2022/03/31

第6部 七柱    22

  宿の前迄来た時、少佐が足を止めた。

「今、呼ばれました。」

 テオは彼女を見た。”ヴェルデ・シエロ”特有の、一方通行的テレパシーを感応したと言うことだ。

「誰に?」
「これは・・・」

 少佐はちょっと考え、国境警備隊の宿舎を見た。

「指揮官のグリン大尉です。パエスから私がここにいると聞いたのでしょう。」
「行くのかい?」
「呼ばれましたから。貴方も来ますか?」
「俺が行っても良いのかい?」
「スィ。恐らく、パエスの件ですよ。」

 孤独な知人の問題に関することなら、テオも無関心でいられなかった。これはモンタルボの事件とはレベルが違う。少なくとも、彼の中で比重が重いのはモンタルボではなくパエスだ。
 2人は国境警備隊の官舎へ行った。テオは双子の様な官舎が2棟並んでいるのを見て、大統領警護隊と陸軍が生活の場所を分けていることを知った。命令系統も異なるのだから、仕方がないだろう。しかし食事の場所は陸軍側にあると聞いて、セルバ人同士の交流はあるのだな、と少し安心した。
 大統領警護隊の官舎の共有スペースで、バレリア・グリン大尉がソファに座っていた。ケツァル少佐が入室すると微笑んで立ち上がったが、テオに気がつくと、怪訝な顔をした。少佐がテオを紹介した。 テオが「”暗がりの神殿”の調査」に参加して、反逆者ニシト・メナク捕縛に協力した白人の英雄であると言う評価を、大尉は聞いていたので、彼に会えて光栄だと言った。

「太平洋警備室の問題解決にも大きな貢献をされたそうで・・・」
「俺は何もしていません。大統領警護隊の隊員達が過ちに気づいて冷静な判断をしてくれただけです。」

 大尉は事務室を振り返った。パエス少尉が共有スペースに出て来た。彼は再びケツァル少佐とテオに敬礼した。

「大統領警護隊は陸軍と同じく、隊員個人の問題で隊則を変えることは出来ません。」

とグリン大尉が言った。

「しかし、宗教の問題は簡単ではなく、信仰するものを捨てよと言うことは出来ません。ですから、パエス少尉が官舎の食事を口にすることを拒否した時、已む無く自宅で食べることを許可しました。しかし、他の隊員達から不満の声が聞こえたのは事実です。」

 テオはパエス少尉が固い表情で空を見つめているのを見た。グリン大尉は続けた。

「クチナ基地のオルテガ少佐に私は相談しました。すると少佐は陸軍国境警備班と話をして下さいました。陸軍国境警備班北部方面隊は、兵士達にアンケートを取ったそうです。」

 え? とテオは思った。何だか意外な展開だ。ケツァル少佐もパエス少尉も驚いていた。グリン大尉が、「してやったり」と言いたげな顔をした。

「アンケートの結果、出身地や出身部族で食材にハラールを行うことが習慣になっていた兵士が60パーセントを越えることがわかりました。どの兵士も、軍隊では我儘を許されないと諦めて、ハラールなしの食材で作った食事を摂っていたのです。陸軍はそれをグラダ・シティの本隊に報告し、軍隊の厨房でのハラールの省略は禁止すると通達を出しました。」

 パエス少尉がぽかんと口を開けてグリン大尉を見た。

「明日の朝からここクエバ・ネグラの陸軍官舎の食堂でも、ハラール食材を使った食事が出されます。新しい料理人が来る迄は、ハラール食材を扱う業者から納入される物ですが、儀式の知識を持つ人間を雇用するそうです。」

 彼女はやっと部下の顔を見た。

「貴方が今のままの生活を続けるか、同僚と同じ生活を始めるか、選択の自由はありません。」
「わかりました・・・」

 パエス少尉は、もう奥さんが待つ家に毎日帰ることが出来ないのだ。だが・・・。

「クチナ基地では、家族持ちの隊員には、本部と同じ隊則を適用しています。ですから、クエバ・ネグラでもそれに習うことにしました。」
「?」

 パエス少尉がグリン大尉の言葉を解せないで戸惑う表情になった。しかしテオは大尉が言おうとしていることが分かった。彼は、いつもの癖で、口を挟んでしまった。

「本部勤務の家族持ちの隊員は、2週間に1日、休日をもらえるんだ!」

 ケツァル少佐が横目で彼を見たが、怒ってはいなかった。彼女もその規則は承知していた。
 グリン大尉は、テオのフライングに苦笑した。そしてパエス少尉に言った。

「明日、全隊員に告知します。家族を前の任地に残して来た隊員も数名いますから、彼等が家族を呼び寄せることも出来ます。貴方が同僚と気まずくなった1番の原因となった人達です。貴方は逆に奥さんのところに帰る時間が減りますが、承知出来ますね?」

 パエス少尉が無言のまま、敬礼して承諾を示した。テオはまた言葉を追加した。

「奥さんは家に閉じこもっている訳じゃないですね? 仕事をしているのですか? 兎に角、検問所と町は殆ど一体化している町だから、勤務中に奥さんが貴方の近くに来ることだって出来るでしょう? 2週間全く奥さんに会えない訳じゃないんですよ、少尉。」

 パエス少尉が顰めっ面した。そんなことはわかっている、と言われた気がして、テオは笑いそうになり、耐えた。
 ケツァル少佐がパエス少尉に言った。

「貴官は良い上官に恵まれていますね。」

 少尉が彼女に向き直り、再び敬礼した。

「私は幸せ者です。」

とやっと彼は言った。少佐と大尉の女性達が”心話”で何か話をした様子だったが、テオは訊かないことにした。
 宿舎を出て、テオとケツァル少佐は今度こそ本当に宿に向かって歩き出した。

「グリン大尉がわざわざ君を呼んだと言うことは、君が大尉に何かアドバイスしたんだな?」

 テオが指摘すると、少佐が微笑んだ。

「家族と離れて暮らしているのは、あの大尉も同じでした。でも彼女はパエスに意地悪はしていません。彼が奥さんの料理を食べに帰るのを許していたのですからね。意地悪する部下と自己流を貫き通そうとする部下の板挟みで、彼女も悩んでいたのです。本部と同じ隊則を適用するのは簡単です。でも、彼女がクチナ基地の指揮官少佐を動かして、陸軍まで動かしたのは驚きでした。」
「大統領警護隊の女は強いなぁ・・・いて!」

 少佐が彼の腕をつねって、それから彼に身を寄せた。

「私が転属になったら、ついて来てくれます?」

 テオはドキッとした。それって、もしかして・・・もしかする?


第6部 七柱    21

  食事を終えて宿に向かって歩いていると、国境警備隊の車が後ろから走って来た。テオとケツァル少佐が道端に体を寄せて車をやり過ごすと、車は40メートルほど進んでから停止した。少佐が囁いた。

「パエス少尉と陸軍の兵隊です。」

 日中の勤務を終えて宿舎へ戻るところだろう。テオ達がそのまま進んで車に近づくと、助手席からパエス少尉が降り立った。ケツァル少佐に敬礼したので、少佐も返礼した。

「まだ大学教授の事件を調査されているのですか?」

と質問して来た。少佐が答えた。

「解決したので、教授に奪われた物を返しに来ただけです。」
「貴女がわざわざ?」

 部下にやらせれば良いのに、と言う響きが声にあった。少佐は彼に話すことは何もないと思ったのか、話題の方向を変えた。

「勤務交代の時間ですね。早く行きなさい。」

 パエス少尉は敬礼し、車に戻った。国境警備隊の車は直ぐに走り去った。テオは独り言を呟いた。

「少なくとも、勤務中は同僚達と上手くやっている様だな。」
「気持ちの切り替えが出来なければ、大統領警護隊は務まりませんから。」

と少佐が言った。
 真っ直ぐ宿に戻るのも早過ぎる様な気がして、2人は丘陵地を散歩した。雨季直前の湿った風が吹いていた。日が沈み、丘の下のハイウェイに沿った街並みの灯りが細長く見えた。この町は細長いんだな、とテオはどうでも良いことを思った。民家が少し高い場所に固まっているのも見えた。あれは津波や高潮を避けて暮らしているのだ、とも思った。

「アブラーンが隠したかった建築の秘密ってどんなものだったのかな。」

と彼は呟いた。

「現代人に知られたからって、大問題になる様なものだったんだろうか? ”ヴェルデ・シエロ”は残酷だ、とか、役立たずだ、とか、信用できない、とか批判される様なものだったのか? それとも、その技術を求めて現代の国々が押しかけて来るとか?」

 少佐が、ふふふ、と笑った。

「恐らく、アブラーンも知らないのだと思います。ロカ・ムリリョも、その親もさらにその親も・・・”ティエラ”にも他部族にも教えるなと言われて、何代も秘密を守っている間に、忘れ去られたのだと思った方が気が楽ですよ。家族にさえ黙っていたのですから。”心話”で伝えると言うことは、情報を持っている人の主観も入る訳ですから、代を重ねて伝わると情報は少しずつ歪んで来る物です。」

 彼女は真っ暗な海の方角を見た。テオには見えない器状の海底がある方を指差した。

「アンドレが想像した様に、柱の上に台を置いて、そこに町を築いたのではないかと、私も思います。そんな技術を古代の人々は持っていたのです。ムリリョ家に伝わっていたのは、その技術だったのでしょう。そんな技術を他人に知られたくなかったのであれば、”ヴェルデ・シエロ”が町を放棄した時に、町を破壊しておけば良かったのです。だけど、何らかの理由でしなかった。そして”ティエラ”がやって来て、住み着いた。カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りを感応した”ヴェルデ・シエロ”達は、町の土台を支えていた柱を破壊したのではないですか。」
「それで町が水没したのか?」
「スィ。調べてみましたが、カラコルが水没したと言われる年代は、大きな地震の記録がありません。津波の記録も残っていません。伝聞も伝承もないのです。どの地方にもありませんでした。岬が沈下するほどの地震があったら、他の地方でも被害が出ていた筈です。でも考古学的調査でも、地質学調査でも、そんな痕跡は国中どこにもないのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は地震を起こしたのではなく、町の地下にあった柱をへし折っただけだったのか。」
「かなりの大きさの柱だったのでしょうね。そんな柱を造る技術が、アブラーンが守りたかった秘密だったのだと、私は思います。」
「だが、町一つ沈んだんだ。このクエバ・ネグラの近郊は津波に襲われただろうな。」
「その記録もないので、そこは、それ・・・」
「”ヴェルデ・シエロ”の守護の力の見せ所か。」

 テオはやっと笑う気分になった。

「アブラーンは、巨大な柱の痕跡が海底から露出していないか、心配だったんだな。」

 またサイレンの音が聞こえた。例のホテルの前に、緊急車両の赤色灯が見えた。少佐が車種を見定めた。

「憲兵隊の車両です。外国人か先住民がトラブルに関係した様です。」

 外国人と聞いて、テオはチャールズ・アンダーソンを思い浮かべた。モンタルボと暴力沙汰になったのだろうか。



2022/03/30

第6部 七柱    20

  サン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボは、前回ケツァル少佐とギャラガ少尉が襲撃事件の聞き取り調査で訪問したホテルにまだ宿泊していた。憲兵隊が強奪された撮影機材を故買屋で発見したので、引き取るか買い取るかで故買屋と揉めたのだ。セルバ共和国では盗品と知ってて購入しても罪にならない。なんとなく「盗られたヤツも油断していたのだから盗られても当然」と言う思想があって、官憲は盗品の行方を突き止めても、取り返してくれるとは限らない。元の持ち主に、買い戻す意思があるかと訊いて、持ち主に「取り戻したいが買い取る余裕がない」とわかれば、故買屋から押収するが、持ち主に金銭的余裕があると見てとると、「買い戻せ」と放置する。モンタルボ教授は、撮影機材がアンビシャス・カンパニーの所有なので「買い戻す意思」はなかったが、アンビシャス・カンパニーはそうではない。チャールズ・アンダーソン社長は、買い戻しより押収を希望した。それでモンタルボ教授、アンビシャス・カンパニー、故買屋、そして憲兵隊で盗品の処遇を巡って揉めていたのだ。
 テオとケツァル少佐が訪問した時、モンタルボ教授とチャールズ・アンダーソンは憲兵隊に提出する押収要請の書類を作成し終わったところだった。そこへ、テオがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョから託されたUSBを持って現れたので、また彼等の間における雲行きが怪しくなってきた。

「映像が戻って来たのなら、カメラはもうなくても構わない。」

とモンタルボが発言して、アンダーソンを怒らせた。

「それなら発掘作業の撮影はなしだ!」

とアンダーソンが怒鳴った。

「水中作業の映像を世界に発信して、貴方の研究費用を集めると言う当初の目的が失われることになる。それでも良いんですか!」

 怒鳴り合いが始まり、USBが何故、誰によってテオドール・アルストの手に託されたのか、双方共訊くこともしなかった。ケツァル少佐がテオの肩に手を置いて囁いた。

「放っておきなさい。行きましょう。」

 テオは「アディオス」と声をかけてみたが、モンタルボもアンダーソンも振り返らなかった。
 テオと少佐は車に戻った。そして、その夜の宿を探しに行った。
 ガイドのアニタ・ロペスが教えてくれた宿は海から離れた丘の上にあった。意外にも国境警備隊の宿舎が歩いて5分程の距離に建っていた。宿はホテルと言うより民宿、B&Bだった。そこに2部屋取ってから、2人は夕食に出かけた。そちらもガイドが教えてくれた店だ。国境を越える職業運転手が多いハイウェイ沿いの店と違って、地元民しか来ない小さな店だったが、他所者を拒むこともなく、愛想の良い女将さんが「本日のお薦め」を教えてくれたので、それを注文した。
 美味しい魚介のスープと茹でたじゃがいもで満腹になる頃に、ハイウェイの方から警察車両のサイレンの音が聞こえて来た。女将さんが眉を顰めた。

「やだねぇ、また検問所破りかねぇ。」

 客の一人が窓の外をチラリと見た。

「違うようだ。ありゃ、レオン・マリノ・ホテルへ行ったぞ。」

 テオと少佐は思わず顔を見合わせた。レオン・マリノは、モンタルボ教授が泊まっているホテルだ。まさか、教授とアンダーソンが喧嘩して怪我人が出たのか? 
 テオが腰を浮かしかけると、少佐がセルバ人らしく言った。

「放っておきなさい。」
「君は気にならないのか?」
「何かが起きたことは確かです。でも私達が行って、何かを止められることはないでしょう。」

 彼女はスープの最後の一口を飲んでから、続けた。

「何が起きたのか、明日になれば街中に広がっていますよ。」

 テオは彼女を見つめ、それから店内を見た。セルバ人は野次馬が好きだが、場所が現在地から離れているので、店を出て見に行こうと言う人はいなかった。皆、椅子に座り直し、食事や飲酒を続けていた。テオは脱力した。こんな場合はセルバ人になりきれていない己を感じてしまう。モンタルボが無事であれば良いが、と彼は思った。どう言う訳か、アンダーソンのことは気にならなかった。

第6部 七柱    19

  クエバ・ネグラの町に到着したのはお昼前だった。昼食に少し早かったが、営業している食堂を見つけて早めのランチを取った。そしてクエバ・ネグラ洞窟前で自然保護担当課が手配してくれたガイドと落ち合った。ガイドはアニタ・ロペスと言うメスティーソの中年女性だった。テオがシエスタの時間に働かせることを詫びると、彼女は笑って手を振った。

「大丈夫です、私はさっき起きて朝ごはんを食べたところですから。」

 どんな生活サイクルなのかわからないが、彼女は洞窟探検用のヘッドライト付きヘルメットと長靴、蛍光マーカー付きのパーカーをテオと少佐に貸してくれた。
 洞窟内は静かで、気温が低かった。夜目が効く”ヴェルデ・シエロ”の少佐はヘッドライトを必要としないが、普通の人間のふりをして、ガイドとテオの間を歩いた。本当は先頭か殿を歩きたいだろう。
 以前トカゲを捕獲した辺りから、テオはヴィデオカメラで撮影を始めた。天然洞窟だから足元が不安定で用心しなければ転倒して大怪我に繋がりかねない。彼は時々マイクにコメントを入れ、足元、壁、天井を撮影して行った。偶に女性達も入れると、アニタ・ロペスは笑顔を作り、少佐は無表情で直ぐに顔を背けた。
 洞窟は次第に狭くなり、落盤の痕跡が見られるようになってきた。そろそろ引き返した方が良いだろう、とテオが思った頃に、少佐が足を止めた。

「水の音がします。」

 確かに、岩壁の向こうで水が波打つような音が聞こえた。
 アニタが耳を澄ましてから説明した。

「海の底から細い洞窟がこの下へ繋がっている様です。でも誰もそこまで行ったことがないし、行ける幅の通路もありません。ですから、波が来ているのだろうと言われていますが、確認した人はいません。」
「地下水脈ではないのですか?」
「地下の川ですか?」

 アニタは首を傾げた。

「古代のカラコルは水を売っていたと言われています。その水が何処から得られていたのか、不明なのですが、その水脈かも知れませんね。でも、川の存在を確認するにも音の発生源が深すぎます。」
「こんな場所でボーリング出来ないしな。」

 テオもちょっと地下水脈に興味があったが、洞窟は奥の方でかなり崩落していた。まだ新しい落石跡と思えるものもあったので、近づかない方が無難だ。彼はマイクに話しかけた。

「洞窟は最深部で崩落し、これ以上は進めない。トカゲの一つの種が独自に進化するには無理がある洞窟の長さだ。あまり長くない。」

 彼は女性達に声をかけた。

「引き返そう。地下川は地質学か考古学の世界だ。生物学の分野ではない。」

 なんだかアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが隠したがっている秘密に繋がるような予感がした。引き返せる時に引き返すべきだ。タイミングを誤ると、また厄介なことが起きる。アニタ・ロペスを巻き込む訳にいかない。
 ケツァル少佐も彼の考えと同じことを思ったに違いない。素直に彼の提案に従った。
 3人は再び撮影しながら出口に向かって歩いた。少佐がアニタに質問した。

「カラコル遺跡の伝説は、この近辺では誰もが知っているようですね?」
「御伽噺みたいなものです。」

とアニタが笑った。

「何処かの遺跡みたいに漁網に黄金が引っかかって揚がったり、女神様の石像が揚がったりしたら、観光資源になるでしょうけど、網に入るのはサメと魚だけですから。昔、神様を怒らせて一晩で海に沈んだ町がありました。親の言うことを聞かないと、お前にも悪いことが起きますよ、って言う類の御伽噺ですよ。」

 洞窟から出ると、まだ太陽は高く、陽光が眩しかった。テオと少佐は装備を体から外してガイドに返却し、料金を支払った。テオがチップを渡すと、アニタは夕食に最適なお店と快適な宿を紹介してくれた。緑の鳥のロゴが入った車を見て、私服姿の少佐と白人のテオを見比べながら、アニタが「本当に大統領警護隊ですか?」と尋ねた。テオは「スィ」と答えた。彼は少佐を指し示し、

「彼女が大統領警護隊で、俺は顧問。」

と紹介した。アニタが少佐を見て微笑んだ。

「国境警備隊のグリン大尉も優しい方です。やっぱり女性の軍人さんの方が接しやすいですね。男の方は威張っているから・・・」

 彼女は急いで周囲を見回した。

「さっきの話は内緒ですよ。」

と言ったので、少佐が笑った。
 ガイドと別れて、テオは少佐と共にモンタルボ教授が宿泊しているホテルを目指した。


 

第6部 七柱    18

  雨季休暇が始まった。大学での来季に向けた事務手続き等を終えたテオドール・アルストは、エル・ティティに帰省する前に、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから依頼された仕事を片付けることにした。今度のクエバ・ネグラ行きは、ケツァル少佐と2人きりだった。文化保護担当部の業務を部下達に任せ、彼女はモンタルボ教授の発掘準備がどの程度進行しているのか確認するつもりだった。
 車は大統領警護隊のロゴマークが入ったオフロード車だった。テオは運転を頼まれ、ハイウェイを快調に走って行った。少佐と長時間ドライブに2人きりで出るのは初めてではないだろうか。彼はちょっとワクワクした。「ちょっと」と言うのは、彼女と出かけると大概何か厄介な問題が待ち受けていたりするからだ。不安ではないが、浮かれていられない、そんな気分だった。
 グラダ・シティを出て10分ほど経ってから、彼女が言った。

「2日前、カタリナ・ステファンがフィデル・ケサダの自宅を訪問しました。」

 ケサダ教授がカタリナ・ステファンを自宅に招待したがっていると、試験期間前に聞いていたので、テオは驚かなかった。大学の職員として教授も試験期間中忙しかったので、カタリナの訪問が実現したのはやっと2日前だったのだ。

「カタリナを招待した人は、マレシュ・ケツァルだね?」
「スィ。」

 テオは大学病院の前庭で出会った車椅子の老女を思い出した。付き添っていたフィデル・ケサダの妻コディア・シメネス・デ・ムリリョが、「半分夢の世界に生きている」と言っていた人だ。
 対面はケサダ家の居間で行われた。教授はその日子供達4人を母家のムリリョ家へ遊びに行かせて、夫婦とマレシュ・ケツァルだけでカタリナと彼女を車で送ったケツァル少佐を迎えた。カタリナは玄関口でケサダ教授を見るなり、「大きくなったわね、フィデル!」と叫んで、教授を照れ笑いさせた。
 カタリナは直ぐにマレシュを見分けた。生まれた時から近くにいた人だ。父親と共に鉱山で働いていた労働者仲間だった。男性の姿をしていたが、カタリナはマレシュが女性だと知っていた。可愛がってくれた人を忘れる筈がない。彼女は皺だらけになったマレシュの手を握り、涙した。マレシュもカタリナを覚えていた。彼女と彼女の母親を時々混同したが、”心話”と言葉で思い出話を楽しんだ。ケツァル少佐は彼女達が使うイェンテ・グラダ村方言が理解出来ず、黙ってそばで聞いていた。ケサダ教授も子供時代に母親と別れたので、方言をかなり忘れており、義母の世話をしているコディアの方がマレシュとカタリナの会話をよく理解出来た。やがて、カタリナはケツァル少佐を車椅子のそばに呼び、マレシュに紹介した。

ーーウナガンとシュカワラスキの娘です。貴女の従弟妹の子供です。

 車椅子に座ったままマレシュはケツァル少佐の上半身を抱きしめて、「血族を宜しく」と囁いた。
 対面は1時間程で終わり、カタリナはマレシュに再会を約束して別れた。

「カタリナはマレシュとの会話の内容を詳しくは語ってくれませんでした。恐らく、私達が生まれる前の思い出話で弾んだのでしょう。ただ、帰りの車の中で私にこう言いました。『フィデルはヘロニモ・クチャに生写しです』と。」

 テオは思わず顔を少佐に向けた。そして、慌てて前に向き直った。

「ムリリョ博士は、フィデル・ケサダの父親が誰かわかっていたんだな。」
「そうですね。でも博士はフィデルに教えていない。母親のマレシュが言わないのだから、彼が言う権利はないとお考えなのでしょう。」
「マレシュにとっては、ヘロニモとエウリオは同じ重さの同胞だった。だから、どっちが息子の父親なのかってことは関係ないのだろう。 ヘロニモもエウリオもナワルは黒いジャガーだったんだろうな、きっと。」
「どちらも、息子が白いジャガーとは想像すらしなかったでしょう。」

 テオはまた「え?」と少佐を見た。

「フィデルはジャガーなのか?」
「誰も彼がピューマだとは言っていませんよ。」
「しかし・・・」
「彼が貴方にピューマの存在を教えたので、貴方が勝手に彼はピューマだと思い込んでいたのです。カルロも同じですね。でもフィデル・ケサダはジャガーです。エル・ジャガー・ブランコですよ。」
「それじゃ、ケサダ教授は”砂の民”ではないのか・・・」
「違いますね。」

 テオはホッとした。職場の同僚で尊敬する人が闇の暗殺者ではないかと疑っていた己を、ちょっと恥ずかしく思った。ケサダ教授は義父が”砂の民”の首領なので、自身が気づかぬうちに闇の集団の知識を得ていたのだろう。それならば・・・

「リオッタ教授を暗殺したのは、ケサダ教授ではなかったんだ・・・」
「そうですね。」
「エミリオ・デルガドがジャングルの中で目撃した白いジャガーも教授だったんだな?」

 今度はケツァル少佐が驚いて振り返った。

「グワマナのデルガドが白いジャガーを目撃したのですか?!」

 しまった、とテオは心の中で舌打ちした。「見てはいけないもの」を見てしまったデルガド少尉と同僚のファビオ・キロス中尉だけの秘密だったのだ。

「俺、何か言ったかな?」

 狼狽していることを少佐が気がつかぬ筈がない。彼女は彼の横顔を見つめ、それから視線を前方に向けた。

「何時、何処で? それは聞きましたか?」
「詳細は聞いていない。ただ、ジャガーは彼等をディンゴ・パジェが隠れている場所へ案内した。それだけだ。デルガドはジャガーだと断言した。キロスから絶対に口外するなと言われたそうだが、手柄を立てさせてくれたジャガーの存在を黙っているのが辛くなったそうだ。それで、伝説などでこんな場合昔の人はどうしていたのか聞こうと考えて、大学へやって来た。ムリリョ博士かケサダ教授に面会を希望したんだが、当日2人の考古学者は大学を留守にしていたので、エミリオは俺のところに来たんだ。だから俺がキロスの忠告に従って黙っていろと言ったら、やっと納得した。」

 ふっと少佐が安堵の笑みを漏らした。 

「ムリリョ博士の耳に入っていたら、大変なことになっていましたね。貴方が相談に乗ってあげて良かったです。それにしても、フィデルもクールに見えて結構ヤンチャな人ですね。」
「スィ、君と俺がオルガ・グランデで彼と話をしたほんの2日後だったんじゃないかな? どうやってディンゴ・パジェを見つけたのか知らないが、彼は時々凄い能力を披露してくれるよ。」
「世が世であるならば大神官となっていたであろう能力者ですから。」
「でも白いジャガーは大神官になれない・・・」
「なれません。能力を黒いジャガーに捧げて生贄となる運命だったのです。」
「だが、現代は生贄をやらないんだろ?」
「しません。でも・・・」

 少佐が忌まわしいものを思い出して言った。

「純血至上主義者の極右は、白いジャガーの存在を知れば古代の儀式を復活させようとするでしょう。」
「矛盾している。白いジャガーは純血種だ。だが、黒いジャガーは、ミックスのカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガしかいないぞ。」
「ですから、ややこしいことになりかねないのです。純血の黒いジャガーをグラダの血を引く人々に生ませようとするでしょう。」

 テオはそれでやっとムリリョ博士が何故ケサダ家の人々を身近に住まわせて守っているのか理解出来た。純血至上主義者の博士は、極右の純血至上主義者の考えがわかる。故に、グラダの血を引く孫娘と、純血グラダの白いジャガーである娘婿を博士は必死で守っているのだ。

「すると、カルロとアンドレをケサダ家の娘達に近づけない方が安全なんだな?」
「グラシエラも半グラダです。でも、恋愛は当人達の問題で、周囲の都合でコントロール出来るものでもないでしょう。大事なのは、極右の人々に生贄の儀式復活を考えさせないようにすることです。だから、フィデルのナワルの話は決して口外してはならないのです。」

 ある意味、ファビオ・キロス中尉の禁忌に対する警戒心が正解なのだ。見たものを忘れろ。
 テオは言った。

「今の会話を、俺達も忘れよう、少佐。」

 ケツァル少佐も頷いた。

「スィ。承知しました、ドクトル。」


2022/03/29

第6部 七柱    17

  午後、シエスタが終わり、大統領警護隊文化保護担当部は業務に励んでいた。マハルダ・デネロス少尉も大学から戻り、机の前に座るとパソコン相手に担当する仕事に精を出した。フィデル・ケサダ教授が現れたのは、午後4時半頃だった。申請書に署名をしていたケツァル少佐は頭の中で名を呼ぶ声を聞き、顔を上げた。階段を上った所で教授が立っており、彼女と目を合わせると無言で顎を振り、「来い」と合図した。彼女は立ち上がり、ロホに”心話”で席を外すことを伝えた。彼女がケサダ教授の呼び出しを受けたと知って、ロホは不安になった。教授の娘と話をしたことが父親の怒りを買ったのか、それともムリリョ家の屋敷を覗いていたことがマスケゴ族の長老に知られてしまったのか。少佐は部下の心配をよそに、さっさとカウンターの外に出て、階段を降りて行った。
 雑居ビルの外に出たケツァル少佐は迷うことなくカフェ・デ・オラスに入った。教授は既に席を確保してコーヒーを注文した所だったので、彼女もその正面に座り、コーヒーを頼んだ。

「御用件は?」

 挨拶抜きでいきなり質問した。相手は目上で恩師でもある人だったが、業務中の呼び出しだったので、彼女は時間を節約しようと心がけた。ケサダ教授も単刀直入に質問した。

「今日の昼に、マルティネスとギャラガ、アルストがムリリョ家を見ていたが、何か意図があったのですか?」

 少佐は一瞬考え、そして答えた。

「今日の午前に私はアルストを同伴してロカ・エテルナ社を訪問しました。用件はアブラーン・ムリリョにお聞きになると宜しいですが、モンタルボ教授が襲撃された件です。その時、アルストがロカ・エテルナ社の社屋の形状に興味を持ちました。要件を済ませて文化保護担当部に戻ってから、昼食時に彼がそのことを言うと、マルティネスがマスケゴ族の住宅の形状、特にムリリョ家の屋敷が特徴的だと述べて、昼休みの暇つぶしに男達だけで出かけたのです。
 帰還してから、彼等は楽しいドライブだったと報告しました。その時、お宅のお嬢さんと出会ったそうです。父である貴方のお許しなくアルストが言葉を交わした無礼を、私が彼に代わってお詫びします。」

 教授は腕組みして彼女の返答を聞いていた。頭の中で内容を吟味した様だ。コーヒーが運ばれてきて、2人の前に置かれた。彼は一口コーヒーを飲んでから、口を開いた。

「わかりました。屋敷を見ていたのは、ただ建築に関する興味からだと解釈して宜しいのですね。」
「スィ。立派で美しい、そして風変わりな形状の邸宅を見学に行っただけです。建設会社の経営者らしい、ユニークな形だとアルストが感心していました。」
「オルガ・グランデにあったマスケゴ族の住居はもっと貧しいものでした。博士が生まれ育った生家も廃墟になって残っています。本当に部族の住居を見たければ、あちらへ行かれることです。」

 彼は少佐の目を見た。

ーーアブラーン・シメネスはピューマではないが、怒らせると危険な男です。

 ”心話”で警告を受けた少佐は素直に頷いた。そして面会の要件はこれで終了したかな、と思った。すると、教授はもう一口コーヒーを飲んでから、彼女がロカ・エテルナ社を訪問した件に関して質問してきた。

「モンタルボが襲撃された事件にロカ・エテルナが関わっていたのですか?」

 少佐はアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが考古学者の身内に部族の秘密を教えていないことを確信した。言うべきではないかも知れないが、アブラーンが隠したかった秘密などモンタルボの映像には映っていなかったのだ。

「会社ではなく、ムリリョ家の先祖代々の秘密だそうです。」

 微かにケサダ教授の顔に、しまった、と言う色が浮かんだ。訊くべきでなかったと言う後悔だ。だから少佐は彼を安心させるために素早く言った。

「アブラーンは、海に沈んだ古代の町に秘密の建築技法が施されていたと伝え聞いていたそうです。もしその仕組みがわかる様な遺跡であれば、発掘される前に処分したいと思ったらしいのです。しかし、モンタルボから奪った映像に映っていたのは、ただの珊瑚礁と魚、泥を被った石造物の欠片だけでした。珊瑚礁を傷つけたり出来ませんから、文化財遺跡担当課は海底を掘る許可を出していません。ですから、アブラーンはこの件を終了すると断言しました。我々にモンタルボのUSBを返すようにと彼は依頼しました。」

 彼女は試しにケサダ教授に尋ねた。

「貴方もご覧になりますか、海底の映像を?」

 ケサダ教授は「ノ」と首を振った。そして少佐にコーヒーを飲むように手で促した。彼女がコーヒーを口に含んだ時、彼は不意に言った。

「今日あの3人の男達が出会った私の娘は長女のアンヘレスですが、彼女が帰宅して私に『グラダを見つけた』と言いました。」

 ケツァル少佐はもう少しでむせるところだった。 グラダはグラダを見分ける。 それは少佐自身が数年前に入隊間もないカルロ・ステファンを見て、「グラダがいる」と指摘したことを、後に上層部がグラダ族の能力を高く評価して言った言葉だと伝わっていた。彼女がアンドレ・ギャラガを引き抜いた時も、思い出したようにこの言葉が大統領警護隊本部の中で囁かれたのだ。公式には、現在生きているグラダ族は、ケツァル少佐、カルロ・ステファン、そしてアンドレ・ギャラガの3人だけと言うことになっている。
 アンヘレス・シメネス・ケサダは、公式には純血のマスケゴ族と言うことになっている。しかし、父親は、マスケゴ族のふりをして生きている純血のグラダだ。
 少佐はここで誤魔化しても仕方がないと判断した。だからギャラガ少尉からの報告を素直に明かした。

「ギャラガがお嬢さんの気の放出を感じ取りました。マルティネスには感じ取れなかったそうです。」

 ケサダ教授は無言で彼女を見つめ、やがて目元をふっと微かに緩ませた。

「グラダはグラダを見分ける、か・・・。貴女も私が何者なのか知っている訳ですね。」

 少佐は肩の力を抜いた。少なくとも相手を怒らせずに済んだ、と感じた。

「正直に告白しますと、本当に最近迄気がつきませんでした。貴方がビト・バスコ殺害事件でセニョール・シショカの仕事に干渉なさる迄は。あのシショカを戦わずして制圧出来る貴方の強さがどこから来るのだろうと考え、この国で一番強い者の存在に考えが至りました。」
「私は決して強くありません。」

 ケサダ教授は決して彼女に”心話”を要求しなかった。知られたくない心の深淵を覗かれるのを防ぐためだ。

「貴女は長老会のメンバーとイェンテ・グラダ村の廃墟へ行かれた。恐らくそこでオルガ・グランデに出稼ぎに行った3人の村の生き残りの話を聞かれたのでしょう。そして生き残り達が残した子孫の存在を知った。カルロ・ステファンとグラシエラ・ステファン以外の人間の存在です。」

 彼は冷めてしまったコーヒーを飲んだ。

「私は今でも義父の保護下にいます。妻も私の保護者です。そしてアブラーンも私を守ってくれています。私は家族に守られて生きているのです。決して貴女が思っている程強くない。」
「でもお嬢さん達は貴方の力を受け継いでいらっしゃいます。どちらの世界で生きるかを決めるのは、お嬢さん達自身でしょう。」

 少佐は教授が溜め息をつくのを眺めた。そして彼を安心させるために言った。

「貴方のお生まれのことを知っているのは、私以外では、アルスト、マルティネス、そしてギャラガだけです。カルロ・ステファンは知りません。故意に教えていません。あの子は貴方に心を盗まれる迂闊者ですから。」

 プっと教授が吹き出したので、彼女はホッとした。重い空気が払拭された感じだ。教授が彼女に囁いた。

「一つお願いがあります。カタリナ・ステファンに会いたがっている人がいるのですが。」


2022/03/28

第6部 七柱    16

 「何故ケサダ教授がグラダ族だと思うんだ?」

と車に乗り込んですぐにロホが後部席のギャラガに尋ねた。ギャラガ少尉は肩をすくめた。

「スクーリングで数回お会いしただけですが、教授は時々私に”心話”で力の使い方を教えて下さいました。私が他の学生の行為や発言でちょっと動揺したりした時です。私のほんの少しの心の乱れを察知されたのです。官舎で多くの先輩達に助言を頂いたりしますが、教授が指摘された様な細やかな点まで触れられたことはありませんでした。何と言うか、教授は・・・」

 テオがカーブでハンドルを切りながらギャラガの言葉を継いだ。

「ケツァル少佐みたいだ、と言いたいのかい?」
「スィ!」

 ギャラガが嬉しそうに肯定した。

「ステファン大尉は、戦いの時の力の使い方を上手に教えて下さいますが、抑制方法は苦手のようで・・・」
「あいつ自身が学んでいる最中だから、仕方がないさ。」

 ロホが苦笑した。

「教授はひたすら抑制することを学んで来られた方だから、そちら方面がお上手なのだろう。これからお嬢さん方も教育していかなければいけないしな。」
「でも、何故グラダだと公表なさらないのです?」
「大人の事情だよ、アンドレ。」

 テオはグラダ族仲間を見つけて喜んでいる若者にそっと釘を刺した。

「彼には彼の家族の事情があるんだ。それに教授はマスケゴ族として生きたいと希望されている。お子さん達がどう思うかは、お子さん達の問題で、俺たちがとやかく言うことじゃない。」

 ギャラガは黙って外の風景を眺めていたが、やがて頷いた。

「わかりました。私はこれからも教授のアドバイスを素直に受け容れる、それで良いですね。私も母親が言ったブーカや、もしかしたらカイナ族かも知れませんが、皆さんが私はグラダで、グラダとして生きろと仰る。だからその通りに生きようと思っています。グラダ族として学ぶ方が私の気持ち的にも楽なので。」

 何だかわかった様なわからない様な意見だったが、テオとロホは微笑して頷いた。そして2人とも思った。 ケサダ教授と家族の血統は実に明確だ。しかし、このアンドレ・ギャラガは本当に何者なのだ?


第6部 七柱    15

  グラダ・シティ市民となったマスケゴ族は故郷のオルガ・グランデを懐かしんでいるのか、それとも住居とはこう言う場所に築くものだと考えているのか、少し乾燥した感じの斜面になった土地に集まっていた。意図して集まっているのか、自然に集まったのかわからない。しかし、助手席のロホが「あれもマスケゴ系の家です」と指差す家屋はどれも斜面に建てられていた。テオはなんとなく違和感と言うか、或いは既視感と言うか、不思議な感覚を覚えた。オルガ・グランデで見たのは、斜面に建てられた石の街だった。殆どが空き家になっていたので、遺跡の様に見えた。住民は新しい家屋を手に入れて平地へ引っ越したのだと聞いた。そこに住んでいた人々はマスケゴ族とは限らず、”ティエラ”の先住民やメスティーソ達、鉱山労働者が多かった。

「大きな家を見ると、どう変わっているか、わかりますよ。」

 ロホは車を進めた。オルガ・グランデと違って、グラダ・シティの斜面の街は高級住宅街だ。高級コンドミニアムが多い西サン・ペドロ通りと違って、こちらは一戸建てばかりだ。緩やかな斜面に木々を植え、緑の中に家々がぽつんぽつんと顔を出していた。斜面だから日当たり良好だろう。

「え? あれも住宅?」

 思わずテオが声を上げたので、後部席でうたた寝していたギャラガ少尉が目を開けた。そして窓の外の風景を見て、彼は座り直した。

「階段住宅だ・・・」

 樹木の中に突然白い壁の大きな階段状の建造物が現れた。全部で七段はあるだろうか。それぞれの屋根が上の階の住宅の庭になっている。わざわざ斜面に階段状の家を建てたのではなく、岩盤を掘り抜いて家に改造してしまっている、と思えた。最下段の家がどの程度奥行きがあるのか樹木が邪魔で見えないが、かなり床面積が広そうだ。

「あれがムリリョ家です。」

 ロホはその家が一番よく見える道路のカーブで駐車した。狭い谷を挟んで向かいに屋敷が見えた。テオ達がいる場所はもう少し家が立て込んでいて、庶民的な感じがするが、一軒ずつは大きいので、こちらも高級住宅地なのだろう。車外に出ると、少し標高があるせいで空気が乾いて感じられた。ロホが最下段を指差した。

「一番下が母家です。あそこから始まって、子孫が増える毎に上に上がって行くのです。」
「それじゃ、最上段の主が一番若いのか?」
「理屈ではそう言うことになります。実際に誰がどこに住むかは、家族内で決めるのでしょうけど。」

 ギャラガが最下段を指差した。

「ムリリョ博士はあそこですか?」
「多分ね。もしかすると長男のアブラーンの家族かも知れない。或いは、博士夫婦と長男夫婦がいるのかも知れない。」

 テオはテラスガーデンを眺めた。花壇や池が造られている庭があれば、芝生でゴルフの練習場やサッカーゴールが置かれている庭もある。ボールが落ちるだろうと心配してやった。鶏小屋が置かれている庭もあって、鶏が外に出されて歩き回っていた。

「ケサダ教授はあの家に住んでいるのかい?」

と尋ねると、ロホはちょっと目を泳がせた様子だった。だが、すぐに巨大なテラス状の屋敷の向こうに見えている小振の2段になった、やはり白い壁の家を指差した。

「あの向こうに見えている家です。教授は博士の実のお子さんではないから、と言う理由ではなく、奥様のコディアさんの希望で別棟を建ててもらったと聞いたことがあります。」

 テオはロホが何か言いたそうな目をしたことに気がついた。悲しいかな、彼は”心話”が出来ない。しかし、何となく親友が何を言いたいのか理解出来るような気がした。
 フィデル・ケサダ教授の妻コディア・シメネス・デ・ムリリョは夫が純血のグラダであることを知っている筈だ。しかもただのグラダ族ではない。”聖なる生贄”となる筈だった純白のピューマだ。(テオはまだケサダがピューマだと信じている。)夫の正体を、彼女は彼女の兄弟姉妹に知られたくないのだ、きっと。そして半分その血を引いている娘達をしっかりマスケゴ族として教育してしまう迄、兄弟姉妹の家族から離しておきたいのだろう。
 その時、ギャラガがビクッと体を震わせた。ロホが気づき、テオもワンテンポ遅れて彼を見た。

「どうした、アンドレ?」

 ロホが声をかけた時、斜面の上の方から自転車で道を下って来た少女がいた。先住民の純血種の少女だ。彼女はテオ達が車の外で並んで谷の向かいにある家を眺めていることに気がついて、自転車の速度を落とした。13、4歳の美少女だ。
 「オーラ!」と元気よく声をかけられて、男達はちょっとドキドキしながら「オーラ」と返した。少女は自転車に跨ったまま話しかけてきた。

「面白い家でしょ?」
「スィ。」
「隠れん坊するのに丁度良い広さなのよ。」

 未婚女性に紹介なく話しかけてはいけないと言う習慣を思い出して、ロホとギャラガが戸惑っているので、テオは「無神経な白人」を演じて、彼女の相手をした。

「君はあの家で遊んだことがあるの?」
「スィ、殆ど毎日よ。」

 ロホとギャラガが顔を見合わせた。「マジ、拙い、ムリリョ家の娘だ」、と”心話”で交わした。テオは気にせずに続けた。

「君はあの家の子供なんだね?」
「ノ。」

 彼女はあっさり否定すると、巨大なテラス邸宅の向こうの小さい家を指差した。

「私の家はあっち。手前の家はお祖父ちゃんと伯父さんの家よ。上の階に行くと従兄弟達の家族が住んでいるわ。他にも叔父さんや伯母さん達がいるけど、あの人達は他に家を持っているの。私のパパだけがお祖父ちゃんのそばに住むことを許されているのよ。」

 彼女はちょっと自慢気に言った。そしてテオに言った。

「うちに来る? ママはお客さん大好きなの。パパの学校の学生がよく遊びに来るわ。」

 テオは微笑んだ。

「オジサン達も君のパパの友達と学生なんだ。だけど今日はもうすぐお昼休みが終わるから帰る。誘ってくれて有り難う。気をつけてお帰り。」
「グラシャス。 じゃ、また来てね!」

 彼女は再び自転車に乗り直し、勢いよく坂道を下って行った。
 警戒心が全くないのは、子供だからか? きっとグラダ族の能力の強さから来る自信だろう。とテオは想像した。すると、ギャラガがまた身震いした。

「さっきの女の子、凄い気を放っていましたね。」

 ロホが彼を見た。その表情を見て、テオは最強のブーカ族の戦士である彼が、少女の気の放出に気が付かなかったのだと悟った。彼は思わず呟いた。

「グラダはグラダを見分ける・・・」

 ロホとギャラガが彼を見た。をい! とロホが咎める目付きになり、ギャラガは目を見張った。 彼は一瞬にして、重大な秘密を悟ってしまった。

「フィデル・ケサダはグラダなのですか?」


2022/03/27

第6部 七柱    14

  テオは自然保護地区に立ち入る許可証をもらいに文化・教育省の3階へ行った。自然保護課にクエバ・ネグラ洞窟に立ち入って撮影する許可証を申請すると、もう顔を覚えられていて、「トカゲの洞窟ですね」と許可証を発行してくれた。それもその年の雨季の間は何時でも入ることが出来るフリーパス許可証だ。入洞する日を伝えれば、自然保護課からガイドに連絡してくれると言う。
 テオはふと思い出して尋ねてみた。

「アイヴァン・ロイドと言う男性がジャングルか海に潜る許可申請に来ていませんか?」

 職員が首を傾げた。

「アイヴァン・ロイド? 外国人ですか?」
「スィ、アメリカ人だと思いますが・・・」
「今季にそんな名前の申請はありませんね。」

 職員はパラパラと名簿をめくった。パソコンで検索しようとしない。

「申請せずに勝手にジャングルに入る人もいますからね。森林レインジャーや地元の自警団に撃たれても、こっちは責任取れないって言ってるんですが、守らない人は多いです。」

 セルバ共和国は小さな国だから、ジャングルの中で他所者に襲い掛かる先住民はいないことになっている。内務省の先住民保護政策によって、全ての集落の位置と人口が把握され、登録されている筈だ。だから自然保護課は、不法侵入者として自警団が他所者に危害を加えることを心配しているが、他所者が怪我をしたり命を落としても責任を持たない。森林レインジャーも麻薬組織の隠し畑やアジトを警戒しているので、他所者が指示に従わないと躊躇なく銃撃する。それに数は少ないが反政府ゲリラも出没する。外国人だとわかれば殺害されたり誘拐される。
 テオはアイヴァン・ロイドが大人しくセルバ共和国から撤退してくれることを願った。外国人が死んだりして、また北米のややこしい組織が動くと面倒だ。
 許可証明書をもらって文化・教育省を出た。カフェ・デ・オラスでコーヒーを飲んで時間を潰し、やっと昼休みになったので、文化保護担当部の友人達と昼食に出かけた。
 行きつけの店の1軒に入り、好きなものを注文して食べていると、ロホが話しかけて来た。

「ムリリョ家の建物を見たことがありますか?」
「巻貝みたいなモダンなビルかい?」
「それはロカ・エテルナの社屋でしょう。ムリリョ博士と子供達の自宅ですよ。」
「変わっているのかい?」
「ブーカ族の基準で見ると面白い形状です。マスケゴ族ってオルガ・グランデに住んでいたので、ああ言う形状の家を好むんでしょうかね。」

と言われてもテオは見たことがないのでわからない。わからないと言うと、食事の後で見に行きましょう、と誘われた。暇だから、テオは誘いに乗った。ケツァル少佐はロカ・エテルナ社訪問の間に溜まった書類を片付けると言って、このドライブを辞退し、ギャラガは後部席で昼寝させてくれるならついて行くと言った。それで、食事を終えると男達は少佐と別れ、テオの車に乗り込んだ。ロホのビートルは後部席で昼寝するには少し狭かったのだ。


2022/03/26

第6部 七柱    13

  アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから渡されたモンタルボ教授のUSBを持って、ケツァル少佐は文化・教育省の文化保護担当部オフィスへ戻った。テオも一緒だった。4階に上がると、彼女はロホに指揮権を預けたまま、奥にある「エステベス大佐」と書かれた札が下がった小部屋へテオを案内した。テオは初めてその部屋に入った様な気がした。がらんとした部屋で、ドアの対面の壁に嵌め込み窓が一つあるだけだ。何も載っていない机とパイプ椅子。少佐が自分の机からパソコンを持ってきて、机の上に置いた。そしてUSBを差し込んだ。
 それからたっぷり40分間海底の映像を見たが、アブラーンが言った通り珊瑚礁と魚しか見えなかった。たまに底に石柱だったと思える欠片が見え、板の様な平らな岩が並んでいる箇所が3箇所ばかり見られた。建物の片鱗も壺も何もない。

「伝説がなければ、この海に遺跡が沈んでいるなんて誰も思わないな。」

 テオが呟くと、少佐も欠伸を噛み殺しながら同意した。

「モンタルボが執念で見つけた遺跡ですね。珊瑚を傷つけることは許可していません。発掘と言っても手をつけられる面積は限られています。例え太古の巨大な石柱が埋もれていても、岩を動かすことも許可していませんから、掘ることは出来ません。」
「それじゃ、泥をちょっと退けて見ることしか出来ないのか?」
「そうです。機械を水中に下ろして作業することも出来ません。地上の遺跡で土を掘っていくのとは勝手が違います。ですから、グラダ大学の先生達は水中遺跡に興味を抱かないのです。」

 動画が終わり、少佐はUSBを抜いた。テオはパソコンを元の場所に戻すのを手伝った。ロホやギャラガ少尉が好奇心に満ちた目で見るので、彼は言った。

「ただの水族館の動画と同じだよ。はっきり遺跡だと思える物は映っていない。」

 彼は少佐に提案した。

「スニガ准教授からクエバ・ネグラのトカゲが棲息している洞窟内部の撮影をしてくれと頼まれた。試験が終わると行くつもりだ。俺がUSBをモンタルボ教授に返してやろうか?」
「試験が終わるのは何時ですか?」
「来週の木曜日だ。」

 少佐はちょっと考え、頷いた。

「急いで返す理由もありませんね。 モンタルボも直ぐに再調査する準備を整えることは出来ないでしょう。」

 まだ昼休みには時間がある。テオはどこで時間を潰そうかと考えながら、4階のオフィスを見回した。隣の文化財遺跡担当課は雨季明けの発掘申請に来ている外国人達の相手で忙しそうだった。

「マハルダとアスルはどこだい?」
「マハルダはグラダ大学です。今日は現代言語学の今季最終講義があるので、聴講に行っています。」

とロホが教えてくれた。

「アスルは近郊の小さな遺跡を巡回して、各調査隊が雨季に備えて対策を取っているか確認しています。これらは国内の団体が殆どなので、意外に対策が緩く、雨で遺跡が痛むので困るんです。」

 


第6部 七柱    12

 「モンタルボが撮影した映像には、特に変わった物は写っていません。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは来客用の椅子を示し、ケツァル少佐とテオに着席を促した。ゆったりと座れるオフィスチェアだ。テオはそのデザインを以前に見たことがあった。ケサダ教授の研究室で教授が使っている椅子だ。座ってみて、座り心地が良かったので驚いた。自分の研究室にも欲しいものだ。
 アブラーンはUSBを出して見せた。

「珊瑚と魚と海底の岩や石、それだけです。モンタルボに返して頂けますか?」

 彼がいきなりそれを放り投げて来たので、テオは慌てて受け取った。少佐が尋ねた。

「何をお知りになりたかったのです? モンタルボに見付けられて困る物でもあったのですか?」

 アブラーンは父親そっくりの冷たい眼差しで客を見た。

「大統領警護隊にも言えないことはあります。 私は嘘を付かない。だが言えない物は言いません。」
「ご先祖がカラコルの地下に仕掛けた仕組みのことですか?」

とテオはまた口出ししてしまった。今度はアブラーンも彼を無視せずにジロリと睨んだ。

「我が先祖がカラコルの地下に何を仕掛けたと仰るのです?」

 テオはハッタリをかけた。

「それを言ってしまうと、俺は”砂の民”に消されます。」

 アブラーンは少佐を振り返った。

「少佐、このドクトルはどう言う方ですか?」
「どう言う方なのか、お父上からお聞きください。」

と少佐は答えた。

「俺はグラダ大学の職員ですから、お父上とはキャンパスで顔を合わせます。」

とテオは言った。もっともケサダ教授の名は出さなかった。家族と言っても教授はアブラーンの義理の兄弟だ。ここでは名前を出さない方が賢明だろうと判断した。

「単純なことです。」

とアブラーンは言った。

「あの付近の海底がどの程度の水深で、底の状態がどうなっているのか、知りたかっただけです。」
「極端に水深が深いと不自然ですからね。」

と少佐が言った。

「カラコルと言う言葉は岬が水没した時代の”ティエラ”の言葉で『筒の上』と言う意味です。恐らくカラコルの町の地下に空洞があったのでしょう。ただの洞窟だったのか、住民が何らかの用途に用いていたのか、それは知りません。カラコルは外国の船に水を売っていたのだと地元の漁師の間に言い伝えが残っています。クエバ・ネグラに大きな川や湧水がありませんから、どこかの水源から引いてきた水を地下の貯水槽に貯めていたとも考えられます。町は栄える程に驕れる様になり、遂に神であるジャガーを捕らえて外国に売ろうとしました。しかしママコナの知ることとなり、国中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受け、町は岬ごと海の底に沈んだのです。その時、地震で地下の空洞も崩壊し、町は大きな器の形に水没しました。ですから、現在もあの付近の海はエンバルカシオンと呼ばれています。」

 アブラーンは黙って彼女の語りを聞いていた。

「貴方がモンタルボの撮影した映像からお知りになりたかったのは、空洞と町の土台の間を支えていた柱が残っていないかと言うことではないですか? 恐らく巨大な柱であった筈です。そんな建造物が海底にあるとなったら、世界中の考古学者の注目を集めてしまい、このセルバ共和国が騒がしくなります。それは、現在を生きている”ヴェルデ・シエロ”にとって非常に都合の悪いことです。もし柱の片鱗でも残っていたら、貴方はそれを何らかの方法で消し去らねばならない。そうお考えになったのでは?」

 アブラーンがまだ黙っているので、テオが言葉を添えた。

「水中でも爆裂波は使えるんですよね?」

 そう言ってしまってから、テオは相手を怒らせたかな、とちょっぴり不安になった。それで、現在彼自身の心に引っ掛かっている問題を出した。

「貴方はご存知でしょうが、モンタルボの映像を撮影したのは、アンビシャス・カンパニーと言うアメリカのP R動画製作会社です。実のところ、どんな素性の会社なのか、俺達は掴みかねています。発掘調査隊に船や発掘機材を提供する会社と提携して、発掘作業の映画を作成し、使われている道具の宣伝をすることで料金を取る企業だと言っています。まぁ、それは本当なのかも知れません。ところが、もう一人、アイヴァン・ロイドと言う男が現れました。この男もアメリカ人だと思われるのですが、モンタルボ教授やグラダ大学のンゲマ准教授に近づいて、カラコル遺跡周辺に宝が沈んでいないかとか、宝探しの様な演出で映像を撮りたいと何度も電話をかけてきたり、大学に押しかけて来たのです。しかもアンビシャス・カンパニーのアンダーソン社長とロイドは互いを知っているらしく、警戒し合っています。そうなると、アンダーソンの会社の本当の目的も、PR動画撮影以外のところにあるんじゃないか、と心配になってきました。そこへモンタルボ教授の襲撃事件が起きたので、俺は貴方もアンダーソンやロイドと同じ物を追いかけているのかと疑ってしまったのです。」

 アブラーンはテオと少佐を交互に見比べた。そして不意にフッと息を吐いた。

「エンバルカシオンに宝など沈んでいません。今流行りのレアアースもありません。あるのは藻が蔓延った石柱の欠片に珊瑚礁と泥に埋もれた壺くらいでしょう。勝手に潜らせておけば宜しい。あいつらがサメに食われても誰の責任ではありません。ただ、モンタルボは我が国の国民です。彼が引き連れる学生達もセルバ人だ。守護しなければなりませんぞ、少佐。」

 ケツァル少佐が立ち上がったので、テオも立ち上がった。少佐がアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに敬礼した。


第6部 七柱    11

  ロカ・エテルナ社本社屋はグラダ・シティのオフィス街にあった。白い大きな渦巻き型のビルを見た時、テオはイメージしていた建造物と大きくかけ離れていたので戸惑った。ムリリョ博士の息子の会社だから、もっと古い歴史あるコロニアル風のビルだと思っていたのだ。オルガ・グランデのアンゲルス鉱石本社もハイカラだったが、ここはさらに上を行っている。エントランスがガラス張りで、中に入ると緑の植え込みと噴水があった。それからガラスの自動ドアを通り、守衛と受付職員がいるロビーに入る。広くて天井が高い開放的空間だ。ロビーにはカフェまであった。まるでシティ・ホテルだ。壁には過去に手がけた建築物の画像をプロジェクターで映写しており、模型も展示されている。
 ケツァル少佐は真っ直ぐ受付に歩いて行き、緑の鳥の徽章とI Dカードを出した。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。」

 テオも急いで大学のI Dカードを出した。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学科准教授アルスト・ゴンザレスです。」

 受付の女性職員は手元のタブレットを軽くタッチした。そして顔を上げ、笑顔を見せた。

「社長から指示を得ております。ご案内しますので、暫くお待ち下さい。」

 少佐は頷き、テオを促して近くのソファへ行った。並んで座り、ロビー内を見回した。

「建設会社って、普段からこんなに客が多いのかな?」
「恐らく傘下の企業の営業マン達でしょう。下請け仕事を得る為に足繁く通っているのです。」

 確かに出入りしているのは、スーツ姿のビジネスマン・ビジネスウーマン達だ。建設に直接携わる職人は見当たらなかった。
 スーツ姿の先住民の女性が近づいて来た。

「ミゲール少佐、それに・・・ドクトル・ゴンザレス?」
「ドクトル・アルストで結構です。」

とテオは言った。社長の秘書かと思ったが、彼女は右手を左胸に当てて自己紹介した。

「カサンドラ・シメネスです。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妹で、副社長をしております。」

 それで少佐とテオも同じ作法で挨拶した。カサンドラはテオが以前大学病院の庭で出会ったコディア・シメネスの姉だ。妹より眼光が鋭く、ビジネスに生きる活力を見出している女性と思えた。
 少佐とテオはカサンドラ・シメネスに案内されてエレベーターに乗った。エレベーターは低速で、ガラス張りで上昇している間、社内の様子がよく見えた。渦巻きの中は各階が仕切りのない開放的なオフィスに見えた。もっともガラスの壁が中にあるのだろう、とテオは思った。ブラインドを閉めている箇所もあったので、そこは新規の設計などを行っている部署に違いない。
 社長のオフィスは最上階ではなかった。最上階は社員食堂なのだとカサンドラが説明した。予約すれば結婚式などで社員が貸切で使用することも出来るのだ、と彼女は自慢気に語った。
 社長や重役のオフィスは3階にあった。面白いことに、この階のオフィスは偏光ガラスを使われた壁に囲われており、通路から中が見えないようになっていた。カサンドラはドアをノックしたが、形式的な動作に思えた。多分、気を発して社長に客を連れて来たことを伝えただろう。彼女はドアを開き、客に中へどうぞと手を振った。少佐とテオが中に入ると、彼女は入らずにドアを閉じた。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは床から天井まで広がるガラス窓から街並みを眺めていたが、客が入室すると振り返った。少し頭髪に白いものが混ざっていたが、ムリリョ博士を20歳若くした様な頑固そうな顔付きの男性だった。
 再び伝統に従った挨拶が交わされ、少佐が面会要求に応じてもらえたことを感謝した。アブラーンが言った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントから報告を受けて、いつか貴女が来られるだろうと思っていました。」

 そしてテオを見た。何故白人を同伴しているのだ? と言う疑問をテオは微かながら感じ取った。しかし相手が触れないので、作法として黙っていた。
 ケツァル少佐もアブラーンがテオの存在に疑問を抱いたことを察したが、無視した。彼女は単刀直入に要件に入った。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボ教授から奪った海底の映像から何かわかりましたか?」

 アブラーンが言った。

「私はモンタルボから何も奪っていません。トレントが勝手にやったことです。」
「でもトレントは貴方に媒体を送ったでしょう?」

とテオはつい口出ししてしまった。少佐は彼を無視して、アブラーンも彼を無視した。少佐が質問を少し変えて繰り返した。

「貴方がカミロ・トレントに探れと指示して、トレントが探りきれずにモンタルボから強奪し貴方に送った、海底の映像から何かわかりましたか?」

 

2022/03/25

第6部 七柱    10

  ガルソン中尉から聞いた話をケツァル少佐に語って聞かせると、彼女は「面白い!」と言った。テオは久しぶりに彼女と2人きりでバルで飲んでいた。

「東海岸の伝説が、西のオエステ・ブーカ族に伝わっていたなんて、考古学の盲点でした。」

 彼女は苦笑した。考えてみれば、カラコルの町を建設したと言われているマスケゴ族もオルガ・グランデ近辺で前世紀末迄居住していたのだ。彼等を雇ってカラコルの仮館を築いたブーカ族の家系は、恐らく歴史のどこかで消滅したか、オエステ・ブーカの中に溶け込んでしまったのだろう。そして同じ言語を持つオエステ・ブーカがその伝承を受け継いだ。

「オエステ・ブーカ族も元は東海岸地方に住んでいたんだろ? カラコルを築いたブーカ族の移動とオエステ・ブーカ族の移動はどっちが先だったんだろう? オエステ・ブーカ族の方が後だったら、カラコルが沈んだことを施工主のブーカ族よりよく知っていたんじゃないのか?」
「知っていても、何故沈んだのか、仕組みは知らなかったでしょう。原因がマスケゴ族の細工だとわかっていただけだと思います。」

 少佐はクエバ・ネグラのバルでアンドレ・ギャラガがクラッカーで作って見せた模型を思い出した。

「アンドレの仮説では、町の地下に巨大な水槽があって、町は水槽の蓋の上に築かれていた、と言うものでした。」
「水槽?」
「カラコルが外国船に売っていたのは、森で採れる産物と真水だった、と地元の漁師が言っていました。それでアンドレは地下に貯水槽があったと考えたのです。クエバ・ネグラには大きな川がありません。船に売る程の湧水もなさそうです。」
「だが、セルバは地下に川が流れていることがよくある・・・」
「そうです。海の底に川が流れているなど聞いたことはありませんが、陸の地下川から水を引いて貯めることは出来たかも知れません。元からあった天然の地下洞窟を加工して貯水槽として利用したと考えることが出来ます。」
「施工主のブーカ族はその貯水槽を敵の来襲に備えて崩壊させる仕組みを造った? しかしそれを使うことなく彼等と職人集団のマスケゴ族は引っ越した。やがて”ティエラ”があの土地に住み着き、仮館を神殿か貿易の倉庫として使っていた。だが彼等が繁栄に奢って神聖なジャガーを外国に売り渡そうとしたので、ママコナの怒りを買い、セルバ中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受けることになった・・・」
「古代の仕組みがその呪いで役目を果たしたのか、それとも呪いが起こした地震で仕組みが相乗効果を生み出したのか、恐らくマスケゴ族に訊いても答えは出ないと思います。彼等もその場にいた訳でありませんから。」
「こんな時、タイムトラベルが出来ればと思う・・・」

 テオはふと気難しい同居人の顔を思い浮かべた。時間跳躍をするオクターリャ族の英雄だ。しかし彼が口を開こうとした瞬間にケツァル少佐が怖い顔で言った。

「駄目です。10世紀以上も昔の世界に跳ばせるなんて、危険極まりません。アスルを跳ばすことは許しませんよ。」
「想像しただけだ。」

 テオは憮然としたふりして言った。 時間跳躍そのものが確かに危険行為だ。過去に行くのは簡単らしいが、戻って来るのにエネルギーを大量に消費するのだと以前聞いたことがあった。1200年も跳んだら命に関わるだろう。

「冗談でも彼に跳んでくれなんて言わないさ。あいつ、時々ムキになるからな。」
「わかっているのでしたら宜しいです。」

 少佐は時計を見た。

「明日も大学でお仕事ですか?」
「試験本番迄学生と接触しない様にしている。だから明日は図書館に行こうと思っている。」
「一緒にロカ・エテルナ社へ行きませんか?」

 テオはドキドキした。

「ムリリョ博士の息子に面会するのか?」
「一応約束を取り付けてあります。」
「何時に何処へ?」
「930にカフェ・デ・オラスで落ち合いましょう。」


第6部 七柱    9

 「え?! どう言うことですか?」

 テオは座り直した。ガルソン中尉は寧ろ彼の驚きが意外だったようで、

「オエステ・ブーカには知られている伝説ですがね。」

と言った。 彼は整備士達がぼちぼちと仕事に取り掛かる準備を始めるのを眺めながら語った。

「古代のマスケゴ族は人口が多くて、北部一帯に広く住んでいたそうです。彼等は建設関係の仕事が得意で、今でもそうですが・・・」
「ロカ・エテルナ社とか・・・」
「スィ、メスティーソでもマスケゴ系の先祖を持つ会社が他にも多くあります。現在のクエバ・ネグラ辺りに住んでいたブーカ族の祖先の家系の一つが、岬に仮館を築きました。仮館と言うのは、海を渡って来た異邦人を迎える迎賓館みたいな物です。それを建築したのが、マスケゴの職人達でした。やがてそこに住んでいたブーカはその土地に価値を見出さなくなり、仮館を放棄して西へ移動しました。マスケゴの職人達も一緒について行きました。そのブーカの一族は現代のオエステ・ブーカとは直接繋がりはありませんが、我々の祖先とは接触があったので、彼等の海辺の故郷の話が伝わったのです。マスケゴはそのまま現代のオルガ・グランデ周辺に住み着きました。」
「海辺の土地を手放した理由はわかっていますか?」
「恐らくハリケーンや、地震による津波が多かったので、見切りをつけたのでしょう。”シエロ”がいなくなってから、”ティエラ”がやって来て、岬の仮館を利用して神殿や建物を増やしたのです。」

 そこでガルソン中尉はテオにグッと顔を近づけた。

「これは噂ですが、最初のブーカ達はマスケゴに侵略者が来た時に備えて仮館にある仕掛けを作らせたそうです。それが何かわかりませんが、岬が沈んだことと関係あるのだろうと、オエステ・ブーカに内緒話として伝わっています。これはマスケゴには聞かせられないのです。技術屋集団の秘密を我々が知っていると言うに等しいですからな。」
「しかし、仕組みそのものはわからないのでしょう。」
「当然です。」

 ガルソンが笑った。テオは初めてこの男が含むものを持たずに笑うのを見たような気がした。世間話でリラックスしているのだ。笑うと意外に可愛い顔だ、とも思ってしまった。10歳以上も年上なのだが、ガルソン中尉は相手との年齢差はあまり考えない人の様だ。ムリリョ博士や年寄りの先住民達のように、目上に対する礼儀がどうのとか、煩く言わない。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれたと聞いて、その仕組みがわかって、”ティエラ”に知られないように始末に行かれたのかと思いました。」

 ガルソン中尉は文化保護担当部の役割も承知していた。

「仕組みがわかれば、きっと事件は早く解決するでしょうが・・・」

 テオは肩をすくめた。

「考古学者だけでなく、得体の知れない外国人が海底遺跡に興味を抱いている様なんですが、何故だと思いますか? 連中は沈没船や宝物を探している様に言うのですが、俺は彼等が本当の目的を言っていないと思うのです。」
「恐らく、古代の建築の仕組みを解明しようとしているのでもないでしょうな。」

 ガルソン中尉は携帯電話を出して時刻を確認した。そしてボソッと言った。

「レアメタルでも探しているのかも知れません。」

 テオは地質学に詳しくなかった。だが、わかっていることはあった。

「レアメタルが埋蔵されているなら、それはセルバ共和国の財産で、外国人に権利はありません。」
「その通りです。」

 ガルソン中尉が立ち上がったので、テオも立ち上がった。中尉が言った。

「外国人達があまり騒ぐと”砂の民”が動き出します。とばっちりを受けないよう、用心なさい。」
「グラシャス、気をつけます。」


2022/03/24

第6部 七柱    8

  テオは午前の仕事を片付けると暇になった。試験期間が始まる迄出来るだけ学生と接触しない様に、大学から離れることにした。つまり、遊びに行くのだ。と言っても友人達は皆仕事をしている。シエスタの時間は相手にしてくれるだろうが、午後の仕事が始まれば一人になる。だから、彼は友人達を当てにせずに街中をぶらぶらと歩いて行った。あまり遠くへ行くと大学の駐車場に停めてある車に戻るのに長い距離を歩かなければならなくなるので、半時間以内で歩いて行ける距離と自分で決めた。人通りの少ない路地は避けた。昼間でも防犯対策は取るに越したことはない。ビルとビルの隙間で、車が両方向から行き違えられる幅の横道を見つけた。緩やかにカーブしており、その先の空間に見覚えがあった。軍用車両を専門に扱っている自動車整備工の作業所だ。民間人が一人で入っても大丈夫だろうか、と思いつつ、そちらへ歩いて行った。
 作業所はシエスタの最中だった。整備工達は屋根の下で弁当を食べたり、昼寝をしていた。彼等はテオを見ても特に反応しなかった。もしかすると、以前ケツァル少佐に連れられて来た彼を覚えているのかも知れない。
 ボディの横に緑色の鳥の絵が描かれたトラックが1台ピットに入っていた。滅多に見ないが、あのトラックは荷台に兵士を乗せて走るものだ。つまり、どこかで戦闘が発生した時に大統領警護隊を集団で輸送するための車両だった。普段使わないと故障してもわからない。恐らく定期点検をしているのだ。
 テオはそのトラックの前を通り過ぎようとして、日陰で折り畳み椅子に座って新聞を読んでいる兵士に気がついた。

「オーラ、ガルソン中尉!」

 声をかけると、相手は顔を上げた。そして微笑みで挨拶を返した。

「オーラ。ドクトル・アルスト。今日も少佐のお供ですか?」

 テオは苦笑した。

「俺がいつもケツァル少佐の後ろをくっついて回っていると思うのは、間違いですよ。ただ散歩して通りがかっただけです。」
「それは失礼。」

 ガルソン中尉の顔は以前会った時よりも明るくなっていた。転属したばかりの頃の緊張が解け、新しい仕事にも慣れたのだ。同じ部署の同僚とも上手く付き合えているに違いない。だから、テオは尋ねた。

「ご家族はお元気ですか?」
「グラシャス、皆元気です。子供達は新しい学校に慣れました。妻も家の近くで仕事を見つけて、頑張っています。都会の生活が面白いらしく、私が休みの日に戻ると、母子揃って私の留守中の話をしたがるので、ちょっと煩い程です。」

と言いつつも、幸せな家庭の親父感を漂わせるので、テオは笑った。そしてパエス少尉とは対照的だ、と思った。するとガルソン中尉が思いがけないことを言った。

「実はキロス中佐ともお会いしているのです。子供が中佐の体操教室に通い始めたのです。月謝を払う余裕がないと申し上げたら、彼女を庇ったせいで私が転属になってしまったのだからと、中佐が月謝を無料にして下さいました。」
「俺は一回きりしか彼女に会っていないが、良い人ですね。」
「スィ、私には今でも彼女は上官です。今の上官が私が彼女と会うことを快く思わないかも知れないと思い、最初に報告したら、許可してくれました。寧ろ、私の子供達が”ティエラ”の母親を持つので”シエロ”の教育を中佐にして頂くよう頼んでくれました。」
「それは素晴らしい!」

  ガルソン中尉は己の隣の椅子から車の部品を近くの棚に移して、テオに座れと言ってくれた。テオは素直に腰を下ろした。

「最近、北部国境のクエバ・ネグラと言う町に行って来ました。仕事でトカゲを捕まえに行ったんです。」

 ガルソン中尉が怪訝な表情になったので、彼は説明した。

「俺は遺伝子学者ですが、生物学部の職員ですから、他の教授の仕事の手伝いもするんです。トカゲは同僚の依頼で、俺の専門ではありません。頼まれて捕まえに行ったんですよ。」
「はぁ・・・?」
「そこで、パエス少尉と出会いました。」

 ほうっと言う顔をガルソン中尉が見せた。以前の部下がどこで勤務しているのか知らなかったのだ。

「国境警備隊に転属させられたと聞いていましたが、クエバ・ネグラの検問所にいるのですか。」
「スィ。今度の上官も女性だそうです。俺はその上官に会っていませんが、ケツァル少佐が考古学関連の仕事で出張して、パエス中尉にも女性指揮官にも会ったそうです。」
「パエスは少し偏屈なところがある男です。上手く同僚とやって行けているかどうか・・・」

 ガルソン中尉は長年一緒に勤務した元部下の性格を知り尽くしていた。ちょっぴり心配そうだ。

「俺が見た限りでは同僚と一緒に普通に働いていました。しかしケツァル少佐が彼に会った時に、彼に一つ問題点を見つけたそうです。」
「問題点?」
「彼はハラールを受けていない食べ物を口にすることが出来ないと言って、宿舎の食堂の食事を拒否して、毎日奥さんのところへ帰って食べるそうです。」

 ガルソン中尉が顔を曇らせた。

「それはいけませんな。」

 彼は元部下の将来を心配した。

「その行為は私的なもので、身勝手と受け取られてしまいます。軍人が取るべき行動ではない。」
「ケツァル少佐も彼に意見したそうです。今後のことは、彼自身で打開しなければ埒が明かないでしょう。」

 ガルソン中尉が首を振った。

「仰る通りです。私に彼に意見する権限はないし、彼の為にしてやれることもありません。仮に私が何かしても、彼のプライドが許さないでしょう。国境警備隊では誰もがハラールの問題を克服して勤務しているのだと言う単純な事実を、彼が早く気づいて受け容れるべきです。」

 年長のパエスを飛び越えて先に大尉に昇級しただけのことはあって、ガルソンは自分達が生きている世界をよく理解していた。
 整備工達が動き出したので、テオは退散することにした。彼が椅子から立ち上がると、ガルソン中尉が思い出した様に尋ねた。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれた考古学の仕事とは、カラコルの件ですか?」

 テオはびっくりした。カラコル遺跡の話もモンタルボ教授が襲われた話も、グラダ・シティでは全く話題に上っていなかったからだ。

「何故カラコルの件だと思われるのです?」

 テオの問いに、ガルソン中尉が答えた。

「何故って、あそこにはカラコルしか遺跡がないでしょう。」
「そうですが、”ティエラ”が造った町が海の底に沈んでいるので、今迄誰も調査しなかったんですよ。」

 ところが、ガルソン中尉はこう言った。

「カラコルは、”シエロ”が造った町ですよ、ドクトル。」




第6部 七柱    7

  試験問題の手直しとは、文章の修正だった。解答が2つあるかの様な問題文になっていると言われ、その場で主任教授のパソコンを借りて修正して、一件落着した。スニガ准教授は試験問題を作る当番でなかったので、彼は洞窟探査に係る費用の相談を主任教授に持ちかけていた。テオはバイト料さえもらえれば良いので、主任教授の部屋を出た。
 自分の研究室に入った途端に机の内線電話が鳴った。出るとンゲマ准教授だった。手が空いていたら、すぐ来てくれと言う。丁寧な言葉遣いだったが、声は不機嫌な響きを含んでいた。テオに腹を立てているのではなく、部屋の中の人物に怒っている様だった。テオは先刻の来客を思い出し、すぐ行くと答えた。
 助手に試験が終わる迄は彼等自身の勉強に励む様にと部屋から出し、それから人文学舎へ急いだ。
 ンゲマ准教授の研究室はドアが開放されたままで、学生が10人ばかり部屋の前に集まっていた。テオが彼等をかき分ける様にして進むと、ンゲマ准教授と先刻の客が話をしていた。客は出来るだけ穏やかに話そうと努力しているかに見えたが、ンゲマ准教授は怒っていた。

「どうかしましたか?」

とテオが尋ねると、そばにいた学生の一人が答えた。

「あの人が、僕等の発掘調査を撮影したいと申し出て来たらしいんです。」
「いけないのかい?」
「宝探しの様な演出をしたいって・・・」
「はぁ?」

 客は撮影の協力に対する金額を提示しているのだが、ンゲマ准教授は研究調査とお遊びの映画撮影を一緒にするなと怒っているのだ。しかし客もなかなか引き退らない。ジャングルの奥深くに眠る未知の古代遺跡を世界中の人が見て、どれだけ感動するかと語っている。インディ・ジョーンズの世界を想像させるのだと言う。そんな映像を配信して儲かるのだろうか。
 テオはなんとなく相手の正体がわかった気がして、試しに名前を呼んでみた。

「アイヴァン・ロイドさん?」

 客が振り返った。おや? と言う顔をした。ンゲマ准教授が不機嫌な顔でテオを見た。

「お知り合いですか、ドクトル・アルスト?」
「ノ。さっき駐車場で初めて出会っただけです。でも名前は聞いたことがあります。アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏から・・・」

 すると、ロイドの顔が険しくなった。

「アンダーソンがこちらに来たのですか?」
「一度だけ。俺に大統領警護隊文化保護担当部と顔つなぎして欲しいと言って来ました。」

 ロイドがンゲマ准教授から離れ、テオの前に来た。

「大統領警護隊文化保護担当部の人とお知り合いなんですね?」

 ンゲマ准教授がテオに硬い声音で言った。

「繋がなくて良いですよ、ドクトル。私は例え少佐が許可を出しても、この男を発掘現場に立ち入らせません。」
「撮影出来るのは土ばっかりですよ。」

と学生の中から声が上がり、その場の人々が失笑した。

「これから何年係るかわからない発掘に、泥だらけの作業を喜んで見る人がどこにいるんです? 帰って下さい。」

 ンゲマ准教授はテオに言った。

「貴方からも、この人を説得して下さい。大統領警護隊は絶対にこの人には会わないって。」

 テオはアイヴァン・ロイドをジロリと眺めた。アメリカ人だ、と思った。ヨーロッパ系セルバ人ではない。

「大統領警護隊は外国人と直接接触することは滅多にありません。」

と彼は言った。

「ンゲマ准教授が先に説明されたと思いますが、最初に文化・教育省に取材許可申請をして下さい。それがこの国のルールです。そこから先の手順は役所が教えてくれます。」

 また学生の中から声が上がった。

「要求が通るのに1年を見込んで置いた方が良いです。」

 爆笑が起きた。ロイドは真っ赤になり、そしてンゲマ准教授の部屋から出ると、学生の人垣を掻き分け足早に去って行った。
 ンゲマ准教授が額の汗を拭った。

「グラシャス、ドクトル・アルスト。最近、考古学関係で奇妙な人間がやって来る。誰もまだ手をつけていないジャングルの奥の遺跡に、宝が隠されているなんて、どこからそんな発想が出て来るのやら・・・」

 彼は学生達に気がつき、行け、と手を振った。学生達が散って行った。

「あの人は、モンタルボ教授の海底遺跡を取材しようとして断られたんです。それで今度は貴方をターゲットにしたのでしょう。」
「モンタルボにしても私にしても、まだ何も始めていないんです。訳がわからない。」

 そうだ、訳がわからない。テオはロイドとアンダーソンの目的は何なんだろうと疑問に思った。 

第6部 七柱    6

  翌朝、朝食の後アスルが先に出勤し、テオは少し遅く家を出た。主任教授から試験問題で1箇所だけ手直しが必要だと言う内容のメールが来ていた。それが単語のスペルの誤りなのか、それとも問題そのものが不適切なのか、メールではわからなかったので、ちょっと気が重かった。
 大学の駐車場で車から降りた時、スニガ准教授と出会った。

「雨季休暇で何か予定があるかい?」

と訊かれたので、特にないと答えた。

「休暇は、いつもエル・ティティに帰っている。向こうの方が湿気が少ないから過ごし易いんだ。」

 するとスニガが期待を込めた目で見た。

「湿気が多くてすまないが、またクエバ・ネグラの洞窟に入ってもらえないかな? 洞窟内の撮影をして欲しいんだ。トカゲの棲息環境を比較したくてね。」
「構わないが、無料ではないぜ。トカゲの生態は専門外だし、トカゲの遺伝子も興味がないから。」
 
 その時、近くに来て停まった車から一人の男が出てきた。アングロサクソン系の男性だ。薄いベージュの襟付きシャツにデニムのボトム、スニーカーのラフな格好をしていた。彼はサングラスを外し、テオとスニガの方へやって来た。

「こちらの大学の方ですか?」

と綺麗なスペイン語で話しかけて来た。テオとスニガが同時に「スィ」と答えた。すると男性がさらに尋ねた。

「考古学部はどちらへ行けば良いですか?」

 スニガ准教授が事務局の方を指した。

「まず、あちらの事務局で受付してもらって、それから訪問される相手の名前を告げて下さい。そうすれば、案内してもらえます。」

 男性は「グラシャス」と言って、歩き出した。彼が十分遠ざかるのを待ってから、スニガが呟いた。

「考古学者に見えないな。」
「そうかい?」
「だがよく日に焼けている。野外で活動している人間だ。」

 彼はテオに向き直った。

「バイト料は払う。撮影する時間で時給と言うのはどうだい?」
「交通費と宿泊費も欲しいな。」

 しみったれで名を馳せるスニガ准教授が顔を顰めたので、テオは笑った。

「わかった、わかった、交通費で手を打つ。撮影時間の時給と交通費だ。で、どの程度の映像が必要なんだ?」

 詳細は後ほどメールで、と言うことで話がまとまり、2人は生物学部へ向かった。



2022/03/23

第6部 七柱    5

  食事会は静かに終了した。家政婦のカーラは後片付けをして、彼女を手伝ったアスルは彼女からそっと先刻の話し合いの記憶を抜いた。そして彼女に夕食の食材の余りを持たせてタクシーに乗せてやった。
 ロホがデネロス少尉とギャラガ少尉を自分のビートルに乗せて官舎へ送って行った。テオはケツァル少佐とリビングで2人になった。

「パエス少尉と出会ったかい?」
「スィ。」
「俺と出会った時、彼は余り幸せそうに見えなかった。」
「生活習慣の違いが原因で、同僚と馴染めないでいるのです。」

 少佐がソファにもたれかかった。テオは少し離れて彼女の隣に座った。

「彼はオエステ・ブーカ族で、伝統を重んじます。奥さんもアカチャ族で伝統を重んじます。でも国境警備隊は全国から集まって来た兵士の集団です。大統領警護隊も陸軍国境警備班も同じです。狭い地域の伝統を守っていたら、統制を取るのが困難になります。パエスが指揮官とどれだけ話し合えるか、それが彼の将来への課題です。」

 恐らくテオや少佐が口出しすることでないのだろう。
 アスルがリビングに戻って来たので、テオはそろそろ帰宅しようと思った。少佐も疲れている。早く休ませてやろう。しかし、腰を浮かしかけて、また彼は別のことを思い出した。

「今日、ンゲマ准教授の学生が喧嘩した話を聞いたんだが・・・」

 アスルが向かいのソファに座った。テオは学生が真の名前を呼ばれて憤慨した話を語った。アスルが失笑した。

「奇妙だな。真の名を呼ばれて、腹を立てるとは。周囲に己の真の名を言いふらしているのと同じじゃないか。」

 そう言われればそうだ。すると少佐が、多分、と言った。

「その学生の真の名はかなり古い言葉を語源にしていて、現代は意味が変化している単語なのではありませんか? 相手の学生の部族ではその単語が侮辱の意味を持つ別の言語体系を持っていて、本当に侮辱の意味で叫んだので、1人目の学生は動揺してしまったのでしょう。」
「別の言語体系?」
「部族によっては全く通じない言語があるからな。」

とアスルが眠たそうな顔で言った。この男は満腹になるとすぐ眠くなる。

「古代のブーカ語と現代のブーカ語はかなり文法が違うそうだ。現代の俺達がブーカの呪術師の祈祷を聞いても、さっぱり意味がわからん。古代語で行うからさ。現代ブーカ語に翻訳してもらえれば、オクターリャ語に似ているから俺も理解出来る。オクターリャ語は古代から殆ど変化していない言語だと言われている。だから、古代社会では、ブーカ族とオクターリャ族は互いに言葉が通じなかった筈だ。」

 彼は小さく欠伸をした。

「恐らく、真の名を呼ばれたと怒った学生は、現代の侮辱の意味で使われている、己の真の名と同じ発音の言葉を知っているんだ。だから、相手がそいつの真の名を知らずに単純に侮辱のつもりで使ったのを聞いて、怒りが爆発したんだろう。己の真の名に誇りを持っていないのさ。」

 彼の瞼が半分落ちかけているのを見て、少佐がテオに囁いた。

「早くアスルを連れて帰りなさい。駐車場まで彼を抱っこして運びたいですか?」
「わかった、妙な脅迫をするなよ。」

 テオは苦笑して立ち上がった。

「少佐、君も真の名を持っているんだろうな? 教えてくれとは言わないが。」

 すると彼女は言った。

「純血種は全員ママコナから真の名をもらいます。ですから、親も知りません。異人種の血が入るとママコナの声を聞けても意味を理解出来ません。でもママコナは彼等にも与えているのです。カルロが蜂の羽音の様な声だと言っていますが、呼びかける最初の音は彼の真の名の筈です。だから、アメリカで捕まった彼が麻酔で眠らされていたにも関わらず目覚めたのは、ママコナに真の名を呼ばれたからです。当人は全然気がついていませんけれど。」
「彼のお祖父さんや父親のシュカワラスキ・マナは彼に名前を与えなかったのか?」
「与えたかも知れません。でも、カルロは決して私にさえ言いませんよ。真の名の掟ですからね。」
「それじゃ、カルロは真の名を2つ持っている?」
「エウリオ・メナクとシュカワラスキ・マナは純血の”ヴェルデ・シエロ”です。きっとママコナからカルロに真の名を与えたことを知らされた筈です。だから、カルロがお祖父様から、或いは父からもらった真の名は、ママコナから頂いた名前なのだと私は思います。恐らく、グラシエラもカタリナもママコナから名前を頂いています。」

第6部 七柱    4

 「ロカ・エテルナ社の現社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョはムリリョ博士の長男です。」

とロホがテオに説明した。

「アブラーンが経営の実権を握り、次男は建築デザイナーです。あのグラダ・シティ・ホールを設計したのは次男のエフラインです。しかし、彼等が海底の遺跡の写真を力付くで奪ってでも手に入れようとした理由がわかりませんね。」

 するとギャラガが言った。

「会社が奪おうとしたのではなく、アブラーン個人、もしくはムリリョ家単独の考えで行ったのではありませんか?」

 アスルがジロリと後輩を見た。

「何故そう思う?」

 ギャラガは一瞬躊躇った。一番格下の己が意見を言って良いのかと不安を感じた。しかし先輩達は黙って彼が口を開くのを待っていた。それで彼は言った。

「狙われたのが8世紀の町の遺跡を撮影したものだからです。現代の建設会社には用がない物でしょう? しかし”ティエラ”の町と認識されている場所に、何か”シエロ”の秘密が隠されていて、それを知っているのがムリリョ家だけだとしたら、世間に明るみになる前に秘密を消してしまいたいのではありませんか?」

 テオは”ヴェルデ・シエロ”の友人達が互いの目を見合い、別の人の目を見て、と”心話”で話し合うのを目撃した。こんな場合、彼に知られたくない情報を交わしているか、あるいは、口から出る言葉を考えるのが面倒臭くて一瞬で思考が伝わる”心話”を使っている物臭行為のどちらかだ。どちらにしても”心話”を使えないテオは疎外感が拭えない。だから彼は強引に割り込んだ。

「今日、ここへ来る前に大学のカフェでケサダ教授や数人の教授達と喋ったんだ。」

 友人達が”心話”を止めて彼を見た。テオは続けた。

「最後にケサダ教授と2人きりになった時に、モンタルボ教授が襲撃された事件を知っているかと訊いたら、彼は知らなかった。少なくとも俺には、彼が事件を全く知らなかった様に見えた。演技には見えなかったな。」

 ケツァル少佐が食事の手を止めた。

「フィデルが事件のことを知らなかったとしても不思議ではありません。」

と彼女が言い、部下達が彼女を見た。彼女は水を一口飲んでから言った。

「彼は建設会社の経営には全く関与していません。そしてムリリョ博士も同じく会社とは無関係です。彼等とアブラーンは家族ですが、仕事に関して言えば完全に独立し合っています。博士と教授が大学での考古学部の経営で話し合うことはあっても、学生の教育や研究では互いに無関心で干渉し合わないのと同様に、彼等考古学者と建設会社のアブラーンは、家族の平和の維持に関して一丸となりますが、互いの仕事に関しては全く無知です。但し・・・」

 ケツァル少佐は皿の底から沈んでいたマカロニを掬い上げた。

「カラコルの町がどの様に海底に沈んだのか、その仕組みを考古学者と建設会社の経営者が秘密を共有している可能性はあります。」
「ケサダ教授はその秘密を知らないと思うな。」

とテオは呟き、また友人達の注目を集めた。少佐の視線を感じながら、彼は部下達に言った。

「フィデル・ケサダはムリリョ家の血筋じゃないだろ? 彼は子供の時に親が知り合いだった博士に預けて、そのまま博士の家で育てられた人だ。一応ムリリョ家の子供の一人として扱われていると思うが、血族じゃない。だから先祖代々マスケゴ族の家系に伝わって来た秘密を知る立場ではないと思うんだ。」

 ロホが同意した。

「血族の秘密は家長が後継者のみに伝える物です。私の実家では祖父から父へ伝えられ、叔父達は知らないことが沢山あります。同様に父から長兄へ伝えられ、私を含めた5人の兄弟に教えられていないことが沢山あります。」
「では、ムリリョ博士とアブラーンが知っていて、エフライン、フィデル、それに女性の子供達は知らない秘密があるのですね?」

 デネロスの言葉に、少佐が首を傾げた。

「博士はこの件に関わっていない様な気がするのです。私の記憶が正しければ、私が大統領警護隊に入った頃に、ムリリョ家の先代ロカが没しました。ロカ・エテルナ社はロカ・ムリリョがスペイン人の創業者一族から経営権を譲られて、今の大企業に押し上げた会社です。彼の唯一人の親族で甥のファルゴ・デ・ムリリョは会社の経営に全く興味がなく、考古学にのめり込んでいましたから、ロカは後継者に甥の息子アブラーンを指名しました。大企業のトップの交代ですから、当時の経済ニュースに大きく取り上げられていました。あなた達はまだ幼かったから、知らないでしょう。」

 年齢差と言うより、ケツァル少佐の養父母が実業家なので、少佐も幼い頃から経済ニュースを知ることが出来たのだろう、とテオは思った。

「それじゃ、アブラーンがロカ爺さんから血族の秘密を伝授され、それを守ろうと今回の襲撃事件を起こしたってことですか?」

とギャラガ。多分、と少佐が答えた。

「それが何なのか、モンタルボとアンビシャス・カンパニーによって撮影された画像を見なければわかりません。」

 その時、アスルが極めてセルバ的な意見を言った。

「アブラーンが血族の秘密を守るのであれば、我々が出る幕ではありません。モンタルボは生きているし、アメリカ人の撮影会社も機材を盗まれただけです。放置しても良いのではないですか。」

 それに対して、テオは反発を覚えた。だから、彼はアスルに意見した。

「モンタルボはまた調査をやり直すかも知れない。またアブラーンが妨害したら、次は死人が出る可能性もあるだろう? アブラーンに何が問題なのか訊いてみても良いんじゃないか? 少なくとも、モンタルボに触って欲しくない箇所がどこなのか、ヒントをもらえないのかな?」


2022/03/22

第6部 七柱    3

  アンドレ・ギャラガが日焼けして赤くなった顔をさらに赤くして、申請書の山に目を通していた。受付仕事は先輩のアスルがしてくれたのだが、どんな申請が来ているか知っておけ、とアスルが彼に命じたのだ。審査はしなくて良いが、内容を読まなければならない。アスルの審査は厳しいので、朱筆が入っている申請書が多かった。これらは隣の文化財・遺跡担当課に差し戻して申請者に返却させるか、文化保護担当部に申請者を呼び出して書き直しさせるか、判別しなければならない。ギャラガが溜め息をつくと、近郊遺跡の監視から戻って来たデネロスが、「明日雨が降ったら手伝ってあげる」と言ってくれた。かなり当てにならない援護だ。
 ケツァル少佐は最終段階の書類を眺め、それを手に取ると、パラパラと流し読みした。そして、机に戻し、ペンを手に取ると猛然と署名を始めた。ロホがホッと息を吐いた。来季の発掘申請者はアメリカの大学とフランスの大学がメインで、多額の協力金が見込める。スポンサーも有名企業ばかりだ。ただ、あまり外国に手柄を立てさせると、国内の考古学者達から不満が出る。だからロホは遺跡の位置や発掘調査の目的を十分考察して、グラダ大学やセルバ国立民族博物館との合同調査が出来る形に持って行ったのだ。グラダ大学考古学部の主任教授で博物館の館長であるムリリョ博士を説得するのは至難の業だったが、なんとかやり遂げた。
 夕方6時になると、文化・教育省の職員達は一斉に帰り支度をして、省庁が入っている雑居ビルから退出した。出口でテオドール・アルストが待っていた。彼はアンドレ・ギャラガを捕まえた。

「官舎に帰るなよ。出張の話を聞かせてくれ。」
「少佐が許可して下さるなら・・・」

 ギャラガもまだ出張の余韻を消したくないのだ。2人で待っていると、数分後にケツァル少佐とロホが前後して出てきた。後ろにはデネロス少尉とアスルもいた。久しぶりに全員揃って食事だ、とテオは喜んだ。すると少佐が言った。

「出張帰りで疲れているので、私のアパートで食べましょう。カーラに既に用意してもらっているので、このまま直行です。」
「酒は?」
「不要。」

 それで宴会ではないと判明した。ケツァル少佐は何か宿題を持って帰って来たのだ。3台の車に分乗して大統領警護隊文化保護担当部とテオは少佐のアパートに向かった。高級コンドミニアムには来客用駐車スペースが10台分もあり、テオとロホはそこに自分達の車を駐めた。
 7階の少佐の部屋に上がると、既にトマト風味の煮込み料理の良い香りが室内に満ちていた。少佐の出張がいつまでかわからなかったので、家政婦のカーラは休みをもらった筈だったが、少佐が帰って来たので、休みは1日だけだった。そしてこの日は急な来客だ。恐らくカーラにとっては珍しくないことなのだろう。もしこれが他の人なら仕事に来ないかも知れない、とテオは内心思った。日給で働いているカーラは、定休日を必ず守ってくれる主人が平日休みをくれても、急な呼び出しがある可能性を考えて自宅待機しているのだ。もしかすると、オンコール手当てをもらっているのかも知れない、とテオは想像した。
 アスルが早速厨房に入って家政婦の手伝いを始めた。既に料理は出来ていたので、盛り付けの手伝いだ。普段台所仕事をしないデネロス少尉が珍しく盛り付けが終わった皿から順にテーブルに運んで手伝った。恋でもしたのかとテオは揶揄おうとしたが、他の人達が無視しているので止めた。
 急拵えの料理だったので、シンプルに鶏肉のトマトソース煮込みと蒸した野菜のサラダだけだった。アスルが席に着くと、少佐が直ぐに食事開始の合図をした。

「食べながらで良いので、聞いて下さい。」

 猫舌の少佐は湯気が立っている皿を目の前にしたまま、語り始めた。テオはパンが欲しいなと思ったが、スプーンで煮込み料理を掻き回してみると底にマカロニがたくさんあったので、それで良しとした。少佐が話を始めた。

「サン・レオカディオ大学考古学部の水中調査隊を襲って撮影機材を強奪したのは、地元の建設業者クエバ・ネグラ・エテルナ社の社長カミロ・トレントでした。実行犯は彼の”操心”で動いた地元の漁師や労働者達です。」

 テオは質問したいことがあったが、少佐は口を挟まれるのを嫌がるので、我慢して黙っていた。

「トレントはグラダ・シティの本社ロカ・エテルナ社からの指示で動きました。ロカ・エテルナ社は彼にサン・レオカディオ大学の人達が海底で何を撮影したか探れと指示したそうです。」

 テオはロカ・エテルナ社を知っていた。セルバ共和国で1、2位を争う大手建設会社だ。グラダ・シティのオフィスビルの多くを手掛け、公共施設も造っている。一般の住宅ではなく、大規模建設を担う会社だった。

「トレントは”操心”をかけた”ティエラ”を使ってモンタルボ教授から撮影機材とデータ記録媒体のU S Bを奪いました。ただ、彼は本社が何を知りたがっているのかわからなかったので、自分で画像を分析せずにU S Bを送りました。郵送ではなく、社員を遣いに出したのです。」

 そこで少佐は話を終えた。彼女はスプーンを手にして、食事を始めた。
 テオが質問した。

「ロカ・エテルナ社って言うのは、”シエロ”の会社なのか?」

 驚いたことに、大統領警護隊の友人全員が頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の社会では常識なのだろう。ロホが説明した。

「経営者も重役達もマスケゴ族です。経営者以外は部族ミックスですが、マスケゴ族であると言う誇りはかなりのものです。ブーカの血が濃くても、彼等はマスケゴを名乗ります。」

 デネロス少尉が素早く付け足した。

「経営者はムリリョ家とシメネス家です。この2つの家系は交互に婿の遣り取りをしてマスケゴの血統を維持しています。」

 テオはびっくりした。ムリリョ家とシメネス家だって? 

「まさか、ムリリョ博士の親戚じゃないだろうな?」
「親戚どころか、あの博士の家族です。」

 ロホがちょっと不安気に少佐を見た。しかし少佐は食事に専念していた。


第6部 七柱    2

  真の名はテオドール。 ただそれだけのフレーズなのに、テオの心にしっかりと刻み込まれた。ジーンときた。感激してしまった。だから、教授達がそれぞれ休憩を終えて、一人ずつ挨拶して席を立っても生返事で送ってしまった。
 気がつくと、フィデル・ケサダ教授だけが残って、まだコーヒーカップを片手に新聞を読んでいた。彼はテオの微かな戸惑いを察して、視線を向けてきた。

「随分ぼんやりしておいででしたね。」

 ウリベ教授の言葉に感激するあまり茫然自失になっていたことを、教授はお見通しだった。テオは極まり悪くて、苦笑するだけだった。

「テオドール・アルストが真の名前だと言われて、ちょっと訳なく感激してしまったんです。尤も大勢に知られているから、真の名の縛りはないですけどね。」

 ケサダ教授は微笑んだだけだった。テオは挨拶して研究室に戻ろうとした。すると携帯電話に着信があった。ポケットから出して画面を見ると、ケツァル少佐からメッセージが届いていた。夕食のお誘いだ。思わず彼は呟いた。

「帰って来たのか。」

 早速誘いに応じる返信を送った。時間と場所はいつも同じだから、わざわざ書いたりしない。ケサダ教授は知らん顔をして新聞を読んでいた。テオはふと思った。彼はモンタルボ教授が襲撃されたことを知っているだろうか。グラダ・シティでは北部国境の町で起きた強奪事件は報じられなかった。地方で起きた強盗事件を首都の住民は気にしないのだ。だが、考古学界ではどうだろう。テオはケサダ教授に声をかけてみた。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボ教授が事前調査の撮影機材や記録映像を強奪されたことはご存知ですか?」

 ケサダ教授が新聞から顔を上げて彼を見た。

「モンタルボが襲われたと仰いましたか?」

 すっとぼけているのか、本当に知らないのか、テオは判断がつかなかった。仕方なく、己が知っていることだけ伝えた。

「一昨日、彼等は本格的に潜って調べる前段階の調査で、船の上から海底を撮影したそうです。ところが港に戻ると、いきなり目出し帽を被った男達に襲われて、撮影機材や映像を記録した媒体を奪われたとか・・・」
「モンタルボやスタッフに怪我は?」
「軽傷だと聞いています。俺が知っているのは、それだけです。」

 ケサダ教授が新聞を畳んだ。

「お話だけ聞くとただの強盗事件の様に聞こえますが、大統領警護隊文化保護担当部が出動したのですか?」
「スィ。事件があった夜に、本部から少佐に電話がかかって来て、調査の為に少佐とアンドレ・ギャラガがクエバ・ネグラに向かいました。」

 ケサダ教授が怪訝な表情になった。

「大統領警護隊本部がどう言った理由で、考古学者襲撃事件の調査をケツァルに命じたのですか?」
「そこのところは俺もよく理解出来ないのですが・・・」

 テオは一昨夜のバルの前でケツァル少佐が語った命令の内容を思い出そうと努めた。

「襲われたモンタルボが、文化保護担当部に連絡しようとして、間違えて国境警備隊に電話をしたらしいのです。国境警備隊は強盗事件の捜査なんてしませんから、きっとそう言うことなのだろうと、ロホが言ってました。国境警備隊が考古学者の事件なので、文化保護担当部に連絡してくれと本部の司令部に連絡したので、ケツァル少佐が司令部の命令を受けた形で出動したのです。」

 ケサダ教授はニコリともせずに感想を述べた。

「つまり、責任のたらい回しですね。」
「でも、発掘が実際に始まった訳ではないので、文化保護担当部の警護責任はまだ発生していないでしょう?」

 テオが抗議に似た口調で言ったので、教授は初めて苦笑した。

「確かに、その通りです。強盗事件は憲兵隊に任せておけば良いのです。文化保護担当部はとばっちりを受けたのです。」
「きっとただの強盗事件だったんですよ。だから少佐とアンドレは今日帰って来た。」

 ケサダ教授もあっさりと彼に同意を示した。元からカラコルの海底遺跡に興味がない人だ。モンタルボは私立大学の教授で彼の同僚ではない。友人でもなさそうだ。モンタルボに付いたスポンサーも撮影協力者の動画サイト制作会社も、奇妙な問い合わせ電話をかけて来た男も、ケサダ教授とンゲマ准教授は全く気にしていない。恐らくムリリョ博士は歯牙にもかけないだろう。

「もし、発掘調査が上手く進んで、カラコル遺跡の全容が明らかになったら、その時は貴方も多少興味を持たれますか?」

 テオが質問すると、教授は微笑して頷いた。

「我が国の遺跡ですから、調査結果には大いに興味があります。だが、私は水に潜って調べたくない、それだけです。」


第6部 七柱    1

  テオドール・アルストは期末試験の問題を作り終えて主任教授に提出した。ひどく肩が凝った。早く終わらせようとパソコンの画面に集中し過ぎたせいだ。カフェでコーヒーでも飲んで、後は何もせずに夕方迄過ごそうと思いつつ、キャンパス内のカフェに行くと、考古学部のケサダ教授とンゲマ准教授、宗教学部のウリベ教授、それに文学部先住民言語学のオルベラ教授が、それぞれ別のテーブルなのに席だけは固まって座っているのが目に入った。一つのテーブルに1人ずつだ。
 こんな場合、俺は何処に座れば良いんだ?
 テオは戸惑いつつ、彼等に近づいた。「オーラ!」と声をかけると、多少の時間差はあったが全員が彼を見た。口々に「オーラ!」と返事が戻ってきた。唯一人の女性であるウリベ教授が彼女のテーブルを指した。

「どうぞ、お掛けになって。」

 椅子が3脚空いていたので、テオは取り敢えず彼女に近い椅子に座った。向かいに座るべきかと思ったが、それでは男性教授達と遠くなってしまう。オルベラ教授はあまり出会うことがない人だったが、テオの顔を見て笑いかけてきた。

「お疲れの様ですね。試験問題は完成しましたか?」
「スィ。なんとか作りました。主任教授から合格だと連絡が来れば、安心して眠れます。」

 試験はレポート重視の考古学部の教授達は優しく微笑んだだけだった。ウリベ教授は論文形式の試験問題を出すことで有名で、それがかなりの難関だと評判だ。普段の和やかな講義風景とは全く異なる地獄の試験だと学生の間で噂されていた。
 今期の学生達は勉学に真面目に取り組む者が多かったと、教授達は教え子達の評価を交わし合った。テオ以外は人文学系なので、テオが知っている学生の名前は出てこなかった。そのうちに、ンゲマ准教授がテオの興味を引く話を始めた。

「私の研究室の学生が2名、先週喧嘩をしましてね・・・」

 男子学生が恋愛問題で口論になったのだと言う。

「学生達の喧嘩に私が口出しすることでもなかったのですが、片方がどう言う訳か、相手の真の名を呼んでしまいまして、怒った相手と取っ組み合いとなり、引き離すのに苦労しました。」
「それは、呼ばれた方にとっては一大事でしょう。」

とウリベ教授が苦笑した。オルベラ教授もケサダ教授も首を振ってウリベ教授の言葉に同意した。テオは不思議に思った。インディヘナが真の名を持つことは知っている。彼等が普段使っている名前は書類上の本名で、名付け親や親からもらう真の名は決して他人に明かさないものだ。恐らく大統領警護隊の友人達も真の名を持っている筈だが、絶対に教えてくれないだろう。そう言う大事なものを、何故他人が知っているのだ?

「その学生の真の名を、どうして喧嘩相手が知っているのです?」

 彼が質問すると、「さあ?」とンゲマ准教授は肩をすくめた。

「それが呼ばれた方は全く心当たりがなかったのですな。家族でない人間に教える筈がないし、彼の家族も他人に彼の真の名を教えたりしないでしょう。」
「偶然罵った言葉が、真の名だったのではないですか?」

とオルベラ教授。ンゲマ准教授は首を振った。

「いや、罵り言葉になるような名前ではありませんでした。流石にここで彼の真の名を言ってしまうことは出来ませんが・・・」

 すると呪いなどの研究をしているウリベ教授が言った。

「もしかすると、その喧嘩相手の真の名を呼んでしまった学生は、相手の心を読んでしまったのかも知れませんね。」

 男性達は一斉に彼女を見つめてしまった。

「心を読んだ?」
「テレパシーですか?」

 ウリベ教授は肩をすくめた。

「さぁ・・・」

 するとケサダ教授がボソッと呟いた。

「恐らく、聞こえてしまったのでしょう。」

 一同は彼を見た。教授は紙コップのコーヒーを啜ってから言った。

「たまにあるでしょう、誰かの心の呟きが聞こえる、と言うか、聞こえたような気がすることが。意図して読んだのではなく、偶然聞こえてしまったのでしょう。」

 それはテオも経験があった。なんとなく隣に座っている友人が何か言ったようなので顔を見ても、向こうは知らん顔しており、何も喋った風でないことがある。実際、「何か言った?」と尋ねても、「何も言っていない」と言われるのだ。アメリカ時代でもそう言う経験があった。超能力者を研究している施設だったから、そう言うこともあるだろうと気にしなかった。セルバに来ても、”ヴェルデ・シエロ”の血を遠い祖先に持つ国民が多いので、気にしていない。だが、真の名を他人に知られるのは一大事だ。セルバ人は、他人に自分が支配されるのではないかと心配する。

「それで、喧嘩した学生達はどうしたのですか?」

 オルベラ教授の問いにンゲマ准教授は苦笑した。

「別の学生の仲裁でなんとか収まりました。彼等があの喧嘩をきっかけに親友同士になれば、問題は起こらないと思いますがね。」

 メスティーソの彼は、純血の先住民であるウリベ教授とケサダ教授を見た。

「先生方は、真の名をお持ちですか?」

 ウリベ教授もケサダ教授も当然だと言う顔で頷いた。

「スィ。持っていますよ。明かしませんが。」
「私も名付け親から貰いました。今では年寄りがいなくなって、私しか知りませんけれど。」

 彼等はオルベラ教授を見た。オルベラとンゲマはどちらもメスティーソだ。オルベラ教授は首を振り、ンゲマ准教授も「持っていません」と言った。そして彼等はテオを見た。テオは苦笑した。

「俺は、M3073 って言う名前をもらってました。」

 セルバ人の教授達が無言で見つめるので、彼は告白した。

「遺伝子の研究施設で生まれたので、シオドアって名前をもらう前は、試験管番号で呼ばれていたんですよ。勿論、物心つく前ですけどね。」
「それは真の名前じゃありませんわ。」

とウリベ教授が悲しそうな目で言った。

「貴方の真の名前はテオドール、それで良いじゃありませんか。」

 

2022/03/21

第6部 訪問者    21

 国境警備隊の宿舎に戻ると、丁度ルカ・パエス少尉も勤務を終えて戻って来たところだった。ケツァル少佐に気がついて彼が敬礼したので、少佐はギャラガ少尉を先に行かせ、ドアの外でパエス少尉に向き合った。

「これから自宅に戻って夕食ですか?」

 パエスが小さく溜め息をついた。

「グリン大尉からお聞きになられたのですね。」
「スィ。偶々ハラールの話題から、貴方の話になりました。昔からの伝統を破るのは気持ちが良くないでしょうが、貴方一人が同僚と違う生活を続けるのはどうでしょう。疲れませんか。」
「ハラールの問題もありますが・・・」

 パエスは顔を町の方へ向けた。

「妻の為でもあります。妻は不始末をしでかして転属になった私について来てくれました。子供達を実家に置いて、私を選んでくれたのです。しかし国境警備隊の休暇は半年毎に一月です。見知らぬ土地で妻は一人で半年暮らさなければなりません。ですから、私は1日に1度、食事の為に彼女の元に帰るのです。」

 少佐も溜め息をついた。

「貴方の気持ちはわかります。しかし、貴方は軍人で、彼女は軍人の妻です。貴方の同僚達も家族と会えない半年間を我慢して勤務しているのです。彼等の家族はクエバ・ネグラに住んでいないでしょう。電話をかけることさえ我慢している隊員もいるのです。奥さんと会うなとは言いませんが、軍人らしくケジメをつけなさい。」

 年下の上官から注意されて、パエス少尉はムッとした様子だった。太平洋警備室で勤務していた頃は毎日自宅から通勤していたのだ。 いきなり生活習慣を変えるのは難しいのだろう。ケツァル少佐はパエス少尉に思い入れはなかったが、同じ太平洋警備室から転属させられたガルソン中尉やフレータ少尉が新しい職場に馴染んで落ち着いていることを考えると、パエスにももっと気楽に働いて欲しかった。そうでなければ、太平洋警備室の問題を発見して事件の解決に奔走した彼女の弟カルロ・ステファン大尉や友人のテオドール・アルストが後々後悔することになってしまう。あの男達は他人の問題を見捨てておけないお人好しなのだから。

「国境警備隊の隊則がどの様なものか知りません。しかし家族が住む場所が勤務場所に近いのであれば、そこから通えないのですか? 本部の家族持ちの隊員達は自宅に帰る時間を十分もらっていますよ。一度グリン大尉に相談してみなさい。大尉は決して話のわからない人ではありません。クチナ基地のオルテガ少佐に話をしてくれるかも知れません。大統領警護隊は決して石頭ばかりでない筈です。」

 無言のままパエス少尉がもう一度敬礼した。ケツァル少佐はドアを開き、宿舎の中に入った。少し遅れてパエス少尉も入り、これから勤務に出て行く隊員と引き継ぎを行う為に共有スペースと廊下の角にある事務室に入った。
 少佐は真っ直ぐ寝室に割り当てられた部屋へ行った。ギャラガ少尉が簡易ベッドの上に座っていた。男女別ではなく、一部屋に男女2人だ。空き部屋が一部屋しかないので、仕方がない。しかも簡易ベッドを入れたので、かなり狭かった。最初に連絡を受けて部屋の準備をした隊員は「ミゲール少佐」が「有名なケツァル少佐」と同一人物であると知らなかったので、男性だと思っていたのだ。昨夜到着した時、この部屋を使ったのはギャラガだけだった。少佐は道中車の中で眠ったので使わなかった。昼間シャワーを使った時は交代で部屋を使ったので、一緒に部屋に入ったのはこれが初めてだ。

「共有スペースのソファで寝ます。」

とギャラガが言うと、少佐は首を振った。

「それではここの隊員達が気まずい思いをします。私は平気ですから、貴方も気にせずにお休みなさい。」

 彼女はさっさと装備していた拳銃を枕の下に置き、靴を脱ぐと着衣のままベッドに横になり、すぐに目を閉じた。
 ギャラガは簡易ベッドから下り、ドアへ行って取り敢えず施錠した。そして靴を脱ぐと、拳銃と財布を枕の下に置き、ベッドに横になった。ここは野宿と同じ、別々の木の上で寝ているんだ、と己に言い聞かせ、彼は目を閉じた。

第6部 訪問者    20

  船を下りると、ケツァル少佐とギャラガ少尉は船長に教えてもらったバルへ行った。「小さなホアン」の紹介だと言うと、新鮮な魚介類のセビーチェを出してくれた。その後も地元の料理を次々と注文し、国境警備隊の食堂では決して味わえない美食を、2人は時間をかけて堪能した。

「建設会社が何を隠そうとしているのか、わかった様な気がします。」
「何ですか?」

 ギャラガの言葉に少佐が興味深げに彼を見た。ギャラガはクラッカーを4枚、箱の壁の様に四角く立てた。その上に器用に天井部分のクラッカーを重ねて置いた。さらにまた上に箱を積み上げた。彼は2階以上の部分を指した。

「カラコルです。」

 そして下の部分を指した。

「地下の貯水槽です。この壁を崩すと・・・」

彼はクラッカーの1枚を強引に押し倒した。クラッカーのカラコルは、3枚の壁に支えられて保たれた。

「壁の一角が崩れただけでは、街は保たれています。しかし、貯水槽の中の水が流れてしまって空になると、壁の外の海水の圧が残りの壁を崩してしまいます。」

 少佐が考え込んだ。

「壁の一角が崩れ、貯水槽の中の水が流れ出て貯水槽が空になる・・・どう言うことですか? 壁が崩れたら海水がすぐに流れ込んで来るでしょう?」
「最初に崩れた壁は、海に面した三方ではなく、陸と繋がっている面です。恐らく、貯水槽の水は本土の地下に流れて行ったのです。」

 ギャラガはクラッカーの積み木を片付けた。

「船長のホアンは、大昔のクエバ・ネグラは海のそばまで森林が迫っていたと言いました。今は低木と草が生えているだけです。塩気に強い植物ばかりですよ。もう少し南へ行けばマングローブがありますが、ここはありません。土に塩分が多いんじゃないですか。」
「そう言えば、船長が昔の水は売れるほど美味しかったが今はそのままでは飲めないと言ってましたね。」
「壁が崩れて貯水槽の真水が本土側に流れてしまい、海からの圧力に耐えきれなくなった壁が崩れてカラコルの街は陥没したのでしょう。そこにまた海水が流れ込んだ。本土へ流れる水路は崩落した地面で塞がれた筈ですが、海水はずっと少しずつ染み込んでいるのだと思います。」
「それにロカ・エテルナ社がどう絡んでいるか、ですね。」

 エビのペーストをクラッカーに載せてギャラガは口に入れた。それをもぐもぐと食べてしまってから、白ワインのグラスを見ている上官に考えを述べた。

「私は一族の歴史に詳しくありません。でも古代の神殿などの建築に携わった部族がいた訳でしょう? カラコルの町が築かれる頃にそうした技術集団が雇われて、密かに町の下にそんな仕組みを造ったとしたら、どうでしょう?」
「その仕組みを造った目的は?」
「海の交易で栄えていた町ですね? もし外国から侵略を受けて町を占領された場合を想定し、町ごと敵を海の底に沈めてしまう、と言う対策を取っていたとしたら?」

 少佐が彼を見た。

「侵略されなかったが、町は神を冒涜した。だから、神の怒りによって沈められた?」

 暫く2人は黙って口を動かしていた。不意に少佐が呟いた。

「地震は本当にあったのでしょうか?」
「山に登った時、断層を見ました。しかし・・・地面がずれた方角が違いましたね。あれなら、カラコルがあった岬は持ち上がってしまう・・・」
「岬は実在したのですか?」
「少佐・・・」

 ケツァル少佐は頭に浮かんだ突拍子もない考えに、自分で苦笑した。

「岬は存在しなかったけれど、カラコルの町は存在したのかもしれませんよ、アンドレ。」


第6部 訪問者    19

  街に下りて住民に船に乗って海を見たいと言うと、浜辺で漁師を雇えば良いと教えてくれた。仕掛けの手入れが終わっていれば、小遣い稼ぎに観光客や釣り人を乗せるのだと言う。そこで砂浜に下りると、丁度古い大型の船と中型の漁船を並べて数人の漁師が夕刻の出漁までの時間を潰していた。ギャラガが声を掛けると、彼等はちょっと相談して、ホアンと言う男が名乗り出た。時間と値段の交渉の後で、ケツァル少佐とギャラガ少尉は普通の観光客のふりをして中型の漁船に乗せてもらった。
 規則に従ってオレンジ色のライフジャケットを着用し、彼等は穏やかな海の上に出かけた。

「いつもこんな穏やかな海なのかな?」

とギャラガが話しかけると、船長のホアンが舵輪を回しながら頷いた。

「セルバの海は穏やかさ。ハリケーンさえ来なければ、いつでもご機嫌さね。」

 彼は速度を落とした。

「エンバルカシオンの縁は浅くなっているから、通り道を決めてあるんだ。」

 エンバルカシオンとは、海中に没した岬があると言われている海域の地元での呼び方だ。「器」と言う意味で、地元民は大きな縁高の皿に見立てているのだった。

「サメが多いんだって?」

 ギャラガが無難な話題から話を進めた。ホアンはパイプタバコを吸いながら、海面を見た。

「多いと言っても、この船ほどの大きさのヤツはいない。でも先日、俺の従兄弟のホアンが、俺と同じ名前なんで皆こんがらがるんだがね、そのホアンがもっと沖で馬鹿でかいのを釣り上げたんだよ。」
「腹から人が出て来たサメかい?」
「ああ、新聞に載ったから、あんたも読んだんだね。」

 ホアンはパイプを咥えたまま笑った。

「安心しなよ、エンバルカシオンは浅いから、そんなでかいのはいない。ほら、底が見えるぜ。」

 船の速度がさらに落ちて、ホアンは停止させた。ギャラガと少佐は甲板から下を見た。珊瑚や魚が見えた。水深は7〜8メートルか? 数分後、再び船が動き出し、エンバルカシオンの中心部へ進んだ。

「この辺りは底の岩が凸凹して、隠れ場所が多いから魚が多い。だからサメも住んでいる。」

 海面から見た限りでは、珊瑚や藻で海底が人工的に加工された岩なのか天然の岩なのか判別出来なかった。ケツァル少佐がホアンに尋ねた。

「平らな岩が並んでいる箇所があると、ホテルで出会った考古学者が言ってました。場所は分かりますか?」

 ああ、とホアンが頷いた。

「カラコルを見つけたって騒いでいる学者だな。場所は知っている。この先だ。」

 彼は船を進め、やがて停船した。 少佐とギャラガは覗いて見たが、波が光ってよくわからなかった。少佐がホアンに尋ねた。

「貴方はその平らな岩を見たことがありますか?」
「うん、道みたいに岩が並んでいる。所々にそう言う風になっている箇所があるんさ。でも不思議じゃない。カラコルが沈んでいるんなら、当然だろう。」

 地元民は古代の町が沈んでいることを疑っていない。しかし、学者が大騒ぎする理由がわからない、そんな雰囲気だった。ギャラガが観光客らしく質問した。

「宝を積んだ沈没船とか、古代の町の財宝とか、そんな伝説や噂はないのかい?」

 ホアンが大声で笑った。

「他所から来る人は皆そう訊くんだなぁ。確かにカリブ海には海賊や沈没船の伝説がわんさとある。だけど、残念ながら、クエバ・ネグラにはないんさ。ここはね、金は積み出していなかったんだ。オルガ・グランデの金はここへ来なかった。昔は北のルートを通って隣国へ運ばれていたからね。ここは、船の水を補給する港だったんだよ。クエバ・ネグラの水は旨かったそうだ。今じゃミネラルが多過ぎてそのままじゃ飲めないがな。」
「水で富を得ていたのですか?」
「そりゃ、水以外にも何か売っただろうけど・・・」

 ホアンは陸の方向を見た。

「大昔は、海岸近くまで森だったそうだ。だから動物を狩ることが出来た。綺麗な毛皮の獣や、美しい羽の鳥とかね。罰当たりだよ、ジャガーなんか狩って売ろうなんて考えてさ・・・」

 彼は少佐を振り返った。

「あんた達、都会から来ただろ? グラダ・シティでもやっぱりジャガーは神様だろ?」
「スィ。雨を呼ぶ大切な神様です。」
「カラコルの町はジャガーを外国に売ろうとして、”ヴェルデ・シエロ”の怒りを買ったんだ。地震が来て、町を支えていた柱が全部折れて、一晩で岬が海の底に沈んだって、婆ちゃんが語ってくれたっけ。この辺りの人間は皆そう言う言い伝えを聞かされて育ったんだよ。神様を冒涜して罰せられた恥ずかしい話だから、外の人間にはあまり話さないがね。だけど、俺は今話すべきだと思うんだ。だって森林伐採でどんどん森が減っているじゃないか。森がなくなると、海も痩せてくるって、テレビで偉い先生が言ってた。ジャガーが住めなくなるセルバはセルバじゃない。昔話に教訓が含まれているってことを、学校で教えるべきさ。」

 思いがけず漁師から深い地球環境問題に関わる意見を聞かされ、少佐は相槌を打つしかなかった。 ギャラガはホアンの話の最初の部分が気になった。

「町を支えていた柱が折れたって、どう言うことだろ?」
「だから、柱の上に町が築かれていたんさ。水を売っていた町だから、地面の下に水を溜めていたんだろ。地震で床が崩れて、柱が折れて、町がドシンと落っこちたのさ。」


2022/03/20

第6部 訪問者    18

  カミロ・トレントが立ち去ると、ギャラガ少尉は上官を振り返った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社の親会社は、ロカ・エテルナ社です。トレントに指図して海底の映像を奪わせたのは、ロカ・エテルナ社の人間ではありませんか?」

 少佐が目を閉じた。

「厄介な相手です。社長はムリリョ博士の長子、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」
「”砂の民”ですか?」
「知りません。私が明確に”砂の民”だと知っているのは、首領のムリリョ博士とセニョール・シショカだけです。」
「ケサダ教授は・・・」
「彼もそうではないかと思っていますが、本当のところ、確認出来ていません。」
「でも、教授がドクトル・アルストに”砂の民”はピューマだと教えてくれたでしょう?」
「教えてくれただけですよ、アンドレ。そして彼はムリリョ博士の養い子で娘婿でもあります。”砂の民”の知識を持っていても不思議ではありません。」
「でも、”砂の民”は家族にも秘密を打ち明けないんじゃないですか?」
「常識的に考えれば、その通りです。ですが・・・」

 少佐は目を開いた。

「ムリリョ博士とケサダ教授の関係は簡単ではありません。兎に角、今回の件はアブラーンにぶつかってみなければわかりません。8世紀に海の底に沈んだと言われる伝説の町と、現代の建設会社が発掘調査を妨害する理由がどう結びつくのか、訊いてみましょう。」
「グラダ・シティに帰るのですか?」

 心なしかギャラガが残念がっている様に聞こえた。彼女は滅多に遠出しない若い部下を見た。ギャラガが遠出しないのは、遠出に慣れていないだけだ。出張を命じれば躊躇なく何処へでも行く。だが自発的に休暇に遠出したりしない。子供の頃は貧しくてその日の糧を得るので精一杯だったし、生きる為に軍隊に入り、休暇をもらっても帰る家も遊ぶ友人も持たなかったから、官舎から近くの海岸へ行くだけだった。

「帰るのは明日にしましょう。」

と少佐は言った。

「これから自由時間にします。好きに過ごしなさい。明朝700にここに集合。」

 喜ぶかと思ったが、ギャラガはぽかんとして上官を見つめるだけだった。だから少佐も戸惑ってしまった。

「遊びに行って良いですよ。」

と言うと、逆に「貴女は?」と訊かれた。実を言うと少佐も午後の予定などなかった。カミロ・トレントが現れなければ彼を探しに行くつもりだったのだ。彼女は両手で髪をかき上げた。

「どうしましょう・・・」

 ギャラガが窓の外を見た。

「もし宜しければ・・・」

と彼が言った。

「船を雇って、カラコルを海の上から見てみませんか?」


第6部 訪問者    17

  共有スペースで言葉を交わした隊員が検問所の勤務に出るために、身支度をしに部屋へ戻って行った。装備を整え、隣の陸軍の食堂で食事を取ってから勤務に就くのだ。
 ”感応”で呼んだカミロ・トレントが現れないので、失敗したかとギャラガ少尉が不安になる頃になって、駐車場に一台の小型バンが入って来た。赤い車体に「クエバ・ネグラ・エテルナ 建築&解体」と白いペンキで書かれていた。窓から見ていると、車から中年のメスティーソの男性が降りて来た。繋ぎの作業服を着ているが、汚れていない。作業員ではなく監督をする立場の人間だろう。彼は2棟の宿舎を見比べ、やがて意を決して大統領警護隊の宿舎へ歩き出した。
 ケツァル少佐は座ったままだった。ギャラガ少尉が入り口まで行った。ノックの音が聞こえた。彼は静かにドアを開いた。応対に出て来たのが白人に見える若い男だったので、建設会社の男性は少し驚いた様子だった。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントと言います。こちらで私をお呼びになった方はおられますか?」

 用心深く問い掛けたのは、呼んだ相手の正体も位置も不明だったからだ。肉親や親しい仲間の呼びかけであれば、相手が誰だかわかるし、己と相手との距離も概ね推測出来る。居場所も見当がつく。しかし初めて呼びかけて来た人物を探すのは困難だ。トレントが来るのが遅れたのは、呼びかけた人物が誰だかわからずに戸惑い、相手の居場所を探していたからだ。トレントはこの町の”ヴェルデ・シエロ”を大方把握しているに違いない。そして心当たりの人から順番に探って周り、国境検問所まで行き、最後にこの国境警備隊の宿舎に行き着いた。
 ギャラガが頷いた。

「私が上官の命令で呼びました。中へお入り下さい。」

 トレントが用心深く中に入って来た。私服姿の白人の様な男と、私服姿の若い女性しかいない共有スペースに足を踏み入れ、彼の後ろでギャラガがドアを閉じたので、ちょっとだけ後ろを振り返る素振りを見せた。
 ケツァル少佐が立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

 彼女が自己紹介すると、トレントが溜め息をついた。諦めの溜め息だ。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントです。文化保護担当部が来られたと言うことは、サン・レオカディオ大学の件ですね。」
「スィ。」

 相手があっさり認めたので、少佐は少し拍子抜けした。

「モンタルボ教授から撮影機材を奪った男達を操ったのは、貴方ですか?」
「その通りです。リーダー格の男に”操心”をかけました。残りはリーダーが集めた手下です。」
「軽傷とは言え、市民に怪我をさせましたね。」
「申し訳ありません。私の能力では一人を操るのが限界でした。リーダーには調査隊に怪我をさせるなと命じたのですが、手下どもには伝わらなかったのです。処罰の対象となるでしょうか?」
「致命傷を負わせた訳ではないので、大統領警護隊は気に留めていません。調査隊の怪我の件は憲兵隊が捜査しています。」

 ギャラガはいつもながらのセルバ流「単刀直入に要件に入らない会話」に少しイラッとした。もしここにドクトル・アルストがいれば、必ずこの会話に割って入る筈だ。しかしギャラガは少佐の部下だ。彼は辛抱強く会話を聞いていた。
 少佐が遂に本題に入った。

「サン・レオカディオ大学から盗んだ物をどうするつもりですか?」

 トレントが肩をすくめた。

「撮影した映像をグラダ・シティに送りました。奪ったカメラやその他の機材は私が操ったリーダーの手下どもが故買屋に売った筈です。リーダーから連中への報酬です。」

 それなら憲兵隊が既にこの界隈の故買屋を片っ端から調べていることだろう。「リーダー」がどう言う立場の人間なのかトレントは言及しなかった。恐らく憲兵隊がその「リーダー」を突き止めても、「リーダー」とトレントとの繋がりは判明しない。「リーダー」には”操心”に掛けられた記憶がない。

「映像をグラダ・シティに送ったと言いましたか?」

 ギャラガ少尉は思わず口を挟んでしまったが、少佐は咎めなかった。ギャラガにも尋問の経験は必要だ。トレントが頷いたので、彼は更に尋ねた。

「グラダ・シティから貴方に映像を奪えと指図が来たと言うことですか?」

 トレントは少し沈黙してから、考えながら言った。

「指図は、考古学者が海の底で何を撮影したか調べろと言うものでした。ですから私は何とかして調査隊に近づこうとしたのですが、大学側はモンタルボの教室の学生ばかりでしたし、撮影隊の方はアメリカ人ばかりで、潜り込む隙がありませんでした。私は4分の1”シエロ”ですから、力が強くありません。”幻視”を使って潜入することは出来ても、長時間相手を騙す技を持っていませんので、力づくで奪う方法を選択しました。映像を記録した媒体が何かわからなかったので、撮影機材一切合切を奪わせたのです。」
「映像はどの様な方法でグラダ・シティに送ったのですか?」
「モンタルボはU S Bにデータを保存していたので、社員に運ばせました。郵送では紛失する恐れがありますし、何時向こうに着くかわかりませんから。」

 ケツァル少佐がそこで再び口を挟んだ。

「貴方のところの社員が知っている場所に運んだのですね?」

 トレントはまた溜め息をついた。大統領警護隊に嘘の証言をすると後で重罪に問われる。彼は法で罰せられるのと、部族内ルールを犯して族長から罰せられるのと、どちらがキツいだろうと天秤にかけた。

「申し訳ありません。これ以上話すことは部族を裏切ることになります。」

 ギャラガが少佐を見た。トレントの言葉は、今回の強奪事件が彼個人の目的があってしたことではなく、部族の上の方からの指示に従って行ったことを示唆していた。
 ケツァル少佐も少尉と同じ見解だった。これ以上トレントを問い詰めても彼は口を割らないだろう。彼女は言った。

「強奪犯と盗難品の行方は大体わかりました。指図を出した人の真意は不明ですが、ここで調べても拉致は明かない様です。お帰りください。」

 ギャラガはまだ不安要素が残っていた。

「モンタルボはまた調査をすると言っています。貴方はまた彼を妨害しますか?」

 するとトレントは心外なと言いたげな顔をした。

「私は彼を妨害していません。撮影したものを奪っただけです。」

 少し認識のずれがあるようだ。ギャラガはそう思ったが、それ以上突っ込むのを止めた。


2022/03/19

第6部 訪問者    16

  宿舎の共有スペースに入ると、男性隊員が一人ソファに座ってテレビを見ていた。恐らく先程のギャラガが失敗した気の波動で目が覚めてしまい、交代時間迄の時間を潰そうとしていたのだ。入って来た私服姿のケツァル少佐とギャラガ少尉に怪訝な表情で顔を向けたので、ギャラガが気を利かせて紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐であられる。私は同部のギャラガ少尉だ。」

 隊員が急いで立ち上がって敬礼した。敬礼を返したケツァル少佐は彼の上半身がまだTシャツ1枚だけなのを見て、寝起き間もないと判断した。

「我々が貴官の休息を妨げた様です。」
「そうではありません。間もなく交代時間ですので、目を覚ましておりました。」

 少佐は、そうではないだろうと突っ込まずに、彼に休憩の続きを、と指図した。そしてもう一つのソファにギャラガと並んで座った。隊員も腰を下ろしたので、彼女は言った。

「もしかするとカミロ・トレントと言う男性が来るかも知れません。我々が呼んだのですが、彼は誰に呼ばれたのか知らない筈です。彼が現れたら、教えて下さい。」
「承知しました。」

 一般人が聞けば奇妙な言葉だったが、”ヴェルデ・シエロ”は意味がわかる。隊員は少佐の言葉を理解した。彼はボリュームを落としてテレビのニュースを見ていた。大きな事件は起きていないが、今年の雨季は雨量が例年より多いだろうと気象学者が予想していると言うニュースが伝えられると、隊員は溜め息をついた。豪雨の中での検問を想像してうんざりしたのだろう。毎年のことではあるが、こんな時は東海岸ではなく西海岸で勤務したくなるに違いない。
 隊員がチラリとこちらを見た。国境警備隊でない人間がいるので気になるのだろうと少佐が思っていると、彼が話しかけて来た。

「失礼ですが、先程気の波動を発せられましたか?」
 
 少佐が彼の方へ顔を向けると、ギャラガが急いで言い訳した。

「私が少しヘマをやっただけだ。起こしてしまって悪かった。」

 隊員が彼に視線を向けた。一見”ヴェルデ・シエロ”に見えないギャラガに彼は問い掛けた。

「君が、あの、白いグラダか?」

 ギャラガは予想以上に己が有名なことを知って、ちょっとうんざりした。

「そうだ。白人の血が混ざっているので、まだ修行中だ。」
「気の波動に鋭い波があった。君が本気で爆裂波を放ったら戦車隊でも一撃で吹っ飛ぶんだろうな。」

 その声には羨望が混ざっていたので、ギャラガはびっくりした。そんな風に賞賛されたのは初めてだ。すると少佐が隊員に言った。

「ギャラガ少尉を煽てないように。彼はまだ20歳です。制御を完璧に習得する迄は爆弾の様な子です。」

 つまり、ギャラガ少尉は現在でも十分強大な爆裂波を使えると暗に言ったのだ。1年と半年前迄、”心話”すら使えない”出来損ない”として有名だったカベサ・ロハ(赤い頭)は、本当は能力がなかったのではなく、使い方を知らないだけの子供だった、と少佐は隊員に仄めかした。だから、ギャラガを舐めると痛い目に遭うぞ、あまりこの部下に構うな、と牽制したのだ。
 国境警備隊の隊員は聡い男だった。少佐が言いたいことを理解した。そしてさらに別のことも察した。修行中のグラダを見守っているこの上官も、グラダだ。

「ミゲール少佐、もしや、貴女はケツァル少佐であられますか?」

 ギャラガは笑いそうになって耐えた。ケツァル少佐は仕方なく無言で頷いた。隊員が再び跳ねるように立ち上がり、敬礼した。

第6部 訪問者    15

  ロカ・エテルナ社はセルバ共和国の3大建築業者の一つで、創業者のスペイン人がセルバ共和国独立直前に本国へ逃げ去った後を襲ったロカ・デ・ムリリョが成長させ、経営権を甥の息子のアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに譲った会社だ。クエバ・ネグラの町で一番大きな建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社はその子会社で、経営者はマスケゴ系メスティーソの男性だった。つまり、まだ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる能力者だ。
 国境警備隊の陸軍国境警備班所属エベラルド・ソロサバル曹長から会社の名前と社長のカミロ・トレントの名を聞き出したケツァル少佐は昼食後ギャラガを大統領警護隊側の駐車場へ連れて行った。クエバ・ネグラの丘ほどではないが、国境警備隊宿舎も小高い場所にある。街並みの屋根がすぐ目の前に並んでいた。

「”感応”を行った経験はありますか?」

 少佐に訊かれて、ギャラガは「ありません」と答えた。”感応”は呼び出したい人の名前や顔を脳裏に浮かべて精神を全集中させる。通常親が自分の子を呼ぶ時に用いる能力で、軍隊では上官が部下に集合をかけたり、戦闘時や緊急時に助けを求める時に使う。平時に友達を呼んだり目上の人に気軽に用いるものではない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は教えられなくてもこの能力を使えるが、親から厳しくマナーを躾けられる。異人種の血が入るミックスは少し練習が必要だ。一瞬のものなので、エネルギーの消耗はない。しかし気を発する瞬間だけ心が無防備になるので、使うタイミングを誤ると軍人は危険に曝される場合があった。
 ケツァル少佐はギャラガ少尉に命じた。

「やってごらんなさい。カミロ・トレントを呼ぶのです。」

 ギャラガは脳裏に、Camilo Torrent と文字を思い浮かべた。その名に思い切り念をぶつけてみた。
 ケツァル少佐は空気にビリッとした震動を感じた。失敗だ。ギャラガが出したのはテレパシーではなく気の波動、微弱な爆裂波だ。カミロ・トレントには届かないが、宿舎周辺の人間や動物には感じ取れる。果たして大統領警護隊の宿舎の窓が開き、指揮官のバレリア・グリン大尉が顔を出した。

「何事です、少佐?」

 ケツァル少佐は彼女を見上げ、2階の窓から顔を出している女性の目を見た。

ーー申し訳ない、部下に”感応”の使い方を教えようとしていました。

 グリン大尉は赤毛のギャラガの頭を見下ろした。そして少佐に視線を戻した。

ーー噂の白いグラダですね。失敗とは言え、かなりの威力の波動でした。
ーー貴官の休息を妨げたことをお詫びします。
ーーどこでもメスティーソの教育には苦労いたします。次は成功を祈っています。

 グリン大尉は微笑して顔を引っ込め、窓を閉じた。
 ケツァル少佐はギャラガを振り返った。ギャラガは失敗したことを悟っており、何が悪かったのか考えていた。少佐が彼の名を呼んだので、上官の目を見た。”心話”で少佐が彼の心の動きを悟った。

ーー名前に念をぶつけるのではなく、呼び寄せなさい。

 ギャラガは戸惑い、それからまた脳裏に文字を思い浮かべ、それを己に引き寄せるイメージを抱いた。文字が彼の脳裏からスッと消えた感じがした。彼は自信なさそうに言った。

「上手くいったでしょうか?」

 少佐がクスッと笑った。

「誰も成功したか失敗したかわからないものですよ、”感応”っていう力は。」
「えー・・・」

 狐に包まれた様な表情の部下を見て、また少佐は笑った。そして、トレントが来るまでシエスタにしましょうと言った。


第6部 訪問者    14

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は国境警備隊の宿舎に戻った。クエバ・ネグラ検問所の大統領警護隊の隊員は全部で8人、一人ずつ3時間おきに宿舎に戻って一人ずつ勤務に出て行く。宿舎には常時3人が休憩している。少佐とギャラガは誰も浴室を使用していないことを確認してから、シャワーを使った。男女の別がないから、シャワールームも脱衣所も一つしかない。少佐が先に浴び、充てがわれた部屋に入った。ギャラガが昨晩置いた2人のリュックとアサルトライフルが質素なベッドの横に並べられていた。服を着替えて、濡れた髪を窓からの風に当てて乾かした。バレリア・グリン大尉はまだ休んでいるだろう。
 ギャラガが戻って来たので、彼の身支度を待ってから、2人で隣の陸軍国境警備班の食堂へ行った。食堂は賑わっていた。検問所の兵士達が順番に昼食に来ていた。彼等はゆっくり食べることはなく、簡単なスープとパンだけの食事を流し込み、すぐに出て行った。だから少佐とギャラガも冷めたスープをもらった。

「本部の警備班は警備についている間は水分補給しかしません。」

とギャラガが呟いた。少佐が頷いた。

「外での勤務は大統領府の警備より体力を使いますからね。」
「文化保護担当部の事務仕事も腹が減りますよ。頭を使うと恐ろしくエネルギーを消耗するんです。」

 少佐は思わず笑ってしまった。彼女は自分のパンを部下の皿に入れてやった。すると隣のテーブルにいた陸軍の兵士が声をかけて来た。

「グラダ・シティから来られた大統領警護隊の方ですね?」

 ギャラガが「スィ」と答えた。

「文化保護担当部だ。昨日私立大学の教授と発掘調査隊が強盗に遭ったと聞いたので、被害状況を調査に来た。」
「強盗事件にわざわざ来られたのですか。」

 そんな必要はないのに、と言う響きが兵士の声に含まれていた。ギャラガは言った。

「強盗犯の捜査は憲兵隊に任せる。我々は発掘調査隊が奪われたものの内容を調査するのだ。文化財を傷つけられては困るから。」

 恐らく検問所の兵士には、何を悠長な仕事をしているのだ、と思えただろう。 彼はちょっと失笑した。

「学者と言う人達は私の様な凡人にはわからない物を大事に調べますね。先月もグラダ大学から来た若い教授がトカゲを捕まえて帰られました。その後で別の教授が来て、そのトカゲをまた放しに洞窟まで登りました。そのまま飼えば良いのにと言ったら、生態系がどうのとか説明してくれましたが、自分にはさっぱりでした。」

 ギャラガは苦笑した。そして、

「最初に来たのはアルスト准教授だろう。」

と言うと、兵士が頷いた。

「そんな名前でした。学生を一人お供に連れていました。お知り合いですか?」
「まぁな。気さくな良い人だろう?」
「そうですね。2人目の教授より話し易かったです。」

 エベラルド・ソロサバル曹長はテオドール・アルストからチップをもらったのだが、同僚の手前それは言わなかった。彼は大統領警護隊の白い肌の隊員に窓から見える赤い看板を指差した。

「あの赤い看板の店は午後6時から営業します。もし地元の料理を味わいたければ、あの店が一押しです。漁師の身内が経営しているので、手頃な値段で美味い魚を食べさせてくれます。」

 ケツァル少佐がちょっと笑って彼に声をかけた。

「まるで貴官は観光ガイドですね。」

 曹長が頬を赤らめた。

「地元出身なもので、つい饒舌になってしまいました。」

 すると彼と同じテーブルの兵士が笑いながら大統領警護隊の隊員に教えた。

「このソロサバル曹長は実際に観光ガイドとしても駆り出されるのです。町役場がガイドを雇うと金がかかるので、こっちへ仕事を押し付けるんです。軍人をタダで使ってやがる。」

 少佐とギャラガも兵士達と一緒に笑った。笑い声が収る頃に少佐がソロサバル曹長に尋ねた。

「地元の出だと言うことは、この辺りで名前が知られた建築屋を知っていますね?」


第6部 訪問者    13

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は町の名前の由来となった「黒い洞窟」クエバ・ネグラがある黒い岩だらけの丘の頂上へ登った。徒歩だったので、てっぺんに着いた時は既にお昼になっていた。2人共汗ぐっしょりだったが、気にせずに岩の上に上って海を見下ろした。
 海中遺跡があると言われているポイントは、楕円形のお盆をそのまま水中に沈めたような形に見えた。岬の形に海底が盛り上がってお盆の縁を形成している。内側が深くなって丘の上から見ると真っ青な池が海の中にあるかの様に見えた。昨日モンタルボ教授の一行があの中で潜って海底を撮影したのだ。

「凹んじゃってますね。」

とギャラガが素直な感想を述べた。環礁の様にも見えるが盆の縁の外側もそれほど深くなさそうだ。礁の部分は浅いのだろう。だからあまり漁師が近づかない。船底を引っかけそうな水深なのかも知れない。

「自然現象だと思いますか? それとも誰かが力を加えて凹ませたと思いますか?」

 少佐の問いかけに、ギャラガは額に手を翳して海面を見つめた。

「自然現象でしたら、あんな風にシンメトリーに凹んだりしないでしょう。」

 彼は指で空中に線を描いた。

「珊瑚礁が成長しているので近くで見るとわからないと思います。しかしここから見ると、窪んだ部分は縦長の八角形です。真ん中に線を引けば綺麗に左右対称になります。」

 少佐も目を細めて陽光に煌めく海面を見つめた。そしてギャラガが見て取った海底の形状を彼女も見た。確かに、と彼女は彼の発見を認めた。

「人工的に形成された場所に見えます。すると一つ疑問が浮かびます。地震であんなに綺麗に壊れるでしょうか。或いは、気の爆裂を用いて、あの様な形に町を沈めることが出来たでしょうか。」
「カラコルの元の意味を考えると、町の建設段階で何か地下に大きな空洞を造ったか、それとも故意に空洞の上に町を築いたと推測されます。モンタルボも古代の言語の意味を研究している筈ですし、この丘の上から海を見て、あの不自然に綺麗な海底の形状に気がついてカラコルの実在を確信したのでしょう。カラコルは”ティエラ”の町だったそうですが、一番最初にあの位置に町を築いたのは何者でしょうか。」

 ギャラガの言葉にケツァル少佐は視線を海から部下に向けた。

「今回の強奪事件は宝探しの争いではなく、もっと古い時代に原因がありそうですね。」

 ギャラガが頭を掻いた。

「それを調べるのは難しそうですね。グラダ大学の考古学部は海の遺跡に興味を持たないし、もしかすると海の遺跡を禁忌の場所にしているのかも知れません。」

 少佐が溜め息をついた。

「またムリリョ博士が何か隠していると言うことですか・・・」
「あの方はセルバの生き字引です。でも決して全てを教えて下さることはありません。」
「禁忌なら、決して教えて頂けないでしょうね。」

 少佐は街並みを見下ろした。ギャラガが尋ねた。

「銃弾を呼ぶように、撮影機材を呼べませんか?」

 彼女が吹き出した。

「そんなことをしたら、住民が腰を抜かします。」

 でも、と彼女は笑い顔を消して、また町を見た。

「”操心”を使った者を呼び出せるかも知れません。」


2022/03/18

第6部 訪問者    12

  リカルド・モンタルボ教授の居場所を突き止めるのは造作無かった。ギャラガ少尉が申請書を何度も審査したので教授の携帯電話の番号を暗記していたのだ。彼が電話を掛けると、教授は宿泊しているホテルを教えてくれた。港から見えている2階建ての小さな宿だった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が訪問すると、モンタルボ教授はロビーで出迎えた。気の毒なことに顔に殴打された跡が青黒く残っていた。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンも間もなく来ます。」

と教授は言い、ホテルが営業しているカフェの屋外席に少佐と少尉を案内した。
 テーブルを囲んで座ると、少佐が見舞いの言葉を言った。教授はグラシャスと答え、それから腹立たしげに襲撃者を罵った。ギャラガが彼を遮った。

「犯人に心当たりはありませんか?」
「ありません。」

 モンタルボ教授は憮然とした声で言った。

「アンダーソンはアイヴァン・ロイドが差し向けた連中だろうと言ってましたが、私はそんな連中のことなど知りません。」
「アイヴァン・ロイド?」

 少佐がその人物のことを訊こうとした時、教授が道の向こうからやって来る人物に気がつて、手を大きく振った。早く来いと合図したのだ。ギャラガがその方角を見たが、少佐は無視した。ギャラガは背が高い白人が歩いて来るのを見た。その後ろの連れらしい男もやはり背が高く、そちらはアフリカ系だった。アメリカ人だな、とギャラガは思った。
 アンダーソンとブラッド・ジェファーソンと言う2人の男がテーブルのそばに来た。モンタルボ教授が彼等を大統領警護隊に紹介した。

「アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏とジェファーソン氏です。アンダーソン氏は会社の代表で今回の撮影の監督、ジェファーソン氏はソナー係です。」

 教授は大統領警護隊の2人を紹介しようとした。ケツァル少佐が自己紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐とギャラガ少尉です。今回の襲撃事件の捜査を担当しています。」

 所属部署について言及しなかった。モンタルボ教授が何か言いかけたので、ギャラガが咳払いして教授の視線を己に向けさせた。

ーー黙っていろ。

 ”操心”を使ってみると、教授はあっさり術に掛かった。ケツァル少佐はギャラガが微かに気を発したことに気がついたが、彼が何も言わないので無視することにした。
 アンダーソンとジェファーソンも額に絆創膏を貼ったり、顔面に部分的青痣を作っていた。少佐は彼等を隣のテーブルに着かせ、襲撃当時の様子を聞き取った。
 モンタルボ教授と助手達5名、そしてアンビシャス・カンパニーの社員達10名はチャーターしたクルーズ船で水中遺跡がある海面へ出かけた。ジェファーソンがソナーで海底の地形を調べ、建造物らしきものと思われる地形の上でカメラを水中に入れた。アンダーソンはカメラマンと共に潜った。モンタルボ教授とジェファーソンが船上から指示を出し、潜水チームは大学の助手達も含めて約5名から7名、交代で潜って海底の様子を撮影した。船上のサポート班はサメの警戒をして、ボートを1艘出して海面で待機する者とクルーザーに残る者に分かれた。
 モンタルボ教授が船上のモニターで見た海底の様子を説明しようとしたが、ケツァル少佐は断った。事件の詳細に直接関係ないからだ。
 港に戻ったのは午後4時を少し過ぎた頃だった。クルーザーを係留して、機材を下ろし終えた時、突堤の入り口にワゴン車が2台止まっていることにアンダーソンが気がついた。いつからその車がそこにいたのか覚えていない、と彼はケツァル少佐に言った。彼等自身の車はワゴン車の向こう側で駐車していたので、荷物を運ぶのに邪魔だと思い、ワゴン車を移動してもらうよう社員を頼みに行かせた。ところがその社員が相手の車に十分な距離まで近づかないうちに、ワゴン車から目出し帽にバットや棍棒を持った男達がパラパラと降りてきて、いきなり社員を殴った。そしてクルーザーに向かって走って来た。アンダーソンは銃を持っていたが、その時は手元ではなく手荷物の中に入れたままだった。取り出す暇もなくバットか何かで殴られた。モンタルボ教授が抗議の声を上げたが、暴漢達は無言のまま調査スタッフを殴り、機材を奪うとワゴン車に乗り込んで走り去った。

「警察に電話をする暇もありませんでした。」

とアンダーソンが見事なスペイン語で語った。ギャラガが暴漢の特徴を尋ねると、彼等は互いに顔を見合って考え込んだ。

「服装はバラバラで・・・その辺の男達が目出し帽を被って強盗に変身したとしか思えない。」
「魚の臭いがする男がいました。でも全員じゃない。」
「車のオイルの臭いがする男もいたなぁ。」
「年寄りもいたような気がします。若いのもいたし・・・」

 ギャラガが少佐に言った。

「金を与えて急拵えの強盗団を結成した感じですね。」

 少佐は直ぐには同意を示さなかったが、数秒おいて頷いた。ギャラガは彼女が別の意見を持ったな、と察した。

「襲撃者の心当たりはありますか?」

 モンタルボ教授は首を傾げたが、アンダーソンが答えた。

「アイヴァン・ロイドじゃないかと思うのです。」
「誰?」
「我が社と競合している動画サイトを運営する男です。伝説や物語の実証と言うテーマで秘境や危険な場所へ行って動画を撮影し、配信する仕事をしています。我が社の動向を見張っていて、先回りして映像を配信するので、こちらの商売の邪魔なのです。」
「その人物があなた方が撮影した映像を盗み、配信しようとしていると、貴方は考えるのですね?」
「いや、きっと宝が写っていないか確認したいのでしょう。沈没船らしきものや古代の宝物らしき物が写っていたら、自分で潜るんですよ。だが、金を使い危険を冒して前調査はしたくない、そんなヤツです。」

 アンダーソンは怒りを声に滲ませた。

「憲兵隊にも言ったんですがね、ロイドの顔も居場所もわからないんじゃ探しようがないと言うんです。」
「アイヴァン・ロイドが本名だと言う証明もないでしょう。」

 少佐は腰を浮かしかけた。当事者から集められる証言はこれ以上出て来ないと判断した。
 ギャラガがモンタルボ教授に尋ねた。

「発掘調査を続けますか?」
「勿論です。」

 モンタルボ教授が憮然とした態度で言った。

「船上モニターで見た海の底の様子は私の頭の中に残っています。スポンサーのビエントデルスール社と相談して援助をまだしてもらえるか交渉します。」

 それ以上のことは大統領警護隊の関知しないことだ。ケツァル少佐とギャラガ少尉は聞き取りの協力に対する感謝の言葉を告げ、カフェから出た。
 
「襲撃者は金で雇われた者でないとお考えですか?」

とギャラガが歩きながら質問した。少佐が囁いた。

「”操心”で動かされた可能性も考えられます。」
「では、襲撃を指図したのは一族の人間?」

 ギャラガは驚いた。少佐が難しい顔をして道の向こうを見つめた。

「貴方が昨夜ダウンロードしてくれた海底の地形図を見て、奇妙な印象を受けました。8世紀の祖先達がどんな方法であの岬を沈めたのか、調べてみる必要があるかも知れません。もしかすると、それを知られたくない一族の人々がいる可能性もあります。」


2022/03/17

第6部 訪問者    11

  アンドレ・ギャラガ少尉が目を覚まして共有スペースに出て来ると、ケツァル少佐は彼を同伴して陸軍国境警備班の宿舎へ行き、そこの食堂で朝食を取った。陸軍側では既に真夜中にグラダ・シティから美人と白人に見える大統領警護隊の隊員が2名やって来たと情報が拡散されていたので、私服姿の彼等を素直に迎え入れた。ギャラガは食事中兵士達の視線を集めていることを感じていた。きっと彼の容姿を見て、本当に大統領警護隊なのか? と疑っているのだろうと推測した。大統領警護隊本部においては、彼の容貌は皆見慣れてしまい珍しいものでないので、最近は揶揄われることもなくなった。カベサ・ロハ(赤い頭)と言う渾名は聞かれなくなり、新たに「エル・パハロ・ブランコ」(白い鳥)と呼ばれるようになった。アスルなどは「正確には白い緑の鳥だろう」とややこしいことを言う始末だ。実際、昨年国境警備隊に配属されたギャラガの同期生が1人いて、出かける前に共有スペースで出会した時、そいつは同僚に彼を紹介した。

「こいつ、エル・パハロ・ブランコって呼ばれているんだ。だけど、エル・ジャガー・ネグロなんだぜ。」

 白人の姿をしたグラダ族だって?と同僚が驚いていた。ギャラガは面倒臭かったので、よろしく、とだけ挨拶して少佐を追いかけた。
 陸軍の食堂のご飯は特に美味と言うほどでなく、雇われコックが大雑把に作っているのだろうと窺われた。もしかするとパエス少尉はこの味付けが気に入らないのかも知れない。フレータ少尉の料理が懐かしいに違いない。
 食事が終わるとケツァル少佐とギャラガ少尉は港へ出かけた。小さな国境の町は徒歩でも半日あれば一周してしまえそうだ。
 グリン大尉の情報にあった風景を探すとすぐに見つかった。ビーチから少し南に行った海岸で水深があるので大型クルーザーでも着岸出来る突堤が2本海に突き出していた。港とビーチの間に岩礁があり、ギャラガが岩礁と水没した岬の盛り上がりが砂を溜めてビーチを形成したのでしょうと言った。ビーチの中央辺りに小さな川が海に流れ込んでいた。川と言うより町の余剰水を海に流している溝みたいな役割の水路だ。

「不自然にここだけ深いのですね。」

と少佐が感想を述べると、ギャラガは綺麗な海水の底を眺めた。

「人工的に掘ったようにも見えます。カラコルが沈んでしまったので、新しく港を造ろうとしたのではないですか。しかし結局往年の繁栄は取り戻せなかった。」

 沖も深いので、自然の海底地形を利用して急拵えの港を造ったのだろう、と彼等は思った。
 突堤はハイウェイから数本の枝道を使ってアプローチ出来たので、襲撃者がどこから来たのか現場を見ただけでは特定出来なかった。ギャラガがコンクリートの地面をじっくりと観察した。

「見たところ血痕が落ちている様子はありません。怪我人が出たと言っていましたが、出血するような傷でなさそうです。」
「打撲ですから、痛いのは変わらないでしょう。」

 少佐は海に面して並んでいる宿屋や小さなホテルを眺めた。モンタルボ教授はまだクエバ・ネグラに滞在している筈だ。アンビシャス・カンパニーの人間もいるだろうか。
 心地よい風が海から吹いていた。ギャラガが沖を眺めていたので、泳ぎたいですか、と訊くと、彼は肩をすくめた。

「グラダ・シティから南のビーチとここはちょっと雰囲気が違います。変なことを言うようですが、私はここの海が気持ち悪いです。」

 ケツァル少佐は思わず少尉の顔を見た。海が好きなギャラガが気持ち悪いと言う。ヴェルデ・シエロは同胞の感じたことを無視しない。誰か一人でも「悪い予感がする」と言えば、全員が警戒する。少佐は気持ちを引き締めた。
 

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...