2024/02/29

第10部  粛清       12

  憲兵隊のコーエン少尉は、密猟者の自供を報告していた。

「テナンは腰を抜かしたそうです。目の前で何が起きたか理解できなかったらしく・・・」
「そうだろうな・・・」

とテオは頷いた。誰だって、撃ち殺したジャガーが人間に変化したら、肝を潰す。逃げ出すかも知れない。
 しかし密猟者達は逃げなかった。

「誰かが、『”ヴェルデ・シエロ”だ』と言うのを聞いたとテナンは言いました。」
「彼等は信じたのですか?」
「テナンと一緒にジャガーが人間になるのを目撃したのは、もう一人、キントーと言う男でした。この男は、ミーヤの教会裏の森で首を括りました。」
「すると残りの密猟者達は・・・」

 コーエン少尉が首を振った。

「連中は見ていなかった、とテナンは言っています。銃声を聞いて現場に集まって来て、サバンが死んでいるのを見ただけだと。」
「サバンは当然裸だったでしょう。」
「スィ。全裸だった筈です。森の中で全裸のインディヘナが死んでいる、その光景を残りの4人は見たのです。」
「裸であることを疑問に思わなかった?」
「そこまでは分かりません。ただ、仲間でない人間を殺してしまった、それだけは理解したのです。だから、連中は殺人の証拠隠滅を図り、サバンの遺体を焼きました。死体をそのまま埋めたのでは、後で動物が掘り返しますからね。」

 テオは聞いているだけで気分が悪くなった。犯罪の話はいつ聞いても胸が悪くなる。

2024/02/28

第10部  粛清       11

  憲兵隊のコーエン少尉がケツァル少佐とテオが住む西サン・ペドロ通りの高級集合住宅に現れたのは、夕食が始まる前だった。地上階の防犯カメラ前で、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵は礼儀正しく、そして世間に正体を知られないよう、チャイムを鳴らして、マイクに向かって名乗った。少佐が応答し、ドアロックを遠隔操作で解除した。コーエン少尉は建物の中に入り、エレベーターではなく階段を使って7階まで上がって来た。”ヴェルデ・シエロ”がエレベーターを嫌うのか、軍人なので用心しているのか、テオにはまだわからなかった。少佐に言われて彼は共用通路に出て、少尉を迎えると、少佐ではなく彼の居住スペースに少尉を招き入れた。
 少佐が家政婦のカーラに午後8時迄は待つように、それ以降は帰宅して良いと言いつけて、テオのスペースにやって来た。
 テオの側のキッチンにも小さな冷蔵庫があり、テオはそこからミネラルウォーターの瓶を出した。簡素なリビングの質素な安楽椅子に少尉を座らせ、少佐とテオはソファに並んで座った。

「テナンの自供内容の報告です。」

とコーエン少尉が言った。彼は憲兵で、大統領警護隊に報告する義務はない筈だが、密猟者を最初に見つけたのは大統領警護隊で、そこから任務を引き継いだ形になっていたので、コーエン少尉は筋を通そうとしていた。

「密猟者のグループは実行隊が6人でした。そのうち3名は既に死亡。テナンが勾留中です。残りの2名は、テナンが言うにはまだプンタ・マナ近辺に潜伏しているだろうとのことでしたが、司法警察がグラダ・シティで1名を見かけたとの情報を得て捜査しています。最後の1名はまだ不明。」
「テナンは何と言っていますか?」

 それが重要だ。彼等密猟者は、何を見たのか。
 コーエン少尉が息を深く吸って吐いた。

「彼等は、ボスから指図をもらい、猟を暫く控えるつもりで、キャンプの撤収をしていたそうです。セルバ野生生物保護協会の会員が彼等の居場所を特定したらしく、捕まる前に隠れるつもりだったのです。だが、その作業中に、1頭のジャガーが現れました。密猟者達は森の中では保身用に常に銃を発砲出来る状態で所持しています。ジャガーが威嚇して吠えた瞬間、テナンは咄嗟に自分の銃を発射したと言っていました。」

 テオも少佐も黙っていた。何が起きたのか想像出来た。しかし彼等は口を挟まなかった。コーエン少尉が続けた。

「テナンが撃った弾丸はジャガーの額を撃ち抜いたそうです。ジャガーはその場に倒れ、人間になった、と・・・」

2024/02/26

第10部  粛清       10

  テオとケツァル少佐は喪服ではなく、地味なスーツ姿と簡素な制服姿だった。葬儀の正装ではない。親族でなく友人でもないから、軽い服装で故人を見送った。墓地までついて行ったが、埋葬には参加せずに離れた場所で見ていた。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったのですよね?」

と不意にケツァル少佐が囁いた。テオは墓穴に土を投げ入れる人々に気を取られていたので、彼女の言葉を聞き逃し、もう一度繰り返してくれと頼んだ。少佐は言葉を追加して言った。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったそうですが、あれほど憔悴する程サバンを想っていたなら、コロンが言い出す前に彼女がサバンを探す手配をした筈です。或いはコロンを想っていたなら、彼一人でサバン捜索をさせなかったでしょう。」
「彼女の憔悴は一度に仲間を2人酷い形で失ったからだろう?」
「そうでしょうか?」

 少佐はちょっと冷ややかな目でセルバ野生生物保護協会の人々を見た。

「博士以外の協会員達はショックを受けていますが、彼女ほど打ちのめされているように見えませんよ。」
「個人の心の中がどんな状態なのか、俺達にはわからないさ。」

 テオは少佐が何を考えているのだろうと気になったが、彼自身には些細なことに思えたので、その日の夕方にはすっかり忘れてしまった。

2024/02/25

第10部  粛清       9

  テオはシショカが建築工学の教授を訪ねたと聞いた時、ちょっと不安になった。建築工学の先生達とはあまり交流がなかったが、誰かがシショカに粛清対象と見做されたのではないかと心配した。しかし2日経っても特に変わったことは起こらず、大学にいる”ヴェルデ・シエロ”達にも動きはなかった。
 大統領警護隊文化保護担当部は平常通りの業務を続け、手配中の密猟者も今のところ無事なのかニュースになっていなかった。
 オラシオ・サバンとイスマエル・コロンの遺族は遺体の一部を返還され、葬儀を済ませた。”ヴェルデ・シエロ”も普段は一般のセルバ国民として暮らしている。サバンの葬儀はコロンと合同でカトリック式で教会が執り行った。
 友人ではなかったが、テオはケツァル少佐と一緒に葬儀に参列して、死者を送った。セルバ野生生物保護協会の会員達が大勢出席していた。テオの耳に彼等のヒソヒソ話が聞こえてきた。

「犯人が自殺したらしい。」
「法の裁きを待てなかったらしいね。」
「誰かが神々に復讐を依頼したって噂だ。」
「それはもしかして、サバンの家族か?」
「おいおい、憶測でものを言うな。失礼だぞ。」
「サバン家が復讐を望んだとしても、私は反対しないわ。密猟者がしたことは酷すぎる。」
「憲兵隊に逮捕された男は、仲間のことを何か喋ったのか?」
「わかりません。憲兵隊は取調べの内容を公開しませんから。」
「主犯が誰かもわからないのだろうか?」

 ケツァル少佐がテオに囁いた。

「ロバートソン博士の嘆き方は尋常ではないですね。」

 言われて、テオは協会のネコ科研究の代表者を見た。フローレンス・エルザ・ロバートソンのやつれ方は確かに酷かった。すっかり憔悴し切った表情で、他の協会員に支えられて歩いている感じだ。
 少佐は滅多に憶測を語らないのだが、この時はテオに感じたことをそのまま告げた。

「彼女はサバンかコロンを個人的に愛していたのではないでしょうか。」

 テオはそっと遺族席を見た。コロンには妻子がいた。幼い子供2人を連れた妻が親族に守られて座っていた。サバンは独身だった。テオも面会した父親と、離れて暮らしていた母親と兄弟が来ていた。
 テオは参列者全体を見回して見た。殆どが協会関係者と故人の友人だと思われた。

 ここに密猟者が懺悔の気持ちで来ていることはないだろう。粛清者も来ていない。


 

2024/02/23

第10部  粛清       8

 「建設省のマスケゴ」と一族の人々から呼ばれる彼は、その日彼が奉仕している建設大臣が考えている公共事業に反対している大学教授を訪ねた。ダムの構造など説明されても彼は設計技師でも建築家でもないから理解出来ない。ただ教授が反対する本当の真意を探ることが目的だった。大臣の政敵の息がかかっていないか、確認に行ったのだ。
 途中、ちょっとした出来心でキャンパス内のカフェに立ち寄った。大学で屯する”出来損ない”の学生達がどれほどいるのか、見物してみよう、ただそれだけの軽い気持ちだった。しかし彼のそんな行動を疎ましく思う男がいた。
 マスケゴ族の現族長のファルゴ・デ・ムリリョの娘婿だ。挨拶の声を掛けて来ただけだったが、それが彼に対して心理的な圧を掛けてきた。己の方がお前より強いのだ、と空気を介して伝えてきた。2度目だった。多くを語らずに、雰囲気だけで彼を屈服させてしまえる、そんな気の強さをムリリョの娘婿は持っていた。

 あいつは本当にマスケゴなのか?

 彼は心の底で疑問を抱いていた。気の波長が彼の部族の人間と微妙に異なっている。時にはそれを完全に感じさせない。実際、大学のカフェでも、あの男が声を掛けて来る迄、彼は相手がすぐそばへ来ていることに気づけなかった。完璧に成長して能力の使い方をマスターしたブーカ族やサスコシ族の様だ。否、あの気の強さは穏やかなブーカや用心深いサスコシと違う気がする。では、オクターリャ族か? 時の流れの中に身を隠し、滅多に現世に現れない幻の部族なのか? しかし彼はオクターリャ族を一人知っている。まだ若造だが、能力の使い方は手練れだ。そして、気の波長は、ムリリョの娘婿とは異なる。

 部族ミックスなのか?

 それなら納得はいく。しかし、ファルゴ・デ・ムリリョは純血至上主義者だ。実子の2人の息子と年上の娘はいずれも同部族の純血種と婚姻している。末娘だけに異部族のミックスの男との婚姻を許したのか?
 ムリリョはあの男を子供の時から養ってきた。何処であの男を拾って来たのか? あの男の親の身元を知っているのか?
 悩んでいるうちに彼は本来の仕事を危うく忘れそうになり、慌てて建築工学部に向かったのだった。
 大学教授の話は退屈だったが、純粋に教授が地層や地質を調査してモデル実験もして、砂防ダムの建設位置や工法に疑問を抱いていることを知った。そして面倒なことに、彼は大臣の考えよりも大学教授の意見の方が正しいと思ってしまった。ダムの下流に被害を与えることにならないが、建設費用が膨大な国費の浪費になる。

 大臣の考えを改めさせなければ、あの男、イグレシアスは国に害をもたらす存在となる。

 雇い主をどう説得しようかと考えていたので、密猟者の粛清のためにプンタ・マナから来た同業者を見かけた時、彼はそんな些細な事件の粛清などどうでも良いと思った。だから、縄張り荒らしを見逃した。
 彼は今、国益の為に長年使えた主人を粛清せねばならぬかも知れない、と思い始めていた。

 

2024/02/21

第10部  粛清       7

 「見ない顔だな。」

と一族の言葉で話しかけられ、エクはぎくりとして立ち止まってしまった。夕刻の繁華街だった。逃がしてしまった標的が走り去った方向で獲物を探していたのだ。宛てはないが、田舎者が立ち寄りそうな場所は見当がついた。お洒落なレストランやバルには行くまい。しかし裏町にも行かないだろう。裏町には、その土地の”ティエラ”のグループが縄張りを持っている。見かけない田舎者が迷い込んだら、すぐにカモにされる。標的は只の”ティエラ”だ。身を守る術もないだろう。考えてからエクは思い直した。田舎者だから、都会の裏町の掟を知らずに入り込む可能性もあるじゃないか。身を隠すのに都合が良いとか、田舎の知り合いで早くに都会に出た人間を頼って行くとか。
 そう考えて方向を変えて歩き出して直ぐだった。
 声をかけた人間が背後に近づいて来た。気配を殆ど感じ取れないが、同族だ。ブーカ族やサスコシ族の様にこれみよがしに気を微量に発散させて存在を主張したりしない。エクは囁いた。

「マスケゴか?」
「否定しない。」

と相手は言った。エクは振り返ろうかと思ったが、止めた。相手の顔を見ない方が良い。”砂の民”同士なら尚更だ。彼は言った。

「プンタ・マナから来た。狩りの最中だ。君の領分を侵したのなら、謝る。」
「構わない。」

と相手は言った。

「私はその狩りに参加していない。それに私の領分だと言うなら、この国全体になる。」
「そんな・・・」

 そんな大それた発言をするのは首領ぐらいだろうと言いかけて、エクは口をつぐんだ。
首領の配下と言う縛りを持たない一匹狼の”砂の民”もいるのだ、と先輩から聞いたことがあった。そいつらと出会したら、怒らせないように、礼を尽くせ、と。そうすれば仕事の妨害をされずに済む、と。

「仕事が済んだらすぐに帰る。」
「構わない。」

と一匹狼の”砂の民”は言った。

「だが、ここはママコナのお膝元だ。緑の鳥には気をつけろ。彼等は法律を大事にするからな。ご機嫌よう。」

 そして、エクは相手が遠ざかるのを感じた。
 暑さには慣れているのに、彼は汗びっしょりになっていた。

2024/02/19

第10部  粛清       6

  粛清を行おうとしたが失敗した。邪魔が入ったからだ。
 その”砂の民”はエクと呼ばれていた。彼の実際の職業や立場はこの際はどうでも良いので、記述しない。エクは標的の密猟者を南部からずっと追跡して来た。彼は憲兵隊の手配書を見た訳ではなかった。以前から標的の男が森の中で悪さをしていることを知っていた。法律に触れることだ。しかしそれを罰するのは”砂の民”の仕事ではないから、彼は見逃してきたのだ。しかし一族の人間を殺害したとの情報が耳に入り、首領から粛清の指示が発せられたと知らされ、エクは狩りに出た。
 標的の男は仲間が3人、謎の自殺と謎の喧嘩殺人で命を落としたニュースを知って、怯えた。”ヴェルデ・シエロ”の祟りだと恐れた。エクはすぐには手を出さなかった。標的がもっと怯えることを望んだ。殺害された者が味わったであろう恐怖と屈辱を、仇に味わせたかった。標的の近くに潜み、夜になると幻聴で死者の声を聞かせ、昼間はチラチラと幻覚を見せた。
 標的は思ったよりしぶとかった。犯行現場から遠ざかれば、なんとかなると思ったらしい。標的はヒッチハイクで故郷を離れた。エクは仕方なく移動しなければならなかった。一度は標的を見失ったが、トラック運転手を片っ端から当たり、南部でヒッチハイカーを乗せた車を見つけた。
 標的は都会まで逃れて、少し安心した様だ。身内の家に転がり込んでいた。エクは標的が身内の家族に何の話をしたのか気になった。”ヴェルデ・シエロ”を殺したと喋って、それが身内に信じ込まれたら、粛清の対象が増えてしまう。
 エクは標的の身内の家長と思しき男に近づき、心を盗んでみた。”ヴェルデ・シエロ”にとって簡単な作業だった。目を見れば済むことだ。人間の記憶を読み取る。最近のものだけだから、すぐに済んだ。
 標的は幸いなことに、己が犯した罪は喋っていなかった。身内に、賭博で喧嘩になったので暫く身を隠すと嘘を言って、誤魔化していた。そんなチャチな嘘で相手に信じてもらえる、つまらない人間だ。
 エクは標的を遊ばせるのを切り上げることにした。ちょっと幻覚を見せて交通事故に遭わせれば良い。一番簡単な方法だった。
 標的が乗るバスに彼も乗り込み、標的よりも前の、出口に近い席に座った。斜め後ろの席に座っていた若い男女の会話に注意を向けなかったのが、エクの失敗だった。
 若い男女は”出来損ない”だが、大統領警護隊だった。大巫女ママコナが認めた一族の戦士だ。それに気付いたのは、エクが標的の降車に続いて、幻覚を起こさせる”操心”をかけようとした時だった。

「駄目よ!」

 若い女の声が、彼の術を破った。気を散らしたのではない、”気”を砕いたのだ。そんなことが出来る”出来損ない”は滅多にいない。訓練を受けた大統領警護隊ぐらいなものだ。
 エクは力を収めた。逆らうと、反逆罪に問われかねない。彼はバスを降りて、標的と反対方向へ歩いた。妨害した人間の顔を見たかった。
 可愛らしい若いメスティーソの女と、白人に見える若い男のペアだった。男がエクを見た。エクは思わず睨みつけたが、それ以上のことは控えた。
 再び狩りを続けなければならなかった。

2024/02/18

第10部  粛清       5

  ケツァル少佐と別れたアンドレ・ギャラガ少尉はバス停に向かって走った。セルバ共和国の路線バスの運行は、首都に関して言えば概ね時刻表通りに運んでいる。ギャラガは官舎の夕食の時間に間に合わせたかった。食事をして通信制大学の課題に取り組む時間が欲しかった。

 そうか、官舎を出ればバスで往復する時間も消灯時間も気にしなくて済むんだ。

 ”ヴェルデ・シエロ”は照明がなくても書籍を読める。それでも写真などの色彩は照明の下で見たかったし、大部屋の他の隊員達に気を遣わずに勉強するのも良いだろう。
 バス停に着くと、すぐに大統領府行きのバスがやって来た。首都の中心地で飲食店街から外れるので、夕刻にこの方向のバスに乗る客は多くなかった。列の前の方にデネロス少尉がいるのが見えた。彼女も官舎組だ。女性なので、アスルは同居を誘っていない。彼女が官舎を出る出ないは彼女自身がその気になったら決めるだろう。

 女性も同じ大部屋だ。彼女の方が独立したいんじゃないのかな。

 列が動き出し、並んでいた客が乗り込み始めた。ギャラガは最後尾で、彼が乗り込むとすぐにドアが閉まった。空いている席を探して車内を見ると、デネロスが彼に気づいて手を挙げた。隣席が空いていたのだ。ギャラガは「グラシャス」と言って、先輩の隣に座った。

「明日は今季の発掘許可決定の最終選考日ですね。」

 ギャラガが囁くと、デネロスは頷いた。

「最近選考を通る団体が固定されてきましたね。」
「アンティオワカはまだどこの団体とも決まっていないわ。フランス隊の不祥事の後、閉鎖されたままだから。」
「ミーヤ遺跡の日本隊がそろそろアンティオワカへ希望を申請する頃だと思いましたが、今季は出しませんでしたね。」
「ミーヤの発掘が完全に終わっていないからよ。日本隊は予算の都合上、一度に複数の遺跡を掘ったりしないの。エジプトやアンデスの遺跡と違ってセルバの遺跡にはスポンサーが少ないのよ。」

 2人でボソボソと仕事の話をしていると、出発してから3つ目のバス停が近づいて来た。後ろの座席から立ち上がった気の早い男の客が通路を歩いて2人の横を通り過ぎた。するとデネロスの斜め前の席にいた男も立ち上がった。先に席を立った客の背後について行く。
 ギャラガは不意に空気が少し震えた様な気がした。誰かが”気”を使った? 直後にデネロスが声を出した。

「駄目よ!」

 周囲の乗客が彼女を振り返った。ギャラガも彼女を見た。先に立った男も彼女を振り返った。彼の背後に立った男は振り返らなかった。
 デネロスがギャラガに顔を向けて言った。

「特定の団体に便宜を図ったりしては駄目よ。」

 なんのこと? とギャラガは一瞬ポカンとして先輩少尉を見返した。デネロスが”心話”で事情を説明した。

ーー誰かが”操心”を使おうとしたから止めた。
ーーもしかして、あの前に立っている男ですか?
ーー多分。標的はその前にいる男。

 ミックスで白人の血が混ざっていてもマハルダ・デネロスは”ヴェルデ・シエロ”で2番目に強い部族ブーカの娘だ。そしてギャラガが最強の部族と呼ばれたグラダ族だ。2人はブーカやグラダより弱い力を持つ部族が強力な力を使えば、察知することが出来た。
 バスが停車した。最初に立った客が降車し、バスから出た途端に走り出した。後から立った客も降りたが、追いかけずに反対方向へ歩き出した。
 バスが動き出した。ギャラガは歩道を歩く男がバスの窓越しにこちらを睨みつけるのを見た。純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。

ーー”砂の民”じゃないですか?
ーーそうだとしたら、逃げた方は密猟者ね。

 

2024/02/17

第10部  粛清       4

  その日の夕方、勤務を終えて庁舎から外へ出たケツァル少佐は、アンドレ・ギャラガ少尉が階段の下で彼女を待っていたので、少し驚いた。夕食を共にする約束をしていなかったし、仕事中彼から何も意思表示がなかったので、部下が待っていると予想していなかった。

「少しお時間を頂けますか?」

とギャラガが遠慮勝ちに声を掛けてきた。彼女は他の部下達が既に銘々帰宅にかかっていることを確認した。これはギャラガ単独の誘いだ。彼女は無言で頷くと、カフェ・デ・オラスを顎で指した。

「そこで良いですか?」
「スィ。」

 2人はカフェに入った。夕食時間までにはまだ早く、お茶の時間はとっくに過ぎている。カフェはそろそろバルが開くのを待つ客が増える時間だった。テーブルに着くと、少佐がコーヒーを2人前注文した。部下の希望は聞かなかった。ギャラガも特に希望を言わなかった。

「それで?」

と少佐が声をかけた。ギャラガは率直に相談を始めた。

「クワコ中尉が、私に官舎を出てマカレオ通りの家で同居しないかと言って下さいました。」

 少佐が尋ねた。

「何か問題でもあるのですか?」

 ギャラガは躊躇った。

「私は普通の家に住んだことがありません。」

 少佐は数十秒間彼を見つめ、やがてプッと吹き出した。

「普通の家に住むのが不安なのですか?」
「不安ではありません。」

 ギャラガはちょっと赤くなった。意気地なしと思われたくなった。

「ただ・・・規律がない場所で寝起きする習慣がないので・・・監視業務や出張の時は時間を守ることや、面会する人との約束がありますから、行動の目的があります。官舎の様に食事や入浴や清掃や運動の時間が決まっています・・・」
「アスルと同居すれば、掃除や入浴の順番があるでしょう。炊事は彼が独占するでしょうけど。」
「でも、自由時間があり過ぎるでしょう?」

 ケツァル少佐は目の前の男がまだ本当に自由に生きることを知らないのだと気がついた。幼少期、彼は唯一の肉親だった母親に育児放棄されて一人で物乞いをして生きていた。やがて生きるために(誰かの入れ知恵で)年齢を偽って軍隊に入り、ずっと軍律の下で成長してきた。休暇を与えられても何をして良いのかわからず、一人海岸で海を眺めて過ごすことしか知らなかったのだ。

「自由時間は好きに過ごすものです。貴方は大学の勉強があるでしょう。アスルとサッカーの練習にも行くでしょう。それが官舎の門限や時間割に煩わされることなく出来るのです。」

 彼女はキッパリと言った。

「上からの指図に従って生きるのではなく、自分のことを自分の責任で決めて行動することを学びなさい。そのためにアスルは貴方を誘っているのです。」

 ギャラガはハッとして上官を見た。アスルが同居を提案したのは、彼を教育するため? 彼に独立心を養わせるためなのか? 

「私は・・・」

 ギャラガは言葉を探した。

「これから門限に縛られることなく任務に励むことが許される・・・と考えてよろしいのですか?」

 少佐が天井へ顔を向けた。

「貴方は、仕事のことしか考えられないのですか?」
「今の私には、仕事が一番の大事です。」
「よろしい。」

 少佐は彼に視線を戻して溜め息をついた。

「それなら当分は、好きなだけ仕事をする時間が得られると考えて、官舎の外で暮らしなさい。そのうちに自分でやりたいことが出来る時間を手に入れたのだと思える様になるでしょう。」

 ギャラガが座ったまま敬礼した。アスルの提案を受け入れる意思表示だ。少佐は別の大事なことを思い出した。

「ところで、アスルは現在家主であるテオに家賃を払っています。貴方が同居するなら、家賃を折半するのかどうか、アスルと相談する必要があります。今のままだとテオと契約しているのはアスルだけですからね。」


2024/02/16

第10部  粛清       3

  食事を終えたケツァル少佐は、若い掃除夫は元気ですか、と尋ねた。テオは彼女と一緒に食器を返却口に運びながら、周囲を見回した。勿論昼食時間真っ最中のカフェに掃除夫がいる筈がない。

「昨日も今日も見かけていないなぁ。」

 ちょっと不安になった。父親の逮捕であの若者の身に好ましくないことが起きたのかも知れない。職場を解雇されたとか、故郷へ戻ったとか、想像したくないが”砂の民”に何かされたとか。
 少佐と別れてから、テオは事務局へ行って、掃除夫のことを尋ねてみた。しかし大学は清掃会社と契約しているのであって、掃除夫個人の勤務状況も氏名も把握していなかった。清掃会社の連絡先を教えてもらい、テオはそこへ電話してみた。昼休みなので誰も電話に出なかった。
 仕方なく、心の中に気になるものを抱えながら、その日の仕事を夕刻までこなして、それからもう一度清掃会社にかけてみた。掃除夫は夜間に仕事をする場合もあるのだ。
 電話口に出た男性は、ホルヘ・テナンが大学で何か問題でも起こしたのかと心配した。だからテオは嘘を言うしかなかった。

「彼が俺の落とし物を拾ってくれたんで、礼を言いたかったんです。でも今日は見かけなかった。」

 すると電話口の男性が彼に尋ねた。

ーーすると貴方はお医者さんですか?
「は?」
ーーテナンは大学病院が担当なんですが・・・
「そうなんですか? 俺は自然科学学舎で彼と出会いました。」
ーーああ・・・また勝手に持ち場を交換しやがったな・・・

と男性が舌打ちするのが聞こえた。

ーー若い連中は遊びに行く都合で勝手に持ち場を交換するのでね、こっちは何か問題が起きた時に誰が担当か調べなきゃいけないんですよ。
「すると、ホルヘは、今日普通に仕事に出ているんですね? 大学病院の方に?」
ーーその筈です。タイムカードを押しているからね。

 テオはひとまず安堵した。ホルヘ・テナンはテオに会う為に会社に無断で学舎担当の掃除夫と勤務場所を1日だけ交換したのだろう。会社にバレてしまって悪いことをした。きっと本人は勤務場所交換も記憶から消されているだろうに、上司から叱られてしまう。

「俺は落とし物が戻って感謝しています。どうか彼を叱らないでやって欲しい。それから普段の掃除夫もしっかり働いてくれていますから。」

 フォローになったかどうかわからないが、テオは誤魔化して電話を切った。

2024/02/15

第10部  粛清       2

 「ああ・・・面白かった!」

とケツァル少佐が呟いた。テオは彼女を振り返った。少佐は口元に微かに笑みを浮かべながら、最後の料理に取り掛かっていた。テオは彼女に同意した。

「シショカの奴、ビビってたな。」

 少佐が視線を彼に向けた。

「貴方にもわかりましたか?」
「スィ。教授は縄張りを荒らされるのを警戒して威嚇しに現れたんだろ?」
「スィ。政治家秘書が場違いな場所に来たからです。あの男が相手にするのは、イグレシアス大臣の政敵です。恐らく、大臣が推し進めようとしている北部のダム建設に反対する建築工学の教授を説得に来たのでしょう。私は建築に詳しくありませんが、新聞やネット記事によれば、大学は大臣が採用しようとしている建築方法が自然破壊と災害を齎しかねないと、反対しているのです。でも自然科学の分野からは何も意見が出ていません。」
「ダム建設って?」
「ほら、以前コンドルの神様の目が盗まれたラス・ラグナス遺跡や移転したサン・ホアン村がある地域です。」
「砂漠で地下水脈が変化して地上の水源が枯渇しかけている所だったな? ダムなんて造って意味があるのかい?」
「イグレシアスは水を貯めるのではなく、土砂の流出を防ぐ砂防ダムを大規模に造ろうとしているのだそうです。もしいきなり大雨が降って、土石流が下流の集落を襲うと大災害になるだろう、と。」
「うーん・・・」

 テオは腕組みした。

「国民を守る気持ちは誉めてやるよ。だけど、あの位置に砂防ダムを造ったって、一番近い集落までどれだけ距離があると思ってるんだ?」
「イグレシアスは建設会社に仕事を与えたいのです。大統領の失業対策にも繋がりますから。」
「その政策にロカ・エテルナ社は関係しているのか?」

 ロカ・エテルナ社は、ムリリョ博士の息子や娘達が経営しているセルバ共和国最大手の建築会社だ。公共施設などのビルを得意としている筈だった。少佐が首を傾げた。

「私は知りませんが、アブラーン(ムリリョ博士の長男)はダムに興味を持っていないと思います。」

 利権争いなどは、テオもケツァル少佐も預かり知らぬことだ。だがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョの義理の弟であるケサダ教授が大臣秘書のシショカに敵意を示したのは、ちょっと気になった。単純に縄張りを守っただけとは思うが。
 すると少佐はテオが気付けなかったことを教えてくれた。

「教授はこのカフェで寛いでいるメスティーソの学生達を気にかけていましたよ。一族の血を引く学生も何人かいますからね、シショカが嫌うミックス達です。シショカの注意をご自分に向けて学生達から秘書の気を逸らしていました。」
「そうか・・・子供を守る親の役目をしたんだな。」

 少しだけテオは安心した。

「だが、行き先を間違えるなんて、シショカらしくないんじゃないか?」

と指摘すると、少佐は鼻先で笑った。

「若いミックスが大勢いるので、覗きに来たのでしょう。強い力を持つ人間の驕りですよ。」

2024/02/14

第10部  粛清       1

  セニョール・シショカは”砂の民”だが、ムリリョ博士の手下ではない。マスケゴ族だが、そのナワルはジャガーではなくピューマで、だから”砂の民”の仕事をしている。だが建設大臣の私設秘書はそんなに暇な立場ではない筈だ。彼の仕事は大臣の仕事がスムーズに行く様に障害となる人物や厄介事を取り除くことだ。主に政治的に反対の立場の陣営や大臣と同じ政党のライバルの足を掬ったり、選挙で不利になるよう工作する訳だ。わざわざ森に出向いて密猟者を粛清したりしないし、ムリリョ博士の手下達が活動していると分かっていて横から手を出したりしない。
 テオはシショカが好きでなかったが、その男の筋を通すところは評価していた。

「博士に用ですか?」

とケサダ教授がシショカに尋ねた。”砂の民”は身分を秘匿するものだが、シショカは一族の間で非常に有名な男だ。少なくとも、同じ部族のマスケゴ族達は彼の顔と名前を知っているし、公の立場も知っていた。ケサダ教授はマスケゴ族として当然彼を知っていたし、シショカの方も教授がムリリョ博士の養い子で学問の弟子で、さらに博士の娘婿であることを承知していた。そして2人の間には、不思議な緊張感が存在した。
 教授は”砂の民”としてのシショカの出現を警戒していた。大学内で問題を起こして欲しくないのだ。学生も職員も、ケサダ教授が日頃守護しているセルバ国民だ。いかなる理由であれ、己が守護している場所で他人に勝手をされては困るのだ。
 シショカの方はケサダ教授が彼より強い能力を持っていることを直感で悟っていた。目の前の男は同じマスケゴ族とは思えない様な強力な超能力の持ち主だと、シショカの本能が告げていた。”ヴェルデ・シエロ”は保有する能力が強ければ強いほど、同族の者が持つ力の大きさを正確に察知する。例えばケツァル少佐のグラダ族純血種の能力を正確に悟れるのは、ブーカ族の純血種だ。ブーカ族より力が劣る他部族やメスティーソのブーカ族は、グラダ族が強いと言うのは感じ取れるが、それがどの程度強いのかは測れない。測れないから、彼等はグラダ族を怒らせることを恐れる。下手すると己の命を失いかねないからだ。シショカはブーカ族より弱いマスケゴ族だが、純血種で、”砂の民”としての修行を積み重ねてきた。だから彼はグラダ族の力を押し測ることが出来る。今、彼の目の前に立っている考古学教授は・・・ブーカ族よりも強い、と彼の本能が告げていた。
 テオは、ジャガーとピューマが牙を見せ合って威嚇し合う姿を想像してしまった。この対決は、ピューマに分が悪い。ここは大学で、ケサダ教授の縄張りだ。大臣の秘書が気張っても不利なだけだ。

「考古学の博士に用があって来たのではありません。」

と、いつもの様に、上部だけは慇懃にシショカは答えた。

「建設大臣の使者として、建築工学部の教授に面会に来たのです。」

 建築工学部はテオにはあまり接点がない場所だった。そこの教授陣も予算会議で顔を見るだけだ。大臣とどんな話をするのか、テオには見当がつかなかった。

「成る程・・・」

とケサダ教授が言った。牙を収めたがまだ飛びかかる体勢のジャガーだ。

「建築工学部は逆方向の学舎です。」

 指摘されて、シショカはハッと後ろを振り返った。本当に方向を間違えて歩いて来たのだろうか。

「ご指摘、感謝致します。」

 と彼は挨拶すると、くるりと体の向きを変え、教授が指差した方向へ歩き去った。
 テオはちょっと呆気に取られた。ケツァル少佐もちょっと笑いたいのを我慢している表情で陰気な男の姿が遠ざかって行くのを見送った。
 テオは既にケサダ教授がいなくなっていることに気がついた。ジャガーはピューマの気配を察知して追い払いに出て来ただけだった様だ。

第10部  追跡       22

  結局エンリケ・テナンの逮捕は翌日の新聞の片隅に小さく「密猟者逮捕」と出ただけだった。テナンが犯した殺人の話は載っていなかった。

「まだ2人逃亡中ですから。」

とケツァル少佐はテオに言った。

「逃げている2人が自棄にならないよう、報道を抑えているのでしょう。憲兵隊は2人の氏名と写真を持っていますから、各地の警察に手配しています。」
「すると”砂の民”が連中の名前や顔を知っていると思って良いのだな。」
「仕方がありません。彼等は実際に目撃したのです。テナンと一緒にサバンの遺体を焼いて、コロンの遺体をバラバラにした。粛清は免れません。」
「テナンも捕まったと言っても安全じゃないだろう?」

 テオは麻薬関係で捕まった人間が口封じのために刑務所内で殺害される話を聞いたことがあった。麻薬組織と”砂の民”、どちらも執拗で執念深く、無慈悲だ。
 テオと少佐は大学のカフェで昼食を共にしていた。少佐はいつも食事を取るカフェ・デ・オラスが臨時休業だったので、安くてボリュームがある食事を取れる大学のカフェに来ただけで、特にテオに用事がある訳ではなかった。テオも偶々売店で買った新聞にエンリケ・テナンの記事があったので、話題にしただけだ。

「今日はあの掃除夫は元気にしていましたか?」
「彼は総合学舎のロビーを掃除しているのを朝見かけた。ちょっと元気がなかったが、それは父親が密猟で捕まったからだろう。まさか殺人を犯しているとは分からない筈だ。多分、昨日の夕方帰宅してアパートの住人から父親が憲兵隊にしょっ引かれたことを聞いたに違いない。憲兵隊に問い合わせても、会わせてもらえないだろうし、説明も密猟のことだけだったと思う。」
「憲兵隊の一族の人は上手く誤魔化せたと信じています。テナンの記憶から殺人の部分を消すことは出来なくても、世迷ごとで済ませるでしょう。」

 そしてちょっと怖いことを言った。

「テナンの父親を普通の殺人罪で済ませるために、逃亡中の2人には粛清を受けてもらった方が良いかも知れません。」

 テオは無言だった。ジャガーが人間になった、と同じ証言を3人がしたら、面倒なことになる。それは理解出来た。一人だけなら、そいつはちょっとおかしいのだ、と言えるから。
 ふとケツァル少佐が視線をテオの背後に向けた。一瞬彼女が警戒したことを、テオは空気の微妙な変化で気がついた。少し空気が固くなった感じがして、すぐに緩んだ。

「ブエノス・ディアス」

とケサダ教授の声が聞こえ、テオは後ろを振り返った。長身でハンサムな考古学教授が立っていた。但し、彼が声をかけたのはテオではなくケツァル少佐でもなかった。白いスーツに黒いシャツを着た建設大臣の私設秘書セニョール・シショカがいたのだ。テオはぎくりとした。シショカは筋金入りの”砂の民”だ。大学に何の用だ?

2024/02/13

第10部  追跡       21

  ムリリョ博士が溜め息をついた。

「手下達の仕事に細かく指図する権限は、儂にはない。」
「しかし・・・」
「お前は誤解している様だが、我々は上下の命令系統を持たない。儂は仲間に何が起きているのかを伝えただけだ。粛清するかしないかと決めるのは手下達だ。」
「では・・・」
「その掃除夫が父親とこれ以上接触せず、聞いた話を全て忘れているなら、お前が案ずる必要はない。マレンカの若造(ロホのこと)がどれだけ能力を発揮したか、それが決め手だ。」

 博士は立ち上がった。

「儂はこれから昼に行く。お前も来ると良い。」

 断れない雰囲気だったので、テオは博士に続いて部屋から出た。ムリリョ博士と食事だなんて、光栄なのだろうが、恐ろしい気もした。歩いて行くと、パティオに出る出入り口に差し掛かった。博士が外を見た。ロホがやって来るのが見えた。ホルヘ・テナンはどうしたのだろう。
 ロホがそばへ来るまで博士は立ち止まって待っていた。ロホはケサダ教授の直弟子で、博士から見れば孫弟子になる。大師匠にロホは右手を左胸に当てて敬意を表した。ムリリョ博士は頷いた。そしてロホの目を見た。”心話”だ。ホルヘ・テナンに対するロホの対処方法をそれで確認したのだろう。

「掃除夫は一族にとって無害だと言うのだな?」

と言葉で博士が確認した。ロホが「無害です」と答えた。

「彼は清掃会社から派遣されて、この大学で毎日掃除をしています。父親と会ったのは2年ぶりだと彼の心が言っていました。昨日父親と会って聞いた話を記憶から消し去れば、彼は父親はまだ故郷の村にいると信じたままです。」
「では、憲兵隊が父親をどう扱うかが問題だ。」

 憲兵隊はセルバ野生生物保護協会の職員を惨殺した密猟者を逮捕したことを公表するだろうか。もし公表してテレビや新聞に出たら、ホルヘ・テナンは父親の罪を再び知ることになる。だが彼はショックを受けるだけで済む。父親が殺害した人間が何者だったのか知らずに済むから。
 問題は殺害犯のエンリケ・テナンだ。憲兵隊に何を喋るだろう。憲兵隊は彼の言葉をどこまで信じるだろう。
 ムリリョ博士はそこまで考えないことにしたのか、ロホも昼食に誘った。ロホはぎくりとしてテオを見た。テオは肩をすくめて見せるしかなかった。断って良いことでもあるだろうか。

第10部  追跡       20

  ムリリョ博士の部屋は、テオが想像していた通りの、一見乱雑でしかし整理整頓されている考古学者の部屋だった。書籍があちらこちらに山積みされ、古文書の様なものも置かれている。無造作に机の上で横たわっているのは、子供のミイラだ。勿論本物だろう。
 ムリリョ博士はテオに椅子を勧めるでもなく、己の席に座った。テオは仕方なく彼の机のそばに立った。目の前でミイラが目玉のない目でこっちを見ていた。

「サバンを殺害した人間がわかりました。」

とテオは要件は何かと訊かれる前に言った。その方を博士も望んでいるだろうと思った。ムリリョ博士は黙って彼を見返しただけだった。

「エンリケ・テナンと言うプンタ・マナ南部に住んでいた元農夫です。密猟で生計を立てていた様ですが、ジャガーを撃ったら人間になったので腰を抜かしたそうです。」
「エンリケ・テナン?」

と博士が低い声で復唱した。どうやら初耳の名前だったらしい。まだテオが憲兵隊に通報したことは伝わっていない様だ。テオは続けた。

「テナンは仲間の密猟者が最近続け様に3人、奇妙な死に方をしたので、”ヴェルデ・シエロ”の呪いだと怯えて、故郷を逃げ出し、グラダ・シティで働いている息子を頼って来ました。
 息子は掃除夫として働いていて、父親の密猟には関与していません。逃げて来た父親に罪の告白をされ、びっくりして俺のところに相談に来ました。彼はジャガーが人間に変身したことは信じていませんでしたが、父親が人を殺して死体を焼いて埋めたことは信じました。信じて、父親が変死することを恐れ、俺に相談に来ました。俺が大統領警護隊と親しくしているから、何か助けてもらえないかと頼って来たのです。」

 いつものことながら、ムリリョ博士は言葉を挟まなかった。まだテオが本題に入っていないと知っているからだ。テオは続けた。

「父親は罪の償いをするべきだと言う息子の言葉を聞いて、俺は息子の承諾の元で憲兵隊にエンリケ・テナンの現在地を通報しました。恐らく電話に出たのは一族の人の憲兵でしょう。俺は彼がエンリケがジャガーから変身した男の話を広めないよう手を打ってくれるものと信じています。」

 すると初めてムリリョ博士が口を開いた。

「エンリケ・テナンに手を出すな、と言いたいのか?」
「違います。」

 テオは速攻で否定した。

「エンリケ・テナンは粛清されて当然のことをしました。俺は密猟者のことはどうでも良いです。俺が心配しているのは、父親の罪の告白を聞いてしまった息子の将来です。さっき、ロホに相談して、ロホが息子の掃除夫から今から過去1日分の記憶を消してくれました。だから、息子のホルヘ・テナンには手を出さないで頂きたい。」


2024/02/11

第10部  追跡       19

  ロホが近づいて行くと、ホルヘ・テナンは少し警戒した様子で彼を見た。ロホは無言で緑色に輝く大統領警護隊の徽章を提示した。テナンはその場で固まった様だ。ロホは優しく声をかけながらさらに近づき、相手の目を見た。見ていたテオは少し冷たい風が吹くのを感じたが、それも一瞬のことだった。
 ロホがテナンから離れ、テオの元に戻って来た。

「1日分の記憶を消しました。でもまだ安心は出来ません。」

 彼は人文学舎の方向を見た。

「ムリリョ博士は今日は来られていますか?」
「それは確認していない。」
「彼に、息子は父親の罪と無関係だと知ってもらわなければ・・・」
「わかった。」

 テオは昼休みが近づいて人々が動き出した学内を歩いて行った。ロホはパティオの端に残った。テナンを暫く守るのだろう。
 考古学部は静かだった。もしムリリョ博士もケサダ教授もいなければ面倒だな、とテオは心配した。博士は”砂の民”の首領だから、彼を納得させればホルヘ・テナンは安全だ。彼の所在が不明ならケサダ教授に伝言を頼むか、居場所を教えてもらわねばならない。もしどちらもいなければ、掃除夫の身を案じなければならない。
 全くの幸運・・・学舎の入り口で、テオはまともにムリリョ博士と出会した。

「ブエノス・ディアス!」

 彼は思わず声を出した。博士はいつもの様にむっつりした顔で彼を見返しただけだった。

「貴方にお話を聞いて頂きたく、来ました。」

 テオが告げると、博士はチラリと彼の背後のパティオの方を見た。掃除夫を見たと言うより、ロホの存在を気にした様子だった。

「他人に聞かれて拙いことか?」

 博士が短く尋ねた。テオは「拙いです」と答えた。博士は顎で己の研究室の方を指した。

2024/02/10

第10部  追跡       18

  ロホが大学へ来たのは、電話を切ってから5分後だった。”空間通路”を通る訳にいかないので、車でやって来た。歩いても同じ時間で済む距離だ。ロホは仕事をアスルに引き継いで、車に乗って、大学の駐車場に車を置いて、と手順を踏んだので時間がそれぐらいかかったのだ。
 研究室のドアを開けるなり、テオは彼に尋ねた。

「掃除夫を見かけなかったか?」

 ロホは来た方角を振り返った。

「パティオで一人いました。」

 テオはすぐに部屋から出た。歩き出した彼の後ろを、ロホは無言でついて来た。学舎を出て、中庭に出た。芝生と低木の植え込みの向こうで、カートを置いて、ホルヘ・テナンが石畳の遊歩道を箒で掃いているのが見えた。
 テオは立ち止まり、ロホに説明した。

「彼の父親が密猟者だ。仲間が不思議な死に方をしたので、恐ろしくなり、住んでいた町を逃げ出して息子のアパートに転がり込んだらしい。親父の告白を聞いて、息子は仰天した。父親が密猟か何か良くないことをしていたことは薄々勘づいていたが、人を殺したと告白されて、彼も怖くなった。しかも父親は、ジャガーを撃って、そのジャガーが人間になった、と言ったそうだ。息子はどうすれば良いのか途方に暮れて、俺が大統領警護隊と親しいと噂されていることを思い出し、相談に来た。」
「父親はまだ息子のアパートにいるのですか?」
「わからない。俺は少佐に電話する直前に憲兵隊に通報した。少佐に教えられた憲兵隊の少尉に通報したんだ。まだ半時間経つか経たないかだ。」
「では、そっちは憲兵隊に任せましょう。」

 ロホは掃除夫を眺めた。

「彼の記憶から父親の話を消すのですね?」
「出来るかい?」
「まだ新しい記憶でしょうから、出来ます。でも、貴方と会話した内容も忘れてしまいますよ。」
「要するに1日分の記憶を消すんだな。」
「スィ。」
「今朝まで知らない者同士だった。だから今朝の会話を消されても彼と俺の関係に何ら支障はない。」

 ロホはわかった、と手で合図してパティオの中へ歩き出した。

2024/02/09

第10部  追跡       17

  ホルヘ・テナンが研究室から出て行き、たっぷり5分待ってから、テオはある人物に電話を掛けた。前夜、ケツァル少佐から、「もし事件に関連する情報があればここへ連絡を」と教えられた番号だった。10回近く呼び出しが鳴って、もう切ろうかと思った瞬間に相手が出た。

ーー憲兵隊本部、コーエン少尉・・・

 テオは素早く名乗った。

「グラダ大学のアルスト准教授。」

 それだけ言えば、相手はわかる、と少佐は言った。恐らく、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵隊員だ。果たして、相手は「ああ」と声を出した。テオは挨拶抜きで要件を述べた。

「ジャガーを撃って、死体を焼いたと言う男の所在がわかった。」

 テナンから聞いたアパートの住所を告げた。長い説明はしない。相手が今誰と一緒にいるのか、何をしているところなのかわからないから。

「息子は大学で掃除夫をしている。その息子からの情報だ。息子は父親の言葉を信じていないが、恐ろしいので俺に相談に来た。」

 相手は短く言った。

ーー情報に感謝します。出来るだけ穏便に対処します。

 そして通話が切れた。
 テオは深呼吸した。テナンの父親が”砂の民”に発見される前に憲兵隊に確保されて欲しかった。あの掃除夫の若者がこれ以上泣くことがないように。

 そうだ、ホルヘの記憶を消さなければ!

 テオは急いで今度は少佐の番号に掛けた。少佐はすぐ出てくれたが、忙しかったのか、テオが名乗る前に、自分の電話をロホに投げ渡した様だ。男の声が応えた。

ーーロホです。
「アルストだ。頼みがある。ある人の記憶を消して欲しい。彼の命がかかっている。」

 親切なロホはテオの切羽詰まった声を正く理解してくれた。

ーー承知しました。どこへ行けば良いですか。
「すぐ来てもらえるなら、大学へ・・・」
ーー承知。

 通話が切れた。テオは椅子に深く腰掛けた。まだ昼前なのに、疲れた・・・。

2024/02/08

第10部  追跡       16

  大事なことは、今目の前で震えながら泣いているホルヘ・テナンと言う若者を”砂の民”の粛清リストから外すことだ。テオはそう判断した。テナンの父親は罪を犯した。だから、粛清の対象になっても文句を言えない。それは全ての”ヴェルデ・シエロ”がそう判断する筈だ。しかし、ホルヘは違う。何も知らずに都会で掃除夫をしている若者が、父親に罪の告白をされて、それだけで粛清されてしまって良い訳がない。

「本当に人間が・・・いや、ジャガーが人間になったと、君は信じているのかい?」

 テオは若者に声をかけた。取り敢えず、ここはしらばっくれて、ホルヘの心を落ち着かせよう。ホルヘ一人なら、父親から聞いた話の内容を記憶から消し去ることなど、”ヴェルデ・シエロ”にとって朝飯前の筈だ。

「親父は・・・そう言いました・・・」

 ホルヘは泣きながら言った。

「信じられないでしょけど・・・」
「信じないさ。」

とテオはキッパリと言った。

「誰も君の親父さんの話なんて信じない。ジャガーは神様だが、人間になったりしない。君のお親父さんは、密猟の目撃者を撃ってしまった、それを誤魔化すために、ジャガーが人間に変身したと言ってるんだ。」

 ホルヘが顔を上げてテオを見た。

「あんたは白人だから・・・」
「白人でもセルバ人だ。先住民だってメスティーソだって、誰も君の話を信じない。神話の中の神様がこの時代に現れたなんて、誰が信じる?」
「でも、親父の仲間が死んでしまった・・・」
「仲間割れだろ? まともな人間じゃなかったんだ、麻薬のせいもあるだろうさ。」

 テオは立ち上がった。

「君の親父さんは君の家にいるのかい?」
「スィ。アパートに隠れています。絶対に外に出るなと言い聞かせています。」
「それじゃ、君は今日の仕事をするんだ。普段通りに振る舞いなさい。誰からも怪しまれないように。俺は大統領警護隊の友人に相談する。」
「えっ!」
「大統領警護隊は神と話が出来るんだろ? だから君は俺に相談に来た筈だ。」
「そうです・・・」
「俺の友人達に、君の親父さんがいる場所を教えて良いかな? 親父さんが奇妙な死に方をする前に・・・」

 ホルヘは蒼白になっていた。きっと神の祟りを考えているのだ。

「親父さんが殺人で逮捕されても、君は平気でいられるか? 神の罰を受けた方が良いと思うか?」
「僕にはわかりません・・・」

 ホルヘはテオを見つめた。

「でも・・・人間として罪を償って欲しい・・・」

 テオは頷いた。

「わかった。友達にそう伝える。だから、君はもう仕事に戻りなさい。」

 彼はポケットから財布を出し、紙幣を1枚つかみ出した。

「君の仕事を遅らせたから、チップを渡しておく。誰かに訊かれたら、アルスト先生の部屋の掃除を特別に頼まれた、と言っておくんだ。」


2024/02/07

第10部  追跡       15

  テオの研究室に向かう時もホルヘ・テナンは掃除道具のカートを押していた。途中ですれ違った事務職員がテナンに声をかけた。

「ホルヘ、この時間はパティオの掃除だろう?」

 だからテオがテナンの代わりに答えた。

「俺がちょっと呼んだんだ。すまない、用事が終わったらすぐに行かせるよ。」

 多分、チップが必要になるな、と思った。掃除夫は大学が雇っている訳ではない。契約している清掃会社から派遣されて来るのだ。事務職員に名前を覚えられているなら、先ほどテナンが「5年ほど」と言った言葉は嘘ではないのだろう。
 テオは研究室に入ると、ホルヘをカートごと中へ導いた。そしてドアの外に「実験中」と書いたプレートを下げておいた。これで当分邪魔は入らない。
 彼は執務机の向こうに座り、テナンにも折り畳み椅子に座るよう声を掛けた。あまりこう言うシチュエーションに慣れていないのか、テナンは遠慮しもち腰を降ろした。テオは冷蔵庫を開け、コーラの瓶を取り出した。

「飲むかい?」

 訊くと、テナンは小さく頷いた。テオはグラスコップを2つ出してコーラを注ぎ入れ、一つをテナンに渡した。テナンがゴクゴクと喉の音をたててコーラを飲んだ。緊張して喉が乾いていたのだろう。テオは微笑してもう一杯注いでやった。テナンはそれには口をつけずにテオを見た。

「先生はその・・・骨の鑑定をされたと聞きました。」

 過去形だ。テオは頷いた。なんとなく、テナンの話の行先がわかった。しかし彼は黙っていた。テナンは小さな声で言った。

「その・・・骨の人を殺したのは、多分、僕の親父とその仲間です。」
「骨の人はセルバ野生生物保護協会の職員でイスマエル・コロンと言う人だ。」
「スィ、新聞で読みました。」

 テナンは泣きそうな顔になっていた。

「親父は昔、真面目な農夫だったんです。でもハリケーンで畑が駄目になって、立て直すのに金が要った。だから、森で動物を狩って毛皮とかを売る商売に手を出しました。」
「誘った連中がいたのかな?」
「そうだと思います。狩のことは、親父は家族に言いませんでしたから、詳しいことは知りません。でも良くないことをしているんだと言うことは、お袋も僕も姉貴も薄々感じていました。時々村の仲間と森に出かけていましたから。」
「だけど、君はグラダ・シティで暮らしている。どうして君の親父さんがコロンを殺した一味だと思うんだい?」

 テナンは躊躇った。テオはふと思いついて、鎌をかけてみた。

「もしかすると、親父さんは君のところにやって来た?」

 テナンが体を縮ませた様に見えた。図星だ。父親は都会の息子を頼って身を隠そうとしたのだ。息子は今、すごく困惑している。父親を庇いたい気持ちは偽りがない。しかし、ホルヘは、彼も”ヴェルデ・シエロ”の怒りが恐ろしいのだ。
 テオはさらに尋ねてみた。

「親父さんは、森の中でしたこと、見たことを君に喋ったのかい?」

 テナンの目から涙がこぼれ落ちた。

「親父はジャガーを撃ったんだと言ってました・・・ジャガーが襲い掛かって来たから、撃ったって・・・でも額を撃ち抜いたら、ジャガーは人間になって・・・」

 テナンは震えていた。

「親父は・・・親父と仲間は・・・ジャガーだった人を・・・神を、穴に入れて焼いたんだって・・・他の神に見つからないように焼いたって・・・」

 テオは暫く何も言えなかった。ホルヘ・テナンの父親はオラシオ・サバン殺害の張本人だった。そしてサバンの遺体を事件発覚を恐れて焼いて消し去ろうとした。これは、”砂の民”でなくても、セルバ国内の全ての”ヴェルデ・シエロ”にとって許し難い行為に違いない。


第10部  追跡       14

  月曜日、テオは大学へ出勤した。午前中の講義は10時だったから急がない。9時40分頃に研究室に入り、授業の準備をした。月曜日は理論上の遺伝子組み替えの話だから、退屈だ。聞く方も話す方も退屈だから、テオは出来るだけ分かりやすい事例を集め、話をした。そして2時間の講義を1時間10分で終えた。学生達は特に文句を言わず、テオが出した課題を携帯やタブレットに記録して教室から出て行った。この講義は出欠を取らないので、課題の提出だけで単位を決める。学生達にすれば単位稼ぎの楽勝講義だ。
 学生達が出て行った後の教室で、彼はホワイトボードの字を消して、書籍をカバンに入れた。部屋から出ていきかけて、戸口に立っている人物を見て動きを止めた。
 あまり口を聞いたことがない、と言うより、存在すら気にかけたことがなかった掃除夫が立っていた。まだ掃除の時間ではない、と思った。掃除夫だと思ったのは、相手が清掃道具を載せたカートを押していたからだ。

「もう掃除の時間かい?」

とテオが声をかけると、まだ20代になるかならないかの掃除夫が質問して来た。

「ロス・パハロス・ヴェルデスと友達だと言う先生は、あんたで良かったですか?」

 地方の訛りがあるスペイン語だった。これは南部の訛りだ、とテオは思った。

「大統領警護隊文化保護担当部と友達と言うなら、私のことだ。」

 彼は准教授らしく重々しく聞こえるよう発音してみた。気取った訳ではない。彼が大統領警護隊と知り合いだと聞いて訪ねて来る人間は、大概厄介な頼み事を持って来るからだ。気安く連中に頼み事をしてくれるな、と彼は内心防衛線を張った。
 掃除夫が片手を胸に当てた。

「ホルヘ・テナンと言います。プンタ・マナの南端の村の生まれです。」

 だからテオも自己紹介した。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。貴方はここで働いて長いのですか?」

 テナンは頷いた。

「5年になります。故郷の村にはその間2回しか帰っていません。その・・・バス代がかかるので・・・」

 彼は首をブンブンを横に大きく振った。

「僕のことはどうでも良いです。あの、僕の親父が・・・」

 彼は躊躇った。テオに打ち明けて良いものか、迷っていた。だからテオは言った。

「人に聞かれて拙い話なら、俺の研究室に行こう。」

2024/02/05

第10部  追跡       13

  死亡が確認されたのは、ミーヤの国境検問所で手配ポスターに印刷された3名だった。つまり、あのポスターの写真を見た”砂の民”がいて、行動を起こしたのだ。
 密猟者の一人はミーヤの教会裏の森の中で首を吊っていた。2人は少し北へ行った小さな村の畑の外れで互いの胸をナイフで刺し合って死んでいた。喧嘩の果ての相討ちと警察は結論づけて、それで終わりだ。
 恐らく3人共、”砂の民”による幻覚などで精神的に追い詰められたのだ。”砂の民”は決して自分達の手を直接下したりしない。標的を「勝手に」死なせるのだ。
 夕食の後で、テオはケツァル少佐からその話を聞いて、げんなりした。出来れば法的な処罰を受けさせたかった。しかし”ヴェルデ・シエロ”の掟では、彼等の存在に関する証言を密猟者達の口から引き出す事態は厳禁なのだ。
 大統領警護隊も”砂の民”の今回の仕事に対して沈黙している。多分、オラシオ・サバンの遺族は満足するだろう。しかし、イスマエル・コロンの家族は? 
 セルバ共和国では、損害賠償を請求するには犯人が生きていなければならない。国として犯罪被害者の救済制度などないのだ。このままではコロンは死に損ではないか、とテオが言うと、少佐は冷ややかに言った。

「犯人を捕らえて有罪に持ち込んでも、賠償する経済力を持っていませんよ。密猟者達は麻薬の密輸業者と違って、その日暮らしの人間ばかりです。」

 テオは悲しい気分でビールをがぶ飲みした。すると少佐が彼の空瓶を集めながら言った。

「残りの手配書が出ていない3人ですが、そのうちの2人は憲兵隊の資料に該当者がいました。残りの1人が誰か、突き止めなければなりません。資料にあった2人の手配書は明日にでも作成されるでしょう。」

 テオは顔を上げた。アルコールで少し顔がピンク色になっていた。

「”砂の民”はそいつらも狩るだろうな。」
「スィ。でも、最後の1人を彼等も突き止めねばなりませんから、2人のうちのどちらかは生かして捕まえるでしょう。」
「捕まえる? 連中は直接手を出したりしないだろう?」
「直接殺さないと言う意味ですよ。拷問や思考を引き出すことはします。」
「それじゃ、俺達もその最後の1人を探して憲兵隊に突き出してやろう。」

 彼は力強く言った。

「仲間が”ヴェルデ・シエロ”を殺した結果、酷い死に方をしたことを承知しているなら、そいつは絶対にサバンの正体を口外しないだろう。命を助けてやる代わりに、コロンの家族に少しでも償いをさせるんだ。」

 少佐は黙って彼を見ているだけだった。そんなに上手くいくかしら、と言いたげに。

2024/02/02

第10部  追跡       12

  月曜日、いつもの業務が始まり、アンドレ・ギャラガ少尉はあくびを噛み殺しながら書類に目を通していた。そろそろ紙の書類を電子文書に置き換えていく方針になったらしいが、文化・教育省の4階はまだその恩恵にあずかれない。
 彼には別に考えるべきことがあった。昨夜ジープを長時間運転してミーヤからグラダ・シティに帰って来た。遅くなったので、官舎に戻らず、外泊する旨を報告して、アスルの家、テオが権利を持っている長屋の一角に泊めてもらった。その時、アスルが提案したのだ。

「官舎を引き払って、お前もここに住まないか?」

 スラム街と軍隊の宿舎暮らししか経験がないギャラガに、「普通の家」に住んでみろ、と言ったのだ。

「家賃はドクトル(テオのこと)に払う。家事は分担だ。飯の支度は俺がするから、お前は掃除しろ。」

 ギャラガは少し考えさせて下さい、と言ったが、アスルはもうそのつもりになっていた。彼も遺跡発掘の監視業務で家を空けることが多いので、ギャラガが住んでくれた方が保安上安心出来るのだ。ギャラガは今夜官舎に帰ったら、官舎の管理をしている司令部の上官に相談しようと思った。
 ネットニュースをチョイ見していたマハルダ・デネロス少尉が「あらら・・・」と呟いたので、彼は我に帰った。横を見ると、デネロスは立ち上がり、ケツァル少佐の机へ行った。囁き声が聞こえた。

「手配書の3人、粛清されたようです。」

 ロホとアスルも仕事の手を止めた。それぞれパソコンと携帯で検索を始めたので、ギャラガも携帯を出してニュースを見た。
 昨日、彼とアスルが発見した首を吊った男の他に、2名の男が喧嘩をして互いに刃物で刺し合ったとあった。3人は密猟者で憲兵隊から指名手配されていたと言う。ニュースはそれだけの情報しかなかった。喧嘩の原因や経緯は何も書かれていなかった。よくある無法者同士の喧嘩、成れの果て、で誰も関心を持たないからだ。

「仕事が早いな・・・」

とロホが呟いた。「仕事」をしたのは”砂の民”だ。彼等が密猟者を捜査したと思えないから、文化保護担当部が憲兵隊や国境警備班に情報を渡した後、誰かが別の誰かにその情報を流したのだ。密猟者達の顔を特定したのは過去に飛んだアスルだ。
 アスルが溜め息をついた。文化保護担当部としては、警察の真似事をしないから、密猟者がどうなろうと構わない。人を殺した罪に相応の罰を受ければ言うことはない。憲兵隊に彼等が捕まって、”ヴェルデ・シエロ”を殺した、とさえ言わなければ。言うかも知れない、それだけの理由で、”砂の民”は行動しているのだ。

「残りは3人ですね。」

とデネロスも呟いた。

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...