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2021/08/10

太陽の野  25

  ケツァル少佐は自らの休憩も兼ねて、ロホを好きなだけ眠らせてやった。ロホは物陰で休むジャガーの様に体を列柱の間に横たえて静かに眠っていた。手はアサルトライフルを抱えていた。ジャガーの姿の時も、人間の姿でいても美しい若者だ。Tシャツを着た少佐は、彼に借りていた上着をそっと彼に掛けてやった。上官というより母親か姉の表情で彼の額に軽く唇で触れた。恐らくロホはその光栄な処遇に気が付かないだろう。
 彼女は柱を支えにして立ち上がると、ゆっくりと自分が寝ていた場所へ戻った。そこでは彼女の義弟がまだ拗ねた顔をして装備の点検をしていた。ロホに持ち帰らせる物と、自分たちが持って行く物を仕分けているのだった。アリアナが目を覚まして彼の作業を眺め、何をしているのかと尋ねた。ステファン大尉は黙って少佐を見上げた。それでアリアナは少佐が起きて立っていることに気がついた。

「立って大丈夫なの?」
「スィ。グラシャス。」

 少佐は慎重に腰を下ろそうとした。ステファン大尉は無視しようとしたが、アリアナが立ち上がって彼女に手を貸したので、仕方なく質問に答えた。

「二手に分かれます。貴女とロホは地上へ戻って下さい。我々はシャベス軍曹を探します。」

 アリアナが少佐を振り返った。少佐は気怠そうに岩の床の上に座り込んだところだった。

「貴女も上に戻るべきよ、少佐。」

 ノ、と少佐が首を振った。

「私はまだ坑道を上る体力がありません。ここで座っていれば、シャベス軍曹かトゥパル・スワレがやって来るかも知れません。」
「でも、ここは薬も食料もないわ。」
「だから、貴女とロホが地上へ出て基地へ通報してくれると助かります。」

 勿論それがロホを地上へ戻す一番の理由だった。大統領警護隊本部に少佐とステファン大尉とシオドアが地下でトゥパル・スワレと対決しようとしていることを報告してもらいたかった。自分たちが敗北しても、上の人々に何が起きたか知らせておかなければならない。そして虚しい検問を行なっている憲兵隊と陸軍特殊部隊にも、誘拐されたアリアナ・オズボーンが無事に救助されたことを伝えなければならない。シャベス軍曹は未発見だが・・・。
 アリアナはステファン大尉を見た。彼はまた仕分け作業に戻っていた。彼女はシオドアを探した。暗がりの中で、シオドアがヘッドライトの頼りない光を頼りに警備に当たっているのが見えた。

「カルロだけでなく、テオも連れて行くの?」

とアリアナが咎める様に言った。

「欲張りね、少佐。」

 彼女は屈んだ姿勢で少佐ににじり寄って、用心深く少佐をハグした。

「約束して、必ず全員無事に帰って来るって。」
「貴女も無事に地上へ帰ると約束して下さるなら、約束します。」

 少佐はいつも通り素直ではない。その代償に、アリアナにギュッと抱き締められた。

「約束するわ!」
「・・・約束します・・・」

 ステファン大尉がアリアナに小声で注意した。

「少佐の心臓が・・・」
「あっ!」

 アリアナは慌てて少佐から離れた。一瞬、少佐とステファンの目が合った。殺されかけた、と少佐の目が言ったので、ステファンはもう少しで吹き出すところで堪えた。
 1時間後にロホが目覚めた。彼は少佐が起きて動き回っているのを見て、己が予定より長く眠っていたことを知って慌てた。少佐が彼を見て不気味な笑を浮かべた。

「十分な休息を取れましたか、中尉?」
「スィ・・・すみません、寝過ごしました。」

 ロホはステファン大尉がアリアナの素足を布で包んでやっているのを見た。少佐が説明した。

「彼女の靴の代わりに布を巻いています。これから貴方は彼女を護衛して地上へ戻りなさい。」
「え? しかし・・・」
「しかし?」

 ロホは口を閉じた。上官に向かって「しかし」はない。少佐が続けた。

「地上へ出たら、直ちに本部へ連絡を取り、司令にここで貴方が見たこと聞いたこと全てを報告なさい。後は司令の指示に従うのです。」

 ロホは直ぐに返答出来なかった。ステファン大尉は既に荷物の仕分けを終え、二手に分かれる準備を済ませていた。アリアナの足が傷つかないよう、しっかりと布を巻き、血行を妨げないよう、脚を少しマッサージしてやった。アリアナは彼の逞しい手の感触を肌に記憶させようと目を閉じていた。シオドアはまだ階段の上で警備に余念がない。ロホは尋ねた。

「テオはあなた方と一緒に行動するのですか?」
「スィ。彼は貴方の足手まといになることを心配して、ここに残ります。」
「私の足手まとい?」
「貴方は一人でアリアナを守って歩かなければなりません。だから十分な休息を取ってもらいました。絶対に2人で無事に本部へ戻るのですよ。」

 ああ、とやっとロホは納得の声を漏らした。彼はブーカ族の名家マレンカの息子だ。敵となったトゥパル・スワレもブーカ族の名家の家長だ。この地下の迷宮でブーカ族同士が戦えば、マナと一族の戦いだったものが、ブーカ族の内乱になってしまう。また新たな遺恨が生まれる。ケツァル少佐は、マナの子供達とトゥパル・スワレ個人の戦いでことを収めようと考えているのだ。そこにロホがいては拙いのだ。スワレ本人が現れる前に、ロホだけを撤収させる真の理由がそこにあった。

「承知しました。アリアナ・オズボーンを地上迄護衛し、大統領警護隊本部にここで起きたことを私の知る範囲で全て報告します。」

 ピシッと直立して命令を復唱したロホを、アリアナが眩しそうに見た。ステファン大尉が彼女にそっと囁いた。

「彼に惚れ直しましたか?」

 彼女は真っ赤になった。

「意地悪ね、カルロ・・・ロホを弄んだりしないわ。」
「そんなつもりで言ったんじゃありません。私はちょっと心配なだけです。アスルが貴女に恋心を抱いているのでね。彼とロホが喧嘩になっても困る。」

 きっとカルロは私をリラックスさせようとして揶揄ったんだ、とアリアナは思うことにした。アスルはまだ子供じゃないの・・・。

「アスルはまだ子供よね?」
「セルバでは15になれば大人扱いです。アスルは19歳です。デネロスは18、ロホと私は21歳です。少佐はもっと年寄りですよ。」

 地獄耳の上官がチラリとこちらを見たので、ステファン大尉は急いで「マッサージは終わりました」と報告した。 
 少佐は頷くと、ロホの顔のそばに自分の顔を寄せた。

「”入り口”を見つけたら、使いなさい。真面目に歩く必要はありません。」
「承知しました。」
「シャベスかスワレを見つけても追わないように。」
「承知しました。」
「アリアナに手を出さない。」
「承知しました。」

 ロホの正面に立った少佐は一言「行け」と言った。ロホは敬礼すると、アリアナを振り返った。アリアナはステファン大尉をハグしたい衝動に駆られたが、我慢した。「またね」と言い、少佐には「必ず帰って来て」と言った。少佐は2人に向かって敬礼で応えた。
 アリアナはロホについて神殿の出口へ行った。シオドアが振り返った。

「素直に帰るんだな。もっと駄々をこねるかと思った。」

と揶揄った。ロホが真面目な顔で応えた。

「帰ることが任務ですから。」

 シオドアは彼をハグした。

「気をつけて行けよ。」
「貴方もお気をつけて。」

 アリアナは黙ってシオドアの頬にキスをした。そして2人は暗闇の中へ消えて行った。



太陽の野  24

  ケツァル少佐の存在は部下達を安心させるのだろうか、胃の中に食べ物を入れるとロホは眠たくなった様だ。ステファン大尉が見張りを交替すると言ったので、彼は柱の陰に入って休息の体勢になった。
 シオドアは少佐がご飯を残らず食べてしまったので安心した。再び地面に横になった彼女のそばに座って、アリアナにも横になるようにと言った。

「それじゃ、少佐の隣で。」

とアリアナは言い、少し距離を取って地面に寝た。するとステファン大尉が自分の上着を脱いで彼女に掛けてやった。

「汗臭いですが、我慢して下さい。」
「もう慣れっこよ。グラシャス、おやすみなさい。」

 アリアナは目を閉じた。日向ぼっこしている猫の毛皮の匂いに包まれて彼女は眠りに落ちた。
 シオドアは銃を持って神殿の階段に座ったステファン大尉の隣に行った。

「また攻撃してくるかな?」
「ここまで誘き出したのですから、我々を無事に帰すつもりはないでしょう。」

 シオドアは岩の天井を見た。真っ暗だが、ライトの光でなんとなく見えた。あれを落とされたらお終いだ、と思った。

「親の代の私怨のせいで皆んなを巻き込んでしまうヤツを許せません。」

とステファン大尉が呟いた。

「命を狙う相手は私一人で十分な筈です。それなのに、無関係な”ヴェルデ・ティエラ”を巻き込んで、カメル軍曹は不名誉な死に方をしてしまった。シャベス軍曹も無事ではないでしょう。アリアナだって同じです。もしあの時少佐が死んでいたら、私は彼女を撃ってしまっていた。」
「それなんだが・・・どうして今なんだろ? 君がもっと若い頃に襲う方が簡単だったと思うのに、大人になって相応の力を持って来た頃合いに襲って来るなんて・・・何か理由があると思うんだ。」

 ステファンは肩をすくめた。彼にとっては如何なる理由も許し難いのだ。彼はただ彼自身と愛する者達を守るだけだ。その愛する者はいくつかの範疇に分かれるだろうが、恋愛対象にアリアナが入っていないことは確実だ、とシオドアはわかっていた。

「カルロ、君もわかっていると思うが、アリアナは君のことが好きだ。シャベス軍曹を誘惑したのは、ただ欲求不満を解消しようとしただけだと思う。彼女は出来るだけ友人でいようと頑張っているが、いつか折れるんじゃないかと俺は心配なんだ。」
「冷たい様ですが・・・」

とステファン大尉は暗闇を見つめながら言った。

「私には何も出来ません。半世紀前だったら一族の間で一夫多妻や一妻多夫の風習が残っていましたが、今そんなことをしたら、却って女性を侮辱するだけです。彼女に強くなっていただくしかありません。私は彼女は友人として好きです。」
「そう言うだろうと思った。」

 君の心にはやっぱりケツァル少佐しかいないんだ、とシオドアは心の中で呟いた。同じ父親を持つ異母姉弟だとわかっても、彼は彼女を慕い続けているのだ。しかしシオドアの倫理観ではそれが納得出来なかった。アリアナの件を横に置いても、姉弟が結ばれてはいけない。ロホやアスルなら許せるが、カルロは駄目だ、と彼は思った。
 だからワザと言った。

「それにしても、君の姉さんは本当に凄いよな。銃弾を右胸に受けてまだ日が経っていない。今度は心臓に刃物を突き立てられてまだ半日も経たないうちに、もう起き上がって飯を食った。」

 姉さん と力を入れて言ったが、ステファン大尉は苦笑しただけだった。

「純血種のグラダがあんなにタフとは、私も想像したことすらありませんでした。これからは、もう少し厳しく扱ってやらないと・・・」
「否、そう言う話じゃなくて・・・」

 グラダ・シティの長老会や大統領警護隊の司令官は、ケツァル少佐のこのタフな体質を知っているのだろうか。もし知らなくて、そしてこれから知るとなったら、彼女や彼女の子孫にどんな影響が出るのだろう。少なくてもイェンテ・グラダ村で起きた悲劇を繰り返すことは避けなければいけない。
 テオ、とステファンが言った。

「私は、今回の犯人は本当にトゥパル・スワレなのかと疑っています。」

 シオドアは彼の顔を見た。ステファンはまだ暗闇を見ていた。

「カメル軍曹にしても、アリアナにしても、掛けられた”操心”が複雑過ぎます。ブーカ族も”操心”は得意ですが、あんなややこしい掛け方はしない。出来てもしないと思うのです。スワレ家は”ヴェルデ・シエロ”の中では一二を争う実力者の家系です。高度な技を用いれば、疑われるのは位の高い長老です。地位や名誉を傷つけることは、名家が一番恐れることではありませんか? ましてやスワレ家は、私の様な”出来損ない”がどんなに父親の死の疑惑を訴えても簡単に揉み消せる力を持っているのです。ややこしい技を使って私を派手に殺す必要はないのです。寧ろ軍務で私に失敗させて除隊させてしまえば、私をまたスラム街に追い払えて、そこで喧嘩でも何でもさせて死なせることが出来ます。」
「だがアリアナを操ったヤツは、シュカワラスキ・マナの息子を殺したと言ったぞ?」
「シュカワラスキ・マナを恨んでいたのは、スワレだけでしょうか?」

 ステファンはポツンと呟いた。

「父はエルネンツォ・スワレ以外にも4人殺しているんですよ・・・」

 シオドアはムリリョ博士がイェンテ・グラダ村の殺戮から救い出された3人の子供達の身の上を語った時のことを思い出そうと努めた。

「殺された4人は”砂の民”だったな。”砂の民”って言うのは、家族にも身分を明かさないんじゃないのか? トゥパルがエルネンツォが殺されたことを知っていたのは、長老会にシュカワラスキ・マナの護送を命じられたからだ。他の4人の家族は、彼等が何処でどんな亡くなり方をしたのか真相を知らないと思う。多分、今も知らない筈だ。ムリリョ博士が俺達に語ってくれたのは、聞き手がケツァル少佐だったからだ。他の人なら・・・多分君一人だったら、或いは俺だけだったら、あの爺様は何も教えてくれなかっただろう。
 ムリリョ博士も、後から殺害された4人の遺族を君を狙う犯人から除外して考えている。だから、トゥパル・スワレを疑うのは筋が通っていると俺は思う。わからないのは、何故今なのか、と言うことだ。」
「それはですね・・・」

 いきなり後ろで声がして、シオドアとステファン大尉は同時に弾かれた様に立ち上がった。拳銃とアサルトライフルを向けられて、ケツァル少佐が両手を肩まで挙げた。

「勘弁して下さい、今は2発同時に避けられません。」

 ステファン大尉がへなへなとその場にしゃがみ込んだ。シオドアは拳銃を構えたままフリーズしてしまった。目の前に眩しい2つの・・・ガーゼを貼り付けた乳房が・・・

「何か着て下さい、少佐・・・」

とステファン大尉は地面を睨みつけて要求した。

「貴女はいつもそうやって私を苦しめる・・・」

 シオドアはまだ固まっていた。できればもっと長く鑑賞していたい。少佐が片手に掴んでいたTシャツをヒラヒラさせた。

「着るのを手伝って、と言うつもりでした。」

 シオドアはやっと首を動かして、ステファン大尉を見た。ステファンも彼を見て、それから両者共に武器を地面に置いて彼女に飛びついた。彼女の胸の筋肉に負担を掛けないように、協力しあってTシャツを着せた。
 服を着ると、いつものシャキッとした少佐の姿があった。重傷者に見えないが、心臓を刃物で貫通されていた人に違いない。階段に座るのにシオドアの支えがまだ必要だった。

「君は部下達が若い男だってことを忘れている様だから、言っておく。」

とシオドアは彼女に説教を試みた。

「慎み深いロホも、英雄のアスルも、忠実なカルロも、みんな雄のジャガーなんだ。目の前で君が魅力的な胸を披露したら、絶対に興奮してしまう。不用意に露わな姿で彼等の前に出るな。」

 すると少佐が想定外の質問で返してきた。

「貴方は? 貴方は私を見て何も感じないのですか、テオ?」
「俺は・・・さっきフリーズしちまっただろ!」

 シオドアの返答に、彼女はフフンと言った。

「カルロはすぐに銃口を下へ向けましたが、貴方は遅れたので、フィンガーオフの状態でフリーズさせました。危ないですからね。」
「その状態で”連結”を使わないで下さい。」

 ステファンが本気で怒鳴った。

「せめて後2時間、大人しく寝ていられないのですか、貴女は!」
「静かに! ロホが起きてしまいます。」

 少佐はいつも通りにワンテンポ相手からずらして応対した。ステファン大尉はもう相手にするのも嫌だ、と言いたげにアリアナの方へ歩いて行った。

「彼は怒ったぞ。」

とシオドアは心配になった。こんな危険な場所で姉弟喧嘩などして欲しくなかった。少佐は「ほっときなさい」と言った。

「怒りましたが、気を放っていません。上手く制御出来ています。」

 シオドアは彼女を振り返った。ワザとステファンを怒らせたと言うのか?
 しかし少佐は既に先刻の話題に戻っていた。

「今更ながらトゥパル・スワレがカルロを狙い始めた訳は、それ迄技を使えなかったからだと思います。」
「使えなかった? だって、彼はブーカ族の長老なんだろう?」
「理由はわかりませんが、何か制約があって、使いたくても使えない技があったのでしょう。それがあのややこしい”操心”です。単純なものなら、誰にも怪しまれずに普通に使えますが、ややこしい技は、使える者が限られますから、操者が誰か見破られないように使わなければなりません。何らかの縛りがあったのが、突然なくなったのだと思います。」

 そして少佐はシオドアに囁いた。

「カルロと私はこれからトゥパル・スワレを誘き出そうと思います。大変危険な賭けです。ですから、ロホとアリアナを地上へ帰しておきたいのです。貴方も帰りますか?」
「ノ!」

とシオドアは断言した。

「俺は君達と一緒に行く。ロホとアリアナを帰すことは反対しない。アリアナは足手まといになるし、これ以上彼女を危険に巻き込めない。ロホは疲れているし、アリアナの護衛に彼は必要だ。俺じゃ、この坑道の中で敵と戦えない。2人を説得するなら、君の味方をするよ。」



太陽の野  23

  時間感覚がなくなる暗闇の世界だったが、シオドアが気が遠くなる前にロホが目覚めた。きっかり1時間経っていた。少佐がいなければ絶対に寝坊しない男だ。シオドアは交替で1時間眠るつもりだったが、柱にもたれかかって目を閉じた途端に寝落ちしてしまった。目が覚めると2時間経っていた。慌てて立ち上がると、ロホは階段に座って暗闇の中を警戒していた。

「起こしてくれても良かったんじゃないか?」

と寝坊した気まずさを誤魔化す為に文句を言うと、ロホはイケメンの微笑を浮かべただけだった。アリアナは・・・と後ろを振り返ると、彼女は神殿の床で携行食のパックを並べて水を入れていた。米を使った水だけで食べられる食事だ。シオドアは彼女に近づいた。

「君も休めよ。」
「これを食べたらね。」

 アリアナはパックを眺めた。全部種類が違った。

「少佐はどれが好きなのかしら?」

すると背後で囁き声が答えた。

「カレー味。」

 シオドアとアリアナはびっくりして振り返った。少佐が寝たままでリュックを指差した。

「木のスプーンが入っている筈です。それを使って食べて・・・」

 アリアナが水筒を持って彼女ににじり寄った。

「まだ喋らない方が良いわ。お水はいかが?」

 少佐は小さく頷いた。アリアナが振り返ったので、シオドアも少佐の側に行き、肩を支えて少しだけ上体を起こした。アリアナが用心深く少佐の口に水筒の口を当てた。思ったより元気よく少佐は水を飲んだ。アリアナが止めなければ全部飲み干したかも知れない。
 シオドアは静かに彼女の頭を枕代わりに丸めた彼自身の上着の上に戻した。それからカレー味のご飯のパックを枕元にキープしてやった。アリアナがロホにどれを持って行こうかと迷っていたので、黒豆入りのご飯を選んでやった。すると彼女は自分用に白い豆入りのご飯を選び、2つを持ってロホの方へ行ってしまった。
 残ったのはケチャップ味のご飯と赤い豆入りのご飯だった。シオドアは少佐の足元を回ってステファン大尉の側へ行った。ステファン大尉は死んだ猫みたいに四肢を伸ばして地面にべったり寝ていたが、顔の近くにケチャップ味のパックを置くと、鼻をヒクヒクさせて目を開けた。シオドアは笑った。

「飯の誘惑には睡魔も勝てないのかな?」

 ステファン大尉が気怠そうに体を起こした。最初に少佐の様子を伺った。彼女が穏やかに寝ている様子だったので安心して、地面に座り直した。

「私は何時間寝てました?」
「3時間程かな。まだ疲れているんだろ? 無理するなよ。」
「しかし、貴方とロホに警戒させっ放しで申し訳ないです。」
「2人で交替で寝たから気にするな。それに、少佐もさっき目を覚まして水分補給してくれた。」
「良かった・・・」

 シオドアが差し出した2つのパックから彼はケチャップ味を迷わずに選んだ。木のスプーンで食べながら、シオドアは先刻考えたことを言ってみた。

「アリアナがやって来た方角に、俺達が通って来たのとは別の坑道がある筈だ。トゥパル・スワレはそっちにいるんじゃないかな。或いは、シャベス軍曹もそこにいるかも知れない。」
「私もそんな気がします。しかし、もう少し休息してから行動した方が良いでしょう。我々全員が疲れていますから。」

 ステファン大尉が神殿の入り口を見たので、シオドアもそちらへ目を向けた。ロホとアリアナが少し距離を空けて座って食事を取っていた。ステファンが尋ねた。

「ロホは何時間寝ました?」
「1時間。俺も1時間で起こせと言ったのに、2時間も寝かせてくれたよ。」
「それでは、恐らくこの中で彼が一番疲れていますね。」

 ステファンはぐるりと周囲を見回した。

「彼は結界を張りっぱなしです。だが、私が寝落ちする前より結界が弱くなっている。早く休ませないと。」

 彼はご飯のパックを持って立ち上がり、神殿の入り口へ歩いて行った。

「折角のデートの邪魔をして悪いが、」

と彼は声をかけ、ロホにケチャップ味のご飯を差し出した。

「肉を食え、ロホ。豆だけじゃ地上迄保たないぞ。」

 それでシオドアは、少佐とステファン大尉がカレーやケチャップ味のご飯を選んだ理由を悟った。この2種類には肉が入っていたのだ。ロホは黒豆が好きなんだと文句を言ったが、結局肉入りのご飯のパックを受け取った。ステファンはアリアナに話しかけた。

「白豆は甘過ぎませんか?」
「確かに、甘いわね。」
「塩があればましなんですが。」
「でも疲れた時は甘いのも良いのよ。」

 カルロ、とロホが割り込んだ。

「白豆が好きだからって、他人のものを欲しがるなよ。」
「誰がいつ欲しがった?」

 子供同士の言い合いみたいで、アリアナが笑うと、2人は照れ臭そうに黙り込んだ。沈黙が辛いアリアナが質問した。

「後どのくらいで地上へ上がるの? ここは暗闇で息苦しいし、少佐をちゃんとお医者さんに診せないと・・・」
「それは・・・」

 ステファン大尉が背後をチラリと見た。

「少佐が歩ける様になってからです。」
「まさか!」

 アリアナがびっくりした声を出したので、シオドアが「どうした」とやって来た。彼女は彼に言った。

「少佐が歩ける様になる迄ここにいるって・・・何日かかると思っているの?」
「後、2、3時間・・・」

 答えたのはケツァル少佐本人だった。一同が彼女を振り返った。少佐が上体を起こしたので、シオドアは慌てて駆け戻った。急いで彼女の背中を支えた。

「まだ寝ていろ!」
「大丈夫・・・ご飯を食べたくて。」

 少佐の上体にかけられていたロホの上着がずり落ちて、彼女の胸が露わになった。大きなガーゼが貼り付けられていたが、血が滲んだ様子はなかった。無傷の方の乳房が眩しくて、シオドアは目のやり場に困った。手の位置もこれで良いのだろうか? しかし少佐は一向に気にせずにご飯のパックを手に取った。
 アリアナはふと横にいるステファンとロホが少佐に見惚れていることに気がついた。彼女は咄嗟に少佐の口真似をした。

「気をつけ!」

 2人の若い”ヴェルデ・シエロ”は慌てて座った姿勢で正面に向き直った。

  

2021/08/09

太陽の野  22

  少佐の胸からナイフが抜けたのは5時間も後のことだった。その間にアリアナが目を覚まし、シオドアとロホに励まされて落ち着きを取り戻した。
 彼女は誘拐された時のことを覚えていた。シャベス軍曹と寝室で個人的な関係になって(と彼女は表現した)彼の任務を妨害してしまったことを彼女は後悔した。ロホが、襲撃者が”ヴェルデ・シエロ”ならシャベスがどんなに優秀でも侵入を防げなかった、と慰めた。シャベスは玄関の方角で物音を聞いて、夜間の当番が来たのかと慌てた。彼は急いで服を着て寝室から出て行った。アリアナはそれっきり彼に関する記憶がなかった。寝室のドアが開き、シャベスが戻って来たと思って振り返ると、見知らぬ男性が戸口に立っていた。

「お年寄りだった・・・それ以上は思い出せないの・・・」

 男の目を見てしまって、それからこの地下神殿で目覚める迄の記憶が全くなかったのだ。だから彼女はケツァル少佐の状態を見て、酷く怯えた。

「もしかして、シャベス軍曹がやったの? それとも・・・私が?」

 ロホが彼女をしっかりと見据えて言った。

「刺したのは、トゥパル・スワレです。貴女とシャベスを襲った人物です。」

 暗いので彼女の衣服に付着した飛沫血痕が彼女には見えていなかった。シャベス軍曹の行方が不明なのが気がかりだったが、シオドアはアリアナに手伝いをさせることにした。

「君は医学者だから、少佐のそばについてやって欲しい。カルロが要求したら水を飲ませてやってくれ。彼の指図に従うこと。一切反論したり意見を言ったりしては駄目だ。彼の気が散るからね。もし対応しきれなかったら、ロホか俺を呼んでくれ。」

 アリアナは頷いて、ケツァル少佐とステファン大尉の側に行って膝をついた。少佐の顔を湿らせた布でそっと拭ったり、唇に水分を垂らしたりして世話をしたが、ステファン大尉には触れなかった。彼の集中する様を間近に見て、指一本触れられないと感じたに違いない。
 シオドアはロホの許可を得て、水汲みに出た。ロホが記憶している地図に従えば、神殿の右手を真っ直ぐ歩き、坂を下って突き当たった壁を今度は右に折れて壁沿いに歩くと地下の水流に行き当たる筈だった。

「水面と地面の落差が地図には書かれていないので、もし高さがあれば無理をせずに戻って下さい。必ず来た道を歩くこと。落ちたり迷ったりしないで下さいね。」

 子供に言い聞かせるみたいに言われて、シオドアは苦笑した。少佐のアサルトライフルを借りて肩から担ぐと想像したより重量があった。伸縮バケツと全員の水筒を持って、ヘッドライトと携帯ライトで出かけた。途中で岩に傷をつけて帰りの道標にした。
 言われた通りに歩いて行くと、ずっと聞こえていた水音が少しずつ大きくなってきた。想像したより大きな地下水流がある様だ。水汲み出来る規模だろうか? 少し心配になった。
 いきなり目の前の空間が開けた。透明な水、しかし深度があるのか下の方は青く見えた。流れがある。右から左へ流れていた。左側は天井がどんどん低くなり、水流は岩盤の向こうに吸い込まれていた。右側はライトの光の奥に滝があった。ライトを上へ移動すると、上流にも空間がある様に思えた。闇の中で何かがキラキラと光った。一瞬空の星かと思った。そして鉱物だろうと思い直した。
 無事に水を汲んで戻ると、ロホが珍しくホッと安堵の表情で迎えてくれた。シオドアが戻る迄心配で堪らなかったのだろう。シオドアが彼の水筒を渡すと、すぐに水を飲んだ。そして言った。

「少佐の胸からもうすぐナイフが抜けます。火を焚きましょう。針を消毒して縫合しなくては。」

 少佐達のそばへ行くと、アリアナが少佐の軍服の前身頃を切り開いて、縫合の準備に取り掛かっていた。少佐を刺した本人にその作業を許しているステファン大尉は最後の最大の緊張感の中にいた。彼の邪魔をしないように、アリアナは彼女自身の位置を何度も変えて服を切断していたのだ。
 アリアナがシオドアに囁いた。

「彼女の肩を抑えて。彼女の傷をライトで照らして。」

 シオドアはステファン大尉と向かい合う形で膝を突き、少佐の両肩に手を置いた。ロホが固形燃料に火を点け、針を炙り、糸を通した。アリアナがナイフの側にガーゼの塊を当てて、ステファンの顔を見た。

「抜いて!」

と彼女が医者の顔で命令した。ステファンが躊躇うことなくナイフを掴んで引き上げた。既に重力に逆らって立った状態だったナイフはその刃先を1センチ少佐の胸に残すのみになっていた。抜けた瞬間に少佐の体がビクンと跳ねかけてシオドアは両肩を押さえつけた。ステファンも体重を少佐の腰に落とした。さらに少佐の両手首を自分の手で地面に押さえつけた。アリアナが傷口をガーゼで抑えた。

「次のガーゼ!」

 彼女の叫び声にロホが応じた。新しいガーゼで傷口を抑えたアリアナが少佐に向かって怒鳴った。

「出血を止めて下さい! 血を止めて、少佐!」

 シオドアは空気の温度が5度ばかり一気に落ちた気がした。物凄く寒い。ケツァル少佐が眉間に皺を寄せた。全身に力が入った・・・と思ったら、突然抵抗がなくなった。

「少佐?」

 思わず声をかけると、アリアナは落ち着いて傷口を拭った。新しい血は出て来なかった。

「グラシャス、少佐。」

と彼女は呟き、ロホに針と糸を要求した。 シオドアは訳が分からなかった。ロホを見ると、ロホが囁いた。

「アリアナは今、少佐と”連結”しています。」
「え?」

 アリアナは外科医ではない。遺伝子を分析して病気の治療法を考える研究医だ。しかし彼女は今、針と糸を使って少佐の胸の傷を縫合していた。

「”操心”ではなく、”連結”?」
「スィ。少佐がアリアナの腕に教えているのです。アリアナは少佐の手当てをしたいと思い、その方法を少佐が彼女の腕を使って教えているのです。でもアリアナにはその自覚はありません。」

 人間の皮膚を縫うところを見るのは、いつも苦手だ。シオドアは目を瞑りたくなった。しかしアリアナの作業から目を逸らすのも不安だった。医者と言っても外科手術には素人なのだ、彼女は。彼女が遂に最後の一針を結び終えた途端、彼は思わず天井を見上げて神への感謝の言葉を口にしていた。
 アリアナが大きく息を吐いた。ロホが新しいガーゼで少佐の傷口を拭い、別のガーゼで覆ってテープを貼った。心臓の手術にしては安易過ぎる処置だ。ステファン大尉がまだ少佐の体を抑えたまま、シオドアに声をかけた。

「テオ、アリアナの手を洗ってあげて下さい。」

 シオドアは言われた通り、アリアナを少し離れた所へ誘導し、バケツの冷たい水で手を洗ってやった。良くやった、と声をかけてやると、彼女は涙を流していた。

「私、少しは償えたかしら・・・」
「アリアナ・・・」
「記憶にはないの。でも私が彼女を刺したんだわ。だって他に誰もいないもの。」

 シオドアは”妹”を抱き締めた。

「俺が君を放ったらかしにしたから、恐い目に遭わせてしまった。ごめんよ。誰も君を責めたりしない。君は”ヴェルデ・シエロ”の私怨に巻き込まれただけなんだ。皆んなはわかってくれている。」

 視線を少佐の方へ向けた。地面に置いた携帯ライトで寝ている少佐がぼんやりと照らされていた。まだステファンが彼女の腰の上に体重をかけた姿勢で、少佐の体を洗浄しているロホを見ていた。ロホは入念に少佐の皮膚に流れた血液を拭き取っていた。それがなんだかエロティックな光景に見えたので、不謹慎だと思いつつ、シオドアはつい品のない冗談を言ってしまった。

「君達、まるで少佐に悪いことをしている不良軍人に見えるぞ。」

 ロホが顔をあげてステファンを見た。ステファンもぎくりとして視線を少佐からロホに向けた。

  コイツら、本当に楽しんでやがったのか?

 ステファンがそそくさと少佐から下りた。ロホも手早く作業を終わらせ、己の上着を脱いで少佐の上半身にかけた。
 ステファン大尉が少佐の側に腰を下ろし、水筒の水をガブガブ飲んだ。ロホは汚れたガーゼや布切れを集めると、神殿の外に持ち出した。ジャングルでは汚物を地面に埋めたが、洞窟内に土はなかった。どこも岩だらけだ。彼は階段から2メートルばかり離れた位置に汚物を入れた袋を置いた。結界の内側だ。仲間の血を敵に渡す訳にいかないのだ。
 シオドアはアリアナを導いて少佐の側に戻った。少佐は目を閉じていたがその顔は穏やかに見えた。ステファン大尉も姿勢を崩して地面に横になった。消耗し尽くしていたのだ。
 シオドアは眠る気分ではなかった。主力の3人のうち2人が眠ってしまっているのだ。彼はロホにも休憩してくれと言った。

「ライフルなら俺にも扱える。耳を研ぎ澄まして敵が立てる音を聞いているよ。」

 ロホは逆らわなかった。

「では1時間だけ休ませてもらいます。」

 彼は神殿の床ではなく、入り口の柱の陰に入った。シオドアはアリアナを振り返った。彼女は少佐から抜け落ちたナイフを見ていた。そっと手を伸ばし、しかし指先が刃に触れると電流にでも触れたかの様にパッと手を引っ込めた。汚らわしい物を見るのも嫌とばかりにナイフから離れてシオドアの体に身を寄せた。シオドアは少佐から渡されていた拳銃を出した。

「使えるか?」
「ええ。」
「これで身を守れ。真っ暗な世界だから、俺は全員を守り切れる自信がない。」

 彼は彼女に拳銃を預けた。

「ライトを消した方が良くない? 敵に見られるわ。」
「向こうは闇の中でも見えるんだ。君も操られていた時は、灯なしで歩いて来たんだよ。」

と言ってから、シオドアは初めて気がついた。アリアナは何処からやって来たんだ? どの坑道を歩いて来た? ”ヴェルデ・シエロ”の友人達は彼女がやって来るのを見ていた。彼女が通ってきた方角を辿れば坑道の入り口がわかる筈では? 



2021/08/08

太陽の野  21

 それは世にも恐ろしい光景だった。シオドアは己の目が信じられなかった。ロホに支えられたケツァル少佐の左胸にナイフが突き刺さっていた。ステファン大尉がアリアナに銃口を向けた理由がわかった。それでも・・・

「カルロ、銃を下せ! 頼む!」

 その時、アリアナが両手を地面に突いて上体を起こした。彼女の唇が動き言葉を発したが、その声はその場の人間全員を戦慄させた。

「俺はやったか? シュカワラスキ、貴様の息子を俺は殺せたか?」

 男の声だった。聞いたこともない男性の声だった。シオドアは彼女の両肩を掴んで激しく揺すった。

「アリアナ、目を覚ませ! 戻って来い!」

 その時、少佐を支えているロホが叫んだ。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 シオドアとステファンは彼を振り返った。シオドアの腕の中で急にアリアナの全身から力が抜け、ぐにゃりとなった。シオドアは慌てて彼女を抱き寄せた。幸いアリアナは息をしていた。
 ロホが彼に怒鳴った。

「ドクトラを神殿に入れて!」

 彼はステファンにも怒鳴った。

「カルロ、少佐の脚を持て! 神殿に運ぶ。」

 シオドアはアリアナを抱き上げ、神殿に向かった。膝が震えたが、頭の中は真っ白だった。ロホとステファン大尉はケツァル少佐の体を慎重に運んだ。2人の女性を、少々距離を開けて寝かせた。少佐が目を開いたままだったので、ロホが彼女の耳元で囁いた。

「目を閉じて下さい。」

 少佐が瞼を閉じたので、シオドアとステファンはほんの少しホッと息を吐いた。ロホがステファンに声をかけた。

「指示を頼む、大尉。」

 シオドアはステファンが一瞬たじろぐのを感じた。この緊急事態に、大事な女性の災難に、怖気付くのか? シオドアはロホに加勢した。

「俺たちは君の命令に従うよ、エル・ジャガー・ネグロ。」

 ステファン大尉はロホとシオドアを交互に見比べ、それから少佐を見た。彼女の胸にナイフが突き立ったままの姿は恐ろしかった。
 ステファン大尉はちょっと全身をブルっと震わせた。そしてロホに言った。

「少佐の傷がどんな状態か報告出来るか?」

 ロホがじっと少佐を見つめた。

「ナイフの刃が心臓を貫いている。しかし・・・」

 彼は顔を上げてステファンを見た。

「出血はない。」

 後は”心話”での報告だった。恐らく、ロホは透視した内容を伝えたのだ。ステファンが首を振った。

「私に出来るとは思えない。」
「君は出来る。」

 ロホはもう一度言った。

「君はグラダだ。出来る。私には無理だ。」

 何を話し合っているのか、シオドアにはわからない。だが時間が経てば少佐の命が危ないことはわかっていた。
 その時、アリアナが動いた。体を起こしかけ、シオドアが声を掛ける間もなく、彼女は隣に寝ている人の状態に気がついた。胸にナイフが刺さっているのを見たのだ。
 いきなり金切声を上げられて、2人の”ヴェルデ・シエロ”の男達が仰天した。彼等がライフルを掴んだので、シオドアはアリアナの口を塞いだ。

「大丈夫だ、アリアナ、落ち着け・・・」

 ロホが「アリアナ!」と名前を呼んだ。彼女が顔を向けると素早く目を合わせた。アリアナがまたシオドアの腕の中でぐったりとなった。ロホがシオドアに説明した。

「眠らせただけです。安心して下さい。」
「グラシャス、ロホ。アリアナは俺が見張っているから、早く少佐を助けてやってくれ。」

 ロホは頷き、ステファンに向き直った。ステファン大尉はライフルを地面に置いた。

「わかった、やってみる。否、やってみせる。」

 彼は神殿の外にさっと視線を走らせ、それからロホに命令を下した。

「神殿の周囲に結界を張れ、中尉。私には出来ないから、君にやってもらうしかない。外で動く者がいたら、躊躇なく撃て。」
「承知した。」

 ロホはアサルトライフルを掴んで神殿の出入り口へ行った。
 ステファンは次にシオドアを見た。シオドアは己に何が出来るだろうと考えていたところだった。テオ、とステファンが言った。

「これから私は少佐の体からナイフを抜きます。」

え? とシオドアは驚いた。心臓を貫いている刃物をここで抜くと言うのか? ステファンはそれ以上の説明はせずにシオドアがすべきことを言った。

「皆んなのサポートをお願います。水分補給や体を温める工夫や・・・照明は我々のヘッドライトを使って下さい。予備の電池も遠慮なく使って、それから、ナイフが抜けたら傷口を縫合するので、タイミングを見計らって固形燃料に点火して下さい。難しければロホの力を借りて・・・」
「手術の手伝いはロホが怪我をした時に経験している。少佐の体を押さえて欲しい時は声をかけてくれ。」
「グラシャス。」

 シオドアがリュックの中から医療キットを出そうとゴソゴソしていると、ステファンがまた「テオ」と呼んだ。振り返ると、大尉が言った。

「さっきはアリアナに銃を向けて申し訳ありませんでした。」
「ああ・・・いや、気にするな。」
「気にします。もし少佐と私の立場が逆なら彼女は絶対にあんなことをしない。」
「そうかな? 彼女だって、愛する者を傷つけられたらブチ切れるさ。」

 ケツァル少佐はロホを刺した反政府ゲリラのカンパロに銃弾を山ほど撃ち込んだのだ。
 シオドアは医療キットを出し、大判の保温シートを出して少佐の下半身に被せた。彼が少佐から離れると、ステファンが少佐の腰の部分に跨る様に乗った。彼女に体重をかけない様に腰を浮かせた。その不安定な姿勢で彼は少佐の胸に突き立っているナイフに両手をかざした。但しナイフそのものには触れなかった。ナイフを見つめてじっとしている彼を見て、シオドアは何をしているのだろうと思った。だが声をかけて彼の精神集中を邪魔したくなかった。
 シオドアは水筒を持って神殿の出口で座っているロホのそばへ行った。ロホは結界を張った様だが、シオドアには何も見えなかった。もっとも結界と言うものがどんなものか、彼は知らなかった。ロホはアサルトライフルを抱えて外を眺めていた。余裕がありそうに見えたので、シオドアは水筒を持ってきた、と声をかけてみた。ロホが外を見たまま、「グラシャス」と応えた。シオドアは彼の斜め後ろに腰を下ろした。

「話せるかな?」
「構いませんよ。」
「少佐の傷だけど・・・」
「両刃のナイフで心臓を一突きされています。」
「普通の人間だったら死んでいる。」
「我々も不用意にナイフを引き抜かれたら死にます。アリアナは少佐を刺した後すぐナイフから手を離しました。ナイフを動かさなかったので、少佐は助かったのです。」
「それじゃ、本当に危なかった・・・」
「今も危険なことに変わりありませんが・・・」

 ロホはチラリと背後のステファン達を見て、また前方へ向き直った。

「少佐は刺されて固まったでしょう? 自分で体の中の傷を抑えたんです。」
「それは・・・ええっと?」
「テオ、貴方は普通の人より怪我の治りが早いですよね。」
「スィ。」
「我々も同じです。怪我をしたら細胞がすぐに自己修復を始めるんです。カンパロに刺された時、私はずっと気絶していましたが、その間に神経組織や腱や血管を修復していました。だから少佐は手術の時、傷口の縫合だけして下さった。後で軍医がまた傷を広げて余計なことをしてくれましたがね。」
「それじゃ、少佐は今自分で怪我の治療中なのか?」
「ナイフを抜く必要があります。心臓ですから流石に自分では無理です。だから、今カルロが気で少しずつナイフを少佐の体の外へ引き出しているところです。刃が1ミリ動いたら少佐が1ミリ修復する、その繰り返しをしているのです。一度に抜くと少佐が追いつけないので、カルロは彼女の反応を見ながら慎重に抜いています。大変消耗する作業です。」
「交代で出来ないのか?」
「ブーカの力では無理です。半分も抜かないうちに私がばててしまいます。そうなると結界を守れなくなります。」
「カルロはまだ結界を張れないんだな。」
「張り方を学習していませんから。」
「体内の透視や、操られている人間を目覚めさせるのも、彼には無理なんだな?」
「無理と言うより、未学習なのです。最近迄気を抑制出来なかった男ですから。ですが、今彼は物凄い集中力で気をコントロールしているでしょう? あれなら他の技もどんどん上達していきますよ。」

 ロホはシオドアが置いた水筒を目で見ずに掴み取り、喉を潤した。シオドアは彼に言うべきことがあったと思い出した。

「アリアナにかけられた”操心”を解いてくれて有り難う。」
「あれは・・・」

 ロホが苦笑した。

「トゥパル・スワレが自ら解き方を教えてくれたから出来たのです。」
「スワレは少佐がかけた”幻視”に惑わされたんだな。」
「”操心”をかけられている人に”幻視”をかけるなんて、普通は不可能なのですが・・・」

 ロホが溜め息をついた。

「グラダ族の力は本当に凄いです。少佐は”操心”の目的を探ろうと”幻視”をかけたのです。成功しましたが、我が身を犠牲にしてしまうところでした。」


太陽の野  20

 それから一行は2時間歩き1時間休憩すると言うパターンを3回繰り返した。地上では日付が変わって日が高く昇る頃に、奇妙な大岩の前に到着した。大きな庇が左右一列に並んだ太い柱で支えられている。奥は洞窟になっているが入ってすぐに行き止まりになっているらしく、ライトの光で壁が白く光った。奥の壁は太陽に似た円形の紋様が彫られている。太陽には顔があった。笑っている様にも威嚇している様にも見えた。太陽の周囲は星か花が散らすように掘り込まれ、両側の壁にも彫刻がある様だ。入り口は4段の階段になっていて、蛇の鱗に似た紋様が列柱に彫られていた。庇の表面にもレリーフがあった。それを指差してロホが読んだ。

「太陽の野に星の鯨が眠っている」

 シオドアは少佐を振り返った。

「暗がりの神殿に着いたんだね?」
「スィ。」

 少佐は用心深く神殿の周囲を見回した。シオドアもヘッドライトで照らして見た。神殿の前は広い空間だった。何処かに水流があるのか、水音がこだましていた。シオドアは洞窟の天井を見た。鍾乳洞ではないと思われるが、岩が天然のままで不規則な表面だ。神殿以外の洞窟の壁も自然石に見えた。ひどく場違いな場所に遺跡が眠っている。誰が何の為にこんな地中深くに神様を祀ったのだろう。
 シオドアに階段の前から動かないよう指図して、大統領警護隊の3人は広場を探索したが、アリアナ・オズボーンもシャベス軍曹もいなかった。彼等はここへ来なかったのか? それともまだ来ていないだけなのか? シオドアは不安に襲われた。自分達は時間をかけて危険な場所に降りて来て、無駄な努力をしただけなのか?
 少佐が戻って来た。シオドアはどうすると尋ねようとした。彼女が静かに、と指を唇に当てた。彼に身を寄せて立つと、無言で周囲を見回した。アサルトライフルを水平方向に構えて、何時でも撃てる体勢になった。彼女は何かを感じたのだ。シオドアは己の頭のヘッドライトを消すべきかと迷った。しかし彼女から指図はなかった。ただ動くなと手で合図されただけだ。ヘッドライトの光が暗闇の中に吸い込まれて行く、その先に何かが動いた様な気がした。
 右手の暗闇の中から音もなくロホが現れた。少佐と同じ方向にアサルトライフルを向けていた。左手、やや後方にステファン大尉がぼんやりと見えた。彼は片膝を地面に突いて、やはり仲間と同じ方向に銃口を向けていた。シオドアは目だけ動かして仲間の方を向かないように努力した。
 石を蹴る音が聞こえた。土の上を誰かが足を引き摺って近づいて来る、そんな感じの音が聞こえた。ヘッドライトの光の外を誰かが歩いて来る、とシオドアは聞き取った。闇で見えないが、多分射程距離内に入った。しかし少佐は発砲許可を出さなかった。
 光の中にぼうっと人の姿が現れた。くしゃくしゃの長いブロンド、汚れたロングコート、傷だらけの素足、生気のない目が闇の中を泳ぎ、両手でものを探るように空気をかいて、アリアナ・オズボーンが歩いて来た。

「アリアナ!」

 シオドアは思わず駆け出した。しかし数メートルも行かないうちにステファン大尉に腕を掴まれた。

「ノ! テオ、駄目だ!」
「離せ、あれは間違いなくアリアナだ!」
「そうです、アリアナです。でも、何かおかしい!」

 シオドアはアリアナを振り返った。彼女はシオドアとステファンの騒ぎが聞こえている筈なのに、無視した。真っ直ぐ神殿に向かって歩いて来るのだ。
 その時、少佐がライフルを地面に置いた。背中の荷物も置いて、ゆっくりとアリアナに向かって歩き始めた。シオドアのヘッドライトが交互に2人の女性を照らした。アリアナはまだ無反応のまま歩き続け、少佐は何かをしようとしていたが、それが何なのかシオドアにはわからなかった。
 洞窟内の気温が2度程下がった様な感覚があった。少佐の向こう側にいるロホの姿は闇に隠れて全く見えなかった。シオドアは彼の腕を掴んでいるステファン大尉の手に力が籠るのを感じた。まるで爪を立てられた感じだ。彼はステファンの手をもう片方の手で叩いた。もう大丈夫だから、と伝えた。ステファンが手を離した。チラリと見ると、彼の目が緑色に輝いていた。ここでナワルを使うな、とシオドアは心の中で念じた。まだ黒幕が姿を現していない。空気が冷たい。ケツァル少佐が気を放っているのだ。それにステファンが反応してしまっている。異母姉の桁違いな気の大きさに引きずられているのだ。ロホは平気だろうか?
 ヘッドライトの光の中で、2人の女性が向かい合って立った。アリアナが初めて反応した。

「カルロ?」

と彼女は少佐に呼びかけた。彼女にはケツァル少佐がステファン大尉に見えているのだ。少佐が声をかけた。

「お一人ですか?」

 シオドアには少佐の声にしか聞こえなかったが、アリアナの耳には片想いの男の声に聞こえたようだ。少佐が彼女に”幻視”をかけているのだ。彼女が微笑した。口元だけの微笑だ。

「ええ、一人よ。誰も邪魔は入らないわ。」

 シオドアとステファン大尉からは少佐の後ろ姿でアリアナの全体像が見えなかった。

「シャベス軍曹は何処です?」
「何処か向こう・・・」

 アリアナはゆっくりと斜め後方を振り返ったが、誰もいないのかステファン大尉はその動きに反応しなかった。彼女がまたゆっくりと少佐に向き直った。

「貴方が来て下さって嬉しいわ。私が欲しいのは貴方一人だけ・・・」

 アリアナが少佐に抱きついた。クッと少佐が微かに警戒音を出した。

「ノー!」

 ロホが暗闇から跳び出した。ステファン大尉も夢から醒めた様に動き、アリアナを突き飛ばした。シオドアには何が起きたのか、すぐに理解出来なかった。
 ロホが少佐を両腕で支えた。シオドアはステファン大尉が地面に倒れたアリアナに銃口を向けるのを見て、やっと体が動いた。

「撃つな、カルロ、止めてくれ!」

 銃口とアリアナの間に入って、初めて何が起きたのか、彼は知った。思わず叫んだ。

「少佐! 死ぬな!」

太陽の野  19

 坑道の路面は歩きやすいと言い難かった。トロッコを通したインクライン跡などはレールに足を取られそうになった。 上りになったり下りになったり、水が溜まって迂回路を探したりと時間ばかりかかってなかなか進めない。

「もう6時間歩いたかなぁ・・・」

 思わずシオドアが呟くと、少佐が「ノ」と言った。

「竪穴から出発して3時間12分です。」

 ステファン大尉も言った。

「今、2043です。」

 腕時計を見ると確かに午後8時43分だった。先頭のロホが提案した。

「休憩して夕食にしませんか?」

 彼が「あそこ」と言ったが、シオドアには見えなかった。

「あそこに乾いた岩棚があります。そこで休憩しましょう。」
「ブエノ。」

 少佐が同意したので彼等はさらに10分程歩いて、岩棚に到着した。シオドアは荷物を下ろし、食糧と水を出した。バルデスは上等の携行食を準備してくれていたので、陸軍配給の食物より美味しく食べることが出来た。

「ジャングルだったら食い物になる生き物がいくらでもいるのに、ここは何もいない。」

とステファン大尉がぼやいた。

「よくこんな所で親父は2年も籠城出来たもんだ。」
「君のお母さんが援助したんだろ? すごく助かったと思うな。」

 シオドアは降りてきた竪穴を思い出した。カタリナ・ステファンは一人で井戸を降りて夫の援助を続けたのだ。

「何処の井戸を使って彼女は援助したんだい?」
「知りません。」

とステファンは素っ気なく答えた。

「ムリリョ博士に教えられる迄、私は何も知らなかったのですから。」
「お母さんに訊いてみなかったのか? 否、ご免、そんなこと、訊けないよな。」
「実家の近所の井戸じゃなかったのか?」

とロホも尋ねた。さて、とステファンは首を傾げた。

「スラム街だったから、井戸は共同だった。そんな所にお袋が上り下り出来た筈がない。」

 ケツァル少佐がロホが持ってきた地図を広げた。シオドアのヘッドライトがぼんやりと紙面を照らし出した。

「神殿がここ・・・」

 彼女が地図の下の方を指した。

「私達の現在地は、恐らくここ・・・」

 かなり神殿から距離がある。まだ上の方だ。

「スラム街はこの周辺、そこから車で5分程の所に昔の鉱夫町がある。多分、空き家が並んでいると思われます。ここの土地柄を考えれば、石造の家でしょう。この土地で生まれ育った人にとっては歩いて行ける普通の距離だと思いますが?」
「スィ、この高低差は住民にとって問題ではありません。その空き家町は記憶にあります。隠れん坊に丁度いい場所なのです。不良どもの溜まり場にもなっていました。そう言えば、祖父に枯れ井戸に落ちるといけないから遊ぶなと注意されたことがありました。」

 空き家町はシオドア達の現在地の地上からそんなに遠くない位置にあった。

「俺たちが現在いる深度まで井戸が掘られているとは思えないから、もっと浅い場所でシュカワラスキ・マナとカタリナは会っていたんだろうな。」
「井戸がこのあたりにあったとすると、やはりマナは”暗がりの神殿”の近くにいたのでしょう。トゥパル・スワレが私達を誘き寄せる理由が神殿にあるのかも知れません。」

 少佐は手にしていた携行食をふと眺めた。

「このチキン入りのパテは美味しいですね。」
「メーカーを覚えておいて、次の発掘隊警護の時に発注しましょう。」

 ステファンが包み紙をじっくり見つめた。シオドアは笑いたくなった。この2人、いつも発想が同じと言うか、同じタイミングで話題を変えると言うか・・・

「似てるなぁ、君達・・・」

 誰が? と少佐と大尉が彼を見た。ロホはシオドアと同じ感想を持ったらしい。

「姉と弟が、ですよ。」

と彼は言って、横を向いた。笑いたくなって堪えたのだ。

2021/08/07

太陽の野  18

  ケツァル少佐が選んだ入り口は閉鎖されて15年経ったと言う廃道だった。閉じられた扉をこじ開けて数メートル行くと竪穴になった。昔はエレベーターが設置されていたのだ。腐食したケーブルの残骸が岩壁にへばり付いていた。ライトで照らしてみると光が届く範囲に底が見えたが、飛び降りる訳にいかない。ロープを入り口の鉄柱に固定し、最初にロホが降りた。足場を数カ所確認して下へ降り立つと、次に荷物を降ろした。それからシオドアの番だった。岩登りは初めてだったので、最初は流石に躊躇したがロホが印を残した場所に足を引っ掛けながらなんとか下へ到着した。始まったばかりなのに既に汗だくになった。続いて少佐が飛ぶように降りて来て、最後にステファン大尉が到着した。穴の中は冷たく湿っぽかった。風が微かに吹いていた。
 バルデスは人数分のヘッドライトを用意してくれていたが、使用したのはシオドアだけだった。”ヴェルデ・シエロ”達は暗闇でも目が見えるのだ。それでもヘルメットに着けていたのは、シオドアのライトが使えなくなった時の用心だった。

「神殿は地図ではこの方向ですね。」

とロホが言ったが、シオドアには見えなかった。どっちだ?とキョロキョロしかけると、ケツァル少佐が横に来て手を繋いでくれた。

「私達だけが見えていると言うことを忘れてはいけません。ロホ、貴方が先頭です。行手に何があるか報告しなさい。カルロ、貴方は殿です。ヘッドライトを点けてドクトルに周囲の様子が見える様に心がけなさい。ドクトル、貴方は申し訳ありませんが、出来るだけ荷物を持って下さい。但し、両手は使えるように空けて下さい。」

 指図した彼女自身はアサルトライフルの安全装置を外した。

「少しでも怪しい気配を感じたら、私は撃ちます。私が警戒音を発したら全員伏せなさい。」

 勿論男達も武装している。シオドアも拳銃を持たされた。少佐が言った。

「一緒に戦い一緒に帰る。」

 以前も聞いたことがある。反政府ゲリラ”赤い森”のカンパロと戦った時だ。シオドアは躊躇わず、ステファン大尉とロホと共に声を合わせて復唱した。

「一緒に戦い一緒に帰る。」

 そして4人は歩き出した。
 息が詰まりそうな暗闇だ。しかし坑道の随所に捨てられたケーブル、バケツ、掘削道具が朽ちかけて転がっていた。ランプを置くのに使われた棚も掘られていた。人間がいた痕跡があるだけでも心強い。枝道が何本かあったが、ロホは迷わず行く先を選んで進んだ。
 静寂がプレッシャーになって来たので、シオドアは少佐に囁きかけた。

「さっきの出発のフレーズだが、あれは君達のモットーかい?」
「と言うと?」
「大統領警護隊文化保護担当部のモットーなのかな?」
「ノ。」

と少佐が短く答えた。

「だけど、カンパロからロホを救出に行く時も、あれを唱えただろう?」

 すると後ろでステファン大尉が言った。

「文化保護担当部は戦闘部隊ではありません。あれはセルバ陸軍のモットーです。」
「我々も一応は陸軍の一部の様な物ですから。」

とロホも言った。

「敵と戦う時は、己を鼓舞する目的で唱えます。」
「文化保護担当部のモットーはないのかい?」

 するとステファンが言った。

「さっさと報告書を上げる!」

 ロホと少佐が爆笑した。


太陽の野  17

  午後5時に社屋へ荷物を取りに来るとバルデスに約束して、大統領警護隊とシオドアは一旦基地へ戻った。遺跡発掘隊を警護する時に使用する部屋があり、そこで夕刻迄シエスタとなった。ケツァル少佐はロホがバルデスの部屋からもらって来た大きな紙の地図を広げて、どの坑道口から入るか検討していた。部下の意見は聞かないので、ステファン大尉は椅子を並べて昼寝を決め込み、ロホも風が当たる廊下に出て壁にもたれかかった。持参した武器の手入れをしないので、多分それは既に出発前に済ませているのだろう。
 シオドアは少佐の向かいから地図を眺めた。坑道図なので複雑な地図だ。三次元のものを二次元で描いてある。眺めても、暗がりの神殿がかなり深い位置にあるとしかわからなかった。

「どうして、こんな深い場所に神殿を造ったんだろう。」

 彼が呟くと、少佐が目で何かを数えながら答えた。

「地下から来たからです。」
「はぁ?」

 彼は彼女を見た。

「誰が?」
「先祖が。」
「グラダ族の先祖が地下から来たって言うのかい?」
「グラダ族だけでなく、”ヴェルデ・シエロ”の先祖が、です。」

 彼女は”暗がりの神殿”の印からほぼ直線に緩やかな傾斜で地上へ延びる坑道を指差した。その大半は赤く塗られていた。

「地下から来て、上を目指して登って行ったのです。地上に出て、青くて高い空と風に揺れる緑の大地を見た時、彼等は深い感動を覚えたことでしょう。」
「だから・・・”ヴェルデ・シエロ(空の緑)”?」

 少佐はシオドアを見た。

「ただの神話ですよ。」

と言った。シオドアは苦笑した。

「君達の存在自体が神話じゃないか。」

 彼は地図の神殿の印を指差した。

「君達の親父さんはこれを探したんだろう? ここに彼を一族の縛りから解放してくれるものがあるかも知れないと期待したんじゃないかな。」
「そんな実在するのかしないのかわからない物に頼っていては、いつまで経っても自由は手に入りません。それに彼が探したのは神殿ではなく、鯨です。」
「ますます混乱する。地下にどうして鯨がいるんだ?」
「化石じゃないですか?」

 神様らしくない答えを言って、少佐は一つの抗口を指した。

「ここから入りましょう。最初は急勾配で歩きにくいでしょうけど、エレベーターよりは安全です。地下で箱に閉じ込められる危険は冒せませんから。」
「シャベス軍曹とアリアナは坑道に入ったと思うかい?」
「2人は”ヴェルデ・ティエラ”と同じですから、私に彼等の存在を感じ取ることは出来ません。でも”操心”をかけられているのでシャベスの動きはなんとなく感じます。彼はこの街に来ています。」
「憲兵隊の検問は無駄だった訳だ・・・」
「特殊部隊の隊員ですから、検問を避ける要領は十分わかっている筈です。それに操る人間も一緒です。上手く気を抑えていますが、そのうちに尻尾を出します。」
「そいつがトゥパル・スワレとか言う爺さんだとして、どうしてカルロを誘き出す必要があるんだろう? そいつの術が優れているのなら、グラダ・シティで彼を殺せた筈だ。手の込んだことをする必然性があると俺には思えない。それに彼が子供のうちに始末してしまった方が、誰にもバレずに済んだだろうに。」

 少佐が腕組みした。

「確かに、貴方が言う通りです。トゥパル・スワレが暗殺の首謀者だとして、何故今なのかと言う疑問が残ります。簡単に殺せる子供時代は手を出さず、大人になって大統領警護隊と言う”ヴェルデ・シエロ”にとって最高の能力開発訓練の場にいる彼を狙い、眠っていた彼の能力を目覚めさせてしまいました。全く逆効果です。」
「今迄は、彼に手を出せない理由があったんじゃないか?」

 シオドアは地図を広げたテーブルの上に身を乗り出した。

「トゥパル・スワレは君にもカルロの妹にも手を出していない。女だから手を出さないんじゃなくて、やっぱり手を出せない理由があったんだ、きっと。もし今回の罠でカルロを殺してしまったら、次は君と妹が狙われる、俺はそんな気がする。」

 ケツァル少佐は小さな溜め息をつき、椅子の上で寝ている異母弟を見た。

「新入隊員の披露式で並んでいる彼を見た瞬間に、彼に私と同じグラダの気を感じて、初めて同族を見つけた思いで嬉しかったのです。それから折に触れて彼の訓練の様子を伺っていました。気のコントロールが下手で一族としては落ちこぼれでしたが、兵士としては優秀でしたから、期待していました。エステベス大佐が文化保護担当部を設置すると決めて私を指揮官に任命された時に、部下を自由に選べと仰いました。私は迷わず彼と優秀なロホを選びました。正反対の2人ですが彼等と上手く働ける自信があったのです。どちらも私にとっては大事な部下であり、弟達です。今回の件に、本当はロホを巻き込みたくなかったのですが、彼が事件の第一発見者ですからね、仕方がありません。それに彼の力が必要です。まだカルロは自由に能力を使いこなせていませんから。」

 彼女はシオドアに視線を戻した。

「本心は貴方も地下へ連れて行きたくないのです。私にとっても未知の場所ですから、危険過ぎます。」
「残れなんて言わないでくれ。」

 シオドアは彼女を見つめ返した。

「俺は自分だけ安全な場所で待つのは御免だ。足手まといにならないよう努力するから、連れて行ってくれ。」

 少佐が微笑してうなづいた。彼女は地図を片付け、いきなりテーブルの上に乗っかった。

「夕刻までまだ時間があります。私達も休憩しましょう。隣にどうぞ。」

 彼女が横のテーブルの面を叩いてみせたので、シオドアはドキドキした。嬉しいが、どうして彼女はこんなに男の心を理解しないのだ?



太陽の野  16

「セニョール・バルデス」

とケツァル少佐に呼ばれて、アントニオ・バルデスはキーボードから顔を上げた。シオドアはふと彼と愛するゴンザレス署長のファーストネームが同じであることを思い出し、ちょっと忌々しく思った。もっともアントニオと言う名前はスペイン語圏ではありふれた名前なのだ。大学の学生達の中にもアントニオは数名いたし、文化・教育省でも何人かいる。養父とマフィアの様な会社の社長が同名でも我慢するしかない。
 少佐が壁の大画面の一点を指さした。

「ここに神殿とありますが、遺跡ですか?」

ああ、とバルデスが頷いた。

「スィ、少佐、古代の神殿です。暗闇の神殿とか暗がりの神殿とか呼ばれています。そこへ行く坑道はもう10年以上も昔に閉鎖になっています。金が出なくなったし、古くからこの街に住んでいる鉱夫連中が近づくのを嫌がるので。」
「何か呪いでも?」

とシオドアが尋ねると、バルデスは苦笑した。

「ノ、先住民の聖地ですよ、ドクトル。闇の中にある岩を削って造った神殿で、私は行ったことがないのでどんな場所か知りませんし、街の外では知られていないので発掘調査もされたことがないでしょう。」

 彼は少佐に顔を向けた。

「学術調査でも入るんですか?」
「そのうちに」

と少佐は誤魔化した。

「闇の中にあると言うことは、照明施設はないのか?」

とシオドアは出来るだけ情報を集めようと試みた。

「いや、昔は坑道に金鉱石が出たので古い電線はあります。まだ使えるかどうか知りませんが。神殿が発見された時代は、油ランプで掘っていましたからね。」

 バルデスは紙の地図を広げているロホをチラリと見た。

「どうしてあんな深い地下に神殿を造ったのか、ご先祖の気が知れません。」
「貴方の先祖でないことは確かです。気にしないことです。」

と少佐が言った。 

「赤い色の廃棄坑道ですが、中には通れない箇所もあるのでしょうね。」
「あります。落盤箇所は報告がある限り印を入れていますが・・・」

 バルデスはポインターでバツ印が入った地点を指した。

「閉鎖口から奥で発生した落盤までは把握しかねます。音が聞こえても鉱夫達を危険な場所へ確認に遣ったりしません。救助活動は時間と金がかかりますからね。」

 彼は大統領警護隊の人々を見回した。

「事前調査に行かれるのは結構ですが、赤い坑道に入るのは止した方が良い。私どもは責任を取りたくありません。」
「ご迷惑はおかけしません。」

 少佐はポケットからメモ用紙を出した。

「これに書いてある装備を本日の夕刻1800までに用意して頂きたい。費用はグラダ・シティの私のオフィスに請求して頂いて結構。」

 バルデスはそのメモをチラリと見て首を振った。

「全部進呈させて頂きますよ、少佐。昨年のお礼がまだでしたから・・・」

 

太陽の野  15

  アンゲルス鉱石の2代目社長アントニオ・バルデスは昼食を終えるとシエスタを取りに自宅へ帰るのが習慣だったが、その日は建設大臣から電話がかかってくる予定だったので、社屋に戻った。広い社長室の隣の個室で昼寝をするつもりで上着を脱いだ時に、階下の受付係から電話がかかって来た。

ーー社長、大統領警護隊のミゲール少佐が面会に来られています。お通ししてよろしいですか?
「ミゲール少佐?」

 すると受付係ではない女性の声が聞こえた。

ーーケツァルと言えばわかります。

 バルデスはぎくりとした。すっかり忘れていた存在なのに、今頃何用だ? 彼は受付係に言った。

「社長室にお通ししろ。」

 バルデスは室内を見回した。大統領警護隊に睨まれるような古美術品はどこにもない。数分後、ケツァル少佐は男性の部下2人とバルデスが知っているアメリカ人の男と共に部屋に入って来た。バルデスは営業用の微笑みで客を出迎えた。

「これは少佐、お久しぶりです。相変わらずお美しい・・・」
「急に押しかけて申し訳ありません。」

 ケツァル少佐は挨拶抜きで単刀直入に要件に入った。

「坑道の地図があれば拝見させていただきたい。」
「坑道の地図?」

 予想外の言葉だったので、バルデスは面食らった。うちの鉱山に遺跡はあっただろうか、と彼は考えた。
 ステファン大尉がバルデスの執務机の上のパソコンを見たので、シオドアは机の向こう側へ行った。

「地図はこの中かな、セニョール?」
「待ってくれ。」

 バルデスは慌てて壁に設置された大画面を起動させた。アンゲルス鉱石所有の坑道が壁に映し出された。蟻の巣の様に複雑に地底にはりめぐされている坑道を4人の客は見上げた。ステファン大尉が少しイラッとした声でバルデスに尋ねた。

「立体図はないのか?」
「只今・・・」

 バルデスは従僕の如く素直に従った。様々な角度から計算された立体図が表示された。事故や警備の為に作成された立体地図のソフトだ。シオドアはバルデスの指の動きとキーボードを見ていた。ソフトの立ち上げ方とパスワードを記憶した。
 
「これで全部ですか?」

と少佐が尋ねたので、バルデスは再び慌ててキーを叩いた。立体図が少し小さくなって、表示区域の範囲が広がった。

「緑が現行の坑道、赤が廃棄坑道です。」

と彼は説明した。ケツァル少佐は立体図の隅々まで目を通し、バルデスを振り返った。

「20年前の図はありますか?」
「20年前?」

 バルデスは訝しげに彼女を見て、うっかり目を合わせそうになった。慌てて目を逸らした。

「二次元図だけならあります。お待ちを・・・」

 ロホが書棚を眺め、紙の図面を引っ張り出した。

「これには他社の坑道も載っているようだな、セニョール?」

 バルデスが頭を抱えた。

「すみませんが、要件は順番にお願いします。」

 少佐とロホが目を合わせ、クスッと笑った。シオドアもステファンと肩をすくめ合った。
アンゲルス鉱石は他社の坑道を買収し、合併吸収し、成長して行ったのだ。新しい年代の他社の坑道地図はあったが、古いものはなかった。拡張されたアンゲルス鉱石の地図を見て、他社の古い坑道をイメージするしかなかった。

太陽の野  14

  基地司令官はグラダ・シティの陸軍本部からシャベス軍曹の手配と確保を命じられていた。大統領警護隊に出しゃばって欲しくない感が滲み出ていたので、ケツァル少佐は挨拶だけで基地から退散した。
 シオドアは司令官室に入れてもらえず、一番格下になるロホと一緒に車両部で待っていたが、見覚えのある顔を見つけた。名前を呼ぶと、相手はびっくりして振り返り、それから照れ笑いの様な泣き顔の様な複雑な表情で近づいて来た。車両部の帽子を脱いで挨拶した。

「お久しぶりです、セニョール・アンゲルス・・・」
「俺の本当の名前はアルストだよ、リコ。」

 かつてアンゲルス鉱石のNo.2だったアントニオ・バルデスがパシリに使っていたリコだった。シオドアが大統領警護隊とバルデスの繋ぎを付けるために利用したので、彼はバルデスに報復されることを恐れた。だからシオドアはケツァル少佐にリコの保護を頼んだのだ。
 オルガ・グランデの下町でヤクザな生活をしていた男が、今オイルまみれの作業着姿で目の前に立っていた。胸にはセルバ陸軍の軍属を示す徽章、袖にも印のワッペンが付いていた。真面目に軍隊で雇われて働いていたのだ。シオドアはちょっとこの元ヤクザを見直した。

「車両部で働いているのか!」
「スィ、セニョール。お陰様で車の整備を習って仕事をもらってます。寝るところがあるし、飯も食わせてもらえる。出かける時は、必ず制服着用を義務づけられてますが、身を守るためなのでしょうがないです。」
「バルデスはもう君のことなんか覚えちゃいないだろうけど、長生きしたけりゃ今の生活を続けることだね。」
「スィ、俺もそう思ってます。」

 リコはロホをチラッと見た。大統領警護隊だとわかっている。

「俺をここへ連れて来たエル・パハロ・ヴェルデですね?」
「スィ、彼は中尉だ。」
「俺が感謝してますと伝えて下さい。あの女性の少佐にもよろしく。」

 リコは両手を組み合わせて祈りのポーズを作って見せ、また仕事に戻って行った。彼が十分遠ざかってから、ロホがシオドアに話しかけた。

「バルデスはネズミの神様の荒魂を扱いかねていました。我々の訪問を心の底で喜んでいましたよ。あの男が我々を呼び込んだことに感謝すべきです。」
「バルデスにそう説教してやれよ。」

 シオドアが笑ったところへ、ケツァル少佐とステファン大尉がやって来た。ロホが基地から借りるジープへ彼等を案内した。当然運転をするのは彼だ。シオドアは助手席に座るつもりだったが、少佐の隣を大尉に指示された。
 鉱山業で賑わうオルガ・グランデはセルバ共和国第2の都市だ。旧市街地にはスペインの植民地時代の名残りである古い家屋が並んでおり、近代的ビルが並ぶ新市街地と細い川を挟んで向かい合っていた。新市街地のビルは建築制限でもあるのか、3階建てばかりで、それより高いビルはなかった。ロホが運転するジープは石畳の旧市街地を横切り、新市街地に入った。アスファルトの道路を走って、アンゲルス鉱石の社屋ビルに到着した。少佐は暫く路上からそのビルを見上げ、それからロホに再度命じた。

「何処か食事が出来るところへ。」

 ロホが車を出し、助手席のステファン大尉と相談を始めた。シオドアは少佐に尋ねた。

「食事の後でバルデスに会うんだったよな?」
「スィ。」
「アポは取ったのか?」
「ノ。でもシエスタの時間に捉まえます。」

 ステファン大尉はオルガ・グランデ出身だったが入隊する前は貧民街の不良少年だったので、新市街地にも旧市街地にも彼が友人にお勧め出来るレストランを知らなかった。それでロホは適当に駐車スペースを見つけ、基地の知人に電話をかけ、店を紹介してもらった。到着した店は緑の樹木で囲まれた庭園風の店で、高そうに見えたが利用客は庶民ばかりだった。ウェイターは客の緑の鳥の徽章に気がつくと慌てて一番涼しそうな日陰のテーブルに案内した。席に着き、料理を注文してから、ステファンが可笑しそうに笑った。

「あのウェイターは旧市街地の不良グループのボスだった男です。私と縄張り争いで散々喧嘩したのですが、さっきは私が誰だかわからなかったようです。」

 すると少佐が言った。

「髭を生やしているからです。次にテーブルに来たら名乗りますか?」
「ノ、昔を蒸し返すようなことはしません。」

 シオドアは呟いた。

「どんな過去でも、昔話に出来る思い出を持っている人は羨ましいよ。」

 ロホが尋ねた。

「まだ記憶が戻らないのですか?」
「まさか・・・」

 シオドアは吹き出した。

「記憶喪失は治った。俺はずっと研究所の特別な部屋で育ったんだ。毎日観察されて学習を強要されて、それが当たり前の生活だと信じて疑いもしなかった。だから、昔話をしようにも、何も語るものがないんだ。アリアナとエルネストと遊んだことぐらいさ。」

 珍しく少佐が彼の手に彼女の手を重ねた。

「必ず彼女を救出します。」
「グラシャス・・・」

 シオドアは友人達を見回した。

「グラシャス、アミーゴス。」


 

2021/08/06

太陽の野  13

  滅多に飛んでいる姿を見たことがない、とセルバ国民から揶揄される程飛ぶ便数が少ないセルバ空軍の物資輸送機がグラダ・シティからオルガ・グランデの政府軍基地に向かって飛び発った。離陸する前から中古の機体はガタガタビシビシと音をたてて、辛そうに唸るエンジンがいっそう乗客達を不安に駆らせた。シオドアは大統領警護隊文化保護担当部の友人3人と一緒に並んでハーネスで機体に体を固定していた。向かいには交代でオルガ・グランデに派遣される陸軍兵が5名並んで固定されている。彼等の視線はシオドアの右隣に座っているケツァル少佐に向けられていた。但し、彼女の目は見ない。セルバ人のマナーだし、相手の胸で光っている緑色の鳥の徽章を見れば、目を合わせるのは絶対に避けたいと言うのが本音だろう。彼等は同様にシオドアの左に座る2人の男性隊員の目も見ない。大統領警護隊と出会うことすら珍しいのに、それが3人も目の前で、同じ機内にいるので、兵士達はちょっと興奮していた。シオドアが白人で民間人であることを忘れている様だ。もっとも、遺跡発掘調査隊の警護に当たれば、彼等は嫌でも大統領警護隊と毎日顔を合わせることになるのだが。

 シオドアは機体の激しい揺れで胃の具合がおかしくなりそうだった。早朝に少佐が朝食として作り置きのお手製煮豆を少しずつ全員に出してくれた。前日の作り立てより味が馴染んで美味しかったのでお代わりを頼むと断られた。ロホもステファンも物足りなそうだったが、彼等は黙っていた。その理由が、この機体の揺れだったのだ。朝食が少量だったので、機内に備え付けられている汚物袋を何とか使わずに済みそうだが、向かいの陸軍兵士達は苦労していた。一度機体がシオドア達の側へ傾いた時、ステファン大尉が思わず彼等に怒鳴った。

「その袋をこっちへ落とすなよ!」

 輸送機には人間の他に食糧や軍が使う備品なども積み込まれていて、果物の甘い匂いが充満していたのだが、それも飛行機酔いの一因だった。ステファン大尉が気の抑制タバコを出して咥えた。火は点けない。酔わないために咥えたのだ。ロホが珍しく1本分けてくれと頼んだので、シオドアももらった。
 タバコは死ぬほど不味かった・・・。
 ケツァル少佐は終始目を閉じて微動だにしなかった。もしかすると気絶しているのかも知れない、とシオドアは心配した。しかしどんなに機体が激しく揺れても彼女は彼に倒れかかってこなかった。ロホが彼女を見て、何か呟いたが、騒音で聞こえなかった。ステファン大尉には聞こえたらしく、大尉が笑った。シオドアが「何だい?」と訊くと、大尉は彼の耳に顔を寄せて囁いた。

「彼女は今この飛行機を必死で守護しているに違いない、とロホは言ったのです。」

 少佐が守護すると言うことは、飛行がやばいと言うことだ。ロホは縁起でもない冗談を言った訳だ。酔い止めの意味で、2人の男性隊員は冗談を飛ばし合った。

「アスルがいなくて良かったな。アイツがここにいたら、目を開けたまま気絶していたぞ。」
「この前飛行機に乗せた時は、搭乗締め切り寸前迄ゲイトで駄々をこねていたからな。」
「アイツが搭乗を嫌がると、その飛行機に良くないことが起きるんじゃないかと、こっちが不安になるぜ。」
「マハルダもそろそろ飛行機を体験させてやらないとな。」
「彼女は相当煩いぞ。離陸から着陸までずっと悲鳴をあげているさ。」
「エンジン音にかき消されるから大丈夫だ。」

 後輩の悪口のオンパレードだ。しかしどれも愛情が篭っていた。兄貴分としてロホもステファンも若い2人の少尉の性格を把握しているのだ。
 やがて輸送機が高度を下げて行くのがわかった。気圧が変化して行く。ロホが大声を出した。

「口を閉じていろよ、着陸するぞ!」

 輸送機としてはかなり乱暴なアプローチで急降下に近い角度で飛行機はオルガ・グランデ陸軍基地へ降り立った。激しい揺れと振動でシオドアは口を閉じていても舌を噛みそうになった。短い滑走路を走って、輸送機は止まった。
 ケツァル少佐が両腕を伸ばして、うーんと声を上げた。

「よく寝た・・・」

 彼女は唖然として見つめている男達に気づかないふりをして、ハーネスを外した。

「先ず、基地司令に挨拶、それから食事、その後でアンゲルス鉱石の本社へ行く。」

 シオドアはハーネスを外しながら彼女にそっと尋ねた。

「カルロのお母さんの様子を見に行かないのか?」

 トゥパル・スワレがステファン大尉の命を狙うなら、母親と妹も危険なのではないか、と彼は案じたのだ。しかし少佐は「不要」と一言で片付けた。荷物を持ってすぐに出口へ歩いて行く彼女を見て、シオドアはステファン大尉を振り返った。大尉は生まれ故郷に戻って来たにも関わらず、懐かしそうに見えなかった。生きるために、家族を養うために窃盗や掏摸や詐欺紛いのことをして少年時代を過ごした街だ。そして父親が一族を相手に一人で戦った土地だ。きっと複雑な気分なのだろう。ロホが荷物を背負うのを見届けて、シオドアは機外に出た。
 基地の中を歩くと、当然ながら出会う人々が大統領警護隊に敬礼して迎えた。迎えられる方は一々返礼するので疲れそうだ。途中、一人の男とすれ違った。消毒薬の匂いがすると思ったら、彼はロホを見て声をかけた。

「マルティネス中尉、もう肩の具合はよろしいのかな?」

 軍医だ。シオドアは思い出した。反政府ゲリラのディエゴ・カンパロに肩をナイフで刺されたロホはここで診察と再手術を受けたのだ。ロホがニッコリ笑って軍医に礼を言った。

「グラシャス、ドクトル。もう以前と変わりなく動けます。」

 彼は腕を回して見せた。軍医も笑顔で彼の肩を軽く叩いて歩き去った。ステファン大尉がちょっぴり不満げに囁いた。

「君の回復が上手くいったのは、少佐が手術してくれたからだ。」
「わかっている。だけど、軍医の顔を立てないとね。」

 ロホはケツァル少佐の手術の手伝いをしたシオドアを見て微笑んだ。するとずっと先に進んでいた少佐が怒鳴った。

「早く来なさい、置いて行きますよ!」





太陽の野  12

  シオドアは文化・教育省が入居している雑居ビル1階にあるカフェでコーヒーを飲みながら、閉庁して帰宅して行く役所の職員達を見ていた。彼は事件現場となった自宅に帰る気がしなかった。家はアリアナを攫った賊に荒らされ、捜査した憲兵隊に更に荒らされた。もうメイドは来ないし、護衛も内務省に断ってしまった。亡命審査官のロペス少佐は良い顔をしなかったが、今回の事件にアメリカ合衆国が全く関与していないと憲兵隊も特殊部隊も結論づけたし、大統領警護隊も同意見だったので、彼は内務大臣に外務省にこの件を持ち込むなと提言した。それでパルトロメ・イグレシアス大臣は国防省に苦情を言ったので、内務省と国防省の間に険悪な空気が漂い始めていた。国防大臣は、憲兵隊と特殊部隊に、シャベス軍曹を早急に確保しアリアナ・オズボーンを発見して救出するように、と檄を飛ばした。今回の件が政治に関係ないところで起きたらしいと考えているシオドアは、翻弄されている軍部が気の毒に思えた。
 帰宅ラッシュが終盤に差し掛かる頃に、やっとケツァル少佐が現れた。テーブルには来ずに、シオドアに来いと合図した。シオドアは彼女について駐車場まで歩き、彼女のベンツに乗った。

「大学には、アリアナは病欠だと届けを出した。内務省からの指示だ。」

とシオドアは報告した。それで少佐も情報を出した。

「シャベスの車がC CT Vに映っていました。西に向かっていました。憲兵隊がハイウェイを調べています。私はエル・ティティ警察に電話でそれらしき車を見なかったかと問い合わせました。」

 シオドアはドキリとした。ゴンザレス署長はアリアナと一度会っている。シオドアの妹として彼女を気に入ってくれた。彼女が誘拐されたと知って、どんな気持ちでいるだろう。しかしケツァル少佐は詳細を地方警察に語っていなかった。

「武装した恐れのあるひき逃げ犯が逃走中と言ったので、恐らくエル・ティティ警察は慎重に検問をしてくれることでしょう。警察に被害を出したくありませんし、シャベス軍曹も出来るだけ無事に確保したいですから。」
「彼を操っているヤツは、目的を果たしたらシャベスを始末してしまうんじゃないかな。」
「その恐れは十分あります。だからキルマ中尉は焦っています。」

 少佐のアパート前に到着した。少佐が車を車庫に入れてから、2人はアパートのエレベーターに乗った。

「アスルは無事に退院したかい?」
「スィ。今夜から病院よりも厳しい官舎住まいです。風来坊には堪えるでしょう。」
「アスルには厳し過ぎるんじゃないか? カルロだって懲罰ものだろ?」

 2人はエレベーターを降りた。少佐のアパートではメイドが夕食の支度をしていた。料理が出来る迄まだ時間がかかるので、2人はリビングでビールを飲みながら話の続きをした。

「アスルは中尉に昇級出来る成績を残しているのに、生活態度が軍人らしからぬと言う理由で少尉のままなのです。司令官は今回の件を利用して、彼の生活態度を改めさせて、昇級の道を開いてやろうとお考えです。」
「親心ってやつかい? だけどアスルは今のままで満足しているんじゃないかな。」

 すると少佐が何とも言えない複雑な笑みを浮かべた。

「少尉の給料では家族を養えませんよ。アスルに家庭を持つ意思があるのかどうか、私は知りませんが。」

 大統領警護隊で少尉は一番下っ端だ。下士官がいなくて少尉の人数はかなり多い。ステファンが中尉の時期に既に独立してアパートの部屋を借りていたし、中古とは言え自家用車を持っていたから、少尉と中尉の給料の差は馬鹿にならないに違いない。

「それじゃ、アスルは中尉になる為の試練を受けている訳か。」
「ですから、今回の事件は彼には教えないことにしました。事件を知れば、彼は官舎を抜け出してしまうでしょうから。」
「仕事も休ませるのか?」
「I Tを使って本部で働かせます。」

 ドアチャイムが鳴った。メイドが応対に出て、すぐにステファン大尉とロホが現れた。2人共にジャングルでの戦闘に行くかの様なリュックを持っていたので、シオドアは驚いた。

「発掘隊の監視に行くのか?」
「ご冗談を・・・」

 ステファン大尉がリュックを床に置いて、シオドアの向かいに座った。少佐の隣だ。ロホもシオドアの隣に座って、リュックを横に置いた。

「アリアナを探しに行くのです。」

と少佐が言った。え? とシオドアは彼女を正面から見た。

「彼女が何処へ連れて行かれたのか、見当が着いたのか?」
「恐らく、オルガ・グランデです。」

とステファン大尉が言った。

「お宅の鏡に呪い文が書かれていたのでしょう? あの文はオルガ・グランデの”暗がりの神殿”に書かれている文句が原本です。」

 ロホも言った。

「犯人がトゥパル・スワレなら、カルロにそこへ来いと伝えているのでは、と我々は考えています。」

 少佐も言った。

「ムリリョ博士に、トゥパル・スワレが今何処でどうしているか問い合わせてみました。博士が掴まらなくても、長老の誰かに尋ねるつもりだったのですが、幸運にも今日は博物館にいらっしゃいました。トゥパル・スワレは2日前から誰にも会っていないとのことです。高齢なので自宅に篭っている可能性もありますが、シャベス軍曹が操られるままにオルガ・グランデに向かった可能性はあります。」

 そして彼女はこうも言った。

「”暗がりの神殿”はグラダ族が最初に建造した聖地だと博士が教えてくれました。」
「私は鉱夫をやったことがないので、地下に降りたことはありませんが、”暗がりの神殿”は鉱夫の間では知られていて、行くにはそんなに難しくないそうです。」

とステファンが説明を追加した。

「ただ、地下の深い場所にあるので、一般人は立ち入れません。アンゲルス鉱石の縄張りでもありますから、無断で入ろうとすると、連中の用心棒に袋叩きにされます。アンゲルス鉱石は金を掘っていますからね。」

 シオドアはロス・パハロス・ヴェルデス達を見回した。

「そんな地下に神殿を造ったのか、君達の祖先は?」
「祖先が何を考えていたかなんて、知りません。」

と少佐が突き放した様に言った。

「ただ、アンゲルス鉱石の土地であると言う障害をクリアして誘拐した女性を神殿に連れて行くのであれば、やはり”操心”の術が必要だと思うのです。シャベス軍曹一人では絶対に無理ですから、術をかけた人物も一緒に行く筈です。」
「目的地が本当にそこなら・・・だね?」
「シャベスの車は西へ向かったことが確認されています。」

とロホが言った。

「エル・ティティで我々を待ち伏せするとは考えにくいし、ティティオワ山では具体的な場所が特定しにくい。カルロを誘き寄せたいのなら、カルロが知っている場所を選ぶでしょう。」

 シオドアはもう一度友人一同を見回した。

「わかった・・・俺も一緒に連れて行ってくれないか? アリアナを助けたい。彼女を放置した俺の責任だ。 しかし、何故彼女なんだ?」
「貴方では、素直に言うことを聞いてくれないから上手く扱えないのでしょう。」

と少佐があっさり言った。

2021/08/05

太陽の野  11

  マリオ・イグレシアス建設大臣は憧れのケツァル少佐が建設省に足を運んでくれたので大喜びだった。しかし少佐は先に憲兵隊隊長と特殊部隊第17分隊分隊長も呼んでいた。ロホは大臣執務室の前にある秘書室で大臣の公設秘書と私設秘書を眺めながら従者用の席に座っていた。憲兵隊の担当班長と特殊部隊の副隊長も一緒だ。3人の軍人が無言で座っているので、公設秘書は落ち着かない様子で、パソコンを眺め、執務室のドアを眺め、机の引き出しを開け閉めして動き回った。私設秘書のシショカは静かに座っていた。新聞を広げ、隅々まで目を通している。多分、どちらの秘書も早く昼休みにしたい筈だ、とロホは思った。面会を昼にしたのは、ケツァル少佐の意地悪に他ならない。
 遅れて亡命審査官のシーロ・ロペス少佐が入って来た。ロペスから微かに脂の匂いがしたので、ロホは彼が先に昼食を済ませて来たことに気がついた。ロペスも大臣への嫌がらせが好きなのかも知れない。
 憲兵と特殊部隊の副隊長は”ヴェルデ・ティエラ”だ。だが厳しい訓練を欠かさず行っているプロの軍人には違いない。大統領警護隊の隊員とは言っても長年事務仕事を専門にやって来たロペス少佐とは雰囲気が違った。ロホは彼等の方に親しみを感じた。だから、ロペス少佐が大臣執務室に入ってしまうと、誰へともなく彼は話しかけた。

「シャベス軍曹の行方は掴めたか?」

 一瞬憲兵班長と特殊部隊副隊長が目を見交わした。勿論”心話”など出来ない。互いにどっちが話しかけられたのだろうと、探り合ったのだ。大統領警護隊に質問されたので答えなければと、彼等は焦った。副隊長が先に言った。

「C C T Vのデータを提出させて片っ端から見ている最中です。」

 憲兵班長も言った。

「当方も同じです。特殊部隊とは言え、車ごと姿を消して逃げられる筈がない。」

 副隊長がムッとして憲兵に抗議した。

「シャベスは犯人に脅されて誘拐の手伝いをさせられたものと思われる。逃げたのではない。」
「特殊部隊の隊員が抵抗せずに誘拐に手を貸すことを強要されるとは信じられない。」
「ドクトラを人質に取られたら、抵抗出来ないだろう。」
「犯人は何人だ? 複数犯とは思えないが?」

 副官同士で縄張り争いをしているので、執務室の中ではもっと熾烈な争いが繰り広げられていることだろう、とロホは思った。
 分隊長がロホを振り返った。

「大統領警護隊はこの件にどう関わっておられるのか? 亡命者達がケツァル少佐のお友達だと言うことは伺っているが・・・」

 憲兵班長がしたり顔で言った。

「現場のバスルームの鏡に呪い文が書かれていた。」
「呪い文?」
「鯨の文だ。」
「ああ・・・」

 分隊長はキルマ中尉から呪い文の存在を聞かされていたのだろう、頷いた。

「分隊長が言っていた。君等が鏡に書かれた文を見てビビっていたと・・・」
「それは分隊長殿の勘違いだ。」

 憲兵班長がニヤリとした。

「ビビってラ・パハロ・ヴェルデを呼んだのは、君等の分隊長殿の方だ。」
「何だと?!」

  副隊長が立ち上がったので、憲兵班長も立ち上がった。ロホは彼等が取っ組み合いの喧嘩を始める前に止めなければならなかった。

「キルマ中尉がケツァル少佐を呼んだのは、呪い文が古代の神の神聖さを汚す文面だったからだ。もし本気の呪いだったら、最初に見つけた憲兵に呪いがかかるところだった。悪霊祓いが必要になった場合を考えて、キルマは気を利かせて少佐を呼んだのだ。」

 ロホの言葉に、新聞を眺めた姿勢のまま、大臣私設秘書のシショカが口元に笑を浮かべた。呪い文を発見した時の”ヴェルデ・ティエラ”達の慌て様を想像したのだろう。”ヴェルデ・シエロ”にとっては古代の神を冒涜した怪しからぬ文にしか過ぎないが、”ヴェルデ・ティエラ”にとっては不吉で恐ろしいものなのだ。ロホは文を発見した時の憲兵達の怯えた様を笑う気になれなかった。少佐も憲兵達を脅かした文に腹を立てていた。神聖な言葉を汚されたのだ。
 副隊長と憲兵班長が互いに睨み合い、そしてソッポを向いて椅子に戻った。
 執務室のドアが開き、足早に憲兵隊隊長が出てきた。班長が立ち上がった。隊長が聞こえよがしに言った。

「C C T Vに手配の車が映っていた。西へ向かったようだ。」
「郊外はカメラがありません。」
「オルガ・グランデに連絡を取って、あちらに来たら捕まえるよう指示したまえ。」
 
 2人の憲兵は秘書達に挨拶もせずに出て行った。続いて特殊部隊第17分隊分隊長キルマ中尉が出てきた。何も言わずに、立ち上がった副隊長について来いと合図して、こちらも無言で去って行った。
 最後に出て来たケツァル少佐は、時計を見て、ロホに話かけた。

「お昼に何を食べましょうか?」

 ロホは執務室の中をチラリと見た。大臣が何処かに電話をしているのが見えた。手前の席にいるロペス少佐も何処かに電話中だ。ロホは何となく辛い物が食べたくなった。

「スパイスが効いた肉料理などが良いですね。」
「ビエン」

 少佐が微笑んで、秘書達には目もくれずに歩き出した。ロホは立ち上がり、公設秘書にさようならと言って後に続いた。


太陽の野  10

  大統領警護隊文化保護担当部が通常の業務をしていると、有り難くない客がやって来た。彼の姿を見た文化財・遺跡担当課の職員達が急に用事が出来て席を立ったり、熱心に仕事を始めたりした。彼と目を合わせたり口を利いたりしたくないのだ。当人もわかっていて、無言でカウンターの内側に入ると、大統領警護隊文化保護担当部のケツァル少佐の机の前へ直行した。少佐は忙しいふりをしてパソコン画面に目を凝らして睨みつけた。ステファン大尉が客に声をかけた。

「何か御用ですか、セニョール・シショカ?」

 建設大臣マリオ・イグレシアスの私設秘書にして”砂の民”でもあるマスケゴ族のシショカは、”出来損ない”を無視して少佐に話しかけた。

「昨晩の詳細をお聞きしたいと大臣が仰せです、ケツァル少佐。」

 ステファン大尉には初耳だった。彼はロホを振り返った。ロホは知らん顔をして書類をめくっていた。デネロス少尉も何も知らないので、書類を見るふりをして、そっとシショカの様子を伺っていた。
 ケツァル少佐が画面を見たまま言った。

「お昼に建設省へ伺います。それでよろしいか?」

 4階の人間全員が振り返った。ケツァル少佐がイグレシアス大臣の誘いを受けた?!
シショカがなんとも言えない表情で彼女を見下ろした。

「どう言う風の吹き回しかな、少佐?」
「ご不満ですか?」

 少佐がキーボードを力強く叩いた。プリンターがいきなり作動して、客をギクリとさせた。

「それは勿論、大臣は喜ぶでしょうが・・・」

 シショカが不審そうな表情を続けた。

「無理に誘いに応じることもありませんぞ。」

 少佐が初めて顔を上げて彼を見上げた。

「私は仕事で大臣に会うのです。そちらこそ、ご不満ですか?」

 2人が見つめ合った。ロホのパソコンにメッセージが着信した。見るとデネロス少尉からだった。

ーーグラダに張り合うマスケゴって、身の程知らずよね?

 ロホは仕方なく返信してやった。

ーーヤツが勝てる訳ないさ。

 シショカがケツァル少佐の目から視線を外した。額に微かに発汗していた。失礼、と彼は呟いた。

「お昼にお越しになるのですな?」
「12時20分に大臣のオフィスに伺います。用件が済み次第すぐに帰りますから、余計なお気遣いは無用です。」

 シショカは承ったと軽く頭を下げて、他の人間には見向きもしないで去って行った。
 少佐は部下達の視線に気がつくと、建設大臣との会見には触れずに指示を出した。

「ステファンは半時間後に病院にアスルを迎えに行きなさい。そのまま大統領警護隊官舎へ連れて行くこと。エステベス大佐が、宿無しの彼を心配して松葉杖が不要になる迄面倒を見て下さるそうです。」
「承知しました。」
「デネロスはこれからプリントアウトする書類をセルバ国立民族博物館へ届けなさい。ムリリョ博士がいらっしゃれば、直接お渡しして。用事が済めばすぐに帰って来なさい。
 ロホは建設省まで私の供をしなさい。」
「わかりました。」
「承知しました。」

 ステファン大尉がチラリとロホを見た。通常なら指揮官の運転手はその部署の末席の者が務める。しかし少佐は建設省に行く時は決してメスティーソの部下を同伴しない。ステファンも連れて行ってもらったことがないし、単独で遣いに出されたこともない。本来ならアスルが運転手をするところだが、その日本人は病院から退院するので上官のロホが務めるのだ。だからこの人事は当然なのだが、ステファン大尉は何となく朝から少佐とロホが目で会話する回数が多い様な気がしていた。それにロホ同様に官舎に住んでいるデネロスが、昨晩ロホが戻らなかったと言う噂を仲間から聞きつけていた。一番気に入らないのは、ロホが漂わせている石鹸の香りが少佐と同じ物だと言う事実だった。
 ロホがステファンに声をかけた。

「私が出かけるのは昼前だから、君の書類を片付けておく。」
「グラシャス。」

 ステファンは書類を整理してロホの机の上に置いた。一瞬目が合った。

ーー昨晩、少佐の家に行ったのか? 少佐は大統領の警護に就かれていた筈だが。

 ロホは目を逸らすと言う失礼な振る舞いが出来なかった。相手は親友だ。

ーー行った。テオも一緒だった。
ーー何の為に?

 ステファンは母と妹の家探しに友人達が少佐を巻き込んだのかと懸念した。しかしロホは一言、

ーー事件があった。

とだけ伝えて目を逸らした。ステファンは上官の視線を感じてケツァル少佐を振り返った。少佐が首を小さく振って、「来い」と合図した。彼女についてエステベス大佐のプレートが掛かったドアの向こうの部屋に入った。彼がドアを閉じると、少佐が言った。

「デネロスとアスルには絶対に伝えてはなりません。」

 そして彼の目を見た。
 ステファン大尉は衝撃を受けた。アリアナ・オズボーンが誘拐された? そして鏡に書かれた不吉なフレーズ。もしかしてトゥパル・スワレがシュカワラスキ・マナの血縁者を全員殺すと宣戦布告したのかも知れない。だが・・・
 ステファン大尉は少佐にこう言った。

「祖父が若い頃に”星の鯨”を地底で見たと言っていました。父はそれを探すために地下へ降りたのだと祖父は私に言ったのです。子供の頃は、父はそんな伝説の鯨を探して落盤で亡くなったのだと信じていました。ムリリョ博士の話を聞いた後は、父の死の真実を孫に知られまいとした祖父の作り話だったと思いました。しかし、昨夜ドクトル達の家の鏡にそんなフレーズが書かれていたとなると、祖父の話が本当だったのではないかと思い始めました。」

 少佐が困惑した表情になった。彼女は髪を掻き上げて考えるポーズになった。滅多にないが、彼女が悩む時の癖だと部下達は知っていた。

「ステファンのお祖父様が若い頃に”星の鯨”を見たと言ったのですね?」

 ステファン大尉がぼんやりとした記憶の中に残る祖父から伝えられたイメージを”心話”で少佐に見せた。真っ暗な闇の中で何か輝く大きな物がキラキラ光る物に包まれている、奇妙なイメージだった。

「そのイメージはお祖父様から父にも伝えられたのでしょうね?」
「恐らく・・・父はそのイメージを殺される前にトゥパルに見られたのではないでしょうか。」

 少佐は更に考えようとしたが、ドアをノックする者がいた。デネロスの声が聞こえた。

「大尉、そろそろ行かないとアスルが病院で待ちぼうけを食いますけど?」


太陽の野  9

  ケツァル少佐は客間のベッドを使わせてくれたが、シオドアはアリアナが心配でよく眠れなかった。恋愛感情は持っていなかったが、生まれた時からそばにいたのだ。血が繋がっていなくても妹だった。喧嘩もしたし、男女の関係になったこともあったが、家族だと思える人だった。しかし、その関係に甘えて彼女を構ってやらなかった。アリアナは孤独だったのだ。アメリカでもセルバでも。優しい言葉をかけてくれる護衛に気を許したのだ。そしてシャベス軍曹も油断した。何者かが侵入して2人を誘拐してしまった。
 眠れぬまま一夜明けた。キッチンで物音がしたので、シオドアは客間から出た。キッチンへ行くと、緯度が低い国の早い朝日が差し込む明るいキッチンでケツァル少佐が朝食の準備に孤軍奮闘していた。テーブルの中央にパイナップル、スイカ、マンゴーなどの果物が大雑把に切り分けられて盛り付けられ、申し訳程度の量のクロワッサンが籠に入れて置かれ、白身がしっかり焦げた目玉焼きが皿に載せられた。

「ブエノス・ディアス!」

と声をかけると、返事をしてくれたが、豆を煮込むのに忙しそうだ。セルバ人は煮込み豆が好きなのだ。貧しい家庭でも煮込み豆の缶詰は必ず常備している。シオドアはコーヒーを淹れて手伝った。

「いつも朝食は自分で作るのかい?」
「スィ。でも豆は1週間分作り置きします。今朝は切らしていたんです。」

 そしていきなり怒鳴った。

「起床!」

 リビングのソファで寝ていたロホが跳び起きた。時計を見て慌てたので、本当に寝過ごしたらしい。ロホは朝の挨拶もせずにバスルームへ駆け込んだ。シオドアは時計を見て、まだ省庁の開庁時刻に十分間があることを確認した。ロホはこのアパートから直接出勤する予定だから、少佐は単に日常の時間帯で彼を起こしただけなのだ。普段真面目なロホが少佐の側ではよく失敗する。恐らく、どこかに少佐への甘えがあるのだ、とシオドアは思った。ステファン大尉もアスルもそうだ。大統領警護隊文化保護担当部の男達は優秀なのだが、指揮官が優れ者過ぎて甘えてしまっている。ロホは官舎で寝ていれば遅刻などしないのだ、きっと。
 少佐が豆の鍋を火から下ろして3枚の皿に適量に盛りつけた。残りは冷蔵庫行きだろう。そこへロホが戻って来た。スッキリした顔になって、敬礼で朝の挨拶をした。
 朝食のテーブルを囲んで、ロホがアリアナを誘拐した犯人の目的は何だろうと言った。シオドアも思いつかなかった。亡命者を襲ったのだから遺伝病理学研究所関係のアメリカ人か、雇われたセルバ人だと思ったのだが、昨夜の鏡の文字が気になった。するとロホが前夜言いかけて言えなかったことを教えてくれた。

「あの鏡の文章は単語を間違えていると言いましたね?」
「うん、君は確かにそう言った。」
「原語は神聖な言葉なのでみだりに口に出来ないのですが、一つの単語がよく似た発音の言葉でそのままスペイン語に訳されていたのです。」
「ええっと・・・それはどう言う意味かな?」
「銀と言う単語がありましたね?」
「スィ。銀の鯨、と書いてあった。」
「原語は 星の鯨 なのです。原語の”銀の”と”星の”は発音がよく似ています。神代文字も似ているのです。」
「それじゃ、神様を讃える言葉は、太陽の野に星の鯨が眠っている ?」
「スィ。鏡にあの呪文を書いたヤツが故意に間違えた単語を書いたのか、或いは間違えて覚えているのか・・・」

 すると少佐が言った。

「”ヴェルデ・ティエラ”は”銀の”で覚えていますから、書いたヤツは”ティエラ”のふりをしたか、或いは本当に”ティエラ”なのか、と言うことです。」
「だけど、”操心”を使っただろう、犯人は。つまり、フリをしたんだ。」
「どうしてそんなバレバレのフリをするのです?」

とロホが問うと、少佐が推理を言った。

「憲兵隊には”ティエラ”だと思わせておきたいのでしょう。現に憲兵隊はシャベス軍曹がアリアナを誘拐したと考えている様です。キルマ中尉は部下に濡れ衣を着せられたと怒っていますよ。」
「しかし、”シエロ”が犯人だとして、どうして亡命アメリカ人を襲うのです?」

 すると、少佐がロホの目を見た。シオドアは彼女が一瞬にしてステファン大尉暗殺未遂事件の説明を彼に伝えたのだとわかった。ロホの顔色が変わったからだ。

「トゥパル・スワレ様がカルロの命を狙っている・・・? そして・・・」

 それ以上言わなかった部分は、恐らくケツァル少佐とステファン大尉の個人的な関係だ。シオドアは彼が思い悩む時間を与えたくなくて、素早く質問した。

「君はブーカ族の名家の出だろう? スワレ家も名門だと聞いたけど・・・」
「私はスワレ家の人と面識がありません。」

 ロホが不機嫌な顔で答えた。

「私の家は宗教的な職務で地位を保っています。スワレ家は昔から政治一筋です。古代社会の宗教と政治は一体でしたが、”ティエラ”にセルバの支配権を奪われて・・・譲ってからは政教分離で我々はやって来ました。その方が正体がバレずに済みますから。スワレ家から”砂の民”を出すことはあっても、マレンカ家から出したことはありません。」

 シオドアはそこで昨夜の疑問が一つ解決したことを知った。

「マレンカと言うのは、君の実家の本当の名前なんだね?」

 すると少佐がさりげなく言った。

「アルフォンソ・マルティネスは市民に覚えられやすい様に彼が自分で付けた名前です。本名はアルファット・マレンカです。」

 ロホは顔を少々赤らめて、「アルフォンソ・マルティネスの方が良いです」と言った。少佐がまた言った。

「野球やサッカーの有名選手にマルティネスが多いですからね。」

 そんな子供っぽい理由か? シオドアがロホを見ると、ロホはますます赤くなった。少佐の言葉は本当らしい。

「と・・・兎に角、ブーカ族だからと言って、私の実家とスワレの家は付き合いがないのです。祖父は長老会のメンバーですが、トゥパル・スワレと友達だと聞いたことはありません。会合に必ずしも全員が出席するとは限らないし・・・」
「長老会の会合は仮面を被って行うのです。」

と少佐が説明した。

「声も仮面を通すのでいつもと違って聞こえます。誰がどの意見を言ったか、互いにわからない様に行います。私は長老会に出る年齢ではありませんが、先輩方の”心話”で風景を見せてもらったことがあります。山羊の脂で火を灯した暗がりの中で行われる会議で、見て気持ちの良いものではありませんでした。そこで”砂の民”に誰を処分させるか決めたり、次の選挙で誰を支持して当選に持ち込むか決めるのです。」
「セルバの闇の国会か・・・」

 シオドアは少佐とロホを見た。

「アリアナを攫ったのは、やっぱりトゥパル・スワレの手下なのかな?」
「”太陽の野に銀の鯨が眠っている”と言うフレーズが気になりますね。」

とロホが憂い顔で言った。

「一族皆殺しの予告ですから・・・少佐が仰ったシュカワラスキ・マナと言う人の血統を滅ぼすと言うことであれば、カルロだけでなく、彼の妹も少佐も入るのではないですか? 」
「だけど、トゥパルがマナを殺害した証拠はないだろう。もしカルロが彼を父親の仇と考えることをトゥパル自身が恐れているとしたら、マナの血統を根絶やしにすることは却ってマズいんじゃないか? 長老会に怪しまれると思うが・・・」

 喋りながら、シオドアはテーブルの中央に山盛りになっていた果物が既に消滅しかけている事実に気がついて愕然とした。少佐の前にパイナップルやスイカの皮が山積みされている。いつの間に食べたんだ?
 ロホは豆にしか興味がないらしく、彼自身の分を平らげると、コンロに残されている鍋をチラリと見た。少佐が舌打ちこそしなかったが、チェっと言いたげな表情をして、席を立ち鍋を持ってきた。ロホの皿にお代わりを入れてやる。優しい上官だ。
 
「ここであれやこれや論じていても仕方がありません。憲兵隊と特殊部隊が何か手がかりをつかんでいないか、後で電話を入れておきます。いつもの様に仕事に行きましょう。早く食べてしまいなさい。」

 シオドアは2切れしか残っていないパイナップル、スイカ、マンゴーを一切れずつ皿に取り、バナナも1本取った。ロホがパイナップルは要らないのでシオドアに食べて良いと言ったので、少佐が笑った。

「マレンカは我々の古い言葉で、パイナップルの意味です。」
「それじゃ、マルティネスの方が良いよな。」

 シオドアも笑ったので、ロホはむくれた。彼は強引に話題を変えた。

「今日はアスルが退院してきます。事件を伝えた方が良いですか?」
「ノ。」

と少佐が速攻で答えた。

「暫くはこの3人だけの話にしましょう。ドクトルは普通に大学に行きますか?」
「行くけど、大学事務局に事件の報告はしなきゃいけない。きっと内務省からも連絡が行くだろうし。」
「わかりました。では、貴方を大学に送ってから、私はオフィスに出勤します。夕刻は私達のところへ来て下さい。下のカフェで落ち合いましょう。貴方が何処へ帰るか、それから決めます。」

 


2021/08/04

太陽の野  8

  シオドアは室内の気温が3度ばかり下がった様な寒気を覚えた。ケツァル少佐が不機嫌な顔をして鏡を見つめていた。少佐だけではない、ロホも強張った表情で鏡面を睨みつけていた。シオドアは背後で憲兵達がヒソヒソと話をしているのに気がついた。鑑識の係官も1箇所に固まってバスルームを見ている。キルマ中尉が小声で言った。

「憲兵達が動揺している。」

 するとロホが振り返った。

「私が鎮めてきます。」

 彼は少佐の返事を待たずに、憲兵達の方へ歩いて行った。シオドアはまだ意味がわからなかった。鏡に文字を書いたのは、恐らくアリアナを拉致した犯人なのだろう。しかし文章の意味がわからない。憲兵達が動揺する理由がわからない。
 キルマ中尉がまた言った。

「神代文字でなくて良かった。」
「エクサクト・・・」

と少佐が同意の声を出した。シオドアは後ろを振り返った。ロホが憲兵達を宥めていた。

「ただの嫌がらせだ。君達に悪意を向けているのではない。」

 屈強な兵士である筈の憲兵達が何に動揺しているのか、シオドアはまだ理解出来ないでいた。ケツァル少佐が鑑識班を振り返り、鏡の写真を撮ったのかと尋ねた。鑑識の連中は互いに顔を見合わせ、やがて一人が決心したかの様に前に進み出て、バスルームに入った。フラッシュを焚いて写真を撮ると、彼は少佐に尋ねた。

「指紋も採取しますか?」

 少佐は粉が振りかけられている鏡面を見た。

「お願いする。これはただのガラスの鏡だ。」

 少佐の口調はすっかり軍人のものだった。特殊部隊にも憲兵隊にも命令を下せる大統領警護隊の口調だ。少佐が鏡の前に立っているので、鑑識班は勇気づけられた様だ。急にテキパキと動き出した。
 シオドアはロホに宥められた憲兵達が慌てて仕事に戻るのを見た。キルマ中尉は憲兵隊を冷ややかに眺め、それからリビングへ出て行った。彼女の野太い声が特殊部隊の兵士に集合をかけた。

「シャベスの車を探せ! グラダ・シティを出る前に捕まえろ。」

 兵士達が「おう!」と声を上げて家から出て行った。キルマ中尉は憲兵隊の指揮官と少し言葉のやり取りをしてから、部下の後を追って出て行った。
 鑑識が鏡の指紋採取を終えたと報告した。ケツァル少佐が彼等に命じた。

「その文字を消せ。くだらない悪戯だ。」

 鑑識が大喜びで鏡を拭き始めたので、シオドアはロホのそばへ行った。ロホが彼を見て苦笑した。

「セルバ人でなければ先刻の事態を理解出来ないでしょうね。」
「あれは何だ? アリアナを攫ったヤツが残したんだと思うが、俺には意味がわからない。」
「あれは”ヴェルデ・ティエラ”の迷信で、見た者の一族を一人残らず殺すと言う呪いの呪文なのです。」
「”ヴェルデ・ティエラ”の?」

 意外だった。キルマ中尉が「神代文字」と言ったので、”ヴェルデ・シエロ”に関係した文だと思ったのだ。するとロホが声を潜めて解説した。

「元は”ヴェルデ・シエロ”の神殿の壁に書かれていた文句です。文字と言っても、神代文字と呼ばれる象形文字なのですが、新しい時代の人間である”ヴェルデ・ティエラ”にとっては太古に滅んだ種族の文字ですから、読めませんでした。いつの時代にか誰かが翻訳して、神代文字のまま部族戦争の時に戦う相手を呪う言葉として用いたのです。それが現代も残っていて、不良グループの喧嘩で使われる程度なら可愛いですが、反政府ゲリラや麻薬密売組織が敵対する相手、主に政府軍に宣戦布告する時に使うのです。」
「それで憲兵隊が心穏やかじゃなかったのか。しかし、太陽の野に銀の鯨が眠っている・・・綺麗な詩の様に思えるが・・・」
「”ヴェルデ・ティエラ”には、『あの世で眠れ』と言う意味に採られています。」
「本来は違うのか?」
「貴方が感じた様に、あれは神を讃える”ヴェルデ・シエロ”の言葉です。それに単語を間違えている。だから少佐もキルマ中尉も、そして私も不愉快に感じたのです。」
「単語を間違えている?」

 その時鑑識班がバスルームの鏡を拭き終わったので、ケツァル少佐がバスルームから離れた。時計を見て、彼女はロペス少佐を呼んだ。シーロ・ロペス少佐が疲れた顔でやって来た。内務大臣に事件を電話で報告し、きっと叱責を受けたのだろう、シオドアを不愉快そうに見た。ケツァル少佐は捜査に関して一切触れずに、

「私は今日はこれで撤収します。」

と言った。ロペスは反対せずに頷いた。大統領警護隊の仕事はここにない。ケツァル少佐がシオドアを見てさらに言った。

「ドクトル・アルストをここに置けません。私のアパートに保護します。」

え? とシオドアは驚いたが、ロペス少佐もちょっとショックだった様だ。独身で独居生活をしている美人が、白人の男を自宅へ連れて行く? ケツァル少佐はロホを振り返った。

「貴方も官舎の門限が過ぎてしまっていますから、うちで泊まりなさい。官舎には私から連絡を入れておきます。」
「感謝します。」

 ロホが素直にホッとした表情をした。そしてシオドアに荷物を持って行くようにとアドバイスをくれた。
 ケツァル少佐は2人の男を率いて家から出た。ロホのバイクを見て、憲兵隊の指揮官を呼んだ。

「車と運転手を1台半時間ほどお借りしたい。」

 シオドアは少佐が憲兵隊や特殊部隊と話をする時は大統領警護隊として上から目線で話すことに気がついた。偉ぶっているのではなく、彼等の守護者である警護隊として強いところを見せているのだ。先刻ロホが鏡の文字を見て動揺した憲兵達を宥めた様に、守護者がいるから安心して任務に励めと示しているのだった。憲兵達も半月足らずのうちに負傷から復活したケツァル少佐に声を掛けられて張り切っていた。
 シオドアと少佐は憲兵隊の車で少佐のアパートへ向かった。ロホはバイクでついて来た。ステファン大尉のアパートで家を買う相談をしていたのが遠い昔の様に思えた。


太陽の野  7

  シオドアはキルマ中尉に通報し、メイドの為に救急車を呼ぶ許可をもらった。メイドは怪我をしていないと言ったが、やはり念のために診察を受けさせたかった。2人の兵士は彼等の上官の判断に任せるしかない。

「彼女の寝室をご覧になりました?」

とロホがそっと尋ねた。シオドアは頷いた。

「男女の秘事の跡があったでしょう。」

とロホが控えめな表現で言った。シオドアはアリアナが心配だったが同時に腹が立った。何故彼女は同じ過ちを繰り返すのだ? しかしロホが問題にしたのは、そんなことではなかった。

「男の臭いがしましたが、複数でした。貴方の臭いを除外しても2人はいた様です。」
「2人?」
「スィ。一人は若いです。恐らく護衛のシャベス軍曹でしょう。」

 ロホの鼻はジャガーの鼻だ。

「もう一人がはっきりしません。タバコの臭いで人の臭いが薄まっています。」
「タバコ・・・」
「カルロが吸っているのと同じタバコです。」

 シオドアはロホの目を見つめた。

「”出来損ない”がここに来た? 犯人はそいつか?」

 ロホは首を傾げた。

「果たして”出来損ない”でしょうか? 兵士2人の記憶を”操心”で消しています。メイドも同じ手口で気絶させられたのでしょう。犯人は己の気の強さを誤魔化す為に敢えてタバコで鎮めたのだと思います。」
「それじゃ・・・シャベス軍曹も攫われた?」
「ガレージに車がありません。軍曹は操られてアリアナの拉致に手を貸したと思われます。」

 緊急車両のサイレンの音が近づいて来た。先ず陸軍特殊部隊第17分隊が到着した。それからほぼ同時に救急車と憲兵隊が来た。
 陸軍特殊部隊第17分隊の分隊長アデリナ・キルマ中尉はステファン大尉が呟いた通り胸の大きな女性だった。胸だけでなく体全体が大柄だった。そして純血種の顔をしていた。野太い声で部下を指図して家の周囲を固めた。憲兵隊がアリアナ誘拐事件の現場を捜査し始め、当然ながらシオドアとロホは事情聴取を受けた。メイドと2人の兵士も同様だ。
 メイドが救急車で運ばれる頃に、高級乗用車が門の前に停車した。車から場違いなタキシードとイブニングドレスで正装した男女のペアが降りて来た。当然ながら捜査員達や遠巻きに眺めている近所の野次馬の注目を集めた。そのペアが純血の先住民でありながら板にハマった着こなしをしていたのは、その服装に慣れていたからだろう。
 ロホが彼等を見て、手で己の額をピシャリと打った。

「しまった、今夜は大統領の誕生日祝賀会だった。」

 シオドアはドレス姿のケツァル少佐からロホに視線を移した。

「彼等はパーティーに出ていたのか?」
「スィ。任務です。大統領警護隊ですから。」
「ああ・・・大統領を警護していたんだな、文字通りに・・・」

 少佐がツカツカとハイヒールの音を響かせて家の中に入って来た。捜査の邪魔になりそうだが、憲兵隊は黙認した。彼女はロホの前に立つと一言命令した。

「報告!」

 報告は目と目で行われた。シオドアは一瞬で全てが伝わる”心話”が羨ましかった。言葉も映像も音も全部伝わるのだから。それにしても、今夜の彼女は実に美しい・・・。

「パーティーを抜け出させてごめんよ、少佐。」

 シオドアが謝ると、ケツァル少佐が彼をジロリと見た。

「アリアナを一人にしたのですね?」
「彼女には悪いことをした。友人の相談に乗ってやる為に、先に帰したんだ。だけど、彼女が狙われるなんて予想していなかった。」
「貴方は夜間に外出したのですか?」

 タキシードを着込んだシーロ・ロペス少佐が厳しい声で質問してきた。亡命審査官だ。1年間の観察期間中、シオドアとアリアナが毎日同じスケジュールで生活することを奨励していた男だ。
 シオドアは仕方なく夜間外出を認めた。

「友達の相談に乗るために、出かけていたんだ。アリアナは護衛のシャベス軍曹の車で帰った。夜間警護は2人いるし、大丈夫だと思ったんだ。」
「貴方は護衛も付けずに?」

 ロホが黙っていられなくなって、口を出した。

「今夜のドクトルの護衛は私です。」

 ロペス少佐が彼をジロリと見た。

「マレンカの御曹司、君をドクトルの護衛に任命した覚えはないが?」
「マレンカ?」

とシオドアが呟いたが、誰も説明してくれなかった。ロホは頬を赤らめたが、言い返した。

「特殊部隊が10人いるより私1人の方がドクトルを護衛する能力は上だと思います。」
「マルティネス中尉!」

とケツァル少佐が、上級将校に口答えした部下の口を閉じさせる為にきつい調子で名を呼んだ。ロホは仕方なくと言った表情で口を閉じた。
 ロペス少佐は腹立たしげにキルマ中尉の方へ歩き去った。特殊部隊と憲兵隊に捜査の指示を出すつもりだろう。
 シオドアはもう一度ケツァル少佐を見た。胸元が大きく開いたセクシーなドレスだ。ただ脇はしっかり隠してある。多分胸の傷跡を見せない配慮だろう。スカート部分に深いスリットがあり、チラリと太腿に装備した小型拳銃が見えた。本当に大統領を警護していたんだ。

「大統領警護隊がここへ来る理由はないよな? 君が来たのは、ロホが事件の通報者だったからだろう?」
「当然です。」

 ケツァル少佐はアリアナの寝室やキッチンで指紋採取をしている憲兵隊を見ながら言った。

「友達が攫われたのに、厳重な警備で固められている大統領府でのんびりしていられないでしょう。」

 それって、アリアナの身を心配して来てくれたってことか。シオドアは素直になることにした。

「彼女から目を離してごめん。ロホから報告があったと思うが、犯人はセルバ人だ。遺伝病理学研究所じゃない。」

 キルマ中尉が近づいて来た。ケツァル少佐の前に立って敬礼した。少佐も敬礼を返した。2人の女性が目で情報を交わしたので、シオドアはキルマ中尉も”ヴェルデ・シエロ”だとわかった。大統領警護隊にはスカウトされずに陸軍に残った人だ。だが特殊部隊の分隊長を務めているのだから、決して能力が劣っている訳ではない筈だ。
 中尉は一言も声を使って喋らなかった。多分、この場に来ている憲兵隊に一族はいないのかも知れない。
 キルマ中尉はもう一度少佐に敬礼し、ロホにも敬礼した。そしてくるりと向きを変え、部下達の方へ歩き去った。
 ロホが少佐に囁いた。

「彼女、相当怒っていますね?」
「部下が1人姿を消して、2人は不甲斐なくやられましたからね。」

 ケツァル少佐が冷たく言った。

「憲兵隊と仲は良いんですか?」
「どうでしょう。」

 少佐が他人事の様に言った。

「捜査権を巡って争うかも知れません。内務省は軍に責任を押し付けるでしょうから。」

 憲兵隊が何やら騒がしくなった。キルマ中尉が憲兵達を押しのけてアリアナの寝室に入っていった。シオドアは不安になった。何か見落としがあったのか? キルマ中尉が戸口から顔を出して怒鳴った。

「少佐!」

 ケツァル少佐とロペス少佐が振り向いたので、彼女は怒鳴り直した。

「ケツァル少佐!」

 ケツァル少佐が寝室に向かったので、シオドアとロホもついて行った。2人の男性がついて来たことにキルマ中尉は苦情を言わなかったが、ロホにはこう言った。

「バスルームを見なかったのか、マルティネス中尉?」
「見たが?」
「では、鏡に気づかなかったのだな?」
「鏡?」

 キルマ中尉は憲兵達を退がらせ、ケツァル少佐とロホ、そしてシオドアにアリアナの寝室にあるバスルームを示した。鏡に鑑識の指紋採取用の粉が振りかけられていた。そこに文字が浮かび上がっていたのだ。

 太陽の野に銀の鯨が眠っている



2021/08/03

太陽の野  6

  カルロ・ステファン大尉が母親と妹の為に購入したいと希望する家は、戸建てだった。出来るだけ治安の良い場所で、しかし値段が高くない土地と家。シオドアは旧市街地で大きなお屋敷が沢山あったと言う地区に興味を引かれた。そこは今、お屋敷が解体され、新たに宅地分譲地として売り出されているのだ。更地を買って家を建てるか、それとも早い時期に家が建てられ中古物件となったものを買うか。シオドアがマークした数軒の中から1軒をロホが指差した。

「私はこの家が気に入ったな。もし結婚して家を持つとしたら、この家が良い。」

 ステファンが眉を上げて彼を見た。ロホの実家はブーカ族の名家だと言うから、きっと大きな家に住んでいるに違いない、とシオドアは想像した。ロホ自身は大統領警護隊の官舎に住んでいるのだが。

「親の家に戻らないつもりか、ロホ?」
「戻らない。兄がいるのに、私が戻ったら家が狭いだろう。」

 ロホがシオドアを振り返って言った。

「私には兄が3人いるのです。」
「3人?」
「それに弟が2人。」
「コイツは男ばかり6人兄弟なんですよ。」

 それはさぞかしむさ苦しい家だろう、とシオドアは想像した。反対にステファン家はカルロ以外は全員女だ。2人亡くなって1人は腹違いだが、シュカワラスキ・マナの子供は息子が1人だけであとは全員娘なのだ。

「なぁ、カルロ・・・」
「はい?」
「君の妹は、やっぱり美人だろうな?」

 するとロホが笑った。彼はまだ少佐と親友が異母姉弟だと知らないのだが、シオドアにこう言った。

「髭を剃ったカルロの顔を思い出して下さい、テオ。コイツの素顔は可愛いでしょう? その妹ですよ、美人でない筈がないじゃないですか。」
「褒められているのか貶されているのか、わからん。」

とステファンが拗ねて、シオドアとロホは笑った。ロホがお気に入りの家が載ったページを指で叩いた。

「この家にしろよ、カルロ。皆んなでリフォームを手伝ってやるから。」
「ああ、それいいな!」

 シオドアも乗り気になった。大工仕事やペンキ塗りに大いに興味が湧いてきた。

「現状のまま買えば、値段は高くない。俺達で改装しよう。カルロ、お母さんや妹さんにそれとなく家の好みを訊いておいてくれないか?」

 ローンの計画を考えると言うステファン大尉に「おやすみ」を言って、シオドアとロホは彼のアパートを出た。ロホのバイクの後部席に乗せてもらい、夜の街中を走ると気持ちが良かった。シオドアは愉快な気分だった。遺伝子も研究も超能力も暗殺も遺跡も関係ない、普通の市民の会話を堪能した。ロホもステファンも普通の幸せを求める普通の若者だ。
 シオドアの亡命生活観察期間の家の近くまでやって来た。ロホが門の少し手前でバイクを停めた。ヘルメットのシールドを開けて暗がりの中を見て、シオドアの方へ顔を向けた。

「テオ、夜はいつも門を開けているんですか?」
「ノ、閉めている。」
「では、今夜は貴方の帰りが遅くなるから開けている?」
「そんな筈はない。遅くなったら夜警の兵士に開けてもらうんだ。」

 ロホはシールドを下ろし、バイクを再発進させた。門の中に入らず、一旦前を通り過ぎた。1ブロック先迄走ってから、バイクを停めてエンジンを切った。シオドアが先に降りて、ロホも降りた。ヘルメットを脱いでバイクのハンドルに引っ掛けた。滅多に使用しない拳銃を抜き、安全装置を解除してシオドアに渡した。

「家の様子が変です。私が見てきます。ここで待っていて下さい。」
「俺も行くよ。アリアナが心配だ。」

 シオドアの勇敢さは反政府ゲリラからロホを救出した時に証明済だ。ロホはそれ以上何も言わなかった。2人は歩いてシオドアの家迄戻った。用心深く門から内側へ入った。夜目が効くロホが庭を見回した。そっと囁いた。

「左手の奥、植え込みの下に一人倒れています。陸軍の制服を着ています。」
「夜警は2人いる。」

 シオドアは真っ暗な家を見た。アリアナは無事だろうか。警備兵が倒れているのだ、無事でいられる筈がない。一人にするのではなかった。だが、何者が襲撃したのだ? CIAか? それとも反政府ゲリラか? 強盗か? 警備兵は陸軍特殊部隊の兵士だ。普通の人間であっても、厳しい訓練を受けた若者達だ。賊に簡単にやられるとは思えない。
 ロホが窓から屋内を覗いた。人の気配がないので、彼は玄関のドアを押した。ドアが簡単に開いた。一歩中に入り、彼は全神経を集中して家の中にいる人間の気配を探査した。何かを見つけ、キッチンへ向かった。シオドアは闇の中で目を凝らしながらロホの後ろをついて行った。彼の耳に奇妙な唸り声が聞こえてきた。キッチンの床の上で何かが動いていた。
 突然照明が灯って、シオドアは声を出しそうになった。だが、それはロホが壁のスイッチを押して天井の照明を点けただけだった。
 キッチンの冷蔵庫の前でメイドが縛られて床の上に転がされていた。唸り声は彼女が口に貼られたダクトテープの下で呻いていたのだ。シオドアは拳銃をロックしてベルトに挟み、彼女に駆け寄った。テープを剥がしてやると、彼女は空気を求めて喘いだ。手首を縛っているダクトテープは包丁で切った。

「大丈夫か? 何処か怪我していないか?」

 シオドアはメイドに怪我がないか目視で確認した。メイドは涙でベトベトになった顔のまま、彼にしがみついてきた。

「ドクトル、グラシャス! 殺されるかと思いました。」
「何があったんだ?」
「わかりません。お夕食の支度をしていたら、後ろに誰かが立って、振り返ったら・・・そこから覚えていないんです。目が覚めたら縛られていて・・・」
「アリアナは?」
「わかりません、すみません、ドクトラはどうなったんです?」

 キッチンの調理台の上には調理しかけた野菜などがそのまま残っていた。シオドアがメイドを落ち着かせている間に家の奥へ様子を見に行ったロホが戻って来た。

「誰もいません。」

と彼が報告した。

「でも、アリアナの鞄が寝室にありました。帰宅されたのは間違いないようです。」

 そして外をもう一度見てきます、と言って彼は裏口から庭に出た。
 シオドアはリビングの照明を点けて、そこが荒らされていないことを確認して、メイドをソファに座らせた。水を飲ませてから、自分の寝室へ行ってみた。朝出かけた時のままだ。彼はロホが一度覗いたアリアナの部屋にも行ってみた。ドアを開けて、愕然とした。
 ロホは先刻言わなかったが、恐らくそれはメイドがいたからだろう。アリアナのベッドは乱れていた。彼女の下着が散乱していた。彼女は裸で拉致されたのか? クローゼットの扉が開いたままだ。ロホが隠れている者がいないか確認したのだろう。シオドアはその中に何気なく目を遣って違和感を覚えた。ちょっと考えて、クローゼットに近づき、ぶら下がっているアリアナの服を探った。何か足りない。そして気が付いた。
 セルバに亡命して来た時、北米は冬だった。アリアナはコートを着て来た。だからそれはクローゼットにあった筈だ。それが消えていた。アリアナを拉致した人間は、彼女にコートを着せて連れて行ったのだ。他の服を着せるより簡単だから。
 ロホが呼ぶ声がしたので、キッチンに戻った。ロホが兵士2人をキッチンの床に座らせ、水を与えていた。

「彼等は気絶させられただけで、無事でした。襲撃者を見ていないと言っています。」

 彼はシオドアに囁いた。

「多分、”操心”で見ていないと信じこまされています。」
「それじゃ、襲撃したのは”ヴェルデ・シエロ”?」
「特殊部隊の兵士を怪我させずに簡単に気絶させているので、そうとしか思えません。」

 ロホは携帯を出した。

「私は少佐に報告します。貴方はキルマ中尉に連絡して下さい。内務省に内緒にする必要はありません。」


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...