2021/07/20

聖夜 12

  南国のクリスマスは初めての体験だ。シオドアとアリアナは次の日の夕方、グラダ国際空港に降り立った。乗客達の多くは冬服だったが、入国審査を通り、税関を抜け、ロビーで荷物を受け取ってロビーの暖かさに戸惑った。冷房が効いているのだが、冬服では暑かった。赤道はもっと南の筈だがと文句を言う人もいた。同じ飛行機に搭乗したケツァル少佐とロペス移民審査官は着替えを持っていたので適当な頃合いに軽装になっていた。少佐は旅慣れしている。ロペスは往路で学んだのだろう。
 ロビーにはセルバ共和国外務省の迎えが来ていた。ケツァル少佐とはそこでお別れで、シオドアとアリアナはロペスと共に迎えの車に乗り、大統領府近くの外務省へ連れて行かれた。文化・教育省は雑居ビルにあるが、外務省はそれなりの重厚さを持つスペイン統治時代に建てられた歴史ある建物だった。夕刻だったので、そこで仮の身分証をもらって、許可なしに外出してはならないと注意をもらい、近くのホテルに案内された。安宿ではなく、警備の都合上ちゃんとセキュリティが充実した値段の高そうなホテルだった。仮の身分証を提示するとレストランで食事も出来た。アリアナが試しにホテル内の洋品店で彼女と彼の服をカードで購入したら、ちゃんと使えた。

「これで私達が今何処にいるかアメリカ側にも知られたわね。」

とアリアナが言った。シオドアは平気だよと言った。

「ここまで全くアメリカ政府の妨害が入らなかった。またミゲール大使が国務長官に面会してくれたんじゃないかな。」
「でも大使の説得で政府が私達を解放してくれるかしら。」
「セルバマジックだよ。」

とシオドアは冗談で言った。後に知ったことだが、ミゲール大使は本国から送られてきたメールを印刷して国務長官に渡したのだ。そこには、セルバ共和国のみならず中米各国で活動しているアメリカの諜報機関のメンバーの氏名がリストアップされていた。
 諸国に黙っていてやるから、たった2人の遺伝子学者の亡命に目を瞑れ、と言うセルバ共和国流の外交手段だった。正にセルバマジックだった。
 翌日、再び外務省へ連れて行かれ、そこで1年間の観察期間の説明を受けた。仕事はグラダ大学で遺伝子関係の研究室を紹介された。シオドアは以前途中放棄した遺伝子工学の講師を選んだ。今度こそ真面目に学生に教えるのだ。アリアナは医学部で遺伝病の研究を指導することになった。そこでは英語が使えた。住まいはグラダ・シティの高級住宅街にある戸建て住宅で、そこに監視役を兼ねたメイドと運転手が付いた。どちらも英語を話せた。但し、どちらも”ヴェルデ・ティエラ”のメスティーソだった。

「研究所にいた頃と変わらないわね。」

とアリアナがちょっと拍子抜けした様に言った。彼女は収容所の様な生活を想像していたのだ。

「研究所より監視は緩いよ。」

 シオドアは大学内にいれば自由に歩き回れることを教えた。

「だけどアメリカ人留学生には用心しないとね。」
「スパイがいるってこと?」
「油断禁物ってことさ。俺達が母国の人間と接触するのを不愉快に思うセルバ人がいるかも知れないだろう?」
「私達がスパイじゃないかって疑われるのね。」

 アリアナは笑った。シオドアは”ヴェルデ・シエロ”の秘密を守るためなら暗殺を平気でやってのける”砂の民”と呼ばれる人々がいることを彼女に黙っていた。
 大学で働き始めて3日目に、アリアナに嬉しい出来事があった。キャンパスでマハルダ・デネロス少尉が声をかけて来たのだ。通信制の大学で学んでいる彼女は、久しぶりのスクーリングで大学に顔を出したのだった。
 デネロスはホテルで姿を消してアリアナを驚かせたことを詫びた。

「ドクトラお一人でしたら、走って逃げたのですけど、ボディガードが怖かったので。」

 と彼女は言い訳した。アリアナは首を振った。

「あの時の私はこの国に全く無知だったの。そして私自身が本国で置かれている立場にも無知だったわ。研究所が作った都合よく言うことを聞く人形だったのよ。あの時、貴女がテオの資料を焼いてくれなかったら、今頃セルバ共和国とアメリカの間で超能力開発を巡る情報戦争が起きていたかも知れないわね。」

 デネロスは肩をすくめた。

「私達には、超能力を持っていると言う意識がないのですけどね。」
「普通のことなのね?」
「スィ。力の種類や強弱は個性ですから。」

 クリスマス休暇で大学が休校になると、シオドアはエル・ティティからアントニオ・ゴンザレスを呼んだ。署長は都会に出ることを渋っていたが、2日だけなら、とバスに乗ってやって来た。シオドアはアリアナに「親父だ」と紹介した。ゴンザレスはスペイン語がまだおぼつかないアリアナの為に、やはりおぼつかない英語で一所懸命話しかけた。アリアナもできる限りスペイン語を使って話をした。

「綺麗な妹だな、テオ。」

とゴンザレス署長は感想を述べた。

「都会が似合う女性だ。田舎の生活は無理だと思うぞ。彼女がこの国に慣れる迄一緒にいてやれ。これからはテレビ電話も使える。署に回線を引いたんだ。毎日顔を見られるから、無理をして観察期間を延長されることがない様に気をつけな。」
「グラシャス。だけど、やっぱり俺はエル・ティティが懐かしいよ。」

 シオドアは彼が家に帰る時、何度も抱擁を交わして別れを惜しんだ。そんな2人をアリアナは羨望の眼差しで見ていた。彼女には心の支えとなる人も場所もセルバになかった。

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