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2024/09/25

第11部  石の目的      32

 グラダはグラダを見分ける。

 これは、ステファン大尉が大統領警護隊に入隊して間もない頃に、ケツァル少佐が彼の存在に気づいたことに対する上官の言葉だった。少佐は特に特別なことを彼から感じ取った訳ではない。ただ「気になった」のだった。だから、ステファン大尉その人から、グラダを祖先に持つ人の見分け方を訊かれても答えられなかった。だから、大尉は結局手ぶらで帰ってしまった。
 2人きりになると、テオは少佐に尋ねた。

「ケサダ教授の息子は神殿から狙われているのだろうか?」
「狙われると言う言葉は少し過激ですが・・・」

 少佐はグラスにブランデーを注いで、テオに一つ手渡した。そして彼女はソファに座ったが、彼は立ったままだった。

「”名を秘めた女”はあの赤ん坊の誕生を感じ取ったのでしょう。大神官の能力を持った男性を手元に置きたいと彼女が思うのは無理もありません。彼女を守り、支える重要な役割ですから。」
「だが、親子ほどの年齢差だね。」
「スィ。でもその方が良いのです。今のママコナが代替わりした時に大神官がまだ若ければ、新しいママコナを導けます。」
「だが、ケサダ教授は息子を神殿に渡したくないだろう。」
「当然でしょう。一生を神殿に縛り付けられるなんて、現代人なら誰でも御免ですよ。」
「だが、ママコナは諦めないだろうな。」
「5年間、見つからなければ大丈夫です。」

 少佐は琥珀色の液体を口に含んだ。テオはまだグラスの中の液体を手の中でくるくる回すだけだった。

「ムリリョ博士にこの件を伝えるべきだろうか?」
「伝えてどうなります?」

 少佐が冷ややかに言った。

「何も起こりませんよ。そっとしておくのが一番です。それより心配なのは・・・」

 彼女はテオを見上げた。

「フィデルが余計な能力を披露しないか、それだけが気がかりです。あの方はクールですが、時々やんちゃな面も見せます。」
「恐らく、そのやんちゃな面が彼の本当の性格なんじゃないかな。普段は身の安全のために大人しくしているだけなんだ。」

 テオは、怒らせると首都を一人で壊滅させられる、と言われる能力を持った男を思い、少し憂鬱になった。

2024/09/20

第11部  石の目的      31

 「あの石、”サンキフエラの心臓”は”ヴェルデ・シエロ”には効かないんだよな? だけど、神官はそれの効能を大統領府厨房スタッフで試した。もしかして、”シエロ”には効かないって知らないんじゃないのか?」
「神官に知らないことがありますか?」

と質問してから、ステファン大尉は怪訝な顔をしてテオを見た。

「”サンキフエラの心臓”って何です?」

 それでケツァル少佐が弟の目を見て”心話”で説明した。一瞬で伝わった情報に、大尉が目を丸くした。

「そんな石が実在するのですか! しかも、あのフレータ少尉がその石の本当の使い方を知っているとは・・・」
「大統領府厨房での事件は知っているだろ?」

とテオが念を押すと、大尉は肩をすくめた。

「噂は聞きましたが、私の部署では直接関係ない事案だったので、誰も関心を持ちませんでした。」
「呑気だなぁ・・・」

 テオは己に関係ないことに首を突っ込まないと言うセルバ人気質に呆れた。まぁ、アメリカ人だって中国人だって、ロシア人だって、世界中同じだろうけど。

「神官の誰かが体調を崩して、偶然手に入った”サンキフエラの心臓”を試してみたが効果がなかった、本当の”サンキフエラの心臓”なのか確認するために厨房スタッフに軽い毒を盛って実験した。その一方で新しい神官を養成する為に、適任の子供を探すことにした・・・」

とステファン大尉が己の推理を語った。テオもその考えを否定出来なかった。

「”サンキフエラの心臓”が”ヴェルデ・シエロ”にも効けば問題なかったのかも知れない。それにしても、どうして今頃グラダの子孫を探すんだ?」

 するとケツァル少佐は急に険しい表情になった。

「もしかすると、”名を秘めた女性”はグラダの血を引く男の子の誕生を察知したのかも知れません。」
「えっ!」

 テオは驚き、ステファン大尉はキョトンとして彼女を見た。少佐が続けた。

「”名を秘めた女性”はその子がどこに生まれたのか分かっています。でも親の名前を神官達に教えたりしません。彼女が知っているのは、親の真の名前で俗世の名前ではないからです。だから神官達は、グラダの血を引く子供が生まれたと彼女に教えられても、その子がどこにいるのか分からないのです。」

 ステファン大尉は4分の3グラダの男だ。しかし彼は残りの4分の1の中に白人の血が混ざり、他の種族の血も入っている。だから当時のママコナに無視された。それに彼の父親が一族を敵に回して戦っている最中だった。謀反人の子として生まれたのだから、大神官の候補にならなかった。

「その子は、グラダの血を引く純血の”ヴェルデ・シエロ”なのですね?」

と姉に言った。テオは黙っていた。どの子か彼は知っている。しかし、それを公にすれば、その子の父親の秘密が暴かれてしまう。そしてその父親を守ってきた家族にも累が及ぶ。

「グラダの血を引いていなくても、立派な神官になれるだろう?」

とテオは言った。

「今まで、そうだったんだから。」


2024/09/18

第11部  石の目的      30

 「神官と言うのは、どうすればなれるんだい?」

 テオが質問すると、ケツァル少佐とステファン大尉は顔を見合わせた。2人ともよく知らないんじゃないか、とテオはふと思った。 ”ヴェルデ・シエロ”社会は秘密主義が多い。一族の中でも知らないことの方が多いようだ。ましてや、この姉弟はそれぞれ親が幼い頃に死亡して、一族のしきたりをよく知らない養親や片親によって育てられた。彼等に訊くより、名門育ちのロホに聞いた方が早いかも知れない。

「聞いた話では・・・」

と少佐が始めた。

「昔は神官の資質を持つ幼い男の子を親から引き離し、神殿で育てたそうです。そしてその中で一番神の声を聞ける男の子が大神官に選ばれたと言います。」
「それはグラダ族がまだ生きていた時代だね?」
「スィ。グラダがいなくなってからは、各部族から、同様にして男の子を選び、神殿に集めて教育しました。大神官はいないので、神託を聞ける人はおらず、政の決定は彼等の合議で決めたようです。勿論、ママコナも同じで、グラダ以外の部族の女の子が連れて来られましたが、彼女達の場合は、先のママコナが亡くなってから最初に生まれた子供と決まっていました。ママコナは先代の心を受け継ぎ、ピラミッドの力の下で従者によって教育されました。」
「それは現代も続いています。」

とステファン大尉が付け加えた。

「私は神官候補の若い見習いを2人知っています。サスコシ族の少年達で、いずれ彼等のどちらかが神官に選ばれ、残った方は従者になって神殿に残るか故郷に戻って部族の政治に関わることになるでしょう。若くても長老会のメンバーになります。」
「するとアイオラ少尉は複数の候補者を探さないといけないのか?」
「スィ。ただ純血種の中からグラダを遠い祖先に持つ5歳未満の男の子となると、全国を探しても数はいないでしょう。」
「君たちそのものの人口は少ないからな。下手すると、全国の5歳未満の純血種の男の子全員を神殿に連れて行く羽目になりかねない。」

 そうなると、ケサダ家の赤ん坊も連れて行かれてしまう。

「何故、今、子供が必要なんだ? 誰か神官が引退するのか?」

 少佐がちょっと考えた。

「私は神官全員を知っている訳ではありませんが、後継者が必要な年齢の方は居られないと思います。」

 するとステファン大尉が何かを思いついた。

「誰か、お体を悪くされているのではありませんか?」

2024/09/13

第11部  石の目的      29

 「遠い祖先にグラダがいるかどうかなんて、D N A分析でもしなけりゃ、わからないだろう。」

とテオは断じた。

「それに純血種のブーカと名乗っていても、実際はグラダの因子を持っていたかも知れない。」

 ケツァル少佐がステファン大尉に尋ねた。

「アイオラ少尉はグラダの子孫を見分ける方法を知っているのですか?」
「知るわけありません。」

とステファン大尉がぶっきらぼうに答えた。

「彼は私がグラダだと知っていますが、彼と私の違いなんて気の大きさの違いでしかわからないんです。それはどの隊員も一緒ですし、私も同じです。これが出来ればグラダだ、なんて決定要因なんて誰も知らないのです。」
「私も知りません。」

と少佐は困った表情でテオを見た。

「時々長老達から、グラダだからお前はこれが出来た、わかった、とか言われますが、それは結果論で、最初から私に何か試そうとかさせようと言うものではありません。他の部族の人に出来なかったことが出来たからグラダだ、と評されるのです。」
「その少尉が探す相手は5歳未満の子供だろ?」

とテオ。

「子供に危険な試験を受けさせられないし、試験対象の子供が何人いるかもわからない。サハラ砂漠で砂粒に見えるガラス片を探せ、て言われているみたいだ。」
「ですから、ルークは私にグラダを見分ける方法はないのかと訊いて来たのです。」

 ステファン大尉はアイオラ少尉の助けになることはないのか、と探しているのだ。しかしケツァル少佐は別の疑問を考えていた。

「何故今頃になってグラダの血を神官に迎えようと言うのでしょう。ミックスの子供は大神官になる素質がないのに。」
「大神官はグラダだけだったね?」
「少なくとも半分グラダの血が必要です。」

 再びテオはフィデル・ケサダ教授の息子を脳裏に浮かべた。教授はまだ息子を外にお披露目していないが、あの赤ん坊は確実に半分グラダだ。残りの半分はブーカより力が弱いマスケゴだが、グラダの血がカバーしてくれるだろう。しかし、ケサダ教授夫妻は息子を大神官などにしたくない筈だ。
 テオはケサダ家の秘密を頭から払拭するために、ステファン大尉を揶揄った。

「神官は君が結婚して男の子を儲けることを考えていないんだな?」

 ステファン大尉がムッとした。

「私は自分の子を神官にしたくありません。」

 神官と言う職は、ケツァル少佐にもステファン大尉にも因縁の地位だ。2人の父親シュカワラスキ・マナは大神官になるべく教育され、結局それを嫌って逃亡し、一族を敵に回してたった一人で戦う羽目になったのだ。彼に掛けられた殺人容疑はその後冤罪だと判明したが、一族を混乱させ、関連する出来事で死者を出した責任は重く、少佐と大尉の姉弟にもその影響はまだ残っている。純血のグラダでもケツァル少佐は今より上の階級に昇ることが難しいし、ステファン大尉も他の隊員より出世に数倍の困難と努力が必要だ。

「神官の意図がどこにあるのか、知りたいね。」

とテオは呟き、少佐と大尉も頷いた。

2024/09/12

第11部  石の目的      28

 カルロ・ステファン大尉は話を続けた。

「ルーク・アイオラ少尉は半日ほど神殿にいて、戻って来ました。彼は戻ったことをセプルベダ少佐に報告しましたが、神殿に呼ばれた要件は口止めされているとかで語りませんでした。」
「でも、君には言ったのか?」

とテオはつい口を挟んでしまった。ケツァル少佐にちょっと睨まれたが、性分だから仕方がない。ステファン大尉は頷いた。

「ルークは”心話”では伝えられないと言って、言葉で私に相談して来ました。理由は、私が彼と同じミックスだからです。」

 大尉はテーブルに置かれたグラスから水を一口飲んだ。

「彼は神殿から・・・と言うより、ある神官から命令を受けました。5歳未満のグラダの血統を持つ男児を探し出せ、と言うものです。」

 その言葉に、少佐とテオは思わず顔を見合わせた。グラダ族は古代に絶滅した。現在生きているグラダ族は、他部族との混血の子孫達が近親婚を繰り返して人為的に生み出した純血種とそれに近い人々で、テオと少佐が知る限り全部で11人だけだ。純血種は、ケツァル少佐と表向きはマスケゴ族を名乗っているフィデル・ケサダ考古学教授の2人だけだし、ステファン大尉と妹のグラシエラ・ステファンは4分の3グラダ(推定)、カルロとグラシエラの母親カタリナは4分の1ほどだ。アンドレ・ギャラガ少尉はさまざまな部族と人種が混ざり合って記録にない薄いグラダの血が能力を発現させた奇跡の存在だし、ケサダ教授の子供達5人は父親同様表向きはマスケゴ族の、マスケゴ族とのミックスだ。ただ・・・

「ケサダ教授の息子はまだ1歳だよな・・・」

 テオの言葉に、ステファンが不思議そうな顔をした。

「ケサダ教授の息子?」

 ケツァル少佐は思いっきりテオの足をテーブルの下で蹴飛ばした。ケサダ教授はグラダ族であることを、ステファン大尉は知らないのだ。姉のケツァル少佐は、出自を秘密にしたい教授の意向を汲み取って、彼女の弟妹には教えていなかった。
 ステファン大尉は姉と親友が何か隠していると感じたが、取り敢えずそれは傍に置いておくことに決めた。

「ルークが探せと命じられたグラダの子孫と言うのは、主にブーカ族の中に混ざっている遠い祖先にグラダを持つ子供と言う意味です。」
「それはつまり・・・」

 ケツァル少佐が視線を天井に向けた。

「新しい神官にする子供を探せ、と言う意味ですね?」
「スィ。しかし、今迄神官にする子供は、各部族の旧家から選出していました。その部族の純血種と言う意味です。それが、何故今回に限ってグラダなのか、ルークは疑問に思っているのです。純血種のブーカ族ならいくらでもいるのに・・・」


2024/09/06

第11部  石の目的      27

  その夜、テオとケツァル少佐が彼等のコンドミニアムで夕食を取っていると、少佐の電話にステファン大尉が電話をかけて来た。最近遊撃班の副指揮官の仕事が忙しいのか、姉にも文化保護担当部の友人達にもずっと沙汰無しだったので、少佐はちょっと驚いて、画面に表示された大尉の名前をテオにちらりと見せた。普段はそんなことをしないので、テオも大尉が久しぶりに電話をかけて来たことを意外に思った。
 少佐は電話に出て、ちょっと弟の言葉を聞いていたが、やがて短く命令口調で言った。

「こちらへ来なさい。出て来られないのでしたら、明日、こちらからそっちへ行きます。」

 大尉が何か言い、少佐は「了解」と答えて、通話を終えた。そしてテオを見た。

「カルロがこれからここへ来ます。何か相談したいことがあるようです。」
「俺は向こうへ行っていようか。」

 テオが気を利かせて言うと、彼女は首を振った。

「ここにいてください。貴方に言えないことなら、私は彼の相談に乗りたくありません。碌なものじゃないでしょうから。」

 本部を出て相談に来るのだから、きっとややこしい碌な案件じゃないだろう、とテオは思った。
 カーラは帰った後だったので、テオと少佐は手分けして食卓を片付けた。食器を片付けてコーヒーを淹れたところへ、ドアチャイムが鳴った。少佐がインターフォンに言った。

「入って来なさい。」

 ステファン大尉はコンドミニアムの正面フロアの解錠番号を知っているので、既に2人が住んでいる最上階に上がって来ていた。ドアが開いて、大尉が入って来た。上半身は私服のTシャツで下は迷彩柄のパンツだ。テオがいるのを見て、少し躊躇ったが、テーブルの上に3人分のコーヒーが用意されているのを見て、決心したように室内に入った。

「こんばんは。突然お邪魔して申し訳ありません。」

 少佐は無駄な挨拶をしなかった。

「用件は?」

 ステファン大尉は空いた席に座った。

「部下が神官から奇妙な命令を受けまして、困って私に相談に来ました。」

 相談の相談か・・・テオは黙って大尉の顔を見つめた。少佐も黙って大尉が話を続けるのを待った。ステファン大尉はどこから話そうかとちょっと躊躇してから、語り出した。

「遊撃班に私以外に一人、ミックスの隊員がいます。8分の1アケチャ族のルーク・アイオラ少尉と言うブーカの若者です。能力的には純血種と変わらない優秀な男です。そのルークが2週間前に神殿に一人だけ召喚されました。セプルベダ少佐を通してですが、少佐は何故彼だけが神殿に呼ばれたのか理由をご存知ありません。ですから、ルークが何か神殿を冒涜するような粗相でもしたのかと心配されました。」


2024/09/04

第11部  石の目的      26

「その”サンキフエラの心臓”と呼ばれる石ですが・・・」

 テオは微かに抱いていた疑問を初めて口に出した。

「”ヴェルデ・シエロ”には効かないと聞きましたが、それは”ツィンル”限定でしょうか? それとも遠い祖先に”ヴェルデ・シエロ”がいる現代の”ティエラ”にも効果はないのでしょうか?」

 ウイノカ・マレンカがピクリと眉を動かした。

「ミックスに効果があるかないかと言うことですか・・・」

 彼は腕組みした。

「うーん・・・うっかりしていました。そこまで我々は考えていなかった。」
「厨房スタッフは全員”ティエラ”だと聞きましたが、純血の”ティエラ”だったのでしょうか。」
「それが問題です。」

 彼は腕を解いた。

「少なくとも一族と認められた人がスタッフに入っていたのかどうか、確認していないと思います。採用する時に出自まで詳細に調べたりしません。その人自身の過去の履歴や人柄、料理の腕前を見るだけだと思います。先祖を遡って調べるなど・・・」

 彼はテオに正面を向けた。

「貴方の言葉で、犯人の目的が一つ分かったような気がします。」
「石の効果がミックスにも効かないのか、どの程度の血の濃さまで駄目なのか、調べたかった・・・」
「それがどう言う意味があるのか、まだ分かりませんが、私はこれから神殿に戻って、厨房スタッフの身元をもっと詳細に調べてみます。」

 ウイノカ・マレンカはテオに丁寧に別れの挨拶をして、素早く駐車場の片隅に置いてあった自転車に乗ると走り去った。 

2024/09/03

第11部  石の目的      25

 「つまり、文化保護担当部にも伝えると言う前提で、話してくれと言うことですね。」
「誰から聞いたとは言いません。」

 テオの言葉にウイノカ・マレンカはちょっと黙り込んだ。テオに語り、それが文化保護担当部に伝わることによって起きるかも知れないリスクを想像しているのだろう、とテオは予想した。
 1分後、ウイノカ・マレンカがふーっと息を吐いた。

「わかりました。弟達の口の固さは認めます。だが、最初はケツァルだけに話してください。」

 ケツァル少佐なら部下に話すか話さない方が良いか正しく判断出来るだろうと言うことだ。テオは「約束します」と答えた。ウイノカ・マレンカは頷いた。彼は駐車場の中を見回してから、言った。

「”サンキフエラの心臓”を持ち出した警備隊員は、石をアスマ神官から渡されたと言いました。」
「アスマって・・・少佐が石を預けた神官ですよ。」
「スィ。少佐から石を預けられた時、アスマ神官は宝物庫に石を納めると言ったのですが、もし本当にそうしたのなら、我々神殿近衛兵の立ち合いの下で宝物庫を開いた筈です。しかし私の同僚も私も誰もそんな指図を受けていないし、アスマ神官と宝物庫に行ってもいません。」
「つまり、その神官は石を宝物庫に納めなかった・・・。」
「個人的に持っていたと思えます。恐らく他の神官は”サンキフエラの心臓”の報告も受けていないのではないか、と我々は現在考えています。」
「神官達はまだ戻らないのですか?」
「まだ戻りません。こちらから連絡を取ることは許されていません。」
「大統領府の厨房スタッフが毒を飲まされたのは、神官が出かけた後ですか?」
「スィ。ですから、毒を仕込んだのは警備隊員ではないかと疑われたのですが、彼はただ石で病人を手当てしただけでした。アスマ神官から石を渡された時、使い方を教えられ、『必ず近日中に必要になる』と告げられたそうです。」

 テオは考え込んだ。大昔なら、それでアスマ神官は未来を予言して的中させた、と尊敬を集めたかも知れないが、現代人は彼が何らかのトリックで事件を引き起こしたと考えるのが妥当だろう。そしてアスマ神官もその程度の予想はついた筈だ。

「それで、毒を仕込んだ人間はまだわからないのですか?」
「神官が戻って来ないことには、調べようがないのです。」

 ウイノカ・マレンカは溜め息をついた。

「毒が入っていたクラマトの瓶は中古の使い回しでした。」

2024/09/02

第11部  石の目的      24

  テオが夕刻、帰り支度をして大学の職員用駐車場に行くと、彼の車にもたれかかっている男性がいた。テオはその体型に見覚えがあったので、「こんばんは」と声をかけた。サングラスをかけたその男性は、グラスをちょっとだけずらして彼を見た。

「こんばんは、ドクトル。私だとお分かりなのですね。」
「一応一度会った人は記憶しますから。」

 テオはその人物のそばへ行った。相手はロホの兄、ウイノカ・マレンカだ。

「分析結果を聞きに来られたのですね?」
「スィ。連絡方法を貴方に伝えるのを忘れていましたね、うっかりしていたので、少し焦りました。もし貴方が私のことを弟に話したら・・・」
「大丈夫、口外していません。」

 テオは鞄からクリアファイルを出した。ウイノカ・マレンカから預かった吐瀉物とカダイ師から買ったカロライナジャスミンの粉末の分析結果だ。

「毒物を生成した植物の産地は特定出来ませんでしたが、全く同一の成分の薬剤を製造販売している人は見つけました。」
「をを!」

 ウイノカ・マレンカがテオの想像以上に喜んで彼の方に身を近づけた。

「それは、民間で作られていたのですか? それとも特殊な立場の祈祷師とか・・・」
「民間の薬屋です。恐らく、大統領警護隊の人々はご存じだと思います。」

 テオの言葉に、彼はちょっと考え込んだ。彼が知っている薬屋を数軒思い起こそうとしているのだ。テオはあっさり答えを教えてやった。

「アケチャ族のカダイ師と呼ばれる人です。」
「ああ・・・」

 ウイノカ・マレンカは気が抜けた様な息を吐いた。

「間違いないのですね?」
「スィ、成分が見事に一致しました。カダイ師が薬を作る時に混ぜた炭の粉の成分も同じでした。」

 ウイノカ・マレンカは自分の額をピシャリと手で叩いた。

「そんな近くに・・・それで、カダイ師は、その薬を誰に売ったのか教えてくれましたか?」
「残念ながら、記憶を消されていました。」

 テオはデネロス少尉が聞き出したカダイ師の言葉をそのままウイノカ・マレンカに告げた。ロホの兄は溜め息をついた。

「確かに、一族の人間の仕業ですね。恐らく、”サンキフエラの心臓”の効果を試す為に薬を飲み物に仕込んだのでしょう。大統領府の厨房スタッフが毒を盛られたのは、その場所が石を持ち出して使うのに適当だと思われたからで、大統領を狙ったとはまだ言い難いです。」

 テオは質問した。

「石を持ち出した警備班の隊員は何か喋ったのでしょうか?」
「知りたいですか?」

 ウイノカ・マレンカが微かに口元に笑みを浮かべた。ケツァル少佐でも知ることが出来ない司令部の秘密事項を、この男は知っているのだ。テオは「スィ」と答えた。

「あの石は、元々文化保護担当部の仕事だったのです。俺は彼等に何も教えないと言う司令部の決定に納得出来ません。」

 

2024/08/30

第11部  石の目的      23

  植物園で採取させてもらったカロライナジャスミンの葉、ウイノカ・マレンカから託された小瓶の中の吐瀉物と皮膚片、そしてカダイ師の店で買った”スンスハン”の粉末をテオは分析に取り掛かった。薬屋の粉末はD N Aが破壊されているのではないかと危惧したが、成分は細部に至るまで分析出来た。それは吐瀉物から抽出出来た毒の成分とピッタリ一致した。吐瀉物から抽出出来たD N Aから人間のD N Aを除外し、植物成分のものだけを出す。フル回転で仕事をするテオを助手達は呆気に取られた様に眺めていた。


 アルスト先生が真面目に研究している時は、きっと大統領警護隊が絡んでいる。

 彼等はテオの邪魔をしないように研究室にかかってくる電話や、学生からの問い合わせに彼等自身で対処した。テオの一番弟子を自認するアーロン・カタラーニ助手は、テオの授業も引き受けた。彼も博士号を取得したので、そろそろ独立した研究室を持たせたいとテオは思っている。しかしカタラーニはテオのそばで研究するのが面白いのだ。いつも突拍子もない事態が起きて、研究室から外に飛び出せる。
 カタラーニはテオから大統領のガーデンパーティーに招待されている人は誰だろうと疑問を投げかけられた時、調べろと言う指示でもなかったのに、積極的に調べた。彼が2日後に提出したレポートを見て、テオは眉を寄せた。

「外国に出ている大使や領事ばかりじゃないか。全員を帰国させてパーティーをするのかい?」

 カタラーニは外務省で働いている親戚の説明を聞いていた。

「大統領の誕生日が来来月ですが、その前倒しで、各国の大使館が暇な期間に外交官だけ呼んで祝うみたいです。他の省庁のお偉いさん達は、本当の誕生日に別の盛大なパーティーで集まるとか・・・」

 彼は肩をすくめた。

「国の税金の無駄遣いですよ。 僕は、今の大統領は好きじゃありません。次の選挙は彼に絶対入れない。」

 テオは今迄セルバ共和国の政治家とは距離を置いていたし、選挙に行ったことがなかった。と言うより、彼が亡命して来て、まだ国政選挙は一度も行われていなかったのだ。亡命者に選挙権があるとも思えなかった。
 テオはリストを眺めた。ケツァル少佐の養父ミゲール・アメリカ担当全権大使も入っていた。

「もし、パーティーで外交官達に何かあったら・・・」
「大統領の権威の失墜ですね。」

とカタラーニが笑った。


2024/08/26

第11部  石の目的      22

「”ヴェルデ・シエロ”が毒の粉を買った・・・?」

 ケツァル少佐が綺麗な眉を寄せて不快そうな顔をした。デネロス少尉がカダイ師の言葉を”心話”で伝えると、溜め息をついて彼女は頷いた。

「そう考えるしかなさそうですね。」
「だが、”サンキフエラの心臓”を神殿の宝物庫から持ち出した警備兵が犯人ではないだろう?」

とテオが訊くと、彼女は首を振った。

「司令部から私には何の情報も来ません。でも一介の隊員があの古代の石の存在や役目を知っていたとは思えません。それに宝物庫に近づくことも不可能です。」
「それじゃ、神官か巫女が犯人か?」
「巫女は宝物庫を開く鍵を持っていません。無断借用も出来ない筈です。」

 デネロス少尉が憂い顔になった。

「神官が犯人なのでしょうか。でも、どうして?」
「神官達は出かけているんだってな?」

 テオが言うと、少佐は小さく頷いた。

「神託を得る為に、秘密の場所にお出かけです。」

 テオはちょっと意地悪く言った。

「まさか、”暗がりの神殿”じゃないだろうな。」

 少佐は彼の言葉を無視した。デネロスに顔を向けて言った。

「今回の仕事内容はキロス中尉には言ってはなりません。」
「承知しています。」

 デネロスは軍人の顔でキリッと言い切った。

「彼は我々にとっては部外者ですから。」

 きっと遊撃班でも文化保護担当部は部外者だと思っているだろう。テオは粉の分析を早くしたかったので、大学に戻ろうと思った。

「俺は午後の仕事があるから、研究室に戻る。もし何か情報があれば俺から連絡するし、そっちも教えてくれないか。」

 すると少佐が彼を横目で見た。

「貴方も隠し事はなさらないでくださいね。」

 え? とテオはドキリとした。ウイノカ・マレンカとの秘密の約束がバレたのかと思ったが、平静を装った。

「隠し事なんてないさ。」

 彼はそれじゃ、と文化・教育省の駐車場から車で走り去った。 

2024/08/16

第11部  石の目的      21

  マハルダ・デネロス少尉はカダイ師から植物由来の美容液を購入した。テオが店で香を嗅がせてもらうと、甘い爽やかな匂いがした。

「良い香りだが、男より先に虫が寄って来ないか?」

と余計な心配をして、デネロスを笑わせた。
 車に乗り込むと、2人は文化・教育省へ向かった。車内でテオは彼女にファビオ・キロス中尉との交際はどこまで進んでいるのかと尋ねた。実はケツァル少佐とロホから頼まれていたのだ。2人共彼女の上官だから、部下の恋愛状況が気になるし、妹の様に思っているので心配なのだった。それはテオも同じだ。キロス中尉は優秀な軍人だし、誠実そうに見える。だが彼は名門の出で、ミックスで農家の娘のデネロスとの交際は親戚から何か言われるのではないか、と文化保護担当部の仲間は心配なのだった。
 デネロスは肩をすくめた。

「交際と言っても、互いの空いた時間に街で会って、カフェでお茶する程度です。互いの家族に紹介し合うところまでは行ってませんし、それぞれ別の異性の話をすることもあります。」
「普通に友達ってこと?」
「現在のところは。私が監視業務に入ると数ヶ月会えませんし、彼も特殊作戦とかになれば全く会えませんからね。それに・・・」

 彼女はニヤニヤした。

「彼と私が会っていると、最近、カルロが知ったらしいです。」

 カルロ・ステファン大尉はキロス中尉の上官で、2人が所属する遊撃班の副指揮官だ。そして元文化保護担当部の副指揮官でもあった。ステファン大尉には実の妹がいるが、デネロスのことも妹の様に可愛がっていて、彼女を泣かせる男がいたら、まず五体満足な状態で家に帰らせたりしないだろう。
 テオは興味が湧いた。

「へぇ、カルロは何か中尉に言ったのか?」
「もしマハルダが泣いていた、と言う話を耳にしたら、真っ先にお前を疑うぞ、とファビオに言ったそうです。」

 中尉ではなく、ファビオと名前を呼ぶんだ、とテオは気づいた。マハルダは一応キロス中尉を上官ではなく友達レベルで見ている。テオは出来るだけ平素を装って尋ねた。

「彼は大尉に何て言ったんだろ?」
「私も訊きました。彼は平然と答えたそうですよ、意見の相違があれば喧嘩もします、でも仲直りの方法は自分が考えます、ですって。」
「それでカルロは?」
「その言葉を忘れるなよ、って言って去ったそうです。」

 テオは笑ってしまった。ステファン大尉は他人の恋愛に首を突っ込みたくないのだ。彼自身恋愛には不器用なのだから。だがキロス中尉の人柄は彼もよく知っているだろう。恐らくデネロスより知っている筈だ。だから、ステファン大尉はキロス中尉を信じることにしたのだ。

「マハルダ」

とテオは呼んだ。

「君は大勢から愛されてるね。」


2024/08/10

第11部  石の目的      20

  民間療法士のカダイ師はセルバ共和国東海岸で一番人口が多い先住民アケチャ族のシャーマンの一人で、年齢は40代半ば、頑なにスペイン語を拒否して暮らしていると言う。恐らく耳で聞いて理解はしているのだろうが、理解出来ないふりをしているのだ、とデネロス少尉は言った。喋らないが、理解しているなら本当は喋れるのだ。だが強引にアクセスしてもひねくれるだけだから、デネロスが通訳を買って出たのだ。ケツァル少佐が協力してくれないのは、カダイ師が今回の毒薬事件に関係がないと信じているからだ。
 ラ・コンキスタ通りとメルカトール通りの交差点広場から歩いて15分ばかりの、ごちゃごちゃと古い家が建て込んだ一画に、テオは数年ぶりに足を踏み入れた。昔、ラス・ラグナス遺跡で突然開いた空間通路にカルロ・ステファン大尉が吸い込まれ、それを追跡するためにテオはアンドレ・ギャラガ少尉と共に通路に入り、地下の下水道に出た。地上に出て、ケツァル少佐に助けに来てもらうと、あまりの下水道の臭いに閉口した少佐が彼等をカダイ師の店に連れて行き、臭い消しを依頼したのだった。あれは、テオがアンドレ・ギャラガと知り合ってたった2日目の出来事だった。あの時は、まさかギャラガが文化保護担当部に引き抜かれて、そのまま親友として、仲間として付き合うことになるとは互いに思っても見なかった。
 デネロス少尉は先に電話をかけてカダイ師が店にいることを確認した。それから2人で路地を歩いて、店に入った。干した植物がいっぱい天井からぶら下げられ、棚には瓶入りの正体不明の粉や液体が陳列されていた。プーンと薬臭い匂いが充満する店だ。カダイ師は店の奥で椅子に座ってタバコを蒸していた。制服姿のデネロスを見て、立ち上がったが、それは彼女が大統領警護隊だからで、もし普通の軍人だったら座ったままだっただろう。
 デネロスとカダイ師は挨拶を交わし、それから彼女がテオを紹介した。テオが以前この店で世話になったことを伝えたいと言うと、彼女はそれも説明してくれた。カダイ師は不思議な微笑みを浮かべ、彼に頷いて見せた。ドブ臭い白人を覚えていたのだろうか。
 デネロスが質問をしても良いと言ったので、テオは尋ねた。

「カロライナジャスミンの毒を求めて来た客が最近いましたか?」

 彼女が通訳した。カロライナジャスミンの名前をアケチャ語で「スンスハン」と言うが、テオが植物園で見た標識にもやはり英名と学名、そして同じく「スンスハン」と書かれていた。この国ではその名で知られており、恐らく一般的なのだ、とテオは思った。
 カダイ師は顔から微笑みを消し、デネロスとテオをちょっと怖い顔で見比べた。そしてデネロスに何かボソボソと喋り出した。テオはデネロスの可愛らしい眉が寄せられて難しい顔になるのを見た。
 カダイ師の語りが終わると、デネロスはテオに向き直った。

「彼は言いました。カロライナジャスミンを買いに来た客は覚えていない。だが4日前、スンスハンの粉が少し減っていた。彼は使った覚えがないので、誰かが来て盗んだのだと思った。しかしレジの金が少し増えていたので、客が来たのだとわかった。」

 彼女はそこでちょっと息を継いでから続けた。

「彼は言いました。恐らく、”ヴェルデ・シエロ”が買い物をしたのだ、と。」

 テオは薬屋が言いたいことを理解した。カロライナジャスミンを買い求めた客が実在したのだ。その人物は買い物をした後でカダイ師の記憶を消した。しかし商品が減って代金が残っていたので、カダイ師は客があったことを知った。その客は”ヴェルデ・シエロ”だったのだ、と彼は思っている。
 テオはカダイ師に声をかけた。

「グラシャス、大いに助かった!」


2024/08/08

第11部  石の目的      19

 「あのカダイ師に毒薬のことを訊いてみたいんだ。」

 ケツァル少佐が怪訝そうな顔でテオを見た。

「あの人はスペイン語を話しませんよ。」
「通訳してもらえないかな?」
「出来ないことはありませんが、貴方は今回の毒のことで何か知っているんですか?」

 テオは全く部外者の筈だった。大統領警護隊本部や大統領府で起きた事件を知る立場にいないのだ。彼は返答に困った。

「いや・・・警戒厳重な大統領府の厨房で毒を仕込んだ人間がいるってことに衝撃を受けてさ・・・使った毒が分かれば、犯人もわかるんじゃないかと・・・」

 服の下で汗が出た。

「カダイ師は全くの民間療法士です。古式に則った方法で治療しているだけです。薬剤師ではないし、毒の専門家でもありません。」
「だが、大統領警護隊は、専門知識を持っている人間を捜査しているんだろ? 案外民間療法士の方がヒントを持っているかも知れないぞ。」

 するとデネロスが天井に目を向けて囁いた。

「犯人はそう言う人から毒を買った可能性もありますね。」

 少佐が溜め息をついた。

「それなら捜査範囲が際限なく広がってしまいます。」
「厨房スタッフしか事件当日厨房に入っていなかったのだとしたら、そのスタッフが行きそうな店を探したら良いんだ。毒が入っていたクラマトは手作りだったんだろ?」
「それが、外部からの差し入れだった様です。」
「差し入れ?」
「厨房には食材の納入業者達が色々持ち込みます。事件前日はコーラの差し入れがあり、事件当日はクラマトが置かれていたそうです。誰が持ち込んだのか、捜査中ですが、どの業者もそんな差し入れをした覚えはないと言っているそうです。」

 デネロスがチラッとテオを見てから、少佐に向き直った。

「私、カダイ師の美容液の評判を聞いたことがあります。正直、ちょっと興味があるので、お店に行ってみたいです。場所を教えてくだされば、私とドクトルで明日にでも行ってみますけど?」


2024/08/07

第11部  石の目的      18

  植物園の中は、普通の庭みたいで、草木が勝手に生えている印象だった。それでも看板があって、「平地の植物」「密林の植物」「高地の植物」と分けられていた。国外の植物は別エリアで、テオは時間をかけて歩いてみたが、変わったものはなかった。「変わったもの」と言うのは、珍しい品種と言う意味ではなく、植物に傷がついているかいないか、と言うことだ。葉や花をむしったり、切り取った痕跡はどこにもなかった。園内を見回してみても、防犯カメラらしきものはなかった。ただ、途中で「有毒植物」と書かれたエリアがあり、そこだけカメラが設置されていた。テオはカロライナジャスミンを見つけ、受付でもらった剪定鋏と手袋と袋で葉を3枚採取した。
 剪定鋏を返却し、手袋をゴミ箱に入れて、テオは大学に戻った。葉を磨り潰し、細胞を潰さないよう気をつけてサンプルを取り出した。D N A分析機に掛けたら、夕方になっていた。彼は研究室を施錠して、いつもの様に文化・教育省の駐車場まで車で移動した。
 アスル、ギャラガ、ロホがやって来た。ギャラガはそろそろ官舎を出て、アスルと長屋で同居する準備を始めたところで、これから通勤用の自転車を買いに行くと言う。オートバイにしないのか、とテオが訊くと、それはもう少ししてからの予定です、といなされた。ロホとアスルは保護者面で彼について行くつもりだった。
 彼等がロホのビートルで去って直ぐに、ケツァル少佐とマハルダ・デネロスがやって来た。

「マハルダも一緒に夕食を取りますが、良いですね?」

と少佐が有無を言わさぬ口調で尋ねた。いつもの調子だから、テオは苦笑した。
 車2台でコンドミニアムに帰り、カーラが作った夕食を3人は堪能した。

「ところで、大統領のガーデンパーティは予定通り開かれるのですか?」

とデネロスが食後のコーヒーを飲みながら尋ねた。少佐があまり嬉しくなさそうな表情で頷いた。

「なんとか厨房スタッフの健康が回復して間に合いそうなので、予定通り進めるみたいですね。」
「なんの食中毒だったんですか?」
「クラマトです。」

 クラマトは香辛料が入ったトマトジュースの様なもので、二日酔いの時にセルバでは好んで飲まれる飲料だ。

「クラマトの中に、有毒成分が混入されていたみたいです。」
「やっぱり、誰かの仕業ですか? 材料を間違えたのではなく?」
「故意に混入されたのでしょう。ベテランのスタッフが間違えると思えません。」

 テオはウイノカ・マレンカから聞いた話をしたかったが、固く口止めされているので、黙っていた。しかし何も口を挟まないのでは、怪しまれるので、適当なところで質問してみた。

「犯人はまだわからないのか?」
「ノ」

と少佐は即答したが、大統領警護隊が何も情報を掴んでいないとは思えなかった。
 テオは暫く考えていたが、ふとある人物の顔が頭に浮かんだ。唐突だったし、長い間忘れていたので、名前をすぐに思い出せなかった。

「少佐、あの・・・薬屋、なんて名前だったっけ?」
「薬屋?」

 怪訝そうな顔の少佐とデネロスにテオは説明した。

「俺がアンドレと下水道に空間移動した後で、臭い消しに君が俺たちを連れて行ってくれた店だ。」

 少佐はちょっと考えて、それから、「ああ・・・」と呟いた。

「カダイ師ですね?」

2024/08/05

第11部  石の目的      17

  グラダ・シティ市立植物園はグラダ大学から”曙のピラミッド”を挟んだ反対側にあった。植物園の隣は動物園で、自然史博物館もある。国立植物園や動物園はないので、事実上ここがセルバ共和国の一番大きな自然科学の標本展示場所となるわけだ。セルバ共和国の義務教育を受けている最中の子供(たまに成人もいるが)は学生証を出すと入園料は無料だ。公務員も半額で、大学の職員ともなると、子供と同じ扱いで無料となった。因みに・・・

「大統領警護隊は無料なのかい?」

とテオは受付カウンターで入場券を販売している人に訊いてみた。

「スィ、パハロス・ヴェルデスと軍人さんは無料です。」

と受付の人は答えた。丸い目をした若い男性で、平日だったので、ちょっと退屈している様子だったので、テオはもう少し質問してみることにした。

「最近、公務員とか大統領警護隊の隊員が来たことはなかったかい?」
「日曜日に家族で来る人はいますよ。」
「神殿の人は?」
「神殿の人?」

 受付係は目をパチクリさせた。

「神殿の人って、巫女や神官のこと?」
「彼等は来ないだろうけど・・・」

 テオはちょっと言葉を変えた。

「巫女や神官の世話をしている人とか・・・あの人達も公務員だろ?」

 そうだろうか? テオはあの秘密の神殿で働く人々の社会的身分は公式にはどうなっているのだろう?と疑問に思った。
 市民がどれほどピラミッドの地下の神殿のことを知っているのか知らないが、受付係は無邪気に笑った。

「あの人達は大統領府の職員ですよ。公務員だから、半額ですね。」

 表向きはそう言う身分なのか。 テオは不審な入場者を割り出すのは無理だな、と思った。

「植物園の植物の花とか葉っぱを持ち帰る人はいる?」
「研究に必要なら、申請すればいつでも可能です。 ここに用紙があります。」

 受付係はテオがグラダ大学の准教授なので、気前良く言った。申請用紙を出してカウンターに置いた。それでテオはカロライナジャスミンの葉を希望と記入した。

「最近、これを欲しいと言った人、いたかな?」

 受付係はテオの記入内容を見てから、首を振った。

「ここ暫くは園内の植物を持ち出した人はいません。」


2024/08/02

第11部  石の目的      16

  テオは翌日、ウイノカ・マレンカから託された物質の分析を行なった。そして抽出出来たD N Aから植物のカロライナジャスミンを検出した。常緑蔓生灌木で蔓は 6 m 、葉は対生で、光沢のある長披針形。暗緑色で長さ 5 ~ 10 cm 、幅 2~3 cm で波状縁をもつ。寒くなると、葉は紅葉する。花は筒状、先端 5 裂平開で、径 1 ~ 3 cm 、暗黄色をつけ芳香がある。庭木としても栽培されるもので、珍しくはないが、毒として用いられることはあまりない。毒成分はゲルセミン、ゲルセミシン、センペルビリンなどのインドールアルカロイドで、毒性は、中枢神経に作用し、特に呼吸中枢に対する直接作用であって、迷走神経には作用しない。また、心臓の機能に影響を与えることもない。末梢血管への作用も認められない。つまり、服毒した人間が死ぬことがないように、軽く悪戯した程度に入れたのだ。
 料理を試食した厨房スタッフ全員、と聞いたが、恐らく料理ではなく、スタッフ達が休憩の時に口にした飲み物に入れていたのだろう。テオは食品サンプルも欲しかったが、それは誰も気が付かなかったのか、もらえなかった。と言うより、大統領警護隊は既に毒の正体は突き止めていて、テオに求めたのはその毒を持つ植物の出身地なのだ。
 テオは植物学の教授を訪ね、カロライナジャスミンの分布がわかるかどうか訊いてみた。

「園芸種だったら、場所の特定は無理ですね。」

と言われた。

「野生種はこの国にありますか?」
「セルバ固有の亜種はあるが・・・」

 植物学の教授は自分のパソコンで検索した。そして2ヶ所の村の名前を出した。

「特に珍しい形状ではないし、見た目はその辺の園芸種と変わらないので、あまり注目していないんだ。ただ、ちょっと毒性は園芸種よりきついかな。原種は絶滅寸前なので、グラダ・シティ市立植物園で栽培しているものだけだ。現地ではもう存在しない。」

 テオは村の名前と植物園を記録して己の研究室に帰った。村はどちらも北部の内陸部で国境線に近い。調べてみたが、これと言った産業もなく、片方は既に廃村になっており、もう片方は隣の町に行政的に合併吸収されていた。農業の村だが、園芸種の植物ではなくトウモロコシを栽培していた。
 テオはまず市立植物園に出かけた。

2024/07/31

第11部  石の目的      15

  ケツァル少佐がテオの電話に迎えを求めて来たのは1時間後だった。ウイノカ・マレンカは既に自転車で走り去っており、テオは車内でウトウトしかけていた。電話で目が覚めると、大きく伸びをして、鞄の中の小瓶の存在を確認してから、大統領警護隊本部の通用門前へ行った。少佐は既に門の外で待っていて、車が停まると素早く助手席に乗り込んで来た。

「早く帰って寝ましょう。」

と催促した。テオが車を出すと、彼女が言った。

「誰かが嘘をついています。或いは情報が複雑になっている感じです。」
「誰が何を言ったんだ?」

 それで、彼女は整理してみた。

「アスマ神官は、”サンキフエラの心臓”はカイナ族が支配していた”ティエラ”の求めに応じて病を癒す目的で作った石だと言いました。 祈祷師が住民の病を石で治療していたのだ、と。」

 テオも語った。

「カイナ族のブリサ・フレータ少尉は、あの石はカイナ族の支配下の祈祷師や族長の為のもので、敵に毒を盛られた時に使われた、庶民のためのものではなかった、と言った。 庶民には、病を治す力がある石の存在が知られていたが、1個しかない石を大勢の治療に使うことはしなかった、と。」

 少佐が暗がりの中だったのでどんな表情をしたのか、テオには見えなかったが、きっと愉快な気分の時の顔ではなかっただろう。

「フレータ少尉は当事者の子孫で、彼女が聞いた言い伝えが正しいのでしょう。アスマ神官はカイナ族出身の神官からの又聞きです。現在神官の中にカイナ族が何人いるかわかりませんが、あの石を実際に見たのは、今回が初めてだった筈です。だから使い方を知っている神官はいなかったのです。」
「それじゃ、カイナ族の神官があの石の効力と使い方を試したって?」
「石を使うのに呪文が必要なのか、石はどの程度治療効果を持つのか、浄化はどの様に行うのか、試したと思います。」
「実際の人間の体を使って?」
「スィ! 厨房スタッフを犠牲にして・・・」

 許せない、とテオは感じた。これは”ヴェルデ・シエロ”の驕りだ。

2024/07/30

第11部  石の目的      14

 「神官がこの国の政治についてどんな考えを持っているのか、直近で仕えている我々にも見当がつきません。」

 ウイノカ・マレンカは大統領府がある方角を見た。そちらには当然”曙のピラミッド”も大統領警護隊本部もある。

「彼等は普段国政に口出しをしないように見えます。実際に政治家達に影響を及ぼすのは長老会です。しかし神殿は長老会の上に位置しており、神官の考え、と言うか、彼等の言葉を借りれば、神託が絶対なのです。今回の事件を事前に知っていたのであれば、阻止を大統領警護隊に命じるのが神官の本来のあり方です。しかし彼等、もしくは誰かが、それを知っていながら放置し、対処法を一人の警備隊員だけに伝えていた。」

 テオも己を考えを口に出した。

「知っていたのではなく、神官の誰かが起こした、と言うことですか?」
「恐らく・・・しかしその目的がわかりません。厨房スタッフを入れ替えるのが目的なのか・・・」
「或いは・・・」

 テオは馬鹿な考えだと思いつつも、頭に浮かんだことを言った。

「”サンキフエラの心臓”の効力を試した、とか・・・」

 ウイノカが彼を振り返った。

「あの石を試した・・・?」
「俺が今思いついたことを言っただけです。」

 ふむ、とウイノカが片手を顎に当てた。

「試すと言うことは、あれを使わねばならないことが起きる可能性がある、と誰かが考えたのか?」

 陰謀の匂い。テオは手をウイノカに差し出した。

「その瓶の中身を分析しましょう。生物由来の毒なら、遺伝子で正体と産地を探してみます。」

 ウイノカが彼の手に小さな瓶を2つ、置いた。

「私とここで話したことはくれぐれも他人に語らぬよう願います。神官の耳に入れたくありませんし、貴方自身も危険に曝されます。」
「承知しています。ケツァル少佐にもロホにも話しません。」

 テオは慎重に小瓶をポケットに入れた。車に入ったら、すぐに鞄に移し替えよう。


第11部  石の目的      13

「秘密の部署ですか? そんな重要なことを、どうして白人の俺に教えるのです?」

 テオは用心深くなっていた。目の前の男が本当にロホの兄なのか確信が持てない。大統領警護隊の徽章は本物だろうが、ロホが身内に隊員がいると知らないなんて信じられなかった。
 ウイノカ・マレンカは辛抱強く説明した。

「初めのうちは、事件を隠して分析だけを貴方に依頼するつもりで、通用門まで行きました。そこへ貴方がケツァル少佐と共にやって来た。恐らく貴方は事件について何か彼女から聞いているだろうと推測したのです。彼女を降ろして貴方がすぐに行ってしまったので、急いで後を追いかけ、探したのです。」

 彼はチラッと後ろを振り返った、テオは暗がりの芝生の上に自転車が倒して置かれているのを見た。弟が中古のビートルで、兄が自転車なのか。夜の街に走り去った車を探して、この男は自転車で走り回ったのだ。

「秘密の部署の貴方が、秘密の依頼を俺に持って来られた理由を聞かせてもらえますか?」

 ウイノカが溜め息をついた。

「大統領府の厨房で料理人達が毒の入った料理を試食して倒れたことは聞かれましたね?」
「スィ。 10人中6人が倒れたと聞きました。」
「残りの4人も軽症ですが、毒を口にしてしまいました。ですから、厨房スタッフは全員明日から仕事が出来ません。」
「では、スタッフの入れ替えが必要ですね?」
「スィ。取り敢えず、大統領警護隊の厨房スタッフが臨時で働きます。大統領府側が代替要員を確保する迄の期限ですが、問題はもうすぐ大統領府でガーデンパーティが開かれることです。」
「あー、それは・・・不慣れなスタッフや外部からのケータリングを利用するのはマズいでしょうね。」
「この様な事態は以前にもあったので、それは問題ではありません。」

とウイノカは言った。

「問題は、この様な事態が起きることを、予想していた人間がいたことです。」

 テオはそこでケツァル少佐が電話で呼び出された理由を思い出した。

「”サンキフエラの心臓”とか言う石を、警備班の隊員が使ったことですか?」
「スィ。」

 ウイノカが重々しく頷いた。

「あの石はケツァルが回収して神官に提出しました。神官はあの石を宝物蔵に納めた筈です。それなのに、一介の警備班隊員が持っていた。そして素早く救護に使用したのです。」
「宝物蔵ってぇのは、誰でも近づける場所ではないのでしょうね?」
「勿論です。近衛兵立ち会いで神官自らが鍵の開け閉めをします。神官以外の人間は鍵を使えません。巫女達も使えないのです。」
「では、神官が何人いるのか知りませんが、誰かが石を無断で蔵から出して、警備隊員に渡していた・・・」
「件の警備隊員は現在司令部内部調査班によって調べを受けています。いずれどの神官に指示されたのか告白するでしょうが・・・現在神官全員がある場所に出かけており、連絡を取ることが許されていません。神官に直接確認する前に、どの神官がこの事態を引き起こしたのか、知りたいのです。」
「ちょっと待って・・・」

 テオは何か恐ろしいことをウイノカ・マレンカが考えている予感がした。

「貴方は、今回の毒の事件は神官によって起こされたとお考えですか?」


 

第11部  神殿        8

 ママコナは、大神官代理を救えるのは大統領警護隊文化保護担当部とテオだ、と断言した。テオは驚きのあまり口をあんぐり開けて、馬鹿みたいに立ち尽くした。ママコナが続けた。 「貴方と貴方のお友達は旧態のしきたりにあまり捉われません。それは古い体質から抜け出せない神官達には脅威なのです。...