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2021/08/01

礼拝堂  14

 「ムリリョ博士、貴方はカルロ・ステファンの命を狙っているのが、トゥパル・スワレだとお考えなのですか?」

 シオドアが尋ねると、ムリリョは大きく頷いた。

「お前が”曙のピラミッド”に迂闊に近づいた時のことを思い出せ。ママコナが近づいた者は何者かと我々に問いかけた。ケツァルが、あれは観光客が注意書きを無視して結界に入り込んだだけだと言い訳したが、トゥパルは心配になったのだ。マナの息子が侵入を試みたのではないかと疑った。だからケツァルがお前をオクタカス遺跡へ隠した時、手下を監視に送った。」
「もしや、あの時の陸軍の警備兵・・・」
「誰かは問題ではない。だがその警備兵が、アルストの警護を任されたケツァルの部下が”出来損ない”のステファンだと報告して、トゥパルは慌てたのだ。あの愚か者は、それまで黒猫が己の近くで大統領警護隊として働いていたなどと夢にも思わなかったのだ。彼は手下に”出来損ない”の能力の大きさを確認させた。」
「”風の刃の審判”の事故を装って、ステファンの力を試したのですね、殺そうとしたのではなく?」
「そうだ。その警備兵は”砂の民”でもあったから、実はトゥパルに報告する一方で同じ内容を儂にも伝えてきた。儂は大学で既に黒猫を見ていたから驚かなかったが、防御本能しか使えぬ”出来損ない”はトゥパルが心配するような存在ではないと断じた。」

 ステファン大尉が赤面した。シオドアはムリリョが大学で彼をしっかり観察していたことを今更ながら知った。

「そうか・・・任務で考古学が必要だったから、カルロは貴方の生徒になったんだ。だから貴方は彼が大統領警護隊に入ったことも、彼の能力が目覚めていないこともご存知だった。」
「グラダの血統を持つブーカ族やサスコシ族は少なくない。ステファンの名も珍しくない。だから黒猫が警護隊に入った時は、そんなに話題にならなかった。エステベス大佐もトーコ中佐も、今や伝説となったオルガ・グランデの死闘と己等の部下を結びつけて考えなかった。ケツァルが新入隊の若造の中からグラダを見つけて喜んでいると、却って微笑ましく思ったほどだった。
 しかし、”出来損ない”は能力を上手く使えなければ、兵士としての技量を磨くことで努力する。黒猫が頑張って昇級していくようになると、トゥパルは不安になったのだ。彼は、オクタカスの警備兵の時でもわかるように、陸軍に顔が利く。懇意にしている陸軍幹部にカメル軍曹を紹介してもらい、”ヴェルデ・ティエラ”のカメルに”操心”をかけたのだ。オパールの仮面を黒猫が手にした時に、その心臓を刺せ、と。それが何時なのかは問題ではなかった。メルカトル博物館にあるオパールの仮面を盗むと言う行為自体を、命令を実行させるキーにしたのだ。この手口は”砂の民”でしか知らないものだ。しかし、トゥパルの兄でマナに殺されたエルネンツォは”砂の民”だった。トゥパルは兄の秘技をいくつか教えられていたに違いない。」
「カメル軍曹は自分が操られているとも知らずに、ずっと外国で任務遂行に励んでいたのですね。」

 シオドアはカメル軍曹を飛行機の中で一回見かけたきりだったが、なんだか可哀想に思えた。あの男にも家族がいた筈だ。

「ロハスの要塞を攻撃した時の狙撃は・・・」
「あれは別件だ。」

とムリリョが言い、シオドアとケツァル少佐はびっくりした。すると意外にも、ステファン大尉が上官に言った。

「ご存知ないのも無理はありません。それを報告しようとしたら、貴女は病室から消えていたのです。」

 少佐が体を捻って後ろの彼を見ようとして、手で胸を抑えた。

「あいたた・・・」
「大丈夫か?」

 シオドアはつい手を彼女の体にかけて、大尉の目の殺気に気がついた。いいじゃん、少佐はまだ君のものじゃない・・・てか、姉さんだから君のものじゃない。少佐がシオドアに体を預けたまま、部下に命令した。

「報告しなさい。」

 ムリリョが大尉に言った。

「教えてやれ。儂に休憩させろ。」

 大尉はまた溜め息をついた。

「貴女の傷から摘出した弾丸を調べて、銃の持ち主の憲兵を特定しました。イサンドロ・カンパロ曹長、反政府ゲリラの頭目だったディエゴ・カンパロの従兄弟でした。ディエゴにゲリラ狩りの情報を流したり、誘拐しやすい要人の行動日程を教えたりして、裏でディエゴのグループを援助していたのです。ディエゴのグループが我々に殲滅されて大人しくしていましたが、恨んでいたのも確かです。憲兵隊は本日夕刻イサンドロ・カンパロとその兄弟を逮捕して、他のゲリラグループとも取引がないか捜査に取り掛かります。」
「それじゃ、どさくさに紛れてカンパロ曹長が君を撃とうとしたのは、従兄弟の恨みを晴らそうとした訳か?」
「その様です。少なくとも、カンパロ一家とトゥパル・スワレに繋がりはありません。カンパロも私同様”出来損ない”で、スワレ家の様なブーカ族の名家と口も利いたことがないでしょう。」

 ムリリョが立ち上がった。すっかり夜が更けていた。

「トゥパル・スワレがシュカワラスキ・マナの息子を狙うのは、恐らくマナの死があの男の言う通りではなかった可能性がある。」
「故殺だったと言うことですか?」

 とケツァル少佐もシオドアに支えられて立ち上がった。ムリリョが頷いた。

「意識朦朧とした状態でも、グラダが空間通路の通過ぐらいで死ぬとは、儂には信じられぬ。ましてや、通路を得意とするブーカ族の先導だったのだぞ。トゥパルがマナを殺したのだ。それを黒猫に知られたくないのだろう。」
「トゥパルは私もいることを忘れているのでは?」

 と少佐が言った。

「私は父親とは全く縁がありませんが、弟と妹に危害を与える者は決して許しません。」

 最後に立ち上がったステファン大尉が彼女を見つめ、それから夢から醒めた様に気を引き締めた。

「車の安全確認をしてきます。私の車で申し訳ありませんが、お送りします。」

 彼は誰の返事も待たずに礼拝堂から足早に出て行った。「アイツの車?」とムリリョがシオドアを見たので、シオドアが説明した。

「中古のビートルです。」
「ビートルに4人乗るのか?」
「私達は後ろに乗ります。」

と少佐が諦めた様な顔で言った。つまり、シオドアも後ろだ。狭いが、少佐と密着出来る。それにしても、と少佐が言った。

「私は彼を導師として導いた覚えはありません。寧ろ、どの様に教育すべきか暗中模索している最中です。」

 ムリリョが彼女を見て、シオドアを見た。そして可笑しそうに笑った。

「愚か者、恋の力だ。」



礼拝堂  13

 「一度人間の血の味を覚えたジャガーは再び人間を襲う。”ヴェルデ・シエロ”も同じだ。一度能力で人を殺すと、それが簡単だと知る。儂等”砂の民”が能力を直接使って暗殺を行わぬのは、それが理由だ。シュカワラスキ・マナは結界内で”砂の民”を狩り始めた。儂が知る限りで4人殺害された。儂が生き延びられたのは、運が良かったからだ。マナの追跡を何度かかわし、儂は鉱山の迷路の様な坑道を逃げ、地下の水流を利用して遂にマナの結界の外に逃れ出た。
 それから2年間、膠着状態が続いた。その間に、カタリナが3人目の子を産んだ。男の子だった。ママコナはそれを知ったが、彼女は既に高齢で”出来損ない”の頭に語りかける強さも残っていなかった。それにマナの結界はまだ生きていた。ママコナはマナが息子に何をするのか心配しながらも、我々に赤ん坊には手を出すなと言い残し、この世を去った。
 皮肉なことに、彼女の崩御をマナはその大神官の力で知った。そして動揺したのだ。彼にとってママコナは親を殺した仇であると同時に、育ての親であり、師だった。彼は悲嘆に暮れ、結界が崩れた。」

 ムリリョは温くなったジュースを飲み干した。

「”砂の民”が一挙にオルガ・グランデの街に侵入した。儂はステファンの家を真っ先に抑えた。人質と言うより、保護したつもりだ。”砂の民”は連携して活動するのではないからな。他のメンバーがステファン家の女子供を人質に取れば惨劇が広がる予感がしたのだ。カタリナの父親は儂に協力してくれた。娘と孫がマナと会うことを禁じて、他の”砂の民”に出来るだけ存在を知られぬよう隠したのだ。
 儂等はマナを坑道に追い込み、戦いの場は地下に移された。地上の”ヴェルデ・ティエラ”に被害を及ぼさぬよう、儂等なりの努力だ。暗闇の中での戦いは2年続いた。」

 ムリリョがステファンに話しかけた。

「お前は父親を覚えておらぬだろう?」

 ステファンが唇を噛み締めたまま同意した。

「マナは2年間、地上に出なかったからな。」
「でも食い物が必要でしょう?」

とシオドアが素朴な疑問を出した。ムリリョはあっさり答えを出した。

「カタリナがこっそりと井戸の穴から援助していたのだ。お前の母親は大人しく見えて、なかなか勇敢な女だぞ、黒猫。」
「カルロと呼んでやって下さいよ、博士。猫じゃなくてジャガーなんだし。」

 シオドアがステファンを気遣って言った。ケツァル少佐が彼を見て、ちょっと微笑して見せた。ムリリョはしかし冷たく言った。

「もう一度ナワルを己の意思で使えたら、エル・ジャガー・ネグロと呼んでやる。」

 そして2人のシュカワラスキ・マナの子供達を眺めた。

「カタリナは井戸を下りて夫と密会していたのだ。そして4人目の子を孕った。身重の体では井戸を下りられぬ。援助を続けられなくなったカタリナは、監視していた儂に遂に井戸の密会を打ち明けた。マナを助けてやって欲しいと。
 当時のママコナはまだ2歳だった。大罪を犯した者への免罪を考えることも出来なかった。だから儂は井戸を下りて、マナに会った。彼に、長老会に投降してひたすら助命嘆願せよと忠告した。息子と次に生まれてくる子供の為に生きることだけ考えよと言った。」

 少佐とステファンが同時にムリリョを見つめた。シオドアは彼等が同じ質問をしたと感じた。「父はなんと答えたのか?」と。

「マナは考えさせてくれと儂に言った。それで儂は井戸から地上へ戻った。翌日、マナは投降したのだ。家族に手を出さぬと言う条件のみで、”砂の民”の頭目に捕縛された。5人もの人間を殺害したマナを生かしておけないと思う者は多かった。しかし投降した者を殺すことは出来なかった。直接能力を使って死なせることは出来ぬからな。”砂の民”達は、長老会の裁きをマナに受けさせることにした。少なくとも、公平な裁判の場を与えてやろうと話がまとまった。護送にはブーカ族の能力が必要だった。空間の通路を使わなければ、マナの様な能力の人間をグラダ・シティ迄連行することは不可能だった。
 グラダ・シティから派遣されて来たのは、トゥパル・スワレと言う男だった。彼は、エルネンツォの同母の弟だった。」
「それは・・・」

 シオドアは呟いた。それはマズイんじゃないのか? 

「マナは捕縛された後2日間抑制効果のあるタバコの葉で燻され、意識が朦朧となっていた。トゥパルは縛られた彼を連れて”入り口”に入った。」

 ムリリョが天井を見上げた。

「儂が生きているシュカワラスキ・マナを見たのは、それが最後だった。ピラミッドの地下神殿に”着地”した時、彼は既に息をしていなかったと聞いている。」

 シオドアは礼拝堂内の気温がまた1度下がった様な気がした。祭壇の聖具が微かに振動した。ケツァル少佐とステファン大尉が動揺している、と彼は分かった。

「意識がない状態の者を運んで空間通路を使うのは非常に危険だ。だから、空間通路を使うことに長けているブーカ族を呼んだのだ。しかし、トゥパルは、失敗したと言い訳した。朦朧としていてもマナの気が大き過ぎた為に上手く通路を抜けられなかった、と。」
「その言い訳は通ったのですか?」

と少佐が尋ねた。ムリリョが頷いた。

「もし無事に通路を通れたとしても、恐らく裁判で死を宣告されるだろうと言う考えを持つ者が多かった。だから、マナの死は、処刑されるよりも楽に済んで、本人にとっても良かっただろうと。」

 シオドアは斜め後ろを振り返り、ステファン大尉の頬に涙が伝わり落ちるのを目撃した。彼は友人の気持ちを代弁した。

「シュカワラスキ・マナは一人の細やかな幸せを求めて脱走し、家族を守ろうとして戦い、家族を守る為に罪を犯して、家族を守る為に投降したのです。どんな結果が待ち構えていようと、彼には裁判を受ける権利があった。そうではありませんか?」
「白人社会の理屈だな。」

と言ってから、ムリリョは頷いた。

「儂もお前と同じ意見だ。」

 彼は大尉を見た。

「随分長い前置きになったが、トゥパル・スワレはまだ健在だ。今は長老会でも最実力者の一人である。彼は、カタリナ・ステファンが4人目の子を産んだ時、その子と2歳になる息子を殺せと主張した。いつか成長した暁に父親の仇を討とうとするであろうと。再びオルガ・グランデの死闘が始まると。」
「馬鹿な!」

 シオドアは叫んだ。

「その人は兄弟をマナに殺されて、マナの家族に個人的な恨みを抱いているに過ぎない!」

 ムリリョは彼の意見を聞かなかったふりをした。

「儂はステファン家の人間は白人の血が濃く、何の能力も持っていないと主張し、彼の意見を退けることに成功した。その為に、オルガ・グランデに再び足を運び、カタリナの父親に、孫娘の能力を封印するよう命じた。黒猫の祖父さんは見事にやってのけた。マナの最後の子供は”心話”以外使えぬだろう? 息子の能力は訓練しなければ使えぬ”出来損ない”のまま放置しておけば良いと、長老会に進言した。もし使えるようになっても、それは優秀な導師が就くからだ、と。」

 シオドアはケツァル少佐を見た。ステファン大尉も少佐を見た。ムリリョが微笑んだ。

「まさか、その導師がマナの娘だとは、誰も予想だにしなかったがな。」



礼拝堂  12

  軍靴を履いているにも関わらず音一つ立てずにカルロ・ステファンが祭壇前に近づいて来た。シオドアは「ヤァ」と声をかけるしかなかった。ステファン大尉は彼に頷き、それからムリリョに挨拶した。

「こんばんは。お久しぶりです、博士。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員は皆グラダ大学の考古学部で学んで卒業している。ステファンもケサダ教授の教室の学生で、ムリリョの講義も受けたのだ。ムリリョはこの生徒を覚えていても覚えていないふりをしていたのだろう。純血至上主義者のプライドだ。彼は無愛想に頷いた。
 ステファンはケツァル少佐の横に来た。そしてわざとらしく溜め息を付いて言った。

「私を営倉送りになさりたいのですか?」

 護衛していた上官に脱走されて腹を立てていた。少佐がチラリと彼を見て冷たく言った。

「営倉へぶち込むなら、貴方が持ち場を離れてロハスの要塞に突入した時にしていました。」
「少佐は俺を心配して追って来たんだ。俺が単独でムリリョ博士と面会しようと考えたから・・・」

 シオドアが少佐の為に言い訳すると、ステファンは尚も上官を責めた。

「それなら私に一言仰って下されば・・・」
「黙れ、黒猫!」

 ムリリョがいきなり怒鳴りつけ、ステファンの口を閉じさせた。シオドアは礼拝堂の中の聖具がビーンと微かに振動するのを見た。これは誰の気なんだ? ムリリョが少佐の後ろの椅子を指差した。

「ガキの様に文句を言うでない。ジャガーならジャガーらしく威風堂々としておれ! さっさと座るのだ。朝まで儂に語らせる気か?」

 ステファン大尉は渋々少佐の斜め後ろの席に座った。ムリリョがシオドアに尋ねた。

「儂はどこまで語った?」
「シュカワラスキ・マナがカタリナ・ステファンと結婚したところ迄です。」

 ムリリョが「グラシャス」と呟き、話を再開した。

「グラダ・シティからマナを捕縛する為に追手が放たれた。マナは大神官の教育を受けていたが、まだ学習を完了させていなかった。中途半端のまま大神官の秘儀を使われては惨事を引き起こす恐れがあったからだ。オルガ・グランデの鉱山で鉱夫として働いていたマナを見つけた追跡者達は彼に戻るよう説得を試みた。しかしマナは拒否した。彼はオルガ・グランデで家族を得て、初めて幸せを感じていたからだ。」

 ムリリョがステファンを見つめた。

「ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォは儂の兄弟子で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだのだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 マナはグラダ・シティに帰ることを拒んだ。エルネンツォは、それなら代わりに子供を寄越せと迫った。マナの子は半分グラダだ。教育次第で大神官になれるかも知れぬと。しかしマナの子は女の子だった。次の大神官を産めるかも知れない子供だ。だからマナは娘の能力を封印して普通の人間にしてしまおうと試みた。」
「彼は失敗して、娘を死なせてしまった?」

 シオドアが口を挟むと、ステファンが睨んだ。ムリリョはシオドアの言葉に頷いた。

「大神官の勉強を中途で投げ出した報いだ。妻のカタリナは父親に能力を封印されていたのか、それとも白人の血の影響が強くて能力を使えないのか、それは誰にもわからぬ。しかし彼女が産んだ子供はどれも半分グラダだ。生半可な封印術で扱える代物ではないのだ。我が子を死なせたマナは、オルガ・グランデの街を自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には何ら意味がない結界だが、少しでも”ヴェルデ・シエロ”の血を引く者は出ることも入ることも出来ぬ結界だった。」
「そんなことが出来たんですか?」

 シオドアが素直に驚愕すると、ムリリョが頷いた。

「それこそが、大神官の役目、セルバと言う国を守るための力だった。古代のセルバは一人の大神官の結界に取り込まれて守られていたのだ。だから”ヴェルデ・シエロ”は他民族の侵略から守られ、神としての地位を享受していられたのだ。」
「すると、シュカワラスキ・マナを大神官に仕立て上げようとした当時の長老会はもう一度セルバ共和国をマナの結界で守らせようと考えていたのですね?」

 ムリリョが悲しそうな目をした。

「その通りだ、アルスト。」

 初めてまともに名前を呼んでくれたな、とシオドアはぼんやりと思った。

「儂から見れば随分身勝手な考え方だった。外の世界はもう古代の世界とは違うのだ。船や飛行機で行き来し、電話、電波、インターネットで繋がっている。誰も古代の神の力を頼りになどしておらぬ。マナがそれを理解していたのかどうか、今ではわからぬ。彼はただ家族との穏やかな生活を守ろうとしたのだ。だが、結界内に閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”達は彼の存在を脅威と見做してしまった。閉じ込められた者の中には当然エルネンツォと儂もいた。彼は結界を消せと迫るために、カタリナが産んだ2番目の娘を人質に取ろうとした。赤ん坊はその時、麻疹に罹っていた。儂はマナに子供を医者に見せろと言ったが、マナは人質に取られることを恐れて拒否した。」
「それで赤ん坊は亡くなった・・・」

 シオドアが呟くと、ステファンが膝の上でギュッと両手を握りしめた。

「カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと頼んだ。結界を張ったままでは他の”ヴェルデ・シエロ”の生活に支障が出る。マナ自身も消耗する。生き別れは辛いが、彼に生きていて欲しいと訴えたのだ。だがマナは妻の訴えも退けた。グラダ・シティに連れ戻されればピラミッドの地下神殿に閉じ込められる。そこでウナガンが産んだ娘と妻される。彼がシータを欲しがったのは、妻にする為ではなく、長老達の目論見から我が子を守るためだったのだ。彼はウナガンの娘が既に外国で育てられていることを知らなかった。
 マナは2人目の娘を死に追いやったエルネンツォを憎んだ。子供が死んで13日目に、儂は川岸でエルネンツォの遺骸を発見した。全身の骨が砕けていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。」

 ステファンが絞り出すような声を出した。

「それは、大罪です。絶対にやってはいけない・・・」

 彼に背を向けたままで、ケツァル少佐が呟いた。

「でも、彼はやってしまったのです。」

 ムリリョが溜め息をついた。

「大罪に免罪はない。マナの結界の中にいた儂には聞こえなかったが、長老会にはマナが何をしたか報告が入っていた。国中の”ヴェルデ・シエロ”に布告が出た。シュカワラスキ・マナの捕縛に生死は問わずと。」


2021/07/30

礼拝堂  11

  大事に育てられたにも関わらず、3人の若いイェンテ・グラダの生き残り達は、一族が親を殺したことに大きな衝撃を受けた。当然の反応だった。しかし、殺戮の目撃者だったニシト・メナクは、親達が殺害された理由を知らなかった。理解していなかった。

「若者達は、ただ我々を憎んだのだ。しかし育てられた恩はある。だから表立って憎しみを見せることはしなかった。あの時彼等が腹を立てたことを表明すれば、その後の悲劇は起こらずに済んだやも知れぬ。
 ウナガンは思い入れの強い女だった。彼女はシュカワラスキ・マナが大神官になるのなら、自分はママコナを産もうと考えた。」
「待って・・・」

 シオドアはまた口を挟んでしまった。

「先代が存命中に生まれた女性はママコナになれないのでしょう?」

 ムリリョが不気味な微笑みを浮かべた。

「ウナガンは当時のママコナの死を願ったのだ。」

 ケツァル少佐が溜め息をついた。彼女は、何故今迄誰も彼女に母親のことを教えてくれなかったのか、その理由がわかりかけてきたのだ。

「ウナガンは何をしたのです?」

 少佐はその質問をするのにきっと勇気が要っただろうとシオドアは思った。彼女の為にここでムリリョの昔話を打ち切って欲しかった。しかし、ムリリョはカルロ・ステファンが命を狙われる理由を推理する為に過去を語っているのだ。それを頼んだはシオドア自身だ。そしてケツァル少佐も知りたいのだ。彼女にとって大事な部下の安全の為に。否、部下以上の存在なのではないのか、あの若い黒いジャガーは。
 ムリリョは決してもったいぶる訳ではないだろうが、ストレートに本題に入らなかった。これは”ヴェルデ・シエロ”の流儀なのだろうか。

「ウナガンは一族が勧めるシュカワラスキ・マナではなく、ニシト・メナクと結婚した。メナクと彼女が互いに愛し合っていたことは大人達も知っていた。だから強い反対はなかったのだ。やがてウナガンは身籠った。誰もが彼女の腹の子はメナクの子供だと思ったのだ。生まれてくる子供が純血種である可能性は・・・」
「正確な親の遺伝子比率は不明ですが、単純にウナガンとメナク双方が2分の1のグラダだったとしたら、純血種の子供が生まれる確率は4分の1です。」

 シオドアはまたうっかり口出しした。驚くべきことにムリリョが笑った。

「お前は遺伝子学者だったな。」
「スィ、余計な口を出して済みません。」
「まぁ良い・・・」

 ムリリョはケツァル少佐を見た。

「ウナガンは純血種の子供を欲した。だから子供の父親は夫のメナクではなく純血種のマナを選んだ。そして純血種の子供を身籠れば、これは大人達も望んだことだ。だが、もし女の子だったら、ママコナの資格はない。ウナガンはママコナの女官をしていた。ママコナの食事の世話が担当だった。」

 その先は言われなくてもわかったのだろう、ケツァル少佐が舌打ちしたのをシオドアは聞いた。

「愚かな女だったのですね。」

と彼女が呟いた。そしてジュースの残りを飲み干すと、シオドアにちょこっと八つ当たりした。

「ビールはなかったのですか?」
「ごめんよ・・・」

 シオドアは何と言って彼女を慰めて良いのかわからなかった。ムリリョも悲しげに見えた。

「ウナガンは純血種がどんなものか知らなかった。己の腹の中にいる純血種が既にママコナの声を聞いて理解していることを知らなかったのだ。彼女はママコナに毒を盛ろうとして、何者かに阻まれた。手が言うことを利かなくなって配膳室で半狂乱になったところを他の女官達に発見された。ママコナは、彼女の腹の中の子が母親が罪人に身を落とすのを防ごうとしたのだと言った。ウナガンは信じなかった。ママコナが彼女の子を誑かしたのだと言い張った。女官達は彼女をピラミッドの地下に幽閉した。
 ニシト・メナクは妻を返すよう長老会に訴えた。そして妻を狂わせた腹の子を処分してくれと嘆願した。長老会は勿論彼の頼みを聞き入れなかった。子の父親が誰であれ、メナクには育てる義務があった。彼の妻の子なのだから。そしてシュカワラスキ・マナも我が子を欲した。だが彼はウナガンの夫ではない。長老会は彼の要請も拒んだ。」
「その時子供を父親に与えれば良かったのに・・・」

 シオドアが呟くと、ケツァル少佐が苦笑して、「それはない」と言った。ムリリョが白人に教えた。

「グラダが神と呼ばれた時代、父親と娘が結ばれることが往々にあった。娘の母親が妻でない女であった場合だ。」
「ええ?!」
「シュカワラスキ・マナは己の娘を将来の妻とする為に育てたかったと考えられた。しかし長老会はイェンテ・グラダの悲劇を繰り返すことを恐れた。そしてウナガンは実際に娘を産んだ。純血種のグラダの女だ。ウナガンは幽閉生活で体力が落ちていた。赤ん坊に初乳を与えるのがやっとだった。ママコナが彼女に子供に名前を付けるようにと呼びかけた。それがウナガンへの免罪だった。ウナガンは子供にシータと名付け、罪を許されて眠りについた。」

 少佐がハァっと息を吐いた。

「私は罪人の娘だった訳ですね。」

 しかしムリリョは首を振った。

「ウナガンはお前を産み、お前に名を与えることで最後に罪を許されたのだ。彼女を罪人呼ばわりする者は一族におらぬ。ママコナが無罪だと言えば無罪なのだ。それが”ヴェルデ・シエロ”の掟だ。」
「しかし彼女は夫でない男との間に子供を作り、その子をママコナにしようと目論んでママコナを毒殺しようと図ったのでしょう? 私の倫理観では、彼女は立派な罪人です。」
「お前がそう思いたいのならば、そう思っておれば良い。」

 ムリリョはシオドアを見て、肩をすくめた。その目が「母娘揃って頑固者だ」と言ったような気がして、シオドアは心の中で苦笑した。彼は取り敢えずムリリョに先を促した。

「2人の男達は何をしていたのです? ウナガンが幽閉されている間、彼女を助け出そうとはしなかったのですか?」
「ニシト・メナクは意気地のない男で、ひたすら妻を返せと訴えるばかりだった。シュカワラスキ・マナはウナガンが捕らえられて子供ももらえないと知ると、グラダ・シティから逃げた。」
「え?」

 驚きだ。失望したと言っても良いほどがっかりした。シオドアはそんな気分だった。純血のグラダだから、その強大な能力で好きな女を救い出して逃げたと言うならわかる。それが一人で逃げたのか?

「メナクの企みでは、マナを大神官に据え、ウナガンにママコナを産ませ、グラダ族が君臨する古代セルバ王国を再現する筈だった。彼等の親を殺した一族への復讐が目的だったのだ。しかしウナガンはママコナ暗殺に失敗し、マナは逃げた。マナは以前にも言ったが穏やかな性格の男で、大神官になるつもりなど毛頭なかったのだ。彼はただ愛する女を手に入れたかっただけだ。メナクの計画に乗る気概もなく、彼は姿を消した。メナクは妻を失い同志にも裏切られ、絶望した。ウナガンの死から半年後に自ら命を絶った。
 長老会は残された純血種の赤ん坊の処遇に対してかなりの話し合いを持った。儂はその頃はまだ若輩者だったから、どんな議事が行われたのか知らぬ。結論から言えば、赤ん坊は出来るだけ政治から遠ざけ、どの部族の影響も受けぬ環境で育てることになった。それがママコナの意向でもあった。生母が殺人者となるのを腹の中から防いだ子だ。並の”ヴェルデ・シエロ”では養育しきれまいとママコナも長老達も考え、一番”ヴェルデ・シエロ”らしからぬ”ヴェルデ・シエロ”に育てさせることに決まった。」

ああ、とシオドアとケツァル少佐は同時に声を上げ、互いの顔を見て慌てて目を逸らした。

「あの白人に限りなく近いミゲールはお前を上手く育てた。狭い部族社会では今のお前はなかっただろう。」
「私の親はミゲール夫妻以外にいません。」

 ケツァル少佐は元気を取り戻した。この復活の速さは何処から来るのだろう。
 シオドアはそろそろカルロ・ステファンが命を狙われる理由に辿りつかないかと焦れてきた。時刻も遅くなってきている。しかしムリリョはまた逃げた純血種に話を戻した。

「シュカワラスキ・マナはグラダ・シティから逃げ出した後、オルガ・グランデへ行った。セルバ共和国第二の都市だ。鉱山労働者は身元があやふやでも雇ってもらえたのだ。彼はそこでイェンテ・グラダの生き残りと出会った。」
「カルロのお祖父さんだ!」

 シオドアは思わず声を上げた。やっと話が目的に近づいて来た?

「グラダはグラダを見分ける。マナとステファン一家はそこで知り合ったのだ。マナがどこまで己の身の上を明かしたのかはわからぬ。彼はカタリナ・ステファンを妻に迎えた。」

え? シオドアは一瞬思考が停止しかけた。それって・・・まさか? 彼がケツァル少佐を見ると、少佐は諦めた様な表情をしていた。

「シュカワラスキ・マナが純血種だと聞いた時から、そんな気がしていました。」

と彼女は言った。 そして、不意に礼拝堂の入り口に向かって言った。

「いつまでそこに隠れているつもりですか? ここへ来て一緒に聞きなさい。」

 シオドアは跳び上がった。礼拝堂の扉が僅かに開いて、カルロ・ステファンが姿を現した。その顔は強ばり、蒼白だった。いつからそこにいたんだ? シオドアは心の中で問いかけた。どこから今の話を聞いていたんだ?
 ムリリョが微笑した。そして腕を振った。

「こっちへ来て座れ、シュカワラスキ・マナの息子。」


礼拝堂  10

 「イェンテ・グラダで見つけられた3人の子供は幼過ぎて酒を飲まなかったのだ。だから生きていた。2歳の男の子、1歳の女の子、そして4歳になる男の子だった。我々は彼等をグラダ・シティに連れ帰り、ブーカ族の長老会に託した。グラダの血の濃い子供達の養育を任せられるのはブーカ族ぐらいなものだったから。子供は、2歳の男の子がシュカワラスキ・マナ、4歳の男の子がニシト・メナク、そして女の子がウナガン・ケツァルと言った。」

 シオドアは思わずケツァル少佐を見た。少佐は無表情だった。彼は再びムリリョを見た。

「少佐の本当のお母さんはイェンテ・グラダの生き残りだったのですか?!」
「そうだ。半分だけのグラダだった。ニシト・メナクも半分だけのグラダだった。しかしシュカワラスキ・マナは違った。あれは純血種だった。」

え? と驚いたのはシオドアだけではなかった。少佐も目を見開いてムリリョを見つめた。

「イェンテ・グラダの試みは成果を挙げていたのだ。彼等は念願の純血種を生み出していた。だがタバコの毒で堕落した彼等に純血種の教育は不可能だったであろう。シュカワラスキ・マナを託されたブーカの長老達もその教育に手こずったのだ。誰も純血種のグラダの能力を実際に目の当たりにしたことがなかったのだからな。長老達は彼を古代に絶えた大神官に仕立て上げようと悪戦苦闘したのだ。ママコナもマナの心に絶えず語りかけ、”ヴェルデ・シエロ”としての心得と義務を説いた。正しい能力の使い方を教えようと努力した。マナの力は強大で、成長するに従って誰の手にも負えなくなっていった。マナが暴走しなかったのは、彼の性質が穏やかだったからだ。そして兄妹の様に育ったウナガンとメナクの存在もあった。彼等は仲が良かった。マナは年頃になるとウナガンを妻にと望んだ。大人達も彼等が結婚するべきものと考えた。」

 そこでムリリョが口を閉じた。長い話なので疲れた様だ。シオドアは飲み物を持って来るべきだったと悔やんだ。

「外の屋台で何か飲む物を買って来ようか?」

と少佐に声を掛けた。少佐が一瞬期待の目でムリリョを見た。彼女も喉が乾いたのだろう。ムリリョが話を中断するのを嫌がりはしないかと心配もあったが、誰からも異論が出なかったので、シオドアは立ち上がった。
 礼拝堂から出ると晩課は終わっていた。暗い聖堂内を歩き、外に出ると屋台村はまだ賑やかで、彼は瓶入りのジュースを購入した。出来るだけ短い時間で買い物を済ませ、礼拝堂に戻ると、ちょっと雰囲気が重たくなっていた。ムリリョが彼の留守の間に話を進めたのかと思ったが、そうではなかった。ケツァル少佐がシオドアを見るなり告げた。

「カルロが病院にいません。」

 シオドアはジュースの瓶を落としそうになり、慌てて椅子の上に置いた。

「いない?」
「様子を見ようと心を飛ばしたら、廊下にいなかったのです。病院内に彼の気配がありませんでした。」
「何処にいるのか、わからないのか?」

 するとムリリョが意外な冗談を言った。

「あの男にGPSなど付いておらん。」

 シオドアは彼にジュースの瓶を渡した。少佐にも渡しながら励まそうと試みた。

「食事に出たんじゃないのか? 護衛に病院食は出ないだろう?」
「それなら、私に断って・・・」

 言いかけて、ケツァル少佐は「しまった」と拳で椅子の座面を打った。

「食事に出ようとして私に声を掛け、私の不在に気がついたのです。」

 はっとムリリョが短く笑ってシオドアを驚かせた。

「手抜かりだったな、ケツァル。ベッドで寝ていたのが枕だと気がついて、お前を探しに病院から出てしまったのだ。」
「探せないのか?」
「無理です。」

と少佐。己の失敗を悔やんでいるので不機嫌だ。

「元いた場所から移動されたら、彼が気を放つ迄私には彼の居場所がわかりません。タバコキャンデーを食べているので、彼は気を抑えているでしょう。」
「案ずる必要はない。」

とムリリョがぶっきらぼうに言い放ち、瓶の栓を祭壇の角で抜いた。カトリックの信者だったら不敬になるだろう。老人は構わずにジュースを一口飲んだ。

「子供ではないのだ。お前が今心を飛ばした気を感じて、そのうちここへ辿り着く。グラダであれば出来る。例え半分だけでもな。」

 ムリリョはカルロ・ステファンの存在を認めている。”出来損ない”と貶しながらも能力を認めている。シオドアは今迄この長老を誤解していたことを痛感した。ステファンの命を狙っているのは”砂の民”ではないのだ。
 シオドアが椅子に座ってジュースを飲むのを待ってから、ムリリョは「何処まで語ったかな」と呟いた。シオドアは答えた。

「シュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァル、それとニシト・メナクが大人になったところまでです。」

 ムリリョは頷き、続きを語り始めた。

「長老達はマナを大神官にしようと教育に熱を注ぎ、ウナガンには彼の子を産むよう働き掛けた。この2人に注意を注ぐことに力を入れ、3人目がいることを忘れていたのだ。」
「ニシト・メナク?」
「そうだ。メナクはブーカの長老の一人に家族として大事に育てられたが、グラダの教育を受けることはなかった。育て親は彼を普通のブーカ族として扱った。しかし、イェンテ・グラダ村で保護された時、メナクは4歳だった。3人の中で最年長だった彼は、親が殺されるところを目撃していた。」

 シオドアは背筋が寒くなるのを感じた。

「メナクは4歳の時に故郷で目撃した惨劇を記憶していたのですね?」
「そうだ。そしてそれを覚えていることを誰にも語らずに成長した。だが成年式でナワルを披露した後で、彼はシュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァルに自分達の出生の秘密と親達が一族から受けた仕打ちを教えたのだ。」


2021/07/29

礼拝堂  9

 「世間で”ボラーチョ”村と呼ばれていた村の本当の名前はイェンテ・グラダと言った。」

 ムリリョの言葉にケツァル少佐が怪訝な顔をした。シオドアが意味を尋ねると、彼女は言った。

「甦れグラダ と言う意味です。」
「もしや、グラダ系の人々が暮らす村だったのですか?」

 ムリリョが珍しくシオドアの言葉に頷いた。

「グラダの血が濃いブーカ系の者達が集まって暮らしていた。勿論”ヴェルデ・ティエラ”や白人や黒人の血は入っていない”ヴェルデ・シエロ”だけの村だった。閉鎖的で、他の部族の血が新たに入ることを拒み、婚姻も村の中だけで行った。」
「近親婚を繰り返してグラダの血の割合を増やしていったんですね?」

 シオドアは彼自身が生み出された研究所を思い出して嫌な気分になった。ボラーチョ村ことイェンテ・グラダ村の住民達はグラダ族が支配した古代のセルバを再現させようとしていたのだろうか。
 純血至上主義者と言われるムリリョが、暫く言葉を選んでいる様子で黙り込んだ。だからシオドアはケツァル少佐に小声で尋ねた。

「カルロのお祖父さんはそんなにグラダの血が濃い人だったのだろうか?」

 少佐は首を傾げた。

「カルロのお母さんは”心話”しか出来ないと彼が言っていました。もしお祖父さんのグラダの血が濃ければ、気の制御が必要でしたでしょうし、娘の能力もそれなりにある筈です。出稼ぎに行った鉱山で正体がバレなかったのですから、お祖父さんの力は弱かったのか、或いはその反対で、気の制御がとても上手で、娘の能力を封じ込めることが出来たのかも知れません。」
「力を封じ込める?」
「赤ん坊の時に子供の気を封じ込めてしまうのです。」
「封じ込まれたら、どうなるんだ?」
「その辺にいるメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”並の”心話”しか使えない人になります。」
「一生?」
「それは封じた人の技量によります。とても難しい技で、失敗すると子供を廃人にしてしまいます。」

 ふと少佐がステファン家のもう一つの話を思い出した。

「カルロは姉が2人いたと言ったことがあります。 彼が生まれる前にどちらも生まれてすぐ亡くなってしまったと言っていました。」
「まさか、彼のお祖父さんは娘の力を封じて、孫にも同じことをした? だが失敗して2人立て続けに亡くしてしまい、3人目の孫であるカルロには何もしなかった?」
「カルロには妹がいます。彼女は”心話”しか出来ないと言っていました。」
「4人目は成功した・・・もしかすると女の子だけを封じたのかも知れない。理由はわからないが・・・」

 するとムリリョが言った。

「女の子は制しやすい。だから敵に奪われぬよう能力を隠したのだ。普通の人の子供だと思わせて連れて行かれないように予防線を張ったのだろう。」
「どう言う意味です?」

 しかしムリリョは話を元に戻してしまった。

「イェンテ・グラダ村の住民達のグラダの血は世代を重ねる毎に濃くなっていった。彼等はもう一つの血統であるブーカの血が濃い子供達を村の外へ捨てていった。だから、今セルバにいる遠い祖先にグラダを持つ人々の中には、イェンテ・グラダから捨てられた者の子孫がいるのだ。彼等はイェンテ・グラダ村のことを知らぬ。村の名前も聞いたことがない。ブーカや他の部族に拾われてそこの子供として育った。」
「俺にはイェンテ・グラダ村が何か異様な場所の様に聞こえます。」

 シオドアの感想に驚いたことにムリリョが同意した。

「左様、あの村は異常な程純血種を作ることに拘った。しかし、彼等は重大な問題を見逃していた。どんなに純血に近づこうと、彼等は所詮”出来損ない”だったのだ。」

 少佐が呟いた。

「気の制御が出来なかった・・・」
「そうだ。周辺の”ヴェルデ・ティエラ”達に正体を気づかれては困る。完全なグラダでないうちは、彼等は神と崇められた先祖達と同じではないのだ。彼等は自身を守る為に、タバコを乱用した。気を鎮める為に吸うだけでなく、食って飲んだ。」
「死ぬほど不味いんだろ?」

 少佐がこっちを見たので、シオドアは説明した。

「君が入院している病院の売店でキャンデーを売ってるってさ。」
「キャンデー程度なら害はありません。」

 シオドアのチャチャ入れにムリリョが不機嫌にならぬよう、少佐が急いで言った。

「タバコの乱用で彼等は酔っ払った状態になり、ボラーチョ村と呼ばれるようになったのですね?」
「そうだ。」

 そこでムリリョは大きく息をした。何か勇気が要る告白をする様だ。

「ボラーチョ村の噂はグラダ・シティにも流れてきた。イェンテ・グラダ村で行われていた異様な純血回帰が初めて我々の知ることとなったのだ。」
「ええ? それじゃ、それまで誰もボラーチョ村のことを知らなかったんですか?」
「村全体が”幻視”で姿を消していたからな。だが酔っ払ってそれが出来なくなった。」

 ムリリョが床を見た。

「ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナの長老達が集まった。存在しないと信じられていたグラダの血が復活しようとしていた。純血のグラダなら問題はない。理性を持つ混血なら問題はない。だが、イェンテ・グラダは村全体が狂気に包まれていた。放置すればオクタカス周辺の”ヴェルデ・ティエラ”達に危害が及ぶ。我々の存在が国外にまで知られてしまう。我々の存在意義はこのセルバと言う小さな国を守ることだ。我々はここでしか生きられない。我々の存在を受け入れてくれてきた”ヴェルデ・ティエラ”を暴走する”出来損ない”から守らねばならぬ。長老会は”砂の民”に総動員を掛けた。イェンテ・グラダを殲滅し、この世から完璧に抹消せよと。」

 シオドアは寒気を覚えた。一夜にして消えた住民達は殺されてしまったのか。

「”ヴェルデ・シエロ”は力を人の殺害に使ってはならないと聞きましたが・・・」
「勿論だ。」

 ムリリョは遠くを見る目つきをした。

「我々は満月を待って、彼等の月読みの酒に毒を入れた。」

 少佐がまた教えてくれた。

「月例の祭祀です。農耕の為に一月の天候を占うのです。今でも農村部の古い家庭に残っていますが、都市部では廃れてしまっています。」
「その祭礼に使う酒に毒を盛ったのか・・・」
「遅効性の毒でな・・・」

とムリリョが囁く様に言った。

「即効性では却って何かが起きていると彼等に知られてしまう。だからゆっくりと彼等の脳を死へと向かわせた。苦しみはなかった筈だ。死にきれなかった者は刀で始末した。死体は夜明け迄に全て村から運び出し、森の奥深くに埋葬した。」
「カルロ・ステファンのお祖父さんは出稼ぎに出ていて、難を免れたのか・・・」
「出稼ぎに出た者はまともな精神状態だった。だから見逃した。恐らく2人か3人だけだった筈だ。」
「まさか、その時の生き残りの子孫を全員殺そうと思うヤツがいるって言うんじゃないでしょうね?」

 ムリリョが首を振った。

「まだ話は終わっておらぬ。我々は死に絶えたイェンテ・グラダの村で、3人の子供を見つけたのだ。」


礼拝堂  8

 「あの”出来損ない”のグラダの死を望む者を、この儂が知っているとお前達は本気で思っているのか?」

 ムリリョが傷ついた様な台詞を口にしたが、顔は無表情で声も冷静だった。シオドアは一族を守る為に暗殺を請け負う役目を担ってきた老人を見つめた。

「貴方の仕業だとは思っていませんし、貴方が仲間に指図したとも思っていません。あなた方の仕事がどんなものか俺は知りません。しかし、オクタカスの”風の刃の審判”を利用したやり方や、外国での任務を遂行する相棒を操って心臓を刺そうとしたり、ロハス一味を攻撃する政府軍の中に紛れ込んでどさくさに彼を射殺しようとする、他人の心を操れるのは、あなた方しかいないでしょう?」

 ムリリョが口をへの字に歪めて彼を見返した。絶対に怒らせた、とシオドアは思った。後悔していないが、不安だった。ケツァル少佐を巻き込んでしまった。
 すると少佐が呟いた。

「今聞いてみると、随分手の込んだ回りくどいやり方をしている様ですね。」
「儂にもそう聞こえた。」

 ムリリョが不愉快そうに言った。

「もし儂の仲間がやるとすれば、そんな手の込んだことはせぬ。”操心”で他人を使うとしても、確実に相手を仕留める保障がなければ行わぬ。第一、あの”出来損ない”を殺す理由がない。」
「理由って・・・」

 純血至上主義者が混血児を排除するのに理由が要るのか、とシオドアは言いそうになって我慢した。ムリリョは彼が何かを控えたことに気づかなかったふりをした。

「白人の血が入っているが、あの男はちゃんとお国の為に働いておる。気の制御は下手くそだが、周囲に迷惑をかけぬようバレたりせぬよう、あの男なりに努力しておる。何故儂等”砂の民”があの男に死を与える必要があるか?」

 シオドアは、博物館でケツァル少佐がステファン大尉の気の動きを感じて心を飛ばした時のことを思い出した。あの時、少佐がムリリョの身内がステファンを怒らせたと言ったら、ムリリョは何と言った? あれには手を出すなと配下に言ってある、とムリリョは言ったのだ。
 ムリリョは純血至上主義者だと聞いていたが、この老人はメスティーソのマハルダ・デネロスを気に入っていた。「美しく獰猛な精霊」とデネロスを評したのだ。
 この人は正しく他人を見極めることが出来る人なんだ!
 それならば・・・

「では、お尋ねします。貴方は、誰がカルロ・ステファンを付け狙っているのだと思われますか?」

 シオドアの質問にムリリョは直ぐには答えず、ケツァル少佐を見た。

「唯一人の真のグラダ・・・」

と彼は少佐に呼びかけた。

「お前は己の親を知っておるか?」

 シオドアは礼拝堂内の気温が1度下がった様な気がした。少佐が緊張した?

「私の親と今話している件が関係しているのですか?」
「グラダは母親の名を受け継ぐ。」

 ムリリョがシオドアに顔を向けた。

「この女の母親は、ウナガン・ケツァルと言う。最初の祖先の名前がケツァルだった。」

 彼は少佐に顔を向けた。

「あの”出来損ない”の母親は、カタリナ・ステファンと言う名だ。その母親の姓もステファンだったからだ。普通、メスティーソは父なし子でなければ父親の姓を名乗る。カタリナ・ステファンの父親はグラダの血を引いていた。」
「彼のお祖父さんの話なら彼から聞いたことがあります。」

 シオドアはうっかりムリリョの話を遮ってしまった。少佐に横目で睨まれた。彼は、ここで爺様を怒らせるな、と言われた気がした。ムリリョは白人の無作法を我慢することにしたらしい。シオドアに尋ねた。

「彼とはあの”出来損ない”のことか? 祖父さんのことを何と言っていた?」
「彼にはカルロと言う名前があります。」

 シオドアは親友を”出来損ない”呼ばわりされるのにうんざりした。

「カルロのお祖父さんは、オクタカス遺跡の近くにあった”ヴェルデ・シエロ”の子孫の村の出だったそうです。若い頃にオルガ・グランデの鉱山へ出稼ぎに出て、ある時に同郷の人達と里帰りしたら、村が消えていたと、カルロに語ったそうです。」

 ムリリョが頷いた。

「あの男の祖父は”ボラーチョ”村の生き残りだったのだな。」

 シオドアはその言葉に引っかかりを感じた。

「”生き残り”と仰いましたか? ”ボラーチョ”村の住民は死んだのですか?」

 ムリリョが初めて躊躇いを見せた。ケツァル少佐をグッと見つめて言った。

「これを語れば、お前は我々に背を向けるかも知れぬな。」



礼拝堂  7

  朝の出勤時、運転手のシャベス軍曹に今夜も出かけるので帰りはアリアナだけ乗せてやってくれと言ったら、軍曹はまた不満そうな顔をした。

「せめて何処へ行くのか教えてくれませんか?」

 それでシオドアは行き先に関しては正直に言った。

「グラダ大聖堂だよ。晩課の礼拝を見学するんだ。俺は宗教と無縁の場所で育ったから、伝統的な宗教儀式に興味がある。」
「そこから別の場所へ移動とかはないですね?」
「ない。」

 もしかするとムリリョが場所を移そうと言うかも知れないが、シオドアはそこまで監視役に言うつもりはなかった。シャベスを安心させて、大学に出勤した。日中は考古学部の教職員と出会う機会はなく、昼食も一人で取った。シエスタの後半は学生が数名来て、世間話をした。若者達はアメリカ文化に興味がある。世界中どこでも普通に見られる光景だった。
 午後は授業がなかったので翌日の授業の準備で時間を過ごし、大学のカフェで早めの夕食を取った。街中のバルはまだ開店時間になっていなかったし、カフェを利用するなら料金が安い大学で飲食しても味はそんなに差がなかった。
 タクシーではなくバスでセルバ大聖堂へ行くと、聖堂前の大広場では屋台が出ていて、ちょっとびっくりした。お祭りかと思ったがそうではなかった。雨が降らなければ毎晩屋台が出ているのだ。
 大聖堂の中は屋外より涼しかった。晩課を行っている信者達の邪魔をしないように端の通路を静かに歩き、エクスカリバー礼拝堂を探した。結局近くにいた老女に声をかけて教えてもらう羽目になったが。
 グラダ・シティに最初に上陸した宣教師に捧げられた礼拝堂で、エクスカリバー師の像が祀られている。その祭壇の前でファルゴ・デ・ムリリョが座っていた。濃紺のシャツと黒いパンツで痩身を包んだ姿は、年齢を感じさせず、忍者の様に素早く駆け回りそうだ。

「こんばんは。来て下さって有り難うございます。」

 シオドアは礼を失さないよう用心深く挨拶した。ムリリョは無言で手を振り、彼に近くへ来いと合図した。シオドアは相手の目を見ないように心がけながら近づいた。ムリリョが指差した椅子に座ると、老人が言った。

「もう一人来る。」

 シオドアはびっくりした。2人だけで話したかったのだ。するとムリリョも言った。

「お前と2人だけで話したかったが、ケサダが余計な気を利かせてお前を私から守ろうとした。だから、あれも来る。」

 ケサダ教授が来るのか、と思ったら、礼拝堂の扉が小さく開いた。振り返ってシオドアは驚いた。思わず立ち上がってしまった。

「ケツァル少佐!」

 少佐がゆったり大きめのTシャツに病院職員のパンツを身につけて入って来た。明らかに病室を脱走してきたのだとわかる服装だ。

「まだ寝てないと駄目じゃないか!」
「平気です。戦闘をする訳でなし。」

 ケサダ教授は自分が来るのではなく、ケツァル少佐にシオドアがムリリョと会見すると告げ口したのだ。だから、友人を見捨てて置けないケツァル少佐は病院を抜け出して来てしまった。シオドアは思わず愚痴った。

「護衛は何やってんだ? ステファンの目を誤魔化して来たのか、少佐?」

 少佐がニッと笑った。部下を欺くなど朝飯前だと言いたげだ。そしてムリリョの前に来ると”ヴェルデ・シエロ”の言葉で挨拶をした。驚いたことに、ムリリョも立ち上がって、彼女に頭を下げて挨拶を返した。シオドアに少佐が説明した。

「族長同士の挨拶をしたのです。」

 現生でたった一人の純血のグラダ族だから、ケツァル少佐はグラダ族の族長なのだ。そしてムリリョは長老であるだけでなくマスケゴ族の族長だった。
  ムリリョが手で椅子を指したので、少佐はシオドアの隣に座った。微かに甘い香りがした。病室の見舞いの花の移り香だ。

「結界を張った。暫くは誰もこの礼拝堂に入って来ない。」

 ムリリョがシオドアを見た。

「さて、何を儂から聞きたいのかな、白人?」

 シオドアは深呼吸した。下手なことを言えば、この長老は腹を立てるだろう。2度と面会してくれないかも知れないし、最悪命を奪われるかも知れない。彼は用心深く質問した。

「カルロ・ステファンの命を狙っている者がいます。お心当たりはありませんか? 彼が殺されなければならない理由を知りたいのです。そして俺に出来ることならば、相手を説得して彼を救いたい。」

 少佐がゆっくり首を動かして彼を見た。感情を表さない黒い目で彼を眺め、それからムリリョに向き直った。彼女が言った。

「私も知りたい。誰が彼の死を望んでいるのですか。」


2021/07/28

礼拝堂  6

  盗掘美術品密売ルートの元締めで麻薬シンジケートの一端でもあったロザナ・ロハスの要塞を破壊しボスのロハスを生け捕ったステファン大尉が、手柄を褒められもせず、降格もされず、国防省病院の廊下でケツァル少佐の護衛を命じられているのは、上官が負傷して前線を退いた後の指揮を執らずに私怨でロハスの要塞に突入した罰だと、少佐は言い、ステファン本人もそう認識していた。しかしシオドアは、大統領警護隊の司令官であるエステベス大佐と言う人が護衛されている筈のケツァル少佐にステファンを守らせているのだと理解した。病院の建物は遺伝病理学研究所と同じで結界を張りやすい。少佐は彼女の病室から離れている大部屋で寝ているアスルも守ることが出来るのだ。
 見舞いを終えて、シャベス軍曹が運転する車で彼はアリアナと共に一旦帰宅した。彼女を家に入れて、彼は再び出かけようとした。シャベス軍曹は良い顔をしなかった。内務省の指示で亡命者の監視をしているのだ。のこのこ外出されては彼も気が抜けない。仕方なく、その夜は家にいることにした。
 シャベスが夜の護衛と交替に帰宅し、シオドアはアリアナと夕食を取った。アリアナは上機嫌でアスルが脚の傷以外は元気だったことを報告した。

「”ヴェルデ・シエロ”って、貴方と同じで傷の治りが早いんですって。だからアスルはもう痛くないそうなの。だけど憲兵隊の守護を放棄して要塞に突入した罰で、普通の人と同じ日数を入院していないといけないんですって。」
「何だい、それ? 仕事をするなってことか?」
「アスルは営倉に入るよりベッドで寝ている方が辛いってこぼしてたわ。」

 日中の業務時間以外は風来坊のような生活をしているらしいアスルには、例え数日のことでも1箇所で寝ているのは苦痛なのだろう。それは廊下の椅子に座って護衛を続けるステファンも同じなのだ。居眠りも散歩も許されない。トイレに行くにも上官の許可が要る。

「大尉はタバコを我慢しているのかい?」
「そうよ、病院の中ですもの。だから売店で売られているキャンデーを舐めていたわ。」
「キャンデー?」
「タバコと同じ香りがするの。」

 ああ、とシオドアは合点した。禁煙となっている国防省病院では、気のコントロールが上手くいかないメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”の患者の為に、タバコと同じ植物を原料とするキャンデーを作って与えているのだろう。売店でも販売しているのだ。アリアナが可笑しそうに笑いながら言った。

「そのキャンデー、私も舐めたいと言ったら断られたの。死ぬほど不味いんですって。」
「そうだろうな・・・美味しかったら、街でも売られている筈だよ。」

 シオドアはタバコも吸わないので、キャンデーの味が想像出来ない。だが美味しい筈がないと思った。ハバナ産の高級葉巻だって、その味のキャンデーが出回ったと言う話を聞いたことがない。
 夕食の後、それぞれの部屋に引き揚げた。シオドアは電話を出した。セルバ国立民族博物館にかけてみたが、誰も出なかった。営業時間はとっくに終わっている。職員は皆んな帰ったのだ。館長も帰ってしまったのだろう。彼は自室を出て、アリアナの部屋のドアをノックした。アリアナはまだ部屋に入ったばかりだったので、寝る支度をしている最中だった。シオドアがデネロスの電話番号を教えてくれと言ったら、女の子の番号を本人の許可なく教える訳にはいかないと断られた。

「何だよ、下心なんかないぞ。」

 シオドアが怒って見せると、彼女はちょっとむくれた。

「一緒にバイトした時に訊かなかったの?」
「そんな必要はないと、あの時は思ったんだ。それに俺が今用があるのは彼女じゃなくて、彼女の知り合いだ。その人の番号を彼女に訊きたいんだよ。」
「誰なの? 私がマハルダに電話して訊いてあげるわ。」

 時々アリアナは故意に融通が効かない。シオドアが大統領警護隊の友人達に関わる行動を始めると、彼女は仲間外れにされまいと必死になるのだ。シオドアは仕方なく目的の人の名を言った。

「考古学のケサダ教授だよ。マハルダの担当教授だろ?」

 それでやっとアリアナはデネロス少尉に電話ではなくメールを送ってくれた。大統領警護隊の官舎は門限でなくても電話を掛けられる場所が決められていて、外から掛ける場合は事前にメールで予告した方が良いのだと彼女はロホから教えられていた。時間帯に関係なく電話を掛けられるのは、同じ大統領警護隊の少佐以上の階級の将校だ。
 メールの返事はメールで来た。シオドアはそれを見せてもらい、自分の電話に登録した。礼を言って、おやすみのキスをすると、アリアナがちょっと照れた。
 自室に戻り、シオドアはベッドではなく椅子に座って姿勢を正した。緊張感を持ってマスケゴ族の教授に電話をかけた。ケサダ教授はすぐに出てくれた。背後で子供の声や女性の声が聞こえたので、家族団欒の夕食の場を邪魔してしまったようだ。

「お寛ぎの時間に申し訳ありません。」

 シオドアは名乗って直ぐに用件に入った。

「ムリリョ博士の連絡先を教えていただけませんか?」

 ケサダ教授は暫く沈黙した。ケツァル少佐でさえ滅多に掴まえることが出来ないマスケゴ族の長老の電話番号を白人が訊いているのだ。シオドアは付け加えた。

「友人の安全を確保するために、あの方の協力を頼みたいのです。」
ーー友人?
「大統領警護隊の友人です。」

 数秒間を置いて、ケサダ教授は言った。

ーーこちらから掛けなおします。

 電話が切れた。シオドアは脈ありと感じた。ケサダとムリリョは同じ大学の師弟関係よりマスケゴ族の純血種同士の繋がりが強いのだろう。そして、恐らくケサダは”砂の民”だ。しかし純血至上主義者ではない。ムリリョは純血至上主義者で”砂の民”の組織の長であり、マスケゴ族の長老だ。
 まだ眠るには早い時間だったので、シオドアはジャガイモの遺伝子の変遷を研究した学者の本を開いた。料理のレシピが載っていれば面白いのだが、生憎文章と遺伝子の相関図ばかりだ。同じものを見るなら人間の方がずっと面白い、と思っていると眠たくなってきた。こっくりしたところに、ケサダから電話が掛かってきた。

ーー明日の夕刻7時、グラダ大聖堂のエクスカリバー礼拝堂で。

 それだけ囁いてケサダは電話を切った。シオドアは一瞬彼が冗談を言ったのかと思った。グラダ大聖堂と言えば、セルバ共和国カトリック教会の中心だ。”曙のピラミッド”より低い土地に建てられており、高い尖塔を持っているがピラミッドより高い位置にならないよう配慮されている。礼拝の時間には信者が集まっているので、聖堂は厳かだが周辺は賑やかな区域になっている。”ヴェルデ・シエロ”の長老がキリスト教会を面会の場所に指定するのは奇妙だが、仲間の目を誤魔化すには都合が良いのかも知れない。


礼拝堂  5

  アリアナとステファン大尉が部屋から去って3分ほどケツァル少佐は黙っていた。廊下の音と気配を伺って、誰もいなくなるのを待っていたのだ。それからシオドアに目で座れと言った。それまでシオドアは花の中で立っていたのだ。

「凄い花の山だな。」
「殆どが1回会ったか会わないか程度の面識のない人達です。大統領警護隊は私が負傷したことを公表していないのに、誰かが噂を広めてしまいました。」
「マスコミが来ていたものな。」

 少佐は親に知られたくありませんと呟いた。特に娘を溺愛している母親には、と。娘を家に閉じ込めておけないから、母は毎日電話をかけてくるだろうと。シオドアは父親だって心穏やかではないだろうと思った。ミゲール大使夫妻は昨日のテレビ中継を見ただろうか。仲間に抱き抱えられて運ばれて行く兵士が娘だとわかっただろうか。それとも、大統領警護隊から娘の負傷の連絡が入ったりしなかったのか?
 少佐がいつもの調子でいきなり話題を変えた。

「廊下での警護は、懲戒としてはかなり甘いものです。本来なら降格と営倉行きです。」

 シオドアはびっくりした。

「ステファンの処遇のことかい? 要塞の破壊は確かに目立ち過ぎたけど、ロハス一味を逮捕出来たし、爆弾や火薬が爆発したと誤魔化せるだろう?」
「そんな問題ではありません。」

 少佐が溜め息をつき、傷が痛んだのか顔を顰めた。

「少佐の私が倒れたら、部下を指揮して部隊を守るのは大尉の役目です。それなのに部隊の守護を放り出して勝手に突入してしまいました。私はロホに運ばれながら、守れと叫んだのです。でも彼の耳に入らなかった。ロホが私を運びながら気を放って部隊を守ろうとしたのですが、憲兵隊に複数の負傷者が出てしまいました。自分の背後に気を放つのは難しいのです。味方が撃つ弾さえ破壊してしまいます。いえ、ロホが失敗したのではありません。彼が気を使う機会は殆どありませんでしたから。アスルが残っていれば、もう少し事態はましな方向へ向かったのですが、彼もカルロに負けじと突入していたのです。」
「カルロもアスルも君が大事だから、君が撃たれて頭に来たんだ。」
「そんな個人的感情で戦闘に臨まれては困ります。将校である覚悟が足りません。エル・パハロ・ヴェルデなのですから、国民を守るのが第一の使命です。」

 ケツァル少佐は何処までも軍人だ。親に心配をかけたくない娘であり、国民を悪の組織から守る軍人なのだ。

「将校として重大な過失を犯したにしては、廊下での警護は優し過ぎるな、確かに。誰がその処分を決定したんだい?」
「司令官です。」

 少佐がいきなり病院着をめくったので、シオドアは慌てた。目のやり場に困った。少佐はお構いなしに、傷を彼の方へ向けた。

「ほら、横から撃たれているでしょう?」
「そうだな・・・」

 頼むから、そのおっぱいを早く覆ってくれ、とシオドアは目を逸らしながら願った。少佐は何事もなかったかのように、着衣を下ろした。

「銃弾は横から飛んで来たのです。」
「前からでなく?」
「前からではありません。私は軍医が麻酔をかける前に彼に依頼しました。銃弾を摘出したら後で見せて欲しいと。麻酔から覚めたら、銃弾はありませんでした。軍医が、本部に送ったと言いました。」
「つまり・・・」

 シオドアはピンときた。

「銃弾は敵ではなく味方の憲兵の銃から発射されたものだった?」
「スィ。軍医は私から摘出した銃弾を一目見て、すぐにこれは一大事だと感じたそうです。だから憲兵ではなく衛生兵を呼んで銃弾を司令のところへ送りました。」
「君は正面から撃ってくるロハス一味の銃弾を落とすのに集中していた。だから味方の中の誰かが横から撃った弾に気が付くのが遅れた・・・」
「狙われたのは私ではありません。」
「え?!」

 シオドアは一瞬ドアを見た。ドアの向こうは誰もいない筈だ。警護のステファン大尉はアリアナと共に大部屋のアスルのところへ見舞いに行っている。

「狙われたのは、もしやステファン?」
「スィ。私は彼に向かって飛んで来る銃弾に気がついて、彼の横へ飛び出したのです。気を放って落とせば勢いで周辺の兵士に当たっていました。」
「だからって、自分の体で銃弾を受け止めるなんて・・・」
「自分でも馬鹿だと思いますけど。」

 少佐はけろりとして言った。シオドアは不安に駆られた。

「憲兵隊の中に暗殺者が入り込んでいたんだな。」
「司令部は昨夜から憲兵隊長を呼んで捜査を始めています。憲兵隊はロハス一味の要塞の捜査をしなければならないので、思いがけぬ方向から横槍が入って大混乱です。」
「憲兵隊の中にも”ヴェルデ・シエロ”はいるんだろ?」
「スィ。純血種でも大統領警護隊に採用されなかった人は当然います。でも出世の問題でステファン一人が狙われるのは奇妙な話だと思いませんか?」
「そうだな・・・マハルダもまだ少尉だけど、能力が大きくないのに大統領警護隊で活躍している。他にもメスティーソの隊員はいるだろうし。」

 シオドアは少佐を眺めた。

「彼が半分だけのグラダだと言うことが理由じゃないかな?」
「私もそう思います。彼の能力の大きさを恐れている人がいるに違いありません。」

 彼は古い記憶を探ってみた。

「オクタカスの”風の刃の審判事件”が奇妙だと君は以前言いかけたよな? 俺が洞窟に入る前にステファンに伝言を頼んだ陸軍兵士が、実際には彼に伝言をしなかった。そしてステファンは俺と一緒に洞窟に入った。そして通常では考えられない通路の中に爆風が入ってきた。あれは俺の護衛を任務としているステファンが俺について洞窟に入ると踏んで、あの爆風を導いたヤツがいるってことじゃないか?」
「恐らく、発掘調査隊ごと彼を殺してしまうつもりだったのでしょう。でも、失敗でした。爆風の威力が期待した大きさでなかったのでしょう。あるいは、あの時点でカルロの自衛本能が働いて気で爆風を和らげ、結果的に調査隊も怪我人を出す程度で済んだのかも知れません。」
「純血至上主義者はそんなに彼のグラダの力を恐れているのか?」
「刺激しなければカルロは力を使いません。彼の人柄を知っていれば、彼が能力を意図的に使って他人を動かしたり自分が楽をしようとする人間でないことはわかります。 大統領警護隊の同期生達が彼にする意地悪も、彼のそんな性格を知っているから、出来ることです。」
「彼の人柄を知らないヤツで、彼が何者か知っている人間が、黒幕だろうな。」

 シオドアは話を聞かなければならない人間を頭に思い浮かべていた。



2021/07/27

礼拝堂  4

  シオドアはステファン大尉が疲れた顔をしていたので、昨日の要塞を破壊したのはこの男だろうと見当がついた。アリアナの「男を見る目」は確かだ。

「下士官ではなく大尉の君が廊下で護衛かい?」

と揶揄い半分で尋ねた。ステファンは肩をすくめた。

「警護は廊下でするものです。それにこれは一応懲戒なので・・・」
「懲戒?」

 アリアナが驚いた。

「何かミスをしたの?」
「スタンドプレイが過ぎたんだよ。そうだろ?」

 シオドアの言葉にステファンが苦笑して頷いた。

「目撃者が軍関係者だけなら訓告で済んだのですが、まさかテレビカメラがあそこにいるとは思いませんでした。」
「いると知っていても、君はやっただろう。」

 アリアナがシオドアを見た。目で説明を求めて来たので、シオドアは彼女に教えた。

「要塞を破壊したのは、彼だよ。」
 
 アリアナが目を見張った。ステファンは罰が悪そうにドアの方を向いた。ノックして、シオドアとアリアナが訪れたことを告げた。少佐の声で「どうぞ」と聞こえた。
 ステファンがドアを開けてくれた。途端に強烈な花の香りが廊下に吹き出して、シオドアとアリアナはたじろいだ。室内に沢山の南洋の花々が溢れかえっていた。まるで花屋だ。その中で病院着姿のケツァル少佐が窓際の机に向かって座り、ラップトップでせっせと仕事をしていた。入院が必要な怪我人とは思えない。彼女はいつものごとく、客に背中を向けたまま、手で「座って下さい」と合図した。折り畳み椅子が数脚あったので、シオドアはそれを広げてアリアナを座らせた。彼自身は座る前に室内に飾られている花を眺めた。どれもカードが付いており、贈り主の名前は様々だ。これは彼女が有名人だからだろう。

「お怪我をなさったとお聞きしましたけど?」

とアリアナが遠慮がちに質問した。少佐は勢いよくキーを叩きながら答えた。

「スィ。銃弾一発、右の胸に受けました。」

 彼女は「ブエノ」と呟き、ラップトップを閉じて、やっと客に体を向けた。薄い病院着が透けて右胸の乳房近くに貼られたガーゼが見えた。シオドアは思わず目を凝らしてしまった。

「俺は射撃のプロじゃないが、そこを撃たれるって、敵は横にいたのか?」

 おかしなことを言うのね、と言いたげにアリアナが彼を見た。ロハス一味は要塞にいて、政府軍はその周囲を包囲していた。兵士は皆んな敵を正面に見ていたのではないのか。
 少佐が病室のドアが閉まっていることを目で確認した。

「弾は肋骨に当たって止まりました。”ヴェルデ・ティエラ”だったら貫通していたでしょう。」
「君らしくないな・・・」
「ロハスの要塞から飛んで来る銃弾を落とすのに熱中していましたから、気付くのに遅れました。」

 ケツァル少佐はいつもストレートに言わない。何か含んだ言い方をする。シオドアは彼女が彼に何か伝えたいのだと気がついた。だからロホが病院に行ってくれと言ったのだ。

「私は自分の油断で負傷したのですが、それを見た部下達が動揺してしまい、憲兵隊に負傷者を出してしまいました。申し訳ないことをしたと思っています。」
「貴女に責任はないわ。」

 アリアナが言った。彼女はそこで見舞いの品を思い出し、バッグからチョレートとクッキーの箱を出した。

「お花はアレルギーの人もいるので、お菓子を買って来ました。病院食はこんなの出ないでしょう?」
「グラシャス、嬉しいです。ここで出る甘い物と言ったら、ゼリーばかりで。」

 少佐が笑顔で受け取った。クッキーの箱を机に置いて、チョレートの箱をまたアリアナの方へ差し出した。

「もしよろしければ、これをアスルに上げてくれませんか?」
「彼も入院してましたね。何処を怪我なさったのですか?」
「脚を骨折したのです。階段から落ちて。」

 シオドアとアリアナは顔を見合わせた。昨日見た映像では、アスルと思しき男性は普通に歩いていたが? 少佐が説明した。

「私が撃たれたので、カルロとアスルは頭に血が上ってしまい、部隊長が止めるのを振り切ってロハスの要塞に2人だけで突入したのです。アスルはロハスの手下どもと格闘になり、10人倒して、11人目と一緒に階段から転げ落ちました。その時は興奮していたので怪我に気づかず、カルロと共にロハスを捕まえて外へ引きずり出したのですけど、その後で歩けなくなって軍医に診てもらったら、右腓骨が折れていたのです。」

 アリアナがアスルの苦痛を想像して顔を顰めた。シオドアは”ヴェルデ・シエロ”達の暴れぶりに呆れ返った。少佐がドアに向かって、「カルロ!」とステファン大尉を呼んだ。ステファンがドアを少し開けて中を覗き込んだ。少佐が命じた。

「ドクトラをアスルの部屋にご案内しなさい。」

 ステファンがドアを大きく開いて、アリアナを待った。アリアナはちょっと戸惑った。アスルとはそんなに親しくなかったし、ステファンとも何を話せば良いのだろう。しかしステファンが言った。

「アスルは貴女が気に入っていますから、来ていただけて喜ぶでしょう。」

 アリアナは頬が熱くなるのを感じた。少佐が部下に注意を与えた。

「大部屋ですから、他の患者が彼女に失礼なことをしたり言ったりしないように、睨みを利かせておきなさい。」
「承知しました。」

 つまり、ステファンはずっとアリアナのそばにいてくれるのだ。アリアナは立ち上がった。屈んで座ったままの少佐をハグして、お大事に、と挨拶した。傷には触れないように気をつけた。 



礼拝堂  3

  ロザナ・ロハスが逮捕されたことを祝うつもりで、翌日シオドアは文化・教育省に電話をかけた。電話に出たのはマハルダ・デネロス少尉で、シオドアが祝福の言葉を告げると、彼女は短く「グラシャス」とだけ言った。そしてすぐにロホと交替した。なんだかいつもと違うな、と思っていると、電話口に出たロホが祝福の礼を述べてから、こう言った。

ーーもしお時間があれば、セルバ国防省病院へ行って頂けませんか?
「病院?」

 するとロホは声を潜めて囁いた。

ーー昨日、少佐が撃たれました。

 え? と驚くしかなかった。オーロラビジョンの映像が頭に蘇った。負傷した仲間を抱き抱えて走っていた背が高い兵士。あれはもしや?

「もしかして、君は撃たれた少佐を抱き抱えて走ってた?」
ーースィ。
「彼女の容態は?」

 するとロホは大丈夫ですと断言した。

ーーすぐに治療を受けられて、一晩お休みになり、今朝は既に電話で業務の指示をされました。

 流石に”ヴェルデ・シエロ”だ。シオドアはホッとした。ロホが話を続けた。

ーー私もお見舞いに行きたいのですが、今オフィスにデネロスと2人きりなので離れることが出来ません。ロハス捕縛の報告と書類整理で手が空かないのです。
「アスルとステファンは?」
ーー2人も病院にいます。ステファンは少佐の護衛で、アスルは脚を負傷して治療中です。
「アスルも撃たれたのか?」
ーーそれは・・・ちょっと事情がありまして・・・

 電話では言いたくないのだろう。ロホが珍しく言葉を濁した。シオドアは「わかった」と言った。

「午後の授業を早めに切り上げて病院に行く。アリアナも連れて行って良いかな? 仲間外れにされると直ぐ拗ねるから。」

 するとやっとロホの声が明るくなった。

ーー大丈夫です。アスルを見舞ってやって下さい。アイツはドクトラが好きなんです。

 あの無愛想なアスルがアリアナを気に入っているって? シオドアは可笑しく感じた。アスルは絶対に彼女の前でそんな素振りを見せない。「好き」と言っても恋愛感情ではないのだろう、と思った。
 アリアナに電話で病院行きを誘うと、彼女はちょっと迷った。研究が忙しいのかと思ったら、国防省病院は遺伝病とあまり関係がないので馴染みがないと言った。

「病院見学じゃない、見舞いだ。」
ーー誰が入院しているの?
「ケツァル少佐とアスルだよ。」
ーーそれを先に言ってよ!

 運転手のシャベス軍曹に迎えに来てもらい、セルバ国防省病院に行った。途中、アリアナは軍曹に頼んで菓子店で寄り道をした。

「普通はお見舞いにお花かなと思ったけど、植物のアレルギーの患者もいるから、お菓子にしたわ。怪我だから、食事制限はないのよね?」

 病院の駐車場に車と運転手を残して、シオドアとアリアナは受付に向かった。国防省病院は古い外観の建物だったが、中は清潔で綺麗だった。受付で身体検査があった。武器や爆発物を持ち込まれない為の用心だ。それから面会する患者の名前と見舞客の名前をリストに書かされた。I Dで本人確認されて、やっと中に入れた。

「セルバ人の名前って、Qで始まる人が多いわね。」

とアリアナが感想を述べた。

「ケツァル少佐はQで始まるし、アスルの本名はQ・Qよ。昨日、オーロラビジョンを一緒に見ていたケサダ教授もQよね。」
「スペイン語でKはあまり使わないから、Kの音はQで表しているんだと思うよ。」

 国防省病院は重症患者以外は大部屋だったが、ケツァル少佐は将校だったし、大統領警護隊だし、女性だったので個室を与えられていた。入り口前の廊下に椅子を置いて、ステファン大尉がタブレットで何か入力していた。彼はシオドア達の話声を聞きつけて顔を上げ、立ち上がった。アリアナが「こんにちは」と挨拶すると、彼は敬礼で応えた。国防省病院なので、それらしく振る舞うのだ。

礼拝堂  2

  まるで戦争映画を見ている様だが、これは現実に起きている出来事だ。映画と違うところは、否、映画と同じと言うべきか? 味方に死傷者が一人も出ていないことだ。政府側の武装軍団は元気よく前進を続けて行く。突撃しないのは、守護神である大統領警護隊の守備範囲から出てしまわないよう心がけているからだ。敵陣から絶え間なく飛んで来る砲弾や銃弾を落としながら前進するロス・パハロス・ヴェルデス達の消耗は激しいだろう、とシオドアは案じた。しかしロハス側に逃げ道は残されていない。屋敷が建っている丘の周囲は政府側が取り囲んでしまっている。テレビの実況リポーターが気になることを言った。

ーー中庭に何かあります。 ヘリコプターの様です。

 ロハス側が再び激しい反撃を始めた。備蓄の弾丸も火薬も全部使ってしまえと言うみたいに撃ってきた。政府側も負けじと撃ち返し、土埃と火薬の白煙で画面が不鮮明だ。その時、テレビカメラが大きく揺れた。リポーターが叫んだ。

ーーこちら側で負傷者が出た模様です!

 カメラが動揺している兵士の一団を映し出した。整然と統制が取れていた筈の部隊が混乱していた。その兵士の中から、背の高い男が負傷者を抱き抱えて走り出してきた。すぐに後方部隊から衛生兵達が駆け寄った。更に数人が仲間に支えられたり、担がれたりして後方へ運ばれた。
 シオドアは不安に襲われた。あの部隊のロス・パハロス・ヴェルデスは疲れたのか?
 テレビリポーターが突然大声を上げた。

ーー一人、敵陣に向かって走って行きます! 無謀だ! 戻って来い!!

 シオドアはオーロラビジョンの中でもう一人の兵士も続けて走るのを見た。ロビーの学生達が大騒ぎを始めた。スクリーンに向かって、「戻って来い!」と叫んだり、「やっつけてしまえ!」と怒鳴ったり、口々に騒ぎ出した。
 政府側は射撃を中断してしまった。味方が2人要塞に向かって走って行く。今撃てば彼等に当たってしまう。シオドアが唖然として見つめていると、アリアナが呟いた。

「カルロよ・・・あれはカルロだわ・・・」

 え? とシオドアは彼女を振り返った。アリアナが両手を祈る形に握りしめてスクリーンを見つめていた。彼はもう一度オーロラビジョンを見た。敵陣に突入する2人の姿はもう小さくなっていた。
 リポーターの声が聞こえた。

ーー今、情報が入ってきました。負傷者の一人は大統領警護隊の将校です。

 大統領警護隊には将校しかいないだろう! シオドアは情報の少なさにもどかしさを感じた。雨霰と降り注ぐ銃弾を物ともせずに突進して行った先刻の2人も大統領警護隊に違いない。仲間を撃たれて頭に来たのだ。彼はもう一度アリアナを見た。まさか、本当に、あれはカルロ・ステファンだったのか?
 突然、オーロラビジョンから大音響が響いた。学生達が腰を抜かし、画面の中も真っ白になった。まるでスクリーンが爆発したみたいな感じだった。一瞬画面が砂嵐状態になり、音声が途絶えた。
 フィデル・ケサダ教授が立ち上がった。

「だから、半分だけのグラダを怒らせるんじゃない。」

 彼は呟いて、潰れたカップをゴミ箱に放り込み、学生達を掻き分けて去って行った。
 オーロラビジョンが、と言うよりも中継しているテレビカメラが生き返った。政府側の兵士達が土埃まみれになりながら銃を構え、前進を再開していた。要塞の壁が崩壊していた。こちらから大砲を何発も一斉に撃ち込んだみたいだ。女性の悲鳴が聞こえてきた。政府側の軍服を着た男が2人、女性を一人引きずりながら崩落した建物の瓦礫の中から姿を現した。バリバリと空電の音がしてから、リポーターの音声が生き返った。

ーー失礼しました。ロハスの要塞が吹き飛んじゃいまして・・・今、ロハスが逮捕された模様です。生きてますね。運の良い女だ、ロス・パハロス・ヴェルデスに捕まって・・・

 女を引きずって来た2人の兵士は彼女を到着した味方に引き渡すと、兵士の群れの中に姿を消した。

礼拝堂  1

  盗掘美術品密売組織の頭目ロザナ・ロハスの顔をシオドアが初めて見たのは、ケツァル少佐と初めて会った日だった。少佐は彼にロハスの写真を見せて知っているかと尋ねたのだ。きつい目をした中年の白人女性で、シオドアは全く見覚えなかった。記憶喪失を抜きにしても過去に面識が一切なかったのだ。ロハスは祖先の文化を大切に思うセルバ国民にとって天敵の様な女だった。年代や部族に関係なく遺跡に侵入して彫刻や壁画を持ち出し、欧米のメソアメリカ文明の宝物を蒐集するマニア達に高額で売り捌いていたのだ。彼女には古代の神様の呪いも祟りも効かないのだろう。部屋に置くだけで近づく人間の精気を吸い取っていたネズミの神像でさえ、平気で神殿から持ち去り金持ちに売却したのだ。神聖な神々の遺物を汚しお金に換えてしまうロハスを、良識あるセルバ国民は憎んでいた。
 ロハスの財源はシオドアが考えた通り、麻薬売買だった。国民を堕落させていく元凶だ。だから彼女の組織を殲滅することはセルバ陸軍憲兵隊の大義であり、セルバ共和国刑事警察の悲願であり、大統領警護隊の任務でもあった。
 国営テレビはその日朝からずっとロハスの要塞の様な屋敷を取り囲んだ武装集団の行動を実況中継で全国に流していた。麻薬密売組織は軍隊並みの私兵と武器を備えていた。シオドアがミカエル・アンゲルスの邸で見た私兵軍団より遥かに規模が大きかった。麻薬って鉱石より儲かるんだ、と不謹慎にも思ってしまった程だ。テレビで映し出されているのは、個人所有の軍隊と国家の軍隊の戦争だ。セルバ国民はその日、仕事も勉強も手につかずにテレビの前で釘付けになっていた。
 テレビで放送していると言うことは、ロハスも中で見ているのよね、とアリアナが当然のことを言った。彼女とシオドアは大学のロビーで学生達と一緒にオーロラビジョンの画面を見上げていた。

「こっちの手の内を見せちゃって大丈夫なのかしら?」
「きっと、これだけの武力を持って囲んでいるんだから、そっちに勝ち目はないぞと伝えたいのだろう。」
「あっちの組織に”ヴェルデ・シエロ”はいないのかしら?」

 シオドアはギョッとした。単純な疑問だが、彼はそれまで思ってもみなかったのだ。その時、画面に緑の鳥の徽章を胸に付けた男達が映った。大統領警護隊だ。”ヴェルデ・シエロ”はどんな戦い方をするのだろう、とシオドアは緊張した。迷彩柄の野戦服ではなくカーキ色の戦闘用服を着たロス・パハロス・ヴェルデスはそれぞれアサルト・ライフルを装備していた。頭にはヘルメットを被り、識別用徽章がなければ憲兵隊と見分けがつかない。性別もわからない。テレビカメラは大統領警護隊を注視すると後が怖いと思ったのか、すぐに画面が切り替わり、ロハスの要塞の壁を映し出した。リポーターが叫んだ。

ーー迫撃砲だ!

 要塞から数発の弾が飛んで来るのが映った。しかし弾はこちらの軍団に届く迄にどれも空中で破裂した。直接の被弾はなかったが、破片が飛散して、前線が慌ただしくなった。何処かの部隊が射撃を始めた。要塞が応戦した。リポーターが言った。

ーー危ないところでした。ロス・パハロス・ヴェルデスに感謝です!

 再びカメラが大統領警護隊を探すかの様に動いた。先刻映ったグループは散開して2、3人ずつ憲兵隊や警察隊に付いたようだ。

「我々は直接相手を倒すことを許されていないから。」

 不意にシオドアの横で声が囁いた。シオドアはドキッとして振り向いた。考古学部のフィデル・ケサダ教授が座っていた。シオドアは言った。

「ロス・パハロス・ヴェルデスが戦闘に加われば、早く決着が着くんじゃないですか?」
「彼等は戦いません。」

 ケサダは手にしたカップからコーヒーを啜った。

「大統領警護隊の仕事は国を守ることです。さっきの迫撃砲弾を破壊したのも、憲兵隊を守るためです。彼等から攻撃を仕掛けることはありません。攻撃するのは憲兵隊と警察隊の役目です。」

 つまり、ロス・パハロス・ヴェルデスの隊員達は分散して各部隊に配置され、担当の部隊を守る仕事をしているのだ。だから・・・

「ロス・パハロス・ヴェルデスが配置された部隊の戦闘員達は誰も怪我をしないし、死んだりもしません。」

 だから現代でもセルバ人は”ヴェルデ・シエロ”を神様として敬っているのか。

「貴方が想像している程、彼等の能力は大きくないのです。」

とケサダはコーヒーを飲み干して言った。

「2人か3人で力を合わせて飛来する砲弾を破壊するのがやっとです。置いてある物を破壊するのは一人で簡単に出来ますが、高速で動く標的は射撃と同じで難しいのですよ。下手をすると味方に負傷者を出してしまいますからね。それに距離も関係します。肉眼で見えない距離の物に”作用”は出来ないのです。だから彼等は砲弾や弾丸が彼等の気の射程距離に入って来る迄待たねばならないのです。」

 セルバの超能力者達はとても人間的なのだ、とシオドアは感じた。

「”連結”や”幻視”は簡単ですが、これも適用範囲が限られています。一人でやれば、ここのロビーの中にいる人数程度が限界でしょうか。空間もこの程度の広さです。」

 シオドア達の周囲には100人程の学生や大学職員が集まっていた。これだけの人間を操ることができれば大したもんだ、とシオドアは思った。するとケサダが呟いた。

「グラダ族ならもっと桁違いな力を出せます。」

 シオドアは彼を改めて見た。マスケゴ族の教授はカップの中のコーヒーがなくなっているので、ちょとがっかりした。手で空になったカップを握り潰した。

「グラダの女性は穏やかに長時間大人数の人間を空間の制限もなく支配出来ます。だから古代のママコナはグラダ族しかなれなかったのです。現代のママコナは異部族ですから、ピラミッドで力を増幅させなければ同じことは出来ません。」
「”曙のピラミッド”は能力増幅装置なのですか?」

 シオドアの問いにケサダが苦笑した。

「現代風に言えばそうなるでしょう。」
「女性の力が穏やかなら、男性の力はどうなのです?」
「破壊的です。」

 ケサダはオーロラビジョンを見上げた。

「男性のグラダは瞬発的に相手に壊滅的打撃を与える力を出します。今テレビに映っている要塞、あの程度なら一人で吹っ飛ばしてしまえます。」

 彼はシオドアに視線を戻した。

「勿論、これは古代の文献に残されている資料を解読した内容です。グラダは遠い昔に絶滅しました。今、奇跡的に我々は一人だけ女性を取り戻した。」
「シータ・ケツァル?」
「スィ。だが惜しいかな、彼女は先代ママコナ存命中に生まれてしまった。ママコナにはなれない。」
「男のグラダは・・・」

 ケサダが指を口元に当てた。それ以上言うな、と言う合図だ。シオドアは口を閉じた。

「半分だけのグラダと言うのは大変危険な存在です。己の能力の抑制をなかなか学べない。導くべき年長者のグラダがいないからです。己で学んでいくしか方法がありません。幸い我々にはケツァルがいます。彼女が導師となって彼を導くことを期待しています。」

 シオドアは疑問を抱いた。半分だけのグラダが生まれたのなら、どこかにグラダの親が、半分だけか或いは純血のグラダがいた筈だ。そして純血のケツァル少佐の親は? やはり半分だけのグラダ同士の親がいたのか? それとも・・・・
 その時、また激しい射撃の音がテレビから聞こえてきた。ロビー内の人々の目が画面に釘付けになった。実況リポーターが早口で捲し立てた。要塞の随所から煙が上がり、怒号が響いた。取り囲む武装軍団が前進を始めた。

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...