2022/01/31

第5部 山へ向かう街     4

  大統領警護隊本部遊撃班は恐らくホセ・ラバル少尉を尋問し、またカロリス・キロス中佐からも事情聴取したことだろう。テオは隊員ではないし、”ヴェルデ・シエロ”でもない。サン・セレスト村で起きた事件に多少関与したが、だからと言って大統領警護隊が彼に捜査結果を教えてくれる訳が無い。ケツァル少佐も同じく捜査結果を知りたい様子だったが、彼女は己が事件の部外者であることを心得ていたので、本部に情報を求めることをしなかった。
 テオは太平洋警備室のホセ・ガルソン大尉、ルカ・パエス中尉、そしてブリサ・フレータ少尉がこの先どうなるのかも気になった。ガルソン大尉は3年間本部に嘘を通してきた。指揮官のキロス中佐が元気で勤務していると動画を細工して、毎日定時報告として送信していたのだ。彼は転属を覚悟していた。降格もありうるし、もしかすると不名誉除隊となるかも知れない。それなら良いが、罪に問われて逮捕でもされたら・・・。 パエス中尉とフレータ少尉も共犯だ。だが3人はキロス中佐が元通り元気になる日が来ると信じて、彼女に仕えたのだ。

「キロス中佐に面会出来ないだろうか?」

 テオの提案にケツァル少佐は首を傾げた。

「彼女は今厳重な警護の元で治療を受けているでしょう。家族の面会も難しいと思います。」
「中佐に家族がいるのかい?」

 と訊いてから、テオは遊撃班のファビオ・キロス中尉を思い出した。少佐はキロス中佐と親しくないので、と言い訳した。

「彼女の家族のことは知りません。」
「遊撃班にファビオ・キロス中尉がいるが・・・」

 するとロホが言った。

「キロス家は代々軍人を出している家系ですから、大統領警護隊に何人のキロスがいると思いますか?」
「そんなにいるのか?」
「私が知っているだけでも3人います。全員従兄弟同士ですが。」
「それじゃ、カロリスは叔母さんかも知れないな。」

  テオはキロス中佐が本部の事情聴取を受ける前に会いたかった。本部から事件の真相を口止めされる前に。そしてガルソン大尉達の処分が決定する前に。彼女の口から真相を聞かせてもらい、部下達の処分が軽く済むよう助けてやってくれと頼みたかった。
 ふとケツァル少佐が顔を上げて、テオに言った。

「フレータ少尉なら面会させてもらえるかも知れませんね。」


第5部 山へ向かう街     3

  テオはケツァル少佐を見つめ、それからロホを見た。

「3年前、アスクラカンを出たバスがティティオワ山で事故を起こしたんだよ。」

 彼が囁くと、ロホが少佐より先に反応した。

「貴方が記憶を失った事故ですか?」
「スィ。キロス中佐はその事故が起きる前にアスクラカンへ行き、事故のすぐ後でサン・セレスト村に戻って来たと、太平洋警備室の隊員達は言っていた。」

 少佐が尋ねた。

「貴方は、中佐があの事故について何か知っていると考えているのですか?」
「彼女の呪いを祓ったカルロが、中佐は悲しみにうちひしがれていると言ったんだ。だから・・・」

 テオは言葉を纏めようと考えた。

「中佐はもしかすると事故の原因を知っているのかも知れない。事故を防ごうとして出来なかったか、あるいは、あれは事故ではなく、何者かが仕掛けて、彼女はそれを阻止出来なかったか・・・」

 ケツァル少佐が彼の手に自身の手を重ねた。

「それで貴方はアスクラカンへ行きたいのですね?」
「スィ。アスクラカンはエル・ティティから車で1時間の距離だ。週末にエル・ティティに滞在する時に、出かけても良いんだ。買い物とか・・・」
「調査するなら、目標を決めないと、無駄足になります。」
「ラバルは純血至上主義者みたいな考えを口走っていた。」

 ロホが首を振った。

「オルト一族の様な人々と接触しない方が良いです。白人や”ティエラ”に危害を加えたりしないと思いますが、気持ちの良い人達ではありません。」
「それなら、キロス中佐が会いに行った医者の訪問先を探してみる。」

 ちょっと間を置いて、少佐とロホが「医者?」と質問した。それでテオは説明が抜けていたことを思い出した。

「3年前、エンジェル鉱石、今のアンゲルス鉱石だが、あの会社が従業員の健康診断で採取した血液を、当時俺がいた国立遺伝病理学研究所へ売り払ったんだ。それで俺がセルバ共和国に来るきっかけが出来たんだが、その仲介をしたのが、医者のバルセルと言う人物だった。キロス中佐は彼が”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子が混ざったサンプルを売却したと知り、バルセルがアスクラカンに出かけたので追いかけた。そこまで俺に語ってから、彼女はおかしくなった。」

 少佐とロホは顔を見合わせた。ロホが尋ねた。

「そのバルセルと言う医者は今何処に?」
「知らない。調べなきゃ。」
「バルセルは”シエロ”ですか?」
「いや、白人だと聞いた。」
「彼が血液を売却したことと、純血至上主義は結びつきませんが?」
「だから、それを調べたい。」

 不意にケツァル少佐が電話を出した。何処かにかけるのを男達が眺めていると、彼女は先方と話し始めた。

「ブエナス・ノチェス、バルデス社長!」

 え? とテオとロホは思わず顔を見合わせた。少佐は喋り続けた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です・・・スィ、ご協力、感謝しております。」

 少佐はアンゲルス鉱石のアントニオ・バルデス社長と話している。 セルバ流に少し世間話をしてから、本題に入った。

「3年前の御社の産業医をしていたバルセルと言う医師は現在何処にいますか?」

 バルデスの返事を聞いた少佐の顔が曇った。

「本当ですか? ・・・ わかりました。グラシャス。」

 電話を終えたケツァル少佐はテオを見た。そしてわかったことを伝えた。

「バルセル医師は、貴方が巻き込まれたバス事故で亡くなっていました。」


第5部 山へ向かう街     2

  バルで軽く一杯やった後、本格的な食事に行く前に、公園のベンチでビールを飲みながら、テオはサン・セレスト村で起きた事件の概略を語った。
 オルガ・グランデ空港でカルロ・ステファン大尉と出会い、お陰で大統領太平洋警備室の隊員達とお近づきになれたこと。ステファンが感じた指揮官キロス中佐の異常をフレータ少尉に訊いてみると、副官のガルソン大尉が中佐に面会させてくれたこと。面会の途中で中佐の具合が悪くなったので、フレータ少尉が車で診療所へ連れて行こうと彼女を車に乗せ、そのジープが爆発したこと。中佐と少尉は重傷を負ったが、生きていること。(「今はオルガ・グランデ陸軍病院に入院している」とテオは忘れずに言った。)ラバル少尉が、パエス中尉が爆破犯人だとして拘束したが、ガルソン大尉とステファン大尉はラバル少尉の嘘を見破り、少尉を拘束してパエス中尉を救出したこと。ラバル少尉は純血至上主義者の主張をしたが、彼はカイナとマスケゴのミックスで、彼の思想でキロス中佐の暗殺に繋がるものが何も思い当たらないこと。

「俺が面会した時、キロス中佐は何かを語ってくれそうだった。3年前にアスクラカンへ出かけて戻って来てから彼女がおかしくなったとガルソン大尉が言っていたので、俺はその点を訊いてみたんだ。彼女は何か言いたそうだったが、そこで具合が悪くなった。」
「具合が悪くなった?」
「何かを思い出そうとすると頭痛が始まった様で、それから泣いている様にも見えた。」

 ロホが尋ねた。

「それは何かが彼女に喋らせまいとしていたのではありませんか?」

 テオは彼を見た。

「彼女は”操心”に掛けられているって言うのか?」
「キロス中佐は強い能力を持っています。完全に支配されない代わりに、完全に逃げ切ることも出来ないで、苦しんでいるのだと思います。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「何者かが彼女の記憶を消そうとしたのです。でも彼女は抵抗して、逃げた。そして3年間、その敵の”呪い”と闘っていたのでしょう。それが、無気力と部下達の目に見えたのです。中佐はきっと副官のガルソン大尉に伝えたかったに違いありません。でも説明しようとすれば敵の力に乗っ取られそうになる、だから言えない。その繰り返しだったのでしょう。」
「ガルソン大尉は指導師の資格を持っていません。呪いの対処方法を知らないし、どんな類の呪いが中佐に掛けられているのかもわからないのです。心の病気かも知れないと心配して投薬治療を行なっていたのですね? 彼は判断を誤りました。中佐の異変に気づいた時に、本部に連絡すべきでした。」

 テオは頷いた。

「彼も後悔していた。中佐の名誉を心配する余りに、正しい判断を下せなかったと。」

 ロホが呟いた。

「大尉はキロス中佐を心から慕っているのですね。」

 するとケツァル少佐が言った。

「私がおかしくなったら、躊躇わずに司令部に通報なさい。間に合わなければ撃ち殺しても構いません。」
「少佐!」

 テオの抗議の声を無視してロホが頷いた。

「承知しました。しかし、撃つ限りは必ず息の根を止めさせて頂きます。」
「ロホ・・・」
「それでこそ、我が副官です。」
「少佐・・・」

 テオは友人達の会話に呆れた。少佐とロホが顔を見合わせ、それから2人共同時にぷっと吹き出した。テオはむくれた。

「俺を揶揄ったのか?」
「そうではありません。私達はそれぐらいやらないと危険な存在だと言うことです。私が狂う場合は、少佐が私を撃ちますよ。ガルソン大尉と部下達は中佐を治そうと必死だったのでしょうね。指導師の資格を取り立てのカルロが赴任して、彼等は期待と同時に本部に嘘をついてきたことがバレると覚悟したでしょう。」

 ロホは遠い太平洋の僻地で心に異変を来した上官を守ろうと奮闘した隊員達を思い遣った。
 ケツァル少佐が腕組みした。

「アスクラカンで何かが起きたことは間違いありませんね。それにラバル少尉が関係しているのかしていないのか、それは本部が取り調べるでしょう。恐らくラバルは尋問に屈する筈です。大統領警護隊の司令部の尋問に耐えられる者はいません。でもそれで真相が判明するかと言えば、確実とは言えないでしょう。」

 テオは夜空を見上げた。乾季の空は晴れ渡って満天の星空だ。

「アスクラカンへ行く用事を作らなきゃいけないなぁ。遺伝子鑑定が必要なミイラが出土する遺跡とか、ないかい?」
「しかし、キロス中佐が話が出来る状態に回復したら、事情は聞けるでしょう。」
「酷い火傷だった。それに彼女がそうなった事情を彼女から聞けても、事件の解決に結びつくだろうか。犯人を探さないと・・・」
「テオ。」

と少佐がちょっと尖った声を出した。

「何故貴方がそこまでするのです? 遊撃班に任せなさい。」




第5部 山へ向かう街     1

  航空機でグラダ・シティに帰ると、到着は午後3時になった。早朝にサン・セレスト村をバスで出発して午前10時過ぎにオルガ・グランデに到着し、それから空港までは徒歩で10分。搭乗手続きに時間がかかり、空港で昼食、飛行機に乗って、やっと戻って来たのだ。
 3人はちょっと贅沢してタクシーで大学へ行き、遺伝子工学教室の冷蔵庫にサンプルを入れた。分析は早い方が良いのだが、週末だ。月曜日の午後から始めることにした。
 院生達を帰宅させ、テオは研究室で一人コーヒーを淹れた。椅子に座ってから携帯を出した。

ーー帰ったよ。

 相手はケツァル少佐だ。忙しければ返事はない。1分画面を見つめてから、彼は携帯を机の上に置き、コーヒーを啜った。メールが着信した。

ーー今夜はエル・ティティに帰るのですか?
ーーノ。 良ければ食事でもどう?
ーーOK。いつもの時間にいつもの場所で。

 少佐もすっかり素直になった。恐らく西海岸で起きた事件が文化保護担当部に伝えられることはないだろう。テオは彼女が要求しなくても語りたい気分だった。まだ何か残っている感じが拭えないのだ。
 夕方が待ち遠しかった。冷蔵庫の中をもう一度整理して、ふと心配になった。彼は携帯電話を出した。相手が出てくれるかどうかわからなかったが、掛けてみた。
 5回の呼び出しの後で、今朝別れたばかりの男の声が答えた。

ーー大統領警護隊太平洋警備室ガルソン大尉・・・
「テオドール・アルストです。」

 ああ、と相手が声を出した。

ーーどうかなさいましたか?
「貴方のお子さんの名前をお聞きしようと思って。もし採取したサンプルに貴方のお子さんの物が混ざっていたら、遺伝子分析の時にちょっと拙いでしょう?」

 ガルソン大尉はテオの言葉の意味を直ぐに理解してくれた。 テオが思った通り、子供達は母親の姓を名乗っていたので、教えてもらわなければ彼の子供のサンプルを判別出来なかった。テオは大尉に礼を言って、電話を切った。
 半分”ヴェルデ・シエロ”のガルソン大尉の子供達のサンプルに小さく印を付けた。廃棄しようかとも思ったが、数を確認した院生達に怪しまれるので、そのままにして分析の時に無視する項目に”シエロ”のゲノムを入れておくのだ。もしカタラーニが何か気がつけば、その家系の特性だと決めつけておこう。
 夕刻、テオは研究室を施錠して、文化・教育省へ行った。車は自宅にあるので(留守中はアスルが使った筈だ。)歩いて行った。
 定時になると、職員達がゾロゾロ退庁して来た。アンドレ・ギャラガ少尉が女性職員2人に挟まれて仲良く談笑しながら出てきた。テオに気がつくと、彼はちょっとバツが悪そうな顔をした。きっと女性達に口説かれていたのだろう。
 アスルはサッカーのユニフォームに着替えて出て来た。テオに気づくと近づいて来た。

「車を使って良いか?」
「スィ、構わない。潰すなよ。」

 最後の冗談に彼は、フンと言って、駐車場に歩き去った。
 ケツァル少佐は「コブ付き」で現れた。ロホが一緒だった。これはテオも想定内だったので、笑顔で1週間ぶりの再会を喜び合った。

「ついて行っても良いですか?」
「勿論さ。君にも聞いてもらいたい話があるんだ。」

 ケツァル少佐が笑顔なしで尋ねた。

「向こうで何かありましたか?」



2022/01/30

第5部 山の向こう     19

  グラダ・シティに帰る日がやって来た。テオも2人の院生達も、ブリサ・フレータ少尉が退院して来る前にサン・セレスト村を去ることを残念に思った。彼女との付き合いは短く浅かったが、ハラールの儀式をわざわざ教えに来てくれた親切な女性だ。せめて彼女をお茶に招待したかったと院生達は言った。オルガ・グランデに戻っても陸軍病院に見舞いに立ち寄る時間的余裕がなかった。セルバ航空の飛行機は離陸が遅れることが多いが、乗客が遅刻しても待ってくれない。
 採取したサンプルを3つの保冷バッグにぎっしり詰め込んだ。往路はステファン大尉と合流したので陸軍のトラックで来たが、帰りは1日2本の路線バスだ。朝早く学校へ行く子供達と一緒にバスに乗るために広場で待っていると、驚いたことにガルソン大尉がセンディーノ医師と共に見送りに来てくれた。

「想定外の騒動であなた方に多大な迷惑をかけてしまいました。」

 大統領警護隊とは思えない腰の低さでガルソン大尉が挨拶した。

「この村は普段は平和で暢んびりした場所です。港の積出があるので煩雑な印象を与えますが、休日は磯で魚を釣ったり、泳いだりして楽しめる海岸です。不便な所ですが、機会があればまた訪ねて来て下さい。」

 センディーノ医師も挨拶した。

「まるで大学にいる子供達が帰って来た様な気持ちで過ごせました。手術のお手伝いもしていただいて、本当に頼もしかったです。大尉が仰ったように、ここは良い村ですよ。また遊びに来て下さいね。」

 バスが埃を立てながらやって来た。テオ達はセンディーノ医師とハグし合い、ガルソン大尉とは握手を交わした。
 テオと握手した時、ガルソン大尉が囁いた。

「私は転属させられるかも知れません。次の指揮官がどんな人かわかりませんが、私は何処に行っても、キロス中佐に起きたことを調べ続けたいと思います。」
「気をつけて下さい。」

とテオも囁き返した。

「俺もラバル少尉一人の犯行とは思えないのです。くれぐれも用心して下さい。」

 バスは子供達が乗り込む間停まっているが、うかうかすると行ってしまいそうなので、別れの挨拶を切り上げて、大人達も乗り込んだ。ドアが閉まらないうちにテオはガルソン大尉に怒鳴った。

「カルロ・ステファンをよく指導して下さい。俺の将来の弟になるかも知れない男ですから!」

 ガルソン大尉が目を丸くした様に思えたが、ドアが閉まり、バスは直ぐに動き始めた。
 テオが座席に座ると、院生達が窓の外に手を振った。バスがガタガタ揺れながら坂道を登り始め、村が遠ざかっていった。

「先生、さっきの、何なんです?」

とカタラーニが尋ねた。

「さっきの、とは?」
「ステファン大尉が先生の弟になるって・・・」
「ああ・・・」

 テオはニヤリと笑った。

「彼の姉さんが美人なんだ。」




第5部 山の向こう     18

  本部からの応援を連れて戻って来たパエス中尉は、夜中にサン・セレスト村に到着した。テオは宿舎で休めと言われて戻っていたが、眠れなかったので、車のエンジン音を聞いた時に寝袋から出た。同室のカタラーニは爆睡していたので、起こさない様に静かに部屋を出た。外に出ると、太平洋警備室の建物の前にジープが停車したところだった。ライトを点灯していない。いかにも”ヴェルデ・シエロ”の車だ。テオは月明かりだけで道を歩いて行った。静かだ。隊員同士の会話は全て”心話”で交わされているのだろう。暗かったので不確かだったが、ジープから3人が降りて、オフィスに入って行った。
 テオが建物に近づいた時、後ろから人が来る気配がした。立ち止まって振り返ると、既に近くまで来たガルソン大尉が、彼を見て呆れた様に言った。

「眠れないのですか?」
「うん。車の音が気になって来てしまった。」

 大尉が溜め息をつくのがわかった。彼も休んでいたのだろう、Tシャツの上に着た上着のボタンを留めながら歩いていたのだ。

「本部の連中が貴方をオフィスに入れることを承知するか否かわかりませんが、入り口迄どうぞ。」

 一緒にオフィスの入り口迄行った。ガルソン大尉が彼に待機を要請して、中に入った。オフィスは灯りが灯っていた。照明を使用しないと”ティエラ”達に奇妙に思われるので、点けている。宿直がいると示す必要もあるのだ。
 2、3分後にドアが開いて、ステファン大尉が顔を出した。

「テオ、入って下さい。」

 ガルソン大尉が本部の隊員に話をつけてくれたのだ。テオはステファン大尉についてオフィスに入った。見覚えのある顔が、柔らかな照明の下に見えた。一人は知っているが友人ではなく、もう一人は友人だ。

「ファビオ・キロス中尉にエミリオ・デルガド少尉!」

 キロス中尉が真面目な顔で、デルガド少尉がうっすら微笑を浮かべて敬礼した。ガルソン大尉はテオが2人を知っていたことに少し驚いたが、パエス中尉は道中で彼等から話を聞いたのか、知らぬ顔をしていた。
 キロス中尉がガルソン大尉に言った。

「すぐに反逆者を本部へ連行します。」

 デルガド少尉が書類を出してガルソン大尉に手渡した。大尉が目を通し、机にそれを置いてペンで署名した。今時アナログな手続きだが、大尉は書類を少尉に戻した。デルガド少尉がそれをポケットに仕舞った。
 ステファン大尉が奥の部屋に入り、それから直ぐに顔を出した。

「ガルソン大尉、結界を開けていただけますか?」
「ああ、そうだった・・・」

 ガルソン大尉も奥へ入った。
 テオは自席に座ったパエス中尉を見た。右目の下に小さく絆創膏を貼ってあった。”ヴェルデ・シエロ”だから朝になれば治っているのだろうが、”ティエラ”への建前上、数日貼って見せるのだ。それでもテオは尋ねずにいられなかった。

「傷の具合はどうですか、パエス中尉?」

 無愛想なパエス中尉が彼をチラリと見て、答えた。

「平気です。グラシャス。」
「キロス中佐とフレータ少尉の状態は?」
「中佐は改めて手術を受けられた。我々が病院を再訪した時は意識が戻っていたが、まだ会話は無理だ。フレータはセンディーノ医師の手術が上手くいっていたので、今は休んでいる。お気遣い有り難う。」

 中佐と本部から来た遊撃班の中尉は同じキロスだ、とテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は人口が少ないから、同姓の家族が多いし、実際親戚なのだろう、と十分に推測された。
 ガルソン大尉とステファン大尉に挟まれてラバル少尉が引きずられる様に現れた。椅子から解放されているが、手は背中で縛られたままだ。目隠しを外されていた。意識は戻っていた。肋骨の骨折に起因する胸の苦痛で額に脂汗を浮かべている。
 キロス中尉が正面にたち、ラバルの顔を見つめた。

「ホセ・ラバル少尉、貴官はカロリス・キロス中佐及びブリサ・フレータ少尉殺害未遂容疑で逮捕された。間違いないな?」

 ラバル少尉が目の前の若い中尉を睨みつけた。キロス中尉もデルガド少尉もラバル少尉の息子と言っても良い若さだ。屈折したラバル少尉にはかなり屈辱だろう。ただ、キロス中尉はブーカ族、デルガド少尉はグワマナ族の純血種だった。ラバル少尉の純血至上主義には親切だったかも知れない。
 ラバル少尉が答えないので、もう一度、キロス中尉が繰り返した。

「貴官は同胞2名の殺害未遂容疑で拘束されている。これから本部へ移送する。もし逃亡を図れば、その場で射殺する。承知せよ。」

 ラバル少尉が低い声で呟いた。

「ここで殺せ。」

 キロス中尉とデルガド少尉が視線を交わした。デルガド少尉が片手をラバル少尉の額に押し当てた。テオは彼が何をしたのかわからなかった。ラバル少尉ががくりと頭を垂れた。脚が崩れ、スタファン大尉とガルソン大尉が両脇で抱え直した。

「せめて車に乗せる迄待てなかったか、デルガド少尉?」

 とステファンが個人的に親しい部下に苦情を呈した。デルガド少尉は若者らしく、小さく舌を出した。

「車へ行くまでに抵抗する懸念がありましたので、意識を奪いました。」
「デルガドは用心深くなっています。」

とキロス中尉が言った。

「一度痛い目に遭っていますからね。」

 ステファン大尉は肩をすくめた。そしてガルソン大尉に、行きましょう、と合図した。2人の大尉が部下がするべき作業を、拘束したラバル少尉を車に連れて行く作業を行った。キロス中尉が車のドアを開けて作業を手伝った。
 デルガド少尉は別の書類を出して、ペンで何やら走り書きした。ラバル少尉の意識を奪った経緯でも報告書に書いたのだろう。エミリオ、とテオは声をかけた。デルガド少尉は書きながら、何でしょう、と応えた。

「ここで起きたことは全部ガルソン大尉達から聞いたんだね?」
「スィ。」
「ラバル少尉はどうなるのだろう?」

 デルガド少尉が体を起こし、書類をポケットに仕舞った。

「貴方の命を奪おうとした男の心配をしてやるですか?」
「彼の本当の動機がわからないからね。それに直前迄彼は良い人に見えた。」

 デルガド少尉は肩をすくめた。

「司令部での取り調べで彼が何を語るのか、我々は知らされません。彼がどうなるのかも知らされません。貴方ももう忘れなさい。」


第5部 山の向こう     17

 ガルソン大尉は床に倒れて気絶しているラバル少尉の周囲に砂で輪を描いた。結界だ、とテオは説明がなくてもわかった。ラバル少尉は目覚めても自力で輪の外に出られない。
 ステファン大尉からガルソン大尉に電話が掛かってきた。夕食の準備が出来た連絡だ。何だか日常的な遣り取りが遠い世界の会話に聞こえた。ガルソン大尉は自宅に帰って食べるので、診療所のセンディーノ医師にも厨房棟へ食事に来るよう声を掛けると言い、電話を終えた。そしてテオには2人の院生を呼んで下さい、と言った。

「ラバルはこのままにしておきます。もう暫くは気絶しているでしょう。ステファン大尉が宿直を引き受けると言うので、私はこのまま自宅へ戻って休みますが、本部から隊員が来たら呼んで下さい。」
「わかりました。おやすみなさい。」

 テオはガルソン大尉とオフィス前で別れた。2人の院生は空腹だったのか、電話をかけると数分後には走って来た。大統領警護隊の厨房棟の印象は、高校の学食みたいだ、だった。
 カウンターでステファン大尉から料理を配ってもらっていると、ガルソン大尉の招待を受けたセンディーノ医師も現れた。看護師達は自宅へ帰るので、いつも夜は一人で食事をしていた彼女は久しぶりの「外食」に喜んでいた。

「この村に住んで長いのに、この建物に入ったのは初めてです。」
「不思議ですね、今夜はここに長く勤務している隊員が一人もいない。」

 テオの言葉にステファン大尉が苦笑した。

「私が来たばっかりに騒ぎが起きた感じで、申し訳ない。」
「俺達にそんなことを言っても意味がないさ。」

 テオはステファン大尉と事件の話をしたかったが、院生と医師がいるので自重した。代わりに医師から2人の女性隊員の回復にかかる日数やリハビリの手段などを聞いた。ガルドスは医学生なので真剣に質問したり耳を傾けたが、カタラーニは少し難しい話と思えたのか、ステファン大尉に料理の仕方を聞いていた。
 軍隊の食堂だからアルコール類はなかった。太平洋警備室はビールすら置いていなかった。水とコーヒーで食事を締めくくり、昼間の医療行為で疲れた医師と院生達は、食事の礼とおやすみを言ってそれぞれ寝るために厨房棟を出て行った。
 やっと2人きりになれた。厨房で食器や鍋を洗うステファン大尉を手伝いながら、テオがそう言うと、ステファンは笑った。

「まるで恋人同士の様な台詞です。」
「そうか? まだケツァル少佐には言ったことがないんだ。そこまで行っていないってことかな。」

 ステファンが鍋を磨く手を止めた。

「少佐を少佐と呼んでいる間は、まだなのでしょうね。」

 テオも皿を拭く手を止めた。

「だが、彼女は少佐だ。階級じゃなくて、俺にとって・・・尊敬する人なんだよ。」
「私にとってもそうですが・・・最近他人に私的な立場で彼女のことを話す時、やっと『姉』と呼べるようになりました。」
「俺には、やっぱり少佐だよ。『彼女』って呼んだら、張り倒されそうな予感がして・・・」

 ステファンが愉快そうに声を立てて笑った。それから真面目な顔に戻った。

「今回の事件はまだ終わっていませんね。」
「ああ、終わっていない。」

 テオも真面目な雰囲気に頭を切り替えた。

「ラバル少尉がジープを爆破したことはわかった。彼は純血至上主義者みたいなことを言った。だが、その思想が何故キロス中佐を暗殺することに繋がるんだ?」

 ステファン大尉が考え込んだ。

「純血至上主義者は2種類います。一つは、単一部族の血統を守れと言うグループです。この思想では、ラバル少尉は当てはまりません。彼は2つの部族のミックスです。ガチガチの純血至上主義者から弾き出されます。もう一つは、”ヴェルデ・シエロ”で”ツィンル”、異人種の血が一切入っていない血統を守れと言う考え方です。一つ目のグループよりは緩いですが、人数はこちらの方が多いです。ラバルはこちらのグループに入ると思われますが、”ティエラ”や私の様な”出来損ない”を排除して”ヴェルデ・シエロ”だけの国家を創ると言う過激思想は異端です。純血至上主義者の多くは現実的です。自分の家系の血を守るだけの主義ですから。」

 テオは皿を棚にしまった。

「ティティオワ山の向こうで3年前に何が起きたのか、調べる必要があるな。」


2022/01/29

第5部 山の向こう     16

 「ここは我々の国だが、”ティエラ”の国でもある。白人だってここで生まれたらこの国の人間だ。他所から来ても、この国で生きていくと決めたら、この国の人間だ。」

 ガルソン大尉はラバル少尉に言った。

「ここが我々だけの土地だった時代は遥か大昔のことだ。何故今更そんなことにこだわる?」

 ラバルは目隠しをされた顔をガルソン大尉の方に向けた。

「3年前、港湾の現場監督バルタサールが、彼の会社が労働者の血液をアメリカに売っていると教えてくれた。白人の国で得体の知れない薬を作る材料にしているのだ。薬が完成すれば、連中は世界中を自分達に従わせることに使うのだろう。そんなことは許されない。阻止しなければならない。」

 ガルソン大尉がテオを振り返った。そんな話を確かにテオが語ったことを思い出したからだ。ラバルは更に言った。

「そこにいる白人も村の住民の細胞を集めているではないか。我々の子孫を探しているのだ。我々を制圧するために。」

 テオは肩をすくめるしかなかった。エンジェル鉱石がしていたことは、ラバルが言った通りだ。国立遺伝病理学研究所は、病気の治療薬ではなく軍事目的の薬品を開発する研究をしていた。彼はラバルに向けて言った。

「エンジェル鉱石がしていたことは、貴方が言った通りだ。俺がいた研究所がしていたことも、貴方が想像した通りだ。だが、あの研究所はもうない。ケツァル少佐とステファン大尉がぶっ潰した。セルバ大使が向こうの政府に掛け合って、セルバ共和国に干渉しなければセルバ共和国もアメリカに対して何もしないと約束した。だから俺はこちらの国の国民として受け容れてもらえた。もう貴方が心配することはないんだ。」
「では、今お前がしていることは何だ? 口の中を棒でかき回して・・・」
「細胞を採取しているだけだ。これはセルバ政府の仕事だ。先住民保護政策で部族毎に助成金が出る。内務大臣がその助成金の予算をケチろうとして、東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ部族である証明をしろと俺に指図した。俺は国の両端に住む2つの部族が同じだとは思えなかったから、別々の部族である証明を遺伝子の分析で行おうとしている。2人の院生達も俺の意見に賛同してくれているんだ。2つの部族が別の部族だと証明できれば、それぞれが同額の助成金をもらえる。」

 ラバル少尉が沈黙した。ガルソン大尉が彼に尋ねた。

「君の思想はわかった。しかし、それとキロス中佐を襲ったことは、どう繋がるのだ?」

 ラバル少尉が息を吸い込んだ。ガルソン大尉がいきなりテオを突き飛ばした。テオは床に転がった瞬間、強烈な光を浴びて目を手で庇った。ドタンッと大きな音がして床に重たい物が倒れる気配がした。テオは思わず叫んだ。

「ガルソン大尉、大丈夫か?」
「大丈夫です。」

 落ち着いた声が聞こえ、大尉の手がテオの肩に触れた。

「光を浴びてしまったが、目をやられたりしていませんか?」

 テオは目を開いた。暫くチカチカしたが、直ぐに視力が戻って来た。彼は体を起こした。

「大丈夫、見えます。」

 後ろを振り返ると、ラバル少尉が椅子ごと床の上にひっくり返っていた。脚がだらりと垂れて、ラバルの口から血が流れていた。テオがドキリとしていると、ガルソン大尉が少尉を見て言った。

「気絶しているだけです。己が放った気の爆裂を己で食らったので、死にはしませんが、肋骨が折れて動けない状態です。」
「つまり・・・」

 テオは立ち上がった。

「貴方が彼の気を跳ね返した?」
「スィ。こんな場合は自分がブーカ族に生まれたことを感謝しますな。」
「俺は貴方に庇ってもらって感謝します。」

 マスケゴ族とカイナ族のハーフのラバル少尉の力は、ブーカ族のガルソン大尉に跳ね返されてしまった。テオは以前文化保護担当部と遊撃班の軍事訓練に参加させてもらった時のことを思い出した。ステファン大尉が放った気の爆裂を、ロホが跳ね返した。ステファンは己の気に耐えたが、近くにいたブーカ族や他の部族と思われる隊員3名は弾き飛ばされ、負傷した。ステファン大尉はグラダ族と数種の人種の血が混ざるミックスだから、その気の爆裂の威力は半端ない。ロホはブーカ族でしかもかなり優秀な能力者だから、見事に跳ね返したが、ステファンの味方であった隊員達は油断があってステファンの気の威力に耐えられなかったのだ。恐らく、とテオは思った、あれは反射波だったから、軽傷で済んだのだ。直撃していたら、訓練で放った気でも、大怪我をしていただろう。
 普通の人間が”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂をまともに食らったら、きっと命を失うのだろう、と容易に想像出来た。だから、彼等は掟で定めているのだ。能力を使って直接人間の命を奪ってはならない、と。
 ガルソン大尉は気絶しているラバル少尉を見下ろして言った。

「こいつは貴方を亡き者にしようとしました。キロス中佐とフレータも殺されかけた。大罪人です。」


 

第5部 山の向こう     15

  ステファン大尉が厨房棟へ行き、ガルソン大尉はラバル少尉のUSBをチェックし始めた。テオは宿舎に帰ろうか、ステファンの手伝いをしようかと迷い、ふと思いついてキロス中佐の部屋のドアを開いた。ガルソン大尉が彼の行動に気がついて立ち上がったが、彼は室内に入った。
 ラバル少尉が顔を上げた。目隠しされているので、耳だけでテオの動きを追った。テオは椅子を引き寄せ、彼の正面に置いて、馬乗りの形で座った。

「貴方は25年ここで勤務されていると聞いたが、一体何が貴方にあんな酷いことをさせたんだろう?」

 戸口でガルソン大尉が立ち止まった。テオは思いつくまま話しかけた。

「ガルソン大尉は15年前、中尉に昇級してここへ来られた。パエス中尉は17年目だと聞いた。2人共貴方より若く、そして貴方より力が強いブーカ族だ。貴方は25年ここで真面目に勤務して、少尉のまま・・・貴方はそれで心が折れてしまったのだろうか?」
「何を言っているのか、わからん。」

とラバルが言った。

「私は毎日ここで働いてきた。朝起きて、港のパトロールをする。港湾労働者達を白人の監督官の横暴から守ってきた。村の住民を外国の船員の暴力から守ってきた。毎日だ。それが私の役目だ。手柄も何もない。少尉のままでいるのは当たり前だ。」
「それで貴方は満足だったのか? 転属願いとか・・・」
「大統領警護隊にそんな制度はない。指揮官から司令部へ話を通してもらえなければ・・・」

 テオは文化保護担当部の友人達を思い浮かべた。ロホもアスルも最近昇級したが、指揮官のケツァル少佐が本部に推薦してくれたからだと2人は言っていた。しかし、少佐は本部が彼等の働きを認めたのだと言った。ロホもアスルも他の部署への転属は願っていない。ずっと少佐の下で働き続けたいと願っている。だが少佐は副官のステファン大尉を手放した。ステファンが彼女の下に居たいと強く願っていたにも関わらず、彼の将来を考えて手放す方が最善だと信じたからだ。

「貴方は貴方の希望をキロス中佐に伝えたことがあるのか?」
「私の希望? 私に希望など・・・」

 ラバル少尉は口の中で何やらモゴモゴ呟いたが、テオには聞き取れなかった。スペイン語ではなかった。
 テオはもう一度質問した。

「どうしてキロス中佐をあんな目に遭わす必要があったんだ? 一緒に勤務しているフレータ少尉やパエス中尉を傷つける理由があったのか?」
「フレータとパエスは運が悪かっただけだ。」
「巻き添えか?」
「そう言うことになるかな。」

 開き直ったような言い方だった。テオは診療所に運んだ時のフレータ少尉の熱い体の感触を思い出した。水をかけた方が良かったかと思ったが、この乾燥した土地で村の共同井戸迄走るより、簡易水道が使える診療所が最善と思えたのだ。フレータは苦痛で叫び声を上げそうになるのを必死で耐えていた。顔の半分を火傷してしまった女性。”ヴェルデ・シエロ”なら回復出来るだろうが、時間がかかるだろう。
 テオはいきなりラバルの襟首を掴んだ。

「運が悪かったで済むと思っているのか!」

 ガルソン大尉が駆け込んで来て、彼をラバルから引き離した。

「ドクトル、近づき過ぎては危ない。」

 テオは戸口まで引き摺られて、やっと我に返った。頭を振って、深呼吸した。

「すみません、ガルソン大尉。フレータ少尉の火傷を負った顔を思い出したら、カッとなってしまった。」

 ガルソン大尉が彼の目を覗き込んだ。テオはドキリとした。しかし大尉は彼に何かをしようとしたのではなかった。彼の瞳を見て、大尉は微かに微笑んだ。

「大丈夫、ラバルに支配された訳ではない。」
「少尉は目を使えないでしょう?」
「視線を合わせなくても、一時的に感情を支配することが出来ます。”操心”と違って体を支配して動かすことは出来ませんが、激昂させて暴れさせることは出来る。騒ぎに乗じて逃げることが出来ますから。」

 ガルソン大尉は後ろを振り返った。ラバル少尉は軽く体を揺すっていた。

「白人を信じるんですか、大尉?」

と彼が言った。

「どうして我々は”ティエラ”や白人を守らなきゃいけないんですか? ここは私達の国じゃないですか!」


 

第5部 山の向こう     14

  ステファン大尉がグラダ・シティの大統領警護隊本部に連絡を入れ、キロス中佐とフレータ少尉の負傷とラバル少尉を拘束した過程を報告した。本部は空間通路の”出口”がサン・セレスト村にないので、オルガ・グランデへ遊撃班を遣ると答えた。”出口”がオルガ・グランデの何処に出現するのか不明だが、迎える人員が必要だ。陸軍基地で待機するよう命じられ、ガルソン大尉がステファンの横から割り込んだ。

「ガルソン大尉です。ステファン大尉には太平洋警備室を管理してもらわなくてはなりません。迎えの人員はパエス中尉を送ります。負傷したキロス中佐とフレータ少尉をヘリコプターで陸軍病院に送る手配をしましたが、パエスも軽微ながら負傷しておりますので、付き添いで行かせます。」

 本部はガルソン大尉の提案を承諾した。
 陸軍水上部隊の応援要請を受けたオルガ・グランデの陸軍基地からヘリコプターが飛んで来たのはそれから半時間後だった。ガルソン大尉が救援要請を部隊長に命じてから2時間も経っていた。ガルソン大尉とパエス中尉が陸軍衛生兵を診療所へ案内して、2人の女性をヘリコプターに搬送した。そしてヘリコプターは彼女達とパエス中尉を乗せてオルガ・グランデに向けて再び飛び去って行った。
 診療所からカタラーニとガルドスの2人の院生が来たので、テオは彼等に宿舎に戻って休むようにと命じた。

「今日は大変な一日だった。明日迄休みにしよう。」

 テオがそう言うと、カタラーニが夕食はどうしますか、と心配した。するとオフィスの中まで会話が聞こえたのだろう、ステファン大尉が戸口に現れて、大統領警護隊が今夜の夕食をご馳走するといった。

「中佐も2人の少尉もいない。私一人の分を作っても仕方がない。隊員の手術をして頂いたお礼に私が食事を作ります。」

 彼は後ろを振り返ってガルソン大尉に声をかけた。

「貴方はどうされますか?」

 ガルソン大尉が首を振った。

「私は自宅へ帰って食べる。爆発騒ぎで家族は動揺している筈だから、安心させる。パエス中尉の家族にも声をかけてやらないと。それに遊撃班が来たら、私は本部へ行かねばならないかも知れない。」

 食事の用意が出来たら電話すると言って、テオは院生達を宿舎へ帰らせた。そしてオフィスに入った。ガルソン大尉がラバル少尉の机を調べていた。

「汚職の疑いですか?」
「それなら簡単ですがね。」

 ガルソン大尉はファイルやU S Bを机の上に並べた。

「まだ彼が中佐を狙った理由は何一つわかっていない。」
「3年前に中佐が異常な状態になった原因も。」

とステファン大尉も呟いた。

第5部 山の向こう     13

  ラバル少尉は目隠しされてキロス中佐の部屋に入れられた。彼がパエス中尉を縛り付けた椅子に彼自身が縛り付けられた。
 テオはまだ状況がよく理解出来なかったので、ガルソン大尉とステファン大尉が何か説明してくれないかと待った。セルバ人はこんな場合もそんなに慌てない。ステファン大尉が厨房棟からフレータ少尉が負傷する直前まで準備していた昼食を運んで来て、遅い食事を仲間に振る舞った。超能力を使った”ヴェルデ・シエロ”は空腹になる。特に気の爆裂や結界などの大きなエネルギーが必要な力を使用した後は殊更だ。
 ガルソン大尉は猛然と豚肉の煮込み料理を口に運んだ。パエス中尉はステファン大尉にもらった氷を右目の下に当てながらも、食欲はあって、しっかり食べた。テオもお相伴に預かった。大統領警護隊の食事は満足出来る出来具合だった。ステファン大尉も食べて、フレータ少尉が煮込み料理を食べられなかったことを残念がった。彼女の得意料理だったのだ。
 空腹が解消されるとガルソン大尉もパエス中尉も元気を取り戻した。そう判断したので、テオは尋ねた。

「どうして犯人がラバル少尉だとわかったんです?」

 ガルソン大尉が簡単だと言いたげに答えた。

「パエス中尉の怪我が目のそばだったからです。中尉が車を爆破したのだったら、目を傷つけるヘマはしない。我々にとって目は大事な武器ですから。ラバルは中尉を介抱するふりをして、彼を拘束し、私達を彼に近づけようとしなかった。」
「では、中尉が『中佐は死んだか?』と尋ねたと言うのは・・・」
「ラバルの嘘です。」
「しかし、すぐにバレるでしょう?」
「ラバルは中尉を中佐の部屋に監禁した後で、”操心”で従わせようとしたのです。しかし、部屋を離れて私に中尉を拘束した報告をしている間に、パエス中尉が身を守る為に部屋に結界を張ってしまった。中尉はブーカ族だから、マスケゴとカイナのミックスのラバルには彼の結界を通ることが出来ません。仕方なくラバルは部屋の外に座り、番をしているふりをして、結界が弱まるのを待っていたのです。」
「貴方達はラバルの嘘に騙されたふりをしていたのですか?」
「キロス中佐とフレータ少尉の救助が最優先でした。それにあの時は流石に私も動転してしまい、爆発の原因究明をステファンに託すしかなかった。ステファンはテロかそうでないのか確認して、陸軍兵や村人達の安全を優先しなければなりません。我々は守護者ですから。」

 ステファン大尉とパエス中尉が小さく頷いた。パエス中尉が申し訳なさそうに言った。

「爆発の後でラバルがそばに来た時、助けてくれるのだと思いました。あの時は目が痛くて開けていられなかった。だからラバルが私の顔に包帯を巻いた時も疑わなかったのです。手を後ろへ回された時、やっとおかしいと気がつきましたが、遅かった。大尉達に声をかけたのですが、皆外にいて声が届きませんでした。このままではラバルに殺されるかも知れないと思い、結界を張りました。目は見えませんでしたが、部屋の大きさと形状がわかっています。結界を小さく張ればラバルが私に近づけない強さの壁を築けます。」

 ステファン大尉が彼に尋ねた。

「ラバルがジープに向けて放った気を感じませんでしたか?」
「感じたと思いますが、ショックで覚えていません。私は中佐を後部席に座らせ、ドアを閉めました。運転席にフレータが座ってドアを閉じた直後にやられたのです。エンジンをかける直前だった筈です。だからラバルはエンジンに向けて気の爆裂を放ったのでしょう。気がついた時は私は地面に倒れていました。負傷が目の下だけで済んだのは、きっと中佐が守って下さったのだと信じています。」
「キロス中佐は守護者の鑑だな。」

とテオは呟いた。

「彼女は貴方とフレータ少尉を守った為に彼女自身が逃げるタイミングを失ったのだろう。」
「そう思います。」

 ガルソン大尉がステファン大尉に顔を向けた。

「君から本部へ連絡してくれないか。私がもっと早く中佐の異常を報告していればこんな事態にならなかった。ラバルの取り調べも本部に任せなければならない。我々は当事者になってしまったから。」

 

2022/01/28

第5部 山の向こう     12

  ラバル少尉が上官達を振り返った。彼は厨房棟を顎で指した。

「昼食がまだですが、食べに行きますか?」

 ガルソン大尉とステファン大尉が視線を交わした、とテオは思った。ガルソンが答えた。

「食べに行こうか。ここから出られればの話だが。」

 その次に起きたことは、テオの視力では捉えられなかった。彼の前にステファンが立ち、彼の視界を奪ったことも要因の一つだ。室内で何かが光り、空気がバチッと裂ける様な音がした。重たい物体が硬い物に激突する音も響き、机と共にラバル少尉の体が床の上に転がった。机の上に置かれていたパソコンや書類が床に散乱した。ステファンが動いた。彼はラバル少尉に飛びつくと、彼の体を床の上にうつ伏せに転がし、素早く革紐で少尉の手首を後ろ手に縛り上げた。
 ガルソン大尉は彼自身の机の後ろの壁に背中を張り付かせる様に立っていた。激しく肩で息をしていた。ステファン大尉が声を掛けた。

「大丈夫ですか?」
「なんとか・・・」

 ガルソン大尉がテオを見た。

「ドクトルは大丈夫ですな?」
「彼は私が守りました。」

 ラバル少尉が床の上で怒鳴った。聞くに耐えない悪態を吐きまくった。
 テオは立ち上がった。展開が読めていなかったが、一つだけ、しなければならないことを悟った。

「パエス中尉は無事か?」

 彼は奥のドアに走り、ドアを開いた。パエス中尉は椅子に縛り付けられていた。両目を包帯で塞がれ、じっとしていたが、ドアが開いたので顔を上げた。前の部屋での騒動は聞こえた筈だ。

「何があった? 一体何がここで起きているんだ?」

 ステファン大尉がテオの横を通り、奥の部屋に入った。椅子の後ろに回ってナイフで中尉の手首を縛っていた革紐を切った。

「申し訳なかった、中尉。貴方が目を負傷したので、わざとラバルに騙されたふりをして、貴方を拘束させてもらいました。負傷した貴方に動かれては、却って危険な目に遭わせるとガルソン大尉が判断なさったのです。」

 ステファン大尉はパエス中尉の包帯を解いた。右目の下を切ったのは事実で、中尉の顔が腫れていた。テオはパエス中尉の目を覗き込んだ。

「眼球は無事な様だ。俺の顔が見えますか、中尉?」

 パエス中尉が呟いた。

「忌々しい白人の顔が見えます。」
「ルカ!失礼なことを言うな!」

 ガルソン大尉が戸口で壁にもたれかかって、中尉の口の悪さを注意した。テオは笑った。

「気力は大丈夫な様ですね。診療所に行きますか?」
「氷で冷やせばすぐに治ります。」

 強がるパエス中尉にステファン大尉が言った。

「その前に祓いを施しましょう。ラバルが貴方のそばにいたので出来なかった。痛みを取り除けば、貴方の力ですぐに治せますよ。」

 彼はガルソン大尉を見た。

「大尉の方が休息が必要でしょう? ラバルを逃さないようにオフィスに結界を張っておられた。」

 ガルソンが苦笑した。

「要塞を一つ吹っ飛ばす程の力を持つグラダの貴方が、結界を張るのは苦手とは、驚きですな。」

 ステファン大尉はテオをチラリと見て、ちょっと頬を赤く染めた。

「私の弱点です。」



 

 

第5部 山の向こう     11

  テオはガルソン大尉の横に並び、小声で尋ねた。

「大尉はパエス中尉が何か車にやったとお考えですか?」

 ガルソン大尉が足を止め、ステファン大尉を振り返った。余計なことを部外者に言うな、と目で言ったのかも知れない。ステファン大尉がテオに言った。

「キロス中佐の骨折は気の爆裂を受けたからです。この村の中にいる”シエロ”は我々6人だけですから・・・」
「それに私の子供が2人。」

とガルソン大尉が付け加えた。母親が”ティエラ”でも子供は半分”ヴェルデ・シエロ”だ。でも、とテオは言った。

「貴方のお子さんは計算に入れなくて良いでしょう。あんなことが出来るのは大人だ。それに、パエス中尉も結婚されていましたね?」
「パエスの子供は妻の連れ子です。」

 ガルソン大尉が再び足を動かした。

「彼の家の子供達は”ティエラ”だ。」

 テオも彼を追いかけた。

「しかし、彼が何故キロス中佐にあんなことをする必要があるんです? フレータ少尉だってあんな目に遭わされる理由がない。」
「それはこれから彼を尋問します。」

 ステファン大尉が後ろで別の話を囁いた。

「フレータが言ってました。彼女が助かったのは、キロス中佐が気で彼女を車外に吹き飛ばしてくれたからだ、と。」

 歩きながら数歩の間、ガルソン大尉が目を閉じた。

「そう言う優しい方なのです、中佐は・・・」

 彼が目を開いた時、微かに空気がビリリと振動した、とテオは感じた。上官を暗殺しようとした者へのガルソン大尉の怒りだった。
 オフィスの前に来ると、黒く焦げたジープがまだ残っていた。立ち番をしていた陸軍兵にガルソン大尉が部隊長を呼べと命令した。テオとステファン大尉はオフィスの中に入った。奥の部屋のドアは閉じられ、その前にラバル少尉が椅子を置いて座っていたが、ステファン大尉が入って来たので立ち上がり、敬礼した。ステファンも敬礼した。それから彼はテオに彼自身の席に座って待つよう指図して、ラバルにはコーヒーを淹れてやった。テオはパエス中尉が気になったが、大人しく座っていた。
 ガルソン大尉と部隊長が入って来た。ステファンは彼等にもコーヒーを淹れて出した。部隊長はちょっと驚いた様だ。今迄にも大統領警護隊のオフィスに入ったことはあったのだろうが、コーヒーのサービスは初めてだったに違いない。
 ガルソン大尉は先ず村の道路封鎖を解除する許可を出した。部隊長が不安気に尋ねた。

「テロリストを探さないのですか?」
「テロリストはいない。」

とガルソン大尉が言った。

「爆弾はなかった。ただの事故だ。」

 テオは部隊長がまだ不安気な顔をしているのを見逃さなかった。しかしガルソン大尉は”操心”を使って彼の不安を取り除く気力がないらしく、放置した。

「キロス中佐とフレータ少尉は命を取り留めたが、火傷が酷い。オルガ・グランデ陸軍病院へ移したいので、手配してもらえないか?」

 部隊長が立ち上がり、敬礼した。

「直ちに基地へ戻り、オルガ・グランデ基地に連絡します。ヘリコプターで搬送することになるかと思いますが、大丈夫ですか?」
「スィ。グラシャス。」

 ガルソン大尉も立ち上がって敬礼を返した。部隊長は体の向きを変え、ステファン大尉とラバル少尉にも敬礼してオフィスから足速に出て行った。

第5部 山の向こう     10

  2時間後、イサベル・ガルドスが疲弊した表情で待合室に出てきた。アーロン・カタラーニも一緒だった。2人はバスルームに入って防護服を脱ぎ、シャワーを一緒に浴びた。そして2人で並んで待合室のベンチに座ったので、テオはサンドウィッチとコーヒーを運んでやった。

「怪我人はどんな具合だい?」

 彼が尋ねると、ガルドスが微笑んだ。

「フレータ少尉は大丈夫です。焼けた軍服を脱がすのに時間がかかりましたが、熱傷の程度は深くありませんでした。と言っても、深達性II度ですから、油断出来ません。爆風で外に弾き飛ばされたのが良かったのだと、ドクトラが仰いました。少尉はまだ横になっていますが、意識はあります。入院準備を看護師が整える迄、もう少し手術室にいてもらうそうです。」

 ステファン大尉がテオの後ろでホッと息を吐くのが感じられた。だが安心するのはまだ早い。

「キロス中佐は?」
「深達性Ⅲ度ですから、かなり危険な状態です。意識もありません。」
「助かるだろうか?」
「センディーノ先生は助けると仰っています。」

 テオは手術室のドアを見た。手術室と言っても、村の診療所だ。最新設備が整っている訳ではない。
 ドアが開き、医師と2人の看護師が出て来た。テオはセンディーノ医師と看護師がバスルームへ行って汚れた防護服とマスクなどの装備を解く迄待っていた。10数分後に3人は待合室に戻って来た。テオが作ったサンドウィッチとコーヒーに飛びつくようにして彼等は空腹を満たした。
 テオは辛抱強く彼女達が口を利く迄待った。やがてセンディーノが顔を上げた。

「運よく気道熱傷はありませんでした。肋骨を骨折していたので、その処置に時間がかかりました。熱傷箇所は少なく、治癒に時間はかかりますが、熱傷で生命の危険が脅かされる恐れは低いと思います。でも私としては、オルガ・グランデの大きな病院での治療を勧めます。ここでは清潔に保つのが難しいですから。」

 ステファン大尉が尋ねた。

「フレータ少尉と話せますか?」

 センディーノが「スィ」と頷いた。

「彼女は強いですね。熱傷部位は右半身で、深達性部分は少ないものの、かなりの激痛だと思いますが、耐えています。痛み止めを処方したので、少しうつらうつらした状態ですが、5分程度の会話は出来るでしょう。でも、もう少し後になさっては?」

 しかしステファン大尉は手術室に入って行った。センディーノが呆れたと言う表情をしたが、看護師達は大統領警護隊の行動に特に驚かなかった。
 センディーノがテオに尋ねた。

「夢中で患者の手当をしましたが、一体何が起きたのです?」
「キロス中佐が気分が悪い様子だったので、フレータ少尉がジープで宿舎へ連れて行こうとしたのです。エンジンをかけた途端にジープが爆発したらしい。」
「他に怪我人は?」
「パエス中尉が右目を負傷したと聞きましたが、ここには来てません。」

  看護師が窓の外を見た。

「水上部隊に軍医がいますから。それに沿岸警備隊にも衛生部隊がいます。」

 そっちの設備の方が良かったのかな、とテオはちょっぴり考えてしまったが、それではステファン大尉が怪我人のそばに近づけないかも知れない。
 診療所の入り口のドアが開いて、ガルソン大尉が入って来た。

「中佐と少尉の様子はどうですか?」
「2人共、取り敢えず窮地を脱した様だよ。」
「良かった・・・」

 ガルソン大尉はまだ昼過ぎだと言うのに、3日も働いた様に疲れ切って見えた。センディーノが彼にパエス中尉の怪我の具合を尋ねた。ガルソンは、大したことない、と答えた。

「目の下を少し切っただけです。」

 それは目を武器に使う”ヴェルデ・シエロ”にとって大事なのだが、ガルソンは何でもない様に言った。
 カタラーニが窓の外の道路封鎖を見ながら、大尉に質問した。

「道を封鎖しているのは、テロでも警戒しているのですか?」
「スィ。」

 とガルソンがこれも事なげなく答えた。

「しかし爆弾が使用された様子がないので、暫くしたら封鎖を解きます。」

 彼は医師に向き直った。

「救急処置に感謝します。2人の女性は病院に移した方が良いですか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が普通の病院の利用を考えていることに、テオは少し驚いた。庶民として生活している人ならともかく、大統領警護隊はそんな考えを持たないのではないのか、と思ったのだ。しかし、センディーノ医師がこう言った。

「オルガ・グランデ陸軍病院ですか? あそこなら設備が整っているので、患者も安心して治療に専念出来るでしょう。」
「では、水上部隊長に患者の受け入れ要請をしてもらえるよう頼んで来ます。」

 頼むのではなく、命令しに行くのだ、とテオは思った。そこへステファン大尉が手術室から出て来た。フレータ少尉の話を聞いていたにしては時間が長かったので、きっとキロス中佐と少尉に祓いをしていたのだろう、とテオは推測した。
 2人の大尉が一瞬目を合わせた。”心話”だ。一瞬にして情報共有をしてしまえる。他人に聞かれたくない話がある時は羨ましい。
 ガルソン大尉が石の様に無表情で、顔を振って「来い」と合図した。ステファン大尉は診療所の人々に「また来ます」と言って、先輩について外へ出た。テオも急いで後を追った。それぞれがどんな新しい情報を持っているのか、知りたかった。
 ガルソンがテオに気付き、煩そうな顔をしたが、来るなとは言わなかった。


2022/01/27

第5部 山の向こう     9

  看護師の一人が待合室に顔を出し、テオとカタラーニ、どちらでも良いから中で手伝ってくれと言った。カタラーニが素早く手を挙げた。彼はテオに言った。

「僕が中で手伝います。先生は大統領警護隊に顔が効くから、残って下さい。あ、僕等が集めた検体を冷蔵庫に入れておくのを忘れないで。」

 ちゃっかり恩師を使ってくれた。待合室に一人になったテオは窓の外を見た。診療所から事件現場は見えないが、陸軍兵がジープで道路を封鎖するのが見えた。ステファン大尉はテロの疑いを抱いて、犯人の逃亡を防ごうとしているのだ。
 テオはキッチンに入り、手術室で最善の努力をしている5人の為にサンドウィッチを作った。ジャムやピーナツバターの簡単な物だが、昼食を暢んびり作っている気分になれなかった。大皿にサンドウィッチを盛り付けたところへ、やっとステファン大尉が現れた。

「爆弾か?」

 テオの質問に、彼は首を振った。

「それを疑ってジープの残骸をガルソン大尉と2人で見ましたが、それらしき物は見つかりませんでした。」

 大統領警護隊は科学捜査をしない。ただ破片を「呼ぶ」のだ。爆弾の破片がなかったので、別の疑念が湧いた、とステファンは言った。

「ガルソン大尉は、パエス中尉を拘束しました。」
「何故だ?」

 テオはびっくりした。パエス中尉は仲間だろう? ガルソンと同じブーカ族だ。ステファンは説明した。

「ジープの爆発でパエス中尉は右目を負傷しました。ラバル少尉が彼を介抱しようとした時に、パエスが尋ねたそうです。『中佐は死んだか?』と。」

 テオは少し考えてしまった。そして大統領警護隊が何に引っ掛かりを感じたか悟った。

「普通は、『中佐は無事か?』と尋ねるよな?」
「スィ。ラバル少尉は奇異に感じ、パエスをオフィスに連れて行ってから、手当てをするフリをして、パエスに目隠しをして、手首を縛りました。それから私にパエスを拘束したことを報告に来ました。私が水上部隊の部隊長に車を見張らせてオフィスに戻ると、パエスは椅子に縛られて怒っていました。彼は拘束された理由がわからないと言いましたが、そこに診療所からガルソン大尉が戻って来ました。ラバル少尉がパエス拘束の経緯を報告すると、ガルソンは少尉の意見を支持しました。私も意見を求められたので、同意しました。」
「だが、パエス中尉がジープを爆発させたとして、その理由は何だ?」
「それはこれから調べなければなりません。彼の単独犯行なのかどうかも不明です。」

 テオはもう一度窓の外を見た。小さな村の封鎖は既に完了しており、外は静かになっていた。彼は自分の意見を述べた。

「パエスが犯人かどうかは別として、爆弾が使用されたのでなければ、ジープを爆発させたのは、”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂だな?」

 ステファンが渋々認めた。

「エンジンの不具合でもなければ、そう言うことでしょう。」
「君は村を封鎖したが、多分オルガ・グランデの陸軍基地に報告が入っていると思う。」
「大統領警護隊から指図がなければ、軍は大統領警護隊が関わる事件に乗り出して来ません。」
「そんな問題じゃないだろ。」

とテオは親友が見落としていることを指摘した。

「事件はすぐに”砂の民”の耳に入るってことだよ、カルロ。」


第5部 山の向こう     8

 テオとステファン大尉、ガルソン大尉、そしてラバル少尉は先を争う様にオフィスの外に飛び出した。ジープが炎を上げていた。ドアが吹き飛び、ジープの左右の地面に女性が転がっていた。 左前がフレータ少尉で、右がキロス中佐だ、とテオは思った。離れた場所にパエス中尉が蹲っていた。テオはどっちを先にと思う間も無く、近い方のフレータ少尉に駆け寄った。ステファン大尉が気の力で炎を吹き消した。ガルソン大尉とラバル少尉はキロス中佐の軍服の火を消し、彼女を抱き起こした。
 恐らく”ヴェルデ・シエロ”の女性達はジープが爆発した瞬間自分でドアを吹き飛ばし、脱出したのだろう。普通の人間なら到底無理だった筈だ。フレータ少尉はテオが抱き抱え、中佐をガルソン大尉が抱え上げた。

「診療所へ運べ!」

 ステファン大尉はそばの陸軍水上部隊や沿岸警備隊の基地から人が駆け出して来るのを見た。彼はラバル少尉に命令した。

「パエス中尉を見てやれ! 怪我をしていたら彼も診療所へ!」

 年上でもどうでも良かった。素早く命令を出し、彼はジープをもう一度見た。火が完全に消えて二次爆発の恐れがないことを確認した。
 陸軍の部隊長がそばへ駆けつけた。

「何事ですか?!」

 ステファン大尉は彼等に命じた。

「燃えた車に誰も近づかせるな。村の入り口を封鎖しろ。港も封鎖だ。住民は家から出すな。」

 ステファン大尉が爆発したジープの現場検証を始めている間に、テオとガルソン大尉は負傷者を診療所に運び込んだ。午前の診療を終えかけていたセンディーノ医師の診療所は忽ち大騒ぎになった。フレータ少尉もキロス中佐も脱出したものの大火傷を負っていた。センディーノ医師は診察中だった年配の男性に、待つようにと頼み、大急ぎで手術室を開いた。
 テオが看護師の手伝いをしていると、カタラーニとガルドスが戻ってきた。彼等も爆発音を聞いて、走って来たのだ。何が起きたのかと尋ねる彼等に、テオは手術の手伝いをしてくれと頼んだ。医学生のガルドスが手術室に入った。
 カタラーニはまだ混乱している診療所の待合室に立ち、呆然と立っているガルソン大尉を見た。

「大統領警護隊に何かあったんですか?」

 テオはカタラーニを見た。起きたことを隠す意味がなかったので、彼は事実を教えた。

「ジープが爆発したんだ。フレータ少尉がキロス中佐を宿舎へ連れて行く為に乗り込んだ直後だ。2人共大火傷を負った。」

 爆発?とカタラーニが口の中で呟いた。
 テオは診察を中断されたアカチャ族の男性に声をかけた。

「怪我人の手術に時間がかかります。自宅で待たれますか?」

 男は手術室のドアを見て、それからテオを見た。最後にガルソン大尉を見た。

「ラス・パハロス・ヴェルデスも怪我をするのか?」

と男が尋ねた。大尉がその男に視線を向けたので、男は顔を伏せた。大統領警護隊に失礼なことを言ってしまったと後悔しているのが、テオには感じられた。しかしガルソン大尉は小さな声で呟いた。

「当たり前だろう。」

 男は黙って診療所から出て行った。外で陸軍水上部隊の兵士達が「家に入れ」と住民達に怒鳴っている声が聞こえた。
 大尉、とテオはガルソン大尉に声を掛けた。

「座って下さい。火傷の治療は時間がかかります。」

 ビクッと体を震わせ、それからガルソン大尉は彼を振り返った。目の焦点がやっと合った感じだった。

「ここで待っていても意味がない。」

と彼は言った。

「指導師の方が役に立つ。ステファンと交代してきます。」

 テオの返事を待たずに彼は外へ出て行った。

 


第5部 山の向こう     7

 15分程でステファン大尉がオフィスに出て来た。僅か15分だったのに、彼はげっそりヤツれて見えた。テオとガルソン大尉が思わず彼を見つめると、彼は囁く様な低い声で言った。

「落ち着いてくれました。呪いを祓ってみましたが、悲しみまで癒すことは出来ません。彼女を宿舎で休ませた方が良いかと思います。」

 ガルソン大尉が彼を見つめて、そして首を傾げた。

「呪いと言ったか?」
「スィ。」
「中佐は誰かの気の爆裂か、”操心”の邪悪な気で傷つけられていたと言うことなのか?」

 ステファン大尉は小さく頷いた。

「恐らく、何が起きたか貴方に告げたくても呪いの力で話せなかったのでしょう。酷く衰弱されています。休ませてから、話を聞きましょう。」

 ガルソン大尉も頷いた。そして携帯電話を取り出すと、フレータ少尉を呼んだ。
 テオは2人の大尉のどちらへともなく、尋ねた。

「中佐はブーカ族だと聞いたが、ブーカ族を苦しませることが出来る力を出せるのは、やっぱりブーカ族なのか?」

 ブーカ族のガルソン大尉が彼を振り返った。

「対等に対決すれば、そう言うことになります。しかし、不意打ちや事故の場合はどの部族が優位と言うことはありません。一番力が小さなグワマナ族でも、不意打ちでグラダを倒せる可能性はあります。」
「それじゃ・・・」

 テオはアスクラカンと言う街をバスの通過地点としか認識していないが、最近ちょっとした事件で関わった。ステファン大尉はその事件で現地に行ったのだ。

「サスコシ族と中佐の間で何らかのトラブルがあった可能性もありますね?」

 ステファン大尉がハッとした表情になり、ガルソン大尉も、「サスコシがいたな」と呟いた。アスクラカンの街周辺にはサスコシ族が多く住んでいる。彼等の領地と言うことではないが、街の経済や政治に影響力を持つ富裕層にサスコシ族の血筋の人々が多いのだ。そしてテオがそのことを頭に置いているのには理由があった。アスクラカンのサスコシ族の中には、家族ぐるみで純血至上主義者と言う家系があるのだ。自分達の家族のメンバーが他部族や異人種との間に作った子供を認めないと言う人々だ。最悪の場合、その生存権さえ認めないと言う極右もいた。勿論、全てのサスコシ族がそうなのではない。平和で広い心の人々の方が多い。ただ、ミックスの”ヴェルデ・シエロ”が純血至上主義者の家族が所有する地所に足を踏み入れると、安全の保障がないと言われている。強力な超能力を持っているグラダ族のミックスであるステファン大尉でさえ、平和主義者のサスコシ族から、特定の家族に近づくなと忠告を与えられたのだ。

「アンゲルス鉱石の産業医を追いかけて行ったキロス中佐がサスコシ族とトラブルになったとしたら、その原因をまた考えなければなりませんが、強い力を持っていると言われる中佐がダメージを受ける何かがあったのは間違いありません。」

 ガルソン大尉はテオの言葉を聞いて、ステファン大尉に確認した。

「中佐がかけられた呪いは祓えたのですな?」
「スィ。」
「では中佐が休まれて落ち着かれたら話を聞ける?」
「その筈です。」

 その時、オフィスにフレータ少尉が入って来た。

「遅くなりました。申し訳ありません。」

 昼食の支度を一人でしていた少尉は遅れた言い訳はしなかった。ガルソン大尉が、彼女が不在の間にオフィスであった出来事を彼女に”心話”で伝えた。フレータ少尉が少し動揺したのか、空気が揺らいだ感じがした。彼女はキロス中佐を「女の家」に連れて行くために指揮官事務室に入った。
 パエス中尉が戻って来た。彼にもガルソン大尉が情報を与えた。中尉が溜め息をついた。

「宿舎はすぐそこだが、車で中佐をお連れした方が良いでしょう。」

と彼は言い、外へ出て行った。
 フレータ少尉に支えられる様にしてキロス中佐が出て来た。中佐は両手で顔を覆っていた。泣いている様にも見えた。2人の女性はオフィスを横切り、外へ出て行った。テオは中佐の足取りが弱いものの足がしっかり前に出ているのを見て、ステファンのお祓いは効いたのだと安心した。
 戸口で女性達とすれ違ったラバル少尉が入って来た。

「中佐はどうなさったのだ?」

 それでガルソン大尉が再び彼にも情報を分けた。ラバル少尉の顔が曇った。

「サスコシが関わっているのか?」

 彼は外へ顔を向けた。テオには見えなかったが、車のドアが閉まる音が聞こえた。その直後だった。
 テオと太平洋警備室のオフィスにいた大統領警護隊の隊員達は爆発音を聞いた。


2022/01/26

第5部 山の向こう     6

  テオはキロス中佐の現状に部下が心を痛めていることは言わなかった。その代わりに、3年前にアスクラカンに行ったことを覚えていますか、と尋ねた。
 キロス中佐はボーッと前方を力のない目で見ていた。それから、ゆっくりと答えた。

「覚えています。バルセル医師を追いかけて行きました。」
「バルセル?」
「エンジェル鉱石の産業医でした。」

 スペインっぽくない名前だが、この際医師の先祖が何処の国の出身かは問題ではない。テオは誘導したくなかったが、中佐があまり喋りたがらない様子なので、ガルソン大尉から聞いた話をしてみた。

「エンジェル鉱石が健康診断で集めた従業員の血液をアメリカに売却していたことを知って、貴女はバルセル医師にその真偽か目的を追求しようとされ、アスクラカン迄追いかけたのですか?」

 キロス中佐は反応しなかった。言いたくないのか、それとも意識が飛んでしまったのか。目は虚空を見ていた。テオはどう話を進めるべきか考えた。

「貴女はバルセル医師に会われたのですか?」
「ノ。」

今度は即答だった。

「会えなかったのですか? 会わなかったのですか?」

 答えが直ぐに返って来なかったので、別の質問をしようと考えかけると、中佐が呟いた。

「会えなかった。」

 テオは彼女の視界に入るように椅子の位置を少しずらした。

「どうして会えなかったのですか?」

 キロス中佐がギュッと眉を顰めた。何か不愉快な記憶が蘇った様だ。そして片手を額に当てた。頭痛でもするのか下を向いてしまった。テオは優しく声をかけた。

「水をお持ちしましょうか?」

 返事がないので、彼は立ち上がり、戸口へ行った。キロス中佐が後ろで何か呟いた。彼は振り返った。中佐は体を前に折り曲げ、苦痛に耐えている様に見えた。
 テオは急いでドアを開けた。ガルソン大尉がパソコンで作業中だったが、素早く振り返った。テオは彼に伝えた。

「中佐は気分が悪い様です。指導師かセンディーノ医師を呼んだ方が良いでは?」

 ガルソンが立ち上がり、中佐の部屋を覗き込んだ。中佐の状態を確認すると、彼は携帯を出して誰かにかけた。

「ステファン、オフィスに戻ってくれ。指導師が必要だ。」

 その時、キロス中佐が顔を上げた。彼女が何か言ったが、テオには理解出来ない言葉だった。ガルソン大尉がギョッとした表情になった。彼は”ヴェルデ・シエロ”の言葉で彼女に言葉をかけた。中佐が頭を両手で抱え、首を振った。
 オフィスのドアが勢いよく開き、ステファン大尉が駆け込んで来た。

「どうしました?」
「中佐を診てくれ。」

 テオとガルソン大尉がほぼ同時に同じことを言ったので、彼は急いでオフィスを横切り、指揮官の部屋に入った。テオには、彼が一瞬何かに押し戻されかけた様に見えた。しかしステファンは両足を踏ん張り、それから力強い足取りで前に進んだ。

「中佐、どうされました?」

 キロス中佐は再び何かを言った。テオにステファンは背を向けていたので、テオは彼がその時、どんな表情をしたのか分からなかった。ステファンは優しい声根で指揮官に話しかけた。彼等の母語だったので、テオには理解出来なかった。だがステファンが机を回り込み、キロス中佐の上半身をそっと抱き締めた時、あまり驚かなかった。ステファンは指導師としての治療行為を行なっているのだ、とわかった。ステファンがオフィスの方へ顔を向けた。次の瞬間ドアがバタンと音を立てて閉まった。誰が閉めたのか分からなかったが、テオは指導師の仕事が見られないと悟った。
 ステファンの席に行って椅子に腰を下ろすと、ガルソン大尉が声をかけて来た。

「何か分かりましたか?」
「何も・・・」

 テオは溜め息をついた。

「中佐がエンジェル鉱石の産業医だったバルセル医師を追ってアクスラカンに行かれたことは分かりました。でも医師に会えなかったそうです。その理由を訊こうとしたら、中佐の気分が悪くなった様です。」

 するとガルソン大尉が頷いた。

「私が訊いた時も同じでした。アスクラカンでの出来事を訊くと、あの様な症状が出るのです。」



第5部 山の向こう     5

  宿舎に帰ると、2人の院生はそれぞれの部屋で真面目に日中のサンプル採取に関するレポートを作成中だった。テオは彼等の邪魔をしないように、静かにキッチンで湯を沸かして体を拭き、ベッドに入った。
 キロス中佐がバスを崖から落とした説はどうしても考えたくないが、アスクラカンに彼女がいた時期がはっきりしないことには彼女の無実も考え辛い。今もバスが崖から転落した原因は不明だ。道幅が狭い未舗装の道路だったが、バスの運転手はベテランだったと聞くし、天候も良かったと聞いている。テオを含めた37名の乗客の数も定員オーバーではない。もっと詰め込みで客を乗せて走るバスはいくらでもあった。車両故障か、運転手の突然の病気発症か、それとも何者かの破壊行為か、とゴンザレス署長は捜査したが、転落の衝撃で破壊され、焼け焦げたエンジンや車体から何も手がかりを掴めなかった。
 テオは己がエンジェル鉱石が売却した血液から発見された超能力者かも知れない人間に会いに行ったのだろうと言う、セルバ渡航の動機を捨てていない。その動機を何らかの経緯で”砂の民”が知って、彼の暗殺を図ったのだとしたら、と考えたこともあった。しかし基本的に”ヴェルデ・シエロ”達は自身の存在意義を「セルバ国民を守護する」ことに置いている。”砂の民”がテオ以外の37名を殺害してでも彼を暗殺しようとしたとは考えられない。寧ろ彼を生かしても構わないからバスを救おうとした筈だ。
 色々考えが頭の中を駆け巡り、テオはそのまま訳のわからない夢を見ながら眠った。だから翌朝目覚めた時は、頭がボーッとしてしまった。カタラーニが、気分が悪ければ一人で採取してきます、と言ったので、彼はガルドスと一緒に行ってみれば、と提案した。ガルドスも診療所ばかりで採取していても人数を稼げないだろうし、村の中の様子を見て歩くのは悪くないだろうと。ガルドスも彼の提案に喜んで同意したので、カタラーニはちょっと照れながらも女性と2人で歩くことにした。
 若い2人が出かけると、テオは朝食の後片付けをして、身支度した。キッチンのテーブルで採取した検体の分類整理をしてラップトップにデータを入力していると、ステファンからメールが入った。1030にオフィスへ来て欲しいと言う内容だった。キロス中佐は話が出来る状態らしい。テオは少しだけ安心した。
 入力作業を済ませ、サンプルが入っている冷蔵庫の電源が切れていないことをチェックして(地方ではよく停電が起きる。)約束の時間に太平洋警備室に出かけた。
 オフィスではガルソン大尉一人が机で仕事をしていた。パエス中尉は前日修理したエンジンを沿岸警備隊へ届けに行ったのだと言う。ラバル少尉はいつもの様に港湾施設のパトロールに出かけており、ステファン大尉とフレータ少尉は食材購入に出かけている。
 大尉はテオと挨拶を交わすと、奥のドアの前へ行き、ノックした。そしてドアを少し開いて中の人に声をかけた。

「ドクトル・アルストがお見えです。」

 そしてテオには中の人の声が聞こえなかったが、大尉は頷いて、テオに中へどうぞ、と手を振った。それでテオは奥の事務室に入った。
 薄暗い室内の執務机の向こうに、一見70歳かと思える様な疲れた顔の女性が座っていた。テオが「ブエノス・ディアス」と挨拶すると、彼女も同じ言葉で返礼した。そしてミイラの様にやせ細った手を持ち上げ、椅子を指差した。

「どうぞおかけになって・・・」

 消え入りそうな低い声だった。テオは椅子に座った。中佐が息を吸い込み、それから言葉を発した。

「ガルソンとステファンから話を聞きました。3年前の私の行動についてお聞きになりたいと。」

2022/01/25

第5部 山の向こう     4

  明朝にキロス中佐がオフィスに出て来たら、直接彼女にテオと面会出来るか訊いてみる、とガルソン大尉は言った。もしその時点で彼女自身に判断能力がなければ、昼休みに厨房棟へ来てもらえないか、と彼はテオに頼んだ。
 セルバの神様が病気の仲間を救おうとして、白人に協力を仰いでいる。テオは事態の深刻さを理解した。
 大統領警護隊と夜の挨拶を交わして、彼はオフィスを出た。ステファン大尉が送りましょうかと声をかけてくれたが、辞退した。歩いてもそんなに遠くない距離だ。だがステファンは先輩達に向かって言った。

「”ティエラ”は夜目が利きません。転ばないよう、見守って来ます。」

 テオは勝手にしろよと笑い、2人は外に出た。少し歩いてから、ステファンが質問した。

「オルガ・グランデに来ているピューマと言うのは誰です?」

 テオは肩をすくめた。

「何時来るのか、実は知らないんだ。俺の同僚になる人だ。」

 それでステファンは、テオが示唆した”砂の民”が彼自身の恩師だと悟った。

「あの先生が来られたら、中佐の件は隠しようがありません。」
「教授はこっちへ来る訳じゃない。新しく発見された”ティエラ”の墓所遺跡を見学に来るんだ。だから文化保護担当部に遺跡立入許可を申請してパスをもらっていた。恐らく”シエロ”のミイラが混ざっていないか、地下墓地を歩くつもりだろう。君達の方から彼に接触しなければ、中佐の件に気づかずに帰ると思う。」
「そうだと良いのですが・・・」

 暗かったので、テオにはステファン大尉がどんな表情をしているのか見えなかったが、声は憂を帯びていた。

「”砂の民”は大統領警護隊に匹敵する情報網を持っています。”耳”と”目”と呼ばれる情報収集を司どる”ティエラ”を各自持っています。”耳”と”目”は自分達が操られているとは知らずに情報を集め、”砂の民”に報告するのです。無報酬ですが、”砂の民”の守護を受けているので身の安全は保障されます。教授がオルガ・グランデに”耳”や”目”を持っているかどうか知りませんが、西部地方は昔マスケゴ族の勢力範囲でした。殆ど”ティエラ”同然のマスケゴの子孫が大勢います。族長の身内である教授がオルガ・グランデに来れば、当然そう言う人々が集まるでしょう。教授が”砂の民”なのかどうか、彼等は知りません。それでも部族の長の家族は近づきになって損をしない存在ですからね。」

 カルロ・ステファンは以前大学の図書館で油断してケサダ教授に心を盗まれた苦い経験がある。ケサダは休憩していた彼に声をかけ、無防備に返事をしてしまった彼は教授と視線を合わせてしまい、強引に記憶をごっそり読まれてしまったのだ。お陰でステファンは人前で気絶すると言う失態をやらかしてしまい、姉のケツァル少佐から長い間揶揄われる羽目に陥った。(少佐は弟の油断から来る失敗には容赦しない。)それ以来、ステファンはフィデル・ケサダを警戒していた。
 テオはステファンが教授を警戒する理由を理解しているが、そんな必要はないのに、とも思う。教授は悪気があってステファンの心を盗んだのではない。大勢の人間がいる場所で大統領警護隊が油断して隙だらけで座っていたから、注意を与えただけだ。教授にすれば、ちょっとした悪戯心だったのだろう。何故なら、あの教授は白人の血を持つミックスのステファンより遥かに大きな力を持つ真の純血のグラダだからだ。

「ケサダはこっちには来ないさ。ここの海岸には遺跡がないから。」


第5部 山の向こう     3

  太平洋警備室のオフィスに別棟から戻って来たステファン大尉、フリータ少尉、ラバル少尉がその順番で入って来た。彼等はテオを見て、それからオフィス内の雰囲気で会談が既に始まっていることを知った。ガルソン大尉がステファンに”心話”でテオとの会談を伝えた。ステファンは頷き、2人の少尉にも情報提供を、と彼に言った。それでガルソンはラバルとフレータにも”心話”で伝えた。2人の少尉はテオがバス事故の生き残りだと知って驚いたが、その驚き方は同じではなかった。フレータは単純にびっくりした様子だったが、ラバルは却って警戒する様な目でテオを見た。記憶喪失を疑っているのかも知れない。
 ステファンがそばに来たので、彼の席に座っているテオは立ちあがろうとした。ステファンはそのままと手で合図した。テオは尋ねた。

「キロス中佐はきちんと夕食を取ったかい?」

 ステファンは肩をすくめた。フレータ少尉が答えた。

「出された物は全部召し上がりました。でも元気を失う前の半分の量です。」
「少しずつ量が減っている。」

とラバル少尉が呟いた。テオはキロス中佐をまだ見たことがないことに気がついた。こんな時は”心話”を使える”ヴェルデ・シエロ”達が羨ましい。彼はステファンを見上げ、尋ねた。

「君の任務は、ここで何が起きているかを調べることだろう? 本部に報告するかい?」

 ステファン大尉は室内を見回した。ガルソン大尉、パエス中尉、ラバル少尉、そしてフレータ少尉が彼を見つめていた。指揮官を救えないだろうか、と彼等の目が訴えていた。彼はテオに言った。

「実際に何が起きているのか、私はまだ掴みかねています。キロス中佐は確かに心の病に罹っておられる様に見えます。しかし、何故そうなったのか、原因を探る必要があります。」
「我々は3年間調べ続けた。」

とラバル少尉が抗議口調で言った。

「だが、何もわからない。」

 テオはガルソン大尉に向き直った。

「俺をキロス中佐に会わせて頂けませんか?」
「何の為に?」
「バス事故のことを教えてもらいます。」

 彼はちょっと考え、それからこう言った。

「もしかすると彼女は俺に何か語ってくれるかも知れません。あるいは、彼女はバス事故と全く無関係かも知れませんが。」

 ガルソン大尉はパエス中尉を見て、ラバル少尉を見た。それからフレータ少尉にも視線を向けた。最後にテオを見た。

「中佐が普通に会話が出来る状態なのか、私には判断が難しいのです。挨拶程度の短い会話なら出来ますが、5分も保ちません。座ったまま眠った状態になります。」

 テオはステファンを振り返った。ステファン大尉は仕方なく食事の時の中佐の様子をテオに語った。

「食事はされますが、時々動かなくなります。食べている最中に意識が混濁しているのではないかと思われる様な・・・」
「それは重症じゃないのか?」

 テオは心配になった。彼は室内の誰へともなく言った。

「あなた方は、中佐の異常をもっと早く本部に報告すべきだった。どんな結果になろうと、彼女の命を守ることが先決じゃなかったんですか?」


第5部 山の向こう     2

 不気味な程長い沈黙があった。ガルソン大尉もパエス中尉も黙ってテオを見ていた。テオは真っ暗な窓の外に目を遣った。2人の”ヴェルデ・シエロ”の沈黙が彼の質問への肯定を表していた。
 テオは深呼吸した。

「あなた方は、キロス中佐があのバスを道路から崖下に落としたと考えておられるのですね?」

 ガルソン大尉がゆっくりと首を傾げた。

「問題の医者がそのバスに乗っていたのです。だが、あそこで彼を殺す理由がない。少なくとも、我々には理解出来ない。」

 パエス中尉も言った。

「医者はアメリカ人をエンジェル鉱石に紹介しただけです。いくらか謝礼は取ったかも知れないが、彼は我々の存在を知らなかったし、アメリカ人の目的も知らなかった筈です。 中佐があの医者を殺す理由はありません。ましてや罪のない37人の命を奪うなど・・・」
「だが、あの事故がキロス中佐に何らかの心理的プレッシャーを与え、彼女の生気を奪ってしまった?」
「我々には彼女の心の病の原因がそれしか思いつかないのです。」

 テオは考え込んだ。超能力を使って直接人間を死なせることは、”ヴェルデ・シエロ”にとって絶対にしてはならない掟だ。人望厚かったカロリス・キロス中佐がそんなことをする筈がない、と部下達は信じている。だが何が起きたのか、中佐自身は語ろうとしない。ただ内に篭ってしまい、日々生きているだけの存在になってしまった。

「大罪を犯すことは、”砂の民”でさえ避ける。バス事故は本当にただの事故だったんじゃないのか? キロス中佐はもしかするとあのバスに乗っていて、自分だけ助かってしまったと思い込んでいるんじゃないか? 守護しなければならない国民を目の前で死なせてしまって、心が壊れてしまったのだと考えれないか?」

 ガルソンもパエスも答えなかった。
 テオは事故当時の記憶がない己が歯痒かった。事故に遭う前の記憶は戻ったのに、あのバスに乗った所から病院で目覚める迄の記憶だけが彼の脳から抜け落ちているのだ。

 もしかすると、キロス中佐の心の病の原因を知っているのは、この俺なのかも知れない。

 テオは気分が悪くなってきた。しかし、ここで逃げ出す訳にいかなかった。ガルソン大尉とパエス中尉は太平洋警備室の重大な秘密を打ち明けてくれたのだ。だから、テオもその行為に報いなければならない。

「その事故を起こしたバスに、俺も乗っていたんですよ。」

 室内の気温が1度下がった気がした。2人の”ヴェルデ・シエロ”が動揺したのだ。テオは彼等に余計な期待をさせたくなかったので、素早く続けた。

「俺はあの事故の唯一人の生存者で、記憶を失ったのです。そしてケツァル少佐と出会った。過去の記憶は戻りましたが、どう言う訳か、あのバス事故だけは思い出せないのです。バスに乗る所から、エル・ティティの病院で目が覚める迄の間の記憶が今もすっぽり抜け落ちて、何も思い出せない。それが何とかなればキロス中佐の病気の原因もわかるんじゃないかな、と思うのですが。」

 その時、ガルソンとパエスが戸口の方へ視線を向けた。


第5部 山の向こう     1

 「今から3年程前のことです。」

とガルソン大尉が語り始めた。

「港で働いているアカチャ族の現場監督にお会いになりましたか?」
「スィ。ホセ・バルタサール氏ですね?」
「彼がラバル少尉にある情報を伝えました。アンゲルス鉱石、当時はエンジェル鉱石と言いましたが、オルガ・グランデ最大の金鉱山を所有している鉱山会社が従業員の健康診断を行いました。」

 テオはドキリとした。それは彼が「7438・F・24・セルバ」とタグ付けされた血液サンプルの存在を知ることになった健康診断ではないのか?
 ガルソンが続けた。

「バルタサールはエンジェル鉱石がその健康診断で採取した血液をアメリカの会社に売却しているらしいと我々に伝えたのです。」
「内部告発ですか。」
「スィ。そのアメリカの会社が何者なのか我々にはわかりませんでした。しかしアメリカ先住民の血液を研究している製薬会社の話は聞いたことがあります。ワクチンの研究などに長い間外部との婚姻が行われたことがない人間の遺伝子を分析して使うのだと・・・私達には意味がよくわかりませんが。」
「まぁ、俺は理解出来ますが、説明しても一般の人にはわからないでしょう。それにキロス中佐の病気と遺伝子が関係しているとは思えませんが?」
「中佐は遺伝子の分析と言う言葉に懸念を抱かれました。」
「従業員に”ヴェルデ・シエロ”の血筋を持つ人がいると、アメリカの会社にあなた方の存在を知られてしまうと心配されたのではありませんか?」

 ガルソンとパエスがギクリとした表情でテオを見た。だからテオは率直に語ることにした。

「ステファン大尉や本部からの噂話で俺のことを少しはご存じかと思いますが、俺はその先住民の血液をエンジェル鉱石から買っていた会社、本当は政府の研究機関で働いていた科学者でした。」
「では、貴方がぶっ潰して逃げた研究所と言うのは・・・」

 テオは苦笑した。

「ぶっ潰しはしません。ただ、ケツァル少佐がデータを消去してコンピュータの中身をメチャクチャにしただけです。その研究所は超能力者の開発をしていたのです。軍で使えるように兵士に超能力者の遺伝子を注射で与えるようなものを。だから俺達はセルバ人のデータも彼等が北米で集めたデータも全部消して記憶媒体も復元不可能な状態に破壊したのです。」
「そうでしたか。だからグラダ・シティの本部は貴方を特別な存在として保護しているのですな。」

 ガルソンの目付きが柔らかくなった。パエス中尉も少し肩の力を抜いた様子だった。
 テオは逆に胸の奥に不安を感じながら、ガルソンに話の先を促した。

「キロス中佐はエンジェル鉱石に何か働きかけたのですか?」
「私達は彼女が何をなさったのか知らされていません。中佐は一人でオルガ・グランデのエンジェル鉱石へ出かけられました。血液の売却先を探りに行かれたのでしょう。
 鉱山会社の社長ミカエル・アンゲルスはアメリカ人から金を受け取った後のことは知らないと言ったそうです。それで中佐はアメリカ人を会社に紹介した医者を探しました。」
「医者?」
「健康診断を指導した医者です。オルガ・グランデで大きな診療所を経営している男でした。彼は中佐が探し当てた時、アスクラカンにいました。それで中佐はアスクラカンへ出かけられた。」

 テオはドキドキした。何故だかわからないが、凄く嫌な予感がした。

「中佐は10日後に帰って来られました。疲れ果てて、一度に老け込んだ感じで・・・。」
「大罪を犯したのだ。」

とパエス中尉が消えそうな低い声で囁いた。ガルソン大尉は黙って首を振った。

「誰も見た者はいない。誰にも何が起きたのかわからん。」
「何か起きたのですか?」

 テオが尋ねても、彼等は黙っていた。だから、テオは勇気を振り絞って言った。

「エル・ティティから少し山を登った辺りのハイウェイから乗合長期距離バスが転落したんじゃないですか?」

 

第5部 西の海     24

 テオが外に出ると、暗がりから声をかけられた。

「ドクトル・アルスト、私はパエス中尉です。そちらの道は厨房棟の横を通ります。まだキロス中佐が食事中なので、こちらへ迂回して下さい。」

 目を凝らして見ると、男が一人立っていた。昼間会った時パエス中尉は座っていたし、じっくり顔を見た訳でもなかったので本人なのか判断出来なかったが、テオはそちらへ足を向けた。そばに来た彼に、パエスが言った。

「素直なのですね。私を警戒しないのですか?」
「ここで俺の名前を知っている人はそんなにいませんからね。」

 パエスは腕を振って歩こうと合図した。並んで静かに村の中を海に向かって下った。

「今夜は中佐の食が進まなくて、ステファン大尉もラバル少尉もフリータ少尉もまだ厨房棟から出られません。中佐が退席しないことには、彼等の食事も終わらないのです。」
「貴方は?」
「ガルソン大尉と私は家庭持ちなので自宅で食べます。ですから、私達は帰宅したことになっています。お話はガルソンと私からすることになります。」

 太平洋警備室は灯りが灯っていた。宿直があるので、夜間も照明は点けているとパエス中尉が言った。

「今夜の宿直当番はラバルなのですが、中佐はそれに気がついていません。だから今の時間に照明が点いていても気になさらない。」

 オフィスの中は昼間と違って空気が冷たかった。海からの夜風が窓から吹き込んでいた。ガルソン大尉は窓辺で真っ暗な海を眺めていたが、テオが入室すると、「どこでも自由に」と椅子を勧めた。それでテオはステファン大尉の席に座った。ガルソンとパエスもそれぞれ自席に座った。

「昼間の報告でステファン大尉にここへ来た本当の理由を尋ねました。」

とガルソンが言った。

「本当の理由?」
「スィ。普通、指導師の試しに通った隊員は本部の厨房で半年修行します。しかし彼はいきなりこちらへ派遣された。我々は彼が来ると本部から聞かされた時に、覚悟を決めていました。」

 彼は溜め息をついた。

「本部が不審を抱くのも時間の問題だと思っていました。キロス中佐は、貴方が考えておられる通り、心の病に罹っています。仕事への情熱を失い、日中はオフィスでただ座っておられるだけです。本部への定時報告は、私が彼女の動画を作成し、毎日少しずつ変化を加えて流していました。」
「本部を騙していたのですか?」

 テオはびっくりした。大統領警護隊の規則は知らないが、これはどんな企業でも軍隊でも違反行為だろう。ガルソンは再び溜め息をついた。

「キロス中佐は素晴らしい指揮官でした。気の力が大きく、技も長けていました。そして部下にも住民にも人望がありました。サン・セレスト村の住民もポルト・マロンの労働者も彼女を敬愛していたのです。だから、我々は彼女に回復して欲しかった。本部が彼女の状態を知ったら、きっとグラダ・シティに召喚して国防省病院に閉じ込めてしまうでしょう。そして新しい指揮官が送られて来る。私達はそれを避けたかったのです。しかし・・・やはり本部を騙し切れるものではない。」

 パエス中尉が言った。

「処分を受けるのはガルソン大尉と私の2人で留めて頂きたい、とステファン大尉に告げました。彼はもう暫く様子を観察してから本部に報告すると言いましたが、恐らく中佐の病は治らないでしょう。ラバルとフレータは地元出身ですから、ここに残してもらえるよう司令部に頼むつもりです。新しい指揮官にこの土地の特性を教える人間が必要ですから。」

 テオは2人を見比べた。どちらも感情を表さない先住民らしい顔で彼を見返した。テオは言った。

「話はわかりました。でも、貴方達は家族がいるでしょう? 処罰されたら彼等はどうなりますか?」

 ガルソンが言った。

「妻はアカチャ族です。身内でなんとかしてくれるでしょう。」
「そんな・・・」

 テオは言った。

「家族の為に最善の策を考えるべきです。中佐は一体、いつから今の状態になったのです?」


 

2022/01/24

第5部 西の海     23

  ステファン大尉とフレータ少尉が太平洋警備室に戻ってから1時間後に大尉からテオの携帯にメールが入った。

ーー今夜2030にこちらのオフィスに来ていただけますか?

 テオは即答した。

ーーO K

 部外者で白人のテオに太平洋警備室が抱えている問題を打ち明けてくれると言うのだろうか。
 午後の検体採取はセンディーノ医師が親しくしているアカチャ族の家族から始めた。純血種とメスティーソの夫婦だった。両方の細胞をもらった。子供達は学校から帰るのを待って、採取した。それから5軒回った。金曜日迄に全部の家を回れそうだとカタラーニが機嫌良さそうに言った。
 夕方、早めに作業を切り上げたガルドスが、診療所で清めの儀式の練習をすると、看護師が驚いて眺めていた。村の外から来る人間が何故それを知っているのか、と言う顔だった。ガルドスは医師にも教えるのだと彼女達に言った。すると彼女と仲良くなった方の看護師が、ガルドスの発音の修正を指導してくれた。
 その日の夕食はセンディーノ医師の自宅キッチンで料理された。センディーノはガルドスとカタラーニが教わった通りの簡略化された清めの儀式を見て、それからカタラーニの動画を自分の携帯に送ってもらった。

「これで私が作る食事を村の人が食べてくれたら、患者に療養食を出してみます。」

と彼女は新しい挑戦の考えを告げた。テオは検体採取の手伝いをしてもらっているお返しですと言った。
 夕食が賑やかなものになったので、危うく大統領警護隊の面会要請に遅れるところだった。テオは院生達に、ステファン大尉と会ってくる、と言って宿舎の鍵をカタラーニに預けた。

「俺が親しくしている文化保護担当部の活動を知りたいらしいよ。」

と誤魔化した。そしてカタラーニには、ガルドスに悪さをするなよ、と注意を与えた。カタラーニは笑って、「そんな恐ろしいことはしません」と言った。

第5部 西の海     22

  宿舎にしている空き家で3人で昼食を取っていると、ステファン大尉から携帯に電話が掛かってきた。軍関係の施設が3つもあるし、それなりに大きな船舶が出入りする港湾施設もあるので、サン・セレスト村は携帯電話が使えるのだ。セルバ式ハラールを習いたいのであれば、これから訪問しても良いですか、と言う内容だったので、テオは独断で構わないと答えた。電話を切ってから、院生達に昼寝をしたい人はしてもらって構わないと言うと、2人共興味津々で講習会に参加すると言った。
 半時間後にステファン大尉はブリサ・フレータ少尉と一緒に野菜とソーセージを持ってやって来た。フレータ少尉はカイナ族だと聞いて、テオはふと友人の母親の出自に疑惑がある件を思い出した。純血種のカイナ族だ。テオはつい”ヴェルデ・シエロ”のDNAコレクションに彼女を加えたい衝動に駆られたが、自重した。同じ純血種でもアカチャ族の女性達に比べると垢抜けして見えるのは、フレータが一度は大都会の本部で暮らした人だからだろう。
 カタラーニが携帯で動画を撮影して良いかと訊くと、フレータ少尉は戸惑ってステファンを見た。後輩だが彼は上官なのだ。ステファンは顔を撮影しないでくれ、と言った。音声の録音は構わないが、動画は手の動きだけだ、と制限をかけたのだ。
 最初にステファン大尉がソーセージを相手に儀式を行った。ソーセージは製造される前段階、つまり家畜を屠殺する場面でお祓いを受けるべきなのだと説明をしてから、彼はソーセージの上で手を波を表現するかの様に動かし、呪文の様な先住民言語で祈りを捧げた。次にフレータ少尉が野菜を相手に似たような動作でお祓いを行ったが、祈りの言葉が微妙に違っていた。
 一連の儀式が終わると、ステファン大尉が説明した。彼等が先程演じて見せたのは正式なアカチャ族の儀式で、大統領警護隊のものではないこと、実際のアカチャ族の家庭では、もっと簡略化された儀式が行われることを話した。そして次にフレータ少尉が実際に行われている儀式を実演して見せた。手の動きは同じだったが、呪文が短く簡潔になっていた。終わると、この家に来て初めてフレータが笑顔を見せた。

「簡単でしょう? 少し練習すれば明日からでも使えますよ。」

 笑うと若く見える、とテオは印象を持った。

「グラシャス。 コーヒーを淹れようと思うが、時間はあるかい?」
「スィ。半時間あります。」

 カタラーニが素早く動いてコーヒーを作った。ガルドスが大統領警護隊の2人に質問した。

「どちらの部族のご出身ですか?」

 ステファンが無難に答えた。

「私はオルガ・グランデ出身で、色々な血が混ざったメスティーソです。明確に所属する部族はありません。」

 フレータ少尉も慣れているのだろう、彼女もオルガ・グランデ近郊の村の生まれだと言った。普通、その答え方は、オルガ族と言う人口が多い”ヴェルデ・ティエラ”の部族だと言う意味を与える。だからガルドスはあっさり納得したが、テオはフレータが実際は出身部族について何もヒントをガルドスに与えていないことを知っていた。
 儀式について少し質問が出たが、ステファンとフレータはアカチャ族に関する答えしか言わなかった。
 シエスタの時間が終わり、テオは2人の大統領警護隊隊員を送りながら外に出た。太平洋警備室は歩いても数分の距離だ。

「急な申し出に応えてくれて有り難う。」

 彼は続けて質問を出した。

「キロス中佐は鬱病なのですか?」

 この質問はフレータ少尉に向けたのだ。フレータが足を止めた。

「何のことでしょう?」
「ちょっと噂を耳にしたのです。ポルト・マロンでね。」

 決してステファンから聞いたのではない、とテオは強調する為にそう言った。

「3年前迄は元気に勤務されていた中佐が、ある時期から急に引き篭もりになってしまったそうで、陸軍水上部隊では心配していますよ。貴方方もドクトラ・センディーノからお薬を処方してもらって中佐に飲んでもらっているのでしょう?」

 フレータ少尉は怒ったような不機嫌な顔になって海の方を見た。

「中佐はご病気ではありません。」
「しかし鬱の薬を処方されていると、俺は聞きましたが?」

 ステファン大尉が、ドクトル!とテオを止めた。個人のプライバシーの問題だ、と彼は言おうとした。しかし、テオはやめなかった。

「精神状態に問題がある”ヴェルデ・シエロ”は危険な存在ではないのか?」

 フレータ少尉が雷に打たれたかの様に、ビクッとして振り向いた。彼女はテオを睨みつけ、それからステファンに怒りの視線を向けた。ステファン大尉は仕方なく打ち明けた。

「この人は、大統領警護隊文化保護担当部と常に行動を共にされている特別な人です、少尉。」

 フレータが再び視線を向けて来たので、テオも言った。

「俺は君達一族のことを知っている。そして文化保護担当部以外の”シエロ”とも交流がある。君達の秘密は口外しないし、興味本位で接したりしない。だから本当のことを教えて欲しい。キロス中佐は心の病なのか、それとも何か他に理由があって引き篭もっておられるのか?」

 彼はステファンも知らなかったある事実を打ち明けた。

「実は、オルガ・グランデにピューマが1頭来ている。」

 ハッとステファンとフレータが息を呑んだ。”砂の民”だ。もし”砂の民”に心を病んだ指揮官の現状を知られたら、とても拙いことになる。指揮官の命が危ない。そして指揮官の現状を隠していた部下達も制裁を受ける。それは司令部からの処罰より残酷な事態になるかも知れない。
 やがて、フレータ少尉が喉から乾いた声を出した。

「私の一存で打ち明ける訳にいきません。ガルソン大尉と相談します。」


第5部 西の海     21

  うっかり調子に乗って「アミーゴ」と呼んでしまったが、将校は気を悪くした様子はなかった。それどころか、彼は自己紹介した。

「私はここの指揮官補佐のホセ・ガルソン大尉です。あちらでバイクのエンジンの修理をしているのがルカ・パエス中尉。ホセ・ラバル少尉とカルロ・ステファン大尉はご存じですな?」
「スィ。指揮官はキロス中佐でしたね?」
「カロリス・キロス中佐です。もう一人、厨房勤務のブリサ・フレータ少尉がいます。太平洋警備室は現在6名です。DNAサンプルはご入用かな?」
「ノ、結構です。」

 テオは前日のラバル少尉より人当たりが良さそうなガルソン大尉に、少し安心した。それにガルソンもパエスもラバルより若い。ラバル少尉は一人取り残された感があるのかも知れない。

「私の学生はこちらのカタラーニの他にもう一人ガルドスと言う女性がいます。医者の卵です。私達と同じ活動をしますから、見かけたら声でもかけてやって下さい。」

 オフィスから出て、テオとカタラーニは港湾施設に向かって歩き出した。

「大統領警護隊のオフィスって、普通の事務所と変わらないんですね。」

とカタラーニが感想を述べたので、テオは笑った。

「どんなオフィスを想像していたんだ? 文化・教育省の文化保護担当部のオフィスを見たことがないのかい?」
「遺跡には興味ありませんから・・・」

 カタラーニが申し訳なさそうに言った。

「軍隊だから、もっと機関銃とか銃器を装備しているのかと思いました。」
「勿論、彼等はそう言う物も持っているさ。だけど、アメリカの軍隊だって事務所はあんな感じだよ。武器保管庫は別にある。」

 文化保護担当部のケツァル少佐が机の下にアサルトライフルを置いていることは黙っていよう。テオは心の中で笑った。それに机の引き出しには拳銃ぐらい保管しているかも知れない。
 沿岸警備隊の構成員にアカチャ族がいると言う情報はなかったので、陸軍水上部隊基地へ行った。守衛に用件を告げると、既にガルソン大尉から連絡が行っていたので中に通してくれた。部隊長のオフィスで少し待たされた。当該兵士は艇整備の担当で、作業が終了する迄待ってくれと言われた。こちらの作業は数秒で済むものなので、テオとカタラーニはセルバ人らしく暢んびり待つことにした。部隊長がグラダ・シティの情報を聞きたがったので、世間話で時間を潰した。
 やがて、部隊長がさりげない風を装って質問してきた。

「大統領警護隊太平洋警備室に行かれたのですね?」
「スィ。オフィスに入れて頂きました。」
「指揮官に会われましたか?」
「ノ。指揮官補佐のガルソン大尉に応対してもらいました。」
「キロス中佐にはお会いになっていない?」
「会っていません。」

 部隊長がふーっと息を吐いた。テオがその意味を測りかねていると、彼は言った。

「中佐はこの3年ばかり引き篭もって宿舎とオフィスの往復以外は屋外に出られないのです。」
「引き篭もり?」
「スィ。部下達も当惑している様です。理由がわからないらしい。」
「3年前迄は普通に外出されていたのですか?」
「スィ。彼女はよく港に現れて、我々水上部隊にも沿岸警備隊にも声をかけてくれました。民間の積み出し港のポルト・マロンにも足を向けられて従業員達の安全に目を配っておられました。それがいつからか・・・」

 部隊長は首を振った。

「兎に角、ガルソン大尉は出来るだけ早く上官が元気を取り戻すよう、煩わしい業務などを一手に引き受けて勤務されている様です。他の部下達もセンディーノ医師が処方する気鬱の薬など、普通大統領警護隊が受け容れることのない薬品を中佐に与えている様ですがね。」

 鬱病の”ヴェルデ・シエロ”なのか? テオはカルロ・ステファンが新しい同僚達に違和感を抱いていることを思い出した。太平洋警備室の隊員達は指揮官の異常を本部に知られまいとしているのだろうか。それは、軍隊と言う組織の中では許されないことではないのか。
 やがて1時間以上経ってから、アカチャ族の兵士が現れた。彼は普通の若者で、部隊長の説明を聞くと一瞬不安そうな顔をしたが、綿棒を渡され、口の中を擦るだけだと言われると、素直に応じた。用事はアッという間に終了した。
 テオとカタラーニは部隊長に礼を言って陸軍水上部隊基地を辞した。




2022/01/23

第5部 西の海     20

  翌日、テオはカタラーニを連れて大統領警護隊太平洋警備室を訪問した。本部を訪問しても絶対に中に入れてもらえないのだが、太平洋警備室は、彼が彼自身とカタラーニの紹介の後、応対してくれている男性将校に指導師に会いたいと告げると、オフィスの中に入れてくれた。
 オフィスの中は文化保護担当部と同じように机が並び、パソコンやプリンターや書類が載っていた。カルロ・ステファン大尉は厨房棟で昼食の準備をしていると応対に出た将校は言った。

「指導師にどう言う用件でしょうか?」

と将校は民間人に対して丁寧な言葉遣いで尋ねた。テオは室内を見た。前日に声をかけてきた年配の少尉は姿が見えなかった。30代から40代と思われる男性将校が2人いるだけだ。しかも一人は机の上に何かのエンジンの様な物を置いて修理をしている様子だった。
 テオは少し躊躇ってから言った。

「こちらの言葉で何と言うのか知りませんが、ハラールを教えて頂きたいのです。」
「ハラール?」

 将校はちょっと考えてから、ああ、と呟いた。

「料理の前の清めの儀式のことですか?」
「スィ! それです。」

 テオはセンディーノ医師の小さな悩みごとを隊員に語った。村人から食事に誘われるのに、こちらから誘っても来てくれない、と。その原因は清めの儀式をしないからではないか、とカタラーニが考えついたのだ、と。

「一昨日、私達はここへ来たばかりですが、その時、ステファン大尉の厚意で同じ陸軍のトラックに乗せてもらいました。ステファン大尉はこちらの厨房で働くのだと聞いています。もしよろしければ清めの儀式を教えてもらえないかと・・・」

 応対した将校と機械の修理をしていた将校が顔を見合わせた。”心話”だ、とテオは思った。

「教えていけないと言うことはありませんが、」

と応対した将校が言った。

「私達は教わっていません。ステファン大尉に伝えておきましょう。急ぎの用事ではないのですな?」
「急ぎません。」

 すると機械の修理をしていた将校が顔を上げてテオを見た。

「アカチャ族と我々の儀式が同じと言う訳ではないが、それでもよろしいか?」

 テオはカタラーニを見た。カタラーニはちょっと戸惑った。先住民の儀式は全部同じだと思い込んでいた様だ。テオはその将校に言った。

「住民に私達が決して食べ物を粗末に考えていないと伝われば良いのかと思いますが、それでは駄目でしょうか? 白人でも食事の前に神に祈ります。」

 再び2人の将校が”心話”を行った。そして応対した将校がテオに頷いて見せた。

「確かに、我々の遣り方を住民に見せれば誠意が伝わるかと思います。」
「グラシャス。今日、明日とは言いませんから、よろしくお願いします。」

 オフィスを出かけて、テオはふともう一つ厚かましい要望を思いついた。

「私達がここにいる理由をお聞きでしょうか?」
「政府の仕事でアカチャ族の遺伝子を採取されていると言う話ですか?」
「スィ。実は陸軍水上部隊にも一人アカチャ族出身の兵士がいると聞きました。彼にも協力してもらえるよう、大統領警護隊から口添えしていただけませんか?」

 将校が微かに笑った。

「政府の仕事ですな? 電話を1本かけるだけで良いですか?」

 テオも微笑んだ。

「グラシャス、アミーゴ。」


第5部 西の海     19

 午後はアンゲルス鉱石以外の鉱山会社の波止場へカタラーニと共に出かけた。3社の小企業が共同で使用している波止場で、そこで5人からサンプルを採取出来た。アンゲルス鉱石のホセ・バルタサールから話を聞いていると言うことで、説明が短くて済んだ。そこで陸軍水上部隊にも一人アカチャ族の兵士がいると言う情報をもらった。流石に軍隊の基地にいきなり訪問は拙いので、次の日に電話でも入れようとカタラーニと話し合った。
 診療所に戻ると、センディーノ医師が自宅での夕食に招待してくれた。凝ったものは出なくて、BBQだったが、若い院生達は喜んでくれた。

「久しぶりに賑やかな夕食を取れて嬉しいわ。」

とセンディーノが言った。先住民達は食事会に来ないのかと訊くと、意外な答えが返ってきた。

「村の人達は私を招待してくれることはあっても、私の招待には応じてくれないの。理由を聞いても返事がないのよ。」
「それは・・・」

とカタラーニがちょっと考えてから言った。

「東のアケチャ族でも同じ習慣があるのですが、料理する前の食材にお祈りをしないといけないんじゃないでしょうか? 悪い霊を祓ったり、食材の霊に感謝していることを示せば、来てくれると思います。」

 テオは昼間ステファン大尉が話していたことと同じだったので、驚いた。それは”ヴェルデ・シエロ”も行うことだと言いたかったが、堪えた。

「つまり、ハラールの問題?」
「そうですね。」
「どうすれば良いのかしら? 教えてくれる気があれば、私が招待に応じてもらえない理由を訊いた時に教えてくれたわよねぇ?」
「きっと白人には理解してもらえないと思っているのでは?」

 ガルドスが少し悲しげに言った。彼女はメスティーソだが、時々純血の先住民から白人と同じ扱いを受けることがある。つまり、拒否だ。
 テオはちょっと考えてから、ふと思いついた。

「大統領警護隊も同じ種類の儀式を毎回調理する前に行うそうだ。カルロに頼んで、皆で教わらないか? それを看護師の前でやって見せたら、どうだろう?」
「大統領警護隊も調理前の儀式をするのですか?」

 院生達も医師もびっくりだ。だが宗教的なものは外国の軍隊でも行うだろう、とテオはイスラム世界の習慣を例にして言った。 

「そう言えば、大統領警護隊って先住民しか入れませんよね?」

と不意にカタラーニが言った。テオはドキリとした。

「メスティーソも入隊しているぞ。カルロはメスティーソだ。」
「イケメンですよね。」

 ガルドスは昨日一緒にトラックに乗った素敵な隊員を思い出してニッコリした。カタラーニはしかし興味があるようだ。

「陸軍に入った友達がいますが、15、6歳になる士官候補生を警護隊がスカウトに来るそうです。彼等は必ず先住民優先でしか採用しないとかで、警護隊に憧れていた友人は選から漏れてがっかりしていたことがありました。友人も僕と同じメスティーソなんですけどね。」

 すかさずテオは言った。

「俺には数人警護隊の友人がいるが、見た目が殆ど白人の男もいるし、アフリカ系の人もいる。選考の基準がどうなっているのか、外部にはわからないさ。」

 いや、大統領警護隊には決定的な選考基準がある。”ヴェルデ・シエロ”、しかもナワルを使って動物に変身する”ツィンル”しか採用しないのだ。
 カタラーニはテオの言葉に「そうなのかなぁ」と呟いたが、それ以上は突っ込んでこなかった。それで良いんだ、とテオは心の中で彼に言った。連中の正体を掘り下げようとしたら、命を失うぞ、と。

  

第5部 西の海     18

  突然カルロ・ステファン大尉がピクっと身体を緊張させ、後ろを振り返った。テオもそれに釣られて振り返り、一人の大統領警護隊隊員が近づいて来るのに気が付いた。

「ここの人だね?」
「スィ。ホセ・ラバル少尉です。」
「ブーカ?」
「ノ、カイナとマスケゴのミックスです。」

 ステファンは先輩に敬礼しようとして、己が上の階級だと思い出した。本部にいる時は忘れないのだが、ここでは何か違う雰囲気が漂っているので、つい格下に敬礼してしまう。
 ステファンの前に立ったラバル少尉は敬礼しなかった。テオをジロリと見て、それからステファンに視線を向けた。

「お知り合いですかな?」
「昨日こちらへ来る陸軍のトラックに3人の民間人を同乗させました。その一人です。」

 友人とは紹介しなかったステファンの考えを、テオは敏感に察した。カルロは新しい任地の先輩達を警戒している。万が一の時、友人に手を出されたくないのだ。
 テオは大統領警護隊を扱い慣れていない白人のふりをした。手を差し出して自己紹介した。

「グラダ大学生物学部のテオドール・アルスト、准教授です。よろしく!」

 ラバルが怪訝そうな顔をした。

「大学の教授がここで何を?」
「教授じゃなくて、准教授です。」

 テオは村民全員の細胞採取をすることに大統領警護隊の許可は不要だと知っていたが、一応断っておくべきだろうと思った。後で妨害されては困る。

「セルバ政府の依頼で先住民のDNAを採取しています。目的をお知りになりたければ、内務省のイグレシアス大臣に問い合わせて下さい。まぁ、秘密にするような話ではありませんがね。」
「先住民?」
「アカチャ族です。午前中にアンゲルス鉱石の協力で従業員からサンプル採取させてもらいました。明日は村の残りの住民にお願いして歩きます。予定では1週間こちらに滞在します。」

 テオはまだ手を差し出したままだった。ラバルはチラリとステファンを見遣ってから、視線をテオに戻し、渋々その手を握った。テオはその軍人らしい厳つい手を握ったまま喋り続けた。

「大学院生を2名連れて来ています。男と女、若い学生です。真面目な子達ですが、港湾施設に慣れていないので、もし危険な場所に行きそうな時は注意してやって下さい。よろしく。」

 やっと手を離してやると、ラバルは頷いて見せ、それからステファン大尉に「失礼します」と言って船舶が停泊している方角へ歩き去った。
 テオは声が届かないと思われる距離まで彼が遠ざかると、ステファンに囁きかけた。

「かなり年長の少尉だな。」

 ステファンが溜め息をついた。

「それで困っています。指揮官は中佐で副官は大尉ですが、残りの3人が年上の部下になるので・・・」
「本部でも大勢いるだろ?」
「本部には私の他にも若い上級将校が大勢いますよ。」
「指導師は?」
「中佐と私だけだそうです。」
「それじゃ、胸を張っていろよ。」


第5部 西の海     17

  昼食の時に、村民全員のサンプルを採る話をすると、センディーノ医師は肩をすくめた。そして以前行ったアンゲルス鉱石の健康診断で採取した検体が残っていれば良かったのに、と言った。
 シエスタの時間。宿舎に戻って昼寝をするカタラーニと、仲良くなった看護師の家に遊びに行くガルドスと別行動を取ることにしたテオは、港の方へ散歩に出た。乾季なので空気は乾いている。ビーチは幅が狭く、どちらかと言えば岩礁が多い海岸線だ。水深もかなりありそうで、海岸からすぐに落ち込んでいる箇所が多いのだろう。だから鉱石を積む貨物船が出入り出来る港が建設されたのだ。
 船が一艘着岸しており、鉱石を運んで来るトラックを待っている状態だ。
 テオは作業の邪魔にならないように、使用されていない波止場で船を眺めていた。アメリカ時代は湖の岸辺の街で育ったので、船はあまり珍しくないが、太平洋を航海する船はやはり大きく迫力がある。セルバ共和国に来てからは、ジャングルや高原ばかりで、たまに学生達と海水浴に行く程度だ。グラダ港へ行ったことはない。植民地時代からある港で、立派なコンテナバースやクレーンなどがあるそうだ。

「シエスタですか?」

 背後から声をかけられた。カルロ・ステファン大尉だ、と思って振り返ると、果たしてそうだった。

「君もシエスタかい? 新しい配属先はどうだい?」

 ステファンが隣に並んで立った。気の抑制タバコを出して口に咥えたが、火は点けなかった。

「どうと訊かれてましても・・・」

 彼は苦笑した。テオはその表情を読んでみた。

「想像していたのと違うって顔だな。」
「貴方には敵わないなぁ・・・」

 ステファンは視線をテオと同じ船に向けた。

「奇妙な任務なのですよ。」
「奇妙?」
「通常、指導師の試しに合格すると、半年間本部の食堂の厨房で働くのです。」
「はぁ?」

 厨房で働くと言うこと自体が意外で、テオは思わずそう声を出してしまった。

「厨房で料理をするのが指導師の仕事なのか?」
「仕入れた食材のお祓いをします。それから食べ物となる動物や植物の霊に感謝して料理します。時には、毒が混入されていないかチェックもします。」
「ああ・・・」

 食材のお祓いは、イスラム教徒のハラールを見聞したことがあったので、テオも理解出来た。食べ物への感謝も先住民なら普通にする。毒味も大統領警護に必要だ。しかし半年もそれをやるのか、と驚いた。

「すると本部で働く筈が、いきなり太平洋警備室に行けと言われたのだな?」
「スィ。副司令が、ここで何が起きているのか見て来い、と。」
「何が起きているんだ?」
「それが掴めない。」
「初日だしな。」

 暫く彼等は船と海と空を眺めていた。それからテオがまた質問した。

「ここの隊員達と上手くやれそうか?」

 直ぐには返事がなかった。テオが横を見ると、ステファンは考え込んでいる目をしていた。カルロ? と声をかけると、彼は視線をテオに向けた。

「ここの人達は何と言うか・・・」

 ステファンは肩をすくめたが、それ以上は語らなかった。まだ2日目だ。先輩の批評をしたくないのだ。彼は話題を変えた。

「貴方の検査の方は上手く行っているのですか?」
「スィ。アンゲルス鉱石のバルデスが営業所の方に話をつけてくれていた。診療所の医師も協力的だし、看護師も学生と仲良くしてくれている。ただ・・・」

 テオは営業所長は虫が好かないと囁いた。

「先住民やメスティーソを見下しているんだ。だから君も注意してくれ。大統領警護隊に刃向かったりしないだろうが、従業員を虐待している様子だったら、注意を与えてくれないか。トラブルにならない程度で良いから。」
「わかりました。貴方も港湾施設を歩かれる時は気をつけて下さい。船乗りは気が荒い人が多いと聞きます。」


第5部 西の海     16

  昼前に診療所に戻ると、待合室に患者はいなくて、イサベル・ガルドスと看護師1人が世間話をしていた。聞けばセンディーノ医師ともう一人の看護師は最後の患者と診察室にいると言う。テオが採取した人数を尋ねると、20代の女性1人、30代の男女1人ずつ、60代の女性2人だった。テオは人数を合計して、言った。

「目標人数には足りていないが、大臣が俺の目標人数を指定した訳じゃない。看護師の分も入れて全部で14人だ。遺伝子比較には十分だと思うが、どうだろう?」
「十分だと思います。」

とカタラーニが応じたが、ちょっぴり残念そうだ。この旅行がすぐに終わってしまう予感がして寂しいのだ。それはガルドスも同様で、

「あっけなく終わってしまいましたね。」

と言った。すると看護師が言った。

「それなら村民全員のサンプルを採ればどうです?」
「出来ないことはないが・・・」
「帰りたくないのでしょう?」

 看護師が悪戯っ子の様な笑を浮かべた。

「アカチャ族は港が出来る前から、海から来る客に慣れています。だから貴方達が村の中を歩き回って出会う人に検査協力を求めても騒いだりしませんよ。」

 テオは彼女を眺めた。純血種の先住民の顔をしてるが、もしかすると・・・。彼は尋ねた。

「昔も海から客が来たと仰いましたね? すると村の人でその他所から来た人と結婚したり、子供を産んだりした人もいたのですか?」
「いたでしょうね。」

と看護師はサラリと言った。

「白人やアフリカ系でなければどこの部族と混ざり合っているか、わかりませんもの。」
「そうか!」

 テオは手を打った。カタラーニとガルドスが不思議そうに見たので、彼は説明した。

「海沿いをやって来たり、船で訪れた人との間に生まれたアカチャ族の住民もいたんだ。その人の子孫がまだ村にいる可能性だってある。つまり、東のアケチャ族とここのアカチャ族に遺伝子が違う可能性も十分あるってことだよ。」
「そうなんだ!」

 ガルドスも目を輝かせた。

「アカチャ族が独立した一つの部族だと言う証明を探すのですね!」

 看護師は何故グラダ大学の人々が喜んでいるのかわからず、ぽかんとして見ていた。

第5部 西の海     15

  現場監督のホセ・バルタサールは50がらみの男性だった。よく日焼けしたなめし革の様な肌をした先住民だ。もしかすると見た目より若いのかも知れない。先住民は若い時期は幼く見えて男性でも可愛らしい人がいるが、ある年齢を超えると急速に大人びて加齢に従い若いのに老成して見える。それだけ生活が過酷なのだ。都会でビジネスマンとして働いている先住民は地方の人々と同年齢でももっと若く見える。
 テオはバルタサールと引き合わされた時、先住民の挨拶を丁寧に行った。東海岸のアケチャ族の挨拶だ。バルタサールは一瞬戸惑った表情を見せ、それから、「私達はこうします」と言いたげに、少しだけ手の位置を下に下げて挨拶をした。それでテオは改めてそれを真似て見せた。エルムスが上から目線でバルタサールにグラダ大学の先生と学生の作業を手伝うよう命じた。バルタサールは「わかりました」と言い、テオに「ついて来い」と手で合図をして所長室を出た。だからテオとカタラーニもエルムスに「グラシャス」とだけ言って、急いで現場監督について出た。
 山から乾いた熱い風が吹きおろす村だ。従業員達が仕事の準備をしているコンクリート舗装の広場の様な場所にバルタサールはテオとカタラーニを連れて行った。彼がホイッスルを吹くと、男達が集まって来た。先住民がいればアフリカ系の人やメスティーソもいる。海沿いだから隣国からも労働者が来ているのだ。バルタサールがテオを見た。

「貴方から話をして下さい。私は難しい話は出来ない。」

 それでテオはカタラーニに検査の説明をさせた。彼が白人の使用人でないことをはっきりさせたかった。カタラーニはこれから行う検査が政府の事業であること、目的は先住民の分布状況調査で、先住民保護助成金の予算算出の参考とすること、調査対象はアカチャ族の各世代男女2名ずつなので、協力者は名乗り出て欲しいこと(決して強制ではないですよ、と彼は強調した。)、検査は綿棒で口の内側を擦るだけなので数秒で済むし、痛みは全くないこと、協力の報酬はないが短時間で済むので決して仕事の妨害にならないことを語った。
 アカチャ族だけが対象と聞いて、早くも自分は無関係と決めつけた人達が集会から離れて行った。結果的に14名が残った。全員男性だ。テオは彼等に年齢を尋ね、20代と30代が5人ずつ、40代が3名いたので、彼等が自主的に2名選ぶよう頼んだ。50代は1人で、バルタサールではなかった。
 最終的に残った7人に、テオは自分で実際に綿棒を使って実演して見せ、細胞サンプルを採取することに成功した。
 保冷ケースに検体を入れて、テオとカタラーニは労働者達に丁寧に感謝の言葉を述べた。40代のサンプルを提供したバルタサールが尋ねた。

「足りないサンプルを集めますか?」
「ノ、診療所でも行っているので、ここはこれで十分です。それに必ずしも全部の世代、男女揃わせなければならないと言うこともありません。アカチャ族の遺伝子のパターンさえ登録出来れば良いのです。」

 バルタサールはテオの背後の風景に視線を向けて言った。

「数年前、会社の健康診断と言うことで、色々なことを検査されました。その時に血液も採られた。後で聞いた話では、その血液をアメリカのどこかの研究機関が買ったと言うことです。」

 テオはドキリとした。国立遺伝病理学研究所のドブソン博士がアンゲルス鉱石の労働者達の血液を集めていた。彼はそこから偶然”ヴェルデ・シエロ”と思われるサンプルを発見して、その遺伝子の持ち主に会おうと初めてセルバ共和国の土を踏んだ。そしてエル・ティティでバス事故に遭ったのだ。そこから彼の新しい人生が始まった。

「今日のサンプルを外国に売ったりしませんから、安心して下さい。」

 それは事実だ。問題は助成金の額だ。アケチャ族とアカチャ族が別々に助成金をもらえるのか、一つにまとめられてしまうのか、だ。

「会社の健康診断は、会社が雇った医師が行ったのですか?」
「ノ。」

 バルタサールは診療所の方を指差した。

「ドクトル・センディーノとドクトラ・センディーノです。会社がお金を払って2人に健康診断をさせたのです。この営業所の従業員だけですが。」

 では鉱山は別の医師が担当したのだ。テオはバルタサールに協力の礼を言った。
スムーズに捗ったので、もしかすると残りの日々はオルガ・グランデ観光で過ごせるかも知れない。


第5部 西の海     14

  2日目の朝。テオドール・アルストは2人の学生と共に朝食を済ませた。テオが早起きしてキッチンでそれなりの料理を作ったので、学生達が驚き、感心して歓声を上げた。

「先生、いつもこんなことをなさっているのですか?」
「いや、家じゃルームシェアしている友人が作ってくれるんだ。彼が来る前は俺も自分で作っていたがね。料理は彼の趣味なんだ。だから仕事が忙しい時や機嫌が悪い時は作ってもらえない。」

 笑顔で朝を迎えられたので、彼等は機嫌良く仕事に取り掛かった。まず診療所に行き、マリア・センディーノ医師の開業準備を手伝った。地方の労働者は始業時間にダラダラと通勤して来ることが多いが、医療機関は別で2人の看護師は時間前に出勤して来て、テオ達に色々と診療所内の物の位置や村人の様子を教えてくれた。彼女達もアカチャ族だったので、早速2人分のサンプル採取が出来た。それを診療所の手伝いをするイサベル・ガルドスが帰る迄管理することになる。
 テオとアーロン・カタラーニは港のアンゲルス鉱石サン・セレスト営業所へ行った。鉱石の積出を管理する事務所だ。社長のバルデスから所長のアダン・エルムスに細胞採取に協力するよう通達が来ている筈だった。エルムスは白人で、テオはドイツ系だと思った。きっと父親とか祖父はヘルムスなのだ。ドイツ人が薄情な国民だと思わないが、エルムスが所長と言う地位を心地良く思っている印象は拭えなかった。と言うのも、所長室に入った時、エルムスはテオに椅子を勧めたのにカタラーニを無視したのだ。使用人と思ったのかも知れないが、それでも失礼な話だ。だからテオは敢えて言った。

「うちの院生にも椅子をお願い出来ますか?」

 エルムスは失礼と呟き、カタラーニにパイプ椅子を提供した。セルバで高等教育を受けられる若者は富裕層の子供か奨学金給付対象の成績優秀な人間だ。いつの日かエルムスはその傲慢な態度のしっぺ返しを受けるだろう、とテオは思った。
 テオは気を取り直してエルムスに調査方法の説明をした。純血種もしくは先住民の血が濃いメスティーソの従業員の頬の内側を綿棒で擦るだけの採取方法だ。但し、年代に分けて男女2名ずつだ。テオが会社に求めるのは、従業員のいる場所へ案内して調査協力を要請してもらうことだった。

「注射と違って痛いことはしないし、薬を飲ませたりもしません。ただ綿棒で頬の中を擦るだけです。」
「それだけ?」
「それだけです。内務大臣が求めているのは、アカチャ族の分布状況ですから、御社の業務の妨害などは一切しません。」

 先住民保護助成金削減が目的などエルムスに言いたくなかった。多分、この男はイグレシアスが大統領選に立候補でもすれば喜んで票を入れる口だろう。テオは勝手にそう思い込んだ。

「それじゃ、現場監督に案内させましょう。」

 エルムスは席を立ち、事務所のドアを開けると、大声で人を呼んだ。

「バルタサール! ちょっと来い!」

 誰かが答えた。

「彼は現場に出ています。」

 エルムスは舌打ちして携帯電話を出した。現場監督にかけて、事務所にすぐに来るよう命令した。そして電話を終えるとテオに言い訳した。

「まだ船も積荷も来ていないのに、いつも外にいたがる男でね。まぁ、威圧的に話しかければ言うことを聞きますよ。」


2022/01/22

第5部 西の海     13

  スープとジャガイモの茹でたものだけの質素な夕食が出来上がると、フレータ少尉は軽く気を発した。食事の合図だ。しかし食堂に現れたのはキロス中佐とラバル少尉だけだった。ステファンは食器にスープとジャガイモを入れてトレイに載せ、彼等に渡した。フレータ少尉と己の分も盛り付け、各自好きな量だけパンを取って1台しかない幅の広いテーブルを取り囲む形で座った。本部の食堂では大所帯で常に誰かが交代で勤務しているので、席に着いたら勝手に食べるのだが、太平洋警備室は4人だけだ。指揮官のキロス中佐がフォークとスプーンを手に取ると、それが合図の様にラバルとフレータも食べ始めたので、ステファンも食事に手を付けた。食事中は静かにすると言うのは本部でも同じだが、人数が極端に少ないので実に静かだ。人が動く音も食器の音も椅子を引く音も聞こえない。まるで地下神殿の指導師の試しが続いている様な気分になったステファンは、少し躊躇ったが思い切って声を出した。

「ガルソン大尉とパエス中尉は後から食べるのですか?」

 するとラバル少尉が手を止めた。

「彼等は家族がいるから、家に帰って食べる。大尉はそのまま家で休むが、中尉は今夜の宿直当番だから、1時間後に戻って来る。貴方も来週から宿直当番のルーティンに入れるが、構わないでしょうな?」
「勿論。」

 ステファンは頷いた。

「夜間の港の見回りとかするのですか?」

 するとラバル少尉がキョトンとした。

「それは昼間私がしている。夜は陸軍がパトロールをしているから、我々はオフィスで朝まで電話番をする。陸軍や沿岸警備隊から出動要請があれば出かけるだけだ。」
「津波や高潮の時ぐらいです。」

とフレータが付け加えた。キロス中佐は部下達の会話に一向に関心を示さず、一人黙々と食べていた。

「宿舎の説明は受けられたのかな?」

とラバルに訊かれて、ステファンは「ノ」と答えた。

「では、ここの後片付けが終わったら、案内しよう。荷物はオフィスに置いたままでしたな?」

 その後も静かな食事が続き、最後にフレータ少尉が出したコーヒーを飲むと、キロス中佐は「おやすみ」と呟いて出て行った。3人の部下は立ち上がって彼女を敬礼で送ったが、いかにも形だけの敬意にステファンには思えた。
 ステファンはフレータを座らせたまま、後片付けを引き受けた。ラバル少尉とフレータ少尉は厨房で鍋や皿を洗っている大尉を眺めた。そしてラバルが呟く様に言った。

「今から張り切ると、半月も経たないうちに心が折れるぞ。」

 ステファンが振り向くと、彼は続けた。

「グラダ・シティにいる時は、制服を着ている時は神様扱い、私服の時は市民の中に溶け込んでいられる。しかし、ここじゃ直ぐに顔を覚えられる。私服で出かけても、何者かわかってしまう。何処へ行こうが怖がられる。友達なんて出来やしない。独りぼっちだ。入隊するんじゃなかったと後悔するばかりだ。」

 ステファンは手をタオルで拭いて、カウンターの外に出た。

「私はオルガ・グランデのスラムで育ったんです。掏摸やかっぱらいをして生活していました。そうでもしなければ母親を街角に立たせることになってしまう貧しさでしたから。自己紹介の時に言った様に父は私が幼児の時に死んだ。母方の祖父も私が5歳の時に亡くなった。我が家の男手は私だけだったのです。だから入隊して、給料をもらえる様になって家族はかなり楽になりました。神様扱いなんてされたことはないし、メスティーソだから本部でも純血種達から馬鹿にされ続けました。独りぼっちなんて平気です。仕事をもらえるなら、どんな任地でも大歓迎です。」

 ここの連中は大統領警護隊であることを後悔しているのか? ステファンは心の奥で困惑を覚えた。後悔しているから覇気がないのか? 

「私は今の仕事に満足していますよ。」

とフレータが言った。

「少なくとも、戦闘から遠い場所ですから。」
「君は女だからな。」

とラバルが鼻先で笑った。フレータはムッとしたが、言い返さなかった。
 ラバルが立ち上がった。

「後片付けが終わりましたな。では、宿舎へ案内しよう。男と女で別の家だ。中佐とフレータは女の家、大尉と私は男の家です。」

 男女で別の家に寝泊まりするのはカイナ族の風習だ、とステファンは気がついた。そう言えばフレータは純血種のカイナ族でラバルはカイナとマスケゴのミックスだ。



第5部 西の海     12

  大統領警護隊太平洋警備室の厨房は別棟だった。さらに付け足せば、食堂併設なので食堂もオフィスとは別棟になるのだ。オフィスの建物の裏手、指揮官室の背中側に当たる場所だった。ブリサ・フレータ少尉は厨房棟に入ると照明のスイッチを押した。柔らかな光が屋内に灯った。5人だけの所帯なので厨房も食堂も広くない。カウンターで仕切られているが、それがなければ一つの部屋と言っても良い広さだった。
 フレータは魚のスープを作ると言い、2人は教わった通りの食物を清めるお祓いの祈祷をして調理に取り掛かった。鍋に水を入れて火に掛けた。

「指導師の資格を取られたのですってね。」

とフリータが魚の鱗を取りながら尋ねた。ステファンはジャガイモの皮を剥きながら「スィ」と答えた。

「ここでは資格を持っているのは中佐だけです。」

とフレータは言った。

「私がここを任されているのは、私が女だからです。それに一番若いから。」
「全員で交代で料理しないのですか?」

 ステファンは階級が上だったが、ここでは新入りだったし年下なので丁寧に話しかけた。フリータは「ノ」と答えた。

「皆自分の仕事をするだけです。私も朝港へ行って魚を仕入れたり、畑へ行って野菜を分けてもらって、昼食や夕食の支度をするだけです。」
「では、私がここで働けば、貴女は別の仕事が出来るのでは?」

 フレータが顔を上げてステファンを見た。ちょっと微笑んで見せた。

「買い物に時間をかけても良いかも知れませんね、大尉さえ黙っていて下されば。」
「海岸をパトロールしたり、道路の状態を点検したりしないのですか?」
「私が?」

 フレータが手を止めた。

「本部では女性もそんなことをしているのですか?」

 逆にステファンが驚いた。

「大統領警護隊は男女で勤務内容が違うと言うことはありません。いや、陸軍でも憲兵隊でも警察でも、男女区別はありません。」

 フレータが溜め息をついた。彼女は魚の内臓を取り出し、ぶつ切りにした。鍋の水が沸騰したので、そこに魚を入れ、玉葱やニンニクも入れた。ステファンは別の鍋でジャガイモを茹でた。

「そう言えば、入隊して本部で修行している時は男達と一緒に警備に能っていました。丁度貴方頃の時にこっちへ配属されて、それっきり・・・ずっとこの場所で働いています。」
「他の方達は?」
「ガルソン大尉はもう15年こっちにおられます。少尉から中尉になられた時にこちらへ来られて、大尉に上がられて、そのまま結婚されてお子さんもいらっしゃいます。ブーカですが、所謂オエステ・ブーカと呼ばれる、オルガ・グランデに住み着いた支族の出ですから、グラダ・シティに戻るつもりはない様です。」

 フレータはちょっと背伸びして窓の向こうのオフィスの様子を伺った。厨房棟から見えるオフィスの建物は窓のブラインドが閉じられていた。上官達がこちらを伺っていないと確認してから、彼女は続けた。

「パエス中尉は大尉より古くて、17年こちらにいるそうです。昇級でガルソンに抜かれたので、同じブーカですがあまり親しくないです。中尉も結婚されています。多分愛想が悪い人と思われるでしょうが、頼んだことはきちんとして下さるので、意外に親切な人ですよ。」

 話し相手がいて嬉しいのか、フレータ少尉はステファンに新しい同僚達のことを教えてくれた。

「ラバル少尉は25年こちらにいます。恐らく中佐より長いです。港湾関係者に顔が利くので港の警備をしていらっしゃいます。あの方は独身です。」
「指揮官殿は・・・?」
「キロス中佐はグラダ・シティのブーカ族の出です。」

 と言って、そこでフレータはスープの中に塩や香辛料を入れた。

「キリッとした力強い方でしたけど・・・」

 彼女はそれ以上は語らず、ジャガイモの茹で具合を確認した。そして棚からパンを出すようステファンに頼んだ。だからステファンは言った。

「私は新参者ですから、大尉だからと言って遠慮せずに指図して下さい。命令口調で結構です。」

 フレータが微笑んだ。

「ずっと私が一番下でしたから、指図するのは慣れていません。」
「でも沿岸警備隊や陸軍には指図するでしょう?」
「ここでは誰もそんなことはしません。ただ見張っているだけです。沿岸警備隊も陸軍も私達には逆らいませんから、私達も命令しません。」

 なんだかおかしい・・・とステファンは感じた。ここの隊員達は覇気がなさ過ぎる。

第5部 西の海     11

  カルロ・ステファン大尉は陸軍水上部隊への輸送トラックから降りると、運転手の下士官に礼を言って、大統領警護隊太平洋警備室の建物に入った。見た目は隣の陸軍水上部隊の基地のボイラー室か?と思える様な小さなコンクリート造りの建物だった。ステファンがドアの前迄行くと、ドアが開いて30代半ばの男性が姿を現した。大統領警護隊の制服を着た隊員で肩章は大尉だった。
 ステファンと彼は視線を交わし、敬礼して挨拶を交わした。

「本部遊撃班所属カルロ・ステファン大尉であります。本日付で太平洋警備室厨房班に着任致します。」
「太平洋警備室ホセ・ガルソン大尉だ。指揮官補佐をしている。」

 ガルソンはステファンを建物の中に招き入れた。海側の窓が小さいのは村の家々と同じだ。海からの強風で割れないよう、小窓で明かりを採っている。薄暗くないのは東側の窓が大きいからだ。ブラインドは開いていた。広くない室内に机が4台、窓際に1台。ガルソンはステファンを奥のドアへ真っ直ぐ連れて行った。形式通りドアをノックして、少し開いた。中の人に声を掛けた。

「本部からステファン大尉が到着しました。」

 中の人の声は聞こえなかった。しかしガルソン大尉は「はい」と答え、ステファンに入れと合図した。ステファンは荷物を床に置き、室内に足を踏み入れた。戸口に1歩入り、敬礼した。

「ステファン、着任致します。」

 指揮官室は薄暗かった。ブラインドを全部閉じて、照明も薄暗かった。机の向こう側に胡麻塩頭の女性が軍服姿で座っていた。50代だと聞いていたが70歳近くに見える、とステファンは感じた。ガルソン大尉が紹介した。

「我々の指揮官カロリス・キロス中佐だ。」
「太平洋警備室へようこそ」

と彼女が囁く様に言った。そしてガルソン大尉に言った。

「ここでの任務を教えてあげなさい。」

 ガルソン大尉は敬礼し、ステファンに部屋から出る様に合図した。ステファン大尉はもう一度敬礼してからガルソンについて部屋を出た。ドアを閉じると、ガルソンが肩の力を抜いた様に感じた。
 室内にはさっきまでいなかった男女が3人、それぞれの机の前に立っていた。ガルソン大尉が声を掛けた。

「紹介しよう。今日からここで3ヶ月間厨房勤務をするステファン大尉だ。」

 彼は右に立っている男性を指した。

「ルカ・パエス中尉、車両と船舶などの乗り物の担当をしている。機械の整備なども得意だ。彼はブーカだ。」
「よろしく。」

 パエス中尉は30代後半と思われた。

「お若いですな、ステファン大尉。」

 明らかに年下の上官のステファンにパエス中尉がニコリともせずに挨拶した。まだ20代になってそこそこのメスティーソの若造が、と言う目だ。ステファンは本部でもそう言う目をよく見たので、無視した。パエスとガルソンはどちらが年上なのだろう。
 ガルソンは次にパエスの隣の机の男性を指した。

「ホセ・ラバル少尉。主に港の警備を担当している。外国から来る船を見張る仕事だ。彼はカイナとマスケゴの血を引いている。」
「よろしく。」

 ラバル少尉も年上だ。恐らく40代、パエスよりガルソンより年上だ。ステファン大尉は居心地が悪くなってきた。何故なら、3人目の先輩である厨房班のブリサ・フレータ少尉も30代だったからだ。先輩が全員年上で階級が下だ。ガルソンは大尉だが、昇級は何時だったのだろう。

「君はどの部族だ?」

とガルソンが訊いてきた。ステファン大尉はあまり答えたくなかったが、この質問は”ヴェルデ・シエロ”である限り、絶対に避けて通れない。彼は答えた。

「白人の血が入っていますが、グラダです。」

 僅か4人の先輩達が一瞬ざわついた、と彼は思った。実際は声を出さなかったが、彼等は互いの目を見合ったのだ。パエス中尉が声を掛けてきた。

「オルガ・グランデを一人で2年間制圧したシュカワラスキ・マナの息子と言うのは、貴方のことか?」

 これも答えたくなかったが、ステファンは頷いた。

「スィ。しかし私は父を覚えていません。2歳の時に彼は亡くなったので・・・」

 重たい沈黙が訪れ、不意にそれを振り払う様にフレータ少尉がステファンに手を振った。

「夕食の支度をしますから厨房へ案内します。」

第5部 西の海     10

  サン・セレスト村の診療所は女性医師マリア・センディーノと2人の地元の女性が看護師として働いていた。センディーノは白人で、隣国の太平洋岸の町の出身だったが、結婚してセルバに来たのだと言った。同じく医師だった夫は数年前に亡くなった。エル・ティティの警察署長ゴンザレスの妻子の命を奪ったのと同じ疫病だった。患者から罹患して、治療が間に合わず亡くなったのだとマリアは言った。イサベル・ガルドスが医学部生だと知ると、喜んだ。彼女の子供もグラダ大学で医師を目指して学んでいるのだが、まだ地元に帰って来ないのだと言う。
 診療所はセンディーノ家が経営しているが、村で唯一の医療機関と言うこともあり、港を利用している鉱山会社各社から少しずつ援助が出ているのだと言った。だから僻地の診療ではあるがレントゲン施設があり、簡単な手術を行える部屋もあった。特にアンゲルス鉱石は社長がミカエル・アンゲルスからアントニオ・バルデスに代替わりしてから援助を増やしてくれていると、マリアは感謝していた。テオはバルデスにマフィアのドンの様な印象を持っていたが、考えるとマフィアは地元を大切にする。バルデスも地元民にはそれなりに優しいのだ。

「アカチャ族はサン・セレスト村の構成員の9割を占めています。私は東のアケチャ族を知りませんが、内務省から貴方の調査に協力するよう要請が来ましたので、お手伝いします。」
「頬の内側の細胞を採るだけですから、健康診断の様な血液採取はしません。ただ、採取の目的をアカチャ族が納得してくれるかどうか、自信がないのです。」

 テオは正直に言った。先住民保護の予算を削るための検査だ。内務大臣は東西の海岸地帯に住む2つの先住民の集団が同じ祖先を持つと遺伝子レベルで証明して、助成金対象を一グループだけにしようと企んでいる。

「遺伝子が同じでも文化が別なら別部族ですよね。」

 アーロン・カタラーニは大臣の考え方に不満を覚えていた。マリアも頷いた。

「別部族だと言う結果が出るよう祈って検査しましょう。」

 宿舎は診療所から徒歩3分の距離にある空き家だった。マリアと2人の看護師で前日に掃除してくれたので、テーブルや椅子はすぐに使えた。ベッドは1台しかなかったので、それを小さめの部屋に移動させ、女性のガルドスに使わせることにして、テオとカタラーニは大きい方の寝室で寝袋で寝ることにした。
 セルバ共和国七不思議の一つ、どんなに辺鄙な土地でも必ず井戸がある、を裏切らず、この空き家にも井戸が裏手にあり、5、6軒で共同で使用していた。テオは炊事当番を決めてキッチンの壁に貼り出した。それから3人で村の食料品店に出かけて買い出しをした。アカチャ族は純血種の先住民で年配の女性は伝統的な襞の多いスカートを履いていたが、働ける世代や若い人は都会と変わらぬ服装だった。言葉もスペイン語で、男達は港で働いていた。女性達は村より標高の高い土地に作られた畑で野菜やトウモロコシを作っていた。もう少し南へ行けばバナナ畑があると言う。
 そう言えば往路で山を大きく迂回する様なポイントがあったが、あの辺りがバナナ畑だった、と思ったテオは、そこが以前通ったことがある道だったと思い出した。セルバ共和国に亡命する前、彼はアメリカ政府からの束縛から逃れようとエル・ティティに逃げたことがあった。その時、反政府ゲリラに誘拐され、ケツァル少佐とロホ、ステファンに救出されたのだ。ゲリラに重傷を負わされたロホを背負ってジャングルを走り、ティティオワ山の火口付近から生まれて初めて”空間通路”を抜けて出た場所が、あの道路側のバナナ畑だった。

 もう2年になるのか・・・

 感慨深いものがあった。あれは辛い事件だったが、お陰で大統領警護隊文化保護担当部との仲が深まった。信頼と信用を勝ち得たのだ。
 夕食の時、細胞の採取方法を話し合った。村の住人全員の細胞を採る必要はない。若者から高齢者まで、各世代毎に4名ずつ細胞を採っていこう。診療所に来る人の細胞は、ガルドスに任せる。ガルドスは医学生だから、マリアの手伝いが出来る。テオとカタラーニは港で港湾労働者から細胞を集める。これはアンゲルス鉱石のバルデスに協力を依頼してあるので、従業員から採取する。バルデスは内務省から話を通してもらっているので従ってくれる筈だ。
 上手く作業が運べば週半ばで終了するだろう。

第5部 西の海     9

  1週間程度の滞在ならサン・セレスト村の店で必需品を揃えることが出来ると言ったのは、ステファン大尉を拾う為に現れた陸軍の下士官だった。2人の院生と同じ飛行機でやって来たステファン大尉は陸軍基地に挨拶もせずに直接任地へ赴くのだ。それは彼の判断ではなく、大統領警護隊本部からの指示なので、陸軍基地司令官も承知していると言う。だから基地から水上部隊へ物資を運ぶトラックで大統領警護隊の隊員も運んでしまおうと言うことだ。テオは買い物をしてから夕方のバスで海辺の村へ行くつもりだったが、ステファンがトラックの荷台で良ければ乗って行くかと訊いたので、乗せてもらうことにした。
 テオが荷台に乗せてもらうことにした、と言うと、アーロン・カタラーニが助手席に乗せてもらっても構わないかと訊いた。飛行機で散々揺すられたので、トラックの荷台で乗り物酔いの限界に来るのではないかと心配していた。一同は笑って、運転手の下士官の許可をもらい、カタラーニは助手席に座った。テオとイサベル・ガルドスはステファン大尉と一緒に荷台に乗った。ネットでしっかり固定されている食糧品や生活用品の箱にもたれかかり、ネットを掴んで体を固定した。
 トラックは空港からオルガ・グランデの市街地を通り抜け、山道へ入って行った。遠去かる街並みを眺めながらガルドスが「都会生活よ、さようなら!」と叫んだので、ステファンが愉快そうに笑った。テオは彼に「試し」の内容を聞きたい衝動に駆られたが、我慢した。きっと外部の人間に漏らしてはいけない神聖な試験なのだろうと想像は出来た。呪いをかけられた人から呪いを取り除き、悪霊を追い払ったり、捕まえたりする修行だ。メスティーソの隊員でそこまで出来る人は滅多にいないと聞いたことがあったので、ステファン大尉はやはりシュカワラスキ・マナの息子として才能を持って生まれたのだ。そして祖父エウリオ・メナクからもかなりのグラダの要素を引き継いだのだろう。
 道路は舗装が終わり、ダートになった。トラックがギシギシと大きな音を立てて揺れまくった。喋ると舌を噛みそうだ。サスペンションが硬いとガルドスが文句を言い、ステファンが軍隊だから快適性は考えないと言った。彼等は気が合ったのか、話せる状態の道を走る時はお喋りして楽しんでいた。ステファンがメスティーソなので大統領警護隊だと意識せずにガルドスは話せる様だ。テオは外の風景を楽しんだ。灰色の岩石や黄色い土の山道が続いた。道幅は結構あって、アンゲルス鉱石や他の中小の鉱山会社が港への輸送路を整備していることがわかった。たまに港から戻る空のトラックとすれ違うと土埃が酷く、スカーフやマスクが欠かせなかったが、道路はティティオワ山の西斜面を大きく蛇行しながら下って行き、やがてトラック後部からでも真っ青な水平線が見え始めると、ちょっとした観光気分になった。
 途中でトラックは休憩の為に停車した。小さな集落があって、そこで飲料水を販売していた。コーラが高価だったので、テオはステファンと同じ地元でよく飲まれている甘味が付いたソーダ水を飲んだ。カタラーニは水だけで、ガルドスはレモン水を飲んでいた。運転士の下士官は持参した水筒で喉を潤していた。テオは時計を見た。空港を出てから2時間近く経っていた。ここから後どのくらいか、と訊くと、下士官は後1時間と答えた。
 セルバ人の1時間は1時間半だと思えば腹が立たない。トラックはまだ太陽が燦々と輝いている時間にサン・セレスト村に到着した。
 村はテオの想像と全く違っていた。石を積み上げて造った壁にコンクリートを薄く塗装し、屋根もちゃんとコンクリート製のしっかりした家が平地に並んでいた。メインストリートを挟んで山側に住宅、海側に商店や倉庫が並んでいた。

「高い位置に住宅があるのは、津波対策です。」

とステファンがそれとなく説明した。

「基地は海側にありますが、通信関係の施設は山側の別棟になります。」

 トラックが一軒の黄色い壁の家の前に停車した。カタラーニが降りて来て、後ろに来た。

「診療所に着きました。僕等はここまでだそうです。」


2022/01/21

第5部 西の海     8

  テオは”ヴェルデ・ティエラ”と呼ばれるセルバ先住民の遺伝子をこれまで細かく分析したことがなかった。漠然と”ヴェルデ・シエロ”と区別する為に分析するだけだった。”シエロ”達が”ティエラ”と呼ぶ場合は、”シエロ”でない人間を意味する。つまり先住民も白人もアフリカ系もアジア系もアラブ系も全部”ティエラ”だ。しかしセルバ国民が”ティエラ”と言う場合は先住民を指す。これがややこしい。”シエロ”の人口が少ないので、後者が”ティエラ”だと頭に入れておけば良いのだが、テオの親しい友人は”シエロ”なので彼は時々混乱した。
 内務大臣パルトロメ・イグレシアスがテオに依頼したのは、東海岸地域に住む”ヴェルデ・ティエラ”と太平洋岸地域に住む”ヴェルデ・ティエラ”が同じ一族なのか調べてくれと言うものだった。東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ先祖を持つ部族なのか、知りたいのだと言う。その理由は政治的次元のもので、言語が微妙に異なる両部族が同じ形態の祭礼を行ったり、共通の神話を持っていることなどから、居住区を管理する役人を1人だけにするか2人にするか、大臣は悩んでいるのだ。管轄する部署が一つなら予算を組み易い。テオは先住民を管理する部署を一つだけにして、担当者を部族毎に任命すれば済むことだろうと思ったが、どうやら同じ祖先を持つと思われる2つの部族を1つと見做して保護政策の予算を削ろうとしている様だ。役人の人件費の問題もあるのだろう。イグレシアス家は白人なので、先住民対策が時に厳しく、度々抗議のデモが行われる。テオはパルトロメ・イグレシアスに個人的な感情を持っていないが、亡命の際には色々便宜を図ってもらったし、保護してくれたので、取り敢えず調査の依頼を引き受けた。
 大学に1週間の予定で出張届けを出し、研究室の院生を2名連れて行くことにした。バイト代は雀の涙ほどしか出せないが、交通費と宿泊費は大学から出してもらえるよう交渉して成功したし、論文の課題に使っても良いと言う条件で男女2名が名乗り出てくれた。アーロン・カタラーニと言うイタリア系のメスティーソ男性とイサベル・ガルドスと言うスペイン系メスティーソ女性だ。ガルドスは医学部の学生で遺伝子の勉強をするために生物学部のテオの研究室に通っていた。アリアナ・アズボーンの弟子でもある。先住民に多い筋肉疲労から来る衰弱死を遺伝子の分析で対策を考えたいのだと言う。だから鉱山労働者が多い西海岸に行きたいのだ。
 週明けの月曜日、テオはエル・ティティの家からバスでオルガ・グランデに昼過ぎに到着して、空港でセルバ航空の定期便(1時間遅れた)でやって来た2人の若者と合流した。海辺のサン・セレスト村に診療所があり、そこの医師が調査に協力してくれると言うので、村にある空き家を宿舎として用意してくれている筈だ。そこへ行く前に装備品のチェックをして足りない物を購入してから村へ向かうバスに乗ろうと話し合っていると、声をかけて来た男がいた。

「オーラ、テオ! どうして貴方がここに?」

 振り返ると、カルロ・ステファン大尉がリュックを背負って立っていた。勿論軍服にベレー帽だ。髭も生やしているから、チェ・ゲバラが立っている様に見えた。ゲバラより顔の輪郭に少し丸みがあったのだが、1ヶ月も地下神殿に篭る指導師の試しの直後なのでほっそりとなって、ますますゲバラに似てきた。
 凄い、本物のエル・パハロ・ヴェルデだ!と目を丸くしている2人の院生を置いて、テオは親友と握手を交わした。

「試験に合格したんだってな! おめでとう!!」
「グラシャス!」

 ハグは好まない”ヴェルデ・シエロ”だが、ステファンはテオのハグを素直に受け容れた。彼は以前より細く見えたにも関わらず、筋肉はさらにしっかり逞しくなっているとテオの手の感触が伝えた。
 体を離してから、ステファンはもう一度最初の質問を繰り返した。

「ここで学生を連れて何をなさっているのです?」

 テオは院生達を振り返った。

「国務大臣の依頼で、先住民アカチャ族の遺伝子サンプルを採取しに来たんだ。東のアケチャ族と同じ部族であることを証明して欲しいらしい。政治的理由だよ。」

 ステファンが苦笑した。

「遺伝子が同じでも部族は違うと思いますがね。」
「大臣が分析結果を見てどう判断するかは、俺たちの知ったこっちゃないさ。」

 テオが院生達にウィンクして見せると、アーロン・カタラーニが同意した。イサベル・ガルドスは苦笑しただけだ。

「アカチャ族の村へ行かれると言うことは、ポルト・マロンへ行かれるのですね?」
「そうだったかな?」

 テオが考え込むと、ガルドスが笑った。

「先生は地名を覚えるのが下手ですね。 海辺の村はサン・セレストしかありませんよ。」
「だが、ポルト・マロンは鉱石の積み出し港だろう?」
「でも集落はそこだけです。村の外れにポルト・マロン港があるのです。」

 ステファンも「スィ」と言った。

「沿岸警備隊の基地も、陸軍水上部隊も大統領警護隊太平洋警備室も、サン・セレスト村にあります。食料品店も郵便局も診療所もサン・セレスト村にあります。」

 テオはオクタカスにあった先住民の集落に似た時代遅れの村を想像していたのだが、どうやら目的地は町の様相をしているらしかった。



 

第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...