2021/10/30

第3部 狩る  3

  水曜日の朝、テオは朝寝坊した。グラダ大学の期末試験はまだ続いており、彼が所属する生物学部は木曜日まで試験がある。テオは監督官の仕事を木曜日にするが、水曜日は空いていた。学生達が提出した答案用紙は研究室の金庫に入れてあるので、自宅では見ることが出来ない。だから、水曜日は試験当日に大学に来られないとあらかじめ判明していた学生5名がメールで送って来た論文を読むことにしていた。期限迄にメールが届かない学生は当然単位を与えられない。
 寝室から出ると、良い匂いが家の中に漂っていた。不審に思ってキッチンへ行くと、アスルがいて、朝食の支度が整ったところだった。先週の金曜日に別れたばかりなのに、すごく久しぶりの様な気がして、テオは思わず、「ブエノス・ディアス!」と叫んで彼に抱きついた。当然アスルは嫌がって避けようとした。

「なんでいつも抱きついてくるんだ?!」

 軍服のままのアスルは、キッチンが狭かったので結局捕まってハグの挨拶を受け容れた。

「いや、随分長い間会っていなかったから・・・」
「6日前に会っただろうが!」

 アスルがご機嫌斜めなのは平素のことで、これが機嫌良ければ逆に何か企んでいるのかと疑ってしまう。テオは早速テーブルに着いてアスル特製美味しい朝食を堪能することにした。

「ミーヤ遺跡の撤収は終わったのかい?」
「まだだ・・・」

 向かいに座ったアスルがポケットからビニル袋を出してテオの前に突き出した。テオはフォークを置いて袋を受け取った。袋の中は木の小枝と葉っぱだった。それに赤黒い物が付着していた。

「血液か?」
「スィ。」
「まさか、チュパカブラ?」
「ノ、女だ。」

 テオが怪訝な目で見たので、アスルは言い添えた。

「”シエロ”だ。封鎖されたアンティオワカ遺跡へ立ち入ろうとしたので、職質をかけたら逃げた。規程に従って不審者へ発砲したら、どこかに当たった。女はジャングルの中へ逃走した。」

 官憲に声をかけられ逃げ出したら発砲される、それはこの辺りの国々では珍しいことではなかった。それにアンティオワカ遺跡は麻薬密売組織に密輸した麻薬を一時保管する場所として利用されていたのだ。そこに無断で立ち入ろうとすれば当然官憲は犯罪に関与する者と疑いをかける。アスルの発砲は決して行き過ぎた行為ではなかった。

「撃たれたのにジャングルの中に逃げたのか・・・かなり強靭な体力の持ち主だな。それで、これはその女の血液か?」
「スィ。DNAを分析して欲しい。次にあの女に出遭った時に同一人物か確認する為の記録を頼む。」
「顔を見ていないのか?」
「後ろ姿だけだ。俺が彼女に振り向くのを許さなかった。」

 目が武器になる”ヴェルデ・シエロ”として、同族に対して警戒するのは当然だ。アスルは怪しい女と出会った時、1人だったのだろう、とテオには予想がついた。

「それじゃ、どんな女なのかわからないのか・・・」
「言葉に特徴があった。彼女はサスコシ族だ、アスクラカンの・・・」
「何?!」

 テオは思わずアスルの目をぐいっと見つめてしまった。そんな風に目を見られることは攻撃されるのと等しい”ヴェルデ・シエロ”のアスルは目を逸らした。

「サスコシの女がどうかしたのか?」

 それでテオは先週の月曜日の夜から始まったサン・ペドロ教会付近のジャガー騒動を語った。ジャガーが人気のジャズピアニスト、ロレンシオ・サイスで、彼が半分だけの”ヴェルデ・シエロ”であること、北米で育ったので自身の出自に全く無知だったこと、彼の父親の実家が純血至上主義者でサイスの存在を認めていないこと、彼の腹違いの姉ビアンカ・オルトが彼の命を狙っているらしいことを語った。
 アスルはロレンシオ・サイスの身の上に関して興味を抱かなかった。クールに聞き流しただけだ。彼が興味を示したのは、サイスの最初の変身が合成麻薬の摂取が原因だったことだ。

「昔は儀式にコカを使ってナワル使用を誘発させたと聞いている。儀式に参加する者全員が変身する必要があったからだ。体調不良で1人だけ変身し損なっては神様のご機嫌を損なうからな。」
「だけど、今は使わないんだろう?」

 アスルはセルバ流に答えた。

「コカ以外は使わない。」

 彼はジャンキーの”ヴェルデ・シエロ”なんて恐ろしいと吐き捨てる様に言った。テオは50年以上前に行われたイェンテ・グラダ村の殲滅事件を思い出した。太古に絶滅した純血のグラダ族を復活させようと、グラダの血を引くミックスだけで作った村がイェンテ・グラダだった。近親婚を繰り返して血の割合を純血種に近づけていった彼等は、ミックス故に超能力の制御が上手くいかず、それを抑えるために麻薬に溺れた。そして一族を危険に曝す存在として中央の長老会から村ごと「死」を与えられてしまったのだ。麻薬は”ティエラ”にも”シエロ”にも害になるだけのものだ。
 ミーヤ遺跡に現れた女はビアンカ・オルトだったのだろうか。彼女は麻薬を必要としているのか。アスルに撃たれて傷を負っているのか。
 アスルが立ち上がった。

「分析を頼む。俺は遺跡に戻る。」

 テオは我に帰った。

「夜通し運転して来たんじゃないのか? もう少し休んでいけよ。」

 アスルがニヤリとした。

「あんたは、俺が車でここへ来たと思っているのか?」
「え? しかし・・・」
「俺達が遺跡監視で何ヶ月もジャングルや砂漠に籠っているなんて、本気で思っているんじゃないだろうな?」

 

 

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