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2022/04/05

第6部 七柱    30

  エル・ティティに戻ると、テオは警察署長アントニオ・ゴンザレスの息子として、署長の家の家事をして、会計士ホセ・カルロスの事務所の代書屋として、休暇を過ごした。夜になると近所の若者達がバルに誘ってくれる。グラダ・シティと違って小さな町だから、行く店は決まっていて、毎晩同じ順番で梯子だ。ゴンザレスが自宅で夕食をとる日は誘いを断って、養父と2人で夜を過ごした。ゴンザレスも恋人が出来たから、3人で一緒に食事を取ったこともあった。彼女はマリア・アドモ・レイバと言う役場の職員で、バツイチで子供はいなかった。役場の職員と聞いた時、テオは文化・教育省の入り口で毎日入庁者をチェックしている陸軍の女性軍曹を連想してしまった。つまり、融通の利かないお堅い女性だ。しかし会ってみるとマリアは陽気で面白い女性だった。マハルダ・デネロス少尉が現在の性格のまま歳を取った感じだ。よく喋り、よく笑った。テオはゴンザレスが幸せそうな顔をして彼女を見つめるのを見て、安心した。テオに恋人が出来ても、ゴンザレスに寂しい思いをさせなくて済む。
 恋人と言えば、ケツァル少佐は時々思い出した様に電話をかけてきてくれた。彼女のことだから、用事がない時にかけてこない。彼女の電話は大概エル・ティティ近辺に出没する反政府ゲリラの動向を伺う内容だった。どっちかと言えば、テオよりゴンザレスに用事があるのだ。しかし、ゴンザレスは言った。

「お前の方から彼女に電話してやれ、テオ。」
「用事がない時にかけても、彼女はすぐ切ってしまうんだ。」
「しかし用事がないのに彼女の方から掛けてくるじゃないか。」
「はぁ?」
「反政府ゲリラなんて、お前が誘拐された時に彼女がやっつけたカンパロの”赤い森”以来、この近辺に出てこないぞ。それぐらい大統領警護隊だったら承知している筈だ。彼女はお前の声が聞きたいんだよ。」
「・・・」

 本当にそうなんだろうか? テオはツンデレ少佐の本心を確認するのが怖かった。もしこちらの勘違いだったら、次に彼女と会う時、気まずいじゃないか。
 その夜、テオが早めにバルから戻って寝支度をしていると、少佐から電話がかかってきた。ゴンザレスが夜勤の夜だった。テオが「オーラ」と出ると、彼女も「オーラ」と答え、いきなり質問してきた。

ーーシエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者をご存じですね?
「ああ、スィ、彼女がどうかした?」
ーー貴方がエル・ティティに行く時に乗ったバスの乗車券を、彼女が購入したと言う証言があります。

 テオは一瞬考え込んだ。少佐の物言いは何だか妙だ。刑事が捜査しているみたいに聞こえた。

「ああ、彼女は確かに俺が乗ったバスに乗っていた。だが、アスクラカンでバスが休憩停車した時に降りて、それっきり戻って来なかった。バスの中で彼女と少しだけ話をしたが、オルガ・グランデに行くと言っていたんだ。だから戻って来なかった時、どうしたのかとちょっと気になった。それっきり彼女を見ていない。」

 1秒ほど空けてから、少佐が確認した。

ーー彼女はアスクラカンでバスを降りたのですね?
「スィ。飯でも食って乗り遅れたか、知り合いに出会ったか、何か理由があったんだろう。」

 すると少佐はやっと肝心なことを伝えた。

ーーレンドイロはグラダ・シティを出てから10日間行方不明です。

 テオはすぐに事態を飲み込めなかった。行方不明? 10日間? どうしてケツァル少佐が彼女を探しているんだ?

「誰かが君に彼女の捜索を依頼して来たのか?」

 すると少佐は意外な人物の名前を出した。

ーーンゲマ准教授から問い合わせがあったのです。彼が雨季明けから発掘予定のカブラロカ遺跡を見たいと言う女性記者がいるが、撮影を許可してやってくれないか、と。撮影だけならと許可しました。それが2週間前、貴方がまだこちらにいた時です。レンドイロの名前は最近何度か耳にしていましたし、真面目な雑誌を作っている会社の記者なので、問題はないだろうと思えたのです。
「彼女が行方不明だと分かったのは、何時のことだ?」
ーー彼女の会社が騒ぎ出したのは、8日前です。シエンシア・ディアリア誌がンゲマ准教授に、カブラロカ遺跡は何処にあるのかと問い合わせて来ました。ンゲマ准教授はレンドイロに地図を見せていたので、出版社が何故そんなことを訊くのかと不思議に思いました。そして記者が行方不明になっていることを知ったのです。ンゲマが最初に心配したのは、ゲリラによる誘拐、そして野盗の襲撃です。ンゲマは私にカブラロカ付近に最近不逞の輩が出没していないかと訊いて来ました。それが2日前でした。
「成る程、君としては、まず彼女の足取りを追って、バスに乗ったことを突き止めたって訳か。進展が遅いな。」

 少佐がムッとした声で言った。

ーー申請の季節なので忙しいのです。貴方が彼女の行方を知らないのなら、これ以上訊くことはありません。取り敢えず、アスクラカンまで彼女の消息を追跡出来ました。グラシャス。

 彼女は何時もの若く、いきなり電話を切った。


 

第6部 七柱    29

  テオが午後8時にバスターミナルでオルガ・グランデ行き長距離バスに乗り込み、出発を待っていると、最後の客達が慌ただしく車内に駆け込んで来た。早口のスペイン語が飛び交い、運転手が「出発!」と怒鳴った。平日だが座席は満席に近く、テオは座席と脚の隙間に無理矢理荷物を押し込んでいたので、ひどく窮屈だった。しかし、このバスはいつもこんな状況だ。バスが揺れながら動き出した。客はまだ蠢いていた。少しでも座れる余裕があれば体を押し込もうとする人や、荷物を網棚に押し上げる人、知り合いに出会って喋り出す人。窓は開いていた。押し出されないよう、気をつけなければならない。
 人間の波を掻き分ける様にして、一人の女性が通路を進み、テオのそばへ来た。甘い香りがツンと鼻に刺激を与え、周囲からクシャミの声が上がった。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 聞き覚えのある声に呼びかけられ、テオは通路へ顔を向けた。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者が立っていた。

「オーラ、セニョリータ・・・」

 レンドイロと話すには、隣の席の老人越しになる。老人は女性に席を譲るつもりなどさらさらなく、テオもレンドイロに席を譲るつもりはなかった。意地悪ではなく、動けないのだ。老人も足元に大きな荷物を置いており、もしテオが彼より先に降車したければ、その荷物を乗り越えて行かなければならない。

「海に潜るんじゃなかったんですか?」

 テオが尋ねると、レンドイロは肩をすくめた。

「それは雨季明けになるでしょう。モンタルボ教授の動きは遅いです。私はオルガ・グランデに行きます。」

 ジャーナリストに取材予定を尋ねても正直に答えないだろう。小さなマイナー雑誌でも、情報源は貴重だ。他人に無闇に明かさない筈だ。

「ドクトルは研究旅行ですか?」

と彼女が訊いて来たので、テオは「ノ」と答えた。

「雨季休暇の帰省です。親の家に帰るんですよ。」
「あら・・・」

 レンドイロは白人のテオを眺めた。この人は元アメリカ人だった筈、と言う彼女の心の声が聞こえた気がした。
 その時、テオの隣の老人が大きなクシャミをした。レンドイロがつけている香水のせいだ。神様を見つける香水。テオは老人を見た。ひょっとしてこの人も”ヴェルデ・シエロ”を先祖に持つのか? 彼は老人に声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「平気だ。」

 老人は手で鼻を擦った。そしてテオを見た。

「親のところに帰るのか?」
「スィ。親父がエル・ティティに住んでいるんです。」
「エル・ティティの警察署長が白人の養子を採ったと聞いたことがある。あんたのことか?」
「スィ。ゴンザレス署長は俺の親父です。」

 老人がニッコリ笑った。

「すると、会計士の代書屋をしているのも、あんたか?」
「スィ、スィ。」

 老人がテオの手を掴んで揺すった。

「儂は会計士のカルロスの親父の友人だ。あんたのお陰で仕事が捗って、連中は喜んでいるぞ。」
「そりゃどうも・・・」

 老人の世間話に引き込まれ、テオは雑誌記者の存在を忘れた。
 やがて早朝にアスクラカンに到着すると、大半の乗客が降りて行った。テオも一旦バスから降りて、トイレ休憩をして、朝食を売店で買った。バスに戻ると、乗客の数は6割程になっていた。新しい客もいたから、半数は降りたのだ。レンドイロ記者は発車時刻になっても戻らなかった。オルガ・グランデに行くと言っていたが、何か用事でも出来たのだろうか。バスが動き出した。


2022/04/04

第6部 七柱    28

  2日後、テオがエル・ティティに帰省する準備をして、昼食を買いに出かけた、ほんの半時間に、彼の自宅に侵入者がいた。テオは帰宅して、家の前の緑の鳥のロゴ入りの車を見て、玄関の鍵が掛かっていないドアを開けて入った。居間のソファの上で、カルロ・ステファンが瓶入りのコーラを飲みながらテレビを見ていた。

「勤務中じゃないのか?」

 テオはテーブルの上にテイクアウトのサンドウィッチを広げながら声をかけた。ステファンは顔だけ向けて答えた。

「食材の仕入れで出かけて、休憩しているだけです。」

 テオは笑った。大統領警護隊は一体何処で食材を仕入れるのだ? 

「実家で休憩しないのか?」
「またそんなことを言う・・・」

 ステファンが拗ねた表情を作って見せた。テオはまた笑った。カタリナ・ステファンが昔馴染みと再会して楽しいひと時を持ったことは、ステファンには内緒だった。フィデル・ケサダ教授の正体をまだステファンに明かすお許しが、ケツァル少佐からもケサダ教授からも出ていない。カタリナさえ息子に何も言わないのだ。

「本部の厨房勤務は楽しいかい?」
「楽しむ余裕はないですね。忙しいの一言です。専門で業務している隊員と違って、私は修行なので、下働きが多いですよ。太平洋警備室の厨房で自由に料理出来たことが嘘の様です。」

 テオは彼が太平洋警備室にいた隊員達のその後を知らされていないだろうと想像した。

「ガルソンとは出会ったかい? 彼は本部警備班車両部で中尉として働いているが?」
「スィ、彼とは食堂で出会いました。新しい仕事に慣れて、家族との時間を持てて、穏やかに働いています。貴方と出会えて、喜んでいました。」
「そうか。フレータ少尉のことは?」
「聞いていません。」
「彼女は南部国境警備隊の厨房勤務だ。向こうは厨房の仕事だけじゃなく、拘置所の検問破りや密輸で捕まった連中の世話もするので多忙らしいが、元気に勤務しているそうだよ。」
「それは良かった。」
「キロス中佐は退役した。グラダ・シティ郊外で、子供を対象にした体操教室を開いている。ガルソンの子供達はミックスで、母親は”ティエラ”だろ? だからガルソンの上官が彼女にガルソンの子供達の”シエロ”としての教育を依頼したそうだ。ガルソンが喜んでいた。もしかすると、キロス中佐はミックスの子供達の為の教室を開くかも知れないな。」
「それは、なんとまぁ・・・」

 ステファン大尉も嬉しそうだ。

「私は結局キロス中佐とまともに言葉を交わしたことがありませんでしたが、知性高い、優しい方だと感じました。過去の私の様に、能力の抑制に悩むミックスの子供達を教育して頂けるなら、一族としても喜ばしいことです。」

 テオも頷いた。そして、一番気がかりな人の話をした。

「パエスは少尉になって、北部国境警備隊に配属された。現在、クエバ・ネグラ検問所で勤務している。彼は人付き合いが上手くなくて、ハラールを施されていない食事を拒否し、同僚と気まずくなった。」

 すると、スレファンが片手を上げて、彼の話を遮る許可を求めた。テオは口を閉じた。ステファンが軽く頭を下げて感謝を示し、話し始めた。

「現在の私の上役の一人が、クエバ・ネグラへ派遣されました。現地の料理人、陸軍の食堂の業者だそうですが、彼等に儀式を教授しに行ったのです。初めは業者から作業手順が増えると文句が出たそうですが、陸軍が給金を上げることを約束したので、儀式を承諾しました。これから彼等がサボらないよう、陸軍兵が監視をします。」
「そうなのか・・・」
「パエスがどうするかは、彼の問題です。どうしても同僚と上手く行かないのであれば、退役すれば良い。彼の立場では転属願いを受けてもらえませんから。冷たい様ですが、彼は大統領警護隊の隊員です。隊則と掟は守らなければなりません。」

 テオは頷いた。パエスは子持ちの”ティエラ”の女性と結婚した。他の隊員達と条件が異なる。そして懲戒を受けた身だ。現状は厳しいだろう。しかしテオ達に彼を助けることは出来ないのだ。彼自身が選択して進んだ道だから。
 ステファンの携帯が鳴った。ステファン大尉は画面を見て、何か入力した。そして、瓶に残っていたコーラを一気に飲み干した。

「上官が呼んでいます。彼も休憩が終わったんです。迎えに行って来ます。」

 テオは吹き出した。ステファンは単独ではなく、上官と買い物に出て来て、上官がサボりたいから、彼も一緒にサボっていたのだ。こんな緩さが国境警備隊にもある筈だ。パエス少尉がそれに気が付けば良いのだが。
 テオはステファン大尉を軽くハグしてやった。ステファン大尉も最近はかなりハグに慣れてきた。逞しい腕でテオにハグを返して、「またそのうち」と言って、出て行った。


第6部 七柱    27

  グラダ・シティに向かって走る車を運転したのは、テオだった。大統領警護隊の車両なので本当なら民間人の彼が運転するのは隊則違反なのだが、ケツァル少佐は運転する気分でなかった。

「”操心”の尋問に対して嘘で答えられることは不可能だと、わかっています。でも、アンダーソンの答えは本当に信じ難いです。」

 少佐が愚痴ったので、テオは苦笑した。

「北米には、と言うか、この世には、常識で考えられない思考形態の人間がいるんだよ。他人が見てどんなに笑おうが、彼等は真剣なんだ。それが彼等だけの生活範囲で留まるなら、誰も文句を言わない。だが、他人に迷惑をかけると訴訟沙汰になる。他人を傷つけるのは問題外だ。アンダーソンもロイドも大人しく海に潜ってカメラを回しているだけなら、誰も文句言わないさ。喧嘩して相手を刺したから、大騒動になった。モンタルボもこの件で被害者だな。」

 そして彼はニヤッと笑った。

「本当に、古代のマスケゴ族は、カラコルの地下に核爆弾をセットしなかったのかい?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。」

 少佐がうんざりした声で抗議した。

「マスケゴの技術者達は、地下の大空間に7本の巨大な柱を設置して、地面を支えたのです。」
「7本の柱?」
「スィ。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナ、各部族の能力の大きさに合わせた太さの柱です。」
「なんで君がそんなことを知っているんだ?」

 すると少佐がケロリとした顔で言った。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の特徴です。大なり小なり、何処の遺跡でも、7本の柱で神殿の中心部を支えています。」
「”曙のピラミッド”も”暗がりの神殿”も・・・?」

 テオは深い地下で見た神殿を思い出そうと試みた。だが、当時は仲間を守り、生き抜くことに夢中で柱の数など眼中になかった。
 少佐が頷いた。

「一族が共有する場所は全て7本の柱で支え、我等は一つなのだと言う象徴としています。」
「わかった。それで、カラコルの地下空洞も7本の柱で支えられていたんだな。」
「その筈です。そして8世紀、カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りの声を聞いた当時の”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に呪ったのです。それぞれの部族の柱が折れるように、と。」

 グラダ族はその時、絶滅していた。だから、”ヴェルデ・シエロ”全員でグラダの柱も破壊したのだろう。

「ジャングルなどで発掘される遺跡の神殿が崩れているのも、柱が折られたからかい?」
「恐らく。”ティエラ”の遺跡は様々な要因があるでしょうが、”シエロ”の遺跡は放棄される時に意図的に破壊されたのだろうと、ムリリョ博士はお考えです。」

 ロカ・エテルナ社は、カラコルの海底にその7本の柱の痕跡が露出していないかを心配したのだ。テオは2000年以上も昔の先祖の仕事の後を心配する民族を、ある意味気の毒に思った。出来るだけ自分達の生きた痕跡を隠さなければならない民族。普通は、残して後世に見せたいと思うだろうに。

「岬が崩れた本当の理由が7本の柱の崩壊だと知ったら、アンダーソンもロイドも気分が沈没しちまうだろうな。」

 少佐がやっと明るい顔になって、クスッと笑った。
 

第6部 七柱    26

  ケツァル少佐は車の運転席に座ると、これから病院へ行きます、と言った。テオは刺されたチャールズ・アンダーソンに面会に行くのだとわかった。

「だが、何処の病院かわかっているのか?」
「クエバ・ネグラに病院は1箇所しかありません。」

 単純な回答だった。テオは黙った。少佐はハイウェイを南下して、5分も経たぬうちに横道に入り、古い鉄筋コンクリートの3階建の建物がある敷地内に車を乗り入れた。やたらと大きな旧式の救急車が2台あり、1台はアメリカの、もう1台はドイツの車だった。外国の古い車を購入して使用しているのだ。
 車から降りると彼女はテオに頼んだ。

「これから”操心”を使って尋問します。その間、病室に人が近づかないよう、見張ってくれますか?」
「O K! 個室だと良いがな・・・」

 建物は古かったが、内部は明るかった。窓は海側ではなく山側を向いていた。ハリケーンを警戒して建ててあるのだろう。
 少佐は受付で大統領警護隊のI Dを提示して、チャールズ・アンダーソンの容態を尋ねた。受付の女性は医師に電話をかけた。大統領警護隊が来ていると伝えられたので、医師が数分後にはやって来た。アンダーソンは腹部を一回刺されたが、急所が外れたので一命を取り留めた、容態は安定しているが、面会はまだ無理だ、と言った。少佐が言った。

「顔だけ見せて下さい。」

 それだけで、医師は面会を許可した。テオは彼女が”操心”を使ったなと思ったが、黙っていた。
 彼等は医師について2階の術後観察室に行った。最新医療設備がある訳でなく、普通の病室だった。アンダーソンは点滴のチューブや酸素マスク、心電図のコードを装着されて寝ていた。意識があり、訪問者が医師と少佐とテオドール・アルストだと認識すると、目から警戒の色を解いたので、テオは素人ながら、彼が正常な思考が出来る状態だ、と判断した。
 医師が部屋から出て行った。ケツァル少佐がアンダーソンに近づいた。

「ブエノス・ディアス」

と声をかけると、アンダーソンが頷いた。彼は自分でマスクを外した。少佐が彼の目を見つめて囁いた。

「カラコルの海の底に、何を求めているのです?」

 アンダーソンがちょっと全身を震わせた。”操心”に抵抗する時の人間の反応だ。素直にかかる人はそんな反応を見せないが、抵抗する人がたまにいる。自分を保つ意志が強いのだ。テオは抵抗する人間の半分が拷問に耐える訓練を受けた者だと知っていた。
 アンダーソンは5秒程抵抗して、落ちた。

「古代のセルバ人は核を保有していたと考えられる。」

と彼は囁いた。テオはびっくりした。思わず彼に声をかけようとして、尋問中だと思い出し、口を閉じた。アンダーソンは続けた。

「岬の地下に核爆弾が仕掛けられていたと考える学者がいる。敵が攻めてきたら、それで岬ごと破壊して壊滅させるのだ。しかし実際に使われることなく、爆弾は忘れられていた。それが8世紀の地震で爆発し、岬が沈んだ・・・」

 彼は口を閉じた。大きく息を吸い、腹部の傷の痛みで少し顔を顰めた。鎮痛剤が効いていても痛いのだろう。そして痛みで彼は我に帰った。不安気に少佐を見上げた。自分が何を喋ったのか、ほんの数秒前の記憶がないのだ。
 少佐が優しく声をかけた。

「カラコルの海底は完全に陥没し、水と泥と石で埋まっています。何も残っていません。モンタルボは掘削の許可を得ていないし、セルバ政府はサンゴ礁の破壊を許可しません。貴方が撮影出来るのは、海の底で石材の欠片や壺の欠片を拾い集めるダイバーの姿だけです。」

 少佐が顔を向けたので、テオもベッドに近づいた。

「ロイドも同じ考えで、モンタルボに近づこうとしたんだね?」
「スィ。」
「古代の民族が核爆弾を持っていたとなれば、世界中に大きな衝撃が走るだろうな。考古学だけの話で済まなくなるもんな。だけど、それは夢物語だ。セルバにはウランも核燃料になり得る地下資源もない。核実験した遺跡もない。貴方やロイドにそんな戯言を吹き込んだ学者ってのは、誰だい?」

 アンダーソンが一人のアメリカ人の名前を口に出した。それを聞いたテオは脱力した。

「その男はインチキ予言や占いでテレビに出まくって、3年前に視聴者から訴えられて行方をくらませた詐欺師じゃないか! あんた、あいつの言葉を真に受けて会社の命運をカラコルの発掘撮影に賭けたのか?」

 馬鹿じゃないか、と言う思いがテオの頭に浮かんだ。もっと何か政府の思惑が絡んだ陰謀を想像したのだが、世の中にはテレビや本で得た知識を本気で信じ込んで常識を逸した行動を取る人間がいる。
 アンダーソンがベッドに横たわったまま涙を流し始めた。

「核を使用した痕跡だけでも見つけられたら、と・・・」
「ロイドも同じ目的だったんだな?」
「まさか同じことを信じてやって来る人間がいたなんて・・・」

 彼は苦痛で顔を歪めた。少佐がナースコールのボタンを押した。そしてテオの手を掴んだ。

「行きましょう。もうこの人達と関わりたくありません。」


 

2022/04/02

第6部 七柱    25

  通された部屋は、駐屯地の指揮官より上位の将官が訪問する時に使用する迎賓室だった。エアコンが快適な温度の空気を吐き出し、座り心地の良いソファと憲兵隊の歴史を語る写真や勲章などを飾る棚が設置されていた。まさかそんな場所に傷害事件の容疑者が連行されて来る訳でなく、出されたコーヒーを飲んで20分程休憩した後で、再び先ほどの取調室に案内された。
 アイヴァン・ロイドは、以前テオが出会った時よりくたびれて見えた。チャールズ・アンダーソンと口論し、取っ組み合いになり、ナイフで刺した後、逃亡を図ってホテルの客達に取り押さえられたのだ。髪がぐしゃぐしゃで、顔に青痣ができており、服は汚れたのか白いダブダブの囚人用の上下を着せられていた。彼はテオの顔を覚えていた。テオとケツァル少佐が入室すると、顔を向けて、不思議そうな表情をした。

「貴方は確か、グラダ大学で・・・」
「スィ、お会いしました。生物学部のドクトル・アルストです。」

 テオは少佐より先に自己紹介した。そして少佐に言った。

「ンゲマ准教授を訪問して大学に来たセニョール・ロイドだ。」

 少佐が冷ややかにロイドを見た。テオは彼女をロイドに紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐です。」

 ロイドが溜め息をついた。念願の大統領警護隊に会えたのに、彼は罪人として囚われの身だった。少佐が質問した。

「貴方とアンダーソンの間で何があったのですか?」

 ロイドは無言のまま少佐を見て、テオを見て、カバン大尉に視線を移した。そして大尉に尋ねた。

「この女性が大統領警護隊の少佐なのですか?」

 少佐が私服姿なので疑っているのだ。大尉が頷いて言った。

「素直に答えないと、少佐は直ぐに本部へ帰られる。お前の取り調べは我々で十分だからな。」

 ロイドは再び少佐に視線を戻した。

「私は古代の幻の民族が実在した証明を探しているのです。セルバの方ならご存じですね? ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれた、頭に翼を持った神様です。」

 テオはもう少しで笑いそうになった。頭に生えた翼は、古代の”ヴェルデ・ティエラ”、つまり普通の人々が、神と崇めた”ヴェルデ・シエロ”の超能力を絵画で表現する為に描いたものだ。”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐が「そんな人間がいたら化け物だ」と感想を述べた形状の絵だった。
 ケツァル少佐は真面目な顔で言った。

「遺跡の壁画で見たことがあります。それが傷害事件を起こす原因になるのですか?」
「幻の民族の遺跡を発見出来たら、世界中の考古学者の注目を浴びます。私の動画も売れる・・・。」
「ですから、それが何故他人を刺す理由になるのです?」
「アンビシャス・カンパニーは・・・」

 ロイドが手錠を嵌められた両手をグッと握り締めた。

「私が乗る予定だった航空機の座席を、ハッキングでキャンセルしたり、情報源の人に高額の謝礼を与えて私に嘘の情報を流させていたんです。私の妨害ばかりしていました。昨夜、私がモンタルボに近づこうとしたら、用心棒を使って力づくでホテルから追い出そうとしました。私に向かって、神に近づく値打ちもない男、などと侮辱したのです。」

 少佐は冷めた目で彼を眺め、くるりと背を向けた。

「帰りましょう、ドクトル。」
「待ってくれ!」

 ロイドが叫んだ。

「私はアンダーソンを殺すつもりはなかった。ただ謝らせたかっただけだ!」
「我が大統領警護隊には関係ない私闘です。」

 少佐はカバン大尉に声をかけた。

「お手数をおかけしました。憲兵隊の領分に口を出すつもりはありません。」

 彼女とカバン大尉は敬礼を交わし、少佐が部屋から出たので、テオも急いで追いかけた。足早に建物から出て、車に戻ると、少佐が言った。

「傷害を起こした理由がはっきりしません。誰がカラコルの遺跡の下に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると、ロイドやアンダーソンに喋ったのでしょう?」
「誰が、と言う明解な回答はないのかも知れないぞ。」

とテオは呟いた。

「連中は言い伝えを聞いて、儲け話に繋がると思ったんだ。」



 

第6部 七柱    24

  取調室として使われている窓がない小部屋にケツァル少佐とテオが入ると、リカルド・モンタルボ教授が、弱々しい笑を浮かべて椅子から立ち上がった。

「グラシャス! 来ていただけて、感謝します。」

 無精髭に目の下の隈、憔悴していた。着ている物はよれよれのTシャツで、ホテルで休んでいる時に事件発生で起こされ、憲兵隊に引っ張られて来たのだ、と立ったまま早口で事情を説明した。連行された理由がわからない、と捲し立てた直後に、彼は急に声のトーンを落とした。

「しかし、アンダーソンとロイドと言う男が争った原因はわかります。」

 彼は憲兵隊長をチラリと見た。少佐はカバン大尉に妙な勘ぐりをされたくなかったので、教授に言った。

「どうぞ、話して下さい。」

 モンタルボ教授は少し躊躇ってから、囁くように言った。

「彼等は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡を探していたんです。」

 1分間、沈黙があった。テオはカバン大尉が顔を強張らせるのを感じた。”ヴェルデ・シエロ”の話を大っぴらにすることは、セルバ人にとってタブーだ。しかも、部屋の中に”ヴェルデ・シエロ”と話が出来ると信じられている大統領警護隊の少佐がいる。憲兵は「神罰」を心配したのだ。
 少佐はそれまで立っていたのだが、モンタルボ教授の向かいの椅子を引いて、そこに腰を下ろした。そして手でモンタルボに座れと合図した。教授が座ったが、テオは椅子がないので立ったままだ。カバン大尉も立ったままで、テオに椅子を運んで来る気はなさそうだった。

「アンダーソンとロイドは海の底に沈んでいる遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだと考えているのですか?」
「正確に言えば、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の上に後世の人間が町を建設し、海に沈んだと考えている様です。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡と正式に認められている建造物は、グラダ・シティの”曙のピラミッド”だけです。ああ、オルガ・グランデの地下深くにある”太陽神殿”(”暗がりの神殿”のこと)も”ヴェルデ・シエロ”の建造物だと考えられていますが、ピラミッドは宗教上の理由で現在も発掘研究を許可されていませんし、”太陽神殿”は鉱山会社の所有で一般人の立ち入りを許可してくれません。」
「落盤が多く、危険なので立ち入り禁止区域なのです。」

 テオはつい口を挟んだ。少佐は怒らなかった。モンタルボに続けてと表情で促した。

「もし海の底の遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだったら、世紀の大発見です。中南米で最も古い遺跡と言うことになりますから。アンダーソンとロイドは、その歴史的な発見の当事者になりたいが為に、私の発掘調査の撮影をしたがっていたのです。」
「どっちが一番乗りをするかで、昨晩喧嘩したと言う訳ですか?」
「それもありますが、そもそも海の底に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると言う情報が何処から出て来たのか、彼等はネタ素を明かせと口論したのです。私はカラコルの町の実在を証明出来る発掘を目的としており、その遺跡の地下にあるかも知れない幻の”ヴェルデ・シエロ”の遺跡は・・・勿論、見つけられればもっけモンですが、今はそんな余裕も技術もありません。珊瑚礁を傷つけてはならないと言う法律を守ると言う前提で、発掘許可を頂いているので、海底を掘るつもりなど毛頭ありません。私はアンダーソンとロイドにそう伝えて、自分の部屋に戻りました。彼等が刃傷沙汰になったなんて、私の知ったこっちゃないですよ!」

 モンタルボ教授はすがる様な目付きでケツァル少佐とテオを見比べた。少佐は彼に”操心”をかけていない。教授は全く彼自身の言葉で喋ったのだ。彼は白人だがセルバ人だ。この国独特のルールを熟知していた。古代の神様の遺跡と疑われる遺跡を発掘すること自体は禁止されていない。しかしその研究が売名行為や商業目的で使用されることは、この国の倫理観に反くことになる。ましてや、研究に直接関わっていない、考古学者でもない外国人が、名声や金銭目的で遺跡に手を付け、争って流血沙汰になるなど、神への冒涜以外何者でもない。モンタルボ教授は、昨晩の傷害事件に己は一切関わっていないのだと主張した。
 ケツァル少佐が憲兵を振り返った。

「モンタルボ教授を釈放して下さい。この人は昨晩の事件と無関係です。アンダーソンと雇用契約を結んでいましたが、アンダーソンとロイドの争いに関わっていません。」

 カバン大尉が敬礼して承諾を伝えた。少佐はもう一つ要請した。

「貴官達が拘束したアイヴァン・ロイドなる人物と面会させて下さい。」
「承知しました。準備が整う迄、あちらで休憩なさって下さい。」

 カバン大尉はモンタルボ教授にも言った。

「釈放です。どうぞ、お帰り下さい。」


2022/04/01

第6部 七柱    23

  テオはドキドキした。もしかして、ケツァル少佐の方からプロポーズしてきた? あり得るかも知れない。今迄彼が出会ってきた”ヴェルデ・シエロ”の女性達は積極的だった。彼女達の方から男性に求愛していた。だから、少佐も・・・?
 少佐がクールに言った。

「転属は各自行き先がバラバラですから、私が転属させられる時、ロホやデネロス達と別れなければなりません。私は一人ぼっちで新しい任地へ行くことになります。そんな場合、民間人の貴方なら、命令は関係ありませんから、来てくれるでしょう?」

 テオはがっくりきた。部下達を連れて行けないから、民間人の彼だけでも連れて行こうと言う我儘か? 彼はがっかりさせられたので、反論した。

「大学教授だって、学生に責任がある。研究を途中で放り出して女を追いかける訳にもいかない。」

 少佐が横目で彼を見上げた。

「何をムキになっているんです?」

 彼女は彼からスッと離れて宿のドアの取手を掴んだ。

「私はあるかも知れないことについて、貴方の考えを尋ねただけですよ。」

 そして建物の中に入った。テオは揶揄われた気分を拭えないまま、彼女の後に続いた。宿の主人に鍵をもらい、銘々の部屋に入った。上着を脱いでTシャツに短パンだけになり、ベッドに入った。目を閉じたが、やっぱり先刻の少佐との遣り取りが気になった。
 少佐は本当にプロポーズしてくれたのではないのか? 俺がすぐに返事をしなかったから、彼女はあんなことを言ったのかも知れない。彼女は話し相手に躊躇されるのを好まないのだ。俺は彼女の扱い方を誤った?
 結局まんじりともせずに朝を迎えてしまった。日が昇る前にシャワーを浴びようと浴室に行くと、既に少佐が中にいた。部屋に戻り、順番を待った。彼女が出てきた気配だったので、再び浴室に行き、まだ湯気と石鹸の香りが残る浴室で体を洗った。
 宿の朝食は主人夫婦と一緒だった。女将さんがテオの草臥れた顔を見て、眠れなかったのか、と心配した。テオは、大学の仕事の夢を見てうなされただけです、と答えて誤魔化した。朝食はあまり変わり映えのしない内容だったが、美味しかった。ケツァル少佐は卵料理の味付けが気に入って、お代わりして女将さんを喜ばせた。彼女は昨晩の会話を全く気にしていないようだ。やっぱり冗談だったのか? テオはちょっとがっかりした。
 チェックアウトして、グラダ・シティに帰ろうと車に乗り込んだところで、少佐の携帯にグリン大尉から電話がかかって来た。

ーーモンタルボ教授が少佐殿にお会いしたいと連絡して来ましたが、どうなさいますか? 

 少佐は眉を顰めた。

「昨夜の緊急車両のサイレンに関係あることですか?」
ーー恐らく。

とグリン大尉も詳細を知らない様子だ。

ーー教授は憲兵隊のクエバ・ネグラ駐屯地にいるそうです。責任者はアリリオ・カバン大尉です。

 少佐は溜め息をついた。

「なんだかわかりませんが、行ってみます。連絡ご苦労様です。」
ーーグラシャス。

 少佐が携帯をポケットに仕舞った。テオはやっぱりこちらに難儀が降りかかって来たな、と思った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを手に取り、テオに放り投げた。テオは慌てて受け取った。本来なら、大統領警護隊の身分証を持ち主以外が手に取ると、チクリと針で刺したような痛みを覚える。しかし、テオはパスケースの段階は平気だった。徽章そのものは触れないが。

「憲兵隊のゲートを通る時に、それを提示して下さい。」

 少佐が駐屯地のゲートでブレーキを踏むつもりがないことを悟ったのは、正にその時だった。彼女は緑の鳥のロゴが入った車を速度を落としたものの、停止せずに駐屯地の中へ乗り入れた。アサルトライフルを構えた兵士にテオは必死で少佐のパスケースを突き出しながら、助手席でヒヤヒヤしていた。駐屯地は宿から車で10分程の距離だったが、少佐はその間一言も口を利かなかった。昨夜のことを怒っているのか、それともモンタルボ教授の要請に機嫌を損ねたか、どちらかだ。
 事務所と思われる建物の前に車を停めると、すぐに将校が出て来た。口髭を生やした40代前半の男性だ。ケツァル少佐に敬礼して、カバン大尉だと名乗った。少佐は、ミゲールと名乗り、テオを見ずに手だけで示して、ゴンザレス博士、と正式名称だけ紹介した。

「リカルド・モンタルボが私を呼んだ理由は何です?」

 くだらない用件だったら帰るわよ、と言う顔で彼女が尋ねた。カバン大尉は国境警備隊の大統領警護隊とは格が違う相手だ、と感じたのか、無駄話をせずに事情を語り出した。

「昨晩、レオン・マリノ・ホテルの支配人から通報がありました。宿泊客に会いに来た訪問者が、客を刺したと言う内容です。刺された客と刺した男がどちらもアメリカ人だったので、支配人は警察と憲兵隊に通報を入れました。刺された客は、昼間、別の宿泊客、それがセニョール・モンタルボでして、彼とも激しい口論をしており、何か事件と関係があるのではないかと支配人が訴えるので、こちらへ連行しました。」
「刺した男と刺された男はどうなりました?」
「刺した男は逃走を図りましたが、ホテルの従業員と刺された男の用心棒に取り押さえられました。現在こちらの拘置所に勾留しています。刺された男は病院へ運びました。生きていると思われますが、まだ病院から連絡が来ていません。」
「モンタルボは事件に関して何か言っていましたか?」

 カバン大尉は肩をすくめた。

「何も・・・ただ少佐をお呼びして欲しいの一点張りで・・・」

2022/03/31

第6部 七柱    22

  宿の前迄来た時、少佐が足を止めた。

「今、呼ばれました。」

 テオは彼女を見た。”ヴェルデ・シエロ”特有の、一方通行的テレパシーを感応したと言うことだ。

「誰に?」
「これは・・・」

 少佐はちょっと考え、国境警備隊の宿舎を見た。

「指揮官のグリン大尉です。パエスから私がここにいると聞いたのでしょう。」
「行くのかい?」
「呼ばれましたから。貴方も来ますか?」
「俺が行っても良いのかい?」
「スィ。恐らく、パエスの件ですよ。」

 孤独な知人の問題に関することなら、テオも無関心でいられなかった。これはモンタルボの事件とはレベルが違う。少なくとも、彼の中で比重が重いのはモンタルボではなくパエスだ。
 2人は国境警備隊の官舎へ行った。テオは双子の様な官舎が2棟並んでいるのを見て、大統領警護隊と陸軍が生活の場所を分けていることを知った。命令系統も異なるのだから、仕方がないだろう。しかし食事の場所は陸軍側にあると聞いて、セルバ人同士の交流はあるのだな、と少し安心した。
 大統領警護隊の官舎の共有スペースで、バレリア・グリン大尉がソファに座っていた。ケツァル少佐が入室すると微笑んで立ち上がったが、テオに気がつくと、怪訝な顔をした。少佐がテオを紹介した。 テオが「”暗がりの神殿”の調査」に参加して、反逆者ニシト・メナク捕縛に協力した白人の英雄であると言う評価を、大尉は聞いていたので、彼に会えて光栄だと言った。

「太平洋警備室の問題解決にも大きな貢献をされたそうで・・・」
「俺は何もしていません。大統領警護隊の隊員達が過ちに気づいて冷静な判断をしてくれただけです。」

 大尉は事務室を振り返った。パエス少尉が共有スペースに出て来た。彼は再びケツァル少佐とテオに敬礼した。

「大統領警護隊は陸軍と同じく、隊員個人の問題で隊則を変えることは出来ません。」

とグリン大尉が言った。

「しかし、宗教の問題は簡単ではなく、信仰するものを捨てよと言うことは出来ません。ですから、パエス少尉が官舎の食事を口にすることを拒否した時、已む無く自宅で食べることを許可しました。しかし、他の隊員達から不満の声が聞こえたのは事実です。」

 テオはパエス少尉が固い表情で空を見つめているのを見た。グリン大尉は続けた。

「クチナ基地のオルテガ少佐に私は相談しました。すると少佐は陸軍国境警備班と話をして下さいました。陸軍国境警備班北部方面隊は、兵士達にアンケートを取ったそうです。」

 え? とテオは思った。何だか意外な展開だ。ケツァル少佐もパエス少尉も驚いていた。グリン大尉が、「してやったり」と言いたげな顔をした。

「アンケートの結果、出身地や出身部族で食材にハラールを行うことが習慣になっていた兵士が60パーセントを越えることがわかりました。どの兵士も、軍隊では我儘を許されないと諦めて、ハラールなしの食材で作った食事を摂っていたのです。陸軍はそれをグラダ・シティの本隊に報告し、軍隊の厨房でのハラールの省略は禁止すると通達を出しました。」

 パエス少尉がぽかんと口を開けてグリン大尉を見た。

「明日の朝からここクエバ・ネグラの陸軍官舎の食堂でも、ハラール食材を使った食事が出されます。新しい料理人が来る迄は、ハラール食材を扱う業者から納入される物ですが、儀式の知識を持つ人間を雇用するそうです。」

 彼女はやっと部下の顔を見た。

「貴方が今のままの生活を続けるか、同僚と同じ生活を始めるか、選択の自由はありません。」
「わかりました・・・」

 パエス少尉は、もう奥さんが待つ家に毎日帰ることが出来ないのだ。だが・・・。

「クチナ基地では、家族持ちの隊員には、本部と同じ隊則を適用しています。ですから、クエバ・ネグラでもそれに習うことにしました。」
「?」

 パエス少尉がグリン大尉の言葉を解せないで戸惑う表情になった。しかしテオは大尉が言おうとしていることが分かった。彼は、いつもの癖で、口を挟んでしまった。

「本部勤務の家族持ちの隊員は、2週間に1日、休日をもらえるんだ!」

 ケツァル少佐が横目で彼を見たが、怒ってはいなかった。彼女もその規則は承知していた。
 グリン大尉は、テオのフライングに苦笑した。そしてパエス少尉に言った。

「明日、全隊員に告知します。家族を前の任地に残して来た隊員も数名いますから、彼等が家族を呼び寄せることも出来ます。貴方が同僚と気まずくなった1番の原因となった人達です。貴方は逆に奥さんのところに帰る時間が減りますが、承知出来ますね?」

 パエス少尉が無言のまま、敬礼して承諾を示した。テオはまた言葉を追加した。

「奥さんは家に閉じこもっている訳じゃないですね? 仕事をしているのですか? 兎に角、検問所と町は殆ど一体化している町だから、勤務中に奥さんが貴方の近くに来ることだって出来るでしょう? 2週間全く奥さんに会えない訳じゃないんですよ、少尉。」

 パエス少尉が顰めっ面した。そんなことはわかっている、と言われた気がして、テオは笑いそうになり、耐えた。
 ケツァル少佐がパエス少尉に言った。

「貴官は良い上官に恵まれていますね。」

 少尉が彼女に向き直り、再び敬礼した。

「私は幸せ者です。」

とやっと彼は言った。少佐と大尉の女性達が”心話”で何か話をした様子だったが、テオは訊かないことにした。
 宿舎を出て、テオとケツァル少佐は今度こそ本当に宿に向かって歩き出した。

「グリン大尉がわざわざ君を呼んだと言うことは、君が大尉に何かアドバイスしたんだな?」

 テオが指摘すると、少佐が微笑んだ。

「家族と離れて暮らしているのは、あの大尉も同じでした。でも彼女はパエスに意地悪はしていません。彼が奥さんの料理を食べに帰るのを許していたのですからね。意地悪する部下と自己流を貫き通そうとする部下の板挟みで、彼女も悩んでいたのです。本部と同じ隊則を適用するのは簡単です。でも、彼女がクチナ基地の指揮官少佐を動かして、陸軍まで動かしたのは驚きでした。」
「大統領警護隊の女は強いなぁ・・・いて!」

 少佐が彼の腕をつねって、それから彼に身を寄せた。

「私が転属になったら、ついて来てくれます?」

 テオはドキッとした。それって、もしかして・・・もしかする?


第6部 七柱    21

  食事を終えて宿に向かって歩いていると、国境警備隊の車が後ろから走って来た。テオとケツァル少佐が道端に体を寄せて車をやり過ごすと、車は40メートルほど進んでから停止した。少佐が囁いた。

「パエス少尉と陸軍の兵隊です。」

 日中の勤務を終えて宿舎へ戻るところだろう。テオ達がそのまま進んで車に近づくと、助手席からパエス少尉が降り立った。ケツァル少佐に敬礼したので、少佐も返礼した。

「まだ大学教授の事件を調査されているのですか?」

と質問して来た。少佐が答えた。

「解決したので、教授に奪われた物を返しに来ただけです。」
「貴女がわざわざ?」

 部下にやらせれば良いのに、と言う響きが声にあった。少佐は彼に話すことは何もないと思ったのか、話題の方向を変えた。

「勤務交代の時間ですね。早く行きなさい。」

 パエス少尉は敬礼し、車に戻った。国境警備隊の車は直ぐに走り去った。テオは独り言を呟いた。

「少なくとも、勤務中は同僚達と上手くやっている様だな。」
「気持ちの切り替えが出来なければ、大統領警護隊は務まりませんから。」

と少佐が言った。
 真っ直ぐ宿に戻るのも早過ぎる様な気がして、2人は丘陵地を散歩した。雨季直前の湿った風が吹いていた。日が沈み、丘の下のハイウェイに沿った街並みの灯りが細長く見えた。この町は細長いんだな、とテオはどうでも良いことを思った。民家が少し高い場所に固まっているのも見えた。あれは津波や高潮を避けて暮らしているのだ、とも思った。

「アブラーンが隠したかった建築の秘密ってどんなものだったのかな。」

と彼は呟いた。

「現代人に知られたからって、大問題になる様なものだったんだろうか? ”ヴェルデ・シエロ”は残酷だ、とか、役立たずだ、とか、信用できない、とか批判される様なものだったのか? それとも、その技術を求めて現代の国々が押しかけて来るとか?」

 少佐が、ふふふ、と笑った。

「恐らく、アブラーンも知らないのだと思います。ロカ・ムリリョも、その親もさらにその親も・・・”ティエラ”にも他部族にも教えるなと言われて、何代も秘密を守っている間に、忘れ去られたのだと思った方が気が楽ですよ。家族にさえ黙っていたのですから。”心話”で伝えると言うことは、情報を持っている人の主観も入る訳ですから、代を重ねて伝わると情報は少しずつ歪んで来る物です。」

 彼女は真っ暗な海の方角を見た。テオには見えない器状の海底がある方を指差した。

「アンドレが想像した様に、柱の上に台を置いて、そこに町を築いたのではないかと、私も思います。そんな技術を古代の人々は持っていたのです。ムリリョ家に伝わっていたのは、その技術だったのでしょう。そんな技術を他人に知られたくなかったのであれば、”ヴェルデ・シエロ”が町を放棄した時に、町を破壊しておけば良かったのです。だけど、何らかの理由でしなかった。そして”ティエラ”がやって来て、住み着いた。カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りを感応した”ヴェルデ・シエロ”達は、町の土台を支えていた柱を破壊したのではないですか。」
「それで町が水没したのか?」
「スィ。調べてみましたが、カラコルが水没したと言われる年代は、大きな地震の記録がありません。津波の記録も残っていません。伝聞も伝承もないのです。どの地方にもありませんでした。岬が沈下するほどの地震があったら、他の地方でも被害が出ていた筈です。でも考古学的調査でも、地質学調査でも、そんな痕跡は国中どこにもないのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は地震を起こしたのではなく、町の地下にあった柱をへし折っただけだったのか。」
「かなりの大きさの柱だったのでしょうね。そんな柱を造る技術が、アブラーンが守りたかった秘密だったのだと、私は思います。」
「だが、町一つ沈んだんだ。このクエバ・ネグラの近郊は津波に襲われただろうな。」
「その記録もないので、そこは、それ・・・」
「”ヴェルデ・シエロ”の守護の力の見せ所か。」

 テオはやっと笑う気分になった。

「アブラーンは、巨大な柱の痕跡が海底から露出していないか、心配だったんだな。」

 またサイレンの音が聞こえた。例のホテルの前に、緊急車両の赤色灯が見えた。少佐が車種を見定めた。

「憲兵隊の車両です。外国人か先住民がトラブルに関係した様です。」

 外国人と聞いて、テオはチャールズ・アンダーソンを思い浮かべた。モンタルボと暴力沙汰になったのだろうか。



2022/03/30

第6部 七柱    20

  サン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボは、前回ケツァル少佐とギャラガ少尉が襲撃事件の聞き取り調査で訪問したホテルにまだ宿泊していた。憲兵隊が強奪された撮影機材を故買屋で発見したので、引き取るか買い取るかで故買屋と揉めたのだ。セルバ共和国では盗品と知ってて購入しても罪にならない。なんとなく「盗られたヤツも油断していたのだから盗られても当然」と言う思想があって、官憲は盗品の行方を突き止めても、取り返してくれるとは限らない。元の持ち主に、買い戻す意思があるかと訊いて、持ち主に「取り戻したいが買い取る余裕がない」とわかれば、故買屋から押収するが、持ち主に金銭的余裕があると見てとると、「買い戻せ」と放置する。モンタルボ教授は、撮影機材がアンビシャス・カンパニーの所有なので「買い戻す意思」はなかったが、アンビシャス・カンパニーはそうではない。チャールズ・アンダーソン社長は、買い戻しより押収を希望した。それでモンタルボ教授、アンビシャス・カンパニー、故買屋、そして憲兵隊で盗品の処遇を巡って揉めていたのだ。
 テオとケツァル少佐が訪問した時、モンタルボ教授とチャールズ・アンダーソンは憲兵隊に提出する押収要請の書類を作成し終わったところだった。そこへ、テオがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョから託されたUSBを持って現れたので、また彼等の間における雲行きが怪しくなってきた。

「映像が戻って来たのなら、カメラはもうなくても構わない。」

とモンタルボが発言して、アンダーソンを怒らせた。

「それなら発掘作業の撮影はなしだ!」

とアンダーソンが怒鳴った。

「水中作業の映像を世界に発信して、貴方の研究費用を集めると言う当初の目的が失われることになる。それでも良いんですか!」

 怒鳴り合いが始まり、USBが何故、誰によってテオドール・アルストの手に託されたのか、双方共訊くこともしなかった。ケツァル少佐がテオの肩に手を置いて囁いた。

「放っておきなさい。行きましょう。」

 テオは「アディオス」と声をかけてみたが、モンタルボもアンダーソンも振り返らなかった。
 テオと少佐は車に戻った。そして、その夜の宿を探しに行った。
 ガイドのアニタ・ロペスが教えてくれた宿は海から離れた丘の上にあった。意外にも国境警備隊の宿舎が歩いて5分程の距離に建っていた。宿はホテルと言うより民宿、B&Bだった。そこに2部屋取ってから、2人は夕食に出かけた。そちらもガイドが教えてくれた店だ。国境を越える職業運転手が多いハイウェイ沿いの店と違って、地元民しか来ない小さな店だったが、他所者を拒むこともなく、愛想の良い女将さんが「本日のお薦め」を教えてくれたので、それを注文した。
 美味しい魚介のスープと茹でたじゃがいもで満腹になる頃に、ハイウェイの方から警察車両のサイレンの音が聞こえて来た。女将さんが眉を顰めた。

「やだねぇ、また検問所破りかねぇ。」

 客の一人が窓の外をチラリと見た。

「違うようだ。ありゃ、レオン・マリノ・ホテルへ行ったぞ。」

 テオと少佐は思わず顔を見合わせた。レオン・マリノは、モンタルボ教授が泊まっているホテルだ。まさか、教授とアンダーソンが喧嘩して怪我人が出たのか? 
 テオが腰を浮かしかけると、少佐がセルバ人らしく言った。

「放っておきなさい。」
「君は気にならないのか?」
「何かが起きたことは確かです。でも私達が行って、何かを止められることはないでしょう。」

 彼女はスープの最後の一口を飲んでから、続けた。

「何が起きたのか、明日になれば街中に広がっていますよ。」

 テオは彼女を見つめ、それから店内を見た。セルバ人は野次馬が好きだが、場所が現在地から離れているので、店を出て見に行こうと言う人はいなかった。皆、椅子に座り直し、食事や飲酒を続けていた。テオは脱力した。こんな場合はセルバ人になりきれていない己を感じてしまう。モンタルボが無事であれば良いが、と彼は思った。どう言う訳か、アンダーソンのことは気にならなかった。

第6部 七柱    19

  クエバ・ネグラの町に到着したのはお昼前だった。昼食に少し早かったが、営業している食堂を見つけて早めのランチを取った。そしてクエバ・ネグラ洞窟前で自然保護担当課が手配してくれたガイドと落ち合った。ガイドはアニタ・ロペスと言うメスティーソの中年女性だった。テオがシエスタの時間に働かせることを詫びると、彼女は笑って手を振った。

「大丈夫です、私はさっき起きて朝ごはんを食べたところですから。」

 どんな生活サイクルなのかわからないが、彼女は洞窟探検用のヘッドライト付きヘルメットと長靴、蛍光マーカー付きのパーカーをテオと少佐に貸してくれた。
 洞窟内は静かで、気温が低かった。夜目が効く”ヴェルデ・シエロ”の少佐はヘッドライトを必要としないが、普通の人間のふりをして、ガイドとテオの間を歩いた。本当は先頭か殿を歩きたいだろう。
 以前トカゲを捕獲した辺りから、テオはヴィデオカメラで撮影を始めた。天然洞窟だから足元が不安定で用心しなければ転倒して大怪我に繋がりかねない。彼は時々マイクにコメントを入れ、足元、壁、天井を撮影して行った。偶に女性達も入れると、アニタ・ロペスは笑顔を作り、少佐は無表情で直ぐに顔を背けた。
 洞窟は次第に狭くなり、落盤の痕跡が見られるようになってきた。そろそろ引き返した方が良いだろう、とテオが思った頃に、少佐が足を止めた。

「水の音がします。」

 確かに、岩壁の向こうで水が波打つような音が聞こえた。
 アニタが耳を澄ましてから説明した。

「海の底から細い洞窟がこの下へ繋がっている様です。でも誰もそこまで行ったことがないし、行ける幅の通路もありません。ですから、波が来ているのだろうと言われていますが、確認した人はいません。」
「地下水脈ではないのですか?」
「地下の川ですか?」

 アニタは首を傾げた。

「古代のカラコルは水を売っていたと言われています。その水が何処から得られていたのか、不明なのですが、その水脈かも知れませんね。でも、川の存在を確認するにも音の発生源が深すぎます。」
「こんな場所でボーリング出来ないしな。」

 テオもちょっと地下水脈に興味があったが、洞窟は奥の方でかなり崩落していた。まだ新しい落石跡と思えるものもあったので、近づかない方が無難だ。彼はマイクに話しかけた。

「洞窟は最深部で崩落し、これ以上は進めない。トカゲの一つの種が独自に進化するには無理がある洞窟の長さだ。あまり長くない。」

 彼は女性達に声をかけた。

「引き返そう。地下川は地質学か考古学の世界だ。生物学の分野ではない。」

 なんだかアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが隠したがっている秘密に繋がるような予感がした。引き返せる時に引き返すべきだ。タイミングを誤ると、また厄介なことが起きる。アニタ・ロペスを巻き込む訳にいかない。
 ケツァル少佐も彼の考えと同じことを思ったに違いない。素直に彼の提案に従った。
 3人は再び撮影しながら出口に向かって歩いた。少佐がアニタに質問した。

「カラコル遺跡の伝説は、この近辺では誰もが知っているようですね?」
「御伽噺みたいなものです。」

とアニタが笑った。

「何処かの遺跡みたいに漁網に黄金が引っかかって揚がったり、女神様の石像が揚がったりしたら、観光資源になるでしょうけど、網に入るのはサメと魚だけですから。昔、神様を怒らせて一晩で海に沈んだ町がありました。親の言うことを聞かないと、お前にも悪いことが起きますよ、って言う類の御伽噺ですよ。」

 洞窟から出ると、まだ太陽は高く、陽光が眩しかった。テオと少佐は装備を体から外してガイドに返却し、料金を支払った。テオがチップを渡すと、アニタは夕食に最適なお店と快適な宿を紹介してくれた。緑の鳥のロゴが入った車を見て、私服姿の少佐と白人のテオを見比べながら、アニタが「本当に大統領警護隊ですか?」と尋ねた。テオは「スィ」と答えた。彼は少佐を指し示し、

「彼女が大統領警護隊で、俺は顧問。」

と紹介した。アニタが少佐を見て微笑んだ。

「国境警備隊のグリン大尉も優しい方です。やっぱり女性の軍人さんの方が接しやすいですね。男の方は威張っているから・・・」

 彼女は急いで周囲を見回した。

「さっきの話は内緒ですよ。」

と言ったので、少佐が笑った。
 ガイドと別れて、テオは少佐と共にモンタルボ教授が宿泊しているホテルを目指した。


 

第6部 七柱    18

  雨季休暇が始まった。大学での来季に向けた事務手続き等を終えたテオドール・アルストは、エル・ティティに帰省する前に、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから依頼された仕事を片付けることにした。今度のクエバ・ネグラ行きは、ケツァル少佐と2人きりだった。文化保護担当部の業務を部下達に任せ、彼女はモンタルボ教授の発掘準備がどの程度進行しているのか確認するつもりだった。
 車は大統領警護隊のロゴマークが入ったオフロード車だった。テオは運転を頼まれ、ハイウェイを快調に走って行った。少佐と長時間ドライブに2人きりで出るのは初めてではないだろうか。彼はちょっとワクワクした。「ちょっと」と言うのは、彼女と出かけると大概何か厄介な問題が待ち受けていたりするからだ。不安ではないが、浮かれていられない、そんな気分だった。
 グラダ・シティを出て10分ほど経ってから、彼女が言った。

「2日前、カタリナ・ステファンがフィデル・ケサダの自宅を訪問しました。」

 ケサダ教授がカタリナ・ステファンを自宅に招待したがっていると、試験期間前に聞いていたので、テオは驚かなかった。大学の職員として教授も試験期間中忙しかったので、カタリナの訪問が実現したのはやっと2日前だったのだ。

「カタリナを招待した人は、マレシュ・ケツァルだね?」
「スィ。」

 テオは大学病院の前庭で出会った車椅子の老女を思い出した。付き添っていたフィデル・ケサダの妻コディア・シメネス・デ・ムリリョが、「半分夢の世界に生きている」と言っていた人だ。
 対面はケサダ家の居間で行われた。教授はその日子供達4人を母家のムリリョ家へ遊びに行かせて、夫婦とマレシュ・ケツァルだけでカタリナと彼女を車で送ったケツァル少佐を迎えた。カタリナは玄関口でケサダ教授を見るなり、「大きくなったわね、フィデル!」と叫んで、教授を照れ笑いさせた。
 カタリナは直ぐにマレシュを見分けた。生まれた時から近くにいた人だ。父親と共に鉱山で働いていた労働者仲間だった。男性の姿をしていたが、カタリナはマレシュが女性だと知っていた。可愛がってくれた人を忘れる筈がない。彼女は皺だらけになったマレシュの手を握り、涙した。マレシュもカタリナを覚えていた。彼女と彼女の母親を時々混同したが、”心話”と言葉で思い出話を楽しんだ。ケツァル少佐は彼女達が使うイェンテ・グラダ村方言が理解出来ず、黙ってそばで聞いていた。ケサダ教授も子供時代に母親と別れたので、方言をかなり忘れており、義母の世話をしているコディアの方がマレシュとカタリナの会話をよく理解出来た。やがて、カタリナはケツァル少佐を車椅子のそばに呼び、マレシュに紹介した。

ーーウナガンとシュカワラスキの娘です。貴女の従弟妹の子供です。

 車椅子に座ったままマレシュはケツァル少佐の上半身を抱きしめて、「血族を宜しく」と囁いた。
 対面は1時間程で終わり、カタリナはマレシュに再会を約束して別れた。

「カタリナはマレシュとの会話の内容を詳しくは語ってくれませんでした。恐らく、私達が生まれる前の思い出話で弾んだのでしょう。ただ、帰りの車の中で私にこう言いました。『フィデルはヘロニモ・クチャに生写しです』と。」

 テオは思わず顔を少佐に向けた。そして、慌てて前に向き直った。

「ムリリョ博士は、フィデル・ケサダの父親が誰かわかっていたんだな。」
「そうですね。でも博士はフィデルに教えていない。母親のマレシュが言わないのだから、彼が言う権利はないとお考えなのでしょう。」
「マレシュにとっては、ヘロニモとエウリオは同じ重さの同胞だった。だから、どっちが息子の父親なのかってことは関係ないのだろう。 ヘロニモもエウリオもナワルは黒いジャガーだったんだろうな、きっと。」
「どちらも、息子が白いジャガーとは想像すらしなかったでしょう。」

 テオはまた「え?」と少佐を見た。

「フィデルはジャガーなのか?」
「誰も彼がピューマだとは言っていませんよ。」
「しかし・・・」
「彼が貴方にピューマの存在を教えたので、貴方が勝手に彼はピューマだと思い込んでいたのです。カルロも同じですね。でもフィデル・ケサダはジャガーです。エル・ジャガー・ブランコですよ。」
「それじゃ、ケサダ教授は”砂の民”ではないのか・・・」
「違いますね。」

 テオはホッとした。職場の同僚で尊敬する人が闇の暗殺者ではないかと疑っていた己を、ちょっと恥ずかしく思った。ケサダ教授は義父が”砂の民”の首領なので、自身が気づかぬうちに闇の集団の知識を得ていたのだろう。それならば・・・

「リオッタ教授を暗殺したのは、ケサダ教授ではなかったんだ・・・」
「そうですね。」
「エミリオ・デルガドがジャングルの中で目撃した白いジャガーも教授だったんだな?」

 今度はケツァル少佐が驚いて振り返った。

「グワマナのデルガドが白いジャガーを目撃したのですか?!」

 しまった、とテオは心の中で舌打ちした。「見てはいけないもの」を見てしまったデルガド少尉と同僚のファビオ・キロス中尉だけの秘密だったのだ。

「俺、何か言ったかな?」

 狼狽していることを少佐が気がつかぬ筈がない。彼女は彼の横顔を見つめ、それから視線を前方に向けた。

「何時、何処で? それは聞きましたか?」
「詳細は聞いていない。ただ、ジャガーは彼等をディンゴ・パジェが隠れている場所へ案内した。それだけだ。デルガドはジャガーだと断言した。キロスから絶対に口外するなと言われたそうだが、手柄を立てさせてくれたジャガーの存在を黙っているのが辛くなったそうだ。それで、伝説などでこんな場合昔の人はどうしていたのか聞こうと考えて、大学へやって来た。ムリリョ博士かケサダ教授に面会を希望したんだが、当日2人の考古学者は大学を留守にしていたので、エミリオは俺のところに来たんだ。だから俺がキロスの忠告に従って黙っていろと言ったら、やっと納得した。」

 ふっと少佐が安堵の笑みを漏らした。 

「ムリリョ博士の耳に入っていたら、大変なことになっていましたね。貴方が相談に乗ってあげて良かったです。それにしても、フィデルもクールに見えて結構ヤンチャな人ですね。」
「スィ、君と俺がオルガ・グランデで彼と話をしたほんの2日後だったんじゃないかな? どうやってディンゴ・パジェを見つけたのか知らないが、彼は時々凄い能力を披露してくれるよ。」
「世が世であるならば大神官となっていたであろう能力者ですから。」
「でも白いジャガーは大神官になれない・・・」
「なれません。能力を黒いジャガーに捧げて生贄となる運命だったのです。」
「だが、現代は生贄をやらないんだろ?」
「しません。でも・・・」

 少佐が忌まわしいものを思い出して言った。

「純血至上主義者の極右は、白いジャガーの存在を知れば古代の儀式を復活させようとするでしょう。」
「矛盾している。白いジャガーは純血種だ。だが、黒いジャガーは、ミックスのカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガしかいないぞ。」
「ですから、ややこしいことになりかねないのです。純血の黒いジャガーをグラダの血を引く人々に生ませようとするでしょう。」

 テオはそれでやっとムリリョ博士が何故ケサダ家の人々を身近に住まわせて守っているのか理解出来た。純血至上主義者の博士は、極右の純血至上主義者の考えがわかる。故に、グラダの血を引く孫娘と、純血グラダの白いジャガーである娘婿を博士は必死で守っているのだ。

「すると、カルロとアンドレをケサダ家の娘達に近づけない方が安全なんだな?」
「グラシエラも半グラダです。でも、恋愛は当人達の問題で、周囲の都合でコントロール出来るものでもないでしょう。大事なのは、極右の人々に生贄の儀式復活を考えさせないようにすることです。だから、フィデルのナワルの話は決して口外してはならないのです。」

 ある意味、ファビオ・キロス中尉の禁忌に対する警戒心が正解なのだ。見たものを忘れろ。
 テオは言った。

「今の会話を、俺達も忘れよう、少佐。」

 ケツァル少佐も頷いた。

「スィ。承知しました、ドクトル。」


2022/03/29

第6部 七柱    17

  午後、シエスタが終わり、大統領警護隊文化保護担当部は業務に励んでいた。マハルダ・デネロス少尉も大学から戻り、机の前に座るとパソコン相手に担当する仕事に精を出した。フィデル・ケサダ教授が現れたのは、午後4時半頃だった。申請書に署名をしていたケツァル少佐は頭の中で名を呼ぶ声を聞き、顔を上げた。階段を上った所で教授が立っており、彼女と目を合わせると無言で顎を振り、「来い」と合図した。彼女は立ち上がり、ロホに”心話”で席を外すことを伝えた。彼女がケサダ教授の呼び出しを受けたと知って、ロホは不安になった。教授の娘と話をしたことが父親の怒りを買ったのか、それともムリリョ家の屋敷を覗いていたことがマスケゴ族の長老に知られてしまったのか。少佐は部下の心配をよそに、さっさとカウンターの外に出て、階段を降りて行った。
 雑居ビルの外に出たケツァル少佐は迷うことなくカフェ・デ・オラスに入った。教授は既に席を確保してコーヒーを注文した所だったので、彼女もその正面に座り、コーヒーを頼んだ。

「御用件は?」

 挨拶抜きでいきなり質問した。相手は目上で恩師でもある人だったが、業務中の呼び出しだったので、彼女は時間を節約しようと心がけた。ケサダ教授も単刀直入に質問した。

「今日の昼に、マルティネスとギャラガ、アルストがムリリョ家を見ていたが、何か意図があったのですか?」

 少佐は一瞬考え、そして答えた。

「今日の午前に私はアルストを同伴してロカ・エテルナ社を訪問しました。用件はアブラーン・ムリリョにお聞きになると宜しいですが、モンタルボ教授が襲撃された件です。その時、アルストがロカ・エテルナ社の社屋の形状に興味を持ちました。要件を済ませて文化保護担当部に戻ってから、昼食時に彼がそのことを言うと、マルティネスがマスケゴ族の住宅の形状、特にムリリョ家の屋敷が特徴的だと述べて、昼休みの暇つぶしに男達だけで出かけたのです。
 帰還してから、彼等は楽しいドライブだったと報告しました。その時、お宅のお嬢さんと出会ったそうです。父である貴方のお許しなくアルストが言葉を交わした無礼を、私が彼に代わってお詫びします。」

 教授は腕組みして彼女の返答を聞いていた。頭の中で内容を吟味した様だ。コーヒーが運ばれてきて、2人の前に置かれた。彼は一口コーヒーを飲んでから、口を開いた。

「わかりました。屋敷を見ていたのは、ただ建築に関する興味からだと解釈して宜しいのですね。」
「スィ。立派で美しい、そして風変わりな形状の邸宅を見学に行っただけです。建設会社の経営者らしい、ユニークな形だとアルストが感心していました。」
「オルガ・グランデにあったマスケゴ族の住居はもっと貧しいものでした。博士が生まれ育った生家も廃墟になって残っています。本当に部族の住居を見たければ、あちらへ行かれることです。」

 彼は少佐の目を見た。

ーーアブラーン・シメネスはピューマではないが、怒らせると危険な男です。

 ”心話”で警告を受けた少佐は素直に頷いた。そして面会の要件はこれで終了したかな、と思った。すると、教授はもう一口コーヒーを飲んでから、彼女がロカ・エテルナ社を訪問した件に関して質問してきた。

「モンタルボが襲撃された事件にロカ・エテルナが関わっていたのですか?」

 少佐はアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが考古学者の身内に部族の秘密を教えていないことを確信した。言うべきではないかも知れないが、アブラーンが隠したかった秘密などモンタルボの映像には映っていなかったのだ。

「会社ではなく、ムリリョ家の先祖代々の秘密だそうです。」

 微かにケサダ教授の顔に、しまった、と言う色が浮かんだ。訊くべきでなかったと言う後悔だ。だから少佐は彼を安心させるために素早く言った。

「アブラーンは、海に沈んだ古代の町に秘密の建築技法が施されていたと伝え聞いていたそうです。もしその仕組みがわかる様な遺跡であれば、発掘される前に処分したいと思ったらしいのです。しかし、モンタルボから奪った映像に映っていたのは、ただの珊瑚礁と魚、泥を被った石造物の欠片だけでした。珊瑚礁を傷つけたり出来ませんから、文化財遺跡担当課は海底を掘る許可を出していません。ですから、アブラーンはこの件を終了すると断言しました。我々にモンタルボのUSBを返すようにと彼は依頼しました。」

 彼女は試しにケサダ教授に尋ねた。

「貴方もご覧になりますか、海底の映像を?」

 ケサダ教授は「ノ」と首を振った。そして少佐にコーヒーを飲むように手で促した。彼女がコーヒーを口に含んだ時、彼は不意に言った。

「今日あの3人の男達が出会った私の娘は長女のアンヘレスですが、彼女が帰宅して私に『グラダを見つけた』と言いました。」

 ケツァル少佐はもう少しでむせるところだった。 グラダはグラダを見分ける。 それは少佐自身が数年前に入隊間もないカルロ・ステファンを見て、「グラダがいる」と指摘したことを、後に上層部がグラダ族の能力を高く評価して言った言葉だと伝わっていた。彼女がアンドレ・ギャラガを引き抜いた時も、思い出したようにこの言葉が大統領警護隊本部の中で囁かれたのだ。公式には、現在生きているグラダ族は、ケツァル少佐、カルロ・ステファン、そしてアンドレ・ギャラガの3人だけと言うことになっている。
 アンヘレス・シメネス・ケサダは、公式には純血のマスケゴ族と言うことになっている。しかし、父親は、マスケゴ族のふりをして生きている純血のグラダだ。
 少佐はここで誤魔化しても仕方がないと判断した。だからギャラガ少尉からの報告を素直に明かした。

「ギャラガがお嬢さんの気の放出を感じ取りました。マルティネスには感じ取れなかったそうです。」

 ケサダ教授は無言で彼女を見つめ、やがて目元をふっと微かに緩ませた。

「グラダはグラダを見分ける、か・・・。貴女も私が何者なのか知っている訳ですね。」

 少佐は肩の力を抜いた。少なくとも相手を怒らせずに済んだ、と感じた。

「正直に告白しますと、本当に最近迄気がつきませんでした。貴方がビト・バスコ殺害事件でセニョール・シショカの仕事に干渉なさる迄は。あのシショカを戦わずして制圧出来る貴方の強さがどこから来るのだろうと考え、この国で一番強い者の存在に考えが至りました。」
「私は決して強くありません。」

 ケサダ教授は決して彼女に”心話”を要求しなかった。知られたくない心の深淵を覗かれるのを防ぐためだ。

「貴女は長老会のメンバーとイェンテ・グラダ村の廃墟へ行かれた。恐らくそこでオルガ・グランデに出稼ぎに行った3人の村の生き残りの話を聞かれたのでしょう。そして生き残り達が残した子孫の存在を知った。カルロ・ステファンとグラシエラ・ステファン以外の人間の存在です。」

 彼は冷めてしまったコーヒーを飲んだ。

「私は今でも義父の保護下にいます。妻も私の保護者です。そしてアブラーンも私を守ってくれています。私は家族に守られて生きているのです。決して貴女が思っている程強くない。」
「でもお嬢さん達は貴方の力を受け継いでいらっしゃいます。どちらの世界で生きるかを決めるのは、お嬢さん達自身でしょう。」

 少佐は教授が溜め息をつくのを眺めた。そして彼を安心させるために言った。

「貴方のお生まれのことを知っているのは、私以外では、アルスト、マルティネス、そしてギャラガだけです。カルロ・ステファンは知りません。故意に教えていません。あの子は貴方に心を盗まれる迂闊者ですから。」

 プっと教授が吹き出したので、彼女はホッとした。重い空気が払拭された感じだ。教授が彼女に囁いた。

「一つお願いがあります。カタリナ・ステファンに会いたがっている人がいるのですが。」


2022/03/28

第6部 七柱    16

 「何故ケサダ教授がグラダ族だと思うんだ?」

と車に乗り込んですぐにロホが後部席のギャラガに尋ねた。ギャラガ少尉は肩をすくめた。

「スクーリングで数回お会いしただけですが、教授は時々私に”心話”で力の使い方を教えて下さいました。私が他の学生の行為や発言でちょっと動揺したりした時です。私のほんの少しの心の乱れを察知されたのです。官舎で多くの先輩達に助言を頂いたりしますが、教授が指摘された様な細やかな点まで触れられたことはありませんでした。何と言うか、教授は・・・」

 テオがカーブでハンドルを切りながらギャラガの言葉を継いだ。

「ケツァル少佐みたいだ、と言いたいのかい?」
「スィ!」

 ギャラガが嬉しそうに肯定した。

「ステファン大尉は、戦いの時の力の使い方を上手に教えて下さいますが、抑制方法は苦手のようで・・・」
「あいつ自身が学んでいる最中だから、仕方がないさ。」

 ロホが苦笑した。

「教授はひたすら抑制することを学んで来られた方だから、そちら方面がお上手なのだろう。これからお嬢さん方も教育していかなければいけないしな。」
「でも、何故グラダだと公表なさらないのです?」
「大人の事情だよ、アンドレ。」

 テオはグラダ族仲間を見つけて喜んでいる若者にそっと釘を刺した。

「彼には彼の家族の事情があるんだ。それに教授はマスケゴ族として生きたいと希望されている。お子さん達がどう思うかは、お子さん達の問題で、俺たちがとやかく言うことじゃない。」

 ギャラガは黙って外の風景を眺めていたが、やがて頷いた。

「わかりました。私はこれからも教授のアドバイスを素直に受け容れる、それで良いですね。私も母親が言ったブーカや、もしかしたらカイナ族かも知れませんが、皆さんが私はグラダで、グラダとして生きろと仰る。だからその通りに生きようと思っています。グラダ族として学ぶ方が私の気持ち的にも楽なので。」

 何だかわかった様なわからない様な意見だったが、テオとロホは微笑して頷いた。そして2人とも思った。 ケサダ教授と家族の血統は実に明確だ。しかし、このアンドレ・ギャラガは本当に何者なのだ?


第6部 七柱    15

  グラダ・シティ市民となったマスケゴ族は故郷のオルガ・グランデを懐かしんでいるのか、それとも住居とはこう言う場所に築くものだと考えているのか、少し乾燥した感じの斜面になった土地に集まっていた。意図して集まっているのか、自然に集まったのかわからない。しかし、助手席のロホが「あれもマスケゴ系の家です」と指差す家屋はどれも斜面に建てられていた。テオはなんとなく違和感と言うか、或いは既視感と言うか、不思議な感覚を覚えた。オルガ・グランデで見たのは、斜面に建てられた石の街だった。殆どが空き家になっていたので、遺跡の様に見えた。住民は新しい家屋を手に入れて平地へ引っ越したのだと聞いた。そこに住んでいた人々はマスケゴ族とは限らず、”ティエラ”の先住民やメスティーソ達、鉱山労働者が多かった。

「大きな家を見ると、どう変わっているか、わかりますよ。」

 ロホは車を進めた。オルガ・グランデと違って、グラダ・シティの斜面の街は高級住宅街だ。高級コンドミニアムが多い西サン・ペドロ通りと違って、こちらは一戸建てばかりだ。緩やかな斜面に木々を植え、緑の中に家々がぽつんぽつんと顔を出していた。斜面だから日当たり良好だろう。

「え? あれも住宅?」

 思わずテオが声を上げたので、後部席でうたた寝していたギャラガ少尉が目を開けた。そして窓の外の風景を見て、彼は座り直した。

「階段住宅だ・・・」

 樹木の中に突然白い壁の大きな階段状の建造物が現れた。全部で七段はあるだろうか。それぞれの屋根が上の階の住宅の庭になっている。わざわざ斜面に階段状の家を建てたのではなく、岩盤を掘り抜いて家に改造してしまっている、と思えた。最下段の家がどの程度奥行きがあるのか樹木が邪魔で見えないが、かなり床面積が広そうだ。

「あれがムリリョ家です。」

 ロホはその家が一番よく見える道路のカーブで駐車した。狭い谷を挟んで向かいに屋敷が見えた。テオ達がいる場所はもう少し家が立て込んでいて、庶民的な感じがするが、一軒ずつは大きいので、こちらも高級住宅地なのだろう。車外に出ると、少し標高があるせいで空気が乾いて感じられた。ロホが最下段を指差した。

「一番下が母家です。あそこから始まって、子孫が増える毎に上に上がって行くのです。」
「それじゃ、最上段の主が一番若いのか?」
「理屈ではそう言うことになります。実際に誰がどこに住むかは、家族内で決めるのでしょうけど。」

 ギャラガが最下段を指差した。

「ムリリョ博士はあそこですか?」
「多分ね。もしかすると長男のアブラーンの家族かも知れない。或いは、博士夫婦と長男夫婦がいるのかも知れない。」

 テオはテラスガーデンを眺めた。花壇や池が造られている庭があれば、芝生でゴルフの練習場やサッカーゴールが置かれている庭もある。ボールが落ちるだろうと心配してやった。鶏小屋が置かれている庭もあって、鶏が外に出されて歩き回っていた。

「ケサダ教授はあの家に住んでいるのかい?」

と尋ねると、ロホはちょっと目を泳がせた様子だった。だが、すぐに巨大なテラス状の屋敷の向こうに見えている小振の2段になった、やはり白い壁の家を指差した。

「あの向こうに見えている家です。教授は博士の実のお子さんではないから、と言う理由ではなく、奥様のコディアさんの希望で別棟を建ててもらったと聞いたことがあります。」

 テオはロホが何か言いたそうな目をしたことに気がついた。悲しいかな、彼は”心話”が出来ない。しかし、何となく親友が何を言いたいのか理解出来るような気がした。
 フィデル・ケサダ教授の妻コディア・シメネス・デ・ムリリョは夫が純血のグラダであることを知っている筈だ。しかもただのグラダ族ではない。”聖なる生贄”となる筈だった純白のピューマだ。(テオはまだケサダがピューマだと信じている。)夫の正体を、彼女は彼女の兄弟姉妹に知られたくないのだ、きっと。そして半分その血を引いている娘達をしっかりマスケゴ族として教育してしまう迄、兄弟姉妹の家族から離しておきたいのだろう。
 その時、ギャラガがビクッと体を震わせた。ロホが気づき、テオもワンテンポ遅れて彼を見た。

「どうした、アンドレ?」

 ロホが声をかけた時、斜面の上の方から自転車で道を下って来た少女がいた。先住民の純血種の少女だ。彼女はテオ達が車の外で並んで谷の向かいにある家を眺めていることに気がついて、自転車の速度を落とした。13、4歳の美少女だ。
 「オーラ!」と元気よく声をかけられて、男達はちょっとドキドキしながら「オーラ」と返した。少女は自転車に跨ったまま話しかけてきた。

「面白い家でしょ?」
「スィ。」
「隠れん坊するのに丁度良い広さなのよ。」

 未婚女性に紹介なく話しかけてはいけないと言う習慣を思い出して、ロホとギャラガが戸惑っているので、テオは「無神経な白人」を演じて、彼女の相手をした。

「君はあの家で遊んだことがあるの?」
「スィ、殆ど毎日よ。」

 ロホとギャラガが顔を見合わせた。「マジ、拙い、ムリリョ家の娘だ」、と”心話”で交わした。テオは気にせずに続けた。

「君はあの家の子供なんだね?」
「ノ。」

 彼女はあっさり否定すると、巨大なテラス邸宅の向こうの小さい家を指差した。

「私の家はあっち。手前の家はお祖父ちゃんと伯父さんの家よ。上の階に行くと従兄弟達の家族が住んでいるわ。他にも叔父さんや伯母さん達がいるけど、あの人達は他に家を持っているの。私のパパだけがお祖父ちゃんのそばに住むことを許されているのよ。」

 彼女はちょっと自慢気に言った。そしてテオに言った。

「うちに来る? ママはお客さん大好きなの。パパの学校の学生がよく遊びに来るわ。」

 テオは微笑んだ。

「オジサン達も君のパパの友達と学生なんだ。だけど今日はもうすぐお昼休みが終わるから帰る。誘ってくれて有り難う。気をつけてお帰り。」
「グラシャス。 じゃ、また来てね!」

 彼女は再び自転車に乗り直し、勢いよく坂道を下って行った。
 警戒心が全くないのは、子供だからか? きっとグラダ族の能力の強さから来る自信だろう。とテオは想像した。すると、ギャラガがまた身震いした。

「さっきの女の子、凄い気を放っていましたね。」

 ロホが彼を見た。その表情を見て、テオは最強のブーカ族の戦士である彼が、少女の気の放出に気が付かなかったのだと悟った。彼は思わず呟いた。

「グラダはグラダを見分ける・・・」

 ロホとギャラガが彼を見た。をい! とロホが咎める目付きになり、ギャラガは目を見張った。 彼は一瞬にして、重大な秘密を悟ってしまった。

「フィデル・ケサダはグラダなのですか?」


2022/03/27

第6部 七柱    14

  テオは自然保護地区に立ち入る許可証をもらいに文化・教育省の3階へ行った。自然保護課にクエバ・ネグラ洞窟に立ち入って撮影する許可証を申請すると、もう顔を覚えられていて、「トカゲの洞窟ですね」と許可証を発行してくれた。それもその年の雨季の間は何時でも入ることが出来るフリーパス許可証だ。入洞する日を伝えれば、自然保護課からガイドに連絡してくれると言う。
 テオはふと思い出して尋ねてみた。

「アイヴァン・ロイドと言う男性がジャングルか海に潜る許可申請に来ていませんか?」

 職員が首を傾げた。

「アイヴァン・ロイド? 外国人ですか?」
「スィ、アメリカ人だと思いますが・・・」
「今季にそんな名前の申請はありませんね。」

 職員はパラパラと名簿をめくった。パソコンで検索しようとしない。

「申請せずに勝手にジャングルに入る人もいますからね。森林レインジャーや地元の自警団に撃たれても、こっちは責任取れないって言ってるんですが、守らない人は多いです。」

 セルバ共和国は小さな国だから、ジャングルの中で他所者に襲い掛かる先住民はいないことになっている。内務省の先住民保護政策によって、全ての集落の位置と人口が把握され、登録されている筈だ。だから自然保護課は、不法侵入者として自警団が他所者に危害を加えることを心配しているが、他所者が怪我をしたり命を落としても責任を持たない。森林レインジャーも麻薬組織の隠し畑やアジトを警戒しているので、他所者が指示に従わないと躊躇なく銃撃する。それに数は少ないが反政府ゲリラも出没する。外国人だとわかれば殺害されたり誘拐される。
 テオはアイヴァン・ロイドが大人しくセルバ共和国から撤退してくれることを願った。外国人が死んだりして、また北米のややこしい組織が動くと面倒だ。
 許可証明書をもらって文化・教育省を出た。カフェ・デ・オラスでコーヒーを飲んで時間を潰し、やっと昼休みになったので、文化保護担当部の友人達と昼食に出かけた。
 行きつけの店の1軒に入り、好きなものを注文して食べていると、ロホが話しかけて来た。

「ムリリョ家の建物を見たことがありますか?」
「巻貝みたいなモダンなビルかい?」
「それはロカ・エテルナの社屋でしょう。ムリリョ博士と子供達の自宅ですよ。」
「変わっているのかい?」
「ブーカ族の基準で見ると面白い形状です。マスケゴ族ってオルガ・グランデに住んでいたので、ああ言う形状の家を好むんでしょうかね。」

と言われてもテオは見たことがないのでわからない。わからないと言うと、食事の後で見に行きましょう、と誘われた。暇だから、テオは誘いに乗った。ケツァル少佐はロカ・エテルナ社訪問の間に溜まった書類を片付けると言って、このドライブを辞退し、ギャラガは後部席で昼寝させてくれるならついて行くと言った。それで、食事を終えると男達は少佐と別れ、テオの車に乗り込んだ。ロホのビートルは後部席で昼寝するには少し狭かったのだ。


2022/03/26

第6部 七柱    13

  アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから渡されたモンタルボ教授のUSBを持って、ケツァル少佐は文化・教育省の文化保護担当部オフィスへ戻った。テオも一緒だった。4階に上がると、彼女はロホに指揮権を預けたまま、奥にある「エステベス大佐」と書かれた札が下がった小部屋へテオを案内した。テオは初めてその部屋に入った様な気がした。がらんとした部屋で、ドアの対面の壁に嵌め込み窓が一つあるだけだ。何も載っていない机とパイプ椅子。少佐が自分の机からパソコンを持ってきて、机の上に置いた。そしてUSBを差し込んだ。
 それからたっぷり40分間海底の映像を見たが、アブラーンが言った通り珊瑚礁と魚しか見えなかった。たまに底に石柱だったと思える欠片が見え、板の様な平らな岩が並んでいる箇所が3箇所ばかり見られた。建物の片鱗も壺も何もない。

「伝説がなければ、この海に遺跡が沈んでいるなんて誰も思わないな。」

 テオが呟くと、少佐も欠伸を噛み殺しながら同意した。

「モンタルボが執念で見つけた遺跡ですね。珊瑚を傷つけることは許可していません。発掘と言っても手をつけられる面積は限られています。例え太古の巨大な石柱が埋もれていても、岩を動かすことも許可していませんから、掘ることは出来ません。」
「それじゃ、泥をちょっと退けて見ることしか出来ないのか?」
「そうです。機械を水中に下ろして作業することも出来ません。地上の遺跡で土を掘っていくのとは勝手が違います。ですから、グラダ大学の先生達は水中遺跡に興味を抱かないのです。」

 動画が終わり、少佐はUSBを抜いた。テオはパソコンを元の場所に戻すのを手伝った。ロホやギャラガ少尉が好奇心に満ちた目で見るので、彼は言った。

「ただの水族館の動画と同じだよ。はっきり遺跡だと思える物は映っていない。」

 彼は少佐に提案した。

「スニガ准教授からクエバ・ネグラのトカゲが棲息している洞窟内部の撮影をしてくれと頼まれた。試験が終わると行くつもりだ。俺がUSBをモンタルボ教授に返してやろうか?」
「試験が終わるのは何時ですか?」
「来週の木曜日だ。」

 少佐はちょっと考え、頷いた。

「急いで返す理由もありませんね。 モンタルボも直ぐに再調査する準備を整えることは出来ないでしょう。」

 まだ昼休みには時間がある。テオはどこで時間を潰そうかと考えながら、4階のオフィスを見回した。隣の文化財遺跡担当課は雨季明けの発掘申請に来ている外国人達の相手で忙しそうだった。

「マハルダとアスルはどこだい?」
「マハルダはグラダ大学です。今日は現代言語学の今季最終講義があるので、聴講に行っています。」

とロホが教えてくれた。

「アスルは近郊の小さな遺跡を巡回して、各調査隊が雨季に備えて対策を取っているか確認しています。これらは国内の団体が殆どなので、意外に対策が緩く、雨で遺跡が痛むので困るんです。」

 


第6部 七柱    12

 「モンタルボが撮影した映像には、特に変わった物は写っていません。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは来客用の椅子を示し、ケツァル少佐とテオに着席を促した。ゆったりと座れるオフィスチェアだ。テオはそのデザインを以前に見たことがあった。ケサダ教授の研究室で教授が使っている椅子だ。座ってみて、座り心地が良かったので驚いた。自分の研究室にも欲しいものだ。
 アブラーンはUSBを出して見せた。

「珊瑚と魚と海底の岩や石、それだけです。モンタルボに返して頂けますか?」

 彼がいきなりそれを放り投げて来たので、テオは慌てて受け取った。少佐が尋ねた。

「何をお知りになりたかったのです? モンタルボに見付けられて困る物でもあったのですか?」

 アブラーンは父親そっくりの冷たい眼差しで客を見た。

「大統領警護隊にも言えないことはあります。 私は嘘を付かない。だが言えない物は言いません。」
「ご先祖がカラコルの地下に仕掛けた仕組みのことですか?」

とテオはまた口出ししてしまった。今度はアブラーンも彼を無視せずにジロリと睨んだ。

「我が先祖がカラコルの地下に何を仕掛けたと仰るのです?」

 テオはハッタリをかけた。

「それを言ってしまうと、俺は”砂の民”に消されます。」

 アブラーンは少佐を振り返った。

「少佐、このドクトルはどう言う方ですか?」
「どう言う方なのか、お父上からお聞きください。」

と少佐は答えた。

「俺はグラダ大学の職員ですから、お父上とはキャンパスで顔を合わせます。」

とテオは言った。もっともケサダ教授の名は出さなかった。家族と言っても教授はアブラーンの義理の兄弟だ。ここでは名前を出さない方が賢明だろうと判断した。

「単純なことです。」

とアブラーンは言った。

「あの付近の海底がどの程度の水深で、底の状態がどうなっているのか、知りたかっただけです。」
「極端に水深が深いと不自然ですからね。」

と少佐が言った。

「カラコルと言う言葉は岬が水没した時代の”ティエラ”の言葉で『筒の上』と言う意味です。恐らくカラコルの町の地下に空洞があったのでしょう。ただの洞窟だったのか、住民が何らかの用途に用いていたのか、それは知りません。カラコルは外国の船に水を売っていたのだと地元の漁師の間に言い伝えが残っています。クエバ・ネグラに大きな川や湧水がありませんから、どこかの水源から引いてきた水を地下の貯水槽に貯めていたとも考えられます。町は栄える程に驕れる様になり、遂に神であるジャガーを捕らえて外国に売ろうとしました。しかしママコナの知ることとなり、国中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受け、町は岬ごと海の底に沈んだのです。その時、地震で地下の空洞も崩壊し、町は大きな器の形に水没しました。ですから、現在もあの付近の海はエンバルカシオンと呼ばれています。」

 アブラーンは黙って彼女の語りを聞いていた。

「貴方がモンタルボの撮影した映像からお知りになりたかったのは、空洞と町の土台の間を支えていた柱が残っていないかと言うことではないですか? 恐らく巨大な柱であった筈です。そんな建造物が海底にあるとなったら、世界中の考古学者の注目を集めてしまい、このセルバ共和国が騒がしくなります。それは、現在を生きている”ヴェルデ・シエロ”にとって非常に都合の悪いことです。もし柱の片鱗でも残っていたら、貴方はそれを何らかの方法で消し去らねばならない。そうお考えになったのでは?」

 アブラーンがまだ黙っているので、テオが言葉を添えた。

「水中でも爆裂波は使えるんですよね?」

 そう言ってしまってから、テオは相手を怒らせたかな、とちょっぴり不安になった。それで、現在彼自身の心に引っ掛かっている問題を出した。

「貴方はご存知でしょうが、モンタルボの映像を撮影したのは、アンビシャス・カンパニーと言うアメリカのP R動画製作会社です。実のところ、どんな素性の会社なのか、俺達は掴みかねています。発掘調査隊に船や発掘機材を提供する会社と提携して、発掘作業の映画を作成し、使われている道具の宣伝をすることで料金を取る企業だと言っています。まぁ、それは本当なのかも知れません。ところが、もう一人、アイヴァン・ロイドと言う男が現れました。この男もアメリカ人だと思われるのですが、モンタルボ教授やグラダ大学のンゲマ准教授に近づいて、カラコル遺跡周辺に宝が沈んでいないかとか、宝探しの様な演出で映像を撮りたいと何度も電話をかけてきたり、大学に押しかけて来たのです。しかもアンビシャス・カンパニーのアンダーソン社長とロイドは互いを知っているらしく、警戒し合っています。そうなると、アンダーソンの会社の本当の目的も、PR動画撮影以外のところにあるんじゃないか、と心配になってきました。そこへモンタルボ教授の襲撃事件が起きたので、俺は貴方もアンダーソンやロイドと同じ物を追いかけているのかと疑ってしまったのです。」

 アブラーンはテオと少佐を交互に見比べた。そして不意にフッと息を吐いた。

「エンバルカシオンに宝など沈んでいません。今流行りのレアアースもありません。あるのは藻が蔓延った石柱の欠片に珊瑚礁と泥に埋もれた壺くらいでしょう。勝手に潜らせておけば宜しい。あいつらがサメに食われても誰の責任ではありません。ただ、モンタルボは我が国の国民です。彼が引き連れる学生達もセルバ人だ。守護しなければなりませんぞ、少佐。」

 ケツァル少佐が立ち上がったので、テオも立ち上がった。少佐がアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに敬礼した。


第6部 七柱    11

  ロカ・エテルナ社本社屋はグラダ・シティのオフィス街にあった。白い大きな渦巻き型のビルを見た時、テオはイメージしていた建造物と大きくかけ離れていたので戸惑った。ムリリョ博士の息子の会社だから、もっと古い歴史あるコロニアル風のビルだと思っていたのだ。オルガ・グランデのアンゲルス鉱石本社もハイカラだったが、ここはさらに上を行っている。エントランスがガラス張りで、中に入ると緑の植え込みと噴水があった。それからガラスの自動ドアを通り、守衛と受付職員がいるロビーに入る。広くて天井が高い開放的空間だ。ロビーにはカフェまであった。まるでシティ・ホテルだ。壁には過去に手がけた建築物の画像をプロジェクターで映写しており、模型も展示されている。
 ケツァル少佐は真っ直ぐ受付に歩いて行き、緑の鳥の徽章とI Dカードを出した。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。」

 テオも急いで大学のI Dカードを出した。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学科准教授アルスト・ゴンザレスです。」

 受付の女性職員は手元のタブレットを軽くタッチした。そして顔を上げ、笑顔を見せた。

「社長から指示を得ております。ご案内しますので、暫くお待ち下さい。」

 少佐は頷き、テオを促して近くのソファへ行った。並んで座り、ロビー内を見回した。

「建設会社って、普段からこんなに客が多いのかな?」
「恐らく傘下の企業の営業マン達でしょう。下請け仕事を得る為に足繁く通っているのです。」

 確かに出入りしているのは、スーツ姿のビジネスマン・ビジネスウーマン達だ。建設に直接携わる職人は見当たらなかった。
 スーツ姿の先住民の女性が近づいて来た。

「ミゲール少佐、それに・・・ドクトル・ゴンザレス?」
「ドクトル・アルストで結構です。」

とテオは言った。社長の秘書かと思ったが、彼女は右手を左胸に当てて自己紹介した。

「カサンドラ・シメネスです。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妹で、副社長をしております。」

 それで少佐とテオも同じ作法で挨拶した。カサンドラはテオが以前大学病院の庭で出会ったコディア・シメネスの姉だ。妹より眼光が鋭く、ビジネスに生きる活力を見出している女性と思えた。
 少佐とテオはカサンドラ・シメネスに案内されてエレベーターに乗った。エレベーターは低速で、ガラス張りで上昇している間、社内の様子がよく見えた。渦巻きの中は各階が仕切りのない開放的なオフィスに見えた。もっともガラスの壁が中にあるのだろう、とテオは思った。ブラインドを閉めている箇所もあったので、そこは新規の設計などを行っている部署に違いない。
 社長のオフィスは最上階ではなかった。最上階は社員食堂なのだとカサンドラが説明した。予約すれば結婚式などで社員が貸切で使用することも出来るのだ、と彼女は自慢気に語った。
 社長や重役のオフィスは3階にあった。面白いことに、この階のオフィスは偏光ガラスを使われた壁に囲われており、通路から中が見えないようになっていた。カサンドラはドアをノックしたが、形式的な動作に思えた。多分、気を発して社長に客を連れて来たことを伝えただろう。彼女はドアを開き、客に中へどうぞと手を振った。少佐とテオが中に入ると、彼女は入らずにドアを閉じた。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは床から天井まで広がるガラス窓から街並みを眺めていたが、客が入室すると振り返った。少し頭髪に白いものが混ざっていたが、ムリリョ博士を20歳若くした様な頑固そうな顔付きの男性だった。
 再び伝統に従った挨拶が交わされ、少佐が面会要求に応じてもらえたことを感謝した。アブラーンが言った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントから報告を受けて、いつか貴女が来られるだろうと思っていました。」

 そしてテオを見た。何故白人を同伴しているのだ? と言う疑問をテオは微かながら感じ取った。しかし相手が触れないので、作法として黙っていた。
 ケツァル少佐もアブラーンがテオの存在に疑問を抱いたことを察したが、無視した。彼女は単刀直入に要件に入った。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボ教授から奪った海底の映像から何かわかりましたか?」

 アブラーンが言った。

「私はモンタルボから何も奪っていません。トレントが勝手にやったことです。」
「でもトレントは貴方に媒体を送ったでしょう?」

とテオはつい口出ししてしまった。少佐は彼を無視して、アブラーンも彼を無視した。少佐が質問を少し変えて繰り返した。

「貴方がカミロ・トレントに探れと指示して、トレントが探りきれずにモンタルボから強奪し貴方に送った、海底の映像から何かわかりましたか?」

 

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...