2022/06/30

第7部 取り残された者      16

  日数計算で言うと、グラダ・シティを出発して4日目、検体採取を始めて3日目になった。午前中にやって来る村人は少し減った。珍しさが減り、午前中に来られる人は来尽くしたと言うことだ。カタラーニが自ら買って出て、村の学校へ行き、採取がまだの子供達と教員から細胞を採取した。教員は村の外から来ていたが、調査の性質上それは問題でなかった。子供達も村外から来ている子が数人いたのだ。だからカタラーニは子供達の家の場所や家族構成をしっかり記録しておいた。
 考古学の方はあまり目敏い発見がなく、ケサダ教授とギャラガ少尉は壺や室内装飾を見せてもらえる家を回った。そして学者らしくもなく早々に「文化的に特徴がある共通性はなし」と結論を出してしまった。言葉もすっかりスペイン語に置き換わっており、カブラ語の片鱗も残っていなかった。
 昼食を終えると、半時間程昼寝をしてから、テオとケサダ教授はコボス家へ出かけた。ボッシ事務官と村長も同伴した。コボス家に調査の説明をしなければならなかったからだ。
 コボス家は村から少し外れにあり、狩猟で生活していた家らしく、あまり豊かとは思えない、バラックの様な家だった。軒先にかなり前に獲ったと思われる動物の皮が干されたままで、すっかりカラカラに乾ききっていた。もう売り物にならないのではないだろうか。
 村長が木製のドアを拳で叩き、ペドロ・コボスの母親の名前を怒鳴った。

「ビーダ、客だ!」

 ゴソゴソと音がしてから、蝶番の錆びついた音を立てながら、ドアが開いた。テオは彼の身長の半分もあるかないかの小さな老女が立っているのを見た。少し腰が曲がっている様だ。髪は少し黒い毛が残っているが殆ど黄ばんだ白髪だった。メスティーソの女性なのだろうが日焼けして皺だらけになった顔は先住民の高齢者とあまり違いがない様に見えた。彼女は村長を不思議そうに見た。

「ニック、いつの間にか歳を取ったみたいだね。」

 訛っているが聞き取れるスペイン語だった。つまり、先住民の言語は使用していないのだ、とテオは思った。村長はうんざりした顔で言った。

「今朝も会ったところだろう。」

 彼はテオとケサダ教授、そしてボッシ事務官を紹介した。

「お上からの指示だ。あんたとホアンの口の中のD N Aを取るそうだ。」

 ビーダと言う老女は手で口元を隠した。ボッシ事務官が素早く説明した。

「セルバ共和国のカブラ族と言う部族の親戚を探しています。口の中を綿棒で擦るだけです。数秒で済みます。痛くも痒くもありません。協力をお願いします。」

 元軍人の外務省職員は出来るだけ穏やかな口調で言った。ビーダはぼんやり客を眺め、そして手を振った。

「中で茶でも飲んでいきな。」

 屋内に入ると、暫く真っ暗で何も見えなかった。”ヴェルデ・シエロ”は見えるのかと横を見ると、ケサダ教授もちょっと立ち止まって目が慣れるのを待っていた。それが普通の人間のふりなのか本当の動作なのかテオは判別出来なかった。ボッシ事務官も村長も同様で、数秒ほどしてから彼等は狭い家の中に入った。
 木製のテーブルと椅子が木製の床の上にあり、右端に台所の様な空間があった。竈と大きな水瓶が置かれ、鍋や皿を積み上げた木製の棚が少し傾いていた。冷蔵庫もあったが、古い型で使用していないと思われた。モーターの音がしなかったからだ。
 食堂兼リビングはごちゃごちゃと物が置かれ、奥に分厚いカーテンが下がって仕切りになっていた。向こうが寝室なのだろう。家(と言うより小屋)の大きさを考えたら、2部屋しかなさそうだ。あの仕切りの向こうに引き籠りの長男ホアンがいるのだ。
 ビーダは古い薬缶に水瓶から水を汲んで入れた。上水道があると思えなかったので、雨水を溜めたのだろう。テオは衛生的問題を考慮してお茶を遠慮した。ガスコンロで湯を沸かす間に村長と事務官が再びビーダを説得して、頬の内側を綿棒で擦らせることに成功した。

「ホアンのサンプルも欲しいのだが。」

 村長がそう言った時、いきなりカーテンが揺れ、太った男が現れたので、客達は驚いた。事務官と村長は一瞬椅子から腰を浮かしかけた。ケサダ教授はジロリと男を見て、座ったまま右手を左胸に当てて「ブエノス・タルデス」と挨拶した。”ヴェルデ・シエロ”流挨拶とスペイン語の挨拶の混合形態だ。男は反応しなかった。母親をジロリと見て、ボソッと言った。

「頬の内側を擦るだけか?」
「スィ。」

 テオが答えると、男は母親を見たまま、また尋ねた。

「それをすれば、こいつらは帰るのか?」
「スィ。」

 テオがもう一度答えると、やっと男は彼を見た。そして無言でそばに来て、口を開けた。無精髭だらけの顔に黄ばんだ歯、口臭が臭かったが、目は濁っていなかった。テオは「失礼します」と声をかけて、綿棒で彼の頬の内側を擦った。そして綿棒をビニルの小袋に入れ、封筒に入れた。

「終了しました。」

 男は口を閉じ、無言でくるりと背を向けると、再びカーテンの向こうへ姿を消した。
 ビーダが客に言った。

「息子がもう1人いるんだけど、まだ猟から帰って来ない。」

 その息子はもう死んでいるのだ。しかし誰もそれを口に出さなかった。
 ケサダ教授が立ち上がったので、テオと他の2人も立ち上がった。教授が挨拶した。

「突然押しかけて申し訳ありませんでした。」
「グラシャス。」

 テオも挨拶した。そして彼等は異臭のする小屋から出た。結局誰もお茶を飲まなかった。



2022/06/29

第7部 取り残された者      15

  2日目の夜も外のテントで寝た。テオはケサダ教授やコックのパストルはどんな風に寝るのかと興味があったが、2人共普通に折り畳みの簡易ベッドや地面にマットレスを置いて寝ていた。ケツァル少佐みたいに木に登って寝るのではなさそうだ。尤も彼等は軍人ではないし、町で暮らしているのだ。ハンモックよりベッドで育った口だろう。村人はどうしているのかと思ったが、家族が多い家はハンモック、そうでない家はベッドの様だ。
 3日目の朝食時にテオがその話をすると、教授とボッシ事務官が笑った。中米では普通に両方の寝方があるのだ。寧ろ・・・

「あの女性少佐は変わり者なんですよ。」

とケサダ教授に言われてしまった。

「アンドレに聞いてみなさい、大統領警護隊は木に登って就寝など教えていない筈です。野外作戦の時に身を守る為に樹上で休むことはあるでしょうが、平時に木に登って寝たりしません。」

 別のテーブルでカタラーニ、運転手と一緒に食事をしていたギャラガが自分の名前が聞こえたので振り向いた。テオは何でもないよと手を振って見せた。ボッシ事務官が別の方向で興味を抱いてテオに質問した。

「ドクトルはその少佐とお付き合いされているのですか?」
「ああ・・・」

 テオはプライベイトな話をどこまでするべきか迷った。しかしケサダ教授は知っている筈だ。だから支障のない範囲で明かした。

「彼女と婚約しているんです。一応、親公認で・・・」
「それは、おめでとう!」

 ボッシ事務官はお気楽に祝福の言葉をくれた。テオは照れてみせた。
 検体採取3日目も何事もなく無事作業が終了した。住民の半分が採取に応じてくれたことになった。採取リストを見て、ボッシ事務官がちょっと考え込んだ。

「ペドロ・コボスの母親と兄はまだ来ていません。狩猟民の家だと聞いているので、カブラ族の末裔の可能性があるのですが。」

 カブラ族がセルバと隣国の両方に分布していた証拠を確認する為の検体採取だ。コボスの家族が今回の調査の、セルバ共和国政府にとっての「本命」だった。大統領警護隊にはハエノキ村全員が「本命」だから、テオは黙っていた。
 ボッシ事務官がリストから顔を上げて、テオとケサダ教授に提案した。

「明日、シエスタの時間にコボスの家に行ってみましょう。どうせここから歩いて行ける距離です、用件は直ぐ済みますよ。」

 テオはちょっと気がかりなことがあった。

「コボスの家の者は、ペドロがセルバで殺されたことを良く思っていないんじゃないですか?」

 ボッシ事務官は村長から聞いた情報を思い出して首を振った。

「ペドロの母親は朦朧していて下の息子が死んだことを理解していない様です。上の息子は家に閉じこもって近所付き合いもしない。村長と警察が弟の死亡を伝えても部屋から出てこなかったそうです。」
「それじゃ、死んだペドロが一家を養っていたことになります。」
「そうです。しかし、村人が母親を憐れんで食べ物の差し入れをしているそうです。田舎では珍しくありません。少なくとも生きて行ける程度には助けてやっているのですよ。」

 テオは引きこもりの兄と言うホアン・コボスの存在が気になった。


2022/06/28

第7部 取り残された者      14

  夕方は午前中より大勢の村人が検体採取にやって来た。農作業が終わって夕食迄の時間潰しだ。景品も何もないのに、協力的だったので、セルバ人の方が戸惑ってしまう程だった。だがコックのパストルが調理をしながら村人達と世間話をして、「軍隊に早く帰って欲しいから」と言う理由を引き出した。ハエノキ村の住民達はセルバ人が教会前でキャンプをしていることはそんなに気にしていなかった。寧ろ自国の軍隊が村を取り巻く様に野営しているのが嫌なのだ。
 人口530人の村で検体採取初日に100人以上から採取出来たことが意外で、テオは単純に喜んで見せた。ボッシ事務官も安堵しているようだ。検体の整理と分類で大忙しのカタラーニをギャラガが手伝った。考古学的調査はまだ大きな発見と呼べる収穫がなかったので、ケサダ教授は採取の順番を待つ村人の交通整理をしてくれた。運転手のドミンゴ・イゲラスもビールのご褒美を教授からチラつかされ、教授を手伝った。

「ここの連中は博打をするのかね?」

 イゲラスの着衣からタバコの臭いを嗅ぎ取った教授が、運転手の昼間の行動に対して鎌をかけて訊いてみた。イゲラスは肩をすくめた。

「博打をする人間がいない村なんてありませんぜ、先生。だけど・・・」

 彼はチラリと村の外の方へ視線を向けた。そして低い声で続けた。

「俺が遊んだのは、兵隊の賭場でした。村人の中にも数人誘われて来てました。常習的に賭場を開いている兵隊がいる様ですね。」

 恐らく移動する先々でこっそり賭場を開いて地元民からお金を巻き上げる兵隊がいるのだろう。指揮官は知っていて目を瞑っているか、全く部下の行動に無関心か、どちらかだ。教授は学者らしい質問をした。

「どんな博打をしていたんだ?」
「カードです。それからサイコロ・・・」

 イゲラスは苦笑いした。

「大金を賭けるような勝負なんて誰も出来やしません。賭場主もカモを身包み剥いじゃ、後でややこしい事態になっちまうってわかっているから、適当なところで切り上げちまう。慣れたモンです。」

 小悪党の賭場です、と運転手は言った。
 ケサダ教授は広場の端で側近と共に採取のための行列を眺めているアランバルリ少佐をチラリと見た。数年前の内紛で無実の国民をゲリラ扱いして拷問し虐殺した将校達は処分された、とセルバ共和国では伝えられていたが、上手く立ち回って責任逃れをした者もいるだろう。少佐の口髭を気に入らない、と教授は感じた。セルバ共和国の軍人達は髭を生やすことを好まない。だらしないと思われたくないからだ。口髭は政治家が生やすもの、と軽蔑する軍人もいた。それは”シエロ”でなくても、どんな人種でも同じだった。カルロ・ステファン大尉の様にゲバラ髭を生やしているのは特異なのだ。ステファンは素が童顔なので、上官から生やすことを許可されている特例者だった。そして純血種のインディヘナは種の区別なく男性の体毛が少ない。ケサダ教授も殆ど髭が生えない人間だ。頭髪だけがよく伸びる。隣国の住民も同じだと思っていたが、メスティーソの割合がセルバより高く、体毛が濃い男が多かった。

 殆ど白人の血が流れている国民なのか・・・

 ケサダ教授は明るい色をした髪の毛の女の子達をテントに誘導しながら思った。若い女性達はハンサムなインディヘナの彼に目配せしたり、微笑みかけて来たが、彼は気が付かなかった。

2022/06/27

第7部 取り残された者      13

  テオが昼寝から覚めると、カタラーニは既に起きて子供達と川で遊んでいた。時々昆虫などを捕まえて眺めているのは、いかにも生物学者らしい。アンドレ・ギャラガは姿を消しており、ケサダ教授は日陰で座って午前中の調査をメモした手帳を眺めていた。大学ではダブレットを使用するが、ここでは手帳だ。電源節約と、盗難防止の為に高価なタブレットは持ち歩かないことにしている。
 テオが午後の調査を何時から始めようかと考えていると、教授がボソッと呟いた。

「”感応”を使える者がいます。」

 テオはドキリとした。”感応”は能力が弱い混血の”シエロ”でも使えるが、教えられなければ使えない能力でもある。だから使う者がいるとすれば2人以上の能力者がいると考えるべきだ。テオは周囲を見回した。

「アンドレは応えたのですか?」
「ノ、ただじっと寝ていられなくてバスに戻った様です。水筒を忘れていたのでね。」

 教授は若者の忍耐の弱さにちょっと腹を立てている様子だった。
 テオは教会の方を見た。広場は河原からは見えなかった。低い塔が見えるだけだ。

「コックのダニエル・パストルは何系ですか?」

 そっと質問すると、教授は苦笑した。

「私は知りません。しかし一般的には、ブーカ系メスティーソでしょう。」

 旅の始まり、バスに乗り込む時に初めて対面したのだ、教授が一族全てを知っている筈がないことをテオは思い直し、「すみません」と言った。

「貴方ならなんでもご存じだと勝手に思い込んでいました。」
「機会がなかったので一族の挨拶をまだ交わしていません。今夜あたり、どこかで声をかけてみましょう。挨拶は”心話”ではなく言葉で行うものですから。」

 ”ヴェルデ・シエロ”のマナーなのだろう。恐らくパストルの方もケサダとギャラガは何族だろうと思っている筈だ。
 テオは最初の案件に戻った。

「”感応”を試みた人間は、俺達の中に一族が混ざっていると考えたのでしょうか。」
「セルバに一族がいると知っていると思って良さそうです。遺伝子調査の本当の目的に気がついたかも知れません。」

 それは拙いかも知れない、とテオは心配になった。向こうが友好的なら良いが、敵意を持っているなら、攻撃を仕掛けてくるかも知れない。彼は吹き矢で射られた腕の傷がすっかり治っているにも関わらず、針で刺された箇所がチクチクする感覚を覚えた。勿論錯覚だ。

「接触するのは、我々考古学者に任せて下さい。」

とケサダ教授が言った。

「政治や軍事の目的で来たことは確かですが、それは事務官に任せておけばよろしい。個人との接触は、私が文化の伝搬調査と言う形で会います。貴方は検体の分析が出来るセルバに帰る迄何もしない、それが安全です。」
「わかっています。だが、俺は時々好奇心を抑えられなくなる。」
「映画の中のアメリカ人みたいに?」

 教授が茶目っ気を出して笑ったので、テオも笑った。

「スィ、どうしようもない国民性です。」


第7部 取り残された者      12

 シエスタの時間はハエノキ村も護衛でついて来た軍隊も昼寝で静かだった。セルバ共和国の調査団も昼寝休憩に入った。バスの中は暑いので、テオも外に出た。教会前の広場では日陰が少なく、仕方なく村外れの川へ行った。数人の子供が水遊びをしているだけで、村人達は畑や家の影などで昼寝をしているのが見えた。遠くへ行くなと軍から言われていたので、村民が洗濯などで使っていると思われる河原へ下りた。木陰でケサダ教授とアンドレ・ギャラガが既に場所を取って寝ていた。テオとカタラーニも空いた場所を確保した。
 バスの番をしているのはコックのダニエル・パストルだ。”ヴェルデ・シエロ”だから1人でも大丈夫だろうと思われるが、テオは彼に何かあればすぐ連絡をくれるようにと携帯の番号を教えておいた。幸いなことにハエノキ村は携帯電話が使えた。

「考えてみたら、可笑しな話だと思いませんか、先生?」

とカタラーニが話しかけて来た。テオが「何が?」と訊くと、彼は横になったまま言った。

「遺伝子を調べて、セルバ人と共通の遺伝子があれば越境を許可するって話ですよ。両国人の遺伝子が全く別物なんて有り得ないでしょ? 文化的に共通点があれば許可するってんじゃ分かりますけどね。」

 カタラーニの言葉は正論だ。だがテオが探すのは、”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子だ。越境許可云々は、調査の言い訳にすぎない。テオはカタラーニを宥めるために言った。

「政治家が腹の底で何を考えているのか、俺にもわからないさ。」

 カタラーニは論文のテーマになりそうもない調査に不満な様子だった。調査の本当の目的を教えればきっと大興奮するだろうが、それは口が裂けても言えない真実だ。
 テオとカタラーニが微睡の中に落ちた頃、アンドレ・ギャラガは頭の中で誰かに呼ばれた様な気がして目を開いた。

ーー北から来た者

 そう声は呼んだと思った。上体を起こそうとした瞬間、片手を抑えられた。目だけを動かして横を見ると、ケサダ教授が彼の手の上に己の手を重ねていた。

 え?

 と思った時、教授が殆ど聞き取れない程の低い声で囁いた。

「呼び声に応えるな。寝ていろ。」

 教授は目を閉じたまま、ギャラガの手を離し、背を向けた。ギャラガは目を閉じた。”感応”を使える人間が何処かにいる。この村の中だろうか、外だろうか。住民なのか、それとも護衛の軍隊の中にいるのか。
 コックのパストルにも聞こえた筈だ、とギャラガはバスに残っている男を思い出した。彼は反応してしまったのだろうか、それとも用心して無視しているか? 彼は気になったので、結局起き上がってしまった。何気ない風を装って川縁に下り、水を手で掬って顔にかけた。喉が渇いたが、都会育ちなので川の水をそのまま飲もうとは思わなかった。軍隊で野外の水分補充方法を習ったが、ここは学生のふりをして、彼は水筒を出すために荷物を探し、バスに置き忘れたことに気がついた。彼は教授が枕代わりにしているリュックサックを見て、それからゆっくり立ち上がった。伸びをして、バスに向かって歩き始めた。
 川から教会前広場までは歩いて5分ばかりの距離だった。途中、数人の村人が木陰で昼寝をしたり、テーブルと椅子を置いてカード遊びをしている姿を見た。彼は遊んでいる男達と目が合うと、ちょっと微笑して見せ、「オーラ」と声をかけた。向こうも彼が何者かわかったので、「オーラ」と返してくれた。
 パストルは検体採取のために張ったテントの中でジャガイモの皮を剥いていた。近づいて来たギャラガと視線が合うと、彼は”心話”で尋ねた。

ーー呼び声を聞いたか?
ーー聞いた。だが無視しろと教授に言われた。

 そしてギャラガは声に出して言った。

「水筒を忘れた。水を飲ませてくれ。」

 パストルがナイフでバスの中を指した。

「好きに飲みな。」

 バスの中の給水タンクはバスのエンジンを停めてあるので冷却機能も停止していた。それでも外気に比べれば冷たい水を飲めた。ギャラガは乾いた喉に水を流し込んだ。それからアリエル・ボッシ事務官と運転手のドミンゴ・イゲラスの姿が見えないことに気がついた。

「事務官と運転手はどこに行った?」
「事務官殿はアランバルリ少佐と一緒に村長の家にお招きだ。お茶でもしているんだろ。ドミンゴは多分、兵隊と遊んでいるんだと思う。」

 運転手はバスを動かす仕事がなければ雑用をするだけだ。暇なのだろう。ギャラガはコックのそばに座り、広場を眺めた。気のせいか、セルバの田舎町とは少し雰囲気が違って見えた。何が違うのだろう、と思いつつ、彼は夕刻迄そこにいた。
 

 

2022/06/22

第7部 取り残された者      11

  国境を越えると思いがけない事態が待っていた。隣国の陸軍が護衛として小隊を派遣していたのだ。ボッシ事務官は戸惑ったが、他国で彼が他国の軍隊の護衛を拒否する権限はなかったので、バスの前後を走る軍用車両を追い払うことが出来なかった。

「こちらの政府はハエノキ村に反政府勢力がいないか警戒しているのです。」

とバスの中でボッシ事務官が同乗者達に説明した。

「我々はセルバ共和国政府から派遣された調査団ですから、我々に何かあればこちらの政府の面子に関わりますし、我々がスパイ行為を行わないよう抑止する必要もあるのです。」
「理解した。」

とテオとケサダ教授は頷いた。自分達は他国にいる。自国内でいる時の様に自由気儘に行動すると危険だ。
 テオは住民のD N Aサンプルの採取が目的だし、ケサダ教授は住民の生活や習慣に古代のセルバ文化と共通するものがないか見るだけだ。軍隊の協力があれば早く済ませることが出来るかも知れない。
 コーヒー畑や藪が交互に連続する土地をバスは護衛付で進み、夕刻にハエノキ村に到着した。ボッシ事務官はテオと教授を連れ、陸軍の指揮官アランバルリ少佐と一緒に村長と面会した。村長には既に一行の訪問の目的が知らされていたが、陸軍が一緒だったので村人の警戒をテオは感じ取った。彼はケサダ教授に囁いた。

「もしかすると、俺達だけの方がスムーズにことが運んだかも知れませんね。」

 教授も同意した。

「貴方が今鑑定している古い死体はこの国の依頼でしたね。ここの軍隊は過去に自国民を虐殺した歴史がある訳です。村民が警戒するのは無理ないことです。」

 法律的手続きが終わったのは1時間後で、セルバ側のバスは村の中央にある教会前広場に駐車するよう村長から指示が出された。そこなら水も得られたし、教会のお手洗いも使用を許された。
 2日目、早速バスの外にテントを張り、頬の内側から細胞を採取する手順を書いた立て札を置いた。村長から命じられたと言う住民がパラパラとやって来て、カタラーニが名簿と身分証を突き合わせながら細胞を採取した。
 全然痛くない、と言う言葉に後押しされ、案外素直に住民達は順番にやって来た。欧米の様にプライバシーだとか拒否する権利がどうのとか言う人はおらず、順調に仕事は捗った。ただ緊張感が漂っているのは否めなかった。護衛の軍隊のせいだ。兵士に話しかける住民はおらず、兵士からも声をかけるシーンは見られなかった。ボッシ事務官はケサダ教授とギャラガ少尉と共に村の市場に出かけ、昔話をしてもらえる人を探した。教授は村人の持ち物、アクセサリーや衣装の模様を写真に収めた。セルバの遺跡から出た出土品の模様と比較するのだろう。
 コックのダニエル・パストルも市場に出かけ、野菜を仕入れながら”心話”を試みたようだ。彼は昼休みに教授と会った時に、結果を”心話”で報告した。教授とギャラガの表情を見て、空振りだったのだな、とテオは思った。ハエノキ村の住民に”心話”が出来る人はいないのか、警戒して”心話”に応じなかったのか、どちらかだ。人口530人の小さな村だ。
 吹き矢でテオを射てロホに射殺されたペドロ・コボスの身内は年老いた母親と独身で引きこもりの兄ホアンだけだった。コボスの家系は古いと村長は言ったが、ペドロが死に、ホアンも結婚しないのでこの代で絶えるだろうと彼は考えていた。

「セルバの部族との関係を調べていると聞いたが、私等の先祖は南から来た。セルバは北のジャングルの向こうだ。コボスの家が絶えれば、この村とセルバの関係は途絶える。軍隊が警戒しなくても、我々はセルバへ猟に行ったりしない。」


2022/06/20

第7部 取り残された者      10

  隣国への足は政府が用意したバスだった。宿舎も兼ねるので、大型の車両だ。そこにテオ、アーロン・カタラーニ、フィデル・ケサダ教授、アンドレ・ギャラガ少尉、ピンソラス事務次官の部下のアリエル・ボッシ事務官、そして雑用も行うコックのダニエル・パストル、そして運転手のドミンゴ・イゲラスの7人が乗って出発した。
 バスの後ろ半分をキャンプ道具が占めており、冷蔵庫も2台あった。DNAサンプルを保管するためのものと食糧を保存するものだ。発電機、1週間分の食糧、寝袋、調理器具、その他諸々・・・。
 護衛が大統領警護隊1人だけだと思ったら、ギャラガがテオに囁いた。

「ボッシ事務官は陸軍出身です。確か、軍曹まで行って、退役された筈です。」

 確かにボッシ事務官はお役人にしては体格が立派だった。軍隊から外務省への転身はちょっとびっくりだが、軍服ではなく白い綿シャツから出ている腕は逞しかった。外務省職員のI Dも持っていた。

「それから、コックのパストルは”シエロ”です。」

とギャラガが小声で更に囁いた。

「恐らく、外務省内の”シエロ”の職員達からの繋がりで雇われたのだと思います。」
「いざと言う時の戦力って意味かな?」
「恐らくね。運転手は”ティエラ”ですが、両国間を頻繁に行き来する路線バスの運転も経験しているそうですから、道を知っているんです。」

 南の隣国とセルバ共和国の東海岸はミーヤの国境検問所を挟んでいるが、一つの経済地域になっていた。両国民は物資の取引を日常的に行い、買い物や教育の交流も盛んだ。セルバ側のミーヤの住民と隣国のスダミーヤの住民は互いに「外国人」と言う意識がないのかも知れない。スダミーヤにも”シエロ”の末裔がいたとしてもおかしくないのだ。しかし今回セルバ政府はハエノキ村の住民だけを警戒していた。セルバとの交流が少ない故に、却って警戒対象となっているのだろう。スダミーヤにいるかも知れない”シエロ”の支流は、いつでも本流と接触出来るのだから。
 バスの中で、テオの周囲にカタラーニとギャラガが集まる形で座っていた。コックのダニエル・パストルは最後尾に座って、時々積荷のチェックをしていた。彼が積み込む食材などを選んだに違いないが、道具が揃っているのか不安らしい。テオは彼が小声で「目的地の水はどんな水かなぁ」と呟くのを聞いた。
 ケサダ教授は静かだった。ずっと目を閉じており、一度アリエル・ボッシが飲み物を勧めた時に起きただけだった。ギャラガがそっとテオに教えてくれた。

「子供達の世話から解放されてリラックスされているんですよ。」

 テオは笑いそうになった。ケサダ教授は4人の娘を持つ父親だ。娘達はどの子も活発で、しかも強力な超能力を持っている。制御を教えながら子守をするのは重労働だろう。しかも・・・ボッシ事務官が教授にこんなことを言っていた。

「5人目のお子さんを授かられたそうですね?」

 それに対する教授の返事は短いものだった。

「まだ3ヶ月ですから。」

 コディア・シメネスは妊娠したのだ。テオはドキリとした。子供は男だろうか女だろうか。女の子だったら問題ないが、男の子だと成長してナワルを長老に披露する時に大変な騒ぎになるだろうことが目に見えていた。ケサダ教授は純血種のグラダ族だ。その息子は絶対に黒いジャガーに変身する。教授の出生の秘密が一族に明かされてしまうのだ。だから。
 ケサダ教授は素直に妻の妊娠を喜べないのだ。恐らく、今迄もずっとそうだったのだ。子供を授かる幸福と、己の正体がバレるかも知れない恐怖を、彼はずっと味わい続けてきたのだ。それなら子作りを止めれば良いのに、とテオは思い、しかし夫婦の愛を止めることも出来ないのだとも思った。
 ボッシ事務官は”ティエラ”だから、純粋に古代に行われた二つの国の民族交流の確認をしに行くつもりだ。彼の呑気な様子が、緊張を和らげてくれることが、有り難かった。
 バスはボッシが提出した書類が検問所でスムーズに通り、隣国に入った。


2022/06/13

第7部 取り残された者      9

  話が進んだのは2日後だった。テオは学部長の部屋に呼ばれ、政府から隣国の国境地帯に住む先住民の遺伝子調査を依頼された旨を告げられた。

「人口530人の村だそうだ。調査に何日かかるかね?」

 テオはちょっと考えた。

「あちらが協力してくれるのですね? 住民を病院か教会に集めて一斉に検体採取すれば2日か3日で終わると思いますが・・・」

 彼は中米人のおおらかさを思い出し、訂正した。

「1週間もあれば・・・」

 学部長は頷いた。

「君の方はそれだけあれば十分なのだな?」
「遺伝子の分析は大学に戻ってから行います。結果が出るのはもっと先になりますが、あちらでの滞在は1週間を予定していれば十分です。」
「助手が必要かね?」
「そうですね・・・」

 テオは博士論文のテーマを考え中の弟子を思い出した。

「アーロン・カタラーニを連れて行こうと思います。彼の都合が良ければ、ですが。」

 学部長は頷いた。そして同行する考古学者のことを伝えた。

「考古学のケサダ教授も承諾された。助手を1人連れて行くそうだ。総勢4人になるな。」
「わかりました。因みに、その助手は男性ですか?」

 女性でも構わないが、宿舎の部屋割りなどを考えなければならない。学部長は「男だ」と答えた。

「教授の指名で、大統領警護隊に所属する学生だそうだ。」

 ああ、とテオは合点した。アンドレ・ギャラガ少尉だ。軍人には違いないが、正真正銘の学生でもあるし、外観は白人に近い。
 夕方、仕事を終えて文化保護担当部の仮オフィスであるシティ・ホールへ行くと、ギャラガ少尉がバス停に向かって歩く所を捕まえることが出来た。

「ハエノキ村の調査に指名されたんだってな?」

 ギャラガは肩をすくめた。

「ケサダ教授のご指名じゃないんです。私はムリリョ博士の学生なので、博士からの指名と言うか、命令と言うか・・・」

 ちょっと苦笑が混ざっていた。テオも笑った。

「つまり、俺達の護衛を命じられたってことだ?」
「スィ。」

 ギャラガは周囲を見回して、誰にも聞かれていないことを確認した。

「私より教授の方がずっと大きな力をお持ちだって知ってます。使い方もあちらの方がお上手です。護衛なんて、気が重いですよ。」
「素直に学生としてついて来れば良いさ。少佐は何て言ってる?」
「学べるだけ学んでいらっしゃいって・・・」

 テオは彼の肩を軽く叩いた。

「その通りだ。楽しんで行こうぜ。」

 マハルダ・デネロス少尉が歩いて来るのが見えた。テオは彼女にも声をかけた。

「1週間ほどアンドレを借りるぜ。」
「忙しい時に困るんですけどぉ・・・」

と言いつつも、デネロスも笑った。

「でもアンドレが留守の間は少佐がオフィスに詰めて下さいますから、平気ですよ。」

 彼女が舌を出すと、ギャラガもあっかんべーをして見せた。テオは車の後部席を指した。

「お詫びに今日は官舎まで送って差し上げよう。」

 2人の少尉は喜んでテオの車の後部席に座った。車を出してから、テオは後ろの彼等に尋ねた。

「国境の向こう側に同胞がいるって考えたことがあったかい?」
「ノ」

と2人ははっきり答えた。

「私達・・・って、”シエロ”だけじゃなくて、この土地に住む人間は部族の結束が固いんです。自分達の血族が離れた場所に移ったら、必ず昔話で残します。でもブーカ族にそんな話は伝わっていません。ロホ先輩の実家の様な由緒正しい家系は別でしょうけど・・・」

 とデネロスが言うと、ギャラガは苦笑した。

「私はどこの馬の骨ともわからない家系ですから、全く知りません。それに警備班時代も聞いたことがありません。私はあまり同僚と親しくしていませんでしたが、寝室の中で喋る話は互いに全部筒抜けでしたからね。伝説や神話の話をたまにする連中がいましたが、国境の向こうへ移動した一族の末裔なんて聞いたこともありませんでした。」

 つまり、国境の向こう側の”ヴェルデ・シエロ”の子孫はセルバの本流と全く交流がなかったと言うことだ、とテオは思った。



第7部 取り残された者      8

 「何れにしても・・・」

とトーコ中佐が言った。

「ハエノキ村の住民がどの程度”シエロ”の要素を持っているか、我々は知っておきたい。そこで・・・」

 彼はやっと本題に入るようだ、とテオは思った。中佐が続けた。

「村民の遺伝子検査をドクトルに依頼したい。」
「・・・検査自体は構いませんが、隣国でしょう? どうやって・・・」

 すると外務省事務次官のピンソラスが中佐の言葉を引き継ぐ形で言った。

「ペドロ・コボスが越境したことを理由に、ハエノキ村の住民とセルバ共和国のカブラ族の近親度を調べたいと相手国に申し出ました。もし両者の間に遺伝子的共通点が見つからなければ、ハエノキ村及び隣国の他地域の住民が国境検問所を通らずにセルバに入国することを禁止します。遺伝子的共通点があれば、これまで通りの規定範囲内での入国を認めます。隣国政府はこちらの要請を受け入れました。あちらの政府にしてみれば、セルバ国民が同じ理由であちらの国に入り込んで問題を起こす方が迷惑なので、検問所以外の国境を封鎖したいのです。麻薬の販売ルートの封鎖にも繋がりますからね。」
「政治的に利害が一致しているのですね。」

 テオは調査にかかる日数はどの程度だろうと考えた。政府からの正式な要請の調査なので、大学は拒否出来ないだろうが、授業をどうしようか。
 すると、予想外のことをロペス少佐が言った。

「ハエノキ村の住民のルーツは古代の移動から始まると考えられています。それで、考古学者も同行させます。発掘などはしません。民間に残っている”シエロ”の風習や信仰をそれとなく検証させます。遺伝子の分布範囲と文化の分布範囲が重なる所の住民が警戒対象となる訳です。」

 考古学者? テオは考えた。大統領警護隊文化保護担当部に学者のふりをさせて潜入させるのか? それとも遊撃班のステファン大尉を使うのか? どちらも親友達だし、心強い護衛になってくれるが・・・。
 トーコ中佐が言った。

「本物の考古学者に依頼します。文化保護担当部の隊員達は考古学の学位を持っているが、現役の研究者ではありません。考古学者のふりをさせて、隣国政府にバレたら、ややこしいでしょう。軍人ですからな。」

 彼はテオに向き直った。

「グラダ大学で陸の交易路を研究されているケサダ教授に頼もうと思っています。貴方が承知下されば、ですが。教授自らか、あるいは弟子の方に貴方の同行を依頼してみますが、よろしいですか?」

 テオはドキリとした。グラダ大学のフィデル・ケサダ教授は確かに陸の交易ルートを研究している。どの時代にどの地域がどこと交易を行っていたか、どんな物品のやり取りをしていたか、互いの地域に格差はなかったか等だ。恐らく南北の隣国も研究範囲に入っているだろう。大学では休憩時間に世間話をする間柄だし、色々な事件で助けてもらったりもした。しかし、一緒に旅行する経験はまだなかった。それに、テロリストグループのレグレシオン事件以来ケサダ教授はグラダ・シティから出ていなかった。義父のムリリョ博士が何かと理由をつけて教授に大学の学部経営の厄介な仕事を押し付け、足止めしているとの噂だった。ケツァル少佐は「博士が過保護で教授を危険から遠ざけている」と評しているのだが。もしそれが真実なら、大統領警護隊と外務省はマスケゴの族長で”砂の民”の首領であるムリリョ博士を説得しなければならない。
 テオはトーコ中佐に言った。

「ケサダ教授が同行して下されば心強いです。ですが、お忙しい教授が承諾してくれるでしょうか。」

 中佐が苦笑した。

「教授がうんと言わなくても、彼の義父を落とせば簡単でしょう。」

 その義父の方が難攻不落じゃないか、とテオは思ったが、黙っていた。

2022/06/12

第7部 取り残された者      7

  ロペス少佐はテオに向かって話をするようだった。

「これまで隣国に住む一族の子孫の存在を我々は無視してきました。理由は向こう側からこちらへ接触してこなかったからです。北側の隣国はご存知のように砂漠地帯が国境にあり、陸路での往来が古代から今日に至る迄殆どありません。北からの接触は、物品の交易で、人間の交流は皆無と言っても良いくらいでした。それに北部はオエステ・ブーカ族やマスケゴ族が多く、彼等は子孫の管理に厳しい部族です。砂漠の北側の人間との間に子を成すことを厳しく禁止していました。その分”ティエラ”との間に子供を作ることが多かった訳ですが。
 一方、南の隣国とは密林で繋がっています。現在の国境は植民地時代に支配者だったスペイン人が自分達の農園を守る為に互いに取り決めた境界線に基づいています。彼等は農地でもないジャングルにも強引に線を引いたのです。しかし白人が侵入して来た頃には、既に一族は南のジャングル地帯から退いていました。東海岸に住むグワマナ族以外に一族は国境付近を放棄していたのです。カブラロカもアンティオワカもミーヤも”ティエラ”の町で、一族は殆ど住んでいませんでした。近い過去の我々の先祖はグラダ・シティ近郊やアスクラカンに集中していました。ですから、国境の南に一族の末裔が住んでいるなどと誰も考えもしなかった。そんな状態が既に古代から今日に至る迄続いていました。
 交流が全くなかったのですから、南の一族の子孫達は”ヴェルデ・シエロ”の名も存在も知らない筈です。”曙のピラミッド”への信仰が残っているかも疑問です。しかし、我々は今、彼等の存在を知ってしまった。思い出してしまったと言った方が的確でしょうか。そして、我々は今、南の子孫達がどんな状況なのか気になり出しました。」

 少佐が休む為に口を閉じると、ピンソラス事務次官が言った。

「ドクトルが吹き矢で射られる迄、みんなが南のことを忘れていたと言っても過言ではありません。」
「つまり、俺がその男の遺伝子を分析したから・・・ですか?」
「スィ。」

 トーコ中佐が初めて発言した。

「ドクトルが提出された報告書を見て、大統領警護隊司令部は放置すべき事案ではないと判断したのです。このペドロ・コボスと言う男は農民で猟師でしたが、政治的な活動に無縁だと言う隣国からの回答でした。誤ってセルバ側の奥へ足を踏み入れ、間違って人間に向かって吹き矢を射たのだろうと。しかし、我々は素直にそれを受け取りません。隣国政府が何か企んでいると言うことではなく、ハエノキ村に住む”シエロ”の子孫の中に何か不穏な動きがないか、それを疑ってしまったのです。軍人の性だと言われればそれまでですが、少しでも敵対する動きがあれば、どこまでが安全なのか確認せずにいられないのです。」
「ハエノキ村だけに子孫がいる、と考えるのも楽観的過ぎますが、隣国で国境に近い居住地はあの村だけだそうです。ですから、あの村の住人がどれだけ我々に近いのか、確かめたいのです。」

 ロペス少佐の言葉で、テオはやっと己が大統領警護隊本部に呼ばれた意味を理解した。セルバ共和国の”ヴェルデ・シエロ”の支配階級達は、隣国に生きる一族の子孫がセルバの脅威になり得るのか否か見極めたいのだ。数千年の時を経て、再び交流を持ちたいとか、歓迎したいとか、そんな温かい気持ちではない。寧ろ有害か無害か区別したい、それだけだ。

「どんな方法でDNAサンプルを採取するのかは別の問題として、今一つ重要な問題があります。」

とテオは言った。

「俺の分析では、現在わかることは、被験者が”シエロ”の遺伝子を持っているかいないか、と言うことだけです。超能力の強さがわかる、と言うものではありません。」
「純血種とミックスの違いはわかりますね?」
「スィ。やっと部族毎の特徴も解析出来るようになりました。」

 彼はトーコ中佐とロペス少佐を交互に見た。

「多分、中佐と少佐の違いはわかります。個人の特定は当然出来ますし、部族の特定も可能です。」

 彼はピンソラス事務次官を見た。

「貴女の部族もわかると思います。でも、能力の強さや使える能力の種類迄はまだ研究が必要です。」

 ロペス少佐がトーコ中佐を見た。中佐が微笑した。

「素晴らしい。先祖の部族だけでもわかれば、攻撃を受けた時の対処法を考えられます。部族毎に得意な分野が違ってきますからな。」

 ピンソラスがテオに尋ねた。

「ナワルを使えるかどうかは、まだわからないのですか?」

 ナワルの変身能力の有無は、”ヴェルデ・シエロ”にとって重要だ。変身出来ない”シエロ”は”ツィンル”(人間と言う意味)と認められない。同時に、”シエロ”にとって対等な能力の敵とは見做されない。
 テオは頭を掻いた。

「まだそこまでの分析は出来ないのです。残念ですが・・・」


第7部 取り残された者      6

  大統領府の敷地内にある大統領警護隊の建物は、一見すると大統領官邸より小さく見える。しかし裏に回れば広い訓練施設が併設されており、グラウンドでは毎日兵士達がランニングをしたり障害物レースをして訓練に励んでいるのが見られる。そして市民は誰も知らないが、それらの施設の地下には数層になった居住施設やピラミッドに繋がる神殿がある。
 大統領警護隊本部の正門からテオの車は施設内に乗り入れた。初めてだ。門衛を務める兵士は敬礼して通してくれたが、恐らくテオにではなく助手席のステファン大尉に敬礼したのだ。大尉は規定通り緑の鳥の徽章を提示し、テオも大学のI Dカードと運転免許証を見せた。民間人が何故通るのか門衛は理由を知らないだろうが、ステファン大尉が一緒だったので、無言で通過許可を出した。
 車は来客用のスペースに駐車するよう大尉が指示した。そこには1台乗用車が駐車しており、テオはシーロ・ロペス少佐の車だと判別した。ロペス少佐は大統領警護隊の隊員だが、普段は外務省で働いているので、来客スペースを使ったのだろう、と思った。

「どこに連れて行かれるんだい?」

と尋ねると、ステファン大尉はやっと答えてくれた。

「司令部の来客用応対室です。」

 司令部の建物は特に「司令部」と看板が出ている訳でなく、ただ入り口に兵士が立っていた。門衛と同じだ。彼はステファン大尉にもテオにも身分証の提示を求めず、敬礼して2人を通した。廊下は明るく、低い位置にある窓から夕陽が差し込んでいた。入り口から入ってすぐの扉の前にステファン大尉は立つと、ドアをノックした。「入れ」と声が聞こえ、彼はドアを少し開くと、中の人物に声をかけた。

「ドクトル・アルスト・ゴンザレスをお連れしました。」

 そしてテオに入れと手で合図した。テオがドアの中に入ると、彼は入らずにドアを閉じた。
 テオは室内をパッと見て、普通の応接室だな、と感想を抱いた。壁に大統領警護隊の華々しいパレードの様子や訓練披露の写真が飾られ、過去の功績で隊に贈られた勲章やトロフィーが棚の上に並べられていた。別の壁には額入りの小さな写真がずらりと貼られていたが、それらは隊員の肖像写真で、どうやら在任中に殉職した者達と思われた。テオは思わずそれらの写真に向かって右手を左胸に当て、敬意を表するポーズを取った。
 軽い咳払いが聞こえ、彼は我に返った。部屋の中央に応接室の家具にしては実用的だが決して安物ではないテーブルと椅子があり、そこに軍服を着た初老の男性とスーツ姿の男性、スーツ姿の女性が1人ずつ座っていた。長方形のテーブルだが、その左半分に3人はそれぞれの辺に位置を占め、軍服の男性ではなくスーツ姿の女性が短い辺の上座に座っているのだった。スーツ姿の男性はテオがよく知っている男だった。彼はテオが入って来た時に立ち上がったのだ。テオが室内の様子に見惚れていたので、咳払いをして注意を自分達の方へ向けた。
 「失礼」とテオは言った。シーロ・ロペス少佐が己の隣の椅子を彼に勧め、それからテオが座ってから残りの2人を紹介した。女性を手で指し、「外務省のアビガイル・ピンソラス事務次官」と言った。テオが挨拶すると、ピンソラスは微かに笑って「よろしく」と挨拶を返した。彼女は白人に見えた。ロペス少佐は軍服の男性を指して、「大統領警護隊副司令官トーコ中佐」と彼自身の上官を紹介した。テオは何度もトーコ中佐の名を聞いたことがあったが、実物に会うのは初めてだったので、ちょっと緊張を覚えた。純血種だが、部族ハーフだと聞いたことがあったので、どんな遺伝子構成になるのだろうと思ってしまった。トーコ中佐はテオの挨拶に優しい眼差しで頷いた。

「仕事の後で呼び立ててしまい、申し訳ない。」

と彼はよく通るバリトンで言った。そしてピンソラス事務次官に向かって頷いた。
 ピンソラスが書類を数枚テーブルの上に出した。その内の1枚に印刷されている顔写真を見て、テオはドキリとした。セルバターナと仮名を付けた吹き矢の男だ。彼の視線を感じて、彼女が微笑んだ。

「この男性の名前はペドロ・コボス、隣国の国境近くにあるハエノキ村の住民でした。畑を耕して家族を養っていましたが、時々森で猟もしていたそうです。こちらでの調査では、それ以上のことは分かりませんでした。」

 ロペス少佐の方を向いたので、少佐が話し始めた。

「ハエノキ村は古くからある農民の村で、植民地時代前から人が住んでいました。恐らく、一族の子孫だろうと推測されますが、かなり血は薄いでしょう。しかし中には濃い者もいるかも知れない。いたとしても、己の血とセルバとの関係を考えたりしないでしょう。」

 彼は隣国の地図をピンソラスの書類の中から抜き出し、トーコ中佐とテオに見せた。

「隣の人口の99パーセントはメスティーソです。我が国のメスティーソより白人の血の割合が大きい。」

 彼がピンソラスに「失礼」と断ったので、テオは事務次官も”ヴェルデ・シエロ”の血を引く人間だと知った。ピンソラスは微かに苦笑し、テオに向かって言った。

「私も”シエロ”です。外観は白人ですし、能力もそんなに強くありませんが、一族が使える力は取り敢えず一通り使えます。それでも”出来損ない”の呼び名はもらってしまいますけれどね。」
「誰も貴女を”出来損ない”などと考えませんぞ。」

とトーコ中佐が優しく言った。ピンソラスは微笑し、「グラシャス」と言った。そしてロペス少佐に続きを促した。

「貴方の話の腰を折ってしまいました。続きをお願いします。」


2022/06/10

第7部 取り残された者      5

  吹き矢の男は、そのままセルバターナ(吹き矢)と呼ぶことに決めた。テオはその名を記入したタグを男のDNAマップに付けた。
 セルバターナは”ヴェルデ・ティエラ”ではなかった。しかし”ヴェルデ・シエロ”でもなかった。と言うより、”ヴェルデ・シエロ”と同じ遺伝子を持つ”ヴェルデ・ティエラ”だった。つまり、長い歳月の間に混血して血が薄くなった”シエロ”の子孫だ。珍しくないが、国境の向こうにもそんな人々が生きていることを考えて来なかったテオは、ちょっと衝撃を受けた。まだ”シエロ”の部分がどんな役割をしているのか不明だが、恐らくセルバターナは夜でも目が見えただろう。”心話”を使える”シエロ”の子孫のサンプルと比べると、ちょっと違っていたが、それが彼の個性なのか能力の差異を現すものなのか、テオはまだ掴みかねた。”シエロ”のサンプル自体が少ないので、比較出来る材料が乏しいのだ。国中の”シエロ”の遺伝子を集められたらなぁとテオは溜め息をついた。
 セルバターナがセルバ共和国内の”ヴェルデ・シエロ”に関する知識をどの程度持っていたのか不明だ。彼よりも”シエロ”の要素が濃い人がいるのかも不明だ。

 彼が生まれ育った場所に行きたい。

 テオはそう感じた。隣国との行き来は簡単だ。パスポートがなくても運転免許証などの写真付きの公的機関が発行した身分証明書を持ち、双方の国で身元引き受け人がいる証明があれば観光でもビジネスでも目的を告げれば国境を通してもらえる。但し、嘘をついてその嘘がバレると即逮捕されるので、証明書取得を面倒臭がって森の中から密出入国する連中もいた。セルバターナは先住民の猟師だったので、証明書取得免除対象だったのだ。両国の取り決めた範囲内なら自由に狩猟して構わない(捕獲する動物の種類や数は法律で制限されている)人間だった。しかし、彼はその制限範囲外に出ており、人間を射た。だからセルバの官憲、この場合は大統領警護隊に射殺された。隣国外務省は納得して彼の死に対する意見は述べなかった。
 テオが作成したセルバターナの遺伝子に関する報告書は大統領警護隊司令部に提出された。
 トロイ家殺人事件から10日経った。
 テオが大学での仕事を終え、帰宅するために駐車場へ行くと、カルロ・ステファン大尉が彼の車にもたれかかってタバコを吸っていた。久しぶりの再会だったので、テオは思わず「ヤァ!」と声をかけた。ステファン大尉も振り向いて「ヤァ」と返してきた。

「何か用かい?」
「スィ。これから行って頂きたいところがあります。」

 テオは周囲を見回した。ステファンの連れの姿を探したが、誰もいなかった。それどころかステファンが乗ってきたらしい車両も見当たらなかった。

「君1人か?」
「スィ。私を乗せて下さい。ご案内します。」

 大統領警護隊の要件なのだろうと見当がついた。

「それじゃ、出かけることを少佐に連絡しておかないと・・・」

 携帯を出しかけると、ステファンが遮った。

「少佐には既に告げてあります。」

 それでテオは電話を諦め、車のキーを解錠した。ステファンが素早く助手席に乗り込んだので、彼も運転席に座った。

「何処へ行く?」
「大統領府へ向かって走って下さい。」

 ドキリとした。恐らく、あの吹き矢の男の件だ、と思った。大統領は選挙で選ばれた人だから、”ヴェルデ・シエロ”ではない。恐らく大統領警護隊の秘密を殆ど知らない人間だ。だから、これは大統領警護隊の要件なのだ、とテオは理解した。一般人を招待することなど殆どない大統領警護隊の本部へ行くと言うことだ。

2022/06/09

第7部 取り残された者      4

  グラダ・シティに帰ると、テオはロホが憲兵隊に引き渡し前に死体から採取した血液が染み込んだ衣服の切れ端を、自宅のD N A分析装置にかけた。ロホはこう言う細かいところに配慮出来る男だ。吹き矢を使った男が普通の人間なのか、それとも大昔にセルバから分派した”ヴェルデ・シエロ”の末裔なのか、テオは調べたかった。
 ケツァル少佐は彼に早く休むようにと言い、彼女自身は出かけてしまった。恐らく分派に関する知識を仕入れに誰か長老のところへ行ったのだろう。
 デランテロ・オクタカスの診療所ではクラーレの解毒剤を注射してもらった。森の中で死んでいても不思議でなかった状況だが、”ヴェルデ・シエロ”のお陰で助かった。医師は彼が気絶していたにも関わらず何故助かったのか、尋ねなかった。大統領警護隊が一緒にいた。その事実さえあれば、セルバ人は余計な質問をしないのだ。
 無理をしないようにと言われ、研究室から出て何もないリビングでぼーっとしていると、隣の居住区画から家政婦のカーラが軽食を運んで来てくれた。彼女は滅多にテオがいる第二区画に来ないので、少し珍しそうに室内を眺めた。

「何もないんですね?」
「ここは余計な物を置かないだけだよ。隣の部屋はゴチャゴチャと機械を入れてある。少佐すら入らない。ぶつかって機械を壊すと大変だと思っているらしい。」

 実際、高価な機械だから、壊れると大変だ。しかし少佐が物にぶつかるなんて想像出来なかった。カーラも早々に退散して行った。女主人の恋人と2人きりで一つの部屋に長居することを警戒したのだ。テオは彼女に子供がいることを知っているが、結婚しているのかどうか聞いたことがなかった。彼女はプライバシーを喋らない。彼も聞かなかった。
 軽食を腹に入れ、コーヒーを飲んで、食器を第二区画のキッチンで洗ってから返しに行った。トレイを受け取ったカーラが言った。

「壁をぶち抜いて通路を作れば便利ですのにね。」

 テオは苦笑した。

「だけど少佐はこのビルの所有者じゃないからな。そんなことをしたら彼女も俺も追い出される。」
「そうなったら、新しい家でも雇って下さいね。」

 2人で笑って、それからテオは研究室に戻った。分析が終了する迄、森であったことを報告書にまとめてみた。大学に提出する為の土壌分析結果も必要だ。土は大学の地質学教室に託してあった。そもそも何の為の土壌調査なのか理由がないので、成分を分析してもらうだけだ。赤い蟻塚の赤土と、普通の蟻塚の土の分析だった。悪霊がいるだけで土の成分が変化するのだろうか。
 大学から送られてくるデータ内容を表にまとめたり、文章にしたりしていると眠たくなってきた。遺伝子と関係ない研究は、彼にとって退屈なことでしかなかった。
 携帯の呼び出し音が鳴った。画面を見ると、アリアナ・オズボーンからだった。テオと同じ施設で生まれ育った、彼の唯一の「親族」だ。電話に出て、「ヤァ」と声をかけると、彼女が画面で満面の笑みを浮かべた。

「ハロー、テオ。元気そうね!」
「元気さ。君も元気そうだね。」

 テオはまだクラーレの影響が少し残って気怠かったが、彼女には伝えたくなかった。アリアナ・オズボーンはグラダ大学医学部病院の小児科病棟で働いている。職場はテオに近いが最近は滅多に出会わなかった。彼女は忙しいし、オフの時は愛する夫シーロ・ロペス少佐と仲睦まじく過ごしているのでテオは邪魔をしたくなかった。だから余計な心配を彼女にかけたくなかったのだ。しかし、彼女は言った。

「ケツァル少佐から聞いたわ。クラーレを塗った毒針の吹き矢で射られたのですって?」
「ああ・・・スィ・・・」
「もし気分が悪くなったら、いつでも私に連絡して頂戴。」

 ケツァル少佐が気を遣ってアリアナに事件のことを喋ったのだ。女性同士の連携が強いので、男達はこんな場合打つ手がない。

「大丈夫だ。少しかったるいだけだよ。今日は一日家にいる。」
「それなら良いけど・・・」

 気のせいか、少し顔がふっくらして見えるアリアナが微笑した。

「少佐は君に電話したのかい?」
「ノ。彼女はシーロに密入国者の状況を訊きに外務省へ行ったのよ。シーロが事件を知って、私に教えてくれて、私はびっくりして彼女に電話して・・・」
「わかった、わかった。君達の連絡網は理解した。」
「悪霊だなんて、危ないものに近づかないで。貴方はただの人間なんだから・・・」

 電話では”シエロ”とか”ティエラ”とか、そう言う単語は極力使わないことにしていた。誰に傍聴されるかわからない。テオは言った。

「近づかないよ。俺は呪術師じゃないんだから。科学者だぞ。」

 アリアナが笑い、「じゃ、またね」と言い、投げキスをして画面を閉じた。
 テオは考えた。シーロ・ロペス少佐が関わってきたと言うことは、今回の件は大統領警護隊の司令部にも報告があがっているな、と。

 
 

2022/06/07

第7部 取り残された者      3

  テイクアウトの夕食を終えて管理人が帰宅した後に、ロホが格納庫へ戻って来た。射殺した吹き矢の男の死体を憲兵隊に引き渡し、憲兵隊が国境警備隊に死体の写真をメールで送って身元確認を行ったので、遅くなったのだ。結果は、トレス村の部隊が担当する国境から少し南にある村の猟師だと言う返答だった。猟師と言っても狩猟だけで家族を養えないので普段は畑を耕していた男だ。
 猟師と言う職業は厄介だった。先住民の権利で、国境を無視して二つの国を行き来して暮らしている。当然ながら獲物を獲る道具も持ち歩いているが、両国の取り決めで先住民の猟師は銃器の使用を禁止されていた。狩猟には昔からの吹き矢や弓矢、罠を用いること、となっていた。だから猟師が吹き矢を使用すること自体は違反でなかった。問題は人間を狙ったことだ。憲兵隊はテオの腕に刺さった矢から猟師の指紋を採取した。そして男とテオの関係を調べたが、大統領警護隊から得られた情報以上のテオの情報はなかった。

「外国人を殺して国際問題にならないか?」

とテオが心配すると、ロホは首を振った。

「なりません。男は両国間の取り決めで許可されている範囲を超えてセルバ側に入り込んでいました。そして人間を狙って吹き矢を射た。貴方が射られたことは医師の証言からも明らかですから、男が死んだのは男自身のせいです。」
「そうか・・・だが、どうして俺を狙ったんだろう?」

 テオはまだ体調が完全に回復していないことを自覚していた。クラーレは植物由来の猛毒だ。獲物の筋肉を弛緩させ、呼吸困難に陥らせて絶命させる。”ヴェルデ・シエロ”はその対処療法を知っていたので、少佐が咄嗟に彼の腕に局所的な衝撃波を送り、一時的に血流を止めた。そして毒を搾り出したのだ。それでもテオを気絶させる威力を毒は持っていた。

「矢に塗られていた毒が猿を殺す量で良かったです。」

とロホが慰めた。テオはむくれた。

「その猟師が何かに憑依されて、俺を猿と勘違いして射たとは考えられないか?」
「悪霊の気配はありませんでした。」

 ロホはケツァル少佐を見た。少佐も彼に同意した。

「猟師は獣に気取られないよう、己の気配を消していました。悪霊はそんなことをしません。眠っていても、私は悪霊が近づけば目覚めます。」
「君なら猟師の接近も気づいた筈だがな・・・」

ついテオが愚痴をこぼすと、少佐もムッとして言い返した。

「貴方がそばにいたので、安心して眠ったのです。」

 2人が喧嘩を始めそうな気配だったので、ロホが素早く割り込んだ。

「憲兵隊が、猟師の仲間を調べるよう相手国の捜査機関に要請する、と言っていました。向こうが何処まで動くかわかりませんが、外国のことに我々は手を出せません。」
「国境の向こうの話か・・・外務省の協力が必要かな・・・」

 テオは大統領警護隊司令部所属で外務省出向組の隊員を思い浮かべた。

「外務省を動かさなくても・・・」

 少佐が少し悪戯っ子の表情を作った。

「様子を伺うだけなら、私達も出来ますよ。」



2022/06/06

第7部 取り残された者      2

  診療所を出ると、ケツァル少佐とテオはデランテロ・オクタカス飛行場の格納庫へ行った。大統領警護隊の格納庫だ。管理人が1人だけ待機していて、テオ達が中に乗り入れた車の掃除を始めた。荷台に死体を載せて戻って来たので、清めの香油を振りかけ、何かお祈りの言葉を呟いていた。裸電球の灯りの下で、少佐が携帯食を使った夕食の支度を仕掛けると、管理人が何か買ってきますと声を掛けた。それで少佐は幾らか紙幣を彼に渡し、彼とロホの分も含めて4人分の食事の調達を命じた。管理人は喜んで出かけて行った。
 テオは格納庫に常備してある椅子とテーブルを出し、腰を下ろした。

「俺が気絶していたのは数時間だったんだな?」
「スィ。息が詰まって死ぬ毒ですから、常に貴方の呼吸があるか確認しながら車を走らせました。」
「どうして狙われたんだろ・・・」

 まさかC I Aの手の者でもあるまい。隣国の大統領や麻薬組織の親分を怒らせた覚えもない。いや、犯罪組織はどこかで繋がっているのかも知れないが、テオの名前は犯罪者に知れ渡っていない筈だ。テロリスト関係だろうか? 

「貴方がテオドール・アルストだから狙われたのではないでしょう。」

と少佐がテーブルの上に足を置いて言った。レディらしからぬ行儀の悪さだ。

「白人を狙ったと思った方が良いと思います。」
「それじゃ、テロリストみたいなものか?」
「隣国からそんな情報は来ていませんが・・・」

 今朝、少佐は国境警備隊と電話で話をした。密入国して物資の売買をしている民間人や、麻薬の取引の話はあったが、反政府ゲリラやテロリストの存在を匂わせる情報はなかった。越境して生活する先住民の情報もなかった。それ故、もし不審な越境者を見たら直ぐに確保して欲しいと国境警備隊に少佐は要請した。

ーー奇妙な気を発する存在が国境に向かって去って行くのを感じましたから。

 彼女がそう告げると、国境警備隊の幹部は不快そうに言った。

ーー南には、昔我々と袂を分かった一族の分派がいると聞いたことがある。一族の気でなく、”ティエラ”でもない気を発する者がいるとするなら、その子孫が考えられる。その者が何を考えて国境を越えるのか、見当がつかないが。

 セルバから出て行った”ヴェルデ・シエロ”の子孫・・・今迄考えたことがなかったので、ケツァル少佐は内心ショックを受けた。
 ”曙のピラミッド”のママコナは地球上の何処でも”ヴェルデ・シエロ”に話しかけることが出来る。隣国で生きている一族がいるなら、彼等にも話しかけていた筈だ。しかし、歴代のママコナにそのことを伝えられていると聞いたことがない。長老達も隣国の一族について何も語ったことがない。隣国にも一族がいるなら、族長達にその情報が教えられて当然だと思うが、ケツァル少佐は聞いたことがなかった。

ーーその南へ移ったと伝えられる一族の分派は、何族なのですか?
ーー知らぬ。我等が一族は七部族のみの筈だ。分派なのだから、七部族のどれかだろう。地理的に一番近いのはグワマナ族だが。

 少佐からその話を聞いたテオはちょっと考え込んだ。確かに”ヴェルデ・シエロ”がセルバと言う限られた範囲の土地にしかいないのは、ちょっと不自然な気もする。世界中には人口が少なくて、消滅してしまった民族もいたし、居住範囲が限定される民族もいる。しかし”ヴェルデ・シエロ”は長い歴史の中で異種族と婚姻して混血の子孫を多く残している。彼等がセルバの外に出て行ってもおかしくない。それなのに、今迄セルバに住んでいる”ヴェルデ・シエロ”は隣国にいるかも知れない一族の末裔を想像したこともなかったのだろうか。 
 彼は少佐に言った。

「もし、南の土地に移住した一族の子孫が本当にいるなら、俺が彼等のD N Aを調べてやろう。君達と同じ祖先を持つ人々なのかどうか、確かめることは出来る。」



第7部 取り残された者      1

  テオが目覚めた時、見知らぬ男性が彼の顔を覗き込んでいた。メスティーソだ。どっちだろう? ”シエロ”なのか、”ティエラ”なのか? 彼がぼんやり考えていると、男性が話しかけて来た。

「私の声が聞こえますか、ドクトル・アルスト?」

 テオは瞬きした。相手は俺の名前を知っている。彼は「スィ」と答えた。喉がカラカラに乾いて、声が出にくかったが、相手は聞き取ってくれた。微笑を浮かべ、頷いた。そして指をテオの目の前に差し出した。

「私の指を目で追って下さい。」

 言われた通りに指が振られる方を見た。男性はまた微笑んだ。

「意識が戻りましたね。もう大丈夫です。」

 彼は横を向いて、そちらに向かって再び頷いた。そして体を退けた。テオは再び瞬きして、それから視野が少し広がった気がした。男性がいた位置に、ケツァル少佐が現れた。

「私がわかりますか?」

 テオは微笑もうとした。多分、微笑みを作れた筈だ。

「スィ。俺の大事なケツァル少佐だ。」

 少佐が笑とも怒りとも取れる複雑な表情をした。そして椅子に腰を落とした。テオは目を動かして、薄汚れた感じのコンクリートの壁を眺めた。前世紀の病院の様に見えたが、多分現代の病院に違いない。
 医師と思われる先刻の男性が、少佐に「お大事に」と言って、部屋から出て行った。テオは上体を起こしてみた。眩暈が少ししたが、体は動かせた。少佐は彼が動くのを止めなかった。ただ彼の様子を観察していた。

「ここは病院?」
「スィ。デランテロ・オクタカスの診療所です。」
「俺はどうしたんだろ?」

 直ぐには思い出せなかった。カブラロカ遺跡のキャンプを出発したことを思い出してから、昼寝をしようと車の後部座席で横になったことまでを思い出せる迄数分かかった。その間、少佐は黙って彼の様子を見ていた。

「トロイ家のそばで昼寝をしたよな? それから・・・畜生! そこから思い出せない。」

 思わず悪態を吐くと、やっと少佐が微かに笑った。

「そこまで思い出せたのでしたら上等です。貴方はクラーレを塗った吹き矢で射られたのです。」
「吹き矢?」

 なんだか赤い物が頭に浮かんだ。そう言えば何かに刺されたような気もする。

「応急処置をして毒が回るのを止めましたが、貴方が意識を失ったままだったので、病院に運びました。」

 なんとなく少佐の口調には、”シエロ”なら直ぐ治るのに、と言うニュアンスが込められている様に聞こえた。どうせ俺は”ティエラ”だから、とテオはちょっと僻みを感じた。

「誰が俺を吹き矢で射たんだ? それからロホは?」
「犯人は直ぐにロホが射殺しました。今、憲兵隊に死体を運んで調べさせています。」
「先住民なのか?」
「服装は私達と変わりませんでした。アマゾンの先住民を想像しているのでしたら、間違いです。中米にそんな生活形態の人はもういませんから。」

 そして少佐は付け加えた。

「所持品は僅かで、所持していたお金は隣国の物でした。」
「それじゃ・・・やはり密入国者か?」
「恐らく。」
「だが、どうして俺を狙ったんだ?」

 少佐は肩をすくめた。射殺してしまったので、尋問出来ないのだ。銃撃する前に超能力で捕まえられなかったのか、とテオは訊きたかったが、きっとロホはテオが射られたタイミングで撃ったのだ。敵の存在に気がついた時は、「手遅れ」だったのだろう。

「俺達が昼寝をしたので、敵の接近を許してしまったんだな。」
「貴方に落ち度はありません。私の落ち度です。」

 ケツァル少佐は苦々しい口調だった。彼女はあの時眠ってしまっていた。休憩すると決めた時は、周囲に異常なしと判断した。人の気配は全く感じ取れなかった。人以外の動物もいなかった。だから結界を張らなかった。油断した。彼女は己の重大なミスを認めざるを得なかった。部下でも同伴者でもない、指揮官の彼女のミスだ。
 テオはベッドから降りた。服装は運び込まれた時のままだ。左腕の袖がなくなっていた。吹き矢が刺さった場所を切り取って、腕の上部を縛ったのだろう。なくなったのが袖で良かった。腕を失っていたかも知れない。

「痺れとかありませんか?」
「大丈夫だ。多分・・・走らなければ平気だ。」

 

第7部 渓谷の秘密      17

  グラダ大学考古学部の考古学上の発見はンゲマ准教授と彼の弟子達に任せ、テオとロホは陸軍のキャンプに戻った。ケツァル少佐とアスルもアレンサナ軍曹と共にテントの外に出て来たところだった。

「国境警備隊に不審な出入国をする人物への警戒を要請しておきました。」

と少佐は報告し、それからちょっと苦笑した。

「向こうは、いつもしていることだと不機嫌でしたけどね。」

 きっと少佐は大統領警護隊の国境警備隊責任者に”ヴェルデ・シエロ”の言語でこちらの状況を説明した筈だ。その証拠に、”ティエラ”のアレンサナ軍曹はテオにそっと囁いた。

「スペイン語で喋って欲しいよな・・・」

 スペイン語で話すとマズい内容だったのだ。テオは肩をすくめただけだった。
 その夜、遺跡のキャンプ地でもう1泊した。朝になると、少佐がアスルとアレンサナ軍曹に挨拶した。

「お邪魔しました。発掘隊が無事に調査を終える可否は、あなた方に掛かっています。任務の成功を祈ります。」
「グラシャス。」

 アレンサナ軍曹とアスルが敬礼した。テオも別れの挨拶をした。軍曹とは握手したが、アスルにはいつもの様に素っ気なくそっぽを向かれたので、苦笑した。ロホは愛想良く陸軍の兵士達に声をかけ、彼等はジープに乗り込んだ。
 来た道を走って戻り、トロイ家のそばへ着いたのは午後になりかけた頃だった。運転していたケツァル少佐が、特殊部隊が野営した岩場に似た更地に駐車して、休憩を宣言した。携帯食と水で昼食を取り、1時間の昼寝をした。木陰が涼しく思えるのだが、案外虫などが落ちてくる恐れがあるので、そこは避ける。車の後部ドアを開いてタープを張った。3人並んで寝るのは狭いので、ロホが車から少し離れて場所を確保した。
 テオは少佐と並んだ。時間を無駄にしない少佐は直ぐに目を閉じて眠ってしまった。テオは眠れなかった。場所が場所だ。すぐそばに惨劇が起きた民家が見えていた。周囲に張り巡らされた黄色いテープがそのままだ。半月も経てば雨風で破れて切れてしまうだろう。民家は近隣の住民が犠牲者の弔いと浄化を兼ねて焼き払うのだと言う。そこで営まれていたトロイ家の平和な生活は2度と戻ってこない。テオは会ったこともない人々の不幸を思い、胸の内で冥福と未来の幸運を祈った。
 アベル・トロイに憑依して家族を殺害させた悪霊は浄化された。しかし別の悪霊の気配が近くにあった。これは偶然なのだろうか。それとも何か関係があるのか。大統領警護隊文化保護担当部は、カブラロカ遺跡の発掘がこれからも続くことを考慮し、この付近の悪霊の管理をしたい様子だ。今の所、悪霊が閉じ込められていると思われる塚は1基だけだった。まだあるのか、それで終わりなのか、全く見当がつかない。

 ドローンで調査してみようか?

 テオがそれを思いついた時、岩陰のロホがむくりと体を起こした。銃を掴んでいるのが目に入ったので、テオも思わず体を起こした。

 何かいるのか?

と思った直後、腕にチクリと痛みを感じた。
え? と腕を見ると、赤い鳥の羽が目に入った。同時にロホが藪に向けて射撃した。ケツァル少佐が跳ね起き、薮の中でこの世の物とも思えない悲鳴が上がった。
 テオは羽を掴んだ。細い小さな針が付いていた。

 吹き矢だ!

 彼は少佐を見た。少佐が彼の肩を掴んだ、彼女が何か言ったが、もう聞き取れなかった。テオの意識は急激に遠ざかり、闇に沈んだ。

 

2022/06/02

第7部 渓谷の秘密      16

  ンゲマ准教授はメサの上で見つけた蓋をされた開口部の写真を見せてくれた。50センチほどの直径を持つ円形の窪みで、石が詰め込まれている様に見えた。

「もしこれがサラの石を落とす穴なら、下の部屋の中心にどの様な計測方法で合わせて穴を開けたのか、研究しなければなりません。」

 考古学者の研究に終わりはない。テオが彼の相手をしている間に、アスルが尾根から降りて来て、ケツァル少佐とロホと共に情報交換を行なっていた。アスルは、この日はもう澱みが見えなかったと断言した。前日の異様な気配を発した人物は、己の活動拠点に帰ったのだろうか。

「追跡して正体を調べたいのですが・・・」

 少佐が残念そうに言った。

「文化保護担当部の担当範囲を超えてしまいます。遊撃班を呼ばなければなりません。」
「衛星電話を使われますか?」

 アスルがチラリと陸軍のテントに視線を向けた。

「遊撃班が来るにしても、2日かかりますね。」

とロホが溜め息をついた。待っている間に怪しげな気を発した人物が遠くへ行ってしまわないか心配していた。追跡の手がかりを失うことも心配だ。少佐がアスルに尋ねた。

「一番近い南部国境警備隊は何処にいます?」

 アスルが携帯を出した。圏外だろうとロホが指摘しようとすると、彼はメモを見て言った。

「トレス村です。ミーヤの国境検問所が本隊で、トレスが分隊ですが、西海岸に検問所がないので、南部の警備隊の4分の1がトレスにいます。連絡を取りますか?」
「スィ。」

 少佐はアスルと共に陸軍のテントへ向かった。残ったロホはテオとンゲマ准教授のところへ行った。
 テオがオクタカスで洞窟に入った時の話をンゲマ准教授と助手達に語っていた。落石事件の話ではなく、洞窟内の壁や足元の様子の説明だった。ンゲマ准教授はテオと共に洞窟に入ったフランスの発掘隊の報告を聞いていたが、写真がなかったのでテオの話に真剣に耳を傾けていた。入り口付近は神殿の様な彫刻で飾られていたが、歩いて数分後にはただの素っ気ない岩壁になったこと。足元はほぼ平らで、いかにも人工的な手が入った床であったこと。オクタカスの審判の部屋はコウモリの巣になっていたので、床にコウモリの排泄物や体毛が山積して、不潔であったこと。

「ここの洞窟の入り口は樹木が茂ってコウモリの出入りの邪魔になっていた様子なので、連中が出入りするのは見たことがないな。」

とンゲマ准教授が助手達に同意を求めた。助手達もそれを認めた。

「だがコウモリがいないからと言って、危険生物がいないとは断言出来ない。」

 ンゲマは強い光を出せる携行ライトを数個持って来ていた。最初からサラの存在を確信していたのだ。テオはもう一度あの奇妙な裁判の場に行きたいと思わなかったので、「成功を祈ります」と言った。ロホを見ると、ロホは肩をすくめただけだった。



2022/06/01

第7部 渓谷の秘密      15

  墓と思われる蟻塚はそれ程の数でもなく、赤く変色していたのは最初に見つけた一つだけだった。テオはあれっきり声も臭いも感じ取れなかったし、”ヴェルデ・シエロ”達も何も見つけられなかった。ただ、ケツァル少佐が人間が歩いた踏み跡とタバコの吸い殻を2本見つけた。テオは慎重にその吸い殻をビニル袋に収納して、リュックサックに仕舞った。

「こんな奥地に来てタバコを吸っていたなんて、尋常じゃないな。」

と彼が感想を述べると、そうでもないですよ、とロホが苦笑いした。

「国境が近いですから、隣国の住民の居住地区がここから歩いて3時間の距離にあります。」
「それじゃ、悪霊使いは隣国から来たのか?」
「古代は国境がありませんでしたからね。カブラ族は隣国にもいるし、今は往来がなくても植民地化前は普通に往来していたでしょう。」

 少佐が肩をすくめた。

「ケサダ教授の研究分野です。」
「陸路の交易路か・・・」

 テオは南の空を見た。

「向こうにも”シエロ”はいるのか?」
「子孫はいるでしょう。でもママコナの声を聞ける能力は失われていると思います。夜目が利く程度でしょう。周囲と異なる能力を持っていると、仲間の近くにいる方が生き安いですから、かなり古い時代にセルバ側へ子孫達は移動した筈ですよ。」

 普通の人間の中で育った少佐が言うと説得力があった。テオは近くの蟻塚に視線を下ろした。

「それじゃ、悪霊使いは”ティエラ”と考えて良いのかな?」
「油断禁物ですが、私は一族の波長を感じませんでした。ですから”ティエラ”の異能者だと思いたいです。」
「私もです。」

とロホが同意した。

「”ティエラ”の異能者にも厄介な力を持つ人がいます。己の能力に気がついてそれを使いこなせる人間が一番手強いです。戦い方が私達と違いますからね。」

 普通の住民の墓地と思われる場所は見つからなかった。罪を犯さない住民は家族の近くに埋葬されたのだろうと少佐とロホは話し合った。テオは、昨夜宿泊した遺跡とこの日見つけた古代の町の跡や罪人の墓地跡を思い出し、ジャングルの中に大きな人間の生活場所があったのだなぁと感慨深く思った。
 再び遺跡のキャンプへ戻った。戻りながらテオは町の遺跡の写真をさらに撮影した。ンゲマ准教授に見せ、ケサダ教授にも土産に見せるつもりだった。ンゲマ准教授はサラの存在を確認しただろうか。
 夕刻、遺跡のキャンプに戻ると、大学のキャンプはちょっと興奮した雰囲気が漂っていた。アレンサナ軍曹に尋ねると、准教授と数名の学生がメサに登り、サラの石を落とす開口部らしき箇所を発見したのだと言う。
 早速テオと少佐はンゲマ准教授のところへ行った。ンゲマ准教授は彼等を見て、幸せそうな笑を見せて出迎えた。

「見つけましたよ!サラに違いない!」
「穴でしたか?」
「蓋をされていますが、円形の穴がメサの上にあります。後は洞窟の中に入って、中に円形の審判の部屋があることを確かめて、天井の穴とメサの穴が同一の物であることを確認しなければなりません。蓋を崩す訳にいきませんから、計測が必要です。」

 クエバ・ネグラの海底遺跡を発見したサン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授に負けない興奮度だ。テオは取り敢えず「おめでとうございます」と言った。少佐は慎重に、「洞窟に入る時は、必ずクワコ中尉を同伴して下さい。」と忠告を与えた。


第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...