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2022/10/18

第8部 チクチャン     27

 チクチャンは、マヤ文明で使われていたツォルキン(暦)の第5番目の日。キチェ語でKan。黄色の地平線、尊敬、英知、周期、権威、正義、真実の象徴。宇宙の力の象徴。クック・クマツ(Q'uq' kumatz)が地平線に現れ、「天の心(Corazón del Cielo)」と「地の心(Corazón de la Tierra)」の存在を表明しながら地と天を結びつけた。チクチャンとは運動、宇宙の創造主、人間の進化、精神的成長、正義、真実、知性、そして平和のことである。

「こんな素晴らしい名前を持っていながら、何故古い神像の祟りを利用して政治家の殺害を図ったのか?」
「名前の由来なんか知らない。俺達の親も祖父母もただの農民だった。泥で畑が駄目になる迄は、幸せだったんだ。」

 アラム・チクチャンは本部の地下にある「留め置き場」即ち留置所の粗末なベッドの上に起き上がってセプルベダ少佐とステファン大尉から事情聴取を受けていた。大統領警護隊は既に彼と妹のアウロラから「心を盗み」、情報を得ていたが、改めて彼等自身の口から彼等の気持ちも含めて聞き取りを行っていた。ことは微妙だった。チクチャン兄妹の復讐劇なら話は単純だ。しかし、シショカ・シュスの家が絡んでいる。シショカとシュスはマスケゴ族の旧家だ。ムリリョ家とシメネス家に引けを取らない名門だ。だが現実社会に置いて、建設業で大成功を収めたムリリョ家や、その姻戚でムリリョ家と長い時代を娘や婿の遣り取りをしてきたシメネス家に比べると勢いが弱く、マスケゴ系列のミックス達にもあまり影響力がない。
 次の族長選挙はシショカ家にもシュス家にも起死回生のチャンスだった。ムリリョ家から候補者が出ていない。シメネス家は現在女性ばかりで、族長は伝統的に男性とされているマスケゴ族の慣習を崩すつもりはない。そして、現在のシショカ家はシュス家とあまり仲が良いと言えなかった。複雑な婚姻関係が存在するので、一概に誰がどこの家系とは言えないのが”ヴェルデ・シエロ”なのだが、シショカ・ムリリョやシショカ・シュス、シュス・シショカやムリリョ・シュス、シメネス・シショカ、シメネス・シュス、そんな名前が混在するマスケゴ族の族長選挙は混戦状態だった。勿論4つの大きな家系以外にもマスケゴ族はいるのだが、政治力や経済力を持たないので「有権者」であっても「候補者」にはならなかった。
 大統領警護隊は現族長ファルゴ・デ・ムリリョに候補者の氏名を訊いてみた。ムリリョ博士は機嫌が悪かった。部族内の抗争が大統領警護隊に知れ渡ってしまったのだから仕方がない。候補者は3名と彼は長老会に申告した。

「だが名を明かすことは現段階では出来ぬ。それは他の部族でも同じであろう。族長が決定する迄は、周知のことに出来ぬのだ。」

 それでは、と長老会の代表は言った。

「大統領警護隊が誰を逮捕しようと、マスケゴ族が苦情を申し立てることは許されぬ。それでよろしいか?」
「一族の秩序を保つためだ、仕方あるまい。」

 そして”砂の民”の首領でもある彼はこうも言った。

「我が朋輩が誰を罰しようと、大統領警護隊は目を瞑るべし。」

 だから、大統領警護隊遊撃班は、チクチャン兄妹を操ったカスパル・シショカ・シュスの背後に誰がいるのか、”砂の民”より先に突き止めたかった。アーバル・スァットの神像を送り付けられた建設大臣の私設秘書セニョール・シショカが”砂の民”の本領を発揮して首謀者を闇に葬ってしまわないうちに。

 

2022/10/17

第8部 チクチャン     26

「アラムは今、大統領警護隊の本部で治療を受け、取り調べを受けている。警備員をもし殺していたら、『大罪』を犯したことになるが、君と彼の証言から、警備員を負傷させたのはカスパル・シショカ・シュスに間違いないだろう。神様の像を呪いに使った罪があるが、人間に対する傷害などの罪は軽く済むかも知れない。これから本部へ君を連行するが、構わないな?」

 ロホの言葉にアウロラ・チクチャンは頷いた。

「私は兄を刺した・・・きっと私がやったに違いない。でも兄に会いたい。監獄にぶち込まれる前に、アラムに一眼会わせて頂戴!」

 それは、とアスルが言いかけたが、ロホが制した。

「確約出来ないが、上官に掛け合ってみよう。君達が一族の範疇に入るのかどうかもまだ未定だからな。」
「一族?」

 キョトンとするアウロラの顔を見て、ギャラガが肩をすくめた。 アスルが誤魔化した。

「古い民族の血を引いている人々と言う意味さ。」

 フワッと風が彼等の頬を撫でた。ロホは本部の建物の方を見た。軍服姿の男が2人やって来るのが見えた。1人は遊撃班の副指揮官カルロ・ステファン大尉だ。文化保護担当部の3人が固まっているのだ。本部の人間達がその存在に気がつかない筈がなかった。アウロラ・チクチャンの尋問はここまでだった。
 遊撃班がそばへ来たので、ロホ、アスル、ギャラガは彼等に向き直り、敬礼した。遊撃班も立ち止まって敬礼を返した。訊かれる前にロホが報告した。

「この女性はアウロラ・チクチャン、自ら出頭した。」

 アウロラが彼を見上げ、それから軍服姿の男達を見上げた。ステファン大尉がロホに尋ねた。

「尋問したのか?」
「彼女が進んで自供した。そちらで抑えている彼女の兄に面会を許可すると言う条件だ。」
「勝手なことを・・・」

と言いはしたが、ステファンは怒らなかった。いかにもロホらしい条件の出し方だ、と思った。アスルが言った。

「この女は”感応”に応えた。遊撃班のではなく、我々のだ。」

 お前達の呼びかけ方が悪い、と暗に言った。ステファン大尉が苦笑し、部下はムッとした。大尉が大尉に言った。

「情報を分けてもらえるか?」
「スィ。」

 ロホとステファンは互いの目を見つめ合った。一瞬で情報が伝えられた。ステファンは頷き、アウロラに話しかけた。

「アラム・チクチャンに面会を許可する。だから君は我々に協力するのだ。」

 嫌だと言わせない勢いがあった。アウロラは頷き、立ち上がった。彼女を2人の遊撃班が挟んで立った。ロホが彼等に声を掛けた。

「我々は撤収する。ギャラガ少尉は官舎へ帰らせる。」
「ご苦労。」

 彼等は再び敬礼を交わし合い、ステファン大尉がギャラガを見た。ギャラガは文化保護担当部の先輩達に声を掛けた。

「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
「ゆっくり眠れ。」

 既に歩き始めた遊撃班とアウロラ・チクチャンの後ろを彼はついて行った。アスルがロホに囁き掛けた。

「そろそろアンドレも外で暮らした方が良いんじゃないか? 外の生活に慣れさせなきゃ。」
「それじゃ、お前の家に入れてやれよ。部屋はあるだろ?」
「あるが・・・」

 テオの寝室が空いているのだ。大家の部屋だ。しかしテオはもうケツァル少佐のアパートの住人になった。空いたスペースに誰が入っても構わないと彼はアスルに言ったのだ。

「アンドレが俺と同居でも構わないって言うなら、誘ってみる。」

 彼等はふとマハルダ・デネロス少尉はいつまで官舎暮らしを続けるのだろう、と思った。


第8部 チクチャン     25

  1回目の神像窃盗は複数の犠牲者を出してしまったにも関わらず、肝心の政治家達には呪いが届かなかった。チクチャン兄妹とカスパル・シショカ・シュスはロザナ・ロハスが神像をどうしたのか知る由もなかったが、西のオルガ・グランデの大きな鉱山会社の経営者が謎の死を遂げ、呪いで殺されたと言う噂が立つと、文化・教育省の大統領警護隊の動きに注意を払った。大統領警護隊の女性少佐と部下達はグラダ・シティを離れて何処かに出張していた。そして噂がまだ消えないうちに戻って来た。
 カスパルがピソム・カッカァ遺跡を見に行って、神像が戻されていることを確認した。呪いで鉱山会社の経営者が死んだと言う噂が真実であれば、あの神像は本物だ。あれなら、両親を死なせた政治家どもを地獄に送ってやれる。イキリ立つ兄妹をカスパルが宥めた。盗難から戻ったばかりの神像を再び盗めば大統領警護隊の警戒レベルが上がってしまう。ほとぼりが冷める迄待つべきだ、と。
 チクチャン兄妹は指図されるまま、大人しく日々を過ごした。その間に祖父は亡くなり、政権が代替わりして、マリオ・イグレシアスが建設大臣に就任した。アラムは先代の建設大臣を追跡してみたが、先代は大臣職を離任して間もなく病死した。呪いとは関係なく・・・。
 チクチャン兄妹は憎悪の標的を失ってしまった。無気力になりかけた2人にカスパルが囁きかけた。
ーーイグレシアスを次の標的にしよう。政治家は皆同じだ。
 アラムは違うと言ったが、アウロラは生き甲斐が欲しかった。顔も碌に覚えていない父親の仇を討ちたかった。母を失った悲しみをぶつけたかった。
 今度は他人を利用せずに自分達で神像を盗み出し、大臣に送りつけよう。兄妹は遺跡の近くでオスタカン族の末裔を見つけ出し、神像の正しい扱い方を教わることにした。カスパルも一緒に来て、質問した相手の記憶を消して兄妹の痕跡を消す手助けをしてくれた。アウロラはそんなカスパルを頼もしく感じ、好意を抱くようになった。だがアラムはカスパルにあまり懐いておらず、時々それは兄妹喧嘩の種になった。
 アーバル・スァットの神像を盗む決行日、思いがけない事故が起きた。遺跡にはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石が雇った警備員がいたのだ。アラムが神像を慎重に抱えた時に、警備員に見つかった。咄嗟にアウロラがナイフを出すと、カスパルが止めた。そして警備員が突然倒れた。何が起きたのか、兄妹にはわからなかったが、カスパルは「呪いだ」と言った。
 警備員は気絶しただけだとカスパルは言い、彼等は遺跡から逃走した。
 アーバル・スァット神像は粗末に扱うとその周囲の人間に無差別に呪いを振り撒く。アウロラはグラダ・シティに向かう車の中で毛布にくるんだ神像を大切に抱きかかえた。グラダ・シティの外れにあるアパートに帰ると、そこで神像を箱に詰めた。カスパルはそれを建設省に運ぶと言った。砂防ダム建設を推進したのは前大臣だから、今の建設大臣は無関係ではないかとアラムが意見すると、カスパルはイグレシアスは前大臣の子分だったから、悪党と同じなのだと言った。アウロラは運送屋の配達員を装ったアラムとカスパルが出かけるのをアパートで見送った。
 2人は建設省の受付に箱を渡して戻って来た。そして大臣が亡くなるのを待ったが、メディアは何も報じなかった。カスパルは港の仕事に戻ってしまい、チクチャン兄妹も働かねばならなかった。呪いはどうなったのか。神像は働いてくれないのか。兄妹は落ち着かなかった。
 もう一度建設省に行って、神像を取り返そうと兄妹は話し合った。カスパルが「見えなくなる」術を使えるのだから、忍び込むのは簡単だと思ったのだ。しかしカスパルは「うん」と言わなかった。
ーー大統領警護隊が動き出した。今俺達が動くのは拙い。
 そして彼はこうも言った。
ーー俺は目的を果たした。大臣の秘書は神像を盗んだ犯人を探している。今は選挙どころじゃない。だから、このまま彼を足止め出来れば良いんだ。
 チクチャン兄妹には彼の言葉の意味が理解出来なかった。”ヴェルデ・シエロ”として育ったのではない。古代の神様の子孫達の裏社会の事情など知る由もない。ただ、アラムはカスパルが本当はダムのことなんてどうでも良いのだと言うことを察した。
ーー俺達はあいつに利用されただけかも知れない。
 アラムは遺跡で倒れた警備員が気になって、調べてみた。すると警備員は死ぬ一歩手前で奇跡的に回復したと知った。病院では大変驚いて騒いでいたが、彼等は「”シエロ”が助けてくれたのだ」と囁いていた。アラムはカスパルが本当は警備員を殺すつもりだったのではないかと思った。それを”ヴェルデ・シエロ”が警備員を助けた。
ーー俺達はとんでもない間違いをしているのかも知れない。
 アラムは妹を連れてカスパルを訪ねた。そして警備員に何をしたのか、自分達は「神」を間違ったことに利用しているのではないのか、と詰め寄った。

「そこで、私の記憶は途切れた。」

とアウロラはベンチに座ったまま、目に涙を浮かべた。

「直前にカスパルと目が合った・・・と思う。思い出せるのはそれだけ。気が付いたら、カスパルはもういなくて、私は血まみれのナイフを手にして、目の前に血まみれのアラムが倒れていた。頭が真っ白になったけど、アラムはまだ意識があったの。私に医者へ連れて行けと言ったわ。どこの医者って・・・ドクトラ・バスコしか知らなかったから・・・貧しい人でも診てくれる先生って、あの夫婦しかいないでしょ?」
「それで、あの診療所にアラムを預けて、君は逃げたんだな?」

 アスルの問いに、彼女はコックリ頷いた。

「カスパルがまた襲ってくると思ったから、自分達のアパートに帰れずに、スラムに身を隠していた。他に行くところがなくて・・・それにアラムを置いて遠くへ行けない。」


2022/10/16

第8部 チクチャン     24

  大統領警護隊の屋外運動場は金網を張ったフェンスに囲まれた、ごく普通の運動場だった。他の運動場と違うのは、その金網に結界が常時張られていることだった。一般人は金網に手を引っ掛けて運動場でサッカーの練習をしたり持久走訓練を行なっている隊員達を見物出来るが、隊員と同じ”ヴェルデ・シエロ”には手を触れるだけでピリリと来るし、乗り越えることは出来ない。その事実を考えると、”ヴェルデ・シエロ”の敵は同じ”ヴェルデ・シエロ”なのだと思える。大統領警護隊は一般人を恐れてなどいないのだから。
 フェンスの中の駐車場に車を乗り入れたロホは、ドアを開いて車から降りた。ギャラガも降車して、座席の背もたれを倒し、後部席のアスルとアウロラ・チクチャンを降ろした。運動場では警備班の非番組がサッカーをしていた。休憩をしなければならないのだが、息抜きも必要だ。最長2時間と言う制限があるが、彼等にとっては貴重なリクリエーションだ。ロホもアスルもサッカーが趣味だし、ギャラガもアスルに誘われて習い始め、今ではかなりのレベルに上達していた。3人の姿に気づいた何人かの隊員が手招きしたが、アスルが「仕事だ」と手振りで応えた。
 アウロラをベンチに座らせ、彼女の横にアスル、前にロホ、後ろにギャラガが立った。ロホが彼女に水を飲まないかと尋ねたが、彼女は首を横に振っただけだった。

「それでは・・・」

 ロホは警備班の隊員達がサッカーに興じているのをチラリと見た。頼むからこちらに気がつかないでくれ、と思った。女の気を散らして欲しくなかった。

「まず、君達、君とアラムの身の上とカスパル・シショカ・シュスとの関係から話してもらおう。」

 チクチャン兄妹の身の上は、ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗んだ」内容とほぼ同じだった。兄妹が物心つく頃に一家はアルボレス・ロホス村に入植し、他の村人達と共に畑を耕していた。細い川が流れており、乾季は良い畑だったが、雨季になると川が増水して度々畑が水に浸かった。だから村は貧しいままだったが、食べるには困らなかった。下流に砂防ダムが建設された時は男達も女達も日雇いで働いて一時的に村は潤った。しかし、そのダムが土を堰き止めるようになると、畑に泥が溜まっていくようになった。それはじわじわと下流から上流へと上がって来た。雨が降り、増水する度に作物が泥に埋もれていく。村人達は行政に訴えたが、打つ手なしと言われた。村人達は一旦アスクラカン市街地に引っ越したが、耕作地と村を諦めきれなかった。チクチャンの父親と村の男達数名はダムの堰堤を破壊しようとして、警察に見つかった。彼等は酷い暴行を受け、留置所に数日間入れられた。戻ってきたチクチャンの父親は寝込んでしまい、やがて亡くなった。夫を失った母親も苦労続きで、無理をした挙句、仕事中の事故で死んでしまった。
 兄妹は祖父に育てられたが、遠縁の者だと言う男が現れた。それがカスパル・シショカ・シュスだった。祖父の姓がシュスだったので、祖父の母方の親族である男の息子と言うことになる。カスパル・シュスは兄妹に親切だった。兄妹が義務教育を終える迄面倒を見てくれ、仕事も見つけてくれた。彼自身はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていた。兄のアラム・チクチャンは車の運転免許を取り、港でトラックの運転手として働いた。アウロラ・チクチャンは港の食堂で給仕の仕事をした。
 アラムは両親が死んだ原因となった砂防ダムの建設を決めた政治家達が許せないでいた。だが国の指導者達のところに殴り込みに行っても、相手に手が届くことはない。アラムは兄の様に慕うカスパルに相談した。

「カスパルは復讐に乗り気でなかったの。でも止めることはなかった。」

 カスパル・シュスは呪いを使うことを提案したのだと言う。
 ロホとアスル、ギャラガの3人は顔を見合わせた。カスパル・シショカ・シュスは”ヴェルデ・シエロ”だ。呪いを使わなくても、手を汚さずに敵を倒す方法ならいくらでも知っているだろう。だが彼はチクチャン兄妹に復讐させたかった。だから、能力を殆ど持たない兄妹に呪いの使用を持ちかけたのだ。アラムとアウロラは呪いの使用を勉強した。修道女に化けて国立博物館に勉強にも行った。そして、アーバル・スァットと言うピソム・カッカァ遺跡に祀られる古いジャガーの神像に行き着いた。
 一度目は欲深い白人の麻薬密輸業者の女に盗ませた。女を操るのはカスパルが担当した。彼が何故直接兄妹に盗ませなかったのか、その時兄妹は理由がわからなかった。だから悪党の女ロザナ・ロハスがしくじって別の標的に神像を送りつけてしまった時は、がっかりした。だがカスパルは慌てなかった。成り行きを見守れ、と兄妹に言った。

「カスパル・シショカ・シュスはアーバル・スァットの呪いの力を試したんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「そうだと思います。どう扱えば、自分達は安全か、あの神像がどれほど強い祟りをするのか、そして大統領警護隊があの神様を制御出来るかどうか・・・制御出来ない神様は危険極まりないですから、もし文化保護担当部の手に負えなければ、あの神像を諦めるつもりだったのでしょう。」



2022/10/13

第8部 チクチャン     23

「カスパル? 誰だ、そりゃ?」

 アスルが尋ねた。そこへロホが来た。

「マスケゴ族のカスパル・シショカ・シュスのことか?」

 アスルがアウロラ・チクチャンの腕を掴んだまま彼を見た。

「シショカ・シュス? ああ・・・煉瓦工場の・・・」

 アウロラが怯えた眼差しで2人の男を見比べているので、ロホが柔らかな口調で説明した。

「私達は大統領警護隊だ。建設大臣マリオ・イグレシアスの所に強い呪いの力を持つ神像が送り付けられた事案を調べている。」

 アスルは手の中のアウロラの腕が緊張したのを感じた。彼女は心当たりがあるのだ。
 ギャラガがそばに来たので、ロホは提案した。

「車でもっと安全な場所へ移動しよう。君も来なさい、アウロラ・チクチャン。」

 名前を呼ばれて、彼女は目に涙を浮かべながら診療所を見た。アスルが言った。

「アラムは大統領警護隊が保護した。診療所では守れないからな。それに何かあれば他の患者に迷惑だ。」
「何処へ行きます?」

とギャラガが助手席のドアを開けて尋ねた。アスルが女を捕まえたままなので、このペアを後部席に乗せて、自分は助手席に座るつもりだ。車はロホのビートルなので、後部席からは逃げられない。ロホがアスルを見た。アスルが提案した。

「本部の屋外運動場ではどうだ? 俺達はまだこの女性を逮捕していないから、本部内に連行出来ない。」

 逮捕などいつでも出来るのだが、アウロラを安心させるための言葉だ。ロホは頷いた。

「そこが良いだろう。指揮官のアパートに連れて行ったら叱られる。運動場なら本部が隣にあるから、カスパル・シショカ・シュスも手が出せない。」

 ギャラガが座席の背もたれを倒して、後部席に乗るよう、女に合図した。

「押し込めたくないので、自分で乗ってくれないか?」

 無骨だが紳士的な3人の男を見比べ、やがてアウロラ・チクチャンは素直にビートルの後部席に入った。アスルが素早くその隣に入り、ギャラガが座席の背もたれを直した。
 ロホが運転席に座り、車が動き出すと、アスルはアウロラに言った。

「お前の兄貴の怪我はバスコ医師と俺達の上官の力で治した。もう命の危険はない。ただ、お前達が何をしたのか、元気になれば本部で尋問を受けることになる。」

 既に尋問は受けたのだ。と言うより上級の能力使用者によって記憶を読まれたと想像出来た。本部はアラム・チクチャンからどんな情報を引き出したのか、文化保護担当部に教えてくれないだろう。政治が絡めば尚更だ。だから文化保護担当部はアウロラから事情を聞きたかった。何故神像を盗んだのか。何故建設大臣の所に神像を送りつけたのか。どこでカスパル・シショカ・シュスと出会い、どんな形で利用されることになったのか。遺跡の警備員を爆裂波で傷つけたのは誰か。

「ちょっと気になるんですが・・・」

と助手席でギャラガがロホに尋ねた。

「カスパル・シショカ・シュスって、セニョール・シショカの親戚ですか?」

 ロホはちょっと考えてから、「スィ」と答えた。

「セニョール・シショカの母方の親族だ。どちらもシショカを名乗っているからな。詳しいことは私もよく知らないが、セニョール・シショカは親族と交流を絶っていると聞いている。」


第8部 チクチャン     22

  ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗み」、アウロラ・チクチャンの顔、容姿に関する情報は大統領警護隊文化保護担当部内で共有されていた。バスコ診療所のそばに現れた若い女は確かにアウロラ・チクチャンだった。普通の若い女性だ。Tシャツに草臥れたコットンパンツ、古いスニーカー。髪型は伸ばしている髪を頭の上でお団子に結っていた。暗い診療所と灯りが灯っている医師の自宅を眺めて立っていた。
 ロホ、アスル、ギャラガは車から出た。役割はそれぞれ既に決めてあった。ロホがそれとなくアウロラの背後から自分達の位置を含めて次の角まで結界を張り、ギャラガがその結界内にいる通行人の中に怪しい人物がいないか確認する。そしてアスルがアウロラに近づいて行った。

「この近所の人?」

と彼は声をかけた。アウロラが彼を振り返った。ノ、と彼女は首を振った。

「ちょっとそこのお医者さんに用事があって来たの。」
「もう閉まっている。」
「スィ。だから、どうしようかな、と迷っている。」

 アスルは女を警戒させない距離を保って足を止めた。

「俺も医者に用事があって来た。兄貴が腹を壊して・・・」

 彼はチラッと車のそばに立っているロホを振り返って見せたが、彼女を視野に入れておくことを怠らなかった。ロホは車にもたれかかっていたが、苦しそうではなかった。いきなり芝居をしても怪しまれるだけだ。彼はアスルに言った。

「閉まっているなら、どこか薬屋に行こう。昼に食べた物が悪かっただけだ。」
「こんな時間に開いている薬屋があるもんか。」

 アウロラは同じ車から出て通りの向こうへ歩いて行くギャラガを見た。

「あの人は・・・」
「他に医者の家がないか見るって・・・無駄だよな。」

 アスルはちょっと笑って見せた。小柄で少し童顔なので、女性は大概彼の笑顔に油断する。アウロラもちょっと苦笑した。

「ここしかないから、私も来たの。」

 ギャラガが離れた位置から怒鳴った。

「誰もいない!」

 つまり、他の”ヴェルデ・シエロ”はいないと言う意味だ。アスルがチェッと舌打ちした。

「仕方がないなぁ・・・」

 彼がアウロラに向き直った途端、彼女がパッと身を翻して走りかけた。男達の正体を悟ったのではなく、不良から逃げようと言う、そんな行動だった。しかし、アスルは素早く動いた。彼女に2歩で接近すると彼女の腕を掴んだ。

「逃げるな、結界を張っている。突っ込むと脳を破壊されるぞ。」

 アウロラ・チクチャンがフリーズした。アスルの言葉の意味を正確に理解したのだ。

「”ヴェルデ・シエロ”なの?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が”ヴェルデ・シエロ”に向かって、”ヴェルデ・シエロ”かと尋ねることは、普通あり得ない。普通は、「どの部族か?」と訊くものだ。ミックスでも”シエロ”の自覚がある者はそう言う。アスルは彼女を自分に引き寄せ、正面を向かせた。

「どの部族だ?」

 目を合わせようとすると、彼女は下を向いた。ロホが近づいて来た。ギャラガも戻って来る気配がした。ロホは結界を維持したままだ。チクチャン兄妹を操った人物を警戒していた。そいつは、爆裂波で人間を傷つける大罪人だ。警戒しなければならない。
 アスルが囁いた。

「答えないなら、こちらが先に名乗る。そちらの男はブーカ族だ。こちらへ戻って来る赤毛は白人に見えるがグラダ族だ。そして俺はオクターリャ族だ。」

 アウロラが顔を上げた。怯えた目でアスルを見た。

「カスパルの仲間じゃないの?」


2022/10/12

第8部 チクチャン     21

  ピア・バスコ医師の診療所が見える位置に車を駐車したロホ、アスル、ギャラガは車内で軽食を取った。付近は路駐が多く、屋台も出ているので彼等がそこにいても誰も怪しまない。不審者がいると通報する人間もいない。だが夜が更ける前に仕事を完了したいのは3人共に同じだった。

「遊撃班はアウロラ・チクチャンにどんな呼びかけをしたんだ?」

とアスルが往来を眺めながら呟いた。ロホが肩をすくめた。

「ただ、出て来い、と言ったんだろ?」
「それじゃ誰も出て来ませんよ。」

とギャラガが口元に付いたケチャップを指で拭き取りながら言った。アスルが黙って紙ナプキンを彼に渡した。

「遊撃班の半数が一斉に『出て来い』なんて念を送ったら、受けた方は腰を抜かします。」
「それじゃ、俺達は何て念じる?」
「『直ぐに来てくれ』で良いんじゃないか?」

とロホ。

「単純な方が良い。恐らく”感応”を使い慣れていない連中だ。どの部族にもチクチャンと名乗る家族がいないと言うことは、逸れ者家族だってことだ。」
 
 アスルが軽く咳払いした。ロホは彼を見て、それから、ハッとギャラガを見た。

「すまん、君のことを逸れ者と思ったことがなかったので・・・」
「平気です。」

 ギャラガは苦笑した。

「私の名前は母親が勝手に名乗ったんです。母親の本当の名前すら私は知りませんから、逸れ者で結構ですよ。」
「ほら、拗ねちゃったじゃないか。」

とアスルがロホを揶揄った。ロホがまたギャラガに謝り、ギャラガも恐縮して焦った。そしてアスルに「拗ねてなんかいませんから!」と怒って見せた。部族も年齢も育ちも階級も全く違う3人の大統領警護隊の隊員が兄弟の様に狭い空間でワイワイやっていると、診療所の建物から看護師達が出て来た。待合室の灯りが消えて、業務が終了したことが外部にもわかった。
 バスコの家の個人住居の部分に灯りが灯った。ロホが部下達に声をかけた。

「そろそろ始めるぞ、最初に私が送ってみる。」

 ギャラガにはロホが何もしていない様に見えた。それほど”感応”は”ヴェルデ・シエロ”にとっては微細な力しか要しない軽度の能力なのだ。少し前まで力まなければ使えなかったギャラガは、先輩の表情を見て、自分はどうなのだろうとちょっと気になった。
 アスルが尋ねた。

「どれほど待つ?」
「10分かな? 直ぐ、と言うから、その程度で次の念を送ろう。」

 3人は自然な風を装って車内で世間話をしながら診療所の様子を伺った。ピア・バスコと伴侶は夕食の席に着いたのか、一つの部屋からなかなか移動しなかった。ギャラガがあることに気がついた。

「入院患者がいるなら、別の部屋にも灯りが点いていますよね?」

 ロホとアスルは顔を見合わせた。言われてみればそうだ。アラム・チクチャンが入院していることになっているなら、診療所の方の「休養室」に寝ている筈だ。しかし、彼は大統領警護隊に連行されてしまい、診療所は真っ暗だった。
 「まずったかな」とアスルが呟いた時、ロホの視野の隅に1人の女が入った。通りを早足でやって来て、診療所が見える角で立ち止まった。暗い窓を見て、ちょっと考え込んだ様子だ。ロホは囁いた。

「来たぞ。」



2022/10/11

第8部 チクチャン     20

  グラダ東港は貨物専用スペースだ。コンテナが並ぶ広大なスペースと貨物船に荷積するフォークリフトやクレーンが動き回る埠頭、倉庫群を見ると、捜査する人間は溜め息をつく。ケツァル少佐はステファン大尉を顔見知りの遊撃班隊員が立っていた車の横にドロップすると、すぐにそこからUターンして走り去った。
 遊撃班指揮官セプルベダ少佐からの要請には応じるが、副指揮官ステファン大尉の甘えには応じられない。以前アスルから「弟に厳しすぎませんか」と言われたことがあったが、少佐は「過ぎる」とは思わなかった。カルロは部下達の命を守る指揮官の修行中だ。結界を満足に張れない指揮官など要らない。部下を危険に曝すだけだ。死ぬ気で部下を守れ。
 遊撃班は昨夜アラム・チクチャンから謎の男の顔や声の記憶を引き出した筈だ。それを隊員達が共有して、捜査に当たっている。もし謎の男がマスケゴ族なら、ブーカ族やその系列の血筋が多い隊員達なら十分に対処出来る。ステファン大尉が恐れているのは、取り逃すことだ。
 ケツァル少佐は文化・教育省のオフィスへ出勤した。部下達と挨拶を交わし、「エステベス大佐」の部屋に彼等を集めた。遺跡・文化財担当課の職員達は、彼等が打ち合わせをしているとしか思わない。実際、打ち合わせなのだから。
 アラム・チクチャンがピア・バスコ医師の診療所に現れたことは部下達を驚かせた。しかし、チクチャンと妹アウロラ、そして謎の人物が仲間割れしたことには驚かなかった。

「アウロラを確保しないといけません。」

とデネロス少尉が言った。

「暴走するかも知れないし、謎の男の仲間がいる可能性もあるので、保護が必要です。」
「その通りです。」

 ケツァル少佐はロホを見た。

「カルロは遊撃班が”感応”で彼女を呼んだが反応がなかった、と言いました。でも、”感応”でなければ彼女と接触する方法はないと私は思います。」

 ロホは少し考えてから意見を述べた。

「普通の”感応”は、呼びかけられた人間は呼びかけた人が誰なのかわかりません。だから、アウロラ・チクチャンは恐れて出て来られないのです。でも、少佐、貴女は私達部下が危機に陥って貴女に助けを求めた時、誰が呼んだかお分かりになるのでしょう?」
「その時に危機に陥っている可能性が高い部下が誰だか知っているからですよ。」

 するとアスルが提案した。

「バスコの診療所から念を送りませんか? ひたすら来て欲しいと伝えるだけです。アウロラは兄の呼びかけだと思うかも知れません。」
「それなら、男性がやるべきだわ。」

とデネロスが言った。

「”感応”は性別は関係ないと思われていますけど、私は、兄や姉から呼ばれたら、男女の違いを感じます。上手く説明出来ませんけど・・・」
「遊撃班はみんな男だろ?・・・いや、1人だけ女がいるけど・・・」
「でも、診療所から念を送ったのではないでしょ? それに助けを求めた訳でもないと思う。」
「つまり・・・」

 ギャラガが言った。

「私達にアラムのフリをしろと?」
「スィ。」

 デネロスは男性隊員達を見回した。

「お芝居じゃない、ただ助けて、と念じるだけですよ。彼女に来て欲しいと思うだけです。だから嘘をつくのじゃなくて・・・」
「わかった。」

とロホが頷いた。彼は少佐を見た。

「3人で交代にやってみます。」


第8部 チクチャン     19

  睡眠時間は短かったが、シエスタの習慣がある国の人間は夜更かしをあまり気にしない。翌朝、テオとケツァル少佐はいつもの時刻に目覚め、一緒に朝食を取り、それぞれの仕事の開始時間に合わせて家を出た。
 少佐はテオより早く自宅を出たが、車で角を一つ曲がったところで、カルロ・ステファン大尉に呼び止められた。大尉は道端に立って、彼女の車が見えると片手を挙げて止まれと合図したのだ。彼女が停車すると、彼は素早く助手席に回って車に乗り込んだ。

「グラダ東港へ行って下さい。」

と彼は元上官であり、異母姉に要請した。少佐は車を発車させてから文句を言った。

「私は貴方の運転手ではありませんよ。どうして公用車を使わないのです?」
「昨夜貴女がアラム・チクチャンを確保して我々に引き渡された後、我々は彼の妹の捜索をしていたのです。」
「”感応”を使ってみましたか?」
「しました。しかし、彼女は応えない。それで、兄妹を操ったと思われる男が働いていると言う東港に、捜索に出ている隊員が集まることにしました。」
「私を使う理由はなんです?」

 ステファンはちょっと躊躇った。出来れば朝から姉を怒らせたくなかった。しかし正直に言わなければ彼女はもっと怒るだろう。

「東港を結界で覆って頂きたい。容疑者を我々が確保する迄の間、逃さないように港湾施設を囲って欲しいのです。広範囲なので、ブーカ族や、ミックスの隊員では手に負えません。純血種のグラダである貴女にしか頼めません。」

 少佐はハンドルを切って、職場オフィスとは反対方向へ車を向けた。

「それは貴方の考えですか? それともセプルベダ少佐の・・・」
「私の一存です。」

 少佐が溜め息をついた。

「カルロ、貴方は他部族を過小評価しているのではありませんか?」
「過小評価?」
「もっと部下達を信頼しなさい。」
「しかし、ブーカ族でも結界を張れる範囲は狭いです。」
「狭くても、複数を適所に配置してカバーし合えば十分守備を固めることが出来るでしょう。貴方は、あの”暗がりの神殿”でロホを信じて守りを任せた。現在の部下達もロホと同じように力を出せますよ。」

 少佐は路肩に車を寄せて停止させた。そして携帯電話を出した。ロホの番号にかけたのをステファン大尉は横目で見た。ロホが直ぐに出た。

ーーマルティネスです。
「ブエノス・ディアス、ケツァルです。少し遅れますから、業務の指示をお願いします。」
ーー承知しました。

 それだけだった。ステファン大尉は不満気に少佐を見た。

「すぐに終わるとは思えませんが?」
「当然でしょう。私は貴方を港に下ろしたら、すぐ帰ります。」
「少佐・・・」
「貴方もグラダ族なのです、港全体を覆う結界ぐらい張りなさい! 都市全体ではないのですよ。」

 姉に叱られて、ステファン大尉はムスッとした表情で前を向いた。
 少佐はかなり乱暴な運転でグラダ東港に向かった。


2022/10/07

第8部 チクチャン     18

  大統領警護隊司令部からの指図通り、ケツァル少佐は本部に連絡を取り、1時間後に遊撃班の隊員達が軍用車両で現れた。彼等はアラム・チクチャンを車に乗せ、本部へ運び去った。残った少佐はピア・バスコ医師に告げた。

「あの男の妹もしくは知り合いだと言う人物が来ても、決して家の中に入れないように。アラムは大統領警護隊に保護されたとだけ、事実を伝えて下さい。あの男の記憶を共有したことは絶対に喋ってはいけません。」
「わかっています。」

とバスコ医師は、患者の情報を守る医師の守秘義務を思い出して頷いた。少佐は彼女が心細いかも知れないと思い、提案してみた。

「もし宜しければ、ビダルをこちらへ寄越してもらうよう、警備班に掛け合いますが・・・」
「大丈夫です。」

 バスコ医師も伊達に町医者を20年以上やってきた訳ではない。様々な危険な状況に面して、それを切り抜けて来た女性だった。

「”出来損ない”の私が言うのもなんですが、中途半端な力を使って他人を脅して生活しているチンピラの”出来損ない”の患者を多く手がけて来ました。自宅の守備ぐらいは1人でも出来ます。」
「失礼しました。」

 ケツァル少佐が素直に謝ると、彼女は微笑んだ。

「でも、『心を盗む』技は、流石に使えませんけどね。」
「あんな技は使わずに済む方が良いのです。」

 少佐と医師はハグを交わして別れた。
 車に乗って少佐が帰宅した時は午後の10時近くになっていた。テオはまだ夕食を食べずに待っていた。家政婦のカーラは帰した後で、少佐が部屋に入ってくると、彼が料理を温め直し、準備してくれた。2人はキスとハグを交わし、それから食卓に向かい合うと、少佐が食べながらアラム・チクチャンの話を語った。一般人のテオを巻き込むべきでないと理解していたが、彼女は彼が何も知らずにいることに我慢出来ない人だとも解っていた。

「チクチャン兄妹を操った男が何者かが、問題だな。」

とテオが感想を述べた。少佐は「スィ」と答えた。

「マスケゴ族の族長選挙が絡んでいるとすると、選挙運動はかなり早くから行われるのかい?」
「族長が決まれば、すぐに次になりたい人が運動を始めますね。なりたい人は野心家ですから。でも人望がなければ、票は入りません。」
「呪いでライバルに妨害をかける人間は人望なんてないだろう。だけど、どうして建設大臣が狙われるんだ? 大臣は昔も今も”ティエラ”じゃないのか?」
「ティエラです。遠い祖先に”シエロ”がいる人がいたかも知れませんが、少なくとも、今狙われているイグレシアスは混じりっけなしの白人です。」
「イグレシアスを狙っていると見せかけて、シショカにフェイントをかけているのかな?」
「有り得ることです。シショカは族長になるつもりがないと言っていますが、本心は分かりませんし、立候補しなくても票が集まる人はいるのです。人望があればね。ムリリョ博士も候補に立たなかったのに族長になられたのです。」
「それじゃ、ケサダ教授も族長になる可能性があるのか?」
「ないとは言い切れません。」

 しかしケツァル少佐は恩師のことは心配していない風だった。ムリリョ博士と違ってケサダ教授は経済界に知られていない。ムリリョ博士の時は、大企業の経営者だった叔父の後継者になるやも知れぬと噂が立ったのだ。マスケゴ族だけでなく、一般のセルバ国民の注目を集めた。それだけ有名企業だったのだ。考古学者として有名になる前に、ムリリョ博士は家族が経営する会社の経営者候補として有名になってしまった。だから、彼が族長に推挙された時、息子のアブラーンが票の取りまとめをしてしまったのだ。
 心配するなら、ケサダ教授ではなく、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの方だ。

 

2022/10/06

第8部 チクチャン     17

 ケツァル少佐はベッドの上に横たわる男に声を掛けた。 

「私は貴方の傷を治す力を持っている。だがその前に私の質問に正直に答えて欲しい。一つでも嘘をつくと、私は貴方を助けない。承知するか?」

 男は小さく頷いた。額に脂汗を浮かべていた。かなり辛いのだ。
 少佐はバスコ医師が横にいることを気にせずに質問を開始した。

「貴方の名前を名乗れ」
「・・・ア・・・アラム・・・チクチャン・・・」
「アラム・チクチャン、ピソム・カッカァの遺跡からアーバル・スァットの神像を盗んだのは貴方か?」

 男は目を天井に向けた。少佐が黙って待っていると、彼は苦痛に顔を歪め、やがて声を出した。

「スィ。」
「アルボレス・ロホス村がダム建設で泥に埋もれた仕返しを目論んだのか?」

 男は小さく溜め息をつき、そしてまた顔を歪めた。脇腹の傷はかなり重症の様だ。

「警備員を爆裂波で襲ったのは貴方か?」

 すると、男は大きく首を横に振った。

「ノ!」

 少佐は彼の脇腹を見た。

「貴方を襲った人間と警備員を襲った人間は同一人物か?」
「スィ!」

 男は初めて首を動かして少佐をまともに見た。

「妹を助けてくれ! あいつは妹も殺すつもりだ。」

 少佐と男の目が合った。少佐は男に己の情報を一切与えなかったが、男の記憶を引き出した。つまり、「心を盗んだ」のだ。


 アラム・チクチャンと妹のアウロラは両親と共にアルボレス・ロホス村で貧しいながらも幸せな暮らしを送っていた。しかし、ダムが下流に出来て泥が畑を覆い始めると、貧困の度合いが酷くなり、村は離散せざるを得なくなった。チクチャン家はアスクラカン市街地に引っ越したが、仕事が見つからず、貧乏のどん底に陥った。父親は無理が祟って病死した。母親は力仕事に出ていたが、事故で亡くなった。まだ10代だったチクチャン兄妹は同じ村出身の老人と3人でなんとか生きた。その老人がある男と知り合った。男は彼に遺跡にある神像を使って呪いをかける方法を教えた。老人はピソム・カッカァ遺跡からネズミ型神像を盗み出し、ダム建設を指図した建設大臣に送りつけようとした。だが手違いから神像を実際に盗んだのは、老人から呪いの話を聞かされた白人の女だった。白人の女は神像を大臣ではなく別の人間に送りつけてしまった。
 チクチャン兄妹は老人が失意の中で亡くなるのを見守るしかなかった。貧困の中で、それでも懸命に生きていた彼等は、ある男から接触された。老人に神像の呪いを教えた男だった。彼はアラムにもう一度建設大臣への復讐を持ちかけた。大臣憎しの気持ちで、アラムは大臣が代替わりしていることを全く気にしていなかった。だから、妹と共に遺跡へ行き、神像を盗み出した。その時に同行していた件の男が、盗難に気づいて追ってきた警備員を、「手を触れずに」倒した。驚いているアラムとアウロラに、男は神像の扱い方を教え、グラダ・シティへ運ばせた。建設省に持ち込む時もそばに一緒にいた。不思議なことに周囲の人間には男の姿は見えなかった様だ。
 建設省に神像を置いて来たが、大臣が病気になったり死んだりしたと言うニュースはなかった。それどころか、イグレシアス大臣は元気でゴルフをしたり、各地の有力政治家と会合を開いたりして活発に活動していた。
 チクチャン兄妹は呪いの効果を疑い、いっそのこと直接大臣を襲撃することを計画した。しかし、それには件の男が反対した。意見の対立で、アラムは男を刺そうとしたが、何故かアウロラが兄に襲いかかってきた。アラムが必死に防御した結果、彼女は突然正気に帰り、兄を車に乗せて診療所へ運んだ。

 ケツァル少佐は大凡の経過を知った。チクチャン兄妹は貧しさ故に憎しみを建設大臣(誰でも良かったのだ)にぶつけようとした。彼等の面倒を見ていた老人も兄妹も、謎の男に唆され、神像の呪いを利用して大臣を亡き者にしようとした。謎の男は呪いで大臣(この男も大臣が誰でも良かったのか?)暗殺を企んだが、直接の殺傷は好まなかったのかも知れない。アウロラ・チクチャンは”操心”で動かされ、兄を殺害しようとして、男も爆裂波でアラムを殺そうとした。(あるいは、アウロラは爆裂波を使えるのか?)正気に帰ったアウロラが兄をバスコの診療所に運んで置き去った。アラムは男が妹を殺すのではないかと心配している。
 ケツァル少佐はアラムの記憶の中の男の顔に見覚えがなかった。そこで仕方なく、ピア・バスコに情報共有した。”心話”は一瞬で全て伝わる。ピア・バスコ医師の表情が強張った。

「随分嫌な話ですね。」

と医師が囁いた。少佐も同意した。バスコ医師は少し考えてから、少佐に告げた。

「患者の記憶している男の顔に、私も見覚えがあります。グラダ東港の荷運び労働者の元締めをしている男に似ています。名前は知りませんが、一度仕事中に怪我をした部下に付き添っていました。往診してくれる医者が見つからないとか言って、私が呼ばれたのです。あの時は一族の人間だとは知りませんでした。向こうも色々な医者に電話して最後に私を捕まえた様でしたから、私の正体は知らないかも・・・」
「ですが、アウロラは兄をここへ連れて来ましたよ。」
「患者にお金がなくても、夫は断らずに診療する主義です。この辺りでは、うちは案外有名なのです。」

 バスコ医師はちょっと苦笑した。
 それで、ケツァル少佐はアラム・チクチャンの治療を行うことにした。心を「盗まれた」アラム・チクチャンは気絶していた。

「これからこの人の患部に念を送ります。数秒ですが、私は無防備になります。」

 バスコ医師は彼女が求めていることを理解した。

「わかりました。私は微力ですが、この部屋に結界を張ります。」

 


2022/10/05

第8部 チクチャン     16

  ”ヴェルデ・シエロ”が「電話では伝えられない」と言う場合は、十中八九”ヴェルデ・シエロ”に関係している事案だ。ケツァル少佐は二つ返事で、「行きます」と答え、電話を切った。そしてフロアに残っている職員達に「また明日!」と声をかけて階段を駆け降りた。駐車場に着いて、車に乗り込んでから、思い出してテオにメールを入れておいた。

ーーバスコの診療所に呼ばれました。

 それだけだ。そして車を出した。バスコ医師と”ヴェルデ・ティエラ”の夫が経営する診療所はグラダ・シティの庶民が暮らす住宅地の中にある。大きな病院に行けない患者の為に簡単な手術もやってのけるクリニックだ。少佐が駐車場に車を乗り付けると、その日の診療は終わったばかりで、最後の患者が数人出て来た。看護師はまだ中にいるのだろう。少佐は医師が「すぐ」と言ったので、待たずに中へ入った。客が来ることを教えられていたのか、受付の女性が奥に向かって声を掛けた。

「ドクトラ、お客さんです!」

 パタパタと足音がして、白衣のままのピア・バスコが出て来た。考古学教授フィデル・ケサダと同級生だった筈だが、苦労が多い人生を送ったせいで、ケサダ教授より老けて見える。彼女は双子の息子の1人を酷い形で失ったので、尚更老け込んで見えた。しかし、その目はまだ彼女のこの世での役割をこなしていこうとする力を失っておらず、輝いて見えた。

「よく来てくださいました!」

 ピア・バスコはケツァル少佐の手を両手で握った。一族の正式な挨拶を忘れている様だ。少佐は気にしなかった。視線が合った。バスコが伝えてきた。

ーー怪我人です。一族の者ですが、訳ありらしく、他の病院へ行けないらしいのです。

 怪我の手当てだけなら、バスコ1人で解決出来ただろう。しかし、訳あり患者は何か外に出られない理由があるのだ。そして診療所には、バスコの一般人の夫や家政婦や、看護師がいる。入院が必要な患者も1人抱えていた。バスコは彼等を彼女1人で訳あり患者から守る自信がなくて、ケツァル少佐を呼んだのだ。息子ビダル・バスコ少尉は本部勤務があるから来てくれない。
 ケツァル少佐は言葉で尋ねた。

「怪我人に面会出来ますか?」
「スィ。」

 バスコ医師は受付の女性と看護師に「片付けが終わったら帰りなさい」と言いつけて、それからケツァル少佐を奥の処置室へ案内した。バスコ医師の夫(正式には結婚していない)がベッドに横たわった男性の体に薄い上掛けを掛けてやるところだった。彼は優しく患者に話しかけた。

「今夜はここで泊まっていきなさい。後は妻が見てくれるから。」

 彼は外傷の縫合を行った様だ。ケツァル少佐は男の腕に巻かれた包帯を見た。それから上掛けで隠れてしまった胴体に視線を移した。さっきチラリと見えたのは、爆裂波の傷ではないだろうか? バスコの夫は妻が連れて来た女性に気が付かずにベッドから離れた。バスコ医師は夫に”幻視”を掛けて少佐が見えない様に思わせたのだ。彼は妻に軽くキスをして、

「君も患者が落ち着いたら休みなさいよ。」

と優しく声を掛けて出て行った。ドアが閉まると、バスコ医師が静かにドアに施錠した。

「両腕に刃物傷、防御創です。」

 彼女は両腕を己の顔の前に上げて見せた。そして脇腹を顎で指した。

「爆裂波による内臓損傷です。傷は私の力で治せましたが、呪いを祓うことが出来ません。」

 ケツァル少佐は頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波による傷は細胞の損傷を完全に治すことが難しい。特殊な技術を習得した指導師と呼ばれる有資格者でなければ、崩れた細胞の修復は不可能だった。
 バスコ医師が上掛けをめくって、患者の患部を見せた。右脇腹が腫れ上がっていた。肝臓のあたりだ。恐らく部分的に肝臓の細胞を破壊されたのだろう。放置すれば2、3日の内に死に至る。
 患者は若い男だった。年齢は20そこそこと見えた。土色の顔をして浅い呼吸をしていたが、意識はあるようだ。ケツァル少佐がそばに行くと、目を少しだけ開いて、彼女を見た。しかし彼女の目は見なかった。

「聞こえるか?」

と少佐が尋ねると、わずかに首を動かして、肯定した。

「一族の者か?」

 今度は首を左右に小さく振った。しかしバスコ医師が囁いた。

「彼は”心話”を使いました。私に傷の位置を教えてくれたのです。」

 若者は先住民に見えた。一族でないと言いながら”心話”を使ったのであれば、一族の血を引く異種族ミックスだ。かなり血の薄い・・・。少佐は試しに訊いてみた。

「チクチャンか?」

 若者が目を見張った。図星か、と少佐は思った。


 

第8部 チクチャン     15

  その日の夕方、ケツァル少佐は胸の内のモヤモヤ感を拭えないまま帰り支度をしていた。朝業務を始めて直ぐに司令部から呼び出しがあった。急いで本部に出頭すると、副司令官の1人エステバン中佐から、アーバル・スァットの盗難捜査はどの程度進んでいるのかと訊かれた。素直に進捗状況を口頭で報告すると、中佐は申し訳なさそうな顔をして言ったのだ。

「盗難の実行犯を逮捕したら、直ぐに本部へ引き渡せ。それ以上の追求は文化保護担当部の管轄から離れる。」

 少佐はムッとして、上官に逆らうのは御法度なのだが、思わず質問した。

「理由をお聞かせ願えないでしょうか?」

 それに対して、中佐は彼女の目を真っ直ぐ見て答えた。

「ある部族の政治の問題だ。彼等自身で解決させなければならない。他部族の介入は許されぬ。但し、他所に飛び火したり、一族の秘密に関わる様な大事になりそうな場合は、大統領警護隊が動かねばならぬ。」

 それ以上は決して教えてくれない。少佐は理解して、了承した。敬礼して本部を後にしたのだった。 
 オフィスでの業務は普段通りだった。カルロ・ステファン大尉がいなくなったので、隣の遺跡・文化財担当課の職員達ががっかりしていたが、昼前にはもういつもの生活に戻っていた。デネロス少尉とギャラガ少尉が申請書を整理して審査し、アスルが警備の規模を想定し、ロホが予算を組む。少佐がそれを承認
するのだ。事務仕事をしながらも、銘々が盗難捜査のことを心のどこかで考えていることを少佐は気がついていた。彼等に司令部が介入してきたことを告げるのは気が重かった。昼休みに思い切って打ち明けると、予想通り、アスルとデネロスが露骨に不満を漏らした。ただの神様の盗難でないことを知っているから、尚更だ。事件の根底を調べたいのに、それは駄目だと言われたのだ。

「要するに、ただのダム建設に関する恨みじゃなかったってことですね?」
「関係者が多いってことですか?」
「一族の偉いさんも関わっているんですね?」

 少佐はノーコメントで押し通した。ロホが同情的な眼差しで見ているのを感じたが、彼女は”心話”を避けた。今”心話”を許可したら、司令部に対する不満までぶちまけそうだ。
 ギャラガがのんびりと呟いた。

「でも、例の警備員が回復に向かっていることは救いですよ。」

 それで、やっと部下達の関心が、ロホの身内が行った施術に方向転換され、少佐は救われた気分になった。
 なんとか一日を乗り切り、少佐は帰り支度をしているのだ。デネロス少尉はお使いに出てそのまま官舎へ帰還すると言って少し前にオフィスを出た。ギャラガ少尉とアスルは久しぶりにサッカーの練習場へ行く約束を交わし、早めの夕食の為にさっさと退勤した。ロホは財務課へ出かけていた。そのまま退勤する筈だから、オフィスに最後まで残ったのは少佐だけだった。彼女が鞄を手にした時、オフィスの電話が鳴った。遺跡・文化財担当課の職員が電話に出て、それから少佐を振り返った。

「少佐、お電話です。医者のバスコさんと言う方から・・・」
「バスコ?」

 少佐は少し考え、大統領警護隊警備班の若者の顔を思い出した。職員に「グラシャス」と声をかけて、電話に出た。

「ケツァル・ミゲール少佐・・・」
ーーピア・バスコです。

 女性の声が聞こえた。バスコ少尉の母親で町医者をしているアフリカ系の”ヴェルデ・シエロ”の女性だ。

「ドクトラ・バスコ、お元気ですか?」

 形通りの挨拶をすると、医者は答えずに直ぐに要件に入った。

ーーもし宜しければ、診療所にすぐきていただけますか? 電話では伝えられない事態です。


2022/10/04

第8部 チクチャン     14

 「ムリリョ博士が他の”砂の民”同様に手下を国中に配していることはわかります。彼はそう言う手下達から情報を集めるのでしょう。でも、貴方はどうして色々なことをご存知なのです? 貴方も手下をお持ちなのですか?」

 テオが疑問をぶつけると、ケサダ教授はコーヒーを飲み干してから、彼を見た。

「私は”砂の民”ではありませんし、そんな手下を持つ様な地位にもいません。ただ、教え子は結構な人数です。彼等は少しでも考古学に関係しそうな物を見つけると、直ぐに互いに連絡を取り合います。当然ながら私にも知らせてくれます。彼等の中には”シエロ”もいます。その子達は、一族の安全に関わることだと判断すれば、私を含めた同胞全体に注意喚起を行なってくれます。私の義父が何者かなんて若い子達は知りません。ただ、一族の中の暗黙の了解で、誰かに注意喚起すれば、必ずどこかで長老や族長に伝わるだろうと言う考えがあるのです。ですから、嘘、デマは厳禁です。教え子でなくても、私は発掘や調査で全国に出張しますし、滞在先で知り合いや友人が出来ます。その中にも一族の人がいます。ですから、私が今回のことを知っていても、仲間は不思議に思わないのですよ。」

 テオは、彼が教授がマスケゴ族の選挙のことを知っている理由を考えた時に、ケツァル少佐が「聞こえてしまったのでしょう」と言ったことを思い出した。あの時は意味がわからなかったが、そう言うことだったのか。

「選挙の件はまだ他の部族には知られていないのですよね?」
「まだ知られていませんね。だから大統領警護隊に知って欲しかったのです。呪術を悪用して選挙活動を有利に進めようと画策している派閥がいることや、一般人を爆裂波で傷つけた大罪を犯した人間がいることや、”砂の民”達が動き出したことを、エステベス大佐に知らせておくべきだと思いました。」

 テオはとても懐かしい名前を聞いた気がした。

「エステベス大佐?」
「大統領警護隊の総司令官です。」

とケサダ教授は答えて、それからフッと小さく笑った。

「副司令官以外の隊員は誰も面会したことがないので有名ですがね。」
「誰も会ったことがないのですか?」
「どこかで会っているのかも知れませんが・・・」

 教授は壁の古い掛け時計をチラリと見た。そろそろ午後の授業が始まる時間だった。

「大統領警護隊の直接の司令業務は全て2人の副司令官によって出されるのです。ああ・・・」

 彼は苦笑した。

「これは、私がケツァルやステファン達教え子から聞いた話ですよ。一般の”シエロ”は大統領警護隊の司令官や副司令官の名前も顔も知りませんからね。」

 テオは長老会の幹部達に会った時のことを思い出した。老人達は男女関係なくお揃いの衣装を身に纏い、仮面を被って顔を隠していた。

「長老会の偉い人達は会っているんじゃないですか?」
「義父からは聞いたこともありません。」

と教授は惚けた。

「それに上のことを知ると、後がややこしいですからね。私は地面を掘って、昔の壁や祭壇を見つめて、古代に何が行われたのか、何が起きたのか考えるだけです。」

 テオは、大人しく顕微鏡を眺めていろと言われた様な気がした。

「因みに、選挙で候補を立てているのは何家族ですか?」

 訊いて良いのかどうかわからないが、訊いてみた。教授は肩をすくめただけだった。

 

第8部 チクチャン     13

  考古学部は静かだ。学生達はそれぞれの研究テーマに沿ってグラダ・シティ近郊の遺跡や資料館、博物館へ出かけていることが多い。学内にいる時も図書館にいる。教室に出ているのは新入生ぐらいだ。教授陣もどこにいるのか所在を掴めないことが多い。テオは現在ンゲマ准教授が遺跡にいるのか学内にいるのかさえ知らなかった。その師であるケサダ教授は昨夜西サン・ペドロ通りに出没したが、今日はどうだろう?
 テオは人文学舎の入り口でケサダ教授に電話をかけてみた。教授は直ぐに出てくれた。研究室にいると言うので、面会を求めると二つ返事で許可してくれた。テオが来ることを予想していたのかも知れない。テオは手土産がなかったので、コーヒーを2つ買って持って行った。
 ケサダ教授は部屋の中に折り畳みビーチチェアを広げて、その上で寛いでいた。テオがシエスタの邪魔をしたことを詫びると、笑った。

「あまり長い時間昼寝をすると、起きるのが億劫になるので、ちょうど良いタイミングで起こして頂いたんですよ。」

 多分、自宅では赤ん坊が泣いて、安眠が難しいのかも知れない。テオが持ってきたコーヒーに感謝して、彼は上体を起こした。そしてコーヒーを一口啜ってから言った。

「昨夜のことを話しにこられたのでしょう?」
「スィ。カルロが司令部に伝えて、司令部がケツァル少佐に何か指示したらしく、彼女が不機嫌になって俺に電話して来ました。しかし、俺は何も答えられない。何も知りませんから。」

 教授がニヤッと笑った。

「本当に何もご存じない?」
「・・・と仰ると?」
「今朝、マスケゴにお会いになったでしょう?」

 全く油断も隙もない。この教授はどんな情報網を持っているのだ、とテオは呆れた。

「建設省に手下でもお持ちですか?」

とかまをかけると、教授は頷いた。

「教え子が職員の中にいますから、時々私に面白い情報を提供してくれます。教え子も大臣の私設秘書が一族の人間だと知っていますからね。あの男は有名人です。」
「では・・・」

 テオは苦笑した。

「有名過ぎるので、対立候補が彼に支持されると自分達に勝ち目がないと考えた人が、彼の注意を神像盗難に向けておきたくて、アーバル・スァット様を彼に送りつけたと?」
「私はそう考えています。だが、その行為は”砂の民”を刺激する。現にシショカは動き出したし、ムリリョ博士も部下に指図を出しました。貴方とデネロスが彼を訪問したでしょう?」
「ああ・・・」

 テオは”ヴェルデ・シエロ”達が神像を邪な考えで利用した不届き者を探し始めているのだと悟った。捜索者は文化保護担当部だけでなくなっていたのだ。だから、教授はステファンに警告を与えた。下手に文化保護担当部が動くと”砂の民”とぶつかる恐れがあると。それ故に大統領警護隊司令部に動いて欲しい、と。

「ケツァルは上官から説得されたか、あるいは指示内容に納得いかずにこれから司令部に押しかけるか、どちらかでしょう。今夕、貴方と会う時に、彼女がどんな考えを持っているか、知りたいものです。」

 テオはケサダ教授も案外好奇心の強い人だ、と思った。



2022/10/03

第8部 チクチャン     12

  昼食を学内のカフェで済ませたテオが、シエスタの為に大学の中庭の木陰で芝生の上にスペースを見つけ、寝転がっていると、ケツァル少佐から電話がかかって来た。彼が出るなり、彼女が厳しい口調で質問して来た。

ーー昨夜、カルロからケサダ教授の情報の内容を聞きましたか?

 恐らく司令部から神像盗難の調査について何らかの命令が下ったのだ。少佐はそれに不満で、彼女の様子を見たデネロス少尉かギャラガ少尉が、車に乗る前にカルロ・ステファン大尉がケサダ教授に待ち伏せされたことを告げたに違いない。ステファンは情報の内容を誰にも教えなかったが、嬉しい知らせを受けた訳ではない、と少尉達は感じた。そして大統領警護隊本部の通用門で少尉達が降車した後、ステファンは直ぐに続いたのでなかった。テオと何か話をしていたことを彼等は知っていた。
 テオは溜め息をついた。

「司令部から君に指示が下る迄、何も言うなとカルロに言われたんだ。指示が出たんだね?」

 少佐は直ぐには答えなかった。テオは彼女に内緒にしていたことを、彼女が怒ったのだと思った。

「少佐?」
ーー貴方を巻き込みたくありません。

と少佐が言った。

ーーだから、本当はカルロが貴方に情報を告げたのは間違いです。

 少佐はマスケゴ族の選挙の情報を司令部から聞かされたのだ。だから、テオがその政争に巻き込まれはしないかと心配していた。だが、テオはもうその政争の端っこに足を踏み入れてしまった。

「カルロを責めないでくれ。彼はほんのちょっぴり喋っただけだ。選挙があるってだけだよ。それで捜査権が文化保護担当部から他所の部署に移るかも知れないって、それだけ教えてくれたんだ。」

 また数秒間黙ってから、少佐が尋ねた。

ーー本当にそれだけですか?
「誓って、それだけだ。」
ーー人の名前とか、組織の名前とか聞いていませんか?
「聞いていない。」

 微かに安堵の溜め息が聞こえた。だから、テオは緊張を和らげる為に言った。

「カルロだってそんなに口が軽い訳じゃない。遊撃班の副指揮官なんだから。」
ーー彼は貴方を信頼していますから・・・

 少佐がちょっぴり嫉妬の響きを声に混ぜて言った。ステファンがテオに告げて彼女に黙っていたことが許せないのだろう。それを言うなら・・・

「元凶はケサダ教授だ。彼がカルロではなく君に伝えてくれたら良かったんだ。」
ーー男性が夜に女性の家を訪ねる訳にいかないでしょう。

 時々”ヴェルデ・シエロ”は変に礼儀作法にこだわる。

「それじゃ、彼はカルロじゃなくロホやアスルでも良かったってか?」
ーー恐らく。

 少佐は怒りが収まって来たのか、声のトーンが下がって来た。

ーーもしあの場でデネロスか私しかいなければ、女性でも良かったかも知れませんけど。
「だけど、ムリリョ家やシメネス家が関わっていないなら、どうして彼が首を突っ込むんだ?」
ーーそれは・・・

 少佐がフッと笑った。

ーー聞こえてしまったからでしょう。本人に訊いてみてはいかがです?

 そして彼女は話題を変えた。

ーー今夜は普段通りに帰ります。貴方は?
「俺も普通に帰るが・・・?」
ーーでは、今夜。

 少佐は唐突に電話を終えた。
 テオは携帯電話を眺め、それから人文学舎を見た。ケサダ教授とじっくり話し合ってみたかった。

2022/09/30

第8部 チクチャン     11

「嫌がらせを受ける覚えはない。」

とシショカは言った。口をへの字に曲げてテオを睨みつけた。テオは続けた。

「アルボレス・ロホス村の元住民で、犯人らしき人を、と言うか名前を、文化保護担当部が見つけました。しかし、どの部族にも属さないような名前で、恐らく異種族の血が入っている筈です。そんな人達が、あの扱いが難しい神様を盗んで送りつけるとは思えない。知識を十分持っていると思えないのです。誰かが唆したのでしょう。唆した人間は、多分”シエロ”だ。 だが、その人物が泥で埋まった村の復讐をする理由がない。他人の恨みを利用して、己の利になるよう、仕向けたに違いありません。」
「それが族長選挙と関係あると言うのか?」

 シショカが低いどすの効いた声で尋ねた。

「馬鹿馬鹿しい。私は族長になるつもりはない。私は誰の支持もしていない。」
「しかし、他の候補者達が貴方の真意を知っているとは限らないでしょう。」

 テオは思わず相手の机の縁に手を置いた。相手が凶暴なピューマであることを忘れた。

「少なくとも、神像を送りつけられた貴方が、犯人探しで注意をそちらへ向けている間に、自分に有利にことを進められるよう画策している候補者がいるかも知れないんですよ。」
「だから?」

 シショカがイラッとした声を出した。

「貴方は私に何を言いたいのだ?」

 テオもちょっとイラッとした。

「わかりませんか? 神像の盗難捜査が文化保護担当部から他の部署に移るかも知れないってことですよ! 大統領警護隊がマスケゴ族の選挙の情報を掴んだんです。」

 シショカが黙った。部族間の政治は他の部族には関係ないことだ。他の部族の介入は許されない。だから族長選挙も終了して新しい族長が決まる迄、他の部族は選挙があることさえ知らないのだった。大統領警護隊がマスケゴ族の選挙を知ってもマスケゴ族に害にならない。しかし、選挙に関連した内輪揉めを知られて、介入されるのはマスケゴ族の誇りに関わる。
 テオは机から手を離した。

「俺が言いたかったのは、それだけです。文化保護担当部にはまだ伝わっていません。それから、これはムリリョ博士の情報でもない。噂ですから!」

 彼は「さようなら」と言って、くるりと背を向け、ドアに向かって歩いた。シショカが何か言うかと期待したが、結局何も、挨拶さえ帰って来ずに、彼は部屋の外に出た。



第8部 チクチャン     10

  テオがアパートに帰ると、丁度ロホとアスルがビートルに乗って駐車場から出て行くところとすれ違った。片手を上げて挨拶の代わりにした。
 部屋に上がると、ケツァル少佐が寝支度をしていた。テオは彼女におやすみのキスをして自室に移った。シャワーを浴びてベッドに寝転がった。
 マスケゴ族の族長選挙と言われても想像がつかなかった。まさか市長選挙や大統領選挙みたいに投票場に行って、投票箱に候補者の名前を書いて入れる訳ではあるまい。古代からの何か儀式の様な方法で決めるのだろう。だが、候補者同士が足を引っ張り合うことがあっても、呪いなど使うのはルール違反に違いない。
 シショカはそんな方面に考えを至らせているだろうか。頭脳明晰な政治家の秘書のことだから、恐らくその可能性も思慮に入れているだろう。しかし、送りつけた人間はシショカの能力を承知している筈だ。呪いの神像など見破ってしまうだろうと想像出来るに違いない。

 やはりダムの恨みに対する「素人」の犯行じゃないのか?

 その夜はよく眠れなかった。翌朝、少し遅れて朝食に行くと、少佐は既に食べ終えて、「寝坊ですか?」と訊いた。テオはボーッとした顔で頷き、出勤する彼女にキスをして送り出した。彼女は彼の心を読めない。それは救いだった。ステファンやケサダ教授が言う通り、捜査に関する指示は司令部から彼女に直接言ってもらった方が良いだろう。
 大学のスケジュールを眺め、午前中はまだ余裕があると計算した彼は、着替えると建設省へ出かけた。1階のロビーは入り口の守衛の持ち物検査が通れば誰でも入場可能だ。
 テオは大学のI Dを見せて中に入り、受付へ行った。若い男女の職員がカウンターの向こうに座っており、パソコンの画面を見ていたが、テオが近づくと男性の方が顔を向けた。

「ブエノス・ディアス」

とテオが声をかけると、彼も挨拶を返した。テオはセニョール・シショカに面会を希望する旨を告げた。

「お約束されていますか?」

と男性が訊いたので、彼は「ノ」と言った。

「でも、私の名前を告げて頂ければ、会ってくださると思います。」

 強気で言うと、職員は胡散臭そうに彼を見ながら、電話をかけた。小声でボソボソ会話をしてから、彼は電話を終え、テオを振り返った。

「3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」

 それだけ告げた。テオは「グラシャス」と言って、エレベーターに乗った。乗ってから、大統領警護隊だったら階段を使うな、と思った。
 エレベーターを降りて、指示されたドアをノックすると、「どうぞ」と男の声が聞こえた。開くと、中は普通のオフィスで、机の向こうで顰めっ面のシショカが座ってパソコン画面を眺めていた。今日の大臣のスケジュール確認でもしているのだろう。
 テオは「ブエノス・ディアス」と挨拶した。シショカは尊大に頷いただけだった。この扱いが、カルロ・ステファン大尉以上なのか以下なのか、テオにはわからなかった。
 躊躇うと怖気付いていると思われそうなので、彼は直ぐに要件に入った。

「お忙しいと思うし、俺も仕事があるので、簡単に質問します。貴方は、マスケゴ族の族長選挙に立候補されていますか?」

 どストライクだ、と彼は自分でもそう思った。果たして、シショカがパッと顔を上げて彼を見た。

「誰が貴方にそんなことを言った?」

 怒っていた。テオは、少なくともシショカが腹を立てたと感じた。核心を突いた様だ。

「噂です。」

とテオは言った。

「アーバル・スァットを盗んだ人間はアルボレス・ロホス村の元住民かも知れませんが、彼等を利用してここに神像を送りつけさせた人間は、大臣ではなく、貴方に嫌がらせをしたかったのではありませんか?」



2022/09/29

第8部 チクチャン     9

  何となく静まり返ってしまった車が大統領警護隊の通用門の前に到着した。ギャラガ少尉とデネロス少尉がテオに礼を言って、降車した。ステファン大尉も降りたが、ドアを開けたままだった。彼は後輩達が門の中に入ってしまうのを確認してから、運転席のテオを覗き込んだ。

「少佐には、さっきの話を黙っていてくれますね?」
「内容がわからないから、話しても仕方がないだろう。それに彼女に教えて良い話なら司令部から連絡が行くんだろ?」

 どうせ俺には来ないだろうけど、とテオは心の中でやっかんだ。ステファンがちょっと頷いてから、囁いた。

「私は口が軽いので、貴方には話してしまいます。」
「おい!」

 これはびっくりだ。テオはステファンを見上げた。ステファン大尉が言った。

「マスケゴ族の族長後継者の争いが始まっている、と”あの人”は仰ったのです。」

 テオは息を呑んだ。マスケゴ族の族長はファルゴ・デ・ムリリョだ。しかし彼は長老会の最高幹部でもあり、高齢だ。族長は決して高齢者とは決まっていない。そして外国では誤解が多いが、世襲制でもない。部族のリーダーにふさわしい人を選挙で決めるのだ。

「博士は次の選挙には出ないつもりなのか?」
「あの方は引き際をご存じです。それに族長は2期で終わり、大統領と同じです。独裁を防ぐために、古代からそう決められています。」
「それじゃ、息子のアブラーンは・・・」
「世襲ではないので、立候補しなければなりません。しかし、アブラーンは会社経営で忙しい。族長の仕事をする暇がないので、今回立候補しません。それに彼は族長になりたいと希望を口にしたこともありません。」
「すると、他のマスケゴ族の家族から候補者が出ているのか?」
「純血種のマスケゴ族が何家族いるのか、私は知りませんが、水面下での争いは既に始まっているでしょうね。」
「それなりに権力を握れるからな・・・だが、どうして”彼”が君にそんな話を・・・」

 テオの頭にある考えが浮かんだ。

「まさか、シショカもその族長選挙に絡んでいるのか?」
「可能性はあります。彼が立候補するつもりなのか、或いは候補者の支援者なのか、それは不明ですが、今回の神像の件はマスケゴ族の選挙に関係している可能性があります。」
「”彼”は候補ではないんだな?」

 ケサダ教授を次の族長に、と言ってくれる人がいる、と以前ムリリョ博士自身がテオに語ったことがあった。しかしケサダ教授はマスケゴ族ではない。マスケゴとして育てられたグラダ族で、本人もそれを承知している。決して目立つことはするまいと心に誓っている人なのだ。だから彼は常に義父と義兄の陰に隠れている。

「神像を盗んだのは、マスケゴ族かも知れません。」

とステファン大尉が言った。

「もしそうなら、大統領警護隊司令部が遊撃班に捜査を命じるでしょう。文化保護担当部の管轄ではなくなります。」

 もし司令部からケツァル少佐に連絡が行くとすれば、今回の盗難事件捜査から手を引けと言う指示になるのだろう。
 テオは溜め息をついた。

「彼女があっさり手を引くと思えないがな・・・」


2022/09/28

第8部 チクチャン     8

  「おやすみなさい」と言って、ステファン大尉、デネロス少尉、ギャラガ少尉はケツァル少佐のアパートを出た。テオが送ってやるよ、と言って、キーを掴むと、少佐はアスルを振り返った。

「貴方も便乗して帰りなさい。」

 しかしアスルは食器を片付けながら答えた。

「ロホが乗せてくれるなら、ビートルで帰ります。」

 既に厨房で皿洗いに励んでいるロホが笑った。

「いつでも乗せるさ。今夜は寄り道しないから。」

 それで、テオは急いで3人を追いかけて外に出た。エレベーターを嫌う大統領警護隊より先に駐車場に着いた。エレベーターホールから車に向かって歩いていると、何か人の気配がした様な気がした。立ち止まって周囲を見回したが、誰かがいる様子はなかった。車の陰に隠れている強盗とかだったら嫌だな、と思った。アパート本体はセキュリティがしっかりしているが、駐車場は防犯カメラだけだ。車に到着した時、階段から3人の将校が降りて来た。彼等はテオの車に向かって歩き始めたが、ステファン大尉が足を止めた。

「呼ばれました。」

と彼は言い、友人達を驚かせた。彼はテオに向かって言った。

「少尉2人と車内でお待ち下さい。多分、知り合いです。」

 危険のない相手だと言いたいのだ。デネロスがギャラガを促してテオの側に来た。上官が行けと言うなら従うしかない。テオはデネロス、ギャラガと一緒に車の中に座り、ステファン大尉の方を見た。
 ステファン大尉は何処かに行くでもなく、その場に立っていた。すると暗がりの中から男性が1人現れた。それを見て、テオは驚いた。彼だけでなく、デネロスもギャラガも驚いた。

「ケサダ教授だ!」
「こんな時間にこんな場所で、大尉に何の用だろう?」

 ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉にケサダ教授が”感応”で呼びかけたのだ。さっきの気配は教授だったのだ、とテオは知った。テオの勘が鋭いこともあるが、教授は彼に存在を知られても平気だから敢えて気配を殺したりしなかったのだ。
 大尉と教授は普通に挨拶を交わし、教授が何かを大尉に”心話”で伝えた。テオはステファン大尉がギョッと目を見張るのを目撃した。ケサダ教授は何か特別な情報を伝えたようだ。

 しかし、何故伝える相手が少佐でなくカルロなんだ?

 ステファンが口頭で何か質問した。教授が首を振り、何か答えた。そして、2人は丁寧に別れの挨拶を交わした。
 ケサダ教授は現れた時と同じ様に、静かに暗闇の中に去って行った。ステファン大尉はその後ろ姿に敬礼してから、テオの車に向かって歩いて来た。
 テオは彼が車内に座るまで待ち遠しかった。何の話し合いが行われたのだろう。ステファンはそれを教えてくれるだろうか?
 デネロス少尉が助手席から後部席に座った上官に尋ねた。

「教授は何の用事だったんですか? お尋ねしても宜しいですか?」
「ノ。」

 予想通りの返事だった。ステファンは腕組みして目を閉じた。隣のギャラガ少尉はちょっと迷ってから言った。

「私は読唇が出来ます。」
「知っている。」
「見えたことを喋っても構いませんか?」
「それは構わない。」

 ステファン大尉は目を閉じたままだ。テオはゆっくり車を出した。ギャラガが言った。

「大尉は教授に『少佐に伝えても良いですか』と訊かれ、教授は『司令部に伝えてからにしなさい』と仰いました。」

 デネロスが身じろぎした。

「それって・・・何だかやばい情報じゃないですか?」
「だから、俺は黙っている。」

 ケツァル少佐から「情報を盗まれるうっかり者」と評されるステファン大尉はそれっきりダンマリを決め込んだ。


第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...