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2021/10/29

第3部 隠れる者  21

  ロレンシオ・サイスは1日考えさせて欲しいと言った。ステファン大尉は彼がキッチンでコーヒーを淹れていた時、本部の指揮官に電話をしておいたので、1時間後に警護の為に遊撃班の交替要員がやって来た。
 彼等のジープがフェンス越に見えて来ると、ステファンはサイスに言った。

「これから起きることを観察していて下さい。我々”ヴェルデ・シエロ”がどんなものなのかを。」

 大統領警護隊のジープが門扉の前に来ると、サイスが開扉のスイッチを押していないにも関わらず、門扉が開いた。ジープは庭に入って来て、ステファン大尉が乗って来たジープの隣に駐車した。そして2名の隊員がジープから降りてきた。ステファンの要請を容れて私服姿だが、武器は装備していた。アサルトライフルを見て、サイスがギョッとするのをステファンは隣で感じたが、黙っていた。新しく現れた隊員達は施錠された玄関扉を勝手に開いてリビングへ入って来た。

「クレト・リベロ少尉、アブリル・サフラ少尉、交替任務に就きます。」

 サフラ少尉は女性だ。髪をショートカットしているが、精鋭と言うより精霊の様な可憐な印象を与える顔立ちだった。しかし遊撃班だ。優秀な軍人に違いない。リベロもサフラも共に純血種だった。
 ステファン大尉は彼等と向かい合い、敬礼を交わし合い、目を見合った。そしてサイスを振り返った。

「任務の引き継ぎをしました。わかりましたか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。ステファンは説明した。

「貴方に関する情報と、貴方を狙っている人物の情報を全て、一瞬で彼等に伝えました。これは我々”ヴェルデ・シエロ”にとって、生まれつき普通に出来る能力です。貴方にも出来る筈ですが、誰も貴方に目で話しかけたことがなかったので、貴方は知らないだけなのです。恐らく、今日1日で貴方はマスター出来るでしょう。」

 デルガドがステファンの横に来た。

「デルガドと私は本部へ一旦引き揚げます。明日また来る予定ですが、来られなくても別の隊員が来ます。今日は、こちらのリベロとサフラが貴方を守ります。彼等は任務に就いていますから、貴方は彼等の存在を無視して普段通りに生活なさって結構です。ただ、外出する時は、必ず彼等のどちらかを同伴して下さい。」

 そしてステファンは交替要員にも言った。

「報告した通り、セニョール・サイスは生まれたての”ヴェルデ・シエロ”の様な人だ。君達が彼の前で能力を使うことに遠慮は無用だが、教える時は慎重にしてくれ。我々は指導師ではないから。」
「承知。」

 2人の若い隊員は再び敬礼した。
 ステファンはデルガドを促し、家の外に出た。自分達のジープに乗り込んだ。徹夜でサイスの護衛を務めたデルガドにステファンは運転させなかった。大統領警護隊本部迄は車で10分もかからないが用心するに越したことはない。
 エンジンをかけると、デルガドが話しかけて来た。

「見事な指導ぶりでした。大変参考になりました。」
「おだてるな。」

 ステファンは苦笑した。

「私はただ闇雲に喋っただけさ。」
「普段の大尉の口調と違っていたので、驚いて聞いていました。後輩の隊員にもメスティーソが増えています。彼等を指導する役目を与えられると、私の様な純血種は逆にどう教えて良いのかわからず、戸惑うばかりです。司令部は大尉を指導師に仕込みたいのではないですか?」
「馬鹿言うなよ。」

 ステファンは車を道路に出した。

「私の様な無学で素行の悪い育ち方をした人間が、将来有望な若者達を教えられる筈がないじゃないか。」
「大尉も若いでしょうに。私と2歳しか違いませんよ。」

 デルガドが笑った。ステファンは照れ臭かったので、

「しゃべり疲れて喉が渇いた。」

と誤魔化した。

2021/10/28

第3部 隠れる者  20

  暫くステファンとサイスは黙り込んでいた。ステファンは少し喋り疲れたし、サイスは衝撃を受け続けて精神的にくたびれた。

「コーヒーはいかがですか?」

 返事を待たずにサイスは席を立ち、キッチンに入った。彼がいなくなると、ステファンはふーっと息を吐いて全身の力を抜いた。デルガドが振り向いて微笑んだ。彼の目が”心話”を求めて来たので、ステファンは受け容れた。

ーーピアニストは貴方の話に引き込まれています。
ーー私は無我夢中で喋っているだけだ。それより、さっきはフォローを有り難う。

 デルガドは再び窓の外を向いた。サイスがトレイにカップを3つ載せて戻って来た時、ステファンは本部遊撃班指揮官と電話で話を終えたところだった。
 コーヒーで喉を潤してから、彼は話を再開した。

「貴方は父上が純血種の半分ミックスの”ヴェルデ・シエロ”です。この半分と言う血の割合が厄介で、超能力の強さは純血種と殆ど変わりません。しかし生まれつき力の使い方が身についている純血種と違って、ミックスは親や年長者から教わらなければ力の使い方を習得出来ないのです。だから感情に流されるままに力を使ってしまったり、暴走してとんでもない事故を起こしてしまう恐れがあります。貴方の聴衆を魅了する力も、使い方によっては民衆を扇動して暴動を起こさせたり、集団自殺をさせたりする最悪の事態を引き起こす恐れがあります。」
「まさか・・・」

 サイスがまた青くなった。ステファンは少しだけ微笑んで見せた。

「最悪の事態の想定です。貴方の性格を今ここで見る限り、そんなことは起こり得ないと私は思います。しかし、貴方が無意識でも、”ヴェルデ・シエロ”は貴方が気を放ちながら演奏していることを知ってしまいます。気の波動と言う、個人個人異なる特徴があるのです。そして感じ取った者は、貴方が意図的に”操心”を行っていると誤解するかも知れません。」
「つまり、大統領警護隊に逮捕されると言うことですか?」
「その程度で済めば良いですが・・・」

 大尉はセルバ流に遠回しな言い方をした。

「命に関わる処罰を受ける恐れがあります。貴方が何もしなくても、貴方の能力が一族の存在を世間に知らせてしまうと危険視されるからです。」
「そんな・・・」

 ステファンはサイスにサスコシ族の族長からの伝言を伝えた。

「父上の出身部族はアスクラカンのサスコシ族と言います。その族長シプリアーノ・アラゴが私に言いました。貴方が全てを捨てて彼の元へ行くなら、彼は貴方を責任を持って教育し、”ヴェルデ・シエロ”としての作法を教える、と。つまり、うっかりジャガーに変身したり、無意識に超能力を使ってしまって貴方自身に危険が及ぶ事態が起こらないよう、力の使い方を教えてくれると言う意味です。」
「全てを捨てて?」

 サイスが悲しそうな顔をした。

「ピアノを捨てろと言うのですか?」
「ピアニストとして貴方が手に入れた成功を捨てろと言う意味です。無名のピアニストに戻って一からやり直すことは出来ます。」
「それで、ジャガーに変身しなくて済むのですか?」
「真面目に修行をすれば、自由に力を使える様になります。斯く言う私も修行中の身なのです。感情に流されないよう、訓練しているのです。」
「もし修行をしないと言ったら?」
「アメリカに帰られた方が安全です。」
「ですが・・・」

とデルガドが割り込んだ。彼は無作法を上官に目で詫びたが、話を続けた。

「既に貴方を危険分子と見なして付け狙っている女性がいます。彼女は貴方の命を奪う迄、地上の何処へ逃げても追跡するでしょう。貴方がセルバに残れば、貴方を大事に思う人々が守ってくれますが、アメリカではその守護の手は届きません。修行をして、力の制御を学び、貴方が安全な”シエロ”の仲間であると認められれば、貴方が狙われることはありません。寧ろ貴方を狙う者が罰せられます。サスコシの族長の提案を受けるべきだと私は思います。
 余計な口出しをした無作法をお許し下さい。」

 ステファンが構わない、手を振った。そしてサイスを見ると、ピアニストは腕組みをして考え込んでいた。


第3部 隠れる者  19

 「失礼ですが、貴方の父上は貴方の母上と正式な夫婦ではなかった、そうですね?」
「そうです。」

 サイスは声を低めたが、それは別に婚外子であることを恥じた訳ではなかった。親のプライバシーを大声で言う必要がなかっただけだ。

「父上にはセルバに正式な妻と子がいたことをご存知ですか?」

 え? とサイスが目を見張った。

「奥さんがいたことは知っています。でも・・・子供もいたのですか?」
「娘が1人います。」

 サイスの顔が一瞬明るくなった。姉妹の存在を知って喜んだのだ。ステファンは痛ましい気持ちになった。

「父上が貴方と貴方の母上をセルバに呼ばなかったのは、呼べなかったからです。」

 ステファンはそこでデルガドの方を向いた。サイスも釣られて同じくデルガドを見た。ステファンが少尉を指さした。

「彼は純血種です。混じりっけ無しの”ヴェルデ・シエロ”です。しかし・・・」

 彼がサイスに向き直ったので、サイスも彼を見た。

「私はご覧の通り、白人の血が混ざっています。どこの世界にもいるでしょう? 有色人種の血が家族に混ざるのを嫌う白人、同じく外国人の血が混ざるのを嫌う国粋主義者・・・”ヴェルデ・シエロ”の世界にもいるのです、純血至上主義者と呼ばれる人々が。自分達は神と呼ばれた種族だから、異人種の血が混ざることを許さない、と言う人々がいるのです。」

 ステファンは己の苦労話は避けた。サイスに彼が置かれている立場を出来るだけ衝撃を与えずに伝えるには、どう語るべきか考えながら喋った。

「貴方の父上の両親は、”ティエラ”の血を引く孫を望みませんでした。だから、父上は貴方と母上をセルバに呼びたいと希望されましたが反対され、諦めました。」
「どうして諦めたんです? 差別なんか耐えられるのに・・・」

 アメリカ人らしくサイスが言った。ステファンは残酷な真実を言わねばならなかった。

「”ヴェルデ・シエロ”のファシストは、例え血が繋がった孫でも異種族の親を持つ子供は殺してしまうのです。」

 サイスが黙り込んだ。彼はステファンとデルガドを交互に見比べた。ステファンは仕方なく己の経験を語った。

「私も幾度か純血至上主義者に狙われたことがあります。勿論、暴力的な連中はほんの一握りです。大概は差別的な言葉を浴びせられる程度です。」
「貴方は大変な苦労をされたのですね、きっと・・・」

 ステファンは苦笑した。

「私が苦労したのは人種差別より貧困でした。実家が母子家庭で貧しかったのでね。しかし、貴方の父上の実家は裕福なのです。ただファシストの家庭は親の権威が絶対です。父上は両親に逆らえませんでした。そして更に悪いことに、正式な奥方もファシストの家庭の娘で、彼女自身もファシストでした。そんな環境に、貴方と母上を連れて行けません。お分かりですね?」
「父はアメリカへ行くことも許されなかったのですね・・・」
「その様でした。父上はせめてもの愛情表現として貴方達母子に仕送りをされていたそうですが、それが正式な奥方の知れるところとなり、奥方に酷く責められたそうです。そして心労で亡くなってしまった。」

 サイスがグッと唇を噛み締めた。母と出会わなければ父は今でも健在だったのだろうか、と彼は思ったに違いない。感情の波を抑えて、サイスが口を開いた。

「僕がセルバへ来たのは、アメリカの母が亡くなり、父からの頼りも途絶えたからです。父を探してもう一度会いたかった。ピアノで有名になったら、会いに来てくれるかも知れないと思ったこともありましたが、マネージャーのボブ・マグダスが調査してくれて、父がアスクラカンと言う町で亡くなっていたことを知りました。演奏活動がひと段落着いたら、父の墓へ行こうと思っていますが・・・」
 
 ステファンは彼を遮った。

「私は言いましたね、父上の親族は純血至上主義者だと。貴方1人で墓参りをすることはお勧め出来ません。」
「しかし、理由もなく父の親族が僕に攻撃してくるでしょうか?」
「理由はあります。」

 ステファンはピアノを見た。

「演奏する時に気を放出していますね。」

 サイスがキョトンとした。

「何です?」

 無意識にやっているのか? ステファンは言葉を変えてみた。

「聴衆が貴方のピアノに集中してくれるよう、念を込めて弾いているでしょう?」
「ええ・・・ミュージシャンは皆そうですよ。」
「だが彼等は”ティエラ”だ。気を放っていない。」
「その、気って何です?」

 ステファンはサイスの手を見た。突然サイスの両手がテーブルの上でピアノを弾く様に指を動かし、左右に動き始めた。サイスが慌てた。手を止めようとして、しかし止められず、彼は真っ青になってステファンの顔を見た。突然彼の手は動きを止めた。

「僕の手・・・」
「申し訳ない、実際に見てもらわないと信じて頂けないのでね。」

 ステファンは、荒い呼吸をしながら自分を見るピアニストに教えた。

「他人を自分の思い通りに動かしたいと思うと動かせる、それを”操心”と言います。超能力の使い方の一つです。私は貴方の両手を動かして見せましたが、貴方はシティ・ホール一杯の聴衆全ての関心を貴方の曲に惹きつけていられる。」
「待って・・・」

 サイスはステファンの言葉を理解しようと考えた。

「それは、僕のピアノ演奏が人々を惹きつけているのではなく、僕が超能力で人々を操っていると言う意味ですか?」

 ステファンは慎重に言葉を選んだ。

「貴方のピアノの腕前は本物です。魅力的でダイナミックで、しかも繊細だ。それはネット配信やC Dを聴いていればわかります。媒体では超能力の効果はありませんから。しかし、生の演奏を聞く場合は、それだけではないのです。貴方は自分のピアノを聴いて欲しいと願い、無意識に超能力を使ってしまっています。」
「そんな・・・」

 その時、デルガドが振り返った。よろしいですか、と彼に声をかけられ、ステファンは意外に思いながらも、許可を与えた。デルガドがそばにやって来た。

「昨日の朝、ここへ女性の少佐とグラダ大学の先生が来ましたね?」
「はい。」
「少佐も大統領警護隊です。つまり、”ヴェルデ・シエロ”です。彼女は貴方と話をした後、貴方に”操心”をかけました。」
「え?」
「彼女の”操心”は、演奏中に気を放つな、と言うものでした。貴方は知らないうちにその術にかかりました。ですから、昨日のコンサートの間、貴方は一度も超能力を使えなかったのです。昨日の大成功は、貴方の実力です。私も昼の部を聴きました。素晴らしかったです。」

 彼は上官を振り返り、「以上です」と告げて、再び窓際の持ち場へ戻った。


第3部 隠れる者  18

  ステファン大尉はロレンシオ・サイスに水を汲んでやり、デルガドには冷蔵庫から勝手に出したソーセージを与えた。大統領警護隊の朝食は豆が中心なので、デルガドは喜んで肉の塊に齧り付いた。
 ステファンはサイスの向かいに座ると、ピアニストが水を飲んで気分を落ち着かせるのを待った。

「人間がジャガーになるなんて、御伽噺だと思っていました。」

とサイスが小さな声で言った。普通の人はね、とステファンは応じた。

「ただ、このセルバには、古代、”ヴェルデ・シエロ”と名乗る種族がいました。勿論、人間ですが、今で言う超能力を持っていて、祭祀の時にジャガーやマーゲイなどの動物に変身したり、目と目を見つめ合うだけで意思疎通を図ることが出来たのです。やがて超能力を持っていない種族が増えてくると、彼等は普通の人間を”ヴェルデ・ティエラ”と呼び、超能力で支配しました。”ティエラ”は”シエロ”を神として敬い、畏れ、神殿に住まわせ奉仕しました。"シエロ”は奉仕の見返りに超能力で”ティエラ”を外敵から守護したのです。”シエロ”は人口が少なく、超能力の強さと反比例して繁殖力が弱く、やがて長い歴史の中で”ティエラ”の中に埋もれていきました。
 今私が話したことは、セルバ共和国の学校や博物館で教えている内容ですから、セルバ人なら誰でも知っています。」
「神話を学校で教えるのですか?」
「神話ではなく、歴史です。考古学では、遺跡を研究して”シエロ”が実在したことを証明しようと躍起になっている学者もいます。大事なのは・・・」

 ステファンはデルガドを見た。少尉はまだ窓の外を眺めている。外に異常はない様だ。

「”シエロ”は歴史の中に存在を埋もれさせただけで、決して滅亡した訳ではないと言うことです。」
「それじゃ、超能力者がまだこの国にいる?」
「我々は自身を超能力者とは思っていませんが。」

 ステファンに見つめられて、サイスはドキドキした。ステファンもデルガドも私服姿だが、身のこなしは確かに軍人だ。大統領府の正門を守る儀仗兵は大統領警護隊だ。サイスはセルバに引っ越して来て、最初に観光したのだ。その時にガイドに言われた。セルバ共和国では、警察よりも軍隊よりも大統領警護隊が一番強くて頼りになる、しかし絶対に彼等の機嫌を損ねてはならない、と。

「貴方達、大統領警護隊は、”シエロ”なんですか?」
「大統領警護隊が”シエロ”であると知っているのは、”シエロ”だけです。」

 ステファンは早く本題に入りたかった。

「一般人は”シエロ”は大昔に絶滅したと信じています。ただ、神様として彼等の土着信仰に残っている。セルバ人の多くは、大統領警護隊はシャーマンの軍隊の様なもので神と話が出来ると信じているのです。」
「・・・」

 急にそんな話をされても理解しろと言うのが無理だ。サイスが黙り込んだので、ステファンは己の説明がまずかったかな、と不安を感じた。しかしここで止める訳にいかない。

「”シエロ”はジャガーなどに変身して、仲間に一人前の”シエロ”として認められます。変身するのは特別な儀式の時や、どうしても姿を変えなければ自身の命が危ない時だけです。当然ながら、世間の人に見られてはいけない。もし1人でも世間の人に見られてしまえば、古代から秘密の中で生き延びてきた一族全体が危険に曝されます。お分かりですか?」

 俯き加減になっていたサイスが顔を上げた。

「僕が変身したことで、その・・・隠れている神様が危険に曝されたと言うことですか?」

 ステファンは無言で大きく頷いた。サイスの目に再び恐怖の色が現れた。

「僕は何も知らなかった。ただドラッグをやって、酔っただけです。本当にジャガーになったのかどうか、記憶もはっきりしないんです。」
「ジャガーの足跡がこの付近の民家の庭に残っていました。有刺鉄線に体毛と血が付着していました。どこか体を怪我しましたね?」
「月曜日の夜、脇腹に引っ掻き傷が出来ていました。」
「他に変わったことはありませんでしたか? 例えば目・・・」
「鏡を見たら、猫の目になっていて・・・だけどドラッグをやったから・・・」
「貴方はドラッグで変身してしまったのです。我々は市民の通報で出動しています。市民は本物の動物のジャガーが現れたと思っています。危険だから捕まえて欲しいと言う通報です。しかし我々”シエロ”は、こんな都会の真ん中に現れたジャガーが動物である筈がないことを知っています。貴方が掟を知っているセルバ人の”シエロ”なら、我々は貴方を逮捕して然るべき処罰を受けさせることになります。しかし貴方は北米人だ。」
「そうです、僕はアメリカ人です!」

 声を大きくしてから、サイスは突然ある考えに漸く至った。

「死んだ父はセルバ人でした。父が”シエロ”だったのですか?」
「その通りです。我々は貴方の父上の親族を調査しました。何故貴方の父上が貴方を”シエロ”として養育しなかったのか、理由を探る必要があったのです。」
「どんな理由ですか?」

 ステファンは少し躊躇った。親族に認めてもらえない事実を告げるのは残酷だ。しかし誤魔化す理由がないのだ。


第3部 隠れる者  17

  ステファン大尉はテオドール・アルストの家を出る前にデルガド少尉の携帯に電話をかけておいた。サイスの家の前に来ると、自動で門扉が開いた。ステファンにとって機械の助けを借りなくても開けるシステムだったが、家の中の人間の安否を確認するのにサイスによる門の開閉は必要だった。
 サイスの車と並べてジープを駐車して、玄関へ行った。玄関扉は彼が開けた。施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”には鍵はないのも同じだ。
 中央に鎮座しているグランドピアノの前でロレンシオ・サイスが座っており、デルガドは窓際で外を眺めてた。ステファンがリビングに現れるとサイスが立ち上がった。既にデルガドが簡単な説明をしていたのだろう、ステファンが緑の鳥の徽章を提示すると、緊張した表情ではあったが微笑んだ。ステファンの方から声をかけた。

「ブエノス・ディアス、大統領警護隊のステファン大尉です。デルガド少尉からお聞きだと思いますが、貴方の護衛にやって来ました。」
「ブエノス・ディアス、ピアニストのロレンシオ・サイスです。」

 サイスはアメリカ流に握手を求めて手を差し出した。ステファンはそれに応じずに質問した。サイスの為に英語を使った。

「貴方のお父上もそうやって初対面の人に握手を求められましたか?」
「父は・・・」

 サイスは困惑した。

「アメリカ人の基準から見れば、少し変わったところがありました。しかし、母が彼はメソアメリカの先住民なので、違う習慣を持っているのだと言いました。」

 そして彼はキッチンの方を見た。

「朝食はお済みですか? 僕はコンサートの翌日はいつも昼頃迄食欲が湧かないので、コーヒーだけですが・・・」
「朝食は済ませました。お気遣いなく。」
 
 ステファンはチラリとデルガドを見た。護衛の任務に就いている少尉が何か食べたりする筈がない。実際デルガドはそばのテーブルに水のペットボトルを置いてるだけだった。サイスがステファンの視線の先に気がついて言った。

「昨夜、彼が僕の車に乗り込んで来て、正直なところびっくりしました。I Dを見せられなかったら、大声を上げていたでしょう。」
「彼が貴方の車に乗った理由は聞かれましたか?」
「はい。僕がジャガーに変身したので、護衛が必要になったと言われました。」

 彼は不安と恐怖に満ちた目で相手を見た。

「僕がジャガーに変身したと本気で信じていますか?」

 ステファンはちょっと笑って見せてから、応えた。

「私もジャガーに変身出来ます。貴方と違って黒いですが。」

 彼はデルガドを指した。

「彼も変身しますよ。貴方をからかってなどいません。ただ、ナワルは軽々しく使うものではない。他人に見せる為に変身するのではないのです。だから、我々は先週の月曜日にサン・ペドロ教会界隈に出没したジャガーを探していました。」

 サイスの顔色が白くなった。彼は両手で頭を抱えた。

「何の話をされているのか、理解出来ません・・・」
「そうでしょう。」

 ステファンはキッチンのそばのソファを指した。

「座って話しましょう。水は要りますか?」



第3部 隠れる者  16

  通常の月曜日はテオの授業はない。テオはエル・ティティのゴンザレスの家からグラダ・シティに昼前に戻り、自宅で体を休めながら火曜日の授業の準備をするのが習慣だった。しかし試験期間は違った。テオのクラスは火曜日の朝一に試験を行う。だから試験問題の作成に午後研究室に顔を出す。試験問題は主任教授から認可されたので、修正なしでプリント出来る。後は主任教授に印刷された試験問題を渡し、当日まで保管してもらうだけだ。
 午前中は空いているので、テオはロホとケツァル少佐をそれぞれ自宅へ送り届けた。ステファン大尉はデルガド少尉と交替してやる為にロレンシオ・サイスの家に向かった。

「もしセニョール・ミゲールが政治に進出されなかったら、少佐はアスクラカンで暮らしておられたのですか?」

と別れ際にロホが尋ねた。少佐が肩をすくめた。

「母はあまりあの街が好きでないのです。どちらかと言えばコーヒー農園があるカイオカ村の方を好んで、セルバにいる時はあちらの家にいます。だから私もカイオカの家の方が馴染み深いのです。」
「それを聞いて安心しました。」

 ロホは微笑んだ。

「タムード家の人々やサスコシの族長達は親切でしたが、特定の地区に住む家族達は古い考えの人が多いように感じました。もしステファン家の人達がアスクラカンのミゲール家を訪問することがあれば、かなり気をつけないといけない様に思えます。”ティエラ”は問題ありませんが、ミックスの”シエロ”には窮屈な街の印象です。」

 人当たりの良い純血種のロホがそんな風に言うのだから、ミックスのステファン大尉にはあまりリラックス出来ない土地に聞こえた。テオは少佐が少し沈んだ顔になるのを見た。

「タムード家の従兄弟達はとても大好きです。彼等と彼等の家族が将来も安全であることを願っています。」

 彼女はそう言って、それから「ではオフィスで」と部下に挨拶した。ロホも「では、後ほど」と言い、テオには敬礼だけした。勿論それで十分だ。
 テオは西サン・ペドロ通りに向かって車を走らせた。

「ビアンカ・オルトはロレンシオ・サイスを狙って来ると思うかい?」
「親戚の話を聞く限りでは、彼女が異母弟を見守っている様に思えません。」

 少佐は敵が仕掛けてくる攻撃手段を見抜こうとしている軍人の顔でフロントガラスの向こうを見ていた。


 


第3部 隠れる者  15

  物音でテオが目覚めた時、まだ外は薄暗く、近所の家は寝ている様子だった。
 キッチンでケツァル少佐が朝ご飯の支度をしているのが見えた。テオは時計を見て、あと30分だけ、と思いつつ目を閉じた。
 次に目が覚めたのは、玄関のドアを誰かがノックしたからだ。起き上がると、少佐がテーブルの上に皿を並べながら玄関に向かって怒鳴った。

「勝手に入って来なさい!」

 それは俺の台詞だろう、と思いつつ、テオはソファから下りてテーブルに行った。玄関のドアが開き、ステファン大尉とロホが入って来た。2人共戸惑っていた。家の中にいるのはテオ1人だけか、あるいはデルガドと2人だと思っていたのに、少佐がいるのだから無理もない。
 テオはステファンの疑惑の視線を感じながらも、平然として見せた。棚から追加の皿とカップを出して、2人の客に椅子を勧めた。少佐も平素と変わらぬ落ち着きで皿に缶詰の豆に味を付け足して彼女流にアレンジした煮豆を盛り付け、チーズとパンを並べた。テオがカップにコーヒーを注いで席に着くのを待ってから、少佐が大尉と中尉を見た。

「サイスの親族の情報で新しいものは得られましたか?」
「スィ。」

 ステファンはテオの方は見ないで、セルソ・タムードから聞いたビアンカ・オルトの少女時代の話を語った。その話を聞いていると、テオはビアンカに少しでも同情した己が甘ちゃんに思えてきた。あの綺麗な女性は、そんなに恐ろしい性格をしているのだろうか。一人前の”砂の民”と認められる為に親族である異母弟を不穏分子として殺害するつもりなのか?
 
「面倒な女ですね。」

と少佐が呟いた。

「彼女は完全に気を抑制して”ティエラ”のふりを上手にやってのけたのでしょう?」

 彼女に睨まれて、ビアンカが”シエロ”であることを見抜けなかったステファンは渋々認めた。

「スィ。最初はただの学生のふりをして、次に我々が彼女の証言に疑いを持つと、同郷故にファンになった他人の”シエロ”を装いました。私が彼女に面会した2回共に、彼女は一度も気を発しませんでした。波長を覚えられたくなかったのでしょう。」

 ステファン大尉は純血種達に馬鹿にされている感じがするのだろう、テオは彼の苛立ちを微かに感じた。

「彼女の父親は種族の違いを気にしないで人を愛せたのに、どうして娘は純血至上主義者に育ったのかなぁ。やっぱり母親の影響が大きいのか?」
「母親だけでなく、両サイドの祖父母も純血至上主義者ですよ。」

とロホが好物の煮豆をパンの上にどっさり載せながら応えた。

「ですが、サスコシ族の族長も長老達も彼等に批判的でした。伝統を守ることと排他的になることは必ずしも等しい訳ではありませんから。」

 ステファンは客間の方を見た。

「デルガドは本部へ戻ったのですか?」
「彼はサイスの家にいます。ピアニストの警護中です。」

 少佐の返事を聞いて、ステファンはコーヒーをカブ飲みした。

「それなら、交替してやらなければ・・・朝ご飯、ご馳走様でした。」
「材料は俺の冷蔵庫から、作ったのは少佐だ。」

 テオは大尉の疑惑をそれとなく晴らしてやろうと努めた。

「昨夜はコンサートを結界で守って、少佐がくたびれちまったんだ。家に帰り着く前に車の中で寝落ちしたんで、仕方なくここへ連れて来た。俺はソファで寝たから、安心してくれ。」
「仕方なく?」

と少佐が彼を睨んだ。 なんで睨まれなきゃならない? とテオは心の中で文句を言った。俺は眠っている君を目の前にして必死で我慢したんだぞ。



2021/10/27

第3部 隠れる者  14

 「明日は皆さんお仕事があるでしょう?」

とデルガド少尉が言った。

「私は今やっていることが任務ですから、お2人はお帰り下さい。私はサイスについています。」

 テオは彼が1人で残ることに不安を感じたが、ケツァル少佐は「わかりました」と応えた。
デルガドは車から出て、サイスの方へ歩いて行った。ロレンシオ・サイスはマネージャーと話をしていた。デルガドが横に立っても彼等は振り向きもしなかった。恐らくデルガドは”幻視”を使って彼等に己の姿を見せていないのだ。
 やがて話が終わったのか、サイスが1人で自分の車へ向かった。デルガドがピッタリとついて行き、サイスが自分の荷物を積み込む時に素早く助手席に乗り込んでしまった。ドアの開閉にもその付近にいた”ティエラ”達は気づかなかった。 
 少佐が微笑んだ。

「なかなかやるじゃないですか。」

 大統領警護隊遊撃班はエリート部隊だ。今迄なんとなくエミリオ・デルガドの仕草が若く幼い印象を与えていたので、テオは彼が”ヴェルデ・シエロ”の精鋭なのだと言うことを忘れていた。もしかすると、デルガドの”操心”術に彼もはまっていたのかも知れない。
 サイスの車が走り出したので、テオも車を出した。行き先は両車共にマカレオ通りだ。運転しながらテオは少佐に尋ねた。

「サイスが自宅に入る迄見守っていたいのだが、君は構わないか? それとも西サン・ペドロ通りを通って君を家に落として行こうか?」
「貴方のお好きな方へどうぞ。」

 大きな結界を4時間も張っていた少佐は疲れたのか、眠たそうな表情になっていた。いかん、「電池切れ」だ、とテオは焦った。考えれば、コンサートの昼の部も、彼女は建物の外にいた。恐らく昼のコンサートの間も結界を張っていたのだろう。
 西サン・ペドロ通りとマカレオ通りは数本の道路を共有している。しかし、サイスの車は中間の東サン・ペドロ通りへ向かう道を走り、交差点でマカレオ通りへ向かう方角へ右折した。テオは助手席をチラリと見て、少佐が目を閉じてしまっているのを確認すると、サイスを追って右折した。
 サイスは最短距離を走り、自宅前へ到着した。リモコンで門扉を開けると、そのまま車を庭へ乗り入れた。門扉が閉じてから、テオは門の前へ車を近づけた。サイスの家の玄関前で人感センサー付きの照明が灯り、車から降りたサイスとデルガドが家の中へ入って行くのが見えた。リビングの照明が灯り、サイスがあのだだっ広いリビングのピアノの前に座る影が見えたが、デルガドの影は識別出来なかった。
 テオは暫くじっと家の様子を伺っていた。サイスと思われる影はやがて立ち上がり、窓から見えなくなった。照明が消え、1分後、2階の一室に照明が灯った。デルガドが屋内の安全確認をして、サイスを寝室へ呼んだのだ、とわかった。
 寝室の灯りが消えたのは午前2時前だった。
 少佐はすっかり眠り込んでいた。そんなに無防備に眠られても困るんだが、と思いつつ、テオは同じマカレオ通りの自宅へ帰った。
 玄関を開けて、リビングの照明を点けてから、車に戻り、少佐を引っ張り出した。起きろ、と言っても目を覚さなかったので、仕方なく抱き上げて運んだ。流石にジャガーは猫より重たかったが、彼は慎重に彼女を運び、一旦ソファに下ろした。それから客間を覗くと、ここ数日遊撃班の2人が使っていたので男臭かった。テオは自身の寝室に入り、大急ぎでベッドを整え、窓を開けて換気してから彼女を運び入れた。

「君の好きなハンモックでなくてごめんよ。」

 そっと額にキスをして、彼は枕を持ってリビングへ行った。

第3部 隠れる者  13

  ロレンシオ・サイスがセルバ共和国で開いた一番大きなコンサートは無事終了した。以前からの彼のファンは熱狂し、新しいファンも大満足で、シティ・ホール周辺は日曜日から月曜日に日付が変わったにも関わらず盛り上がっていた。
 テオはケツァル少佐が疲れることを懸念して、車をホール建物の反対側、スタッフの駐車場へ移動させた。警備員に一度止められたが、デルガドが”操心”で通過許可を出させた。
 観客が全員外に出てから撤収が始まった。バンドメンバーも楽器や機材を片付けて働いていた。ピアニストは楽器を持ち出せないので、仲間の手伝いをしていた。スター気取りのない男だ。デルガドが囁いた。

「彼は気を放っていませんね。」
「今日一日は封印しておきましたから。」

と少佐が応えた。

「なんとかして彼を仲間から引き離して、私達の話を聞かせたいのですが。」
「多分、彼の方から連絡してくるよ。」

とテオは言った。

「彼は不安で堪らない筈だ。だけど、今日はそれを押し殺して演奏に専念した。精神力は強い男だ。きっと”ヴェルデ・シエロ”の話を信じるだろうし、積極的に作法も学ぶと思う。障害になるのは、あの熱心なマネージャーと、考えていることがわからないビアンカだな。」
「”砂の民”のみならず我々は直接相手を襲うことを掟で禁じられています。あの女が仕掛けてくるとすれば、何か別の物や人間を動かすでしょう。」

 デルガドは動き回るスタッフを見た。駐車場のフェンスの向こうには、まだ居残っているファンがカメラを向けていた。

「ああ言う一般人を巻き込まれると面倒です。」
「一般人を巻き込むのは、守護者たる”ヴェルデ・シエロ”の存在意義に反します。」

と少佐が硬い声で言った。

「オルトが市民を利用しようとしたら、容赦なく撃ちなさい。」

 ケツァル少佐の究極の命令に、デルガド少尉がハッとした様に背筋を伸ばした。

「承知しました。」

 彼が敬礼した。テオは微かに不安になった。ビアンカ・オルトは本当に異母弟を狙っているのだろうか。

「少佐、他の”砂の民”に通報してビアンカを止めさせることは出来ないのか?」

 少佐が溜め息をついた。

「”砂の民”は互いの仕事には干渉しないのです。同僚が市民を理由なく害した場合のみ動きますが、その場合は事が起きてからです。事前に防ぐことはしません。」

 テオはその返答に不満だったが黙った。そして、ふと考えた。
 ステファン大尉の心を盗んだケサダ教授は、事情を知ってしまったのではないのか?

2021/10/26

第3部 隠れる者  12

  サスコシ族の族長の家を辞したステファン大尉とロホに、セルソ・タムードは自宅で泊まっていけと勧めた。ビアンカ・オルトの行方が気になったが、ロレンシオ・サイスにはケツァル少佐が付いている筈なので、2人は好意に甘えさせてもらうことにした。
 タムード家に戻ると、ドロテオ・タムードが既に宴の準備をして待っていた。現代風の家風の家族だ。広い庭に面したリビングの窓を開放して、3人の息子とその妻子達が集まり賑やかに食事をした。ドロテオは遠縁の親戚であるフェルナンド・フアン・ミゲールの近況を知りたがった。年齢はドロテオの方が上だが、子供時代は一緒に遊んだこともあるし、ミゲールが養女を迎えて妻子をタムード家に連れて来たこともあった、と語った。ステファンもロホもケツァル少佐の幼い頃の様子を聞きたかったが、ドロテオが知りたがっているのは養父のことだ。ミゲール駐米大使が3ヶ月前に一時帰国して外務省のパーティーに出席した際に警護に駆り出されたロホが、大使の様子を語った。ドロテオは楽しそうにロホの語りを聞いていた。
 ステファンの方は子供達に妙に懐かれて庭で遊ぶ羽目に陥った。子供達もミックスだ。母親達が”ティエラ”なので、その能力は薄くなっていく。それが自然な流れなのかも知れない、とステファンはうっすらと感じた。
 夜が更けて子供達が部屋に追い立てられ、女性達も奥へ引き揚げた。ドロテオは庭のハンモックで寝てしまった。長男と三男はロホとサッカー談義に忙しく、ステファンは一息付いて、庭の端でタバコに火をつけた。セルソ・タムードがそばにやって来た。

「官製のタバコですか?」
「スィ。大統領警護隊の支給品です。味は自家製の物と変わりませんが。」

 箱を差し出すと、セルソは礼を言って1本取った。ステファンが火を点けてやった。暫く並んで川を眺めながらタバコを吹かしていた。やがて、ステファンが心に引っかかっていたことを質問した。

「族長の家で、貴方はビアンカ・オルトが”砂の民”であるかの様な発言をなさいましたが、意識されていましたか?」

 セルソが苦笑した。

「家族にずっと秘密にしていたのですが、族長とあなた方は彼女が何者かご存知だ。ついうっかり口に出してしまいました。」
「貴方はいつから彼女がピューマだと知っておられたのです?」
「彼女が10代前半頃からです。」

 セルソは嫌なものを思い出したのか、顔を顰めた。

「彼女は思い込みが激しい女で、私の弟に片想いをしていたのです。ストーカーまがいの行動を取っていました。弟は、オルトの家がミックスに対してどんな考え方をしているか、親から散々聞かされていましたから、彼女を相手にしませんでした。」
「しかし、ビアンカはミックスの貴方の弟に恋をしたのですね?」
「どの程度本気だったのか、私達にはわかりません。彼女には遊びだったのかも知れない。ミックスが純血種に逆らうなど、彼女のプライドが許さなかったのでしょう。ある時、農作業で私達は親の手伝いをして畑で働きました。夕方、帰宅してから弟が帽子を畑に忘れたことに気がつきました。私もたまたま別の物を・・・鎌を畑に置いて来てしまい、私が取りに戻ったのです。弟の帽子を拾い上げた時、突然叢からピューマが襲いかかって来ました。」

 ステファンは驚いた。

「10年程前と仰いましたね? そんなに早くに彼女はナワルを使えたのですか?」

 セルソが笑った。

「大尉、貴方には姉妹はおられないのですか?」
「姉と妹がおりますが・・・」

 ステファンはケツァル少佐を素直に「姉」と呼んでしまった己に少し驚いたが、なんとかして相手に悟られずに済んだ。

「離れて暮らしていたのでよく知りません。」
「そうですか・・・」

 セルソにも姉妹はいないのだが、彼は若い女性のことを知っていた。

「女性は体の成熟が男より早いのです。ですから、10代の早い時期にナワルを使える人もいます。特に純血種は早いのです。」
「わかりました。貴方は畑でビアンカのナワルに襲われたのですね?」
「スィ。勿論、その時は彼女だとわかりませんでした。私は咄嗟に最初の一撃を避けて、鎌で応戦しました。ナワルを使う暇はありませんでした。変身する間に次の攻撃を受けますからね。相手と向かい合って、ジャガーでなくピューマに襲われたのだと知った時は、本当に恐怖でした。”砂の民”に狙われる様な粗相をした覚えはありませんでしたから。それにそのピューマはまだ小さかったのです。子供の”砂の民”などあり得ない。無謀にも飛びかかって来たピューマに私は鎌で切り付け、前脚を傷つけました。ピューマは逃げて行きました。
 翌日、私達はオルトの娘が腕を怪我して母親が大騒ぎしていると聞きました。私は、ピューマがビアンカだったのだと気がつきましたが、確証を得られませんで、誰にも言えませんでした。恐らく、私の弟にプライドを傷つけられた彼女が、弟の帽子を手にした私を見て勘違いしたのでしょう。私は恐ろしくなりましたが、親に告げる勇気がありませんでした。それで、ある長老にこっそり告白したのです。長老はまだビアンカのナワルに関する報告をオルトの家から受けていませんでしたから、私に黙っているようにと忠告を与えました。私はそれから長老の保護を受け、沈黙を守りました。ビアンカが家出したすぐ後にその長老は老衰で亡くなりました。しかしビアンカがピューマである報告は他の長老と族長に伝えられており、私は今も保護を受けています。」

 セルソはステファンに向き直った。

「ピアニストがビアンカに狙われていると言う貴方の考えを私は支持します。彼女は危険です。」


第3部 隠れる者  11

  ”ヴェルデ・シエロ”の結界は敵である”ヴェルデ・シエロ”の侵入を防ぐためのものだ。だから車の中でラジオを聞いているケツァル少佐は結界を通れない人の気配を感じる取ることが出来る。”ヴェルデ・シエロ”の人口が少ないので、彼女が結界を張ってからシティ・ホールに近づけなくて困っている”ヴェルデ・シエロ”は目下のところ1人だけだった。建設大臣イグレシアスの私設秘書シショカだけだ。彼は大臣と共に車でシティ・ホールに入ろうとしたが、動物的な本能でそのまま車が前進すると己の脳に酷いダメージが与えられる危険を感じてしまった。彼は運転手に停止を命じ、大臣に「急に気分が悪くなったので」帰宅させて欲しいと頼んだ。大臣はボディガードが1人付いていたので、彼の要求を承諾した。車から降りたシショカは、結界の大きさを考えて、張った人間が誰だか見当がついたが、彼女が結界を張る理由が思い当たらなかった。
 携帯電話にシショカから電話がかかって来た時、彼女は面倒臭いと思ったが出てやった。

「ミゲール少佐。」
ーーシショカです。何故シティ・ホールに結界を張っているのです?
「コンサートを無事に終わらせたいからです。」
ーーそれだけですか?
「それだけです。大臣のお邪魔はしていない筈ですけど?」

 そして少佐は先刻結界に触れて引き下がった気配の主が彼だったと悟った。

「もしや、入り損ねましたか?」
ーー私は構わないが、大臣に言い訳が必要でした。

 そして”砂の民”の男は用心深く尋ねた。

ーー一族の誰かがコンサートの妨害をすると考えておられるのか?
「それが杞憂であることを願っています。ですが、これだけは確実です。大臣は無関係です。」
ーーそれなら、市民に被害が出ないよう、しっかり守っていて下さい。

 最後は皮肉を言って、シショカは通話を終わらせた。
 少佐がチッと舌打ちをしたところに、再び電話がかかってきた。テオからだった。

ーー少佐、食い物を買ってきたから、エミリオを通してやってくれないか?
「承知しました。10秒だけ下げます。」

 ラジオから歓声が聞こえてきた。コンサートが始まったのだ。

第3部 隠れる者  10

  ジャズコンサートの夜の部は盛況だった。昼の部よりも客数が多く、VI P席にはイグレシアス建設大臣を始めとするセレブが座った。
 ケツァル少佐はアンドレ・ギャラガ少尉を官舎へ帰した。月曜日は普段通り勤務がある。少佐がシティ・ホール周辺に結界を張ったので、テオは夕食を買いに徒歩で出かけた。用心棒にデルガド少尉が同行した。

「あの大きなドーム全体を結界で守るなんて、少佐は凄いですね。」

と歩きながらデルガドが感心して言った。

「グラダ族だからね。」
「ステファン大尉もいつかあんな力を持てるんでしょうね。」

 どんなに修行しても力の大きさに限界があるグワマナ族のデルガドはちょっぴり羨望を声に滲ませた。テオは励ましの意味を含めて言った。

「力が大きいからと言って、それが将来の栄光や幸福に繋がるとは限らないさ。グラダ族は結局力が大き過ぎて部族として滅んでしまったのだから。グワマナ族は力が大きくない分、世間に馴染んで穏やかに暮らしてこられたんだって、ずっと以前別の事件で君の部族に関わった時に少佐が言っていた。ステファンは持っている力が大き過ぎて子供時代から制御に苦労してきた。彼は力を持とうとしているんじゃなくて、力をどう使うべきかを修行しているんだよ。メスティーソだから、純血種の君達みたいに生まれつき使い方が身についている訳じゃない。学ばないといけないんだ。それは、アンドレ・ギャラガもロレンシオ・サイスも同じなんだ。彼等は君みたいに、いつか自然に力を使いこなしたいと思っている。」

 デルガドが微笑した。

「貴方は白人なのに、我々以上に我々を理解されているんですね。」
「しているんじゃなくて、日々理解しようと努力しているのさ。君達の修行と一緒さ。君達とずっと友達でいたいからね。」
「大尉が言った通りの人ですね。」

 テオはデルガドを見た。

「カルロが俺のことをなんて言ったんだ?」

 デルガドがクスッと笑った。

「隣で安心して昼寝出来る人だって・・・」
「なんだよ、それ・・・」

 テオも笑った。

「俺だってカルロのそばなら昼寝出来るぞ。あいつは最強の虫除け男だから。」

 これはデルガドに大受けした。


第3部 隠れる者  9

  シプリアーノ・アラゴの家は普通に現代的な内装だった。壁や棚の装飾が民族の特色を残していると言った感じで、一瞬目を合わせた時、ロホはステファンに”心話”で言った。

ーー私の実家より現代的だ。

 ステファンはまだロホの実家を見たことがなかったが、なんとなく想像はついた。多分、アラゴの家からテレビやオーディオの電化製品を引いて、儀式用の装具や祭壇を足した内装だろう。ガラスやアルミサッシの窓もない筈だ。
 籐で作られたカウチにセルソも一緒に並んで座り、アラゴの妻にコーヒーでもてなされてから、やっと来訪の目的を語ることが出来た。
 ステファン大尉は、月曜日の夜にグラダ・シティの住宅街にジャガーが出没したと言う通報を警察が受け、それを大統領警護隊に回して来たことから始めた。ケツァル少佐が散歩中にそのジャガーの気配を感じたことは省いた。大統領警護隊遊撃班に捜査命令が出て、デルガド少尉と彼が任務に就いていること、住宅地を捜査して住民から目撃証言を得たことやジャガーの足跡の確認したこと、体毛と血痕を採取してグラダ大学生物学部で分析させたこと、その結果ジャガーは”ヴェルデ・シエロ”のナワルである確証を得たこと、ジャガーの痕跡はピアニスト、ロレンシオ・サイスの居宅付近で消えていたこと、大尉が大学へ体毛の分析依頼に行った後、ビアンカ・オルティスと名乗る若い女性が接触して来てジャガーの目撃証言をしたが、それが虚偽であったことが判明したこと、迄を語った。

「ビアンカ・オルティス?」

とアラゴが微かに侮蔑を含んだ笑を浮かべた。

「ヘナロ・パジェとアゲダ・オルトの娘だな。2年前に家出して行方不明と聞いていたが、グラダ・シティに出ていたのか。」
「ビアンカは家出したのですか? 母親の承諾を得て出て行ったのではなく?」

 ロホの質問にアラゴとセルソ・タムードが顔を見合わせ、苦笑し合った。セルソが説明した。

「アゲダは娘が不意にいなくなったので、大騒ぎして町中を探し回ったのです。誘拐されたのだと警察に訴えましたが、間もなく本人から警察に連絡があり、自分の意思で仕事を探しに行くのだと伝えたため、捜索は打ち切りになりました。勿論、母親は納得しませんでしたが、実家やパジェの家族に説得されて大人しくなりました。」
「ビアンカは仕事を求めて家出したと自分で言ったのですね。」
「警察の発表はそうなっていました。ですから、アスクラカンの街は彼女をそれっきり忘れたのです。」

 セルソとロホが会話している間に、ステファン大尉はアラゴに”心話”で話しかけた。

ーービアンカのナワルはピューマで間違いありませんか?

 アラゴは表情を変えなかったが、”心話”では心の驚愕を隠せなかった。

ーーお前はピューマを見たのか?
ーーノ。しかし、経験豊かなピューマが教えてくれました。

 ”砂の民”が自ら正体を明かし、仲間の情報をジャガーに与えることは非常に稀だ。つまり、今目の前にいるサスコシ族の族長の客人は、普通のジャガーではないのだ。アラゴはグラダ族の男に敬意を表すために言った。

ーーエル・ジャガー・ネグロ、ピューマはピューマに呼ばれて修行の旅に出たのだ。我々が知っているのはそこまでだ。彼女の家族も誰も知らぬ。知るべき家長は既にこの世におらぬ。オルトの家にもパジェの家にも誰もビアンカがピューマであると知る者はおらぬ。
ーーでは、ビアンカが大統領警護隊の捜査妨害を行ったことは、サスコシ族の指示でなければ、パジェの家からもオルトの家からも命令は出ていないのですね。
ーー大統領警護隊の妨害をすることは一族に反抗することを意味する。誰もビアンカに命令など出しておらぬ。

「ビアンカ・オルトはロレンシオ・サイスが父ヘナロ・パジェの息子であることを知っています。しかしサイスは自分が半分”ヴェルデ・シエロ”であることを知りません。」

とロホが説明した。

「月曜日にグラダ・シティの住宅街に出現したジャガーは、サイスです。ステファン大尉がビアンカが素性を隠したままの時に、彼女から取った証言では、彼はパーティーでドラッグをやって変身してしまったと言うことでした。しかし、今朝、私の上官がサイス本人に直接会って証言を取ったところ、本人は初めての変身で記憶が混乱しており、ドラッグ摂取の詳細を知ることが出来ませんでした。わかっているのは、その現場にビアンカがいて、ナワル使用を誘導するかの様な話をしたことだけです。」

 ステファン大尉が言った。

「サイスは父親も出身部族も何も知りません。”ヴェルデ・シエロ”のことも何も知りません。教育が必要な男です。」

 するとアラゴが言った。

「その男が全てを捨ててここへ来るなら、私が責任を持って教育を引き受けよう。」
「サイスにその覚悟があるか、確認します。問題は、ビアンカ・オルトの方です。」

 セルソが不安そうに呟いた。

「危険ですね、あの女は。オルトの家の考え方に従えば、異種族の血を引く弟の存在は我慢出来ないでしょう。それに”砂の民”は本当に己の手を血で汚す覚悟があるかを、血縁者の不穏分子を粛清することで証明すると聞いたことがあります。もし、修行を完了させる証明としてロレンシオ・サイスの命を狙っているのであれば、実に危険です。」


2021/10/25

第3部 隠れる者  8

  ドロテオ・タムードはカルロ・ステファン大尉とロホがサスコシ族の族長に面会したいと希望すると連絡を取ってくれた。族長は大統領警護隊がオルトの夫の子の件で面会を希望していると聞いて、自宅へ来てくれるようにと言った。それでドロテオの次男が大統領警護隊の2人を案内することになった。次男の名はセルソと言った。年齢は2人の隊員より上だった。彼は警護隊のジープの後部席に乗り込んだ。

「族長はシプリアーノ・アラゴと言います。父の幼馴染で、気の良い人です。」

 セルソもメスティーソだ。彼が案内出来る家だから、純血至上主義者ではないのだ。

「因みに、ピアニストの父親の名はヘナロ・パジェです。ヘナロは仕事で海外へも出かけていましたので、純血至上主義がどんなに馬鹿馬鹿しいか理解していましたが、彼の家族は昔ながらの伝統を重視していました。妻のアゲダ・オルトはパジェの同族でヘナロとは親が決めた結婚でした。私が他人の家の内情に詳しい理由は、あの家がガチガチの純血至上主義者で知られているからです。」

 恐らくセルソは過去にパジェの家と何か嫌な出来事があったのだろう。しかし彼はそれ以上語らなかった。
 アラゴの家は広い敷地内に小ぶりの戸建て住宅がUの字に並んでいた。夫婦単位で大家族が固まって暮らす伝統的な建て方だ。しかし中庭にジープを乗り入れると、戸建ての家の半分は空き家で農機具置き場などに使われていることがわかった。実際に住民が住んでいる家は綺麗に手入れされているので、すぐ判別出来た。
 ジープのエンジン音を聞きつけて子供が3人ばかり出て来た。続けて50代と思える男性が姿を現した。ステファン大尉はジープのエンジンを切り、ロホと共に左右に降りた。セルソ・タムードも車外に出ると、その家の主人の前に進み出た。

「セニョール・アラゴ、本日は突然の来訪をお許し下さり・・・」

 型通りの挨拶の遣り取りが5分ばかり続き、その間大統領警護隊の2人は辛抱強く待っていた。それからセルソから族長シプリアーノ・アラゴに紹介された。ステファンが挨拶するとアラゴはゆっくりと彼を眺め、そして言った。

「シュカワラスキ・マナに似ているな。お前の父親に一族のしきたりを教える役目を名を秘めた女から賜ったことがあった。お前は修行を投げ出したりしないよう、心して努めよ。」

 思いがけない場面で父の名を出されて、ステファンは心の中で動揺したが、表に出さずに堪えることが出来た。

「今日は貴方のお力添えを頂きに参りました。貴方のお力で事態が良い方向へ向かうことを信じています。」

 彼の丁寧な物言いに満足したのか、アラゴは頷き、それからロホを見た。ロホも作法に則って挨拶をした。アラゴが不思議そうに彼を眺めた。

「名家マレンカの名を棄てた息子がいると聞いていたが、お前のことなのか?」

 ロホは肯定して言った。

「マレンカの家には息子ばかり6人おります。残っていても親の負担になるだけですから、私自身の家を創る為に、けじめをつける意味で名を変えました。決してマレンカの名を棄てたのではありません。」

 するとサスコシ族の族長は愉快そうに笑った。セルソ・タムードを振り返って言った。

「ドロテオの息子よ、グラダ・シティには面白い人間が多いな。」

 セルソは頭を下げて同意を示した。
 シプリアーノ・アラゴは手を大きく振った。

「中へ入れ、客人。お前達の用件を聞こう。」


2021/10/22

第3部 隠れる者  7

  テオとケツァル少佐はシティホールの周回道路沿いの歩道をゆっくり反時計回りに歩いた。ホールの周囲は公園になっており、背が高い木々がランダムに生えている。その下は芝生だったり、花が咲く薮だったり、土だったりで、子供が遊び、親が日陰でそれを見守っている。長閑な日曜日の午後だった。

「ビアンカ・オルティス、じゃなかった、オルトはロレンシオ・サイスを襲いに来ると思うかい?」

 テオはそうあって欲しくなかった。アパートの屋上で話をした時のビアンカは、本当にサイスの身を心配している様に見えた。彼女は母親と意見を違えて家出したのではないだろうか。家族が”砂の民”にサイスの消滅を望んだとしたら、そして彼女がそれを知ったなら、彼女は弟を守りたくてサイスの側に来たのではないのか。異母弟憎し、或いは一族を危険に曝す不穏分子として処分するつもりで近づいたと思いたくなかった。
 少佐はビアンカの本心を図りかねているのか、黙っていた。彼女の可愛い異母弟は、気の抑制が下手くそで、正に不穏分子として一族から軽蔑されていた。しかし彼は向上心を捨てなかった。超能力を使えないのであれば、普通の人間、軍人として腕を上げて働こうと努力した。彼女は彼が腹違いの弟であると知る迄は、そんな彼が男らしくて好きだった。血縁関係を知ってからは、努力家の彼が誇らしかった。生命の危険に陥ったことがきっかけで、彼は能力を目覚めさせ、メキメキと使い方を上達させていった。彼女の自慢の弟だ。
 きっと少佐はオルトの心の内を理解出来なくて戸惑っているのだろう、とテオは想像した。

「サイスに彼の出生の秘密を教えてやった方が良かないか? 彼は自分がジャガーに変身することを知ってしまった。だけど、何故そんな体質なのか、わからないから悩んでいる。仲間が大勢いることを知れば、きっと落ち着いてオルトのことも考えられると思うんだ。」
「それではサイスに一族の歴史から順番に教えていかねばなりませんね。」

 少佐はテオの顔を見上げた。

「貴方の時は貴方が興味を抱いて接近してきたので、こちらが警戒して情報の小出しをしてしまい、時間がかかりました。サイスは当事者です。どこか邪魔が入らない場所で一度に語って聞かせた方が良いでしょう。」
「だけど、ショックだろうな・・・」

 テオはホールの建物を見た。

「でも今日の彼はいつもと同じ様に演奏した。動揺して弾けないかもと心配したんだが。」
「今朝面会した時に、励ましておきましたから。」

 と少佐が微笑んだ。

「それに気を放出しないように、”操心”をかけておきました。今日の彼の演奏は彼の実力です。」
「そうか・・・上手だったが、俺は惹き込まれる程じゃなかった。」
「それは貴方の趣味が違うからでしょう。ラジオの生放送で聞いていましたが、かなり上手ですよ。」
「はぁ? 車の中で聞いていたのか?」

 昼寝をしているのかと思ったら、少佐はしっかりサイスの音楽を聞いていたのだ。彼女はけろりとして言った。

「もしチケットを購入して、下手な演奏を聞かされでもしたら、損じゃないですか。」

 テオはがっくりときた。ケツァル少佐は「無駄な」出費はしない人なのだ。

「もしこのままサイスの能力を封じても普通のピアニストとしてやっていけるんだな?」
「実力があるので、ピアニストとして生業を立てるのは大丈夫ですが、能力の封印は出来ません。あれは、直系の血縁者でなければ出来ない術です。サイスの父方の祖父母が生きていればなんとかなるでしょうが。」

 そして彼女は立ち止まってテオを見た。テオも足を止めて彼女を見た。

「なんだい?」
「グラシエラの子孫のことを考えなければなりません。」
「?」
「グラシエラは能力をステファンの祖父に封印されました。母親のカタリナも能力を封印されています。でもグラシエラが将来子供を産めば、その子は能力を持って生まれてきます。しきたりに従えば、カルロが子供の教育をすることになりますが、グラシエラの結婚相手にそれを理解してもらえるとは限りません。それにグラシエラが家族と何処に住むのかもわかりませんしね。私も可能な限り協力するつもりですが、封印も教育も難しいことになるでしょう。」

 テオはちょっと考えた。そして言った。

「俺が昔研究していたのは、超能力者の遺伝子を普通の人間に注射して遺伝子を変化させると言う方法だった。だから、その逆もあるんだ。”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を本格的に分析していないから、出来るとは断言出来ないが、出来る可能性はある。しかし、グラシエラの子供で実験するつもりはない。したくない。」

 彼は少佐が体を寄せて来たので驚いた。

「実現の確証がない未来のことを悩んでごめんなさい。」

と彼女が苦笑した。

「最近グラシエラが同じクラスの男子学生達の話をよくするので、誰か好きな人でも出来たのかと、ちょっと勘繰っているのです。カマをかけてみましたが、なかなか尻尾を出しません。」
「兄貴は馬鹿正直に感情を出すが、妹は強かなんだな。」

 テオと少佐は笑った。公園にいる人々はそんな彼等を、仲良しのカップルが散歩しているなぁと言う程度の認識で眺めただけだった。


 

 

2021/10/21

第3部 隠れる者  6

  コンサートの客による帰宅ラッシュが一段落着くと、少佐が車外に出た。シティホールを一回りしてくると言うので、男達もお供しようと我先にと車外に出た。少佐が呆れた様に言った。

「誰がこの場所を見張るのです?」

 テオはデルガドを見た。ギャラガも同僚を見た。

「君は歩き回った後だから、休憩しながら見張っていろよ。」

 ギャラガがそう言うと、デルガドは建物の入り口を顎で指した。

「暑いから、あの中から駐車場を見ている。」
「結構。」

 少佐が頷いた。テオが車のキーをデルガドに渡した。

「君には必要ないだろうけど、形だけでもキーを使うところを世間に見せておけよ。」
「キーぐらいいつでも使っています。」

 デルガドは車を施錠した。ギャラガが左方向を指した。

「私は時計回りに歩きます。」
「それじゃ、少佐と俺は反時計回りに歩く。」

 すると少佐が眉を上げた。

「私は貴方と行くと言った覚えはありません。」
「それじゃ、アンドレと行ってこいよ。」

 テオは特に意地悪を言ったつもりはなかったのだが、彼女はツンツンして反論した。

「貴方がピューマに襲われたら、後の目覚めが悪いではないですか。」
「別にいつも大統領警護隊に守ってもらうつもりもないけどな。」

と言いつつ、テオは腕を差し出した。少佐はちょっと彼を睨んでから、いかにも渋々と言いたげにゆっくり手を伸ばして彼の腕を掴んだ。
 2人が歩き去ると、ギャラガとデルガドは堪えていたものを吹き出した。

「君の上官は素直じゃないな。」
「君の上官もだ。彼女のことが好きなくせに、今の状態から前へ行けない。だからドクトルにいつも遅れを取る。」
「彼女はどうなんだ?」
「どうだろ?」

 ギャラガは苦笑した。

「多分、どっちも好きなんだ。だけど迷っているんじゃない、今の状態が彼女には心地良いんだと思う。 彼女は選びたくないんだ。」



第3部 隠れる者  5

  昼の部が終わり、客達がぞろぞろと客席から出て来た。テオとギャラガは人の波に巻き込まれる前に建物の外に出た。車に戻ると、既にデルガドが到着しており、窓を開放した車内で少佐と2人してアイスクリームを食べていた。テオは周囲を見回し、駐車場の入り口付近にアイスのスタンドが出ているのを見つけた。少佐に断らずに彼はギャラガを引っ張ってスタンドへ走った。

「夜迄どうします?」

とギャラガがメロン味のアイスキャンデーを舐めながら尋ねた。面白がっている。以前は大統領警護隊の中で孤独だった彼は、休暇をもらっても遊ぶ友達がおらず、1人で海岸へ行って海を眺めるか、官舎のジムで体を鍛えるしか時間の過ごし方を知らなかった。しかし文化保護担当部に引き抜かれてから、毎週土曜日は「軍事訓練」と言う名の戦闘ごっこ、ボール遊び、ジャングル探検、そしてデネロス農園での畑仕事の手伝い等、することが沢山あった。日曜日の軍隊の外の世界は「安息日」なので、彼は官舎で好きなだけ眠り、目が覚めると外出許可をもらって買い物に出たり、図書館へ行った。彼の好きな様に活動出来るのだ。
 自称ビアンカ・オルティスとロレンシオ・サイスの調査や監視は、文化保護担当部の任務ではない。少佐も彼に働けと命令していない。彼は彼自身の意志で参加していた。
 駐車場から出て行く車の列を避けながら、彼とテオは車に戻った。
 日差しを浴びて熱くなっている車内に入ると、大急ぎでアイスキャンデーを食べた。少佐がデルガドに声を掛けた。

「2人に報告してやって下さい。」
「承知しました。」

 デルガドは、まず女の同室の女性から聞いた話、と前置きした。

「自称オルティスは3ヶ月前に突然あのアパートに越して来たそうです。ルームメイトが出していた同居人募集の貼り紙を見てやって来たのです。大学生と言う触れ込みでしたが、荷物に書物や学生らしい物は殆どなかったとルームメイトは言っています。日中も家にいることが多く、時々散歩に出ていたそうです。恐らくサイスの家を見張っていたのでしょう。大学に行っていた様子もなく、夜はよく外出するので、ルームメイトは彼女が夜の仕事をしているのだろうと想像していました。あのアパートは女性の学生用なので、学生以外には貸さないことがルールですが、管理人は家賃さえもらえれば目を瞑る人です。自称オルティスが犯罪者でも外国のスパイでも構わない、そんな人です。
 月曜日のジャガー騒動を聞いて、自称オルティスは火曜日の昼間に出かけ、その後暫く外出を控えていたそうです。そして昨日、2人の男性の訪問者と話をした1時間後に彼女は突然アパートを引き払ってしまいました。現在所在不明です。」

 しかし、彼の話はまだ続きがあった。

「ステファン大尉から電話がありました。アスクラカンのある伝統を重視するサスコシ族の家に男がいて、彼は妻子と同居しながら、仕事で行った北米で別の女を作りました。女との間に息子が生まれたのですが、彼は母親と子供を引き取ることをアスクラカンの両親に反対され、1人でセルバへ戻りました。彼は妻に内緒で北米へ仕送りを続けていましたが、北米の女が死んで息子が1人になったので、自分の正体を隠して息子をセルバへ移住させようと考えました。ところが彼のビジネスパートナーだったアメリカ人が、息子の音楽の才能を発見し、ピアニストとしてデビューさせました。男は息子が独り立ちする為の仕事だと思って密かに資金援助したのですが、それを妻に知られてしまいました。息子のピアノの才能が頭角を表し、メディアに出る様になった為に、父親とよく似た風貌を見て、妻が隠し子の存在に気づいてしまったのです。妻は激怒しました。何故なら、妻との間に生まれた子供の養育費は全て伝統を重んじて妻の実家が出していたからです。妻から言わせれば、北米の息子の養育費は北米の女の実家が出すべきものだったからです。夫婦は激しく対立し、心労から男は病に倒れ、死にました。4年前のことです。」

 テオとギャラガは顔を見合わせた。夫を死に追いやるなんて、どんな怒り方をしたのだ、その妻は? デルガドは続けた。

「妻の子供は娘1人だけです。サイスの母親違いの姉になります。名前はビアンカ・オルト、既に成年式を済ませた大人ですが、彼女の家族は彼女のナワルを一族に公表していません。」

 テオが呟いた。

「ピューマだからだ・・・」

 少佐がデルガドに尋ねた。

「カルロ達はビアンカ・オルトの所在を攫みましたか?」
「ノ、ビアンカは2年程前に故郷を出て、それ以来帰っていないそうです。大尉がこの話を語ってくれた家族に”心話”で彼女の顔を確認してもらいました。オルティスとオルトは同じ女です。」
「ロレンシオ・サイスとビアンカ・オルトは異母姉弟なんだな。」

 テオは不思議な感じがした。ケツァル少佐とステファン大尉も異母姉弟だ。彼等は大人になる迄互いに相手が同じ父親を持つキョウダイだと知らなかった。ビアンカとロレンシオは、ビアンカだけが2人の関係を知っていて、弟に密かに接近を図った。彼女はロレンシオをどうしたいのだろう。一族に迎えたいのか、それとも父親の死の原因となってしまった者として排除したいのか。少佐と大尉の様に互いの命を預け合って共に戦い、一緒に喜んで笑う仲になれないだろうか。
 少佐がまたデルガドに尋ねた。

「カルロはタムードの伯父様から他に何か聞いていませんか? オルトの家族がどれだけ伝統を守ることに厳しいのか、ビアンカの母親はまだ怒っているのか、彼等家族は異種族の血を迎え入れる余裕があるのか・・・」

 デルガドは硬い表情で答えた。

「少佐の質問にお答え出来る内容の報告と思えますが、大尉はセニョール・タムードから1人でオルトの地所に立ち入るなと忠告されたそうです。どうしても1人で行かねばならない時は、グラダの証が必要だと。」

 それで十分だった。ビアンカ・オルトの家族は純血至上主義者だ。


第3部 隠れる者  4

  シティホールの駐車場は4分の3ほどの入りだった。昼の部と夜の部があって、夜の方が入りが多い。昼の部の当日チケットがまだ残っていたので、テオはギャラガの分も支払って2人の席を取った。少佐は興味がなさそうで、一緒にお昼ご飯を食べた後、車に残ってシエスタに入ってしまった。
 少佐が寝てしまうと言うことは、自称ビアンカ・オルティスの気配がないと言うことだ、とテオは判断した。
 座席は2階席の傾斜した客席の最後部で見通しは良くなかった。1階を見下ろすとステージの手前の座席を取っ払って客が踊れる様にしてあった。それでバンドやピアノがよく見えないのに1階席が完売していたのだな、とテオは納得した。2階席の客もダンシングタイムには1階に入っても良いと言うことになっていた。
 夜と違って曲目も定番の演目が多く、観客の服装もカジュアルだ。ロレンシオ・サイスはソロ演奏を2曲弾いただけで、後は全部バンドと一緒だった。確かに元気良い上手なピアノだったが、テオは惹き込まれる様な気分にならなかった。ギャラガが曲に乗って体を揺らしていたので、下で踊って来いよ、とテオは言ってやった。それで、少尉は「偵察です」と断って席を立った。
 テオはV IP席を見たが、そちらは夜の部の客だけなのか、どの席も空だった。
 ポケットの中の携帯電話が震動したのは5曲目が終わる頃だった。見るとデルガドだったので、テオは席を立ち、通路へ出た。

「オーラ、アルストだ。」
ーーデルガドです。やはり女は逃亡していました。

 と少尉が報告した。

ーー同室の女性に話を聞くと、昨日我々が彼女のアパートを離れた1時間後に、彼女は荷物をまとめて出て行ったそうです。
「出て行った? 部屋を引き払ったのか?」
ーーその様です。ルームメイトは今月の家賃をもらっていますが、オルティスが何処へ行ったのかは知りません。

 デルガドが自信を持って話すので、”操心”を使って相手に自白させたのだろう、とテオは想像がついた。

ーーステファン大尉から何か連絡はありましたか?
「ノ、ロホからも何も言って来ない。話を聞き出すのに手間取っているのかも知れない。ところで君はこっちへ来るかい?」
ーー行きます。今、バスに乗ることろです。一旦切ります。

 テオがシティホールの何処にいるのかも訊かずにデルガドは電話を切った。
 テオは通路の壁に沿っておかれているベンチの一つに腰を降ろした。南国のシエスタの時間にジャズコンサートなんて、いかにもアメリカ人が考えそうなことだ、と彼は思った。
 ギャラガが階段を上がって来た。通路にいるテオを見つけてそばに来た。顔が上気していて、かなり体を動かした様だ。テオは笑った。

「かなり楽しんだみたいだな。」
「伝統舞踊と違って作法を気にせずに踊れましたからね。」

 テオは大統領警護隊の本部内での生活を知らなかったが、ギャラガと親しくなってから、時々”ヴェルデ・シエロ”の若者達の軍隊生活を知る機会が出来た。それまで文化保護担当部のメンバーは誰も本部内の様子を教えてくれたことがなかったのだ。基本的に警備班の交替制勤務が本部の生活の中心で、上層部もそれぞれ担当している班のシフトに合わせて業務に就いているとか、季節の行事はちゃんとそれぞれの出身部族の仕来りに従い、時間を与えられて部族毎に行うとか、その行事の中で若者にはちょっと恥ずかしい伝統舞踊を習わなければならないとか、そう言う類だ。メスティーソの隊員は父親か母親の出身部族の行事に参加させられるのだが、ステファン大尉は絶滅したグラダ族の父と母を持つのでどの行事も不参加だ。ギャラガは母親からブーカ族だと聞かされていたのでブーカ族に参加しているが、多種の血が入っているので本人はあまり馴染めない。大尉の様に免除して欲しいなぁと思っている訳だ。ケツァル少佐はグラダ族だ。養父はサスコシ族だがその養父は伝統的でない家で育ったので、少佐もサスコシ族には参加しないで、暦に従って祈ったり瞑想に耽ったりしているだけだと言う。

「伝統舞踊は気に入らないかい?」
「だって・・・」

 ギャラガは顔を赤らめたまま、そっと声を顰めた。

「殆ど裸になって変身する迄踊るんですよ。」

 半年前までナワルを使えなかった彼は、それ迄太鼓を叩いたり、マラカスを振る役目だった。変身出来ない”出来損ない”の役目だが、正直なところ、彼はそっちの方が良かったのに、と悔やんでいた。
 テオはちょっと意外に思った。

「君はエル・ジャガー・ネグロだろ? グラダとして少佐の祈りに参加すれば良いじゃないか。カルロだって同じだ。見物なんかしていないで、君達でグラダ族の行事をやれば良いんだ。」
「グラダ族の行事なんて誰も知りませんよ。」

とギャラガが苦笑した。

「名前を秘めた女性ですらご存知ないのですから。」


第3部 隠れる者  3

 ライブラリーのドアをサイスが開けると、マネージャーが苛々とリビングの中を歩き回っていた。彼はピアニストが出て来ると、駆け寄り、早く食事を済ませろと言った。

「今日は夜まで食べる暇がないかも知れない。早く食事を済ませて着替えろ。」

 そして客を憎々しげに見た。テオと少佐は心の中で苦笑しながら、暇を告げて家の外に出た。デルガドを連れて道に出ると、ギャラガが角の向こうに駐車していたテオの車で迎えに来た。

「シティホールへ行きましょう。」

と少佐が言ったので、テオは尋ねた。

「オルティスのアパートに行かなくて良いのか?」
「行っても意味がありません。」

と彼女は言った。

「恐らく彼女はアパートにいないでしょう。大統領警護隊が彼女の話を鵜呑みにすると思っていない筈です。昨日のうちに身を隠したと思います。」
「彼女はピアニストを狙っているのでしょうか?」

とギャラガが運転しながら尋ねた。しかし少佐はセルバ流に答えただけだった。

「彼女に訊かなければ分かりません。」

 デルガドはポケットの中の携帯電話が沈黙しているのが気になっていた。アスクラカンへ行ったステファン大尉が何かを掴んだら連絡を寄越す筈だ。時間的にはもうアスクラカンに到着して、ケツァル少佐の養父の遠縁の人に会っている頃だ。
 テオはサイスについていなくても大丈夫なのだろうかと心配していた。サイスはボディガードを雇っていない様だ。ハイメと言う男はボディガードにしては強そうに見えなかった。恐らく運転手か付き人なのだ。だが屈強なボディガードでも、相手が”ヴェルデ・シエロ”ならいないのも同じだ。

「少佐、こうも考えられないか?」
「何です?」

 少佐は眠たそうに見えた。普通日曜日は自宅でのんびり機関銃の手入れをしている人だ。休日に早朝から他人の心配をして走り回るのはくたびれるのだろう。テオは彼女を寝かせまいとして喋った。

「自称ビアンカ・オルティスは”砂の民”だとしよう。そしてロレンシオ・サイスの父親の親族が、サイスのコンサートを何処かで生で聞いて、サイスが気を放出していることに気が付く。親族はそれが一族にとってどんなに危険な行為か理解しているので、家長に報告する。 家長が身近にいた”砂の民”のオルティスにサイスの処分を命じる。オルティスはサイスを粛清する為に近づいたが、まだ若いのでなかなか要領を得ない。何度かコンサートに通ううちに、彼女はサイスのファンになってしまう。彼女は彼を守りたいと考え、大統領警護隊に嘘の証言をする。」
「守りたいのなら、どうして彼にドラッグを許したのです?」

 麻薬組織の摘発を最近したばかりのギャラガが質問した。テオは考えた。

「彼女は俺達に、彼女が席を外した間にサイスがドラッグをやってしまったと言った。」
「彼女はそのパーティーの常連なのですか?」
「いや、初めて参加した様なことを言った。サイスの父親と出身地が同じだから呼んでもらえた、と・・・」

 デルガドが「失礼」と遮った。

「自称オルティスは”操心”でパーティーに潜り込んだのではないですか? サイスの能力がどの程度のものなのか、確認する為に彼女が麻薬を持ち込み、他の人間を酔わせてサイスの心のタガが外れるのを観察していたとか・・・」

 流石に大統領警護隊遊撃班のエリートだ。発想が普通の人と違う。彼は運転しているギャラガに声を掛けた。

「向こうの角で降ろしてくれ。私は女のアパートを調べて来る。」

 彼はケツァル少佐の直属の部下ではない。だから文化保護担当部の指図は受けない。彼は少佐に顔を向けた。

「緊急の事態さえなければ、後でシティホールで合流させて下さい。連絡は携帯でよろしいですか?」
「俺の電話にかけてくれ。」

とテオが素早く言った。少佐は部下以外の電話の呼び出しをよく無視する。
 少佐は頷いてデルガドに了承を伝えた。そして彼が車から降りる時、一言注意を与えた。

「気をつけなさい、相手はピューマです。」

 しかしマーゲイの若者は怯むことなく微笑んで素早く立ち去った。


2021/10/20

第3部 隠れる者  2

  ロレンシオ・サイスの家のライブラリーは防音仕様になっていた。書斎と言うより音響を楽しむ為の部屋だ。サイスは客を中に入れるとドアを閉じて中から施錠した。
 テオは棚に収録されているレコードやC D、D V Dなどを眺めた。どれもピアノやジャズの媒体だった。サイスはこの部屋で他人の演奏を聴いて勉強しているのだろう。
 ケツァル少佐は興味なさそうだ。そう言えば彼女が何か音楽を聴いているのを見た記憶がないな、とテオは気がついた。彼女はいつも風の音や小鳥や虫の鳴き声を聴いている。聴いて敵が接近して来ないか警戒しているのだ。どんな時でも。
 サイスが客に向き直った。英語で尋ねた。

「ジャガーを追跡されているのですね?」

 と彼が尋ねたので、テオは正直に言った。

「追跡は大統領警護隊遊撃班の仕事で、俺達は遊撃班の手伝いをしている。申し遅れたが、俺はグラダ大学生物学部で遺伝子分析の研究をしている。遊撃班が採取したジャガーの体毛と血痕を分析した。」
「血痕の分析・・・」
「何処か怪我をしたんじゃないか? 有刺鉄線で引っ掛けただろう?」

 サイスが不安でいっぱいの暗い目で彼を見た。

「僕がジャガーだと考えていらっしゃるのですか?」
「違うのかい?」

 テオに見つめ返されて、サイスは目を逸らし、ケツァル少佐を見た。少佐は彼の目を見たが、感じたのは恐怖と不安感と孤独感だけだった。彼女も英語で尋ねた。

「変身したのはあの月曜日の夜が初めてだったのですか?」
「僕は・・・」

 サイスが床の上に座り込んだ。

「何が起こったのか、わからないんです。バンド仲間やファンクラブの人達とパーティーをして、調子に乗ってドラッグに手を出しました。クスリをやったのは初めてです。本当です、信じて下さい。」
「私達は貴方の薬物使用を咎めに来たのではありません。私の質問に答えて下さい。変身を何回経験しましたか?」

 サイスが震える声で答えた。

「1回です。あの時が初めてです。」
「あれから変身していませんね?」
「していません。どうやって変身したのかも覚えていません。本当に変身したのか、自分の記憶も混乱しているんです。でも、家に帰った時、僕は裸で何も身につけていませんでした。脇腹に引っ掻き傷があって、鏡を見たら、僕の目が・・・」
「ジャガーの目だった?」

とテオが声を掛けた。

「金色の目をしていたんだね?」
「はい・・・ドラッグのせいで幻覚を見ているのだと思いました。だけど、家に帰って来る時の身軽さと爽快感は覚えていて・・・」
「ナワルを知っているかい?」

 サイスがこっくり頷いた。

「ファンクラブの人がパーティーの時に話していました。古代の神官や魔法使いが動物に化けるのだと・・・」
「ファンクラブの人がね・・・」

 テオと少佐は顔を見合わせた。ドラッグパーティーにナワルの話など出すか、普通? とテオが心の中で呟くと、少佐がまるで彼と”心話”が通じたかの様に言った。

「不自然な話題の出し方ですね。その話をしたのは女性ですか?」

 サイスがちょっと考えた。そして再び頷いた。

「そうです、生粋のセルバ人で、綺麗な人でした。コンサートの客席で何度か見かけましたが、話をしたのはあの夜が初めてでした。」
「ビアンカ・オルティス、彼女はそう名乗りませんでしたか?」
「名乗ったかも知れませんが、覚えていません。正直なところ、僕は自分の身に起きたことで混乱して、あの夜のパーティーのことは漠然としか思い出せないのです。」
「記憶が曖昧なのはドラッグの影響でしょう。」

 少佐が時計を見た。

「貴方のマネージャーが苛ついています。私達はここで切り上げます。」
「あの・・・」

 サイスが立ち上がってテオの腕に手を掛けた。

「僕に何が起きたのか、ご存知なのでしょう? 助けて下さい。誰にも相談出来ないんです。大統領警護隊がジャガーを探していると言う噂を家政婦から聞いて、捕まるんじゃないかと恐ろしくて堪らないのです。」
「それで昨日まで家に閉じこもっていた?」
「はい・・・」

 勿論、サイスをこのまま放置しておくつもりはないテオと少佐だ。少佐が名刺を出した。

「私の連絡先です。平日は文化・教育省にいます。いつでもいると言う訳ではありませんが、職員に伝言を残して下されば、こちらから接触します。それから、今日のコンサートですが・・・」

 少佐はサイスの目をグッと見つめた。サイスがその眼力にたじろぐのをテオは感じた。少佐が微笑んだ。

「頑張って下さい。成功を祈ります。」



第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...