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2022/07/19

第7部 ミーヤ      10

  ンゲマ准教授とその学生グループが当初の予定より早く発掘調査を切り上げてグラダ・シティに戻って来た。完璧なサラの遺構を確認し、さらにカブラロカ渓谷の南に居住区の遺跡があると大統領警護隊文化保護担当部から知らされて、准教授は新たな発掘計画の見直しを考えたのだ。もっとも、一番の理由は渓谷の出口で起きた殺人事件のせいで学生達がちょっと怖気付いてしまったことだ。

「悪霊に取り憑かれた少年が祖父と両親を殺害した。だから更なる悪霊が発生するんじゃないか、と心配する学生や保護者がいるんですよ。」

と准教授は教授会で愚痴った。文系理系全ての教員が集まった教授会だったので、理系のテオも出席を義務付けられていた。大きな会場の大きなテーブルの遥か向こうでンゲマ准教授が調査報告をしているのを、ちょっと眠たいなぁと思いながら聞いていた。

「迷信に惑わされていては、研究は出来ぬ。」

 珍しく会議に出席しているムリリョ博士が呟いた。ンゲマは恩師の言葉に励まされた様に頷いた。

「そうなんです。ですが、過保護の親達からひっきりなしに電話が掛かって来るんです。どこで知ったのか知りませんが、警護の陸軍の衛星電話に掛けて来るんです。それで小隊長が怒ってしまいましてね・・・」

 恐らく学生の中に軍関係の親がいるのだろう。ムリリョ博士もその言い訳にはコメントしなかった。軍や政治家相手なら彼もどうにか出来るだろうが、不特定多数の保護者が相手ではお手上げなのだ。
 迷信などの民間伝承や民俗信仰の研究をしているウリベ教授が、「ここは一旦退いたのは利口でしたね」とンゲマ准教授を慰めた。それに勇気を取り戻したンゲマ准教授が来年の調査を範囲を広げて行いたいので予算を増やすことを考えて欲しいと言い、そこから議論が紛糾した。
 政府依頼の仕事に取り掛かっているテオは黙って座っていた。目下のところ大学から予算増額を図る案件はない。せいぜい備品の購入費をもぎ取る程度だ。
 果敢に戦っているンゲマ准教授の隣に座っている師匠のケサダ教授はダンマリを決め込んでいた。彼は東海岸沿いの古代の交易経路を調べ尽くし、目下のところ本を書こうとしていた。頭の中は本の内容構成を考えることでいっぱいの様子で、教授会も上の空だった。ハエノキ村とカブラ族の交易は物証が見つからず、文化的繋がりもこれと言って見つからなかったので、彼はミーヤを通る古代陸路を中心に研究をまとめるつもりだ、とギャラガが言っていた。
 教授達の予算攻防が続き、テオは数人の教員が逃げ出したのを見て、己もこっそり退席した。生物学部の予算は主任教授が何とかしてくれるだろう。お金の苦労をせずに育ったテオは、こう言うお金の問題を論じるのは苦手だった。誰かが決めてくれる範囲で、遣り繰りして研究する。それが彼がアメリカ時代からしてきたことだ。
 キャンパスのカフェでコーヒーを買って、空席を見つけて座ったところに、アスルがフラッと現れた。カブラロカ遺跡の警護が終わり、撤収して報告書を提出し、短い休みをもらったのだろう、私服姿だ。軍服を脱ぐと周囲の学生達に溶け込んでしまう若さだから、違和感がない。

「教授会ではないのか?」

 正面に座って、アスルが尋ねた。テオは肩をすくめた。

「逃げて来た。直接関係する話じゃないし、下っ端の俺が何を言っても無視されるからな。」
「あんた、まだ下っ端なのか? 遺伝子学者として有名なのに?」
「ほっとけよ。生物学部は主任教授が一番偉いんだ。セルバの旧家の出の人だしな。」

 ”ティエラ”の旧家や名家のことに関心がないアスルは、ふーんと言ったきりだった。テオは彼の仕事の方へ話題を向けようとした。

「撤収は上手く運んだかい?」
「まぁな。」

 アスルは面倒臭そうに答えた。

「悪霊が1匹いただろ?」

 そう言えば・・・テオは忘れていたジャングルの中で感じた嫌な気配を思い出した。

「あいつ、また出たのか?」
「発掘隊に近づこうとしたから、浄化してやった。」

 へぇ、とテオは呟いた。君にも出来るんだ、と。アスルは鼻先で笑った。

「あんな下級の悪霊なんざ、大統領警護隊なら誰でも浄化出来る。ただ、憑依された”ティエラ”が若過ぎたり、デリケートな性格だったりすると、厄介なことになる。あの少年に乗り移って親を殺した奴みたいにな。だからキャンプに近づかせないよう、こっちも気を張らなきゃいけない。」
「お疲れ様。」

 テオはカウンターを見た。

「コーヒー飲むかい? 奢るぞ。」
「コーヒーだけか?」

 アスルは壁のメニューを見た。

「あのでかいピザもいいな。」


第7部 ミーヤ      9

  10日経った。テオとカタラーニは隣国で採取した遺伝子の分析を何とか7割ほど終わらせた。残りは授業の合間などで片付けていくしかない。

「カブラ族との共通性って、セルバ国民との共通性って言うのと同じレベルですね。みんな同じだ。」

とカタラーニの助手を務めている学生がぼやいた。それに対してカタラーニが、

「そんなことを言っている内は、遺伝子学者としてはまだまだだな。要するに親族関係の分析みたいなものなんだから、もっと細部の違いを見るんだよ!」

とアドバイスした。テオは愛弟子の成長を頼もしく思い、微笑ましく見ていた。カタラーニだってテオに対しては似た様な愚痴をこぼしていたのだが、実際の分析作業に入ると真剣に学者の卵として仕事に励んでいるのだった。
 休憩時間にコーヒーを飲んでいると、テオの携帯に電話がかかって来た。見るとカルロ・ステファン大尉からだった。駐車場にいるので出て来れないか、と言う。テオは助手達に留守を頼み、すぐに研究室を出た。
 ステファン大尉は職員用駐車場の端にジープを停めてタバコを咥えていた。火は点けていない。最近は咥えるだけで吸わないようだ。自分で気の抑制が上手く出来るようになったので、口寂しいだけなのだろう。
 テオとハグで挨拶を交わすのも慣れてしまった。

「遊撃班の副指揮官がお出ましとは、また緊急の要件かい?」
「そうではありません。こちらからの情報提供です。」

 ステファンは周囲をチラリと見回した。

「例の3人の軍人の目的です。」

 ああ、とテオは言った。アランバルリ少佐と側近達は大統領警護隊に捕まって、それっきりテオ達に彼等のその後の情報がなかったのだ。所謂テレパシーで他人を操ることが出来る3人の隣国の兵士が、何の目的でセルバ共和国に仲間を求めたのか、それがテオと仲間達が知りたい情報だった。

「ドクトルは今回の調査の前に、隣国政府から依頼された仕事をされていましたね?」
「スィ。旧政権によって虐殺された隣国の市民の遺体の身元確認だ。比較する遺族の遺伝子の方が多過ぎるので、まだ半分しか判明していない。そこへ今回の仕事が割り込んだ。」
「申し訳ありません。自国の用事が優先で・・・兎に角、アランバルリはその旧政権の隠れ残党だったのです。」
「ほう・・・」

 それだけ聞くと、あの3人の目的がわかった様な気がした。

「もう一度政権を奪回しようって企んでいたのか?」
「あいつらは政治をする能力を持っていません。投獄された親戚を奪い返したい、それだけでした。」
「親戚を牢獄から出して、どうするつもりだったんだ? またクーデターでも起こすのか?」
「そこまでの考えはなかった様です。恐らく、亡命したかったのでしょう。偽造パスポートや資産の海外移動とか、そんな準備をしていた様です。武力で刑務所を襲えば大騒ぎになるし、亡命先に予定している国が受け入れてくれるとは限らない。だから”操心”でこっそり仲間を脱獄させて船で逃げる計画だったのです。いや、計画と言える段階まで立てていませんでした。仲間を増やそうと言う段階です。」

 テオは溜め息をついた。向こうはそれなりに真剣だったのだろうが、こちらも危ない橋を渡らされた。

「司令部が許したのかい、君がその情報を俺に伝えることを?」
「スィ。ペドロ・コボスが貴方を毒矢で射た件も関係していましたから。」
「え?」

 びっくりだ。コボスが国境を越えてセルバ共和国に侵入しテオを吹き矢で射たことと、アランバルリが関係していたのか? ステファンは続けた。

「アランバルリはコボスにセルバ人を捕まえて来いと命じたそうです。コボスが死んでしまったので、彼の行動は推測するしかありませんが、恐らく彼はケツァル少佐と貴方が一緒にいるのを見て、女を攫おうと思い、邪魔な貴方を排除するつもりで吹き矢を射たのでしょう。きっとロホの存在に気づいていなかったのです。ロホがいるとわかっていれば、先にロホを倒すことを選択したと思います。」

 テオはまた溜め息をついた。ペドロ・コボスはテレパシーで操られ、無駄に命を失ってしまったのだ。認知症の高齢の母親と引き篭もりの兄を残して死んでしまった。

「あいつら、自分達のことしか考えていなかったんだな・・・」
「スィ。だから政権の座から追い払われたのです。それを自覚していないのです。」

 ステファンもちょっと哀しそうだ。テオはコボス家の遺族に何もしてやれないことを残念に思った。

「アランバルリ達はどうなるんだ?」
「隣国に帰しても脱走兵として指名手配されちゃってますから、すぐ捕まるでしょう。大統領警護隊は密入国を図ったとして、向こうの国境警備兵に引き渡す段取りを整えているところです。」

 そして、学舎の方をステファンは見て尋ねた。

「遺伝子の分析の方は捗っていますか?」
「何とか・・・セルバ政府からも隣国政府からもボーナスを弾んでもらえれば、もっと早くやっちまうけど?」

 やっとテオとステファンは笑う余裕が出来た。



2022/07/18

第7部 ミーヤ      8

  翌日からテオとアーロン・カタラーニは5名の学生を助手としてハエノキ村で採取した検体の遺伝子分析を始めた。全部で398人分だ。全員でないのは残念だったが、取り敢えず村長の協力で全戸から最低でも各2名分の遺伝子を採取出来た。セルバ共和国で採取したカブラ族との共通項を探す政府依頼の分析だから、堂々と大学に遠慮せずに研究室を使用出来た。少しでも”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子があれば、とテオは期待したが、どれも「普通」の人間の遺伝子だった。ペドロ・コボスの母親と兄も普通の”ティエラ”だった。
 3日目に、アンドレ・ギャラガが3人分の遺伝子サンプルを持ち込んだ。

「司令部から言付かりました。アランバルリと2人の側近の物です。」

 ギャラガはテオにそう囁いて排水工事が終了した文化・教育省に戻って行った。テオはその3人の兵士のサンプルを「有志からの提供」と称して、学生に渡した。
 アランバルリと2人の側近があれからどうなったのか、大統領警護隊司令部はテオに教えてくれなかった。ケツァル少佐も知らないのだ。だから夕食の時にテオが3人の兵士の遺伝子サンプルをギャラガが届けてくれた話をすると、彼女はちょっと驚いた。

「それで今朝アンドレは遅刻したのですね。」

 ちょっと苦笑して見せた。

「マハルダに訊いても、彼が大学の正門前バス停で下車してキャンパスへ走り去ったと言うだけで、理由は彼女も知らないと答えました。考古学関連の忘れ物か何かだと思ったのです。」

 そして彼女はテーブルの上に身を乗り出した。

「検査結果は如何でした?」
「何もない。」

とテオは出来るだけ素気なく聞こえないよう努力して答えた。

「ハエノキ村の住民達からも3人の兵士からも、”シエロ”の因子は出ていない。そうだなぁ、アランバルリ達は確かに脳の働きに少し普通の人間と違ったものがありそうだが、所謂”出来損ない”の脳とは違うんだ。コンピューターで遺伝子から人間の細胞を再構築するプログラムを実験的に作ったんだが、”ヴェルデ・シエロ”の脳は全体的に普通の人間より無駄なく活発に働くことがわかった。それは純血種でも人種ミックスでも同じなんだ。ただ、異人種の血の割合が増えると、徐々に退化していく部分がある。それがどの能力がどんな順番でって言うのはまだ判然としないんだ。ただわかっているのは、目に関する能力だけは最後迄残る。夜目と”心話”だ。だからめっちゃ血が薄い人でも夜目は最後迄残るって、俺の研究でわかった。」
「アランバルリ達は夜目を使えないとアンドレが言っていました。」
「そうなんだ。彼等は夜目と”心話”を使えない。だけど”操心”は使える。」
「”幻視”は使えない?」
「使えない。」

 暫くテオと少佐は黙って食事を続けた。そしてほぼ同時に口を開いた。

「思うに・・・」
「思うのですが・・・」

 一瞬目を合わせ、それから少佐がいつもの如く優先権を取った。

「アランバルリと2人の側近は、普通の超能力者ではないのですか?」
「俺もそう思う。それでちょっと分析の方向を変えようと思う。」
「方向?」
「彼等3人の血縁関係だよ。単純に、親戚同士なのじゃないかって。同じ能力を持った従兄弟同士の可能性もあるだろう?」
「そうです。」
「他人の心を支配して動かせるが、持続時間や有効範囲が狭いんだ。だから目的達成の為に仲間を増やしたいと思った、それで似たような力を持った神様がいたと言うセルバの伝説を聞いて、神様の子孫がいないか探ってみようとしたのだろう。」
「彼等の目的とは何です?」
「それは司令部に訊いてくれないか。彼等がアランバルリ達を抑えているんだから。」


 

2022/07/15

第7部 ミーヤ      7

  テオはケツァル少佐のコンドミニアムに帰り着くと、少佐側のリビングのソファに横になり、眠った。家政婦のカーラが夕食の支度をする音を聞きながら、穏やかに休息を取った。疲れていたが2時間後に目覚めたのは、空腹だったからだ。テーブルの上に料理が並んでいた。彼が体を起こすと、丁度少佐がバスルームから髪をタオルで拭きながら姿を現した。「お帰り」と彼が言うと、彼女も「お帰りなさい」と返した。

「あちらでのお仕事はいかがでした?」
「アンドレから報告を聞いただろ?」
「スィ。でも貴方からも聞きたいです。」

 そして付け加えた。

「貴方が疲れて喋れないと言うのでしたら、別ですが。」
「喋れるさ。」

 彼等はダイニングに移動した。カーラがスープを配膳すると、少佐が彼女に言った。

「今日はこれで終わりにしましょう。後は私達でします。」

 まだ外は明るかった。カーラは素直に主人の言葉を受け容れ、持ち帰り用の食材を鞄に入れて、見送りなしで部屋から出て行った。建前は時間給だが、少佐は自分達の都合で彼女を早く帰らせる時は、契約時間通りの給料を払ってくれるので、家政婦は決して文句を言わなかった。
 2人きりになると、テオはゆっくりと食べながら隣国の遺伝子採取旅行で起きた出来事を順を追って語った。到着日に護衛だと言って隣国の陸軍の小隊がセルバ側のバスについてハエノキ村に入ったこと、作業を始めて2日目の午後、シエスタをしていたセルバの”ヴェルデ・シエロ”達が何者かに”感応”で呼びかけられたこと、3日目にテオに吹き矢を射たペドロ・コボスの遺族を訪ねて検体を採取したこと、コボスの家から出ると、護衛部隊のアランバルリ少佐と2人の側近が待ち構えており、"操心”を使って情報を引き出そうとしたので、ケサダ教授が妨害したこと、夕刻に水汲みに出かけたアーロン・カタラーニとアンドレ・ギャラガがアランバルリの一味に襲われ、ギャラガが吹き矢で動けなくなった隙にカタラーニが誘拐されたこと、帰りが遅い彼等を探しに行ったテオがギャラガを見つけ、回復した彼と共にカタラーニを救出に向かったこと、その間にバスと”ティエラ”のセルバ人をケサダ教授とコックのダニエル・パストルが守ってくれたこと、ギャラガが”操心”を使ってアランバルリを操りカタラーニを救出したこと、アランバルリの側近達が追跡して来て、吹き矢で襲われると同時にギャラガがテオ達を連れて大統領警護隊本部へ”跳んだ”こと、仲間の毒矢に刺されたアランバルリを司令部が手当して尋問にかけたこと、同じく手当を受けたカタラーニを連れてテオとギャラガはミーヤの国境検問所へ”跳び”、そこでバスと合流したこと・・・。

「ああ、そうだ、ブリサ・フレータ少尉に会った。彼女、活き活きしていたな、前の職場よりずっと幸せそうだった。」

 ケツァル少佐が頷いた。フレータ少尉の様子はギャラガからも”心話”で情報をもらっていた。

「今度ガルソン中尉に出会ったら、伝えておきます。彼からキロス中佐にも伝わるでしょうから。」

 元上官と部下、それも異性と言う関係では互いに近況を伝え合うことも少ないだろう。テオはちょっぴり友人となった大統領警護隊の隊員達の役に立てたかな、と思った。するとケツァル少佐が言った。

「アンドレは貴方のお陰で命拾いしました。感謝します。」

 テオは驚いて彼女を見た。

「いや、俺はただ彼に息を吹き込んでみただけだ。心肺蘇生術を少しだけ・・・」
「でも放置されたままでは、彼は死んでいました。」

 少佐が微笑した。

「アンドレも十分承知しています。まだ毒に対処する方法を私は彼に教えていませんでした。銃弾をかわす訓練ばかりさせていましたので。指導指揮官としてのミスです。貴方に感謝します。」

 彼女が右手を左胸に当てて頭を下げた。テオは照れ臭かった。だから話を逸らそうとした。

「だけど、アンドレはその後でかなり力を発揮させたぞ。いつの間にあんなに能力を使いこなせるようになったんだ?」
「元々能力を持っているからです。」

と少佐はこの件に関しては冷静に答えた。

「どの様に使いたいか、彼は自分で考えて使ったのです。私は彼が力を使いこなせたことより、自分で判断出来たことを評価します。”ヴェルデ・シエロ”の戦いは、一瞬一瞬で決まりますから。」
「つまり、アンドレは本当の意味で”ヴェルデ・シエロ”の戦士に成長したってことだな。」

 テオもやっと笑うことが出来た。そして他の”ヴェルデ・シエロ”のことに考えを及ぼす余裕が出てきた。

「コックのパストルはメスティーソの”シエロ”だが、彼は民間人だろう? 今回の件で彼がいてくれて助かったけど、厄介なことに巻き込んでしまって申し訳ないなぁ。」

 少佐はパストルと言う人物を知らないので、肩をすくめた。

「彼のことはロペス少佐に任せておけばよろしい。外務省が彼をバスに乗せたのですから。」
「そうだろうけど・・・」

 短い付き合いだったが、テオはまた1人”シエロ”の知人が増えて少し嬉しかった。

「ケサダ教授がいてくれて本当に助かったよ。アンドレと俺がアーロンを救出する間、ずっとボッシ事務官や運転手や村人や陸軍小隊を”幻視”で誤魔化してくれていたんだから。」

 ケツァル少佐が真面目な顔になった。

「彼が何をしたか、ムリリョ博士には黙っていて下さい、テオ。博士は義理の息子の正体を一族に知られまいと必死で隠しているのです。」
「わかってる。教授も”シエロ”だと敵に知られたと言って悔やんでいたから。ムリリョ博士に叱られたくないだろうし。」

 彼の言葉の後半を聞いて、少佐がぷっと笑った。

「フィデルはかなりヤンチャな人ですからね。」
「そうだな。」

 テオも笑った。

「5人目の子供がコディアさんのお腹にいるそうだよ。」

 初耳だったらしく、ケツァル少佐が目を丸くした。

「本当ですか?」
「スィ。今度は男かな女かな・・・?」
「男だと良いですね。」

と言って、少佐はテオを驚かせた。

「何故だ? 子供のナワルが黒いジャガーだと成年式で判明したら、父親もグラダだってわかってしまうじゃないか。」
「大丈夫ですよ、父親に変身してナワルを見せろなんて誰も言いません。フィデルは既に成年式を済ませているし、当時の長老達は彼の子供が成長する頃にはいなくなっていますよ。フィデルのジャガーが何色かなんて言う人はいないでしょう。せいぜい黒だってことを隠していたな、と思われるだけです。」
「・・・」
「子供が白いジャガーになる確率はゼロに近いです。白いジャガーは遺伝しませんから。」
「そうなのか?」
「もし遺伝したら、代々白いジャガーに変身する人が生まれていたでしょう?」

 確かにそうだ。ずっと白いジャガーは”ヴェルデ・シエロ”達の間では伝説の存在でしかなかったのだ。
 少佐が視線を空中に漂わせた。

「フィデルとカルロが並んで変身したら、さぞや美しいでしょうね。」
「俺はアンドレのも見たいよ。」
「彼は銀色ですよ。」

 少佐が微笑んだ。



2022/07/14

第7部 ミーヤ      6

  帰りはハイウェイを快調に飛ばし、バスがグラダ・シティに入ったのは午後4時頃だった。途中、道端の売店で昼食を購入して、あとはトイレ休憩に2回停車しただけだ。アンドレ・ギャラガ、フィデル・ケサダ教授、コックのダニエル・パストル、3人の”ヴェルデ・シエロ”は本当に疲れたのだろう、車中にいる間は殆ど眠っていた。テオも眠たかったが、気絶して十分睡眠を取ったアーロン・カタラーニが運転手と喋っていたので、ぼんやりとその会話を聞いていた。運転手のドミンゴ・イゲラスは陸軍の兵隊とカタラーニが喧嘩したと聞かされたので、これ以降の己の運転手業務で隣国に行くのは拙いかな、と心配していた。

「国内路線のバスに転向すれば?」

とカタラーニが呑気に提案すると、彼は「馬鹿言え」と否定した。

「国境を跨ぐ長距離の方が給金が良いに決まってるだろ。」

 尤も乗客が他国で喧嘩したからと言って運転手にお咎めがある筈がない。イゲラスは軍隊に近づかない様に用心するさ、と笑った。

「だが、一体何が原因で喧嘩したんだ?」
「それが僕もよく思い出せなくて・・・」
「飲酒したんだろ?」
「それも思い出せなくて・・・」

 カタラーニはテオを振り返った。

「記憶喪失ってこんな感じですか?先生?」
「こんな感じとは?」

 テオはいきなり話を振られたので、一瞬ビクッとしてしまった。カタラーニは気づかずに両方の眉を下げて情けない顔をした。

「なんと言うか、頼りない、足が地につかない・・・」
「ああ・・・そうだな・・・」

 テオは「元記憶喪失の先生」として大学で知られている。仕方なく同意してやった。本当はもっと不安で落ち着かないんだ、と思ったが。
 バスは一番最初にグラダ大学に到着した。テオとカタラーニはそこで隣国で採取した検体を降ろし、自分達の荷物も降ろした。ケサダ教授と学生として参加したギャラガも大学で降りた。彼等はあまり物を収集した訳でなく、殆ど写真を撮影しただけなので、個人の荷物だけだった。だからバスが外務省に向かって走り去ると、考古学部の2人はテオ達が検体を生物学部の研究室に搬送するのを手伝ってくれた。
 セルバ流に分析を始めるのは翌日からと言うことにして、検体を冷蔵庫に収納した。そしてテオは打撲を受けたカタラーニを先に帰宅させた。大統領警護隊本部で手当を受けたので、カタラーニがすぐに医者に行く必要はないが、無理をしないよう言い含めた。カタラーニが素直に研究室を出て行くと、テオはやっと肩の荷が降りた感じがした。手伝ってくれたケサダ教授とギャラガにコーヒーを淹れた。

「ハエノキ村の住民に”シエロ”の末裔はいないと思いますが・・・」

と彼は言った。

「アランバルリと2人の側近は怪しいです。彼等の親族を調べたいと思います。」
「その必要はないでしょう。」

と教授が言った。テオが彼を見ると、教授はコーヒーの表面をぼんやり眺めながら続けた。

「今まで彼等は表立った行動を取って来ませんでした。恐らく、何らかのタイミングで彼等は偶然互いに似通った能力を持っていると気づき集まったのだ、と私は考えます。自分達の力がどう言う物なのか調べるうちに”ヴェルデ・シエロ”の伝説に辿り着いたのでしょう。彼等の親族が力の因子を持っていたとしても、力の発露には訓練が必要となるレベルの筈です。あの3人の肉親が団結して力を誇示すると思えません。問題とすべきは、彼等が3人だけなのか、彼等が同じ力の人間を集めて何をするつもりだったのか、と言うことです。」
「アランバルリは今大統領警護隊本部にいます。」

とギャラガが言った。

「多分、上官達が尋問した筈です。国境の検問所に側近の2人もいました。恐らくアランバルリの尋問が終わる迄足止めされたでしょう。尋問で得られた情報の結果で彼等の処分が決まります。」

 教授が彼に視線を向けた。

「その処分の内容を我々は教えられないのだろう? 彼等はいつもそうだ。」

 そうだ、大統領警護隊司令部は敵や違反者に対する処分を決して下位の隊員や部外者に教えてくれない。それは長老会も同じだ。最長老の1人であるムリリョ博士は絶対に長老会の決定を他の一族、家族に教えない。ケサダ教授はその秘密主義に不満なのだ。
 大統領警護隊で一番下位の少尉であるギャラガはショボンとして教授の言葉を認めた。

「私が先生やドクトルにお伝え出来ることはありません。私も教えてもらえないのです。」

 テオは仕方なくその場を収めた。

「それじゃ、今日は各自帰りましょう。お疲れ様でした。」

2022/07/13

第7部 ミーヤ      5

  テオがゲートに近づくと、大統領警護隊国境警備隊の隊員が1人ついて来た。近づくなとは言わない。ただ見守っているだけだ。テオがバスが近づくのを見ていると、ナカイ少佐が窓から声をかけて来た。

「中に入って下さい。」

 検問所オフィスだ。民間人も身体検査が必要な人間は呼び込まれる。テオは肩をすくめて中に入った。意外なことに、中は両国共通のスペースだった。セルバから隣国へ出国する人間の身体検査を隣国の審査官が見守り、隣国からセルバに入る人間の身体検査をセルバの役人が見ている。テオはそこでアランバルリの側近2人が部屋の隅に立っているのを見た。まるで汚れた軍服を見たマネキン人形みたいだ。ボケーっと立っているだけなので、テオはナカイ少佐を振り返った。少佐がニヤリと笑った。恐らく2人の兵士は役人に”操心”を掛けて、セルバ政府のバスを出国させまいとのつもりで、オフィスに入ったに違いない。しかし、そこで待ち構えていたのは、彼等より遥かに強い”操心”を使える本物の”ヴェルデ・シエロ”達だったのだ。
 隣国の役人達は2人の兵士の存在に気がつかないかの様に業務を続けていた。そして緑色のバスがゲートに到着した。運転手のドミンゴ・イゲラスが書類を提出し、外務省事務官のアリエル・ボッシも全員のパスポートと政府の書類を出した。隣国側は持ち出していけない物を持っていないか、それだけ調べた。セルバ側は書類にさっと目を通しただけで、記載されている人数が3人足りないことに言及しなかった。テオは隣国の役人も大統領警護隊の”操心”に掛けられて人数が合わないことに気がついていない、と知った。
 やがて書類の何枚かに許可のスタンプが押され、イゲラスとボッシがバスに戻った。彼等もテオがそこにいることに気がつかなかった。ケサダ教授とコックのダニエル・パストルが連携して仲間に”幻視”と”操心”をかけているのだ。テオはバスから姿を現さない2人に感謝した。
 ナカイ少佐がテオに囁いた。

「バスがゲートから100メートル程入ったところで、お仲間と合流なさい。トーコ中佐によろしく。」
「グラシャス!」

 少佐が目を細めてバスを見た。

「マスケゴとブーカが連携すると、結構な仕事が出来るものですな。」

 テオは笑顔で応えただけだった。
 休憩所に戻る途中で、厨房を覗くと、フレータ少尉と仲間2人が昼食の支度をしていた。

「俺達、バスが戻って来たから、グラダ・シティに戻るよ。」

と声をかけると、少尉は調理の手を止めずに顔だけ向けて、笑顔で「またいつか!」と挨拶してくれた。テオはちょと敬礼を真似て、その場を後にした。
 ギャラガとカタラーニを連れてバスを追いかけ、ナカイ少佐が言った地点で乗り込んだ。ケサダ教授は往路と同じ座席で、コックのパストルも最後尾のシートで少し疲れた表情で座っていた。ギャラガが順番に2人に”心話”で報告を行い、カタラーニとバスの”ティエラ”2人に与える説明の打ち合わせを行った。そして教授が軽く咳払いして、ボッシ事務官と運転手イゲラスに掛けた”操心”と”幻視”を解いた。ボッシ事務官がカタラーニを見て微笑みかけた。

「怪我の具合はどうだね?」
「グラシャス、大したことありませんでした。」

 打撲の跡が生々しいにも関わらず、カタラーニは強がって見せた。
 テオはケサダ教授の隣に座った。

「貴方に多くの負担をかけてしまいました。」

と言うと、教授が肩をすくめた。

「私には負担ではありませんが、アブラーンならどの程度までやるだろうかと、そればかり考えていました。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは生粋のマスケゴ族だ。ケサダ教授は妻の兄の能力の限界がどの程度かと考えながら、マスケゴ族のふりをして能力を使っていた。だから、今彼は疲れているふりをしているのだ。ブーカ族のダニエル・パストルに正体を見破られない様に。マスケゴ族はブーカ族より力が弱いことになっている。もし彼が本当に疲れているのだとしたら、それは気疲れだ。
 
「アランバルリ達は何者なんでしょう?」

とテオが呟くと、教授はさぁねと言った。

「少なくとも、一族ではありません。」


第7部 ミーヤ      4

  昔の勤務地の仲間達がそれぞれ新しい生活に馴染んでいることを聞いて、ブリサ・フレータ少尉は安心した様子だった。特に彼女と上官達が地位を捨ててまで守ったキロス中佐がすっかり健康を取り戻し、引退後の新生活に希望を持って臨んでいることを知り、喜んだ。
 フレータが昼食と検問所の雑事の為に休憩室を出ていくと、アーロン・カタラーニがテオを見た。”ティエラ”の彼が同席していたので、テオは太平洋警備室の元将校達の話を多少ぼかして説明したのだが、それがカタラーニにはちょっと不思議に聞こえたのだろう。しかしフレータにはちゃんと伝わったし、複雑な説明はギャラガが”心話”で補ってくれた。テオはカタラーニの問いかけるような視線を無視して、窓の外を見た。道路に列を作る車が少しずつ進んでいくのが見えた。検問を通ってセルバと隣国を往来しているのだ。
 カタラーニが溜め息をついた。

「僕等が西海岸へ行った時は、アカチャ族とアケチャ族の遺伝的共通性を調べるのが目的でしたね。今回は二つの国にカブラ族の末裔がいるかどうかを調べる目的です。地理的に末裔が共通して分布していて不思議じゃないと思います。どうして遺伝子を調べる必要があるのでしょう。狩猟民に限り、って条件をつけて行き来させれば良いと思いますけどね。」

 それが正論だろうとテオは思った。しかしセルバ共和国を裏で統治している”ヴェルデ・シエロ”達はカブラ族ではなく古代の”シエロ”の末裔の有無を調査したいのだ。それを表立って言うことは出来ない。だから彼は誤魔化した。

「政治家の考えていることなんて、俺達に理解出来る筈ないじゃないか。」

 カタラーニが何となくセルバ人らしく納得したので、ギャラガがホッとした表情をした。テオはちょっと可笑しくなって、外の空気を吸いに外へ出た。ミーヤの街は賑やかだ。大きな建物はないが、国境の街らしく商店が多く、貿易会社の支店もいくつか看板を出していた。隣国はセルバ共和国と農業と言う点ではあまり産物に違いがなく、農産物の取引はそんなに多くない。地下資源も似たり寄ったりだが、セルバは金鉱があるので金製品を扱う店がいくつか見られた。どちらかと言えば南の隣国の方が店が少なく、日用雑貨を仕入れに隣国から商人がやって来る。
 テオはミーヤ遺跡は現在どうなっているのだろう、と思った。小さな遺跡で年代も古いと言えないが、日本人の考古学者が調査している。どうやら古代の歴史や文化を記した石板や粘土板が出た様で、それを研究しているのだとギャラガが教えてくれた。盗むような美術品がないので、警護は大統領警護隊ではなく陸軍だけに任せていた。ミーヤから少しジャングルに入ったとこにあるアンティオワカ遺跡は今年度まだ閉鎖中だ。麻薬密輸組織に倉庫代わりに使われてしまった曰く付きなので、ケツァル少佐はまだ考古学者に開放していない。憲兵隊がのらりくらりと麻薬の残りがないか捜査中とのことだ。
 テオが数軒の店を冷やかして検問所に戻って来た時、ギャラガが戸口に姿を現した。ドクトル、と呼ばれてそばに行くと、彼は囁いた。

「ケサダ教授の気を感じます。バスが近づいている様です。」

 テオは検問所に並ぶ隣国側の車の列を見た。まだバスは見えなかった。

「視界に入っていないが、確かか?」
「スィ。バスを結界で包んでいるのでしょう。凄いパワーです。」

 グラダはグラダを見分ける。テオは検問所で勤務についている大統領警護隊の隊員達を見た。みな平素の表情で車をチェックしている。書類審査を行っているのは、陸軍国境警備班の”ティエラ”達だ。大統領警護隊の隊員達はギャラガが感じ取っているケサダ教授の気の大きさを感じていない。部族が異なると察知出来ない気もあるのだ、とテオは思った。結界にまともに突っ込むと、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。だからグラダ以外の部族はグラダ族の能力を恐れる。逆に言えば、他部族には察知出来ないから、教授は己が本当はグラダ族であることを一族に知られずに済んでいる。
 白人を含め色々な部族の血が混ざり合っていると言っても、ギャラガはケサダ教授の気を感じられる。やはりアンドレはグラダ族だ、とテオは確信した。恐らく微妙にグラダの因子を持った人々が婚姻の繰り返しによって知らぬうちにグラダの割合を高めてしまったのだ。
 大先輩の気を感じてギャラガが興奮しかけていたので、テオは落ち着けと声をかけた。

「バスが無事に国境を越える迄、油断出来ないぞ。」

 そうこうしているうちに、隣国の家並みの向こうから緑色のバスが姿を現した。普通に走って、検問所の列の最後尾についた。護衛でついている筈の陸軍の車両は見えなかった。1台だけジープが後ろについていたが、バスが検問所の列に並ぶと、離れて隣国側検問所オフィスの前に停まった。

「やばい」

とギャラガが囁いた。

「アランバルリの側近の2人です。恐らく書類不備とかでバスの出国を妨害するつもりでしょう。」
「何とか出来ないか?」

 するとギャラガはセルバ側のオフィスに走って行った。責任者のナカイ少佐に協力を要請に行ったのだ。テオはバスを眺めた。見た限り、バスの車体は傷がなく、無事に走って来たと見えた。



2022/07/11

第7部 ミーヤ      3

  逃げて来た時と同じく、戻るのも一瞬だった。アンドレ・ギャラガはケツァル少佐より”着陸”が上手な様で、ミーヤの国境検問所の裏手の、警備隊員駐車場の中に出た。彼はテオが背中に背負ったカタラーニを押さえつけずに”着地”したことを目視で確認してから、検問所に向かって声を上げた。

「オーラ!」

 遊撃班のセプルベダ少佐が事前に検問所に連絡を入れておいたと言っていたので、彼は一番近い検問所オフィスの裏窓に向かって声をかけたのだ。
 テオはカタラーニを見た。まだ眠ったままの大学院生は、アランバルリから受けた拷問の痕が痛々しい。あまり長い時間眠らせるのも気の毒なので、この後自然に目覚めたら聞かせる言い訳をテオとギャラガは打ち合わせていた。
 検問所のオフィスの裏口が開いて兵士が出て来た。女性だ。その顔に見覚えがあったので、テオは思わず駆け寄ってしまった。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 女性少尉が立ち止まった。信じられないと言う顔で彼を見て、すぐに満面の笑顔になった。

「ドクトル・アルスト!」

 軍人らしからず、”ヴェルデ・シエロ”らしからず、彼女はテオに駆け寄り、2人は一瞬ハグし合った。そしてすぐにフレータ少尉がパッと離れた。立場を思い出したのだ。

「本部から連絡を受けてお待ちしておりました。でも・・・ドクトルが来られるなんて!」

 かつて大統領警護隊太平洋警備室で勤務していた将校だ。ある事件に関わってしまい、懲戒処分として故郷に近かった前任地から遠い東海岸の南の端、ミーヤの国境検問所に飛ばされた。しかしそこで彼女は新しい人生を歩み始めた。閉塞的だった前任地より明るく刺激的な職場に入ったのだ。仕事仲間が多く、毎日何かが起きる。ひたすら同僚の食事の世話をして厨房と村の市場の往復だけの数年間とはまるっきり異なる環境で、懲罰として転属させられたにも関わらず、彼女は楽しい新生活を送っているのだった。

「元気そうで何よりだ。君の顔を見てホッとしたよ!」

 テオもつい昔話に引き込まれそうになった。 アンドレ・ギャラガが後ろで咳払いして、彼を現実に戻した。慌てて振り返り、仲間を紹介した。

「文化保護担当部のアンドレ・ギャラガ少尉だ。」

 ギャラガとフレータが敬礼で挨拶を交わした。テオはギャラガが肩を支えて立たせたカタラーニを彼女に見せた。

「アーロンは覚えているよな?」
「スィ。事情は上官から聞いています。建物の中に入って下さい。ここは結構人目につきます。」

 検問所の奥の休憩室は涼しくて、テオとギャラガは長椅子にカタラーニを座らせた。そこでギャラガがカタラーニの催眠を解いた。

「アーロン、おはよう!」

 カタラーニがうーんと唸って目を開いた。目の前にいるギャラガを見て、後ろに立っているテオを見た。

「おはよう・・・あれ? 僕・・・?」

 体を動かして、彼は殴られた箇所が痛んだのか、「いてて・・・」と呟いた。そして周囲を見回した。フレータ少尉と検問所の責任者、大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官のナカイ少佐が立っていた。制服を見てカタラーニはドキリとした様子だったが、すぐにフレータを見分けた。

「フレータ少尉!? え? ここは一体・・・?」

 混乱している彼に、ナカイ少佐が言った。

「君は隣国の兵士の酔っぱらいに絡まれて喧嘩に巻き込まれ、負傷した。それでギャラガ少尉とドクトル・アルストが君をミーヤの診療所に運んだのだ。」

 テオは少佐がカタラーニの前に屈み込み、目を見ながら語っているのを見て、”操心”をかけていることに気がついた。ナカイ少佐はカタラーニから誘拐されて拷問された記憶を削除したのだ。アランバルリの一味がカタラーニから何を聞き出そうとしたのか、カタラーニの口から証言してもらう必要はない。アランバルリ本人を本部に捕えてあるのだから、当人から聞けば済むことだ。だから、カタラーニから”ヴェルデ・シエロ”やその他の超能力者に関する記憶を全て消し去った。
 カタラーニは自身の腕などに残る打撲痕を見て、「そうなんですね」と納得した。フレータ少尉が優しく尋ねた。

「気分はいかが? 冷たい物でも持って来ましょうか?」
「グラシャス、水をお願いします。」

 立ち上がったナカイ少佐はテオとギャラガに言った。

「残りの調査団のバスが到着する迄ここで待っているとよろしい。テレビを見ても構わない。」

 ギャラガが敬礼し、テオも感謝の言葉を言った。少佐は頷き、業務に戻るために部屋を出て行った。
 少佐と入れ替わりに、フレータが水の瓶を数本トレイに載せて戻って来た。

「昼食の支度が始まるので、半時間程度しかお相手出来ませんけど、退屈凌ぎのお喋りには付き合えますよ。」

 太平洋警備室にいた頃よりずっと明朗な女性に変身しているフレータにテオは安心した。

「それじゃ、キロス中佐やガルソン中尉、パエス少尉の現在を語ってあげようか?」

 フレータ少尉は空いている椅子に座った。目が輝いた。

「スィ! お願いします!」


2022/07/10

第7部 ミーヤ      2

  呼び出されたのは昨夜逃げて来た”出口”があった体育館だった。そこでテオとギャラガは遊撃班のセプルベダ少佐と会い、アーロン・カタラーニが担架に乗せられて運ばれて来た。

「意識がない人間を伴って”跳ぶ”のは難しいが、昨夜君はやってのけた。」

とセプルベダ少佐に言われ、ギャラガは赤面した。

「無我夢中で”跳んだ”のです。吹き矢とライフルで狙われていましたから、自身とドクトルを守る為に、考える余裕なく目に入った”入り口”に跳び込んだだけです。」

 フンっとセプルベダ少佐が鼻先で笑った。

「余裕があれば跳ばずに吹き矢と弾丸を爆裂波で破壊出来ただろうな。」

 そう言われればそうだ、とテオは今更ながら気がついた。毎週土曜日にケツァル少佐が部下達にさせている軍事訓練は、飛来する弾丸の破壊がメインなのだ。
 ギャラガが萎縮した。

「私は未熟です。」
「卑下するな。」

とセプルベダ少佐が言った。

「こちらの手の内を敵に披露してやる必要はない。寧ろ目の前で4人の人間が一瞬で消えたのだ、敵は腰を抜かしただろうよ。」

 ずんぐりした純血種の少佐がカラカラと笑った。

「意識がない男と”操心”で意思を失っている男を伴って跳んだのだ。誰にでも出来ることではないぞ。」

 そう言えば、以前意識がない人間を伴って”跳んだ”経験がない若い隊員が、ケツァル少佐に呆れられていたな、とテオは思い出した。思考しない物体を運ぶのと違って人間を運ぶのは難しいのだろう。
 少佐は体育館の中を見回した。”出口”があったのだから、”入り口”も近くに生じている可能性があった。

「ミーヤ迄その学生を背負うのはどちらかな?」

 訊かれてテオが手を挙げた。

「俺が運びます。先導者に負担をかけたくありませんから。」

 セプルベダ少佐が微笑んだ。

「貴方は本当に我々のことをよく理解しておられる。」
「グラシャス。ところで、アランバルリの尋問は誰方がされるのですか?」
「あの男の能力の強さが不明なので佐官級の者が行います。」
「彼のDNAも調べたいので、頬の内側の細胞を採取しておいて欲しいのですが・・・」

 テオの要求に少佐が笑って頷いた。

「担当者に言っておきましょう。貴方もとことん科学者ですな。」

 その時、ギャラガが部屋の南側を指差した。

「少佐、あそこに”入り口”があります!」
「うむ。ミーヤの国境検問所を目的地に”跳べ”。」



第7部 ミーヤ      1

  テオにあてがわれた部屋には窓があった。だから夜が明けて太陽が顔を出す頃になると、窓から光が差し込んで来た。睡眠時間は3、4時間だけだったが、テオは目覚めた。ホテルではないので部屋に洗面所もトイレもない。彼は廊下に出てみた。殺風景な廊下だった。そこに警備班の兵士が1人立っていた。テオの為の立番だと理解した。

「ブエノス・ディアス。」

 挨拶すると向こうも返事をくれた。テオがトイレの場所を尋ねると案内してくれ、用事を終えて出て来ると、まだ待っていた。そして食堂へ連れて行ってくれた。テオが本部内を彷徨かないように監視の意味もあるのだろう。
 カウンターで食事を受け取って適当に空席に場所を取ると、間もなく知った顔が現れた。マハルダ・デネロス少尉だ。彼女はテオに気がつくと、びっくりして目を見張った。そして食事を受け取ると彼の隣に来た。

「ブエノス・ディアス、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ブエノス・ディアス、アンドレが来たら聞いてくれないか?」

 そこへアンドレ・ギャラガも現れた。着替えてさっぱりした顔をしていたので、昨日の服装のままのテオはちょっと羨ましかった。彼がデネロスと反対側に座ったので、テオは文句を言ってみた。

「君だけシャワーを使えたのか?」
「済みません、つい習慣で・・・」

 デネロスがクスクス笑った。

「汗臭いと怒る先輩が部屋にいるんですよ。」

 そして彼女はギャラガの顔を見た。それでギャラガは彼女に”心話”で状況を説明した。そう言うことね、と彼女が呟いた。

「少佐と大尉にも伝えて良いかしら?」
「大丈夫。中尉はまだカブラロカ?」

 中尉は勿論アスルのことだ。デネロスが頷いた。

「ンゲマ准教授は遂に洞窟に入って、サラの完璧な遺跡を確認したそうよ。」
「そいつはおめでとうって言わなきゃ。」

とテオが言ったので、彼等は静かにコーヒーで祝杯を上げた。

「それで、まだ調査の方は終わっていないんですか?」

 デネロスの質問にテオはまだと答えた。

「今日、これからアンドレと俺はアーロン・カタラーニを連れてミーヤの国境検問所へ行く。そこで調査団が帰国するのを待つんだ。」
「相手が向こうの政府軍だとややこしいですね。」

 ギャラガが囁いた。

「攻撃を受けない限り、調査団のバスが国境の向こうにいる間は絶対に手を出すなと副司令に言われています。」
「貴方の力が大きいからよ。」

とデネロスが言った。

「ちょっと加勢する目的で気を放ったつもりでも、グラダ族の攻撃力は大きいの。爆裂波を迫撃砲の攻撃と間違えられては国際問題になりますからね。」
「そんな軽はずみなことはしないぞ。」

 デネロス相手だとギャラガもお気楽に対等の口を利いた。オフィスでの勤務中は先輩として彼女を立てているが、同じ少尉同士だし、軍歴はギャラガの方が長い。能力の使い方も理解してくると教わることも減って来ているのだ。テオは2人が軽い諍いを始める前にまとめにかかった。

「ケサダ教授とダニエル・パストルが上手く相手を出し抜いてくれることを祈ろう。敵がオレ達が出会った3人だけだと良いが・・・」
「アランバルリはこちらで尋問されるようです。」

とギャラガが言った。

「私達が隣国の将校を誘拐してしまったことになるので、情報を引き出した後は記憶を抜いて戻すでしょうが。」
「”シエロ”にそんなことが出来るの?」

とデネロスが心配そうに眉を顰めた。

「どの程度”シエロ”の能力があるのか、まだはっきりしないんだ。」

とテオは言った。

「それをこれから尋問するんだろう。」

 尋問担当者は誰だろう、と彼は思った。恐らく指導師の資格を持てる上級将校だろうが。


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...