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2021/08/31

第2部 節穴  17

   ヘリコプターの準備が出来る迄ステファン大尉とギャラガ少尉はケツァル少佐のアパートで休憩した。ロホはお菓子のお礼にと少佐から煮豆が入ったタッパーウェアの容器を3つももらって、ほくほく顔で帰ってしまった。

「相変わらず、君は豆が好きなんだな。」

とステファンが揶揄うと、ロホはニヤリと笑った。

「少佐お手製の煮豆は絶品だ。そんじょそこらのレストランじゃ食えないからな。」
「最初から私たちをダシにして豆をゲットするつもりだったな?」
「ご明察。それじゃ、任務を頑張れよ。」

 ロホはギャラガにも敬礼してくれた。彼が部屋から出て行くと、急に静かになった様な気がした。
 ケツァル少佐は窓際へ行って、分解してあった機関銃の組み立てを始めた。ギャラガが興味を抱いてそばへ行こうとすると、ステファンが止めた。

「近づくな。彼女は時間を計ってるんだ。邪魔すると後が怖いぞ。」

 そう言う彼は少佐に借りたラップトップでインターネット情報を見ていた。オルガ・グランデ周辺の遺跡の最新情報や盗掘品密売情報だ。ギャラガはパソコンの知識があまりなかった。唯一使用する機会があるのは、大統領官邸内で来客のチェックをする時だけだった。訪問者の顔認証と履歴、本人確認と来邸登録と出邸登録を入力するのだ。パソコンの使い方は簡単だが応用の仕方がわからなかった。大尉の作業を見ていると、ただ検索ボックスにキーワードを入れて、後は画面に表示される情報のタイトルなどをクリックするだけだ。内容を読んだらまた戻って次のデータへ移行する。
 横から覗いていると大尉が気がついた。彼が位置をずらして移動した。

「代わりに見ていろ。ラス・ラグナスの情報は一つしかなかった。サン・ホアン村の情報も2つだけだ。そんな何もデータがない場所へ遺跡荒らしが行くのも妙な話だ。わざわざ足を運んで盗む物がなければ本当に無駄足じゃないか。荒らした奴は何かはっきりした目的があって行ったに違いない。現地へ行かないと、わからない。」
「私は何を見れば良いですか?」
「何だろうな? 自分で考えて検索してくれ。」

 無責任なことを言って、ステファン大尉はキッチンへ入って行った。
 ギャラガは暫く画面を眺め、「piedra (石)」と検索ボックスに入れた。約 246,000,000件の検索結果が出た。画像を見ると、スペイン語で検索したせいか中南米の石もの関係の写真が多かった。彼は記憶の中の、”節穴”から見えた材質と似た写真を探してデータを送って行った。
  ケツァル少佐は機関銃を組み立ててしまうと、また分解してバラバラにシートの上に部品をぶちまけた。そして再び組み立てに挑戦を始めた。きっと最初のタイムが気に入らなかったのだ。もしかして、この人の休日の遊びはこれなのか? ギャラガはパソコン画面を見るフリをして彼女の動きを見ていた。彼女はどの部品が何処に落ちているのかすぐわかる様で素早く拾い上げて組み立てていく。流石だな! と思っていたら、突然彼女の手が止まった。嵌め込んだばかりの部品を外して投げ捨てた。

「えーい、間違えた!」

 少佐がギャラガを振り返った。

「気が散る。」

 ギャラガはビクッとした。見ているだけだったのに。距離を置いていたのに。青い顔になった彼に少佐が硬い笑を浮かべて、半分組み立てた機関銃でキッチンを指し示した。

「カルロは何を作っているのです? 私の台所を使う限りは、美味しいものでなければ撃ちますよ。」

 ギャラガは立ち上がった。

「偵察してきます!」

 ジャガーの嗅覚には敵わなかったが、ギャラガの鼻も少し前から良い匂いを感じ取っていた。ケツァル少佐はキッチンから漂って来る匂いに気を散らされたのだ。彼の視線のせいではなかった。
 ステファン大尉は大きめの鍋でマカロニ入りのスープを作っていた。たっぷりの野菜とベーコンをトマト味で煮込み、最後に別茹でのマカロニを入れて完成。

「昼飯だと少佐に告げてくれ。」

と言われて、ギャラガはリビングに戻った。少佐は失敗したので時間を測るのを止めて残りの部品を組み立て終わったところだった。

「昼食です、少佐。」

 声をかけると、少佐が頷いて立ち上がった。機関銃は床に放置だ。弾がないので、ただの鉄の塊に過ぎない。
 昼食はキッチンとリビングの間のダイニングだった。ステファン大尉はたっぷり作ったにも関わらず、2人の男には少量の皿を配り、少佐の前にはたっぷり入れた皿を置いた。少佐が皿を見比べて言った。

「今日のヘリは最新型です。輸送機の様には揺れませんよ。」
「用心するに越したことはありません。」

と大尉が言った。ギャラガは航空機の類は全く経験がなかったので、上官2名の会話の意味を推し量りかねた。
 少佐が一口スープを口に入れた。

「美味しい。」

 合格点が出たが、大尉は特に喜んだ風になかった。多分、彼女の部下だった頃はよく作っていたのだろう。熱いスープは流石にスピーディーに食べられないのか、彼女はゆっくり味わっていた。ギャラガも美味しかったのでもっと欲しいと思ったが、大尉はお代わりをくれそうになかった。

「マハルダも行くのですね?」

と大尉が確認のために話しかけた。少佐が黙って頷いた。大尉がさらに尋ねた。

「そしてテオも合流する?」

 少佐はまた黙って頷いた。ギャラガも質問してみた。

「殺人事件があったようなことを仰っていましたが、今回の空間の穴と関係あるのでしょうか?」

 大尉が囁いた。

「それをこれから調査しに行くんじゃないか。」
「あ・・・そうでした。」

 少佐が水を一口飲んでから言った。

「マハルダは東海岸地区の遺跡しか経験がありません。それもロホやアスルの補佐です。今回初めて一人で調査に入るので、見落としがある恐れもあります。でも貴方の任務に直接関係することでなければ口出ししないで下さい。」
「承知しました。」
「恐らく、関係はあるでしょうけどね。」

 少佐はスプーンの上にどっさりとマカロニを掬い上げた。

「ドクトルは自由に行動させてあげなさい。彼はいつも何か予想外のものを見つけてくれます。」
「・・・そうでしょうね。」

 ギャラガは大尉がちょっと不満そうな表情になったのが気になったが、少佐は知らんぷりだった。スプーンの上のマカロニを少しずつ口に入れて時間をかけて食べたので、ギャラガはふと思った。
 ジャガーは猫舌なんじゃないかな。
 大統領警護隊の純血種の隊員達は冷たくなった食事でも文句を言わない。冷めた料理に不満を漏らすのはメスティーソの隊員だった。純血種の”ヴェルデ・シエロ”はナワルを使える。ジャガーやマーゲイやオセロットに変身するのだ。猫は熱いものを食べない。
 少佐がマカロニを全部食べてしまってから、スープを静かにお上品に飲んだ。

「現地で必要な物の調達はマハルダにさせなさい。」
「承知しました。それも彼女の勉強のうちですね。」
「スィ。でもないと困る物を彼女が忘れたら、口を出しても構いませんよ。」
「承知しました。」

 ステファン大尉が少佐の皿にお代わりを入れてあげた。
 

 

2021/08/30

第2部 節穴  16

  マハルダ・デネロス少尉は曜日が関係ない大統領警護隊の官舎で日曜日を過ごすのは好きでなかった。現代っ子の若い女性なのだから無理もない。しかし同期の女性隊員は勤務中で遊び相手がいなかった。だから彼女は土曜日の軍事訓練が終わると実家に帰り、兄夫婦の手伝いをして畑で収穫した野菜を洗ったり、トラックに積み込んで近所の市場へ卸す仕事をした。太陽が高くなってそろそろお昼ご飯かなぁと思う頃に、ケツァル少佐から電話がかかってきた。上官が休日にかけてくる時は、何か事件が起こった時だ。緊張と期待で出ると、午後の1500に空軍基地へ行けと言われた。

ーーラス・ラグナス遺跡で荒らしがあったと言う報告があります。基地からヘリでオルガ・グランデへ飛び、そこからサン・ホアンと言う村へ行きなさい。遺跡はその村の近くにあります。未調査の遺跡ですから、何がどう荒らされたのか不明です。村人の案内を連れて行くと良いでしょう。

 デネロスの胸が高鳴った。もしかして、これは?

「現場へ行って調査するんですね?!」
ーースィ。貴女が昨日報告を忘れなければ、昨夜のうちに指示を出していましたけどね。

 あちゃーっとデネロスは失態に気がついた。サン・ホアン村の占い師が殺された事件の方に関心が行ってしまったのだ。遺跡荒らしも確かにテオから聞かされたのに。しかし彼女は言い訳をせずに、「承知しました」と答えた。

「被害状況の調査ですね? 犯人の追跡はしないのですか?」
ーーサン・ホアン村の占い師が殺害されたらしいと言う話は聞いていますね?
「スィ。」
ーー今回は調査だけして帰りなさい。

 少佐は私を危険から遠ざけようとしている。そんな柔じゃないのに。
 しかし彼女は素直に「承知しました」と応えた。少佐に逆らっても碌なことはない。それに初めてのヘリコプター搭乗だ。初めての遠出の現場調査だ。嬉しいが、一つ確認しなくては。

「私一人ですか?」
ーーノ。ステファン大尉とギャラガ少尉が別件で同行します。それからオルガ・グランデ基地でドクトル・アルストが合流します。ドクトルはオブザーバーです。

 ケツァル少佐は「ではよろしく」と言って電話を切った。
 デネロス少尉は心が弾んだ。またカルロ・ステファンと一緒に仕事が出来る! 彼女には兄が3人いるが、カルロは4人目の兄も同然だった。そしてロホは5人目の兄で、アスルは6人目の兄だ。カルロが突然文化保護担当部からいなくなって彼女は寂しかった。同じメスティーソ同士で悩み事を聞いてくれた。実を言うと、カルロが能力に目覚める迄は、彼女の方が”ヴェルデ・シエロ”としての気の抑制能力は上だったのだ。彼は軍人としての心構えと武器を使った戦闘を教えてくれた。互いに足りないところを補い合う仲だった。同じ官舎で寝起きしていても、警備班と外郭団体勤務では生活サイクルが違う。2人はまだ官舎では一度も出会っていなかった。それが、初めての現場派遣がカルロと一緒の仕事だ!
 アンドレ・ギャラガ少尉のことも知っていた。同じ官舎にいたし、年齢的には同期だが、年齢を誤魔化して入隊したギャラガの方が軍歴は長かった。赤毛で白い肌はメスティーソの中でも目立っていた。そしてギャラガは何も出来ない”落ちこぼれ”だった。”出来損ない”レベルではない。”心話”さえ出来ないのに、何故ここにいるんだ?といつも仲間から揶揄われていた。デネロスは一度助けてやろうかと思ったが、女性に助けられたら彼をますます辛い立場に追い込むだろうと思って止めた。本当に辛いなら、ギャラガはとっくに除隊していた筈だ。彼はまだ頑張れるのだ。
 デネロスは緊急出動がかかった、と兄に告げた。兄がちょっと不安そうな顔をしたので、彼女は笑って見せた。

「国家機密だから言えないけど、戦闘はない仕事だから安心して。」

 自室に戻り、急いで荷造りした。ピクニックでないことは十分承知していたが、リュックに林檎を入れるのを忘れなかった。そして分解したアサルトライフルも入れた。重たくて好きでない防弾ベストも入れた。”ヴェルデ・シエロ”は昨年迄防弾ベストなど使ったことがなかった。しかしケツァル少佐が裏切り者の憲兵隊員に横から撃たれると言う前代未聞の不祥事が起きて以来、警備班と野外警備の隊員には防弾ベストの着用が義務付けられた。ヘルメットと軍靴をクロゼットから出して、着替えを始めた。野戦服でばっちり決めて行くのだ!



第2部 節穴  15

 「サン・ホアン村へ行きたいかって?」

 テオは思わず大声を出してしまった。エル・ティティ警察の事務所の中だ。巡査達と、サン・ホアン村から来た男2人が振り返った。彼は慌てて電話に手を当てて声のトーンを落とした。

「今、サン・ホアン村の住民が例の遺体を引き取りに来ているんだよ。」
ーー笛が村人の物だと確認が取れたのですか?

 日曜日の朝、電話をかけて来たケツァル少佐は、「ブエノス・ディアス」と挨拶するなり、いきなり「サン・ホアン村に行きたくないですか?」と質問して来たのだ。テオは面食らってしまった。昨日遺体の身元が判明したので少佐の電話に掛けたら、マハルダ・デネロス少尉が出て少佐は軍事訓練中で出られないと言った。デネロスも同じ訓練に参加していたのだが、捕虜の役なので荷物置き場に「監禁」されて退屈していた。遺体がサン・ホアン村の占い師の可能性があると彼女に伝言を頼んだ。

「スィ、占い師のフェリペ・ラモスの笛だって村長が確認した。村の近所の遺跡が荒らされていたので、様子を確認したラモスがオルガ・グランデへ出かけてそれっきり帰らなかったと・・・」
ーー遺跡が荒らされたと、村人が言ったのですか?
「スィ。昨日、俺はマハルダにもそう言ったけど?」

 電話の向こうで少佐が舌打ちするのが聞こえた。どうやらデネロスは遺跡荒らしの情報を伝え忘れたらしい。文化保護担当部らしからぬ失態だ。

ーー村人は今日帰るのですか?
「ノ。今日はこれから墓掘りだ。帰るのは明日だな。」
ーー貴方だけでも今夜中にオルガ・グランデに行けませんか?

 テオはバスの時刻を考えた。日曜日の午後はグラダ・シティ行きがあるが、反対方向のオルガ・グランデ行きはなかった。しかし・・・

「知り合いがトラックでトウモロコシを運ぶから、便乗させて貰えば夕方には着くかな?」

 ちょっと期待して尋ねた。

「君は基地にでも行くのかい?」
ーー私は行きません。

 テオはがっかりした。そうだろうな、遺跡荒らしの情報がマハルダで止まっていたのだから。
 少佐は別の人間を派遣することを伝えた。

ーーステファン大尉とギャラガ少尉が行きます。基地で落ち合って下さい。
「え? カルロが行くのかい?」

 驚きだ。大統領警護隊の本隊に呼び戻されてからステファン大尉と会えなくなって、寂しかったのだ。腹違いの姉そっくりの、あのツンデレ男が懐かしい。
 さらに少佐が嬉しいことを言った。

ーー漏れなくマハルダも付けます。

 基地に民間人のテオが行くことを伝えておくと言って、少佐は電話を切った。テオは楽しい気分になった。すぐにトウモロコシ農家の知人の家に行かなくては。その前にゴンザレスに出かけると伝えなくては。大学にも明日は帰れないので火曜日の講義を休むと伝えなくては。月曜日は講義がないので、気が楽だ。ところで・・・
 テオはふと思った。

 俺は何をしにサン・ホアン村へ行くんだ?


第2部 節穴  14

  ステファン大尉がケツァル少佐に言った。

「我々が調査に行きます。恐らく大統領官邸西館庭園の”穴”の”入り口”に当たるものがラス・ラグナス遺跡にあると思われるので、それを塞がなければなりません。何故”穴”が開いたのか原因の究明も必要です。現地に行きたいので、遺跡立ち入り許可を申請します。」

 ロホがチャチャを入れた。

「申請用紙はここにないぞ。」
「事後申請でお願いします。」

 少佐はパンケーキをパクリパクリと2口で食べてしまい、考え込んだ。ギャラガはびっくりしたが、ステファン大尉もロホも知らん顔をしていた。寧ろ、少佐の手が新しいパンケーキを求めて中央の大皿に伸びたので、ロホが素早くお代わりを少佐の小皿に取り分けて差し上げた。3枚目のパンケーキを食べてしまってから、少佐が顔を上げた。

「どうせ行くなら空軍の助けが要るでしょう?」
「スィ。遺跡へ行ける”通路”がありそうにないので、少佐から空軍へお口添えを頂ければ助かります。」

 すると少佐がギャラガを見た。

「ブーカ族なのに”通路”を見つけられないのですか?」

 ギャラガは赤くなった。彼が言い訳する前にステファン大尉が言った。

「彼はまだ修行の初期段階です。」
「そう・・・」

 少佐が特に感動した風もなく頷いた。

「それで貴方が導師として彼を任されたのですね?」

 え? とギャラガは驚いてステファン大尉を見た。大尉は彼を見なかった。見てもギャラガは”心話”を使えないのだから、心を読まれる心配はないのだが、つい習慣で相手に胸の内を明かしたくない時の行動が出たのだ。
 少佐が立ち上がって、棚の上の携帯電話を取った。何処かの番号を押して、窓際へ歩いて行った。
 ロホがギャラガにお菓子を食べるように勧めた。

「遠慮せずに食え。さもないと少佐に全部食われてしまうぞ。あの方は能力が強い分、エネルギー補給量も半端じゃないんだ。」
「彼女、今日はまだ能力を使っていないぞ。」

とステファン大尉が小声で囁いた。

「それに外出する気配もなさそうだ。」
「いいんだ、体重を増やされたら、こっちが悲しいじゃないか。」

 男達が勝手な会話をしているのを少佐は片耳で聞きながらもう片方の耳で電話の相手の言葉を聞いていた。そして頷いた。

「では、その新型ヘリの試験飛行に隊員を3名乗せて下さい。時刻はそちらの準備次第で結構です。グラシャス。」

 電話を切り、次に別の場所へかけた。挨拶をして、いきなり質問した。

「サン・ホアン村に行きたくないですか?」


2021/08/29

第2部 節穴  13

  女性が一人暮らしをしている家に入るのは初めてだった。ギャラガは殆ど恐る恐ると言う形容がぴったりな足運びでステファン大尉とロホについて中に入った。彼が入ってしまうと少佐が後ろでドアを閉めた。もう逃げられない、とギャラガは思った。オートロックの施錠音が聞こえた。短い廊下の突き当たりに広いリビングがあった。少佐が男達を追い越し、歩きながら手で座れと合図してキッチンへ消えた。ロホが彼女を追いかけてキッチンへ入り、ギャラガはステファン大尉がソファに座り、隣を示したのでそこに腰を下ろした。ソファは柔らか過ぎず硬くもなく、落ち着いて座していられる快適さだった。壁に薄型の大きなテレビが備え付けられ、棚には外国の様々な人形が飾られていた。目立つ家具はそれだけだった。バルコニーに面した掃き出し窓のそばの床にシートが敷かれ、その上に分解されたMP5短機関銃が散らばっていた。(ギャラガはMP5だと思ったが自信はなかった。)
 ギャラガが珍しくて室内を見回していると、ステファン大尉が小声で囁いた。

「少佐から”心話”を求められたら、昨晩の様に正直に伝えたいことだけ思い浮かべろ。力むと却って伝えたくないこと迄読まれてしまう。純血のグラダの力は半端ではないぞ。」
「承知しました。」

 忠告されると却って緊張してしまいそうだった。
 その頃キッチンでは2人の客の緊張を他所に、少佐とロホがのんびりした会話を展開していた。コーヒーの支度をしながら少佐がロホに苦情を言った。

「来るなら電話を入れて下さい。化粧をする暇もないじゃないですか!」
「まだお化粧を必要とされるお歳でもないでしょう。」

 お菓子を袋から皿に移していたロホは背中を肘で突かれた。

「あんな若い子を連れて来て・・・」
「カルロの部下ですよ。」
「部下の同伴が必要な任務とは?」
「それは本人から直接お聞きになられた方がよろしいかと。私の私見が入ると良くありませんから。」

 キッチンにコーヒーの芳しい香りが広がった。少佐がロホの右腕を掴んだ。

「綺麗に治りましたね。昨日は縫合が必要かと思いましたが。」
「擦り傷です。家に帰り着く迄に塞がって包帯も不要になっていました。」
「気をつけなさいよ。貴方はいつも終わりに気を抜く悪い癖があります。」
「肝に銘じておきます。」

 少佐が彼の腕を離し、カップにコーヒーを注ぎ入れた。
 2人がリビングに戻ると不思議な緊張感が漂っていた。少佐はすぐにそれが誰の気分なのかわかった。彼女がトレイをテーブルに置くと、ステファン大尉が自分でカップをそれぞれの席に分配して置いた。

「母がお世話になっているそうですね。」

と彼が世間話から始めた。少佐がロホを振り返ったので、ロホが手を振って否定した。

「私は何も言っていません。」
「ムリリョ博士からお聞きしました。」

と大尉が言ったので、ギャラガが「あっ!」と声を上げ、皆んなの注目を集めてしまった。ギャラガは焦った。彼は今になってムリリョ博士が言った「ステファン大尉の母親の面倒を見ているケツァル」が誰なのか悟ったのだ。ドッと冷や汗が出た。大尉が「何だ?」と尋ねた。ギャラガが返答に窮すると、ケツァル少佐が尋ねた。

「この子は誰?」

 ステファン大尉は紹介を忘れていたことに気がついた。失態だ。

「紹介が遅れました。警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉、ブーカ族です。5日間限定で私の下で働いています。少尉、こちらは文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐だ。」

 立ち上がって挨拶すべきか? とギャラガは一瞬迷ったが、誰もが座ったままだったので彼も座ったまま敬礼し、「ギャラガです」と挨拶した。少佐が頷いた。

「ミゲールです。世間ではケツァルで通っています。好きな方で呼びなさい。」

 そして大尉に向き直った。

「用件とは?」

 大尉が少佐の目を見た。少佐も彼に視線を合わせた。いつもの様に一瞬で情報が伝えられた。少佐がコケモモパンケーキを小皿に取った。ロホが忘れ物に気がついた。急いで立ち上がり、キッチンへ歩き去った。大尉が少佐に尋ねた。

「ラス・ラグナス遺跡に行かれたことはありますか?」
「ノ。あることは知っていますが、行ったことはありません。」
「遺跡荒らしの通報もないのですね?」
「聞いていれば調査に行っています。」

 ロホが早足で戻って来た。メープルシロップの容器を持っていた。少佐の家のキッチンで何が何処にあるのか熟知している様だ。シロップをパンケーキにかける少佐にロホが話しかけた。

「ラス・ラグナスを調査しますか?」
「未調査の遺跡の被害状況が分かるのですか?」

と少佐が逆に質問して部下を考え込ませた。


第2部 節穴  12

  翌朝、ロホはステファン大尉とギャラガ少尉を連れて出かけた。朝食は一番近い大通りに出ていた屋台で揚げパンとコーヒーを買って済ませた。日曜日の礼拝が終わる迄一般市民が街を彷徨くことは少ない。歩いているのは主に観光客だ。大統領府に向かう団体がいる。正面玄関の儀仗兵の交代を見に行くのだ。ギャラガは儀仗兵が名誉な役職だとわかっていたが、なりたいとは思わなかった。正装して不動の姿勢で長時間多くの人の目に曝されて立っているなんてゴメンだった。イギリスの衛兵交代の様な華やかなものでもないのに、どうして観光客は喜んで見るのだろう。
 ロホはステファン大尉から譲り受けたと言う中古のビートルを持っていたが、車を使わずに3人でのんびり街中を歩いて行った。繁華街に向かわず、高級住宅街へ向かって行くので、ステファン大尉は彼の目的地がわかった。

「彼女に連絡を入れたか?」
「ノ。でも今日はご在宅の筈だ。昨日はかなり遊んだからな。」

 昨日は軍事訓練じゃなかったのか? ギャラガは疑問に思いつつ、黙ってついて歩いた。途中でまた屋台に寄り道して、ロホはお菓子をいくらか買った。ステファン大尉が尋ねた。

「コケモモパンケーキとアルコイリスは買ったか?」
「当然。」

 ギャラガが怪訝な顔をしたので、大尉が囁いた。

「賄賂だ。」
「?」

 大尉と中尉はクスクス笑いながら袋からアルコイリスを少しだけ掴みだして分け合った。ギャラガもお菓子を分けてもらい、歩きながら食べた。子供時代は縁がなかった甘味だった。
 かなり太陽が高くなってから目的地の高級コンドミニアムの前に到着した。ステファン大尉が慣れた手順でセキュリティキーパッドを叩いて分厚いガラス扉を開いた。中に入ると次の関門が待ち構えていた。ロホがずらりと並んだ入居者の各部屋のパネルから一つを選んでボタンを押した。ギャラガはパネル毎にカメラが付いていることに気がついた。扉毎にもセキュリティカメラが付いている。警戒厳重なコンドミニアムだ。部屋の主がカメラでロホを確認した様だ。第二の扉が自動的に開いた。
 生まれて初めて高級住宅に入った。ギャラガはエレベーターに乗っている間も落ち着かなかった。7階迄上がるのは時間がかからなかったが、ギャラガは初めての体験だったので気分が悪くなった。耳がおかしくなりそうだ。だから目的の階に着いて箱から出た時はホッとした。ロホがエレベーターホールに2つしかないドアの片方の前へ行き、チャイムのボタンを押した。2分間たっぷり待たされてから、ドアが開いた。
 Tシャツにデニムの短パン姿の、すらりと背が高い若い女性が現れた時、ギャラガの心臓が高鳴った。

 マジか?! ケツァル少佐じゃないか!

 大統領警護隊では今や伝説の様な存在になっているこの世で唯一人の純血種のグラダ族だ。誰よりも能力が強くて、気の制御が上手くて、敵には情け容赦なくて、美しくて・・・。 
 少佐は化粧っ気のないすっぴんだったが美しかった。そして不意打ちで現れた部下に腹を立てていた。

「朝っぱらから何の用です?」

 ロホが敬礼して申し訳なさそうに言った。

「申し訳ありません。まだお休みでしたか?」
「起床時間はいつも通りです。今日は日曜日ですよ。」
「すみません、客が少佐に面会を求めていまして・・・」

 ロホは体を少し横へ寄せて、連れてきた2人が少佐に見えるようにした。ケツァル少佐が視線を向けたので、ステファン大尉が敬礼して見せた。ギャラガも慌てて敬礼した。少佐が大尉と彼をじっくり眺めるのを意識したが、目を合わさない様に務めた。
 少佐はロホに視線を戻した。

「面会とな?」
「スィ。」
「彼等の任務の話?」
「スィ。」
「文化保護担当部と関係があるのですか?」
「あると思います。」

 少佐が溜め息をついて、入れと手で合図した。


 

 
 

第2部 節穴  11

  ギャラガは野宿することに抵抗を感じなかったが、ステファン大尉は屋根がある場所を希望した。実のところグラダ・シティの市街地は野宿が法律で禁止されていた。公園は特に警察が夜間巡回して旅行者を摘発する。ホームレスは市街地で寝泊まりしない。スラム街へ行けばいくらでも寝グラを提供してくれる親切な人がいるからだ。大尉が屋根がある場所を希望したのは、彼がオルガ・グランデ出身だったからだ。セルバ共和国の西部高地は夏でも夜間になると冷え込む。うっかり路上で寝てしまうと風邪をひくし、悪くすると命取りになる。大尉は子供時代の経験が身に染み付いていて、大人になっても防寒対策は怠らなかった。例えそれがジャングルでの野宿であっても。
 屋台の温かい食べ物で満腹になると、ステファン大尉は携帯電話を出した。少し考えてから、何処かに電話をかけた。

「ステファンだ。」

と彼は名乗った。ギャラガは彼の顔が和むのを見逃さなかった。親しい人にかけたらしい。博物館でムリリョ博士が言っていた実家にかけたのだろうか、と思っていると、大尉は

「仕事を増やして済まないな。」

と言った。相手の言葉を聞いて苦笑してから、要件に入った。

「悪いが今夜泊めてくれないか? 部下と私の2人だ。床の上で構わないから、朝までいさせて欲しい。夜が明けたら出て行く。」

 相手の言葉を聞いて、「歩いて行くから、先に寝ていてくれ」と言い、彼は電話を切った。

「お友達ですか?」

とギャラガは尋ねた。大尉が頷いた。

「文化保護担当部の中尉だ。私の同期。」

 ギャラガは漠然と心当たりがあったので言ってみた。

「ロホ・・・ですか?」
「スィ。」
「昨年、1、2ヶ月ですが訓練のインストラクターをして頂いたことがあります。」
「ああ・・・」

 大尉がちょっと遠くを見る目をした。

「アイツが肩の怪我をした時だな。」
「スィ。反政府ゲリラを相手にしてミスったと・・・自分と同じ過ちを犯すなと言う講義でした。」
「司令部も意地悪だろう? 失敗すると後輩の前で曝し者にするんだ。私たちも気をつけないとな。」

 2人は通りを歩いて行った。少しずつ人通りが減って行ったが、それは繁華街から住宅街へ入ったからだ。住宅街の夜中の道は安全と言えなかった。路地が多く、街灯も少ない。警察の巡回も高級住宅街から低所得者層の居住地へ行く程回数が減る。
 半時間歩いて、古いアパートに到着した。階段を歩いて3階迄上ると、ステファン大尉はあるドアのノブを掴んだ。施錠されていたが”ヴェルデ・シエロ”にはないも同じだ。チェーンが掛けられていなかったので、ドアを開いて中に入り、ギャラガを手招きした。ギャラガが入ると大尉はドアを閉じて鍵を掛けた。
 ギャラガは室内を見回した。照明は消されていた。彼が”ヴェルデ・シエロ”である証明が唯一存在する。闇でも目が見えるのだ。
 質素なアパートだった。必要最低限の調度品しか置かれていない。まるで大統領警護隊の官舎の部屋に台所が付いているだけ、と言えそうだ。ダイニング兼リビング、キッチン、バスルーム、そして寝室だけの狭いアパートだった。窓枠に男が一人腰掛けてビールの瓶を片手に持って、客を見て、「よう!」と言った。ステファン大尉も「よう!」と応え、窓際へ行った。

「起こしてしまったか?」
「寝るにはまだ早いさ。」

 ロホがギャラガに視線を向けたので、ステファン大尉が紹介した。

「警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉だ。副司令の命令で、今日から私とある任務に就いている。」
「よろしく、少尉。」

 ロホはいつでも誰にでも優しい。ギャラガも知っていた。この人は後輩達にとても人気があるのだ。昨年迄官舎に住んでいたことも、彼がこの中尉に親しみを感じた理由だった。普通、殆どの隊員は外郭団体に配属されたら官舎から出て行ってしまうものだ。
 ギャラガが挨拶を返すと、ロホはキッチンの冷蔵庫を指差した。

「ビールしかないが、好きなだけ飲んでくれて構わない。シャワーも使ってくれ。」

 大尉がそうしろと言うので、ギャラガは礼を言って、浴室に入った。珍しくお湯が出るシャワーだったのでびっくりした。ざっと体を洗って、着替えがないので下だけパンツを身につけて部屋に戻った。ステファン大尉とロホはテーブルの椅子に座って互いの近況報告をしていた。”心話”と声を交えての会話だ。近隣の部屋への配慮なのだろうとギャラガは思った。周囲の人間に自分達が何者か教える訳にいかないのだ。ギャラガが戻ったので、ロホが寝室を示した。

「ベッドを使って良いぞ、少尉。私はもう少しカルロと話したいから。」
「明日は日曜日だしな。」

とステファン大尉も言った。軍隊に所属していれば曜日など関係ないのだが、外の世界にいると日曜日は休みなのだ。ギャラガはなんとなく除け者になりたくないと思ってしまった。

「お邪魔でなければ、私ももう少し起きていたいです。」

 彼は上官達の意見を待たずに窓枠に座った。大尉も中尉も彼の希望を拒否しなかった。
 窓の外は低い住宅の屋根と庭と樹木が広がっていた。夜だし、街中だし、景色が綺麗と言う訳ではなかったし、夜空もいつもと同じだ。違うのは号令や掛け声が聞こえないこと。銃器の手入れの音がしないこと。大統領官邸の緊張感がないこと。
 大尉がロホに質問した。

「その右腕の擦り傷は、今日の軍事訓練のものか?」
「スィ。ユカ海岸で1600迄やっていた。少佐に銃撃されて、かわしたら堤防から滑り落ちたんだ。」
「滑り落ちた? 減点3だな。」
「捕虜のマハルダを取り返せなかったので、減点15さ。」
「一度も取り返せなかったのか?」
「出来なかった。少佐のガードが固過ぎる。アスルも腕を上げてきたしな。」

 軍事訓練って? ギャラガは耳をピンと立てたくなった。文化保護担当部って、文化財の保護をしている部署じゃないのか? 大尉が不満げに意見した。

「マハルダも脱走する努力をしなかったんだろ? 内と外で動かなきゃ、少佐の結界は破れないぞ。」
「だから、その内側でアスルがしっかりマハルダを抑えてしまうんだよ。」

 け・・・結界? ギャラガは胸がときめくのを抑えられなかった。”ヴェルデ・シエロ”が古代神として崇められた一番の理由だ。能力で一つの場所をすっぽり覆って外敵から住民を守る。現代の”ヴェルデ・シエロ”で広範囲の結界を使えるのは純血種のブーカ族だけだ。他の部族はせいぜい大型テント並みのものしか使えない。メスティーソはもっと困難だ。かなりの修行を要する。
 文化保護担当部は結界の使い方を訓練しているのか? 
 興奮したのが上官達に察知された。大尉と中尉がギャラガを振り返った。

「もう寝ろよ。」

と大尉が言った。中尉も言った。

「素直に寝ろ。明日、良いところへ連れて行ってやるから。」



第2部 節穴  10

  土曜日の夜だ。首都グラダ・シティは夜が更けても屋外を歩き回る人が多かった。広場ではコンサートも行われている。ギャラガはテレビも見なかったので、街がこんな風に賑やかな場所だと今更ながら思い出して驚いた。少し大通りから離れた脇道の角には、夜の商売女らしき人影も見えて、少し心が騒いだ。並んで歩いていたステファン大尉が囁くように尋ねた。

「なんだ?」
「何がです?」
「君の心が時々騒ぐ。」

 博物館でムリリョ博士と大尉がギャラガは気を放っていると言った。今迄そんなことを言われたことがなかった。当然自覚もなかった。気を放出しているから、大統領警護隊に採用されたのか。長年の謎が解けた気がした。司令部は彼がいつか同僚達と同じ様に力を使いこなせるようになると思っているのか? 出来れば、そうなりたい。ギャラガは心からそう思った。

「ギャラガと言うのは父親の名前か?」
「スィ。」
「母親は何族だった?」
「知りません。」

 大尉が頭をぽりぽり掻いた。

「ギャラガって、コンピューターゲームの名前なんだがなぁ・・・」
「え?」
「父親のフルネームは?」
「・・・知りません。」
「母親の名前は?」

 ギャラガは記憶の底にしまっていた女の名前を出した。

「ルピタ・カノ です。」
「マリア・グアダルペ・カノ か?」
「え?」
「ルピタはマリア・グアダルペの略だ。」

 ギャラガが黙ってしまったので、大尉は「まぁいい」と呟いた。

「カノはカイナ族に多い名前だ。だが君は自己紹介の時にブーカ族だと言った。」
「そう聞かされて育ちました。」
「私も君はブーカだと思う。カイナ族より気の力が大きい。純血のカイナ族はミックスの君より大きな気を持っていない。君の母親はブーカ族とカイナ族のミックスだったのだろう。本来なら、君の名前はアンドレ・カノ でも良かったのだ。」

 慕った記憶のない母親だ。いつも打たれるか罵られていた記憶しかなかった。食べ物を与えられて放置されていたのだ。ギャラガは言った。

「ギャラガで良いです。因みに、どんなゲームですか?」
「宇宙での戦いをイメージした固定画面型のシューティングゲームだ。」
「じゃぁ、やっぱりカノよりギャラガで良いです。」

 ステファン大尉が笑った。彼の名前はスペイン系だ。これはメスティーソでは珍しくない。それで尋ねてみた。

「大尉の姓は父方ですか母方ですか?」
「母方だ。」

 と大尉は答えた。

「グラダ族の子供は母方を名乗る。だから母方の祖母もステファンだった。だが祖母の母親は別の名前だったのだろう。祖母はスペイン人の父親の名前を名乗った様だから。」
「グラダ族の血はどちらから?」

 ちょっと興味が湧いた。もしギャラガの記憶が正しければ、現代グラダ族を名乗れる人は2人しかいない。グラダ系はいても半分以上グラダの血を持つ人は2人だけだと大統領警護隊の先輩達から聞いたことがあった。ステファン大尉はこう答えた。

「母からも父からも。」

 そして彼は広場の屋台を指差した。

「あそこで晩飯にしよう。」



2021/08/28

第2部 節穴  9

 ステファン大尉はムリリョ博士に”心話”で大統領府西館庭園の怪異を説明した。一瞬で終了した。ふむ、とムリリョはちょっと視線を天井に上げ、それからギャラガを見た。大尉がギャラガに言った。

「君が見た物を博士にお見せしろ。」

 ギャラガは一気に緊張した。彼は勇気を振り絞って告白した。

「出来ません。」

 大尉とムリリョが彼の顔を見た。ギャラガは赤面して、もう一度言った。

「”心話”を使えません。私は・・・緑の鳥の徽章を付ける資格がないのです。」

 ムリリョが大尉の目を見た。2人で”心話”を使って会話をしている。ギャラガはこの場から去りたくなった。己は”出来損ない”どころかただの”ティエラ”だ。大統領警護隊として勤務する資格のない男だ。
 ムリリョがギャラガに向き直った。

「気を放出しているのに、”心話”を使えない訳がない。」

と彼は言った。え? とギャラガは驚いてステファン大尉を振り返った。博士は今何と言った? ステファン大尉がギャラガに尋ねた。

「君のご両親は君に”心話”で話しかけなかったのか?」
「私の親ですか・・・」

 ギャラガは再び赤面した。父が何者だったのか知らない。アメリカから来た白人と言うだけだ。母親は売春婦だった。思い出すのも嫌だ。

「父は私が物心つく前に死にました。母は・・・まともに私と話をした記憶がありません。」
「どっちが白人だ?」
「父です。」

 大尉はムリリョ博士に言った。

「母親が基本を教えなかった様です。」

 ムリリョが首を振った。

「”ティエラ”でも親が話しかけない子供は言葉が遅れる。この男は幼児期身近にまともな”ヴェルデ・シエロ”がいなかったのだな。」
「何のことですか?」

 ギャラガは不安になってどちらにともなく尋ねた。ステファン大尉が答えた。

「君は能力を持っているのに使い方を知らない、と言う話だ。」
「私が能力を持っている? そんな筈は・・・」

 しかしムリリョはもうこの話題に飽きた様だ。ステファン大尉に言った。

「この男の記憶を探らせろ。もうすぐ閉館時間だ。」

 大尉が溜め息をついた。そしてギャラガに言った。

「君は否定しているが、君は全身から”ヴェルデ・シエロ”の気を放っている。それが、博士が君から記憶を引き出すことを妨げている。”心話”を使えないんじゃない、君自身が心を開いていないのだ。余計なことを考えずに、今日、私と一緒に見た物だけを思い出せ。目を開いたまま、見た物だけを思い浮かべろ。」

 ギャラガは深呼吸した。見た物だけを思い出せ? そんなの簡単だ。赤い花の手前、空中にポツンと見えた灰色の石の様な物・・・

「確かに、お前達は2人共同じ物を見た様だな。」

と不意にムリリョ博士が言って、ギャラガは我に帰った。博士が俺の心を読んだ?
 戸惑う彼を無視してステファン大尉が博士に尋ねた。

「どこの石かわかりませんか? 地質学者に訊いた方が良いでしょうか? 生憎知り合いがいないので、こちらへお邪魔させて頂いたのですが。」
「見えた物が石の一部だけと言うのが、心許ない話だ。しかし、あの材質は見覚えがある。」

 いきなり博士が歩き出したので、ステファン大尉がついて行った。ギャラガも慌てて後を追った。博士は入り口近くの壁に大きく描かれているセルバ共和国の地図の前で立ち止まった。現在確認されている国内の遺跡の位置が記されている地図だ。その一番上にある小さな青い点を博士が指差した。

「ラス・ラグナスと呼ばれる遺跡だ。まだ未調査なので青い印が付けられている。」

 大尉が見上げた。天井近くの青い点を見上げて、「知らないなぁ」と呟いた。

「発掘申請が出ていない遺跡ですね。私がオルガ・グランデにいた頃も聞いたことがありませんでした。祖父も知らなかったでしょう。」
「国境の砂漠同然の荒れた土地だからな、街の人間は知らない筈だ。陸軍基地から北へはそこの住民しか行かない。」
「住民? 村か町があるのですか?」
「サン・ホアン村と言う小さな集落がある。ラス・ラグナス遺跡はその村の先祖が造ったと思われている。」
「ラグナス(沼)なのに、砂漠なのですか?」

 ギャラガがうっかり口を挟んでしまった。ムリリョがジロリと彼を見た。

「昔は湿地だったのだ。」

 それだけ言うと、彼はステファン大尉に質問した。

「ところで黒猫、お前は空間の歪みの修復の仕方をわかっておろうな?」

 大尉が頬を赤く染めた。

「トーコ中佐にやってみろと言われました。」
「経験はないのか?」
「ありません・・・」

 ムリリョが天を仰いだ。

「今以上にケツァルに負担をかけるなよ、黒猫。」


第2部 節穴  8

  館長執務室に通されるかと思えば、中の展示室に入れてもらえただけだった。それでも空調が効いた館内は涼しかった。展示物が少ないと思ったら、博物館建て替えの案内が壁に貼り出されていた。建物の老朽化で新しく建て替えるのだ。展示物や所蔵物が仮の倉庫や展示室へ移転される途中だった。博物館の目玉展示物だけが客の為に残されているのだ。既に奥のブロックは閉鎖されており、立ち入り禁止のテープが貼られていた。
 夕刻なので客が少ない。博物館は午後7時迄開館しているが、外国人観光客は夕食の楽しみを逃すまいと昼間に目星をつけていた店へ向かって移動して行く。
 ステファン大尉は展示ケースの中の壁画の破片を眺めていた。ギャラガは先祖の遺物に興味がない。所在なげに大尉の横で立っていると、何処からともなく白いスーツ姿の老人が現れた。痩せて背が高く、髪は真っ白だ。目つきが鋭く、純血種の威厳と誇りが全身から漂っていた。ギャラガは一眼で彼が長老と呼ばれる地位の人だと察しがついた。姿勢を正すと、気配でステファン大尉が振り返った。彼も老人に気がつき、背筋を伸ばして足を揃えた。敬礼したので、ギャラガも急いで後に続いた。
 老人が呟いた。

「”出来損ない”が”出来損ない”を連れてきたか。」

 この差別用語は大統領警護隊に採用されてから嫌と言う程浴びせられてきた。純血種がミックスに対して使う侮蔑の言葉だ。それもメスティーソに対して使われる。異人種の血が入ると”ヴェルデ・シエロ”の能力を使いこなせないからだ。気の抑制が出来ない、ナワルを使えない、”幻視”や”操心”や”連結”と言った修行を必要としない能力も満足に使えない、当然高度な技を習得出来ない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”からすれば、下手なことをされては一族の存在を一般の人々に知られてしまう恐れがあるから、ミックスの存在を嫌うのは当然なのだ。だが大統領警護隊に採用されたメスティーソ達は厳しい修行のお陰で純血種程の強さはなくても能力を使えるようになる。
 ステファン大尉は慣れている。彼もギャラガ同様入隊以来散々聞かされてきたのだ。そして、この長老が純血至上主義者で口が悪いことも承知していた。彼は挨拶した。

「お久しぶりです。お忙しいところに押しかけて申し訳ありませんが、教えて頂きたいことがあります。」

 老人がギャラガを見たので、彼は紹介した。

「大統領警護隊警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉です。少尉、こちらは人類学者でグラダ大学考古学部教授、セルバ国立民族博物館館長のムリリョ博士だ。」

 ギャラガは初対面の目上の人が話しかける迄黙っていると言う作法を守って、無言のままもう一度敬礼した。ムリリョ博士は見事にそれを無視して、ステファン大尉を見た。

「エステベスがお前を本隊に召喚したそうだが、母親をグラダ・シティに呼んでおいて放ったらかしか、黒猫?」

 いきなりプライベイトな話題を持ち出されてステファン大尉がちょっと怯んだ。

「仕送りは続けています。」
「半年の間、休暇なしで働いておるのか?」
「休暇はあります。家に帰っていないだけです。」
「エステベスはお前が家に帰るのを禁じておるのか?」
「ノ! 帰らないのは私が決めたルールです。修行が終わる迄の辛抱で・・・」
「その修行は何時終わるのか?」

 ステファン大尉が答えに窮した。ファルゴ・デ・ムリリョが冷たい目で彼を見つめた。

「お前が焦るのはわかる。お前の力は1年前に比べると遥かに大きくなった。今この瞬間も儂は感じる。上手く制御したいと気が逸るのだろうが、焦る程力は暴れるぞ。与えられる課題を一つずつ熟して身に覚えさせるしかない。休暇を与えられたら、家に帰って休め。」

 大尉は黙っていた。ムリリョは展示ケースの中を見るフリをして、付け加えた。

「何時までもケツァルにお前の母親の面倒を見させるでない。」
「え?」

 大尉が微かに狼狽えた。

「少佐が母の世話を?」
「早く街の暮らしに慣れさせようと、休日になれば買い物に連れ出したり、話し相手になっておる。お前の妹にも虫が付かぬよう見張っておる。」

 ギャラガはムリリョ博士がステファン大尉の親族に詳しいことを不思議に思った。純血種の長老とメスティーソの大尉はどんな関係なのだろう。
 大尉が首を振って何かを振り払う素振りをした。そして博士に改まって向き直った。

「兎に角、今日の訪問の目的を果たさせて下さい。大統領府でちょっと困ったことが起きているのです。」
「ほう?」

 ムリリョが初めてギャラガに目を向けた。

「それで、この白人臭いヤツを連れて来たのか?」

第2部 節穴  7

  アンドレ・ギャラガは所謂「普通の家」で暮らした経験がなかった。幼い頃はあったのだろうが、朧げな記憶しかない。父が死んだ後は母と2人でスラム街の掘立て小屋に住んでいた。それも1箇所ではなく、頻繁に家移りした。街娼をしていた母親が警察の摘発を逃れて場所を移動していたと知ったのは、軍隊に入ってからだ。母親の仕事が犯罪の部類に入るのだと知ったのも軍隊に入ってからだ。
 一張羅とも言える綿シャツ、ジャケットとジーンズに着替え、軍靴からスニーカーに履き替えて、ステファン大尉と共に大統領警護隊本部から外に出た。休暇はいつも一人で海岸へ行ってぼーっと過ごしていたので、目的があって外出したのは初めてだった。ステファン大尉はTシャツにジャケット、ジーンズで靴は高そうなトレッキングシューズだった。2人共拳銃は装備していた。これは休日でも持っていなければならない。大統領警護隊の義務だった。”ヴェルデ・シエロ”は超能力を持っているが、他人をその能力で傷つけることは禁止されている。敵に襲われた時に防御で用いるだけで、戦闘には普通の人間同様に武器を用いる。一度他人を超能力で傷つけると歯止めがきかなくなる。だから可能な限り使わない。それが彼等の良識だった。
 塀の外に出ると、大尉は何も言わずに歩き出した。ギャラガは大人しくついて行くだけだ。グラダ・シティに住んで長いが、街のことを何も知らない。恐らくグラダ・シティ生まれなのだろうが、地元っ子の自覚がなかった。ステファン大尉の言葉には微かに地方の訛りがある。遠くから来たと思われるが、大尉は地元っ子の様に通りをどんどん歩いて行った。土曜日の午後だ。街は賑わっていた。観光客が多い。白人も黒人も東洋人もアラブ人も歩いている。セルバ共和国の東海岸はリゾート地なのだ。
 ステファン大尉は最初に街角のATMで現金を下ろした。次に入った店でプリペイド方式の携帯電話を2つ購入して、1つをギャラガに渡した。領収伝票はギャラガに渡して、「失くすな」と命じた。

「後で必要経費で財務部からもらうからな。」

 それなら自分で保管すれば良いのに、と思ったが、ギャラガは黙っていた。ステファン大尉がしていることは、己にとっても将来の仕事の手本なのだ。それを彼は理解していた。
 大統領警護隊の中ではメスティーソは目立つ部類だったが、街中に出てしまうと自然に溶け込んでしまった。セルバ人の多くがメスティーソなのだ。
 バスに乗ったのは休暇以外で初めてだった。海ではなく市内を巡回する路線バスだった。10分ほど乗って、セルバ国立民族博物館前で降りた。観光客が屯する博物館前広場を横切り、階段を上ってチケット売り場へ行った。そこでステファン大尉はパスケースに仕舞っておいた緑の鳥の徽章を職員にチラリと見せた。

「大統領警護隊警備第2班のステファンと警備第4班のギャラガだ。ムリリョ館長はいらっしゃるか?」

 職員は徽章を見て不安そうな表情になった。大統領警護隊が博物館にやって来るなんて、どんな用事だろうと思ったのだ。文化保護担当部ならわかる。あの部署は時々遺跡の彫刻や壁画の意味を勉強しにやって来るから。しかし警備班の訪問は初めてだ。

「館長はいらっしゃいますが・・・」

 答えかけて、彼女は相手が旧知の顔であることにやっと気がついた。

「文化保護担当部の大尉?」

 ステファン大尉が頷いた。

「元、になるが、大尉のステファンだ。」
「それならそうと言って下さい。すぐ館長に連絡します。」

 セルバ共和国はコネが大事だ。

第2部 節穴  6

  テオドール・アルストが土曜日の昼にエル・ティティに帰省して、ゴンザレス署長とのんびり過ごしていると、署長に電話がかかってきた。ゴンザレスはふんふんと先方の話を聞いて、最後に「グラシャス」と挨拶した。電話を切るとテオがテレビを見ている横に戻って来た。

「例のバナナ畑の死体の身元がわかった様だぞ。」

と報告したので、テオは驚いた。セルバ共和国の警察にしては早かったんじゃないか? と彼は思った。尤も問い合わせてから既に11日経っていたのだが。

「死体はフェリペ・ラモスと言う男らしい。オルガ・グランデの北、国境に近いサン・ホアン村と言う所で占いなどをしていた農夫で、2ヶ月前から行方知れずになっていた。”雨を呼ぶ笛”をいつも持ち歩いていたと言うから、その男なのだろう。家族が明日こっちへ来るから、遺体を墓から掘り出さなきゃならん。」
「笛で身元確認してからの方が良いんじゃない?」

 身元確認の品が例の木片しかないと言うのは心許ないことだ。しかし、ミイラでは親が見ても分からないだろう。

「占い師ってことは、シャーマンかな?」
「どうかな・・・普通の占い師じゃないか? シャーマンって言うのは、大統領警護隊みたいな連中のことを言うんだ。直接神や心霊と話が出来る人々だ。」

 それじゃ俺がシャーマンじゃないか、とテオは心の中で苦笑した。大統領警護隊は”ヴェルデ・シエロ”なのだ。

「占い師を殺害するなんて、大罪じゃないのか? 」
「シャーマンと違って神様と入魂の間柄じゃないからな、占いが外れて頭に来た客にやられたのかも知れない。あるいは仕事と関係ない理由かもな。ここでは人の命はパンより軽いと考える連中もいる。」

 それは否定したくとも出来ない真実だった。テオが哀しい気分でテレビを消すと、ゴンザレスも昼寝の為に庭へ出ようとした。そして伝え忘れたことを思い出した。

「それから、あの死体に関係するのか分からないが、サン・ホアン村近くの古代遺跡が最近何者かに荒らされたそうだ。」

 テオは「古代」とか「遺跡」とかの単語に敏感だった。彼の大統領警護隊の友人達は古代遺跡を守る仕事をしているのだ。

「2ヶ月前に占い師が行方不明になったんだよね? 遺跡荒らしは何時のことなんだ?」
「それは分からん。ただ、ラモスは遺跡荒らしがあった後で行方不明になった。」
「遺跡で何か盗まれたのか?」
「何を盗まれたのか、誰にも分かっていない。正式調査が入っていない遺跡だそうだ。殺されたラモスはそこへ時々行っていたそうだ。」

 占い師が何のために遺跡に行ったのだ? 神託でも聞きに行っていたのか? それなら占い師ではなくシャーマンだろう、とテオは考えを巡らせた。盗掘の現場でも目撃して、消されたのか? 
 彼はゴンザレスが庭のハンモックへ行ってしまうと、携帯電話を出した。遺跡荒らしの情報は大統領警護隊文化保護担当部に連絡した方が良いだろう。もしかすると彼等は既に知っているかも知れないが、多忙なので通報を受けても直ぐに捜査に入るとも思えなかった。
 土曜日だから文化・教育省は閉庁している。ロス・パハロス・ヴェルデスの友人達はデスクワークが出来ないので、建前上「軍事訓練」をしている筈だ。畑や野原や海岸で実弾射撃を伴う隠れん坊か鬼ごっこをしているのだ。
 そんなところに電話を掛けたら危険なんじゃないか?
 テオは迷いながらもケツァル少佐の番号に掛けた。5回の呼び出し音の後、女性の声が聞こえた。

ーーミゲール少佐の電話でーーす!

 え? とテオはびっくりした。思わず声の主の名前を呼んだ。

「マハルダ?」
ーースィ! 

 マハルダ・デネロス少尉の元気な声が応答した。

ーーテオ? ブエノス・タルデス!
「ブエノス・タルデス。 今、演習中じゃないのか?」
ーースィ、演習中ですけど、私、捕まってます。

 テオは吹き出してしまった。どんな鬼ごっこか知らないが、デネロスは捕虜になったのだ。多分、荷物置き場にいるのだろう。少佐の電話が鳴ったので彼女が出たのだ。

「演習中だったら、少佐は電話に出られないんだろうな?」
ーー無理ですね。小屋の外で私を救出にやって来る中尉を返り討ちにしようと待ち構えています。

 すると男の声が聞こえた。

ーーこっちの作戦をベラベラ喋るな、捕虜。

 アスルの声だ。テオは楽しそうな演習だと思った。実弾を使用しているから油断禁物だろうけど。デネロスが声のトーンを落とした。

ーー何か御用ですか? 伝言承りますけど。
「少佐でなくても良いんだ。オルガ・グランデの北にあるサン・ホアン村近くにある遺跡を知っているかい?」

 デネロスは知らなかった。同じ質問をアスルに訊いてくれたが、アスルも知らなかった。だからテオは簡単に告げた。

「遺跡荒らしがあったと、親父がオルガ・グランデ警察から聞いたんだ。そのサン・ホアン村の占い師が殺された可能性があって、笛の持ち主らしい、と少佐に伝えてくれ。多分、彼女はそれでわかると思う。」
ーー遺跡荒らしに殺人ですか? 承知しました。

 その時、遠くで銃声が聞こえた。デネロスが「あーあ」と呟いたので、ロホが少佐に返り討ちにされたと察しがついた。


2021/08/27

第2部 節穴  5

  昼間の西館は無警護だ。時々歩哨が回って来るだけで、大統領警護隊は建物の中で来館者の警戒の方に重点を置く。ギャラガとステファン大尉は問題の茂みに近づいた。セルバ共和国なら何処にでもある普通のハイビスカスの茂みだ。赤い花が咲き乱れていた。ギャラガが示すと大尉が周囲を一周した。ギャラガの所に戻ると彼は囁いた。

「馬鹿にしているよ、全く。」

 ギャラガはその意味を推し量った。

「何もないってことですか?」
「何もないから、異変があるのさ。」

 大尉が彼を壁の際に連れて行った。大統領夫人の部屋の一番大きな窓の真下に彼を立たせ、赤い花の中で一番大きな物を指差した。

「そこに空間の歪みがあるのが見えるか?」

 ギャラガは目を凝らして見たが、何も見えなかった。彼は正直に告白した。

「私には見えません。一族の能力は何もないのです。」
「そう思い込んでいるんだな。」

 大尉は言った。

「目で見ようとするな。」

 彼はとても簡単なように言い放って、花のそばに行った。

「これは小さい穴だが、元からここにあったとは思えない。」

 彼は片手を前へ出し、指を花に向かって突き出した。花の10センチ程手前で彼の指が空中に消えた。ギャラガはびっくりした。純血種のブーカ族の成人は時々異次元空間通路を利用して遠い場所へ出かける。大統領警護隊も遠距離へ出兵する時は空間通路を使う。純血種のブーカ族は大人になれば普通に通路の”入り口”を見つけられるのだと言うが、ギャラガは見えない。他の部族は厳しい修行をして習得すると言うが、ギャラガはその修行も出来ない。どんなことをするのかさえ分からないのだ。しかし彼と幾らも年齢に差がないステファン大尉は鼠の穴でも見つけるみたいに空間の歪みを発見した。おまけに指まで突っ込んだのだ。

「これ以上大きくならない。こっちは”出口”で向こうが”入り口”だ。」

 大尉は指を出して腰を屈めた。花を観察するみたいに空中をじっと見つめ、やがてギャラガを振り返った。

「覗いてみろ。君にも向こう側が見える筈だ。」

 立ち位置を交換した。ギャラガは半信半疑だったが、大尉の真似をして虚空を見つめた。深紅の花の真ん中にポツンと異質の物が見えた。針の穴の向こうみたいな大きさだ。目を凝らして、それが灰色の石の表面らしいと彼は思った。試しに指を入れてみると、本当に彼の指も消えた。指先に何かが触れる感触はない。

「何が見えるか私は訊かない。」

と大尉が言った。

「互いの言葉に影響されたくない。君は君が見た物をしっかり記憶しておけ。これからそれが何なのか知っていそうな人に会いに行こう。私服に着替えて半時間後に本部通用門で落ち合おう。」


第2部 節穴  4

 トーコ副司令官は中佐だ。ブーカ族とマスケゴ族のハーフで、純血の”ヴェルデ・シエロ”とも言えるが、純血のブーカ族でも純血のマスケゴ族でもないので、大統領警護隊の外の純血至上主義者と仲が悪いと言う評判だった。大統領警護隊の隊員達は司令官のエステベス大佐と会ったことがなくてもトーコ中佐とはよく顔を合わせる機会があった。怒らせると怖いが普段は優しい上官だから若者達から好かれていた。ステファン大尉がドアをノックして、ギャラガを先に入れた。ギャラガは室内に入ると直ぐに副司令官の正面の位置を大尉に譲って傍に立った。大尉が声をかけた。

「ステファン、ギャラガ、出頭しました。」

 トーコは書類に目を通していた。警備班の勤務報告書だ。

「大尉、君は東館の警備を担当しているのだな?」
「スィ。警備第2班です。」
「西館の噂を知っているか?」

 ギャラガはドキンと胸が鳴るのを感じた。今朝の報告がもう副司令に渡ったのか。ステファン大尉は「ノ」と答え、チラリとギャラガを見た。ギャラガはここで言うべきだろうかと迷った。”ヴェルデ・シエロ”ならここで大尉の目を見て、一瞬で副司令官への報告内容を大尉に伝えられるのだが。 トーコもチラリとギャラガを見た。そして言った。

「ステファンに教えてやれ、ギャラガ少尉。」

 それでギャラガは大統領夫人の部屋の外にあるハイビスカスの茂みから感じる謎の視線の話を語った。

「警備第4班の11人全員が毎晩同じ体験をしました。今朝、班長が確認したら、少なくとも16日前から始まっていた様です。」

 トーコが頷いた。報告書の通りだ。

「16夜も奇妙な視線を感じながら、初めての報告が今朝なのだな?」

 ギャラガは頬が熱くなった。責められているのは彼だけではなく残りの10人も同じなのだが、代表で叱られている気分だった。これは班長の役目ではないのか? とちょっぴり不満を感じた。班長は中尉だ。まさか格下に損な役割を押し付けたのでもあるまいが。
 ステファン大尉は宙を見て、考える素振りを見せた。

「実体のない視線ですか。」

と彼は呟いた。トーコ中佐が尋ねた。

「原因に思い当たることはないか?」
「ノ。現場へ行って見てみなければ、なんとも言えません。」

 中佐と大尉が目を見合わせた。何か会話をしたとギャラガは分かったが、どんな話し合いをしたのか彼にはわからなかった。
 大尉がちょっと悩ましげな顔をした。

「私に出来るでしょうか?」

と彼は副司令官に尋ねた。トーコ中佐は頷いて見せた。

「良いからやってみな。これも修行だ。」

 何のことだろうとギャラガが思っていると、トーコが書類に署名をした。

「正式に辞令を与える。カルロ・ステファン大尉、西館庭園の視線の謎を解き、隊員達の不安を払え。期限は5日。助手にアンドレ・ギャラガ少尉を使え。」

 ギャラガは大尉が一瞬「え?」と言う顔をしたのを見逃さなかった。きっと”心話”も使えない似非”ヴェルデ・シエロ”なんか使えない、と思ったに違いない。しかしステファン大尉は上官に一切口答えせずに敬礼して命令を承った。ギャラガはボーッとしてしまい、大尉に横から足を蹴られて、慌てて敬礼したのだった。


第2部 節穴  3

  大統領警護隊の大統領府西館警備担当班の間で、大統領夫人の部屋の外にある茂みから視線を感じると言う噂が流れるのにそんなに時間はかからなかった。噂話をマナー違反とするセルバ人にしては珍しい現象だ。誰もいない空間から視線を浴びる。超能力を持つ”ヴェルデ・シエロ”にとって、これは酷く屈辱的な現象で薄気味悪いことだったのだ。どの隊員も茂みの中を探って見たが誰もいないのだ。臭いも残っていない。危害を加えられた報告もない。しかし立ち番をしている間中視線を浴びるのは気持ちの良いことではない。常に観光客の目に曝されている正面玄関やピラミッドの儀仗兵とは違うのだ。ギャラガは初めて同僚達からこの現象に関する質問を受け、仲間の感想に同意した。2度目の不愉快な感触を体験した後だ。初めて仲間の雑談の輪に加えられ、班代表が報告書に正式にその体験を記述することに同意した。警備第4班全員からの報告として、班長は司令部に提出した。
 翌朝、点呼とシャワーと朝食を終えて大部屋に帰ると、隣の大尉が本を読んでいる場面に再び出くわした。今度も考古学の本で、分厚い表紙で装丁された高価そうな本だった。よく見ると裏表紙に国会図書館のスタンプが押されていた。自費で購入したのではなく、借りているのだ。しかし破損すれば自腹で弁償しなければならないから、又貸しで注意するのは当たり前だ。セルバ共和国の図書館は又貸しが横行している。紛失が多いので、文化・教育省では大統領警護隊に図書館監視部を設立してくれと言っていると言う冗談まで巷で流れている。隣のベッドの大尉も平気で又貸しをする様だ。だが借りた方が本を損壊すると、とことん追求してくるだろう。
 ギャラガは同僚から初めて仲間扱いされて機嫌が良かったので、気軽な感じで大尉に声をかけた。

「考古学がお好きなんですね、大尉。」

 大尉は顔を上げずに答えた。

「私は警備第30班にいたんだ。」

 ギャラガは揶揄われたと思った。大統領警護隊警備班は15までしかない。彼が黙り込んでしまったので、大尉がやっと顔を上げた。

「外郭団体ってことだ。私は文化保護担当部にいた。」

 ギャラガにはそれがどんな部署なのかわからなかった。仲間との情報のやり取りがない悲しさだ。大尉は彼が反応しなかったので、説明する気がなくなったのか、読書に戻った。ギャラガもベッドに座った。その直後、部屋の入り口で呼び声がした。

「ステファン大尉! ギャラガ少尉!」

 ギャラガが答えるより早く大尉が怒鳴った。

「ここだ。ステファン、ギャラガ、2名共ここにいる。」

 どこかの班の少尉がやって来た。ベッドの上に横たわったままの大尉の側に立ち、敬礼した。

「トーコ副司令がお呼びです。」

 大尉が頷き、ベッドから降りた。Tシャツの上に上着を羽織りながら少尉に「5分後に出頭する」と返事をした。彼はギャラガを振り返り、「何かな?」と呟いた。ギャラガも見当が付かなかったので肩をすくめた。急いで身支度して、2人は副司令官室へ向かった。

2021/08/26

第2部 節穴  2

  アンドレ・ギャラガは勤務を終え、官舎に戻った。まだ少尉だから大部屋だ。20人が広い大きな部屋で寝起きしている。所属班がバラバラなので常時半数は不在だ。ギャラガは冷たい水のシャワーを浴びて、食堂へ行った。決まった時間に一斉に食べるのではなく、勤務が終わる順番に食べるのだ。煮豆にトーストに野菜スープ、コーヒーのシンプルな食事だ。肉が出るのは勤務の途中の中食だけだ。食事は階級に関係なく同じだ。だからたまに食堂で少佐や中佐級の偉いさんを見かけるが、その日上級将校はいなかった。質素だが量だけはしっかりある食事を終えると、大部屋に戻って寝るだけだ。
 ギャラガは友人がいないので、仲間が集まってカード遊びをしたり、運動施設へ出かけたりするのに加わらなかった。個人のスペースはベッドだけだ。そこに座って棚からラジオを出した。私物は少なく、置けるスペースも狭いので、彼の全財産はそこにある物だけだった。故郷もないし、実家もない。兵士としての自信はあるが、”ヴェルデ・シエロ”ではない落ちこぼれがこのままここにいて良いのだろうか。
 イヤフォンを付けようとして、隣のベッドの男が目に入った。警備2班の大尉だ。向こうは東館の担当で、2時間前に勤務が終わった。寛いでいるらしい。大尉は読書中だった。ギャラガは彼と話をしたことがない。勤務時間が微妙にずれているので、彼が戻ると大概向こうは寝てしまっていた。彼が起きれば既に勤務に就いていた。この日は珍しく起きていて読書をしていたのだ。
 普通中尉になれば大部屋を出て5人部屋へ移る。大尉は2人部屋の筈だ。しかし半年前に転属して来たその大尉は何故か大部屋で寝起きしていた。ってか、転属って何処からだ? 大統領警護隊は必ず少尉から始めるのだ。将校の中途採用はない。階級が高いので、他の少尉達は遠慮して彼に話しかけない。彼も別に誰かと仲良くしようと言う気はないらしい。
 ギャラガがその大尉の存在を気にしたのは、向こうも白人の血を引いていたからだ。明らかにヨーロッパ系の血が入った顔立ちで、ゲバラ髭を生やしている。軍人は髭を剃るのが決まりだが司令部は彼に対して何も言わないようだ。抑制タバコを火を点けずに咥えて、彼はセルバ考古学の論文集を読んでいた。山賊の様なワイルドな雰囲気の風貌なのに、インテリジェントな趣味を持っている様だ。
 ギャラガが考古学の本が珍しくて表紙を眺めていると、視線を感じて大尉が目線を上げた。

「何かな、少尉?」
「あ、いや・・・何もないです。」

 上官に絡まれると碌なことがない。ギャラガは慌てた。大尉は彼をジロジロ眺め、不思議なことを言った。

「私を監視するなら、もう少し上手くやれよ。」
「?」

 ギャラガが彼の言葉の意味を理解できずに見返すと、大尉は目線を再び本に戻した。どう言うことだ? 売られた喧嘩は買う主義だった子供時代の気分が蘇った。ギャラガはベッドを降りて相手のそばへ行った。

「私が貴方を監視しているなんて、どうして思われるのです、大尉?」

 大尉が本を見たまま答えた。

「私を見ていたからさ。」
「私は貴方の本を見ていたのです。貴方を見たのではありません。」

 すると大尉はパタンと本を閉じた。そしてギャラガに差し出した。

「貸してやろう。読んだら必ず返してくれ。安くないんだから。」

 ギャラガは本を見つめた。これは新手の嫌がらせだろうか? 自分がこの大尉に何をしたと言うのだ? 彼は言った。

「考古学が珍しくて本の表紙を見ていたのです。読みたい訳ではありません。読んでも私には難しくて理解出来ないでしょう。」
「考古学は難しい学問じゃない。私にだって少しはわかるんだから。」

 そう言って大尉が微笑した。意外に人懐っこい笑顔だった。ギャラガも釣られて笑ってしまった。

「私は学がないので読み書きが苦手なんです。」
「私だってまともな教育を受けていない。警護隊に入って初めて教育らしい教育を受けた。」

 大尉は本をベッドの枕元の小さな棚に置いた。

「白人の血が入っている様だな。部族は何だい?」
「ブーカです。4分の1だけですが・・・警護隊に入隊して初めて自分が何族なのか知りました。」

 大尉が小さく頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の多くがブーカ族の血筋だ。”ヴェルデ・シエロ”に分類される先住民は7部族あるが、ブーカ族はその中で最多の人口を持っている。そして大統領警護隊の徽章をもらえる能力を持っているのもブーカ族が殆どだ。他の部族は人口が極端に少ないか、能力が長い時間の中で弱まってしまった。しかし”出来損ない”で落ちこぼれのギャラガは胸を張ってブーカだと言えなかった。

「ブーカですが、ナワルを使えません。”心話”も出来ません。」

 彼は大尉が驚くのがわかった。”心話”が出来ない”ヴェルデ・シエロ”なんて存在しない。ギャラガは大尉に目を覗かれたが、何も伝えられなかった。大尉が呟いた。

「まだ目覚めていないだけだろう。」

 ギャラガは同意することが出来なかった。大尉はタバコをゴミ箱に投げ入れた。

「私だって1年前に目覚めたばかりだ。」

 しかし大尉の髪は真っ黒で肌もメスティーソらしく浅黒い。”ヴェルデ・シエロ”の血が優っている様だ。”心話”は生まれつき使えただろう。

「貴方もブーカですか、大尉?」

 何となく相手の気に違和感を覚えて、ギャラガは訊いてみた。この大尉から漂ってくる気配は他の隊員達と違う。大尉が寝るために姿勢を変えながら答えた。

「ブーカの血も流れているが、半分はグラダだ。」

 
 

第2部 節穴  1

  セルバ共和国大統領警護隊、通称ロス・パハロス・ヴェルデス(緑の鳥)は一般市民にとって憧れと畏怖の対象だが、実は”ヴェルデ・シエロ”だけで構成されている軍隊であることは全く知られていない。そもそもこの種族の名前を知っているのは考古学者と人類学者、そして政府の要職についている一部の人々だけだ。5千年以上昔に絶滅したと言われている古代の神様の名前で、その後に台頭した部族が残した遺跡の彫刻や壁画で知られる伝説の部族と考えられている。「頭に翼を持つ神」として知られ、半身がジャガーの彫像もある。しかし、”ヴェルデ・シエロ”は実在した。そして今も実在する。セルバ人はその名を知っているが口に出さないだけなのだ。うっかり噂話などして神様の耳に入りご機嫌を損なうと大変だから。ロス・パハロス・ヴェルデスが畏怖の対象となっているのは、彼等が神様と会話出来ると信じられているからだ。神様そのものだなんて市民は誰も想像していない。警護隊のご機嫌を損ねて神様に告げ口されてはたまらない、と思っているのだ。
 大統領警護隊が警護するのは大統領と政府高官、国賓、セルバ共和国の精神的シンボル”曙のピラミッド”に座す巫女ママコナだ。そして市民は知らないが、国全体を彼等は守っている。小さな貧しいセルバ共和国が、飢えもせず大規模な飢饉に遭いもせず、疫病とも縁が薄いのは、彼等が守っているからだ。
 アンドレ・ギャラガは半分白人の血が流れている。他のメスティーソより肌が白く髪も赤い。”ヴェルデ・シエロ”の血は4分の1だけだ。だから”曙のピラミッド”から語りかけるママコナの声を聞けない。頭の奥で蜂がブンブン唸っている様に感じるだけだ。アメリカ人だった父親は彼が5歳の時に病死して、彼は貧しい生活の中で育った。母親も半分だけの”ヴェルデ・シエロ”で超能力をうまく使えなかった。彼女は街で体を売り、病気で彼が10歳になる前に亡くなった。ギャラガは食べる為に年齢を偽って軍隊に入った。15歳の時に陸軍の特殊部隊に入れられた。荒くれた兵士の中で揉まれて一人前に喧嘩の上手い男になった。そして1年後に大統領警護隊に採用された。
 正直なところ、何故己がそんなエリート部隊に採用されたのか、ギャラガは理解出来なかった。周囲は、”ヴェルデ・シエロ”ばかりだったのだ。彼等は目と目を見合わせるだけで一瞬にして情報交換や会話が出来る”心話”を使う。だがギャラガはそれが出来なかった。”心話”が出来ることが”ヴェルデ・シエロ”の条件である筈なのに、出来ないギャラガが大統領警護隊にいる。ギャラガ自身、己が”ヴェルデ・シエロ”だと言う自覚がなかったので、大いに当惑した。僚友達は皆”心話”を使える。”ヴェルデ・シエロ”と”ヴェルデ・ティエラ”のミックス達だ。見た目は純血先住民で白人の血が混じるギャラガとは外観が異なる。勿論、白人とのミックスであるメスティーソもいる。彼等は”出来損ない”と侮蔑の呼称を与えられているが、それでも”心話”を使えるし、ある程度の超能力を使う。そしてナワルも使えるのだ。
 ナワルはジャガーに変身する能力だ。能力の弱い者はジャガーより小さめのマーゲイやオセロットに変身する。しかしギャラガは当然それも出来ない。それより僚友がナワルを使うのを見て、仰天して気絶してしまったのだ。”出来損ない”の”落ちこぼれ”のアンドレ。気がつくと友人は出来ず、誰もが彼と組んで警備についたり訓練するのを敬遠していた。能力のない者と組めば危険だ。それが彼等の考え方だった。

 ギャラガが配置されている大統領警護隊警備第4班は、大統領府西館の夜間警備と”曙のピラミッド”の日中警備を担当していた。火曜日の夜、ギャラガは西館の大統領夫人の部屋の外で立ち番をしていた。一人だ。”ヴェルデ・シエロ”は能力をもっているので、基本的に単独行動する。一人になると彼はホッとした。他人を気にせずにいられる。軍隊はプライバシーのない世界だし、”ヴェルデ・シエロ”同士では秘密を持つことが難しい。この立ち番の時間だけが、彼の心が自由になれる時だった。
 乾季の夕刻。短いスコールが過ぎ去って涼しい風が彼の頬を撫でた。まもなく満天の星空になるだろう。工業があまり盛んでない貧しい国だからこそ、空気が澄んでいる。ギャラガは壁にもたれかかり、抑制タバコを咥えた。強い能力を持つ純血種や気の制御が下手なミックスに軍から支給される、特殊な薬効を持つ植物から作られるタバコだ。ギャラガは能力がないので支給対象外だが、官舎の仲間がたまに分けてくれた。好意より厚意だ。ギャラガは遠慮せずにもらうことにしていた。国民の税金で作られるタバコだ。もらって何が悪い?
 安物のライターでタバコに火を点けた時、正面のハイビスカスの茂みで人の気配があった。彼はタバコを投げ捨て、アサルトライフルを構えた。

「誰だ?!」

 返事はなかった。しかし確かに誰かいる。彼は何者かの視線を浴びている感触を拭えなかった。冷たい視線がこちらを向いている。彼の能力の大きさを測るような酷く冷静な目。彼は姿が見えない相手を睨みつけた。下手に動くと攻撃されそうな気がした。侵入者なのか? 彼はもう一度声をかけてみた。

「出て来い! ここは立ち入り禁止区域だぞ!」

 やはり返事はなく、誰も出て来ない。彼は意を決して一歩前に出た。向こうは動かない。彼はもう一歩前に踏み出した。それでも反応なし。彼の胸中に疑問が湧いた。本当に茂みの中に誰かいるのだろうか。
 彼はタバコを踏み消して、隙を作って見せた。それでも相手は動かなかった。誰もいないのだ。彼は確認の為に茂みに近づいた。銃口を向けたまま茂みを覗いた。
 誰もいなかった。彼は周囲を見回した。気配は確かにあったのに、実体がなかった。

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...