2024/03/31

第10部  罪人        8

  憲兵隊に逮捕されたエンリケ・テナンは仲間5人全員が死んだことを知らなかった。少なくともミーヤやプンタ・マナで死んだ3人は呪いで死んだと思っている様だが、残りの2人はまだどこかに隠れているか逃げていると思っていた。そして彼は密猟者グループに指示を出していたボスの存在も正体も知らないと言い張った。

「計画は従兄弟のトーベが立てていた。トーベはまだ逃げている。あいつを捕まえて聞いてくれ!」

 そのトーベ何某は既に死んでいたのだ。グラダ・シティのオフィス街で車に跳ねられて。マルク・コーエン少尉はちょっと考えて、それから新聞社にガセネタを提供した。

ーー密猟者エンリケ・テナンは司法取引でグループに指示を出していた黒幕の正体を語ることを承知したと思われる。

「承知した」と断言していない。新聞社は「思われる」と言う文言を載せることに難色を示したが、憲兵隊に押し切られた。
 その記事をトップに載せた新聞が販売された日の午後、憲兵隊に司法警察から連絡が入った。

ーーセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士が荷物をまとめてアパートを引き払った。

 コーエン少尉は直ぐに部下に指示を出した。グラダ・シティ国際空港でロバートソン博士を足止めせよ、と。警察には博士の尾行を指示した。もし博士が陸路や港湾へ向かう様なら直ぐに連絡をくれと。
 逮捕劇はその夜に終了した。フローレンス・エルザ・ロバートソン博士は空港でネットで購入した航空券を提示して搭乗手続きを行なっている最中に憲兵隊に声をかけられた。彼女は同行を請われ、一旦断ったが、セルバ野生生物保護協会の資金横領容疑だと告げられると急に脱力して官憲の指示に従った。
 セルバの憲兵隊は緊急配備以外夜間に働くことをしない。コーエン少尉はロバートソン博士の取り調べを翌朝に行うと決め、彼女を留置場に入れた。ロバートソン博士はアメリカ人で、大使館に連絡してくれと要求した。

「明日の取り調べで貴女に弁護士が必要とわかれば、大使館にも連絡しますよ。」

とコーエン少尉は意地悪く言って、扉を閉めた。

2024/03/29

第10部  罪人        7

  好奇心の強い人間は何処にでもいるもので、テオの遺伝子工学の一番弟子で新学期から講師の仕事をもらったアーロン・カタラーニが、死体の写真を撮影しに憲兵隊グラダ・シティ南部基地に出かけて行った。 ”ヴェルデ・シエロ”とは無関係の殺人事件の死体の身元確認作業なので、テオは、作業を研究室の仕事として、憲兵隊にも生物学部長にも報告しておいた。手間賃は憲兵隊から取れないが、研究の必要経費として多少は出してもらえる。
 作業は翌日の朝から開始した。カタラーニがデジタルカメラからパソコンに写真を落とし、骨格を計算で算出する。顔面は鼻骨以外骨折していなかったのでなんとか使えた。若い研究生達が2人でC Gで肉付けしていった。カタラーニは憲兵隊からもらった手配書のコピーをパソコンに取り込み、復元した顔と比較できるように設定した。

「鼻の部分が欠損しちゃったので完璧と言えませんが、90%の確率で死体と手配書の密猟者は同一人物と言って良いでしょうね。」

 カタラーニはテオに薦められて自分で憲兵隊に電話した。テオは遺伝子鑑定が専門だから、復顔の依頼が増えても困ると思い、仕事の成果を弟子に譲ったのだ。カタラーニは遺伝子学者の卵だが法医学に興味があるので、今回の仕事にノリノリだった。まぁ、彼は何時もテオの仕事を手伝うことにノリノリな若者なのだが。
 密猟者6人のうち4人が”砂の民”に粛清され、1人が粛清から逃れようとして想定外の事件で命を落とした。最後の男は憲兵隊に逮捕され、現在勾留中だ。憲兵隊のコーエン少尉は”砂の民”は法律を犯してまでして官憲が捕らえた囚人を殺しはしないと言った。

「あの人達は、一族を守ることが仕事です。あまり不審な死が続けば、却って良くない結果をもたらすと理解しているでしょう。」

とケツァル少佐も言った。

「捕まっているテナンはジャガーが人間に変化したと言う証言を取り消したそうです。人間をジャガーと見誤って射殺したことに証言を変えました。」
「もっともボスの正体は喋らないし、サバンとコロンの殺害が初めから意図的なものだったのかも言わないんだろ?」
「そうです。もし密猟の元締めが大きな組織と関わりがあれば、”砂の民”とは別の人間がテナンを狙うでしょうね。」


2024/03/28

第10部  罪人        6

 ーー馬鹿なことを言うな!

とアスルが電話の向こうで怒鳴った。大きな声で能力の話が出来るのだから、どこか誰もいない場所にいるのだ。

ーー会ったこともない人間の過去へ跳ぶなんて俺はやらない。第一、そいつがいつどこにいたのかわからないんだろ? そんなの、エネルギーの無駄だ。

 言われてみればその通りで、電話をかけたテオもそばで聞き耳を立てていたギャラガもしょんぼりした。

「殺された男と手配書の男が同一人物なのか判明させるだけなんだがなぁ・・・」

 テオが思わず呟くと、スマートフォンの中のアスルが意地悪い表情で提案した。

ーーそれなら、復顔すりゃいいだろ?
「復顔?」

 テオが繰り返すと、ギャラガの方はゲゲっと声を出した。

「死体の肉を溶かして骨だけにして粘土で肉付けしていく、あの方法ですか?」

 テオもドラマで見たことがあった。既に骨になっているのであれば、それも可能だが、まだ死んだばかりで肉がついている人間の頭部を骨にするのはどうも・・・と思っていると、アスルがテオより科学者らしい意見を口にした。

ーー死体のD N Aか顔写真からC Gで顔を二次元再生したらどうだ? あんたならその程度の技術は使えるだろう?
「ああ!」

 テオは理解した。ギャラガはまだポカンとしている。

「やってみる。貴重な提案を有り難う、アスル!」

 アスルはフンと言って先に電話を切った。
 テオはギャラガを振り返った。

「死体の写真を撮影しに行くよ。どこにあるんだい?」




2024/03/27

第10部  罪人        5

  テオが大学の講義を終えて研究室に戻ると、室内に無断で入っていた客が立ち上がって挨拶した。

「ブエノス・ディアス、ドクトル。勝手にお邪魔しています。」

 敬礼しながら言うので、テオは吹き出した。

「ブエノス・ディアス、アンドレ。君なら構わないけど、他の人だったら俺は大声を出した方が良いだろうな。」

 テオは自分の机の上に書籍や学生から集めた答案用紙などを置いた。テストではなくちょっとした授業内容に関するアンケートを取ったのだ。
 ギャラガ少尉が小瓶を二人の間にある細長いテーブルの上に置いた。このテーブルは学生達が助手を務めるときに使う「何でもテーブル」だ。お茶を飲むにも書類を書くにも使われるので、普段は何も置いていない。
 テオは小瓶の中の不気味な物体を見た。

「肉片に見えるが・・・」
「スィ。死体から切り取った皮膚です。」

 テオが顔を顰めるのも意に介せずに、ギャラガは港で男が密航を企てて船乗りに見つかり、私刑を受けて死んだことを話した。

「・・・それで、手配書の密猟者と同じ場所に痣があったので、ムンギア中尉が文化保護担当部に連絡をくれたのです。ただ、死体の顔が殴られて原型をとどめていると言い難かったので、鑑定して頂こうと持って来た次第で・・・」
「鑑定しようにも、比較する元の遺伝子がないと無理だよ。」

 個体の遺伝子鑑定の原則が未だに周知されていないことをテオは忌々しく感じた。毎日付き合っているギャラガでさえこうなのだ。ギャラガはちょっとがっかりした様な顔をした。

「こいつが宿泊していた場所がわかれば良いんですがね・・・」
「過去を見られる人間がいればな・・・」

 テオはふと思いつき、ギャラガを見た。ギャラガも彼を見た。二人とも同じ人物を思い出したのだ。


2024/03/24

第10部  罪人        4

  ”砂の民”のエクは獲物が2人になったことを考えていた。一人は憲兵隊に囚われ、迂闊に近づけない。憲兵隊にも一族の人間がいるに違いないし、彼が手を出せばその一族の憲兵は腹を立てる筈だ。今のところ捕まった獲物は目撃した内容について喋った様子がない。喋ったのかも知れないが、信じてもらえないのだろう。ジャガーを撃ったら人間になったなんて、信じる方がおかしい。
 最後の男はまだ見つからない。しかしグラダ・シティに来ていることは確かだ。エクの手下が獲物がバスに乗るのを見たし、途中で下車して行くところなどあるだろうか。国内ならどこへ逃げても隠れても”ヴェルデ・シエロ”の呪いは追ってくるのだ。
 エクはふと気がついた。

 グラダ・シティにも港がある。それも外国へ行く大型船がいる港だ・・・

 彼は港湾施設に向かって歩き始めた。もし獲物が貨物船に潜り込んだら厄介だ。密航者はたまにいる。船が一旦大西洋に出て行くと戻ってこない。往復の燃料代がバカにならないから。

 逃してしまえば、俺自身の心の中の汚点になる。

 誰からも評価されない仕事だが、”ヴェルデ・シエロ”は誇り高い民族だ。エクは獲物に逃げられることを恐れた。
 彼は徒歩で港に向かったので、アンドレ・ギャラガ少尉が大統領警護隊の公用車で彼を追い越した時、まだ市街から出ていなかった。
 ギャラガはメキシコ行きの小型貨物船が停泊している埠頭に車を乗り入れた。そこには既に憲兵隊の車が一台と司法警察のパトロールカーが1台停まっていた。ギャラガが車を停めて下車すると、彼が会ったことがある憲兵が近づいて来た。

「お疲れ様です、ギャラガ少尉。」

と憲兵から声をかけて来た。ギャラガは敬礼して応えた。

「そちらこそ、お疲れ様です、ムンギア中尉。」

 ムンギア中尉はグラダ・シティの憲兵隊南部基地に所属する憲兵で、主に海岸地域の治安を担当していたので、海が好きで休日は海岸で過ごすギャラガとは知り合いだった。

「殺人事件だと聞きましたが、文化保護担当部に関わりがあるのですか?」

とギャラガが尋ねると、ムンギア中尉は首を振った。

「ノ、盗掘品に関係はないです。ただ、死人がプンタ・マナの憲兵隊基地から手配書が回って来ていた密猟者と似ているので・・・」

 彼はちょっと言い淀んだ。

「つまり、少尉は最近彼方へ行かれて密猟者が遺跡を荒らした事件を調査されていたと聞いたので・・・」

 ひどく遠回しの言い方だが、ギャラガは聡い男だ。憲兵が言いたいことをなんとなく察した。

「私は密猟者達と面識はありません。でも死人が手配書の写真と似ているかどうか、見てみましょう。」

 中尉がホッとした表情になったのが可笑しかった。大統領警護隊に叱られるかも知れないと不安だったのだ。彼等はシートが掛けられた死体に向かって歩き出した。

「殺人だと聞きましたが?」
「加害者達は殺すつもりはなかったんだと言ってます。よくあることでして、船の中に潜んでいた密航者を船乗り達が見つけて袋叩きにするんですよ。そして海に投げ込む。」
「そして死なせてしまった?」
「スィ。」

 警察官が場所を開けてシートの前に憲兵と大統領警護隊を案内した。別の警察官がシートを捲った。死体の顔は殴られて腫れ上がり、ギャラガの知らない男に見えた。

「顔を殴らないで欲しかった。」

とギャラガが呟くと、ムンギア中尉も同意した。

「左頬の痣が手配書の写真の男と同じなんです。だから、そうじゃないかな・・・と。」

 ギャラガは溜息をついた。

「私にはなんとも言えません。友人のドクトルにD N A鑑定を頼みましょうか。」

 

2024/03/20

第10部  罪人        3

  セルバ野生生物保護協会のロバートソン博士を「嘘泣き女」呼ばわりしたケツァル少佐にテオはちょっと驚いた。

「・・・だけど、君は彼女がサバンかコロンのどちらかを愛していたんじゃないか、って言ったじゃないか。」
「言いました。でも・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「あの時は彼女が酷く憔悴して見えたので、そう思っただけです。彼女は埋葬の時、ハンカチを目元に当てていましたが、泣いていませんでした。」
「目を赤く腫らしていたぞ?」

とテオが指摘すると、彼女は首を振った。

「寝不足だったのではありませんか?」
「はぁ?」
「密猟者達が次々と死んだり捕まったりで、次は自分の番ではないかと不安なのでしょう。」
「まさか・・・」

 テオは他の仲間を見た。ロホが肩をすくめて見せた。

「あの博士は結構気が強い女性の様です。しかし、死んだ協会員に外部の人が触れると、急に涙ぐんだり心配だと饒舌になる様ですね。」
「お芝居ね。」

とデネロスが決めつけた。

「セルバ野生生物保護協会って、ボランティア組織みたいなもので、お役所や普通の会社みたいに協会員が毎日出勤して顔を合わせる訳ではないでしょう? 私の大学の学友にも協会に登録している人がいますが、全然事務所に顔を出さない人もいるし、お給料も交通費程度しか出ないって言ってました。だから、ロカ・エテルナ社が援助資金を出しているって、今聞いて、私は変だなと思っているんですけどぉ?」
「それじゃ、援助金は何に使われているんだ?」

とアスル。

「動物の餌代か?」

2024/03/19

第10部  罪人        2

 「テオが憲兵隊のマルク・コーエン少尉との会談でセルバ野生生物保護協会の資金の流れに疑いを持った様ですが・・・」

 少佐が語りかけたので、テオは片手を揚げて彼女を制し、自分で話し始めた。

「殺害されたオラシオ・サバンの父親にコーエン少尉と共に面会したんだ。その時、父親が息子のノートを見せてくれた。オラシオ・サバンは彼が働いていた協会に密猟者と繋がりを持つ人間がいると疑っていた。そのノートはコーエン少尉が持ち帰って彼なりに分析している筈だ。コーエン少尉と俺は、本来動物を保護しなきゃならないセルバ野生生物保護協会の人間が密猟に加担する理由を、考えた。そして協会の資金の流れがどうなっているのか知るべきだと思った。オラシオ・サバンは父親に協会に資金援助している企業があって、その主力たる企業がロカ・エテルナ社だと言った。俺達はロカ・エテルナ社が動物の密猟の黒幕とは思っていない。コーエン少尉だってそれくらいわかっている。問題は、大きな会社から援助してもらう資金がどんな使われ方をしているか、だ。コーエン少尉はセルバ野生生物保護協会の財政状況を調べると言った。勿論、それは憲兵隊の仕事だ。だから、俺はロカ・エテルナ社にセルバ野生生物保護協会とどんな利益関係があるのか知ろうと思い、ケサダ教授にアブラーン・シメネスに連絡をつけて欲しいと頼んだ。」

 大統領警護隊の友人達がちょっと驚いた様子を見せた。顔見知りだと言っても、ロカ・エテルナ社は大企業でそこの社長となると、いきなりアポなしでぶつかっても会ってもらえない。ケサダ教授は社長と義理の兄弟だが、義弟の紹介と言えどもアブラーン・シメネスはすぐに時間を割ける程暇ではない。ギャラガが尋ねた。

「アブラーン・シメネスは会ってくれたんですか?」
「ノ、俺はアブラーンが無理ならカサンドラに会いたいと言ったんだ。すると教授は彼女が現在スペインに出張中で留守だと教えてくれた。しかし、慈善事業や学究施設各所に援助をする部署があって、そこのセルバ野生生物保護協会担当の人に連絡を取ってくれたんだ。」

 デネロスがニヤリと笑った。

「やっぱり教授は頼りになりますね!」

 ケツァル少佐が肩をすくめ、ロホとアスルとギャラガは彼女に同意した。
 テオは話を進めた。

「俺は今日、ロカ・エテルナ社の財務部のアコスタと言う人と会った。アコスタはセルバ野生生物保護協会が密猟者と繋がっているとは考えていなかったが、協会への資金援助が減額される話を教えてくれた。アブラーン・ムリリョ社長は協会の植樹活動などには積極的に協力しているが、ネコ科部門はこの数年目だった成績を揚げておらず、森の保護がひいては動物保護に繋がると言う観点から、協会にネコ科部門を森林部門に合併吸収させる提案をしていたようだ。」
「すると・・・」

 ロホが声を発したので、テオは口を閉じた。ロホは割り込んでしまったことを謝罪してから、考えを述べた。

「ネコ科部門は資金減額も森林部門への吸収も嫌だと思っている。だから、密猟を増やして危機感を社会に与え、資金減額を止めさせようとした・・・」

 テオは頷いた。少佐が不愉快そうな顔をした。

「では、あの嘘泣き女を調べるのですね?」
「嘘泣き女?」

 テオの怪訝な表情を見て、少佐は言った。

「オラシオ・サバンとイスマエル・コロンの葬式の時、ロバートソンは泣くふりをしていたではありませんか。」

2024/03/18

第10部  罪人        1

  ケツァル少佐のアパートのリビングで、大統領警護隊文化保護担当部の面々とテオは静かに時を過ごしていた。その日の夕食はカーラの手料理だった。とても美味しかったが、みんな口数が少なく、家政婦を心配させてしまった。

「いつもと同じで、とても美味しいですよ、カーラ。」

と少佐が珍しく気を遣った。

「ただ、仕事で今日はみんな疲れているのです。」

 そしていつもと同じように、アスルがカーラの帰宅準備を手伝い、バス停まで送って行った。
 少佐が酒類を出してきて、それぞれに配った。ロホは白ワイン、テオとアスルはビール、ギャラガは水で割ったブランデー、デネロスは赤ワイン、そして少佐はストレートのブランデー。

「”砂の民”は着実に仕事をしていますね。」

とロホが呟いた。テオは頷いた。

「きっとプンタ・マナから密猟者を追跡して来たんだ。俺はグラダ・シティの”砂の民”全部を知っている訳じゃないが、いくら大都会だからと言って、一つの都市にそう何人も”砂の民”がいる筈もないだろう?」

 ギャラガが同意した。

「ムリリョ博士は動いていらっしゃらないし、建設省のマスケゴは無関心でしょう? 私も他のピューマを知りませんが、3人もこの街に住んでいるとは思えません。」
「そもそもピューマはジャガーより数が少ないじゃない?」

とデネロスがワインを啜って囁いた。

「きっとプンタ・マナでも一人しかいませんよ。だから、南部で密猟者達を片づけたのは、一人の仕事で、その人が逃げた男を追いかけてグラダ・シティに来たんですよ。」

 少佐が不機嫌な顔をした。

「ママコナのお膝元で仕事をするのですから、それなりに首領に挨拶はあった筈です。勿論、博士が私達にそれを告知される義務はありませんし、決まりもありません。でも・・・」

 彼女は天井に視線を向けた。

「アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの会社の近所で血を流したのですから、アブラーンやカサンドラは大いに不満でしょうね。」
「彼等があの交通事故を誰かの粛清だと考えればな・・・」

とテオは言った。もし、粛清だと気がついていたら、あの兄妹は父親に抗議するのだろうか?


2024/03/15

第10部  粛清       23

  アコスタと別れて、テオは路駐していた自分の車に戻った。乗り込もうとした時、一人の男が通りの反対側を走って来るのに気がついた。オフィス街にはそぐわない、薄汚れた感じの人物だった。決してボロを着ているのではないが、何日も同じ服を着たまま、そんな風に見える男が右奥から全速力で走って来て、テオがいる向かい側を走り抜けようとした。何かに追われているのか、背後を振り返り、その為に近くを歩いていた紳士にぶつかりそうになった。

「オイ!」

と怒鳴られ、走って来た男はビクリとしてそっちを振り返り、弾みでよろめいた。

「危ない!」

 思わずテオは叫んだ。同じ叫び声が通りの反対側にいた別の人からも発せられた、と思った。
 走って来た男はよろめいたまま、車道にはみ出した。歩道の段差で転びそうになり、そこへ車が走って来た。
 テオは目を瞑った。嫌なブレーキ音とドンっと何かがぶつかる鈍い音が響いた。

「事故だ!」

 誰かが叫んでいた。テオは目を開き、現場を見た。車は数10メートル向こう迄進んで停車していた。歩道に跳ね飛ばされた男が倒れていた。路面に赤黒い液体が広がり始めた。

「救急車を呼べ!」
「早く救助を!」

 通行人が集まり始め、テオも道を渡って現場へ駆け寄った。男は頭部を強打したのか、頭から血を流していた。目は開いていたが、光が消えていくのがわかった。
 男のそばにかがみ込んだ男性が首を振った。

「駄目だ、救急車は間に合わない。」

 テオは死んだ男が、ひどく田舎者っぽい服装であることに気がついた。それに車に衝突した衝撃で顔面が変形している様に思えたが、どこかで見た顔だとも思った。
 それにしても、酷い事故だ。
 テオは男が走って来た方角へ何気なく視線をやった。停車した車の運転手が真っ青な顔で下りて来るところだったが、その車の向こうに立っている人物が視界に入った。

 純血種の先住民!

 テオは根拠もなくゾッとした。”砂の民”だ。直感だった。慌てて視線を逸らし、犠牲者に目を向けた。

 そうだ、この顔は手配書にあった密猟者だ・・・


2024/03/13

第10部  粛清       22

 「セニョール・アコスタ、貴方はセルバ野生生物保護協会の人々と親しいのでしょうか?」

 テオの質問にアコスタは首を振った。

「親しいとは言えません。私は自然豊かな母国の森が好きですが、保護活動自体に参加しようと言う気持ちになれません。事務系の人間ですから。しかし、会社の金を寄付するのですから、先方の活動内容や経済状態は把握しておかなければなりません。だから時々代表の人達と食事などの付き合いはします。私の上司や同僚も同じでしょう。偶々私がセルバ野生生物保護協会の担当になっているだけです。そのうち誰かと担当を代わるかも知れません。」

 個人的な付き合いは希薄なのだとアコスタは言いたいのだ。だからテオは安心して、核心の質問をぶつけてみた。

「もし・・・あくまでも、もし、の話ですが・・・」

と彼は断った。

「セルバ野生生物保護協会の人間が寄付金を横領していたら、どうされますか?」
「横領ですか?」

 アコスタが笑った。そんな馬鹿な、と言う意味の笑ではなかった。

「もしそんなことをしたら、憲兵隊に通報します。当然ながら寄付は打ち切りですよ。」
「では、寄付金の減額を止めさせるために、彼等がでっち上げの密猟を行っていたら?」
「でっち上げの密猟? ああ、我々に危機感を与えて寄付金減額を止めるってことですか?」

 またアコスタは笑った。

「それは彼等の活動意義にとって、本末転倒でしょう。だが・・・」

 彼は真面目な顔になった。

「植物の保護活動部門は活動成果を上げていないが、必死で行動しています。アブラーン・ムリリョ社長に何度か交渉に来ています。社長も森林保護の重要性は全ての生命の保護の根幹であると考えて、植樹活動に寄付を惜しみません。しかし、ロバートソン博士のネコ科動物の保護活動部門は消極的です。あまり密猟者の摘発もなく、ジャガーなどの取引も昨今は耳にしません。社長は博士に森林部門との統合を提案しているのです。どうせ別々に切り離して考えられるものでもありませんし。」

 ネコ科動物部門と森林部門の統合・・・テオは考えてみた。確かに、どんなに動物を保護しても、その動物が生きる場所がなければ意味がない。森林が豊かなら、動物達はある意味安全だ。

「寄付金は部門毎に出しておられるのですか?」
「セルバ野生生物保護協会へ一括で出します。ただ、どの部門にどんな割合で使われるのか、協会の方から報告があります。」
「ネコ科部門は?」
「以前は50%を使用していましたが、この2、3年は30%に減りました。まぁ、その辺のことは、協会内の力関係によりますから、我が社がとやかく言う筋合いではないです。」
「そうですね・・・」

 テオはもう訊くべきことがないことに気がついた。この会見を持った理由を言っておいた方が良いだろう。

「実は、密猟者に殺害された協会員2名の骨のD N A鑑定をしたのが、俺の研究室でして・・・」

 テオは鑑定のための費用をまだ協会からもらっていないのだと言い訳した。実際そうだった。

「協会の財政状態が悪ければ、あまり高額を請求するのも悪いかな、と思ったのですが、御社を始め数社から寄付をもらっているようなので、一応正規の値段を支払ってくれるよう交渉します。」

 アコスタが微笑んだ。

「大丈夫でしょう、ロバートソン博士は個人的にかなり資産をお持ちだ。寄付金が足りないことはないでしょうが、値切ってくるようなら、彼女の高級車でも売れと言って上げなさい。」

 

2024/03/09

第10部  粛清       21

 「ウーゴ・アコスタです。ロカ・エテルナの財務担当部副主任をしています。」

 男はサングラスを外してテオに目を見せた。サングラスをかけていると、ちょっと映画に出て来る悪党に見えたが、実際の目元は穏やかそうだった。普通のメスティーソのセルバ人だった。
 テオは自己紹介をして、近づいて来たウェイターにコーヒーを注文した。そしてアコスタに向き直った。

「ケサダ教授からお聞きになったと思いますが、セルバ野生生物保護協会へ御社が出されている援助金の額が来年度減額されるとのことですが・・・」

 アコスタが目をぱちくりさせた。

「ケサダ教授からそんなことをお聞きになったのですか?」

 テオは言い方を間違えたことに気がついた。教授に迷惑をかけてはいけない。

「間違えました。ケサダ教授は俺からその話を聞いただけです。俺はセルバ野生生物保護協会の会員の家族から援助金の話を聞きました。」
「ああ・・・それなら納得しました。」

 アコスタが頷いた。

「我が社は道楽で慈善行為をしているのではありません。確実に寄付した金が活かされる事業を援助しているのです。例えば、森を伐採した後に次の木の苗を植える事業、これは将来の地球環境の保全に繋がります。そして我が社が建築する建物の資材確保になります。海岸の清掃、これは綺麗な浜辺を守れば観光客が増え、ホテルの建設などに繋がります。」
「野生生物の保護は繋がりませんか?」
「動物の食物連鎖を無視したり蔑ろにするつもりはありません。しかしセルバ野生生物保護協会はこの数年何の成果も挙げていません。成果と言うのは、動物の生息数を維持することや生息環境を守ることです。しかし彼等が活動していると称する地域では森林伐採の面積が増え、動物が減っている。それに対して彼等は抗議行動をしていないし、政府に働きかけたり、関連事業者に話し合いを持ちかけてもいない。我々の目から見ると、彼等はただ自分達の給料を援助金から捻り出して、働かずに稼いでいるとしか思えないのです。」
「援助金を有効に使っていない、と?」
「その通りです。」
「しかし・・・協会員2名が密猟を止めようとして殺害されたことはご存知ですね?」
「新聞に出ていましたから、知っています。しかし、何故今起きたのですかね?」

 アコスタの奇妙な言葉にテオは引っかかった。

「何故今起きたか・・・ですか?」
「密猟は以前から行われていました。しかし生活出来る様な金は稼げません。今はワシントン条約で厳しく取り締まっていますから、動物を簡単に輸出出来ません。組織的な密猟でもしなければ、割りに合いませんよ。だが、新聞に出ていた密猟者連中は、普通の農夫だったのでしょう? 5人か6人のグループだったそうですが、それならもっと大掛かりに狩りをして、密輸するルートを持っていた筈です。だがそんな話も出ていない。」


2024/03/07

第10部  粛清       20

  テオはセルバ野生生物保護協会の資金の流れを調べることをケツァル少佐にまだ言っていなかった。憲兵隊のコーエン少尉との話し合いで協会に密猟者との繋がりがあるかも知れないと疑いを抱くようになった、と言うことは告げていた。少佐は不愉快そうな顔をした。野生生物の保護に関係する省庁は、少佐が働いているオフィスが置かれている文化・教育省だ。もし協会の職員が不正をおこなっているとしたら、省内の人間にも飛び火するかも知れないと考えた訳だ。省内会議の時に関係部署の人間をそれとなく探ってみると、彼女は言ったが、多分相手の目を見て心を読むのだ、とテオは想像した。一瞬で終わってしまう作業だが、セルバ人は古代それを恐れて他人の目をみることを礼儀作法から外れる行為とした。”ヴェルデ・シエロ”が伝説の神様と言われる時代になっても、その習慣は残り、セルバ人は余程気を許した相手にしか目を見ることを許さない。だが、本物の”ヴェルデ・シエロ”は一瞬で相手の思考を読み取ってしまうのだ。
 ケサダ教授がロカ・エテルナ社の財務担当者に電話をかけてくれた。シエスタの時間に市街地のカフェで会いましょう、と相手は言ってくれた。大学と民間企業のシエスタの時間は微妙にズレがあるので、正確な時刻を確認した。セルバ人は時間にルーズだが、大企業の財務課ともなれば、きちっと時間を守る筈だ。そうでなければ大金を動かす事業を行えない。外国企業との取引もあるに違いないのだ。

「相手は”ティエラ”ですから。」

とケサダ教授がそれとなく教えてくれた。現世で最強の”ヴェルデ・シエロ”が断言するのだから、間違いない。テオは彼に感謝して、昼食後に早速出かけた。
 ロカ・エテルナ社はグラダ・シティで一番お高くとまっているオフィス街にある。通りを歩く人々は皆高そうなスーツを着ていたり、アタッシュケースを持っていたりする。そして忙しなく携帯電話で話をしながら歩いている。たまにラフな格好の人もいるが、多分渉外担当ではない人間だろう。データ管理室だとか、システムエンジニアだ、きっと。
 テオは教壇に立つ時は、それなりに整った身なりをすることにしていた。研究の時はラフで構わないが、「先生」と言う立場で授業を行う場合は、多少威厳を持たせないといけない、と先輩教官達に忠告されたからだ。だから、薄手のジャケットとプレスの効いたコットンパンツでなんとかオフィス街の空気に浮かないで済んだ。
 指定されたカフェはすぐ見つかった。オフィス街の住人達が待ち合わせなどに使うのだろう、ちょっと目立った緑色のテント庇を出していて、観葉植物の植木鉢が店前に出されてあった。歩道は公共の場の筈だが、その店は植木鉢の間にテーブルを置いて、路上を占有していた。
 テオが近くまで行くと、その路上席の一つに席を取っていた男性が彼に向かって手招きした。薄ベージュのスーツを着て、黒いサングラスをかけ、短い口髭を生やした色の浅黒い男だった。

2024/03/06

第10部  粛清       19

  翌日、テオは大学に早めに出勤して、考古学部へ足を向けた。教授連中が何時出て来るのか知らなかったが、彼等は発掘に取り掛かるとなかなか大学に戻って来ない。だから大学に居る時に捕まえたかった。
 ンゲマ准教授は留守だった。学会の発表があるとかで、早い時間に市民ホールの会場へ出かけていた。恐らく南部ジャングルの遺跡群に関する話なのだろう。フランス隊や日本隊も来ていると言う噂だ。日本隊はアンティオワカ遺跡を掘りたがっているが、フランス隊が先に手をつけている。現在は不祥事を起こしたフランス隊が数歩譲って共同発掘しているところだ。ンゲマ准教授はその仲介者で、同時に彼独自に発掘しているカブラロカ遺跡研究の進展報告も兼ねるのだ。カブラロカの監視を担当している大統領警護隊文化保護担当部のアスルも出席する筈だ。
 セルバ国内の古代交易ルートを研究しているケサダ教授は現在本を執筆中なので、あまり外に出ない。だから大学にいる確率が高かった。考古学部の主任教授であるムリリョ博士より、在席している確率は高い。
 テオは学舎の入り口でケサダ教授の携帯に電話を掛けてみた。果たして教授は研究室にいた。訪問しても良いですか、と訊くと、大丈夫だと言ってもらえた。
 ドアをノックして「どうぞ」と声を聞き、テオはドアを開いた。コーヒーの香りが鼻をくすぐった。教授は珍しくインスタントのコーヒーを淹れていた。勧められて、テオももらうことにした。

「仕事に取り掛かる前の、ぼーっとする時間です。」

と教授が微笑んで言った。自宅では4人の娘と生まれて1年も経たない息子の5人の子供のお守りをしているパパだ。のんびり出来るのが職場だと言うのは皮肉な事実だった。

「お仕事に関係ないことでの訪問で恐縮ですが・・・」

 テオはカップのコーヒーを喉に流し、一息ついた。

「アブラーンと連絡を取りたいのです。俺が電話しても秘書が取り次ぐので、本当の要件を話せなくて・・・」

 なんだ、そんなことか、と言いたげに教授が彼を見た。

「最近ブームになっている粛清の件かと思いました。」

 ドキッとするようなことを平然と冗談にして言ってみせた。テオは苦笑した。

「そっちの方も無関係ではありませんが、それがメインなら俺は直接ムリリョ博士に当たっていますよ。」
「確かに・・・」

 教授がニヤッと笑った。テオは簡単に説明した。詳細に語っても、ケサダ教授には関係ない案件だから、意味がない。

「ちょっと遠回りかも知れませんが、お金の流通経路に関して、ロカ・エテルナ社の意見を聞きたいと思っています。だから、アブラーンが忙しければ、カサンドラでも良いのです。」

 カサンドラ・シメネスはムリリョ博士の長女でロカ・エテルナ社の副社長だ。案外金銭的な面で会社を支配しているのは彼女かも知れない。教授は義理の兄と姉のスケジュールを思い出そうとして空中を眺めた。それから、携帯電話を出して、メモを見た。

「カサンドラは昨日からスペインに出張です。お金に関係することで、一族に関係しない内容でしたら、会社の財務担当者を紹介しますが?」

 テオはちょっと考えた。セルバ野生生物保護協会に寄付をするのは会社の事業だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密の事案ではないのだろう。彼は安堵して、教授に頼んだ。

「お願いします。教授が会社の人事にお詳しいとは思いませんでした。」

 するとケサダ教授は可笑しそうに言った。

「ロカ・エテルナ社は考古学や医療研究にもいろいろ援助をしていますから、私もお世話になることがあるのですよ。貴方も遺伝子工学の研究で資金を出してもらったらどうです?」


2024/03/05

第10部  粛清       18

  サバン家を辞して、テオはコーエン少尉を車に乗せて憲兵隊官舎に向かって走った。コーエン少尉は半日だけの休暇を取っていたのだ。明日になればまた通常の勤務に戻る。

「セルバ野生生物保護協会の財政状況を調査します。」

と彼が呟いた。テオは頷いた。彼も気になったが、大学の遺伝子工学の准教授が首を突っ込める分野ではない。彼が出来ることは・・・

「俺はロバートソン博士にもう一度会ってみよう。」
「まだ本題をぶつけないで下さい。」

と少尉が予防線を張った。

「彼等に憲兵隊が探っていると知られたくありません。」
「わかっている。サバンとコロンのD N A鑑定をした人間として、事件のその後の展開が気になっている、と言う理由で近づいてみるだけさ。彼女が犯人とは限らないし、また完全に無実とも決まった訳でもないから。」

 憲兵隊本部には行ったことがあったが、官舎は初めてだった。本部のそばにあるのかと思ったら、車でも5分ばかり離れた場所にあった。隊員達は自転車やバスで通勤していると聞いて、テオは驚いた。

「制服のままで?」
「それが当たり前ですが、何か?」
「あ・・・いや、あまり通勤途中の憲兵を見たことがなかったので・・・」
「各自登庁する時刻は違いますから、点呼の時に揃っていれば問題ないのです。通勤途中に見かけた人は、我々が任務に就いていると思うだけです。」

 ふーん、とテオはなんとなく納得した。2人1組で行動する憲兵や警察官が一人で歩いている時は、正規の勤務外と言うことなのだろうか。だが一旦制服を着たら、彼等の心は任務に就いているのだろう。
 官舎の前に停車すると、少尉がドアに手を掛けた。テオが尋ねた。

「少尉、君の個人名を聞いても良いかな? 俺はテオドール・アルスト・ゴンザレスだ。」

 彼に名乗られて、コーエン少尉も躊躇わずに答えた。

「マルク・コーエンです。」
「ブーカだね?」
「スィ。ですが、少し”ティエラ”の血が混ざっています。」
「だけど、一族の人間だ。」
「スィ。」

 コーエン少尉は真面目な顔に少しだけ微笑みを浮かべ、「ブエナス・ノチェス」と言って車から降りた。

2024/03/04

第10部  粛清       17

 「手がかり?!」

 前のめりになって質問したのはコーエン少尉だった。密猟者グループのボスを特定する手がかりだと言うのか? 
 ティコ・サバンは急がなかった。彼は若い憲兵と遺伝子学者を見た。

「息子は、セルバ野生生物保護協会の中に、密猟者に取り締まり情報を流している人間がいると推測していました。」
「なんだって?!」

と叫んだのはテオだった。セルバ野生生物保護協会は、会員を殺害された被害者ではないのか? オラシオ・サバンとイスマエル・コロンの合同葬儀に集まった会員達は本当に悲しんでいたし、憤っていた。テオの目にはそう見えた。あの中に、悲しんでいる芝居をしていた人間がいたと言うのか?
 コーエン少尉は冷静に尋ねた。

「内部犯行と言うことですか? 保護協会が密猟者に情報を流して、何か得るものがあったのでしょうか?」

 すると長年地区の役場で勤めたと言うティコ・サバンは、元役人の顔で答えた。

「あの手の組織は基本的にボランティア団体です。どこか大企業などと手を結んで募金や寄付金で活動費を賄っています。セルバ野生生物保護協会も例外ではありません。息子は協会に寄付金を出していたのは、ロカ・エテルナ社だと言っていました。」

 え?とテオは内心かすかに動揺してしまった。ロカ・エテルナ社はセルバ共和国の建設業界の中で最大手だ。それに経営者はアブラーン・シメネス・デ・ムリリョ、考古学者ムリリョ博士の実の長男だ。
 ティコ・サバンは真面目な顔で続けた。

「ロカ・エテルナにすれば、企業イメージを良い方向にアップする為のパフォーマンスでしょう。しかし、企業の利益を生み出さなければ、寄付金を増額することはありません。逆に経営陣の中で自然保護対策に金を使うのは浪費に過ぎないと言う意見を持つ者もいるでしょう。そして実際にロカ・エテルナ社はセルバ野生生物保護協会に、来年度の寄付金を減額すると言う通知を出して来たのです。息子がアブラーンに失望したと腹を立てていたので、私も覚えています。」
「すると・・・」

 テオは頭を働かせた。

「寄付金を減らされると困る協会は密猟で資金繰りを・・・?」
「それは本末転倒だ。」

とコーエン少尉。

「第一、密猟で得る利益など、協会運営の資金全体から見れば微々たるものでしょう、ドクトル。」
「そうだなぁ・・・」

 テオはふと嫌な考えが頭に浮かんだ。

「まさか、密猟を増やして、危機感を世間に与え、ロカ・エテルナ社に考え直すよう促すつもりだった?」

2024/03/03

第10部  粛清       16

  コーエン少尉がテオを見たので、テオは簡単に名乗ってから、本題に入った。

「セニョール・サバン、貴方はオラシオが行方不明になった後、グラダ大学の考古学教授ムリリョ博士と電話で話をされましたね。」

 サバンがピクリと体を動かした様に見えた。ムリリョ博士との通話は仲介を頼んだ”ティエラ”のンゲマ准教授しか知らないと思ったのだろう。テオはサバンの反応に気がつかなかったふりをして続けた。

「ムリリョ博士はマスケゴ族の族長です。そして大長老の一人でもある。」

 普通のセルバ人が知らない”ヴェルデ・シエロ”の内部事情を言ったので、サバンは勿論のことコーエン少尉もちょっと驚いてテオをまじまじと見た。テオはそれも気づかないふりをした。

「彼はある特殊な技能職を持つ人々とも深いつながりがあります。セニョール・サバン、貴方は息子さんを殺害した犯人グループのことを博士に伝えましたか?」

 コーエン少尉がサバンに向き直った。大統領警護隊ではないが、憲兵も国民から畏怖と尊敬の目で見られている。サバンは先ほどの気を放った人物が目の前の若い憲兵だとわかっていたので、嘘や誤魔化しは効かないと観念したのだろう、渋々ながら頷いた。

「スィ。”アキレスの一味”が息子をどうにかしてしまったらしいと博士に伝えました。」

 何故考古学の博士にそんなことを伝えたのか、サバンは説明しなかった。どうしてムリリョ博士の裏の顔を知っているのかも言わなかった。そしてコーエン少尉の方は、博士の裏の顔に思い当たって一瞬動揺した。しかし憲兵はどうにかその動揺を抑えて、年長者のサバンに気づかれずに済ませた。ここで相手に弱みを見せてはならない。それにケツァル少佐のパートナーである白人のテオは何もかもお見通しの様だ。馬鹿にされたくなかった。
 テオはさらに尋ねた。

「”アキレスの一味”のことをどうしてご存知だったのですか?」

 するとティコ・サバンは部屋の隅へ歩いて行き、そこに置かれていた棚の引き出しから一冊のノートを出した。最近購入したらしいノートで、表紙もまだ綺麗だったが、テオはサバンがそれをめくっている紙面にびっしりと書き込みされているのを見た。

「息子は密猟から野生動物を守る仕事をしていました。プンタ・マナ周辺の森で暗躍する密猟者グループの調査をしていたのです。」
「これがその記録なのですね?」
「ここに犯人と思しき人間数名の名前が書かれています。グループの名前も書いてありました。」

 サバンはノートを憲兵に手渡した。

「密猟者が警察と繋がっているかも知れないと思い、今までこのノートのことは黙っていました。けれど、一族の人間が憲兵にいるのだから、私はこれを貴方に託します。」

 コーエン少尉はパラパラとノートをめくり、大きく頷いた。

「グラシャス、セニョール、捜査に役立てます。読み解いていくとボスの正体もわかるかも知れません。もしや、ボスのことも書かれていませんでしたか?」

 サバンは首を振った。

「ノ、ボスがいるのは確かだ、と書いていますが、名前はわからない様でした。でも手がかりはあると、最後に書いてあったのです。」


第10部  粛清       15

 「エンリケ・テナンはジャガーを撃ち殺した時に、ジャガーが人間になるところを目撃してしまったでしょう? ”砂の民”はそれを言い広められるのを阻止しようとしている・・・」

 テオが言いかけると、コーエン少尉は「違います」と遮った。

「今の時代、誰もそんなことを信じたりしません。セルバの国民ですら信じませんよ。」
「では、”砂の民”が密猟者を粛清しているのは・・・」
「1番の理由は、神聖なジャガーを撃ったことへの天罰だと国民に見せつけているのです。森を荒らすと後悔するぞと警告しているのです。そして2番目は・・・」
「一族から密猟者への報復?」
「そう言うことでしょう。」
「だがどこから”砂の民”は密猟者の情報を得たのか・・・」

 コーエン少尉がクスッと笑った。

「それを訊く為にこれからサバンの父親に会うのでしょう?」
「ああ・・・そうだった・・・」

 テオも苦笑した。
 やがてサバン親子が住んでいた古いアパート群が見えてきた。テオは記憶にある建物の前に駐車した。アパート群はまだ照明が付いている部屋が多かった。そんなに夜遅い訳ではない。
 サバンの家のドアをノックする直前にコーエン少尉が囁いた。

「居留守を使われる前に、一族の人間が来たことを知らせておきます。」

 彼は何も目立った動きをしなかった。恐らく、気を発して、存在を伝えたのだろう。テオがサバン家のドアをノックすると、すぐにドアが開いた。そしてティコ・サバンが現れた。

「こんばんは」

とテオは右手を左胸に当てて挨拶した。コーエン少尉は憲兵らしく敬礼した。ティコ・サバンは軽く頷いて、彼等を中へ案内した。
 誰もいない家だ。オラシオ・サバンの葬儀に出席していた母親と兄弟は別居していると聞いていた。父親は息子が死んだ後、一人でこの部屋に住んでいるのだ。テオはふと養父を思い出した。アントニオ・ゴンザレス署長もテオを拾う前はこんな侘しい寂しい生活だったのだろう。
 狭い居間の椅子を勧め、サバンは立ったまま質問した。

「ご用件は?」


2024/03/02

第10部  粛清       14

  密猟者のグループは「アキレスの一味」と呼ばれているのだ、とコーエン少尉は教えてくれた。2人はティコ・サバンのアパートに向かう車内にいた。テオは他人の家を訪ねるには遅い時刻ではないかと心配したが、憲兵のコーエン少尉には自由時間が余り残されていなかった。

「ドクトル・アルスト」

とコーエン少尉が助手席で話しかけて来た。

「貴方は我々の一族のことを理解してくださっている稀な白人だとお聞きしています。」
「どこまで真の意味で理解出来ているかわからないが・・・」

 テオは苦笑した。

「俺のことを大統領警護隊文化保護担当部の皆が理解してくれているから、俺も努力しているんです。」

 すると、少尉はテオにとって懐かしい名前を出した。

「貴方はビト・バスコ曹長の事件の解決に協力して下さったと聞きました。」
「ああ・・・」

 ビト・バスコ少尉は”ヴェルデ・シエロ”の憲兵だった。一卵性双生児の兄ビダル・バスコ少尉は大統領警護隊で、兄にコンプレックスを抱いていた。その細やかなコンプレックスの為に命を落としてしまった。だがその辺の事情は文化保護担当部と大統領警護隊司令部のごく一部の上官だけの秘密だった筈だ。コーエン少尉はバスコ曹長と親しかったのだろうか。

「少尉、貴方はビト・バスコ曹長と親しかったのですか?」
「ノ、所属していた部隊が違っていたので、顔は互いに知っていましたが、彼が一族の者であったと知ったのは、彼が亡くなった後です。彼と親しかった隊員が、彼と瓜二つの男が大統領警護隊の制服を着て街を歩いていたと噂を広めたのです。皆驚きましたが、それは彼が双子だったと知ったからで、私が驚いた理由とは違いました。」
「貴方はバスコが一族の一人だったと知ったから驚いたのですね。」
「スィ、肌が黒い一族の人間がいると聞いていましたが、身近にいたなんてね・・・残念です、彼の生前にそれを知っていれば、友達になれたかも知れません。」

 もしそうなっていれば、ビト・バスコ曹長は兄に劣等感を抱かずに、今も生きていたかも知れない。兄の制服を無断で持ち出すことなく、”砂の民”シショカから粛清を受けずに済んだかも知れないのだ。

「コーエン少尉、貴方は”砂の民”が密猟者達を闇に葬っていくことをどう思われますか?」

 テオの質問に、憲兵ははっきりと答えた。

「法律で裁ける犯罪者は、あんな殺し方をせずに捕まえて法の下で処罰するべきです。その為に憲兵隊や司法警察があるのですから。」


2024/03/01

第10部  粛清       13

  コーエン少尉の報告は続いた。

「エンリケ・テナンは誰が死体を焼くことを提案したか、誰が穴を掘ったか、誰が火をつけたか、そう言う細かなことは言いませんでした。恐らく連中は計画的に行動したのではなく、目の前で起きた殺人、或いは神殺しに恐怖して恐慌状態に陥っていたに違いありません。」

 テオはぼんやり思った。エンリケ・テナンがそんなにペラペラ喋ったのだろうか。コーエン少尉が”操心”で喋らせたのではないのか。兎に角、報告の内容に嘘はないのだろう。ケツァル少佐は何も質問せずに聞いていた。

「サバンを殺害して埋めた後、彼等は素知らぬ顔で生活を続けました。ボスには神殺しの報告をしなかった、とテナンは言っています。言っても信じてもらえないだろうし、神を殺したと言えば、ボスから処罰を受ける心配もあったのです。だが、恐怖心が消えた訳ではありませんでした。だから、次にイスマエル・コロンがサバンの行方を探して現れた時、先に述べたキントーと言う男がコロンを案内して森に誘導しました。テナン達は森で待ち伏せ、コロンを殺害しました。コロンはサバン殺害の手がかりを何も得ないまま、いきなり殺されてしまったのです。」
「酷い・・・」

と少佐が初めて呟いた。イスマエル・コロンが何か犯罪の形跡を見つけて、それが理由で殺されたと言うなら、まだ話はわかる。しかし、コロンは何も見付けなかった。森に連れて行かれ、そこでいきなり殺されたのだ。
 
「誰も反対しなかったんだな?」

とテオも確認のために尋ねた。コーエン少尉は首を振った。

「テナンはその点について何も言いませんでした。もう暗黙の了解でグラダ・シティから来るセルバ野生生物保護協会の人間を殺すと決めていたようです。」
「それはボスの指図だったのですか?」
「私も念を押して訊きましたが、ボスの指示を仰いだ感じはありませんでした。」
「コロンの遺体をあんな無残な姿にしたのは・・・」
「密猟した動物の解体と同じで、出来るだけ犯罪の痕跡を消そうとした様ですね。動物や虫に食わせて消してしまおうと・・・」

 少尉は、ハッと吐き捨てるような息を出した。

「だから連中をいち早く発見した”砂”の連中が、幻影を見せつけたに違いありません。サバンとコロンの幽霊を・・・」
「それにしても、彼等が密猟者を見つけ出したのは、早過ぎると思いませんでしたか?」

とケツァル少佐。コーエン少尉とテオは彼女を見た。

「・・・と言うと?」
「誰かが密告したと?」
「まだ推測を話す段階でもありません。しかし・・・」

 ケツァル少佐は視線を天井に向けた。

「ある方面から、サバンの父親が”砂の民”に粛清を依頼したらしいと言う情報を頂いています。」

 ンゲマ准教授やケサダ教授達からの情報だ。テオも思い出した。サバンの父親が犯人を知っていたのだろうか? しかし彼がどうして・・・?
 テオは少佐に言った。

「サバンの父親にもう一度会ってみたい。白人の俺一人では何も語ってくれないだろう。誰か同行してくれないか?」

 少佐が名乗り出てくれるかと思ったが、彼女は憲兵の方を見た。

「少尉、貴方にお願い出来ますか?」


第11部  紅い水晶     8

 研究室に入るとテオはケツァル少佐に電話をかけてみた。少佐は彼からの電話とわかったので、すぐに出てくれた。バックで船の汽笛らしき音がして、彼女が港湾施設にいることがわかった。 「出かけている時に申し訳ない。」 とテオは切り出した。 「ケサダ教授から依頼されて、文化保護担当部の人に...