ンゲマ准教授とその学生グループが当初の予定より早く発掘調査を切り上げてグラダ・シティに戻って来た。完璧なサラの遺構を確認し、さらにカブラロカ渓谷の南に居住区の遺跡があると大統領警護隊文化保護担当部から知らされて、准教授は新たな発掘計画の見直しを考えたのだ。もっとも、一番の理由は渓谷の出口で起きた殺人事件のせいで学生達がちょっと怖気付いてしまったことだ。
「悪霊に取り憑かれた少年が祖父と両親を殺害した。だから更なる悪霊が発生するんじゃないか、と心配する学生や保護者がいるんですよ。」
と准教授は教授会で愚痴った。文系理系全ての教員が集まった教授会だったので、理系のテオも出席を義務付けられていた。大きな会場の大きなテーブルの遥か向こうでンゲマ准教授が調査報告をしているのを、ちょっと眠たいなぁと思いながら聞いていた。
「迷信に惑わされていては、研究は出来ぬ。」
珍しく会議に出席しているムリリョ博士が呟いた。ンゲマは恩師の言葉に励まされた様に頷いた。
「そうなんです。ですが、過保護の親達からひっきりなしに電話が掛かって来るんです。どこで知ったのか知りませんが、警護の陸軍の衛星電話に掛けて来るんです。それで小隊長が怒ってしまいましてね・・・」
恐らく学生の中に軍関係の親がいるのだろう。ムリリョ博士もその言い訳にはコメントしなかった。軍や政治家相手なら彼もどうにか出来るだろうが、不特定多数の保護者が相手ではお手上げなのだ。
迷信などの民間伝承や民俗信仰の研究をしているウリベ教授が、「ここは一旦退いたのは利口でしたね」とンゲマ准教授を慰めた。それに勇気を取り戻したンゲマ准教授が来年の調査を範囲を広げて行いたいので予算を増やすことを考えて欲しいと言い、そこから議論が紛糾した。
政府依頼の仕事に取り掛かっているテオは黙って座っていた。目下のところ大学から予算増額を図る案件はない。せいぜい備品の購入費をもぎ取る程度だ。
果敢に戦っているンゲマ准教授の隣に座っている師匠のケサダ教授はダンマリを決め込んでいた。彼は東海岸沿いの古代の交易経路を調べ尽くし、目下のところ本を書こうとしていた。頭の中は本の内容構成を考えることでいっぱいの様子で、教授会も上の空だった。ハエノキ村とカブラ族の交易は物証が見つからず、文化的繋がりもこれと言って見つからなかったので、彼はミーヤを通る古代陸路を中心に研究をまとめるつもりだ、とギャラガが言っていた。
教授達の予算攻防が続き、テオは数人の教員が逃げ出したのを見て、己もこっそり退席した。生物学部の予算は主任教授が何とかしてくれるだろう。お金の苦労をせずに育ったテオは、こう言うお金の問題を論じるのは苦手だった。誰かが決めてくれる範囲で、遣り繰りして研究する。それが彼がアメリカ時代からしてきたことだ。
キャンパスのカフェでコーヒーを買って、空席を見つけて座ったところに、アスルがフラッと現れた。カブラロカ遺跡の警護が終わり、撤収して報告書を提出し、短い休みをもらったのだろう、私服姿だ。軍服を脱ぐと周囲の学生達に溶け込んでしまう若さだから、違和感がない。
「教授会ではないのか?」
正面に座って、アスルが尋ねた。テオは肩をすくめた。
「逃げて来た。直接関係する話じゃないし、下っ端の俺が何を言っても無視されるからな。」
「あんた、まだ下っ端なのか? 遺伝子学者として有名なのに?」
「ほっとけよ。生物学部は主任教授が一番偉いんだ。セルバの旧家の出の人だしな。」
”ティエラ”の旧家や名家のことに関心がないアスルは、ふーんと言ったきりだった。テオは彼の仕事の方へ話題を向けようとした。
「撤収は上手く運んだかい?」
「まぁな。」
アスルは面倒臭そうに答えた。
「悪霊が1匹いただろ?」
そう言えば・・・テオは忘れていたジャングルの中で感じた嫌な気配を思い出した。
「あいつ、また出たのか?」
「発掘隊に近づこうとしたから、浄化してやった。」
へぇ、とテオは呟いた。君にも出来るんだ、と。アスルは鼻先で笑った。
「あんな下級の悪霊なんざ、大統領警護隊なら誰でも浄化出来る。ただ、憑依された”ティエラ”が若過ぎたり、デリケートな性格だったりすると、厄介なことになる。あの少年に乗り移って親を殺した奴みたいにな。だからキャンプに近づかせないよう、こっちも気を張らなきゃいけない。」
「お疲れ様。」
テオはカウンターを見た。
「コーヒー飲むかい? 奢るぞ。」
「コーヒーだけか?」
アスルは壁のメニューを見た。
「あのでかいピザもいいな。」