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2022/04/17

第6部  赤い川     20

  セルバ人は噂話を流すことをタブーとしている。しかしそれは表向きで、裏では情報が拡散されるスピードが非常に早い。インターネットが普及するより早い時代から、中南米の先住民は情報伝達システムを発達させていた。インカ帝国は伝令システムを国家が整えていたそうだが、セルバでは”心話”と言う神の力がものを言った。能力を持たない”ヴェルデ・ティエラ”でさえ、緊急の要件を遠方に伝えたい時は、村に一人はいる祈祷師に頼んで”ヴェルデ・シエロ”に伝言してもらうのだ。
 アンゲルス鉱石社では緊急重役会議が開かれ、バルデス社長がレグレシオンの活動に関する情報がある、と一言発言した。内容はない。ただ、彼は文字通りそう言っただけだ。しかし重役達はすぐに社長が何を望んでいるか理解した。社長の希望は彼等の希望でもあった。会社に害を与える可能性があるものは即刻排除せよ。そう言うことだ。彼等は直ちに直接の配下に命令を下した。
 憲兵隊オルガ・グランデ基地では、指揮官がグラダ・シティの本部へ連絡を入れた。内容は暗号化されていたが、テロリストの活動が活発化してきたことへの警戒を促すものだった。連絡を終えると、指揮官は幹部クラスの部下を集め、捜査会議を開いた。
 オルガ・グランデからの情報を解読したグラダ・シティの憲兵隊本部は直ちにテロ対策班を招集した。これまで内偵を続けてきた不穏分子の現段階での状況を分析し、オルガ・グランデからの情報の信憑性が高いことを確信するに至った。彼等が捜査に入ったのは言うまでもない。
 そして憲兵隊の動きは瞬時に大統領警護隊にも伝えられた。司令部はテロリズムと言う国民に与える危機を憂慮し、遊撃班に情報収集と対処を命じた。本当に公共施設を崩壊させて国民を殺傷する計画があるのか、あるとすればどの場所なのか。
 この動きを”砂の民”が知らぬ筈もなく、闇の狩人達は首領からの指示を待つことなく標的を求めて動き出した。

 夕方、シエスタから目覚めたロホは、ケツァル少佐から電話をもらった。テオは彼が母語で喋るのをぼんやり聞いていた。ベンハミン・カージョをどうすれば保護出来るかとそればかり考えていたので、通話を終えたロホが「グラダ・シティに帰ります」と言った時は驚いた。

「レンドイロの行方はまだわかっていない。カージョも守らないと・・・」
「それは貴方の役目ではありませんよ、テオ。」

 ロホは軍人だ。命令を受けると心の切り替えが早い。

「貴方はエル・ティティのゴンザレス署長の所に帰って下さい。私はそこまで貴方を護衛します。」
「それじゃ、アスクラカンへ行く。」
「レンドイロ記者を探す目的で行くのは駄目です。」
「どうしてだ?」
「警察が捜しても見つからなかったんです。貴方一人で動いても無駄です。」

 はっきり無駄だと言われてしまった。テオは腹が立ったが、言い返せなかった。

「せめてカージョの保護を誰かに頼みたい。」
「その本人が保護を拒否して隠れているのです。彼が希望しない限り、憲兵隊も警察も動きません。」
「彼はオエステ・ブーカ族じゃないのか? 一族の人は彼を守らないのか?」
「それも心許ないです。彼は一族から離れています。S N Sの投稿内容を見ても、一族に歓迎される文章ではありません。寧ろ一族に近づく方が彼にとって危険ですよ。」

 ロホの言葉は冷たく聞こえたが、冷静に考えればそれが当然なのだ。”ヴェルデ・シエロ”は長い時の流れの中で血を絶やさぬために、一族の中の不穏分子を自分達で排除してきた。大きな超能力を持ちながらも、圧倒的多数の”ティエラ”に存在を知られることを何よりも恐れてきた民族なのだ。ベンハミン・カージョは、一族にとってベアトリス・レンドイロより危険で厄介な人物に違いない。ロホは、そんな人物にテオが親切心で近づいて巻き添えになることを心配してくれているのだった。
 テオは溜め息をついた。

「わかった。明日1番のバスでエル・ティティに帰る。だけど、俺がアスクラカンに買い物に出掛けることは止めないでくれよ。」




 

2022/04/15

第6部  赤い川     19

  テオはベンハミン・カージョに憲兵隊の保護を受けることを勧めたが、占い師は拒否した。仕方なくテオは連絡先を書いた名刺を彼に渡し、ロホと共に陸軍基地に戻った。ロホが憲兵隊基地へ向かうと言うので、テオも同行した。ロホは殺人事件の担当者ではなく、憲兵隊オルガ・グランデ基地の指揮官に面会し、反政府組織レグレシオンが2件の殺人事件に関与している疑いがあると告げた。反政府組織は憲兵隊にとって天敵の様な存在だ。レグレシオンの名を知らない憲兵隊員はいなかった。
 古代遺跡の構造から7本の柱を破壊するだけで大きな公共の建造物を崩壊させることが出来ると言う説を唱えた占い師と、そのS N S上の友人である雑誌記者がレグレシオンに目をつけられたらしいこと、古代の遺跡は核爆弾で破壊されたと主張していたアメリカ人が殺害されたこと、等をロホとテオは憲兵隊指揮官に説明した。

「もし真犯人が本当にレグレシオンなら、何処かの公共施設でテロを起こす可能性を考えなければならない。」

とテオが意見を述べると、指揮官も固い表情で頷いた。

「近頃街で若い連中が度々集会を開いていると情報が入っています。学校へ行かず、仕事もしない、普段どうやって食っているのかわからない連中です。監視をつけていますが、集まるメンバーが毎回違う顔なので、当方も困惑しているところでした。レグレシオンは明確なリーダーを持たない組織で、その時々の活動でリーダーが決められ、交替します。グラダ・シティに本拠地があると言われていますが、オルガ・グランデでも動きが見られるようになりました。監視体制を強化し、警戒を厳しくします。」

 ロホは頷き、大統領警護隊が訪問先の軍隊の指揮官にする挨拶の言葉を唱えた。

「貴官と貴官の軍にママコナのご加護がありますように。」

 憲兵隊の指揮官が敬礼した。
 憲兵隊基地から陸軍基地は車で10秒程の距離だが、陸軍基地は広いので、宿舎としている兵舎に戻るには2分ほどかかった。
 車を車両部に返し、テオとロホは遅めの昼食を取り、シエスタに入った。ベンハミン・カージョを逃すまいと広範囲の結界を張ったので疲れたのだろう、ロホはベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。もしかすると、地下のカージョの隠れ家にいた時も結界を張っていたのかも知れない。テオは彼の隣のベッドで無防備に眠るロホを愛しい弟の様な気分で眺めた。陸軍基地の中だから安心しているのではなく、隣にいるのがテオだから、熟睡出来るのだ。
 電話が鳴ったので、急いで部屋の外に出た。ロホを起こしたくなかった。電話をかけて来たのは、アントニオ・バルデスだった。ベンハミン・カージョとベアトリス・レンドイロのS N S上での遣り取りを覗いていた人間、つまり2人のどちらかのページにアクセスした人物の特定が出来たのだ。アンゲルス鉱石社は、かなり優秀なI T技術者を抱えている様だ。テオはバルデスが順番に挙げる6人の氏名とアドレスを書き取った。そしてバルデスが「もう用件はないですか?」と尋ねた時、レグレシオンを知っているかと訊いた。反応があった。

ーー反政府組織ですな。反逆者ですよ。
「昨日起きた2件の殺人事件に関与している可能性がある。」
ーー2件の殺人?

 バルデスは少し考え、思い当たることがあった様子で、ああ、と声を出した。

ーーどちらも連中がやったと、ドクトルはお考えで?
「まだ断定出来ていないがね。」
ーーあまり深入りしないことですな。

と言ったすぐ後で、オルガ・グランデ政財界の実力者は携帯ではなく、遠くへ視線を向けて呟いた。

ーーこの街で我が物顔に振る舞って無事に済むと思うなよ・・・
「セニョール・バルデス!」

 テオは相手が何を考えているのかわかったので、つい叱責するような声を出してしまった。バルデスは薄笑いを浮かべ、「さようなら」と言って通話を終えた。
 テオは怒れる虎の前に狂犬を放った気分になった。バルデスは善人ではないが、愛国者だ。彼なりのルールを持っているが、社会の秩序を乱す者を憎む。テロリストは彼の会社の様に大きな企業も狙うだろう。だからバルデスにとって、レグレシオンは排除すべき相手だった。


第6部  赤い川     18

  ベンハミン・カージョの隠れ家はクーリア地区の古民家にあった。台所の床板を外すと、古い坑道に降りられたのだ。どこからか違法に引いた電線で、暗い電灯が一つだけ灯る空間があり、そこにカージョは寝袋と食料を置いていた。昔トロッコでも通ったのか、錆びたレールの残骸が床にあり、何処かへ通じる通路が暗闇の中へ消えていた。決して暖かい場所と言えなかった。

「ここじゃネットが使えない。だからアパートに戻ろうとした。」
「パソコンはなかったぞ。」

 テオが教えると、カージョは悔しそうな顔をした。

「アイツらの仕業だ!」
「アイツらって?」
「レグレシオンの連中だ。」

 ロホが、ハッとした表情になったので、テオは彼を見た。

「知っているのか?」
「話に聞いたことはあります。所謂インテリの反政府組織です。”ティエラ”の学生崩れ達が組織した団体で、政府高官の家に小型爆弾を送りつけて来たり、富裕層の家の子供を誘拐して洗脳して仲間に引き入れたりするのです。」
「大統領警護隊は直接関わらないからな、あの連中とは。」

とカージョがちょっと人を馬鹿にしたような口調で言った。

「あんた等は一族に害が及ばなければ、知らん顔をしているんだ。」
「国民に直接被害が出なければ動かないだけだ。」
「政府高官だって国民だぞ。」

 テオはロホとカージョが喧嘩を始める前に、割り込んだ。

「何故レグレシオンが犯人だと思うんだ?」
「半月前に新聞記者を装った男が取材だと言って、俺のアパートに来た。遺跡の7柱の仕組みについて、かなり熱心に質問してきた。だが俺は、一族の存亡に関わる情報は渡せないと承知している。だから適当に返事をしてはぐらかした。男は満足した様子じゃなかった。俺が何か重要なことを隠していると勘づいたんだな。俺は占い師で、建築の専門家でも考古学者でもないから、柱をどう破壊すれば建物全体が崩れるなんて、知らないって言って追い払った。」

 テオは嫌な想像をした。

「もしかして、シティ・ホールとか大きな施設でテロを起こすつもりじゃないだろうな?」

 カージョが暗がりの中で、顔を暗くした。

「その可能性はあるかもな・・・」
「貴方が出かけている間に彼等は再びアパートに来て、貴方が柱の仕組みをパソコンの中にでも隠していると考え、貴方のルームメイトを殺害してパソコンを盗んだんだな?」
「恐らくな・・・パソコンの中にはそんな情報は入れていない。占いの客の個人情報ばかりだ。」

 テロリストにとって無用な情報でも、それを掴んでいるのがテロリストだと考えただけでも嫌じゃないか、とテオは思った。

「貴方は、マックス・マンセルと言うアメリカ人を知っているかい?」
「マンセル? ああ・・・」

 セルバ人のインチキ占い師はアメリカ人のインチキ占い師を知っていた。

「俺のところへやって来て、古代の神殿が破壊されたのは、柱が折れたからじゃなくて、核爆弾が仕掛けてあったからだと言いやがった、頭のおかしな男だな?」
「実際に会ったのか?」
「スィ。アパートに来やがった。俺に考えを改めろと迫ったんだ。頭がおかしいとしか言いようがないだろ?」

 カージョの7柱の説は正しい。そしてカージョはそれを実際に現代使用する目的で建設された公共施設があると指摘した。それを誤っているとアメリカ人のマンセルが批判しに来た? マンセルはカージョの説の誤りを認めさせて己の名誉回復を図ろうとしたのか?
 もしかすると、とテオは呟いた。ロホが彼を見た。テオは頭の中の考えを言った。

「マンセルは核爆弾の話をテロリストに売り込んだのかも知れない。だがテロリストはカージョの説の方を支持した。マンセルはカージョに誤りだと認めさせようとして相手にされなかった。テロリストには、頭のおかしなマンセルは邪魔だ。だから処刑してしまった・・・」

 え?とカージョが声を上げた。

「あのアメリカ人は殺されたのか?」

 暗い隠れ家の中に沈黙が降りた。


第6部  赤い川     17

  アントニオ・バルデスはテオの厚かましいお願いを、顰めっ面しながらも引き受けてくれた。

「その行方不明になっている記者は、貴方の友人なのですか?」

と訊かれたので、テオは「ノ」と答えた。

「友人のところへ取材に来た記者だ。そのうち俺の研究も取り上げてもらおうと思っていた、その程度だ。彼女個人の連絡先も何も知らなかった。だが、彼女が行方不明になる直前に乗ったバスに、俺も乗り合わせていたんだよ。」

 バルデスが電話の画面の中で彼をじっと見つめた。

「またバスですか。貴方とバスは奇妙な組み合わせなのですな。」

 そしてベアトリス・レンドイロが行方不明になる前に彼女とベンハミン・カージョのネット上での会話を覗いていた人々を探してみると言って、通話を終了させた。
 横で聞いていたロホがフッと笑みを漏らした。

「彼は善人と言えない人間ですが、することは筋が通っています。貴方に協力すれば大統領警護隊文化保護担当部における彼と彼の会社の株が上がる。鉱山業務がやりやすくなると言う訳です。」
「つまり、俺も彼に利用されているんだな。」

 テオも笑った。
 陸軍基地内でウダウダしていても埒が開かないので、テオとロホは街へ出かけた。ベンハミン・カージョが住んでいたクーリア地区のアパートへ行ってみたら、既に規制線は外されていた。住民が邪魔だと言うので、切ってしまったのだ。警察も憲兵隊も文句を言わないから、黄色いテープの破片はそのまま千切れて小さくなるまで風にはためくことだろう。
 カージョの部屋は荒れていた。殺人者が荒らしたのか、警察が捜査の為に荒らしたのか、よくわからない。もしかすると以前から整頓されていない部屋だったのかも知れない。占い師だと聞いていたが、占いの道具と思われる物は見当たらなかった。パソコンもなかった。殺人者が奪ったのか、警察が押収したのか、それともカージョが持ち歩いているのか。
 床にチョークで死体があった型が描かれていた。血溜まりが黒くなって残っており、異臭がした。テオは耳を澄ませてみたが、アパートや通りの雑音や人の話声しか聞こえなかった。ロホを見ると、彼も特に死者の霊が見えている様子でなかった。
 生活の場であって、商売をする場所ではないのかも知れない、とテオは思った。占いを依頼する客はどこでカージョと会っていたのだろう。近所の人に聞き込みをしようと部屋の外に出た。
 廊下の向こうでチラリと人影が見えた。テオはその顔を見て、叫んだ。

「カージョ!」

 人影が壁の向こうに引っ込んだ。テオは走り出した。
 カージョが階段を駆け降りる音がして、彼も追いかけた。通りに出ると、カージョが左手へ走り去るのが見えた。テオが追いかけ、カージョが逃げる。カージョは地の利があるが、テオは足が早い。狭い住宅地の道を2人の男は全力で走った。
 カージョが6つ目の角を曲がった。テオもその角を曲がった。カージョが立ち止まっていた。前方を、いつ先回りしたのか、ロホが立ち塞がっていた。

「何故逃げる?」

とロホが尋ねた。テオはカージョの後ろに追いついた。息が弾んでまだ口を利けなかった。カージョもはぁはぁと息を肩で息をしていた。彼が苦しい息の下で悪態をついた。テオは顔を上げ、そこがカージョのアパートのそばだと気がついた。ぐるっと町内を一周しただけだ。いや、カージョはそうせざるを得なかったのだ。彼は”ヴェルデ・シエロ”の血を引いており、ロホが張った結界から出られないのだ、とテオはようやく気がついた。純血種で高度な技を習得しているロホが張った結界を無理に破ろうとすれば、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。”ティエラ”には無害な精神波のバリアーだが、一族には致命的だ。

「俺を捕まえに来たんだろ?」

とカージョが言った。

「俺をワニに食わせるために・・・」
「馬鹿な・・・」

 ロホが真面目な顔で言った。

「我々はお前が何をしたのかも把握していない。だからお前が何を心配しているのか、お前のルームメイトが何故殺されたのかもわかっていない。だから、お前の話を聞きに来たのだ。」
「それじゃ・・・」

 カージョはやっと上体を真っ直ぐに伸ばした。

「あんた達はレンドイロを捕まえたんじゃないのか?」
「ノ!」

 テオはやっと声が出せるようになったので、ロホより先に否定した。

「俺は彼女とアスクラカンへ向かうバスの中で言葉を交わした最後の人間だ。彼女はアスクラカンで下車してそれっきり戻らなかったが、そのまま行方不明になっていたことを知ったのは、つい最近だ。だから気になって、大統領警護隊の友人の協力で彼女の行方を探しているんだ。最初はアスクラカンへ行くつもりだったが、彼女が貴方とネット上で話をしていたと知って、貴方が何か手がかりを持っていないかと期待してここへ来た。そしたら殺人事件が起きていて、びっくりしたんだ。貴方とレンドイロが何に巻き込まれているのか、俺達は知りたいんだ。」

 一気に喋って、咳が出そうになった。彼が唾液を飲み込んで喉を休めている間に、ロホがカージョに近づいた。

「ここは安全とは言えない。もしお前が我々を信用してくれるなら、陸軍基地へ連れて行って保護するが、それが嫌だと言うなら、どこかお前が知っている場所へ案内してくれ。」

 カージョはテオとロホを交互に見比べた。白人と大統領警護隊を信用して良いものかと考えているのだ。
 数分間の沈黙の後、カージョは腕を振った。

「俺の隠れ場所へ案内する。逃げたりしないから、結界を解いてくれ。」


2022/04/14

第6部  赤い川     16

  オルガ・グランデの憲兵隊基地は陸軍基地内にある。グラダ・シティの様な独立した場所を持っていないのは、土地が限られているからだ。市街地は旧市街新市街どちらも家がびっしり建て込んでいるので、丘陵地しか空いていなかった。
 ロホは憲兵隊基地へ行くと、前日ベンハミン・カージョの家で起きた殺人事件の担当者を呼び出した。担当の曹長は、カージョのインチキ占いに腹を立てた客がカージョを襲うつもりで家に押し入り、ルームメイトの男を拷問した挙句死なせてしまったのだろうと言った。テレビで放映されたグラダ・シティの雑誌記者行方不明の事件と、カージョのルームメイト殺害事件を関連づけて考えていなかった。犯人の目撃はなく、怪しい人間や車を見た人もいなかった。いたかも知れないが、事件に関わりたくないので名乗り出ないだけとも考えられた。

「カージョの行方はわからないのですか?」

とテオが訊くと、曹長は肩をすくめた。わからないのだ。オルガ・グランデはグラダ・シティと比べて土地は狭いが、周囲は岩山や砂漠で、しかも街の地下は坑道が縦横無尽に掘られている。隠れ場所に不自由しない。20数年前、ケツァル少佐とカルロ・ステファンの父親シュカワラスキ・マナは2年間たった一人で一族と闘ったが、それは坑道と言う隠れ家があったからだ。
 憲兵隊があまり情報を持っていないとわかり、ロホが陸軍基地に戻りましょうと言った。テオは同意したが、ふともう一つの事件を思い出した。

「昨夜、農村で見つかった死体の身元はわかったんですか?」

 曹長は担当ではないので知らないと答えたが、すぐに大統領警護隊のロホがいることを思い出し、慌てて担当者に連絡を取ってくれた。暫く相手と話をしていたが、電話を終えるとテオに向き直った。

「アメリカ人のマクシミリアム・マンセルと言う人を知っていますか?」
「マクシミリアム・マンセル?」

 テオはどこかで聞いた記憶がある、と考えた。マクシミリアム・・・マックス・マンセル?

「マックス・マンセルか!」

 彼が叫んだので、ロホと曹長が驚いて彼を見た。

「お知り合いですか?」
「まさか!」

 テオは苦笑した。

「俺がまだアメリカ人だった頃に、テレビに出まくっていたインチキ占い師だ。預言者と称していたがね。話術が巧みで、結構騙された人が多かった。そのうちインチキだって訴えられて、行方を眩ませたんだ。俺が初めてセルバに来るより少し前だったから、覚えている。あのマックス・マンセルがどうかした?」
「昨晩の死体がパスポートを所持していました。名義がマクシミリアム・マンセルだったのです。」

 今度はテオが驚いた。詐欺師として悪名を得た男が、セルバ共和国の荒地で死んでいた? せいぜいメキシコ辺りに逃げたとばかり思っていたが。

「死因はわかったのかな?」
「後頭部を拳銃で撃たれていたそうです。後ろ手に縛られていたので、所謂処刑の形で殺されていました。」

 曹長の言葉に、実際に遺体を見たロホが頷いた。
 憲兵隊に礼を言って、テオとロホは陸軍基地に戻った。

「妙なことになってきた。」

とテオはベッドに腰を下ろしてから言った。

「カラコル遺跡の地下に核爆弾が仕組まれていたと、チャールズ・アンダーソンやアイヴァン・ロイドに嘘を吹き込んだのが、マックス・マンセルだったんだ。アンダーソンとロイドは本当の話だと信じ込んでしまい、モンタルボ教授の発掘調査に同行して核爆弾の痕跡を見つけようと考えたんだ。しかし実際は核爆弾なんてなかった。カラコルの街の大元を築いたマスケゴ族の先祖達は、7柱の仕組みで、いざとなった時に街を崩せるように細工したんだ。
 現代のマスケゴ族はその仕組みが”ティエラ”ではなく一族に知られるのを心配している様なんだ。先祖が一族と仲違いした時の用心に造ったものが残っていると後味が悪いのだろう。ところがそれをベンハミン・カージョが気がついて、ネット上でベアトリス・レンドイロに語ってしまった。カージョは中央の長老会や政府に不満を抱いている様子だったから、所謂先祖の秘密の暴露をしてやろうって魂胆だったのだろう。レンドイロ記者は純粋に考古学の謎を解く好奇心だったと思う。だけどネット上で彼等の会話を覗いた誰かが、気に入らないと感じたんだ。レンドイロがアスクラカンで襲われ、それからカージョが狙われた。マックス・マンセルも何らかの理由で存在を知られて殺されたんだと思う。」

 彼は一気に喋って口を閉じた。ロホは向かいのベッドに座って彼を見ていた。テオの話が終わると、彼は少し考え、質問した。

「一連の事件の犯人が同一人物だと仮定して、そいつは”シエロ”ですか、”ティエラ”ですか?」
「それが問題だ。殺害の手口は”ティエラ”としか思えない。だけど、”シエロ”の殺し屋が”ティエラ”の犯行と見せかけていたとしたら?」
「犯人が”シエロ”なら、川を死で汚さないと思いますが・・・」

 ロホは目を閉じてまた考えた。テオはふと思いついて、グラダ・シティのケツァル少佐にメールを打った。

ーーレンドイロの行方の手がかりはあったかい?

 ロホが目を開いた。

「取り敢えず、カージョと記者の遣り取りを覗いていた人々を特定しましょう。犯人はその中にいると思います。」

 テオも同意した。

「ネットの管理者にユーザーの特定をさせることは出来るのかな?」
「貴方はカージョをどうやって見つけたのです?」
「彼の場合はハンドルがわかっていたから、バルデスに頼んで彼の会社で調べてもらった。」
「では、またバルデスに頼みましょう。」

 ロホはオルガ・グランデの裏社会の帝王とも言える鉱山会社の経営者に対して強気だ。バルデスが前の経営者ミカエル・アンゲルスをネズミの神像で呪殺したことを知っているし、その神像の怒りを鎮めて然るべき処置を行ってバルデスと会社を救ってやったのもロホとケツァル少佐だ。
 テオが苦笑すると、携帯にメールが着信した。少佐からだった。

ーーなし。

 簡潔に明解に。


第6部  赤い川     15

 オルガ・グランデ陸軍基地に向かう車中で、ロホが疑問を呈した。

「族長のサラテもガルシアも、川の上流で死んでいた人の身元に関して何も言いませんでした。彼等が川を汚す筈がないので、あの死体をあの場所に放置したのは地元民ではありません。そして死んでいた人は村の住民でもない。では誰が誰を殺したのか? 何故あの場所なのか? 厄介なことです。」
「行き倒れじゃないよな?」
「村へ行くなら兎も角、こんな外れの道へ入る他所者はいないでしょう。」
「だが、死体を捨てるとなると、ガルシアさんの家の前を通る訳だろう? 見られずに通れるだろうか? ガルシアさん達は”ヴェルデ・シエロ”だ。夜中に通ったとしても、車の音が聞こえるだろうし、窓の外も見えるだろう?」
「確かに・・・」

 自分達が追っているベアトリス・レンドイロ記者行方不明事件と関係があるのかないのか、それすら不明だった。
 テオは満腹だったので欠伸が出た。

「君は俺の護衛で来てくれたのに、面倒な仕事を増やしちまってすまない。」
「何を言うやら・・・」

 ロホが苦笑した。

「最近少佐の代理でデスクワークばかりしていたので、羽根を伸ばせると嬉しかったんですよ。」

 自分で動くのが好きな指揮官の副官として働くと、時にオフィスの留守番ばかりになるのだ。ロホだってまだ若いし、外で活動するのが好きな性格だから、毎日書類を読んで署名するだけの仕事は飽きる。テオも大学で講義したり野外に学生を連れて動植物の細胞を採取する方が、職員会議や報告書作成や学生の論文チェックをするより好きだ。
 車がやっと凸凹道から舗装道路に出た。真っ暗で車のヘッドライトしか灯りがないが、ロホは対向車がいないので、スピードを上げて車を走らせた。

「カージョはまた君が呼べば出て来ると思うかい?」
「政府に不満を抱いているそうですから、2度目は無理でしょう。」
「”砂の民”を呼ぶのも無理だろうな?」

 ロホが運転しながら、チラリとテオを見た。

「向こうの名前がわからないと無理です。私はママコナじゃありませんからね。」

 テオは黙り込んだ。
 夜中近くに陸軍基地に戻った。大統領警護隊の控室は空気が冷え切っており、テオは数台置かれているベッドの毛布を集めて、ロホと分け合った。尤もロホは毛布を重ねると重たいと言って、敷布代わりにしてしまった。
 夜間の歩哨の声だけが響く静かな夜が更けていった。
 朝は起床ラッパの音で目が覚めた。ロホが綺麗好きなテオの為に風呂の順番を確保してくれた。2人で一緒に裸になって入浴した。ロホの左肩にうっすらと傷跡が残っていた。反政府ゲリラ、ディエゴ・カンパロに刺された跡だ。普通の人間なら後遺症が残る程の深傷だったが、”ヴェルデ・シエロ”は元通りの腕の機能を取り戻した。今では肌に僅かな白い跡が残っているだけだ。それでもテオはそれを見ると、いつも胸の奥が熱くなる。テオの命を、ロホが命懸けで救ってくれた証だ。ロホはすっかり忘れた様な顔で、汚れた衣類を洗濯に出すべきでしょうか、と惚けた質問をしてきた。テオは笑った。

「俺はエル・ティティでは洗濯屋のバイトもするんだ。朝飯の後でシャツを洗ってやるよ。」

 アパートで一人暮らしをしているロホは、汚れ物が溜まるとコインランドリーに行くのだと言った。基地にもコインランドリーがあったが、常に兵士達が使っていて、空いている時間がなかった。
 大勢の兵士達と一緒に朝食を取り、洗濯をした。空気が乾燥している土地なので、シャツ程度ならすぐに乾く。乾くのを待ちながら、テオとロホはその日の行動を相談した。
 ベンハミン・カージョのルームメイト殺害事件の捜査がどんな進み具合か知りたかったので、憲兵隊基地へ行くことに決めた。

   

2022/04/13

第6部  赤い川     14

  ガルシア家の食事は質素だった。煮豆に蒸した米、挽肉と玉葱をピリ辛のトマトソースで煮込んだものが1枚の皿に盛り付けられて配られた。「こんな物しかなくて申し訳ない」とガルシアの妻は謝ったが、ロホもテオも美味しいと応えた。

「陸軍基地の食事に比べれば、遥かにご馳走だ。」

とロホが言うと、ガルシアの息子が「そうなんですか?」とちょっぴりがっかりした口調で応じた。ひょっとすると入隊を考えていたのかも知れない。
 食事を終える頃になって、外で車のエンジン音が聞こえた。やっと憲兵隊のお出ましだ。テオとロホはガルシア家の人々に食事の礼を言って、席を立った。ガルシアも立ち上がったが、ロホが自分が憲兵隊を案内するから彼は休んで良いと言った。それでガルシアは族長を呼んでおきますと言った。
 夜間に郊外へ呼び出された憲兵隊は機嫌が悪そうだったが、現れたのが大統領警護隊だったので、文句を言わずに川の上流へ向かった。今度はテオも同行した。
 車のライトで光る川の水は細く、川と言うより水の流れとしか呼べない様なものだった。それでも乾燥した土地では貴重な水源なのだろう。余程の旱魃でもない限り、この流れは涸れずに畑を潤しているに違いない。だから、その川が汚されてしまうのは、農民にとって死活問題だった。
 道路状況は上流へ行くに従って酷くなって来た。凸凹道をゆっくり走り、車幅ギリギリの狭路を行くと、やがて広い川原に出た。ロホが車を停めると、憲兵隊の車両、司令車とトラック2台、計3台が横並びに川原に停まった。
 憲兵隊がライトを設置して地面に横たわる遺体を照らすと、各車両はライトを消した。ガルシアの家の庭で嗅いだ不快な臭いが強くなり、テオはハンカチで鼻を押さえた。遺体を見たくなかった。ロホはスカーフで顔を目の下から覆い、同様のスタイルになった憲兵達を遺体まで導いた。遺体の下から流れ出る液体が川へ流れ込んでいた。まるで遺体が川の源流みたいな細い流れだ。1キロ下流で川の水が赤くなって異臭がしたのも無理がない状態だ、とテオは感想を抱いた。憲兵隊の指揮者と少し話をしてから、ロホが車に戻って来た。

「彼等に後を任せました。除霊の必要はないと彼等は考えているので、私は口出ししません。帰りましょう。」

 テオはホッとした。ここで捜査に加われと言われたら、嫌だな、と思っていたからだ。
 車が動き出し、方向転換して来た道を戻り始めると、彼は尋ねた。

「死んでいたのは、男かい?」
「服装や体格から判断するに、男性でしょう。」
「死んでどのくらい時間が経っているんだ?」

 ちょっとベンハミン・カージョが心配になったので、そう尋ねた。ロホがちょっと考えた。

「腐敗の進み具合から考えて1日ですか・・・動物に荒らされた跡が少なかったので、2日は経っていないと思います。」
「村人は川が変化する迄、気がつかなかったのか?」
「死体がある場所は耕作地ではありません。この先の峠を越えたところに、古い鉱山跡があるそうです。今走っている道は旧道です。新しい道がもう少し戻ったところから分岐して、この村の一番民家が集まっている場所を通って隣村へ続いています。」

 ガルシアの家迄戻ると、族長のサラテが来ていた。ロホは車に乗ったまま、サラテと”心話”を交わした。恐らく憲兵隊とのやり取りを伝えたのだろう。サラテが頷いた。

「もし祈祷が必要なら、長老に相談します。」

と彼はロホに言った。別れの挨拶を交わし、テオとロホはオルガ・グランデ陸軍基地へと向かった。


第6部  赤い川     13

 ロホとマリア・ホセ・ガルシアが家の中に入ってきた。ロホがサラテに向かって言った。

「1キロ上流に人の死骸がある。憲兵隊に連絡を取ろうと思ったが、携帯の圏外だった。貴方でもガルシアでも、どちらでも良いから、ここから憲兵隊に通報して欲しい。」

 ロホは自分の電話を使いたくなさそうだ。本来の目的と離れた事件だった場合、それに巻き込まれて仕事を増やすのは御免なのだ。サラテが己の携帯電話を出した。

「貴方のお名前を出して構わないでしょうか?」
「それは構わない。ガルシアと私が死骸を見つけた。家に入る前に私はガルシアのお祓いをした。憲兵隊の捜査が終わる時に私がオルガ・グランデにまだ居れば、川のお祓いをするが、私が其れ迄に去れば、村の長老に頼むと宜しい。」

  ロホが大統領警護隊と言うより、祈祷師の本領を発揮する言葉で話すと、サラテは安心した表情で電話をかけた。
 テオはガルシアが青い顔をして椅子に座り込むのを見た。夜目が利くから、まともに遺体を見てしまったのだろう。テオは無断で良いのかと思いつつも、台所へ水を汲みに入った。そこにガルシアの妻が不安気に座っていた。彼女はテオが入って来ると、彼の顔を見た。居間の会話は聞こえているから、嫌な言葉も聞いてしまったのだろう。だからテオは微笑んで見せた。

「大尉は祈祷師でもあるから、旦那さんのお祓いをしてくれました。この家は安全です。」

 妻が心なし表情を和らげ、頷いた。テオが彼女の夫に水を与えたいと言うと、水道の蛇口からコップに水を汲んでくれた。ここは上水道が通っているのだ、とテオは安心した。少なくとも死体で汚された川の水を使わずに済んでいる。
 テオが水を運んで行くと、サラテは電話を終えていた。ロホがテオに言った。

「憲兵隊は1時間後に到着するでしょう。2時間後かも知れません。ここで待ちますか? それともセニョール・サラテに送らせましょうか? 陸軍基地に貴方が泊まることを連絡しておきますが?」
「俺もここで待つ。」

 テオは事件がどう展開するのか、ただ安全圏に留まって見ているのは嫌だった。ロホは頷き、サラテに帰宅を許し、ガルシアに庭を借りると言った。車の中で憲兵隊を待つつもりだった。しかし、ガルシアが立ち上がり、これから妻に食べ物を用意させるので居間にいてくれと言った。水を飲んで落ち着いた様だ。恐らく大統領警護隊が家の中にいれば悪霊が来ないと思ったのかも知れない。
 サラテは憲兵隊が来たら己もまた来ると言って、帰宅した。聞けば彼の自宅はガルシアの家から歩いて20分かかると言う。その距離を彼は車を使わずに来ていたのだ。
 食事の用意が出来る迄、テオはロホとガルシアと共に居間に座っていた。テオがサラテから聞いた若者の不満分子の話をすると、ガルシアが苦笑した。

「”出来損ない”の連中です。俺も”出来損ない”ですが、まだママコナの声は聞こえる。聞き取れないが、聞こえるレベルです。だが、全く声が届かない連中が、俺達や中央の尊い人々に不満を抱いている。搾取されている訳でもないのに、何が不満なのか、俺には理解出来ません。」
「彼等の生活水準は? 貴方は耕作地をお持ちだと思いますが、彼等は畑を持っていないのでは?」
「連中は畑どころか、仕事もありません。昼間っから酒を飲んだり、ギャンブルにのめり込んだり・・・貧困は自分達のせいなのに、他人のせいにする。」
「オルガ・グランデは仕事がないのでしょうか?」
「鉱山会社へ行けば、いくらでもあります。きつい仕事ですが、今は機械が導入されて昔に比べればかなり楽だし安全になったと聞いています。学校で勉強すれば、オフィスで仕事をもらえる。セルバ共和国は貧富の差が大きいですが、義務教育は無料なので、学校は誰でも行けるんです。奨学金だってもらえる。俺の上の息子も奨学金で大学に行ってます。下の息子は地元で農作物の改良を研究している会社で勉強しながら働いています。真面目に働けば、不満なんてない筈です。」

 ちょっと楽観主義的な発言だったが、ガルシアが若い不満分子を快く思っていないことを、テオとロホは理解した。

「ベンハミン・カージョも不満分子でしょうか?」
「ああ、あのインチキ占い師!」

 ガルシアは唾を吐きたそうな顔をして堪えた。

「神殿を冒涜するような文章をネットに書き込んでいたヤツです。だが本人は何か行動を起こす度胸はない。若い連中に中央の陰謀やら、外国の脅威やら、あることないこと嘘を吹聴して混乱させていました。村の年寄りの中には、闇の仕事をする人にあいつを引き渡そうと言う者もいましたよ。」

 物騒なことをガルシアは平気で言った。テオが白人だと言う認識が足りない。
 そこへ彼の妻が食事の支度が出来たので、台所へ来る様にと男達に告げた。

第6部  赤い川     12

 テオは石造の家にセフェリノ・サラテと共に入った。マリア・ホセ・ガルシアの妻と息子が中にいて、2人をテーブルに案内した。オルガ・グランデは高原の乾燥地帯だから、夜間は気温が低下する。ガルシアの家の中ではストーブが焚かれていたので、テオはちょっと驚いた。セルバ共和国に来てからストーブを見たのは初めてだ。エル・ティティも標高が高い町だが、ティティオワ山の東側なので湿度はオルガ・グランデより高く、気温の変化もそれほど大きくない。涼しくて心地良い土地だ。しかし、オエステ・ブーカ族の村の夜はどちらかと言えば寒い。同じ西部でも海辺のサン・セレスト村が暖かったので、余計にそう感じるのかも知れない。市街地が暖かく感じられたのは、都会の熱のせいだろう。
 ガルシアの妻がコーヒーを出してくれた。そして無言のまま息子と共に隣の部屋に引っ込んでしまった。
 サラテはそれまで黙っていたが、テオと2人きりになると、やっと話しかけてきた。

「貴方はマレンカの若と付き合いは長いのですか?」

 「若」と言う呼び方が、貴人の子息の名を直接呼ぶことを避けた言い方であると、テオは気がついた。ロホは自己紹介の時に己をアルフォンソ・マルティネス大尉だと名乗った。だがオエステ・ブーカ族の人々にとって、彼は都に住まう貴族の若君アラファット・マレンカなのだ。ロホ自身がどんなにその身分を嫌っても、恐らく一族の中で生きる限りは一生その肩書きが着いて回るのだろう。
 テオは敢えてロホの現在の名前を使って呼んだ。

「アルフォンソとは付き合って3年目です。彼と初めて出会ったのは、オルガ・グランデでした。彼は俺の命の恩人で、同様に彼も俺のことを命の恩人だと呼ぶでしょう。つまり、我々は互いに助け合い、信頼し合う仲です。大切な友人です。」

 サラテは暫く彼を眺めていた。礼儀として目を見ることはなかったが、テオの為人を見極めようとしているかの様だった。テオは己がどれだけ大統領警護隊の友人達から信用されているか、証明する為に言った。

「俺は大統領警護隊の友人達のナワルを見たことがあります。アルフォンソは美しい金色のジャガーです。カルロ・ステファンは見事なエル・ジャガー・ネグロです。2人共、俺の命を救う為に変身してくれたのです。変身が命懸けであることを俺は知っています。だから、俺も彼等の役に立ちたい。」

 サラテが硬い表情を崩して、フッと笑みを浮かべた。

「グラダに愛されている白人がいると聞いたことがありますが、貴方のことですね。」
「愛されていると言われると面映いですが、現在長老会が認めている全てのグラダ族の人々と仲良くさせてもらっています。」

 テオは長老会が認めていないグラダも知っているぞ、と内心得意に感じた。
 サラテがドアを見た。

「我がオエステ・ブーカはグラダ・シティの出来事とは縁遠い生活をしています。遠い祖先が政争に敗れてこちらへ移って来たと伝えられていますが、現在の農耕や近くの町での働きで十分生活出来ます。東への野心も恨みも妬みも何もない。その筈でした。しかし、最近はインターネットとやらで、世界中の情報が入って来ます。若い連中の中には、何故自分達が貧しいのかと疑問を抱く者も出て来ました。貧しいと思うのなら、自分で努力して稼げば良い。グラダ・シティやアスクラカンで成功している一族の者は、昔から努力して来たのです。何もしないで今日の繁栄を築いているのではない。しかし、それが分からない愚かな連中は、羨望ばかりを増幅させ、不満を募らせています。世の中は不公平だと勝手に思い込んでいるのです。」
「それは、どこの国でも同じです。」
「ホセ・ガルソンをご存知ですか?」

 いきなり知人の名前が出て、テオは不意打ちを喰らった気分で驚いた。

「スィ、知っています。少し前迄太平洋警備室にいた大統領警護隊の将校ですね。」
「スィ。彼は愚かな過ちを犯し、左遷されました。彼の部下達も同様でした。」
「確かに、上官を守ろうとして本部に嘘をついたことは、重大な過ちでした。彼等は信用を失い、代償を払うハメになりました。しかし、現在彼等は失った信用を取り戻そうと努力しています。決して失望していません。」

 サラテがテオを振り返った。少し驚いていた。

「彼等とも親しいのですか?」
「親しいと言える程ではありませんが、ガルソン中尉とはグラダ・シティでたまに出逢います。彼の家族の話など、勤務に関係ない世間話をする程度ですが。」
「家族の話をするなら、彼は貴方を信頼しているのでしょう。」

 サラテは何気ない風に言った。

「彼は私の甥なのです。大統領警護隊に入隊して、”ティエラ”の女性を妻に迎えてから、あまり我が家と交流しなくなりましたが、村の若者達の尊敬の的でした。それがあの失態です。若者達がどれだけ彼に失望したか、彼は想像すらしていないでしょう。」
「彼等は尊敬する上官を守ろうとした。その上官は任地の村人達や港の労働者達を長く守って来た人でした。本部はそう言った事情を理解してくれたので、彼等は降格と転属で済んだのです。彼等は決して反逆者ではなく、判断をミスしただけです。」

 サラテが溜め息をついた。

「若い連中の中には、ホセ・ガルソンより愚かな者もいます。ホセとルカ・パエスは東の連中に冷遇されたのだと本気で憤りを感じる者がいるのです。」

 テオはふとベンハミン・カージョはこの村の出身ではないのかと思い当たった。だから訊いてみた。

「付かぬことをお聞きしますが、ベンハミン・カージョと言う人をご存知ですか?」

 サラテが複雑な表情で頷いた。

「スィ。ここの出身です。かなり血が薄いが、まだ”シエロ”と呼ばれる力、”心話”や”感応”、夜目を使えます。だが本人は己が”シエロ”なのか”ティエラ”なのか気持ちの置き所が定まらず、常に苛立っていました。テレビを見た私の妻が、あの男が今朝の殺人事件や雑誌記者の行方不明に関わっているらしいと教えてくれましたが、本当でしょうか?」
「まだ彼がどんな事件に巻き込まれているのか、俺達にはわかりません。それを調べに俺達はグラダ・シティから来たのです。数時間前に彼と接触しました。彼は政府の手先が彼の友人を殺したと思い込んでいます。何故そんな考えを抱くのか、理由がわかりません。」

 サラテの顔が硬くなった。

「政府に対して疑いを抱いているのではなく、長老会に・・・」

 彼は話し相手が白人であることを思い出して口を閉じた。だからテオは言った。

「”砂の民”を長老会が動かしたと彼は考えたのでしょうか?」

 サラテがびっくりした表情で彼をまじまじと見た。”砂の民”の存在を知っている白人など過去にいなかったのだろう。テオは話を続けた。

「”砂の民”が人間をあんな風に殺したりする筈がありません。カージョのルームメイトは拷問されて殺害されたのです。それがメディアで報道された。あんな目立つやり方を、”砂の民”はしないし、長老会も望まないでしょう。」
「貴方は、本当に我々一族を知っているのですね。」

 サラテがやっと緊張を解いたように見えた。その時、ドアの外で人が近づく気配がした。彼はそちらへ顔を向け、呟いた。

「マリア・ホセとマレンカの若が戻ったようです。」


2022/04/12

第6部  赤い川     11

  呼び出しの内容はレンドイロ記者の行方不明ともカージョのルームメイト殺害とも関係ない話です、とロホは断った。

「私がオルガ・グランデに来ている情報は、この土地の”ヴェルデ・シエロ”社会に既に拡散されています。大統領警護隊が動くと少なくとも長老級の人々にはグラダ・シティから情報が飛ぶのです。自分達の部族の粗探しをされない為の、自衛手段です。」

 彼は車を市街地から郊外に向かって走らせた。日が落ちかけているので、街がシルエットになり、テオは家々の灯りが庶民の住宅から見えることに気がついた。オフィス街からも繁華街からも遠ざかりつつあった。

「大統領警護隊としての、仕事の依頼かい?」
「スィ、と言うより、私の実家の名前に対する依頼です。」

 テオはロホが宗教的な権威を持つ”ヴェルデ・シエロ”の旧家の出であったことを思い出した。

「祈祷かお祓いの依頼なのか?」
「スィ。電話ではよく事情が掴めませんが・・・貴方が同行することを言っていないので、私が紹介する迄、車の中にいて下さい。依頼者は”シエロ”であることを白人に知られたくないですから。」
「わかった。」

 道路の舗装が途切れ、土の上を走っている感触が伝わって来た。マジに郊外だ。車は緩やかに蛇行する道を走り、テオはヘッドライトの灯りの中に見える岩や、野生動物の光る目を眺めた。やがて平らな場所が見えてきた。

「トウモロコシ畑です。オエステ・ブーカ族の村ですよ。」

とロホが教えてくれた。彼は車を一軒の家の前に停めた。ヘッドライトの灯りの中に見えた家は、石の壁と薄い瓦葺の屋根の、そこそこ立派な家だった。男が2人外に立って、車を出迎えた。ロホがエンジンを止め、車外に出た。男達が彼に挨拶した。ロホが属する主流のブーカ族と、大昔に政争で敗れて西部へ移住したオエステ・ブーカ族はどちらが優位なのか、テオはわからなかった。目の前の光景を見る限りでは、出迎え側がロホを自分達より格上扱いしている風に思えた。ロホが自己紹介をして、また彼等は改まって礼儀作法に則った挨拶を繰り返し、やっとロホが車を振り返って、白人を連れていること、その白人は”ヴェルデ・シエロ”の大事な友人であることを紹介した。彼が手を振ったので、テオは許可が出たと判断して、車外に出て、彼等のそばへ行った。ロホが紹介してくれた。

「グラダ大学のアルスト准教授です。」
「アルストです。宜しく。」

 テオが作法通りに右手を左胸に当てて挨拶すると、向こうも同じ仕草をした。ロホが彼等を紹介した。

「族長のセフェリノ・サラテさんとこの家の主人のマリア・ホセ・ガルシアさんです。」

 サラテは60歳を過ぎていると思われる純血種で、ガルシアは40代半ばのメスティーソだった。メスティーソでも”ヴェルデ・シエロ”なのだ。
 テオは何となく生臭い臭いがすることに気がついた。金気臭い、胸が悪く様な臭いが風に乗って漂って来る。彼が風上に視線を向けると、サラテが尋ねた。

「貴方にも臭いがわかりますか?」
「スィ。」

 テオは頷いた。

「正直に言わせて頂きますが、胸が悪くなるような臭いが風に乗って来ます。」

 サラテとガルシアが頷いた。ロホも肯定した。そして呼ばれた理由を語った。

「この家の裏手に細い川が流れています。その川の水が今日の午後、赤くなり、不快な臭いが漂い始めたそうです。」
「川が赤くなった?」

 テオはギクリとした。この臭いは血の臭いなのか? サラテとガルシアは彼の想像を裏切らなかった。彼等は暗い空間に顔を向けた。

「上流で何かが死んでいます。川が汚されてしまった。」
「グラダ・シティからマレンカ家の御曹司が来られていると聞いて、長老に連絡を取って頂いたのです。」

 先刻の電話は、オエステ・ブーカ族の長老の一人から掛かって来たのか? するとロホがテオに分かりやすく説明した。

「この村の長老は私への連絡方法が分からなかったので、最初に憲兵隊に連絡を入れたのです。先住民の村で問題が発生した場合の担当公的機関は憲兵隊ですから、正しい処置でした。憲兵隊は大統領警護隊に連絡して欲しいと依頼され、陸軍オルガ・グランデ基地に連絡して、私の携帯電話の番号を知る基地司令官秘書が私に電話して来たのです。」

 長い説明だが、分かりやすかった。もしサラテかガルシアに語らせたら、周りくどい説明でややこしくなっただろう。

「ここの人達は、君にお祓いをして欲しいと願っているってことだね?」
「スィ。しかし、原因を突き止めないと、物理的に解決しません。」

 ロホは現実的だ。

「川を見てきます。貴方はここで待っていて下さい。」

 テオはついて行きたかったが、街灯も何もない場所だ。ロホもサラテもガルシアも”ヴェルデ・シエロ”だから、照明なしでも暗がりの中で目が見える。夜の屋外は危険だ。蠍や毒蛇に出くわす確率が高い。テオは素直に車の中で待つと応じた。するとサラテが言った。

「マリア・ホセに川筋を案内させます。私はアルスト准教授とここで待ちます。」

 ガルシアが自宅を指した。

「中でお待ち下さい。家の者に居間で接待させます。」


第6部  赤い川     10

  ベンハミン・カージョは逃げてしまった。彼がベアトリス・レンドイロ記者の行方を知っているとは思えなかったが、彼が何と戦っているのか、まだ掴めないでいた。古代の神殿建築の秘密を暴いたとして、それが現代にも用いられていると言う証明がない。その建築が建物を崩壊させることを前提に造られたと言う証明もない。だから、カージョやレンドイロがどんなに古代の秘密をネット上で騒ぎ立てても、”ヴェルデ・シエロ”には痛くも痒くもない筈だ。
 だが・・・
 テオは帰りの車の中でロホに言った。

「カラコルの海底遺跡で古代の7柱の秘密が暴かれないか、ロカ・エテルナ社は心配していた。いや、会社じゃないな、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョが心配していたんだ。」
「アブラーンが心配したのは、その工法が現代人に知られることではないと思います。」

とロホは人混みの中を慎重に運転しながら言った。

「彼の先祖がその工法を使ったことを、一族の他の部族に知られたくなかったのでしょう。」
「どう言うことだ?」
「つまり、現代もその工法で建てられている施設が、”ヴェルデ・シエロ”社会にあると言うことです。」

 テオは考えた。

「つまり、”ヴェルデ・シエロ”の中で、部族間抗争が起きた場合に、マスケゴ族が相手を簡単に殺せる場所があるってことか?」
「スィ。私は見当がつきますが、言わないでおきます。貴方が知って得をすることではありません。」

 思わせぶりな言い方だが、テオはロホがどの場所のことを言っているのか、想像出来た。確かに、その場所が崩壊したら、恐ろしいことになるだろう。国中の”ヴェルデ・シエロ”は大混乱に陥るし、セルバ共和国も大きな衝撃を受ける。政治的ダメージを受ける人間も少なくない筈だ。

「アブラーンはその秘密を一子相伝の範囲に止め、未来永劫使用されないことを願っている筈です。だから、古代の建築法の秘密を暴いたと騒ぎ立てる”ティエラ”を殺して騒ぎを拡大させるとは思えません。カージョとレンドイロがS N S上で交わした会話は公開されているもので、誰でも見られますが、閲覧者が増えたのはレンドイロの行方不明がテレビで報じられてからです。それ迄は双方の友人や客が見ていただけで、4、5人程度でした。占い師と記者に興味はあっても、彼等2人の会話には興味を持たれなかったのです。閲覧が増えたのは、レンドイロの行方不明にカージョが関わっているのではないか、と憲兵隊が考えたからですね。」
「それじゃ、最初から彼等の会話を見ていた人物を特定出来れば良いんだな・・・。憲兵隊はサイバー分析の専門家を雇っているんだろうか?」
「どうでしょう・・・」

 ロホが苦笑した。

「そもそも、貴方は、何処からカージョの住所を突き止めたんです? 憲兵隊は公開していなかったと思いますが?」

 それでテオはアントニオ・バルデスにレンドイロのS N S上の会話相手を探してもらったと言った。ロホは溜め息をついた。

「バルデス社長はそう言うシステムや専門家を持っているんですね。」
「レンドイロの会話相手がカージョだと指摘したのは、ゴシップ誌”ティティオワの風”だった。あの雑誌は何処の町や村でも手に入るから、全国にカージョの名前は知れ渡っているだろう。」
「カージョのルームメイトを拷問して彼の居所を吐かせようとした人物は何者だと思います?」

 難しい質問だ。”砂の民”と言いたいが、”砂の民”は自分達の仕事を仕事だと知られないように標的を殺害する。それに彼等は”ティエラ”を拷問しない。目を見て”操心”で自白させる。
 夕暮れ時の街中を走っていると、ロホの携帯に電話が掛かってきた。ロホは堂々と道路のど真ん中で停車した。狭い道路だったから、路肩や駐車スペースなどない。道端に寄せても、車同士すれ違える幅がないので、ロホはそんな手間をかけなかった。
 彼が電話に「オーラ」と応えると、男の声で何か早口で喋るのがテオに聞こえた。ロホは表情を変えずに聞いていたが、やがて、返答した。

「了解。すぐにそちらへ向かう。」

 彼は電話を切ってポケットに仕舞うと、車を発車させた。軍用車両の後ろで辛抱強く待っていたドライバー達がホッとするのを、テオは背中で感じた。

「何か厄介事か?」
「スィ。」

 ロホが前方を見ながら囁いた。

「晩飯が遅くなるかも知れません。」



2022/04/11

第6部  赤い川     9

  ロホが近づいて来る男性の気配に気がついた。目で合図されて、テオも通路を振り返った。無精髭を生やした50代半と思われるメスティーソの男がゆっくりと歩いて来るところだった。服装は草臥れたチェックの襟付き綿シャツとデニムボトム、履き古したスニーカーだ。肩から斜めがけに大きめのショルダーバッグを提げていた。
 男はロホの大統領警護隊の制服を見て足を止めた。少し躊躇ってから声をかけて来た。

「呼びましたか?」
「スィ。」

 ロホは男の背後を見た。尾行されている様子は見られなかった。彼は男にそばに座れと手で合図した。男はまた躊躇したが、意を結した表情で長椅子のテオの隣に座った。
 テオが挨拶した。

「グラダ大学生物学部のテオドール・アルスト・ゴンザレス准教授です。」

 男が怪訝な顔をした。大学の先生が何の用事だ? しかも大統領警護隊を連れて?
 テオは彼を揶揄うつもりはなかったが、相手が名乗らないので、少し意地悪く言った。

「こちらの要件を貴方の占いで当てられませんか?」

 男が表情を硬らせた。彼はテオとロホを交互に見た。どちらを相手にすべきかと量っている。テオは腹の探り合いが得意でなかった。だから尋ねた。

「貴方のルームメイトが殺害されたことはご存じですね?」
「・・・スィ・・・」

 男はベンハミン・カージョであることを暗に認めた。

「犯人をご存知ですか?」

 カージョはロホを見た。彼はロホに尋ねた。

「殺人犯を捜査しているんですか? それとも私を捕まえに来たんですか?」
「捕まるようなことをしたのか?」

 ロホが高い階級の軍人の口調で訊き返した。カージョが首を振った。

「私は法律に触れることをしていない。私はただ我々の先祖が神話の中の存在ではなく、現実にいたのだと言うことを、ネット上で語っただけです。」
「シエンシア・ディアリア社のベアトリス・レンドイロ記者と語り合っていた、そうですね?」
「スィ。遺跡の形状の特徴を指摘して、ある時代からそれが造られなくなったことを考えると、それが”ヴェルデ・シエロ”の遺跡である可能性があると言う話を論じ合ったのです。」
「それが、何故『いる』と言う考えに繋がるのです? 『いた』のではないのですか?」

 カージョはまたロホをチラリと見た。大統領警護隊が伝説の神と話をすると言う迷信を信じているのか? しかし彼はロホの”感応”に応えたのだ。この男も”シエロ”だろう。或いはその子孫だ。彼は小さく息を吐いて、答えた。

「現在も同じ建築方法が使われていることに気がついたんです。」

 テオとロホが黙っているので、彼は説明を付け加えた。

「ある特定の建設会社が建てた公共施設がどれも同じ構造を取り入れてることに気がつきました。素人目には分かりません。プロの建築家でもわからないでしょう。でも、柱の配置が同じなんです、遺跡の崩壊した神殿跡の柱の痕跡と全く同じ配置なんです。」

 彼は全身を小さく震わせた。

「建物を支える主要な柱が必ず7箇所なのです。そしてそれらが折れると自然に建物全体が崩壊するようになっている。同一建設会社の建造物で、公共施設です。そこが重要なのです。個人の依頼による建物ではない、公共施設です。大勢が利用する建物です。」

 テオはそれに似たような話を聞いたような気がしたが、何処で聞いたのか、誰から聞いたのか、思い出せなかった。恐らく、軽く聞き流してしまったのだ。
 カージョが声を小さくした。元より小さい声だったので、聞き辛くなった。テオは彼に顔を近づけた。

「・・・逆らうと、罰として建物を崩壊させ、我々に見せしめる為のものではないかと思うのです。」

 とカージョが言った。ロホには最初から聞こえていたようだ。

「考え過ぎだ。」

と彼はカージョを遮った。

「政府が国民をそんな方法で罰する筈がない。古代の建築方法で建てたからと言って、その建設会社が古代の民族の流れを受け継いでいると言う考えも無理だ。そもそもセルバ人はその古代の民族の子孫ではないか。神殿の建築を真似てもおかしくない。」
「だが、現にホアンは殺された!」

 カージョが立ち上がった。

「ここに来たのが間違いだった。大統領警護隊は政府の機関だ。ホアンは政府の手先に殺されたんだ。建築方法の秘密を守るために・・・。」

 彼はクルリと向きを変え、聖堂の中を走り出した。テオは思わず立ち上がったが、追いかけなかった。聖堂内にはまだ数人見物人がいて、走って出ていくカージョを眺めていた。
 テオは座り直した。ロホを見ると、ロホがカージョの言葉を教えてくれた。

「彼は、セルバ政府が古代建築を真似て建てた公共施設を使って、政府の政策に反対する人々を罰しようとしている、と考えているのです。」
「はぁ?」
「例えば、シティ・ホールの様な大きな場所に反対派を入れ、柱を破壊して建物を崩壊させる、そして反対派を抹殺する・・・」
「馬鹿馬鹿しい!」

 テオは呆れた。

「政府の指導者達は富裕層が占めていることは知っている。だけど、彼等は選挙で与党が入れ替わる度に閣僚も変わっているじゃないか。そんな連中が、施設の崩壊で反対派を殺すなんて無理だろう。」

 しかしロホが意味深な微笑を浮かべたので、彼は口を閉じた。政府の構成員が入れ替わっても、本質の支配者は、地下に潜っている”ヴェルデ・シエロ”だ。もし”シエロ”に不都合なことが起きれば、反対派、この場合は”シエロ”に敵対する人間、を公共施設に集めて抹殺することは可能かも知れない。

「ロホ・・・」

 ロホが優しい笑みを彼に向けた。

「我々は守護者です。」

と彼は言った。

「政権の反対派など、問題ではありません。」


第6部  赤い川     8

  ベンハミン・カージョは「神託」によって占いをしていると客に語っていたそうだ。それは珍しいことではない。辺境の村で医者の代わりに仕事をしている祈祷師や占い師は、神霊の力によって病気の治療を施したり、未来の運命を告げたりするのだ。憲兵隊の捜査は、恐らくカージョのそんな商売が原因で客とトラブルになり、逃げたカージョの代わりにルームメイトが拷問され殺害されたのだろう、と言うことになった。そう言う状況も珍しいことではない。多くの祈祷師は住民から尊敬されているが、中にはその仕事ぶりに不満を抱く客もいるのだ。
 テオはオルガ・グランデ陸軍基地の大統領警護隊控え室で昼寝をしながら、携帯でネットニュースを眺めていた。ベアトリス・レンドイロの行方を知っているかも知れない男は、ロホの呼びかけに応えないかも知れない。占いで日銭を稼ぐなんて、”ヴェルデ・シエロ”のやることじゃない。”ティエラ”の占い師なのだろう、と彼は思った。
 シエスタが終わり、基地内が再び活気を取り戻したようになった。交代で勤務しているからシエスタの時間帯でも誰かが働いているのだが、やはり全員で活動している方が活気がある。
 テオとロホはオルガ・グランデ聖教会へ出かけた。まだ日は高いが、夕方の礼拝が始まる頃だ。陸軍から車を借りたが、運転手は付けなかった。オルガ・グランデ最大のキリスト教会は時間に関係なく誰かが出入りしている観光スポットでもあった。尤も、グラダ・シティから西部までやって来る外国人観光客は少ない。北側の隣国から西の太平洋岸へ来るのは鉱石を買うバイヤーばかりで、観光目的で来る人はいない。つまり、オルガ・グランデは”ティエラ”の町だが、セルバ人色が濃い場所でもあった。目に付くヨーロッパ系の人間は鉱山関係者ばかりだ。
 ロホは車を教会前の広場の隅に駐車した。そこは特に駐車場の表示がなかったが、多くの車が駐められていた。ロホは「大統領警護隊使用車」と書かれたプレートをフロントガラスの内側に置いた。車上狙い防止の処置だ。
 聖堂の中に入ると、陽光が遮られ、ステンドグラスを通った色が着いた光が差し込んで床に綺麗な模様が浮かんでいた。それを撮影しているアマチュアカメラマンを避けて歩き、祭壇の前まで行った。ヒヤリとした空気が気持ち良かった。ベンハミン・カージョは来るだろうか。テオとロホは長椅子に座った。何時間待てば良いのかわからない。
 暫く2人は黙って座り、それからどちらからともなく世間話を始めた。テオはロホとグラシエラ・ステファンの恋愛の進み具合が知りたかった。順調に愛を育んでいるのか、結婚する予定はあるのか、ロホの実家は彼女のことをどう考えているのか、等々。余計なお世話なのだろうが、セルバ人は案外この手の話をずけずけと他人に質問する。だからテオもセルバ流にやってみた。ロホは照れながらも、彼女と週末の軍事訓練の翌日にデートしていること、結婚は彼女が教師の資格を取得して何処かの学校に配属される迄考えられない(考えるのが難しい)こと、彼の実家は現在のところ彼が半グラダの女性と交際している事実に何も意見を言わないこと、などを語った。
 テオは周囲で耳を澄ませている人がいないか確認してから、尋ねた。

「君の両親は、純血種の家系に白人の血が入ることを反対しないのか?」
「私の両親は時代の変化と言うものを承知しています。純血にこだわれば近親婚が多くなってしまうことも理解しています。実際、一族と見做されている人々の4分の1は既に異種族の血が入っています。グラシエラを拒めば、それらの人々の存在さえ拒むことになるでしょう? 私の家系の偉い人々は、それをわかっています。現在のところ、彼女と私の交際を禁止する言葉は誰からも出ていません。」
「良かった。」

 テオは微笑んだ。グラシエラも兄のカルロもロホの実家マレンカ家に拒否されていないのだ、今のところは。
 質問される側にいるのが飽きたのか、ロホからも難問の質問が出された。

「貴方は、少佐とどこまで進んでいるんですか、テオ?」
「え?」

 テオは顔が熱くなった。薄暗いので赤面したのを気づかれずに済んだだろうか?

「どこまで、と訊かれてもなぁ。泊まりがけで出かけても、宿は別々の部屋だし、一つの部屋しかない場合も、何もない・・・」
「まさか・・・」

とロホが本気で驚いた。何を期待されているんだ? テオは躊躇してから言った。

「軽く挨拶程度のキスならしたことがある。彼女は・・・君も知っていると思うが、男性の部下の前で肌を露わにしても平気な女性だ。」
「まぁ・・・確かに・・・」

 ロホも上官の特異な性格を渋々認めた。

「だから、俺はどの段階で彼女が俺に誘いをかけているのか、判断出来ないんだ。判断を誤ってうっかり手を出したら張り倒されそうな気がする。」

 テオの告白を受けて、ロホは笑い声を忍ばせるのに必死だった。テオは彼が全身の震えを止める迄待った。やがてロホが目の涙を拭って顔を上げた。

「失礼しました。しかし、テオ、遠慮は無用だと思いますよ。少なくとも、彼女は嫌いな相手と同じ部屋で休まないだろうし、何処かへ出かける時は貴方を同行者に指名するし、本来なら部外者を参加させない会合や行事に貴方が加わることを許可しています。一度エル・ティティへ帰省する時に彼女を誘ってみては如何です?」

 和やかに恋愛談義をしていると、一人の男性が彼等に近づいて来た。


2022/04/08

第6部  赤い川     7

 オルガ・グランデ陸軍基地には基地を利用して活動する大統領警護隊の為の休憩室が設けられている。決して豪華でもなく、快適でもない、普通の兵士の大部屋と変わらない質素なベッドと机があるだけの殺風景な部屋だが、寝るだけに使うので、大統領警護隊から文句が出たことは一度もない。オルガ・グランデは砂漠に近い気候で、昼間は乾燥した空気が暑く熱中症の恐れがあるし、夜間は冷え切って下手をすると凍死することもある。 そんな厄介な土地だから、野宿より、質素でも無料で屋根のある場所で眠れる方が遥かにマシなのだ。
 テオがその部屋に入るのは3度目で、今回は宿泊するか否か予定も定まらなかった。ロホは慣れているから、基地司令に挨拶して部屋に戻ってくると、厨房でもらって来たチョコレートをテオにくれた。

「ベンハミン・カージョが何者か、知りたいですね。」

 ロホはベッドの上にあぐらをかいて座った。

「ちょっと呼びかけてみます。もし彼が”シエロ”なら、感応して動くでしょう。どこに呼び出しましょうか?」

 テオはちょっと考えて、オルガ・グランデ聖教会の名を言った。他に知っている場所はなかった。ロホは目を閉じた。テオは黙って彼を見ていた。ロホが何かをした気配も様子もなかったが、2分程経って、彼は目を開いた。

「呼びかけてみました。この力の欠点は、先方がこちらのメッセージを受け取ったか否か、こちらではわからないってことです。」
「何だい、それ?」

 テオは思わず呆れた。そんな一方通行のテレパシーって・・・あるか、あるだろうな。彼が育った国立遺伝病理学研究所でも、捕まって実験に協力させられていた人に、そう言う能力者がいた。他人の脳に話しかけられるが、相手の思考を読み取れない人や、相手の考えは読めるが自分の意思を伝えられない人がいたのだ。
 ”ヴェルデ・シエロ”は思考ではなく、ただ「呼ぶ」のだ。呼ばれた者は応答できない。呼ぶ側が受信出来ないからだ。だから呼ばれた者は呼んだ者を探しに来る。本来は親が子を呼び集める能力なのだとテオはケツァル少佐かデネロス少尉から聞いたことがあった。

「今夜、彼が教会に現れなければ、彼は”ティエラ”か、来る意志がないと判断しましょう。」

 ロホはゴロリとベッドに横になった。夜に活動するので今のうちに寝ておこうと言う、セルバ流の考えだ。余計な仕事はしない。
 テオは時計を見た。まだシエスタの時間迄1時間以上あった。彼はロホに声をかけた。

「車両部で知り合いのリコって奴に会って来る。」

 するとロホが体を起こした。

「私も行きます。」
「君は休んでいて良いさ。」
「そうは行きません。ここは陸軍基地です。貴方は民間人で、ビジターパスもない。荒くれ兵士に絡まれたら、外へ叩き出されます。」

 そう言われると仕方がない。それにシエスタの時間に寝れば良いのだ。テオはロホに連れられて車両部へ行った。
 リコはかつてアントニオ・バルデスの下で使いっ走りや用心棒みたいな仕事をしていた男だ。偶然テオと知り合って、ついでに大統領警護隊をアンゲルス前社長の家に引き入れる羽目になってしまい、彼はバルデスから制裁を受けるのではないかと恐怖した。実際のところバルデスはリコみたいなチンピラを歯牙にもかけておらず、すっかり忘れ去っているのだが、リコは身を守るためにケツァル少佐が世話してくれた陸軍基地での仕事に真面目に励んでいるのだった。そして彼はテオと大統領警護隊文化保護担当部を命の恩人と信じて止まなかった。
 大統領警護隊にも車両部はあるが、そこに属する隊員は車の点検、配備、運転を担当するだけで、実際にエンジンや部品を触って整備することはない。専属の業者に委託する。陸軍では、軍属の整備士達が車の部品を取り替えたり、修理している。リコは整備士の資格を取って、一人前に働いていた。たまには個人的用件で軍用車両を使うこともあるようだ。規則違反なのだが、車両部の指揮を取っている士官は目を瞑っている。セルバ共和国では、下の者が倫理違反や法律違反をしなければ、上の者は多少の規則違反を見逃してやるのだ。
 テオとロホが車両部の建物へ行くと、整備士達が固まってタバコを吸いながら休憩していた。そこへ大統領警護隊の制服を着た軍人と白人が現れたので、彼等は慌てて散開して仕事の続きを始めた。テオは周囲を見回し、リコがトラックの下に潜り込もうとしている現場を見つけた。名を呼ぶと、リコは叱られるものと覚悟して顔を出し、やっとテオを認めた。

「アルストの旦那!」

 己よりずっと年下のテオに、彼は腰を低くして応対した。テオだけの時はもう少しリラックスしているので、ロホに対して緊張を覚えているのだ、とテオは感じた。
 テオは「元気かい?」と声をかけ、近況を尋ねた。驚いたことに、リコは結婚していた。整備士仲間の妹を妻にしたのだと言う。テオが祝福すると、彼は照れた。

「ところで、今日も遺跡絡みのお仕事ですか?」

とリコがロホをチラリと見て尋ねた。彼が知っている大統領警護隊は文化保護担当部だけだ。他の隊員は陸軍基地を利用することはあっても、車両部まで来たりしない。軍属の労働者達にとって、大統領警護隊は雲の上の人々だった。

「遺跡絡みと言えばそうなるかなぁ・・・」

 テオは曖昧に答えた。

「最近テレビで捜索願いを出されていた行方不明の女性がいただろ?」
「ああ、新聞記者か何かでしたっけね。」
「雑誌記者だ。仕事で出会ったことがあった。知り合いと言える程会っていないがね。」
「そう言えば、オルガ・グランデに来る予定だったって言ってましたね。」
「ベンハミン・カージョって男と会う約束だったらしいんだ。」

 すると、思いがけず、リコの後ろにいた男が振り返った。

「ベンハミン・カージョ? ありゃ、インチキ占い師だ。」
「占い師?」

 テオが聞き返すと、ロホも耳をすませた。リコの同僚は頷いた。

「失せ物探しや、行方知れずの人を占いで探し当てるって評判だった。だけど、嘘っぱちさ。当たる時は当たるけど、当たらない時は全然当たらねぇ。当たる時は、誰も部屋に入れないんだそうだ。だから、誰かから情報を貰ってるんだよ。」


2022/04/07

第6部  赤い川     6

  車内で待つ間、テオはチコにラス・ラグナスに一緒に行ったもう一人の運転手パブロの近況を尋ねたい衝動に駆られた。しかし、チコと初対面と言う状況を保たなければならない。テオがパブロを知っていることは、チコにとってもパブロにとっても奇妙に思えるだろう。それで間を保つために、テオは行方不明の記者の話を知っているか、と運転手に尋ねた。チコは知っていた。ベアトリス・レンドイロの失踪は今やセルバ共和国中の話題になっていたのだ。オルガ・グランデ陸軍基地の中では、彼女は強盗に遭って何処かで殺害されたのだろうと言う考え方が一般的だとわかった。ゲリラに誘拐されたなら、とっくに身代金の要求が来ているだろうと言うのだ。テオも身代金目当ての反政府ゲリラに誘拐された経験があるので、その考えは理解出来た。ゲリラは人質を連れてジャングルの中を移動するが、身代金要求を必ずする。町に連絡用の窓口を持っているのだ。

「犯罪に巻き込まれたのでなければ、誰かと駆け落ちでもしたんでしょう。」

とチコは他人事なので暢気なことを言った。
 ロホが足速に戻って来た。

「なんだか拙いことになっています。」

 彼は車内に戻るなり、不吉な知らせを伝えた。

「ベンハミン・カージョのルームメイトが殺害され、カージョが行方不明です。」

 テオは暫く何も言えなかった。ショックだったが、カージョと言う人物と会ったことがなかったし、顔も知らない。SNS上でも話したことがなかった。

「カージョがルームメイトを殺したのか?」
「私が見たところ、殺害された男性は拷問された様に見えました。憲兵隊も同じ見解です。」
「つまり・・・」

 テオが考えを言いかけると、思いがけずチコが先に言った。

「殺害犯は、そのカージョと言う男の居場所を聞き出そうとしたんですかね?」

 ロホが眉を上げた。彼は大統領警護隊の大尉だ。陸軍兵から見れば大佐クラスの身分だから、二等兵が会話に割り込んだので驚いたのだ。彼はまだ23歳だが、今迄何度も陸軍の護衛部隊を率いて遺跡発掘隊の警護を指揮してきた。大統領警護隊文化保護担当部の部下以外に、会話に割り込まれた経験がなかった。チコの方も、相手が何者か思い出した。思わず、「申し訳ありませんでした!」と敬礼した。テオは2つの軍人のグループの間で、どう言うべきか躊躇した。しかし心配は無用だった。ロホは大人だ。彼は穏やかに言った。

「きっとそう言うことだろう、二等兵。」

 チコはもう一度敬礼した。テオはルームミラーに映った彼の額にうっすらと汗が浮かんでいるのを見た。大統領警護隊を怒らせたかと肝を冷やしたに違いない。
 テオは急いで話題を現状に向けた。

「カージョは逃げたのだろうか? それとも犯人に捕まったか?」
「逃げたと思いたいですね。もしかすると彼はレンドイロがどうなったのか知っているのかも知れません。」

 ロホはチコにオルガ・グランデ陸軍基地へ戻れと命令した。

「基地で少し考えましょう。」

 チコはエル・パハロ・ヴェルデの気が変わらぬうちにと思ったのか、複雑なオルガ・グランデの道路をすっ飛ばし、市街地を横切って、北部の丘陵地帯に広大な敷地を占領している陸軍基地へ向かった。
 走行中にテオの携帯に電話がかかってきた。画面を見ると、アントニオ・バルデスからだった。大企業の経営者は、テオが電話に出るなり、画面いっぱいに顔を寄せて囁くように質問した。

ーードクトル、ベンハミン・カージョの家で殺人事件があったと聞いたが、あんたが関係しているんじゃないでしょうな?

 テオはムッとした。

「失礼だな、俺はさっきやっとカージョの家のそばへたどり着いたばかりだ。既に警察と憲兵隊が来ていた。誰が死んでいたのか、俺は名前さえ知らないんだ。」

 バルデスが電話から顔を遠ざけてくれた。

ーーあんたもエル・パハロ・ヴェルデも関係ないのであれば、私にも関係ありませんな?
「そう願っている。」

 テオはちょっと意地悪く言ってみた。

「俺とエル・パハロ・ヴェルデがカージョを訪ねる予定だと知っていたのは、貴方だけだから。」

 フン、とバルデスが鼻を鳴らした。

ーーただの強盗の仕業であれば良いですがね。カージョも、雑誌記者も、誰かの機嫌を損ねたみたいだから。

 そして彼は「ご機嫌よう」と言って電話の画面から消えた。テオはロホを振り返って言った。

「犯人はバルデスの旦那でもなさそうだな。」
「あの男は生粋のセルバ人です。何を恐れているのか、実に分かりやすい人だ。」

とロホが苦笑した。


第6部  赤い川     5

  翌朝、テオがセラードホテルのフロントロビーまで降りると、そこにロホがいた。テオは苦笑するしかなかった。ケツァル少佐が送り込んで来たのだ。

「ブエノス・ディアス! 俺の護衛かい?」
「ブエノス・ディアス! 当然でしょう。」

 ロホは大統領警護隊の制服を着ていた。私用ではなく、正規の任務としてテオの護衛を命じられたのだ。テオは確認した。

「バスで来たんじゃないよな?」
「勿論です。航空機でもありません。」

 ブーカ族らしく、空間通路を使ってやって来た。テオがバスの中から送ったメールを見て、ケツァル少佐はロホに出張を命じたのだ。ロホはオフィス仕事の時の私服を脱いで、制服に着替え、何処かでオルガ・グランデに通じる”入り口”を探し出し、やって来た。セラードホテルは彼が最初にテオと出会った場所だ。だから彼は真っ直ぐここへ来た。テオを探す手がかりの第一の場所として。そして、ビンゴ! 彼は労を要せずにテオを見つけたのだ。

「朝飯に行く。君もまだだろ?」
「スィ。」
「昨夜は寝たかい?」
「寝ました。貴方の隣の部屋で。」

 2人は笑い、ホテルを出た。カフェまでの道はバルデスが付けた護衛がついて来ていたが、ロホがカフェの前で立ち止まって振り返ると、さっさと立ち去った。恐らく、バルデスに「エル・パハロ・ヴェルデが来ている」と報告して、撤退命令を受けたのだろう。

「貴方が記者の失踪に責任を感じる必要はありません。」

とロホが朝食を食べながら言った。テオは首を振った。

「わかっている。でも、やっぱり放っておけないんだ。彼女の家族がテレビに出て、情報提供を訴えていただろう。俺がバス事故に遭った時、誰もあんなことをしてくれなかった。同じバスに乗り合わせた人間として、彼女の家族に少しでも何かしてあげたいと思ってしまったんだ。」

ロホが優しい微笑みを浮かべた。

「貴方って人は・・・本当に優しいんですね。」
「昔は冷酷だったそうだよ。」

 テオは苦笑した。バス事故で人が変わってしまったのだ。もし元の性格に戻ったら、と不安もあったが、グラダ大学の精神科医は、それは滅多にないことだと言ってくれた。記憶が戻ったのに優しい人格のままなのだから、性格が戻ってしまうことはないだろう、と。

「きっと根は良い人だったんですよ。教育方法が間違っていたんだ。」

 ロホは食べながらも周囲を警戒していた。緊張していないし、キョロキョロもしていないが、テオはそれぐらいのことはわかった。地元でないから、警戒して当然だ。それに軍人が一人で出歩くと、大統領警護隊でなくても敵対心を抱く輩がいるものだ。オルガ・グランデは”シエロ”より”ティエラ”の勢力が強い町だ。金を求めて外国から集まった労働者が多い。古代の神様を怖がらない人間もいる。
 バルデスに呪詛で排除されたアンゲルス鉱石の創業者ミカエル・アンゲルスもそんな人間だった。そして腹心と信じていたバルデスに、神を恐れない不遜な人物と見做され、排除されたのだ。アンゲルスは地下に埋没していた遺跡や古い墓所を平気で破壊したと噂されていた。バルデスはそんな経営者の下で働く多くの労働者の安全を心配した。だから、呪いの神像を手に入れて社長を抹殺したのだった。
 朝食が終わると、ロホは事前に呼んでおいた陸軍の車にテオを案内した。運転手はリコではなく、兵士だった。小柄なアフリカ系のムラートと”ティエラ”のハーフで、テオは彼を知っていた。チコと名を呼ぶと、相手は不思議そうな顔をした。それでテオは失敗したと感じた。チコは以前、ある事件でテオが北部のラス・ラグナス遺跡へ行った時に運転手を務めてくれた。しかし、普通の人間には言えない事故が起こり、マハルダ・デネロス少尉がチコともう一人の兵士からテオ達の記憶を抜いたのだ。だから、チコにとってテオは、この日初めて会う人物だった。テオは言い訳した。

「知っている人とよく似ていたものだから・・・」

 チコが以前と同様に朗らかに笑った。

「スィ、私はチコって呼ばれてます。それで結構です、セニョール。」

 チコが運転する軍用オフロード車に乗った。2年も前のことをテオはぼんやり思い出していた。チコは歌が上手だった。それに砂漠地帯を上手に運転する技術も持っていた。だけど、今の君は俺のことを何も覚えていないんだな。
 クーリア地区のベンハミン・カージョの住まいに近づくと、警察車両や憲兵隊の車が集まっているのが見えた。チコが速度を落とした。事故でしょうか、と彼が後部席のテオとロホに尋ねた。ロホが首を伸ばして前方を見た。

「事故には見えない。事件か?」

と彼は独り言を呟き、チコに停車を命じた。
 車が停まると、ロホが外に出た。

「様子を見てきます。ここで待っていて下さい。」


第6部  赤い川     4

  オルガ・グランデへ出かけて来ると言ったら、ゴンザレス署長は遺伝子の研究の為だろうと思った。テオは本当のことを言うと止められると予想したので、ちょっと嘘をついたことを後ろめたく感じた。ケツァル少佐には、オルガ・グランデへ向かうバスの中からメールした。

ーーレンドイロとS N Sでやり取りをしていたベンハミン・カージョに会いに行く。

 少佐から返事はなかった。ないと言うことは、怒ったな、と彼女の性格を理解しつつあったテオは予想した。彼女は彼が一人で危険な場所へ行くことを好まない。グラダ・シティでも夜間の一人歩きを許してくれないのだ。しかしテオも男性としてプライドがある。何時までも子供扱いして欲しくない。”ティエラ”だってセルバ人だ。一人で行動出来る。
 バスがオルガ・グランデに到着したのは夕方だった。取り敢えず、今日は宿を見つけて休もう、と彼はバスから降りて歩き出した。歩き出してすぐに尾行に気がついた。バス停で数人の男達が固まって話をしていたのがチラリと見えたのだが、その中の一人が仲間から離れてついて来るのだ。テオはバックパッカーではないし、ビジネスマンの様な格好もしていない。荷物は小さなリュックサック一つ切りで、次の日にはエル・ティティに帰るつもりだから、荷物らしい物は持っていなかった。男は一定の距離を空けてついて来る。あまり気持ちの良いものではない。
 リオ・ブランカ通りのセラードホテルに行った。記憶を失って、初めてオルガ・グランデに来た時に泊まったホテルだ。ケツァル少佐が指定した宿だった。彼がホテルの入り口に立つと、尾行者が立ち止まった。テオは彼を見ないように心掛けながら、中に入った。
 フロント係は以前とは別の人間だった。幸い部屋が空いていて、テオはシングルを取ることが出来た。着替えしか入っていないリュックサックをベッドの下に置いて、彼は食事に出掛けた。尾行者はホテルの外で待っていた。テオが歩くと再び尾行を始めたので、盗賊ではなさそうだな、とテオは思った。
 手頃なバルを見つけ、そこで食事をした。ベンハミン・カージョが住んでいると思われる住所を訊くと、市内を走る路線バスで15分程の場所だと教えてもらえた。
 店を出ると、まだ尾行者はいた。テオはなんとなく相手の正体と言うか、役目に見当がついたので、そいつのそばへ歩いて行った。尾行者がびっくりして、狼狽するのがわかった。

「アンゲルス鉱石の人ですか?」

 テオが尋ねると、男は渋々頷いた。バルデスが妙に気を回して護衛をつけてくれていたのだ。だからテオは言った。

「今夜はホテルから出ません。だから、もう帰ってもらって良いです。明日はクーリア地区へ行きます。多分、バルデス社長は承知されているでしょう。余計なことはしません。お気遣い感謝しています、と社長に伝えてください。」

 そしてくるりと向きを変え、ホテルに向かって歩き出した。歩きながら、軍属のリコを呼んでも良かったな、と思った。

第6部  赤い川     3

  テレビの画面にレンドイロ家の人々が映っていた。母親が娘ベアトリスの顔写真を貼ったボードを掲げ、父親が涙ながらに娘の行方を知っている人がいたら連絡して欲しいと訴えた。ベアトリスの弟妹は無言で固い表情をカメラに向けていた。家族と共に出演したシエンシア・ディアリア社の社長もベアトリスがいかに優秀な記者で素晴らしい記事を書いてきたかを語り、彼女の無事を祈っていると言った。最後にテレビ局のスタッフが登場し、連絡先としてシエンシア・ディアリア社の電話番号とメールアドレスを告げた。
 テオは溜め息をついた。ベアトリスと最後に言葉を交わした人間として、憲兵隊から事情聴取を受けたが、彼とて何も情報を持っていなかった。そもそもレンドイロ記者がどんな要件でオルガ・グランデに向かっていたのかも知らなかった。彼女がアスクラカンでバスを降りてからの目撃情報が少し出て来たのは翌日だったが、彼女がバスターミナルの公共トイレを使用したことや、売店でコーラを買って飲んだ、と言う程度だった。彼女が何時バスターミナルを離れたのか、誰も知らなかった。
 アスクラカンから行ける遺跡は、どこもジャングルの中を数時間車で移動しなければならない。彼女が気を変えてカブラロカ遺跡に向かったとしても、車を雇うしか方法がない。憲兵隊は白タクも含めて運送業者を調べたが、女性を乗せて遺跡へ行った人間はいなかった。
 ベアトリス・レンドイロ記者の失踪が大きな話題になったのには、理由があった。シエンシア・ディアリア誌とは趣が異なるゴシップ誌が、この事件を取り上げ、こんなことを書いたのだ。

 シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ編集長が失踪したのは、彼女が”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の秘密に迫ったからである。

 ”ヴェルデ・シエロ”の名前を誌面に出すこと自体がタブーに近かったセルバ社会で、この記事は大きな衝撃を市民に与えた。噂話をタブーとするセルバ人達が、連日カフェやバルでこの話をネタにして語り始めた。ゴシップ誌”ティティオワの風”は一躍雑誌の売り上げが伸びた。田舎町でも販売されたので、テオも買って読んでみた。”ティティオワの風”はアスクラカン出身の経営者が運営する雑誌社と雑誌の名前で、本社はグラダ・シティにあった。雑誌は、レンドイロ記者が失踪する前の1ヶ月間、ある人物と頻繁にSNS上でやり取りしていたこと、その内容は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の建築特性に関するものであったこと、やり取りの相手はオルガ・グランデに住んでいるとプロフィールに書かれているが、まだその身元の確認は取れていないこと等が書かれていた。
 オルガ・グランデは古代”ヴェルデ・シエロ”社会で建築に携わっていたマスケゴ族の子孫が多く住んでいた都市だ。セルバが植民地化された頃にマスケゴ族の主力はグラダ・シティへ移住したが、マスケゴ系の住民が鉱山地帯にまだ多く住んでいる。そうした人々は現代でも純血種のマスケゴ族がオルガ・グランデを訪れると、彼等を慕って集まったり、仕事の下請けを買って出たりすると、テオは聞いたことがあった。もしそうした人々の中で、純血種に不満を抱いていたり、或いは既に”ヴェルデ・シエロ”と認められない程血が薄くなった人がいたりして、先祖の文化や文明を調べて雑誌記者に情報を売っていたとしても、おかしくないだろう。
 レンドイロとS N S上でやり取りをしていた相手は、記者が行方不明になったと最初にシエンシア・ディアリア誌の社員がS N S上に書き込んで以来、沈黙してしまった。ゴシップ誌”ティティオワの風”は、その相手こそレンドイロ記者失踪の鍵を握るのではないか、と締め括っていた。
 テオは雑誌の記事を見つめ、暫く考え込んだ。レンドイロとやり取りをしていた人物は、彼女の味方だったのか、敵だったのか。会ってみなければわからない。彼がこの事件に首を突っ込むことに、ケツァル少佐は反対するだろう。しかし、レンドイロと最後に出会った人間の一人として、テオは何もしないでいることが歯痒かった。散々考え抜いてから、彼はある人物に電話をかけた。取り次いでもらえると期待していなかったが、先方の秘書は取り次いでくれた。
 見慣れた顔が画面に現れ、聞き覚えのある声が電話の向こうから聞こえてきた。

ーーアンゲルス鉱石取締役社長、アントニオ・バルデスです。
「テオドール・アルストです。」

 数秒黙ってから、バルデスが「お元気ですか?」と訊いてきた。テオは型通りの挨拶を手早く済ませ、すぐに要件に入った。

「貴社に迷惑をかけたくありません。ただコンピューターを使わせて欲しい。通信システムの解析が出来るコンピューターをお持ちですよね?」

 アンゲルス鉱石はセルバ共和国で1、2を争う大企業だ。最新技術のI T技術も持っている。そんな企業の頭脳と言うべき場所に、部外者を入れる筈がなかった。果たしてバルデスは言った。

ーーどんな要件です? 時間がかかるのですか?

 テオは正直に答えた。

「今、セルバ社会を賑わせている雑誌記者の失踪事件をご存知ですね?」
ーースィ。
「彼女がS N S上でやり取りをしていた相手を特定したいのです。氏名と住所が分かれば、それで十分ですが・・・」

 バルデスがちょっと考えてから確認してきた。

ーーベアトリス・レンドイロと言う女の、話相手ですか?
「スィ。その正体を知りたい・・・」
ーー調べさせます。結果は今お使いの電話にメールで送らせて宜しいですか?

 アントニオ・バルデスは決して善意の人ではないが、セルバ共和国を愛している。そして古代の神を信仰している。彼は決して大統領警護隊を怒らせたくない。ケツァル少佐の機嫌を損ねて遺跡が埋もれている地下の坑道採掘権を失いたくない。だから少佐と仲良しのテオの細やかな要求をあっさり受け容れてくれた。
 1時間後、テオの携帯にメッセージが入った。バルデスからだった。 男性の名前とオルガ・グランデ市内の住所が書かれていた。


2022/04/06

第6部  赤い川     2

  ムリリョ家の一階の庭園に設けられたプールの周囲はライトアップされていた。長いテーブルの上に料理や飲み物が並べられ、ポップな音楽が賑やかにその場を盛り立てた。踊ったり、歌ったり、食べたり飲んだりしているのは、若者達だ。現当主アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの次男坊が留学先のフランスから帰国して、彼の兄弟姉妹、従兄弟姉妹、近所の幼馴染を集めてパーティーを開いているのだった。招待されているのは全員”ヴェルデ・シエロ”だ。純血至上主義者ファルゴ・デ・ムリリョの孫らしく、招待した友人は全員純血のマスケゴ族、或いはマスケゴ系のブーカ族や他の部族の若者達で、異人種の血が入った者はいない。だが流れている音楽は白人の音楽だし、アフリカ系の音楽もあった。若者達は異文化を一向に気にしない。楽しければ良いのだ。
 ファルゴ・デ・ムリリョは3階のテラス庭園、即ち2階の家の屋上庭園で椅子に座ってシエンシア・ディアリア誌に掲載された直近のベアトリス・レンドイロの記事を読んでいた。照明は薄暗かったが、”ヴェルデ・シエロ”の彼には十分だった。彼と屋外用テーブルを挟んで座っていたのは、末娘の夫フィデル・ケサダだった。雑誌は彼が持ち込んだもので、義父が記事を読み終えるのを静かに待っていた。
 ムリリョ博士は雑誌をテーブルの上にバサリと音を立てて置いた。

「見飽きた内容だな。」

と彼は呟いた。

「手下を動かす必要もない。遺跡を見て我々の祖先が実在したことを証明したがっている、それだけだ。我々がここで生きていることに触れてもいないのだからな。」
「スィ、その記者は放置しておいても害にならぬ存在でした。闇に動く者がわざわざ仕事をするとも思えません。」
「では、何故ンゲマが騒いでおる?」
「行方不明になった記者は、彼が雨季明けに発掘するカブラロカ遺跡を取材する予定でした。彼女の消息が途絶えたので、雑誌社が騒ぎ出しました。ンゲマは、もし彼女がゲリラに誘拐されたり野盗に襲われたりしたのであれば、遺跡発掘の開始が遅れるのではないかと心配しているのです。」
「ケツァルは発掘の中止を考えているのか?」
「まだです。彼女は憲兵隊に記者の捜索を任せました。遺跡とは関係ない事案だと考えている様です。」

 ムリリョ博士は雑誌をチラリと見た。

「その女は何処で消息を絶ったのだ?」
「彼女を最後に見た人間の証言では、アスクラカンで女はいなくなったそうです。」
「その証人は信用出来るのか?」
「ドクトル・アルストです、義父上。」

 ムリリョ博士が視線を養い子に移した。ケサダ教授は説明を追加した。

「アルストは雨季休暇をエル・ティティの養父の家で過ごします。そこへ向かうバスの中で、女記者と出会ったとケツァルに語りました。彼女は彼にオルガ・グランデへ行くと言ったそうです。バスはアスクラカンで長時間停車します。大半の乗客はバスから降りて休憩します。再びバスが動き出した時、彼女はバスに戻って来なかったとアルストは証言しました。」

 ムリリョ博士は彼等がいる庭園の縁から見えるプールの青い水の輝きを眺めた。

「アスクラカンか・・・」

と彼は呟いた。

「またパジェの家系が絡んでいるのではなかろうな?」

 ケサダが黙っていると、不意に博士が「フィデル」と彼の名を呼んだ。教授が「スィ」と答えると、ムリリョは言った。

「最近、お前はアスクラカンへ行ったか?」
「ノ。」

 ケサダは平然と答えた。最近、とはいつのことだ?と思いつつ。
 ムリリョは階下の大騒ぎしている若者達を見て、眉を顰めながら言った。

「お前はグラダ・シティから出てはならん。儂が良いと言う迄、ここに留まっておれ。」





第6部  赤い川     1

  ”ヴェルデ・シエロ”は現代のセルバ人にとって複雑な存在である。伝説では、彼等は我々の祖先がセルバの地を踏むよりも遥か太古に、7つの部族が合同で一つの国家を築き、ママコナと呼ばれる巫女と大神官が神託によって統治していた国家であった。彼等には彼等独自の神がいたようだ。彼等が何時歴史から姿を消したのか、明確な記録はない。セルバ人の祖先がこの地に農耕と狩猟を生業とする社会を建設した時、”ヴェルデ・シエロ”は既に姿を消しつつあった。”ヴェルデ・ティエラ”と自らを呼んだ我々セルバ人の祖先は、当時の”ヴェルデ・シエロ”の神秘の力を見て、彼等と共存した時代、彼等を神と崇め、その姿を頭部に翼がある人として壁画や彫刻に残した。現存する最も古いセルバの遺跡はグラダ・シティの中心部に聳える”曙のピラミッド”とオルガ・グランデの地下で発見された”太陽神殿”であると言われているが、どちらも発掘調査を許されておらず、建設した者が”ヴェルデ・シエロ”であるか”ヴェルデ・ティエラ”であるか、不明である。それ以外の古い遺跡は全て崩壊した状態でジャングルや砂漠に放置されていた。これらは古い時代の”ヴェルデ・ティエラ”が建設した都市や神殿であり、近年、それらの遺跡で発見された壁画や彫刻、神代文字の解読から”ヴェルデ・シエロ”が実在していたのであろうと考えられている。
 考古学と歴史学では、”ヴェルデ・シエロ”は滅亡した民族であるが、民間信仰においては、彼等はまだ生きており、セルバ人の中に混じり込んで暮らしていると信じられている。その為、現代でもセルバ共和国では、”ヴェルデ・シエロ”の悪口やその名をみだりに口に出すことはタブーとされている。また、困った時に助けてくれる存在であるとの信仰もあり、バルで「雨を降らせる人を探している」と言えば、”ヴェルデ・シエロ”がやって来て力になってくれると信じられている。
 前置きが長くなったが、古い遺跡で”ヴェルデ・シエロ”を祀ったと考えられる場所の特定が出来ることを、最近グラダ大学の考古学部准教授ハイメ・ンゲマが記者に教えてくれた。これは決して新発見ではなく、以前からセルバの考古学者の間では常識だったらしい。20世紀以上昔の遺跡は殆どが風化して建造物の名残を見つけるのも難しいが、ある共通点があると言う。それは、神殿と思われる場所に、7つの柱の基礎があることだ。この7つの柱は一列に並んでいる所があれば、4対3の割合で向き合っていることもある。また円形に並んでいる場所もある。この7と言う数字が”ヴェルデ・シエロ”の7部族を表していると考えられている。何故なら、この7本の柱の跡は、直径が等しくないのだ。必ず同じ比率で大小があり、このことは各部族の順位、あるいは勢力の大きさ、もしくは人口を表現しているのだと推測される。何故”ヴェルデ・シエロ”は部族の順位を示す必要があったのだろうか。何故どの遺跡も神殿だけが跡形もなく破壊されているのか。それは”ヴェルデ・シエロ”が歴史から消えた謎と関係しているのか。
 考古学者達の関心は、今やセルバ共和国の密林に眠る遺跡達に注がれているのである。
                              ベアトリス・レンドイロ

 シエンシア・ディアリア誌の記事を声に出して読み上げたマハルダ・デネロス少尉は、最後の記者の署名を読むと、雑誌を閉じた。そして仲間を見た。読む前に「食べながら聞いて」と言ったので、仲間は各自好きな場所で皿を抱えて蒸した米と鶏肉の料理を食べていた。テーブルが4席しかない小さな物だったので、椅子に座ってテーブル前にいたのは、ケツァル少佐とロホだけだった。デネロスの席もそこにあった。アスルとギャラガはソファにいた。もう一人、若い兵士がソファの端っこにいて、遠慮がちに食事をしていた。制服は憲兵隊で、大統領警護隊ではない。肩章は少尉だった。
 デネロスは言った。

「この記事を読む限り、レンドイロが一族の誰かを怒らせた様には思えません。アスクラカンで何かの犯罪に巻き込まれたと考える方が妥当だと私は考えます。」

 ロホも頷いた。

「私もそう思う。行方不明の記者の捜索は、憲兵隊と警察に任せて構わないだろう。」

 憲兵が少佐を見た。

「遺跡まで行く必要はないのでありますか?」
「どの遺跡です?」

 ケツァル少佐は頭の中にアスクラカン周辺の地図を思い浮かべてみた。

「オルガ・グランデ行きのバスの乗車券を購入したのに、わざわざ途中下車して寄り道するような遺跡は、アスクラカンの近くにありません。どうしても行きたいのなら、デランテロ・オクタカス迄航空機で行った方が早いです。デランテロ・オクタカスからなら、4箇所の遺跡に行けます。オクタカス、カブラロカ、ケマ・ポンテ、イルクーカです。レンドイロは行方不明になる前にンゲマ准教授にカブラロカの場所を尋ねたそうです。本当にカブラロカに行くのでしたら、飛行機に乗ったでしょう。彼女は今回本当にオルガ・グランデを目指した筈です。アスクラカンで休憩の為に降車して、そこで何らかのトラブルがあったに違いありません。」

 憲兵が立ち上がり、皿をテーブルに置いた。

「わかりました。では、アスクラカン周辺の森や畑の捜索に力を入れます。身代金の要求はないので、ゲリラの誘拐の線は弱いですが、彼女が抵抗して殺害されてしまった可能性は捨てきれません。”砂の民”の仕事の可能性がないのなら、存分に働いてきます。ご協力、感謝します。」

 彼は敬礼した。大統領警護隊も全員が立ち上がり、憲兵隊で勤務する一族の若者に敬意を表した。
 憲兵が家から出て行った。大統領警護隊はリラックスモードに入った。アスルが憲兵が置いた皿を見て、

「あと2口で完食だったのに・・・」

と愚痴った。食べ残されて悔しいのだ。少佐が苦笑して彼を宥めた。

「少し残して、食べきれない程ご馳走してもらった、と言う感謝の印です。」
「承知していますが、私は全部食べて欲しかった。」

 気難しい先輩の主張に、ギャラガとデネロスも苦笑するしかない。ロホは綺麗に食べて、食器をシンクへ運んだ。

「しかし、留守中に自宅を会合の場所に使われたりして、テオが気を悪くしないか?」
「構わない。」

とアスル。

「俺の家でもあるから、自由に友達を連れて来て良いと彼は言った。」

 少佐が少し心配した。

「まさか、サッカーチームを連れて来たりしていないでしょうね?」
「それはありません。」

とアスルがムッとした。

「理性のある人間しかここへ入れませんから。」

 大統領警護隊文化保護担当部はドッと笑った。アスルのサッカーチームは、大統領警護隊の隊員で構成されているのだが・・・。

第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...