろう。だが、あいつが困っているのだとしたら、本当に厄介な問題に違いない。

 シショカは”砂の民”だがムリリョ博士の手下ではないから、独自の判断で仕事をしている。その男が首領の判断を必要としているのだとすれば、正に厄介な問題が発生しているのだろう。
 カルロ・ステファンもマハルダ・デネロスも好奇心がムラムラと湧いてきた。しかし業務途中で外出は許されないし、2人共昔からシショカと接触することをケツァル少佐から固く禁じられていた。

「少佐はあの人との話し合いを私達に教えて下さるかしら?」
「無理だろう。教えてくれるとしたら、それはことが全て終わってからだ。」

 カルロ・ステファンは遊撃班の副指揮官らしく、素早く頭を切り替えた。

「さぁ、さっきの電話は忘れて仕事に戻ろう。」

 デネロスは不満そうな顔だったが、仕事の優先順位を思い出し、書類の束をステファンの机に置いた。

「それじゃ、これをお昼ご飯の後で片付けて頂けます?」
「げっ!こんなにあるのか?」
「クエバ・ネグラ沖の海底遺跡の発掘調査関係です。モンタルボ教授が遺跡を細かく区切って調査されているので、区画ごとに申請書を提出されるんですよ。」
「一つにまとめて出せば良いものを・・・」

 ステファンは書類をパラパラとめくって眺めた。そして溜め息をつくと、デネロスを振り返った。

「先に昼飯にしないか?」

2022/08/03

第8部 贈り物     10

  次の日、カルロ・ステファン大尉は、上官のコンドミニアムから文化・教育省の4階へ出勤した。彼が入口で緑の鳥の徽章とI Dカードを提示すると、守衛当番の女性軍曹が黙って仮職員パスをくれた。ケツァル少佐から既に話を通してあったのだ。ステファン大尉は「グラシャス」と言ってパスを受け取り、首に掛けると階段を上がって行った。いつまで経ってもエレベーターがつかないビルだ。階段の幅だけは広いので大勢が一度に通ることが出来る。
 4階に到着すると、文化財・遺跡担当課の職員達が振り返った。数人の入れ替わりはあったが、殆どが顔見知りの職員だ。ステファン大尉は彼等と挨拶を交わし、ちょっと世間話をした。それから官舎から出勤して来たマハルダ・デネロス少尉の指図で業務に取り掛かった。彼は大尉で仕事の経験も彼女より豊富だったが、一応外部から来た助っ人だ。だから少尉の指示に従って仕事をした。
 昼近くになって、4階オフィスの電話が鳴った。誰が取ると言う決まりはなく、手が空いている人間が出ることになっている。文化財・遺跡担当課の女性職員がその電話を取った。相手と少し話をしてから、ちょっと困った表情でデネロス少尉を振り返った。

「マハルダ・デネロス少尉、建設省から電話です。」
「建設省?」

 デネロスは眉を顰めた。あまり馴染みのない省庁だ。民間で工事を行う時に遺跡が出土してしまうことがある。そんな場合に建設省と文化・教育省がどちらが優先権があるかと事務官で議論するが、大統領警護隊文化保護担当部にはあまり関係ない事案だ。隣の文化財・遺跡担当課に事案が回ってくるのは、文化・教育省の事務官が議論で建設省を負かした時になる。だから4階に建設省が直接電話を掛けてくることはなかった。あるとすれば、それは建設大臣マリオ・イグレシアスの個人的要件だ。
 デネロスはチラリとステファン大尉を見た。ステファンが肩をすくめた。まだイグレシアス大臣はケツァル少佐を追っかけているのか、と内心呆れていた。少佐はもうテオドール・アルストと同居しているのに。
 デネロスは仕方なく電話を取った。

「大統領警護隊文化保護担当部、マハルダ・デネロス少尉です。」
ーー建設大臣イグレシアスの私設秘書、シショカです。

 予想通りの男の声が電話の向こうから聞こえた。イグレシアス大臣はケツァル少佐にデートを申し込む時、自分で電話を掛ける度胸がなくて、いつもこの私設秘書に掛けさせる。シショカは少佐が断るとわかっていても、仕事だから電話をする。
 デネロスは先回りして言った。

「取り継ぎの職員が言ったように、少佐はお留守です。」
ーーそのようですな。マレンカの御曹司も出払っているのかな?

 マレンカの御曹司とは、ロホのことだ。ロホが実家の名前で呼ばれるのを嫌うことを知っていながら、そう呼ぶのだ。つまり、これは、「一族が関わっている問題」だ。若いデネロス少尉にもその程度のことは察せられた。彼女は答えた。

「マルティネス大尉、クワコ中尉、ギャラガ少尉も外へ出払っています。」

 では”出来損ない”しかオフィスにいないのか、とシショカが小さく呟くのをデネロスは聞いてしまったが、黙っていた。ここにステファン大尉がいると知れば、シショカは彼を挑発してくるだろう。シショカとステファンは犬猿の仲だ。
 シショカと話をしている暇はないと思ったデネロス少尉は電話を切り上げようと思った。

「お役に立てなくて申し訳ありませんが、業務が立て込んでいますので・・・」

 するとシショカがこう言った。

ーーファルゴ・デ・ムリリョ博士が今どこにいらっしゃるか、わかるか?

 デネロスは一瞬にして緊張した。”砂の民”のシショカが”砂の民”の首領を探している。つまり、シショカの手に負えない事案が発生していると言うことなのだろう。

「博物館と大学に博士がいらっしゃらないのでしたら、私には見当がつきません。」

 彼女はそう言ってから、言い足した。

「ケサダ教授になら連絡をつけられます。教授なら博士の行き先をご存じかも知れません。」

 シショカが少し沈黙した。フィデル・ケサダは”砂の民”ではない。シショカが抱える要件に巻き込む必要がある人物だろうか、と考えているのだ。それに、シショカはケサダが苦手だった。口論したことも戦ったこともないが、向こうの方が力が強いと彼は感じていた。一族に害をもたらす人間を闇から闇へ葬る仕事をしているシショカは、対峙する一族の者の能力の強さを正確に把握する必要があった。だが、フィデル・ケサダの能力はどうしても測りきれなかった。同じマスケゴ族なのだから、彼と差がない筈なのだが。
 カルロ・ステファン大尉が心配そうにデネロス少尉を見た。彼の耳にも電話から流れるシショカの声が聞こえていた。ケツァル少佐へデートの誘いかと思ったが、そうではないらしい。しかしデネロスに代わってくれとは言えなかった。ステファンを忌み嫌っているシショカは、ステファンが電話を代った途端に切ってしまうだろう。
 やがてシショカは言った。

ーー出来るだけ早くケツァル少佐に連絡をつけたい。伝言を頼む。私に直接電話して下さいと告げてくれ。

 電話が切れた。デネロスが電話を睨みつけた。

「それが他人に物を頼む言い方?」

2022/08/01

第8部 贈り物     9

 ケツァル少佐が雇っている家政婦のカーラは、主人が留守の時にやって来る訪問者を決してアパートの中に入れたりしない。しかし、少佐の部下は例外で、リビングに通す。テオがもう一つの区画に引っ越して来てからは、男性の部下はテオの部屋のリビングへ入るようになった。彼等も彼等なりにカーラに気を遣っているのだ。
 その夜、デネロス少尉を官舎へ送ったテオが帰宅すると、カーラが入れ替わりに帰宅しようと下へ降りて来た。週末は家政婦は休業だったので、テオは驚いた。彼女は少佐の指示で特別業務をしていたのだ。一階のロビーで出会うと、彼女は来客があることを告げた。

「ステファン大尉が見えられましたので、貴方のお部屋へ通しておきました。」
「グラシャス! 気をつけてお帰り!」
「グラシャス! おやすみなさい。」

 カーラは呼んでいたタクシーに乗って帰って行った。 
 テオは来客があることを、駐車場の客用スペースに停められていた大統領警護隊のジープの存在で知っていた。もし遊撃班からの助っ人で中尉以下の隊員だったら、マカレオ通りのアスルが住んでいるテオの旧住宅に行くだろうから、ケツァル少佐のアパートに来るのは大尉だけだ、と予想したのだ。
 エレベーターの使用を”ヴェルデ・シエロ”達は嫌うが、テオは平気だ。すぐに最上階の彼と少佐だけのフロアに到着した。エレベーターを出ると狭い公共スペースがあって、左右に並んでいるドアの右側をテオはチャイムを鳴らしてから開いた。さもなければステファン大尉に殴り倒される恐れがあった。彼等は実際用心深いのだ。
 カルロ・ステファン大尉は何もないリビングの、数少ない家具である古いソファの真ん中にふんぞり返ってテレビを見ていた。テオを見るとニヤリと笑った。

「ご自宅のチャイムをわざわざ鳴らして入るんですか、貴方は?」
「誰もいなけりゃ鳴らしたりしないさ。入るなり君に張り倒されたくないからね。」

 2人は笑い、ハグで挨拶した。それからテオは何もないキッチンにポツンと鎮座する小さな冷蔵庫からビールを出して、大尉と乾杯した。

「もしかして、君がマハルダの助っ人なのかい?」
「スィ。他の連中は考古学の素人なので、私に行ってこいとセプルベダ少佐から命令が降りました。明日からマハルダ・デネロス少尉の部下として働きます。」

 と言いつつ、ステファンは嬉しそうだった。古巣に久しぶりに帰るのだ。それも上官の命令で。書類仕事ばかりでも、嬉しいに違いない。

「マハルダは捜査に加われなくて、不満らしいぞ。」
「そうでしょう。しかし、ネズミの神様はそんじょそこらの神像とは威力が違いますからね。彼女が完璧に能力を使えたとしても、神様が怒った時は歯が立たないでしょう。私も白人の血が入っていますから、神様が言うことを聞いてくれるとは限りません。」
「だが、アンドレは捜査に出ている。」
「彼は・・・」

 ステファン大尉は肩をすくめた。

「能力の幅がまだ謎なんです。もしかすると私より強いかも知れない。」
「黒じゃなく銀色なのに?」
「色で力の強さが決まるのではありません。反対に力の強さが色に出ることもありません。」
「シュカワラスキ・マナの息子がそんなことを言うんだったら、アンドレの力の大きさは本当に未知数なんだな。」

 テオは研究室に保管している友人達の遺伝子マップを頭に思い浮かべた。ギャラガの遺伝子は様々な種族の血が混ざっているので、他の”ヴェルデ・シエロ”達のものと少し差異がある。それがどの力を表し、どの程度の力なのか、テオはまだ解明出来ていない。純血種を解明しなければ、ミックスの解析は難しいだろう。

「だが、純血種以上に強いことはないよな?」
「純血種のグラダは現在女が1人だけです。」

 ステファン大尉は異母姉ケツァル少佐を頭に浮かべて言った。テオは、もう1人男性がいるんだと言いたかったが、我慢した。これは「彼」との約束だ。絶対に誰にも言わない。ただ、少佐とギャラガは知っている。ステファンだけが知らないのは不公平なのかも知れない。だが、彼等を守るために秘密を知る人間は少ない方が良いのだ。
 テオは話題を変えた。

「君の遊撃班の話を聞かせてくれないかな。勿論、公表出来る範囲で構わないから。」


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...