2021/10/30

第3部 狩る  2

  ミーヤ遺跡は近づく雨季に備えて撤収作業が始まっていた。アスルは遺跡の外れにある大樹の上に登って作業を監視していた。ミーヤ遺跡には盗む価値のある遺物はほとんど皆無と言える。考古学的価値ならそれなりにある土器の破片や民具の欠片ばかり出土した。それらをきちんとリストに載せて文化保護担当部に提出すると約束した日本人の考古学者達は、作業員達と一緒に遺跡に丁寧に覆いを被せる仕事をしていた。石の壁などは野ざらしにして良さそうなものなのに、彼等は来年戻って来る時のために、プレハブで覆ってしまうのだ。地面はシートを被せ、可能な限り水が入らないように厳重に封をする。アスルに言わせれば、プレハブもシートもハリケーンが来れば簡単に吹き飛んでしまうし、泥棒がお気軽に失敬してしまう。大統領警護隊も陸軍も来年迄警備するつもりなど毛頭ない。
 ポケットからスルメの袋を出してアスルは齧った。日本人は結構気軽に物をくれる。殆どスナック類だが、文房具なども現地の人間には人気があった。アスルは恐竜の形の消しゴムが気に入ってしまった。いつも顰めっ面している彼が、消しゴムを掌に載っけて嬉しそうに微笑むのを見て、向こうも嬉しかったのだろう、日本人は3個もくれた。ティラノサウルスとステゴサウルスとアンキロサウルスだ。

「来年もお会いできたら、また新しいのを持ってきます。」

と言ってくれた。だから今アスルは彼等が北米の大学に引き上げて、それから地球の反対側へ帰ってしまうのが寂しいと思っていた。
 スルメの塊を口に入れた時、木の下の薮を何かが通り過ぎた。人間だ。アスルは遺跡の中で作業する人間の数を把握している。全員作業中だ。警備の陸軍兵も姿が見えている。つまり、木の下を通ったのは部外者だ。奥地のアンティオワカ遺跡へ行くなら、遺跡の反対側の道路を使う。まともなヤツならば、と言うことだ。
 アスルは木の下の動くものを目で追った。木や草を動かさずに移動して行く。動物でなければ、森の住人か。彼は相手に気取られぬよう、静かに素早く木から降りた。追跡を始めると、向こうは気づかずにやがて道へ出た。森と道の境目を歩いて奥へ向かっている。アスルは木の隙間から覗いて見た。
 後ろ姿は帽子を被った作業員に見えたが、彼はその人物の体型から女性だとわかった。遺跡発掘作業員の身なりをして、発掘中の遺跡ではなく、発掘が中止されて閉鎖されている奥地の遺跡へ1人で、しかも徒歩で行くとはどんな理由があるのだ。それに武器らしき物を所持している様にも見えない。丸腰で無防備で森を歩くなど現地の人間でもやらない。森の住人なら尚更だ。森が危険な場所であることは常識だ。何も持たずに森を歩くのは・・・

 ”シエロ”か?

 何故こんな民家のない場所に? アスルは声掛け代わりに軽く気を出してみた。女が立ち止まった。アスルはアサルトライフルを構えて言った。

「その先は警察が封鎖している。何処へ行くつもりだ?」

 女が振り返ろうとしたので、彼は「ノ」と言った。故意にライフルの音を立てて聴かせた。

「こっちを向くな。お前が何者かはわかっている。」
「一族の人ね?」

 女の声は若かった。

「この先の遺跡で発掘している人に知り合いがいるの。そこへ行くのよ。」
「残念だが、君の知り合いはもういない。遺跡は封鎖されている。さっきそう言った筈だ。」
「封鎖? 何があったの?」
「何があったのかな。君の用事に関係することかな。」

 アスルの意地悪な物言いに、女が大袈裟に溜め息をついて見せた。

「わかった・・・クスリを分けてくれるって聞いたから、買いに行こうとしていたのよ。まだ買ってないわ。」
「ジャンキーか?」
「そこまで堕ちてない。」

 アスルは相手の言葉に訛りがないか聞き取ろうと務めた。セルバ標準スペイン語はグラダ・シティとその周辺地域の言葉だ。南部、中央部、西部で微妙にアクセントが異なるし、先住民なら”シエロ”だろうが”ティエラ”だろうが出身部族の村の訛りもある。女は綺麗な標準語で話していたが、アスルは大統領警護隊だ、訓練でほんの少しの発音の違いも聞き分けられた。彼は尋ねた。

「君はアスクラカンから来たのか? サスコシ族か?」

 女がまた溜め息をついた。

「男性の貴方が私の家族の家長に断りもなく私に話しかけるのはマナー違反よ。」

 アスルは彼女の訴えを無視した。

「俺の質問に答えろ。これは大統領警護隊の職務質問だ。」

 女が放つ気が微かに揺れた。

「あなた方、何処にでも現れるのね。」

 アスルはアサルトライフルを発砲した。女が森へ飛び込んだからだ。アスルは彼女が立っていた位置へ走ると、そこから森を見た。風が駆け抜けるような音が遠ざかって行くのが聞こえた。女が逃げた辺りの樹木の葉に血が付着していた。アスルは少し考え、ポケットからスルメの袋を出した。可能な限りスルメを口に入れると、残りは捨てた。そして空袋に血液が付着した枝葉を入れた。
 ミーヤ遺跡に戻りかけると、警備兵が車でやって来た。

「少尉、銃声が聞こえましたが、何かありましたか?」

 

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