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2021/09/11

第2部 ゲンテデマ  10

  ハイウェイ沿のドライブインで遅い昼食を取った。観光地なのでシエスタは関係なく店は営業していた。テオは米に糸状に裂いた肉をトマト味で煮込んだシチューをかけたイラーチャ・プレートを、ケツァル少佐は米に色々な蒸した野菜を添えて、スープに入れて食べるソパ・プレートを注文した。テオは生贄の目玉を忘れようと努力した。イスタクアテ・ロハスはジャガーの心臓の代わりに己の目をくり抜いてコンドルに捧げたのだ。そして甥が弟の仇を討ってくれたと思い、満足して海の底の弟の後を追って行った。
 ステファン大尉とギャラガ少尉は大空を舞うコンドルに導かれ、船の当て逃げ犯ジョナサン・クルーガーの家を突き止めた。そしてクルーガーを追い詰めたペラレホ・ロハスを間一髪のところで取り押さえた。クルーガーは警察に通報すると言ったが、大尉は彼と彼の女友達の目を見つめ、見たことを忘れさせた。
 グワマナ族の族長ロドリゴ・ロムベサラゲレスに連絡を取ると、グワマナ族の長老達がペラレホを引き取りに来た。ステファン大尉は長老達にイスタクアテとペラレホの2人のロハスが犯した罪を伝えた。コンドルの目玉を盗み、私怨を晴らす儀式に使った「神への冒涜」と、罪のないサン・ホアン村の占い師を殺害した罪だ。この時、ギャラガもちょっぴり追加の情報を伝えた。2人のロハスは大統領警護隊の隊員を殴って負傷させ、一晩捕まえていた、と。勿論大尉には教えなかった。余計なことを言うなと叱られるだけだ。

「結局クルーガーの当て逃げは有耶無耶にされるのかな。」

とテオが不満気に言うと、少佐がどうでしょうと返した。

「グワマナ族は当て逃げの犯人が彼だと知っていますし、今度は逃げられないよう監視するでしょう。彼のせいで一族の者が罪を犯したのですから、グワマナ族はクルーガーを許さないと思いますよ。」

 彼等は口を閉じた。テーブルのそばをアメリカ人観光客のグループが通った。男達が少佐を見て振り返っている。テオはちょっと優越感を覚えた。恋人ではないが、恋人同士に見えるだろう。
 彼等が奥のテーブルに行ってしまうと、テオと少佐は話を続けた。

「ペラレホは罰せられるのだろうな?」
「無罪とはならないでしょう。占い師を殺害した実行犯が彼なのかイスタクアテなのかわかりませんが、神像を冒涜して”ティエラ”に害を為したのです。占い師が彼等を神と頼って来たのに信頼を裏切ったのですから、一族の誇りが彼等のしたことを許しません。」

 少佐はペラレホの罪をさらに追加した。

「文化保護担当部に無届けで遺跡に立ち入りましたから、文化保護地域無断侵入と文化財損壊の罪で公訴します。」
「フェリペ・ラモスも遺跡に出入りしていた様だが・・・?」
「彼はサン・ホアン村の住民で、サン・ホアン村は元々ラス・ラグナスにあった村です。ラモスにはあの場所に出入りする権利がありました。」

 これでフェリペ・ラモスの霊も少しは浮かばれるだろうか? 否、まだ問題が残っていた。

「コンドルの目は今日中に遺跡の石像に戻されるのかな? ”入り口”を使わないと無理なんじゃないか?」

 ステファン大尉とギャラガ少尉はケツァル少佐からコンドルの目玉を受け取ると、少佐のSUVで先にグラダ・シティに帰ったのだ。テオと少佐がプンタ・マナの街でのんびり昼食を取っていたのは、グラダ・シティへ行くバスの時間調整の意味もあった。少佐はオフィスで留守番をしているロホやアスルに迎えに来いとは言わなかった。彼等には昨日から溜まった申請書の処理があるのだ。

「もし運が良ければ・・・」

 少佐はソパを食べてしまい、セビーチェとブリトーを追加注文した。

「ロホかマハルダが”入り口”を見つけて送ってやるかも知れません。」
「アンドレもブーカだろ? 彼にはまだ”入り口”を見つけるのは無理か?」

 すると少佐がテオの目をじっと見たので、テオはドキッとした。何かマズイ発言でもしたか? 彼女が言った。

「彼は自己紹介でブーカと言いましたが、ブーカではありません。」
「そうなのか?」

 アンドレ・ギャラガは半分白人だ。それは明白だった。残りの半分がブーカ族でないなら、どこの部族なのだ?

「彼の母親がきちんと息子に出自を教えなかったので、混乱が生じているのです。でも彼から発せられている気はブーカ族の波動とは異なります。」

 そこへセビーチェが運ばれてきた。少佐が器をテーブルの中央に押し出した。

「半分どうぞ。プンタ・マナで獲れた新鮮なシーフードですよ。」


第2部 ゲンテデマ  9

  ハリケーンで崩壊して放置された別荘があった。所有者は外国にいて、留守の間に災害に遭ったのだ。地元の若者達が無断で入り込んで遊んだ痕跡が見られた。壁に落書きだ。バンクシーの足元にも及ばない下手くそな絵がそこかしこにスプレーのペンキで描かれていた。床はタバコの吸い殻や空き缶だらけだ。別荘地なので近所の人が善意で管理することもないのだろう。一番海に近い部屋の床に、イスタクアテ・ロハスがいた。真っ昼間なのに蝋燭に火を灯して己の周囲に並べ、花を盛った上に丸い灰色の石を置いていた。その前にも血だらけの丸い物が2つ・・・
 その正体が分かった途端にテオは気分が悪くなり、廃屋の外に走り出た。朝食べた物が消化された後で良かった。それでもゲーゲーやってしまった。
 ケツァル少佐は床に座したイスタクアテに近づいた。老いたゲンテデマの顔は血で汚れていた。手にも血が付いていた。彼が古い言語で囁いた。

「ヤグアーか?」
「そうだ。」
「女か。」
「グラダの族長だ。」

 おう、とイスタクアテが声を上げた。少佐が確認のために尋ねた。

「己の目をコンドルに捧げたのか?」
「そうだ。船の白人が見つかるように。」
「白人は見つかったか?」
「見つけた。甥が謝罪させる。」
「目的は果たせたか?」
「果たした。」
「”ティエラ”の占い師を殺したか?」
「コンドルの目を奪おうとした。だから取り除いた。」
「もうコンドルの目は必要ないな?」
「ない。」

  ケツァル少佐はポケットから彼女のハンカチを出し、コンドルの目玉をそれで丁寧に包んだ。立ち上がると、囁いた。

「さらばだ、ゲンテデマ。」

 彼女が廃屋の外に出ると、テオがげんなりした顔で壁にもたれかかっていた。

「俺は君達の文化を否定するつもりはないが、生贄だけは受容出来ない。」

 少佐が苦笑した。

「私もです。」

 彼女は丸く包んだハンカチを彼に見せ、行きましょう、と首を振った。彼は廃屋を見た。

「イスタクアテは?」
「コンドルの目を取り返しました。もう用はありません。」
「しかし、殺人犯だろう?」
「私達に逮捕は出来ません。それに証拠もありません。」
「しかし・・・」

 その時、テオはドボンと言う水音を聞いた様な気がした。まさか? 彼が廃屋に入りかけると、少佐が彼の手を掴んだ。

「ゲンテデマは海に帰りました。追ってはいけません。」

 

第2部 ゲンテデマ  8

  事務所の外に出た時、テオが空を見上げた。海岸に並ぶ別荘の並びは屋根だけが見えていた。その向こうに緑色の海が輝いて見えた。真っ青な空・・・不慮の事故に遭った「空の緑」の命を呑み込んだ緑色の海・・・青い空・・・彼は心の中で言葉を繰り返し、空を見た。ケツァル少佐が車のドアを開けながら「テオ」と呼んだ。ステファン大尉とギャラガ少尉は後部席に乗り込もうとしていた。テオは彼等の焦りを理解していた。彼等の捜査期日は今夜だ。コンドルの目玉を取り戻しても、ラス・ラグナスへ行かなければ解決したことにならない。間に合うのか?
 彼は再び空を見て、ドキリとした。黒い鳥が大空を舞っていた。「少佐!」と彼はケツァル少佐を呼んだ。座席に座ったばかりの少佐が振り向いたので、彼は空を指差した。少佐がそちらを向き、よく見えなかったのか車外に出た。
 大きな黒い鳥がゆっくりと南の岬近くの空を輪を描いて舞っていた。

「コンドルです。」

 少佐が早く乗れと合図した。テオは走り、車に乗った。大尉が「何か?」と尋ねた。テオは空を見ろと怒鳴った。
 ベンツはハイウェイを南へ3分ほど走り、小道に曲がった。狭い道に入ってすぐに少佐が車を停めた。

「大尉、運転しなさい。」

と言いながら彼女は外へ出た。一瞬ステファンが戸惑うと、早く!と怒鳴った。テオは助手席から外に出た。ギャラガは動かなかった。どうして良いのか戸惑っていた。少佐が忍耐強く、”出来損ない”の弟に言った。

「コンドルは恐らくジョナサン・クルーガーの上を舞っています。それを見てペラレホがクルーガーの所へ行く筈です。」

 大尉がハッとして急いで後部席から運転席へ走って移った。

「貴女は、少佐?」

 問われて少佐が路地の奥を指差した。

「向こうから怪しい気が発っせられているのを感じます。イスタクアテだと思います。二手に分かれて追いましょう。」

 大尉の返事を待たずに彼女が歩き出したので、テオは迷わず彼女に付いていった。
 ステファン大尉は2人が並んで歩くのをチラリと見送り、すぐに車を出した。ペラレホに殺人を犯させてはならない。そんなことをしたら、コンドルの目が汚れてしまう。路地と言うより岸壁と人工的な壁が混ざる遊歩道の様な道だ。幸い金持ちの別荘街なので高級車が通れる道幅があった。しかし視界が狭く空が見えにくかった。

「アンドレ、空にまだコンドルはいるか?」

 ギャラガは窓から顔を出し、上を見上げた。

「います。もう少し左方向・・・次の角を曲がれますか?」

 言われた角を曲がると少し坂を下り、ちょっと広い場所に入った。行き止まりだったが車の転回場所らしくスペースはあった。薄いベージュ色の壁と門扉。色鮮やかな花が咲き乱れる低木の植え込みの向こうに平屋建ての綺麗な別荘が建っていた。屋根の上空を真っ黒な聖なる鳥が輪を描いて飛んでいた。
 ステファン大尉は車を停め、エンジンを切った。車外に出て、塀の中を覗き込んだ。芝生の庭の向こうに海が見えた。階段で海岸に降りられる様だ。プライベートビーチだ。ギャラガも外に出たので、彼は塀から離れ、そして勢いよくダッシュした。ジャガーの如く塀の壁を足で蹴って縁に2歩で駆け上がった。ギャラガもそれを見て、真似して上がって来た。電流が通るラインを越え、庭に飛び降りた。防犯用監視カメラがあるが、気にしなかった。相手は警察を買収出来る金持ちだが、こっちは緑の鳥の徽章を見せるだけで警察を引き下がらせる大統領警護隊だ。そして屋敷からは誰も出て来なかった。監視カメラを常にモニターしている警備員は雇っていない様だ。
 人の話声が聞こえた。海の方からだ。ステファンとギャラガは階段の降り口へ行った。
 想像通り、コンクリートの階段が下へ降りていた。下に木製の桟橋があり、クルーザーが係留されていた。水着姿の若い男女が船の甲板に立っており、桟橋にはTシャツに短パン姿の男が1人いた。後ろ姿だったが、髪の色や肌の色を見れば地元民だと分かった。ギャラガが囁いた。

「拳銃を持っています。」

 ステファンは頷いた。捕まった時に、連中に拳銃を奪われたのだ。その銃でペラレホ・ロハスはジョナサン・クルーガーと女性を脅していた。

「言い訳は聞きたくない。」

と彼は言っていた。

「これからお前が海に入って、俺の父に謝るんだ。」

 ステファンに聞き覚えのある声だった。クルーガーが手を差し出して命乞いをした。

「泳げない。金ならたくさんある。助けてくれ。」

 あまりスペイン語は得意でないようだ。恐らくペラレホが何を要求しているのか理解出来ていない。謝れと言うペラレホに対して、金を出すと言い続けるクルーガー。
 ステファン大尉とギャラガ少尉は階段を降り始めた。女性が彼等に気がついた。

「助けて!」

 彼女は英語で叫び、それからスペイン語で同じことを言った。もしかするとペラレホの仲間の強盗団だと思われているのかも知れない。女性はクルーガーの後ろに隠れるように立っていた。
 ペラレホは拳銃を白人達に向けたまま、首を少し動かして近づいて来る大統領警護隊を見た。

「お前か、”出来損ない”。」

と彼が呟いた。

「少し待っていろ。こいつに父への謝罪をさせてやる。その後はお前の好きにさせてやる。」
「それは待てない。観光客に何かあれば国の名誉に関わる。」

 ギャラガは立ち止まった。彼の拳銃は下水道で濡れてしまって使えない。装着しているだけだ。大尉は丸腰だ。しかし大統領警護隊は丸腰でも銃を持った敵と戦う訓練は十分していた。ただ、ギャラガはまだ「守護」目的で気を放った経験がなかった。銃が発射されるタイミングで気を放って銃弾を空中で破裂させる技だ。早過ぎると銃を撃った人間に大怪我させるし、遅ければ標的が怪我をする。特に今のような至近距離は難しい。それに、大きな問題があった。拳銃を持っているのも”ヴェルデ・シエロ”、しかも純血種だ。まともに気をぶつけ合うと、向こうの方が強い・・・ことになっていた。
 ペラレホは船の方へ向き直った。

「それならこの地上での謝罪は良い。こいつらに海の底でやってもらう。」

 ステファンが一声、アンドレ! と叫び、いきなりペラレホに飛びかかった。拳銃の発射音が響き、ギャラガは思わず力んだ。空中で何かが弾けた。
 魚網を引くゲンテデマの力は強かったが、格闘技の訓練を受けてきた大統領警護隊の逮捕術が勝った。ステファン大尉はペラレホを桟橋の上に押さえ込み、両腕を背中へ捻った。

「何か縛る物はないか?」

 訊かれてギャラガは、船の上で呆然としているクルーガーに同じことを尋ねた。女性が船室へ駆け込み、何かのコードやスカーフを抱えて戻ってきた。クルーガーは甲板にへたり込んでいた。

「コードじゃ駄目だ。」

 ”ヴェルデ・シエロ”なら気の力で切ってしまう。ギャラガは思いついてペラレホ自身の所持品を検めた。そして革紐を見つけた。それで手首を縛り、スカーフで目隠しした。

「悪いのは、向こうだ!」

とペラレホが喚いた。

「あいつが父を殺したんだ!」

 女性がクルーガーを見た。 そしてギャラガに尋ねた。

「貴方達、警察なの?」


 

第2部 ゲンテデマ  7

 「クルーザーの持ち主は公表されなかったのですか?」

とステファン大尉が質問した。ロムべサラゲレスは彼を見て、そして机の上のメモパッドに何か走り書きした。破り取って大尉に手渡した。大尉が声に出して読んだ。

「ヨナタン・クルゲール・・・」
「ジョナサン・クルーガーだろう。」

とテオが英語読みした。ロムべサラゲレスが頷いた。

「スィ、アメリカ人です。事故の後、警察を買収して過失は漁船の方にあったと言わせました。漁船が回避義務を無視して突っ込んで来たと。 カイヤクアテが亡くなったのは気の毒だったと見舞金を出しましたが、罪には問われませんでした。」
「クルーガーの船体の傷は左舷に付いていたのですか?」
「それは知りません。買収された警察官以外に船を実際に見ていません。」

 海上交通のルールに詳しくなさそうな大統領警護隊の隊員達にテオは簡単に説明した。

「衝突回避のために海上では右側通行が鉄則だ。互いに正面から来た場合は双方が右側へ回避する。直角に出会う場合は相手の船を右舷側に見る方の船が右へ回避し、左舷側に相手を見る船は速度を維持したまま直進しなければならない。或いは右舷側に相手を見る方の船が停止して相手の通過を待つんだ。これが国際ルールだ。」

 ほうっと大尉と少尉が感心した。ケツァル少佐は知っていたらしく、頷いた。多分、金持ちの養父母が船遊びを彼女に教えたのだろう。ロムべサラゲレスはバナナ畑で働いているが地元っ子なので船のことは知識がある様だ。

「イスタクアテの船は沈んでしまったので、彼の船の傷が右舷なのか左舷なのか分からず仕舞いでした。クルーガーのクルーザーは警察が船の身元を突き止めて捜査に行った時には既に修理の為に解体されていたそうです。」
「漁船は停泊して漁をしていたんじゃないですか? そこにクルーザーが突っ込んだ・・・」

 テオのツッコミにロムべサラゲレスは肩をすくめた。恐らくそれが真実だ、とテオは思った。車で海岸線を走って来る時、海に浮かぶ漁船をたくさん見かけた。どれも小さく、簡単な構造の船だった。欧米の漁師が使う様な超音波探知機やレーダーや集魚灯なんか搭載していないだろう。無線機を持っているかどうかも怪しい船ばかりだった。網を下ろして魚を獲っているところにクルーザーが高速で突っ込めばひとたまりもなかっただろう。

「クルーザーは救助義務を怠ったんじゃないですか?」

とテオが言った。

「どちらに非があるにせよ、動ける方の船が相手の船員を救助するのが義務でしょう?」
「ですから、当て逃げされたのです。」

 少佐が携帯で何かを検索していたが、顔を上げた。

「ジョナサン・クルーガーは今この町にいますね。」
「そうなんですか?!」

 驚く男達に彼女は携帯電話を掲げて見せた。

「SNSに自慢げに写真をアップしていますよ。」

 そこには「3年ぶりにプンタ・マナに来てまーーす! やっぱ、セルバの海は素晴らしい!」と能天気なコメントと桟橋に笑顔で立っている男女の写真が表示されていた。
 ギャラガ少尉が言った。

「3年で熱りが覚めたと思って戻って来たんだ。」
 
 ロムべサラゲレスが不安気に顔を曇らせた。

「ペラレホがこれを見たかも知れません。イスタクアテはネットをやらないでしょうが、甥は今時の男ですから。」

 少佐が立ち上がった。

「この場所を探しましょう。」




2021/09/10

第2部 ゲンテデマ  6

  ケツァル少佐は2人の警備班の大統領警護隊隊員をロムべサラゲレスに紹介した。緑色の鳥の徽章を3個も提示されたバナナ畑の支配人はトラックをチラリと見てから少佐に言った。

「10分待って下さい。商品を荷積みしてしまいます。門の横の事務所で改めてお話を伺いましょう。」

 そこで一行は再び車に乗り込み、バックで門まで戻った。守衛は訪問者が事務所前に駐車して車から降り、入り口の前へ向かったので、慌てて走って来た。そして何も言わずに事務所のドアを開錠した。
 普通の農園管理事務所だった。パソコンが1台、電話が1台、棚に書類のファイルが並び、伝票類やその他書類が他の棚に押し込まれていた。来客用の椅子は1脚しかなく、当然の様にケツァル少佐がそこに座った。テオは窓辺に立ってバナナ畑を眺めた。地面がわずかばかり傾斜して海へ向かって低くなっているのがわかった。ステファン大尉が横に来て、タバコを出して咥えた。テオは窓を開けた。事務所内の空気を入れ替えたかったし、エアコンが効く迄時間がかかりそうだ。それにステファンはタバコに火を点けたいだろう。しかし大尉は残念そうに言った。

「ライターをアイツらに盗られた様です。」
「根っからの泥棒コンビなのかな。」
「そんな連中がシャーマンだとしたら、残念です。」

 ギャラガが彼等の会話を耳にして室内を見回した。ロムべサラゲレスは喫煙しないのか、灰皿もライターもマッチも見当たらなかった。
 少佐は退屈そうに座っていたが、ただ座っているだけではなかった。ギャラガ同様室内を観察していた。しかし”ヴェルデ・シエロ”の居場所であることを示す様な物品は見当たらなかった。グワマナ族が一般人に溶け込んでいると言う噂は本当の様だ。
 トラックがバックで出て来た。門扉前で荷台からロムべサラゲレスと数人の男が飛び降りると、トラックは方向転換してフェンスの外へ出て行った。 作業員達が休憩用のプレハブ小屋に入って行き、ロムべサラゲレスが1人で事務所へやって来た。少佐が立ち上がったので、残りの3人も改めて整列してグワマナ族の族長を迎えた。

「族長がお若いので驚きました。」

と少佐が言ったので、彼は微笑み返した。

「貴女こそお若い。もう少し年上かと想像していました。」

 屋内の明かりの中で見ると、ロムべサラゲレスはテオや少佐と余り年齢が離れていない様に見えた。どう見えても30歳前後だ。

「最近の選挙は何時でしたか?」
「昨年の暮れでした。候補者が5人いたので不安でしたが自信はありました。長老会への顔見せはまだなので、私の当選を知らない人は多いです。」

 テオが怪訝な表情をしたので、ステファン大尉が囁いた。

「族長は選挙で決まるのです。大昔からの常識です。白人は世襲制だと勘違いしがちですがね。」
「ああ・・・そう言えば読んだことがある。北米の先住民も同じなんだ。」

グワマナの族長は椅子がないことを詫びた。

「本来なら客は自宅へ案内するのですが、時間がないとのことですから、ここで済ませましょう。」

 どうやら挨拶の時に、ケツァル少佐は”心話”で既に事情をロムべサラゲレスに伝えていたらしい。族長はステファン大尉に向き直った。

「お探しの男は、シャーマンのイスタクアテ・ロハスと甥のペラレホ・ロハスです。3年前に村を出て行方不明ですが、あの顔は間違いありません。」

 あの顔とは、テオと少佐がチラ見した、車に乗り込む年配の男と若者の顔だ。

「ゲンテデマですか?」
「スィ。ですが、気の毒に過去形です。彼等は船とイスタクアテの弟を失いました。」

 族長が窓から見える海を指差した。

「3年前、彼等はイスタクアテの弟のカイヤクアテと、イスタクアテ、ペラレホの3人であの付近で漁をしていたのです。カイヤクアテはペラレホの父親でした。彼等の船は、観光客が乗った大型クルーザーに当て逃げされたのです。」

 テオが思わず尋ねた。

「犯人は捕まらなかったのですね?」

 話に順番と言うものがあるので、族長は彼を無視した。

「ロハス一家の事故に気付いた仲間の漁船が集まって救助に当たったのですが、カイヤクアテは発見に2日かかってしまい、亡くなりました。イスタクアテは警察に当て逃げしたクルーザーの特徴を証言したのですが、犯人は捕まりませんでした。」

 彼は小さな声で付け加えた。

「相手は金持ちでしたから。」

 つまり、賄賂をもらって警察は犯人を見逃したのだ。テオは唖然とした。セルバ人達はそんなに驚いていなかったが、納得した筈はない。ギャラガ少尉が思わず質問した。

「担当した警察官は一族ではなかったのですか?」
「一族出身の警察官がいたらお目にかかりたい。」

とロムべサラゲレスは言った。確かにテオも”ヴェルデ・シエロ”の警察官を見たことがなかった。”ヴェルデ・シエロ”の公務員はまずもって大統領警護隊だ。隊員になってから官公庁の様々な分野で働くのだ。警護隊に入らなければ軍人だし、それ以外の公務員にはならない。
プンタ・マナの街の警察官は”ティエラ”しかいない。そして彼等は外国人から金品を収賄して”神様”を怒らせた。

「担当した警察官は2人いましたが、どちらも昨年相次いで事故で亡くなりました。」

 当然だろう、と言うニュアンスでロムべサラゲレスが言った。ステファン大尉が尋ねた。

「イスタクアテとペラレホの仕業ですか?」
「我々にはわかりません。」

 わかっていても彼は言わないだろう、とテオも大統領警護隊の3人も思った。恐らくこの街のグワマナ族達は汚職警察官が不慮の死を遂げても不審に思っていないのだ。アイツらは死ぬべくして死んだ、そんな認識に違いない。

「彼等はラス・ラグナス遺跡の神像から目玉を盗み、サン・ホアン村の占い師を殺害した容疑が掛かっています。我々はグラダ・シティで昨日彼等と接触しましたが、逃げられました。彼等が立ち回りそうな場所に心当たりがあれば教えて頂きたい。」
「さて・・・私は彼等の消息を3年ぶりに聞いたばかりですから・・・」

 族長として同族を庇っているのか、本当に知らないのか、判然としなかった。ステファン大尉がイラッとしかけた時、テオが質問した。

「単純に、コンドルの石像の目玉を何に使うかわかりませんか?」
「コンドル?」

 ロムべサラゲレスが初めてまともに白人の彼を見た。

「私はシャーマンではないが、コンドルの目なら探し物に使うでしょう。」
「つまり、件のゲンテデマ達はクルーザーを操縦していた白人を探している?」

 ああ、とケツァル少佐が何かを思いついて声を出した。

「だから魚を儀式に使って、船の行方を海の精霊に尋ねたのですね?」

 

2021/09/09

第2部 ゲンテデマ  5

  翌朝、ケツァル少佐はベンツのSUVにテオ、ステファン大尉、そしてギャラガ少尉を乗せて南のグワマナ族が住む地方へ向かった。水曜日の朝だ。警備班から来た大尉と少尉には、捜査の最終日だった。ステファン大尉には不本意だったが、この捜査には古巣の仲間達の援助が必要だった。彼もギャラガもゲンテデマの2人の男の顔を見ていなかったので、少佐とテオの記憶を頼るしかない。少佐は”心話”で男達の顔を教えてくれたが、顔だけでは犯人達の名前も居場所もわからないのだ。だから彼等には少佐が必要だった。ステファン大尉は悔しさを堪えて元上官にお願いしたのだ。「一緒にグワマナの村へ行って下さい」と。すると彼女はテオも行くなら行っても良いと答えた。ギャラガは大尉がムッとしたのが不思議だった。テオと大尉は親友の様だが、何故か時々ステファン大尉はテオに対して不満を抱いている様に見えた。
 東海岸地方の道路は快適だ。観光用に開発され、産業道路でもある。交通量が多く、道幅も片側3車線の幅だ。快適なドライブでまだ太陽が海の上にあるうちにプンタ・マナと言う町に到着した。外国人が所有する豪奢な別荘が海岸線に並んでいた。内陸側は先住民が多く住む綺麗な街だ。色とりどりの屋根の可愛らしい家が並んでいた。住宅地の背後にはバナナ畑が広がっていた。エル・ティティのバナナ畑よりずっと広大だ。畑の中の道路を走って行くと、テオが看板を見つけた。

「フェルナンデス農園だ。ここじゃないか?」

 何が「ここ」なのだろう、とステファン大尉は後部席で思った。少佐は目的地をテオにしか伝えていなかったので、それも彼は不満だった。ギャラガは大尉の気がピリピリするので、ちょっと不安になった。大尉がご機嫌斜めなのは、きっと捜査期限の今日になってしまったからだろう、と思うことにした。
 少佐は車を門扉の中へ乗り入れた。守衛の男に、ロドリゴ・ロムベサラゲレスと言う人に会いたいと告げると、男は胡散臭そうに車内を覗き込んだ。軍人の女性と、白人と私服の男2人だ。

「セニョール・ロムベサラゲレスが何処にいるのかわからない。うちの農園は広いから。」

 少佐がポケットに手を入れたので、男はチップを貰えるものと思って手を出した。少佐は緑色の鳥の徽章を出した。男はびっくりして手を引っ込めた。西の方角へ伸びる道を指差した。

「セニョールはあちらです。」
「グラシャス。」

 少佐は小銭を2枚ほど彼の手に入れてやった。それで十分だ。
 ジャングルの様なバナナ畑の中を走って行った。ギャラガが大尉に尋ねた。

「これ、全部1人の所有ですか?」
「会社形式になっているが、オーナーは1人だ。」

 ステファンは農園主の名前を知っていた。遺跡や考古学には無縁の実業家だが、バナナを大統領府に収めている業者だ。個人的に会ったことはないが、顔はメディアを通して知っていた。その人間と今回の捜査にどんな関係があるのだろうか。ロムベサラゲレスなどと言う長ったらしい名前の人間は何者なのか。
 行手を塞ぐ形でトラックが停車していた。畑の中にロープが張られ、大きなバナナの房がロープウェイみたいにぶら下げられて行儀良く順番にトラックの荷台に送られている最中だった。花柄の派手なシャツに綿パンの若い男がそばに立って、トラックの荷台の男達の作業を見守っていた。顔にはサングラス、ツバの広い日除け帽子を被っていた。
 少佐がSUVを停めた。テオが外に出た。彼は若い男に近づいて行った。

「ブエノス・ディアス。」

 彼が声をかけると、男はチラリと訪問者を見た。すぐに視線をトラックに戻しながら挨拶を返した。

「ブエノス・ディアス。何か御用ですか?」
「私はテオドール・アルストと言います。グラダ・シティから来ました。セニョール・ロムベサラゲレスはどちらにいらっしゃいますか? こちらで支配人をなさっていると聞きましたが。」

 若い男がトラックに向かって怒鳴った。

「止めろ! 休憩だ!」

 トラックの男達が畑の向こうへ同じ言葉を怒鳴った。「止めろ! 休憩だ!」 が伝言ゲームの様に伝わって行った。そしてバナナの行進が止まった。
 男がサングラスを外し、テオを見て、運転席の少佐を見た。そして言った。

「私がロドリゴ・ロムべサラゲレスです。」

 すると少佐が運転席から素早く降りて、テオとロムべサラゲレスのそばに来た。右手を左胸に当てて挨拶した。

「私はグラダのシータ・ケツァル・ミゲールです。」

 ロムべサラゲレスは同じポーズを取って改めて挨拶した。

「グワマナのロドリゴ・ロムべサラゲレスです。」

 大尉がギャラガに車から降りろと囁いた。

「族長同士の挨拶だ。私たちがここに座ったままだと不敬になる。」



 

第2部 ゲンテデマ  4

  小規模の地震が群発するサン・ホアン村は井戸が涸れ始め、占い師のフェリペ・ラモスは神様に救いを求めてラス・ラグナス遺跡へ行った。そこで神様の遣いであるコンドルの石像の目玉を盗まれていることに気がついた。井戸が涸れるのは神様の怒りだと思ったラモスは、神様に話を聞いてもらおうとオルガ・グランデへ”ヴェルデ・シエロ”を探しに行った。バルで「雨を降らせる人を探している」と言って心当たりを探っていた彼は、不幸にも遺跡荒らしの”ヴェルデ・シエロ”に出くわしてしまった。恐らくグワマナ族の漁師だった2人の男だ。彼等はラモスからコンドルの目玉を盗まれた話を聞き、ことが大きくなる前に手を打った。ラモスを殺害してしまったのだ。身元がわかる物を奪い取り、エル・ティティ郊外の畑の脇に遺体を捨てた。
 だが遺体が身につけていた”雨を呼ぶ笛”だけは取るのを忘れたのだ。エル・ティティ警察署長ゴンザレスの養子テオがそれに興味を持ち、大学で考古学教授ケサダに鑑定してもらった。笛がオルガ・グランデ北部で使われる雨乞いの儀式の物だと教えられたテオは、ゴンザレスに調査結果を伝え、ゴンザレスは地元警察に問い合わせてみた。そして2月前にサン・ホアン村のラモスが行方不明になったと言う届出があることを知った。
 一方大統領府西館庭園で謎の「視線」騒ぎが起きた。実際は何時から始まったのか不明だが、警備第4班が一巡以上するより前からだ。気味が悪いと感じた若い警護隊隊員達が報告書に書いて提出したのが、ほんの先週末だった。経験値の高い司令部の人間達は「視線」の正体に見当がついただろうが、それが何故そこに起きたのか、ステファン大尉とギャラガ少尉に調査と対処を命じた。
 大統領警護隊文化保護担当部から移籍したステファン大尉は、ギャラガと現場へ行き、空間の歪みを発見した。それが「視線」の正体だと彼はすぐにわかったが、それがそこに突然出現した理由は調査に出かけなければわからなかった。2人は”節穴”の向こうに見えた石らしきものを手がかりに、遺跡のエキスパートであるセルバ国立民族博物館のムリリョ博士に協力を求めた。ムリリョ博士は”節穴”の向こうに見えた石らしきものは、ラス・ラグナス遺跡の物だろうと見当をつけた。国内の遺跡に立ち入るには文化保護担当部の許可が必要だ。大尉は文化保護担当部の元同僚ロホに協力を求め、ロホは翌朝2人をケツァル少佐の自宅へ連れて行った。
 テオの殺人事件の身元探しを知っていたケツァル少佐は、ラス・ラグナス遺跡がサン・ホアン村のそばにあることを知り、ステファンとギャラガの遺跡捜査にテオとデネロス少尉を参加させた。テオの観察眼に期待したのと、デネロスに現場体験と護衛をさせたのだ。
 日曜日の夜にオルガ・グランデ基地で合流した4人は月曜日の朝、サン・ホアン村を訪問した。そこでラモス失踪の経緯を聞き、井戸が涸れ掛けていることを知った。ラス・ラグナス遺跡ではコンドルの神像の右目が失われ、目があった箇所に”節穴”が出来ていることがわかった。それが大統領府西館庭園の「視線」の正体だった。遺跡をさらに調べると、テオが抑制タバコの吸い殻を発見した。抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”しか吸わないタバコだ。遺跡荒らしが”ヴェルデ・シエロ”であった疑いが生じた。その夜、再び遺跡を調べていたデネロスとギャラガは遺跡の精霊とコンタクトを取れそうになるも失敗した。そしてステファンが突然姿を消した。
 ステファン大尉は誰かが先に遺跡に来て”入り口”に入るのを気配で知った。うっかり”入り口”に手を入れてしまった彼は吸い込まれ、”着地”した途端に何者かに殴られて昏倒した。
 大尉が消えたことを知ったテオとギャラガは”入り口”が閉じてしまう前に追いかけようと”入り口”に入った。そしてグラダ・シティの下水道の中に”着地”した。2人は下水道を歩き、地上に上がってケツァル少佐に助けを求め、”着地”した地上の座標を探した。そして何処かへ立ち去るグワマナ族の2人の男を目撃し、空き家に放置されたステファン大尉を救出した。グワマナ族達は呪いの儀式を行っていた様子だったが、妨害が入って逃げたのだ。彼等は魚の鱗や刺青からグワマナの漁師ゲンテデマであると推測された。
 
 サン・ホアン村から1人で帰って来たマハルダ・デネロス少尉はステファン大尉の無事な姿を見るなり彼に抱きついてワンワン泣き出した。1人でキャンプを片付け、2人の二等兵の記憶からステファン、ギャラガ、テオの記憶を消して、基地に戻って基地司令官からも記憶を抜き取り、彼女1人で遺跡調査に来たと思い込ませた。そして今にも落ちるんじゃないかと思わせる空軍の古い輸送機でグラダ・シティに帰って来たのだ。
 いつもは冷たい目で部下達が感情的になるのを見ているケツァル少佐がデネロスをステファンから引き剥がし、優しく抱き締めてやった。

「1人でよく後始末を手際良くやり遂げました。賞賛物ですよ。」
「少佐ぁ・・・もし皆とあれっきり会えなくなったらって思ったら、すごく不安でした。」

 男の部下達と違ってデネロスは感情をまっすぐにぶっつけて来る。少佐は食べてしまいたいくらいにこの女性少尉が可愛くて仕方がない。デネロスにハンカチを渡した。

「さぁ、顔を拭いて・・・皆で晩御飯に行きますよ。」
「私、埃だらけです。」
「それじゃ、うちに来なさい。男達に先に店を選んでテーブルを確保してもらいましょう。」


第2部 ゲンテデマ  3

  テオは自宅のベッドで心地良い昼寝から覚めた。体を起こそうとすると体に掛けた薄手のブランケットが重たくて動けなかった。このパターンは何時ぞやも・・・一瞬期待して首を曲げて見ると、若い男がベッドの縁に座っていた。ちょっとがっかりして、少し驚いた。

「アスル! 何故ここに? 少佐の遣いか?」

 アスルが立ち上がったので、起きることが出来た。アスルは迷彩柄のパンツにベージュのTシャツ、いつもの勤務中の服装だった。

「雨が降って来たので、雨宿りしていた。」

と何時も愛想のない男が呟いた。それなら居間で良いだろうと思った。客間でも良いのだ。アスルは時々ふらりとやって来て、勝手に泊まって行く。テオを嫌っている様に見えて、本当は愛しているのだと以前ロホにからかわれたことがあった。恋愛感情はないだろうが、憎まれていないとテオは思っている。アスルは「通い猫」のジャガーなのだ。定住する家を持たないので、住所不定では昇級させられないと大統領警護隊の本部から再三注意を受けているのだが、本人は気にしていない。

「君の部屋で休めば良いのに。」

 テオが言う「君の部屋」はアスルが普段勝手に宿泊する時に使用する客間だ。しかしアスルは顔を顰めて言った。

「カベサ・ロハ(赤い頭)がいる。」

 そう言えばアンドレ・ギャラガを客間に入れてやったのだ。ギャラガはアスルの1年下の少尉仲間だが、仲が良いと言えなかった。どちらかと言えば、ギャラガは虐められっ子で、アスルは虐める方だ。対マンで闘えば勝つ自信があっても、喧嘩する理由がなければ衝突を避ける。アスルのルールだ。
 テオがコーヒーを淹れると言うと、彼は素直に彼について居間に入った。

「もう少佐への報告は終わったのかい?」
「ノ。」

 テオがキッチンで作業する間、彼は手脚を伸ばしてストレッチしていた。

「今日は大学へ行って、内務省へ行って、建設省へ行って、地質学院へ行った。」
「遺跡の調査じゃなかったのか?」
「初めは遺跡の調査だった。」

 コーヒーの芳しい香りが漂うと、彼の表情が緩んだ。

「俺の好きなグアテマラだ!」
「俺も好きだから、最近はこれしか買わないんだ。」

 物音がして、2人が振り返ると、客間の戸口にギャラガが立っていた。コーヒーの香りで目覚めたのだ。アスルが「チッ」と舌打ちして、テオは微笑んで手招きした。

「君もコーヒーを飲めよ。これからアスルが調査報告をしてくれる。」
「そんなことを言った覚えはない。」

 と言いつつも、アスルはギャラガが席に着くのを待っている間、コーヒーに手を付けなかった。2人の少尉は挨拶も敬礼もしなかった。それぞれ砂糖やミルクで好みの味にコーヒーを調整して、それからテオがアスルを見た。

「ラス・ラグナス遺跡とは、どんな処なんだ?」
「考古学部にも史学部にも資料がなかった。全くのノーマークの遺跡だ。」
「しかし、セルバ国立民族博物館の地図には記載されている。」

 ギャラガはうっかり先輩が話している最中に口を挟んでしまった。アスルは彼を無視した。

「宗教学部へ行って、あの地方の伝承や神話に何か手がかりがないか調べた。何もなかった。」

 ウリベ教授の研究室に行ったのだろう。

「内務省へ行って、近くのサン・ホアン村の登録を調べた。あの村は植民地支配が始まった16世紀の記録にはなかった。最初の記載は17世紀中盤だ。税金を取る為に国土調査が行われたんだ。当時の地図を見ると、今より少し北寄りにあった。沼の辺りにあったんだ。」
「ラス・ラグナスは、サン・ホアン村だったのか?」
「そう考えて良さそうだ。村の移転の記録は資料整理が滅茶苦茶で、独立当時の物は田舎の村が大概同じことをしたが、植民地の支配者側が資料を焼いてしまって損失している。兎に角、19世紀の独立以降は今の位置に村がある。」
「村が移転したのは、沼が干上がったせいだろうか?」
「建設省へ行ってみたが、村の引っ越しに関する資料はなかった。そこで働いている知人が地質学院へ行けと言ってくれたので、行った。」

 セルバ国立地質学院は、ティティオワ山の火山活動の監視と西部海岸地方の砂漠化の調査、国土の地質調査、地図作成などをしている。地図作成は本来建設省が受け持っていそうなのだが、セルバ共和国では地質学院の仕事だった。

「オルガ・グランデから北は人口が極端に少ない。金の埋蔵量も期待出来ないので、白人は興味を持たなかった。それに、あの周辺は地揺れが多い。」
「地揺れ? 地震か?」
「スィ。昔のサン・ホアン村があった沼は17世紀から18世紀初頭にかけて頻発した小規模の地震で消滅したと考えられている。水源が絶えたのだろう。」
「現代のサン・ホアン村の井戸は涸れ掛けている。」

 ギャラガはつい再度口を挟んでしまった。アスルが初めて彼をジロリと見た。

「井戸を見たか?」

 ギャラガは彼の目を見た。”心話”で覗き見した井戸のビジョンを伝えた。アスルが微かに眉を上げた。なんだ、”心話”を使えるじゃん、と言う表情だ。彼は視線をテオに戻した。

「あの付近は、最近また小規模な群発地震が発生している。人が感じるか感じないかの微細な揺れらしいが、地質学院が設置した地震計にははっきり揺れが計測されているそうだ。恐らく地下の水流が変わってしまい、村の井戸に水が届かないのだ。」

 それはどんなに神様に祈っても効き目がない筈だ。村を救おうと遺跡の神像へ祈りに行き、遺跡荒らしを知って、オルガ・グランデに救いの手を求めて出て行ったフェリペ・ラモスの不運を、テオは哀れに思った。神と頼んだ”ヴェルデ・シエロ”が当の遺跡荒らしで、彼は殺されてしまったのだ。
 アスルがコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「雨が止んだから、オフィスへ帰る。」
「少佐にさっきと同じことを報告するんだろ? 二度手間をかけさせて済まなかった。」
「どうせ、先に少佐に報告しても後であんたに教えなきゃならない。後先の違いだ。」

 彼はさよならも言わずに出て行った。ギャラガはぽかんとして彼の後ろ姿を見送った。
 テオが時計を見た。

「まだ夕食には早いが、俺達もゆっくり文化・教育省へ行こう。また歩く気力はあるか?」
「大丈夫です。」

 

 

2021/09/08

第2部 ゲンテデマ  2

  4階のオフィスに上がると、大統領警護隊文化保護担当部の場所にはロホ1人だけがいて、書類を眺めていた。ケツァル少佐とステファン大尉がカウンターの内側に入ると、昼休みでも出かけずに残っていた職員達が立ち上がった。大尉は忽ち古巣の職員達に取り囲まれた。
 少佐は彼をほっぽって己の机へ行った。ロホが立ち上がって机の前に来た。すぐに目と目で報告が交わされた。

ーーコンドルは高山地帯に住む鳥です。セルバにコンドルを神とする風習はありません。しかし、コンドルの神像を祀る部族がいた訳ですから、南から北上して来た外来種族の遺跡と考えられます。
ーーコンドルは天空の神の使者でしょう?
ーースィ。ですから、ラス・ラグナスを造った部族は神として祀っていたのではなく、神の使者として崇拝していたのでしょう。地上の者の願いを天空の神へ伝えてもらう為に祀っていたのだと思われます。
ーーでは、そのコンドルの像から目玉を奪う意味は何ですか?
ーーコンドルは天空から地上を見ます。その目を使う呪術ですから、何かを探していたのではありませんか?
ーー探す?

 少佐は考えた。

ーー目玉泥棒と思われるグワマナ族の男達が粘土人形を用いた呪いの儀式を行っていた形跡がありました。彼等は呪う相手を探して、コンドルの目玉を使ったのではありませんか?
ーー考えられます。
ーー彼等はカルロのジャガーの心臓を生贄に望んだそうです。
ーー心臓はコンドルへの礼でしょう。しかしカルロから心臓を取れなかった・・・
ーー年嵩のシャーマンが心臓を欲し、若い男がカルロは”出来損ない”だからナワルを使えないと言って止めたそうです。
ーーグワマナ族のシャーマンならカルロがナワルを使えるか使えないか判別出来るでしょう。若い男がシャーマンの弟子なら、判別出来る筈です。そいつはカルロを庇ったのです。
ーー生贄を得られなかったとすると、彼等はまだ標的を見つけていないのでしょう。
ーーテオの街で見つかった死体が、彼等の犠牲者だとすると、また殺るかも知れません。

 ステファンが職員達の歓迎から解放されて彼等のところへ来たので、少佐とロホの無言の会話は中断した。少佐がロホに言った。

「大尉に報告しなさい。彼の任務です。」
「承知しました。」

 ロホはステファンの目を見た。ステファンが憮然として呟いた。

「私の心臓はコンドルの餌か?」

 ロホが苦笑した。

「怒るなよ。多分、目玉の石を取り戻して元の場所に嵌め込めば、”節穴”の問題は解決すると思う。」

 

第2部 ゲンテデマ  1

  テオとギャラガをシエスタで休ませるためにテオの家に届けた少佐は、夕方連絡を入れると言って、ステファン大尉を連れて再び車を走らせた。大尉は静かに助手席に座っていたが、車が文化・教育省の方向ではなく住宅地をそのまま走るので、行き先に見当がついた。

「止して下さい、まだ帰りたくありません。」

 思わず抵抗すると、少佐はキッパリと言った。

「一言挨拶するだけで良いから、カタリナに会って行きなさい。さもないとここで放り出しますよ。」

 養母がセルバ共和国に帰ってくる時は必ず休みを取って実家に帰る上官がそう言うので、ステファンは仕方なく口を閉じた。テオの家がある地区は集合住宅が多いが、ステファン大尉が母親の為に買った家は戸建て住宅が多い地区だった。決して裕福な層ではないが、少し経済的に余裕のある人の住居地だ。スラムで生まれ育った母親が生活に慣れないうちに本隊に召喚されてしまった大尉が、母親に申し訳なく思っていたのは確かだった。
 家の前に駐車すると、少佐は首を振って彼に降りろと無言で命じた。ステファン大尉は一呼吸置いて、車外に出た。そして足早に家の中へ入っていった。狭い庭に野菜が植えられていた。洗濯物がロープに吊るされている。典型的なセルバ共和国の庶民の生活ぶりだ。大尉が本隊に去ってしまった後、少佐は暫く休日毎にこの家に通い、カタリナ・ステファンを外へ連れ出した。近所のメルカド(マーケット)へ行き、買い物をしながら近所の女性達とカタリナの顔繋ぎをした。早く友達を作って地区に馴染ませたかったのだ。異母妹のグラシエラはすぐに友人が出来て、大学でも楽しく過ごしている様だ。仕事を持たないカタリナには近所付き合いが重要だった。
 10分ほどして、早くもステファンが家から出て来た。後ろを振り返りもせず、足早に車に戻って助手席に乗り込んだ。

「行きましょう。」

と言うので、少佐は外を見た。窓からカタリナがこちらを見ていたので、彼女は敬礼して見せた。カタリナが手を振ってくれた。
 車を走らせてから、彼女が彼に「もう少しゆっくりすれば良いのに」と言うと、彼は抗議した。

「まだ任務遂行中です。それに長居すると頭の傷を見られてしまいます。」

 少佐は思わず笑った。ステファンは母親に心配をかけたくないのだ。

「母が貴女に感謝していました。貴女に連れて行っていただいたメルカドで知り合った女性グループに参加して織物クラブで機織りしているそうです。さっきも織り上げた布を検品している最中でした。」
「民芸品として売れますから、お小遣い稼ぎにもちょうど良い趣味ですよ。」
「その様です。それから・・・」

 少し大尉は躊躇った。

「もしクリスマスにミゲール夫妻がお許し下さるなら少佐をステファン家のクリスマスに招待したいと言ったので、少佐はミゲール家を大事に思っておられるのでそれはないと答えておきました。」

 ケツァル少佐は苦笑した。大統領警護隊にクリスマス休暇はないのだ。ただ警護すべき要人達が休暇に入るので、時間が余る当番には休暇を取る余裕が出てくる。文化保護担当部は文化・教育省がクリスマス休暇に入るので暇になるだけだ。ケツァル少佐はその間、養母が仕事の拠点としているスペインへ毎年行っていた。実を言うと、スペインからスイスへスキーに行くのが彼女の1年に1回の贅沢だった。実家を大事にすると言うより、実家を利用して遊びを優先しているのだが、彼女は黙っていた。
 
「貴方はクリスマス休暇がないと、ちゃんとカタリナに言いましたか?」
「スィ。がっかりさせたくないので、引っ越しの時に言いました。今までオルガ・グランデにも帰らなかったので、それは受け入れてくれました。しかし休みの時は電話ぐらい入れろと叱られました。」
「当然です。」
「テオからも同じことを言われました。」

 ムリリョ博士からも同様のことを言われたのだ。ステファン大尉は少し反省モードになっていた。
 車は文化・教育省の駐車場に入った。ステファンは半年前迄彼の愛車だった中古のビートルが停まっているのを見た。ロホがオフィスに戻っている様だ。



第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...