2022/09/30

第8部 チクチャン     11

「嫌がらせを受ける覚えはない。」

とシショカは言った。口をへの字に曲げてテオを睨みつけた。テオは続けた。

「アルボレス・ロホス村の元住民で、犯人らしき人を、と言うか名前を、文化保護担当部が見つけました。しかし、どの部族にも属さないような名前で、恐らく異種族の血が入っている筈です。そんな人達が、あの扱いが難しい神様を盗んで送りつけるとは思えない。知識を十分持っていると思えないのです。誰かが唆したのでしょう。唆した人間は、多分”シエロ”だ。 だが、その人物が泥で埋まった村の復讐をする理由がない。他人の恨みを利用して、己の利になるよう、仕向けたに違いありません。」
「それが族長選挙と関係あると言うのか?」

 シショカが低いどすの効いた声で尋ねた。

「馬鹿馬鹿しい。私は族長になるつもりはない。私は誰の支持もしていない。」
「しかし、他の候補者達が貴方の真意を知っているとは限らないでしょう。」

 テオは思わず相手の机の縁に手を置いた。相手が凶暴なピューマであることを忘れた。

「少なくとも、神像を送りつけられた貴方が、犯人探しで注意をそちらへ向けている間に、自分に有利にことを進められるよう画策している候補者がいるかも知れないんですよ。」
「だから?」

 シショカがイラッとした声を出した。

「貴方は私に何を言いたいのだ?」

 テオもちょっとイラッとした。

「わかりませんか? 神像の盗難捜査が文化保護担当部から他の部署に移るかも知れないってことですよ! 大統領警護隊がマスケゴ族の選挙の情報を掴んだんです。」

 シショカが黙った。部族間の政治は他の部族には関係ないことだ。他の部族の介入は許されない。だから族長選挙も終了して新しい族長が決まる迄、他の部族は選挙があることさえ知らないのだった。大統領警護隊がマスケゴ族の選挙を知ってもマスケゴ族に害にならない。しかし、選挙に関連した内輪揉めを知られて、介入されるのはマスケゴ族の誇りに関わる。
 テオは机から手を離した。

「俺が言いたかったのは、それだけです。文化保護担当部にはまだ伝わっていません。それから、これはムリリョ博士の情報でもない。噂ですから!」

 彼は「さようなら」と言って、くるりと背を向け、ドアに向かって歩いた。シショカが何か言うかと期待したが、結局何も、挨拶さえ帰って来ずに、彼は部屋の外に出た。



第8部 チクチャン     10

  テオがアパートに帰ると、丁度ロホとアスルがビートルに乗って駐車場から出て行くところとすれ違った。片手を上げて挨拶の代わりにした。
 部屋に上がると、ケツァル少佐が寝支度をしていた。テオは彼女におやすみのキスをして自室に移った。シャワーを浴びてベッドに寝転がった。
 マスケゴ族の族長選挙と言われても想像がつかなかった。まさか市長選挙や大統領選挙みたいに投票場に行って、投票箱に候補者の名前を書いて入れる訳ではあるまい。古代からの何か儀式の様な方法で決めるのだろう。だが、候補者同士が足を引っ張り合うことがあっても、呪いなど使うのはルール違反に違いない。
 シショカはそんな方面に考えを至らせているだろうか。頭脳明晰な政治家の秘書のことだから、恐らくその可能性も思慮に入れているだろう。しかし、送りつけた人間はシショカの能力を承知している筈だ。呪いの神像など見破ってしまうだろうと想像出来るに違いない。

 やはりダムの恨みに対する「素人」の犯行じゃないのか?

 その夜はよく眠れなかった。翌朝、少し遅れて朝食に行くと、少佐は既に食べ終えて、「寝坊ですか?」と訊いた。テオはボーッとした顔で頷き、出勤する彼女にキスをして送り出した。彼女は彼の心を読めない。それは救いだった。ステファンやケサダ教授が言う通り、捜査に関する指示は司令部から彼女に直接言ってもらった方が良いだろう。
 大学のスケジュールを眺め、午前中はまだ余裕があると計算した彼は、着替えると建設省へ出かけた。1階のロビーは入り口の守衛の持ち物検査が通れば誰でも入場可能だ。
 テオは大学のI Dを見せて中に入り、受付へ行った。若い男女の職員がカウンターの向こうに座っており、パソコンの画面を見ていたが、テオが近づくと男性の方が顔を向けた。

「ブエノス・ディアス」

とテオが声をかけると、彼も挨拶を返した。テオはセニョール・シショカに面会を希望する旨を告げた。

「お約束されていますか?」

と男性が訊いたので、彼は「ノ」と言った。

「でも、私の名前を告げて頂ければ、会ってくださると思います。」

 強気で言うと、職員は胡散臭そうに彼を見ながら、電話をかけた。小声でボソボソ会話をしてから、彼は電話を終え、テオを振り返った。

「3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」

 それだけ告げた。テオは「グラシャス」と言って、エレベーターに乗った。乗ってから、大統領警護隊だったら階段を使うな、と思った。
 エレベーターを降りて、指示されたドアをノックすると、「どうぞ」と男の声が聞こえた。開くと、中は普通のオフィスで、机の向こうで顰めっ面のシショカが座ってパソコン画面を眺めていた。今日の大臣のスケジュール確認でもしているのだろう。
 テオは「ブエノス・ディアス」と挨拶した。シショカは尊大に頷いただけだった。この扱いが、カルロ・ステファン大尉以上なのか以下なのか、テオにはわからなかった。
 躊躇うと怖気付いていると思われそうなので、彼は直ぐに要件に入った。

「お忙しいと思うし、俺も仕事があるので、簡単に質問します。貴方は、マスケゴ族の族長選挙に立候補されていますか?」

 どストライクだ、と彼は自分でもそう思った。果たして、シショカがパッと顔を上げて彼を見た。

「誰が貴方にそんなことを言った?」

 怒っていた。テオは、少なくともシショカが腹を立てたと感じた。核心を突いた様だ。

「噂です。」

とテオは言った。

「アーバル・スァットを盗んだ人間はアルボレス・ロホス村の元住民かも知れませんが、彼等を利用してここに神像を送りつけさせた人間は、大臣ではなく、貴方に嫌がらせをしたかったのではありませんか?」



2022/09/29

第8部 チクチャン     9

  何となく静まり返ってしまった車が大統領警護隊の通用門の前に到着した。ギャラガ少尉とデネロス少尉がテオに礼を言って、降車した。ステファン大尉も降りたが、ドアを開けたままだった。彼は後輩達が門の中に入ってしまうのを確認してから、運転席のテオを覗き込んだ。

「少佐には、さっきの話を黙っていてくれますね?」
「内容がわからないから、話しても仕方がないだろう。それに彼女に教えて良い話なら司令部から連絡が行くんだろ?」

 どうせ俺には来ないだろうけど、とテオは心の中でやっかんだ。ステファンがちょっと頷いてから、囁いた。

「私は口が軽いので、貴方には話してしまいます。」
「おい!」

 これはびっくりだ。テオはステファンを見上げた。ステファン大尉が言った。

「マスケゴ族の族長後継者の争いが始まっている、と”あの人”は仰ったのです。」

 テオは息を呑んだ。マスケゴ族の族長はファルゴ・デ・ムリリョだ。しかし彼は長老会の最高幹部でもあり、高齢だ。族長は決して高齢者とは決まっていない。そして外国では誤解が多いが、世襲制でもない。部族のリーダーにふさわしい人を選挙で決めるのだ。

「博士は次の選挙には出ないつもりなのか?」
「あの方は引き際をご存じです。それに族長は2期で終わり、大統領と同じです。独裁を防ぐために、古代からそう決められています。」
「それじゃ、息子のアブラーンは・・・」
「世襲ではないので、立候補しなければなりません。しかし、アブラーンは会社経営で忙しい。族長の仕事をする暇がないので、今回立候補しません。それに彼は族長になりたいと希望を口にしたこともありません。」
「すると、他のマスケゴ族の家族から候補者が出ているのか?」
「純血種のマスケゴ族が何家族いるのか、私は知りませんが、水面下での争いは既に始まっているでしょうね。」
「それなりに権力を握れるからな・・・だが、どうして”彼”が君にそんな話を・・・」

 テオの頭にある考えが浮かんだ。

「まさか、シショカもその族長選挙に絡んでいるのか?」
「可能性はあります。彼が立候補するつもりなのか、或いは候補者の支援者なのか、それは不明ですが、今回の神像の件はマスケゴ族の選挙に関係している可能性があります。」
「”彼”は候補ではないんだな?」

 ケサダ教授を次の族長に、と言ってくれる人がいる、と以前ムリリョ博士自身がテオに語ったことがあった。しかしケサダ教授はマスケゴ族ではない。マスケゴとして育てられたグラダ族で、本人もそれを承知している。決して目立つことはするまいと心に誓っている人なのだ。だから彼は常に義父と義兄の陰に隠れている。

「神像を盗んだのは、マスケゴ族かも知れません。」

とステファン大尉が言った。

「もしそうなら、大統領警護隊司令部が遊撃班に捜査を命じるでしょう。文化保護担当部の管轄ではなくなります。」

 もし司令部からケツァル少佐に連絡が行くとすれば、今回の盗難事件捜査から手を引けと言う指示になるのだろう。
 テオは溜め息をついた。

「彼女があっさり手を引くと思えないがな・・・」


2022/09/28

第8部 チクチャン     8

  「おやすみなさい」と言って、ステファン大尉、デネロス少尉、ギャラガ少尉はケツァル少佐のアパートを出た。テオが送ってやるよ、と言って、キーを掴むと、少佐はアスルを振り返った。

「貴方も便乗して帰りなさい。」

 しかしアスルは食器を片付けながら答えた。

「ロホが乗せてくれるなら、ビートルで帰ります。」

 既に厨房で皿洗いに励んでいるロホが笑った。

「いつでも乗せるさ。今夜は寄り道しないから。」

 それで、テオは急いで3人を追いかけて外に出た。エレベーターを嫌う大統領警護隊より先に駐車場に着いた。エレベーターホールから車に向かって歩いていると、何か人の気配がした様な気がした。立ち止まって周囲を見回したが、誰かがいる様子はなかった。車の陰に隠れている強盗とかだったら嫌だな、と思った。アパート本体はセキュリティがしっかりしているが、駐車場は防犯カメラだけだ。車に到着した時、階段から3人の将校が降りて来た。彼等はテオの車に向かって歩き始めたが、ステファン大尉が足を止めた。

「呼ばれました。」

と彼は言い、友人達を驚かせた。彼はテオに向かって言った。

「少尉2人と車内でお待ち下さい。多分、知り合いです。」

 危険のない相手だと言いたいのだ。デネロスがギャラガを促してテオの側に来た。上官が行けと言うなら従うしかない。テオはデネロス、ギャラガと一緒に車の中に座り、ステファン大尉の方を見た。
 ステファン大尉は何処かに行くでもなく、その場に立っていた。すると暗がりの中から男性が1人現れた。それを見て、テオは驚いた。彼だけでなく、デネロスもギャラガも驚いた。

「ケサダ教授だ!」
「こんな時間にこんな場所で、大尉に何の用だろう?」

 ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉にケサダ教授が”感応”で呼びかけたのだ。さっきの気配は教授だったのだ、とテオは知った。テオの勘が鋭いこともあるが、教授は彼に存在を知られても平気だから敢えて気配を殺したりしなかったのだ。
 大尉と教授は普通に挨拶を交わし、教授が何かを大尉に”心話”で伝えた。テオはステファン大尉がギョッと目を見張るのを目撃した。ケサダ教授は何か特別な情報を伝えたようだ。

 しかし、何故伝える相手が少佐でなくカルロなんだ?

 ステファンが口頭で何か質問した。教授が首を振り、何か答えた。そして、2人は丁寧に別れの挨拶を交わした。
 ケサダ教授は現れた時と同じ様に、静かに暗闇の中に去って行った。ステファン大尉はその後ろ姿に敬礼してから、テオの車に向かって歩いて来た。
 テオは彼が車内に座るまで待ち遠しかった。何の話し合いが行われたのだろう。ステファンはそれを教えてくれるだろうか?
 デネロス少尉が助手席から後部席に座った上官に尋ねた。

「教授は何の用事だったんですか? お尋ねしても宜しいですか?」
「ノ。」

 予想通りの返事だった。ステファンは腕組みして目を閉じた。隣のギャラガ少尉はちょっと迷ってから言った。

「私は読唇が出来ます。」
「知っている。」
「見えたことを喋っても構いませんか?」
「それは構わない。」

 ステファン大尉は目を閉じたままだ。テオはゆっくり車を出した。ギャラガが言った。

「大尉は教授に『少佐に伝えても良いですか』と訊かれ、教授は『司令部に伝えてからにしなさい』と仰いました。」

 デネロスが身じろぎした。

「それって・・・何だかやばい情報じゃないですか?」
「だから、俺は黙っている。」

 ケツァル少佐から「情報を盗まれるうっかり者」と評されるステファン大尉はそれっきりダンマリを決め込んだ。


第8部 チクチャン     7

  その夜、ケツァル少佐のアパートで大統領警護隊文化保護担当部とテオドール・アルスト、そしてカルロ・ステファン大尉が揃って夕食を取った。
 最初にロホが通常業務の進行状況を報告した。勿論、これが一番の優先事項で大事なことだ。少佐は部下達の仕事ぶりを聞き、2、3注意事項を告げ、アドバイスを一つしてから、今度は自分達の調査報告を行った。

「正直に言えば、特に報告すべきことはありません。アスルの電話を受けて、ダム工事を行ったアゴースト兄弟社の会社と経営者の自宅、それぞれを探ってみましたが、ダム工事を請け負ってから特におかしな出来事はなかった様です。それにサスコシ族にチクチャンと言うマヤ名を名乗る家族はいないと言うことです。」

 簡単に述べてから、彼女は付け加えた。

「タムード叔父から、マヤ系の住民と婚姻した一族の人間がいたかも知れないと言う考えを頂きました。」

 ステファン大尉がすかさず追加した。

「アスクラカンの市民でチクチャンと言う名の住民は現在いない様です。」

 尤も森の隅々まで住民調査した訳ではない。テオはオクタカスの村や遺跡を思い出した。昔、あの密林の奥に、”ヴェルデ・シエロ”の秘密の村があったのだ。しかし、最近ケツァル少佐とステファン大尉は長老会の人々と一緒にその村跡を訪れている。人間が住んでいる気配があれば彼等は気がついただろう。チクチャンの家族が潜んでいると思えなかった。

「グラダ・シティにチクチャンが潜んでいる様な気がして戻って来ました。」

と少佐が言うと、ロホが頷いた。

「建設省での守備を何処かで見張っていると言うお考えですね?」
「スィ。大臣が元気なので、失敗したと気がついているでしょうけど・・・」
「大臣に仮病を使って貰えば?」

とギャラガが呑気な意見を述べた。アスルがニヤリとした。

「それなら、俺が呪術で病気にしてやるさ。」

 テーブルが笑い声に包まれた。テオは彼等がそんな邪道な手で他人を攻撃したりしないことを知っていたが、想像するとちょっと恐ろしかった。この人達は本気になれば神像の祟りなど使わずに相手を病気にさせられるのだ。

「明日からどうします?」

とデネロスが尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「何も打つ手がありません。取り敢えず通常業務に戻ります。」

 彼女は弟を振り返った。

「ご苦労様でした、ステファン大尉。明日は遊撃班に戻って頂いて結構ですよ。」

 あっさりクビだ。ステファンも肩をすくめた。

「明日と言わず、今夜でクビにして下さい。その方が朝練に遅れずに済みます。」

 もう官舎に帰るつもりなのだ。テオはちょっとがっかりした。一晩彼と飲めるかと期待したのだが。デネロスも寂しそうだ。彼女にはメスティーソの先輩が特別の存在なのだ。しかしギャラガはあっけらかんとしていた。

「それじゃ、大尉、デネロス少尉と3人で一緒に官舎へ帰還しますか?」

 ステファンがケツァル少佐を見た。今夜でクビにしてくれるのか?と目で問うた。少佐が笑った。

「官舎の固いベッドが恋しいのですね。どうぞ、帰りなさい。セプルベダ少佐によろしく。」

 

2022/09/27

第8部 チクチャン     6

  アゴースト兄弟社の経営者のアゴーストは実際に兄弟だった。兄が経営を弟が設計を担当しており、サスコシ族の族長の家より立派な屋敷を構えていた。しかしアスクラカン随一の大富豪サンシエラ一族の屋敷よりは小さい、とケツァル少佐は思った。サンシエラ一族はサスコシ系のメスティーソで、今は殆ど白人に近い風貌の人々ばかりだ。”ヴェルデ・シエロ”の自覚がない人も多く、古代の神様を敬っているが、自分達がその末裔であると言う証の”心話”以外に能力を使うことなど毛頭考えていないのだった。アゴースト家は普通の建設会社で、屋敷は立派だが上流階級の匂いはなかった。一代で築き上げた財産を大事に使っている、しかし家族には贅沢させている、そんな感じだ。
 ステファン大尉は再び屋敷の周囲の住民からアゴースト家の情報を収集した。ダム建設以降に歳を取った親が亡くなった程度で、特に災難がその家族に襲いかかった気配はなかった。

「チクチャンが犯人だとして、彼等は建設会社には遺恨はないのですかね。」

 ステファンが少し気が抜けた感じで言った。ケツァル少佐は屋敷を塀の隙間越しに眺めて、首を傾げた。

「確かに金持ちの家ですけど、土建屋がそのまま大きくなったと言う感じですね。チクチャンはアゴーストを敵と見なしていないのかも知れません。彼等を潰したら、多くの従業員とその家族が路頭に迷います。」
「理性のある復讐者ですか。」

 ステファンは、アンゲルス鉱石の社長を呪いで消しても腹心のバルデスがいたな、と思った。アンゲルス鉱石は巨大企業だが、有能な幹部が複数いる。創業者アンゲルスを消しても、誰も困らなかった。それはそれで寂しいな、と彼は思った。
 彼の頭の中を読んだかのように、少佐が言った。

「建設大臣を消しても、建設省は機能し続けますからね。」

 彼女は溜め息をついた。

「どんな意味を持つのでしょうね、彼等の復讐は?」
「アスルをもう一度盗難現場へ跳ばすことは無理ですか?」
「時間跳躍は難しいのですよ。タイミングが悪ければ、アスルが危険な目に陥ります。」

 警備員が爆裂波で襲われたのだ。アスルだって同じ目に遭わされる可能性もあった。それは「過去をちょっと見る」では済まなくなる。

「マハルダやアスルが収集した情報では、若い男女のペアだった様ですね。」
「博物館に現れた人物は修道女の姿をしていたそうです。」
「”幻視”かも知れません。」
「チクチャンは何人いるのでしょう? 一家全員でしょうか?」

 少佐はアゴーストの屋敷をもう一度眺め、それからアスクラカンの市役所の建物を民家の群れの向こうに眺めた。

「グラダ・シティに帰りましょう。」

 え? とステファンが振り返った。

「他の族長には会わないのですか?」
「チクチャンはグラダ・シティにいると言う気がします。イグレシアス大臣が本当に死ぬかどうか見極めたいでしょうから。」

 その時、少佐の携帯が鳴った。彼女が画面を見ると、テオからだった。

「オーラ・・・」
ーーオーラ、少佐! 忙しいかい?
「なんとも言えません。」
ーー大した用事じゃないんだが、ケサダ教授がシショカが動いていると言っていた。

 ステファンは少佐がピクリと体を緊張させたのを感じた。少佐がスピーカーにしてくれた。

「シショカが動いている、とケサダが言ったのですか?」
ーースィ。教授は建設省のマスケゴって言ったから、シショカのことだろう?
「ムリリョ博士も動いているのでしょうか?」
ーーそこまでは知らない。教授はシショカが何をしているのかと言うことは知らない様子だった。ただ文化保護担当部が動いていると知って、何か思いついたようだ。

 少佐はちょっと考えた。 テオが言い足した。

ーー俺は教授には関係ないことですと言っておいたが・・・
「それは関係あると言っているのと同じでしょう。」

 ステファンが思わず口を出した。少佐はちらっと彼を見てから、携帯に注意を戻した。

「ケサダに何か出来ると言うこともないでしょうし、あの方はご家族や友人に直接関係すること以外には動きませんから、放っておいて下さい。」
ーーいいのかい?
「スィ。」

 少佐は「今夜帰ります」と言って、電話を終えた。

2022/09/26

第8部 チクチャン     5

  アルボレス・ロホス村があった場所を流れる川は、アスクラカン行政府では単純に「支流17」と呼ばれていた。元からその地に住んでいた人々にとっても、ただ「川」で名前は特になかったのだろう。
 カルロ・ステファン大尉がアゴースト兄弟社で仕入れた情報では、支流17に泥止めのダムを建設してから会社内で特に変わったことはなかったと言うことだった。作業員が怪我をしたり、不思議な事故が起こったり、死亡事案があったり、そんなことはどこの会社でも一つや2つはあることで、彼等は問題にしていなかった。ダムができてから正確には14年経っており、その間に何もなかったと言う方が不思議なくらいだ。不思議な事故と言うのも、停めていた重機が勝手に動いて斜面を転げ落ち、下にあった数台の空のダンプカーにぶち当たったと言うもので、奇跡的に怪我人も死人も出なかった、とステファンは聞かされた。
 ケツァル少佐は、取り敢えずダムを見てみようと言い、ステファンを助手席に乗せて森の中につけられた作業用道路を走って行った。大型トラックが1台通れる程の道幅で、所々離合スペースがある、と言っても藪を踏んづけた程度の空き地だったが、走るには支障なかった。それにダムが見える場所までに数台トラックとすれ違ったが、どのトラックも荷台に土を積載していた。
 ダムはコンクリート製の低い堰堤だった。溢れた水が上部から流れていた。堰堤の上流は広い河原になって草や低木が生え、真ん中に水が流れている。その河原の土を堰堤から1キロほど遡った所で重機が掬い上げているのが見えた。トラックに積み込み、どこかに運んでいる。

「工業用のコンクリートに使うそうです。」

 アゴースト兄弟社で資料を盗み見て来たステファンが説明した。

「泥が満杯になってしまうのを防ぐのと、土砂を売って儲けるのと、自前の工事に使うのと、一石三鳥ですよ。」
「考えたものですね。」

 少佐は車に常備している双眼鏡で見てみたが、昔村があった痕跡はどこにもなかった。広い河原はすっかり周囲の風景に同化して、昔からそこはそんな広い平らな場所であったかのようだ。

「昔の地形はどうだったのです?」
「もう少しVの字に近い谷だったようです。だからダムを造ったのですが、深くなかったし、幅もあったので、こんな平になったのでしょう。 住居が泥で埋もれたと言うより、畑に泥が溜まってしまって耕作が出来なくなったのです。」
「会社はどう考えていたのでしょう?」
「ただ、請け負った通りに作業しただけですよ。」

 入植者のその後の災難など考えていなかったのだろう。入植者もまさかダムが自分達の生活を奪うとは夢にも思わなかった筈だ。力仕事で雇ってもらったのかも知れない。村の家屋は多分木造の小屋で少し高床式だった。だからすぐには人間に被害が出なかった。

「作業員達が村の住民のその後を知っていると言うことはありませんでしたか?」
「”操心”で探りましたが、従業員の入れ替わりが激しく、村人のことはおろか村があったことも知らない人が殆どでした。村自体の歴史が短すぎたのでしょう。」

 ブルドーザーの音が始まった。シエスタが終わって本格的に仕事を再開したのだ。来る途中ですれ違ったトラックは、昼前に土砂を積んで、休憩を終えて運搬を始めたに違いない。

「次の雨季が来る迄に土砂を掻い出して、雨季の間は休止、乾季にまた作業をする、の繰り返しです。アルボレス・ロホス村は気の毒だったが、ダムのお陰で下流の住民は土砂災害が減って安堵していると言う話も聞きました。」

 少佐は小さく頷いた。移転費用がきちんと支払われていれば、揉め事は起きずに済んだのかも知れない。
 現場を見ても村人の行方を知る手がかりはなかったので、少佐と大尉は車に戻って、来た道を引き返した。

「アゴースト兄弟社の経営者の住まいはわかりますか?」
「アスクラカン市内です。」

 ステファン大尉はちょっと微笑した。

「”ティエラ”ですよ。」


2022/09/24

第8部 チクチャン     4

  ケツァル少佐とステファン大尉はアスクラカンの街の交通渋滞に捕まっていた。だからアスルが少佐の携帯に電話した時、彼等はまだ市街地から出られないでいた。

ーーアスクラカンの建設会社アゴースト兄弟社に行って頂けませんか?

とアスルが言った。

「アゴースト兄弟社?」
ーー例のダムを建設した会社です。

 少佐は2秒ほど考えて、すぐ部下の依頼の真意を悟った。ダム建設の指示を出した政治家に復讐する人間が建設会社に何もしないと言うことはないだろう。

「わかりました。行ってみます。」

 少佐は電話を切るとステファンを振り返った。

「アゴースト兄弟社と言う会社を検索しなさい。」

 ステファン大尉は何も言わずに己の携帯を出して検索を始めた。そして市街地の南側にある会社の情報を見つけた。

「道路や橋を造る会社です。ダムも造るでしょうね。」
「そこへ行ってみましょう。他にどんな情報があるのか調べて下さい。」

 ステファンが掲げた携帯画面で会社の位置を確認すると、少佐はいきなり急ハンドルを切って幹線道路から脇道に入った。通行人が多い狭い道路を強引に走って、別の大通りに出ると南に向かって進んだ。ステファンはお陰で検索する気分ではなくなり、事故を起こさないかと冷や汗をかきながら車窓からの風景を見ていた。一度勇敢な白バイが追いかけて来たが、ステファンが窓から緑の鳥のI Dを見せると遠去かっていった。

「自分で運転する時は平気ですが、他人の運転はやっぱり怖いです。」

 弟の苦情に、姉はフンと言っただけだった。
 アゴースト兄弟社は広い敷地に数台の重機や大型トラックを並べていた。全部が出動していないのは、少し暇なのだろう。数人の作業服の男達が機械の手入れをしていた。敷地内に入らずに、少佐は車を少し離れた場所に停めた。それで、ステファンはやっと会社の評判を調べることが出来た。

「従業員が荒い・・・仕事は報酬の額によって速かったり遅かったり・・・造る物はしっかり仕上げているようです。」
「それは会社の評判ですね。社内の情報はありませんか? 誰かが怪我をしたとか、病気になったとか?」
「そう言う情報はネットでは拾えません。」

 ステファンは車の外に出た。

「ちょっと中の人間を捕まえて情報を引き出してみます。」

 彼はブラブラと散歩する風に歩いてアゴースト兄弟社の門をくぐっていった。アスクラカンは全体的にメスティーソが多い。サスコシ族の純血至上主義者が多いと言っても、”ヴェルデ・シエロ”の人口は高が知れている。それに彼等の多くは市内を流れる”大川”の北側に住んでいるので、南側はミックスの”シエロ”にとって安全圏だった。だからステファン大尉は自然に住民に溶け込んで見えた。作業員に声をかけ、それから事務所の方へ案内されて行った。
 車に残ったケツァル少佐は、再び電話を受けた。今度はアスクラカンに住む、彼女の養父フェルナンド・フアン・ミゲール駐米大使の遠縁に当たるドロテオ・タムードからだった。形式通りの挨拶を交わしてから、タムードが要件を切り出した。

ーーアラゴから話を聞いた。マヤの名前を持つ家族を探しているそうだね?
「スィ。叔父様は誰か心当たりでもございますか?」
ーー直接は知らない。だが、息子の1人が言っていた。婚姻でマヤ族の中に加わった一族がいるのではないか、と。

 少佐はドキリとした。どうしてそんな簡単なことを思いつかなかったのだろう?

「マヤ族と結婚した一族の人間の子孫を探せと言うことですね?」
ーー恐らく1代か2代前に婚姻したのだろう。だから現在の長老達は思いつかないのだ。2世、3世の子孫なら、まだ力を使える。一族から認められなくても、”シエロ”としての自覚はあるかも知れない。
「3世なら十分ナワルを使えます。正式な成年式を要求出来ますし、”ツィンル”(人間と言う意味)として長老会は認めざるを得ないでしょう。」
ーーそれを認めたがらない会派がいるのだがね。

 異種族の女性を妻に娶ったドロテオ・タムードは忌々しげに呟いた。

ーー今日は1人か、シータ?
「弟が一緒です。」
ーーエル・ジャガー・ネグロか。あの男は十分に強い。変な奴に絡まれたら、遠慮なく気を発散させろと言ってやれ。純血種でもサスコシなら、彼にビビる筈だ。

 少佐は笑った。そして遠縁の叔父に礼を言って通話を終えた。

2022/09/23

第8部 チクチャン     3

  テオはその日授業がなかったので、研究室で医学部から依頼された遺伝子の分析をしていた。遺産相続に関係する親子関係の鑑定依頼が最近多くなった。依頼される度に彼は心の中で「どれだけ隠し子を作っているんだ?」と毒づいていた。
 遺伝子マップを読み疲れたので、休憩のためにカフェに行くと、偶然考古学部のケサダ教授を見つけた。ケサダ教授はテーブルの上にタブレットと書物を広げ、仕事をしている様に見えた。テオは隣のテーブルに席を取って、「ブエノス・ディアス」と声をかけた。教授が顔を上げ、振り返って微笑んでくれた。

「ブエノス・ディアス。休憩ですか?」
「スィ。顕微鏡と遺伝子マップで眼が疲れたので。」

 そして新しい家族が増えた教授に、「おうちが賑やかになりますね」と言うと、相手は苦笑した。

「初めての男の子なので、娘達が大はしゃぎで、五月蝿いんですよ。」

 テオは4人の活発な娘達を思い出した。伝統を重んじる先住民の家庭で育った少女達は、お淑やかに見えるが、親が見ていないところではやはり普通の女の子だ。ケサダ教授の家庭では娘達はのびのびと育っているのだろう。

「ムリリョ博士はまだご機嫌ななめですか?」

 心配事を尋ねると、教授は首を振った。

「生まれてしまった者は仕方がありません。マスケゴの男として育てることに力を入れてくださるでしょう。」

 彼は小さくニヤリと笑った。

「アブラーンが、私の家を増築してやろうと申し出てくれたのです。息子が生まれる前は、あんなに反対していたのに。」
「息子さんの部屋を造ってくれるのですか?」
「スィ。しかし、息子が自分の部屋を持つ頃には、娘達が成長して家を出て行くでしょう。妻も私も娘達が家から出たいと言えば、結婚しようがしまいが、彼女達の自由にさせるつもりです。娘が出ていけば部屋が空きます。」
「では、断ったのですか?」
「そんな無礼なことはしません。義兄の申し出は有り難くお受けしますよ。娘のピアノの練習室が欲しかったのでね。」

 教授が楽しそうに笑った。テオも笑いながら、ふと思った。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは建設会社を経営している。所謂大手ゼネコンだ。ダムも造ったんじゃないか?

「教授、アブラーンの会社はダムを造ったことがありますか?」
「ダム?」

 教授はちょっと考え込んだ。義兄の会社とは仕事で接点がないので、テオの質問に直ぐに答えられなかったようだ。

「セルバでダムを必要とするのは西部の方ですね。ロカ・エテルナ社は主に東部でビルや港湾施設を建設していますから、西部のダムはオルガ・グランデの業者の縄張りではありませんか。」
「アスクラカンは・・・」
「アスクラカンはロカ・エテルナが入っていますが、市庁舎や教育施設が主だったと思います。アブラーンに訊いてみますか?」

 テオはマスケゴ族の主流家族を巻き込みたくなかった。家長は”砂の民”だ。ややこしくなりそうなことは避けるべきだ。

「ノ、教授がご存じないのでしたら、きっと大規模な工事でない小さなダムをロカ・エテルナ社が請け負うこともないでしょう。」

 ケサダ教授がじっとテオの額を見た。本当は目を見たいのだろうが、礼儀に反するし、テオは目を見つめられても”ヴェルデ・シエロ”に思考を読まれたりしない。だから教授は直接質問した。

「どこのダムのことをお訊きになりたいのです?」
「遺跡とかに関係ないダムです。」

とテオは言った。考古学者は遺跡がダムに水没することを心配すると思ったからだ。

「上水道とか、工業用水とか農業用水とは関係ないダムで、なんと言うか、土砂対策の砂防ダムです。」

 喋りながら、テオはある可能性を思い付いた。忘れぬうちに行動しなければ。彼は教授に「失礼」と断って携帯電話を出した。急いで押した短縮はアスルの電話のものだった。

ーークワコ中尉・・・

 アスルの声が聞こえたので、テオは早口で喋った。

「アルストだ。アスル、アスクラカン市役所でダムのことを調べただろ? 建設会社の名前を見たか?」

 アスルが数秒間沈黙した。そしてテオの言葉を確認するかの様に復唱した。

ーーダムの建設会社?
「スィ。ロカ・エテルナだったか?」
ーーそんな大手じゃない。アスクラカンの地元の・・・

 アスルが口を閉じた。彼も何かを思い付いたのだ。そして、「そうか」と呟いて、いきなり電話を切った。テオは電話を見つめた。言いたいことは伝わっただろうか。アスルは動いてくれるだろうか。
 気がつくと、ケサダ教授が書籍やタブレットを片付け始めていた。

「教授・・・」
「研究室に戻ります。」

 教授は鞄に書籍やタブレットを入れてしまうと立ち上がった。そしてテオを見下ろして囁いた。

「建設省のマスケゴが何かを嗅ぎ回っていましたが、貴方が追いかけているものと関係ありますか?」

 セニョール・シショカの動きを、考古学教授は知っていた。やはりこの先生はただの学者じゃない、とテオは緊張し、また感心した。

「彼の依頼でケツァル少佐が動いています。でも貴方を巻き込むつもりはありません。どうか無視してください。」

 

2022/09/21

第8部 チクチャン     2

  文化保護担当部の業務は全て副指揮官のロホに任せてある。だからケツァル少佐は余計な口出しをして彼の顔を潰すことを決してしない。彼女自身の任務が終了する迄、本業を全面的に部下に任せてしまった。文化・教育省に立ち寄らずに彼女はビルの前でカルロ・ステファン大尉を拾うと、そのままハイウェイをアスクラカンに向かって走り出した。”ヴェルデ・シエロ”各部族の長老達が集まる偶数月毎の新月会議は既に終わっており、次の会議まで長老達は首都に来ない。だから少佐はサスコシ族の長老に会いに、これからアスクラカンへ行くのだ。ステファンはあの内陸の商都が好きでない。純血至上主義者が多い土地柄だからだ。しかし、アルボレス・ロホス村は行政区分ではアスクラカン市役所の管轄だった。それはこのセルバ共和国を裏で支配する”ヴェルデ・シエロ”の都合から言えば、アスクラカンの主力部族であるサスコシ族の一員がアルボレス・ロホス村に住んでいた可能性を示していた。だから少佐はグラダ・シティのブーカ族ではなく、アスクラカンのサスコシ族に最初に当って見ることにした。
 昼過ぎにアスクラカンのバスターミナルに到着すると、少佐はステファンに昼食を買いに行かせた。そして彼女は車内からサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴに電話をかけた。アラゴは昼食の最中で、突然のグラダ族の族長からの電話に驚き、また喜んだ。長老会議は2ヶ月毎に開かれるが、族長会議は年に1度だけだ。滅多に出会えない仲間からの電話と言うことで、楽しげに時候の挨拶を始め、ケツァル少佐は礼儀を守って辛抱強くお喋りに付き合った。やがて、

ーーところでグラダの友よ、今日はどんなご用件かな?
「サスコシの尊敬する兄へ・・・」

と少佐は礼儀上の呼称を使った。

「教えて頂きたいことがあります。貴方の一族に蛇を名乗る家族はいますか?」
ーー蛇?

 少しの間沈黙があった。アラゴは考え込んだのだろう。そして50秒程してから、答えた。

ーーサスコシに蛇を名乗る家族はおりませんな。
「では、チクチャンと言う名に心当たりはございませんか?」
ーーチクチャン? どこの国の名前ですか?

 アラゴに外国の考古学の知識はなかった。それにセルバ共和国に居住していないマヤ族の言葉も知らなかった。マヤ族がどう言う民族かは知っていても、その文化に関心がなかったのだ。
 ケツァル少佐は質問の方向を変えた。

「では、アルボレス・ロホス村と言う所をご存じですか?」
ーーアルボレス・ロホス・・・ああ、ジャングルの中に政府が造った入植村ですな。確か、泥に埋まってしまったと聞きましたが?
「スィ、その村に住んでいた人々が現在どこにいるか調べています。」
ーー”ティエラ”のことは役場でお訊きなさい。
「あの村に一族の人が住んでいたと言うことはありませんか?」

 電話の向こうでアラゴがちょっと笑った。

ーーどうしてサスコシがわざわざジャングルの奥地へ畑を耕しに行かねばならんのです?

 そして、ああ、と声を出した。

ーーチクチャンとか言う人が、その村に住んでいたのですな。
「スィ。それは役所の台帳で確認が取れています。その家族が何処へ行ったのか、知りたいのです。」
ーー生憎、一族の者でなければ私にはわかりませんな。
「長老にお尋ねしても、わからないのでしょうか?」
ーーマヤの名前を使う一族の人間がいたら、長老から族長に何か言ったかも知れませんが。白人の名前ならともかくも、そんな大きな勢力を誇った部族の名前を使うのであれば、何か呪術的なことをする家系でしょうから。

 ケツァル少佐はアラゴ族長に丁寧に礼を述べて電話を切った。
 呪術的なことをする家系、とアラゴは言った。それなら長老達が把握している筈だ。サスコシ族が知らないと言うなら、他の部族を当たらねばならない。
 ブーカ族は人口が多いが、殆どグラダ・シティ周辺に集まって住んでいる。ある意味、”ヴェルデ・シエロ”の中では一番近代化されている部族で、呪術で憎い相手に復讐を考えるとは思えない。
 オクターリャ族は世俗の争いに背を向けている。彼等なら呪術で復讐するより、時間を少しだけ遡って歴史を変えると言う形のテロを思いつくだろう。
 グワマナ族は東海岸の漁民が多いし、海辺の土地で生活している。わざわざ内陸のジャングルを開墾して畑を作ろうなんて思わないだろう。
 マスケゴ族も考えにくい。同じマスケゴ族のシショカが働いている大臣のところへ呪いの神像を送りつけるなど、命知らずも良いところだ。
 カイナ族も大人しいし、彼等はオルガ・グランデ周辺の乾燥地帯で暮らしている。だが、もし新しい農地を手に入れたいと思ったら・・・
 車のドアが開いて、カルロ・ステファン大尉が良い匂いを漂わせた紙袋を2つ抱えて入ってきた。

「ぼんやりして、どうなさったんです? 貴女らしくもない。」

 差し出された紙袋を、「グラシャス」と言って少佐は受け取った。

「考え事をしていました。サスコシの族長はチクチャンと言う名前の一族はいないと仰いました。では、どの部族なのだろう、と・・・」
「偽名でしょ?」
「セニョール・アラゴの考えでは、マヤ語で蛇を意味する名前を使うなら、呪術的なことをする家系だろうと。それなら族長が長老から教えられていない筈はありません。」
「ロホの実家みたいに有名な呪術師の家系ならともかく、庶民相手の占いや祈祷をする人なら、長老もいちいち気に留めないでしょう。」

 ステファンはバスターミナルの向こうに伸びる道を顎で指した。

「オルガ・グランデ方面へ行ってみませんか? 向こうにはカイナ、オエステ・ブーカ、それにマスケゴの残党がいる。」



2022/09/20

第8部 チクチャン     1

  翌朝、テオが朝食を取りにケツァル少佐の区画へ行くと、彼女は既に着替えて出来上がった食事をテーブルの上に並べていた。部下達は全員昨夜のうちに帰った。おはようのキスの後、2人は席に着いて食事を始めた。

「マヤ語で空を名乗る家族が”ヴェルデ・シエロ”の可能性があるんだろ?」

とテオはパンにジャムを塗りながら尋ねた。

「どうしてそんな名前を使ったのかな?」
「それは当人に訊いてみなければわかりません。」

 少佐は憶測でものを言わない。テオは質問を変えた。

「シショカにその家族のことを教えるのか?」
「必要ありません。」

 と言ってから、少佐は言い換えた。

「まだ教える段階ではありません。彼等が何処にいて、本当に神像を盗んだのか、確認しなければなりません。」
「どうやって探すんだ? 呼ぶのか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”は離れた場所にいる仲間をテレパシーで呼べる。但し、一方通行なので、呼ばれた方は返事をしないし、呼ばれたからと言って従う義務もない。下手をすれば、相手に「突き止めたぞ」と教えてしまうことにもなりかねない。
 少佐は溜め息をついた。

「追跡するしか方法はないでしょう。」

 昔、ロザナ・ロハスを追いかけてグラダ・シティからエル・ティティへ、エル・ティティからオルガ・グランデへと、彼女は移動し、途中でテオを拾ったのだ。あの時はテオが偶然ミカエル・アンゲルスの名刺を持っていたことから、ネズミの神様を見つけ出すことが出来た。テオはまだアメリカにいた時に、偶然未知の構造を持つ遺伝子を発見し、その持ち主がアンゲルス鉱石の従業員だと知って、オルガ・グランデに行こうとしていたのだ。
 尤も、その従業員が誰だったのか、今以って不明だし、今回のチクチャンと名乗る家族の行方は全く手がかりがなかった。

「取り敢えず、各部族の族長に順番に当たってみます。」

 少佐は文化保護担当部の業務を再開するよう、昨晩部下達に指示を出した。但し、カルロ・ステファン大尉はまだ遊撃班に帰らせてもらえず、アスルの家に預けられた。彼女は自分でチクチャンを探すつもりだ。そして助手に弟を選んだ。いずれ司令部に入りたいと野心を抱く彼に、族長達と交渉する経験を持たせるのも目的だった。ステファンの直属の上官であるセプルベダ少佐も、彼女がただ事務仕事の助っ人だけに大尉を使うと考えていない筈だ。文化保護担当部へ助っ人に出された彼の部下達は必ず何か新しいことを学んで戻って来る。セプルベダ少佐はケツァル少佐の教育の腕を見込んでいた。
 テオは溜め息をついた。

「俺も参加したいな・・・定職を持ってしまうと自由に動けんもんだ・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”と他の部族との遺伝子の違いは直ぐわかるものなのですか?」
「直ぐ、とは行かないな。遺伝子の分析は俺がやっても最短2日は必要なんだ。」

 天才遺伝子学者がそう答えると、彼女はニヤリとした。

「蛇を捕まえたら、連中が本当は何者なのか分析して下さい。」

2022/09/19

第8部 探索      20

  アスルはビールで喉を潤してから続けた。

「市役所って人事異動が多いそうで、しかもダム工事当時の職員が退職していたので、名前を教えてもらって、自宅まで行きました。」
「あら・・・」
「アルボレス・ロホス村の住民のことを聞きたいと言うと、彼は渋ったんで、仕方なく”操心”を使いました。」
「その人しかいなかったのですか?」
「彼だけでした。一人暮らしで、退職後は公園の掃除をして暮らしているとかで。で、アルボレス・ロホス村にマヤ族が住んでいたのか、と尋ねると、マヤ族はいなかったと言う答えでした。」
「マヤ族はいなかった?」

 テオの復唱をアスルは無視した。

「マヤ語の名前だと言うことも知らなかったようです。それに住民16家族が何処に行ったのかも知らないとかで、支払った僅かな立退料だけ台帳に書いてあるって。」
「マヤ語を知らないが、マヤ族でないと言うのは知っていたのか?」

 テオの質問をまたアスルは無視した。

「チクチャン家は年老いた父親、その娘、その娘の子男女1人ずつの4人家族だったそうです。子供は恐らく今はどちらも20歳程、双子らしいです。母親は40過ぎ?」

 テオは他のメンバーがマヤ族にあまり拘っていないことに気がついた。少佐が考え、ステファンとロホの2人の大尉も考えていた。デネロスとギャラガはデネロスがスマホで何か検索して、ギャラガに見せていた。ほうっとギャラガが少し驚いた表情をしたので、テオは「なんだよ?」と訊いた。

「俺が知らないことを、君達だけで共有するなよ。」

 少佐が苦笑した。

「確信がないので、言わないだけです。よろしい、教えましょう。」

 彼女はビールをゴクリと飲んでから言った。

「チクチャンはマヤ語で蛇を意味しますが、マヤにとって蛇は空と繋がっていると考えられていました。つまり、チクチャンは『空』を意味する言葉でもあるのです。」
「ペグム村の雑貨店主は、彼に神像を訊いた人物が”ヴェルデ・シエロ”(空の緑)だったと伝えたかったのでしょう。」
「しかもその人物の名前が蛇だったと思い出した?」
「普通”操心”で消された記憶は戻らないものですが、素人で子供がかけた技なら時間の経過次第で解けてしまう可能性もあります。」
「その雑貨店主は用心深い人ですね。ウリベ教授にはわからなくても大統領警護隊にはわかる、と考えて、わざとスペイン語で連絡したのですよ。」

 口々に喋る仲間を眺め、テオは故郷を追われた人々が復讐心に燃える姿を想像した。安住の地を求めて入植した村を泥の下に沈められて、どんなに悔しかっただろう。


 

第8部 探索      19

  アパートに到着したのはテオが一番乗りだった。彼は自身の区画へ最初に戻って、シャワーを浴び、着替えた。そしてケツァル少佐の区画へ移った。カーラがテーブルセッティングするのを手伝っていると、少佐がマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガ両少尉を連れて帰って来た。旅から戻ったその足で来たらしい2人に、少佐がシャワーと着替えを命じた。それでテオはギャラガを己の区画へ案内した。デネロスは女性だから少佐の部屋で着替えだ。
 再び食堂へ戻り、カーラの手伝いを続けていると、アスルが入って来た。彼は一旦自宅へ立ち寄ったのだろう、さっぱりとした私服に着替え、食堂を通り越して厨房へ入った。カーラが彼に最後の味のチェックを頼むと、喜んで引き受けた。
 ロホはステファンと一緒にやって来た。ステファンは朝と同じ服装だから、職場からそのまま来たのかも知れない。ロホの服装に変化があったのかどうか、テオにはわからなかった。
 テーブルの周囲に全員が集合すると、取り敢えず乾杯した。

「命拾いした建設大臣に乾杯!」
「泥に沈んだ村に乾杯!」
「監獄で悠々自適の余生を送るロハスに乾杯!」

 みんなそれぞれ心にもないことを言いながら乾杯した。
 テオはまず気になっていたことを尋ねた。

「怪我をした警備員の容体はどうだい?」
「危機を脱しました。」

とロホが答えた。

「大叔父が処置をしてくれました。」

 それ以上の説明はなかった。

「助かったのか?」
「命は取り留めました。もう警備員の仕事は無理でしょうが、簡単な仕事なら出来る程度に回復するでしょう。」

 脳の損傷を受けたのだ。回復出来るだけでも上等だろう。テオは「良かった」と呟いた。
それから暫くはカーラに聞かれても差し障りのない、オフィスの仕事の話になった。ステファン大尉に留守中どんな書類が送られて来たか、文化保護担当部は聞きたがった。ステファンも申請書類の話だけに集中した。
 メインの料理を出してから、カーラが帰宅した。いつも通りアスルが見送りに出て、戻って来る迄、みんなゆっくり食事を楽しんだ。アスルが戻って来た時に、テオはその日の帰り際の出来事を思い出した。

「さっき大学を出る直前にウリベ教授に呼び止められたんだ。」

 少佐が彼を見た。ロホもステファンも、デネロスもギャラガも彼を見た。アスルが座りながら尋ねた。

「教授は何て?」
「それが、よく意味が理解出来ないんだが、ペグム村のセニョール・サラスからの伝言で、『蛇の尻尾』と言えば、君達にはわかる、って・・・彼女も意味がわからないので、それだけだ。」
「蛇の尻尾?」

 サラス氏についての情報はデネロスによって”心話”で少佐に報告が行っている。だからデネロスはロホとステファンにそれぞれ情報を分けた。だが少佐も2人の大尉もキョトンとしただけだった。しかし、ペグム村で雑貨店主の話を聞いていたアスルは反応した。

「チクチャンか?」
「はぁ?」

 テオは彼を見た。ギャラガが説明した。

「マヤ語で蛇のことです。」
「マヤ語? セルバの言葉じゃなく?」
「スィ・・・」

 ギャラガも少し困ってアスルを見た。言葉は知っているが、それが今回の捜査と何か関係があるのか?と目で問いかけた。アスルが少佐に顔を向けて言った。

「アスクラカンの市役所で、アルボレス・ロホス村の元住民を調べました。」

 少佐が頷いた。アスルは続けた。

「役所では最後に住んでいた住民の家長の名前と家族の人数が住民台帳に残っていました。全部で16家族、その中にチクチャンと言うマヤ風の名前の一家がいました。」
「マヤ族がいたのですか?」

 少佐が意外そうな顔をした。テオも仲間達も驚いた。マヤ族はセルバに殆どいない。アスルは役所の係にマヤ族が住んでいたのかと訊いたそうだ。しかし、役人は知らなかった。

「その役人はアルボレス・ロホス村のことを何も知りませんでした。それでダム工事の頃を知っている職員を探してもらいました。それで時間を食ってしまって・・・」



2022/09/18

第8部 探索      18

  夕刻、テオは西サン・ペドロ通りのアパートに電話をかけて、家政婦のカーラに帰宅時刻を告げた。夕食の予定を伝えるためだ。するとカーラが言った。

「今夜は少佐と大尉がお2人、それに中尉と少尉がお2人、ドクトルで計7名ですね。」

 テオはざっと計算するまでもなく、全員が揃うのだと悟った。

「みんな帰って来たんだね! 全員で食事するんだ?」
「スィ、少佐からそう指示がございました。」

 嬉しくなってテオは真っ直ぐ帰ると彼女に告げた。大学の駐車場で車に乗り込み、エンジンをかけたところで、宗教学部のウリベ教授が彼に向かって手を振っているのが見えた。彼は窓を下ろした。教授が駆け寄って来た。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 彼女が彼の車の窓枠に手をかけた。

「ペグム村のセニョール・サラスから電話がありましたよ、あなたか女性少尉に伝えて欲しいって・・・」
「何です?」

 テオはデランテロ・オクタカスから遺跡へ行く途中の小さいが賑わっていた集落を思い出した。サラス氏は雑貨店の店主で、オスタカン族の末裔だった。何者かに神像のことを質問されたのだが、相手の顔も質問内容も覚えていないと証言した男性だ。”操心”にかけられて記憶を消されたのだ、とデネロス少尉は結論づけた。そのサラスが今頃何だろう。
 ウリベ教授が囁いた。

「私には意味がイマイチわからないんですけど、”蛇の尻尾”って言えばわかってもらえる、と彼は言いました。」
「”蛇の尻尾”?」

 テオはキョトンとした。

「俺達がその言葉で何かわかると、サラスは言ったんですね?」
「スィ。」

 ウリベ教授は窓から離れた。

「あなた方は私にお呪いのことを訊いて来られたでしょう? きっとその言葉もお呪いに関係しているのよ。」

 テオは頷いた。

「その様ですね。文化保護担当部に伝えておきます。グラシャス!」
「グラシャス! また明日!」

 現れた時と同様に消える時もバタバタとウリベ教授は走って行った。まだ仕事が残っているのだろう。電話でも良かったのに、と思いつつ、テオは車を出した。



2022/09/14

第8部 探索      17

  次の日、テオは普段通り大学に出勤した。西サン・ペドロ通りの少佐と暮らしているアパートからの出勤だ。昨夜はカルロ・ステファンも彼の区画の方に泊めてやった。ステファンは何処に泊まっても平気な様だ。彼は文化・教育省へ出勤して行った。
 テオが休む時にいつも授業の代行をしてくれるアーロン・カタラーニ院生が、引き継ぎの時に「今度はどんな事件だったんですか」と訊いてきた。すっかりテオが大統領警護隊と行動する時のパターンを理解したと言う顔だった。テオは「なんでもないよ」と答えた。

「デネロス少尉がデランテロ・オクタカスへ出張するので、向こうの人と合流する迄用心棒をしただけさ。」

 本当は彼女の方が用心棒になれるんだけど、と心の中で呟いた。授業を終えて、研究室に戻ったのは昼前だった。カタラーニを始めとする院生3名と5人の学生と共に医学部から依頼された遺伝子の分析をしていると、内線電話がかかってきた。院生の1人が電話に出た。彼女は「スィ」を3回程呟いてから、テオを振り返った。

「先生、考古学部のケサダ教授がお昼にお会い出来ませんかって・・・」

 声にちょっと失望の響きがあったのは、学生達はテオと一緒にお昼を過ごしたかったからだ。テオは時計を見て、12時半に、と答えた。院生は電話で先方に伝え、通話を終えた。そして准教授をちょっと睨んだ。

「先生、考古学の教授と会われる時は、何だか嬉しそうですね。」
「妬いてるのかい?」

 テオはクスリと笑った。

「友人達が考古学関係の仕事をしているから、考古学部の人達と話すのが勉強になるんだよ。友人達の話題について行けるからね。なんなら、君達も来るか?」

 すると意外に彼等は遠慮した。

「結構です。」
「私達がケサダ教授に近づいたら、考古学部の連中が気に食わないみたいなんですよ。」
「そうか?」
「他の教授や准教授だったら構わない見たいだけど・・・」

 要するに、考古学部の女性達がハンサムな教授を生物学部に横取りされないかと気にしているのだ。テオはそう解釈して笑った。そして心の奥では、ケサダ教授の用事は何だろうと考えていた。
 12時前に研究室を閉めて、学生達と学内カフェに行った。食事を取る彼等に付き合ってお茶だけ飲むと、入口にケサダ教授が姿を現した。セルバ人らしくなく時間に正確な人だ。テオは学生達に「また夕方」と断って、教授の方へ向かった。教授は配膳カウンターまで行き、料理を選び始めた。テオもトレイを手にして、食べ物を取り、教授が選んだテーブルへついて行った。
 教授お気に入りのテラスのテーブルだ。パラソルの下でテオは彼と向き合うと、まず新しい赤ちゃんの誕生を祝福する言葉を述べた。教授は丁寧に感謝の言葉を返した。

「義父や義兄は私に息子が生まれることを喜ばなかったのですが、妻も私も男の子を持ちたかったので、やはり嬉しかったのです。」

と穏やかに微笑みながらケサダは言った。男の子は半分グラダの血を引いている。そのナワルは恐らく漆黒のジャガーだ。成年式でナワルを披露すれば、一族の長老達にその子の父親もグラダだったとバレるだろう。フィデル・ケサダの成年式で彼のナワルを目撃した長老達はもう年を取って鬼籍に入り、今は殆どこの世に残っていない。だから彼と息子がグラダだと知れば新しい長老達は腰を抜かす筈だ。それでも、黒いジャガーなら問題はない。しかし、フィデル・ケサダのナワルは黒くないのだ。
 ケサダ教授はそれ以上子供の話題に触れなかった。

「義父が不機嫌なのですが、新しい孫の誕生とは無関係の様です。貴方とデネロス少尉が義父と面会した時、どんな話をされたのです?」

 教授はムリリョ博士の機嫌の悪さを心配していた。ファルゴ・デ・ムリリョは”砂の民”の首領だ。怒らせると恐ろしい目に遭わされる。教授はテオの身を案じてくれていた。
 テオは周囲を見回した。そして小声で簡単に説明した。

「博士がどの程度事態を把握されているのか、俺には見当がつきませんが、不機嫌の理由はわかります。強い霊力を持つアーバル・スァットの石像が遺跡から盗掘され、建設大臣イグレシアスの元に送り付けられて来たのです。」

 ケサダ教授は無言だったが、眉をちょっと上げた。神像の盗難に驚いた様子だ。テオは説明を続けた。

「大臣の私設秘書が文化保護担当部にアドバイスを求めて来ました。ケツァル少佐と部下達は今盗掘犯を探して捜査中です。神像は例の秘書が保管しているので、目下のところは心配ないと考えられています。捜査の進展については現在進行形で俺の口から話せることはありません。ムリリョ博士は神像の祟りを利用しようとした人物の行為をお気に召さないのです。」

 まだ2人共料理に手をつけていなかった。ケサダ教授は冷めてしまった料理をぼんやり眺めながら囁いた。

「アーバル・スァットは一度盗まれましたが、あれは”ティエラ”の仕業でした。」
「スィ。しかし、今回の文化保護担当部の調査で、あなた方の一族の人間達がロザナ・ロハスを唆したのだと判明しました。その人間達が再び動いたのです。」
「一族の人間達・・・」

 教授が溜め息をついた。呪いを使って他人を害しようと図る者は、”砂の民”の粛清の標的だ。

「貴方は複数で言いましたね?」
「スィ。少なくとも2人以上が関わっていると思われます。」

 教授が皿から視線を上げてテオを見た。

「貴方は”ティエラ”です。これ以上、その件に関わってはいけません。例え友人でも義父は掟に従って知り過ぎた者を粛清します。貴方には特権が与えられていますが、謙虚でいて頂きたい。」

 純粋にテオを案じての忠告だ。テオは素直に頭を下げた。


2022/09/12

第8部 探索      16

  カルロ・ステファン大尉の携帯電話の着信音でテオは目が覚めた。 窓の外はまだ明るく、長屋の中庭で隣近所の奥さん達が小さな畑を前に喋っている声がガラス越しに聞こえた。懐かしくて挨拶しようかと思ったが、ステファン大尉の通話を邪魔してもいけないので、彼は我慢した。すると奥さんの1人が窓の際までやって来て、トマトとカボチャを置いてくれた。テオはグラシャスと手で合図を送り、彼女も笑顔で仲間の元へ戻って行った。
 ステファンは「スィ、スィ」と繰り返し、やがて電話を切った。

「少佐からでした。これからロホとロホの身内の長老の方と共にデランテロ・オクタカスの病院へ行かれるそうです。」
「病院?」

と聞き返してから、テオは理由を思い当たった。

「泥棒に頭を爆裂波でやられた警備員のところへ行くのか?」
「スィ。長老が対処法をご存じだと言うので、助けて頂くそうです。成功するか否かはやってみないとわからないそうですが、出来る限るのことはしてあげたい、とそのお年寄りが仰ったそうです。」
「有り難いなぁ・・・」

 テオは他人事ながら感謝を覚えた。ロホが実家へ帰った用事がそれだったのだと理解した。少佐もロホもステファンも爆裂波でダメージを受けた肉体の治療を行う指導師の修行をして資格を取っている。しかし、脳は並の指導師では対処出来ないのだとデネロス少尉が教えてくれた。恐らくロホは高度な技を習得した長老を探し出して、協力を仰いだのだろう。
 ステファンが時計を見た。

「少佐は今夜向こうで泊まりになるでしょうから、我々だけで飯を食いに行きましょう。それから、少佐は貴方は大学に戻って下さいと言ってました。私も明日から書類業務に戻ります。文化・教育省のオフィスで1人留守番ですよ。」

 デスクワークが苦手なステファンは苦笑した。彼としてはデネロス少尉に帰って来て欲しいのだが、少佐は彼女に帰還命令を出していない。デネロスはまだデランテロ・オクタカスや周辺の集落を廻って情報収集するのだ。聞き込み捜査は厳つい印象を与える髭面のステファンより、優しい女性のデネロスの方が有利だった。
 ギャラガ少尉はデネロスの助手だ。多分、用心棒の役割だろう。彼女は1人で十分強いのだが、見た目で威圧出来る男性が同行すれば余計な揉め事を避けられる。
 テオはアスルについてアスクラカンに行きたかったことをステファンに漏らした。

「あの街は、俺がエル・ティティに帰省する時の通過点だが、あそこでゆっくり街歩きした経験はないんだ。買い物はいつもグラダ・シティで済ませちまうし。アスルが市役所に行っている間、街中を見て歩きたかったな。」
「これからいつでも行けますよ。」

 ステファンは純血至上主義者が多いアスクラカンに余り長期滞在したくない。市街地はマシだが、郊外に行くとややこしい人が多いのだ。普通の人間なら問題ないのだが、”ヴェルデ・シエロ”ではそうはいかないのだった。”シエロ”は”シエロ”をすぐに嗅ぎ分ける。例え蔑み差別する対象のミックスでも、すぐ判別するのだ。
 可笑しな話だ、とテオは思う。”シエロ”だとわかるなら、同等の仲間と認めてやれば良いじゃないか、と。
 不思議なことに、ステファンはアスクラカンを好きになれないのに、彼より白人臭いギャラガはあの街をそんなに苦手としていない。その気になれば白人になりきってしまうのだろうか。
 それに、アスクラカンにはもう1人テオが忘れられないミックスの”シエロ”がいる。ピアニストのロレンシオ・サイスだ。プロ活動を辞めて個人と契約して教えるピアノの家庭教師をしているのだが、最近彼の過去を知るジャーナリストに見つかってしまった。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者だ。彼女はサイスのピアノの才能を忘れておらず、彼にインタビューを申し込み、断られても熱心にアプローチを続けていた。困ったサイスがテオに相談を持ちかけて来たのが先月のことだ。テオはレンドイロに彼をそっとしておいて下さいと頼んだ。一時人気が沸騰して彼は心身とも疲れたんですよ、だから今は家庭教師で十分満足しているのです、今騒がれたくないんです、と。レンドイロはテロ事件の時にテオに助けられた恩義があったので、なんとか退いてくれた。テオはそれからサイスと会っていなかったので、彼がどうしているか、ちょっと覗きたかったのだ。

「次の帰省の時に、ちょっと寄り道でもするかな・・・」



2022/09/11

第8部 探索      15

  アスクラカンの市役所へ向かったアスル、デランテロ・オクタカス周辺でもう少しアルボレス・ロホス村の住人の手がかりを探すと言うデネロス少尉とギャラガ少尉と別れて、テオはグラダ・シティに戻った。空港に到着したのは午後も3時を過ぎた頃で、街はシエスタの真っ最中だった。予定時刻より半時間遅れて到着した航空機の乗客のチェックを済ませると、空港のゲイトはさっさと閉じられてしまった。国際線でなければ、シエスタ優先なのだ。
 テオがロビーを歩いて出口に向かっていると、向かいから馴染みのある顔の男が近づいて来た。

「カルロ!」
「テオ、お帰りなさい。」

 遊撃班から文化保護担当部に助っ人として出向しているステファン大尉が、テオの手を両手でがっしりと掴んだ。

「成り行きで文化保護担当部の任務に付き合って下さったそうで、大統領警護隊の隊員としてお礼申し上げます。」

と堅苦しい挨拶をしてから、彼はニヤッと笑った。

「たまには首都から離れて仲間と働くのも良いでしょ?」
「確かに!」

 テオも苦笑した。久しぶりにアスルやギャラガ達と仕事が出来て嬉しかった。

「そっちはロハスに面会したんだってな?」
「スィ。強かな女ボスと言う印象を持っていましたが、会ってみると、普通の悪のオバはんでしたね。」
「まさか少佐と比較して言ってるんじゃないだろうな?」
「少佐は悪じゃありませんよ。」

 2人は笑いながら駐車場へ出た。ステファンはテオの車で空港へ来ていた。勝手に使用されても何故か腹が立たない。テオにとって大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は兄弟同然だった。彼等は車に乗り込んだ。運転はステファンが引き受けた。

「ネズミの神様はまだ建設省に置いてあるのか?」
「スィ。あの秘書のおっさんが後生大事に守っているそうです。」

 ステファンはシショカの名前を口にすることを避けた。呼んでしまうと本人が実際に現れると言う迷信だろう。
 ロホが建設省を見守っているのかと思ったら、彼はもうその任を解かれたとステファンが説明した。

「ネズミのお守りは秘書がしているので、少佐はおっさんに任せています。ロホは別件で実家に帰りました。」
「実家?」
「お父上に頼み事があるのです。」

 それ以上ステファンは語らなかった。テオは深く追求しなかった。ロホの父親は”ヴェルデ・シエロ”の名家の当主で、ブーカ族の長老だ。ロホは滅多に家族の話を仲間にしないが、難しい術や儀式で質問がある時は実家に頼ることがあった。それは一族の最も重要なことは家長とその後継者のみが口伝で受け継がれる”ヴェルデ・シエロ”の慣習のせいで、6人兄弟の4番目の息子であるロホは、知らないことがあれば直接父親か長兄に訊かなければならないのだった。つまり、白人のテオには教えられないような、一族の秘密を聞きに行ったと言うことだ。
 ステファンが車を走らせた先は、ケツァル少佐のアパートではなく、マカレオ通りのテオの以前の家、現在はアスルが住んでいる長屋の家だった。ステファンは本部外勤務の時はいつも姉のアパートでも実家でもなく、そこに寝泊まりしていた。

「晩飯は後で食べに出かけます。暫くここで休憩して下さい。」

 テオの現在の自宅に行かないのは、少佐がまだアパートに戻っていないからだ。そして、恐らくこの日は家政婦のカーラが早く帰るのだ。ステファンとしては、姉の家(テオの家でもある)よりこちらの長屋の方が寛げるのだ。
 テオは久しぶりに前の自宅に入った。すっかりアスル好みの家になっているだろうと想像したが、中身は殆ど変わっていなかった。アスルはただ寝て食事をするだけに使っている様子で、調度品も置き場所もカーテンも何も変わらなかった。アスルらしいと言えばそれまでだ、とテオは思った。ここを終の住処にするつもりはないのだろう。
 リビングのソファに横になって少し昼寝をした。ステファンも床にクッションを置いて寝た。 

第8部 探索      14

  テオは恋人のケツァル少佐が人使いの荒い人間であることを承知していた。だからアスルに新しい命令が来て、「アルボレス・ロホス村の住民を探せ」と言う文言がペグム村の安宿に宿泊している4人全員に出された命令だと知った時も腹が立たなかった。
 翌朝、宿をチェックアウトして、村の通りの屋台でサンドイッチを買うと、彼等は小さな教会前の小さな広場で朝食を取った。アルボレス・ロホス村がどんな村だったのか知らなかったが、オクタカス遺跡の監視業務を行ったデネロス少尉も噂話で聞いたことがあると言った。

「泥に埋まってしまった気の毒な村、と言うのがオクタカス村の住民の認識ですよ。」

と彼女は言った。

「ダムを建設したのは、イグレシアス大臣なのか?」
「ノ、ダム建設を決めた政権は前の大統領の内閣です。建設大臣も別の人でした。でもダム建設が着工されたのは、現政権になってからで、イグレシアスは副大臣だった頃です。」
「それじゃ、イグレシアスに責任はないんじゃないか?」
「前大臣は途中で汚職問題で辞任しちゃったので、イグレシアスが跡を継いで、その後の選挙後もそのまま建設大臣なのです。それに前大臣は辞めた後で病気で死んじゃいましたから、アルボレス・ロホス村の元住民にしたら、恨みの対象は副大臣でも良かったんじゃないですか?」

 テオは思わずアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「結構いい加減な動機だな。」
「でも最初のアーバル・スァット様盗難の時は、前大臣は生きていたんですよ。でもロハスがアントニオ・バルデスの片棒を担いでアンゲルスに神像を送っちゃった。」
「バルデスはある意味とばっちりだ。ロハスは呪いが怖くて、早く神像を手放したかっただけさ。」

 ギャラガが口をもぐもぐさせながら村を見回した。

「このペグム・・・ごくん・・・すみません、このペグム村にその泥で埋まった村の住民がいるってことはないでしょうね?」
「いたら、アーバル・スァット様の話を村人に聞いて回った男女の情報をもっと用心深く消しただろう。」
「それに俺たちが連中の情報を嗅ぎ回っていることを犯人に教えただろうしな・・・」

デネロスが考え込んだ。

「アルボレス・ロホス村の住人はアーバル・スァット様を知らなかった。でも住人の中に紛れ込んでいた”シエロ”は言い伝えを覚えていた。粗末な扱いをすると恐ろしい呪いの力を発揮する神像が、オクタカス周辺の何処かに祀られていた、と。だから彼等はピソム・カッカァを探し、神像の扱い方をオスタンカ族に尋ねて回ったのです。ロハスが遺跡盗掘の常習だと知ると、彼女を操って神像を盗ませました。でもロハスは完全には支配されていなかったので、彼等の想定外の行動を取ってしまいました。呪いを恐れて神像をミカエル・アンゲルスの家に送りつけてしまったのです。連中はアーバル・スァット様の呪いが落ち着くまで辛抱強く待っていました。大統領警護隊に神像が回収され、元の遺跡に戻されて、世間が盗難を忘れるまで待っていたのです。」

 彼女が語り終えてテオやアスルを見た。アスルが頷いた。テオも彼女の考えに同意した。

「連中はアルボレス・ロホス村を終の住処として愛していたのでしょうね・・・」

とギャラガが囁いた。

「だからダムを造って村を泥に埋もれさせた政治家を憎んで・・・」
「逆恨みだ。」

とテオは言い切った。

「政府は下流の街を守る為にダムを造った。だが目測を誤って、上流の耕作地や村を破滅させてしまった。移転補償費用とかは出たのかな?」
「そんなの、出しませんよ、セルバ共和国政府は・・・」

 デネロスが溜め息をついた。

「引っ越せ、と一言言うだけです。村が一つにまとまって交渉すれば何とかしたでしょうけど、個々に訴えても駄目なんです。せいぜい引っ越し先を斡旋した程度だと思います。」
「それじゃ、役所にその記録があるのかな? 誰がどこへ引っ越したか?」
「課税の問題があるから、アルボレス・ロホス村から最初に引っ越した場所の記録はあるでしょうが、その後で別の所に移動したら、もうわかりません。」
「でも、調べてみることは出来るだろう。少なくとも、住民の名前はわかる。」

 テオの提案にアスルが珍しく賛成した。

「確かに、住民の数や家の代表者の名前はわかるな。俺はこれからアスクラカンの市役所へ行ってくる。」

 テオが同行を申し出ようとすると、彼は言った。

「ドクトルはグラダ・シティに帰れ。大学の仕事があるだろう。」
「しかし・・・」
「あんたが必要な時は、呼ぶ。」

 そう言われると、反論出来ない。テオは渋々承知した。



2022/09/09

第8部 探索      13

  アルボレス・ロホス村と聞いて、ロホは首を傾げた。国内の地名全部を覚えている訳ではないが、人間が居住している市町村の名前は学習している。小さな国だから行政的に登録されている村はほぼ記憶していたが、その名前の村は覚えがなかった。ケツァル少佐も脳内を検索してみた様子だったが、思い当たる節がなく、結局2人は少佐の車で少佐の自宅へ向かった。そこでは既にカルロ・ステファン大尉がいて、家政婦カーラの手伝いをしながら夕食準備にかかっていた。彼はシショカと相性が悪いので、少佐が彼女のアパートで待機を命じていたのだ。
  食卓に着くと、少佐はシショカからの僅かな情報をステファンにも分けた。ステファン大尉は村の名前を聞いて、暫く考え込んだ。何か聞いたことがある、そんな表情で食事の手を止め、空を睨んだ。その間に、少佐はアスルに電話をかけ、アスルとギャラガ少尉がデランテロ・オクタカス近郊の村でテオドール・アルストとマハルダ・デネロス少尉と合流したことを聞いた。電話を終えて、彼女は部下達に言った。

「デランテロ・オクタカス周辺で住民に神像のことを尋ねた若い男女がいたそうです。直接言葉を交わした人は記憶を抜かれていますが、目撃者が数人残っていました。」
「そいつらが犯人ですね。だが、素人だ。」

 ロホが溜め息をついた。一族の中で古代の呪法や持てる以上の能力を使おうとする人間が時々現れる。そう言う連中は、年配者からの正しい教育を受けていないか、受けることを拒んだ者だ。大統領警護隊の訓練を受けたこともないし、長老達の説教に耳を貸したこともない。だが”ヴェルデ・シエロ”である自覚は強く、己を過信している。そう言う連中が”砂の民”の粛清の対象になることが多いのだ。

 よりにもよって、一匹狼的”砂の民”セニョール・シショカの職場に神像を送りつけるとは。

 シショカの正体を知らないからこその暴挙だろうが、不運だ。シショカは恐らく彼独自のルートで犯人探しをしているだろうし、ケツァル少佐に知り得た情報の全てを分けた筈がない。犯人を見つけ出して捕まえる仕事を大統領警護隊に譲っても、最後の粛清は彼自身が行いたいと思っているに違いない。
 その時、まるで夢から覚めたかの様に、ステファンが声を上げた。

「思い出した!」

 少佐とロホが彼を見た。ステファンは少佐を振り返った。

「アルボレス・ロホス村は、現在のオクタカス村から北へ5キロほど行った森の中にあった村でした。」
「過去形ですか?」
「スィ。もうありません。私が遺跡の監視業務に就いていた時に、休憩時間に言葉を交わした村人から話を聞いたことがあります。アルボレス・ロホス村は10年以上前に地図から消えた村です。」

 彼はテーブルの上を指でなぞった。

「オクタカスとは谷が異なる川が流れていて、アルボレス・ロホス村はその川の流域にありました。細い川で、流れはアスクラカン方面へ向かっているので、オクタカス周辺の地図では記載されていません。」
「消えたと言うことは、その川が氾濫を起こしたのか?」
「氾濫ではない。」

 ロホの質問にステファンは首を振った。

「氾濫ではないが、この川は大雨が降ると土砂を大量に運ぶので、下流の町村が迷惑していた。それで、建設省がダムを造ったのだ。渓谷ではないので、浅い砂止め程度のダムだった。そのダムのせいで上流に泥がどんどん溜まっていき、アルボレス・ロホス村の耕作地は泥に埋まってしまう結果になった。」
「それは酷い・・・」
「だから、住民は村を捨てて散り散りに移住してしまい、村は消滅した。」

 少佐がステファンをじっと見た。

「その村の住民がどう言う部族だったのかは、聞いていないのでしょうね?」
「あまり歴史のない開拓村だとオクタカス村の住民は言っていましたから、共和国政府が先住民移住政策で建設した村だったのでしょう。住民は近隣の森林から集められた元狩猟民だったと思われます。土地に愛着が少なかったので、あっさり放棄出来たのですよ。」
「しかし、苦労して耕した畑を泥に埋められて納得出来なかった人もいただろう。」

とロホが呟いた。少佐が頷いた。

「セニョール・シショカはその線から当たれと私に言いたかったのでしょうね。」



2022/09/06

第8部 探索      12

  夕刻、ケツァル少佐は建設省に行ってみた。ロホが彼女の呼び掛けに応えて、すぐに駐車場に現れた。省庁は午後6時きっかりに閉庁するから、職員達が駐車場を行き来していた。ロホは他所から出て来たのだが、そんな職員に混ざって少佐の車のそばに来た。少佐がドア越しに後部席を指したので、彼は車内に入った。ステファン大尉の臭いが微かにしたが、大尉はいなかった。

「何か進展はありましたか?」

とロホが先に尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「一族の誰かが神像を盗み出し、自分では使わずに他人を”操心”で動かしてイグレシアスに送りつけた様です。ロハスの証言も記憶を抜かれているので当てになりませんが、どうやら犯人は最初から大臣を狙っていたのかも知れません。ただロハスは我が強い女なので、犯人の思い通りに動かなかった。彼女は神像に恐怖を感じ、さっさと処分してしまおうと、以前アンゲルスと対立していたバルデスを思い出して神像をアンゲルスに送りつけたのです。バルデスは彼女の犯行に引き込まれた形でした。」
「ロハスの犯行に引き込まれて会社を手に入れたのなら、彼はロハスに感謝しているでしょうね。」

 ロホの皮肉に、少佐は苦笑した。

「バルデスもあの神像を恐れていたでしょ? 会社は棚ボタで手に入ったのですが、彼はアーバル・スァットを心底恐れていました。今も心配して警備員をつけていた程ですからね。」
「その警備員ですが・・・」

 ロホは遠くを見る目になった。

「頭を爆裂波でやられているとギャラガが報告していましたが、もしかすると救えるかも知れません。」

 少佐が上体を捻って後部席を見た。それだけ驚いたのだ。

「救える?」
「スィ、一族の中に、その力を持っている方がいらっしゃる筈です。数年前に父がそんな話をしていました。」
「救えるのであれば、救ってあげたいですね・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”の最高の秘技になるだろう。秘技を持つ者は長老級の人に違いない。一族の人間にも滅多に使用しない技の筈だ。それを一介の普通の人間の治療に使ってくれるだろうか。しかし、少佐はダメもとで部下に頼んだ。

「父君にその方を紹介して頂けないでしょうか?」

 ロホは「努力してみます」と答えた。

「セルバ国民を守れずして、一族の存在意義はありません。」

 その時、2人の前をイグレシアス大臣の私設秘書が通った。彼等に気づかず、女性の部下2人を連れて庁舎に向かって歩いて行くところだった。少佐は車から出て、彼の背に声をかけた。

「セニョール・シショカ!」

 シショカと2人の部下が立ち止まって、ほぼ同時に振り返った。シショカは目を細め、彼女を見た。

「これは、少佐・・・今日は、何か御用ですか?」

 白々しい挨拶だが、少佐も「今日は」と返した。そして彼の目を見た。

ーー大臣に恨みを持つ者の手がかりを掴めましたか?

 シショカは一瞬躊躇った。心にフィルターをかけたようだ。全ての情報を出したくない時の手段だ。そして返事をした。

ーー”赤の木村”(アルボレス・ロホス村)の住民

 それだけだった。しかし少佐はそれに対して「グラシャス」と呟いた。シショカは小さく頭を下げて、前を向き、部下を促して去って行った。




2022/09/05

第8部 探索      11

  ケツァル少佐は刑務所の周囲を歩いて、刑務所に物品を納めている業者や刑務官達の普段の行動をそれとなく街の人々に探りを入れてみた。刑務所で繁盛していると言う程ではないが、塀の外を囲む濠の向こうには、民家が数軒あった。昔からそこにあった集落だ。刑務所が出来る前から、要塞が出来た頃から住んでいる人々の子孫だった。政府は敢えて彼等を追い払わなかった。ずっと定住している人々にとって、見知らぬ人間は警戒の対象であり、村に用事がないのに近づいたり、塀の中から出てくる人間は常に見張られているのだ。当然、彼等は少佐にも注意を払っていた。だから少佐は緑の鳥の徽章をTシャツの胸に付け、己が何者であるか誇示して見せた。住民達は彼女の質問に誰もが正直に答えてくれた。
 ロザナ・ロハスに面会があるのかどうか住民は知らなかったが、刑務所の囚人達に面会を求めてやって来る人間は週に30人ばかりいると言う。その半分は毎週やって来る囚人の家族で、住民も顔を覚えていたし、中には名前がわかっている人物もいた。残りの半分は囚人の恋人だったり、部下だったり、得体の知れない人間だ。住民達は2回以上やって来た「知らない人間」を特に注意を払って観察しており、少佐はここ半年の間にやって来た車の車番や乗員の特徴を教えてもらえた。
 カルロ・ステファン大尉が面会を終えて出てきた。その時、丁度少佐は1人の年配女性と話をしていた。年配女性は門から出てきたステファンを指差して囁いた。

「ほら、あの男もなんだか怪しげでしょ? 髭なんか生やして、目付きも悪い。」

 少佐は大声で笑いそうになって、堪えた。

「彼にそう伝えておきましょう。彼は大統領警護隊の大尉です。」

 おや、まぁ!と驚く女性を後にして、少佐はステファン大尉に歩み寄った。大尉が彼女に敬礼した。少佐は頷き、報告、と目で言った。”心話”であっと言う間に情報がやり取りされた。
 少佐はロザナ・ロハスが語った内容にあまり満足出来なかった様だ。ロハスが虚偽の証言をしたのではなく、あの女が殆どアーバル・スァットについて知識を持っていなかったからだ。つまり、ロハスは何者かに操られたのだ。
 ピソム・カッカァ遺跡で目ぼしいお宝を探していた時に、彼女は誰かに出会った。誰に会ったのか、男だったのか女だったかのか、若かったのか年寄りだったのかも思い出せないと言ったのだ。気がついたら自分の車に乗っていて、助手席に石の神像が転がっていた。そのままではいけないと思い、車を止めて、丁寧にジャケットで包んでホテルに持ち帰った。手元に置いておくのが不安で、手下に預けた。しかしその手下が突然体調を崩し、ロハスは危険を感じた。どこかに神像を運べと言われた様な気がしていたが、彼女は急いで神像を手放すことを優先した。
 グラダ・シティはピソム・カッカァ遺跡から遠かったので、彼女はオルガ・グランデに行った。そしてバルでアントニオ・バルデスと出会った。偶然の出会いとバルデスは言ったが、彼がアンゲルス社長と上手くいっていなかったことは、鉱夫を通じてロハスは知っていた。バルで出会ったのは偶然でも、最初から彼にネズミの神像を売りつけるつもりだったから、バルデスに声を掛け、部下に命じてアンゲルスの屋敷に神像を送りつけた。尤も彼女が盗み出してからアンゲルスに送りつける迄に、アーバル・スァットは粗末に扱った人間達を次々と呪い殺していた。
 アンゲルスがいつ神像の呪いの犠牲になったのか、ロハスは知らなかったし、関心もなかった。ただ自分から呪いが去ったと安堵しただけだ。だから隠れ家が政府軍に突き止められ、包囲された時、祟りはまだ終わっていなかったと驚愕した。要塞を爆破され、捕まった時、彼女は何故かやっと安心出来たのだった。

「檻の中でロハスは平和に暮らしているそうです。これ以上、あの神像のことを思い出したくないと言っていました。」

 


2022/09/02

第8部 探索      10

  面会室はコンクリート剥き出しの殺風景な部屋で、映画やドラマで見るようなガラスの仕切り等はなく、がらんとした部屋に机が5つ、それぞれ向かい合う位置に椅子が1脚ずつ置かれていた。好きな机で、と言われてカルロ・ステファン大尉が真ん中の机に直に腰掛けて待っていると、監房側のドアが開き、刑務官2名に挟まれる形で中年の白人女性が入って来た。両手は体の前で手錠が掛けられていた。ステファンが捕らえた時、彼女はぽっちゃり体型だったが、今は細くなって、外の世界にいた時より綺麗に見えた。窶れているように見えない。雑居房ではなく独居房で作業の時だけ他の囚人と一緒だと聞かされていたが、案外快適なムショ暮らしをしているのかも知れない。
 面会者が誰かは聞かされていなかった筈で、彼女は私服姿のステファン大尉を最初見た時、一瞬戸惑いの表情を見せた。誰?と言う顔だ。そして徐々に思い出した。
 刑務官に誘導されてステファンがいる机に近づくと、彼女は薄笑いを浮かべた。ステファンは無言で刑務官に彼女を座らせるよう指図した。彼女は肩を掴まれる前に自分から座った。ステファンは刑務官に退室するよう合図した。大統領警護隊なら1人でも大丈夫だ、逆らっても良いことはない、そんな表情で刑務官達は監房側のドアの向こうに消えた。尤も、監視カメラでこちらの様子は見張っている筈だ。

「オーラ!」

とロハスの方から声を掛けてきた。

「名前は知らないけど、私をひっ捕まえた緑の鳥さんよね?」

 この大きな態度はどこからくるのだろう。
 ステファンは名乗らなかった。面会者も着席を義務付けられていたが、彼は無視して立っていた。

「いかにも、大統領警護隊だ。聞きたいことがある。」
「商売の話だったら、収監前に散々喋らされたよ。」
「お前がミカエル・アンゲルスの家に送りつけた石像の件だ。」

 予想外だったらしく、ロハスは黙り込んだ。ステファンは続けた。

「金になる遺物はいくらでもあったのに、何故あの石像を選んだ?」

 ロハスはすぐに答えなかった。手錠をかけられたままの己の手を眺めていた。ステファンは畳み掛けた。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られているあの石像が、どんなものなのか、どこで知識を仕入れたのだ?」

 ロハスが顔を上げたが、先ほどの太々しさは影を潜めていた。ちょっと不安気に女は問い返した。

「それを言ったら、殺される。大統領警護隊は私を守ってくれるのかい?」
「誰に殺されるんだ? あの石像にか?」

 ロハスがブルっと体を震わせた。

「だから・・・守ってくれるなら言うよ。」

 ステファンは室内をぐるりと見回した。窓がない部屋だ。しかし、彼は言った。

「ここへ来てから、ソイツに見張られている気配はあったのか?」

 彼女は答えなかった。ステファンは言った。

「お前にあの石像のことを教えた人間が誰であろうと、この刑務所の中までお前を見張っているとは思えない。お前が捕まる前も、見張っていなかった筈だ。お前が誰に喋ろうが、ソイツはどうでも良いと思っているだろう。だからお前の様なつまらない犯罪者に神聖な石像の秘密を喋ったんだ。」

 すると、ロハスは元の強かな顔に戻った。

「それじゃ、私が何か喋ったら、その見返りはあるのかね?」




第11部  紅い水晶     9

 ”ヴェルデ・シエロ”と付き合うと、その物事への周りくどい対処の仕方や、やたらと遠回しな表現とかで苛々させられることが度々ある。ケツァル少佐は生粋の”ヴェルデ・シエロ”で、生まれながら大ピラミッドのママコナ(巫女)からテレパシーで一族の作法を教わったが、育て親は殆ど普通の人間に等...